解散命令請求訴訟に提出した意見書06


②西田公昭氏の「マインド・コントロール言説」
 立正大学心理学部対人・社会心理学科教授の西田公昭氏は日本における「マインド・コントロール理論」の第一人者であると言われている。彼は全国霊感商法対策弁護士連絡会とも密接に連携して活動をしているが、彼の役割はマインド・コントロール理論の学問的構築にあると思われる。ここでは彼の二つの著作『マインド・コントロールとは何か』(1995、紀伊國屋書店)と『信じる心の科学』(1998、サイエンス社)に基づき、その「マインド・コントロール言説」を分析する。

 西田公昭氏がこれらの著作の中で言っていることは、まとめてみれば非常にシンプルである。まず彼は社会心理学の研究者として過去の文献を読んで、その理論を勉強した。この理論をAとする。次に彼は「破壊的カルト」と呼んで批判している団体の元信者から聞き取り調査を行っている。この情報をBとする。そしてAの理論をBに当てはめて解釈し、「マインド・コントロール」に関する理論構築を行った。要するにこれだけである。

 西田氏は著書の中で、社会心理学の多種多様な理論や実験に関する情報を紹介している。例を挙げれば、フェスティンガーの認知不協和理論、チャルディーニの影響力論、バーノンの感覚遮断実験、ジンバルドーの監獄実験、プライミング効果論などである。一方で彼は「カルト」と目される諸団体にまつわる多種多様な事例を引き合いに出し、それらに関して同じく多種多様な社会心理学的テクニックを参照しながら説明するのである。それらを結び付ける根拠は、単に「やり方が似ている」ということである。彼がやっていることは、単に「解釈」によってそれらを結び付けているだけで、実際には何も検証していないのである。

 西田公昭氏の研究の欠陥とは何であろうか。第一に、偏向した情報源による方法論の欠陥をあげることができる。西田氏の著書『マインド・コントロールとは何か』の冒頭には、「東北学院大学の浅見定雄教授、全国霊感商法対策弁護士連絡会の方々、全国各地で活躍されている脱会カウンセラーの方々、そして元破壊的カルトのメンバーたちには、多くの貴重な資料を提供していただいた」(注16)という記述がある。

 要するに、教会を離れた元信者からしかデータをとっておらず、現役信者に対する調査は行っていないのだ。しかも、家庭連合反対派の人脈から紹介された元信者たちなので、彼らは基本的に自然脱会者ではなく、拉致監禁を伴う強制改宗を受け、教会に対する敵意を植え付けられた人々である。こうした人々は、家庭連合およびその伝道方法に対して、きわめて強いネガティブ・バイアスがかかっている可能性が高いので、情報源として公平でない。

 さらに、現役信者も元信者も、基本的には勧誘を受けて一度は入信した人々という点では同じカテゴリーに入るが、実はそれ以上に多いのが、勧誘されても結局入信しなかった人々なのである。こうした「説得されなかった人々」も調査しなければ、マインド・コントロールの効果を測定することはできない。渡邊太氏は、この点について、「入信過程におけるマインド・コントロールの効果を証明するためには、入信した人たちだけでなく、勧誘されても入信しなかった人も含めた被勧誘者全体を調査対象にする必要がある」(注17)と批判している。

 西田理論のもう一つの問題点は、実験室での結果をそのまま現実の社会過程に適用してしまっているということだ。実験室という特殊な環境で得られた知見が、そのまま現実の社会に当てはまるという保証はない。この点についても渡邊太氏は、「現実の社会においては無数の媒介変数が存在し、さらに媒介過程が急速に変化する可能性がある・・・現実の社会は極めて複雑であり、実験室の知見を適用した説明がそのまま有効である保証はない」(注18)と批判している。

 この点に関しては櫻井義秀氏も同様の批判をしている。彼は、「複雑な社会過程を極度に抽象化したモデル及びその実験結果から得た結果を、もう一度社会的事実へ還元して事実を解釈する方法それ自体に問題がある。実験で得た結果はあくまでも実験空間内での信頼性であり、その空間が社会空間の写像として妥当かどうかは別問題である。西田がいくら実験データを挙げたとしても、それが宗教教団の勧誘手法そのものであるとは言えないし、ましてその布教・入信過程を説明することにはならないのである」(注19)と手厳しく西田言説を批判している。

 西田氏の主張する「マインド・コントロール言説」の致命的な欠陥は、社会心理学者を自称する者ならば絶対に避けて通れないはずの数値的なデータによる裏づけが欠如しているという点である。西田氏は自説を補強するために、さまざまな実験データを引っ張り出してはいるが、そのほとんどが宗教とは直接関係のない実験結果ばかりであり、肝心の彼が「破壊的カルト」と呼ぶ宗教団体の説得術がどのくらい効果的であるかを、数値に基づいて検証したデータは一つもない。つまりこれは実証的研究ではなく、「解釈」にすぎないのだ。

③宗教学者は概して「洗脳・マインド・コントロール言説」に対して批判的である
 西洋において統一教会の伝道方法に関して社会学的な調査を行い、「洗脳」や「マインド・コントロール」の存在を明確に否定した代表的な研究が、イギリスの宗教社会学者アイリーン・バーカー博士の『ムーニーの成り立ち』(1984)であった。

 日本においては、国士館大学教授の塩谷政憲氏(当時)が、1974年の春に原理研究会が主催する3泊4日の修練会に自ら参加し、そのときの体験を「原理研究会の修練会について」という論文で報告している。塩谷氏の関心は、果たしてこの修練会が洗脳を施すものであるかということであり、この観点から修練会の詳細なスケジュールや雰囲気を描いているが、結論として、洗脳といえるほど激しく態度変容を迫るものではないと述べている。
「決定的なことは、研修生は修練会に強制的に拉致されてきたのではなく、本人の自由意思によって参加したのであり、中途で退場することも可能だったということである。従って、洗脳されたのではなく、自らの意思で選んだのである。人間をそうやすやすと洗脳することはできない。」(注20)
「統一教会の運動にのめりこんでいった人々とは、どんな若者なのだろうか。これを一概に言うことはできないが、真面目で誠実感にあふれているという印象は、統一教会に対して批判的な人々も容認するところである。その運動への献身ぶりは、けなげで、ときには、いたいたしげですらある。それだけに、教外者からは、誰かにあやつられているのだと解釈されたり、あるいは、洗脳されてしまったのだという風にみられたりもする。しかし筆者は洗脳説はとらない。そのような見方は彼らの主体性を一切認めていない考え方である。彼らは手あたり次第の勧誘のなかで改宗したごく少数の人達なのである。それはやはり本人なりの、ゆきつもどりつの結果の決断だったのである。」(注21)

 塩谷氏はこのような自分の目による観察のほかに、具体的なデータからもこの修練会は洗脳とは言い難いと分析している。それは修練会に参加した15名(男9・女6)のうち、次の七日間の修練会への参加に応じたのは男子2名(約13%)に過ぎなかったという事実である。「したがって、洗脳を思想の強制的な画一化と定義すれば、筆者が体験したところの修練会は、洗脳よりも選抜することの方に結果したといえよう」(注22)というのが彼の結論である。

(注16)西田前掲書、p.10
(注17)渡邊太前掲書、p.217-8
(注18)渡邊太前掲書、p.218
(注19)櫻井義秀「オウム真理教現象の記述を巡る一考察」『現代社会学研究』、1996年9月、北海道社会学会、p.88
(注20)塩谷政憲「原理研究会の修練会について」『続・現代社会の実証的研究』東京教育大学社会学教室 1977年、p.131
(注21)塩谷政憲「宗教運動をめぐる親と子の葛藤」『真理と創造』24 1985年、p.60
(注22)塩谷政憲「宗教運動への献身をめぐる家族からの離反」(森岡清美編『近現代における「家」の変質と宗教』新地書房 1986年)p.159

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