書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』122


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第122回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例分析の中で、第119回から「四 祝福を受けた信者 合同結婚式の理想と現実」に入り、先回から元信者Fの事例を扱い始めたが、今回はその続きである。Fが韓国で体験した葛藤は、日韓の文化的な違いからくるカルチャーショックであったが、先回は韓日祝福を受けた日本人女性がこうした困難を乗り越えるために統一教会が行っているサポートについて紹介した。それは彼女たちがお嫁に行く前に現地で受ける「渡韓修」と、それに続く4か月ほどの「任地生活」であり、その渡韓修で教育されている内容が、国際家庭特別巡回師室編『本郷人の道』という本の中にまとめられていることも紹介した。

 この本の後半の「生活教育編」では、韓国での生活全般について知っておくべき内容や文化の違いなどが紹介されているが、著者の武藤氏は、「まず最初に違いを正確に理解したところから真の一体化の道も開ける」(『本郷人の道』p.202)との考えから、韓国人と日本人のどこがどのように違うのかをまず追求している。そこで言われていることの主な項目を列挙すると以下のような感じである。
・韓国では一人で食べるのではなく、食べるときは「みんな一緒に」食べる。
・韓国人は食べ物があれば、まず最初に目上の人に「食べてください」と差し出す。
・「ご飯食べましたか」は韓国では挨拶であり、会えば人の食事の心配をする。
・韓国では「この食べ物は自分のものだ」という所有観念がない。
・韓国で食べ物を買いに行くときは、自分の分だけでなく、必ず全員分を買いに行く。
・おかずは一人ひとりに分けずに真ん中においてみんなで突っつく。
・韓国では一緒に食事をした仲間が「割り勘」をすることは絶対にありえない。
・韓国では人前で鼻をかむのは失礼にあたる。
・人に物を渡すときには、両手もしくは右手で渡す。右手で渡す際は左手を下に添える。
・韓国では長幼の序の意識が強く、敬老精神が徹底している。
・韓国では親は絶対的存在であり、自分の親をけなされると冷静ではいられない。

 これらの文化的な違いは、たとえ親族関係にならなかったとしても、韓国に留学したり、仕事で韓国に赴任したときには知っておくと役立つ内容であろう。しかし、結婚して韓国人と家族になれば、韓国の家庭のしきたりや親族関係に存在する独特の文化があるため、さらに深く韓国の文化を理解しなければならない。そこで武藤氏は、「親族への挨拶訪問」という一節をもうけて、愛される嫁として夫の親族に受け入れられるための秘訣を紹介しているのである。その部分の記述と、Fの体験談を比較してみると、Fの韓国文化に対する無知が、夫の親族との人間関係を難しくしていた可能性が浮かび上がってくる。武藤氏は、韓国の嫁入り習慣である「婚需」について以下のように説明している。
「参考として、韓国に嫁に来る女性が分かっていなければならないことは、韓国での伝統的な結婚時の贈り物は『婚需(ホンス)』といって、新婦側がひと財産投げうって贈り物や嫁入り道具を持っていくという風習があるということです。現在、『婚需』費用の相場は一般でも一千万ウォンを超えるといい、韓国人も驚くような額に上っています。本来ならば、新婦側ではまず冷蔵庫から、洗濯機、電子レンジなど、家具家財道具すべてを揃えなければなりません。」
「一方、新郎側はというと、住まいを準備して、新婦の服と『結婚礼物』としてのアクセサリー(イヤリング、ネックレス、指輪、時計など)、そして余裕があれば、新婦の両親に韓服をプレゼントします。これらが『婚需』というものなのです。」
「主体者の中にも、日本の嫁ということで反対されるのを認めてもらうために、嫁いでくる相対者が親にある程度の『婚需』を持ってきてくれることを願っていたなどの場合があります。日本人相対者の中で、結婚した後に、主体者側からお金を要求されて、『持参金目当ての結婚か』とつまづく人がいるようですが、それもこのような文化的背景から理解する必要があります。(以上、すべて『本郷人の道』p.213)

 もちろん、武藤氏はこの「婚需」の習慣を祝福家庭がそのごとくに実践することを勧めているわけではない。日本の教会員の場合には経済的な事情でそれができない場合が多いわけだが、それでも主体者の親がその文化的習慣から「婚需」を期待する気持ちがあることを理解したうえで、日本には「婚需」という習慣がないことや、自分たちの経済的事情ではそれができないことを相手方に理解してもらうために誠意をもって説明し、たとえ金額は小さくてもそれに代わる真心のこもった贈り物をすることで、親族との関係が円満に行くように努力することを勧めているのである。

 それを背景として、Fの記述を改めて読んでみよう。
「ソウルでは夫の叔母がマンションを買って、入居するばかりに準備してくれた。しかし、驚いたことに、マンションをもらえたわけではなく、ローンはそのままだった。しかも、夫方から資金援助がなく、ローンを全額自分達で返済する計画になっていた。これが、自分達にほとんど何の相談もなく決めていく夫側親族への不信の始まりだった。実際は、夫へ相談があったのかもしれないが、夫はFに一言も相談がなかった。コミュニケーションの問題は言葉のギャップということもあるが、男尊女卑、長幼の序が強すぎる韓国と日本の問題とも思えた。統一教会が理想とする韓国の文化にショックを受けた。」(p.363)

 まずFは、夫の親族がマンションの全額を支払って自分たちにプレゼントしてくれるとでも期待していたのだろうか? そうだとすれば、それは相当に虫の好い要求である。自立した経済を営む夫婦であれば、自分たちの住むマンションのローンを支払うことはある意味で常識ではないだろうか。外国で勝手が分からないだろうからとマンションを買って入居するばかりに準備してくれた夫の叔母は、明らかに親切心からそれを行っている。もしかしたら頭金だけを負担して、残りのローンは夫婦で責任をもつという話し合いがなされていたのかもしれない。それは決して非常識ではなく、要するにFがその意思決定に参加できなかったことを不満に思っただけのことである。

 韓国の「婚需」の習慣からすれば、Fは家具や家財道具などを全て揃えなければならなかったが、夫の叔母がマンションを買って入居するばかりに準備してくれたということは、それを夫の親族に頼って、自分では何も準備しなかったことを意味している。家財道具もお金も準備せずに身一つで韓国に嫁ぎ、親族に世話になったのだから、せめてマンションのローンぐらいは自分達夫婦で責任をもつべきだという発想が出来ず、ローン返済の責任が自分たちにあることに「驚いた」というのであるから、Fはかなり依存的で自己中心的な発想の持ち主であると言われても仕方がないであろう。

 Fは夫側親族と信頼関係を構築する努力をすることなく、「自分に何も相談しないで決めていく」と不満を抱き、相手を不信し始める。はたして彼女に、相手の立場に立って物事を考え、相手の文化を理解し、こちらの考えを相手に分かりやすく伝えることによって問題を解決していこうと努力する姿勢があったのかどうか、はなはだ疑問である。

 Fが問題とした「長幼の序」は、年長者と年少者との間にある秩序のことであり、子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむというあり方を指す。それは儒教において人の守るべき五つの道の一つとされ、父子の親、君臣の義、夫婦の別、朋友 の信と並んで、中国、韓国、日本において共通の徳目であった。もともと儒教社会であった韓国では、近代化と共に個人主義的になった日本に比べて、その伝統がいまでも強く残っている。これは統一教会で教える家庭倫理とも共通する内容であるため、もしFに信仰があるのであれば、その文化から自分が何かを学ぼうという発想をすべきではなかったのか。韓国ではそれが強すぎるから日本人である自分には合わないといって切り捨ててしまうのは、やはり自己中心的な態度であるといわざるを得ない。

 「長男である夫は両親に頭が上がらず従うばかりであり、不満のやり場がなかった。」というけれども、子が親に従順であることや、親孝行しようという子供の姿勢は儒教における重要な徳目であるだけでなく、統一教会においても一つの原理的な価値観として大切にされているものである。こうした韓国の文化を、単に自分の中にある現代日本の文化と合わないからといって不満を持つことは、やはり信仰者として正しい態度とは言えないであろう。韓日祝福を受けた以上は、そうした文化の違いを乗り越えて韓国の地で嫁として勝利するという決意をもって渡韓すべきであったのだが、Fはその点で中途半端であり、どこかに甘えがあったとしか思えない。

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韓国の独立運動と再臨摂理シリーズ24


 先回から、真のお父様が金日成という人物をどのように見ていたのかについて、『神の摂理から見た南北統一』を資料としてまとめる作業を始めました。今回はその続きです。「金日成」という言葉を検索してみると、南北統一に対するお父様の決意を語られたみ言がたくさん出てきます。
「私が三十八度線を越えながら祈祷したことは簡単です。『神様、心配しないでください。北韓まで私が統一します』」。(一九八七・一一・一)
「私が一・四後退の時、三十八度線を越えながら神様に祈祷したことがあります。この悪党たちを私の手で捕まえて片づける前に死んではならないので、私が私の故郷、私の祖国を再び訪ねて、神様に勝利の讃揚をお返しできるその日まで私を生かしてくださいと祈祷したのです。そうするために、韓国を経て、アジアを経て、世界を経て、この怨讐の金日成に至ろうと誓いもしました。」(一九八一・一・二六)

 ここで言う「一・四後退」とは、1951年初頭に北朝・中国両軍の攻勢を受けた韓国軍が、1月4日に前線の後退作戦を敢行したことを指します。大邱や釜山へ集団移送されました。このときにお父様は北から避難したのですが、38度線を超えるときに、その38度線に両足をかけて、絶対に南北統一をしますと誓ったという話は聞いておられると思います。それは、「必ず怨讐の金日成に至ってみせる」という決意だったのです。金日成という人物はお父様にとってそのような意識の対象だったのです。

 具体的にどうやって南北統一をするのかについても、お父様は語っておられます。
「韓国が万一どうかしたはずみで北韓の金日成を打倒して南北を統一したとしても、ソ連を、そして中共をどうやって消化することができるでしょうか。できないのです。」(七八―三二二)
「金日成自体よりも、国際共産党の背後の計画と連結された金日成の基盤を破壊するためには、ソ連・中共に対処することのできる韓国の基盤がなければなりません。そうでなければ南北統一は不可能です。私はそう見ているのです。」(一九八一・四・二六)

 これはなぜでしょうか? 金日成は自分の力で北韓の指導者になったのではないのです。ソ連のバックアップがあって北韓の指導者になったわけですから、単に南北の関係ではこの問題は解かれないのです。背後にあるソ連と中共をなんとかする基盤を作らなければ、北韓を解放できないということをお父様は語っておられます。
「大韓民国の解放はいかに力を注いでも一人ではできないのです。アメリカを動かさなければなりません。分かりますか。自由世界を動かさなければなりません。金日成を打つには大韓民国の力をもってしてはできないのです。日本とアメリカの力を借りなければなりません。何の話か分かりますか。共産主義運動が今アメリカの各大学街に浸透しつつあり、ここに金日成もアメリカでの運動を強化・展開させています。・・・このような金日成の工作活動をそのまま座視することができず、私はアメリカにおける勝共運動を大々的に展開してきたのです。」

 ですから、まずアメリカをつかまなければならないと言っています。同時にお父様は、日本もつかまなければならないと言っておられます。
「もし、日本が共産主義の手中に収まろうものなら、極東の平和維持が不可能になるのはもちろん、アメリカまで危険になります。ところが、日本を赤化しようとするのが極東においてのソ連はもちろん、北韓の金日成の秘密戦略です。私は既にはるか以前からこのようなことを看破したので、日本での勝共運動を強力に展開させたのです。私の見解では、日本の首脳部から一般国民に至るまで、全国民が勝共思想によって武装しなくては、日本は滅びるしかなくなるのです。・・・私は命を懸けて、日本国内にとてつもない背景をもっている共産主義と闘ったのです。」(一九八〇・一一・一八)

 日本には朝鮮総連があります。ですから、日本における勝共運動が重要だということでお父様が育てて来られたのです。それでは何によって統一されるのでしょうか? お父様の観点は、統一思想によって南北が統一されるということです。
「南北に分断されているこの国をどうやって統一しますか。統一思想をもって統一しなければなりません。統一思想で備えずしてこの国を解放することはできないのです。北韓が金日成思想で統一することを夢見ていますが、これが問題なのです。もし彼らに統一思想を教え込んだらどうなるでしょうか。金日成が問題ではないというのです。」(四八―二五六)
「キリスト教が我々と一つになって統一思想で武装するようになれば、北韓の金日成は問題ではありません。金日成を霊界で連れていくのです。」(二〇―一三九)
「将来既成教会と一つとならなければならず、それから大韓民国と一つとならなければなりません。三千万民族がキリスト教圏を中心に、神様のみ旨を中心にした思想をもって武装をして団結するなら、北韓は問題ないのです。我々が完全に内外ともに整備したあかつきには、北韓の金日成とは言葉で戦わなければなりません。すべてをさらけ出して白黒をはっきりつける問題が最後に残されているのです。金日成が嫌でも手を握らざるを得ない時がやって来るのです。世界情勢がそのように展開するのです。」(三〇―三〇八)

 軍事力で戦うのではなく、言葉で戦う、思想で戦うんだということです。それではその思想はどのようにして具体化されるかと言えば、北韓に負けない基盤を作ることだと語っておられます。
「北韓共産党が金日成を中心に全人民の武装化、全国土の要塞化など、あらゆる方面において準備を行ったその土台を見れば、我々はそれ以上に準備をしなければなりません。夜も昼も徹してその目標をもって戦っていかなければなりません。金日成が現在、北韓の二千万をしっかりとつかんでいる以上、我々はそれ以上に組織化しなければなりません。そうすれば、金日成の体制は必ず自然に崩壊するのです。それが摂理観です。自然に崩壊するのです。」(一六四―一八三)

 北朝鮮が盤石な組織を作っているので、それに対抗する組織基盤を南で作らなければならないということです。なぜかと言えば、もうすぐ南北統一選挙があるかも知れないからだ、というお話をお父様がされていたのが、1988年ごろでありました。このころのお父様のみ言には、1988年のソウル・オリンピックが終わったら、金日成は南北総選挙を提案してくるかもしれない、という予言めいたみ言が結構たくさんありました。恐らくそのような可能性もあったんだと思います。

 そうなれば北韓の二千万は完全に教育されていますから金日成一色であり、金日成を単一候補者として立ててくることになったと思います。一方、南韓は多党の候補が乱立して出馬することになれば、それは金日成の思うつぼです。票が割れれば負けるだろうということです。そこでお父様は、「南北総選挙では、南韓からも単一候補を出さなければならない。そのために、我々の運動は『統・班撃破』をしなければならない。」ということを、このころ語っておられました。

 お父様はご自身の存命中に南北統一選挙が行われる日が来ると予感され、とくに1988年のオリンピック直後が、もしかしたらそういう摂理的時を迎えていたのかもしれません。そのために、南側に運動の基盤を作ることを一生懸命に指導されました。実際にはそのときに総選挙は行われませんでしたが、そういう備えをしておられたということです。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』121


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第121回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例分析の中で、第119回から「四 祝福を受けた信者 合同結婚式の理想と現実」に入った。これまで2回にわたって櫻井氏の研究手法そのものを批判してきたが、今回から具体的な事例に入る。

 元信者Fは母親から伝道されたいわゆる信仰二世であった。彼女は1992年に三万双の韓日祝福を受けるが、その相手が「熱心な信者というわけではなかった」(p.363)という記述は、おそらくFが自分の視点から韓国人男性を評価したものであろう。以下、Fが葛藤を感じた中心ポイントを列挙してみたい。
「ソウルでは夫の叔母がマンションを買って、入居するばかりに準備してくれた。しかし、驚いたことに、マンションをもらえたわけではなく、ローンはそのままだった。しかも、夫方から資金援助がなく、ローンを全額自分達で返済する計画になっていた。これが、自分達にほとんど何の相談もなく決めていく夫側親族への不信の始まりだった。実際は、夫へ相談があったのかもしれないが、夫はFに一言も相談がなかった。コミュニケーションの問題は言葉のギャップということもあるが、男尊女卑、長幼の序が強すぎる韓国と日本の問題とも思えた。統一教会が理想とする韓国の文化にショックを受けた。」(p.363)
「長男である夫は両親に頭が上がらず従うばかりであり、不満のやり場がなかった。」「また、韓国で実際に教会生活をしていくうちに、日本の統一教会の教え、生活との落差に疑問を感じていった。」(p.363)
「韓国の統一教会信者は、日本の統一教会信者のように献身的でもなければ、日本で言われたように霊的に高いというようなこともなかった。」「日本人は忠孝心で文鮮明教祖を信じてしゃにむに働いていたが、韓国の信者はマイペースだった。このような日本と韓国の信仰生活の落差を経験するうちに、ここには神はいない、この宗教は嘘だと確信を持った。」「今の夫、この家庭は何なんだ。全てうそに見えてきた。」(p.364)

 Fの葛藤を一言で表現すれば、日本と韓国の文化的ギャップに耐えられず、カルチャーショックを起こしたといってよいだろう。それは一般的な日本人と韓国人の民族性の違いにとどまらず、同じ信仰を持っている統一教会信者であっても韓国人と日本人の間には価値観の違いがあるため、Fは韓国社会と韓国統一教会の両方に対して不適応を起こして、夫を置いて日本に帰ったということができる。

 実はこのような葛藤は、多かれ少なかれ韓日祝福を受けたすべての日本人女性が感じるものである。信仰的要素を除けば、韓日祝福家庭に限らず、国際結婚をしたすべてのカップルが直面する問題といってもいいだろう。恋愛を動機として国際結婚をしたカップルは、夫婦の愛情によってこうした葛藤を乗り越えていくのであろうが、統一教会の祝福家庭の場合には信仰によって乗り越えていく場合が多い。そしてそのどちらのケースでも、カルチャーショックを乗り越えられずに離婚に至るケースがあるということになる。

 たとえ信仰があったとしても、言葉もうまくできない異国の地に嫁いで行って、その地の文化や風習を学びながら、同国人同士でも難しい嫁姑の関係や親族との人間関係をこなしていくのは、相当の苦労があると思われる。統一教会では、大量の韓日・日韓祝福家庭を生み出す一方で、こうした困難に直面している信徒たちに対するサポートを行っていないのであろうか? 実は相当システマティックに行っているのである。韓日祝福を受けて韓国にお嫁に行く女性信徒たちは、通常は「渡韓修」と呼ばれる修練会に参加し、その中で宗教的な教育を受けるだけでなく、韓国と日本の文化の違いに関する講義や、韓国の家庭に嫁入りする際の心構えや注意事項などを教えられるのである。

 こうしたサポートを受けられる恩恵は、時代と共に変遷してきた。6000双(1982年)以前にはこうしたサポートはほとんどなく、韓日の文化的な違いを乗り越える戦いはもっぱら個人の努力に任されていた。6500双(1988年)のときに過去に例のないほど多数の韓日・日韓家庭が誕生し、多くの日本人が韓国に渡ったため、そのケア体制の必要性が認識されるようになった。韓国教会に「国際家庭特別巡回室」が設置され、鄭壽源巡回師が渡韓した日本人の指導に当たるようになった。そして3万双の祝福式が行われた1992年から、国際家庭特別巡回室が主催する修練会が本格的に行われるようになった、というのがおよその経緯である。

本郷人の行く道

 この修練会で語られた内容を中心として構成された本が、国際家庭特別巡回師室編 『本郷人の道』である。この本は前半が「み言葉編」で、韓国で生活していく「本郷人」に対して語られた文鮮明師のみ言葉と、鄭壽源巡回師のみ言葉によって構成されており、後半が「生活教育編」で韓国での生活全般について知っておくべき内容や文化の違い、韓国と日本の統一教会の信仰観の違いなどが詳しく解説されている。この「生活教育編」の部分は、一つの文化論として読んでも面白い内容となっている。

 後編の「生活教育編」を執筆している武藤氏は、私にとってはCARPの後輩であるだけでなく、彼が学生として参加したCARPの新人研修会で私が進行をやっていたので、古くから知っている間柄である。この文章は「執筆」というよりは、彼が講義した内容を起こしたものなのであろう。私は実際に彼が講演しているところを何度も聞いたことがあるが、非常に話がうまく、魅力的な講師である。それは『本郷人の道』の文章からも伝わってくる。

 彼の指導は非常に具体的で、「韓国で勝手な行動をして行方不明になったら、警察から日本大使館に連絡が行き、国際問題になる」「ビザの延長手続きを絶対に忘れないように」「外国人登録を必ずするように」「日本に一時帰国するときは、出入国管理事務所で再入国許可をもらうのを忘れないように」「パスポートの期限切れに注意」「B型肝炎の予防接種を受けるように」などといった基本的で細かいことから始まっている。

 韓国と日本は、同じ東洋の国として文化的な類似性を持ちながらも、文化や生活習慣においては大きく異なる側面もある。これが姿かたちの違う西洋人と東洋人なら違っても納得がいくのだが、なまじ姿かたちが似ている韓国人と日本人の場合には、「同質性の中の異質性」を感じてしまって、逆に葛藤が大きくなるというのが武藤氏の解説である。そこで彼は、韓国人と日本人のどこがどのように違うのかということをまず追求していく。それは「まず最初に違いを正確に理解したところから真の一体化の道も開けると考える」(『本郷人の道』p.202)からだということだ。

 韓国の文化について何も知らないまま、ただ信仰だけで渡韓し、日本の常識を当てはめていちいち葛藤するよりも、事前に韓国と日本の文化はこのように違うのだから、それを前知識として納得したうえで韓国人と向き合いなさいという指導であるのだが、こうした教育は渡韓した日本人女性が現地に適応する上で大きな助けになったと思われる。

 元信者Fがこうした渡韓修の教育を受けたかどうかは不明だが、彼女の場合には渡韓の経緯が特殊であるため、こうした教育を受けなかった可能性が高い。通常、韓国人と祝福を受けた日本人女性は、独身の状態で渡韓し、家庭を出発する前に合宿でこうした修練を受けると同時に、「任地生活」といって約4か月ほど韓国の教会で奉仕活動をしながら韓国文化を学ぶのである。それはいきなり夫の家に一人で入っていって家庭生活を始めてしまうと、慣れない環境や食事、言葉の不自由さに加えて、難しい親族との関係に対応しなければならず、極度のストレスがかかるため、まずは韓国での生活に慣れるための「助走期間」として、しばらく教会の中で先輩の婦人たちや韓国の食口からアドバイスを受けながら過ごすのである。

 しかし、Fの場合には家庭をもってしばらくは日本で生活し、二児をもうけた後で渡韓している。そのために、彼女は韓国での「任地生活」を体験することはできなかったであろうし、韓国の文化について学ぶ機会もなく、いきなり夫の親族との関係に対応しなければならなくなってしまった。そこで彼女は自分なりの日本的な常識や信仰観を「ものさし」として、韓国の親族や韓国統一教会の信徒たちを裁くようになってしまったのである。もし彼女が渡韓修や任地生活でしっかりと韓国文化について学んでから韓国での生活を開始していれば、違った結果になったのかもしれない。

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韓国の独立運動と再臨摂理シリーズ23


 金日成は、日本軍が降伏した後にソ連占領下の韓半島北部において、ソ連軍によって共産主義国家の指導者として立てられ、やがて自らの意思で北朝鮮の指導者として君臨するようになったということを先回は説明しました。今回は真のお父様が金日成という人物をどのように見ていたのかについてまとめてみたいと思います。

韓国の独立運動と再臨摂理PPT23-1

 金日成に関するお父様の御言を調べるにあたって、オリジナルの御言葉全集を韓国語で調べるのは大変ですから、そのテーマに絞ったみ言葉を集めた代表的な資料として、『神の摂理から見た南北統一』を選びました。この本の中には「金日成」という言葉がたくさん出てきます。ですから、この本を「金日成」という言葉を検索して、ヒットした言葉を紹介してみたいと思います。まずは解放直後の摂理と金日成についての御言です。
「今から四十年前解放のラッパの音とともに国外に出て活動を行っていたあらゆる愛国者、いわゆる愛国者と言われる人々が全部故国の地に帰ってき始めました。その代表的なのがソ連の一派、中共の一派、アメリカの一派ですが、その三つの派が来たために問題になったのです。金九先生とか李承晩博士だとか、金日成を中心とする南労党まで連合したのです。やがて代表的な政府を立てた一派が南労党をなくしてしまいましたが、このように(三派間で)戦ったのです。」(一六六―一一九)

 このように、金日成は金九先生や李承晩と同じように、国を建てようとする代表的な人物に数えられています。それでは、神の摂理から見た金日成の立場について、お父様はどのように語っておられるのでしょうか?
「一つは共産主義の唯物論的代表国家であり、一つは唯心論的代表国家です。そこに誰がいるのでしょうか。金日成もアボジ(父)と言うでしょう? 統一教会の文先生もアボジと言うでしょう?(笑い)二人の父がいるのです。二人の父がいて、お互いが自分の息子、娘だというから大変なことになるのです。全部自分の息子、娘だというのです。金日成は南韓の人々が金日成親父の息子にならなければならないと言い、統一教会の文先生は、北韓の人々が文先生の息子にならなければならないと、このようになっているのです。」(一六八―三二八)

 ここでいう「共産主義の唯物論的代表国家」とは北朝鮮のことであり、「唯心論的代表国家」とは韓国のことです。真の父である文先生に対して、偽りの父、サタン側の父として金日成が立っているんだということです。
「まさにここの三十マイル北側で、民主主義と自由理念はこの世界で最も残虐無道な閉鎖された北韓の金日成の共産集団と対峙しています。この二つに分立した世界の中の一つは神様を認定する世界であり、他の一つはその正反対に神様を否定する世界です。極と極、思想を異にする二つの世界の差異点を韓半島よりももっと顕著に際だってあらわにできる所はありません。韓半島は自由と独裁、善と悪、民主主義と共産主義の間で闘争する、全世界の縮小版なのです。(一六八―二三五)

 これはソウルで話した御言ですね。世界の民主・共産の戦いの縮図が韓半島であり、そのサタン側の代表人物が金日成だということになります。
「韓国の南北問題は、単に金日成と現政府の闘争だけではありません。ご存じのように、人本主義や神本主義、ヘレニズムやヘブライズムなど、さまざまな思想が韓国という終着点に至ったと見ることができ、さらに、韓国が唯心、唯物思想の対決の最後の終着点になっているというのです。このような事実はひとえに韓国民族だけの問題ではなく、ひいては世界の問題です。より次元を高めて考えれば、善神を代表した神様と、悪神を代表したサタンの対決の現状だと見ることができるのです。」(一九八六・三・一四)

 このように、韓国の38度線は世界の縮図であって、そのサタン側の代表人物が金日成だという位置づけになっています。
「堕落することによって、個人からアダム国家、エバ国家、天使長国家が生まれたために、神様の復帰摂理においてこれを収拾するのにも国家として収拾するのです。そのためにこのような国家を探し出そうと、サタン世界を二つに割っておいたのです。そのために韓国を中心として以北に金日成という父親が生まれたのです。金日成がサタン側のアダムなら、中共はエバです。」(六八―三五)

 ここでははっきりと、金日成はサタン側のアダムであると言っています。
「北韓で金日成を父と言いますね? (はい)。統一教会でも先生を父と言うでしょう? (はい)。父は父ですが、本当の父と偽物の父がいます。カインの父とアベルの父がいるというのです。一人はアダム型で、一人は天使長型なのです。では、天使長がアダムを追放できるように、その動機を誰がつくったのでしょうか。エバがつくりました。偽物の父が生まれたのは、女性のせいで生まれたということです。そうでしょう?(三七―八九、一九七〇・一二・二二)

 ここでお父様は、ご自身が本当の父で、金日成は偽りの、天使長型の、カイン型の父であると位置付けているんですが、その父が生まれた責任はエバにあると言っています。また、金日成は嘘つきの独裁者であるとも言っています。
「そうなので、金日成がいうことは、すべてうそです。金日成が独裁体制を中心として、主体思想というのは全部うそではないですか。そこにはまた、うそがあるのですが、独立闘争は全部自分を中心としてしたというのです。南韓でやったのは全部偽りのもので、ソ連から来た者だけが一番だというのです。しかし、そうではないでしょう。その根源を問わなければなりません。その根源をもって明らかにしなければなりません。」(一六七―五六)

 これは金日成が歴史を捏造したということを言っています。さて、さきほどの御言では偽物の父が生まれたのは女性の責任であるという言っていますが、「金日成」に関係するみ言を『神の摂理から見た南北統一』の中で検索してみると、韓国の統一教会の歴史における、ある重要な出来事が頻繁に出てきます。それは1970年代にあった祝福家庭婦人の動員ということです。

 この話を摂理史の中で皆さんは聞いたことがありますね。1972年というのが、実は重要な年だったのです。1972年の4月15日は、金日成が還暦を迎える日だったのです。金日成はもともと、「私は自分の還暦をソウルで迎える」と豪語していました。それがどういうことかと言えば、そのときまでに南進を済ませて、南を占領して、自分の還暦のお祝いはソウルでやるんだという意味でした。ですから、1970年代の初めごろは、いつ北韓が攻めてくるか分からない、緊迫した状況にありました。

 そのときにお父様は、「国を守るために、祝福を受けた婦人たちは全員開拓伝道に出なさい」と命令して、家庭を引き裂いて婦人たちを追い出して活動させる「総動員」が行われたのです。それが1970年代の初めです。その当時にお父様が語られたみ言葉が以下のようなものです。
「金日成が堕落したサタンであるというなら、堕落したエバによって生まれたので、北朝鮮の全体の整備は女性たちが前に立って初めてできるのです。すべての家庭の主婦、お母さんが動員されれば、彼女らの子供二人を一つにすることでお父さんも入らなければなりません。自分の夫は後ろに立っていなければなりません。そのようにして本然のアダムを取り戻していくのです。それが原理観です。ですから、今回婦人を動員するのは北朝鮮の金日成を解放するためです。」(一六五―二六〇)

 この当時はかなり緊迫した状況で、お父様は「臨津江(イムジンガン)が凍らないように祈れ!」と語られたという話がありますね。ちょうどその年は暖冬であったので、臨津江が凍らずに南進が防げたのですが、それは統一教会における祈りと、祝福家庭の犠牲があったがゆえに、天が守って、南進が防がれたということなのです。
「金日成は天使長です。堕落した天使の代表なのです。サタンの代表、堕落した天使の代表なので、南韓の女性たちが金日成の首を打たなければならないのです。すべて北韓を統一するためにです。男性は今何ですか。神側の天使長です。」(一六五―四〇)
「今回、家庭をすべて追い出したのです。家庭の妻たちが出て活動する際に、その夫は、妻よりも、息子を捨て妻を捨てて、み旨のためにさらに一生懸命にやらなければならないのです。息子と夫を捨てて出ていって一生懸命に活動する妻の夫ならば、それ以上に一生懸命にしなければならないというのです。」

 このころ、妻が出て行って大変な思いをした夫がいたのでしょう。それに対して妻以上に一生懸命にやらなければならない、とお父様は語っておられます。

カテゴリー: 韓国の独立運動と再臨摂理

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』120


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第120回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例分析の中で、前回から「四 祝福を受けた信者 合同結婚式の理想と現実」に入った。私は前回、櫻井氏が統一教会の祝福について論じる際に、信仰を維持し家庭生活を営んでいる現役信者には一切インタビューを行わず、離婚して棄教した元信者からの聞き取りのみに基いてそれを判断していることが、社会学者としては致命的な手落ちであると批判した。実際、7ページ半という比較的短い記述の中で彼が紹介しているのは、統一教会で韓国人男性と祝福を受け、渡韓して家庭生活までしたものの、結果的に離婚して信仰も棄てた二人の日本人女性のストーリーだけである。そこで私は先回、韓国でたくましく生き、社会的にも活躍している日本人の祝福家庭婦人の代表的な事例を紹介した。

 統一教会の祝福を受けて韓国に嫁いだ日本人女性の数は合計約7千名に及ぶため、その存在は韓国通の日本人の間では有名である。韓国で仕事をしたり長期滞在していれば、同じ日本人である彼女たちと出会うからである。そうした韓国通の日本人が祝福家庭の日本人婦人について記述した本の中に、黒田勝弘著『韓国 反日感情の正体』(角川学芸出版、2013年)がある。黒田勝弘氏は産経新聞の国際面コラム「ソウルからヨボセヨ」で有名な在韓30年以上のジャーナリストであり、この本の主たるテーマは「反日」を叫ぶ韓国人の心理を分析することにある。同書の第12章には「韓国の中の日本 統一教会と創価学会」というタイトルが付けられ、統一教会の在韓日本人妻について黒田氏は以下のように書いているのである。

黒田勝弘著作

「宗教あるいは結婚の動機の是非は別に、筆者はそうした日本人女性の韓国での存在に同じ日本人として関心を持たざるを得ない。韓国人と結婚した統一教会関係の日本人女性に話を聞く機会があったのだが、彼女らによるといわゆる合同結婚式などで韓国人男性と結婚し、現在、韓国に居住する日本人女性は約7千人という。すでに多くの子供が誕生しているはずだから、その数を加えると関連の日本人は倍はいるかもしれない。日本大使館によると在韓日本人は約3万人だから、統一教会関連の日本人居住者がいかに多いか分かるだろう。

 統一教会の場合、きわめて多くの日本人女性が結婚というかたちで韓国社会に入り込み定着している。その宗教に対する評価は別にして、その存在は数が多いだけに日韓関係では無視できないように思う。そして『日本文化』としての彼女らが韓国社会にもたらす影響は気になる。

 ところで、韓国社会では日常的に彼女らを垣間見ることができる。たとえば取材で地方に出かけると、自治体の広報関係で日本語通訳としてよく見かける。日本系の居酒屋などのパートもそうだ。大卒がほとんどで、宗教に入れ込むほどの真面目派だから仕事はできる。

 韓国では近年、国際結婚や外国人居住者が急速に増えている。それを『多文化時代』として行政や支援組織などを通じた『共生プロジェクト』が盛んだが、日本人妻たちも多くそれに参加している。

 一方、韓国のNHKにあたるKBSテレビの長寿番組に、毎週日曜の正午から放送される『全国歌自慢』というのがある。NHKの『のど自慢』をモデルにしたもので、視聴者出演だから人気が高い。・・・このKBS『全国歌自慢』に統一教会の日本人女性がよく登場するのだ。事前に予選をパスした人が本番に出るため、出場者は事前審査される。したがって、本番の出演者に彼女たちをよく見かけるということは、彼女らがその地域でそれなりの評価を受けているということを意味する。地方都市や田舎だけに、地元で排斥されたり疎んじられたりしていたのでは、『晴れの舞台』への出場は難しい。

 宗教はともかくとして、彼女らは日本生まれの日本育ちで日本の文化を体現している。その彼女らが子育てや『共生プロジェクト』などを通じて韓国社会にもたらす『日本』が今後、韓国社会にどんな影響を与えるのか興味深いものがある。」(p.256-9)

 黒田氏の著作に登場する祝福家庭の日本人婦人たちは、先回紹介した山口英子さんや浅野富子さんのような華々しい活躍をしたり、立派な賞をもらって大統領と謁見したりしたわけではないが、通訳や多文化プロジェクトの講師として積極的に社会に関わったり、歌自慢大会に出演したりして、韓国社会に適応してたくましく生きている様子がうかがえる。こうした女性たちがいる一方で、元信者FやGのように途中で挫折して日本に帰国する人もいるというのが事実である。少なくともその両面を描かなければ、祝福を受けて渡韓した日本人女性について調査研究したとは言えないだろう。

 韓日祝福を受けて渡韓した日本人女性の中から、あえて不幸な結果に終わった二例だけを紹介することが、統一教会や祝福結婚に対する偏見を助長する可能性があることを、櫻井氏は少しでも考慮したのであろうか? そもそも宗教を動機として結婚するということ、さらに外国人と結婚するというだけでも日本社会においては偏見の対象になりやすいのであるから、学術的研究を謳う以上は、より客観的で公正な調査が求められる。しかし、実際に櫻井氏がやったのは、学問的体裁を装ってさらに偏見を助長しただけである。

 私があえてこうした主張をするのは、現在韓国で生活する日本人の統一教会信者の中には、日本で信仰生活を送っていたときに拉致監禁された、あるいは韓国にお嫁に行った後に帰省した際に拉致監禁されたという被害者が約300名いるからである。外国に在住する拉致監禁被害者の数としては韓国が最大だが、どうして韓国に嫁いだ日本人女性たちが狙われるのであろうか。それは以下のような理由による。

 統一教会の教えは国家民族の壁を超えた世界主義であり、文鮮明師は「交叉交替祝福結婚」の価値を強調してこられた。特に、歴史的な怨讐関係にある韓国と日本の男女を組み合わせた「韓日・日韓祝福」を推進してこられ、真の夫婦愛による歴史的怨讐関係の克服を指導してこられたのである。こうした理想が、一部の保守的な日本の両親から理解されず、渡韓前に娘を拉致したり、韓国に嫁いだ娘を帰省時に拉致する事件が発生するようになったのである。

 こうした両親の不安をさらに煽っているのが、反対派による「韓日祝福」に対する誹謗中傷である。キリスト教のインターネットメディアである「クリスチャントゥデイ」は、2006年1月23日号に「『合同結婚式、6500人の行方を捜して』被害者家族が訴え」というタイトルの記事を掲載し、韓国で統一教会の合同結婚式に参加した後、行方不明になった日本人女性が6500名もいると報じているのである。

クリスチャントゥデイ

 もしこれが本当なら、日本政府が動くべき重大な国際問題であるはずだが、そのような動きはまったくない。実際には、大半の日本人女性は平穏に暮らしており、両親とも連絡を取っているのである。したがって記事の内容は完全なデマゴーグなのだが、こうした記事に不安を煽られて日本の両親は拉致監禁に追い込まれていったのである。

 一部の反対弁護士は、統一教会信者の両親に手紙を出し、「娘が韓国の農村に嫁がされる前に自分か日本基督教団の牧師に相談して救出しないと大変なことになる」と脅して営業をかけていることが明らかになっている。先回紹介した、2010年に発売された週刊ポストの記事は、韓国で農業に従事する男性に嫁いだ日本人女性信者が、「SEX地獄」と形容されるような極めて悲惨な性生活を強いられているかのような印象を与えるものであり、韓国に嫁いだ女性信者の名誉を著しく毀損するものであったため、統一教会が発行元の小学館を訴えるという事態にまで発展した。こうしたメディアの偏向報道も、韓日祝福に対する偏見を助長するものとなっているのである。そして件の週刊ポストの記事には「『〈衝撃リポート〉北海道大学教授らの徹底調査で判明した戦慄の真実』というサブタイトルがつけられており、櫻井氏の著作が彼らの書いた記事の権威づけに利用されているのである。こうして見ると、櫻井氏の研究は学問的な中立性や客観性を欠いており、週刊誌のゴシップ記事のレベルと大差ないことが分かるであろう。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

韓国の独立運動と再臨摂理シリーズ22


 先回は金日成の抗日武装闘争と、日本軍が降伏した後にソ連占領下の韓半島北部においてなぜ金日成が国家の指導者として立てられたのかについて解説しました。今回は、終戦後の共産主義国家樹立がどのように行われたのかをまとめます。

 解放を迎え、懐かしい祖国に帰って来た海外勢力は大きく分けて二派でした。一つは重慶と米国から帰って来た民族主義者です。彼らはみな臨時政府を中心として抗日闘争を共にしてきた人たちであり、米軍政下のソウルに帰って来ました。

 他のもう一つは、中国の延安とソ連から帰って来た共産主義者たちで、ソ連軍政下の平壌に帰って来ました。シベリアおよび華北から平壌に帰って来た共産主義者たちは、国内派共産主義者たちと共に北朝鮮の共産政権樹立に参加しました。ソ連で生まれた韓人二世たちも重要な働きをしました。彼らが合流して、ソ連が指名した「金日成」を頂点として共産政権を発足させました。また、南韓の国内派共産主義者たち(朴憲永ら)も北に入り、これに加勢しました。(最終的には朴憲永は殺されてしまいますが・・・)

 さて、北朝鮮の金日成の本名が金聖柱なのか金成柱なのかは分かりません。とにかく、その金聖柱または金成柱を、伝説の金日成将軍として人民の前に登場させ、北朝鮮を統治しようというのは、ソ連軍が書いたシナリオでありました。ソ連軍が組み立てた脚本の中で、彼は金日成を演じなければならなかったのです。したがって、金日成はソ連の利益のために働く傀儡に過ぎなかったのですが、ひとたびその役割を引き受けて自分が指導者になると、やがて自分自身のためにその役割を演じて、「私が伝説の金日成将軍である」と言って北朝鮮を支配するようになったのです。

 このようにソ連によって立てられた金日成は、次第に自らの力で権力基盤を確立していきます。1953年には主として国内派(朴憲永など)が、1956年には主として延安派とソ連二世が粛清されるなど、パルチザン派出身者ら以外はすべてが「反党分子」「帝国主義者のスパイ」などとして追われ、粛清されたのです。金日成は徹底的に政敵をつぶしていきます。これを非道なまでやり遂げた人物が金日成なのです。

 同時に、金日成派は金日成の革命経歴をねつ造し、彼らの政権の歴史的正統性を無理やりに作り出そうと画策し始めました。金日成の闘争のみが、唯一最高の抗日武力闘争(これを「唯一革命伝統」と言います)とされ、それをもって北朝鮮政権の歴史的背景と伝統となし、したがって韓民族の歴史的正統性はもっぱら自分たちによってのみ継承されていると主張するに至ったのです。ですから、今日の北朝鮮があるのは誰のおかげかと言えば、それはひとえに金日成将軍のおかげであるのだ、というイデオロギーを作ったわけです。

 そのためには歴史を捏造しなければなりません。ですから、今日の北朝鮮の出版物では、民族主義者たちの抗日闘争はいっさい排除されており、共産主義者といえども、金日成のほかには韓国人で抗日闘争をした人物は誰もいなかったということになっていて、彼のみが唯一抗日武装闘争を行った人物であるということになっているのです。

 このようにして個人としての金日成の位相を高めた後に何をしたかというと、今度は金日成の血統を高めることになります。それは金日成一家の世襲体制を作るためでした。さらに歴史をさかのぼり、北側近代史の核心をなす部分が、金日成とその先代たちの偽造された闘争史によって塗り替えられて行ったわけです。彼らの歴史に従えば、金日成は絶世の愛国者であり、不世出の革命家であり、永生不滅の思想家であるということになっています。金日成だけではなく、彼の一家代々が愛国者で、革命家であったということになったのです。「愛国的革命性の強い家門であったから、金日成のような人が生まれなければならない。そして彼の代を継ぐ指導者もやはり、こうした家門から出なければならない」と主張されるようになりました。これは、金日成父子の世襲執権を可能にするための布石であったと言えます。

 ですから、北朝鮮の出版物では、金日成のお祖父さんやお父さんが非常に持ち上げられるようになっていきました。例えば、北朝鮮の歴史では、金日成の曾祖父は朝鮮を侵略したアメリカ船ジェネラル・シャーマン号を撃退する戦いに加わった英雄だったんだとか、また祖父は日帝に対して勇敢な闘いを挑んだ人物であったとされているのです。そういう革命家の血統の下に、金日成が生まれたんだという話になっていくのです。

 もともと、共産主義は血統と何の関係もありません。その本質はプロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争ですから、本来は血統には何の価値もないのでありますが、北朝鮮においては血統が重要なんだということになったのです。金日成の祖先が偉大だったから、金日成が生まれて、そして偉大なる金日成から偉大なる子孫が生まれてくるので、次世代はその子供たち、孫たちによって主導されなければならないということになっていくのです。

 なぜそうしたのかと言えば、金日成は同じ共産主義の指導者であるスターリンと毛沢東が死後に批判されたのを見たわけです。金日成が一番最後まで生き延びたので、スターリンが死んだ後にはスターリン批判が起き、毛沢東が死んだ後には毛沢東批判が出てきたのを見て、自分も死んだ後にはああなるんではないかということを恐れて、絶対にそうならないためには、自身を絶対的に信奉し、最後まで忠実な後継者を立てなければならないと考えたのです。そして、それは息子以外にはあり得ないという結論になったのです。このようにして、歴史の「私有化」が始まったのです。

 そして、金日成が朝鮮民族の解放者であることを強調するために、中国共産党の下で働いたという歴史的な事実も、ソ連に避難していたこともすべて否定されて、なかったことになってしまいました。そして、1945年の解放まで全く独自の武装闘争を継続していたことに改変され、それが北朝鮮に入ってきて、日帝から北朝鮮を解放したんだというストーリーになっているのです。ですから、すべて自分を中心として歴史を書き変えて、絶対権力を作っていったということです。

韓国の独立運動と再臨摂理PPT22-1

 このようにして、「金日成王国」が確立され、すべての人民が偉大な首領様を仰ぎ見る国を造ったのです。

韓国の独立運動と再臨摂理PPT22-2

 彼らが抱いている北朝鮮のイメージを絵にするとこんな感じになります。子供たちが金日成を「お父様」として慕って、群がっているわけです。金正日も脇にいます。この絵は不思議ですね。妻がいないんです。「真の父母」ではなく、「お父様」だけなのです。親父である金日成だけが子供に囲まれているという図なんですが、彼は「地上の楽園・北朝鮮」を築いたんだということで、こういうイメージを海外に発信しているわけです。このようにして金日成は北朝鮮の権力者となったのです。

カテゴリー: 韓国の独立運動と再臨摂理

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』119


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第119回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例分析の中で、今回から「四 祝福を受けた信者 合同結婚式の理想と現実」に入る。361~368ページにかけて、7ページ半という比較的短い記述の中で紹介されているのは、統一教会で韓国人男性と祝福を受け、渡韓して家庭生活までしたものの、結果的に離婚して信仰も棄てた二人の日本人女性のストーリーである。この話題は本書の後半部分にあたる中西尋子氏の研究内容と重なるため、櫻井氏の担当する部分では簡単に済ませたという可能性はあるものの、テーマの取り上げ方と事例の選び方が著しく粗雑で偏っているというそしりは免れないであろう。

 私は「統一教会信者の信仰史」と銘打たれたこの第七章の資料全般に関して、櫻井氏のインタビューを受けた人々は全員が元信者であり、現役の信者が一人もいないことに対して、情報源に著しい偏りがあることを繰り返し指摘してきた。伝道された経緯や統一教会における信仰生活を記述する上で、現役信者の声に一切声を傾けていないことが手落ちであるのとまったく同様に、祝福について論じる場合にも、信仰を維持し家庭生活を営んでいる現役信者には一切インタビューを行わず、離婚して棄教した元信者からの聞き取りのみに基いてそれを判断しようとすること自体が、社会学者としては致命的な手落ちである。そもそも、「合同結婚式の理想と現実」というタイトルのつけ方自体が、学術論文というよりは週刊誌の見出しのようである。

 実は、私が長きにわたって書評を書いているこの本は、統一教会の祝福を受けて韓国に嫁いだ日本人女性を誹謗中傷する目的で描かれた週刊誌の記事の「権威づけ」に利用されたことがあった。そしてそれは、「週刊ポスト名誉毀損訴訟」と呼ばれた裁判にまで発展した。どんな事件と裁判であったのかを簡単に解説しよう。

週刊ポスト表紙

週刊ポスト内容

 2010に発売された「週刊ポスト」(6月4日号)に「〈衝撃リポート〉北海道大学教授らの徹底調査で判明した戦慄の真実」「韓国農民にあてがわれた統一教会・合同結婚式 日本人妻の『SEX地獄』」という見出しの記事が掲載された。その内容は、統一教会および韓国に嫁いだ日本人女性信者らの結婚生活に対する侮辱であるとともに、信者の名誉を著しく棄損するものであったため、統一教会は「週刊ポスト」に対して謝罪と記事の訂正を繰り返し求めたが、誠意ある回答を得ることができなかったため、2010年11月に「週刊ポスト」の発行元・小学館を訴えたのである。

 この裁判に対する地裁判決が下りたのが2013年2月20日であり、東京地裁は被告・小学館に対して、原告・統一教会に55万円の賠償金を支払うように命じた。謝罪広告掲載の請求が棄却されたことに不満はあったものの、名誉棄損が認められ、少額といえど損害賠償の支払いを命じる判決が下されたという点では統一教会の勝訴といってよい。

 判決文では、「韓国で農業に従事する男性に嫁いだ日本人女性信者が、『地獄』と形容されるような極めて悲惨な性生活を強いられているとの印象を与えるような『SEX地獄』という見出しを付けることは、要約・強調としてもおよそ適切を欠くものであり、仮にそれが被告の意見・論評の類であるとしても、度を超えた性的表現であるというほかはない。(中略)違法性及び被告の故意又は過失があるというべきである」として、被告の名誉毀損を認めている。

 そもそも週刊ポストの編集部が本書に触れたのは、彼らの書いた記事の権威づけに利用したかったためであったが、実際には櫻井氏が執筆した部分にも、中西氏が執筆した部分にも、日本人妻の性生活をメインテーマにした箇所は存在していない。にもかかわらず、週刊ポストの記事には「『〈衝撃リポート〉北海道大学教授らの徹底調査で判明した戦慄の真実』というサブタイトルがつけられており、記事の本文でも本書を紹介する文脈において、あたかも本書が日本人妻の『SEX地獄』を調査報告したかのような印象を読者に与えようと努めているのである。このことは判決文の中でも認定された。

 実際に週刊ポストの記事に利用されたのは、櫻井氏の提供した情報ではなく、中西氏の提供した情報であったが、「北海道大学教授」の権威に魅力を感じたのか、あたかも櫻井氏が韓国に嫁いだ統一教会日本人女性の夫婦関係に関する実態調査を行ったかのような印象を与える見出しになっている。その意味では櫻井氏は「とばっちり」を受けたと感じているかもしれない。しかし私はあえて、そもそも櫻井氏のテーマの取り上げ方、事例の選び方、そしてタイトルのつけ方に、学術論文としての品性を欠いた、週刊誌的な粗雑さが存在していたことを指摘しておきたい。だからこそ、下品な週刊誌の記事の権威づけに利用されるのだ。

 櫻井氏は二人の元信者のストーリーに入る前に、「信仰を継続している人達と途中でやめた人達との差異がどこにあるのかといった問題にも注意しながら、二人のライフヒストリーを見ていくことにしたい」(p.362)と言っているが、彼が信仰を継続している人達のインタビューを行ったり情報を収集したりした形跡は一切ない。さらに「途中でやめた人達」である元信者FとGが、信仰を継続している人達とどこが違ったのかに関する突っ込んだ分析も存在しない。唯一存在する比較と言えば、日本の信者たちが真剣に信じているのに対して韓国の信者たしの信仰はいい加減であったという、元信者FとGが受けた印象程度のものでしかない。元信者二人が途中でやめた理由を本当に追求したいのであれば、信仰を継続している現役信者の調査も行い、それらを比較するのがまっとうなやり方であろうが、櫻井氏はそれを全くしていないのである。

 櫻井氏が本書で紹介しているのは、韓国における信仰生活と結婚生活に挫折して日本に帰国した二人の元信者だが、実際には韓国でたくましく生き、社会的にも活躍している日本人の祝福家庭婦人は多数いるのである。彼女たちは、言葉や文化の違いから当初は苦労の多い生活を送ったとしても、統一教会の教えである「為に生きる精神」で生活し、困難を克服してきた。その結果、良妻賢母となり、夫や舅姑に気に入られ、周囲も感心する嫁になり、地域から「孝婦賞」を受けた者も多い。彼女たちの存在は、韓国社会に少なからぬ影響を与えた。2006年3月号『月刊新東亜』(韓国の雑誌)の記事で、彼女たちのことが以下のように取り上げられたことがあった。

新東亜の記事

孝婦賞

「この頃、農村社会で評判になっている話題の一つは、韓国農村独身男性に嫁いだ統一教会の日本人嫁だ。これらは地方各地、多くの団体で授与する孝婦賞を皆さらっている。」

 この「孝婦賞」というのは、親孝行を実践した模範的な女性に与えられる賞だが、里長や老人会長、地域の人々などの推薦により、郡、農協、赤十字、老人会などの団体が授与するという。祝福家庭の日本人婦人の場合には、農村に嫁いで言葉や生活習慣が違う中で、慣れない農作業や家事育児をきちんとこなし、舅姑が寝たきりになれば下の世話も嫌な顔をせずにするという姿が評価されて受賞するそうである。

 さらに、多文化講師(海外の文化を教える講師)や日本語講師として活動し、幸福に暮らしている国際家庭としてテレビ番組で報道された祝福家庭の婦人もおり、中には高等教育機関で働く者や高等教育を受ける者もいるのである。

山口英子さんと李明博大統領

山口英子さんと李明博大統領

 例えば、山口英子さん(6500双祝福家庭)は3人の子を持つ母親だが、2009年に韓国の法務部が全国規模で組織した結婚移民者ネットワークのソウルにおける会長に就任しており、2010年1月13日には李明博大統領(当時)の前で多文化家庭を代表して法律改善案のスピーチをしている。また同年5月20日にはイ・キナム法務部長官から法務部長官賞を受賞している。

明博大統領から表彰される浅野富子さん

明博大統領から表彰される浅野富子さん

 浅野富子さん(36万双祝福家庭)は、2012年5月8日に韓国ソウルにある青瓦台(大統領官邸)で開かれた「全国隠れた孝行者及び素晴らしい親を迎えての午餐懇談会」で、「他の模範となる孝行者」に選ばれ、李明博大統領(当時)から直接、大統領賞を授与されているのである。

 櫻井氏が本気で信仰を継続している人達と途中でやめた人達との差異がどこにあるのかといった問題にも注意して研究を行う気があれば、こうした成功事例と、元信者FとGのような失敗事例を比較し、両者の明暗を分けたのはなんであったのかを分析した方がより有益な研究となったであろう。もし山口さんや浅野のような華々しい活躍をした事例が少数であると主張するならば、地味でも構わないので幸福な信仰生活・家庭生活を営んでいる日本人祝福家庭婦人に対するインタビューくらいは試みるべきであっただろう。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

韓国の独立運動と再臨摂理シリーズ21


 先回は「金日成4人説」とそれに対する反論を紹介し、徐大粛の著書『金日成』に基いて彼の略歴を紹介し始めました。彼は1930年ごろから中国で共産主義のゲリラ運動に関わるようになり、一兵士として闘争の中で共産主義思想を体得していきます。金日成の思想形成にもっとも大きな影響を与えた人物が魏拯民であり、金日成は彼から共産主義思想を教わったと言われています。

 さて、徐大粛は著書『金日成』の中で、北朝鮮の国家主席である金日成は、まごうことなく満州において抗日遊撃闘争で活躍した金日成その人であると言い切り、「別人説を唱える韓国の学者がいまなお何人かいるが、それは根も葉もない空論である」と切り捨てています。その根拠として、彼は以下の点を挙げています。
①抗日パルチザンの頭目である「金日成」なる人物に懸賞金が賭けられていた
②今日の北朝鮮は、朝鮮革命の伝統は金日成のパルチザンの闘いがその起源であるとの考えで一色に塗られている
③北朝鮮の政治指導者の中核をなしていたのは、パルチザンに加わった人々ないしはその関係であった。

 したがって、このパルチザン活動と金日成が無関係であったということはあり得ないとしています。このパルチザン活動で有名になり、賞金を懸けられた金日成という頭目が、北朝鮮の指導者になったのだということです。この人の主張と、李命英博士の主張を比べてみたとしても、果たして金日成が何人いたのかということに関しては、真相は分かりません。

 そのことはさておき、金日成の抗日武装闘争についてまとめてみましょう。金成柱は、1930年代前半から「日成」という変名を使い始めます。1932年から41年にかけて朝鮮人パルチザンが展開した抗日武装闘争は、中国共産党の指揮下にあった東北抗日連軍の中で戦われました。朝鮮人は東満を拠点とする第二軍に特に多く、金日成もこの第二軍において闘った兵士の一人でした。金日成は比較的名の知られた指揮官の一人であったのですが、そうした指揮官の中には、金日成程度の名の知れた者は他にも数多くいたのであり、たくさんいる部隊のリーダーの中の一人に過ぎなかったのです。

 金日成は第二軍の中でその実績を認められて序列を高め、最終的には第六独立師の師長に就きました。金日成が最も活発に活動していた時期は1937年から40年であり、このころ彼が掌握していた兵力は中国人および韓国人を含めて300名程度でした。

 日満側は抗日連軍に的を絞って追討に次ぐ追討を強行し、北満の第二、第三路軍は1939年春ごろまでには壊滅状態となりました。第一路軍は間島の山岳地帯や密林地帯を根拠としていたため討伐が難しく、壊滅は免れてきたのですが、少人数の部隊ごとに分散して生き延びるより外に方法がなく、自然にその活動は停止することとなりました。このように中国共産党下にあった韓国人のパルチザン部隊も次第に追い詰められていったのです。

 そうすると日満側は「帰順工作」によって切り崩しを図っていきます。日満側の討伐作戦と「帰順工作」により、東北抗日連軍はガタガタになっていきました。「帰順工作」というのは、遊撃隊を離れて投降するものには金品の授与と刑の免除を約束するという「誘惑」だったのです。この作戦はてきめんに効果を上げ、投降した遊撃隊戦士は、共産主義思想を棄てるばかりか、率先して討伐軍に協力したと言われております。金日成の上官であった呉成崙(全光)でさえ投降し、金日成を追う討伐隊に協力する側にまわったということですから、上官さえ投降して裏切っていくという、非常に苦しい状況にこのパルチザン部隊は追い込まれていったのです。

 第一路軍のほとんどの幹部が投降、逮捕、射殺される中で、金日成ただ一人が生き延びて闘い続け、抗日連軍の壊滅が決定した時点で、ソ連領へ逃れたわけです。要するに金日成は事態が悪化してどうしようもなくなったときに、ソ連に避難するという最終手段を選んだということです。徐大粛は、「これだけでも金日成の実績としては、賞賛すべき実績である」と言っています。状況は絶望的で、仲間は皆が投降するか、逮捕されるか、射殺されるか、あるいは寒さの中で死んでいくかという中で、日本軍に屈服しないで戦い続けたというそのことだけで、既に英雄なんだということです。しかし、勝ち目はなかったわけですから、共産主義の聖地であるソ連に金日成は避難するわけです。そこで約4年間、終戦まで待つわけです。

 これが1941年から1945年までの金日成の歩みになります。当時、抗日パルチザンがソ連領へ逃げるのは珍しいことではなく、ソ連はそれを喜んで迎え入れていました。なぜかと言えば、自分たちの兵力にするためです。金日成はオケアンスカヤの野営学校に入りました。実はここで金正日が生まれたと言われています。ソ連がこのように抗日遊撃隊を受け入れて訓練することにしたのは、近い将来満州で日本軍と闘わなければならないことに備えてであったと思われます。

 しかし、1945年8月に原爆が落とされて、日本軍が予想外に混乱して、またたく間に降伏してしまったので、彼らは実際には日本軍と闘うことはありませんでした。日本軍が降伏したので、ソ連は韓半島の北半分になだれ込んでいきます。一方、金日成はソ連軍極東軍司令部のもとにあった第88特別旅団の少佐に任命されました。したがって、このときはソ連の軍人という立場であったのです。

韓国の独立運動と再臨摂理PPT21-1

 日本軍が降伏した後、金日成はプガチョフ号というソ連軍の軍艦に乗って、ソ連軍と共に1945年9月19日に帰国しました。韓半島の北半分はソ連が占領したわけですから、そのソ連軍と共に入っていったのです。そして同年10月14日に平壌で開催された「ソ連解放軍歓迎平壌市民大会」で、北朝鮮の指導者として、人民の前に紹介されることになるわけです。上の写真はそのときの金日成ですが、若いですね。33歳です。彼はソ連の軍人たちによって勲章をつけられて、民衆の前に出されたわけです。

韓国の独立運動と再臨摂理PPT21-2

 それでは、なぜ金日成だったのでしょうか? 当時、北の指導者になる可能性のあった人は三人いたと言われています。そのうちの一人が曺晩植(조만식)という人で、この人は厳密な意味での共産主義者ではなくて、キリスト教徒でした。「朝鮮のガンジー」と呼ばれた人で、非常に尊敬されていて、名声は抜群でした。実は、初めにソ連軍が推した人物は彼だったのです。ソ連として一番良い方法は、万人の尊敬を集めているこの曺晩植を傀儡として立てて、自分たちは背後にあって政権を運営し、共産主義国家を作っていくということでした。そのためには曺晩植がソ連の言うことをよく聞くことが必要でした。しかし、この曺晩植は傀儡になるほど主体性の弱い人ではなく、ソ連軍にいろいろとものを言ったのです。信任統治の賛否に関してソ連と意見が衝突しました。すなわち、ソ連は信託統治を推進していたのですが、曺晩植は朝鮮の独立を守るべきだと言ってこれに反対したのです。このように、曺晩植は傀儡にはならないくらいに主体性があったので、結局ソ連とぶつかって、高麗ホテルに監禁された後に消息を絶ってしまいます。おそらく、消されたのではないかと思います。

 もう一人の指導者候補が、以前に紹介した朴憲永でした。この人はモスクワ大学で学んだインテリで、共産主義者としての実績もあり、「赤い星」と呼ばれていました。彼はコミンテルンと関係が深かったのですが、スターリンにとって信用できる人物ではありませんでした。彼の活動の基盤は南にあり、終戦後しばらくは南にいて、北の体制が固まった後で南から越北してきました。ですから、最終的には金日成体制の下で邪魔者として粛清されてしまいました。

 三番目が金日成でした。彼は指導者としてはあまりにも若かったのですが、ソ連のスターリンに「言いなりになる人物」と見込まれたので、彼が立てられたということなのです。ですから、指導者としての素養において、もっと人望があるとか、実績があるとか、そういうこと以上に、ソ連の言いなりになる、傀儡になる人物であるということが見込まれて、若い金日成が立てられたということになるわけです。

カテゴリー: 韓国の独立運動と再臨摂理

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』118


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第118回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例分析の中で、第113回から「三 学生信者 学生と統一教会」に入り、これまでCとDという原理研究会所属の男性信者の例を扱ってきたが、今回は地区教会所属の学生信者E(女性)の事例を扱う。櫻井氏が統一教会の学生信者を「原理研究会の学生」と「地区教会の学生信者」に分け、両者の待遇や性格の違いを強調していることはこれまで繰り返し述べてきた。それは原理研究会が統一運動の中にあっては特別に守られた世界であり、心許せる仲間たちとの楽しい共同生活であり、体育会系のノリで青春ドラマのように熱く、資金調達のノルマやプレッシャーのない信仰生活であるのに対して、地区の学生信者は一般の青年信者や壮婦たちと同じく、常に実績の追求を受けながら、勝利か敗北かという二者択一を突きつけられ、決死的な決意で教団から要求される活動を行い続ける信仰生活である、という主張であった。櫻井氏によるこのコントラストはいささか極端で、ステレオタイプ化されたものであることを私は主張してきたが、原理研究会の男性信者2名と、地区教会の女性信者1名のインタビューを比較しただけで櫻井氏がこのような結論を出しているとすれば、それは社会学者としては驚くべき杜撰さである。

 そもそも、なぜ原理研究会の事例はどちらも男性で、地区教会の事例は女性が一人だけなのか? 男性と女性では物事のとらえ方や信仰を持つに至る動機に差異があることは当然予想されるはずであり、同じ地区教会の学生でも複数の事例を分析すれば違った個性が現れることが予想される。より客観的に両者を比較したいのであれば、原理研究会の男性信者と女性信者、地区教会の男性信者と女性信者をそれぞれ複数名調査したうえで、比較検討してから結論を出すべきであろう。櫻井氏のインタビューした事例が、たまたま原理研究会の体験を楽しいと感じた男子学生(C)や合理的で懐疑的な性格の男子学生(D)の事例と、非常に真面目で献身的な地区教会の女子学生(E)であったという可能性は高い。たったこれだけの事例から組織全体の違いを一般化して述べことはできない。Cの体験もDの体験もEの体験も、それぞれの個性が強く表れたものであり、必ずしも原理研究会や地区教会の学生部の持つ一般的な性格を反映しているとは言えないのである。

 櫻井氏が掲載している元信者のインタビューをAからIまで並べてみると、CとDだけが男性であり、残りはすべて女性である。そしてCとDだけが原理研究会の学生であり、残りは地区教会に所属していた青年、学生、そして壮婦である。櫻井氏はCとDの持つ際立った特徴が、原理研究会の特徴ではなく、男性信者の特徴であるという仮説を立てて検証してみるということをどうしてしなかったのであろうか? この一つだけを取ってみても、櫻井氏の分析手法に重大な欠陥があることは明らかである。もし紹介されたインタビュー対象者の中に地区教会の男性信者や原理研究会の女子学生だった者がいなかったので比較対照が出来なかったというのであれば、その旨を正直に記載し、未検証の課題として残しておくべきであり、過度な一般化を行うべきではない。それこそが社会学者としての真摯な態度であり、研究の信頼性を上げるものであると心得るべきだろう。それをきちんとしないで、少ない事例から乱暴な一般化をしてしまうから、彼の研究の信頼度は下がるのである。

 さて、元信者Eの入信の過程だが、手相の占いをきっかけとしており、本書の第6章において入口部分における勧誘手段として「手相・姓名判断」(p.221-227)が説明されているように、ある意味では一般的な経路から伝道されてきたといえるだろう。元信者Aもきっかけは手相だったということであるから、壮婦に限らず、青年においても占いが最初のきっかけで伝道される人は少なからずいるということだ。

 櫻井氏は、調査対象となった信者たちの「伝道から入信までの期間」を分析し、「勧誘されてから統一教会の信者となることを決意するまでの期間は人様々だが、四ヶ月間が突出して多い」(p.211)としている。それがEの場合には1年以上かかっており、比較的ゆっくりと時間をかけて伝道された方であるといえる。それからさらに1年以上たってから「献身」を決意するわけだが、それでも大学を卒業するまでにはまだ1年半あった。ここで留意すべきは、たとえ内的に「献身」を決意したとしても、彼女は大学を辞めることを勧められたわけではなく、卒業するまでは原理研究会と同じく「信仰的モラトリアム」の期間を与えられていたということだ。その意味では、原理研究会と地区教会の学生部の扱いに大きな違いがあるわけではないことが分かる。

 彼女は人から頼まれると嫌とは言えないタイプだったのであろう、アベルから勧められるままに奨学金や親から預かった学費を献金したり、友達や先輩から借金をしたり、カード会社から借り入れをしたりと、無理を重ねることとなり、それが大きな負担となった。マイクロで腰や足を痛めたことも重なって、健康上の理由からもネガティブな感情が蓄積していく、負のスパイラルに陥っていった。電車の中で涙が止まらなくなり、少しうつ状態になってしまっていたという記述からも推察できるように、あまり精神的に健全な信仰生活ではなかったようだ。

 その一方でEは神体験らしきものもしている。「2005年5月下旬に済州島の修練会に参加した。そこで、講義を受けている最中に『祝福を今すぐ受けなければならない!』という声が聞こえ、周藤副会長夫人(当時)に相談すると、それは先祖の声だと言われた。最終日、朝5時から修練所の前にある海岸で祈禱をするうちに、突然神様と会話をしているような感覚になった。それ以来、祝福のことが脳裏から離れなくなった。」(p.357)と記載されているように、これはかなり自覚的な体験だったようで、脱会後にも彼女はそれを単なる思い込みや精神の異常であったとは思っていないようである。信仰というものは、単なる恐怖心や指導者の指示に従うことだけで成り立つものではない。辛い経験があったとしても、それを乗り越えてなお信じるという動機付けがどこかにないと、続けることはできないのである。彼女の場合には、原理や霊界、自分自身の罪に対する確信と共に、こうした神との直接的な出会いが信仰を支えていたのであろう。

 櫻井氏は、「Eの入信契機は人生の移行期(高校卒業から大学へ進学、北海道から東京へ移動)に転換期トークが絶妙のタイミングではまったという偶然によるものだ。Eに統一教会で解決すべき問題は全くないといってよい。」(p.359)という極めて乱暴な議論を転換している。こうした偶然で人が統一教会に入信するのであれば、同じようなタイミングで転換期トークを受けた多くの者が統一教会に入信するはずである。しかし実際には、同じように声をかけられても反応する者としない者がおり、入信する者となればその確率は極めて低い。人生の転換期に統一教会に出会って入信するという「環境的要因」の存在を認めつつも、それだけでは入信の説明にはならず、同じような環境下におかれても人それぞれ異なる反応をする理由について、アイリーン・バーカー博士はさらに深い考察を行った。すなわち、声をかけられた人の側に、統一教会の提供する内容に対して反応する素養がなければ伝道されないし、反応する何かを潜在的に持っている者が伝道されるということだ。Eは原理の内容そのものに反応しており、教会員となるべきた素養があったので伝道されたのである。

 Eはトレーニングの期間中に交際していた男性との関係を絶っている。このことについて櫻井氏は、「女性の青年信者に共通する介入だが、交際中の相手と絶縁させるというやり方である」(p.359)という奇妙な論理を展開している。未婚の青年が信仰を持つことによって恋人と別れることはあるが、そこに男女の差はない。女性は男性の恋人と別れることを勧められるが、男性は女性の恋人と交際を継続することが許されるなどということはなく、どちらも等しく祝福を受ける準備としてそれまでの異性関係を清算することを勧められるのである。

 以前にも櫻井氏は「心情解放展」と呼ばれる行事の中で、青年信者が交際中の恋人と別れさせられることがあると主張し、「この辛い決断をしてしまうと最も親密な人間関係が失われるために、これまでの自分ではなくなってしまう。」(p.248)といういささかオーバーな表現をしてこれを批判している。これに対して私は、信仰を持つことによって異性のとの関係に問題を来すようになるという事例は一般のキリスト教にもあり、その際になされる信仰指導は、異性との交際を優先して信仰をやめるべきだとは決して言わず、基本的には信仰を優先して判断し、できるだけ妥協しないように勧めていることを紹介した。こうした異性の問題に関するキリスト教の信仰指導は、統一教会でEに対してなされた指導と本質的に異なるものではない。このように男女の愛よりも信仰を優先させ、交際中の異性と別れるように説得を行うこと自体は、宗教の世界においては一般的なことなのである。特に統一教会においては罪の本質を「愛と性の問題」としてとらえており、祝福による結婚が救いにとって必要不可欠なものであると教えているため、異性の問題は信仰の本質として避けて通ることができないのである。恋人と別れることは、青年信者にとって一時的には辛い体験であるかも知れない。にもかかわらず、彼らが信仰を優先して異性関係を断ち切るのは、祝福によってより大きな幸福が得られるに違いないという「希望」があるからなのである。

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韓国の独立運動と再臨摂理シリーズ20


 先回は、東満におけるパルチザン部隊と日本の治安部隊が激しく闘争している状況下で、日本側の資料の中に、1935年末ごろから金日成(キム・イルソン)という名前が登場し始めたことを説明しました。彼は東北抗日聯軍に属する100人ほどの「金日成部隊」を率い、すばしこいゲリラ活動を展開したことで次第に名が知られるようになっていきました。彼の起こした代表的な事件が1937年の「普天堡事件」であり、日本側に相当の被害を与えた襲撃作戦でした。普天堡は現在は北朝鮮にあり、北朝鮮では将軍様が最初に偉大な功績を残した場所だということで、聖跡として国立公園に指定され、巨大な金日成の銅像が立っています。

 しかし、『金日成は四人いた』の著者として有名な李命英博士は、この「普天堡事件」を起こしたのは後に北朝鮮の主席となった金日成とは別人であると主張しています。彼の研究によれば、普天堡事件を起こした第六師長・金日成は、本名を金成柱といい、当時36歳で、モスクワ共産大学を卒業したエリートだったのですが、間もなく満州国軍討伐隊に射殺されたというのです。後の北朝鮮首席の金日成は当時25歳で、経歴も異なるので別人物であると主張しています。要するに、このパルチザン活動の中には数名の「金日成」がいて、それぞれ別人だったのだと李命英博士は言っているのです。

 さて、このころの金日成の役職は「第六師長」ですが、やがて出世して「第二方面軍長」になったという記録が残っています。1938年末になると、第一路軍の幹部の多くが脱落し、損害を受けました。それにより金日成は「第二方面軍長」に抜擢されます。このころの第一路軍の幹部名の中に、後の金日成政権の中枢部に名を連ねた人物の名前が散見されるということです。後に金日成が北朝鮮で政権を立てたときに、このころパルチザンで一緒に戦っていた仲間を幹部として登用しており、その名前が記録と一致しているので、少なくともこのパルチザン活動を行っていた部隊の中に後の金日成本人がいて、その部下たちも一緒にいただろうということは、事実だと思われるわけです。さて、金日成とは誰なのかということに関して混乱してきたと思いますので、整理するとこのような表になります。

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 「金日成偽者説」をめぐる論争の中で、一番多くの金日成がいたと主張しているのが李命英博士で、彼は「金日成は四人いた」と言っています。まず、①伝説の金日成将軍の正体は金光瑞であり、後に金擎天と呼ばれた人でした。これは1919年から1920年頃に活躍したかなり年配の人物でした。次に②から④の金日成はパルチザン以降の人物でありますが、もともと第六師長・金日成という人がいて、この人は本名を「金成柱」といい、1937年に満州で死亡しているんだということです。その名前を引き継いだのが③第二方面軍長・金日成だったということです。つまり、有名な名前なので、本人の名前というよりも役職というかコードネームだったのではないかということです。例えば、式守伊之助や木村庄之助、あるいは市川團十郎のように、その名前を引き継いでいたんじゃないかと考えているのです。たとえ金日成が死んでも、誰かがその名前を引き継いで、次の金日成が現れるという具合です。

 第二方面軍長・金日成も実は別人で、この人は1944~45年にソ連で死亡しており、これらパルチザンで活躍した金日成とは全くの別人で、その下で働いていたゲリラの排長(小隊長)であった人が、後に北朝鮮国家主席の金日成になったと李命英博士は言っています。この人の本名は「金聖柱」といい、「金成柱」とは発音は同じだが漢字は異なり、別人物だということです。これが「金日成4人説」です。

 それに対して、「そんなことはない、②~④はすべて同一人物だ」と主張している学者がいます。『金日成』(原著は1988年に出版、日本語訳は1992年に出版)という本を書いている徐大粛という人です。私はこの本も読みましたが、このパルチザンで活躍した金日成と、北朝鮮の国家主席・金日成はすべて同一人物であると彼は主張しています。でも、この人もさすがに「伝説の金日成将軍」が北朝鮮の国家主席と同一人物だとは言っていません。時代が違いすぎますので。

 ところが北朝鮮ではこの①から④のすべてが金日成であり、われらの偉大な首領様であると教えているのです。ですから、金日成4人説から1人説までかなりの差があるわけですが、徐大粛の著書『金日成』のなかに、彼の詳しい経歴が書いてありますので、これを紹介してみたいと思います。

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 後に北朝鮮の国家主席となった金日成は、1912年4月15日に平壌の万景台という所で生まれております。父の名前は金亨稷(김형직)といい、貧しい農民だったと言われています。母の名前は康盤石(강반석)といい、なんとクリスチャンだったのです。「盤石」という言葉はキリストを象徴する岩という意味で原理講論にも出てきますが、彼女はキリスト教の牧師の娘であり、その名前は使徒「ペテロ(岩)」の名にちなんでつけられたということです。金日成の母親がクリスチャンというのは皮肉な話ですが、彼女は後に北朝鮮では「朝鮮の母」として神格化され、「革命家」であったことにされています。

 金日成の本名は金成柱と言います。「聖柱」なのか「成柱」なのか、諸説あるのですが、徐大粛氏は「成柱」が金日成の本名だとしています。金日成には弟が二人いて、名前を哲柱と英柱と言いました。この英柱の方は「金日成の実弟」ということで後に北朝鮮の幹部になっています。韓国人は兄弟の名前に同じ漢字を用いることが多いので、成柱、哲柱、英柱が兄弟であることは間違いないのではないかと思います。

 1920年に、金成柱は両親と共に満州に渡り小学校に通うことになります。ですから、金日成は中国語が堪能だったということです。1926年に父親が死亡します。金成柱が14歳のときでした。その後は母親が女手一つで兄弟を育てることになります。1929年、金成柱が中学2年のときに、共産主義の非合法活動に関わったかどで逮捕され、中学を退学し、1930年春に釈放されます。これが金日成の最終学歴となります。彼は大学を出ていないどころか、中学中退という学歴なのです。すなわち、彼はエリートでもインテリでもありませんでした。彼は武装したゲリラだったのです。金日成の経歴の特徴は、ゲリラ活動の兵士としてかなり幼いころから活動していたことにあります。

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 金日成の思想形成にもっとも大きな影響を与えた人物が魏拯民(ぎ・じょうみん)という人です。彼は1935年~41年にかけて金日成の直接の上官であり同志であった中国人です。1932年に中国共産党の指令で満州へ派遣され、1934年には中国共産党東満州特別委員会の書記となりました。金日成は魏拯民と同じ部隊でともに闘い、彼の影響を受けて共産主義思想を身近で教わったと言われています。ですから彼は、中国共産党の指導するゲリラ活動の一兵士として、闘争の中で共産主義思想を体得していったのです。モスクワ大学で学んだとか、中国の大学に留学したとか、そういうインテリではなくて、若い頃から馬に乗って銃を撃ち、武装闘争をしながら、その中で実践的共産主義を学んだ、いわば「叩き上げ」が金日成であったということになります。

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