第一章 「青春を返せ」訴訟について


第一節 「青春を返せ」裁判とは

 

「青春を返せ」裁判とは、世界基督教統一神霊協会(以下、統一教会)を脱会した元信者らが数人単位、都市部では数十人単位で、統一教会を相手取って起こしている集団訴訟のことである。原告である元信者らの主張はおよそ次のようなものである。「われわれは統一教会の名前も実態も知らされないまま虚偽の勧誘を受け、正常な判断能力を奪われて入信させられた。その結果、長期にわたって精神的に抜き差しならない状況に置かれ続け、違法な行為(いわゆる霊感商法をはじめとする経済活動)に従事させられ、この間ただ働きであったので、その逸失利益、慰謝料等の請求をする」。このような裁判は現在(一九九九年七月現在)全国で六件が係争中である。

この裁判の原告らは、訴状などでは一切触れていないが、ほぼ全員が統一教会の教理と活動に対して強い反対の行動を取っているいわゆる「反対牧師」や、信者の家族から改宗を専門的・職業的に請け負う人物らに教唆された家族たちによって拉致・監禁され、長期間の肉体的な拘束下、統一教会への信仰を捨てない限り解放されないという精神的重圧下において、牧師などに棄教を迫られ脱会に至った人たちである。

これらの元教会員たちは拉致・監禁されて、強制改宗されるまでは、統一教会員として熱心な信仰心をもち、伝道や教育等の活動に喜んで参加していた模範的な信徒たちであった。しかし、いったん拉致・監禁されて棄教に及んだ後は心変わりし、統一教会およびその教義に対して極めて強い敵意をもつようになった。これは改宗プログラムの中で教会に対する敵愾心が徹底的に植え込まれたためである。このような統一教会の信者に対する拉致・監禁による強制改宗事件は、ここ数年間、年間二百件から三百件も起こっている。

 

暗躍する改宗請負人や「反対牧師」

一九九六年十一月に出版された『人さらいからの脱出・違法監禁に二年間耐え抜いた医師の証言』(光言社 小出浩久著)は、このような違法な拉致・監禁、強制改宗について詳しく述べている。

小出氏は自治医科大学に在学中「統一原理」と出合い、その後豊島区の総合病院「一心病院」で内科医として働いていた。しかし彼の知らないうちに、改宗を請け負う人物らが彼の両親を説得し、拉致・監禁する以外に子供を統一教会から脱会させることはできないと思い込ませていたのである。そうとは知らずに帰省した彼は、思い詰めた両親、それに協力する親族、元信者らによって拉致され、杉並区荻窪のマンションに力ずくで連れ込まれ監禁された。一九九二年六月十三日のことである(小出浩久『人さらいからの脱出』一七〜一九ページ)。その後、元信者らが監視する新潟などのマンションを転々とさせられた。その間、両親から脱会をしない限り何年でも監禁を続けると脅され、さらには牧師や元信者、改宗を請け負う人物らの執拗な説得を受けながらも信仰を保ち続け、二年後に、すきを突いて違法監禁から逃れている。この間、彼は暴力を受けたり、殺されるかもしれないというような脅迫を受けたりしたという。

彼の著書によれば、彼が監禁されるまで両親は、統一教会員の脱会を、お金を取って請け負う宮村峻なる人物の勉強会に通っていたという(同一四〜一七ページ)。「青春を返せ」裁判の原告らの拉致・監禁にはこの宮村峻という人物が深く関わり、これら裁判の提訴に至るときも、この人物が元信者に原告となるよう執拗に説得するなど、深く関与しているのである。

改宗請負人らのやり口は、拉致・監禁で脱会させた元信者を使って、現役統一教会員の父兄の相談に乗るところから着手する。その際、彼は元信者たちに統一原理を信じて活動していた時のことを誇張して証言させ、「統一教会は反社会的団体であり、子供たちは悲惨な生活をしている」と、親たちが不安になるようなことを次から次へと証言させ、親が自分たちを信じざるを得ないような状況に追い込んでいくのである。そしてこの勉強会で一方的情報と知識を与えられた親たちは、「子供が入っているのは反社会的団体というような生易しいところではなく、悪質な犯罪組織だった」とまで思い込んでいくようになり、やがて深刻になった親たちは、何が何でも息子あるいは娘を統一教会から脱会させなければならない、という心境にまで追い込まれてゆくというのである。

これは宮村氏だけに特有の手口ではなく、「反対牧師」と呼ばれるキリスト教の牧師にも共通している。小出医師は新潟で監禁されていたときは、新津福音キリスト教会の松永堡智牧師の執拗な棄教強要を受けているが、同牧師が開いている信者の親たちに対する勉強会に参加していたときにも、一方的情報と元信者の話を利用して、親の不安をあおりたてるという全く同様のことが行われていたとのことである(同一五〜一六ページ)。このように親の不安をあおり、親たちに拉致・監禁をするように仕向けるという手口は、統一教会に反対するグループに共通したものである。またこのような勉強会では、拉致・監禁の方法や、監禁場所の設定の方法(逃げられなくする等々)までも教育されているのである。

小出氏の体験では、このような監禁下で説得を受けて脱会を決意させられると、その後、知っている限りの信者の名前と住所を書かされ、さらに、信仰をもっていたときに行っていたことの反省文を書かなければならず、それは細かく牧師にチェックされたという。そして脱会の意思の最終確認として、脱会書を教会あてに書かせると同時に、テレビに出演させて統一教会に反対する発言をさせ(同一二七〜一三三ページ)、教会を相手取った損害賠償請求訴訟を起こさせるのである(同一六二〜一七四ページ)。これらはまさに「踏み絵」としての意味をもっている。すなわち彼の脱会書や提訴の書類は、本人の自発的な意思によって書いているのではなく、それを書かなければ監禁を解かれないという状況の中で、強制的に書かされたものなのである(同一九一ページ)。

 

強制改宗に加担する弁護士たち

さらに驚くべきことに、一部の弁護士、特に全国霊感商法対策弁護士連絡会所属の平田広志弁護士は、暴力等を用いた拉致・監禁による強制改宗という人権侵害の現実、実態には目をつぶるばかりでなく、拉致・監禁による強制改宗の現場に赴くなどして、これら違法行為に加担するような事実も存在している(同二八ページ)のである。また「青春を返せ」訴訟を担当している中心的な弁護士である山口広弁護士と紀藤正樹弁護士は、宮村峻氏の引き合わせで小出医師と会っている。一九九二年十月二十三日、宮村氏の依頼で彼ら二人はわざわざ東京から新潟まで赴き、新潟市白山にある新潟合同法律事務所で小出氏と面会しているのであるが(同一六二ページ)、小出氏が受けた印象によれば、彼らは小出氏が自由の身でないことは十分承知であり、宮村氏がどのような方法で彼を監禁しているかも知っていたという。にも関わらず、一方では内容証明付きの郵便で統一教会や一心病院に対してさまざまな要求を行うための実務を積極的に進め、それに応じる回答がなければ調停を起こすことまでしている。小出氏によれば、彼ら二人の弁護士は、「統一教会のすべては社会悪である」という信念ともいえる思い込みに動かされているようであったという(同一六七ページ)。

小出氏の証言によれば、氏への改宗工作に携わった松永牧師は、月に一回ほどのペースで弁護士たちと合宿をもっているという。そこはいわゆる反対牧師と弁護士が交流を深める場であると同時に、新しい脱会者と弁護士を引き合わせるための場としても機能しているのである。監禁の最中に牧師は担当になる弁護士を紹介して、会う日程まで決めている。そしてそれらの脱会者が「青春を返せ」訴訟を起こすのであるが、そのほとんどは本人たちの自発的意思でやっているのではなく、松永牧師や宮村氏に説得されてやっているのだというのである(同一七二ページ)。この裁判が個人ではなく、集団訴訟になっている理由はここにある。

すなわち、統一教会の元信者たちによる「青春を返せ」裁判は、「意図的に作り上げられた社会問題」という性格が強いのであり、彼らは違法な手段で強制的に信仰を棄てさせられた上に、反統一教会グループの勢力拡大のために利用されているのである。そして彼らは訴訟ばかりではなく、マスコミを使った統一教会バッシングにも利用されている。

 

利用される『週刊文春』、TBS

小出氏が新潟県の笹神村にある山荘に監禁されていた一九九三年七月初めに、有田芳生氏と週刊文春の記者が監禁現場の山荘にまでやってきて、小出氏から三、四時間にわたって話を聞き、その内容を同年九月十六日付けの『週刊文春』の記事に使っている。もちろん彼らは小出氏が監禁されていることは百も承知であり、彼らは小出氏に対し「一年間も閉じ込められていて、よく耐えていられましたね」と言っている。にも関わらず、彼らはこのような違法行為に目をつぶるだけでなく、記事には小出氏が監禁されていることは一切書かずに、その発言の中から統一教会叩きに都合の良い部分だけを利用したのである(同一二一〜一二三ページ)。

これはTBSも同じである。同じ年の九月に、宮村氏は小出氏が弟の結婚式に参加するのを許可する条件として、TBSの報道特集に小出氏を出演させ、統一教会と一心病院を批判するよう強要している。TBSは違法な監禁行為を行っている宮村氏と結託して統一教会叩きの番組を作っていたと思われ、新潟市で録画取りが行われた際には、氏家真理ディレクターをはじめとするTBSの番組制作スタッフは、宮村氏が提供する偏った情報にのみ基づいた番組作りをしていたという(同一二七〜一三四ページ)。

週刊文春やTBSなどのマスコミが公正中立な立場を離れ、違法行為を行う反統一教会グループと結託して反統一教会キャンペーンの一役を買ったことは明らかである。これらマスコミは反統一教会グループの犯罪行為に加担し、彼らによって意図的に作り上げられた社会問題を世間に宣伝する役目を果たしているのである。

日本のような民主国家において、このような人権侵害がいまだに看過されているということは、民主主義の根幹に関わる大問題であり、日本における人権意識の後進性を物語るものである。

 

 

アメリカにおける強制改宗

こうした強制改宗は一時期アメリカでも見られたが、今ではそれは違法なものであるという見方が法的にも社会的にも定着している。アメリカでは「ディプログラミング」と呼ばれる強制改宗を行う反カルト組織が一九七四年ごろから多数出現し始めた。その中でも特に有名になったのが、コロラド州デンバーの市民自由財団(CFF)で、一九七〇年代の終わりには全米五十州のほとんどで支部が結成された。この組織は、「ディプログラミングの父」と呼ばれるテッド・パトリックによって創設されたもので、その手法は基本的にターゲットとなる宗教団体のメンバーを拉致・監禁し、彼らがその信仰を棄てるまで長期間にわたって心理的圧迫を加えるというものであった。

このように「ディプログラミング」そのものが明確な犯罪行為を伴うものであるために、その創設者テッド・パトリックも、無数の不法監禁罪、婦女暴行、誘拐、拉致、および暴行などの罪で有罪判決を受けることとなり、長期間の禁固刑に服する結果となった。

このCFFは一九八六年に名称を「カルト警戒網」(Cult Awareness Network:CAN)に変更したが、その暴力的体質はいっこうに改善されなかった。CANの任務は、表向きはさまざまな宗教運動についての正確な情報およびカウンセリングを社会に提供することとなっていたが、その活動の実態はあからさまな誘拐や、被害者の意思に反しての拉致・監禁であったため、CANの活動家たちは無数の逮捕、検挙、裁判起訴、禁固刑を受けるに至ったのである。

全米キリスト教協議会(NCC)は、一九七四年にディプログラミングに反対する決議を採択している。それによれば、「身代金目的の誘拐は実際憎むべきであり、宗教的な再回心を強制するための誘拐も同様に犯罪」であり、世界人権宣言にも反する。「われわれはある宗教団体が暴力や薬物や催眠術や〈洗脳〉などによって若者を〈捕らえている〉と非難されていることを知っている。もしそのことが本当であれば、そのような行動は法の下で起訴されるべきであるが、今までのところその証拠はない。むしろ暴力を明らかに用いているのは自称救出者の側である」としている(渡邉学「�カルト�論への一視点:アメリカのマインド・コントロール論争㊦」『中外日報』平成十年十二月十七日付)。

このようなCANによる信教の自由および人権に対するあからさまな侵害を看過できなくなった警察は、一九九二年十一月十八日付の全米警察署長協会(National Association of Chiefs of Police)の公式文書で、CANの活動の違法性を明確に指摘し、違法な強制改宗を停止させるために努力する旨を発表した。

そして一九九六年、この悪名高いCANの歴史についに終止符が打たれた。九一年にリック・ロスと他の強制改宗屋がジェイソン・スコットという若者を「ライフ・タバナクル教会」から脱会させるためにディプログラミングを施そうとしたが、彼は脱会せず、逆にロスを相手取って損害賠償を求める民事訴訟を起こしたのである。九五年九月、法廷は総額約五百万ドルの損害賠償をスコット氏に支払うよう原告側に命じた判決の中で、このディプログラミングの責任がCANにもあることを認め、懲罰的罰金百万ドルを含む合計百九万ドルの賠償金を支払うようにCANに命じ、CANはこの判決により破産を余儀なくされた。これは違法な強制改宗を行った組織が迎えるべき、当然の末路であった。

このCANは九六年十月、宗教的人権を守ろうとする人々によって買い取られ、現在ではむしろ新宗教に対する偏見を取り除く目的で運営される組織に生まれ変わっている。名称が同じであるため、今でも多くの新宗教信者の親から問い合わせがあるというが、現在のCANは新宗教についての公平かつ客観的な情報を提供することを活動の主体としている。

 

人権侵害を黙殺し続ける警察当局

しかし日本においては、親族がその子弟を救出するという、「親子の問題」としての一面のみがクローズアップされており、「親子問題には介入しない」という口実のもと、こうした違法な拉致・監禁行為が警察によって黙殺されているばかりか、警察が逆に拉致・監禁に協力するという事例さえ見られる。また法務省法務局の人権擁護課をはじめとする政府機関は、このような被害状況についていくら説明して救済を求めても何らの対応もせず、明らかな人権侵害を黙殺しているのである。これは「信教の自由」ならびに「基本的人権」という観点から見て極めて重大な問題である。

 

 

 

第二節  崩壊した「マインド・コントロール理論」

 

「青春を返せ」裁判において、原告側は統一教会に入信させられる際、自由意思と正常な判断能力を奪われたと主張している。いわゆる「マインド・コントロール」をされたという訳である。日本でマインド・コントロールという言葉が頻繁に使われるようになったのは、一九九三年に山崎浩子さんが統一教会を退会した事件からであり、米国の元統一教会員スティーヴン・ハッサン氏の著書『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版、浅見定雄訳)がこの言葉を広める中心的役割を果たしたと言えるであろう。しかし一九九六年五月に、鮮文大学・神学大学院院長の増田善彦氏の著作『「マインド・コントロール理論」その虚構の正体』が出版されることにより、この理論が明らかに反宗教的なイデオロギーに基づいた非科学的な「空論」であることが明らかにされた。

増田氏の著作によれば、米国版の「青春を返せ」裁判とも言える「モルコとリール」対「統一教会」の裁判において、「強制的説得」(マインド・コントロール)理論の専門家とされる心理学者のマーガレット・シンガー博士によって「カルトによる勧誘と教義注入の方法についての研究」が提出されたが、その理論は一九八七年に米国心理学会(APA)を代表する学者らが提出した法廷助言書によって明確に否定されたという。すなわち米国では既に、マインド・コントロール理論は心理学の専門家による客観的な助言としては認められないものであることが法廷で確認されているのである。この辺の詳しい内容については増田氏の著作に書かれているので、本書においては自由意思の問題についてのみしばらく考察したい。

 

信憑性に欠ける「強制的説得」

APAの代表的学者らが提出した「法廷助言書」によれば、マーガレット・シンガー博士とサムエル・ベンソン博士は「強制的説得」を、教会の伝道担当者が「入会候補者の自由意志と判断能力が事実失われるように、入会候補者を取り囲む交際による感化力(影響力)を計画的に操作しつくりだす活動の過程」と定義している(増田善彦『「マインド・コントロール理論」その虚構の正体』一一九ページ)。そしてそれが信者の自由意志を剥奪し、組織的にだますことによって統一教会に入会させるための手段であるとし、そのことによってこうむった精神的、肉体的損害に対する損害賠償を求めることを支持しているというのでのである(同一一八ページ)。

専門家が法廷で証言する場合、その主張は観察と測定によって証明できる実証的なものでなければならず、さらに特定分野の専門家に広く受け入れられたものでなければならない(同一二二〜一二五ページ)。しかし「自由意志」という人間の性質は、それ自体を定義したり測定したりすることが極めて難しい、人間存在の最も深い神秘に関わるものであるために、強制的説得によって「自由意志が剥奪された」ということを科学的に測定することは、実際には不可能であると言われているのである。したがって、それは科学の領域を逸脱しているために、「専門家による科学的発言」とは認められないものであるという(同一二七ページ)。

科学的観点から言えば、「強制」は外的な環境に属するものであり、ある特定の刺激に対して大多数の人が限定された範囲の行動を示したとすれば、その刺激は効果的な強制であると言うことができるが、逆にその刺激に対して多くの人がさまざまな反応を示したとすれば、その刺激が特定の行動を「強制した」と言うことはできない。一九七〇年代にアメリカ、イギリス統一教会の入会過程を研究したアイリーン・バーカーの著書『ムーニーの成り立ち』(一九八四年)によれば、統一教会の研修会に参加した者たちが入会に同意する割合は平均で一〇%以下であり、二年後まで残る者は四%以下であるという調査結果が出ている。また、ギャランターによる『団体形成の精神分析』では、一週間以上入会した者が九%、一年以上会員であったものが六%以下という結果である。したがってマーガレット・シンガーの主張する「強制的説得」理論は、科学的評価で判定すれば信憑性に欠け、むしろ統一教会の研修会は強制的でないという結論を導き出すのが科学的な判断であると言えるのである(同一二七〜一二九ページ)。

日本においては外部の学者による統計調査は存在しないが、統一教会の信徒団体が一九八四〜九三年にわたって一部地域で行ったサンプリング調査がある。それによれば、その十年間に伝道されて定期的に統一原理を学習するようになった者三万六千九百十三人のうち、二日間の修練会に参加した者が一万四千三百八十三人(三九・〇%)、四日間の修練会に参加した者が八千二百五十八名(二二・四%)、そしてその中から自主的に実践活動を行う信者になった者が千二百七十四名(三・五%)であるという結果が出ている。このデータによれば、修練の過程において大部分の者が去っていることがわかり、統一教会信者によるこの伝道方法は基本的に対象者の意思決定を強制する過程ではなく、教義を受け入れる者を選抜する過程であるという結論を出すのが妥当であると言える。

また信者になった後も、統一教会には肉体的拘束は一切ないのであるから、去ろうと思えばいつでも教会を去ることは可能であり、実際に多くの人々が自発的に教会を去っている。そのような状況下で数カ月から数年も教会に所属していたということは、本人の自由意思による判断であるとしか考えようはないのである。

一方、統一教会総務部が行った調査によれば、一九九〇〜九二年にかけて「反対牧師」らによって拉致・監禁された統一教会信者九百四十一名のうち、退会に至った者の数は六百一名(六三・九%)であり、監禁から逃れて無事教会に戻った者の数は二百三十三名(二四・八%)に過ぎない(残りの一一・三%は消息不明)。これらのデータによれば、統一教会の伝道方法よりも、「反対牧師」らによる統一教会信者の改宗行為のほうがはるかに「強制的である」という結論が出るのではないか。そしてこの数値の違いをもたらす決定的な原因は、統一教会の伝道方法が肉体的拘束を伴わないものであるのに対し、「反対牧師」らによる改宗行為が身体の自由を奪い、本人が棄教を受け入れるまで執拗に説得を繰り返すものであるという点にある。

日本における「青春を返せ」訴訟の原告である元信者らは、一連の裁判の中で「統一協会からの離脱の困難性」として、「一旦『みことば』(文鮮明師の発言や統一協会の教義)を聞いた者が、それを裏切ることは永遠に残る神への不信であり、本人はもとより一族は全て不幸に陥ると信じ込まされる。このため原告らにとって統一協会を離脱することは命がけの極めて困難な決断となる」と述べて、間接的に、前記の違法監禁を正当化しようとしている。しかし事実はさまざまな理由により、驚くほど自由に教会を去っている人が大勢いるのであり、その数は強制改宗によって教会を離れる人の数とは比べものにならないほど多い。したがって「統一協会を離脱することは命がけの極めて困難な決断」と原告らが主張するならば、それはとりもなおさず原告らが統一原理を深く信じ、それだけ篤い信仰をもっていたことの証左であり、自由意志だけでは脱会を考えることはしなかったいということを意味するのである。

 

科学研究の原則を無視した結論

またシンガー、ベンソン両博士らが統一教会の伝道方法は強制的であるという結論を導くに至ったその方法論は、社会科学の分野においては拒否されているものである、とAPAの「法廷助言書」によって批判されている。これは彼らが教会の元会員とその家族に対するインタビューにのみ基づいて結論を導き出しているためであり、そのような研究アプローチは学術研究の基本的原則を満たしていないと批判されているのである。このような情報源における体系的偏向は「選択の問題」と呼ばれており、これはさまざまなグループを比較研究することによって結論を導き出すという科学研究の第一原則を、シンガー・ベンソン両博士が無視していることを意味している(前掲書一三六ページ)。

また両博士がインタビューをした対象者のほとんどが教会を自発的に離れたのではなく、誘拐され、暴力改宗とカウンセリングを受け棄教・退会した人々であるという事実は、それが教会への回心の性質を評価する上での中立的証拠となり得ないことを示している。最近の幾つかの研究では、暴力改宗を受けた人は自発的に離れた人に比べて、元の組織に対してはるかに強い敵意を抱き、「洗脳」や強制的説得の被害を主張することが分かっている。これは暴力改宗者が、信者を脱会させるプロセスにおいてマインド・コントロールや洗脳といった概念を教え込むためであり、また脱会した信者たちも、最初の入会の動機を「洗脳された」という言葉で合理化して説明し、自分の過去の行動の責任を教会に転嫁することによって、家族や友人に対する心理的な負い目から解放されようとするためであるとされているのである(同一三八〜一四二ページ)。また他の研究によれば、強制改宗を受けた人たちは自発的に新宗教から離教した者たちと比較して、はるかに多く感情的傷害状況を表しているということが分かっているのである(同一四五ページ)。

これについては南山大学教授の渡邉学氏が次のように詳しく報告している。

 

自発的に「カルト」を辞めた者とディプログラミングを受けた者との比較研究がなされているが、一般に前者は精神の健全度を維持できている者が多いが、後者の場合には強度の不安や精神の不安定さに脅かされている者が多いという結果が出た。

例えば、愛の家族、ハレ・クリシュナ、統一教会の自発的脱会者四十五人を対象にした一九八七年の調査では、怒りを感じた者が七%、洗脳されたと感じた者が九%、経験によって賢くなったと感じた者が六七%などとなっている。

ブロムリーとルイス(一九八七年)の研究は、自発的脱会者(A群)、自発的に脱会カウンセリングを受けた者(B群)、強制的に脱会カウンセリングを受けさせられた者(C群)を比較検討し、自発的か否かを問わず、むしろ脱会カウンセリングを受けた者の予後が思わしくないことを示唆している。

A群の数値がすべて一一%以内なのに対して、自発的にせよ強制的にせよ、脱会カウンセリングを受けた者は、絶対的に数値が高い。

意識の浮遊や変成状態があるという問いの場合、B群が四一%、C群が六一%(それに対してA群は一一%)イエスと答え、悪夢があるという問いの場合、B群が四一%、C群が四七%(A群は一一%)、健忘症(記憶消失)があるという問いの場合、B群が四一%、C群が五八%(A群は八%)イエスと答えた、などという結果になっている。

A群とB群あるいはC群との相違はきわめて顕著である。(『中外日報』平成十年十二月十七日付)

 

日本における「マインド・コントロール理論」の崩壊

日本においても「自然退会者」は数の上では強制改宗による退会者よりもはるかに多いのであるが、自然退会した元信者が教会を相手取り、だまされた、脅された、不法行為に従事させられたとして損害賠償を請求するようなケースはほとんど存在しない。したがって一連の「青春を返せ」裁判が、拉致・監禁による強制改宗の中の一つのプログラムとして組織的に起こされていることは明らかであり、それこそ「自由意志と正常な判断能力を奪われた」状況の中で、提訴を強要されて起こした裁判なのである。

日本における「青春を返せ」裁判に対する初の判決は、一九九八年三月二十六日に名古屋地裁で下された。この裁判では統一教会を相手に元信者の女性六人が総額六千万円余の損害賠償を求めていたが、稲田龍樹裁判長は原告側の請求を全面的に棄却する判決を言い渡した。この判決はいわゆる「マインド・コントロール」なる概念が日本の司法の場で認められるか否かを最初に判断したものであったが、同裁判長が下した結論は、「原告らの主張するいわゆるマインド・コントロールは、それ自体多義的であるほか、一定の行為の積み重ねにより一定の思想を植え付けることをいうととらえたとしても、原告らが主張するような強い効果があるとは認められない」というものであった。

また同年の六月三日にも岡山地裁で同様の判決が下されている。これは統一教会を相手に元信者の公務員男性が二百万円の損害賠償を求めた裁判であったが、小沢一郎裁判長は「原告○○は最初に勧誘を受けてから棄教・脱会に至るまで約一年五カ月の期間を要しているが、その間、被告法人の教義、信仰を受容する過程において、その各段階毎に自ら真摯に思い悩んだ末に、自発的に宗教的な意思決定をしているというほかはない」と述べ、勧誘や教化のあり方についても「社会的相当性を逸脱したものとまではいえない」として、原告側の訴えを退けている。

さらに翌年三月二十四日にも、元信者の女性会社員が統一教会を相手に慰謝料など計約九百三十万円の損害賠償を求めていた訴訟の判決が岡山地裁で下されたが、上記二件の判決と同様の理由によって原告の請求が棄却されている。この判決では原告は控訴を断念し、原告敗訴の判決が確定している。

これらの判決によって、米国に引き続き日本においても、司法の場でいわゆるマインド・コントロールの実効性が否定されたことになり、同理論の実質的な崩壊を印象づける結果となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第三節  宗教心は精神病理か

 

「洗脳」や「マインド・コントロール」といった概念は、「青春を返せ」裁判の背景となっている拉致・監禁などの違法行為を正当化するための概念として用いられる。これらの概念の信奉者たちは、新宗教は信者たちを一種の催眠術によってだましているのであり、信者はみな「被害者」なのだから、救済しなければならないという論理に基づいて行動し、そのためには多少の強硬手段もやむを得ないと思っているのである。このようなエセ心理学とも言えるものが持ち出されるのはなぜであろうか? 日本においても欧米においても、信教の自由が憲法によって保証されているのであるから、ただ単に教えが奇異であるとか、いかがわしく見えるというだけでは決定的な批判の根拠とはなり得ない。それを根拠として悪口を言うぐらいはできるであろうが、法的な制裁を加えたり、強力な社会的圧力を生み出すには不充分なのである。そこで新宗教の批判者たちは、自分たちの「敵意」や「嫌悪」に科学的な権威づけをする必要に迫られた。かくして、医学的な響きをもったプロパガンダ用語が新宗教の弾圧を正当化するために盛んに用いられるようになったのである。

 

戦前からあった新宗教に対する偏見

このような「洗脳」や「マインド・コントロール」の概念は最近になって現れた新手の概念であるかのように思われているが、新宗教の教祖や信者を精神的な病理にかかっていると見る見解そのものは、実は戦前から存在する相当に歴史の古いものなのである。日本において新宗教運動を病的現象としてとらえる批判が登場するのは大正期であり、それをリードしたのは中村古峡(一八八一〜一九五二年)、森田正馬(一八七四〜一九三八年)らの精神医学者であった。

彼らの研究の基盤となったのは、いわゆる狐憑現象を精神病の一種として見る立場であり、門脇真枝(一八七二〜一九二五年)の『狐憑病新論』(一九〇二年)をその先駆的な研究として挙げることができるであろう。中村古峡は、大正五(一九一六年)年に自ら主宰する日本精神医学会の雑誌『変態心理』を発行し、天理教と大本教の批判に乗り出した。彼は日本の伝統的な俗信やそれに類似する新宗教に強い敵意を抱いていた人物であり、そのような迷信邪教をなくすことを自らの使命であると考えていた。この雑誌『変態心理』に掲載された論説は、次々に単行本としてまとめられていった。一九二〇年に出された『大本の解剖』で中村は、大本の神論は宗教性妄想患者の濫書であり、鎮魂帰神は催眠術、神懸は催眠状態中の人格変換、そして預言の的中は註解者出口王仁三郎の牽強附会にすぎないと述べている。さらに出口なおについては、本人が精神病者であると決めつけた上で、その「お筆先」(『大本神諭』)についても妄想性痴呆患者によく現れる濫書症の類いであると切り捨てている。そして、この精神病者の周りに、迷信家、宗教妄想患者、山師連そしてパラノイアが集まってできたのが「大本教」であると言ったのである。

また『大本教に就て』(一九二一年)で、中村が大本教を激しく非難し、当局者は大本教をおおいに取り締まるべしと主張しているのは注目に値する。すなわちこれらの本は大本事件によって燃え上がった新宗教に対する嫌悪に便乗して書かれたと同時に、国家権力やジャーナリズムによる新宗教迫害を正当化するための武器として使われたということである。嫌悪が事件を生み、事件がマスコミによって増幅・拡大されてさらなる嫌悪を生み、嫌悪が科学的な権威によって正当化され、社会問題に作り上げられて当局の介入を誘導する、という新宗教迫害にしばしば見られる構図がそこにある。

一九二二年に出た『迷信と邪教』では、中村は天理教、大本教、金光教を邪教と決めつけて攻撃している。そして一九三六年に出された『迷信に陥るまで』では、これらの三教団のほかに、ひとのみちと生長の家が加えられている。この中で描かれる教祖のイメージには、大本教の出口なおや天理教の中山みきといったシャーマン的な女性教祖は偏執症や妄想症などの精神病者、大本教の出口王仁三郎、ひとのみちの御木徳一、生長の家の谷口雅春などの男性教祖は詐欺師かインチキ山師、といった一種のステレオ・タイプが見られる。そしてその周りに群がった信者たちも、たいていは病的性格を有すると断ずるのであるから、これはまさに精神医学の名を借りた新宗教批判のためのアジテーションとも言うべきものであり、アカデミズムとはほど遠い内容であった。

このような新宗教批判を雑誌『変態心理』に発表したもう一人の精神医学者が森田正馬である。彼は祈祷もしくはこれに類似する原因によって生じる人格変換、宗教妄想、憑依妄想などを「祈祷性精神病」と名づけ、これを一種の自己暗示性精神異常であると決めつけた。彼の手法は明らかに精神病の範疇に入ると思われる患者の事例と、中山みきの神懸かり体験やみかぐら歌の内容を併記することによって、両者が似たり寄ったりのものであるという連想を働かせる、という悪意に満ちたものであった。

 

宗教を精神病と見なす精神科医たち

このように宗教を一種の精神病と見なす精神医学者は、もちろん西洋にも存在する。洋の東西を問わず、たいていの精神科医は宗教に対して批判的な見解をもっており、極端な場合は宗教は一種のノイローゼあるいは精神病であり、いずれにしても治療を必要とする病気であると考えている。彼らが宗教をどのようにとらえているかは、二人の精神科医によるイエス・キリストの評価を引用するだけで十分である。

 

『ある精神科医の結論』の中で、ウィリアム・ヒルシュは、「われわれが彼(イエス)について知っていることは全て、偏執狂の病症に完全に類似しているので、人々がその原因分析の正確性を疑うことはほとんど考えられない……。精神病に関する教本の中で、イエスの生涯によって生み出された教本(聖書)ほど、徐々にではあるが絶え間なく高まりつつある誇大妄想を最も典型的に描写しているものはない」と書いています。『イエスの狂気』の中で、チャールズ・ビネット・サングレは、「それは正統派の福音書の中で述べられているように、要するに、イエスの妄想的性格から、われわれはキリスト教の創始者が宗教的偏執狂に悩まされていたと結論することができる」と同様の点を指摘しています(ジョン・ビアマンズ『現代の宗教迫害史』光言社 一九八八年 六七ページ)。

 

これら二人の精神科医と、日本の中村や森田の主張を比べてみれば、彼らの主張は基本的にすべての宗教現象を精神病理に還元する結果になるということが明らかであろう。

要するに彼らは「宗教音痴」なのである。彼らは宗教の何たるかを本質的に知らない。彼らは宗教を信じている人々の立場に立って、その信じる心を内側から理解しようとはしない。ただ彼らは手持ちの心理学的概念を宗教現象に外側から当てはめて、レッテルを貼り、病理に還元するという作業をするだけである。現在アメリカでこの手法で新宗教を攻撃している精神医学者にはジョン・クラークやマーガレット・シンガーがおり、彼らは長い間CAN(カルト警戒網)のディプログラミングを支援してきた。しかし、既に述べたように、CANはあまりにも露骨な誘拐と強制改宗を繰り返したために、多くの訴訟を起こされ、それが原因で一九九六年に破産してしまった。

日本にもこのCANのような組織を作ろうとして、「日本脱カルト研究会」という組織を設立し、その代表理事になったのが、精神科医で東邦大学助教授の高橋紳吾氏である。彼は統一教会に対する批判キャンペーンで活躍している人物であるが、先に紹介した反宗教的心理学者たちの直系に当たる人物なのである。彼の著書『きつねつきの科学』(講談社)では門脇真枝の研究を賞賛しているし(七四ページ)、『臨床精神医学』という雑誌に載った対談では森田正馬を持ち上げている(「『信仰・民俗』と精神障害をめぐって」『臨床精神医学』21(11): p.1847-1861, 一九九二年)。そういう意味で、彼は精神科医による宗教迫害の歴史を最も正統的に引き継いだ人物であると言えるだろう。(高橋紳吾氏の洗脳およびマインド・コントロール理論については第二章第二節において詳細に扱うことにする)。

このように、精神医学者による宗教迫害は何も今に始まったことではなく、統一教会に対する反対活動が心理学的な根拠によって正当化されるという現象も、新宗教迫害の典型的なパターンの一つとしてとらえることができるのである。

 

日本と欧米との違い

しかし日本と欧米で著しく異なる点は、欧米には宗教に対して批判的な心理学的研究とともに、肯定的・好意的な研究も多数存在するということである。このような研究は、精神医学の領域ではなく、「宗教心理学」という領域において見いだされる。そこでしばらくの間、宗教心理学において宗教現象をどのようにとらえてきたかを振り返ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第四節  宗教心理学の視点

 

宗教心理学は心理学に力点を置くか、宗教に力点を置くかによって大きく二つの立場に分類される。前者の場合には宗教心理は人間心理の一つとして、さらには異常心理の一つとして理解されるきらいがある。これは心理学主義や還元主義(注:この場合、宗教現象を心理現象として説明し去ること)の危険性を秘めており、さきに述べた精神科医の宗教批判に近いものである。

一方、後者の場合には宗教理解の一つの方途として心理学があるととらえる。ここでの基本的な問題提起は「宗教とは何か」であり、そもそも宗教理解が心理学的理解につきるとは考えられていない。歴史的に見ると、前者が後者に先行する。したがって心理学の研究者は一種の偶像破壊者として宗教を還元主義的に理解する傾向が啓蒙主義以来あったのであるが、近年になってこのような一方的な見方を反省し、宗教がもつプラスの側面を心理学的に評価しようという見方が力をつけてきているのである。

 

欧米における宗教心理学の経緯

宗教心理学と言えば、まずウィリアム・ジェイムズ(一八四二〜一九一〇年)を挙げない訳にはいかない。彼はアメリカの心理学者であり、またプラグマティズムの創始者的な位置にある哲学者でもある。彼は『宗教的経験の諸相』(一九〇一〜二年)において、回心、神秘主義、聖者性などの宗教現象を経験科学的に扱った。彼が用いた資料は、日記、書簡など、いわゆる伝記ないしは手記的なものが中心となっている。宗教体験というものは個人の心の内的な動きに属するため、そのままでは経験科学の対象とはなりにくいのであるが、彼はそうした体験についての内省、自己観察も、手記などの形で客観化されれば資料となり得るとして、現代から過去に至るまでさまざまな宗教体験を分析したのである。その結果として、彼は「宗教とは、個々の人間が孤独の状態にあって、いかなるものであれ神的なものと考えられるものと自分が関係していることを自覚する場合にのみ生じる、感情・行為・体験である」と述べた。そこには宗教現象を持ち上げようともこき下ろそうともせず、ただその現象を忠実に描写しようという科学的な態度がある。

宗教に対して否定的な見解を示した心理学者としては、やはりフロイト(一八五六〜一九三九年)を挙げるべきであろう。彼は一九二七年に『幻想の未来』という本を書いて、将来宗教はなくなるだろうと予言した。彼によれば、宗教とは結局、親の庇護を求める幼児の依存的体質の変形であり、幻想であるから、科学と理性の発達によって人間が迷信から解放されれば宗教はなくなるだろうと言ったのである。彼にとって宗教的儀礼は「普遍的強迫神経症」にすぎず、彼が宗教に対して示した唯一肯定的な見解といえば、それは幻想的な信念体系でありながら人々の性的エネルギーを抑圧することによって文明を維持するのに貢献する、ということぐらいであった。

しかし、そのフロイトの弟子たちの中から、宗教を肯定的に評価する者たちが次々と現れたのである。まず、ユング(一八七五〜一九六一年)は精神的健康における宗教の重要性を認め、フロイトが超自我の理論において与えた属性よりも肯定的で創造的な役割を宗教に賦与した。また、ドイツの新フロイト学派の精神分析学者で社会学者のフロム(一九〇〇〜一九八〇年)は、フロイトの宗教理論は宗教の権威主義的な側面にばかり注目していると批判し、自己の実現をはかる「人間主義的宗教」も存在することを主張した。さらに、フロイトの精神分析学に社会科学的な知見を加えて修正した心理学者であるエリクソン(一九〇二〜一九九四年)は、宗教にはアイデンティティーの形成という重要な機能があると主張した。すなわち、宗教や思想体系は安定した意味の枠組みを与えることによって、青年の自己形成を助ける機能を果たすというのである。

このほかにも、アメリカの宗教心理学者オルポート(一八九七〜一九六七年)の「成熟した宗教的人格」の概念や、マズロー(一九〇八〜一九七〇年)によって提示された「至高経験(peak experience)」の概念などは、宗教的経験を病理や異常心理に還元することなく、その現象をありのままに観察することを通して人格形成に与える肯定的な面を評価したものである。欧米の宗教心理学を概観して言えることは、宗教に対して否定的・批判的な伝統とともに、肯定的・好意的な伝統が存在し、それらが弁証法的な議論を展開する場が存在するということである。

 

日本における宗教心理学の遅れ

これらの宗教心理学は日本にも輸入され、理論として研究されたことはあったが、これらの理論が新宗教の実態を研究する際に使われたり、カウンセリングやフィールド・ワークなどの実証的な研究の成果と結び付けて論じられることはほとんどなかった。すなわち日本においては、少なくとも宗教を肯定的に理解する宗教心理学と新宗教研究の出合いは、全くの不毛状態と言っても過言ではないのである。したがって新宗教の心理学的な研究といえば、極めて反宗教的に偏った精神医学者のものしか存在しなかった。だから日本にはもともと新宗教が信者たちにもたらす心理学的な影響について、弁証法的な議論が成立する学問的なフィールドがないのである。

したがって、日本で統一教会の伝道方法や教会員のパーソナリティーについて描写した本といえば、教会関係の出版物を除けば、ほとんどが洗脳やマインド・コントロール理論に基づいたいわゆる「批判書」の類になってしまう。東京・銀座の教文館の三階に行ってみれば、統一教会の批判書だけのために一つのコーナーが設けられ、そこには古いものから最新のものに至るまで数十種類の批判書が所狭しと並べられている。これらはすべて客観的な研究書というよりは、明らかに批判を目的としたイデオロギー的色彩の強い書物である。このような著作は専門家による学問的な分析ではなく、元信者の体験談の寄せ集めや反対活動家の個人的な主観に基づいた分析に過ぎないものであるため、統一教会について客観的な描写をしているものは皆無と言ってよい。

したがって、統一教会の伝道方法に関する客観的で信頼できる報告は、元信者の証言や精神科医によるものではなく、地道なフィールド・ワークに基づいて実際にその場に参加し、第三者としての客観的な観察を行う宗教学者や社会学者によるものである、ということになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第五節  フィールド・ワークによる統一教会の社会学的研究

 

欧米での客観的な研究成果

欧米ではイギリスのアイリーン・バーカーやアメリカのデビッド・ブロムリーをはじめとして、統一教会の伝道方法や会員のパーソナリティーについての真面目な学問的研究をしている学者が多数おり、その成果が著作として出版されている。その中で邦訳されて読むことができるものといえば、デビッド・ブロムリーとアンソン・シュウプの『Strange Gods』(一九八一年)(邦訳名『アメリカ新宗教事情』シャプラン出版 稲沢五郎訳)と、ジョージ・D・クリサイディスの『The Advent of Sun Myung Moon』(一九九一年)(邦訳名『統一教会の現象学的考察』新評論 月森左知訳)くらいであろう。

前者は統一教会のみを扱った本ではなく、「カルト」などと呼ばれてアメリカ社会から危険視されている六つの新宗教に対する偏見を是正する目的で書かれた本である。この本の冒頭部分で、著者は次のように述べている。「本書では、信頼できる確実な証拠にもとづき、いわゆるカルトに関する論争の多くはつくり話であり、単に『恐れ』であると主張したい」(二一ページ)「『カルトの急増』という表現は、もっぱらメディアの誇張にすぎない。何百万人ものアメリカの若者を騙し、奴隷化するために用いられる神秘的洗脳のプロセスなどは存在しない」(二二ページ)。

この本を読むと、アメリカにはメディアの情報を鵜呑みにして新宗教に対してヒステリックな反応をする人々がいる一方で、西洋的な合理主義に基づいて事実のみを冷静に見極めようとする人々もいることが理解できる。そして何よりも、宗教的マイノリティーに対する偏見を常にチェックし、建国の理念である「信教の自由」を守ろうとする姿勢を常に誰かが持ち続けている国が、アメリカであるということが実感できるのである。この点については、前出の渡邉学氏も「破壊的カルトや洗脳、マインド・コントロールの概念を駆使する反カルト運動に対する強い批判がアメリカの宗教学会にはみられることが理解できよう。その気質的な基盤は、信教の自由と国教の禁止を定めた合衆国憲法修正第一条にある」(前掲『中外日報』論文五面)と述べている。

アメリカにおいては一七九一年の憲法修正条項(権利章典)の第一条(宗教、言論、出版の自由、請願の権利)において、「連邦議会は、国教を定め、或いは宗教の自由な活動を禁止するいかなる法律も、また、言論・出版の自由、人民が平穏に集会し、また政府に苦痛の救済を求めて請願する権利を奪ういかなる法律も、制定してはならない」と規定されている。これはアメリカにおいては宗教の自由が憲法の一番最初に掲げられ、それを規制するようないかなる法律の制定も禁止されているということを意味するのである。

後者のクリサイディスの著作は、統一教会の歴史、教義、儀式、信者の生活などを詳細に扱ったものである。この本の著者の意図を理解するためには、「現象学的」という言葉の意味を理解しなければならない。「現象学的」という言葉は極めて多義的に使われる言葉であるが、クリサイディスはこの言葉を「学者自身の推測や評価を一時、棚上げし、研究者の偏見やえこひいきによって色づけせず、ありのままの宗教現象を取り扱う」(一六ページ)という意味で用いている。つまり、統一教会の教義が真理であるかどうかというような形而上学的な問い掛けはさておき、また統一教会が世間から言われているさまざまな悪口や非難もいったんは全部忘れた立場で、一つの宗教現象として客観的に見詰めるということである。そのような前提に基づいて、彼は統一教会の伝道方法について次のように評価している。

 

統一教会がその教義をたえず繰り返しながら教えこんでいるという報告には、たしかにいくぶんの真実が含まれている。二日間セミナーから七日間セミナー、二一日間セミナーへと進むと、それぞれのセミナーのプログラムで、創造、堕落、復帰という同一の主題を説く「原理」に関する講義を受ける。とはいえ、これを受講者を�洗脳�したり、脅して入信させる過程だと解釈する必要はないと思う。「思考のともなわない繰り返し」という批判に答えると、まず最初に、すべての宗教は繰り返し述べられる普遍的なメッセージを有すると主張しているといっておかなければならない。主流のキリスト教根本主義派の伝道慣習では、説教の多くが同じような主題を扱っているにもかかわらず、洗脳が行われていると示唆する者はいない。第二に、順を追って行われるセミナーは、徐々に「原理」の詳細な説明へと移っていくのだと述べておかねばならない。こうして受講者はたえず新しい教えを受けるのだが、教えに一貫性をもたせるため、講師は前のセミナーですでに教えた題材だという理由だけで、教義の重要な部分を省くわけにはいかない。第三は、『原理講論』の教えは簡単に吸収できるものではないし、これは私の直接体験からいえるのだが、「原理」について統一教会の信者と繰り返し討論(公式の場でも非公式にも)するうち、前に聞いたことでその時には当惑を感じていた部分が理解できるようになり、私の陥っていた誤解を正すこともできた(『統一教会の現象学的考察』二〇ページ)。

 

日本における研究成果

それでは日本には、フィールド・ワークによって自らの目で統一教会を観察した、社会学的な研究成果はないのであろうか。現状を見る限りでは、統一教会について本格的に研究している学者はほとんどいないと言ってよく、宗教学者たちによる統一教会についての描写も不十分なものが多い。

これは日本において宗教学や宗教社会学といった学問分野がまだ未成熟であるということも原因の一つに挙げられるだろうが、一方的な批判書が氾濫する中で、統一教会の真実の姿を見極めたいという探求心をもった学者が現れてこないというのは寂しいことである。元日本女子大教授の島田裕巳氏はかつて統一教会の「シンパ学者」などと言われたこともあったが、彼の著作を読む限りでは統一教会に対する態度は決して共感的とは言えず、むしろ彼は新宗教全体に対して冷めた見方をしているとさえ言えるだろう。比較的客観的で鋭い洞察をしているのが国学院大学教授の井上順孝氏であるが、彼の研究範囲は幅広いため、統一教会の専門家という訳ではない。

しかし実はかなり以前に、統一原理の修練会についてフィールド・ワークに基づいた実証的な研究結果を発表していた人物がいたのである。その人物とは国士館大学教授の塩谷政憲氏である。彼は一九七四年の春に原理研究会が主催する三泊四日の修練会に自ら参加し、そのときの体験を「原理研究会の修練会について」(『続・現代社会の実証的研究』東京教育大学社会学教室 一九七七年 一二六〜一三二ページ)で報告している。塩谷氏の関心は、果たしてこの修練会が洗脳を施すものであるかということであり、この観点から修練会の詳細なスケジュールや雰囲気を描いているが、結論として、洗脳といえるほど激しく態度変容を迫るものではないと述べている。

 

決定的なことは、研修生は修練会に強制的に拉致されてきたのではなく、本人の自由意思によって参加したのであり、中途で退場することも可能だったということである。従って、洗脳させたのではなく、自らの意思で選んだのである。人間をそうやすやすと洗脳することはできない。(前掲書一三一ページ)

 

これはクリサイディスなど欧米の宗教学者が出した結論を日本でも裏づけるものとして評価できるし、日本で実際に修練会に参加して観察した数少ない研究論文であるため、重みがある。

塩谷氏は後に発表した一連の論文の中でも、一貫して洗脳説を否定している。一九八五年に発表した「宗教運動をめぐる親と子の�藤」(『真理と創造』24 一九八五年 五四〜六二ページ)では、彼は次のように述べている。

 

統一教会の運動にのめりこんでいった人々とは、どんな若者なのだろうか。これを一概に言うことはできないが、真面目で誠実感にあふれているという印象は、統一教会に対して批判的な人々も容認するところである。その運動への献身ぶりは、けなげで、ときには、いたいたしげですらある。それだけに、教外者からは、誰かにあやつられているのだと解釈されたり、あるいは、洗脳されてしまったのだという風にみられたりもする。しかし筆者は洗脳説はとらない。そのような見方は彼らの主体性を一切認めていない考え方である。彼らは手あたり次第の勧誘のなかで改宗したごく少数の人達なのである。それはやはり本人なりの、ゆきつもどりつの結果の決断だったのである。(同論文六〇ページ)

 

また一九八六年に発表した「宗教運動への献身をめぐる家族からの離反」(森岡清美編『近現代における「家」の変質と宗教』新地書房 一九八六年 一五三〜一七四ページ)では、次のように述べている。(この論文では彼は統一教会を「U会」と表現している。)

 

若い青年男女がU会の運動に身を投じたのは、どういう理由からだろうか。これについて、これまでによく言われてきたことは、彼らがU会の修練会で「洗脳」されてしまったというものである。この洗脳という不快の念を与える言葉は、U会を批判する本のなかではうってつけの表現であるし、また、わが子をU会に奪われてしまったと思っている親達にとっては、子供の突然の豹変ぶりに驚きつつも、これを理解できぬままに、わが子は洗脳されてしまったのだと思うほかはなかったのであろう。(一五五ページ)

 

ではこの修練会で主催者達は洗脳を意図しているのであろうか。筆者は、ここで、中国での思想改造の技術を念頭におきつつ、U会の修練会のあり方をやや技術論的に素描してきたが、しかし、U会での修練会は、その技術をその効果ゆえに利用しているとは言いがたいのである。U会の教義を確信するがゆえの熱心さこそ最重要であり、彼らの主観においては、あえて技術を弄するまでもないことなのである。(一五八ページ)

塩谷氏はこのような自分の目による観察のほかに、具体的なデータからもこの修練会は洗脳とは言い難いと分析している。それは修練会に参加した十五名(男九・女六)のうち、次の七日間の修練会への参加に応じたのは男子二名(約一三%)に過ぎなかったという事実である。「したがって、洗脳を思想の強制的な画一化と定義すれば、筆者が体験したところの修練会は、洗脳よりも選抜することの方に結果したといえよう」(同一五九ページ)というのが彼の結論である。

既に第二節でも述べたが、アイリーン・バーカーの著書『ムーニーの成り立ち』(一九八四年)によれば、統一教会の研修会に参加した者たちが入会に同意する割合は平均で一〇%以下であり、二年後まで残る者は四%以下であるという調査結果が出ている。したがって塩谷氏の参加した修練会の参加者のうち、次のステップに進んだ者がわずか一三%に過ぎなかったということは、日本でも西欧でも事情は似たようなものであるということだ。

米国心理学会(APA)を代表する学者らが提出した「法廷助言書」が主張しているように、ある特定の刺激に対して大多数の人が限定された範囲の行動を示したとすれば、その刺激は効果的な強制であるということができるだろう。しかし逆にその刺激に対して多くの人がさまざまな反応を示したとすれば、その刺激が特定の行動を「強制した」と言うことはできない。したがってデータに基づいた科学的な判断によれば、統一教会の修練会は強制的でないという結論を導き出すのが妥当であると言えるのである。このことからも「洗脳」や「マインド・コントロール」が科学的な根拠を欠く空論であることは明らかである。

統一教会の修練会によって入会した人は、その人なりに何らかの宗教的ニーズをもっていて、それに統一教会が応えたからこそ、周囲の反対を押し切ってまでも自分の人生をそこにかけてみようという決断をしたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第六節  入信をめぐる親子の�藤

 

塩谷政憲氏は統一教会への入信をめぐる親子の�藤について独自の問題分析を行っているが、それは拉致・監禁問題と絡めて考察すると大変に興味深い内容となっている。統一教会はかつて「親泣かせ原理運動」などと呼ばれ、それ以来、家族の絆を引き裂く宗教の代表のように言われてきた。このような親子の�藤は統一教会に限ったことではなく、マスコミの標的にされる新宗教には少なからず当てはまる現象であるが、その扱い方は親の忠告を無視して宗教に走った子供が一方的に悪く、それを嘆いている親は同情すべき被害者であるというものであった。これは非常に分かりやすく、一般受けしやすい描写ではあるが、この現象を社会学的に分析するとどのようにとらえることができるのであろうか?

塩谷氏はこの問題をテーマにした論文をいくつか発表している。彼の分析は、回心者を求めて活動する宗教集団と家族集団とは、そもそも競合すべき性格をもっているというものだ。彼はこのことをイエスや釈迦や道元の言葉を例に挙げながら、歴史的に常に起こってきた�藤であると説明している。

 

もっとも、これは統一教会に特有ということではなく、家族と、回心者を求めて活動する宗教集団とは、本来的に対立する契機をふくんでいるのである。例えば、イエスによって指名された弟子達は、親や家業をすててイエスにつき従ったのである。イエスは自分の言動が平和な家庭をかきみだすことに気づいていたし、気づいていればこそ、自分が来たのは平和な家庭に剣を投げこむためであると言い切ったのである。

あるいはシャカにしても家族生活をすてて家を出たのである。出家ということそのものが家族の否定である。道元は、老母への孝養とおのれの出家遁世との矛盾に悩む僧に対して、「此こと難事なり。」と言いつつも「老母はたとひ餓死すとも、一子出家すれば七世の父母得道すと見えたり。」と答えている。(塩谷政憲「宗教運動をめぐる親と子の�藤」『真理と創造』24 一九八五年 五九ページ)。

 

彼は統一教会の魅力を、同じ目標を共有する若者たちが互いに競争し合い、励まし合いながら共同生活をする「青年集団」であるという点に見ている。古来より、子供が大人として社会化する際には、一定期間親元を離れ、「若者組」などと呼ばれる青年集団で同じ世代の若者たちと共同生活をする風習が多くの文明圏に存在し、これが若者たちの自立を促進してきた。しかし現代社会においては親離れ・子離れがスムーズにできない場合が多く、その結果、子供たちは親からの精神的独立を求めて青年集団としての統一教会を必要とする、というのである。

U会(統一教会)のもっている魅力は、単に宗教団体ということではなく、まずは青年集団だということである。この青年集団が若者達に与えてくれるのは、心許せる仲間達との暖かい雰囲気、同じ目標を共有する仲間達との競争、自己の潜在的エネルギィを引き出し方向づけてくれる使命とその使命にもとずく実践的な体験、その体験の世界へと導いてくれるアイデンティティモデルたる身近な指導者、そしてそれらを説明してくれるトータルで対抗的な世界観である。(塩谷政憲「宗教運動への献身をめぐる家族からの離反」森山清美編『近現代における「家」の変質と宗教』一七〇ページ)

 

親離れしようとする子供と子離れできない親との闘い

彼の研究では、親離れしようとする子供の精神的成長を促進する場としての宗教団体の機能が正当に評価されており、これに対して親の子離れが十分になされていないと、子供を奪われたと嘆く親と宗教団体との間に相克が生じるととらえられている。すなわち宗教をめぐる親子の�藤の本質は、親離れしようとする子供と子離れできない親との闘いなのである。彼は次のように分析する。

 

「なぜ、あんないい子が家族を捨てたのだろうか?」いい子とは、確かに両親や家族にとっていい子なのであろう。しかし、これが本人にとって幸福であるとはかぎらないのである。そこで本人がいい子であることを放棄して大人として脱皮しようとするとき、本人の意思にもかかわらず、家族の側にその役割転換を受容し支持する態勢がない場合、本人の大人としての役割遂行が破綻するのである。本人の未成熟のゆえにではなく、家族の側の未成熟ゆえにである。そこで、子供としては、大人としてのセルフアイデンティティを確立するために、家族に離反するのである。(前掲論文「原理研究会の修練会について」一三一ページ)

 

しかし統一教会の活動への献身は、親の反対に直面し、子は、親の無理解をなげくこととなった。子供としては、自分でもって自分の人生を確かめたかったのである。おしきせの人生ではなく、両親の羽交のもとを離れて新たな別な自分自身を試みたかったのである。

しかし親にとっては、自分の分身たる子供が自分とは別な世界観をもつことに不安を感じ、しなくてもよい余分な苦労をすることに耐えられなかったのである。しかし、子供にとっては、この自己愛の延長のような親の配慮をうとましく思ったのである。自分が子供あつかいされていることは、同輩の仲間達に対して顔むけできないことでもあったのである。しかし親としては、自分の体験にてらして、自分がアドヴァイスし得る立場にいることを守ろうとし、親と子という関係をくずすことはむずかしかったのである。すでに別な世代体験に生きてきたということを頭では認めつつも、自分が生きてきた時代で体得した教訓が子供にも生かし得ると信じたかったのである。それが子供によって否定され無視されることが耐えがたかったのである(前掲論文「宗教運動をめぐる親と子の�藤」六一ページ)。

 

U会の会員達は、よき子供であってほしいという両親の側からの期待と、U会の仲間達に対しては信頼にあたいする同志でありたいという自分自身の願望との�藤に直面するのである。筆者の面接したある父親は、自分の分身たる最愛の息子が下宿をひきはらってU会での共同生活に入ったと知るや長駆車をかってそのホームにのりこみ、ホーム長に指示して全員を集め、彼らを論破して息子をひきつれ意気揚々として帰ったという。しかし息子の方には敗北感と仲間に対する屈辱感が残ったであろう。息子にとって、この�藤は二者択一であり、二者択一でしかとらえることができなかったのである。父の問いかけに対して、「私達は……」としか答えない息子に対して父はいらだちを感じ、息子としては、自己愛の延長のごとき父の愛情をうとましく思ったことであろう。結局、息子は、父親に対して素直で適応した、そしていわば畏縮した子供としての自己を受けいれざるを得なかったのである。彼は、両親から離れて自由に翼をひろげる機会を奪われてしまったのである。(前掲論文「宗教運動への献身をめぐる家族からの離反」一七一ページ)

 

元日本女子大教授の島田裕巳氏は、『信じやすい心』(PHP研究所)の中で若者たちが親元を離れて宗教団体に入っていくことが、子が親から自立していく際の一種のイニシエーションとしての意味ももっていることを認めている(一六〇ページ)。現代は親子のコミュニケーションが困難な時代であり、それだけに健全な親離れや子離れがなされにくいと言われている。そして日本人が自立とか、自我の確立とかを考える場合、家族のしがらみはそれを妨害する強力な要素として意識されることが多い。そこで若者たちは精神的な乳離れのために、あえて親元を離れて宗教団体に入っていくというのである。

若者たちが宗教団体に魅力を感じて入信するのは、なにも親離れだけが目的とは思われないが、この観察はかつて統一教会が「親泣かせ原理運動」と言われて非難されたときの問題の本質を、ある程度的確にとらえていると思われる。すなわち問題の本質は、親離れしようとする子供と子離れできない親との闘いであり、宗教はその際に親の立場を正当化するためのスケープ・ゴートにされているということである。

この点に関して、『新宗教事典』(弘文堂)の編纂などに携わり、新宗教の研究者として有名な国学院大学教授の井上順孝氏は、著書『新宗教の解読』(筑筆書房 一九九二年)の中で次のように述べている。

 

愛の家族や統一教会、さらにイエスの方舟、オウム真理教といった運動への批判内容を検討していくと、一つの共通項が抽出されてくる。それは、家族主義への挑戦という要素である。家族の反対を押し切って入信するというだけでなく、家族のもとに帰らない、呼びかけても応じない、場合によっては、家族を逆に批判するというような行動が見られる。このような形で若者が宗教運動にのめりこんでいったとき、親たちの一部は、これを宗教による子供の奪取、洗脳とみなしたりして、強い危機感を抱く。多くの人は、そうした親の危機感に対し同情的になる。宗教は家族の絆を断ってはならないというのは、広く共有された考えだからである。

家族主義への挑戦をもつ宗教運動への反感は、戦後、それも高度成長期以降に顕著である。家族の絆への挑戦が反感を呼ぶのは、当たり前過ぎるからか、その根拠はあまり顧みられない。けれどもこの反感が、日本社会における家族の実質的崩壊現象を一つの震源にしている可能性はないだろうか。新宗教が若者の間で流行っていると言われるとき、たんに若者が宗教に関心を寄せているということだけを意味しているのではなさそうである。親がまったく関わり知らぬところで宗教に目を向けてしまった若者、という意味が混入していることがある。子供が親を捨てて宗教に走った、という類の騒動がもちあがるとき、そこには、子供の精神生活にほとんど影響を持ち得なかった親たちの姿が見え隠れする。一人立ちする年齢になった子供に対し、「宗教に騙されるな」と叫んでみても、効果があるかどうか。

人間の価値観とか人生論の類を形成していく上で、家族がもちうる影響力が急速に弱まりつつあるのは、紛れもない現実である。あふれる情報は、初等・中等教育において、教師が知識面ですら優位に立ちにくい状況をもたらしている。親はまして危うい。世代が少し違えば、同じような知識を共有することが難しくなる。とくに情報へのアクセスという面では、逆転現象が起きている。つまり若い世代の方が、情報との付き合いにたけているということである。こうした状況のもとで、親から子供への価値観とか人生観の伝達は、以前に比べて格段に困難になってきている。子供を把握できない親たちの不安の広まりが、家族主義への挑戦要素が露出しているような宗教運動が生じたときに、強い反感を噴出させる力に転じる、というメカニズムがありはしないか。(二〇五〜二〇六ページ)

 

親子関係にかえって弊害をもたらす改宗請負人の介入

あえて拉致・監禁という違法行為にまで及ぶ親の心理には、このような不安があることは確かであろう。しかし子供がある程度成長して精神的に独立しようというとき、それを力でねじ伏せて親の価値観を押しつけようとするのはいかがなものだろうか? 統一教会の信者になった息子・娘を監禁する親たちが、自分の子供を愛していることに疑いはない。しかし彼らは自分の言葉によって子供を説得する自信がないために、牧師や改宗請負人を頼り、彼らの言いなりになって指示どおりに動くようになってしまう。しかしこのような子供の人格を無視した強硬な手段は、子供を脱会させることに成功したとしても失敗したとしても、親子の間に埋め難い深い溝をつくる結果になる、と多くの監禁された者たちが証言しているのである。

信仰に目覚めるときと親離れの時期が一致していれば、時として親に対して反抗的な態度を取ることもあるであろうし、親としては子供がどこか自分の手の届かない遠いところへ行ってしまうのではないかと感じるのも無理はない。しかしこのような現象はごく一時的なものであり、やがて結婚して子供ができれば、孫の顔を見せるために親の元にしばしば通うようになるというのが、統一教会員の一般的な姿である。なぜなら統一教会の教えは家庭に関しては極めて保守的なものであり、何よりも家庭を大切にすることを教えるからである。自分自身が子供を育てながら苦労するうちに、自分を育ててくれた親の苦労をしのび、親孝行したくなるというごく自然な感情を多くの統一教会員が経験する。そして一度は争った親とも、最終的には和解するというケースがほとんどなのである。

しかしここに極端なイデオロギーをもった牧師や改宗請負人が介入すると、正常な親子の対話は分断され、親子の基本的な信頼関係は破壊される。そして強制的に親の意志に屈服させられることによって、精神的な自立が遅れてしまうケースが多く見受けられるのである。さらにこれらの若者たちは反対牧師や弁護士たちが主導する反統一教会運動のために利用され、皮肉なことに「青春を返せ」裁判に奔走することによって、逆に貴重な青春を浪費していくケースが多いのである。私はこのような元信者たちに対して、憐憫の情を禁じ得ない。彼らは一度は神と真の父母を信じ、教会のために献身的に働いた愛すべき兄弟姉妹たちであった。今後、彼らが再び統一教会に帰ってくる気になったならば、彼らを温かく迎えるであろうことはもちろん、そうでなかったとしても、彼らのこれからの人生が愛と幸福に満ちたものとなるように祈らざるを得ない。