BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ34


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

フランスが悪法をさらに悪化させる計画

12/11/2023 MASSIMO INTROVIGNEA

反カルトの「アブ・ピカール法」は実際の虐待に対して効果はなく、信教の自由に対する脅威である。政府はそれをさらに危険なものにしたいと思っている。

マッシモ・イントロヴィニエ

パリの内務省事務所
新法を推進しているパリの内務省事務所の入り口。 Credits.

フランスが2001年に物議を醸した反カルトの「アブ・ピカール法」を導入したとき、第1次草案では「精神操作」を罰しようとした。 フランスと海外の学者、および一流の法律専門家たちは、これは疑似科学であり、不人気な宗教を差別する手段であることが学者たちや数カ国の法廷によって暴露された疑わしい「洗脳」理論の同義語にすぎないと抗議した。

「精神操作」を禁止する法律が憲法上の問題に突き当たることを恐れた反カルト政治家たちは手を引いて、代わりに「脆弱性の悪用(abus de faiblesse)」を導入した。これは、「洗脳」を犯罪化するという彼らの意図を隠した、もう一つの表面的で意味論的なゲームだった。 しかし、存在しないなにかが具体的な害をもたらしたという証拠を見つけるのは困難であることが証明された。カナダの学者スーザン・パーマーが2011年にオックスフォード大学出版局から出版した高評価の著書『フランスの新しい異端』で立証したように、「アブ・ピカール法」は弱者には強く、強者には弱い。ある宗教運動に優秀な弁護士や専門家を雇うための資金が不足していれば、その指導者は架空の「脆弱性の悪用」で有罪判決を受け、刑務所行きになる可能性がある。膨大な資金を操るグループは、疑似科学の疑いをかけられた法律に異議を唱える方法を簡単に見つけるであろう。実際、本当に虐待(存在しない「洗脳」とは区別される)の罪を犯したグループでさえ、法律の曖昧な文言に乗じて罪を免れるかもしれない。

このことに気づいたのは学者だけではない。反カルト主義者や「カルト的逸脱」と闘うフランスの政府機関であるMIVILUDESもこの問題に気付いている。彼らは数年前から、MIVILUDES自体が主なターゲットであると指摘しているより大きな新宗教を「洗脳」罪で(どんな名前であれ)告発できるようにするための法改正を政府に求めてきた。

11月15日、政府は「カルト的逸脱との戦いを強化する」ための法案を提出した。「カルト」に対する新たな取り締まりの理由として、MIVILUDESが受け取る「通報」(フランス語で“saisines”)の数が増加していることがあげられる。「Bitter Winter」が立証したように、「通報」は実際の事件の報告ではなく、MIVILUDES に送られた簡単な質問が含まれており、間違っていたり操作されていたりする可能性が高い。

また、新型コロナウイルス感染症の期間中に「カルト」が成長し、一部が反ワクチンの考えを広めたとも言われている。したがって、「必要な治療を放棄させるか受けさせないための挑発」という、懲役1年と罰金が科せられる新たな犯罪が創設される。明らかに、これが引き起こす影響は新型コロナウイルスやワクチンをはるかに超えている。国務院が法案を検討した際、言論の自由と「科学的議論の自由」に対する脅威であるとして、この条項を削除するよう勧告したことに留意すべきだ。しかし、政府は国務院の勧告を拒否し、この条項を草案に残した。

パリの国務院
スティーヴン・パリの国務院、パレ・ロワイヤル Credits.

反カルトの手段も強化される。反カルト団体が「カルト」を相手取った訴訟に民間機関として出席することが許されたり、裁判官や検察官は、彼らが審判対象とし、あるいは起訴しているグループに関してMIVILUDESの意見を求めることが奨励されたりするようになるのだ。

新しい法案の核心は、「心理的服従」という新たな犯罪の創設である。「重大な、ないし、反復継続する圧迫、または、人の判断を変更可能な技術の使用」によって被害者を「心理的服従」状態に置いた者は懲役3年の刑に処せられる。またもし、被告人がこれらの手法を日常的に使用する「組織的な一団」、すなわち「カルト」の一員である場合には、懲役7年の刑に処せられる。この犯罪が行われるのは、「心理的服従」技術の使用が「その人の身体的または精神的健康状態に重大な悪化を引き起こすか、あるいは、本人にとって極めて不利益な一定の作為・不作為に導いた」ときである。「心理的服従」は、事態をさらに悪化させる状況として、既存の犯罪にも影響を与えるであろう。

これが「脆弱性の悪用」に関する既存の規定とどのように異なり、なぜ政府が新たな犯罪によって現行法では捉えられていない「カルト的逸脱」を犯罪化できると信じているのかを理解することが重要である。「脆弱性の悪用」は現在、被害者が「脆弱な状況」にあり、心理テクニックによって、たとえば多額の献金をしたり、「カルト」リーダーに性的に身を委ねたりするなどの、自己加害行為に誘導された(と申し立てられた)場合に処罰される。新法案の序論的コメントの中で政府は、「アブ・ピカール法の現行の条文では、被害者を加害者の支配下に置くことを目的とした作用や技術によって決定される心理的または身体的服従状態を、直接的に有罪とすることは認められていない」と主張している。

新しい犯罪は2つの点で「脆弱性の悪用」とは異なる。第一に、被害者が「脆弱」な状況にある必要はない。誰もが「心理的服従」の被害者になる可能性があるのだ。第二に、被害者の精神的健康状態の悪化と、「洗脳」技術が被操作者を自己加害に導く虞があるという事実とを、「かつ」ではなく「または」で結びつけていることは極めて重大である。同じ紹介報告書が説明しているように、この「または」により、被害者が自己加害行為に誘導されたことが証明できない場合でも、「心理的服従」を処罰することが可能になるのである。「精神的健康の悪化」が起こったと主張するだけで十分であろう。

報告書はほぼ当然のこととして、心理的服従の状況は通常「被害者の精神的健康の悪化」を引き起こすと明記している。したがって、被害者が自傷的であると分類できる特定の行為を何も行っていなかったとしても、謎めいた「心理的征服状況を作り出す技術」を使用すれば処罰されることになる。結局のところ、反カルト主義者たちは、「カルト」への加入やそこに留まり続けること自体が精神的健康にとって危険であると主張しているのである。そして覚えておいてほしいのは、この理論を推し進めるために反カルト団体が裁判に参加することになり、疑問がある場合には検察官と裁判官はMIVILUDESの意見を求めるよう助言されるということだ。

ブリナ・アグレスティ=ルバシュ氏
市民権・都市開発担当大臣のサブリナ・アグレスティ=ルバシュ氏もMIVILUDESを監督しており、メディアに新法を紹介した。Credits.

どうやらフランスは2000年に戻り、2001年にアブ・ピカール法の起草者らが憲法上の懸念により断念せざるを得なかった「精神操作」という犯罪を再導入するつもりのようだ。ときにはフランスの国務院が緩和効果をもたらすこともある。この事案では、国務院は11月9日に法案について検討し、すでに述べた予備的見解を述べた。「洗脳」という新たな犯罪については、国務院は宗教の自由の侵害が問題となる可能性に留意している。しかし政府がやったことは、元の単語である「assujettissement」(征服)を「sujetion」(服従)に変更するよう提言しただけであり、そして、この犯罪は被告が被害者に対して行う一対一の操作に関するものであり、インターネットによるものを含む、複数の潜在的な被害者に向けられた操作的な言説一般ではないことを明記している。

これだけでは、宗教または信仰の自由に対する重大な侵害を回避するには十分ではない。新宗教運動の研究者のほとんどは、「洗脳」は存在せず、それを有罪とすることは基本的に虚偽であるという点で一致している。宗教的説得の通常のプロセスが、権力が「通常」であるとみなす信仰の対象と実践を持っている場合には「洗脳」はないと主張される。信念や実践が非伝統的であったり不人気であったりする場合には、これは「洗脳された」被害者だけに採用される証拠として提出される。なぜなら、彼らは「心理的征服」(または「服従」)の状態に置かれているからである。

フランス政府は、この新法によって信仰が犯罪化されるのではなく、特定の信念を奨励する技術のみが犯罪化されるのであると厳粛に宣言する。しかし実際には、ある信仰が「違法な」技術によって教え込まれたのだとされる証拠は、反カルト主義者、MIVILUDES、社会の大多数、あるいはメディアがそれを「カルト的逸脱」とみなしているということなのである。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%8C%E6%82%AA%E6%B3%95%E3%82%92%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%AB%E6%82%AA%E5%8C%96%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E8%A8%88%E7%94%BB/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ33


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

背教者は信頼できるか? 5.なぜ背教者になる人がいるのか

11/24/2023 MASSIMO INTROVIGNEA

背教者となった元信徒は、反カルト運動から自らの役割を「学ぶ」ことが多い。

マッシモ・イントロヴィニエ

5本の記事の5本目 1本目2本目3本目4本目を読む

反カルトデモ
反カルトデモ Credits.

前回の記事では、元信者と背教者という2つの異なる概念を混同すべきではないことを確認した。ほとんどの元信者は、離れた組織に対して攻撃的な感情を持っていない。過激な敵対者となるのはごくわずかだ。しかし、なぜなのか? 背教者になる人にはどのような目立った特徴があるのだろうか。

学者たちが考慮した要因は2つある。1つ目は宗教組織に関することで、2つ目は離脱のプロセスに関することだ。通常、物議を醸す宗教団体であるほど、背教者の数が増えるだろうとみなされている。ブロムリーは、どの宗教にも背教者は存在するが、そのほとんどは反対派が「破壊的」であるというレッテル貼りに成功したグループの元信者の中にいると主張した。逆に、非常に尊敬されている組織はより多くの離脱者を生み出すが、背教者は少ない。

その比較は、その人が生まれながらに所属する教派間、教会間ではなく、個人が自由に加入する志願制の団体間で行うことが好ましい。しかし、主流派の教会の中にも修道会や信徒運動など、いくつかの志願制の団体が存在するし、ローマ・カトリック教会の司祭職でさえも一般的にはそうなのである。カトリックの司祭や修道女を辞めた人々の中には極めて声高に発言する背教者もいるが、司祭職や修道会を辞めた人々の多くは、むしろ教会の基準を満たしていない自分を責める傾向にある。したがって、彼らはしばしばタイプ I (脱落者) の物語を用いて自分の経験を再構築する。ブロムリーらによれば、こうしたことが起こるのは、ローマ・カトリック教会が強力な(もちろん、挑戦不可能というわけではないが)組織であるからだという。したがって、大抵の場合は、離脱しようとするメンバーとの間で物語のダメージコントロール交渉をすることが可能なのである。それとは対照的に、ほとんどの新宗教運動を含め、破壊的であると認識されている組織は通常、離脱しようとするメンバーとの間で物語のダメージコントロール交渉をすることができず、結果としてより多くの背教者を生み出すのである。

この理論的な予想は、表面的には非常に合理的であるように見えるが、実証的研究によって完全に確認されているわけではない。新宗教運動は通常、破壊的であると認識されており、非常に声高な背教者を生み出す傾向にある。しかし、これまで見てきたように、可能な限りの調査が示唆しているのは、最も物議を醸している新宗教運動であったとしても、背教者は元信者の中でもごく一部の少数派を代弁しているに過ぎないだろうということだ。元信者の大多数は普通の離教者に分類でき、中には脱落者もいる。

ここで、目立つ元信者と目立たない元信者の区別が確立されるであろう。ほとんどの元信者は、以前の所属について物議を醸す気がない限り人目に付くことはない。実際、多くの場合その存在自体が、団体の会員記録にアクセス可能な定量的調査によってのみ発見が可能なのである。それらが質的な社会学的研究のために入手される可能性はさらに低い。目立つ元信者は主に背教者であり、彼らが反対派連合に加入すると、反対派連合は彼らの知名度を確保するためにあらゆる努力を傾ける。

実際、脱会のプロセスには決定的要素が関わっている。拉致されて成功裏に「ディプログラム」された者たち、すなわち「カルト」を離脱するよう激しい心理的圧力を受けた者たちは、背教者になる可能性がはるかに高いことを全ての研究が示している。「ディプログラム」の成功によって脱会した者たちは、「カルト」とレッテルを貼られた運動からの脱会者らの中では少数派であるが、それは背教者も同様である。

ディプログラムによるのでなかったとしても、宗教団体を離脱する人の一部は、脱会前、脱会中、脱会後に反カルト運動に遭遇する。なぜなら、反カルト組織と接触した親族によって脱会プロセスが開始するからである。あるいは脱会を検討している人は、自分の属する宗教に対する批判に好奇心を持っていたり、純粋に興味を持っているからである。

私は前回の記事で、フランスのニュー・アクロポリスと呼ばれる秘教グループの元メンバーについて自身が行った定量的研究について述べた。 私のサンプルの8.3% は、反カルト組織との接触が自身の脱会プロセスにおいて役割を果たしたと報告した。 背教者の70%は反カルト組織と接触していた。そのような接触を持つ人々の90%は、ニュー・アクロポリスを「カルト」だと考えているのに対し、その他の人々は10.3%であり、80%が自分は「洗脳」されていたと信じているのに対し、その他の人々は6.7%だった。もちろん、一部の元信者にとって背教は心理的に好都合である。その理由は、元信者から見れば、今となっては間違っていたり愚かにさえ思える行動や信念に対していかなる非難を受けても、彼らを「洗脳」あるいは「奴隷化」した「邪悪な」運動に責任転嫁できるからである。

スティーヴン・ハッサン
スティーヴン・ハッサン:背教を専門職にした者たちの一人。(X)より

反カルト運動が背教者を生み出す上で中心的な役割を果たしているとすれば、ブロムリーが書いたように、今度は「背教者の証言が、反カルト運動が主催するあらゆる範囲の社会統制活動の中心となる。」その目的は、新宗教運動を差別し、可能であれば抑圧することにある。背教者の一部には、(統一教会からの背教者であるスティーヴン・ハッサンのように)ディプログラマーとなり、専門的および学術的な資格を取得した者さえいた。その他多くの者たちは反カルト運動との接触を維持し、ブロムリーの言葉を借りれば、自分たちが離脱した組織の「道徳的地位の低下」のために活動を続け、その結果「その団体に満足している信徒は洗脳されているのだと片づけられ、市民プロジェクトは人目を引くためのPR活動とみなされ、組織の関連団体は『フロント団体』とレッテル貼りをされてあざけられ」、背教者の説明を疑う学者には「カルト擁護者」というレッテルを貼ってあざけるようになるのである。

ブロムリーはまた、さまざまな種類の「背教者の職業」についても説明している。元の宗教に反対する本や講演で生計を立てたり、収入のかなりの部分を得ている者もいる。他の元信者を勧誘して背教者に変えようとする者もいる。そして、反カルト運動は背教者を利用して、彼らが「カルト」とレッテルを貼る宗教に対する攻撃の中で、「申し立てのあった違反行為は非常に根本的かつ大規模なものであり、(カルト側の)無実を訴える抗議などは即座に拒否されるほどだ」と主張する。背教者の物語を広めることによって「(カルトに)敵対的な世論の風潮が作り出される」と、「調査公聴会」や裁判、政府による差別を通じて「社会統制」と公的「制裁」が発動される。(ブロムリー著「争われた退会者の役割の社会的構造」42-3)

結論として、背教者は新宗教運動の元信者の中では比較的小規模な少数派でありながら、最も目立つ存在である。それは反カルト運動に動員されるのは彼らだけであり、メディアが利用しやすく、元の組織に対する訴訟で証言する準備ができているからである。

このシリーズに目を通してきた者なら、それが2つの結論に至ることはお分かりであろう。1つは、背教者は大多数の元信者の代表ではないということ、もう1つは背教者の物語は、反カルト運動及びそのイデオロギーとの出会いによって決定的に形成されるということである。

もちろん、背教者がする報告がすべて虚偽だということではない。実際、背教者の説明がすべて嘘だという新宗教運動の研究者はいないであろう。また反対派が広めた風刺画とは対照的に、反カルト運動に批判的な学者たちは、背教者の文献を無視することはないであろう。それどころか、彼らはそれを収集し、かなり詳細で完全な参考文献のリストを出版することがよくある。彼らはまた、背教者が学者のさらなる研究に役立つ質問を組み立てるのを手伝ったり、場合によっては当局が確認できる実際の違法行為について注意を喚起する内部告発者として機能したりする可能性があることを認めているのである。

他のケースでは、虚偽の告発が法執行機関を誤導し、不必要な苦しみを生み出した。 例えば、ロシアと中央アジアでは、宗教というよりも微生物学(同氏はこの分野でも非常に物議を醸している)を専門とする学者ジェリー・バーグマンが作成したエホバの証人を非難する長々としたリストによって、国際機関やNGOが同教団に対するあからさまな迫害であると広く評してきたことが支持されてきた。バーグマンは1999年に初期のエホバの証人に関する有用な文献リストを編纂したが、中立的な学者としてではなく、エホバの証人を離れた怒れる元信者として書いている。ロシア語に翻訳され、インターネットで容易に入手できる彼の非難は、かつてソ連の一部であった国々の信教の自由と人権の大義を著しく侵害した。

ジェリー・バーグマン氏
ジェリー・バーグマン氏 ツイッター(X)より

メディアと法廷は以下のことを心に留めておくとよいであろう。背教者は新宗教運動の元信者という、より大きな領域を代表するものではなく、その中にあって背教者は少数派なのである。また当然のことながら、彼らは新宗教運動の中での生活についての唯一の証人でも、最も信頼できる証人でもない。確かに、彼らはそこにいた。しかし背教者にならなかった多くの会員や元信者もそこにいたのである。背教者は反カルト共同体の一員としてそのイデオロギーを共有し、元の宗教運動に対して過激な反対をする者と定義されるのだが、それ自体が歪みと偏見の強力な要因なのである。背教者たちが報告していることが新宗教運動に関する「真実」であると認めることは、怒れる元配偶者の証言に基づいて離婚した夫(ないし妻)の道徳的性格を評価したり、不満を抱いた元司祭たちの証言にのみ基づいてカトリック教会とは何なのかについて評価したりするのに似ているであろう。

背教者の説明は無視されるべきではない。しかし、中立性と客観性は三角測量法を前提としている。そこでは背教者の報告が、現役信者や背教者にならなかった元信者による説明と比較され、また、関連内部文献や記録文書の研究、インタビュー、及び参与観察を行った学者の報告と比較されるのである。真に三角測量法を用いるということは、告発されたグループが背教者の告発を調査し、それに反論することが許されなければならないということを意味する。これらすべての情報源を三角測量して考慮したメディア報道は、質の高いジャーナリズムを生み出す。唯一またはほとんどの情報源として背教者に依存するメディア報道は、誹謗中傷と差別の道具を生み出す。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ32


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

背教者は信頼できるか? 4.元信者全員が背教者というわけではない

11/23/2023 MASSIMO INTROVIGNEA

残念なことに、メディアは宗教団体の元信者と背教者というまったく異なる二つのカテゴリーを混同することがよくある。元信者のほとんどは背教者ではない。

マッシモ・イントロヴィニエ

5本の記事の4本目  1本目2本目3本目を読む

背教の政治学
『背教の政治学』(1998)は、(とりわけ)元信者のさまざまなカテゴリーの区別に関する重要な本であった。

脱会に関する現代の研究の重要な部分は、元信者が果たす役割が周囲との関りによってどのように形成されるかに関するものだ。背教に関する学術的研究の第一人者であるデビッド・ブロムリー氏によって開発された初期の方法論に端を発して、学者たちは新宗教運動の元信者を3つの異なる種類に分類した。すなわち、脱落者、普通の離教者、および背教者である。

同じ組織の脱会者であっても、異なる役割が共存する可能性がある(ブロムリー氏もその可能性について言及している)。これらのタイプは、脱会者の個人史におけるある特定の時点における経験を明らかにし(普通の離教者が最終的に背教者になることを決意する可能性もあり、その逆もある)、周囲との関係によって形成される役割と対応している。脱会者の物語は、ある組織及び環境から離れる人の心理的経験と社会的経験の間のダイナミックな相互作用によって生じる。

後者(社会的経験)は、元信者が置かれている社会的状況であり、それによって彼らは(多かれ少なかれ圧力を受けて)以前の所属について説明するよう求められる。脱会者が果たす役割の形成に関する社会心理学的な説明がこれまでに試みられてきたが、脱会のプロセスに関する「純粋な」あるいは「非常に写実的な」物語は存在しない。そうした物語はすべて社会的に構築され、文化的に条件付けされ、政治的に交渉された結果である。脱会の物語には少なくとも3つの異なるタイプがある。

タイプⅠの物語は、脱会プロセスを脱落として描く。ブロムリーによれば、「脱落者の役割は、ある組織の参加者が脱会について主に組織の権力者と交渉し、彼らが役割の放棄に対する許可を与え、脱会プロセスを管理し、役割の移行を促進するものとして定義されるであろう。」

共同で構築された物語は、役割遂行上の問題に対する主たる道徳的責任を、脱会しようとしているメンバーに割り当て、組織が脱会を許可することは類まれなる道徳基準と社会的信頼の維持に対する献身であると解釈する。(「争われた脱会者の役割の社会的構造:脱落者、内部告発者、背教者」D.G.ブロムリー編「背教の政治学:宗教運動の変化における背教者の役割」、コネチカット州ウェストポート:プレーガー出版社、1998年、19-48[28])。

タイプⅠの場合には、組織を離脱する最終的な責任は、脱会しようとするメンバーにのみ帰せられる。組織は、単に彼らが組織の要求する基準に適合できなかったことを受け入れるのである。脱会しようとするメンバーは組織に溶け込もうとしたが、個人的問題により失敗したのである。組織と元メンバーは、双方のダメージを最小限に抑えることを目的とした脱会プロセスについて交渉する。元メンバーは、いまでも慈悲深くて道徳的基準が高いとみなしている組織に留まれなかったことについて、ある程度の後悔を表明することが期待されているのである。

タイプⅡの物語 (普通の離教) は、最も一般的であると同時に、最も議論されることが少ない。実際、毎日さまざまな組織から参加者たちが脱会しているのだが、何らかの方法で異議を唱えられない限り、実際の脱会プロセスについて聞かれることはほとんどない。争いのない脱会プロセスでは、脱会しようとしているメンバーと、彼らが離れようとしている組織と、環境や社会全体の間で最小限の交渉が行われる。

実際、現代社会は、ある人が一つの社会的「居場所」から別の分野のもう一つの「居場所」に移動する通常のプロセスにおいて、どのように古い体験に対する興味、忠誠心、献身を失って新しいものに進んでいくかに関する、即利用可能な物語を提供する。この意味で、典型的なタイプIIの物語は、普通の脱会者が過去の経験に関して強い感情を抱いていないことを示唆している。

組織に対する忠誠心が低下し、最終的に組織を離脱したときから、離教者の物語には組織のより否定的な特徴や欠点についてのコメントが含まれるようになるのが普通である。しかし普通の離教者は、その経験には何か肯定的な要素があったと認識するかもしれない。実際、普通の離教者は特別な正当化が必要であるとは通常見なされておらず、脱会プロセスの背後にある原因や責任について深掘りするような厳密な調査も存在しないであろう。

タイプⅢの物語は背教者の役割を規定する。この場合、元信者は忠誠心を劇的に逆転させ、自らが離脱した組織に対する「職業的反対者」となる。ブロムリーの言葉を借りれば、「その物語は、背教者が以前に所属していた組織の極めて邪悪な本質を、捕獲されてから最終的な脱出・救出に至るまでの背教者の個人的な経験を通して記録したものである。」(「争われた退会者の役割の社会的構造」、36)

背教者が以前に所属した組織は、彼らに裏切り者のレッテルを貼ることが簡単にできた。しかし、背教者は、特にその組織と戦う反対派連合に参加した後は、自由意思によらずに入会した「被害者」または「囚人」としての物語を用いることがよくある。もちろんこれは、その組織自体が異常な悪の権化であったことを示唆している。反カルト運動によって反対派連合の一員とされた背教者は、なぜその組織が悪であり、信徒の自由意思を奪うことができるのかを詳細に説明するのに役立つ多くの理論的ツール(強力な洗脳比喩を含む)が準備されていることに気づくのである。

このシリーズを理解するうえでまさに重要なポイント、そして新宗教運動や少数派宗教を扱うメディアが心に留めておくべきことは、背教者は元信者のごく一部にすぎないということだ。ほとんどの元信者は、自分が離れたグループに対する攻撃的な反対者になることはないし、それを異常な悪であるとは考えていない。彼らは主流の社会に戻って喜んでいるだけであり、尋ねられれば、以前の宗教には良い点も悪い点も両方あったと答えるであろう。

ニュー・アクロポリス
フランスのニュー・アクロポリスでの講演 ツイッターより

これが事実であるという経験的証拠がある。1999年に私はフランスの秘教運動ニュー・アクロポリスの元メンバーを対象に調査を実施した。ニュー・アクロポリスは自分達を宗教団体だとしていなかったおかげで、プライバシーの懸念が払拭され、元会員リストの提供を受けることができた。これは匿名のアンケートを送るためにのみ使用した。120件の回答を集めたところ、サンプルの16.7%が脱落者、71.6%が普通の離教者がであったのに対して、背教者は11.7%であったことが分かった。

私の研究結果を新宗教運動に関する学術研究の一流誌である「ノヴァ・レリジオ」で発表した際、私は自分の研究結果が、他の学者たちが「カルト」のレッテルを貼られたグループの元信者に関する同様の研究結果に似ていると指摘した。

エホバの証人のような大規模な組織の場合、調査はさらに困難である。なぜなら、その会員数は数百万人であり、通常の宗教団体からの脱会率からすると、元会員が数万人規模になることを意味するからだ。しかし、エホバの証人であっても、脱会者の大多数は普通の離教者であり、背教者は少数派であると結論付ける方法がある。

エホバの証人を批判する人々は、毎年平均して約7万人の会員が排斥されるか脱会していると主張している。学者(反カルト主義者だけではない)は、背教した元エホバの証人が姿を現して組織を攻撃する敵対的な書籍や記事、メディア番組、反カルトイベントの文献目録を編さんしている。ある年に現れる新たな背教者は数百名に上り、世界中で活動する背教者はおそらく数千名に上る。

背教の力学は通常は悪口を公にすることを意味するが、たとえ背教者の中には家族や友人の間だけでエホバの証人の悪口を内密に言うだけの者もいると仮定したとしても、我々は元エホバの証人のうち背教者となるのは比較的少数であるという結論に達する。その他の人々は脱落者であり、彼らは組織と良好な関係を保っている(こうした者たちの中には、公開捜査や裁判でエホバの証人に有利な証言を喜んで行う者もいる)。そして我々は、大多数の者たちの声を聴くことはない。それは彼らが普通の離教者であることを意味する。

背教者が元信者の中の小さな割合に過ぎないのだとすれば、彼らは人生の中で、ある宗教団体に所属したことのある者たちの中で、すなわちすべての元信者だけでなく、一生離れない人も含めた全体の中では、さらに小さな割合であることに留意することも重要である。しかし、後者の物語はメディアによってニュース価値が低いとみなされたり、プロパガンダとして無視されたりするのである。

メディアは、背教者が信頼できるかどうか、そして背教者の経験がある宗教団体の信者において典型的なものであるかどうかを自問する以前に、背教者の話は元信者の典型的な経験でも代表的な経験でもないことを心に留めておくべきである。元会員のほとんどは普通の離教者であり、エホバの証人等の元いたグループに対して抱く思いは様々であり、背教者たちが広める残虐な話や監禁物語に同意しないのである。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ31


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

背教者は信頼できるか? 3.棄教と監禁の物語

11/16/2023MASSIMO INTROVIGNEA

棄教に関しては、学術的研究と、反カルトが語る物語との間には、かなりの違いがある。後者は、ネイティブ・アメリカンに拉致された白人の乙女についての昔話に似ている

マッシモ・イントロヴィニエ

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デビッド・G・ブロムリー
社会学者のデビッド・G・ブロムリーは、棄教と背教に関する影響力の大きい著作の著者だった。Twitterより

以前の記事で述べたように、背教者の記述に関する社会学的研究は1970年代まではほとんど存在しなかった。その後、反カルト運動の出版物における背教者の重要性と、「カルト」を相手取った訴訟に動かされて、研究が活発になった。

初期の研究は、棄教という現象を一般的に研究した。信者はなぜ、どのようにして宗教団体を離れるのか? このシリーズの以前の記事で私が引用した研究の中で、スチュアート・ライトは棄教という現象を説明する上で、役割理論モデル、原因過程モデル、および組織モデルの三つの学術モデルがあり、これらはいずれか一つを選択して用いることもあるし、相互補完的に用いることもあるとしている。

役割理論は、デビッド・ブロムリーやアンソン・D・シュウプ(1948-2015)などの新宗教運動に関する一流の学者たちが論じたように、反カルト主義者が使用する「エキゾチックな」モデルや疑わしい科学を思い起こす必要もなく、入教と棄教を説明する。我々は皆、人生において役割を果たしているが、実際には同時にさまざまな役割(配偶者、親、専門家、納税者、スポーツのファンなど)を果たしていて、我々が宗教に入会するときには、我々はある特定の役割を果たすことを学ぶのである。その役割の遂行が全面的な献身を伴うものではなく、一つの実験のつもりであることもあり得る。

宗教の役割は要求が厳しく、役割相互間で葛藤を引き起こす可能性がある。たとえば、配偶者がもう一方の配偶者の宗教に賛成しない場合、後者は配偶者としての役割と宗教の信奉者としての役割の間で葛藤を経験するであろう。役割の一つが結果として放棄され、離婚または棄教に至るかもしれない。あるいは、その人の「道徳的キャリア」においてほとんどの役割は一時的なものとして認識され、宗教的な役割は自然に過ぎ去っていくだけなのかもしれない。

原因過程モデルは、棄教の段階を時間の経過によって再構築しようとする。宗教的帰属の危機はさまざまな要因によって決定される可能性があるが、それらの要因はイデオロギー的なものではなく、現実的なものが多い。例えば現場のリーダーと喧嘩したとか、その宗教に敵対的な人物と恋愛関係になったとかいうことだ。研究によると、イデオロギー的な動機(「それがカルトだと気づいた」、「聖書を勉強して神学が誤りだという結論に至った」)は事後的に付け加えられることが多いと証明されている。危機は、それが解決されない場合には、脱会と認知的移行を引き起こし、それに続いて認知的再編成が起きる。その段階で元信者は別の宗教の信者として、あるいは我々の住む概して非宗教的な社会の一員としてアイデンティティを再編成するのである。

組織モデルは、棄教者から宗教へと焦点を移す。宗教の側が組織の危機を経験したり、一部のメンバーが好まない改革を行ったりすることがあり得るのだ。例えば、ローマ・カトリック教会が第二バチカン公会議の改革を実施したとき、かなりの数の「伝統主義者の」カトリック教徒が混乱と不満を感じ、最終的に教会を離れた者もいた。

これらすべての学術モデルは棄教というものを、それを行う人によって主導される能動的なプロセスであるとみなしている。反カルト主義者は、背教者(当時は信者)が「カルト」に「監禁」されている「被害者」であり、外部からの「救出」によってのみ棄教できるという受動的モデルを好む傾向があり、ときには極端なディプログラミングの形をとることもある。(その際、「カルト信者」は親族が金を払って雇ったプロの「ディプログラマー」によって拉致され、説得に屈して宗教から離れることを受け入れるまで、強烈でときには暴力的な教え込みを受ける。)英国の社会学者アイリーン・バーカーらは、この理論が統計的に誤りであることを立証した。

アイリーン・バーカー
英国の社会学者アイリーン・バーカーは、統一教会からの棄教が頻繁かつ自発的に行われたことを立証した。写真提供:マッシモ・イントロヴィニエ

バーカーは、最も頻繁に「カルト」というレッテルを貼られる団体の一つである韓国人の文鮮明師(1920-2012)が設立した統一教会において、ほとんどのメンバーは誰からも「救出」されたりディプログラミングされたりすることなく、5年以内に自発的に静かに棄教することを証明した。反カルト主義者たちが描く架空の刑務所とは異なり、現実の新宗教運動では回転ドアのように人が出入りしているのである。

ブロムリーは、反カルト主義者が描いた棄教の「救出」モデルを、ネイティブ・アメリカンに拉致されたとされるアメリカの白人入植者の「監禁物語」と比較した。19世紀には、特に若い白人女性がどのように拉致され、ネイティブ・アメリカンと結婚して彼らと同じように生きることを強制されたかを描いた本が人気を博した。ネイティブ・アメリカンの性的慣習だとされる刺激的な内容が詳細に描かれ、これらの本の売り上げに貢献した。しかし、その記述のほとんどはフィクションであった。文化史家のデビッド・L・ミンター(1935-2017)が指摘したように、これらの物語は、プロテスタントの少女たちが修道女に誘拐され、カトリックの修道院で性的虐待を受けたという、同じように虚偽の記述(このシリーズの前の記事で論じた)と相互に影響を及ぼし合った。さらに悪いことに、こうした物語はネイティブ・アメリカンの虐殺を正当化するプロパガンダとなったのである。

インディアンによるダニエル・ブーンの娘の拉致
インディアンによるダニエル・ブーンの娘の拉致。カール・フェルディナンド・ウィマール(1828?1862)作。Credits

何人かの学者は、監禁物語のモデルが反カルト主義者に利用され、「カルト信者」が「拉致」され、彼らが「救出」されるまで「カルト」によって「監禁」されていたという物語を構築したと認めている。これらの物語のプロパガンダ機能は同じである。

反カルトのプロパガンダとは異なり、学者たちが採用したモデルは、棄教は緩やかなプロセスであり、「突然の」棄教は、使徒パウロがダマスカスに向かう道中で瞬時にキリスト教徒になったというモデルに基づく突然の即刻回心と同じくらいにまれであると仮定している。

棄教のプロセスは、なぜ棄教した元信者の全員が背教者にならないのかを研究する出発点である。すなわち、彼らの全員が離れた宗教団体に対する攻撃的な反対者になるわけではなく、実は大多数はそうならないのである。次の記事で再びこのポイントに戻ることにする。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%e8%83%8c%e6%95%99%e8%80%85%e3%81%af%e4%bf%a1%e9%a0%bc%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%82%8b%e3%81%8b%ef%bc%9f%e3%80%80%ef%bc%93%ef%bc%8e%e6%a3%84%e6%95%99%e3%81%a8%e7%9b%a3%e7%a6%81%e3%81%ae%e7%89%a9%e8%aa%9e/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ30


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

背教者は信頼できるか? 2. 偽の背教者

11/15/2023 MASSIMO INTROVIGNEA

自分はある宗教や運動の元メンバーで、その秘密の内情に通じていると主張する人の中には、単に嘘をついているだけの人もいる

マッシモ・イントロヴィニエ

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「マリア・モンクの恐怖の暴露」
悪名高い『マリア・モンクの恐怖の暴露』

サウスカロライナ州のバプテスト説教者オリバー・ボイス・グリーン(1915-1976)が設立したキリスト教保守派宣教団体「ゴスペル・アワー」が発行した冊子は、何十万人もの英語圏のプロテスタント教徒らが、少なくとも1冊は手にし、あるいは購入してきた。彼の4ページの冊子は読みやすく、彼によると20万人が彼の教派のキリスト教に改宗したという。

グリーンの最も有名なパンフレットの1つは、「あなたたちは真理を知るべきだ。真理はあなたたちを自由にする」とか、「私がクリスチャンになってから経験したことを地球上のすべてのエホバの証人に証言できればよいのに」など異なるタイトルで出されているが、オリー・ベル・ポラード(1909-1984)という人物の署名記事が掲載されている。それは、興味本位でグリーンの伝道集会の一つに参加したあるエホバの証人からの脱会に関する劇的な物語を語ったものだ。彼は、その集会が開かれていたテントがサイクロンに襲われた後にも、不屈の福音伝道者が説教を続けた決意に感銘を受けている。

ポラードはまた、地獄の炎について語ったグリーンの激烈な説教に感銘を受けると同時に少し恐れを抱いた。エホバの証人は真のプロテスタントの信仰から外れており、最終的には地獄に落ちるであろうことを悟るようになったのである。ポラードは次のように報告している。「私は、エホバの証人の教えは誤りであり、人間を自由にする真理ではないと確信した。私は真理を求めていたのである。福音伝道師は真理を語っており、聖書によってそれを証明していると確信した。」

オリバー・ボイス・グリーン
オリバー・ボイス・グリーン Credits

この記事には1つだけ問題がある。ポラードがエホバの証人であったことはないという事実だ。善意に解釈すれば、おそらく、エホバの証人の出版物にある程度の関心を持っていた程度のことはあったのであろう。しかし、それは洗礼を受けることや、組織のメンバーであったことと同じではない。彼にはそのような事実はなかったのである。

偽りの証言を広めたのは、なにもグリーン氏ばかりではない。伝道集会の説教者(およびジャーナリスト)たちは背教者の話にあまりに熱中するため、ふと立ち止まってそれが真実かどうかを必ずしも確認するわけではない。これは新しいことではなく、19世紀にはすでにメディアスキャンダルを引き起こしていた。

レベッカ・リード(1813?1860)は19歳でプロテスタントからカトリックに改宗した本物の背教者で、マサチューセッツ州チャールズタウンのウルスラ会修道院で修練者として数か月間過ごした。その後、彼女は『修道院での6か月』を著し、その中で自分は意思に反して拘束され、拷問を受けカトリック教徒になるよう説得されたと主張した(実際には、彼女は修道院に入る前に既に改宗していた)。彼女の話は非常に扇動的だったので、1834 年に暴徒がその修道院を襲撃し、焼き払った。修道女たちはなんとか逃げ出したが、暴徒は修道院の近くの墓と亡くなった修道者の遺体を冒涜した。

レベッカ・リード「修道院での6か月」から
レベッカ・リード「修道院での6か月」から

リードから多大な影響を受けたマリア・モンク(1816?1849)は、1836年に著書『マリア・モンクの恐怖の暴露』、または『修道院での修道女の生活の隠された秘密が暴露された』を出版した。モンクは、自分は修道女になるためにモントリオールの修道院に強制的に連れてこられたと語った。そこでは修道女たちが日常的に司祭たちにレイプされ、妊娠した場合には、その子供たちは中絶させられたり、出生後に殺害されたりしたと彼女は主張した。幸運なことに、彼女は幼い子供を連れて逃亡し、プロテスタントの反カトリック活動家になったと語った。またしても、モンクのベストセラーを読んだ暴徒らはカナダの修道院を襲撃した。ところが実際には、彼女は修道院の修道女でも修練者でもなかった。彼女が逃げ出した唯一の施設は精神病院であった。そのことが判明するまで、暴徒らによる襲撃が続いたのだ。

マリア・モンク
マリア・モンク。「マリア・モンクの恐怖の暴露」より

ここで興味深いのは、リードやモンクの記事を、衆目の尊敬を集めるプロテスタントの宗教家や主要メディアまでが信じたことだ。カトリック教徒は彼らを非難したが、彼らはモルモン教徒による誘拐や性的虐待に関するセンセーショナルな記事を書いた女性(男性であることはごく稀だった)による似たような、そして等しく虚偽の証言を信じる傾向にあったのである。モルモン教徒の物語は非常に広く信じられていたため、アーサー・コナン・ドイル卿(1859-1930)は1877年に、『緋色の研究』のためにシャーロック・ホームズのキャラクターを創作した。この物語の主人公である少女は、誘拐されてユタ州のモルモン教徒の長老と強制的に結婚させられたのであるが、これは同時代の背教者の記事をもとにしていたのである。

メディアは偽りの背教者に騙され続け、でっち上げが発覚すると謝罪し、そして再び騙されてきた。20世紀にはアルベルト・リベラ(1935-1997)が背教したカトリック司祭として有名になったが、彼はプロテスタントの活動家となって、司祭たちが修道女をレイプし、妊娠した子供たちを殺すという恐ろしい話を語った。こうした話の一部はマリア・モンクの本を元にそのまま書いたものだ。1990年に私がなんとかインタビューすることができたプロテスタントの出版者ジャック・チック(1924-2016)は、リベラの本を漫画にして広く流通させた。彼らの名誉のために言っておくが、福音派記者らはリベラがカトリックの司祭であったことはなく、リベラがイエズス会士として奉仕していたと主張していた時期には、彼は詐欺とクレジットカード盗難の罪により刑務所で過ごしていたことを証明した。

チックコミック
チックコミックで「イエズス会の黒ミサ」に出席するアルベルト・リベラ

私自身も、プロの背教者であるウィリアム・シュノーベレンの暴露に関与した。彼は最初にモルモン教徒に、自分が末日聖徒の信仰に改宗した元ローマ・カトリック司祭であると信じ込ませた(彼はそうではなかった)。その後、彼は自分がかつて高位のモルモン教徒であり、モルモン教徒が寺院で悪魔を崇拝していることを発見したと主張することによって、保守的なプロテスタントの巡回区で人気を博した。その後、彼は福音派内のあらゆる流行に乗じて、自分はさまざまな信仰から背教したと主張した。彼は、元フリーメーソン、元魔女、元悪魔崇拝者であると主張し、さらには吸血鬼小説が人気になったときには元吸血鬼であるとさえ主張した。 彼はこれら主張のいずれについても信頼できる証拠を提示しなかった。

偽りの背教者である元悪魔崇拝者たちは、悪魔崇拝に関する話を渇望しているメディアを悩ませてきた。1992年にマイク・ウォーンケのような最も有名な人物が実際には悪魔崇拝者であったことはなく、虚偽の話だったことが暴露されたときにはスキャンダルが勃発した。

エホバの証人は頻繁に、反カルトのプロパガンダの標的となっており、彼らの組織からも偽の背教者が出現したのは驚くべきことではない。私がジャック・チックにインタビューしたとき、彼はメリッサ・ゴードンという女性と連絡を取り合っていると主張した。彼の主張によれば、彼女は福音派のキリスト教に改宗する前に、当時ブルックリンにあったエホバの証人の本部で軍隊式の訓練を受けたのだという。実際、チックはコミックの中でメリッサ・ゴードンを描いたものの、実物のメリッサ・ゴードンを生み出すことはできなかった。おそらく彼女は彼の豊かな想像力の産物に過ぎなかったのであろう。

メリッサ・ゴードン
反エホバの証人のチックコミック『ウォーゲーム』の「メリッサ・ゴードン」

ゴードン・ユージン・ダガー博士(1930~2014年)が2014年に亡くなったとき、死亡記事は、彼をジョージア州の有力な足専門医として称賛した。この分野における彼の資格を疑う理由はないが、妻ベラ(旧姓ポインデクスター、1930-2019)の協力を得て彼が執筆し(ゴーストライターによる著作であれば別だが)、1985年に出版した「エホバの証人:ものみの塔に気をつけて!」と題する背教の物語には疑いの余地がある。出版元である有名な福音派企業のベイカー出版グループは、医師とその妻を「元エホバの証人」として宣伝した。しかし、後にこの問題を研究した学者たちは、彼らはエホバの証人の「周辺部」にいて、いくつかの集会には出席したが、洗礼は受けていなかったと結論づけた。

明らかな作り話や詐欺は言うに及ばず、このような不正確な話は非常に頻繁にあるため、メディアは背教者の記事として提示された報告を最善の注意を払って取り扱う必要がある。しかし、これから分かるように、彼らはそうしないのである。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ29


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

背教者は信頼できるか?  1. 背教の問題

11/08/2023MASSIMO INTROVIGNEA

背教者とは、宗教や宗教運動の元信者であり、彼らが離れた信仰にとって仇敵となった者たちのことである。彼らは何世紀にもわたって存在してきた。

マッシモ・イントロヴィニエ

5本の記事の1本目

「ローマ教会の50年」
女性教区民との淫らな遊びに巻き込まれたカトリックの司祭たち チャールズ・チニキ著『ローマ教会の50年』(ニューヨーク:フレミング・H・レベル、1886年)より

2018年4月、私はタスマニアを訪れ、ホバートにあるMACq 01ホテルに宿泊した。それはユニークな「物語ホテル」で、各部屋にタスマニアの歴史上重要な人物の名前が付けられ、その記念品が展示されている。なんとも奇遇なことに、妻と私は、チャールズ・チニキ(1809-1899)にちなんで名付けられた215号室を割り当てられた。私は背教の概念についていくつかの研究を行ってきたが、チニキは19世紀の最も有名な「職業的背教者」だった。

チニキはケベック州出身のカトリック司祭で、1833 年に叙階され、禁酒運動を行ったことでよく知られていた。しかし、彼は巡回中にしばしば女性信者に対する不適切な行為で告発され、1851年にカナダの司教から少女に対して「犯罪行為」を行ったと非難され、停職処分を受けた。その後、彼は米国に移住して二度とカナダに戻らないことを受け入れるのであれば、赦免され司祭を続けることが許可された。しかし米国では、地元の司教が「チニキ氏の道徳的振る舞いに関する重大な証言」と称するものを受け取るようになり、1858年に彼は再び停職処分を受け、破門された。

ホバートのMACq 01ホテルの写真
ホバートのMACq 01ホテル、215号室に掲示されているチニキの物語。写真提供者: マッシモ・イントロヴィニエ

その後チニキは長老教会に加入し、残りの40年間をローマ・カトリックに対する反対運動に捧げた。彼の主張は以下のようなものであった。彼に対する告発は、彼の禁酒活動を理由に酒類ロビー(それはカトリックの聖職者制度をも支配していた)によってでっち上げられたものだ。教皇と数人の司教は内心では無神論者である。彼らはヨーロッパから大量のカトリック教徒を移民として送り込むことで米国を乗っ取ろうとしている。バチカンがアブラハム・リンカーンの暗殺を命令した(彼はチニキの裁判の一つで代理人を務めていた)。

これらの告発はいずれも証拠によって裏付けられたものではなかったが、チニキは 19 世紀後半の最も有名な国際的スピーカーの一人になった。 彼は大衆を興奮させ、時には演説の終わりにカトリック教会や修道院を攻撃することもあった。1879年6月23日、彼はホバートの市庁舎で講演したが、タスマニアにはかなりの数のカトリック教徒が住んでおり、ほとんどのプロテスタント教徒さえも宗教的平和を大切にしていた。講演には4,000人のタスマニア住民が参加したが、そのほとんどがチニキに敵対的であり、彼の演説は中断された。近くのアングルシー兵舎から派遣された500人の軍隊が秩序を回復し、この派手な背教者に島を去るよう説得するまで、彼は舞台のピアノの後ろに身を隠さなければならなかった。

チニキは通常、歴史家から「背教者」と呼ばれており、彼の物語は、時として混乱を引き起こすこの言葉のさまざまな意味について議論する機会を提供してくれる。これはまた、一部の背教者(もちろん全員ではない)が道徳的不正を告発されて宗教を離れるのだが、メディアが彼らの棄教の最初の理由について議論することはめったにないことを私たちに思い起こさせる、教訓的物語でもある。

チャールズ・チニキの写真
チャールズ・チニキ ローマ教会での50年間から

最も古い意味では、「背教」はある宗教から離脱して別の宗教(または無神論)へ改宗することを意味する。国教を遵守することが義務づけられていた社会・政治制度では、背教は犯罪であり、しばしば死刑に処せられた。西暦3世紀のササン朝帝国では、公式宗教であるゾロアスター教からの背教者は処刑された。ユダヤ人の間では、申命記13章6-16節で背教者の死刑がほのめかされていた。カトリック教会はキリスト教徒のローマ皇帝に背教を犯罪とするよう説得し、ユスティニアヌス帝(482-565)の法典は背教者となって異教の儀式に戻る者の処刑を義務付けた。キリスト教徒に棄教を説得する者も処刑されなければならなかった。イスラム教もまた、背教者を死刑に処しており、一部のイスラム国家では今でもそれが法律の一部となっている。

これらの措置は、宗教を離れた人々のさまざまな立場や態度を全く区別しなかった。 離脱の事実そのものが処罰されたのである。現代の宗教社会学が離脱について研究し始めたとき、「背教者」という言葉の新しい用法が導入された。このより専門的な意味によれば、宗教を離れる人がすべて背教者だということではなく、以前の信仰に激しく敵対し、公に反対の声を上げる人のみを指す言葉になった。チニキは典型的な背教者であったが、学者たちはローマ皇帝の背教者ユリアヌス(331-363)の姿からもその用語のインスピレーションを得た。彼は若い頃は(アリウス派の)キリスト教徒であったが、統治者としては異教を復活させようとし、キリスト教徒を迫害した。

ユリアヌス帝のコインの写真
背教者というあだ名を付けられたユリアヌス帝の肖像が描かれたコイン Credits

よくあることだが、現実は学術的なラベルよりも先に存在する。元信者が以前の宗教の仇敵に変わるという意味での背教者は、棄教を研究している学者が彼らの名前を発見する以前にも、何世紀にもわたって存在していた。背教者の体系的な研究は、新宗教運動の研究と共に始まった。その学者たちは、スチュアート・ライトが1988年に書いたように、「面白い発見」をした。すなわち、「データが不足」しており、背教者の社会学的研究は「驚くほどに乏しい」ということである(「新宗教運動を離れる:問題、理論、および研究」、デビッド・G・ブロムリー編、「信仰からの脱落:宗教的背教の原因と結果」、セージ出版、1988年、144?65 [145])。歴史学者はチニキのような元カトリック教徒の背教者やモルモン教を離れた人々を研究していたが、1970年代以前は社会学的な理論は乏しかった。

背教者の問題にかなり注目していたのが新宗教運動の研究者たちだったのは偶然ではない。いわゆる反カルト運動は、彼らが「カルト」と名付けた運動がなにか悪いことをたくらんでいることを証明するために、背教者を組織的に利用した。反カルト運動は学界では決して成功しなかった。そこでは「カルト」は「本物の」宗教ではなく、洗脳を用いて改宗者を誘惑するという理論を受け入れたのはわずか一握りの学者だけだったが、メディアの間でははるかに成功した。「カルト」として攻撃された宗教に関する背教者の記事はすぐにジャーナリストたちの人気を博した。学者による複雑な説明とは異なり、彼らは白黒をはっきりさせた単純な物語を描き、そこでは英雄(背教者と反カルト活動家)と悪役(カルト指導者、そして時には背教者の信頼性を疑う学者)が明確に識別できた。それらには虐待に関するセンセーショナルな話も含まれており、それが格好の新聞ネタとなった。

社会学的な理論が欠けていたのは事実だが、多くのジャーナリストが知らないうちに、背教者に関する論争はすでに19世紀から20世紀初頭の宗教的少数派に関する議論の重要な特徴となっていた。このテーマについては、このシリーズの2回目の記事で再び取り上げるであろう。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ28


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

政府が解散請求した宗教法人の資産凍結法案:日本のすべての信仰に対する危機

11/07/2023 BITTER WINTER

提出された法案は、直接的には「被害者」と「損害」についての賛否の分かれるデータに基づいて統一教会を標的にしているが、これは将来に暗い影を落とす不公正な原則を確立することになる

ビター・ウィンター

国会議事堂
新しい法案が審議される日本の国会 Credits

私たちは、解散請求された宗教法人に対して、解散訴訟の判決を待つことすらせずに、その資産を「保全」または凍結し、それらを管理する管理人の任命を認める新法が日本で可決される可能性について懸念を表明するために、この緊急声明に署名します。この法律は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を標的としており、政府は訴訟を通じてこの団体を日本の宗教法人として解散させようとしています。

私たちは家庭連合を長年知っており、日本における家庭連合の問題についても認識しています。 私たちは家庭連合の日本人会員の一部が、過去に他の信者や一般の人々に対して献金や特定の工芸品の購入を求めるために不当な圧力を加えたとして提訴されたことを承知しています。

私たちはまた、日本の家庭連合が過去の問題を正そうと誠実に努力し、一定の成果を上げたことも承知しています。安倍晋三元首相が暗殺される以前は、2010年代及び2020年代に起きた事象に対する苦情の数は、それ以前の数十年にまでさかのぼった数に比べて大幅に減少していました。

私たちはまた、これに類似した問題は古い宗教にも新しい宗教にも存在することを知っています。ほとんどすべての教会や宗教は、ある国において、または歴史上のある段階において、何らかの形で過度に積極的に金銭的貢献を求めているとして非難されたことがあるのです。

資産凍結法の支持者らは、「被害者」の利益を守るためにそれが必要であり、それがなければ決して返金されないだろうと主張しています。しかし、私たちは、数百件の訴訟がすでに解決済みであることを知っています。メディアで流布されている民間統計にもかかわらず、また一部の主張が数十年前に起こったとされる出来事について述べていることを考慮しなかったとしても、係争中の訴訟の数は比較的限られているのです。またそれは、提案されている措置の範囲と釣り合いがとれません。

この措置は、被害者とされる人々を保護するというよりはむしろ、日本の家庭連合を即座に破綻に追い込み、必要な資源を奪うことによって、解散請求訴訟に対する有効な防御の構築を阻止することを目的としているようです。それはまた、家庭連合は解散しても信教の自由を享受し続け、宗教法人としての非課税の地位を剥奪される「だけである」という主張が嘘であったことも証明しました。実際、資産凍結と管理人の任命を要求したことは、反対派の真意は家庭連合が日本で通常の活動を継続できないようにすることにあったことを示しています。

家庭連合を清算し、その資産を凍結すれば、メディアや一部の弁護士、政治団体に不人気な他の数多くの宗教運動に対しても同様の行動を起こす道を開くことになるでしょう。すでに日本では他の宗教団体を非難し、同様の措置を求める声が聞かれます。

学者たちは、宗教に反対するキャンペーンが、比較的小規模で不人気なグループを標的にして、どのように始まるかを研究してきました。彼らに対する対策はメディアによって支持され、世論によって称えられます(もちろん、これらのグループに関する世論の考えは主に同じメディアによって形成されています)。しかし、これらの措置は前例となり、すぐに他の数多くの宗教に対して適用される原則を確立します。

サム・ブラウンバック大使とカトリーナ・ラントス
元米国際宗教自由大使のサム・ブラウンバック氏と、米国際宗教自由委員会(USCIRF)」委員長を二期務めたカトリーナ・ラントス・スウェット氏(Xより)。彼らは二人ともこの嘆願書にサインした。

私たちはこのプロセスがロシアと中国で進行しているのを目撃してきました。どちらもエホバの証人や「反社会的」とみなされる他の宗教の信者を標的にし始めたのですが、徐々に政権が潜在的反体制派であるとみなしたすべての宗教家へと抑圧を拡大していきました。

私たちは日本とその美しい民主主義をこれらの全体主義的で抑圧的な政権と比較するつもりは決してありません。 しかし、私たちの経験が示しているのは、共産主義も含め、これらの政権で権力を握っているイデオロギーは、しばしば民主主義国家でも作用しているということです。日本の統一教会に対する反対の政治的ルーツの一つに、統一教会の保守的な思想や積極的活動をターゲットにした共産主義運動があったことは、この問題を研究している学者によって認められています。

私たちは、日本の政治家と裁判所に対し、解散請求訴訟が提起されている宗教法人の資産凍結を認める法案を拒否し、これらの措置の危険で広範囲にわたる影響と、それらが人権を尊重する民主主義国家としての日本の国際的イメージに消えることのない汚点を付けることを認め、解散請求を再考するよう求めます。

私たちは日本と国連の民主的な同盟国に対し、理性、宗教または信仰の自由、および人権の代弁者としてその声を届けるよう求めます。

私たちは、日本に存在するすべての教会と宗教に対し、新たな資産凍結法と解散に反対する声を上げるよう呼びかけます。多くのテーマで家庭連合とどれだけ意見が合わなかったとしても、この新法ならびに刑事訴訟ではなく民事訴訟のみで敗訴した宗教団体の解散を許す前例を作ることは、彼らにとっても脅威となることでしょう。

すべての宗教に影響を与える厳しい制限を課すことを最終目的とする運動から助命されることを望んで沈黙を続けることは、ルーテル派牧師で反体制派のマルティン・ニーメラーの有名な詩に描かれている、ナチス時代の平均的で臆病なドイツの聖職者の立場に彼らを置くことになるでしょう。「最初に彼らは社会主義者を連れ去りましたが、私は声を上げませんでした。なぜなら私は社会主義者ではなかったからです。次に彼らは労働組合員を連れ去りましたが、私は声を上げませんでした。なぜなら私は労働組合員ではなかったからです。それから彼らはユダヤ人を連れ去りましたが、私は声を上げませんでした。なぜなら私はユダヤ人ではなかったからです。そして彼らが私を連れ去りに来たとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていませんでした。」

2023年10月29日

マルコ・レスピンティ:宗教の自由と人権に関する日刊誌“Bitter Winter”の主任ディレクター

ティエリー・ヴァッレ:CAP-LC(良心の自由のための団体および個人の連携)会長

マッシモ・イントロヴィニエ:CESNUR(新宗教研究センター)の共同創設者兼運営責任者

エリック・ルー:EIFRF(欧州超宗派信教の自由フォーラム)議長

フランシスコ・クルト:フェデキンシエメ(共に信仰)共同創設者

アレッサンドロ・アミカレリ:信仰の自由に関するヨーロッパ連合会長

アーロン・ローズ:FOREF(欧州宗教の自由フォーラム)会長

ハンス・ヌート:宗教または信仰の自由のためのジェラルド・ヌート財団理事長

ウィリー・フォートレ:国境なき人権共同創設者・理事長

サム・ブラウンバック大使:国際宗教自由サミット共同議長

カトリーナ・ラントス・スウェット:国際宗教自由サミット共同議長

ラファエラ・ディ・マルシオ:宗教・信仰・良心の自由研究センター運営責任者

ロシタ・ソリテ:避難民の宗教の自由国際観測所会長

カメリア・マリン:ソテリア・インターナショナル副理事長

イバン・アルホナ・ペラド:生活・文化・社会向上財団会長

アーノスト・リベズニー:ローマ教皇の騎士・淑女・紳士たちの世界大信心会

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%81%8C%E8%A7%A3%E6%95%A3%E8%AB%8B%E6%B1%82%E3%81%97%E3%81%9F%E5%AE%97%E6%95%99%E6%B3%95%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%B3%87%E7%94%A3%E5%87%8D%E7%B5%90%E6%B3%95%E6%A1%88%EF%BC%9A%E6%97%A5/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ27


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

日本、宗教、そして統一教会の解散: とある対談

11/06/2023 MASSIMO INTROVIGNE

10月1日に東京で開催されたシンポジウムでは、日本と欧米における宗教と「カルト」に対する異なるアプローチという大きな枠組みの中で、この件が議論された。

マッシモ・イントロヴィニエ著

マッシモ・イントロヴィニエ氏と福田ますみ氏
マッシモ・イントロヴィニエ、ジャーナリスト福田ますみ氏と東京で

「ビター・ウィンター」は、2022年7月8日に安倍晋三元首相が暗殺された直後から、現在は世界平和統一家庭連合と呼ばれている統一教会に関する日本の論争を取り上げてきた。安倍氏は山上徹也という男に殺された。山上は統一教会への過剰な献金のせいで母親が2022年に破産したと主張し、安倍氏がこの宗教運動に関連する団体を支援していることを罰するつもりだった。

山上の発言は、2023年10月12日の政府による家庭連合の解散請求、そして現在係争中の裁判へとつながる一連の出来事の引き金となった。

日本の状況を観察する外国人として、私や他の学者たちは、私たちが信教の自由の原則に反する措置だとみなす背景も理解、研究されるべきだと気づいた。特に、1995年にオウム真理教という宗教団体が地下鉄サリン事件を含むいくつかの犯罪を犯して以来、多くの日本人にとって新興宗教運動は、そして時には宗教一般も、(有益な)資源というよりもむしろ問題として認識されている。

「カルト」が「洗脳」を用いて「被害者」をコントロールするという理論が、欧米では新宗教運動を研究する学者の大多数から、また米国などでは裁判所から、疑似科学的なものとして否定されている事実は、日本では一般には知られていないようだ。欧米で見られた、メディア界に広がっていた「反カルト」論に対する多くの学者による反対運動でさえ、日本では類似したものは見られなかった。日本の学者たちがまだオウム真理教の悲劇に影響されていたからかもしれない。

このような理由から、「ビター・ウィンター」はワシントンを拠点とする国際宗教自由円卓会議の後援を受けて、10月1日に東京で、選定された学者、宗教活動家、記者を対象とした非公開のシンポジウムを開催し、ヨーロッパとアメリカの学者一人ずつ、即ち筆者とウェスタン・ワシントン大学のホリー・フォーク氏が、「カルト」をめぐる世界的な論争について一般的な考察を述べた。

マッシモ・イントロヴィニエ氏の講演
ホリー・フォーク氏による講演

国際宗教自由円卓会議の共同議長であり、米国際宗教自由委員会(USCIRF)の元議長であるナディーン・マエンザ氏と、(国際宗教自由円卓会議とは別組織である)国際宗教自由サミットの共同議長であるカトリーナ・ラントス・スウェット氏が、シンポジウムにビデオメッセージを寄せた。

ナディーン・マエンザ氏によるビデオメッセージ
カトリーナ・ラントス・スウェット氏によるビデオメッセージ

続いて、(自身は家庭連合の会員ではないが)家庭連合の代理人弁護士の一人である中山達樹氏が家庭連合に関する法的問題の説明を行った。

シンポジウムでの中山達樹氏の論説

(社会学部を卒業し)受賞歴のあるジャーナリストの福田ますみ氏は、この事件を調査し始めた当時、特に宗教運動に同情的ではなかった記者としての視点から、家庭連合への反対運動について論じた。そして彼女は、旧統一教会に対する反カルト運動は政治的動機に基づくものであり、しばしば誤った情報に基づいていると結論づけた。

福田ますみの最終論説

シンポジウムは確かに有益だった。欧米の学者たちは、日本人の講演者たちからそれまで知らなかった事件の詳細を学び、おそらく日本の参加者たちは、欧米の学者や宗教的自由の活動家の大多数が、新宗教運動に対する反カルト論に反対している理由をよりよく理解することができたことだろう。

対談は続く。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

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『世界思想』巻頭言シリーズ13:2023年10月号


 私がこれまでに平和大使協議会の機関誌『世界思想』に執筆した巻頭言をシリーズでアップしています。巻頭言は私の思想や世界観を表現するものであると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。第13回の今回は、2023年10月号の巻頭言です。

憲法改正に本気で取り組むべき時が来た

 2020年に公開された映画『日本独立』を、私は映画館で一度見たのですが、今年の終戦記念日にレンタルでもう一度見ました。この映画は白洲次郎と吉田茂を軸に、日本国憲法がどのように作られたかを描いています。一国の憲法がこんな拙速なやり方で決められていいのか、というのが私の率直な感想です。

 いわゆる松本委員会による新憲法の草案があまりにも保守的であったためにマッカーサーはこれをよしとせず、連合国総司令部にいたアメリカの軍人たちによって極めて短期間で草案が作られ、それがほぼそのまま受け入れられて現在の日本国憲法になりました。

 マッカーサーが新憲法の制定を急がせた理由は、極東委員会が動き出せば米国が主体となっている日本の占領政策にソ連が口出しをしかねないので、その前に既成事実を作っておく必要があったからです。

 そのため日本国憲法の前文はそれ以前に存在した歴史的に有名な宣言や文書を寄せ集めて切り貼りしたような内容になっており、しかも英文を翻訳したような不自然な日本語になっています。なによりも日本の憲法でありながら日本の歴史、伝統、文化、国柄などに一切言及しておらず、「日本国の顔」が見えない文章になっています。

 『日本独立』の中で、吉田茂が自分の娘に対して「GHQは何の略か知っているか?」と尋ね、「ジェネラル・ヘッドクオーターじゃないの?」と答える娘に、「いや、ゴー・ホーム・クィックリー(早く帰れ)」だと冗談を言うシーンがあります。

 吉田茂としては、占領軍に逆らっても勝ち目はないから、いまはマッカーサーの憲法を受け入れておいて、講和と独立を勝ち取って米軍がいなくなったら、憲法改正はいくらでもできると考えていたのでしょう。まさかその憲法が施行以来76年にわたって一度も改正されないとは、夢にも思わなかったに違いありません。

 憲法が施行された1947年当時と現在では日本の状況は大きく変わっているのですから、憲法も時代に合わせて改正すべきなのは当然の理です。さらに、憲法では戦力を保持しないと言っているのに、実際には自衛隊が存在するなど、憲法と現実の間に大きな矛盾が生じてしまっています。自衛隊の違憲論争に終止符を打つためにも、憲法改正は必要です。

 昨年7月の参院選の結果、自民、公明、維新、国民を合わせた「改憲勢力」が衆参両院で3分の2を超え、憲法改正の数的基盤は整いました。そして大型国政選挙のない「黄金の3年」の間に憲法改正をやろうというのが岸田政権のプランだったのです。

 しかし、安倍元首相暗殺事件によって引き起こされた政局の混乱と岸田内閣の支持率低下により、「黄金の3年」はどこかに吹き飛んでしまい、盛り上がっていた憲法改正の機運もしぼんでしまいました。

 現在の日本国憲法は日本人の手によって自主的に作られたものではなく、さらにこの憲法の是非について日本国民の総意が問われたことは一度もありません。憲法改正は安倍首相の悲願でした。その遺志を受け継ぐためにも、われわれが憲法改正に本気で取り組むべき時が来たと感じます。

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ26


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。昨年7月8日に起きた安倍晋三元首相暗殺事件以降の日本における家庭連合迫害の異常性を、海外の有識者がどのように見ているかを理解していただくうえで大変有益な内容であると思われたので、私の個人ブログでシリーズ化して紹介することにした。

日本:反カルトジャーナリスト鈴木エイト氏が虚偽記載で提訴される

10/28/2023 MASSIMO INTROVIGNE

UPFとディプログラミング被害者の後藤徹氏は、反統一教会キャンペーンで有名な記者に損害賠償を求める。

マッシモ・イントロヴィニエ著

鈴木エイト氏
ジャーナリスト鈴木エイト氏 出典:X(旧ツイッター)

今月、日本で提起された2つの訴訟によって、日本の裁判所の独立性と、不人気なグループであればどんなことでも何のおとがめもなく非難することが許されるのかという2つのことが試されることとなる。民主主義国家は言論の自由を保護しており、その中には気に入らない団体を批判することも含まれる。しかし、厳しい批判と明白な嘘とは明確に一線を画している。

例えば、(筆者を含む)多くの人々がQアノンに対して非常に否定的な意見を持ち、その危険な陰謀論を暴露しているかもしれない。しかし、Qアノンのリーダーも、彼らが他者に対して広めるのと同じ種類の虚偽の告発から守られている。もし私が、Qアノンの活動家が親プーチン派の投稿をすることでロシア大使館から何百万ドルも支払われている、とか、彼らには児童虐待の犯罪歴がある、などと書いたとして、その告発の証拠を何も提示できなければ、私はおそらく彼らに訴えられ、当然のことながら損害賠償を支払わなければならないだろう。Qアノンが社会的に負の役割を果たしているという議論は、激しい批判を正当化するために使うことができるかもしれないが、明らかに虚偽であるQアノンのリーダーについての発言は許されないだろう。これが民主主義の仕組みだ。政権に反対する者や一部の少数派宗教を含む「望ましくない」とレッテルを貼られた集団が、どんなことで非難されても自らを守る術を持たないのは、ロシアや中国のような全体主義体制でのみ起こることである。

鈴木エイト氏は、(現在は世界平和統一家庭連合と呼ばれている)統一教会や、その他の「カルト」を攻撃することを零細ビジネスから儲かるビジネスに変えた日本のジャーナリストである。私の個人的見解では、これは不道徳であるが、違法ではない。「カルト」のレッテルを貼られた少数派宗教に対する偏見は、日本社会とメディアに広く浸透して(日本に拠点を置く外国人記者にも及んで)いるため、鈴木氏は賞まで受賞している。

しかし問題は、民主主義国家において、鈴木氏のような人物が、統一教会やその信者、関連する組織に対して虚偽の声明を発表し、統一教会が、日本政府が解散させようとしている「反社会的」組織であるという論拠を盾にして、その嘘から逃れることが許されるべきかどうかということである。日本の裁判所は今、2つの別々の訴訟でこの疑問に答えなければならない。

1つ目の訴訟は、統一教会の創設者でもある故文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁とその妻である韓鶴子(ハン・ハクジャ)博士によって設立された、国連の総合協議資格を持つNGOであるUPFによって起こされた。「ビター・ウィンター」が発表した白書に記されているように、UPFは統一教会との関係を一切隠していないものの、統一教会に代わって布教活動を行うことはなく、「平和大使」としてUPFの行事に参加し活動している人々の大半は家庭連合の会員ではない。

暗殺された安倍晋三元首相は、2021年9月に韓国で開催されたUPFのイベントにビデオメッセージを寄せた。鈴木エイト氏は、安倍元首相はこのビデオメッセージに対して5000万円(334,000ドル)を受け取ったと繰り返し述べている。UPFは、安倍元首相に報酬を一切支払っていないと主張している。政治資金規正法違反や脱税をしたこととなるので、亡き安倍元首相をも中傷する発言である。鈴木氏は、UPFと統一教会とのつながりを批判したことでUPFから迫害されていると主張して煙幕を張ろうとしているが、問題はもっと単純だ。UPFがビデオメッセージの報酬として安倍元首相に5000万円を支払ったか、支払わなかったかである。もし鈴木氏が5,000万円を支払ったという証拠がないのであれば、彼は原告であるUPFに損害を与える嘘を広めたことになり、損害賠償を支払わなければならない。UPFが良い組織なのか悪い組織なのか、統一教会とどのようなつながりがあるのかは、訴訟の主題ではない。裁判所が検討すべき唯一の問題は、UPFが安倍首相に5000万円を支払ったという証拠が鈴木氏にあるかどうかである。もしその証拠が存在しないのであれば、裁判所は鈴木氏を嘘つきであり中傷をした者であると断定し、その代償を支払わせるべきである。

2つ目の訴訟は、ディプログラミングという醜悪な犯罪の最も有名な被害者である後藤徹氏によるものだ。ディプログラミングとは、アメリカで生まれ、後に日本に輸出された行為で、「カルト」のレッテルを貼られた団体の成人会員を誘拐して監禁し、信仰を棄てるまで宗教運動に関する否定的な情報や肉体的・精神的暴力を浴びせるというものである。欧米の民主主義諸国は前世紀にディプログラミングを違法としたが、日本では後藤徹氏の事件までは存続していた。彼は誘拐され、隔離され、栄養失調になり、12年5ヶ月という信じられないほど長い期間虐待された。その苦難がようやく終わったとき、彼はまるでナチスの強制収容所の生き残りのようだった。

後藤徹氏
解放後の後藤徹氏。

2014年に高裁は、後藤氏の苦しい体験を詳細に再現し、判決で多額の損害賠償が認められ(2015年に最高裁でも確定し)た。また、そのときに2つの抗弁、一つは、統一教会が「反社会的」組織であるという事実が、その信者を誘拐し、不法に拘束することを正当化するというもの、そしてもうひとつは、最初に何度か試みた後、もはや逃げようとしなかったことから、後藤徹氏がディプログラミングを「自発的に」受けたというものであったが裁判所はこれらを明確に否定した。高裁は、後藤徹氏について、「それまでの経験や、近所にディプログラミングの関係者がいたことから、逃げようとすれば妨害され、逆に監視が厳しくなることを十分認識していた。したがって、この(脱走しようとしなかった)ことは、控訴人(後藤徹氏)の自発的な意思によるものではないと判断する」と述べた。

この事件は最高裁の最終判決によって終結した。これにより、他の宗教的マイノリティの信者も同じ目的で誘拐されていたことはさておき、統一教会信者だけで4千人以上の犠牲者を出していた日本におけるディプログラミングという犯罪行為に終止符が打たれた。

後藤徹氏の事件は、弁護士やジャーナリストが(全員一致ではないにせよ)ディプログラミングを支持していた日本の反カルト運動の評判に傷をつけた。鈴木氏はこのことを熟知していたにも関わらず、後藤氏が自発的にディプログラミングを受けたという古い主張を繰り返した。さらに悪質なことに、鈴木は後藤徹氏のケースを「ひきこもり」と決めつけた。「ひきこもり」とは日本独特の現象で、社会から引きこもり、親や社会保障に経済的に支えられながら、ほとんどの時間を自室で過ごすという、何十万人もの若い男女が陥っている現象である。

後藤徹氏もまた、名誉を著しく傷つけられたとして鈴木氏に対して訴訟を起こしている。明らかに、「ひきこもり」の自発的な隔絶と、他人に誘拐され、監禁され、虐待されることは、まったく異なるものである。今回の訴訟の場合、裁判所が後藤徹氏に実際に何が起こったのかを確認する必要はないはずだ。この調査は、2014年と2015年に高裁と最高裁がすでに行い、後藤氏が自発的にディプログラミングと虐待を受けたという後藤氏の親族やディプログラマーによる弁明を明確に否定した。鈴木氏は、裁判所によってすでに虚偽であることが暴かれているこのとんでもない理論を繰り返したのである。国の最高裁が間違っていたことを証明できない限り、鈴木氏は後藤氏の名誉を毀損したのであり、処罰されるべきである。もう一度言うが、統一教会が良い組織か悪い組織かは、この訴訟には関係ない。

記者会見での自撮り
後藤徹氏(着席、右)と弁護士による記者会見に臨む鈴木エイト氏(左)。出典:X

予想通りだが、後藤徹氏と弁護士による記者会見に登場した際やその後のインタビューで、鈴木氏は自身の言論の自由が侵害されており、これらはスラップ訴訟(公的参加に対する戦略的訴訟、口封じ訴訟)であると主張した。これもまた虚偽の主張である。UPFも後藤徹氏も、鈴木氏が自分たちや家庭連合を批判するのを阻止するよう裁判所に求めてはいない。この訴訟は、UPFがビデオメッセージのために安倍晋三氏に5000万円を支払ったことと、後藤徹氏が自発的にディプログラミングと虐待を受けたという、鈴木氏による2つの具体的な発言に対するものである。

もし鈴木氏がこれらの発言が真実であることを証明できなければ、敗訴し、損害賠償を支払わなければならない。後藤徹氏のケースは日本の最高裁判所の最終決定があり、真実だと証明できる可能性は極めて低い。しかし、正当な理由のない政府による家庭連合解散請求によって作られた風潮の中で、何でもありになり、鈴木氏が嘘をつき、生者と死者の評判を地に落とすことが許されてしまう場合は、この限りではない。しかしこれは、日本の民主主義の友人として、また称賛者として、考えたくない可能性である。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%ef%bc%9a%e5%8f%8d%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%88%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%83%8a%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e9%88%b4%e6%9c%a8%e3%82%a8%e3%82%a4%e3%83%88%e6%b0%8f%e3%81%8c%e8%99%9a/

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