第四章 CAN(カルト警戒網)とスティーヴン・ハッサン氏の正体


CAN(カルト警戒網)

 

これまで、スティーヴン・ハッサン氏やマーガレット・シンガー博士が新宗教運動を非難する時に用いる「マインド・コントロール」という概念が、いかに科学的根拠のない恣意的なものに過ぎないものであるかを立証してきました。

 

しかし、もし彼らがそのような間違った主張を口で述べているだけならば、それはさほど問題ではないのかもしれません。実はもっと重要な問題は、反カルト運動の活動家たちがその信念に従って新宗教運動の信者を改宗させるために積極的な働きかけをなし、それがしばしば破壊的な成果をもたらしているということなのです。

 

最近日本においては、オウム真理教による信者への誘拐や拉致・監禁が問題となっています。彼らが脱会を希望する信者に対して薬物を投与したり、独房や手錠などを使って身体の自由を拘束したのが事実とするならば、これは許され難い犯罪ですが、これと全く同じような犯罪行為が反宗教的な立場でもなされてきたことは、これまでほとんど認識されてきませんでした。

 

これを行ってきたのは、「カルト教団にマインド・コントロールされた信者を救出するため」と称して拉致・監禁事件を頻繁に起こしてきたCAN(Cult Awareness Network=カルト警戒網)と呼ばれる組織であり、それは米国の「反宗教運動」の中でも特に強力な組織といわれています。

 

CANの任務は、さまざまな宗教運動についての正確な情報およびカウンセリングを社会に提供することであるとしているにもかかわらず、実際上の活動はしばしばそれとは全く正反対の影響を及ぼしてきました。彼らはあからさまな誘拐や、被害者の意思に反しての「拉致・監禁」を行ったために、無数の逮捕、検挙、裁判起訴、禁固刑に至っているのです。この章においてはCANが出現した社会的背景と、その具体的活動の実態について明らかにしていきましょう。

 

米国は宗教的多元主義の社会であり、信教の自由と政教分離制度が最も確立した近代社会であるといわれますが、すべての宗教団体、宗教運動が全くの自由を享受し、平等に扱われているわけではありません。逆に多民族国家、文化的多元主義であればあるほど、社会的統合のための文化的・宗教的規範が必要とされ、それが一種の宗教的ナショナリズムとなって、その規範に対抗するような宗教運動に対する統制や迫害を生み出しやすいともいえるのです。

 

米国のナショナリズムの背景には、信仰の自由を求めてイギリスを離れたピューリタンによって建てられた「神の国」であるという「建国神話」が流れています。そして、このようなアメリカ・プロテスタンティズムの伝統に合致しない宗教は、さまざまな圧迫を受けてきた歴史があるのです。特に一九六〇年代後半から米国の若者たちを魅了し始めた新宗教運動は、カウンター・カルチャー(対抗文化)運動とも呼ばれ、既成の伝統的キリスト教に対して挑戦的な内容をもっていたために、激しい社会的リアクションを引き起こしました。

 

その中でも、神の子供たち(現在は「ファミリー」)、統一教会、国際クリシュナ意識協会、サイエントロジー、NSA(米国の創価学会)などの運動は、「カルト」というレッテルを張られ、組織的な反対を受けてきました。反カルト運動は次のような構成要素から成っています。

 

子供が新宗教に入ってしまった家族の親・兄弟、および元会員

 

既存の伝統教団(特にすべての伝道活動に反対している多くのユダヤ教教団)

 

ディプログラマー(逆プログラム=強制的手段によって改宗や棄教を強要する職業的な脱会屋)

 

新宗教への回心を「洗脳」、「マインド・コントロール」、「強制的説得」などの用語で規定し、ディプログラミング(逆プログラム)の必要性と有効性を科学的に証明していると主張する心理学者たち

 

ジャーナリズム、マスコミ

 

などです。

 

最初の反カルト組織は、一九七二年にカリフォルニア州サンディエゴで設立されたFREE-COG(神の子供たちを自由に)で、このグループはカルトのメンバーは洗脳されていると訴え、新宗教運動に参加している家族を動員して、カルトの害悪についての噂を宣伝して回りました。その後一九七四年ころから、極めて多数の反カルト組織が全米に出現するようになりました。有名なものには、コロラド州デンバーの市民自由財団(Citizens Freedom Foundation)があり、一九七〇年代半ばから後半にかけ、全米五十州のほとんどにおいて支部が結成されました。これが現在のCAN(カルト警戒網)の前身に当たるものです。

 

 

「CANの父」テッド・パトリック氏について

 

市民自由財団(CFF)は、「ディプログラミング(強制改宗)の父」と呼ばれるテッド・パトリック氏によって一九七四年に組織されました。ディプログラミングとは、宗教グループのメンバーを誘拐して彼らの意思に反して監禁し、彼らがその信仰を捨てるまで長い感情的・心理的圧迫を加えることを意味します。

 

実はこのディプログラミングの創設者といわれるパトリック氏は、大変な犯罪歴をもつ人物です。一九七四年六月に、彼はコロラド州デンバーにおいて不法監禁罪で一年間の禁固刑を言い渡されますが、七日間の拘束の後、保護観察(執行猶予)が認められ釈放されています。

 

一九七五年に彼はカトリック教徒の女性をディプログラミングしようとして失敗し、その結果、彼は公式保護観察期間中であったためにカナダ入国を差し止められています。同年六月、カリフォルニア州オレンジ郡で再び不法監禁罪で六十日間の禁固刑を言い渡されています。この時に一九七四年の保護観察が取り消され、以前の一年間の禁固刑と、この時言い渡された六十日間の禁固刑とを合わせて服役しています。

 

さらに彼は一九七六年にはコネティカット州ブリッジポートにおいて、ウェンディー・ヘランダーに財政的損害を与えたとして民事訴訟裁判で訴えられ、損害賠償を命じられています。彼はこの女性を八十六日間監禁しましたが、結局彼女の宗教信条を変えることはできなかったのです。そして一九七七年二月に彼は連邦政府プログラムで刑務所から出ている間に、ほかのディプログラミングに関与しようと試みたために強制的に刑務所に送還され、後にコロラド州に送られて、そこで残りの刑期終了まで服役しています。しかし同年八月、カリフォルニア州ビバリーヒルズで再び不法監禁罪で有罪となっています。

 

一九八〇年四月、パトリック氏はカリフォルニア州サンディエゴで誘拐罪、共同謀議罪および不法監禁罪で五年間の保護観察付き禁固刑一年の判決を受けます。そして一九八二年一月にはオハイオ州シンシナティにおいて、婦女暴行、誘拐、拉致および暴行の罪で正式に起訴されており、同年十月にはサンディエゴにおいてディプログラミング未遂に関与していたことにより再び投獄されています。一九八五年五月には、サンディエゴでコカイン所持罪で正式告発され、同年八月からは保護観察期間中の違法行為のゆえに三年間の禁固刑に服役しています。

 

このようなすさまじい経歴をもつパトリック氏によって創設された市民自由財団(CFF)は、その名称を何年か後にCFF/CANと変更し、そしてその後ただのCANに変更され、一九八六年に法人登録されました。CANのリーダーは、あまりにひどい犯罪歴を懸念してか、現在はパトリック氏とCANとのかかわりを否定しようとしていますが、このような暴力性は彼一人に限ったことではなく、CFFあるいはCANと呼ばれる組織の基本的な体質なのです。

 

 

 

「救出カウンセリング」を隠れ蓑とする誘拐、不法監禁

 

 

通常ディプログラミングの過程は、まず被害者を物理的に隔離し、監禁することから始まります。これは誘拐によることがしばしばですが、信者が家族や友人を訪問している時に、ディプログラマーが呼び込まれて起こることも時々あるようです。しかし一九八〇年代に、そのあまりに暴力的な手法に対する批判の声が高まったばかりか、誘拐と不法監禁に対する多数の有罪判決を受けることになったため、CFFも八一年にディプログラミングを支持しないという声明を発表せざるを得なくなりました。そしてCFFはディプログラミングに代わって、カウンセリングによって信者に脱会を勧める「救出カウンセリング」を支持するという発表を行いました。

 

ハッサン氏によれば、「救出カウンセリング」とは強制を伴わない、より洗練された脱出方法であり、「対話」を通して信者に自分の信仰について考え直すように説得することであるとしています(『マインド・コントロールの恐怖』205-209頁)。しかしこれは彼らが態度を改めたというよりは、同じ行為の呼び名を変えたといった方が当たっているようです。米国宗教研究所所長のゴードン・メルトン博士と米国宗教学会宗教社会科学部元会長のロバート・ムーア博士は、その著書『カルト体験』の中で、問題の「対話」と呼ばれているものを次のように指摘しています。

 

 

たいてい、対話は厳しい尋問形式をとり、数人の人々が順番にカルトのメンバーを非難し、質問攻めにし、誘導尋問をし、そして神学および聖書に関する問答に加わらせる。いかなる信仰をもった人であっても、自分の信仰実践に反対するために持ち出されたすべての議論に反撃することのできる人はほとんどいないであろうし、カルトのメンバーのほとんどは、自分のグループの儀式や信念のすべてに関する理論的根拠を理解するほどには十分には教えられていない。孤立させられ、ディプログラマーに囲まれた状態で、その人は、自分の信仰体系に対する知的攻撃を受け、一般的でない行動様式を嘲笑され、グループに入ったために置き去りにしてきた人生の利益の象徴的なものを連続的に示される。ディプログラマーの全行為の最終的成果は、カルトメンバーがディプログラマーの見解を受け入れまいとする抵抗をくじくことである。その行為は肉体的かつ感情的疲労を引き起こし、強い屈辱感と罪悪感とを生じさせる。支配された環境は絶望感をもたらす。グループから引き離されて監禁された個人は独りぼっちである。結局、監禁されたメンバーは疲労によって解決法の提示を受け入れる覚悟をするようになる。それは、ディプログラマーの世界観へ「改宗」することであり、ディプログラマーの目的を受け入れることである。(ゴードン・メルトン、ロバート・ムーア共著『カルト体験』:ニューヨーク、ピルグリム出版、一九八二年、78-79頁)

 

 

さらにCANを含めて他の反カルト運動のグループに属する人間たちがいまだにあからさまな誘拐を伴うディプログラミング(強制改宗)を実践していることから見ても、一九八一年に出された声明が見せかけだけの欺瞞にすぎないことは明らかです。

 

 

強制改宗屋の逮捕

 

最近では一九九一年以来、CANと提携する八人の強制改宗家が、強制改宗にかかわる強要罪や違法監禁を含む犯罪のため逮捕され、起訴または有罪を宣告されました。一九九二年五月にCANに保安顧問として長く勤めたギャラン・ケリー氏がデボラ・ドブコウスキという女性を誘拐しましたが、州道を走っているうちに目的の女性とは違う女性を誘拐したことに気づき、翌早朝ワシントンDCの路上にこの女性を捨て去るという事件が起こっています。このケリー氏は一九九三年に「強制改宗」のために誘拐した罪で、七年以上の連邦刑務所服役を宣告されています。さらにCANの会長を務めていたマイケル・ロコス氏は、八二年に男性売春者を誘惑し、「わいせつ勧誘罪」で有罪になっていたことが暴露されたために、一九九〇年十月にCANの会長を辞任しています。

 

 

強制改宗させられた若者の受けた心の傷

 

最近になって、このようなディプログラミングを受けた若者たちには、さまざまな形で感情面での苦痛が生じていることが発見されました。マーガレット・シンガー博士は、その原因をカルトのメンバーであったためであると主張していますが、最近の研究によれば、それはディプログラミングによって脱会した人間にのみ起こっていることで、数の上ではそれ以上に多い自発的に脱会した人間には見られないことが明らかになったのです。

 

結局カルトの元メンバーたちを苦しめているのは、ディプログラミングによる強い屈辱感と罪悪感といった精神的な外傷(トラウマ)であり、カルトのメンバーであったとかなかったとかとは関係がないという結論が出されたのです(ジェームズ・ルイス、デビッド・ブロムリー『カルト脱会シンドローム』一九八七年、APA、18頁)。

 

このようなCANによる信教の自由および人権に対するあからさまな侵害は、信者を脱会させられた宗教団体のみならず、伝統宗教を含む宗教界全般からの反発、有識者や各種学会の反対を生み出すことになります。バックネル大学の宗教学教授であるラリー・シン博士は、著書『フィラデルフィア尋問者』(一九九二年)の中で、ディプログラミングが「アメリカのカルト恐怖の所産の中で最も破壊的なものである。…CANは、CAN自体が攻撃するどの宗教グループにもまさって、はるかに強く破壊的カルトの様相を呈している」と述べています。

 

 

CANの活動家スティーヴン・ハッサン氏

 

ハッサン氏は自分が強制改宗家であることを否定していますが、彼自身が著書の中で一九七六年ごろ、約一年間「脱洗脳(ディプログラミング)」に携わっていたと言っています。そしてそのうち二例ほどは、「両親または両親が雇った人々が本人を拉致した可能性がある」(『マインド・コントロールの恐怖』67頁)と言っているのです。そして「さいわい、私は一度も訴えられなかった。私の事例の大部分は成功した。しかし私は、強制的な脱洗脳のストレスが楽しくなかった」(同書67頁)と言っています。

 

ハッサン氏が所属する全国的組織であるフォーカス(FOCUS)は、彼の著書の中で「カルト警戒網(CAN)の関連団体である」(『マインド・コントロールの恐怖』323頁)と述べており、彼はCANについて、「『カルト警戒網(CAN)』に連絡をとって、そのグループに関する情報がないかどうか見てみるとよい」(同書204頁)と言って勧めています。さらに他の箇所では「牧師が『カルト警戒網(CAN)』を知っていたため、私の名前と電話番号を手に入れて家族に渡すことができた」(同書242頁)と言っているように、彼とCANの間が何らかのネットワークでつながっていることを自ら認めています。

 

したがってハッサン氏自身が、多くの犯罪行為を行ってきた組織であるCANのための精力的な活動家であることは明らかです。また彼自身がディプログラミングと呼び得る暴力的な改宗活動を行っているという証言もあります。

 

彼は十二人の強制改宗家とともにアーサー・ロゼル氏を監禁し、暴行を加えるなどして棄教を迫りましたが、失敗しています。ロゼル氏が自分が受けた強制改宗の事実を宣誓供述書に書きましたが、ハッサン氏はロゼル氏に手紙を送り、自分が拉致・監禁にかかわったことを否定する嘘の証言をしてくれと依頼しました。しかしロゼル氏はこれを拒否し、逆にハッサン氏が偽証を迫った事実を宣誓供述書で暴露しました。

 

これにより彼が自著『マインド・コントロールの恐怖』の中で紹介している自らの救出カウンセリングの実例は、極めてうまく行ったケースをさらに理想化して描いたものであり、彼が実際に行っている強制脱会活動の実態を正確に反映したものでないことが分かります。

 

 

高額な強制改宗料の実態

 

さらにこのような暴力的な行為のために、ディプログラマーたちは多額のお金を信者の父兄から巻き上げるのです。ハッサン氏自身は著書の中で「救出カウンセラーは、一日二五〇ドルから一〇〇〇ドルの料金を請求する。救出カウンセラーを手伝う元メンバーは、平均一〇〇ドルから三〇〇ドルを受け取る。ふつう、旅費や宿泊費のような費用はみな別である」と述べています(『マインド・コントロールの恐怖』258頁)。

 

ディプログラマーの父といわれるテッド・パトリック氏は一件あたり一万ドルの改宗料を請求したそうですが、ハッサン氏の場合も相場は二千ドルから五千ドルということですから、かなりの高額であることが分かります。パトリック氏は親族からの依頼があれば、全米どこへでも飛んでいって強制改宗を行ったことから「黒い稲妻」と呼ばれたそうですが、ハッサン氏も脱会工作の依頼さえあれば、どんな宗教団体でも「破壊的カルト」の烙印を押して改宗を引き受けるという点では同様です。彼らは新宗教運動に対する社会の反感や親族の不安を利用して金儲けをする、まさしく職業的な「脱会屋」なのです。