書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』171


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第171回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。先回から中西氏がA教会で発見した任地生活の女性信者に向けた「15ヶ条の戒め」と呼ばれる心構えの分析に入った。中西氏はこれを、日本人女性信者の合理的な判断力を抑圧し、信仰的な発想しかできないよう仕向けているかのようにとらえているが、そこで述べられている戒めは宗教が伝統的に教えてきた内容であり、同時に人間が幸福に生きていくための心構えと言えるものも含まれている。先回は③神様をまず考えること④真の父母様の家庭に孝行すること、の二つを紹介し分析したので、今回はその続きとなる。

5.原理講論を読むこと
 統一教会においては長らく経典を「聖書」としてきた時代があった。原理講論は経典ではなく、教理解説書という位置づけであった。ただし、統一教会の信徒たちは原理講論を講師が黒板で説明した「原理講義」を聞くことによって伝道された者が多く、聖書以上に熱心に原理講論を読む習慣があった。したがって、原理講論はかなり以前から事実上の経典としての役割を果たしてきたと言ってよいであろう。そこに書いてあることは文字通りの真理であると受け取られてきた。2010年代に入って、文鮮明師は「八大教材教本」という概念を打ち出し、それは①文鮮明先生御言選集、②原理講論、③天聖経、④家庭盟誓、⑤平和神経、⑥天国を開く門真の家庭、⑦平和の主人血統の主人、⑧世界経典、の8種類の書籍によって構成されるものであった。したがって、現在は原理講論は家庭連合における経典の一つに数えられているととらえてよいであろう。

 経典を学習することは信仰生活の基本であり、それはあらゆる宗教に共通している。そのことは以下のように、各宗教の経典自身が証している。
「〔ヴェーダの〕学習を怠ることなかれ。」(ヒンドゥー教 ターイッティリーヤ・ウパニシャッド 1.11.1)
「私はあなたの律法を/どれほど愛していることでしょう。わたしは絶え間なくそれに心を砕いています。(ユダヤ教、キリスト教 聖書 詩編 119.97)
「まことにそれは偉大な経典であり、虚偽は、前からも後ろからも、近づくことはできぬ。それは、英明な方・賛美すべき方からの明示である。」(イスラム クルアーン 41.41-42)
「法華経を読誦する者があったら、この人は仏の飾りをもって自分を飾る人であると知れ。それは如来を肩にかついでいることになる。」(仏教 法華経 10)
「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」(ユダヤ教 聖書 申命記 6.5-9)
「われは真理によってクラーンを下したので、真理によってそれは下った。そしてわれは、吉報の伝達者または警告者として、なんじらをつかわしたのみ。これはわれが明白にしたクラーンで、なんじをしてゆっくりと人びとに、読誦させるためで、少しずつこれを啓示した。言え『おまえたちがクラーンを信じても、また信じなくても、以前に知識を賜わった者たちは、かれらに対して読誦されるとき、必ずその顔を伏せて叩頭する、そして、祈って言う「わたしたちの主の栄光をたたえまつる。まことに主のお約束は果たされました」』。かれらは涙を流して顔を地に伏せ、謙譲のまことをつのらせる。(イスラム クルアーン 17.105-9)
「君子は過去の聖賢の言行を多く認識し、その徳を畜養することにつとめる。」(儒教 易経26 周易上経 大畜)

 キリスト教においては、聖書を読むことは信仰生活の基本であり、できれば毎日読むことが推奨されている。熱心なクリスチャンは、毎日三章ずつ聖書を読み、一年に一回通読することを実践している。それは毎日「肉の糧」として食事をするのと同じように、「霊の糧」として信仰的な栄養を摂取することであると捉えられてきたのである。イスラム教の経典はアラビア語で「アル=クルアーン」と言う。「アル」は定冠詞で、「クルアーン」には「声に出して読むもの・こと」という意味がある。したがって、クルアーンは本来黙読するものではなく、読誦するべきものである。クルアーンの読誦はムスリムの信仰生活の根幹をなすものである。ユダヤ教徒たちも聖書を読むことを日課としている。私はエルサレムを訪問したときに、熱心なユダヤ教徒たちが「嘆きの壁」で頭を振りながら聖書を読誦している姿を見た。これと同じように統一教会の信徒たちは原理講論を読むことを信仰生活の基本としてきたのである。

6.不平不満を言わないこと
 この「不平不満を言わないこと」は「感謝すること」と同義であり、あらゆる宗教が説いてきた信仰的態度である。もちろんそこには、たとえ心の中に不平不満があったとしても、口に出して言わないという消極的な意味も含まれる。これは不平不満というネガティブな感情を口に出して表明すれば、それを自分自身が聞いてさらにネガティブな思いが増すのと同時に、他人をもネガティブな思いにさせる効果があるため、口に出すことを避けるということである。しかし、より積極的な意味は自分の心の中にある不平不満というネガティブな感情そのものを克服して、感謝の思いに変えるということである。これを意識的に行うことを多くの宗教が教えている。
「そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべての主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」(キリスト教 聖書 コロサイの信徒への手紙 3.17)
「信仰する者よ、わしがなんじらに与えた、よいものを食べよ、もしなんじらがほんとうに、神に仕えるのであれば、かれに感謝せよ。」(イスラム クルアーン 2.172)
「比丘衆よ、不善士は恩を知らざること及び恩に感ぜざることは不善士の称讃する所なり。比丘衆よ、善士は恩を知ること及び恩に感ずることは善人の称讃する所なり。」(仏教 阿含経増支部 i.61)
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(キリスト教 聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5.16-18)
「さあ、子供たちよ、りこうぶるふるまいを捨てて、神のみたまが幸福を与えるその神の仕事をお助けしよう。食物もいろいろの草木も、天照大神の恵みがなければ成育せず 得られないものである。朝に夕に、食事をするたびに、 みけつ神である豊受大神の恵みを思い感謝しなさい。世の人よ。天地の神の恵みがなかったならば一日一夜たりといえども過ごすことができようか。世々の先祖のご恩を忘れるのではない。代々の先祖は自分の氏神であり、自分の家の神である。父母は自分の家の神、私の神と心を尽くして敬いつかえよ。人の子たるものよ。」(神道 本居宣長 玉鉾百首)

 日々の生活の中で感謝することは宗教が教えているだけではなく、最近の幸福学の研究によっても、人が幸福になるための大切な要因の一つであると考えられている。慶応義塾大学大学院教授の前野隆司氏の著書『幸せのメカニズム:実践・幸福学入門』(講談社現代新書、2013年)は、最新の幸福学の成果に関する易しい解説書だが、その中で前野氏は幸福と相関関係にある様々な要素について分析を行っている。前野氏の研究グループが日本人1500名に対してアンケート調査を行い、幸せの心的要因を因子分析した結果、以下のような4つの因子が浮かび上がってきた。要するにこうした特性を持っている人はより幸せになる傾向があるということだ。
第一因子「やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)
第二因子「ありがとう!」因子(つながりと感謝の因子)
第三因子「なんとかなる!」因子(前向きと楽観の因子)
第四因子「あなたらしく!」因子(独立とマイペースの因子)
(以上、前野隆司著『幸せのメカニズム:実践・幸福学入門』p.105-111)

 この中では第二因子が「感謝」に直接かかわる因子だが、そのさらに細かい構成要素として前野氏は以下の四つをあげている。
・人を喜ばせる(人の喜ぶ顔が見たい)
・愛情(私を大切に思ってくれる人たちがいる)
・感謝(私は、人生において感謝することがたくさんある)
・親切(私は日々の生活において、他者に親切にし、手助けしたいと思っている)

 中西氏は、「6.不平不満を言わないこと」という戒めを、単に豊かでない生活や夫に対する不満を封じ込めるためであるかのように解釈しているが、人は生活の中でより多くのことに感謝しようと心掛けた方がより幸福になることを最新の幸福学は教えているのである。信仰のあるなしに関わらず、人生には自分の思い通りにいかないことが多い。問題はそれをどう受け止めるかである。身の回りの世界に対して不平不満というネガティブな感情を抱いて生きるのか、感謝というポジティブな感情を抱いて生きるのかによって、その人の幸福度は大きく変化する。したがってこの戒めはまさに、統一教会の女性信徒を幸せにする役割を果たしていると言えるのである。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

神道と再臨摂理シリーズ07


 「神道と再臨摂理」シリーズの第7回目です。今回は記紀の神話の終わりの部分について解説します。記紀の神話の目的は、神々に関する物語が最終的に皇室に繋がっていることを示すことにより、天皇の正統性と権威を示すことにあります。そして、その神話の世界と皇室を結ぶ「証拠物」が、いわゆる三種の神器なのです。

 三種の神器は、天皇が皇位の璽(しるし)として代々伝えた三種の宝物です。記紀の伝承によれば、天照大御神がこれら三種の神器を孫の邇邇芸命に与えたということになっています。その具体的な内容は以下のようになります。

三種の神器のレプリカ

三種の神器のレプリカ

①八咫鏡(やたのかがみ):これは伊勢神宮の御神体となっています。天の岩屋から天照大御神を引き出す方策としてつくられたものとされています。
②天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)または草薙剣(くさなぎのつるぎ):これは愛知県名古屋市熱田区にある熱田神宮(あつたじんぐう)の御神体となっています。須佐之男命が八岐大蛇を退治した時にその尾から見いだされ、天照大御神に献上されたものとされています。
③八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま):これは皇居に保管されています。

 さて、記紀の神話の世界と皇室を結ぶ「物語」が神武東征です。これは、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)(後の神武天皇)が、葦原中国を平和に治めるためのふさわしい地を求めて、日向を発って東に向かい、大和を征服して橿原宮で即位するまでを記した説話です。神武天皇は日本の初代天皇とされる人物ですので、彼によって天下った神々と歴代の天皇が連結されているといえます。

画像07-2

 さてここで、神社に祀られる神々の種類についてまとめてみましょう。
①記紀の神々:天照大御神(伊勢神宮)、須佐之男命(氷川神社)
②土着の神:大物主神(大神神社)、寒川比古命(寒川神社)
③習合神:八幡大菩薩(宇佐八幡)、熊野三所権現(熊野三社)
④天皇・皇族:桓武天皇(平安神宮)、明治天皇(明治神宮)
⑤英雄・功労者:徳川家康(日光東照宮)、東郷平八郎(東郷神社)
⑥御霊神:早良親王(御領神社)、菅原道真(北野天満宮)、平将門(神田明神)、崇徳天皇(白峯神社)

 この中で、④~⑥を「人間神」と分類することができます。これは、実在した人物が、死んだ後に神として祀られるということであり、一神教の世界では考えられない現象ではありますが、神道においては一般的なことです。ローマの宗教においても、人が死んで神になることはあったので、神道と類似していると言えます。①~③は、歴史上実在したことが分かっている人物が神になったのではなく、最初から神であった神話的な存在がまつられているのに対して、④~⑥は歴史上実在した人物が死んだ後に神になったという点が異なるのです。④の亡くなった天皇を神として祀るというのは、近代になってよく見られるようになった現象です。⑤は故人が生前になした行いを顕彰するために祀るということで、上記以外の例としては、柿本人麿、菅原道真、安倍晴明、坂田金時、楠木正成、源義経、後醍醐天皇、新田義貞、織田信長、豊臣秀吉、武田信玄、上杉謙信、吉田松陰、二宮尊徳、西郷隆盛、乃木希典などを挙げることができます。⑥は恨みを持って死んだ人物の祟りを鎮めるために祀るということで、その代表例はなんといっても菅原道真を祀った天満宮ですが、実は御霊(ごりょう)として祀られた菅原道真に対する信仰は、天神信仰と習合して独特な発展を遂げていきます。

画像07-3

 菅原道真は、845年から903にかけて生きた平安時代の貴族であり、学者であり、政治家です。菅原家は学問の家として知られ、道真の曽祖父の代から努力を重ね、政治の世界でも出世していきました。道真も幼いころから頭角を現し、やがて宇多(うだ)天皇の信任を受けて出世をとげていきます。彼は右大臣にまでのぼりつめるのですが、901年に突如として太宰府(だざいふ)の副官に左遷されてしまうのです。大宰府は九州に設置された地方行政機関ですから、明らかに出世コースから外されたと言えます。

 実は、左遷の理由はよく分かっていません。醍醐天皇を廃位させる陰謀に関わったとか、宇田上皇と醍醐天皇の対立の巻き添えを食ったとか、道真の華々しい出世に対する嫉妬があったのではないかとか、諸説ありますが真相は分からないままです。とにかく彼は、左遷されてわずか3年後に亡くなってしまいます。

 すると菅原道真の死後、京で異変が相次ぐようになったのです。909年には、道真の政敵であった藤原時平が39歳で病死しました。913年には、道真失脚の首謀者の一人が溺死しました。923年には、醍醐天皇の皇太子・保明親王が21歳で死去しました。

 この時点で、醍醐天皇は道真を元の右大臣に戻し、名誉を回復しました。これは上記の悪い出来事が、道真の怨霊の祟りであることを公に認めた形になりました。ところが、それでも災いは止まなかったのです。925年には、保明親王の息子で皇太孫となった慶頼王が5歳で病死してしまいます。930年には、朝議中の清涼殿が落雷を受け朝廷要人が多く死亡します。そして醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御してしまったのです。これにより、道真が雷神を操っていると噂され、道真の霊と雷神が習合していくことになります。

 987年には北野天満宮で勅祭(天皇の使者が派遣されて執行される神社の祭祀)が営まれ、「北野天満天神」の称が贈られ、道真に太政大臣の位が追贈されました。道真は、死後において官位の最高位にのぼりつめたことになります。こうして道真の霊は、神社に祀られただけでなく、天神や雷神と習合することによって、人々の信仰を集めるようになったのです。

 その後、道真の霊は祟り神からむしろ善神へと変貌を遂げていくことになります。彼自身が無実の罪で左遷されたという理解から、冤罪に陥った人を救う「雪冤(せつえん)の神」になったのです。そして中世になると、天神は至誠の神、正義の神となり、国家鎮護の神として信仰されるようになりました。さらに、生前の道真が学問の人であったことから、「学神」になり、書道の神として、江戸時代に寺子屋で祀られるようになりました。それが近代に入ると、「受験の神」として信仰されるようになったのです。

カテゴリー: 神道と再臨摂理シリーズ

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』170


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第170回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。先回から中西氏がA教会発見した任地生活の女性に向けた「15ヶ条の戒め」と呼ばれる心構えの分析に入った。中西氏はこれを、日本人女性信者の合理的な判断力を抑圧し、信仰的な発想しかできないよう仕向けているかのようにとらえているが、そこで述べられている内容は宗教が伝統的に教えてきた内容であり、同時に人間が幸福に生きていくための心構えと言えるものも含まれている。先回は①自分を捨てること、②驕慢にならないこと、の二つを紹介し分析したので、今回はその続きとなる。

3.神様をまず考えること
 およそ宗教においては、神よりも人間を優先せよという教えはなく、何よりも神を優先することが強調される。これは一神教の伝統においては特に顕著である。

 旧約聖書の箴言9章10節には、「主を畏れることは知恵の初め 聖なる方を知ることは分別の初め」という言葉がある。「主を畏れる」とは、第一にわれわれの創造主である神を畏れ敬うという意味であり、これがいかなるこの世の知識にも先立つ「知恵の初め」であると位置づけられている。すなわち、創造主の存在を前提としない知識は空しいものであり、神を第一に考えることによって他の知識も神によって祝福されると教えているのである。「主を畏れる」ことの第二の意味は、私たちをお造りになった神の意思を知り、それを大切にするということである。われわれの創造主である神を知り、われわれが造られた目的をその方に聞くという、受けの姿勢であり、祈りの姿勢である。創造主の御心を知ることがすべての知識に先立つということである。われわれは創造主を知らなければ自分勝手な人生の目的は持つことができても、本当の目的を知ることができなくなる。知恵の初めの「初め」という言葉には、頭(かしら)という意味がある。つまり大切な土台であり、すべての出発点という意味である。このようにユダヤ・キリスト教の伝統においては、あらゆる人間的な知恵に先立って「神をまず考えること」を教えてきたのである。

 新約聖書の中で、イエス・キリストは「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」と律法学者から尋ねられて、以下のように答えている。
「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」(マタイによる福音書22:37-40)

 キリスト教信仰の神髄は、神に対する愛と人に対する愛である。その中でも第一にあげられるのが神に対する愛であり、それに基づいて人に対する愛が実践されるという構造になっている。もし神に対する愛である信仰がなければ、人に対する愛も完全なものにならないので、常に心を神に向け、神を中心とする生活をするよう教えているのである。

 神を第一に考えるということは、エゴイズムの否定にもつながる。エゴイズムとは自己中心であり、それを否定して神を中心に物事を考えるようになることによって、神の御心に適う自分に変わっていくことができると統一教会では教えてきた。

 「自己中心」対「神中心」という言い方は、統一教会だけでなく一般のプロテスタント教会でもするようである。例えば、片柳福音自由教会の滝田新二牧師は2019年4月7日に行った「新たな旅立 ~自己中心から神中心へ~」と題する説教の内容を同教会のウェブサイトに掲載している。その中で彼は「自己中心から神中心に立つ」ことの重要性を説いているが、こうした言葉の使い方は統一教会とほぼ同じである。
(http://www.katayanagi-efc.sakura.ne.jp/?p=261)

 その中で彼が紹介している三浦綾子のエッセーはなかなか感動的な内容なので、ここで紹介したい。
「他者中心の人生は卑屈なものになってしまう。人の顔色をうかがい、ただ波風が立たなければよいと思って、ひたすら自分を押し殺して生きていると、後の日に『いったい自分の人生ってなんだったんだろう。』ということになってしまうだろう。さりとて、逆に、自己中心の利己的人生は醜悪なものとなってしまう。『私の人生は、私のものだ。どんな生き方をしようと私の自由だ。誰にも文句は言わせない。』というような生き方は、まったく醜いものである。しかし、人はただ神を中心に生きる時、美しい人生を送ることができる。」

 その他にも、仙台福音自由教会の吉田耕三牧師が2003年6月1日の礼拝説教で「自己中心から神中心へ」というタイトルで語っているし(https://sendaiefc.com/sermons/20030601/)、北海道のクリスチャンKenは、「『奪う』自己中心と『与える』神中心」と題する投稿をアップしている。(https://ameblo.jp/ken-godbless/entry-12044197523.html)イエス・キリスト宮崎福音教会の2017年2月5日の説教のタイトルは「自分中心ではなく、神中心の生き方」である。(http://www.jcmgc.com/archives/2497)要するに、「自己中心」対「神中心」という言い方は統一教会固有のものではなく、キリスト教における一般的な表現なのである。こうした考え方はキリスト教だけでなく、天照皇大神宮教のような日本の新宗教にも見ることができる。「神様をまず考えること」はこうした普遍的思想を表現したものである。

4.真の父母様の家庭に孝行すること
 統一教会では文鮮明師夫妻を「真の父母様」と呼んで敬愛している。それは単なる宗教の教祖という位置ではなく、祝福式を通して血統的な因縁を結んだ「親」であると信じられているということである。そしてその親の願いにこたえることが子女としての道理であり、「孝行」であると考えられている。この辺は、クリスチャンとイエス・キリストとの関係とは若干異なり、韓国の儒教的な考え方が強く反映されている。とはいえ、両親を大切にし、親孝行することはどの宗教においても美徳であるとされている。いくつかの代表的な聖句を紹介しよう。
「父、母を養い、妻子を慈しみ、平和に治めること、これは偉大な祝福である。」(仏教 スッタ・ニパータ 262)
「なんじの主は命じたもう、…両親に孝行であれと」(イスラム コーラン 17.23)
「あなたの父と母を敬え。」(ユダヤ・キリスト教 出エジプト記 20.12)
「神々および父祖に対してなすべきつとめを怠ることなかれ。母を神として敬え。父を神として敬え。師を神として敬え。」(ヒンドゥー教 ターイッティリーヤ・ウパニシャド 1. 11. 2)
「仏の国に生まれたいものは、…両親に対して孝をもって仕え、彼らを養うべきである。」(仏教 観無量寿経 27)

 これらの宗教の経典で言うところの父、母、両親は、もちろん自分を生んでくれた実の父母を指しており、その父母に対して具体的に親孝行をすることを説いている。これは一緒に生活している父母を大切にせよと言っているのであるから、ある意味で分かりやすい。しかし、統一教会の信徒たちは文鮮明師夫妻を「父母」として敬愛しているものの、大部分の祝福家庭は「真の父母様の家庭」と一緒に生活しているわけではない。にもかかわらず「孝行」するとはどのような意味で言っているのであろうか? 「15ヶ条の戒め」には明記されていないが、私の経験上それは重層的な意味をもっていると言える。

 第一の意味は、霊的な意味で真の父母様の家庭に孝行するということである。統一教会の信仰生活は「侍る生活」であると言われる。たとえ文師夫妻が一緒に生活していなかったとしても、家庭の中に彼らが霊的に臨在していることを感じながら、侍る生活をするということである。いつ実体の真の父母様が訪ねてきてもいいような生活を日頃からするというのが祝福家庭の理想である。第二の意味は、祝福家庭として幸福に生活し、それを真の父母様に感謝するということである。親の願いは子女の幸福である。したがって、夫婦と親子が円満に暮らすことが父母に対する孝行となるのである。第三の意味は、真の父母様の願いである地上天国実現のための活動をすることである。その具体的な内容は伝道と献金であり、教会が行うさまざまなプロジェクトへの協力である。いかに自分の家庭が幸福であっても、地上天国実現のために何もしていなくては、親孝行とは言えないのである。「真の父母様の家庭に孝行すること」という言葉の中に、こうした幾重もの意味が込められていると言えるだろう。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

神道と再臨摂理シリーズ06


 「神道と再臨摂理」シリーズの第6回目です。今回は記紀に記された神話に基づき、古代日本人が天地の始まりと神々についてどのように考え、自分たちの住む世界をどのようにとらえていたのかを解説します。

<天地の創造と神々>

神道と再臨摂理PPT06-01

 古代の日本人は、自分たちの暮らす島々を「葦原中国(あしはらのなかつくに)」と呼んでいました。「豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)」と呼ぶこともあります。そしてその上には「高天原(たかまのはら)」という天空の神々の世界があると考えていました。そして地下には「黄泉国(よみのくに)」と呼ばれる死者の世界があると考えていました。このように、世界を三層構造であるととらえていたのです。

神道と再臨摂理PPT06-02

 記紀の神話には天地開闢の様子が描かれており、それには五柱の別天津神(ことあまつかみ)が関わったとされています。以下の神々がそれに当たりますが、そのうち最初の三柱を「造化三神」と言います。
①天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ):至高の神
②高御産巣日神(たかみむすびのかみ):創造、征服、統治の神
③神産巣日神(かみむすびのかみ)生産・生成の「創造」の神
④宇摩志阿斯訶備比古遅神(うまし あしか びひ こぢ のかみ)活力の神
⑤天之常立神(あめのとこたちのかみ)天の神

 その後「神世七代」の時代が訪れ、神々が生まれては消えるということを繰り返すのですが、最初の二代は男女の性別のない神であり、続いて男女二神が対になった五代の「双つ神」が続きます。そして最後に誕生したのが、伊邪那岐神と伊邪那美神です。このように、記紀の神話における神々は、時代を経るごとに抽象的な神から具体的な姿を持った神へと変化していることが分かります。このように、一神教と多神教という違いこそあれ、記紀の神話の中には旧約聖書の創世記に匹敵するようなコスモロジーがあるのです。

<神話に登場する神々>

 続いて、記紀の神話の登場する個々の神々を紹介します。天地開闢に関わった五柱の「別天津神」や「神世七代」の神々は抽象的な神々であり、あまり人間的な姿をしていませんでした。その最後に誕生した伊邪那岐神と伊邪那美神からは、非常に人間らしい姿で生き生きとしたストーリーが描かれるようになります。

神道と再臨摂理PPT06-03

①伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)
 多くの国土と神々を生んだ夫婦神で、最後は別れ別れになってしまうのですが、伊邪那岐は天空の父神となり、伊邪那美は大地の母神として人間の死を司ります。

②天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 伊邪那岐の子供で、伊邪那岐から高天原の統治を任された太陽神です。天照大御神は、神道の最高神とされており、神々の総支配神の立場にあります。皇室の先祖の神であるとされています。伊勢神宮の内宮に祀られている祭神です。

神道と再臨摂理PPT06-04

③月読命(つくよみのみこと)
 伊邪那岐が生んだ三貴子の一人で、夜の国を統治することになった、月のような男性神です。平塚らいてうは「元始、女性は実に太陽であった」と言いましたが、女性である天照大御神が太陽神で、男性である月読命が月の神であるのが面白いところです。

④須佐之男命(すさのおのみこと)
 須佐之男命は荒々しい乱暴な神で、「荒ぶる神」という言葉がふさわしい存在です。姉の住む高天原で乱暴・狼藉の限りを尽くし、それが原因で天照大御神は天岩戸に引きこもってしまいます。出雲では八岐大蛇(やまたのおろち)を退治する活躍をします。

神道と再臨摂理PPT06-05

⑤大国主神(おおくにぬしのみこと)
 須佐之男命の六代目の孫にあたる神様で、「因幡の素兎」を助けた話で有名です。葦原中国を統治して国づくりに着手しますが、天照大御神が使者を派遣して大国主神に「国譲り」を要求します。大国主神の息子と建御雷神が力比べをし、その結果として出雲に宮殿を建てることを条件に国を譲りました。その宮殿がいまの出雲大社であるとされます。この物語は、九州の邪馬台国が武力によって出雲を併合した出来事を神話化したと解釈できます。

神道と再臨摂理PPT06-06

⑥邇邇芸命(ににぎのみこと)
 天照大御神の孫にあたります。母は高天原の主導者であった高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の娘であり、彼は芦原中国を継ぐべくして登場したエリートの神様でした。南九州の高千穂峰(宮崎県と鹿児島県の境)に降臨し、そこを拠点として統治の足掛かりとしました。神武天皇の曽祖父に当たります。

カテゴリー: 神道と再臨摂理シリーズ

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』169


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第169回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。先回から「2 任地生活の役割」に関する中西氏の解説の分析に入ったが、任地生活の目的自体は正確に理解されていることが分かった。それは韓国人女性にとっても辛いものであるとされている「シジプサリ(嫁暮らし)」を日本人女性が始めるにあたり、日本と韓国の文化の違いを理解するための移行期間または準備期間として「任地生活」が位置づけられているということであった。「シジプサリ」の苦労がどのようなものであり、どのようなことに気をつけて乗り越えていけばよいのかを、先輩たちの経験に基づいてあらかじめ教育されてからそこに入っていくのと、まったく予備知識なしに入っていくのでは、困難の度合いは大きく異なるので、まさに親心によってこうした期間が設定されていると言える。

 こうした記述の中で中西氏は、A教会で任地生活の女性が寝泊まりする部屋の扉に手書きの日本語で貼られていた「15ヶ条の戒め」と呼ばれるものを紹介している。これから家庭生活を出発する後輩に向けての心構えらしく、誰が考案したものかは不明だが、以下のような内容になっている。
1.自分を捨てること
2.驕慢になんらないこと
3.神様をまず考えること
4.真の父母様の家庭に孝行すること
5.原理講論を読むこと
6.不平不満を言わないこと
7.疑わないこと
8.祝福家庭は先輩家庭に仕え、後輩の家庭を愛すること
9.公金を恐れること
10.聖日礼拝を欠かさないこと
11.家庭礼拝を一週間に一度位は行うこと
12.自分を振り返る時間を持つこと
13.自分の家庭が誰に対しても模範となること
14.報告生活を熱心にすること
15.霊的な問題を解決すること(p.468)

 私としては、なかなかよくできた15ヶ条だと思うのだが、中西氏はこれに対して以下のような批判的なコメントをしている。
「また『15ヶ条の戒め』の『自分を捨てること』『不平不満を言わないこと』『疑わないこと』は特に信仰を維持する上で重要になる。『自分を捨てること』によって自己を教団に委ね、『不平不満を言わないこと』や『疑わないこと』によって豊かでない生活や夫に対して文句を言わず、統一教会の信仰自体に疑問を持たないことになる。その他の項目も信仰維持に役立つものばかりである。任地生活の内容は入信から献身までのように体系化されたものではないが、信仰を維持、強化するための教化プログラムになっている。」(p.469)

 教会の部屋の扉に貼ってある言葉が信仰維持に役立つような内容であることはある意味で当たり前なのだが、中西氏はこうした言葉が日本人女性信者の合理的な判断力を抑圧し、信仰的な発想しかできないよう仕向けているかのようにとらえている。日本での教化プログラムに比べれば体系化されていないものの、この中にも「マインド・コントロール」的なものを感じ取ったということなのだろうか? しかし、ここで述べられている内容は宗教が伝統的に教えてきた内容であり、同時に人間が幸福に生きていくための心構えと言えるものも含まれている。そこでこの「15ヶ条の戒め」が伝統的な宗教の教えと一致するものであり、かつ有益なものであることをこれから紹介しようと思う。

1.自分を捨てること
 これは「自己否定」という宗教的な価値観を表している。「自己実現」や「自己肯定感」などが流行りとなっている現代社会において「自己否定」はともすれば時代錯誤の思想であると批判されるかもしれない。しかし宗教における自己否定は、本来の善なる自己を否定することを教えているのではなく、我欲、肉欲、物欲、プライド、こだわりなどに縛られた、利己的な自我を否定することを教えているのである。その意味で宗教的な自己否定は自己卑下とも自暴自棄とも異なり、本来の自己の回復を目指すプロセスなのである。現在の自己を否定することによってより高い自己に到達できるということだ。

 古来よりインドの宗教は自我を捨てることを教えてきた。以下の経典の聖句はそのほんの一部である。
「すべての欲望を捨て、願望なく、『私のもの』という思いなく、我執なく行動すれば、その人は寂静に達する。アルジュナよ、これがブラフマン(梵)の境地である。それに達すれば迷うことはない。臨終の時においても、この境地があれば、ブラフマンにおける涅槃に達する。」(ヒンドゥー教 バガヴァッド・ギータ― 2.71-72)
「名称とかたちについて、『わがもの』という思いが全く存在しないで、何ものもないからとて憂えることの無い人、-かれこそ<修行僧>とよばれる。」(仏教 法句経 367)

 キリスト教における「自己否定」は、「自己犠牲」という形で表現され、自分の命に執着するものはかえってそれを失い、それをあえて捨てようとするものは最終的に与えられるという表現で、自己犠牲を説いている。
「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」(ヨハネによる福音書 12:24-25)
「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。」(ルカによる福音書 17:33)

2.驕慢にならないこと
 カトリック教会の「七つの大罪」には、物欲(貪欲)、ねたみ(嫉妬)、怒り、色欲(肉欲)、貪食、怠惰と共に、「高慢」が含まれている。旧約聖書の『箴言』には、驕りと高ぶりに対する警告が多く記されている。
「主を恐れるとは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪しき道と、偽りの言葉とを憎む。」(8:13)
「すべて心に高ぶる者は主に憎まれる、確かに、彼は罰を免れない。」(16:5)
「高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。へりくだって貧しい人々と共におるのは、高ぶる者と共にいて、獲物を分けるにまさる。」(16:18-19)
「高ぶる目とおごる心とは、悪しき人のともしびであって、罪である」(21:4)

 新約聖書には謙遜の重要性を説いた聖句が多く存在するが、そのうちの一つだけを紹介する。
「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。」(ピリピ人への手紙 2:3)

 仏教においては、人間が不浄で愚かな存在であることを説き、そのことを悟れないでいる状態こそが傲慢であると教えている。
「人間のこの身体は不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、かれは盲者でなくて何だろう。」(仏教 スッタニパータ 205-06)
「もし愚者がみずから愚かであると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、『愚者』だと言われる。」(仏教 法句経 63)

 ソクラテスの「無知の知」のような内容が仏教の経典でも説かれているわけだ。多くの宗教は「柔和と謙遜」を美徳とし、傲慢にならないよう教えている。15ヶ条の2番目は、こうした普遍的な教えと同じことを説いているのである。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

神道と再臨摂理シリーズ05


 「神道と再臨摂理」シリーズの第5回目です。先回から「記紀」に記された神道の神話を紹介しはじめました。先回は、①日本列島の誕生(伊邪那岐と伊邪那美)と②黄泉の国の訪問(伊邪那美の死と夫婦の別れ)を扱ったので、今回はその続きとして③三貴子の誕生と、⑤天の岩屋戸ごもりを紹介します。

三貴子

③三貴子の誕生
 黄泉国から戻った伊邪那岐命は、黄泉国の汚れを落とすために、川で体を洗い、海で禊をしました。すると、左の目を洗ったときに、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が生まれ、右の目からは月読命(つくよみのみこと)、そして鼻を洗ったときに須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれました。

 伊邪那岐命は天照大御神に「国を栄えさせ、人々を幸せにするように。」と伝え、着けていた首飾りを渡し、安心してすべてを任せることにしました。そして伊邪那岐命は最初に作った立派な島、淡路島の多賀の地でお休みになることにしたのです。

誓約

④誓約(うけひ)
 伊邪那岐(いざなぎ)が須佐之男(すさのお)に海原の支配を命じたところ、須佐之男命は伊邪那美(いざなみ)がいる根の国(黄泉の国)へ行きたいと泣き叫び、天地に甚大な被害を与えました。伊邪那岐は怒って「それならばこの国に住んではいけない」と彼を追放します。須佐之男は、姉の天照に会ってから根の国へ行こうと思い、天照が治める高天原へ昇っていきます。すると山川が響動し国土が皆震動したので、天照は須佐之男が高天原を奪いに来たと思い、武具を携えて彼を迎えます。

 須佐之男は天照の疑いを解くために、「誓約(うけい)」という占いをしようといいました。そこで二神は天の安河を挟んで誓約を行います。まず、天照が須佐之男の持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から三柱の女神(宗像三女神)が生まれました。次に、須佐之男が、天照の「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から五柱の男神が生まれました。これにより須佐之男は「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」と勝利を宣言したというのが古事記の記述です。女神を生んだことによって須佐之男の潔白が証明され、占いに勝ったという点が特徴的です。

天岩戸

⑤天岩戸ごもり
 「天岩戸(あまのいわと)」に関する本物の神話には、かなりグロテスクな描写もあるのですが、そこは省いて童話風にお伝えします。

 高天原にはたくさんの神様たちが暮らしていましたが、その一人が天照(あまてらす)という太陽の神様です。天照には須佐之男(すさのお)という弟がいました。この須佐之男はたいそう暴れん坊の神様で、いつもほかの神様たちを困らせていました。「また須佐之男がわしの家を壊したぞ。」「天照様、どうか須佐之男を追い出してください。」

 しかし天照はいつも須佐之男のことをかばってあげるのでした。「須佐之男にはきっと何か考えがあるのです。許してあげましょう。」天照が優しいので、須佐之男はますます調子に乗りました。そうしてある日のこと、天照たちが機織りをしている小屋までも、須佐之男がメチャクチャに壊してしまい、そのショックで機織りの娘が死んでしまいました。

 これには天照も我慢が出来なくなり、天岩戸という洞窟に入ると、入り口を大きな岩で塞いでしまいました。そして、岩戸の中に閉じこもったきり、外へ出て来なくなってしまったのです。「天照様、出てきてください。」他の神様がどれだけ呼んでも、天照は知らんぷりをして、返事をしてくれません。

 さて、太陽の神様である天照が隠れてしまったせいで、外はすっかり真っ暗になってしまいました。「こんなに暗くては何にもできはしない。」「ずっと暗いままでは、どんな悪い者がやってくるか分からない。」神様たちがすっかり困っていると、知恵の神様が言いました。「そうだ、わしにいい考えがある。」

 しばらくすると、岩戸の外から賑やかな音楽が聞こえてきました。神様たちの楽しそうな笑い声もします。「あら? 外は暗いはずなのに、いったいどうしたのかしら?」気になった天照は、ほんの少し戸を開けてみました。すると、たくさんの神様が集まって賑やかに歌ったり踊ったりしています。「まあ、あんなに楽しそうに何をしているのかしら?」

 すると、ある神様が答えました。「あなた様より偉い神様が現われたので、みんなそれを喜んでいるのです。」「まあ、私より偉い神様ですって?」びっくりした天照は、思わず岩戸から顔を出します。そのとき、外にいる神様が天照にさっと鏡を出しました。「まあ、この方がその偉い神様なのね。」鏡に映った自分を偉い神様だと思った天照は、その顔をもっとよく見ようと、もう少し扉を開けました。

 扉を開けた天照を、隠れていた力持ちの神様が引きずり出しました。天照が外に出ると、みんなは大喜び。「ああよかった。天照様、もう閉じこもったりしないでください。」こうして、外は元通り明るく輝きだしました。須佐之男は罰として高天原を追い出されてしまったということです。

カテゴリー: 神道と再臨摂理シリーズ

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』168


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第168回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。今回は中西氏の解説する「2 任地生活の役割」について扱うことにする。

 中西氏は、「任地生活は六五〇〇双(一九八八年)の祝福のときから始まった。本格的に韓日祝福が開始され、多くの日本人女性が韓国で暮らし始めるにあたって設定されたものと捉えられる。」(p.466)と記述している。これは既に紹介した『本郷人の行く道』の解説に基づいており、事実の通りである。

 続いて中西氏は、「韓国には『シジプサリ(嫁暮らし)』という言葉がある。夫や舅姑に無条件に仕えて暮らす嫁のあり方をいうが、シジプサリは婚家に入った女性にとって大変辛いものであると捉えられている。韓国の女性にとって辛いものなら韓日祝福の日本人女性にとってはなおさらであろう。恋愛感情もない男性の妻となって、言葉も生活習慣も違う韓国で結婚生活を始めるわけである。辛さは相当なものだと思われる。任地生活はシジプサリに備えての準備期間といえる。」(p.466-7)と述べている。

 私の知り合いの中にも、韓国に嫁いで舅姑と同居している日本人女性がおり、彼女たちが「シオモニ(姑のこと)に侍るのがすごく大変だ」という話を聞いたことはあるので、シジプサリが大変だというのは事実なのであろう。しかしここで問題となるのは、中西氏が韓国人の女性にとって辛いものなら日本人女性にとってはなおさら辛いものであるというように、これを不合理で理不尽なものであるかのように描いている点である。さらにたたみかけるように、「恋愛感情もない男性の妻となって、言葉も生活習慣も違う韓国で結婚生活を始める」というような言葉を添えて、悲壮感を増大させている。もしこれが自分の意思と関係なく降って湧いた災難であればその通りであろうが、韓日祝福を受けた日本人女性は、自分の意思で国際結婚を選択したのであり、そうしたことは覚悟の上で渡韓していることを忘れてはならない。国際結婚が言語や文化風習の違いにより、同国人同士の結婚よりも困難が多いことは初めからある程度予想できる。にもかかわらずそれを選択したということは、そこに宗教的な意義を感じたからであり、敢えてそのような苦労の道を歩もうと決意したということである。

 人間には、より楽な道やより安易な道を選択しようとする人がいる一方で、より厳しい道やより難しい道を選択し、その中で自分を成長させたり、大きなことを成し遂げようとする人もいる。武道の稽古やスポーツのトレーニングは、目標が大きいほど厳しくなるものである。それでもそこにあえて挑戦していく人々は、目先の安楽な生活よりも苦難を乗り越えた後に得られるであろうより大きな喜びの方に心を奪われているからこそ、日々の辛い訓練に耐えることができるのである。宗教的な修行に励む人々も、肉体的な苦痛の向こうにある霊的な喜びに心を奪われていると言える。武道、スポーツ、宗教に限らず、ストイックに何かを追求しようとする人々の態度は、同じような傾向を示していると言えるだろう。韓日祝福を受けた日本人女性はこうした精神性の持ち主であり、その動機は基本的に宗教的な修行に励む人々に近いと言えるだろう。

 とはいえ、シジプサリの苦労がどのようなものであり、どのようなことに気をつけて乗り越えていけばよいのかを、先輩たちの経験に基づいてあらかじめ教育されてからそこに入っていくのと、まったく予備知識なしに入っていくのでは、困難の度合いは大きく異なるであろう。「渡韓修練会」や「任地生活」は、まさにそうした親心からくる事前教育と準備期間なのである。前述の『本郷人の行く道』の中から、シジプサリの心構えについて述べた部分を抜粋してみよう。
「さまざまな誤解を避けるための私たちの姿勢としては、最初はシオモニに対して、『韓国と日本の文化は違う。私は韓国のやり方は何も知らないので、一つ一つ教えてください』とお願いしなければならず、一つ一つ謙遜に尋ねなければなりません。」
「伝統的には、家庭に入った新婦は、最初の三カ月ぐらいは新米見習いのように、毎日韓服を着て朝早くから家事をするという光景が見られます。」
「韓国では家の中で、女性は女性同士、シオモニを中心とする序列に従って協力体制をこなさなければなりません。」
「それはやはり儒教的序列から、一度は完全に従わなければならない世界があります。」
「嫁の立場では、たとえその指導に無理があっても、素直にその通りにやりさえすれば、すぐに『うちの嫁はチャッカダ(善人だ)』として非常に褒められるのが韓国です。」
「日本人女性の中にはシオモニが日本では考えられないくらい干渉が強い、として悲鳴を上げる人がいます。ノックもしないで部屋に入ってくるし、勝手にタンスの中を見るし、『プライバシーがない!』と、最初は嫌がる人もいますが、韓国では家族はそのようなものです。」
「そのようなシオモニの干渉は『シジプサリ』の伝統的つきものだとして柔軟に構えなければなりません。」
「そのように韓国の『シジプサリ』というのは、決して生易しいものではありません。韓国では嫁といったら『亜三年、聾三年、盲三年』と教えられ、特に長男の嫁は『見ざる言わざる聞かざる』の”僕”の生活でシオモニに仕えて、家の全てを任される『位置』を確立しなければならないといわれるのです。」(以上、『本郷人の行く道』p.230-232から抜粋)
「韓日家庭になったこと、韓国で暮らすことは、まず何よりもその韓国人の”多情さ”パワーに対抗しなければならないことを意味しています。特に女性は今後『韓国の母』となり、韓国の息子、娘を生んでいく『オンマー』とならなければなりません。韓国に嫁として嫁いだ限り、多くの韓国人の深い情の世界を知らねばならず、そのような韓国での人間関係に入っていこうとすることは、少なくとも自分の性格を変えるほどの覚悟が必要となるでしょう。」(『本郷人の行く道』p.324)

 これだけを読めば、自由を満喫して生きてきた現代女性には耐えがたいものであるという印象を受けるであろう。しかしここで忘れてならないのは、韓日祝福を受けた日本人女性は一般的な現代女性ではなく、信仰の訓練を受けてきた統一教会の信者であるということだ。一般人には辛く耐えがたいと感じられることも、信仰があれば乗り越えられるという構造になっているのである。言ってみれば、韓国での「シジプサリ」はこれまで日本で受けてきた信仰の訓練の応用実践なのである。両者には相通じるものがあるがゆえに、乗り越え方のコツさえ教えてあげれば、日本で受けた信仰の訓練が生かされるということだ。

 中西氏は、調査地であるA郡での任地生活を観察して、以下のような分析をしている。
「任地生活は夫の地元の教会に住み込んで行う。」「任地生活のプログラムは特に決められていない。牧師夫妻の食事を準備したり、来客があればお茶を出したり、掃除をしたりして自ら進んで教会の用事をこなす。任地生活は住み込みのお手伝いさんのようなものと捉えるとわかりやすいのではないかと思う。」(p.467)
「教会には先輩の日本人女性もしばしば顔を見せ、いろいろ教えたり、相談にのったりする。任地生活中の女性は一人でゆっくりする時間もなさそうだが、日本でホーム生活を経験しているためかあまり苦にならない様子だった。ホーム生活を経験していないものであっても訓練として受け止める。」(p.467)
「任地生活は見たところ、日本でのホーム生活のようなものである。ホーム生活は信者の共同生活であり、ここから統一教会信者としての歩みが本格的に始まるが、任地生活も教会に住み込むという点で共同生活であり、ここから在韓信者としての歩みが始まる。」「ホーム生活も任地生活も世俗生活から統一教会の生活へ、日本の生活から韓国への生活への移行を助けるものとしてある。」(p.468)

 中西氏の任地生活に対する分析は、事実をありのままにとらえている。その意義は日本から嫁いできた女性たちが、言語と文化の壁を乗り越えて韓国社会にソフトランディングするための「移行期間」ということになるであろう。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

神道と再臨摂理シリーズ04


 「神道と再臨摂理」シリーズの第4回目です。今回から「記紀」に記された神道の神話について解説します。神話が扱っている主な出来事は以下の通りです。
①日本列島の誕生(伊邪那岐と伊邪那美)
②黄泉の国の訪問(伊邪那美の死と夫婦の別れ)
③三貴子の誕生(天照大御神、月読命、須佐之男命)
④誓約(うけひ)と罪の起源(天照と須佐之男)
⑤天岩戸ごもり
⑥八俣大蛇退治(須佐之男命)
⑦天孫降臨(邇邇芸命)
⑧海の国訪問(神武天皇の誕生)
⑨神武東征

 このすべてを紹介することはできないので、①②③④⑤を紹介することにします。読みやすくするために、神話の正確な表記やその意味の解釈などにはこだわらず、「どんな物語なのか」を分かりやすい言葉で表現してみたいと思います。

伊邪那岐と伊邪那美

①日本列島の誕生(伊邪那岐と伊邪那美)
 はるか昔のことです。高い高い空の上から、神様たちは下界を見下ろしていました。下界は生まれたばかりで、海の上を何かがどろどろ、ふわふわしていて、まったく固まっていませんでした。「このままではいけない・・・。」神様たちは下界をどうにかしようと、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)に天沼矛(あめのぬぼこ)という矛を授けて、下界をしっかり固め、国造りをするよう遣わしました。

 伊邪那岐命と伊邪那美命は、雲の上の天上から海へとつながっている天浮橋(あめのうきはし)の上から、矛の先でどろどろになっている下界をかき混ぜました。矛の先でかき混ぜるたびに、コオロ、コオロ、コオロと大きな音が響いてきました。そして矛をそっと引き上げると、ポタッ、ポタッと矛の先から落ちたしずくが固まって、一つの島が出来上がりました。この島はオノコロ島と呼ばれています。そして伊邪那岐命と伊邪那美命は、初めてできたその島へと降りて行ったのです。

 伊邪那岐命と伊邪那美命は、オノコロ島に降りて、大きな神聖な柱を立て、その柱を中心に大きな御殿を建てて結婚をしました。最初にお産みになった蛭子は、不完全な体であったため、仕方なく舟に乗せて流してしまいました。どうして失敗したのか、伊邪那岐命と伊邪那美命は神様に相談し、そして初めて完全な形で生まれたのが、立派な淡路島でした。淡路島に続いて、四国や九州、本州と、つぎつぎと島が生まれました。

 島ができると、伊邪那岐命と伊邪那美命は人々の暮らしに役立つ神様たちを産み出しました。石や土、家、海、川、風、山の神様などを産みましたが、火の神様「迦具土(かぐつち)」が生まれるときに、伊邪那美命はその火によって大やけどを負ってしまいます。大やけどを負った伊邪那美命は、その後も、尿、糞、吐しゃ物から、鉱山、水、食べ物の神様などを産みました。

②黄泉の国の訪問(伊邪那美の死と夫婦の別れ)
 火の神様「迦具土(かぐつち)」の出産によって大火傷をしながらも、たくさんの神様を産み続けた伊邪那美命の体は、どんどん弱っていきます。伊邪那岐命は一生懸命に伊邪那美命を看病しましたが、遂に伊邪那美命は亡くなってしまったのです。「愛するお前の命を、一人の子の命と引き換えにしてしまった。」嘆き悲しんだ伊邪那岐命は、伊邪那美命の体に寄り添い、涙を流して泣きました。伊邪那岐命は悲しみのあまり、伊邪那美命を焼死させてしまった迦具土を切り殺してしまいました。

 愛する妻である伊邪那美命を失ってしまった伊邪那岐命は、悲しみに暮れます。しかし、我慢できなくなった伊邪那岐命は、地の底にある死者の国である黄泉国(よみのくに)へと伊邪那美命を迎えに行こうと考えました。地の深い深い底にある黄泉国へとたどり着いた伊邪那岐命は、扉の奥にいる伊邪那美命に向かって、一緒に地上に帰ってきてくれるように優しく呼びかけました。「愛する妻よ、私とお前の国造りはまだ終わっていない。どうか、一緒に地上に帰っておくれ。」

 しかし、中から聞こえてきたのは伊邪那岐命の悲しそうな声でした。「どうしてもっと早く来てくれなかったのですか。私は既に黄泉国の食べ物を食べてしまい、地上へは戻れないのです。でも、愛するあなたのために、地上に帰っても良いかどうか、黄泉国の神様に尋ねてみます。それまで待っていてください。」

 伊邪那美命の言葉を聞いて、伊邪那岐命はじっと待ち続けました。しかし、いくら待っても伊邪那美命からの返事はありません。待ちくたびれてしまった伊邪那岐命は、櫛を折って火をともし、黄泉国へと伊邪那美命を探しに行くのです。扉の奥は真っ暗な闇が続いていました。そこで伊邪那岐命の目に飛び込んできたのは、恐ろしい鬼たちが取り付いた伊邪那美命でした。

 「待っていてと言ったのに。あなたは私に恥をかかせましたね。」醜く変貌してしまった自分の姿をみられた伊邪那美命は、神の毛を逆立てて激しく怒りました。「伊邪那岐様を捕まえなさい!」すると、鬼たちは一斉に伊邪那岐命を捕えようと追いかけてきました。伊邪那岐命は地上に向かって必死になって逃げて行きました。凄まじい勢いで迫ってくる鬼たちに、伊邪那岐命は櫛や髪飾りを投げつけしました。すると、櫛や髪飾りは筍や野葡萄に変化し、鬼たちはその実を食べ始めたのです。そして、黄泉の国の入口までたどり着いた伊邪那岐命は、そこにあった桃の木から桃を三つ取り、投げつけてやると、鬼たちはみな逃げて行きました。そのすきに伊邪那岐命はなんとか逃げ切ることができたのです。

 恐れた伊邪那岐命は、大きな岩で地上と黄泉国の出入り口を塞いでしまいます。岩の向こう側から、伊邪那美命の声が聞こえてきました。「これからは、あなたの国の人間を毎日千人ずつ殺します。」すると伊邪那岐命は、「それならば、地上では毎日千五百人ずつ子供が生まれるようにする。」と答えました。

 伊邪那岐命は、「最後は喧嘩別れになってしまったけれど、振り返ってみると、国を造り、様々な神様を産むことができたのも、あなたがいたからです。」と静かに言いました。すると伊邪那美命は、「私もあなたと一緒に国を造り、神様を産むことができて、本当に幸せでした。」と答えたのです。そして「ありがとう」と言葉を交わし、伊邪那岐命と伊邪那美命はお別れをしました。

カテゴリー: 神道と再臨摂理シリーズ

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』167


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第167回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。今回は中西氏の解説する「祝福家庭の形成」のプロセスの中で、④聖別期間、⑤任地生活、⑥家庭出発について扱うことにする。

 聖別期間について中西氏は、「アダムとエバがエデンの園で堕落した立場を蕩減復帰するためにあるという。先述のように基本は四〇日だが延長した形で三年の期間が設けられている。・・・聖別期間には、夫婦は手紙、電話、ファクスなどでやりとりする。最近ではメールもある。」(p.464)とごく簡単に説明している。中西氏の記述の特徴は、聖別期間の長さや夫婦のやり取りが何語でなされるかというような外的な事柄に終始していて、聖別期間の宗教的な意義についてはほとんど掘り下げた説明がないことだ。このあたりがアメリカの宗教社会学者ジェームズ・グレイス博士との大きな違いであるが、彼女の記述が極めて表層的であることは既に第164回で指摘したので、ここでは繰り返さない。

 任地生活について中西氏は、「渡韓すると夫の暮らす地元の教会に住み込んで任地生活を送る。任地生活は韓国での生活を始めるにあたっての準備、学習期間であり、韓国語や韓国料理の習得、風俗習慣を学ぶ。「隊員(テウォン)生活」ともいう。先に祝福後、聖別期間を経て渡韓し、家庭出発すると述べたが、渡韓してからもすぐには夫と同居はしない。任地生活の期間は原則として三年とされるが、この間に『所定の伝道実績を立てれば早期修了』することもあるし、祝福時の年齢によっても短縮されることがある」(p.465)と述べている。この記述は、このブログの過去の回で紹介したことのある国際家庭特別巡回師室編『本郷人の道』に基づいているのだが、原文と読み比べてみると、中西氏は趣旨を読み間違えていることが分かる。

 中西氏の記述は、訪韓した女性に対して任地生活の期間が原則として三年間義務付けられており、その間に所定の伝道実績を立てれば早期修了されることもあり、年齢によって短縮されることもあるかのように説明しているが、これは間違いである。そのもとになった部分を引用してみよう。
「韓国では、祝福後、家庭出発前に三年間の『任地期間』を通過し、『任地修了証』を協会伝道局から受け取ります。これは七七七家庭の祝福後の三年間総動員開拓伝道の伝統に従うもので、伝統的にその動員メンバーを『隊員』と呼びます。もちろん、その間に所定の伝道実績を立てれば早期修了がなされます。

 また年齢によっても『任地参加証』を受け取って早期家庭出発をしますが、本来、天の願いは三年であるということを知って、三年間は同じ意識で歩むべきでしょう。そして、渡韓時に家庭出発の基準にある人も、韓日家庭の日本人の場合、家庭局からは教会での『四カ月』などの教育期間が提示されてきました」(『本郷人の道』p.192)

 この記述から分かるのは、「隊員」として三年間の「任地期間」を通過することが求められているのは基本的に祝福を受けた韓国人女性であり、伝道実績や年齢などの理由によってその期間が短縮されるという話も、韓国人女性に対して行われている措置であるということだ。日本人女性が渡韓してから教会に住み込んで行う「任地生活」は、こうした韓国教会の伝統を引き継いでいるが、全く同じ条件が適用されるわけではない。

 そもそも、韓国人の祝福家庭夫人が通過する「任地生活」は、祝福を受けてから家庭を出発するまでの三年間の教会での公的生活を意味する。しかし、渡韓した日本人女性の場合には、韓国での「任地生活」に入る前に、既に日本で三年以上の公的生活を通過している場合もあるし、家庭出発の条件を満たす年齢になってから渡韓する女性も多いのである。こうした女性たちが渡韓した後にさらに三年間の「任地生活」をしなければならないのであれば、日本と韓国で二重の聖別期間と「任地生活」を通過しなければならないことになり、不合理である。「渡韓時に家庭出発の基準にある人」というのは、既に日本で十分な年数の公的生活を送っている人や、家庭出発をすべき年齢に達している人を意味するが、その場合にはさらに三年間の公的生活は必要なく、教育期間として四カ月の「任地生活」を通過すればよいことになっているのである。しかし中西氏の記述は、渡韓した日本人に原則として三年間の「任地生活」が要求されており、それが伝道実績や年齢次第で短縮されるかのようなな誤解を与えるものになってしまっている。

 中西氏が聞き取り調査をした相手の中には、韓国で三年間の「任地生活」をした女性もいたようだが、これはよほど若くして祝福を受け、日本でほとんど聖別期間を過ごさずにすぐに渡韓したようなケースにのみ当てはまると思われる。中西氏が460ページで示した「図9-10 祝福から家庭出発までの年数(聖別期間)」によれば、祝福を受けてから家庭出発するまでの期間は三年以内(0年~3年)の合計が63%であり、4年が13%、5年が5%で、それ以上はデータにはない。日本で3年の聖別期間を経て渡韓し、さらに韓国で3年の「任地生活」をすれば6年になってしまう。しかし、それほど長い聖別期間を過ごす女性はデータ上いないのである。

 渡韓時に家庭出発の基準を満たしている日本人女性に対して4カ月の「教育期間」が設定されているのは、実はより現実的な理由によるものである。このことについて、国際家庭特別巡回師室編『本郷人の道』は以下のように述べている。
「まず現実的な問題としても、韓国という外国で、主体者の家庭に一人で入ってすぐに生活するということはあまりにも難しいことです。過去にはこの教育期間を通過せずに家庭出発して、現実的にあまりにも大変でノイローゼになったり、事故に遭ってしまったり、ひどい場合には耐え切れずに日本に帰ってしまったというケースもありました。

 それは、それほど、異文化の中における突然の生活は難しいということであり、耳に続けて聞く言葉は韓国語ばかり、何を言っているか分からないと神経ばかりが疲れ、ストレスを吐き出したくてもその言葉ができない、そして食べ物は口に合わないものばかりで、特に女性の場合には“韓国の嫁”としての立場でざまざまな要求を受けるにもかかわらず料理や家事の勝手もことどとく違います。そして、何よりも夫や家族との信頼関係において、文化風習、考え方の違いから、些細なことで互いに誤解を繰り返してしまい、やがては韓国人皆が理解できなくなってしまうということにもなるのです。

 それらは教会での任地生活で、同じ立場の日本人と共に歩むと共に少しずつ接しながら、余裕を持って一つずつ解いていけば問題のないことであり、そのような現実問題としても、最低三、四カ月間の教育期間というものが必要となってくるのです。」(『本郷人の道』p.192-3)

 要するにこの「教育期間」は、家庭を出発する前に日本人女性が韓国での生活に慣れるためという「親心」によって提示されているのである。

 家庭出発に関して中西氏は、「夫と同居し、結婚生活を始める。夫と二人の核家族の場合もあれば、夫の親やきょうだいと同居の場合もある。家庭出発を始めた当初、姑と独身の義兄と同居だったという女性は、『最初は言葉がわからないし、泣いて暮らした。辞書を片手に単語で理解してもらった』と語っている。恋愛感情があっての結婚ではないために、夫を『受けつけきれない。一緒に住んでいて楽しくない』『何が楽しくてA郡にいるのかと何日も思った』という女性もいる。」(p.465)と書いている。こうした「初期の苦労話」は、たいがいはそれを乗り越えた後の思い出として語られるのだが、中西氏のようにその部分だけを抽出して羅列すると、彼女たちの結婚生活全般が悲惨なものであるかのような誤解を与えてしまうであろう。

 中西氏はここまでのまとめとして、「入信から献身が教団の管理のもとに行われたのと同じく、祝福から家庭出発も教団の管理のもとに進められる。統一教会の特異性の一つは、青年信者に対しては教化から献身後の活動、家族形成に至るまで全てを教団が管理する点にあるといえる。」(p.466)と述べている。しかし、個人の生き方や結婚のあり方を宗教が規定するというのはむかしから普遍的に存在している現象であり、なにも統一教会に特異な現象ではない。前述のグレイス博士は、「長年にわたって宗教と社会と性の関係について調査した結果、私は宗教が持つ非常に重要な社会機能のひとつが、結婚生活が人間の共同体のさまざまなニーズに役立つように、結婚生活における性的表現を形成する役割であるという確信を持つようになった。・・・私は以下のことを主張する。そしてこれらは本研究の基本的な前提となっている。(1)そのメンバーの性や結婚に関する生活をコントロールすることのできる社会やグループは、彼らの生活全般をも相当にコントロールすることができる。(2)歴史的にみて宗教的信仰の形成は、共同体がそのメンバーの性と結婚に関する活動を規制するための最も効果的な手段であることが証明されている。」(『統一運動における性と結婚』第1章より)

 中西が統一教会を特異であると感じるのは、伝統的に宗教が結婚や家庭生活に対して果たしてきた機能を知らず、もっぱら世俗化された現代の結婚のあり方をのみ規範として統一教会を見ているためではないだろうか?

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

神道と再臨摂理シリーズ03


 「神道と再臨摂理」シリーズ3回目です。今回は、神道の根本である「祭」と、神道の経典である「神典」について説明します。

<祭とは何か?>

 神道や神社の根本は「祭」であると言えます。「祭」の語源は「奉る(捧げる)」という言葉と関係が深いと言われます。神に食事や酒など(神饌)を捧げ、それを下ろしてきて共食共飲することにより、神と人、人と人を結ぶ行為が「祭」です。

 「まつり」という言葉の起源としては、「まつろう」=神の霊威に服従し、奉仕するという意味と、「待つ」=神の訪れを持ち、神託を乞うという意味など、諸説あります。祭は、日常的な人間の意識を無の状態にし、そこに神霊の力を取り込んで、心身ともに別の新しい人間に生まれ変わる行為であるといえます。こうした神祭を行うための場所が神社なのです。

 祭祀の分類に関してですが、以下の4つに分けることが可能です。

①宮中祭祀:天皇に関する祭で、即位に伴う大嘗祭から新嘗祭、神嘗祭など。以下に述べる神宮祭祀とも関係が深い祭祀です。

第125代天皇(上皇明仁)の大嘗祭(1990年11月22日)

第125代天皇(上皇明仁)の大嘗祭(1990年11月22日)

②神宮祭祀:皇室の祖神・天照大御神を祀る伊勢神宮に関する祭祀。

伊勢神宮の式年遷宮

伊勢神宮の式年遷宮

③神社祭祀:全国の神社で行われる。神社本庁が定めた規定によって大祭、中祭、小祭に区分される。

香取神宮の御田植祭

香取神宮の御田植祭

④家庭祭祀:各家庭で行われるさまざまな祭のこと。主として神棚や祖霊舎を中心に行われる。

一般家庭における神棚

一般家庭における神棚

<神道の経典について>

 神道には、仏教の諸経典やキリスト教の聖書、イスラム教のコーランのような聖典はありません。日本の神々の出来事や神事などを記録した書物が多く存在し、それらを「神典」と称します。神典の中でも「記紀二典」としてとりわけ重視されているのが『古事記』と『日本書紀』です。それ以外の神典には、『古語拾遺(こごしゅうい)』『宣命(せんみょう)』『中臣寿詞(なかとみのよごと)』『令義解(りょうのぎげ)』『律(りつ)』『延喜式(えんぎしき)』『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』『風土記(ふどき)』『万葉集(まんようしゅう)』などがあります。

画像03-5

 それではここで、『古事記』と『日本書紀』を簡単に比較してみましょう。完成したのは古事記が和銅5年(712年)で日本書紀が養老4年(720年)なので、わずか8年の違いであり、どちらも平城京遷都後の奈良時代初期に成立したことになります。「同じような時代に、同じような内容の歴史書が二つ作られたのはどうしてか?」と誰もが疑問に思うことでしょう。それは端的に言うと、目的が違ったのだということになります。

 古事記が扱っている範囲は日本初発から推古天皇までで、日本書紀が扱っている範囲は天地開闢から持統天皇までです。表現方法としては、古事記が漢字の音読みと訓読みを交えた和文で書かれているのに対し、日本書紀は漢文で書かれています。古事記が全三巻であるのに対し、日本書紀は全三十巻に加えて系図が一巻あり、分量としては日本書紀の方がかなり多いです。また古事記がドラマチックな物語風に書かれているのに対して、日本書紀は淡々とした語り口で書かれています。

 古事記は、天皇の正統性を語り、天皇家の歴史を残す目的があったといわれています。そのために、天皇家が各地の豪族との戦いに勝ち抜いて王権を確立したプロセスを、神話として表現したものであると言えます。古事記の目的は「国内向け」でした。出雲神話が大きな位置を占めていることも古事記の特徴です。

 一方、日本書紀は、文字として国家の歴史を残すことで、大和朝廷の権威付けを行い、日本という国の正統性を、当時の外国であった唐や朝鮮半島に向けて訴える目的があったといわれています。日本書紀は朝廷の公式歴史書とされています。そのため、中国や朝鮮の書物、政府や寺院の縁起など幅広く記録を収集した、国外向けの通史となっています。古事記との違いとしては、出雲神話が見えないことも特徴です。

 蛇足ながら、旧約聖書の中にも「列王記」と「歴代誌」という二つの歴史書があり、それらの扱う時代や人物は重複しているにもかかわらず、強調点や描き方が違うだけでなく、互いに矛盾する記述も存在しています。歴史が書く者の視点によって変化するというのは、聖書でも神典でも同じようです。

カテゴリー: 神道と再臨摂理シリーズ