『生書』を読む24


第七章 道場の発足

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第24回目である。今回から「第七章 道場の発足」の内容に入る。前章で日本は終戦を迎え、いよいよ天照皇大神宮教の本格的な布教活動が始まった。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。ここでいう「道場」とは、教祖が嫁いできた北村家の自宅であり、1964年に現在の本部道場が竣工された後は「旧本部道場」となっている。

 私が2019年6月に天照皇大神宮教本部を『宗教新聞』の取材で訪問した際には、現在の本部道場を訪問した後に、この旧本部道場にも案内してもらった。現在の本部道場はコンクリートの巨大な建物だが、旧本部道場は下の写真に見る通り、立派ではあるが普通の民家である。これは韓国ソウルの青坡洞に草創期の統一教会本部が保存されているのとよく似ており、古くて小さな建物でも教祖が活動を開始した場所であるという歴史的な重要性の故に保存されているようであった。

天照皇大神宮教旧本部道場

天照皇大神宮教旧本部道場(2019年6月22日筆者撮影)

 『生書』の第七章は「教祖大神様のお家は、田布施町の御蔵戸部落にある。」(p.167)という言葉をもって始まり、しばらく道場とその周辺の様子を解説している。続いて「生け垣の尽きた所に入口があり、そのすぐ右手に石囲いの井戸がある。これが大神様が三年半にわたって水行をとられた由緒深い井戸である。」(167-8)とあるが、これとまったく同じ説明を私が訪問した際にもしてくれた。

 この北村家の屋敷の、玄関に接した六畳の間と、その奥の床の間のある六畳の座敷二間が、大神様が説法に使われた部屋であるとされているが、合わせて十二畳であれば宗教施設としてはかなりの狭さである。ところが終戦を契機として、大神様の説法を聞く人は急速に増えていったという。

 この頃の大神様と「肚の神様」のやりとりは非常に興味深い。肚の神様は教祖に対して、「肚を練れ」と指導されたのである。「おれが、われ(お前)を連れて歩くにようになったら、山のような障害物が出てくる。山のように障害物が出てきても、やるちゅう肚ほどつくったら、今度は反対になって、上から天照皇大神に引き上げられ、後ろからは八百万の神の腰押しで行くのだから、天が下に恐ろしいものがないじゃろうから、やるという肚をつくれ。肚だ、肚だ、肚だ。」(p.169)

 「肚」という漢字を使うにせよ、「腹」や「胆」を使うにせよ。日本では昔からこの言葉を決意や覚悟を示す言葉として用いてきた。「胆」には本心、心中、心づもりなどの意味のほかに、胆力、気力、度量などの意味があり、「腹を決める」といえば決心、決意、覚悟などを決めることであった。日本における伝統的な武術は「肚」を重要視しており、「肚を練る稽古」というものもあるくらいだ。大神様に対する「肚を練れ」という指導にもこうした背景があったと考えられるが、これは信仰は理屈ではないという天照皇大神宮教の立場を明確に示している。

 家庭連合の創設者である文鮮明師にも、人類のメシヤとなるべく神から試練を受けたり、多くの迫害を驚異的な信仰と決意によって乗り越えていくという話は同様に存在するものの、文師がメシヤとなっていくうえでより重要な強調点は「真理の解明」であった。単に驚異的な信仰や決意があればよいということではなく、人類救済のために必要な「真理」を明らかにしなければならないということがより強調されているのである。もちろんそれは合理的で客観的な理論というよりは、多分に霊的な内容を含んだ宗教的な真理ではあるものの、かなり知的な神学的体系を明らかにすることであった。一方で大神様の語られる内容は、知的な体系というよりは生活に根差した話や、霊界に関する話などをシンプルな言葉で直感的に語ったものが多い。この辺は宗教ごとの個性の違いが明確に表れていると言えるだろう。

 「肚の神様」が教祖に命じたもう一つの面白いやり方が、体を横にして説法するというものであった。これは常識的に考えれば「行儀が悪い」とか「失礼な態度」に当たるものであるが、「肚の神様」は教祖に対してあえてそうするように命じたという。その理由は、どんなに偉い人が来ても臆せず、なめられないように肚をつくるためであった。大神様は「肚の神様」が入った後は、人に対して「さん」とか「様」とか敬語を使わなくなり、総理大臣に対しても「おい、岸!」と呼び捨てにしたという話は有名である。これは神の代身であり、生き神である自分自身の位置を守るために、この世においてどんなに偉い人に対しても卑屈な態度をとってはいけないということであろうが、教祖と呼ばれる人にはこのような性質が少なからずあるようだ。

 家庭連合の創設者である文鮮明師も、国家元首級の世界の指導者たちを集めて講演したことが何度もあったが、そのときの態度もVIPに対して気を使うとか、へりくだるということはなく、もしろ堂々と自分の信念を述べるというものであった。私はUPFの主催する国際会議や大会の場で何度かそうした場面を見てきた。さすがに寝そべって話すというようなことはなかったが、あるときには晩餐の前にVIPを前にして延々と3時間も語り続けたことがあった。信徒に対する説教ではなく国際会議の晩餐会という場なので、常識的なメッセージの時間は20~30分位であり、準備された原稿の長さもその位であったが、それをはるかにオーバーして3時間も語ったのである。それを聞いている世界各国から集まってきたVIPたちはお腹を空かせながらその話を聞かざるを得なかった。これもある意味では常識を外れた行動であり、中には怒り出すVIPもいた。しかし、それを超えて何かを伝えたいという文鮮明師の熱意に感動したVIPもいたのである。ときにはこうしたことをするのが、教祖という存在なのである。

 大神様の説法を聞いた人々は、神の言葉に酔いしれて夢見るような気持、すなわち「法悦境」に入って行ったとされる。俗世間は「本土決戦だ」「敗戦だ」「生活難だ」と地獄絵図のような様相であったが、大神様の説法を聞いている間はそうしたことをすべて忘れて別天地にいるような喜びを感じていたのである。これは教祖の示すビジョンに信徒たちが共鳴していたということであり、自分と同じビジョンを信徒たちに見させることのできる力こそが教祖のカリスマなのである。

 このころの大神様の言葉に、天照皇大神宮教のコスモロジーが表現されているので、それを分析してみよう。
「世は末法の世となって、宇宙は悪霊で充満している。この悪霊の後ろ控えで人と人とは喧嘩をし、国と国とは戦争をする。・・・この後ろ控えの悪霊を済度するのが役座の仕事じゃ。悪霊の済度ができりゃこそ、一人一人の因縁も切ることができるし、神の国に行く根本の邪魔が取り除かれるんじゃ。悪霊の掃除ができた時、世界絶対平和もできるんじゃ。」(p.171-2)
「昔からこの世のことを『現し世』と言うじゃろうが、霊界の影がこの現象界なんじゃ。」(p.172)
「今時が来て、天なる神が天降り、神力により悪霊の済度をするのじゃ。それによって神の国を地上に建設することもできるし、世界絶対平和の日も来るのじゃ。」(p.173)
「その世界にいくには、どうしてもまつわりついてくる悪霊を済度し、一人一人の因縁を切らにゃあ、行ける天国じゃない。まず先祖が救われなけりゃ、自分だけ一足お先に救われて、天国に行こうとしてもそりゃだめじゃ。」(p.173)

 世界は地上界と霊界の二重構造になっており、霊界は地上界に対して影響を与えている。霊界には悪霊が充満しているため、それが地上人に与える影響は悪なるものがほとんどである。その影響を断ち切ってあげることが救済(済度)であり、それをすることで人々の間にも世界にも平和が訪れる。それをなすことが自分の使命であるというのが大神様の教えの根幹である。こうしたコスモロジーは天照皇大神宮教に固有のものではなく、実は多くの伝統宗教や新宗教が共通して持っているものである。それは言葉の使い方や救済の方法に若干の違いがみられるものの、家庭連合のコスモロジーとも非常によく似ている。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む23


第六章 終戦と大神様の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第23回目である。第19回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入った。今回はこの章のまとめとして、大神様が終戦直後の日本人に向けて語ったメッセージの内容を総括し、それを旧約聖書の預言者たちとの比較において論じてみたいと思う。

 先回論じた内容は、天照皇大神宮教では日本の敗戦が一種の「終末論的な出来事」としてとらえられているということであった。天照皇大神宮教においては、第二次世界大戦の終戦をもって皇祖神の拠り所が天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが予定調和的に理解されており、終戦が近づくと同時に神の摂理も急ピッチで進むようになる。そのとき、それまで日本人が信じていた「神州不滅」「神風が吹く」「戦争に勝つ」といった概念を、宗教的に読み替える必要が出てくる。客観的には日本はアメリカとの戦争に負けるのであるが、それを絶望から希望に変えるための発想の転換が必要なのである。

 大神様の言う「日本が勝つ」という言葉は、戦争に勝つという意味ではなく、むしろ戦争に負け、米軍に占領されることによって人々が真人間になるのであれば、結果的に日本の国は神の眼から見れば「勝った」ことになるという意味である。結局、勝ち負けは真人間になるかどうかによって決まるということだ。このように戦争や勝ち負けに対する視点を変えることで、大神様は終戦直後の日本人に希望を与えようとしたのである。

 島田裕巳は、著書『日本の10大新宗教』の中で、天照皇大神宮教は極めて戦後的な新宗教であったと解説している。第二次大戦が終わるまでは天皇は現人神とされ、その現人神が支配する日本という国は、「神国」とされ、神国の行う戦争は「聖戦」と位置づけられた。ところが、その神国が聖戦に敗れるという現実に直面したとき、人々は虚脱感に襲われ、精神的な空白が生じた。その「神国」と「聖戦」の意味を再解釈することによって、人々に希望を与え、その精神的空白を埋めようとしたのが、大神様の教えの時代的な意味だったのである。『生書』を丹念に読んでいくと、彼の分析が的を射ていることが分かる。

 このころの大神様のメッセージは、第6章の最後の説法に要約されている。
「敗戦国の乞食らよ、早う目を覚ませ、目を覚ませ。お目々覚めたら神の国、居眠りしておりゃ乞食の世界。

 乞食の世界に座をなして、神様おいで、おいでと叫んでも、天の神様なんで乞食の世界まで助けに行くような神はいない。

 己が心は己がお肚で掃除して、神のみ肚に合うまで魂磨いて上がっておいで。行けば行かれる天国よ。

 女役座になりました。女役座というものは、敗戦国の乞食の男、百万匹前にしたとて、引けも取らねば、さりとて女、子供でも、真心持ちと見たなれば、にっこり笑うて済度するのが女役座の腕前じゃ。

 親もなければ兄弟もない。野中に立った一本主義(杉)。

 今、日本に生をうけたる者は、男でも女でも、このまま死んでは死にきれない。子孫永遠に生きる道をつけてやり、尊いみ国が一本立ちして、世界の平和が訪れりゃ、いつ枕を並べて死んでも惜しくない、裸役者にならなけりゃ、日本人の名が汚れます――。」(p.165-6)

 この言葉には、日本民族に対する深い愛情が表現されているが、それはいわゆる軍国主義的な愛国心ではなく、国家の政策とは切り離された民衆に対する愛情である。すなわち、敗戦によって国の主権が亡びることよりも、そこに住む人々の心のあり方に深い関心を注いでいるのである。

 これまでの大神様の教えをまとめてみると、いくつかの特徴を指摘することができる。まずは国家の運命よりも個人の内面を重要視しているということだ。それは日本が戦争に勝つか負けるかが重要なのではなく、一人ひとりの日本人が真人間になるかどうかが重要なのだと主張していることから明らかである。真人間であるかどうかは、人々が利己心を捨てて自己の魂を磨くかどうかで決まるという。

 その上で、大神様は日本民族に対して深い愛情と信頼を寄せている。神は日本の国を決して見捨てたりはせず、むしろ世界の国々の模範となるような国になってほしいと願っているというのである。そしてそのポイントは、敗戦を契機に人々が心を入れ替え、一人ひとりの日本人が魂を磨いて真人間になることである。

 しかし、今の日本人は戦争に負けたことに絶望し、相変わらず利己的な生活をしているので、天皇に代わって自分が神の国をつくり、日本人を眠りから覚醒させ、最終的には世界平和を主導するような立派な国にするのが自分の使命であると自覚しているのである。

 一方で、日本が軍事的に発展したり、植民地を増やしたり領土を拡大することに対しては否定的である。満州も朝鮮も樺太も台湾も日本には必要なく、日本の本土だけあれば十分であり、むしろ隣国と仲良く付き合っていくのが良いと主張している。また、戦後の日本には軍備が必要なくなると説いていることから、一種の平和主義を信奉しているということになる。

 日本の敗戦に匹敵するような、民族的なレベルの絶望をもたらした出来事を旧約聖書の中に探すとすれば、それは紀元前586年のエルサレム陥落であろう。当時のイスラエル民族は「シオンの不可侵性」という国家の公式的な神学を信じており、これはヤハウェとダビデが結んだ永遠の契約により、エルサレムが敵の手に落ちることはないという信仰であった。たとえ危うくなったとしても、最後はヤハウェが直接的に介入する奇跡により、エルサレムは守られると信じていたのである。これは、日本人の「神州不滅」や「神風」の信仰に似ている。しかし、そのエルサレムがバビロニアの侵攻によって陥落し、ユダヤ民族がバビロニアに捕虜として連れていかれたとき、人々は希望を失ってしまう。

 こうしたユダヤ民族の苦難の時代に登場した預言者がエレミヤであった。エレミヤの生涯は、エルサレムを愛し、悔い改めを求めて叫ぶけれども、受け入れられない、という苦渋に満ちたものだった。彼は偶像崇拝に陥っていた当時のユダヤ民族に対して、「偶像を捨て、神に立ち返れ。さもなければエルサレムはバビロンによって滅ぼされる」と警告し続けた。けれども、ユダの王と民は彼の預言に耳を貸そうとはせず、激しく反発し、エレミヤを迫害した。やがて、エレミヤの予言が成就する時が来た。南ユダ王国はバビロンに征服され、エルサレムは陥落し、ユダの民は捕虜としてバビロンに連れ去られてしまったのである。

 エレミヤはエルサレムの陥落を嘆き悲しむが、その原因が偶像崇拝の罪や快楽を求める生活、不正や弱者に対する抑圧にあることを説き、人々に対して悔い改めを迫った。このとき彼もまた、国家の滅亡を嘆くよりも、一人ひとりの心の中に神を迎えることを強調したのである。そして彼はユダヤ民族がバビロンに捕囚されている期間は70年になり、その後に彼らは故郷に戻り、エルサレムを建てなおすことも予言し、未来に対する希望を語ったのである。これは敗戦と米軍による占領という民族の苦難の時代に、悔い改めと未来に対する希望を語った大神様の立場と相通じるものがあると言える。

 一方で、大神様の示した平和主義と相通じる内容を語った旧約聖書の預言者がイザヤである。イザヤ書2章4節には「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(They shall beat their swords into plowshares,and their spears into pruning hooks; nation shall not lift up sword against nation,neither shall they learn war any more.)」という言葉があり、ニューヨークの国際連合プラザに、この預言者の言葉が刻まれた、通称「イザヤの壁(Isaiah Wall)」と呼ばれる壁が存在する。

ニューヨークの国連プラザにある「イザヤの壁」

ニューヨークの国連プラザにある「イザヤの壁」

 預言者イザヤが活躍した紀元前8世紀は、イスラエル民族が南北に分断されていた。北のイスラエル王国がアッシリアに攻め滅ぼされ、南のユダ王国も戦乱の悲惨に巻き込まれていた。敗残の小国としてアッシリアの支配に屈したユダ王国は、無力感と絶望とに打ちひしがれていた。このような状況下で預言者イザヤは、武器を捨てて平和を選び取る意思、「戦わない」ビジョンを明確に示し、人々に呼びかけた。預言者イザヤは、いつの日か、この敗戦国を多くの国々が敬意を持って仰ぎ見ることになると告げている。しかしそれは、軍事力を回復し、武力によって敵を屈服させるという復讐の宣言ではなく、「国は国に向かって剣をあげず、もはや戦うことを学ばない」という「非暴力国家」の宣言であった。その結果として、この国が世界から仰がれるようになると主張したのである。これは、敗戦によって武力を放棄し、平和国家としての道を歩むことによって国際社会の信頼を勝ち取ろうとした戦後日本の立場に相通じるものがあり、大神様の教えもまた、預言者イザヤのビジョンや国連の理想、さらには日本国憲法第9条の精神に通じるものであるといえるのではないだろうか。

 以上で「第六章 終戦と大神様」の部分は終わる。次回から、「第七章 道場の発足」に入る。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む22


第六章 終戦と大神様の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第22回目である。第19回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入った。天照皇大神宮教においては、第二次世界大戦の終戦をもって皇祖神の拠り所が天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが予定調和的に理解されており、終戦が近づくと同時に神の摂理も急ピッチで進むようになるのであるが、一般的な終戦の日付と天照皇大神宮教の理解には、微妙なずれが存在する。それは天照皇大神宮教においては8月12日が特別な意味を持っているからである。それは以下の記述から明らかである。
「思えば長い年月の行の道であった。昭和十七年八月十二日に行を始められてから満三年、夜水かぶり、昼水かぶり、日には六度も水をかぶり、世人からは『神経、気違い、信仰のぼせ、やりもの、つきもの、嫌われ者』にされつつ、ひたすらに神国のため、神の命じ給うまにまに行ぜられ、思い出の八月十二日を迎えること、三度にして、神はいよいよ神の国建設という一大聖業を果たさせ給う神役者の座長をつくられたのである。

 十二日には赤飯を炊かれ、集い来る者にふるまって、心からのお祝いをされた。

 大神様は前もって、八月十二日には重大ニュースを聞かせると言われた。これを聞いた者は、何の発表があるのだろうかと心待ちにしていたが、いっこうにそれらしいものがないので、わざわざお家まで問いに来る者もいた。彼らに対して大神様は「ぬんだ(延びた)、ぬんだ。」と言われたのみだった。発表はなかったけれど、その日こそ日本の降伏が連合国側に入れられた日であったのである。」(p.152-3)

 要するに、「肚の神様」は終戦の3年前から日本の降伏の日を知っていて、昭和17年8月12日に教祖が平井憲隆氏の所を尋ねたことをきっかけに丑の刻の日参詣りを始めさせ、そこからちょうど3年たった8月12日に終戦の日を迎え、そのときから救世主としての本格的な出発をするように計画していたということである。だからこそ、8月11日に教祖に対して自らの正体を明かして決定的な啓示を下されたのである。したがって、天照皇大神宮教においては本来の終戦の日は8月12日であったが、これが人間の側の事情によって3日延長して8月15日になったということなのである。宗教的な意味での「神の予定」ということであれば、こうした延長があったかなかったかは検証不可能であるが、日本がポツダム宣言の受け入れを連合国側に通達した日に対する理解については、一般の史実とは異なっている。ポツダム宣言の受諾と日本の終戦の日に関する一般的な記述は以下のようなものである。

 ポツダム宣言は、1945年7月26日に連合国によって発表された。当時の鈴木貫太郎内閣においては、鈴木首相、東郷外相、米内海相らは「国体護持」のみを条件に受諾もやむなしと考えていたが、阿南陸将ら陸軍がこれに強く反対した結果、受諾を保留し、宣言を「黙殺」するという声明を新聞に出すことになった。連合国はこの「黙殺」を受諾拒否と受け取り、その結果広島(8月6日)と長崎(8月9日)に原子爆弾が投下され、さらにソ連が参戦(8月8日)することにより、戦局が一気に悪化した。

 日本政府は御前会議において8月10日午前2時半に、「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を決定した。しかし、陸軍の一部では戦争継続を主張して、クーデター決行の準備が進んだ。こうした中で再度御前会議が開かれ、8月14日正午前に無条件降伏受諾の決断を天皇に再び仰いで最終的に決定し、この日に連合国側に通告した。敗戦の詔勅は天皇自ら録音し、それが8月15日に「玉音放送」として国民に直接語り掛けられた。

 日本では一般に「終戦の日」は8月15日として定着しているが、正確には「終戦の詔勅を天皇が国民に示した日」であり、日本国家としてのポツダム宣言受諾は8月14日に決定され、連合国側に通達されている。このことは全世界に公表されており、それを知らなかったのはごく一部を除く日本人だけだった。事実、アメリカでは8月14日に日本が降伏することが報道されており、その日にトルーマン大統領はポツダム宣言の内容を国民に説明し、日本がそれを受諾したことを告げた。翌日(8月15日)のニューヨーク・タイムズ紙の一面には“JAPAN SURRENDERS, END OF WAR!”という見出しが踊っている。

 また、太平洋戦争、日中戦争、第二次世界大戦が正式に終わった日付は、アメリカ軍艦ミズーリ号上で日本が降伏文書に調印した9月2日である。したがって、国際的には9月2日が戦争の終わった日とされている。ロシアでもアメリカでも対日戦勝利は9月2日となっており、中国が「日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利日」としているのは9月3日である。8月12日に日本が幸福を決定して連合国側に通達したという『生書』の記述は一つの宗教的信念であって、客観的な史実ではない。

 さて、『生書』には大半の日本人が敗戦の事実を知らされる8月15日の前日に、大神様が警察から呼び出されて、特高課から説法の内容について注意されるというストーリーが出てくる。当時は特高警察といえば誰もが恐れをなす存在だったのだが、大神様にかかってはまるで赤子扱いである。この辺のストーリーは、既に敗戦の事実を「肚の神様」を通して知らされ、未来を予見できる大神様にとっては、世俗の権威など怖くもなんともないという態度を示すことにより、教祖の特別な位置を表現していると思われる。

 いよいよ「玉音放送」によって敗戦の事実が国民に知らされた8月15日、大神様はすでにそのことを予見しておられたので、まるで何事もなかったかのように、いつもと同じように説法をされたという。ここで『生書』に描かれているのは、敗戦に打ちひしがれる聴衆と、生き生きと教えを説く大神様の対比である。

 当時の日本国民は、「寝耳に水」のような敗戦の悲報にショックを受け、沈痛な顔をしていたという。長い間の教育によって、漠然とではあるが神州不滅を信じさせられ、国土が危うくなったときには必ず神風が吹くことを頼りにしていたので、敗戦の詔勅を聞いても、それを事実として受けとめることができずにいたのである。そこに連合軍の最高司令官マッカーサーがやってきて、いよいよ敗戦の現実をひしひしと感じ始めた大衆は、神州不滅の自尊心も吹き飛ばされ、虚脱感を感じはじめていたのである。

 それに比べて大神様はよく肥えて血色がよく、一点の憂いのかげもなく堂々を歌説法をしていた。その説法の内容は、むしろ敗戦は良いことだったと言わんばかりである。それは「神州不滅」「神風」「戦争に勝つ」という日本人が信じていた概念を、宗教的に読み替えてしまうことによって未来に対する希望を提示するという作業であった。
「戦争に負けたんじゃないぞ。あれは蛆の喧嘩が済んだのじゃ。戦争はおれらが今からやる。本当の戦争はこれから始まる。早く真人間に立ち帰れ。真人間になりさえすりゃ、戦争に勝てるぞ。」「祈れ祈れ。一生懸命祈れ。今度の戦争は祈りで勝つのじゃ。」(p.162)「無条件降伏とは、無上の剣が降伏になったのよ。紀元二千六百五年の八月十と五日を御縁として、人間の崩れた世の中おしまいですよ。われら(お前ら)の乞食の世界は永遠に消えたのだ。蛆の世界の暮れの鐘が、神のみ国の夜明けの鐘だったのよ。夜明けだ夜明けだ、神の国の世は開けた……。」(p.163)
「この戦いがあればこそ、神のみ国ができるのじゃ。」(p.164)
「ええ神風じゃのう、マッカーサーが来ればこそ――。」(p.164)

 こうした説法を聞いた聴衆は、意味ははっきり分からないものの、なんとなく希望が持てるような気がして心が明るくなり、それを契機に神行の道に入る者も出てきたという。

 もともと大神様は、日本が戦争に勝つか負けるかは日本の国力や戦略戦術によって決まるのではなく、一人ひとりの日本人が神の前に正しい真人間であれば戦争に勝つのだと説き、利己心を捨ててお国のために働くことを人々に勧めていた。この戦争に日本が負けることは最初から決まっていたわけではなく、戦争を通じて日本人が真人間になる道もあったかもしれない。しかし実際には利己的な人間が増え、日本は神の敵となったので、むしろ戦争に負けることによって、日本が生まれ変わる道が開かれるようになった。大神様の言う「日本が勝つ」という言葉は、戦争に勝つという意味ではなく、戦争に負け、米軍に占領されることによって人々が真人間になるのであれば、結果的に日本の国は神の眼から見れば「勝った」ことになるという意味である。結局、勝ち負けは真人間になるかどうかによって決まるのである。このように戦争や勝ち負けに対する視点を変えることで、大神様は終戦直後の日本人に希望を与えようとしたのである。その意味で日本の敗戦は、一種の「終末論的な出来事」として天照皇大神宮教ではとらえられていることになる。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む21


第六章 終戦と大神様の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第21回目である。第19回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入った。この章に至って、「肚の神様」は教祖に決定的な啓示を下さることになる。それは以下のような内容である。
「十一日の夜半から、宇宙絶対神は教祖大神様をはっきりと一人娘として娶られたのである。前年十一月二十七日に教祖の肚に天降られた指導神、または皇大神と申し上げる男神と、天照大神と申し上げる女神と御二柱の神が一体となられて、教祖のお肚を宮として天降られたのである。」(p.152)

 『生書』のこの部分は、おそらく天照皇大神宮教の教えの最も中核的な部分であり、キリスト教の「使徒信条」に当たるような信仰告白に相当するものであると思われる。すなわち、それを受け入れて信じる人が、天照皇大神宮教の信者なのである。ここに天照皇大神宮教の教えの中核である神観と教祖観が示されているので、それを家庭連合と比較してみたいと思う。

 天照皇大神宮教において教祖の肚に宿っている神は「宇宙絶対神」であり、その絶対神は男女一人ずつおり、一人の名は「皇大神」という男の神様、もう一人は「天照大神」という女の神様であるという。宇宙絶対神なので一神教かと思えば、男女二人いるということなので、「二神教か?」と混乱するような記述ではある。「皇大神」や「天照大神」という名前を聞くと、だれもが神道の神々を連想する。この神様は、もともとは伊勢神宮にいたのであり、それが天皇皇后に代わっておサヨを依り代にしようというのであるから、皇室の先祖に当たる神道の中心的な神、すなわち皇祖神であると解釈できないこともないが、それを超えて、キリスト教や仏教をも包含する、宇宙を支配する唯一神という概念に拡大されていることが大きな特徴である。すなわち、天照皇大神宮教は「神道」の枠の中に納まる宗教ではないのである。以上を要約すると、天照皇大神宮教は男女一対からなる「宇宙最高神」を崇めていることになる。

 一方で、世界平和統一家庭連合の創設者である文鮮明師が説いた「統一原理」は、ユダヤ・キリスト教の伝統に根差した教えであり、宇宙の創造主である唯一なる神を説いている。その意味で家庭連合は紛れもない「一神教」であるということができる。『原理講論』にも、「神はあらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存する絶対者である」と書かれている。

 統一原理では、神は唯一神でありながら「陽性と陰性の二性性相の中和的主体」でもあると説いている。ここでいう陽性とは男性的性質をさし、陰性とは女性的性質をさしている。すなわち、神はお一人でありながらも、男性と女性の両方の性質を内包しておられるということである。

 天照皇大神宮教で教えている神と統一原理の神は、男性と女性の二人の神が存在するとするか、唯一の神が男性と女性の属性を内包しているとするか、という表現の違いこそあれ、宇宙の絶対神であり創造主である神が男女両方の要素からなっていると説いている点では似ていると言えるであろう。天照皇大神宮教は日本人に分かりやすいように、「皇大神」と「天照大神」という神道的な名前でこれを表現したが、統一原理は聖書に出てくる創造主としてこれを表現した。ただし、神を「陽性と陰性の二性性相」であるとする統一原理の神学は、聖書そのものというよりは「易学」に代表される東洋哲学の用語によって表現されたものである。『原理講論』の中でも、陰陽を中心として存在界を観察した易学の妥当性を説いており、完全ではないにしても真理の一部分をとらえたものであると評価している。総合的に見れば、表現の違いこそあれ、この二つの宗教はかなり似通った神観を持っていると言ってよいであろう。

 それでは教祖論はどうであろうか? 天照皇大神宮教における教祖の位置については、神道的な表現で示されている箇所がある。肚の神様は教祖に対し、「二千六百五年の昔から神が天降る所を、ちゃんと決めていたんじゃ。蛆の祭りのお旅所と同じことで、神輿を降ろす所があろうがの、今はおサヨがお旅所なのじゃ。」(p.77)と語っているが、これは神道における「依代(よりしろ)」の概念に近い。神社には「御神体」があるが、これは神霊が宿る物体のことである。御神体は神そのものではないが、そこへ神霊が宿ると神そのものとなると考えられている。つまり、御神体とは神が宿る「依代」であり、古代においては、石や山、木などの自然物に神霊が降臨し、依りつくと考えられたし、比較的新しいタイプの御神体には、御幣、鑑、神像などがある。こうした、神が天下るための「依代」として北村サヨ氏が選ばれたという理解が可能である。

 もう一つの理解は、「現人神」という立場である。「肚の神様」はもともとは伊勢神宮に祀られていた皇祖神であったが、いまや天皇は生き神でも現人神でもなく、「あさっての方を向いている」傀儡になってしまったので、天皇に代わって神は北村サヨ氏の肚に宿ることになったというものである。「肚の神様」の論理としては、「天皇は世をよく治めることができず、役に立たないから、そこには宿りたくない。それで、生まれついたときからこれまでおサヨを特別に訓練してきたのであり、天皇の代わりにおサヨに宿って国と世界と救うのだ」という話なのである。

 さらにもう一つの立場が、宇宙絶対神によって「一人娘」として娶られたというものである。この立場が現在の家庭連合において、文鮮明師の夫人である韓鶴子総裁に対して用いられている呼称であることは既に先回述べた。

 それでは家庭連合における教祖の位置はどうであろうか。家庭連合はユダヤ・キリスト教の伝統の上に立っているため、日本の宗教伝統とは異なり、神と人間の間に断絶のある神学的伝統を背景としている。キリスト教神学においては宇宙の創造主である神と被造物である人間の間には大きな隔たりがあり、人間が神になることはあり得ない。しかし、キリスト教神学においては「神が人になる」ということはあり得ると考えている。人類歴史上ただ一人、神が人となって地上に顕現されたお方がイエス・キリストであるとされているのである。キリスト教神学においては、イエス・キリストは「神が人となられたお方」なのであって、いわゆる教祖というような次元の存在ではない。そのくらいにイエスの位置は高められているのである。

 キリスト教においては、「イエス・キリストは神のひとり子であり、救い主である」と信じられている。神の「ひとり子」という表現はヨハネによる福音書3章16節に由来するが、英語では“Only-Begotten Son”といい、韓国語では「独生子(トクセンジャ)」という。イエスは何人もいる神の息子の中の一人なのではなく、たった一人の神の息子であるという点において、特別な存在だとされているのである。家庭連合においては、文鮮明師を「再臨のメシヤ」であると信じている。それはイエスが2000年前に成し遂げられなかった使命を果たすために再び現れるメシヤという意味であるから、文師はイエス・キリストと同等の立場であると理解されていることになる。

 家庭連合のメシヤ観の特徴は、男一人ではメシヤになることはできず、女一人でもメシヤになることはできず、あくまでも一対の男女、すなわちカップルでなければメシヤになることはできないとしている点である。これは、メシヤの役割が、本来ならば人類始祖アダムとエバが果たすべきであった「真の父母」の使命を果たすことにあると考えているためである。したがって、もしイエス・キリストがメシヤであり、「神のひとり子」であるならば、「神のひとり娘」である女性と結婚して「真の父母」になるべきであったということになる。しかし、イエスは結婚することなく十字架刑で亡くなってしまったので、この使命を受け継いだのが文鮮明師御夫妻である。

 家庭連合においては、文鮮明師はイエス・キリストの再臨であると信じられているので、文師は「ひとり子」であり、Only-Begotten Sonであり、「独生子(トクセンジャ)」である。そして、その夫人である韓鶴子総裁は、「ひとり娘」であり、Only-Begotten Daughterであり、「独生女(トクセンニョ)」であると信じられている。

 このように、天照皇大神宮教と家庭連合では、神観と教祖観において類似する部分があり、語られている用語においても似たものがある。その中で最も大きな違いは、家庭連合においては文鮮明師と韓鶴子総裁の両方に「神のひとり子」「神のひとり娘」としての位置が付与され、カップルとして「真の父母」であり、メシヤであると理解されているのに対して、天照皇大神宮教においては、生き神様であり神の一人娘であるのはもっぱら北村サヨ氏のみであり、夫である北村清之進氏に対してはそうした位置が与えられていないということである。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む20


第六章 終戦と大神様の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第20回目である。先回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入った。天照皇大神宮教においては、第二次世界大戦の終戦をもって皇祖神の拠り所が天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが予定調和的に理解されており、終戦が近づくと同時に神の摂理も急ピッチで進むようになる。昭和20年7月22日に、教祖は自宅で初の説法を行い、いよいよ神の御言葉の種をまき始められる。

 8月に入ると、ポツダム宣言、広島への原爆投下、長崎への原爆投下、そしてソ連の対日宣戦布告により、日本の情勢はもはや絶望的になる。8月10日に日本政府が御前会議を開いて降伏を決定し、ポツダム宣言の条項に基づいて連合国に和を請うたことにより、日本の敗戦は事実上決定する。ちょうどその翌日、8月11日の夜に、教祖は決定的な啓示を受け、強烈な神体験をするのである。大部分の国民が日本の敗戦を知らされるのは8月15日の「玉音放送」によってである。したがって『生書』の記述が歴史的事実なら、「肚の神様」は公式な発表に先立って日本の敗戦を知っていたことになり、そのことを教祖に啓示していたという、いかにも「神憑り」的な話となる。『生書』は戦後になってから書かれたものであるから、後から歴史を振り返って、あたかも神の計画が予定通りに進んだかのように構成したのではないかと疑うことは可能である。しかし、ここではそのことに深入りするよりは、天照皇大神宮教の世界観を明らかにすることに専念したい。

 件の8月11日に肚の神が語ったのは、以下のような内容であった。
「十一日の夜中の鐘もろともに、今までとうびょうと言うたのも、口の番頭と言うたのも、指導神と言うたのも、もとを正せば天照皇大神の一つもの。天照皇大神の一人娘にして、世界が一目に見えるめがねをやろう。」(p.151)

 この個人ブログの第14回で、私は「肚の神様」の啓示の特徴は、段階的な自己開示であると分析した。初めは自分のことを「とうびょう」と言っていたものが、次には「口の番頭」というようになり、さらに「指導神」と名乗り出したのである。これまでは、はたして「とうびょう」や「口の番頭」が宇宙の絶対神と同一存在であり、単に自己紹介の仕方が違っただけなのか、それとも別の存在であり、絶対神の家来に過ぎなかったのかは、にわかに判別しがたいと言っていた。なぜなら、宇宙の絶対神には家来のような神々がおり、それが順番に教祖に働きかけ、教育してきたのであるという理解も可能だからである。しかし、ここではそれら三つの名前の神は、一つの神の異なる呼び名であったことが明かされる。いよいよ神の正体が最終的に開示され、それは「天照皇大神」だということが示されたのである。それと同時に、教祖は不思議な宗教体験をする。
「その時から、教祖は宇宙いっさいのもの、幽界顕界ことどとくが見え出されたのである。下は八万十万地獄を通り越し無間地獄まで、海の中の魚類から、虫から、獣からその幽霊、あるいは娑婆の人間界から天上界まで、あらゆるものを見せ、いちいちそれらの説明をつけられるのである。」(p.151)

 それは、いつも見えていたら神経衰弱になるような体験だとされ、生身の人間でありながら、神のごとき視点で世界を見ることができるようになったという、一種の宗教体験である。この体験は視覚的なものとして表現されているが、伝統的な宗教の経典で類似するものには、使徒パウロの体験がある。
「わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである――パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。」(コリント人への第二の手紙12:1-4)

 スウェーデンボルグもまた、生きながら霊界を見て来たという霊的体験に基づく大量の著述で知られている。ヒンドゥー教には「梵我一如」という思想がある。これはインドの哲学書ウパニシャッドに代表されるバラモンの根本思想で、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個人の本体であるアートマン(我)とは同一であるというものだ。禅宗においても、瞑想修行の最中に自己と宇宙が一体であると感じるような境地に至ることがあるという。おそらく大神様にも同様のことが起こったのであろう。宗教の経典ではないが、筒井康隆の小説『エディプスの恋人』には、主人公である「七瀬」が、一瞬ではあるが宇宙の絶対神(この小説では絶対神は女性であり「彼女」と表現されている)と入れ替わるシーンが出てくる。それは大神様の体験したような、神の視点で世界を見るということがどういうことであるかを文学的に表現したものである。
「偏在感があった。七瀬は『彼女』に替り、大極に存在し、宇宙に君臨していた。存在形態としてそれは宇宙そのものともいえた。超絶対者としての、動物的視覚に依らざる認識的視野を持つことがどういうことであるか、七瀬にはわかった。単に文字通りの『視野』であってすら、もしそれを持ち得たとすればそれがいかに常人たちにとって耐え難いものであるかも、たちまち七瀬は思い知らされていた。幾億もの星雲が、宇宙に充満するすべての原子と同じ認識的視界に共存していた。ある恒星系の生成から消滅までを七瀬は、地球の片隅で一匹の昆虫が産卵する様子と同時に認め得るのだった。すべての現象が恒常感覚として掌握できた。七瀬がたまたま学生時代に読んでいたハイデッガーの実存論をこれほど容易に実感できる視点はなかった。」(『エディプスの恋人』p.195) 

 こうした神秘体験の後に、肚の神様は教祖に決定的な啓示を下さった。
「十一日の夜半から、宇宙絶対神は教祖大神様をはっきりと一人娘として娶られたのである。前年十一月二十七日に教祖の肚に天降られた指導神、または皇大神と申し上げる男神と、天照大神と申し上げる女神と御二柱の神が一体となられて、教祖のお肚を宮として天降られたのである。」(p.152)

 『生書』のこの部分は、おそらく天照皇大神宮教の教えの最も中核的な部分であり、キリスト教の「使徒信条」に当たるような信仰告白に相当するものであると思われる。すなわち、それを受け入れて信じる人が、天照皇大神宮教の信者なのである。

 ここではっきりと、天照皇大神宮教が啓示宗教であることが分かる。啓示宗教の教えの根幹は理性によって導き出されるものではなく、神の側から一方的に示されるものであり、「なぜそうなのか」という理由が合理的に説明されることはない。人間の側はそれを受け入れるかどうかの選択を迫られるだけなのである。天照皇大神宮教においても、宇宙の絶対神がどうして北村サヨという田舎の婦人に天降ったのについては説明はない。ただ、神がそのように予定して、時が来たのでそれが実現したのだという話である。

 これはキリスト教においても同じである。宇宙の創造主である神が、どうしてナザレのイエスという大工の青年として降臨したのかについては、合理的な説明はない。それは啓示によって人類に明かされたことであり、それを受け入れる者は「イエス・キリストは神のひとり子であり救い主である」という信仰を告白するしかないのである。神の「ひとり子」という表現はヨハネによる福音書3章16節に由来するが、英語では“Only-Begotten Son”といい、韓国語では「独生子(トクセンジャ)」という。イエスは何人もいる神の息子の中の一人なのではなく、たった一人の神の息子であるという点において、特別な存在だとされているのである。天照皇大神宮教における北村サヨ氏の位置は「一人娘」であるから、イエスの位置の女性版であり、同じような特別な位置であることになる。

 非常に興味深いことに、この「神の一人娘」は、現在の家庭連合において、文鮮明総裁の夫人である韓鶴子総裁に対して用いられている呼称である。家庭連合においては、文鮮明総裁はイエス・キリストの再臨であると信じられているので、文師は「ひとり子」であり、Only-Begotten Sonであり、「独生子(トクセンジャ)」である。その夫人である韓鶴子総裁は、「ひとり娘」であり、Only-Begotten Daughterであり、「独生女(トクセンニョ)」であると信じられている。天照皇大神宮教の教祖である北村サヨ氏と、家庭連合の共同創設者である韓鶴子総裁は、どちらも「神の一人娘」として神に認定され、その自覚をもって世の中のいかなるVIPにあってもひるむことなく、神の御言葉を宣べ伝える存在であることが明らかになった。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む19


第六章 終戦と大神様

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第19回目である。先回で「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容を解説し終えたので、今回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入る。第六章は、昭和20年春の戦局の解説から始まる。イタリアのムッソリーニの死、ヒトラーの死に続くドイツの無条件降伏によってヨーロッパでの戦争は終結し、日本は孤立無援となり、沖縄戦も6月には終結した。このように戦局が最後の段階へと突入すると、「神様の御行も戦局と同調して、最後の仕上げへと進まれたのである。」(p.138)と『生書』には記されている。かつて肚の神様が教祖に対して「二千六百五年の昔から神が天降る所を、ちゃんと決めていたんじゃ。蛆の祭りのお旅所と同じことで、神輿を降ろす所があろうがの、今はおサヨがお旅所なのじゃ。」(p.77)と語ったように、天照皇大神宮教においては、終戦の時をもって皇祖神の拠り所が天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが予定調和的に理解されているので、終戦が近づくと同時に神の摂理も急ピッチで進むようになるのである。

 昭和20年7月22日に、教祖は自宅で初の説法をなさった。この日は天照皇大神宮教においては大切な記念日となっている。それを聞きに集まった人々の人数は40~50名ほどであったという。説法のスタイルは踊りながら歌う「歌説法」と呼ばれるもので、言葉遊びのような数え歌で教えを説いていった。このように大衆に分かりやすい方法で教えを説く大神様には、エンターテイナーとしての素質があったようだ。自分のことを「おんなヤクザ」と呼び、神の摂理のことを「神芝居」と呼んだくらいであるから、そのような自覚があったものと思われる。次の言葉も、芝居をテーマにした比喩である。
「おサヨは世界を舞台にして国救いをやらせるんじゃが、田布施が楽屋ぐらいではちと狭いんじゃが、あまりよそへ行って稽古をしたら、本物の気違いと間違われるから、今まで田布施を楽屋にして稽古したが、今からは世界へ乗り出すのじゃ。」(p.140)

 どうやら終戦前に田布施で起こったことは、終戦を契機に世界を舞台として本格的な芝居をする前の、楽屋での稽古みたいなものとして位置づけられているようだ。大神様のカリスマは相当なものだったようで、「皆の者はいつとはなしにひきつけられ、浮世のことなど忘れ果ててしまい、一心に聞き入るのであった。」(p.140)ということであった。

 大神様の説法のスタイルは、聞く人一人ひとりの欠点を言い当て、「業晒し」をするというものであった。誰にも知られていないはずの自分の罪や欠点を、教祖が見事に見抜いて断罪する姿を通して、「この人は自分のすべてをお見通しだ」と感じて屈服するというパターンである。普通は悪口を言ったりどやしつけたりすれば嫌われるものだが、逆に魅了してしまうところが教祖のカリスマなのであろう。大神様もまた、そのようなカリスマの持ち主であったと思われる。

 ところが、そのようなカリスマを持つ教祖と出会ったとしても、必ずしもすべての人が神行の道に入ったわけではないようだ。それは以下のような記述からもうかがえる。
「だが教祖の説法が、自分たちの生活とはあまりにもかけ離れた世界のことのように感じられ、直ちに現実の世界を一新して神行するような殊勝な気持ちになる人は、ほとんどなかったのである。」(p.141-2)

 このような教祖の説法とそれを受け止める世俗の人々の関係は、キリスト教の『聖書』にも通じる内容である。教祖がどんなにすばらしいことを語っても、また一時的に教祖の言葉に感動したり敬服したりしても、その後その人が継続的な信仰を持つとは限らないのである。むしろ、深い信仰を持つ人の方が珍しいくらいである。キリスト教の『聖書』では、神の御言葉を「種」にたとえ、それを聞く人々を「土地」にたとえてこのことを説明している。
「その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、『見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい』。」(マタイ13:1-9)

 このたとえの意味をイエスは以下のように説明している。
「そこで、種まきの譬を聞きなさい。だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。(マタイ13:18-23)

 天照皇大神宮教においても、いよいよ終戦が近くなって大神様が説法という「種まき」を始められるのであるが、その種が実を結ぶには相応しい「土地」が必要であり、それは神によって準備された人であるという世界観には、キリスト教と相通じるものがある。

 教祖が説法を開始した7月22日から終戦の日までの間に、教祖の周りには不思議な出来事が起こっている。そのうちの一つが徳山市に対する米軍の空爆の予言である。そこには本城夫人という信者が住んでいたのだが、大神様はその家を訪問する前に、「それまでに、徳山の蛆の掃除に、機銃掃射と小型爆弾と焼夷弾を持って行くけえ、皆にそう言うちょいてくれ」(p.144)と言ったのである。本城夫人はその言葉を冗談かと思ったのだが、7月26日の夜半に本当に大規模な空襲があったのである。「徳山市は一瞬にして炎の海と化し、焦熱地獄を現出した。全市の大半は灰燼に帰し、おびただしい死傷者が至る所に横たわり、文字どおり死の街となった。」(p.144)と『生書』には記されている。

 しかし、本城家は焼夷弾を何発も受けながらも、不思議にみな不発に終わり、助かったという。本城夫人はそのことにより改めて教祖に感謝した。空襲の翌日であったにもかかわらず、大神様は徳山市の本城宅を訪ねてきた。そして本城家の背負っている因縁の話をしたり、軍人として出征している息子たちが無事に帰ってくることを予言したりして、本城夫人を驚かせたのである。こうしたストーリーには、教祖がただならぬ人であり、未来を見通せる人であることを証しする効果がある。

 こうして徳山に神の種がまかれたことを記した後、『生書』は再び戦局の解説に移る。この辺にも、終戦に至る客観的な歴史のプロセスと大神様を中心とする神の歴史のプロセスが同時並行的に進んでいるという理解が表れている。人間の歴史と神の歴史は予定調和に従って進んでいくのである。ポツダム宣言、広島への原爆投下、長崎への原爆投下、そしてソ連の対日宣戦布告により、日本の情勢はもはや絶望的になる。こうした出来事を簡潔に記した後に、「生書」は人間の歴史と神の歴史が一つに交わる時が迫ってきたことを告げる。
「八月十日、日本政府は御前会議の結果、降伏を決定、ポツダム宣言の条項に基づいて連合国に和を請うた。かくて八年の戦いの最後の日が近づくにしたがって、神は神の国を建設せんがため、その指導者たる教祖に、最後の仕上げをされるのであった。」「八月八日のことである。純白の新しい服を縫わせ、また新しい布団を一重ね作らせ、『十一日の夜はそれを着て、神棚の前に一人で寝よ。』と命ぜられる。十日には例の下痢が始まって、『今度は娘腹を下して、天人の二十五歳になるのだ。』と言われる」(p.150)

 教祖が純白の新しい服を着るのは、新しい時代の幕開けに備えるという意味であり、下痢をするのは、過去の清算の意味があると思われる。ちょうど終戦が決定的になろうとするときに、肚の神様も教祖に対してそのための準備を命じていることになる。こうして終戦の直前、8月11日の夜に、教祖は決定的な啓示を受け、強烈な神体験をするのである。その詳しい内容については次回扱うことにする。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む18


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第18回目である。第12回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。前回は大神様の集会に集まった人々が一番聞きたがっていたのは、戦争の結果がどうなるかということであったが、それに対して大神様は明確な答えを示さずに、魂を磨くことに専念せよと言われたことを紹介した。世俗の人々は常に、外的・客観的な世界において次に何が起こるかに関心がある。それは自分自身の損得と結びついているから、他人より早くそれを知ろうとして、教祖や霊能者に対して「未来はどうなるのか?」と尋ねる。しかし、それに対する大神様の答えは、「そんなことを心配するよりも、自分の内面を見つめ、自分を変えなければならない」というものであった。それは彼らが自己中心的な損得勘定に縛られている限りは救われることはないからである。

 『生書』には、大神様の集会に来た者たちの中に、最初は教祖を見下していた傲慢な者たちがおり、教祖もまた彼らを嫌っていたが、最後は教祖から悪口を言われることによって逆に悔い改めに至ったことが記されている。悪口というのは以下のような言葉である。
「お前たちは国賊乞食じゃ。日当もらって会席膳まで食べて、その上お礼までもらったろう。この泥棒め、どこに日当もろうた上に、お礼までもらう法があるか。お前らは南無大師遍照金剛と言うて歩く乞食より、なお上の手の乞食。」
「面を脱いだか、白髪婆――、われ(お前)みたいな蛆虫が、世の中に増えてきて、月給取っても出張費、その上お礼までもろうて歩く蛆乞食。」(p.130)

 このころの大神様の指摘する罪は、経済的な意味で私利私欲を満たそうとする類のものが多い。教祖から徹底的にどやしつけられたり、叱られたりすることによって逆に魅了されるようになるというストーリーは、宗教の世界においては珍しいものではない。典型的には、誰にも知られていないはずの自分の罪や欠点を、教祖が見事に見抜いて断罪する姿を通して、「この人は自分のすべてをお見通しだ」と感じて屈服するというパターンである。家庭連合においても、教団の初期のころに文鮮明師の弟子になった人々の証しにそのような内容が多く見られる。普通は悪口を言ったりどやしつけたりすれば嫌われるものだが、逆に魅了してしまうところが教祖のカリスマなのであろう。大神様もまた、そのようなカリスマの持ち主であったと思われる。

 ここで『生書』は、大神様が担うべき重要な使命に関する記述に入っていく。この章の結論部分であり、最も重要な箇所である。眠りにつこうとする教祖を肚の神様がむりやり起こして、以下のようなやりとりがあったのである。
「おサヨ、神側の相談が決まったのじゃがのう。」「やかましい眠らせいや。」「まあよう聞け。嫌じゃと言うても、どうしてもわれ(お前)に、一度は是非とらせにゃならぬものがある。」「何か。」「玉露の玉と、天蓋の瓔珞じゃ。」「いらぬことを言うな。あれは『天皇のも人造ぞ、皇后のも人造ぞ。』と言うたから、『それなら本物を持って行け。』と言うたら、『持って行かせ。』と言うて、水をかぶらしたじゃあないか。」(p.131)

 この玉露の玉と天蓋の瓔珞は初めに101ページに登場し、それぞれ天皇と皇后がその位につくときに受け継ぐものであると説明されている。要するに「肚の神様」は、教祖を天皇陛下に取って代わる位置に立てようとしたのである。いまの天皇は生き神でも現人神でもなく、本来の位置を外れているので、その位置におサヨを立てるのだという意志を「肚の神様」が示したことになる。

 そのような大それたことを言う「肚の神様」とはいったいどんな存在なのかと言えば、それまで伊勢神宮にいた神が、そこを去っておサヨの肚に宿るようになったという。言うまでもなく、伊勢神宮の祭神は天照大神である。皇祖神である神が伊勢神宮を去って、おサヨの肚に宿るようになったので、おサヨは天皇に代わって日本の国を治める立場に立つのだと言いたいのである。

 肚の神様は教祖に対し、「二千六百五年の昔から神が天降る所を、ちゃんと決めていたんじゃ。蛆の祭りのお旅所と同じことで、神輿を降ろす所があろうがの、今はおサヨがお旅所なのじゃ。」(p.77)とも語っている。皇紀2605年は西暦で言えば1945年、終戦の年である。すなわち、終戦の時をもって皇祖神の拠り所は天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが、昔から予定されていたのだということである。しかし、当のおサヨはそれを断っている。

 それに対する「肚の神様」の反論は、「天皇は世をよう治めんじゃないか」(p.131)ということであり、「蛆の天皇や蛆の皇后」では何の役にも立たず、彼らが三年でも水をかぶって修行したとしても、その汚い肚には入りたくないというのである。かなり天皇皇后を冒涜した内容になっているが、『生書』が出版されたのは戦後なのでおとがめなしである。そして極めつけは、「おサヨ、われは今、急に、にわか神様になったのじゃあない。われに世が末になったら、国救いをやらせようと思うて、生まれついてから鍛えてきてあるのじゃ。」(p.132)といって、これまで百姓仕事で鍛えてきたのは国救いをやらせるためであったと迫るのである。

 これは旧約聖書の預言者の召命の場面と非常によく似ている。預言者エレミヤが召命される場面では、神はエレミヤに対して以下のように語っている。
「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。(エレミヤ書1:5)

 要するに神が予定したのだから成就しなければならないということであり、問答無用である。預言者は最後は召命を受け入れなければならない。大神様の場合には、肚の神様からの提案で、三年半の期限付きで、終わったら元の百姓の女房に戻すという条件でその役割を受け入れることになったのである。そのくだりは以下のようなものだ。
「『・・・おサヨがどうでもとるのが嫌なら、三年半にわたって国救い舞をやって、世が治まったら、それを天皇や皇后のところへ持って行ってやってくれ。その時、天皇や皇后は、私らはよう治めだったのじゃから、たいがたいけえ譲ろうと言うし、おサヨはいらないと言うて、押し合い、へし合いするとこを、新聞に出さしてやろう。』

 それで教祖は肚の神に問われた。『それが済んで、国が治まったら、また元の百姓の女房に戻してくれるか。』

 肚の神は、力を入れて答えられるのであった。
『そこじゃ、そこじゃ、人間は偉い者になってしもうたらおしまいじゃ。蛆虫世界じゃあ、上がったら、さがることを知らぬ。神の国は上がったり下がったりが、自由自在にきくようになって、地位も名誉もいらぬ。尊いお国が一本立ちになって、世界の平和が来た暁には、いつ枕を並べて死んでも惜しくない裸役者でなかったら、天が娶って使やせぬ。玉露の玉とは、極めて労した玉だ。天蓋の瓔珞とは、天よりほかにない世楽をつくるのじゃ。』

 かくしていよいよ三年半の、命をかけての国救いが始められるのである。」(p.132-3)

 三年半の期限付きとはいえ、このやりとりは大神様が天皇皇后に代わって日本の国に責任を持つという自分自身の使命を正式に受け入れたという点において、重要な意味を持つものと思われる。これらのやりとりから、大神様が偉くなりたいとか権力が欲しいという動機ではなく、乱れている世を神の願いの通りに治めるという公的な使命のために自分の位置を受け入れたことが分かる。私心がなかったということだが、終わったら元の百姓の女房に戻りたいという大神様の言葉は、肚の神様を感心させたようだ。謙虚さをもって美徳とするこの部分は、新約聖書の以下の記述を思われる。
「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。」(マタイによる福音書20:25-28)

 この言葉は、ゼベダイの子らの母がイエスに対して「わたしのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」と言ったことにより、弟子たちの間で誰が偉いか論争になったときにイエスが語った言葉である。イエスの弟子たちもまた、地位や名誉や権力を求めていた。しかしイエスは、偉くなりたいと思えば人に仕えなければならないと教えたのである。

 以上で「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の部分は終わる。次回から、「第六章 終戦と大神様」に入る。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む17


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第17回目である。第12回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。ここから「肚の神様」の本心が前面に出てきて、それまでは普通の愛国的な婦人に過ぎなかった北村サヨ氏が、自分では思いもよらないようなことを語り出すようになる。それまでの戦争肯定の姿勢から、無駄な戦争をやめよというメッセージに変わり、皇国日本の価値を信じる立場から、現在の天皇を中心とする国体イデオロギーの否定に変わったのである。

 ここで『生書』が記述する時代は昭和20年3月に至る。沖縄戦の開始、特攻隊の出陣、小磯内閣の総辞職などの出来事が記され、いよいよ太平洋戦争も末期になってきたころだ。既にB29は毎日のように日本の都市を爆撃していた。その頃の教祖の言葉が興味深い。ある人が教祖に「あの敵の飛行機を祈り落してください」と頼んだときの答えである。
「ばあか言うな、おれは御苦労様と拝んでいるのじゃ。根の国に蛆がわいたというて、やすい思いじゃ来てくれぬのじゃ。米国がなんぼう物資があるからというて、蛆がわいて困るから、蛆掃除に来てくれと言って頼んだんじゃあ、来てくれはせん。頼まんでも命がけできてくれるのじゃから、みんなも拝めよ。」(p.122)

 ここではアメリカの爆撃機は憎き敵ではなく、日本の蛆掃除に来てくれるありがたい存在としてとらえられている。かつて大神様が「天にはえこもひいきもありゃしない。神の肚に合わぬ者が神の敵じゃ」と言ったように、日本が常に神の側にあるのではなく、米国の爆撃機に神が働くこともあるということである。いまの日本は神の敵となり、多くの蛆がわいているので、それを掃除するためにわざわざ米軍の爆撃機がやってきて懲らしめようとしている、ということなのである。

 このように敵を通して神が働くという発想は、実はユダヤ・キリスト教の『聖書』にも存在する。旧約聖書の預言者たちは、イスラエルの王や民が常に神の側にいるとは考えなかった。彼らが神の律法に背き、道を誤るときには、主は敵の手に彼らを渡してその罪を悔い改めさせる、という趣旨のことを預言者たちは繰り返し語っているのである。『原理講論』は、このような神の働き方のことを「外的粛清」と呼んでいる。初めに神は人々の良心に働き掛け、み言葉をもって悔い改めに導こうとするのであるが、それでも人間が悟らない場合には、外敵が民族や教会を襲い、悲惨な目に遭わせることによって自らの非を悟らせようとするのである。旧約時代にはアッシリアによるイスラエルの滅亡、ユダヤ民族のバビロニアでの捕虜生活などがそれにあたり、キリスト教史においては十字軍戦争によってローマ教皇庁の権威が地に落ちたことや、ローマ教皇のアヴィニョン捕囚(1309年~1377年)などがその例として挙げられている。

 この頃の出来事として『生書』に記されている大神様の物語は、どこか『聖書』におけるイエス・キリストと聴衆のやり取りに似ている。『生書』によれば、「その頃、人が集まれば、戦争の見通しの話ばかりである。米軍が日本の本土に上がって来たら、どうなるだろうかということが、当時の日本人の頭を占めていた」(p.123)というのである。教祖はそうした人々の心配をよそに、「そんな、ちっぽけなことを考えるより、まず真人間になれ」(p.123)と答えたのである。これに類似するパターンとしては、キリスト教の『聖書』のルカによる福音書には、次のような話が出てくる。
「神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。」(ルカ17:20-21)

 この記述は、当時のパリサイ人は「神の国」が外的な目に見える形、すなわち天変地異が起こるとか、ユダヤに強力な王が現れて外国の勢力を駆逐し、かつての栄光を取り戻すといったような客観的な出来事としてやってくると思っていたことを表している。そしてイエスに対して未来を予言するという意味での「予言者」の役割を期待し、それがいつ来るのかを尋ねたのである。しかしイエスは、彼らの視点そのものが間違っていることを指摘し、自分の内面に目を向けるように言ったのである。

 世俗の人々は常に、外的・客観的な世界において次に何が起こるかに関心がある。それは自分自身の損得と結びついているから、他人より早くそれを知ろうとして、教祖や霊能者に対して「未来はどうなるのか?」と尋ねる。しかし、それに対して教祖は明確な答えを示さない。それは彼らが自己中心的な損得勘定に縛られている限りは救われることはないからである。それに対する教祖の答えは、「そんなことを心配するよりも、自分の内面を見つめ、自分を変えなければならない」というものであった。これはあくまで現世利益を追求する人にとっては「論点外し」であり、質問にまともに答えていないことになる。だから、結局この人には未来は分からないのだと思って教祖のもとを去っていく。しかし、より本質的な人は教祖の言葉を聞いて、大切なのは未来を知ることよりも自分自身を変えることなのだと悟るのである。大神様の言葉とイエス・キリストに言葉には、このような共通点があるのである。

 こうした世俗の人々の期待は、『生書』に登場する「町田夫人」が大神様を紹介したくだりにも表れている。彼女はこう言ったのである。
「その人は肚の中に指導神が宿られ、神のなさるがままになっているというお方で、不思議に何でも未来のことがわかる、おもしろい方なのですよ。」(p.123-4)

 そのように紹介されるので、「当時のこととて、戦争の将来、明日にも爆撃の危険にさらされている家庭や、自分自身のことについて、少しでも安心が得たいと、教祖のお話に期待して集まってきた連中である。しかし、教祖の本質はまだ知らず、神憑りぐらいにしか考えていなかった。」(p.125)と記述されている。

 案の定、大神様の集会に集まった人々が一番聞きたがっていたのは、戦争の結果がどうなるかということであった。それに対する答えは以下のようなものであった。
「教祖は『必ず勝つ。じゃが、敵は日本全国、どこにでも上がるぞ。』と言われて、突然お歌説法となった。
『持って来い、持って来い爆弾を、世根の蛆の皆殺し――。八年間の戦いも、真人間欲しさに天がやらかした戦いじゃが、なんの真人間になるものか。利己、利己、利己の国賊乞食が世に増えて、真心持ちほどばかを見る、思うた時代は早済んだ――。』(p.127)

 必ず勝つと言っておきながら、敵が日本全土に上陸するというのは明らかな矛盾である。しかしながら、聴衆はあっけに取られて、その矛盾を指摘したり質問したりすることなく、ただ聞いていたというのである。

 現代の視点から教祖の言葉を解釈すれば、「日本が勝つ」というのは戦争に勝つという意味ではなく、戦争に負け、米軍に占領されることによって人々が真人間になるのであれば、結果的に日本の国は神の眼から見れば「勝った」ことになるということだ。この戦争に日本が負けることは、最初から決まっていたわけではなかった。戦争を通じて日本人が真人間になる道もあったかもしれないが、実際には利己的な人間が増え、神の敵となったので、戦争に負けることによって日本が生まれ変わる道が開けるということなのであろう。結局、勝ち負けは真人間になるかどうかによって決まるのである。
「私の家に爆弾を落とさないようにしてください。疎開してはいかがでしょうか。」という問いかけに対しても、大神様は以下のように答えている。
「心がまっすぐなら、どこにおっても大丈夫。心が曲がっておれば、防空壕の中でもだめじゃ。まず真人間になりなされ。

 真人間とは、口と心と行いと、三つが一つになり、かつがつ人間の型にはまる、それを毎日、我が良心で磨いてゆく時、初めて真人間になる。

 人間の道をまっすぐに行けば、すぐに神や仏の世界、神や仏の世界に、爆弾の落ちるような世界をつくった覚えが天にない。我おる所、即ち天国浄土なり、というところまで、魂を磨いて上がってこい。」(p.128)

 爆弾が自分の家に落ちないようにというのは、自分の身の安全だけを考えた世俗的な欲求である。それを逆手にとって、身の安全が欲しければ魂を磨いて真人間になれと、教祖は視点の転換を要求する。この会話も同じパターンである。

 私見としては、大神様はこのころすでに、日本が戦争に負けることを予想していたのではないかと思う。しかし、そのことをあからさまに表現することはできなかったので、論点を外しつつ、終戦後の日本人の魂の再生のための準備をしていたのではないだろうか。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む16


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第16回目である。第12回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。ここから「肚の神様」の本心が前面に出てきて、それまでの北村サヨ氏であれば思いもよらないようなことを語り出すようになるわけだが、前回までは天皇を中心とする日本の国体や戦争に対する考え方の変化を中心に扱ってきた。今回は少し観点を変えて、既存の宗教や新宗教を含め、他の宗教に対してどのような発言があったのかを中心に分析をしてみたい。

 もともと大神様は大変信心深い人であった。大神様の実家は浴本家であるが、両親は熱心な浄土真宗の門徒であり、大神様も子供のころには両親に連れられて寺参りをした。嫁ぎ先の北村家もまた浄土真宗であったが、大神様はその寺の世話をよくし、仏壇の前で毎日念仏を唱える生活をしたという。浄土真宗の信仰は戦国時代に中国地方に伝播し、毛利氏の保護を受けて定着していった。そして江戸時代には西本願寺派の真宗の体制が確立し、防長(現在の山口県)において無視できない一大宗教勢力となっていた。この信仰を「肚の神様」が入った大神様が痛烈に批判するようになるわけだが、そもそも浄土真宗とはどんな信仰なのかを整理してみよう。

 平安時代中期になると、日本の仏教にある大きな変化が起きた。それは「末法思想」と「浄土信仰」の出現である。そのころは僧の世俗化が進み、自然災害も頻発したことから、人々は「末法の世」であることを強く意識するようになった。浄土信仰の特徴は、念仏を唱えることによって阿弥陀如来の極楽浄土に往生できると説くところにある。もともと仏教は修行によって悟りを開くことを目的とした自力型の宗教であるが、末法時代になると、まともに修行ができる者はいないし、僧も堕落している状況なので、一般大衆が自力で救われるのは絶望的だと思われた。そこで、なにか簡単な行をする、たとえば念仏を唱えるというような一つの行をすることによって、他力で救済されるという考え方が受け入れられるようになったのである。

 浄土信仰は法然と親鸞によって確立された。法然(1133~1212)は平安末期から鎌倉時代にかけて生きた人で、比叡山で天台教学を学んだが、念仏こそ救いの原点であると確信するようになり、「専修念仏」という考えに行き着く。そこで43歳で比叡山を下山して、浄土宗を開いた。この新しい仏教は、当時の日本仏教の権威である比叡山から迫害され、法然は74歳のときに朝廷によって讃岐の国(現在の香川)に追放されてしまう。

 この法然の弟子が親鸞(1173~1262)である。親鸞は法然よりも40歳年下であるが、法然の「専修念仏」の教えに感銘を受けて弟子入りしたところ、念仏に対する弾圧に巻き込まれ、越後の国(現在の新潟)に流され、強制的に還俗させられる。還俗というのは僧侶を辞めて一般の衆生に戻るということであり、迫害が起こった頃にまだ若かった彼は、結婚して妻子を持つようになった。自分は僧侶でありながら妻を持ってしまった、そして子供をつくってしまったという体験、そして僧でもなければ俗人でもない「非僧非俗」という矛盾に満ちた生涯が、親鸞の教えに大きな影響を与えることになる。そこから、修行をすることによって自力で悟るのではなくて、こんなに罪深い自分でも救ってくださる阿弥陀如来の大きな恩恵を強調する「絶対他力」の信仰が生まれたのである。それは、阿弥陀如来の立てた本願により、阿弥陀如来を信じたその瞬間に極楽往生が決定する、という信仰である。

 親鸞といえば『歎異抄』が有名だが、これは親鸞自身の著作ではなく、彼が90歳で没した後に、弟子である唯円によってまとめられた法語集である。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉は非常に有名であり、この教えを一般に「悪人正機」または「悪人正客」という。阿弥陀如来が衆生を救おうとする願いは、善人でさえ成仏させるのだから、他力本願を信じる悪人は当然成仏できるという意味である。

 ところが、大神様はこの浄土真宗の信仰を容赦なく切って捨てたのである。
「悪人正客、他力の信仰、罪ありまんま、その身そのまま――嘘ぞ、嘘ぞ。悪人正客の極楽があるのなら、地獄と極楽の境に、なんで閻魔が帳面持って立っておるか。地獄は誰もが嫌いじゃろうが。悪人正客じゃったら、初めから地獄をつくる必要はありゃしない。

 蛆虫の世界じゃ。御開山上人(親鸞)を仏と思っているじゃろうが、嘘ぞ。八万地獄でまだあえいじょる。御開山上人がのう、七百年後になって、この百姓の女房のおサヨに尻をはぐられるとは、おもしろい世の中じゃろうがの。

 御開山が悟りが開けたのであったのならば、『この世は苦の土、苦の世界。』あのようなばかを言うものか。百姓の女房のおサヨでされ、嬉しゅうて、楽しゅうて、おもしろうてならない世界があるのに――。」(p.84)
「蛆の世界では、家内安全、家業繁盛、死んでも命があるように、悪人正客、他力の信心、罪ありまんま、その身そのままというような、乞食らの好いたように言うて、乞食の金取り上げて、己が神仏を売りもの、食いものにしてゆくのが、宗教家のように思うているが、己の心のけがれは、己の肚で掃除して、天のめがねにかなうまで、魂磨いて、天国まで上がって行くよりほかに、道はないのじゃ。」(p.104)
「無間地獄をちょいとのぞいて見れば、真宗門徒が一番多い。それに落ちているのが、坊主に神主(たゆう)。それに落ちかけているのが、浄泉寺(近所の真宗寺で北村家の檀那寺)の坊主。」(p.110)

 大神様から見れば、この悪人正客や他力本願の教えは、人々に行の努力を怠らせて堕落させる無責任なものであり、真宗の宗教者たちの姿は腐敗したものに映ったのであろう。既存の宗教勢力を激しく糾弾する姿は、パリサイ人や律法学者を痛烈に批判したイエスの姿にも通じるものがある。

 『生書』の中には、キリスト教の教えに言及した部分もある。
「人間が蛇にだまされて木の実を食うて、働かなければ食えないようになったと言うちょるが、そうじゃない」(p.111)

 これで大神様はキリスト教について全く知らなかったのではなく、一応の知識を持っていたことが分かるのであるが、この部分を読む限りではかなり限定された知識であり、それほど深く精通しておられたわけではないようだ。

 新宗教に関する記述でおもしろいのが「成長の家」の谷口雅春氏に関する部分である。大神様は当時、知人であった岩国市の弁護士吉武三六氏から招待されて、谷口雅春氏の講習会に参加したことがあった。ところが、その講習会に出ると、肚の神が早速、谷口氏に対して手厳しい批判を始めたのである。
「谷口というても、元は会社員であって、下級の神がちょきちょきお下がりがあるのじゃ。おサヨ、われ(お前)のはお下がりとは違うのぞ。われは神の御堂になっておるのじゃけい――。昔から神が少し使えば、すぐ増上慢になったり、金儲け主義になる。谷口のばかがあんな本売りになったり、個人面談せずに、短冊ばかり書いて売っていやがる。短冊売りや、本売りにさせるため、神が使うのじゃないのだ。邪神は己の邪念じゃ。金が欲しい欲しい思いやがるから、すぐにその邪念に邪神がつけこんで、邪神のおもちゃになるのも知らん、ばかが。」(p.120)

 どうやら大神様はあまりエキュメニカルなタイプではなかったようである。自分の信仰に対する強い確信のゆえに、どこか唯我独尊的なところがあり、他の宗教と対話をしたり、そこから何かを学ぼうという姿勢は感じられない。他の宗教と協力したり連携したりするという発想もないようだ。このことは、現役信者である春加奈織希(本名ではなくウェブ上の匿名)による「遥かな沖と時を超えて広がる 天照皇大神宮教」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~harukanaoki/index.html)の以下の記述を見ても間違いなさそうである。
「天照皇大神宮教は他の宗教とは一切関係せず、他の教団や宗教連盟などとは絶対に手を組んだりしない、と大神様は仰せになりました。

それは現在も、堅持されているはずです(「絶対に」という語句は、当管理人の記憶では、この件についての大神様の神言です)。

 本サイトの随所で説明したように、天照皇大神宮教の教えは、教祖・大神様の肚に宇宙絶対神が降臨されて、大神様の口を通じて人類に直々に授けられた教えです。教祖はそれまで、他の宗教についての知識も実践もほとんどありませんでした。

 天照皇大神宮教は、人間が伝え、受け継ぎ、作ってきた他の宗教とは異なります。他の宗教との連携などありえません。」
「ですから、宗教法人・天照皇大神宮教は、他の教団と何らかの連携やかかわりがあるのではないかという見方は、大変な誤解です。」

 そして統一教会(現在の「家庭連合」)とも一切関係がないことを、このサイトではわざわざ説明している。
「また、統一教会(ないし勝共連合、原理研。正式名称は、世界平和統一家庭連合)が、天照皇大神(宮)を肯定的に捉えているようだから、両教団はつながっているとか、そんなことを ほのめかす記述も散見されますが、これまた推測に基づく間違いです。
他の箇所でも説明したように、天照皇大神宮教の教えは、教祖の肚に入った宇宙絶対神が、教祖の口と心と体を使って人々に授けた教えであり、他の宗教とは一切かかわりがありません。」

 天照皇大神宮教の他宗教に対する姿勢はこのような原則で一貫しており、それは統一教会・家庭連合に対しても同様である。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む15


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第15回目である。第12回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。ここから「肚の神様」の本心が前面に出てきて、それまでは普通の愛国的な婦人に過ぎなかった北村サヨ氏が、自分では思いもよらないようなことを語り出すようになる。それまでの戦争肯定の姿勢から、無駄な戦争をやめよというメッセージに変わり、皇国日本の価値を信じる立場から、現在の天皇を中心とする国体イデオロギーの否定に変わったのである。そして「肚の神様」はもともとは伊勢神宮に祀られていた皇祖神であったが、いまや天皇は生き神でも現人神でもなく、「あさっての方を向いている」傀儡になってしまったので、天皇に代わって神は北村サヨ氏の肚に宿ることになり、伊勢神宮はいまやもぬけの殻になっていると言うのである。

 このような大それた話であるから、北村サヨ氏は当然のようにそれを辞退しようとされた。「肚の神様」が神眼をもって教祖に、天皇が即位する際に受け継ぐ玉露の玉と、皇后が即位する時に受け継ぐ天蓋の瓔珞を見せ、それをお前にやるから行をしろと言ったときには、教祖は即座に「いらない、そんなものは。」(p.101)と答えられたという。もともと北村サヨ氏には権力の座につく気など毛頭なかったのであるから、天皇に取って代わることを拒否されたのであろう。しかし、「肚の神様」の意図はどうも権力の奪取ではなく、天皇の果たすべき霊的な位置に彼女が立ち、日本の国を救うことを願っておられるのだということを、次第に理解し、それを受け入れていくようになるのである。このプロセスを『生書』は、「何になろうとも、どうしようとも思われなかった教祖を、神はあらゆる方法で導かれ、教祖も次第に、国救いに対する自分自身の立場を自覚し、いよいよ行に邁進されるのであった。」(p.109)と記している。

 肚の神様は教祖に対し、「二千六百五年の昔から神が天降る所を、ちゃんと決めていたんじゃ。蛆の祭りのお旅所と同じことで、神輿を降ろす所があろうがの、今はおサヨがお旅所なのじゃ。」(p.77)とも語っている。皇紀2605年は西暦で言えば1945年、終戦の年である。すなわち、終戦の時をもって皇祖神の拠り所は天皇から北村サヨ氏に移動することが、昔から予定されていたのだということである。実はこの世界観に立つと、敗戦によって天皇が人間宣言をし、神の座を降りることは、いよいよ大神様がそれに代わって生き神になっていく上で、積極的な意味を持つようになるとも解釈できるのである。
「また同じ元日のことである。肚の神様が急に『今年は、宮城を一棟残して、みんな焼いてやる。』と言われ出した。」(p.99)
「国建広路を来いと鳴く。鶏の声でお目々が覚めなけりゃ、覚ましてやります、爆弾で。」(p.102)
「持って来い持って来い爆弾を。世根の蛆の皆殺し、文明科学をぶち壊し、我の巣(家)を焼いて蛆殺して、新国日の本、神の国をつくる。」(p.103)

 これらは日本が爆撃によって火の海となり、敗戦の憂き目にあうことによってようやく目が覚め、破壊の後で新しい神の国の建設が始まることを示唆している。そして昭和20年になってからのB29の本土爆撃を、教祖が予言した言葉であるとされているのである。

 島田裕巳は、著書『日本の10大新宗教』の中で、天照皇大神宮教は極めて戦後的な新宗教であったと解説している。
「戦前においては天皇は現人神とされ、崇拝の対象となっていた。その現人神が支配する日本という国は、『神国』とされ、神国の行う戦争は『聖戦』と位置づけられた。ところが、神国は聖戦に敗れ、一九四六年一月一日、天皇は『人間宣言』を行った。突然、神国の中心にあった天皇が神の座を降りることで、そこに空白が生まれた。サヨの肚に宿った神が、天照皇大神宮を称したのも、その空白を埋めようとしたからである。」(『日本の10大新宗教』p.90-91)
「日本の敗戦と天皇の人間宣言という出来事が起こることで、そこに生じた精神的な空白、現人神の喪失という事態を補う方向で、その宗教活動を先鋭化させた。天皇に代わって権力を奪取しようとしたわけではなかったが、空白となった現人神の座を、生き神として継承しようとした。」(『日本の10大新宗教』p.102)

 「生書」を丹念に読んでいくと、島田裕巳のこの解釈が、教団の自己理解とそれほど乖離したものではないことが分かってくる。それまで日本の国において天皇の占めていた霊的な位置を、大神様が代わって受け継ぎ、敗戦後の新しい日本を建設していくのだというビジョンの上に、天照皇大神宮教という宗教は成り立っているのである。しかしここでも、時系列の問題は残ると私は考えている。それは果たしてこうしたビジョンを北村サヨ氏が持つようになったのが本当に戦争末期のことであり、既に霊的には現人神の位置を外れていた天皇が敗戦によって「人間宣言」をすることを見越して、その位置に自分が取って代わることを「予言」したのか、それとも終戦後にこうした考えに至り、それを戦争末期にまで遡って「神の啓示」を受けていたというストーリーにしたのかという問題である。

 実際に『生書』が書かれたのは戦後(第一巻が発行されたのは1951年)である。既にこのシリーズの第13回で述べたように、終戦後になってから「無理な戦争などやめたらよかったのに」というのは簡単である。それを言うのは当たり前であり、何の価値もない。まだ戦争が終わる前から、国民が一丸となって戦争に勝とうとしているときに、あえてその戦争の無理を訴え、神の眼をもって戦況を正確に把握して日本の敗戦を予想し、そのうち日本には軍隊はいらなくなると語るからこそ、先見の明をもった教祖の予言となるのである。戦後になって教祖が語られたことを、戦前から語っていたのだと遡って「予言」にしてしまうというのは、宗教のテキストにおいてはあり得ることである。これは天皇の人間宣言にも当てはまり、1946年1月1日の「人間宣言」を受けて、その空白を埋めるために自らが生き神となる決意をしたのが事実であり、それを戦争末期にまで遡って、皇紀2605年におサヨが神の拠り所になることを神の啓示によって知らされていたというストーリーにした可能性は残るのである。『生書』の第一巻が発行されたのが1951年である以上、この可能性を否定することはできない。しかし、聖書批評学と神学がどこまでも相容れないように、この問題も、信仰の立場をとるか、合理的な分析の立場をとるかによって結論は異なり、見解の一致を見ることはないであろう。

 『生書』が出版されたころには、既に日本が敗戦した事実は分かっていた。終戦前に辻説法を行っていた教祖に対して、聴衆が戦争の結果に対して質問したときの答えは、勝つとも負けるともはっきり言わない、はぐらかすような論法になっている。魂を磨いて自分と同じところまで上がってくれば教えてやるというのである。(p.85)「勝つ」と言えば予言が外れたことになり、「負ける」と言えば当時は非国民になってしまうのであるから、こうした表現の仕方しかなかったのであろう。

 一方で教祖自身が「肚の神様」に対して「戦争に負けるのか」と問うたときの答えは以下のようなものである。
「『いや、絶対に負けやしない。世界の指揮者になる。指揮者とは、よその国まで取って治めるのじゃあない。魂で慕われる国になるのじゃ。なにも欲張って、よその国まで取る必要はない。お隣はお隣であるのがよい。宇宙の絶対神に向かって、みんなが仲よしこよしで、手をつないで行けばよいのじゃ。この度は、回覧板が回って来るように、世界平和、神の国建設のお役目が、日本に回って来たのじゃ。』と話して聞かされるのであった。」(p.98)

 武力によって戦争に勝つか負けるかという質問に対して、「肚の神様」はまったく別の角度から答えている。たとえ武力による戦争においては日本は負けたとしても、他国から魂で慕われるような国になれば、それは戦争に勝ったのと同じくらいの価値があるのだと言いたいのである。これは戦後の非武装・平和主義・国際協調の重視という日本の政策と基本的に一致し、それを宗教的な言葉で表現したものであると考えられる。

 私個人の考えとしては、歴史的な事実として終戦前に北村サヨ氏が戦争の勝ち負けを予言したり、戦争に反対したり、公衆の面前で国体イデオロギーを真っ向から否定したり、自分自身が天皇に取って代わるのであると公言したことはないのではないか思う。もしそうした事実があったとすれば、大本教のような過酷な迫害を受けていた可能性があるからだ。『生書』の中に記されている戦争末期の「肚の神様」からの啓示や説法で語られている内容は、教祖の胸の内にだけ秘められていたか、あるいは戦後になってから教祖が語った内容を、終戦前に遡って投影し、未来に関する「予言」にしたのではないだろうか。

カテゴリー: 生書