<資料編>


名古屋地裁判決要旨

 

原告 A、B、C、D、E、F(注:以後とも、プライバシー保護のため実名は表記していません)

被告 世界基督教統一神霊協会

右代表者代表役員  石井 光治

 

主 文

一 原告らの請求をいずれも棄却する。

二 訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

本件の概要と判決要旨

一 事案の概要

本件は、原告A、原告B、原告C、原告D、原告E、原告Fが、いわゆるマインド・コントロールによる違法な勧誘、教化行為により被告に入教して約一年ないし六年間にわたり貴重な青春を奪われ、霊感商法や偽装募金などの違法行為への従事、無償の労働、献金、物品購入などの出損をそれぞれ強制されたとして、棄教した後、被告に対し、①原告Aは、人格権及び財産権侵害の不法行為に基づく損害賠償請求として一一四四万四七五〇円及び遅延損害金、②原告Bは、人格権侵害の不法行為に基づく損害賠償請求として一二九四万五三七五円及び遅延損害金、③原告Cは、人格権及び財産権侵害の不法行為に基づく損害賠償請求として三三五万二六三三円及び遅延損害金、④原告Dは、人格権及び財産権侵害の不法行為に基づく損害賠償請求として九七二万〇〇一二円及び遅延損害金、⑤原告Eは、人格権及び財産権侵害の不法行為に基づく損害賠償請求として一〇五三万七六六二円及び遅延損害金、⑥原告Fは、人格権及び財産権侵害の不法行為に基づく損害賠償請求として一二五七万八八〇〇円及び遅延損害金の支払いをそれぞれ求め、これに対して、被告は、原告らを勧誘、教化したのは被告ではなく信者の組織であり、被告が右組織に対し勧誘、教化するよう指示をしたこともなく、原告らの主張するいわゆるマインド・コントロールによる勧誘、教化の実効性には疑問があり、宗教などの領域においては教団名などを明らかにしないでする勧誘、教化行為は違法ではないと主張する事案である。

二 裁判所の判断(要旨)

被告の信者の組織であるビデオセンターなどが、原告らに対して、被告が説く宗教を勧誘、教化するにあたり、教団名、教祖名を言わなかった点については道義的な問題は別として違法とまでは断定できず、また原告に対して薬物を使ったり、物理的、身体的な強制力を用いるなど違法な手段を用いた事実を認めるに足りる証拠はない。

原告らの主張するいわゆるマインド・コントロールは、それ自体多義的であるほか、一定の行為の積み重ねにより一定の思想を植え付けることをいうと捉えたとしても、原告らが主張するような強い効果があるとは認められない。

原告らが行った難民救済募金や因縁トークを用いた印鑑などの販売活動が、違法の評価を受けるかどうかは個別の事案に即して検討すべきであるが、道義上の問題がないとはいえない。しかし、原告らは、その当時、宗教上の意味を見出して、自ら決断して右の活動に従ったのであり、決断の過程において、宗教的な言説以上に物理的、身体的な強制力が介在したことを窺わせる証拠はない。

原告らは、国際機動隊やキャラバン隊等において、宗教的な決断により厳しい生活の中で販売活動等に従事したが、原告らが、右生活を送るにあたり、物理的、身体的な強制力や、行き過ぎた制裁を背景にしてこれを強いられたことを窺わせる事情はない。

原告らは、自分なりに信仰を深めながら献金、物品購入などを宗教上有意義なものと信じて行ったが、これについては宗教上の言説による勧誘、教化によるところが大きく、原告らの年齢、知識、経験、献金に至る期間、金額などからみても、社会常識に反したとみるべき特段の事情はない。

以上の検討結果によれば、ビデオセンターなどの原告らに対する勧誘、教化行為は、その目的、方法、効果について総合的に判断するとき、なお社会的相当性を逸脱したとはいえず、原告らに対する不法行為とはいえない。

よって、原告らの請求は、いずれも理由がないから、これを棄却する。

名古屋地方裁判所民事第五部合議体

 

 

 

 

 

 

 

 

岡山地裁判決(要旨)

 

原告 A、B

被告 世界基督教統一神霊協会

右代表者代表役員 石井光治

被告 久保木修己

 

主 文

一 原告らの請求をいずれも棄却する。

二 訴訟費用は原告らの負担とする。

事 実

第一 当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 被告らは連帯して、原告Aに対し金二〇〇万円、同Bに対し金六五万三五〇〇円及び右各金員に対する平成元年一二月一〇日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二 当事者の主張(省略)

第三 証拠関係(一〜四は省略)

 

五 請求原因5(被侵害利益・違法性)について

1 宗教団体が当該宗教を広めるために非信者を勧誘、教化する布教行為、勧誘、教化された信者を各種宗教活動に従事させたり、当該信者から献金を勧誘する行為は、それらが社会的に正当な目的に基づいており、その方法、結果が社会通念に照らして相当と認められる限り、正当な宗教活動の範囲内にあるものと認めるのが相当である。

しかしながら、宗教団体の行う右各行為が、その目的、方法、結果から見て社会的に相当な範囲を逸脱していると認められる場合は、民法が規定する不法行為との関連において、違法の評価を受けるものといわなければならない。

但し、以上の判断に当たり、宗教団体における宗教上の教義、信仰に関する事項については、憲法上国の干渉からの自由が保障されているのであるから、これらの事項については、裁判所は、その自由に介入すべきではなく、一切の審判権を有しないとともに、これらの事項にかかわる紛議については厳に中立を保つべきであることは、憲法二〇条のほか、宗教法人法一条二項、八五条の規定の趣旨に鑑み明らかなところであって、当該宗教の教義、信仰の内容の当否等については立ち入って判断すべきものではない。

以下そのような見地から原告Aのこの点に関する主張について判断する。

2 原告Aは、①被告法人のいわゆるマインドコントロールによる勧誘、教化行為により宗教選択の権利を侵害され、人格権を侵害された、②右勧誘、教化行為により自由な意思形成を不当に妨げられ、人格権を侵害された、③被告法人の献金勧誘行為は違法な勧誘システムに基づくものである旨主張するので、以下順次検討する。

 

� ①の主張について

宗教団体が当該宗教を布教するために非信者を勧誘、教化する行為は、宗教上の目的によるものであり、前記認定事実によれば、被告法人のビデオセンター・クリエイト等の施設における諸活動は、被告法人の教義を布教するための勧誘、教化行為というべきである。

そして、原告Aに対する被告法人のビデオセンター・クリエイト等の施設における勧誘、教化の方法は前記認定のとおりであり、○○と○○が、昭和六二年九月一五日、寮の原告Aの部屋を訪れ、当初被告法人の「統一協会(世界基督教統一神霊協会)」という教団名や文鮮明の名前はもとより、宗教の勧誘であることすら秘匿し、文化サークルと称してビデオセンター・クリエイトを訪れるよう勧誘している。原告Aは、その勧誘に応じてビデオセンター・クリエイトに通うようになったが、同年九月一八日及び二〇日にビデオを見てからは、期待に反したことから一旦自らの意思でビデオセンター・クリエイトに通うのを止め、同年一二月になって、○○に誘われて絵の展示会に赴いているが、そこでも○○からは格別説明を受けたわけではないが、販売担当者のなかにビデオセンター・クリエイトで見かけた顔ぶれを発見して、自分が騙されているのはないかと疑い、以後ビデオセンター・クリエイトや絵の展示会に行くことなど、○○ら被告法人の関係者との接触を自ら断ち、昭和六三年四月初めに至り、再び○○に誘われて占い師の講演会に行って名前の字画を見てもらい、「今が転換期です。」などと言われたことが契機となって再度ビデオセンター・クリエイトに通い始めている。その後、原告Aは、同月一七日に○○から家系図に基づいて、「女性ばかりの家系はこの後途絶えてしまう。あなたが今なんとかしなければひどいことになる。」などと言われているが、それ以上に被告法人への入会や献金等の勧誘や指示は受けてはおらず、○○に会った機会に同人から話を聞き、「人の話を疑うだけ疑ってみて、それでもだめならここから離れよう。」と自ら考えて、ビデオセンター・クリエイトに熱心に通うようになり、○○に会ったことが内心上の大きな転換点となって、その後は毎日ビデオセンター・クリエイトに通うようになり、○○から家系図をもとにして、「あなたの先祖は殿様だから、あなたの先祖は相当人を苦しめたり、多くの女性を泣かしてきている。」などと言われたが、その際にもそれ以上に被告法人への入会や献金等の勧誘や指示は受けてはおらず、同年五月二六日、○○の話を聞くとともにビデオで被告法人の「統一協会(世界基督教統一神霊協会)」という教団名や文鮮明の名前を始めて明かされて感激し、「他の人がやらなくても自分だけでもこの組織に協力してゆこう。」という気持ちになっている。その後、原告Aは、同年六月一七日から同月一九日にかけてスリーデイズに参加し、自分が「素晴らしいところに来ている。」、「今までビデオセンターで分からないことがあったが、ああ、そうだったんだ。」と納得するようになり、また、二日目からは更に講義を真剣に聞くようになり、終了段階では、「本当に素晴らしい内容の話を聞いた。何故今まで知らなかったのだろうか。」と感じて本当に嬉しく思い、この道が本当に正しいんだと思えるようになっている。そして、原告Aは、その後、昭和六三年七月及び同年八月に新生トレーニングに、同年九月には実践トレーニングにそれぞれ自ら寸暇を惜しんで参加し、実践トレーニング中に規範の問題に直面しても、自らの判断でこれを正当化して考え、新生トレーニング中両親の反対を押し切ってまでトレーニング会場に舞い戻っている。

以上によれば、原告Aは、最初に勧誘を受けてから棄教・脱会に至るまでに約一年五か月の期間を要しているが、その間、被告法人の教義、信仰を受容する過程において、その各段階毎に自ら真摯に思い悩んだ末に、自発的に宗教的な意思決定をしているというほかはない。

そうすると、被告法人の各種セミナー等における原告Aに対する勧誘、教化行為は、当初被告法人の「統一協会(世界基督教統一神霊協会)」という教団名や文鮮明の名前を明かさなかった点では道義上の問題を残すけれども、その点を考慮してもなお、原告Aに対する勧誘、教化の方法、目的等を総合考慮すれば、いまだ社会的相当性を逸脱したものであるとまではいうことができない。

また、原告A主張のいわゆるマインドコントロールは、それ自体多義的な概念であるのみならず、これを一定の行為を繰り返し積み重ねることにより相手に一定の思想を植え付けることをいうと捉えるとしても、前示の原告Aの被告法人の教義、信仰の需要経緯に照らせば、同原告に対し主張の効果があったものとは俄に認められず、さらに、前記認定の同原告に対する勧誘、教化の方法、経過を併せ考慮しても、宗教上の勧誘、教化行為のあり方として、社会的相当性を逸脱したものとまではいえない。

そうすると、原告Aが、被告法人のいわゆるマインドコントロールによる勧誘、教化行為により宗教選択の権利を侵害され、人格権を侵害されたということはできない。

したがって、原告Aの①の主張は採用できない。

 

� ②の主張について

�において判断したところによれば、原告Aは、被告法人の教義、信仰を受容する過程において、その各段階毎に自ら真摯に思い悩んだ末に、自発的に宗教的な意思決定をしているものである。

もっとも、前記認定のとおり、被告法人は、当初「統一協会(世界基督教統一神霊協会)」という教団名や文鮮明の名前を伏せたまま原告Aを勧誘し、その後ある程度教義、信仰が受容されるまでの間はそれらを明かさず、また、研修中も両親等外部の者に被告法人の勧誘、教化行為の内容を漏らさないように原告Aに対し注意を与えている。

しかし、原告Aは、スリーデイズ直前の段階では被告法人の教団名や文鮮明の名前を開示され、その上で新生トレーニングや実践トレーニングの段階へと進んでおり、この間、ビデオセンター・クリエイトに通うことなどについては特段の強制を加えられてはいないし、外部との接触についても、必ずしも完全に遮断されていたわけではなく、口頭での指示を与えられていたのみである。また、本件全証拠によるも、原告Aの勧誘、教化にあたり、宗教上の言説以上に薬物や物理的、身体的な強制力が使用された事実を認めるに足りない。さらに、脱会にあたっても、宗教上の言説以上の阻止手段は講じられていない。

そうすると、原告Aが、被告法人の勧誘、教化行為により自由な意思形成を不当に妨げられ、人格権を侵害されたものということはできない。

したがって、原告Aの②の主張は採用できない。

 

� ③の主張について

信者が宗教団体に献金する行為は、宗教的行為として意味づけられるものである。

そして、前記認定事実によれば、原告Aは、被告法人の教義、信仰を受容する過程において、自ら被告法人に対する献金が有意義なものであると判断してこれを行ったものと認められる。

もっとも、原告Aがそのような判断をするについては、前記認定のとおり、○○、○○、○○、○○、○○、○○、○○ら被告法人関係者の宗教上の言説による勧誘が大きな影響を与えていることは否定できず、その言説のなかには、前示のように、「女性ばかりの家系はこの後途絶えてしまう。あなたが今なんとかしなければひどいことになる。」、「あなたの先祖は殿様だから、あなたの先祖は相当人を苦しめたり、多くの女性を泣かしてきている。」など、吉凶禍福を説いたり先祖の因縁や霊界に触れるものも含まれている。

しかしながら、前記(一)で判断したところによれば、被告法人の原告Aに対する勧誘、教化行為は全体として違法なものとはいえず、一般に、宗教活動に伴う献金勧誘行為にあたって、多少なりとも吉凶禍福や先祖の因縁話・霊界の話等が説かれる場合が多く、そのような言を用いて献金を求める行為一般を違法であると断じることは宗教に対する過度の干渉となるので許されないものと解すべきであり、本件のそれが特に社会常識を逸脱したものとまではいえないのみならず、本件全証拠によるも、被告法人がその他社会的通念に反する合理性を欠く手段を弄したものとは認めるに足りず、さらに、献金額等その態様についてみても、原告Aの年齢や収入等に比して社会常識に反するものとまでは認められない。

そうすると、被告法人が原告Aに対して献金をさせた行為は、その目的、方法、結果を総合すれば、いまだ社会的相当性を逸脱したものとまではいえない。

したがって、原告Aの③の主張は採用できない。

六 結論

以上の次第で、原告らの本訴訟請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法六一条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。

岡山地方裁判所第二民事部

裁判長裁判官  小 澤 一 郎

 

北村哲男議員の統一教会に関する質問と政府答弁

 

第百二十九回国会 参議院公報第百二号 平成六年六月二十八日(火曜日)

 

・世界基督教統一神霊協会に関する質問主意書

 

一昨年、新体操の元オリンピック選手の山崎浩子さんや女優の桜田淳子さんら芸能人の入・脱会騒動で世間を騒がせた統一協会(世界基督教統一神霊協会=教祖文鮮明)は、霊感商法をはじめとして、宗教団体としてあるまじき様々の反社会的事件を引き起こしていることはよく知られている。去る五月二十七日に福岡地裁は全国で初めて統一協会の霊感商法に対する損害賠償請求訴訟で原告の主張どおり統一協会の関与と賠償責任を認め、三千七百六十万円の支払いを命じる判決を出した。

そこで以下の点について質したい。

一、統一協会は霊感商法といわれる詐欺的脅迫的手口によって印鑑、人参液、壺、多宝塔、絵画、呉服、宝石、仏具などを法外な値段で売るなど、信者に違法な資金集めをさせて多くの被害者を生み、社会的に厳しい批判を受け、国会でも追及されたことは周知のとおりである。全国の消費者センターと弁護団が調べた一九九三年の数字でも被害件数二千百五十三件、被害金額は百二十一億九千二百万円余の巨額にのぼっている。最近は「HG」(早く現金)といわれる資金集めに力を入れ、土地、建物を担保にとった融資の形で多額の金を詐取する手口が用いられており、なかには億単位の被害も珍しくない。東京三鷹では一家で五十六億円余をだましとられた例もある。この件を契機にして三鷹市議会では決議が出されている。現在多くの被害者たちが統一協会を相手取って損害賠償請求などの訴訟を起こしている。

また統一協会に入り、貴重な青春時代を奪われた元信者たちは、その間の損失利益、慰謝料などの損害賠償を求めて全国各地で「失われた青春を返せ」訴訟を起こしている。

さらに文鮮明教祖によって見も知らぬ相手と組み合わされ合同結婚をさせられた元信者たちは婚姻無効確認を求める訴訟を起こしている。

統一協会側が従来、第一の霊感商法に対する訴訟では敗訴が明らかなため和解しているケースが多いことを考えると、今回の判決の持つ意味は重大である。これら三種類の訴訟が行なわれているという現実から統一協会は明らかに反社会的な団体であると考えられるが、政府としてはどう判断するのか。

二、統一協会の勧誘方法は、駅頭や街頭などでアンケートや手相見などの手段で接近して人生相談や悩み事相談に乗る形をとり、大学のキャンパスでは原理研究会というクラブ活動の形をとって勧誘しているのが通常である。統一協会の名を隠し、宗教団体ではないと偽って勧誘するため、学生や未成年者など純粋で真面目な青年男女ほどだまされやすい。いったん勧誘に応じると、マインドコントロールといわれる方法で信者にされてしまうのである。このため、大学のなかには入学シーズンに新入生を対象に警告書を配布している大学もある。このようにまず勧誘の仕方からして詐欺的で異常である点からも、統一協会は宗教団体として適格性を欠いていると考えられるがどうか。

三、統一協会は国際合同結婚式、いわゆる集団結婚でよく知られている。一昨年夏にも約三万組の合同結婚式がソウルで行なわれた。結婚相手は本人の意思とまったく無関係に文鮮明教祖の指名によって一方的に決められる。これはまさに「両性の合意のみに基づいて成立」するという憲法第二十四条に反する。このような結婚は、親、兄弟、親戚も反対し深刻な家庭悲劇を全国各地で起こしている。この点からみても統一協会の反社会性がきわめて強いことは明らかであるが、どのように考えるか。

四、教祖文鮮明は一昨年三月末にわが国に入国した際、通常では入国できないケースであったにもかかわらず、当時の金丸自由民主党副総裁に働きかけ、特別扱いをうけたといわれている。その背後では信者から集めた多額の資金が政治資金として動いたと指摘されている。また、統一協会のいわば政治団体であり、統一協会と一心同体の関係にある国際勝共連合は保守系議員の選挙運動の応援を行なっており、とくに当落すれすれの候補や組織の弱い新人あるいはこれはと思う候補のところに協会員を大量に運動員として派遣し、当選すると私設秘書を送り込むなど、政治家との結びつきを強め政界への浸透をはかろうとしている。私たちは政治改革を最重要課題として取り組んでいる立場からも、こうした政治をゆがめる動きを看過することはできないと考えるがどうか。

五、以上申し述べた点から、統一協会は反社会的な性格の団体であり、本質的に宗教団体とは認めがたい。少なくとも宗教法人法にのっとった宗教団体として認めることはできないと考えざるをえない。従って統一協会には宗教法人法第八十一条に基づく解散命令を含む厳しい措置がとられてしかるべきであると考えるが、政府の見解はどうか。

六、統一協会が霊感商法等の手口で集めた資金は宗教法人法第六条第二項に違反して使用されていると考えられる。例えば統一協会は株式会社ハッピーワールド名義の新宿教会を担保に同社が韓国第一銀行から借金するにつき連帯保証している。このような事実を調査の上、同法第七十九条第一項に基づきその事業停止を命じるべきではないか。そのための同条四項の手続きを取るべきではないか。

七、税務当局者は統一協会信者らの前記の如き資金集めについてどのような調査をしているのか。

八、少なくとも前会長藤井氏が対外的にこの債務が四千億円にのぼることを認めていることにかんがみても、日本法人が集めた資金の大部分がアメリカ合衆国や韓国の文鮮明とその周囲の組織に提供されていると考えられる。このような多額の資金流出の事態は金融機関や多くの市民の債権回収を不能にすることになると考えられるが、当局はどう対応するのか。

右質問する。

 

 

内閣参質一二九第九号 平成六年七月十二日

内閣総理大臣 村 山 富 市

参議院議長 原 文兵衛殿

 

参議院議員北村哲男君提出世界基督教統一神霊協会に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

 

・参議院議員北村哲男君提出世界基督教統一神霊協会に関する質問に対する答弁書

 

一について

宗教法人「世界基督教統一神霊協会」(以下「統一協会」という)に関係して、御質問にあるような訴訟が提起されていることは、報道等により承知している。

しかしながら、政府としては、一般的に、特定の宗教団体が反社会的な団体であるかどうかについて判断する立場にないと考える。

二及び五について

我が国においては、憲法に信教の自由の原則が定められており、宗教団体を組織し、宗教活動を行うことは、基本的に自由である。もちろん、宗教団体に法令違反の事実があるような場合は、これに関する法令の規定が適用されることは当然である。

ところで、宗教法人法(昭和二十六年法律第百二十六号)に規定する宗教団体とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とし、神社、寺院、教会等の単位宗教法人の場合には、礼拝の施設を備える団体であるが、現在のところ、所轄庁である東京都知事(注1)は、統一協会がこの要件を欠いているとは判断していない。

また、同法第八十一条に基づく解散命令は、所轄庁等の請求等により裁判所が行うことができるとされているが、現在のところ、所轄庁である東京都知事は、統一協会について、その請求を行うべき場合に当たるとは判断していない。

三について

婚姻当事者に婚姻意思があったか否かは、個々の婚姻ごとに判断されるべき問題であり、それに関する紛争は、最終的には司法により解決が図られるべきものであって、政府としては、一般的に婚姻意思の問題について判断する立場にないと考える。

四について

政府としては、現在、御質問の統一協会ないし国際勝共連合の活動の詳細については承知していないし、また、御指摘のような問題について、判断する立場にないと考える。

六について

宗教法人法第七十九条は、宗教法人が行う公益事業以外の事業の停止命令について規定しているが、統一協会の所轄庁である東京都知事は、いわゆる霊感商法については、現在、統一協会の規則には事業として記載されておらず、また、統一協会が行っている事業であるという確証もないことから、現在のところ、同条を適用することは基本的に困難であると判断している。

七について

御質問の課税上の問題については、個別・具体的な事柄であるので、答弁を差し控えたい。

八について

宗教法人法においては、宗教法人に対して、所轄庁への収支報告義務を課していないので、所轄庁において、宗教法人の資金の流れを把握することは困難である(注2)。また、宗教法人の財産の使用、処分については、法令の規定に違反するような場合を除き、基本的には宗教法人の自主的な判断にゆだねられているものと考える。

 

(注1)宗教法人法の改正(平成八年十二月八日)により、統一教会の所轄庁は東京都知事から文部大臣に変更した。

(注2)同じく宗教法人法改正により、宗教法人は毎会計年度終了後三月以内に収支計算書を作成し、その写を同四月以内に所轄庁に提出することが義務づけられるようになった(第二十五条)。現在統一教会はこの条項を遵守して所轄庁に収支計算書を提出している。

 

※北村哲男議員(当時、日本社会党参議院、現在は民主党衆議院)

米国における統一教会の裁判判決例

 

∧マインド・コントロール裁判∨

 

1「カッツ」対「上級裁判所」判決(カリフォルニア州、1977年)

 

サンフランシスコ郡上級裁判所(第一審裁)リー・バブリス判事は、五人の統一教会成人会員について、その親を暫定後見人として任命し、統一教会によって吹き込まれたという考え方についてディプログラミング(強制改宗)を許可した。五人は後見人が強制改宗を行わないよう特別救済措置を求めて提訴した。カリフォルニア州控訴裁判所は、次のように判決した。

 

� 下級裁判所が強制改宗を目的にして、親を成人の暫定後見人に定めたのは宗教の自由の権利の侵害である。

� 法廷に示された証拠によると、後見人の任命は正当化できない。

このため、法廷は以下のように定める。

もし治療のため強制的説得や強制改宗が必要な場合は、そうした精神的無能力性そのものや、治療のために法的統制をする必要性について、福利と施設規則によって決められた公民権の保護をなしたうえで、よく確認しなければならない。もしそれを行わない場合は、思想統制のための誘拐を許すことになる。法廷は証拠法の定める条項によって、法廷に示された証拠からは禁治産者後見人の任命を正当化できない、と判決する。

� こうした一連の手続きを実行した法律はあいまい性があり、違憲である。

 

控訴裁判所は判決で次のように述べた。

 

成人の信仰者がこの州の法律で定められた重度の障害者と認められない場合は、州の手続きによって信仰者の自由を奪い、強制的治療の対象とすることはできない。

 

2「ターナー」対「統一教会」判決�(ロードアイランド州、1978年)

 

元統一教会員のターナーは教会に対し、強制労働、未払い労働費、両親友人との隔離などを理由に告訴した。

地方裁判所は統一教会の要求を受けて、告訴を却下した。法廷は原告に、債務返済のため強制労働を課したという被告側の陰謀容疑は証拠が不十分であり、公民権の告訴理由にはならない、と判決した。

さらに法廷は、原告がロードアイランド州法によれば、原告が両親・友人の愛情から隔離されたことは損害賠償の対象にならず、また、世界のために尽くすという目的で働かされた容疑では未払い労務費の請求ができない、と判定した。

 

 

3「イーデン」対「文鮮明師、統一教会ほか」判決(ミシガン州、1982年)

 

原告は元統一教会員であり、誘拐によって強制改宗を受け、教会を離れた。彼女は統一教会に対して訴訟を起こし、文鮮明師と統一教会などが直接間接に入会工作をして、マインド・コントロールを行った、と訴えた。巡回管区裁判所判事は文鮮明師の弁護人に同意し、憲法修正第一条は、司法が信仰や宗教的行為の真実さに立ち入ることを禁止しているとし、本訴訟は宗教の権利を損なうとの理由で却下された。

 

フィンチ判事は次のように判決を下した。

 

法廷や国が宗教行為、信仰、活動などを調査できない、というのは憲法で明確にされている。法廷は、回心の方法について、被告(統一教会)の行動は告訴理由にはならないと判断する。

 

4「ルイス」対「統一教会」判決(マサチューセッツ州、1983年)

 

原告は十五カ月間、統一教会の会員であったが、洗脳され、教義を吹き込まれ、入会時に雇用契約があった、として統一教会を告訴した。

 

地方裁判所は同告訴を却下して、次のように判決した。

 

原告が不法行為を受けたという申し立てには極めて欠陥がある。宗教団体の教義教育、入会手続き、信者の状態などは一般に法的検討の対象にはならない(「ターナー」対「統一教会」判決、「米国」対「バラード」判決、「米国」対「シーガー」判決参照)。

同様に、原告は洗脳の不法性を示した判例を見いだせなかったし、本法廷も見つけることができなかった。

 

法廷は判決で、

 

原告は雇用契約について述べたが、告訴理由の主要なものであるところの、明示され、あるいは暗示された契約、雇用提供労務相当金額の請求などについて、これを証明することができなかった。原告は契約の内容、受諾、協議、契約書等についてもこれを示すことができなかった。修正された申し立てと原告の口述書によって原告は、統一教会に個人的、宗教的理由で入会したもので、就職や給料のためではないことが分かる。それで宗教的あるいは慈善的動機では雇用提供労務相当金額の請求はできないことがすでに確立されている(「ターナー」対「統一教会」判決参照)。

 

5「モルコ、リール」対「統一教会」判決(カリフォルニア上級裁判所、1983年)

 

原告のモルコとリールは統一教会の元会員で、強制的に誘拐され、強制改宗を受け、教会を離れた。彼らは統一教会に対して、不当な勧誘、洗脳、虚偽の監禁などを理由に訴訟を起こした。上級裁判所スチュアート・ポラック判事は略式裁判によって、統一教会の申し立てを受け入れ、同訴訟を却下した。その理由は、心理学者マーガレット・シンガーとサムエル・ベンソンの「原告がマインド・コントロールされている」との証言の有効性を問題にしたためだ。判事は、その学者たちが原告を診断したことがなく、原告も教会で強制的に監禁されたことが一度もなかった、との事実を取った。

 

ポラック判事の判決は次のとおり。

 

「カッツ」裁判で出たと全く同じ証言が本法廷でも示され、教会に残るかどうかを決定する本人の権利が奪われ、意思決定できない、という思慮不能性を証明することは本件でも同様にできなかった。原告が求めた救済は、虚偽の監禁という告訴理由によって同様の意味をもたせようとしたものだが、これは禁治産者後見人の任命ほどには個人の自由を侵害するものではない。

 

原告の証言は統一教会の行動が違法であったとの証明ができず、原告の行動が被告によって変えられ、自由な選択ができなかったという証明もできなかった。

 

ポラック判事は判決で次のように述べた。

 

「洗脳」と「マインド・コントロール」は確かに恐ろしい考えである。しかし、宗教については重要な憲法上の問題を注意深く考慮しなければならない。ここでは、原告は統一教会が真に教会(宗教)である、という点については異議を表明していない。原告の二人は最初教会を紹介された時は成人であり、強制、脅迫、暴力あるいは違法行動によって入会させられたとは証言していない。教会に行き、原告はそれが何であるかを明らかに知った。また教会から自由に出られるということも知っていたが、原告はとどまることにした。原告の自分自身による決定があったことは明白で、原告をとどまるようにさせたとして、教会に損害賠償を請求することは、州法の許さないところであり、また社会のすべての宗教団体を保護する憲法の認めないところでもある。

 

∧暴力改宗、強制棄教事件∨

 

1「ヘランダー」対「パトリック」(コネチカット州、1976年)

 

統一教会会員ウェンディー・ヘランダーは、誘拐し、強制棄教を企てたテッド・パトリックに対し訴訟を起した。判事は五千ドルの支払いをパトリックに命じた。

 

被告は証拠により、上記の強制、脅迫、監禁などを原告に対して中心的に行ったことは明白である。被告とその仲間は、原告を統一教会から引き離すため、露骨で、無感覚で、威嚇的方法により、原告の意志に反して監禁場所を移しながら、テレビのメロドラマさながらの活動を行った。

 

監禁され、拘束され、被告による恐ろしい体験を受けることについて、法的に正当化できるものは何もない。法廷は原告の憲法上の権利が侵害されたと明確に断定する。

 

法廷は原告が通過した恐ろしい改宗体験について、被告がそれを推進してきたことを確信している。

 

2「ベアー」対「ベアー」(カリフォルニア州、1978年)

 

統一教会会員ローレンス・ベアーは両親と暴力改宗者に対して、彼等は信仰を奪う目的で共謀し、強制的に誘拐した、として告訴した。

 

被告の要請した、申し開きに対する一部略式命令、あるいは略式裁判について、地方裁判所は、国がいかなる形であれ介入した証拠を原告が示すことができなかった、と判定した。これは公民権法のもとで救済を受けるための必要条件である。さらに、州境を越えて誘拐が行われなかったため、原告は連邦法典42、1985�による救済を受けることができない、と定めた。

 

しかし、法廷は「私的行為」により原告の権利が妨げられたことは疑いない、とした。また法廷は判例の詳しい分析を行い、私的行為が公民権法のもとで保護されるかどうかについて調べた。そうすることにより、法廷は「宗教的差別は1985�によって取り扱うことができる」と結論づけた。法廷の意見は次のとおり。

 

本件については人種差別裁判と多くの類似点をもつ。特定の気に食わない宗教団体会員を暴力改宗する、というのがその財団の存在理由である。訴状を公平に読むと、同財団はローレンス・ベアー個人の信仰を問題にしたのではなく、統一教会会員という理由で選び出した。つまり、原告が少数派の宗教団体会員である、という理由によるものだ。被告は統一教会に憎悪を抱き、原告の会員を暴力改宗する動機づけがある。宗教の立場は、同種ではなく、不変の特性をもつので人種の立場とは異なるが、人種少数派の人々が多数派からの恐れ、憎悪不合理性などに直面していると同様に、宗教的少数派も同じ立場に立たされている。

 

3「ランキン」対「ハワード」(第九巡回管区、1980年)

 

親の求めた暫定人身保護令によって暴力改宗を受けた統一教会員が、カンサス州判事を相手に、判事は人身保護令を出し、他の人々と共謀して会員の公民権を奪ったとして訴訟を起した。アリゾナ州の連邦地裁は州法廷の略式命令を認め、他の二人の被告に対する略式命令も認めた。上訴によって第九巡回管区控訴裁はこれをくつがえした。

 

� もし判事が事前に人身保護請求について支持の判定をすると協定していたとすれば、こうした協定は判事が訴追免責の対象とされる法的行為ではない。

� 判事が明確で完全な人的管轄権なく行動すれば、免責を失う。

� もし州判事が管轄権問題について誤りがあることを知っており、カンサス州法が一方の当事者のみ手続きから除外することを禁止していると知っていれば、判事は明確で完全な人的管轄権を実行したはずである。

� 判事がそうしたことで免責を受けられるとしても、共謀者である暴力改宗者や親は自動的に免責を受けられない。

� 略式命令を排除する物的事実が存在する。

 

控訴裁は次のとおり判決を出した。

 

ランキンは、暴力改宗者と両親が判事を取込み、判事の不偏不党性を奪い、カンサス州のランキン宅を見かけの管轄区とした、との証拠を示した。こうした容疑とその証拠によって、法廷は一九八三条項による略式命令(ハワード、トラウシュトに対する訴訟を却下したもの)を破棄し、差し戻すこととする。

 

4「クーパー」対「モルコ」(カリフォルニア州、1981年)

 

統一教会会員のウィル・クーパーは警察官、両親、七人の暴力改宗団に対して、誘拐と暴力改宗により公民権が犯された、として提訴した。被告は個人管轄権の欠如、不適切な裁判場所、訴訟原因管轄権の欠如を理由に却下を求めたが、地方裁判所の判定は次のとおり。

 

� すべての被告は一八七一年公民権法違反の対象になりうる。

� 訴訟原因は公民権制限の陰謀ということである。

 

被告は、宗教団体の会員は1985�による保護を受けられないと主張したが、地方裁判所は「グリフィン」対「ブレッケンリッジ」裁判の画期的判例を取り、保護対象についての枠が広げられたとの見解を示した。法廷は「グリフィン裁判以来、法廷は一般に、宗教団体も1985�による保護を受けると見るようになった」と述べた。

 

5「ワード」対「コンナー」(第四巡回管区、1981年、1982年)

 

統一教会の成人会員が誘拐され、三十五日間監禁され、改宗のための肉体的、言辞的攻撃を受けた。ワードは三十三人を被告として、八つの訴訟理由を示した。地方裁判所は訴訟の要点は交通移動の自由を奪われたことではなく、修正第一条の宗教の自由が侵害されたことだと見た。

 

第四管区控訴裁は地方裁判決をくつがえし、統一教会会員や他の少数派宗教に対して、迫害される少数民族を守ると同じ公民権保護が適用されるべきだ、と判決した。この判決によって、暴力改宗に対して訴訟が可能になった。控訴裁判決は次のように述べた。

 

宗教的差別は不愉快な人種差別と同様に一九八五条の対象になる。原告と他の統一教会会員はそうした公民権法が保護する対象とされるべきものである。

この判決によって、他の下級裁判所判決と一九八五条の立法過程についても検討が進められるようになった。法廷は陰謀の存在を認め、ワードの交通移動権が剥脱されたことがその証拠であるとした。両親は息子を心配する動機から行動したものだが、被告の統一教会会員への敵意もその動機になった。

 

この判決は、のちに最高裁判所が被告の上訴を却下したことで確定した。

 

6「コロンブリート、統一教会」対「ケリー」(第二巡回管区、1985年)

 

第二巡回管区控訴裁判所は全員一致で、統一教会に弁護費用の支払いを命じた下級審判決をくつがえした。これは、教会員トニー・コロンブリートが暴力改宗者ゲーレン・ケリーに対して起した裁判である。

 

本法廷は一審のオーウェン判事がコロンブリートの申し立てについて、訴訟の実体がなく、ケリーを困らせる目的で告訴した、と誤ったのかどうかを検討し、次のような判定をした。

 

これまでいくつかの法廷が宗教的動機による行動の合法性を確認し、統一教会が真の宗教であるとの判定を出し、いくつかの法廷で認定されている。実際に法廷は第一九八五条三項を適用し、訴訟原因としてこれを認め、統一教会会員に対する暴力改宗に反対してきた。

こうした観点から、コロンブリートの第一九八五条三項の適用は根拠のないことではない。実際ケリーの行動は統一教会に対する反宗教的行動である、との証明を行なえる可能性があった。コロンブリートの母親はニュージャージー州法廷から明確な法的裏づけなく禁治産者保護命令を取り付けた。ケリーとその仲間は、コロンブリートの父親と協力して二十七歳のコロンブリートを誘拐した。本人の意志に反してコロンブリートは監禁され、三十日間ケリーが、ニュージャージー州から得た令状によって、信仰を捨てるよう暴力改宗を受けた。法廷はそうした暴力改宗者の行為は、被害者の重要な権利である自由、宗教行為を奪うもの、と判定している(「テイラー」対「ギルマーチン」参照)。

 

ケリーの反論の一つは、親の要請によった行動であり、統一教会に対する憎悪や敵意で行動していないというものだが、控訴裁はそれを取らなかった。

 

親の危惧と憎悪が共存あるいは共同して起こったものであり、現在の記録では、親が息子の福利を心配して引き起こしたことであっても、同時に息子が入会した統一教会、教義、活動への激しい敵意によって動機づけられていた。彼らの教会の信仰に対する評価が真実かどうかにかかわらず、ケリーとともに二十七歳の息子(精神的に無能であるとの証拠はどこにもなかった)の自由を奪い、自ら選んだ宗教行為の権利を奪うことはできない。こうした権利は第一、第一四修正条項の核心である。

 

7「統一教会、文鮮明師、アンソニー・コロンブリート」対「ゲーレン・ケリー」(第二巡回管区)

 

統一教会会員アンソニー・コロンブリートが暴力改宗者ゲーレン・ケリーを、強制誘拐と公民権侵害(米法典42、1985�、公民権法1985)で提訴した裁判で、文鮮明師が証言のため召喚された。リチャード・オーウェン判事はこの裁判で、統一教会が真の宗教であるかどうかの調査を行おうとした。ハーバード大学法学部ローレンス・トライブ教授は、文鮮明師の第二巡回管区出頭を差し止める緊急申し立てを行った。同日、控訴裁は審理のあと、全員一致で申請を受け入れ、文鮮明師の召喚を禁止した。またコロンブリートの提訴取り下げも承認された。

 

*以上、『「マインド・コントロール理論」その虚構の正体』増田善彦著より年代順に入れかえて転載した

 

 

 

 

「新しい世紀と宗教の自由」日本会議の宣言文

 

∧解説∨

世界各地における宗教の自由および人権に対する侵害の状況を報告し合い、これらを保護するための具体的方策を協議する国際会議が昨年(一九九八年)、世界の四カ都市で開催された。第一回目は四月十七日から十九日にかけて米国の首都ワシントンDCで、第二回目は五月二十三日から二十五日にかけて日本の東京で、第三回目は五月二十九日から三十一日にかけてドイツのベルリンで、そして第四回目は十月十日から十二日にかけてブラジルのサンパウロで行われた。これらの会議は国際宗教自由連合(ICRF、ブルース・カシノー会長)の主導で開かれたもので、いずれも世界各国から百数十名の宗教家、学者、弁護士、人権活動家などが参加し、活発な議論を交わす実り多い会議となった。筆者はこれら四つの会議すべてに参加するという幸運に恵まれた数少ない者の一人となった。そこで本書に資料として第二回の日本会議の宣言文を添付するとともに、これらの会議が統一教会を取り巻く環境に対して何を提示したのかを報告したいと思う。

 

宗教自由連合の発足と米国議会

国際宗教自由連合は、一九八三年に宗教自由連合(CRF)として米国で発足し、米国内における宗教の自由のために活動してきたが、一九九七年よりその視野を国際的なレベルに拡大した。世界人権宣言公布五十周年に当たる一九九八年に、その第十八条に謳われている「宗教の自由」を促進するための国際会議が世界の主要四カ都市で開かれたことは非常に意義深いことであり、ICRFの世界的レベルでの活動の第一歩と位置づけることができると思われる。

世界人権宣言の第十八条は、「すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、宗教又は信念を変更する自由、並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、教導、行事、礼拝及び儀式によってその宗教又は信念を表明する自由を含む」と宣言している。しかし採択から五十年を経た今に至っても、世界の至るところに宗教の自由に対する侵害が存在するばかりでなく、最近はかえって状況が悪化しているのが現状である。ICRFの活動は、この世界人権宣言第十八条の理念を現実化していくところにその目的がある。

四月にワシントンで第一回会議が開かれて以来、米国議会はあたかもICRFの呼び掛けに応えるかのように、海外における宗教の自由を守るための法制定を進めてきた。ちょうど第二回会議が東京で行われる九日前の五月十四日に、「宗教迫害からの自由法」(ウルフ・スペクター法案)が賛成三百七十五、反対四十一の圧倒的多数で下院を通過し、さらに第四回の会議がサンパウロで開催される前日の十月九日に、同種の法案が「国際宗教自由法」として賛成九十八、反対〇で上院を通過した。そして同法案は十月二十七日に、クリントン大統領の署名により、法律として制定されたのである。

これによって米国国務省は海外における宗教迫害についての調査を積極的に行い、定期的に議会に報告する義務を負うようになり、必要な場合には経済制裁などの処置を講じるという時代が到来した。また、そのために国際宗教自由事務所を国務省内に設置し、その九人の構成員が議会と大統領によって任命されるようになる。こうしたニュースは会議の場でも報告され、ICRFの活動が米国議会ならびに政府の進もうとしている方向性と一致していることを参加者に印象づけた。

 

第一回のワシントン会議にて日本の拉致・監禁問題について発表

ワシントンで開かれた第一回目の会議では、世界各地における宗教の自由の現状を概観することに重点が置かれ、ヨーロッパ、CIS、南北アメリカ、中東、アジア、アフリカなど、各地域ごとの現状が専門家によってレポートされた。これらの報告によって明らかにされたことは、現在、宗教の自由に対する脅威が世界的なレベルで広がりつつあるということであり、民主主義と自由経済の拡大とともに宗教の自由も世界に広がっていくというような楽観的な歴史観はもはや成り立たないということであった。とりわけ先進国によって構成される西ヨーロッパ圏において新宗教に対する規制が厳しくなりつつある現状に対しては、深刻な懸念が表明された。

またこの会議では、チベット仏教、モルモン教、ハレ・クリシュナ、セブンスデー・アドベンチスト教会、サイエントロジーなど、世界各国で迫害を受けている宗教団体が自らの状況について訴える場が設けられた。筆者は実行委員会に直訴して時間を取ってもらい、この場で日本における統一教会信者の拉致・監禁問題についての発表を行った。日本のような先進国でいまだにそのような蛮行が行われているという事実に、西欧からの参加者たちは驚きを隠せない様子であった。

 

第二回の東京会議にて宣言文を採択

アメリカでの会議の成功を受けて、第二回目の会議は日本の東京で行われることになった。この会議では日本における政教分離の解釈問題や、宗教教育の問題など幅広いテーマが扱われたが、筆者が特に関心をもったのは「宗教の自由と心理学」というタイトルを付けられた分科会であった。なぜならそこで発表された内容は、筆者が本書において述べてきた内容と一致するものであったからである。ここでその詳細な内容に立ち入ることはできないが、宗教迫害を正当化するために心理学を悪用する傾向は、明らかにアメリカから日本に輸入されたものであることが分かった。

以下に紹介するのは、第二回の日本会議の宣言文であるが、まずこの宣言文が採択された経緯について説明をしておきたい。この宣言文の草案は、会議の主旨と発表内容を受けて、ブルース・カシノーICRF会長、入江通雅「新しい世紀と宗教の自由」日本会議議長(青山学院大学名誉教授)、加藤栄一筑波大学名誉教授、小林宏晨日本大学教授らによって作成された。会議の閉会式の際にこの草案が全参加者に提示され、大枠においては全参加者の同意が得られたものの、細かな点についてはさまざまな意見や提案がなされた。そこでカシノー会長はそれらをすべて聞き入れた上で、最終決定に関しては、草案を作成した四人が構成する委員会に一任するという了承を参加者より取り付けた。その後、委員会で最終的な調整が行われ、宣言文の内容が決定されたのである。したがって、この宣言文は会議参加者の総意を示すものであり、宗教の自由に関するグローバル・スタンダードを標榜するものであると言えるであろう。

このICRF日本会議の「共同宣言」全文を後ろに資料として添付するが、著者の解説として、その中から特に統一教会を取り巻く状況に関係が深いと思われる部分を抜粋してみたいと思う。

 

「国際的な人権規範を、他の分野における人権法と同様に、宗教の自由に対しても適用することは重要である」

「宗教団体の信者の信仰を強制的に変えさせる(ディプログラミング)ための強制的拉致や、その他の形態の宗教的自衛(自警)は、宗教の自由の侵害であり、行政府によって厳格に起訴されなければならない」

これら二つの文章は、統一教会信者の拉致・監禁問題に対する行政府の対応、とりわけ警察の対応を変革し、こうした違法行為を厳格に取り締まり、刑事事件として取り扱うように要請していると見ることができる。国際的な人権規範から見れば、信仰を強制的に捨てさせるための拉致・監禁は明かな人権侵害であり、宗教の自由の侵害である。このような対応を続けていれば、やがて国際的な非難を受ける日が来るということである。

前出の「国際宗教自由法」は、当面は大量虐殺などの甚だしい人権侵害を監視することにとどまるであろうが、徐々に「宗教迫害」の定義を広めていき、やがては強制改宗の問題にまで関心を示すようになるのは時間の問題と思われる。

 

「宗教の自由を制限するために、精神医学や科学を誤用することは拒否されなければならない」

「消費者保護法は、宗教を差別したり、宗教の自由を制限するために使われるべきではない」

 

これら二つの文章は、現在反統一教会運動を展開している人々の戦略に釘を刺すものとして評価できる。宗教の自由はほとんどの国で憲法によって保証されているために、反宗教的な人々は宗教の問題を心理学や消費者保護の問題にすり替えて攻撃しようとする傾向にある。こうした手段は特定の宗教を攻撃するための武器として恣意的に使われるのが常であり、そのために精神科医や弁護士が「専門家」としてかつぎ出されることに対しては警戒しなければならないと指摘しているのである。

 

「行政機関が『カルト』や『セクト』などの言葉を用いることによって、軽蔑的な含意が形成されてきたので、これらの言葉の代わりに『宗教』『少数派の宗教』『小宗教』または『新宗教』といった言葉が用いられるべきである」

 

これは行政機関だけでなくて、マス・メディアにも守ってもらいたい内容である。現在の言論界には「言葉狩り」と言われるほどの差別用語に対する激しい非難があるにも関わらず、「カルト」など宗教に関する差別用語だけが野放しにされているのは明らかに不公平である。

ICRFの共同宣言は、宗教の自由の問題についてのグローバル・スタンダードを提示していると思われる。これは少数派・主流派を問わずすべての宗教に当てはまる普遍的な原則であるが、われわれはこの宗教の自由に関する原則が統一教会に対しても適用され、その権利が保護されるように主張するものである。

 

∧宣言文∨

 

宗教の自由はすべての人間に与えられた基本権であるが故に、

 

この権利は人の一生における意味と究極的な価値の探求にとって不可欠なものであるが故に、

 

政府の第一の機能は、その国民の権利が行使できるように保証することであるが故に、

 

一九九八年は世界人権宣言の五十周年記念に当たるが故に、

 

世界人権宣言は、その第十八条において「すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、宗教又は信念を変更する自由、並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、教導、行事、礼拝及び儀式によってその宗教又は信念を表明する自由を含む」と宣言するが故に、

 

国際連合は宗教の自由のための更なる保護を提供する市民的及び政治的権利に関する国際規約を公布したが故に、

 

国際連合の人権委員会は、「第十八条はその適用において伝統宗教に限定されない」、また「(人権委員会は)いかなる宗教や信念に対しても、それらが新しく設立されたという事実や、優勢な宗教団体にとっては敵意の対象となるような宗教的少数派を代表するということを含め、いかなる理由にせよ、これらを差別するあらゆる傾向を懸念する」と明言する一般解釈二二を採択したが故に、

 

人権及び基本的自由の保護のためのヨーロッパ条約が第九条において、「すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自己の宗教又は信念を変更する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、教導、行事及び儀式によってその宗教又は信念を表明する自由を含む」と明言するが故に、

 

全欧安全保障協力会議最終宣言(ヘルシンキ宣言)が第七条において、「参加国は、……思想、良心、宗教、信条の自由を含む、すべての者に対する人権及び基本的自由を尊重」し、「個人が自己の良心の命ずるところに従って行動し、単独に又は他の者と共同して、宗教又は信条を表明しかつ実行する自由をもつことを認め、尊重する」と宣言するが故に、

 

人の権利及び義務の米州宣言が第三条において、「すべての者は、宗教的信念を自由に告白し、並びに公的及び私的にそれを表現し及び実践する権利を有する」と宣言するが故に、

 

人権に関する米州条約が第十二条において、「すべての人は、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利は、自分の宗教又は信念を維持若しくは変更する自由、及び個人的に又は他の者とともに、公的又は私的に、自分の宗教又は信念を告白し若しくは普及する自由を含む。何人も、自分の宗教又は信念を維持し若しくは変更する自由を損なうおそれのある制限を受けない」と明言するが故に、

 

人及び人民の権利に関するアフリカ憲章(バンジュール憲章)が第八条において、「宗教の告白及び実行の自由は保障される」と明言するが故に、

 

国際宗教自由連合の会議の参加者たちは全体として上記の宣言の一つ一つを促進しようと努めるが故に、

 

宗教の自由が世界のほとんどいたる所で侵害されているが故に、

国際宗教自由連合は、一九九八年の四月及び五月に、宗教の自由に関する国際会議をワシントンDC、東京において開催し、学者、政府官吏、弁護士、人権活動家、議会議員、ジャーナリスト、及び大小の宗教団体の代表の意見を聞いたが故に、

 

われわれはしたがって、一九九八年五月二十三〜二十五日に、「新しい世紀と宗教の自由」に関する東京会議に集い、よってここに次の事項を承認し、宣言する。

 

宗教の自由についての権利は、信仰、信条、言語、国籍、人種、皮膚の色、社会的門地、性別にかかわらず、また土着の文化であろうと他の文化であろうと、すべての人に対して認められなければならない。

 

国家及び地方政府、メディア、ならびに宗教は、個人やその他の非政府組織が宗教的信仰や実践を批評する自由を保持しながらも、すべての人が自らの宗教や信仰を実践し、教え、伝播し、またそれを変えたり、遵守したりする権利を尊重しなければならない。

 

あらゆる宗教は、ある国においては、またはその草創期においては、少数派であることを免れないが故に、宗教の自由は小宗教のみの関心事ではなく、大宗教の関心事でもある。

 

国際的な人権規範を、他の分野における人権法と同様に、宗教の自由に対しても適用することは重要である。

宗教的信仰または信念に基づいた大量虐殺、殺人、奴隷制度、拷問、ならびに聖所の破壊など、政府による宗教の自由への甚大な侵害に対しては、宗教の自由の原則を支持する国々によって制裁またはその他の外交的力が行使されるべきである。

 

国際的な宣言、協定、条約、及び国家の憲法及び法律において宗教の自由が保障される対象となる「宗教」の定義は広く解釈されるべきであり、いかなる国においても主流派の宗教にのみ宗教の自由を限定するために用いられてはならない。

 

個々の宗教的信仰はその宗教の自由について平等な保護を受けるべきであり、政府の政策や宗教の自由に関する活動によって設定された宗教的信仰の階級があってはならない。

 

少数派の宗教的信仰にのみ焦点を当てた立法委員会、行政機関、政府のリスト、またはその他の政府の活動が、形成されたり企画されたりしてはならない。なぜなら、それらの狭い視点は差別的な根拠に基づいた宗教のカテゴリーに従って差別的な扱いをなし、結果的に少数派の信仰を差別するからである。

 

公共の秩序、安全、健康、道徳、及び他者の基本権や自由に基づいて宗教の自由が制限を受ける場合は、国家の利益が切迫したものであり、かつ一般的に適用可能な中立的な法に基づいたものであることが示されなければならず、また課せられる制限は国家の利益を充足する上において最小限の制限手段でなければならない。

宗教的不寛容に根ざした憎悪による犯罪は、行政府によって厳格に起訴されなければならない。

 

宗教団体の信者の信仰を強制的に変えさせる(ディプログラミング)ための強制的拉致や、その他の形態の宗教的自衛(自警)は、宗教の自由の侵害であり、行政府によって厳格に起訴されなければならない。

 

宗教の自由を制限するために、精神医学や科学を誤用することは拒否されなければならない。

 

移民法やその他の法律及び条約は、宗教の信者や指導者及びその代表者が、集会や聖地巡礼、会合やその他の宗教行事に参加するために国内及び国際的な旅行をすることを通して、各国内ならびに複数国家間において、お互いに直接的で人格的な接触とコミュニケーションを確立し維持する能力を制限するために適用されてはならない。

 

消費者保護法は、宗教を差別したり、宗教の自由を制限するために使われるべきではない。

 

宗教的信仰に基づく、雇用、政府の保護の取得、居住、または政治への参加における差別が許されてはならない。

 

公職に就くための宗教的リトマス試験があってはならない。

 

宗教の自由についてのより良い理解をもたらすために、宗教間の真摯な対話が促進されるべきである。

 

両親は彼らの未成年の子供たちを両親の宗教的信仰に従って育て教育する責任がある。

 

行政機関が「カルト」や「セクト」などの言葉を用いることによって、軽蔑的な含意が形成されてきたので、これらの言葉の代わりに「宗教」「少数派の宗教」「小宗教」または「新宗教」といった言葉が用いられるべきである。

 

人権組織やその他の非政府組織は、宗教の自由という大義を促進するために共に働くべきである。

 

宗教は自らの信仰を伝播したり、その他の活動をする際に、正直で責任ある行動を取り、人間の尊厳性と他者の人権を尊重すべきである。

 

*国際的な人権宣言や条約の日本語訳は、田畑茂二郎・竹本正幸編「国際人権条約・宣言集」(東信堂)によった

 

 

 

 

 

「新しい世紀と宗教の自由」会議のスピーカー一覧

 

ブルース・カシノー(国際宗教自由連合会長)

入江通雅(青山学院大学名誉教授)

トビー・ロス(元米国下院議員)

エリオット・エブラムズ(倫理・公共政策センター所長)

ドンムン・ジュー(ワシントン・タイムズ財団会長)

フランクリン・リッテール(テンプル大学名誉教授)

ペドロ・モレノ(米ラザフォード研究所国際部長)

リー・ブースビー(宗教および信仰の自由国際アカデミー副会長)

ピーター・ジュブラー(コロンビア大学教授)

高瀬広居(評論家、拓殖大学客員教授)

クリスチャン・ブルンナー(オーストリア・グラーツ大学教授)

渡辺久義(摂南大学教授)

小林宏晨(日本大学教授)

マイケル・ヤング(コロンビア大学教授)

マーク・マリンズ(明治学院大学教授)

杉原誠四郎(武蔵野女子大学教授)

ジェームス・ルイス(アメリカ世界大学)

釋正輪(宗教法人報恩閣住職)

ヘンリー・ニュートン・マロニー(米フラー神学校教授)

リー・コールマン(精神科医)

ジェレマイア・ガットマン(弁護士)

ジェフリー・ハッデン(バージニア大学教授)

ウィンストン・フロスト(トリニティー法律大学院学部長)

アショク・ガンガディン(グローバル・ダイアローグ研究所理事)

ダン・アーギュー(全米福音派協会会長)

山崎圓快(天台宗大僧正、日本マンダラ会会長)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教法人 世界基督教統一神霊協会(統一教会)の概要(一九九九年四月現在)

 

名称 宗教法人 世界基督教統一神霊協会

 

所在 東京都渋谷区松涛一│一│二

〒一五○│○○四六 TEL(○三)三四六七│三一八一(代表)

 

沿革 昭和三十四年十月二日東京で創立。

昭和三十九年、東京都より宗教法人として認証され、初代会長に久保木修己が就任。

平成八年、宗教法人法改正により、東京都から文部省文化庁に移籍。

現在、全世界各国に宣教師を派遣している。

 

代表役員 大塚克己(おおつか かつみ)

昭和二十八年、新潟県に生まれる。 金沢大学文学部哲学科卒。

米国、統一神学校(UTS)卒(神学修士)。

平成八年副会長、平成十一年会長就任。

 

信者数 約六十万人

 

教師数 講師・約八千人、教師・約四千人

 

教会の組織

七十二教区、三百六十教域

 

行事 毎週の日曜礼拝及び、毎週の夕拝(於・三千六百教会)。

毎月二回の訓読会(文鮮明先生説教集)

八大名節の礼拝(一月、二月、四月、六月、七月、八月、十月、十一月)

統一慰霊祭(毎年六月第二日曜日、於・尾瀬霊園)

中和文化祭(毎年十月二日の創立記念日、於・本部教会)

 

創始者 文鮮明師(ムンソンミョン)

一九二〇年一月六日(陰暦)、韓半島の平安北道定州郡に生まれ、熱心なクリスチャンとして育つ。

一九三五年四月十七日(満十五歳)、イエス・キリストの霊が現れ、神のみ旨を完成しなければならない使命があるとの啓示を受ける。以来、全生涯を神に捧げることを決意する。

一九四五年から本格的に伝道を開始し、翌年ソウルから平壌に移る。

一九五四年五月一日、ソウルに「世界基督教統一神霊協会」を創立。

一九六〇年陰暦三月一日に「父母の日」を宣布し、陰暦三月十六日には韓鶴子女史と聖婚式を挙行した。以後、信者同士を媒介し、三組、三三組、七二組、一二四組、四三○組、七七七組、一八○○組、二一○○組、六○○○組、六五○○組等の国際合同結婚式を主催。

一九七二年韓国で統一神学校を開校。米国は七五年に開校した。

七四年にはニューヨーク(マジソン・スクエア・ガーデン)、七五年には東京(武道館)で「希望の日」大講演会を開催、韓国でも百二十万人を集めて、「救国世界大会」(ヨイド広場)を開催した。

また、七五年には世界百二十カ国に宣教師を派遣し、七六年六月にはヤンキースタジアム、九月にはワシントンDCで五十万人の聴衆に「アメリカと神のみ旨」をテーマに講演した。

一九八二年五月、日刊紙「ワシントン・タイムズ」創刊。

一九九〇年四月、「第十一回世界言論人会議」をソ連・モスクワで開催。ゴルバチョフ・元ソ連大統領と会談。

一九九一年八月、「世界平和宗教連合」「世界平和連合」を創設。

一九九一年十二月、金日成主席と会談し、世界の有識者を驚かせる。

一九九二年八月二十四日、ソウルで開かれた第一回世界文化体育大典において「真の父母宣布」。

一九九二年八月二十五日、三万組国際合同祝福結婚式を挙行する。

一九九五年八月二十五日、三十六万組国際合同祝福結婚式を挙行する。

一九九六年七月三十日、ワシントンで世界平和家庭連合を創設。

一九九七年十一月二十九日、四千万組世界祝福式を挙行する。

一九九八年六月十三日、三億六千万組第一次祝福式を挙行する。

一九九八年七月一日、ブラジルで世界平和理想家庭教育本部竣工式、奉献式を行う。

 

教義 「統一原理」

統一原理の基本的な教義・内容は、『原理講論』に収められている。

それは新しい視点からの聖書解釈という形式をとりつつも、古今東西の宗教・哲学の問題点を解明する幅広い視野をもっており、真に神を求め、人生に意義を見いだしたい人にとって光明となるに違いない。中でも教義の三本柱となっているのが創造原理、堕落論、復帰原理である。

 

① 創造原理

人間の本心は常に理想や、幸福を願い求めている。理想世界とは何を中心とし、どのような根本原則のもとに実現されるのであろうか。

創造原理は、人生と宇宙に関する根本問題を解決するため、その原因的な存在である神がいかなるお方であるかを解明し、人間の本来の価値や人生の目的、死後の世界と地上生活の関係などを明らかにしている。

 

② 堕落論

現実の人間社会には、なぜ不幸が絶えないのか。人間一人びとりの内にある悪なる思いは、どこから生じてくるのか。

堕落論は、今まで誰も解き明かすことができなかった人間の不幸の原因、すなわち罪の根とは何であるのかを明らかにしている。

 

③ 復帰原理

現在の人間が神によって創造された本来の姿から堕落しているとすれば、元の状態に戻るための処方箋が提示されなければならない。それが復帰原理の内容である。人間が罪に陥ったとき、神はただちに人類を救うための摂理を開始された。したがって、人類歴史は神が人類を救済なさろうとする摂理の歴史である。

復帰原理は、聖書の歴史をひも解きながら、イエス・キリストをはじめとする歴史上の中心人物たちの使命を明らかにし、人類歴史の奥義を解明している。そして、現代こそ再び到来した希望の瞬間=キリスト再臨の時であることを告げ、理想世界実現への道程を示している。

 

④ 終末論

聖書に予言されている「世の終わり」とはいったい何を意味するのか、またその時に際し、われわれは何を心がけなければならないのかを解明する。

 

⑤ メシヤ論

イエスはなぜ十字架に掛けられたのか、イエスの使命とはいったい何だったのか、といったキリスト教の根本的な疑問を解決する。

 

⑥ 復活論

聖書に予言されている「死人の復活」とはいったい何を意味するのか、また復活の恩恵にあずかるために、われわれは何をしなければならないのかを解明する。

 

⑦ 予定論

神の予定と人間の責任の関係というキリスト教神学の難問を解決する。

 

⑧ キリスト論

イエスの神性と人性、三位一体、聖霊の働きなど、キリスト教神学の根幹にかかわる難問を解決する。

 

⑨ 再臨論

イエスはご自身の再臨について語られた。それがいつ、どこに、どのような形でなされるのかという、人類歴史の大問題を解明する。

 

教典及び教理解説書

『原理講論』、『新・旧約聖書』、『祝福家庭と理想天国』(Ⅰ)(Ⅱ)、『地上生活と霊界』、『伝統』、『為に生きる』『続・為に生きる』、『統一思想要綱』など

 

定期刊行物

中和新聞(隔週刊)、新天地(月刊誌)、ファミリー(月刊誌)、祝福家庭(季刊)、氏族教会FAX│NEWS(月六回)

月刊ビデオメール、衛星放送(月三回、ユニバーサル・ワンTV)

インターネット・ホームページ(http://www3.tokyoweb.or.jp/uc-gad/)

 

関連学校

① 光の子園(幼稚園、日本・東京)

② 仙和芸術学園(中学及び高校、韓国・ソウル)

③ 鮮文大学校(総合大学、韓国・清忠南道天安市)

④ ブリッジポート大学(総合大学、米国・コネチカット州)

⑤ 統一神学校(大学院、米国・ニューヨーク州)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献一覧

 

Berkhof, Hendrikus. “Christian Faith: An Introduction to the Study of the Faith”, Grand Rapids, Michigan: William B. Eerdmans Pyblishing Company. 1979.

Ott, Ludwig.  “Fundamentals of Catholic Dogma”, ed. James Canon Bastible, Rockford : Tan Books and Publishers, Inc. 1974.

Livingston, C. James. “Modern Christian Thought”, New York: Macmillan Publishing Co., Inc. 1971

島村亀鶴、長島幸雄、船本坂男監修 『クリスチャン生活事典』 教会新報社 一九八一年

WCC世界宣教・伝道委員会編、松田和憲訳 『現代の宣教と伝道』 新教出版社 一九九一年

岸本英夫 『宗教学』 大明堂 一九六一年

岸本英夫編 『世界の宗教』 大明堂 一九六五年

小口偉一、堀一郎監修 『宗教学辞典』 東京大学出版会 一九七三年

田丸徳善 『宗教学の歴史と課題』 山本書店 一九八七年

ウィリアム・E・ペイドン 『比較宗教学』(阿部美哉訳)東京大学出版会 一九九三年

井上順孝、月本昭男、星野英紀編 『宗教学を学ぶ』 有斐閣 一九九六年

改訂新版『世界の宗教と経典・総解説』 自由国民社 一九九〇年

瓜生中、渋谷申博 『日本宗教のすべて』 日本文芸社 一九九六年

竹田聴洲 『日本人の「家」と宗教』 国書刊行会 一九九六年

山折哲雄監修 『世界宗教大事典』 平凡社 一九九一年

井上順孝、孝元貢、塩谷政憲、島薗進、対馬路人、西山茂、吉原和男、渡辺雅子編 『新宗教研究調査ハンドブック』 雄山閣 一九八一年

井上順孝、孝元貢、対馬路人、中牧弘允、西山茂編 『新宗教事典』 弘文堂 一九九〇年

宗教社会学研究会編 『いま宗教をどうとらえるか』 海鳴社 一九九二年

金井新二 『現代宗教への問い』 教文館 一九九七年

井上順孝 『新宗教の解読』 筑摩書房 一九九二年

井上順孝 「新宗教と性差別」『季刊仏教』15、一九九一年四月

大村英昭、西山茂編 『現代人の宗教』  有斐閣 一九八八年

AERA Mook11 『宗教学がわかる。』 朝日新聞者アエラ発行室 一九九五年

島薗進 『現代救済宗教論』 青弓社 一九九二年

島薗進 「マインドコントロール考」『こころの科学』56、一九九四年七月

島薗進 「宗教集団への倫理的批判——マインドコントロールとは異なる言葉で」『中外日報』平成十一年一月一日付

島田裕巳 『信じやすい心』 PHP研究所 一九九二年

島田裕巳 「宗教とマインド・コントロール」 『季刊AZ』33、一九九四年十一月

塩谷政憲 「原理研究会の修練会について」『続・現代社会の実証的研究』 東京教育大学社会学教室 一九七七年

塩谷政憲「宗教運動をめぐる親と子の�藤」『真理と創造』24、一九八五年

塩谷政憲「宗教運動への献身をめぐる家族からの離反」森山清美編『近現代における「家」の変質と宗教』  新地書房 一九八六年

渡邉学「�カルト�論への一視点:アメリカのマインド・コントロール論争㊤」『中外日報』平成十年十二月十五日付

渡邉学「�カルト�論への一視点:アメリカのマインド・コントロール論争㊦」『中外日報』平成十年十二月十七日付

ディビッド・G・ブロムリー、アンソン・D・シュウプ,Jr.『アメリカ「新宗教」事情』 稲沢五郎訳 シャプラン出版 一九八六年

ジョージ・D・クリサイディス『統一教会の現象学的考察』月森左知訳 新評論 一九九三年

James H. Grace, “Sex and marriage in the Unification Movement”, New York: The Edwin Mellen Press, 1985

ジョン・T・ビアマンズ『現代の宗教迫害史・統一教会の受難と真実』光言社 一九八八年

ウィリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相(上・下)』桝田啓三郎訳 日本教文社 一九八八年

松本滋 『宗教心理学』 東京大学出版会 一九七九年

Freud, Sigmund. “The Future of Illusion”, translated by W.D. Robson-Scott, New York: Doubleday & Company, Inc. 1927.

Wulff, David M. “Psychology of Religion: Classinc and Contemporary Views”, New York, Chichester, Beisbane Toronto: John Wiley & Sons, Inc. 1991.

マーガレット・シンガー 『カルト』中村保男訳 飛鳥新社 一九九五年

スティーヴン・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』浅見定雄訳 恒友出版 一九九三年

高橋紳吾 『きつねつきの科学』 講談社 一九九三年

高橋紳吾 『洗脳の心理学』 ごま書房 一九九五年

高橋紳吾 「マインド・コントロールの精神病理」『臨床精神病理』16、一九九五年

西田公昭 『マインド・コントロールとは何か』 紀伊國屋書店 一九九五年

西田公昭 『「信じるこころ」の科学』 サイエンス社 一九九八年

西田公昭 「ビリーフの形成と変化の機制についての研究(3)——カルト・マインド・コントロールにみるビリーフ・システム変容過程——」『社会心理学研究』第九巻第二号 一九九三年

西田公昭 「ビリーフの形成と変化の機制についての研究(4)——カルト・マインド・コントロールにみるビリーフ・システムの強化・維持の分析——」『社会心理学研究』第十一巻第一号 一九九五年

増田善彦 『「マインド・コントロール理論」—その虚構の正体』 光言社 一九九六年

Yoshihiko Masuda, “Typologizing Religious Groups: Towards A Better Understanding of the Unification Church”, unpublished paper, 1996.

平野武 『宗教と法と裁判』 晃洋書房 一九九六年

善家幸敏 『国家と宗教』 成文堂 一九九三年

(財)国際宗教研究所編、井上順孝責任編集『宗教法人法はどこが問題か』弘文堂 一九九六年

全国霊感商法対策弁護士連絡会、日本基督教団統一原理問題連絡会、全国原理運動被害者父母の会編著 『統一協会合同結婚式の手口と実態』 緑風出版 一九九七年

宗教と消費者弁護団ネットワーク編著 『宗教名目による悪徳商法』 緑風出版 一九九六年

田丸徳善監修、木下歡昭編集 『宗教と政治の接点』 世界日報社 一九九六年

室生忠「日弁連の宗教理解への危惧」(上)(中)(下)『大法輪』第六五巻 一九九八年九月〜十一月

文鮮明 『御旨と世界』 光言社 一九八五年

世界基督教統一神霊協会 『原理講論』 光言社 一九六七年

宗教法人世界基督教統一神霊協会編集 『御旨の道』 光言社 一九七二年

『ファミリー別冊・摂理から見たアベルの正道』 光言社 一九八七年

李耀翰 『心情開拓・心霊を育てる生活原則』 光言社 一九九七年

宗教法人世界基督教統一神霊協会編 『強制改宗・引き裂かれた信教の自由』 光言社 一九九三年

鳥海豊 『監禁二五〇日・証言「脱会屋」の全て』 光言社 一九九四年

小出浩久 『人さらいからの脱出』 光言社 一九九六年

竹内清治 『統一原理と仏教』 光言社 一九八六年

トーマス・ボスルーパー、ウィリアム・H・ルーク、ハーバート・リチャードソン 『統一原理を語る』 光言社 一九八六年

Wilson, Andrew. ed. “World Scripture, A Comparative Anthology of Sacred Texts”, New York: Paragon House, 1991.

坂本幸男、岩本裕訳注 『法華経』(上) 岩波文庫 一九六二年

三田了一訳 『日訳・注解 聖クラーン』 宗教法人日本ムスリム協会 日訳クラーン刊行会 一九七三年

渡瀬信之訳 『サンスクリット原典全訳・マヌ法典』 中公文庫 一九九一年