BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ109


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

統一教会をめぐる司法の「独立性」と「適正手続」の侵害3. ディプログラミングとの繋がり

Jul 18, 2025 by Patricia Duval | Documents and Translations, Japanese

ディプログラミングを受けた元信者たちは、「統一教会を訴えるか、または再び監禁されるか」と迫られていた。解散命令は、このようなケースが根拠にされた。

パトリシア・デュバル

全4本の記事の3本目

※本稿は、2025年6月30日に国連の関係特別報告者に提出された報告書を掲載したものであり、一部は「Bitter Winter」に掲載されたディプログラミングに関する連載記事を再構成したものです。

故・高澤守(ディプログラマー)による強制脱会の被害者である統一教会の信者夫婦は、2020年にディプログラマーおよび彼らを雇った親族との裁判で勝訴した。

ディプログラミングをされていた監禁中の信者たちは、ディプログラマーと連携していた弁護士のもとに連れて行かれ、解放と引き換えに統一教会に対する金銭的請求を起こすよう強要されていた。彼らは、何十年後であっても、家族やディプログラマーによって再び拉致監禁される可能性を避けるため、その訴えを維持しなければならなかった。

政府が根拠とした32件の民事訴訟は、こうしたディプログラミングの構造を明確に示している。判決文では、「被害者」は監禁され、「救出」または「保護」されたと記しているが、これらはすなわちディプログラミングを受けたことを意味し、信仰を棄てることを強いられ、統一教会を訴えるよう「説得」されたことを示している。

原告らが自由意思の侵害を訴えたこれらの訴訟は、統一教会に対して意図的に仕組まれたものであったと見て間違いないであろう。なぜなら、信者が献金をしていた当時、彼らの信仰を放棄させるためには、強制が必要だったという事がそれを証明している。

ある裁判では、3人の原告はいずれも成年でありながら、家族により拉致監禁され、プロテスタント牧師によってディプログラミングされた。その説得の内容は、真のキリスト教は統一教会の教えとは異なるというものだった。(2001年4月10日 神戸地裁)

高澤守牧師は、法廷で反対尋問を受けた際、以下のように証言している:「Q:証人が今までやってこられた救出活動に対して被告統一協会のほうがあれは拉致監禁であるというふうに非難していることはご存じですね。A:はい、知っております。Q:そういう非難に対してはどのようにお考えでしょうか。A:これはやっぱり拉致監禁ではなくて、親御さんが一緒なわけですからあくまでも『保護』と心得ております。」(1996年3月26日 神戸地裁、証人調書p.81)

さらに彼は次のようにも証言している:「Q:拘束したのはいつごろからですか。A:今申し上げましたように、10年ぐらい前からだと思いますが。それは私だけではなくて、全国的なそういった救出に携わってくださってる牧師さんたちの大体統一した、そういうことだと思います。」(1996年5月21日 神戸地裁、証人調書p.25)

ディプログラマー(高澤)は、この行為が通常は違法であることを知っていたと自ら認めたうえで、なおも継続する意志があることを次のように正当化した。

「Q:救出活動を受けなくても自然脱会したり、それから統一協会から離れていったりというような人はいるんでしょうか。A:もうしっかり統一協会の信仰を持たれた方は、自然脱会ということは私は不可能だと思います。」(1996年3月26日 神戸地裁、証人調書p.81~82)。

神戸で牧会をしていた故・高澤守牧師とその教会。出典:X

統一教会信者の揺るがぬ信仰を壊すために、ディプログラミングという手法は考案され、政府の黙認のもとで「全国的な」活動へと発展した。ディプログラミングを根拠としたこれら全ての民事裁判において、裁判所は少なくとも暗黙のうちに、このような強制的な棄教が続けられてきたことを容認した。

たとえば、2001年の札幌地裁において、原告らは統一教会の「伝道活動」や自由意思の侵害を訴えたが、法廷の事実認定によれば、原告らは裁判の前に監禁され、強制的に脱会させられていた。

被告側弁護士が、彼らの証言は信頼性に欠けると主張したにもかかわらず、札幌地裁はこの主張に応えることなく、原告の主張を認め不法行為の成立を認定した。控訴審では、札幌高裁も前審の判断をおおむね維持し、ディプログラミングについては具体的な見解を示した。

控訴審の判決では拉致監禁について以下のように述べている:

「控訴人(教団)は、多くの被控訴人らが、身体の自由を拘束されるなどの手段によって棄教に至っていることが重大な問題であり、これを無視した判断は司法の公平・公正に反すると主張する。上記認定のとおり、被控訴人らはいずれも控訴人を脱会(棄教)した者であり、脱会に至るまでの過程において親族らによる身体の自由の拘束等を受けた者も多く、このような拘束等は、当該被控訴人らとの関係においてそれ自体が違法となる(正当行為として許容されない。)可能性がある。しかし、それは上記のような行為をした者と当該被控訴人らとの関係であって、必要に応じて別途処理されるべきことがらにすぎず、このような事情が存在することは控訴人の被控訴人らに対する責任に何ら消長を来すものではない(むしろ、その終期をもたらしたものといえる)。したがって、控訴人の責任を判断するに当たって控訴人の主張するような脱会までの経緯等を斟酌しなかったからといって、その判断が司法の公平・公正に反することになるものではなく、上記主張は失当である。」

要するに、原告たちが再度の監禁を恐れ、強要のもとに教会を訴えたという事実は、まったく考慮されなかったのである。

実際、裁判所は「身体の自由の拘束」があったことを認めたうえで、さらに踏み込んで「むしろ、その終期をもたらしたものといえる」と述べた。つまり、少なくともディプログラミングによって統一教会による「洗脳」が終了し、原告らに対する(統一教会の)不法行為が終わったという意味である。

この問題を個人の問題として処理し、これらの訴訟は強制のもとで行われていたという事実を意図的に無視したのである。裁判所は、ディプログラミングや違法な監禁という、本来公共秩序の問題として、国家の責任が問われる問題を、容認したのである。

これは、統一教会に対するどんな攻撃も許されるという、民事裁判所のあからさまな偏見を示している。政府が教団の解散請求の根拠とした、ディプログラミングを受けた元信者によるすべての訴訟において、原告(元信者)らは監禁され、強制的に脱会させられていた。しかし裁判所は、これらの裁判の内容からは、一切結論を導き出さなかった。その代わりに、裁判所は教団が「不当な影響力」や「伝道的洗脳」を施していたとした。しかし、こうした表現は曖昧かつ恣意的であり、欧州人権裁判所も「科学的根拠がない」として厳しく批判している。(2010年6月10日、モスクワのエホバの証人対ロシアの事件、302/02、§129)

これは、司法の公平性と、公正な裁判を受ける権利の明白な侵害であり、日本が国際人権規約に基づいて負う義務に違反したとして、国家の責任が問われる問題に該当する。

東京地裁が解散命令を下すにあたって根拠とした民事訴訟においても、裁判官たちはまたしても、この曖昧で、既に正しくないと結果が出ている「マインド・コントロール」理論を根拠とした。元信者は自らの信仰と自由意思によって献金や入会をしていたという統一教会からのすべての証拠を退けるため、この理論を根拠としたのだ。

裁判所は、同じマインド・コントロール理論に基づき、時効の適用を恣意的に拒否し、原告の提訴が無効であるとの訴えを拒否した。問題となった事実はすでに20年から40年前のものであったにも関わらず、裁判所は被告側の「時効によって訴えは消滅している」という主張を退けた。

裁判官たちは、「被害者」は反統一教会の弁護士連絡会と出会うまで、自分たちが被害に遭っていたことに気づかなかったとして、時効制度を民事事件に適用することを拒否した。

政治的動機:反共活動を行っていた文鮮明師を非難する、弁護士ネットワークの創設者の一人・山口広弁護士。スクリーンショット

裁判所は、献金をしていた信者たちは統一教会の不当な影響下にあったとし、彼らが弁護士に出会ったことで「目覚め」、彼らにより訴訟を起こすと決めた時点を、時効の起算点とした。これは法の恣意的かつ差別的な適用であり、教団に対する裁判での偏向性を示している。

全国弁連の元メンバーである伊藤芳朗弁護士は、上記の裁判(後藤徹氏がディプログラマーらを訴えた東京地裁での訴訟)に提出した陳述書の中で、この状況を認めている。伊藤弁護士は2012年11月、「他の事件では認められないような請求も相手がカルト宗教だと安易に認められてしまう」「民事訴訟では、『カルト宗教だと負け』という裁判所の枠組みたいなものがある」と証言している。

さらなる例として、このような完全に恣意的で、偏向的な概念の適用は、東京地裁が下した解散命令の文中でも、「c. 顕在化していない被害の存在が否定されないこと」といったような表記から探すことができる。

裁判所は、近年新たな被害申告が存在しないことを認めながらも、なお教団の解散を正当化するために、「教団や信者による不当な影響力」という理論に基づき、声を上げられない仮想の被害者が存在する可能性があると判断した。

裁判所は次のように述べている:「訴訟上の和解及び裁判外の示談において主張されたもの以外に、違法な献金勧誘等行為による顕在化していない被害が存在することは否定されないというべきである。」

ここで裁判所は、「?は否定されない」という表現を用いることで、立証責任を逆転させ、あたかも被告側(教団)が「顕在化していない被害が存在することを否定していない」と示唆したのだ。しかし、本来であれば、原告側がその立証責任を負うべきである。

裁判所は、さらに踏み込んだ推測を行い、次のように述べた:「周囲の信者等との人間関係等といった心理的な障壁」などを想定すると、「違法な献金勧誘等行為により被害を受けた者の全てが弁護士に依頼をするなどして解決を求めるとは考え難い。」

そして、いかなる主張も行っていない「被害者」たちまで考慮したうえで、「被害は減少傾向にあるとはいえ、依然として相当程度存在することが想定される。」と推論した。これは、事実に基づかない純然たる推測と憶測にすぎず、「適正手続」および「公正な裁判を受ける権利」という司法の根本原則に明確に反するものである。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%82%92%e3%82%81%e3%81%90%e3%82%8b%e5%8f%b8%e6%b3%95%e3%81%ae%e3%80%8c%e7%8b%ac%e7%ab%8b%e6%80%a7%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%80%8c%e9%81%a9%e6%ad%a3%e6%89%8b%e7%b6%9a-3/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ108


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

統一教会をめぐる司法の「独立性」と「適正手続」の侵害2. 公平性の無視

Jul 14, 2025 by Patricia Duval | Documents and Translations, Japanese

東京地裁は教会の解散をあらかじめ決定し、それを正当化するため法律を誤って解釈した。

パトリシア・デュバル

全4本の記事の2本目

※本稿は、2025年6月30日に国連の関係特別報告者に提出された報告書を掲載したものであり、一部は「Bitter Winter」に掲載されたディプログラミングに関する連載記事を再構成したものです。

東京地方裁判所が入る建物。

「適正手続」とは、私的権利を保護し執行するために定められた規則や原則に従って法的手続きを行うことを意味し、公平な裁判所における公正な公開審理を受ける権利も含まれる。裁判官は公平であるだけでなく、偏見または先入観に左右されてはならない。裁判所は、同時に、分別ある観察者の目に公平に映らなければならない。(自由権規約委員会・一般的意見第32)

しかしながら、裁判所に課された公平性の義務に関する規則と原則が、以下の通り侵害されている。

宗教法人法第81条第1項では、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。」により、政府は裁判所に対してその宗教法人の解散命令を請求できるとされている。

東京地方裁判所は、家庭連合の宗教法人解散を言い渡すにあたって、刑事事件が存在しないなか、はたして民事訴訟の個別判決が「法令違反」に該当するのか、判断することを求められた。

日本の判例は、これまで一貫してこの問いに否定的な答えを示してきた。そして歴代の日本政府もまた、その解釈を維持してきた。本件以前に、宗教法人の解散が裁判所に請求されたのは、わずか2件である。ひとつは、オウム真理教であり、信者が東京の地下鉄にサリンガス攻撃を行った事件。もうひとつは、詐欺罪で信者が有罪判決を受けた明覚寺事件である。いずれのケースも、刑法などの制定法に違反した行為に基づいて解散命令が下された。

オウム真理教に対する解散命令事件においては、検察と東京都知事が提出した解散請求について、東京高等裁判所が「法令違反」の意味を判断した(1995年12月19日付 控訴審判決)。同判決では、「法令違反」とは、刑法などの制定法により定められた禁止規範または命令規範に違反する行為を指すと判断された。この解釈は、1996年1月30日の最高裁の決定においても支持された(平成8(ク)8)。

1995年発生したオウム真理教による東京地下鉄サリン事件の捜査のために、教団施設に警察が到着する。

明覚寺事件においては、和歌山地方裁判所が2002年1月24日、解散となる条件に対して解釈を示し、上級審でもその解釈は維持された。その中で、「法令違反」となる「行為」とは、刑法などの制定法により定められた禁止規範または命令規範に違反する行為を指すと判断された。

このように、一貫して「法令違反」の解釈への理解が存在していたにもかかわらず、統一教会の件では、検察からでなく、宗教法人を所轄する文部科学省によって解散が請求された。しかも政府が根拠としたのは、ディプログラミングを受けた信者たちによる訴訟を含む、古い民事訴訟であった。

政府(文部科学省)は統一教会の解散請求において、40年にわたって提起された32件の民事判決を根拠に、信者は法を破り、「公共の福祉を著しく害した」と結論づけた。またその主張を補強するため、訴訟上および裁判外での金銭的和解も含められていた。

2022年7月の安倍晋三元首相の暗殺後、宗教法人の解散に関する法律条文の解釈が、政府によって一夜にして変更された。これは、政府が、絶え間ないメディアキャンペーンや、教会を犯罪組織と非難する弁護士ネットワークの圧力に屈した結果であった。

犯人の母親は約20年前に教会に献金しており、犯人は安倍氏が教団と近しい関係にあると思い、その恨みから犯行を正当化した。

岸田元首相は、政治的な動機に突き動かされ、メディアの圧力により過去の民事訴訟も「法令違反」と見なされ得ると宣言し、教会の解散を請求した。

東京地方裁判所は、この非常に無理のある、かつ疑わしい理屈に基づき、統一教会の解散を目的としたこの法の再解釈を認めたのである。

統一教会の宗教法人解散決定は、民間の当事者によって提起された民事訴訟に基づいて決定された。これらの訴訟において裁判所は、教会の伝道や献金の勧誘が、いわゆる「洗脳」に基づくものだとして、「社会的相当性」から逸脱していると認定した。

つまり、東京地方裁判所は「社会的相当性」の逸脱を「法令違反」と見なし、これを解散命令の根拠とした。裁判所はこれらの行為は、社会的に相当とされる範囲を逸脱しており、民法上の不法行為として『法令違反』に該当すると判断した。

しかし、「社会的相当性」という概念はあまりにも曖昧であるため、裁判官がその適用対象や時期を恣意的に判断できてしまう危険性がある。また、宗教法人法第81条1項の文言自体も曖昧であり、国際人権基準に反している。

宗教法人法の、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」があった場合に解散を認めるという規定は、日本が自由権規約を批准して以来、国連自由権規約人権委員会が繰り返し勧告してきた内容にも反している。

国連自由権規約人権委員会の会合の様子。出典:X

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%82%92%e3%82%81%e3%81%90%e3%82%8b%e5%8f%b8%e6%b3%95%e3%81%ae%e3%80%8c%e7%8b%ac%e7%ab%8b%e6%80%a7%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%80%8c%e9%81%a9%e6%ad%a3%e6%89%8b%e7%b6%9a-2/

カテゴリー: BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ

BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ107


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

統一教会をめぐる司法の「独立性」と「適正手続」の侵害1. 自由権規約(ICCPR)第14条の無視

Jul 10, 2025 by Patricia Duval | Documents and Translations, Japanese

統一教会に対する解散請求裁判は、複数の点で法の「適正手続」の原則を踏みにじっている。

パトリシア・デュバル

4本の記事の1本目

※本稿は、2025年6月30日に国連の関係特別報告者に提出された報告書を掲載したものであり、一部は「Bitter Winter」に掲載されたディプログラミングに関する連載記事を再構成したものです。

信教の自由の尊重を訴える日本の統一教会信者たち(2024年、茨城県)

本報告書は、日本における司法の独立性と公平性の義務に関する自由権規約(ICCPR)第14条の違反について取り上げるものである。

本件は、世界平和統一家庭連合(旧称:統一教会、以下「家庭連合」または「統一教会」、「教会」)の信者たちによって提起されたものである。

2025年3月25日、東京地方裁判所は教会に対して宗教法人の解散を命じる決定を下し、現在は東京高等裁判所にて抗告審が行われている。

この決定が高裁で認められれば、これまで約60万の信者を支え、全国的に牧会サポートをしてきた法人は解散となる。そして、その不動産や資産、金銭を含むすべての財産が没収され、信者たちは信仰共同体から切り離され、支えを失うこととなる。

司法の「独立性」が欠如している決定的証拠として、政府は高裁の判断が下される前からすでに教会資産清算の準備を進めており、抗告審の結果を確信して行動している点が挙げられる。

また、この解散命令の全てのプロセスは、複数の点において法の「適正手続」(適正手続とは、行政活動の内容が正しいだけでなく、その手続きも適正でなければならないという原則)を侵害している。

第一に、宗教法人法の解釈が、解散を認めるために一夜にして変更されたこと。「法令違反」の定義に民事不法行為を含めるようになったことで、元信者による民事訴訟のみを根拠として統一教会の解散命令を出すことが可能となった。

この解散命令の根拠とされた民事判決は、「社会的相当性」に反する行為に基づくものであり、それが著しく「公共の福祉」を害するとされた。しかし、これらの概念はあまりにも曖昧であるため、恣意的かつ差別的な適用につながる危険性がある。国連自由権規約人権委員会は、日本が「公共の福祉」を理由に、宗教または信条の自由を制限することをやめるよう繰り返し勧告してきた。

東京地方裁判所の外観。

これらの民事訴訟における原告の多くは、裁判所の認定にもある通り、「ディプログラミング」、すなわち拉致監禁強制棄教を受けていた。彼らは、教団から本当に離れたということを証明し監禁から解放されるため、無理やり民事訴訟を起こすことを強いられた。これは、当時の彼らの信仰がいかに深かったかを示し、むしろ彼らの訴えの信頼性を損なうこととなっている。

しかし教会側が提出した当時の原告の信仰については、「マインド・コントロール」という科学的根拠がなく、すでに正しくないと結果が出ている理論が用いられた。さらに、時効の適用すら否定された。原告は反統一教会の弁護士に会うまで、マインド・コントロール下にあったと見なされ、古い過去の事実までもが教会に不利な証拠として認められた。また、近年は教会に対する訴えがなかったことが裁判所で認められたのにも関わらず、同じ理論が解散決定において用いられた。そして訴えを起こしていない想定上の被害者までもが含まれ、被害者は今なお不当な影響下にあるとし、被害者の数や「公共の福祉」への「害」までも不当に水増しされた。

加えて、宗教法人解散の手続きは「非訟事件」とされているため、審理は非公開で行われる。結果として、証言の捏造が可能となり、公正な公開審理を受ける権利が侵害された。

1987年、日本では急進的な左派政治思想をもつ弁護士グループが、統一教会を日本から排除することを目的として、弁護士ネットワークを結成した。この団体は「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)として知られ、当時、無神論的共産主義の拡大を、第二次世界大戦後のアジアにおける霊性への脅威と見なして反対していた統一教会を排除するという、明確な目的のもとに結成された。

全国弁連は、統一教会に対する積極的な攻撃を開始し、その一環として、暴力的な「ディプログラミング」(信者が「洗脳」されたとみなして強制脱会させる行為)を支援した。信者は「被害者」として証言を強要され、教会に対する損害賠償請求訴訟を起こすよう仕向けられた。

全国弁連の創設者の一人、山口広弁護士。スクリーンショット。

過去40年以上にわたり、日本統一教会の信者約4300人が、こうした暴力的な「救出」プロセスの対象となった。彼らは家族によって拉致監禁され、主にプロテスタント系の牧師である「ディプログラマー」による説得を強いられた。このプロセスには、統一教会の教義に対する厳しい批判や、嘘の犯罪報告が含まれていた。

こうした監禁と教化は、数か月から数年に及ぶこともあり、最終的に信者が信仰を放棄するまで続けられた。

このような活動は、国連自由権規約人権委員会が2014年8月に日本に対して、「締約国は,全ての人が宗教や信仰を持つ又は選ぶ自由を害されうる強制を受けない権利を保障するための実効的措置をとるべきである。」と勧告したことを受けて沈静化した。(文書番号:CCPR/C/JPN/CO/6)そしてその数か月後、2014年11月、後藤徹氏が12年に及ぶ違法な監禁と強制説得を受けた件について、家族および2名のディプログラマーを相手取って起こした民事訴訟において、東京高等裁判所は初めて多額の損害賠償を認めた。この判決はその後、最高裁でも支持された。

それ以前、全国弁連は数十年にわたり、こうした信仰破壊の手法を利用し、積極的に推奨してきた。彼らは、信者の「救出」と称する活動を専門とする牧師たちに親を紹介し、その牧師たちは信仰を失った信者たちを弁護士のもとへ送り返した。元信者たちは、自分の背教を証明し監禁から解放されるために、教会を訴えるよう強いられた。

1991年のある会合では、全国弁連の弁護士と日本基督教団(UCCJ)の牧師たち――牧師たちは信者の「救出」活動に着手し、統一教会を自分たちと相反する宗教運動と見なしていた――は、統一教会の「破壊」を共通の目的とし、ディプログラミングをうけた元信者による損害賠償請求の提訴によって、その目的を達成するということを宣言した(1991年11月16日付の日本基督教団機関紙『教団新報』に掲載された記事を参照)。

このような「組織的」な民事訴訟の結果、数年にわたり複数の不法行為判決が下された。そこでは、ディプログラミングを受けた後に原告役を演じさせられた者たちが、「マインド・コントロールされていた」と主張した。弁護士たちはこれらの判決を根拠に、政府に対して教団の解散命令を出すよう圧力をかけた。そして本年3月25日、東京地方裁判所はその請求を認めた。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%82%92%e3%82%81%e3%81%90%e3%82%8b%e5%8f%b8%e6%b3%95%e3%81%ae%e3%80%8c%e7%8b%ac%e7%ab%8b%e6%80%a7%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%80%8c%e9%81%a9%e6%ad%a3%e6%89%8b%e7%b6%9a/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ106


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

日本における宗教法人の解散:憲法上の問題5.結論:統一教会に対する提訴は違憲である

Jul 26, 2025 by Setsu Kobayashi | Documents and Translations, Japanese

その手続きは、日本国憲法及び国際社会における義務に反するものであり、「法令違憲」と「適用違憲」のいずれか、あるいは両方に基づいており、公正な裁判のルールに違反して行われている。

小林節

5本の記事の5本目。1本目2本目3本目4本目を参照のこと。
注: 日本語原文の括弧内の参照はそのまま残した。

日本国憲法の原本。

総括

地球上の生物の中で宗教を持っているのは人類だけである。

古来、宗教は国家権力を超えた主体への帰依をその本質とするために、国家権力との対立を招くことが多く、その故に、信教の自由は「あらゆる人権の先駆け」になったと言われてきた。

当人の人格の本質と尊厳に関わる宗教活動は、「その故に犯罪を行わない限り公権力による介入は許されない」という憲法原則が、自由民主主義諸国では確立されている。

今回、不可解な安倍晋三元首相の暗殺事件をきっかけに高まった「反・統一教会」という世論に押されるように、岸田首相(当時)は同教会の解散命令を裁判所に請求し、東京地裁は本年3月25日に解散命令を決定した。教会は現在、東京高等裁判所に抗告中である。

それにしても、この過程で、国家による多くの違憲な決定が重ねられてきた。

まず、自由民主主義諸国で等しく確立されている憲法理論として、信教の自由はいわゆる「優越的人権」で、それを国家が規制せざるを得ない場合には、「重大な公益に対する侵害(要するに「犯罪」)を行ったという事実」があり、その害悪を除去するために「最も弾圧的でない手段」しか行使してはならない…という「厳格違憲審査」の原則がある。

この点で、旧統一教会は、無差別殺人を実行して解散を命じられたオウム真理教とは異なり犯罪は行っておらず、献金を巡るトラブルで、かつて32件の民事訴訟で敗訴して既に責任を取っている。それに加えて、プロの脱会指導業者の下で訴えてきた元信者の心の平和を考えて返金した事例まで合わせて、『法令に違反して著しく公共の福祉を害した』と認定されて解散を命じられてしまった。しかし、これは明らかに「過剰(overbroad)な規制」である。和解に応じて解決済みの事実についてまでさらに法的責任を取らされるとは、一体どういう理論的根拠があるのか?が示されていない。

宗教法人法81条1項には、「『法令』に違反して著しく公共の福祉を害した」場合には解散を命じることができる…と書かれているが、これでは、条文上、「違法」になる行為の概念が広すぎてまるで国家が作った「落とし穴」のようで、典型的な「過度に広範な規制」である。これは条文自体が違憲ないわゆる「法令違憲」である。

さらに、この条文の『法令』という文言を『刑法』と狭く読む解釈・運用もできるはずであるが、あえてそれをしなかった岸田内閣による「有権解釈の変更」とそれに従った司法府の決定は、明らかにいわゆる「適用違憲」である。

岸田文雄前首相。

加えて、この宗教法人の解散を決定する手続きには、構造上の重大な欠陥がある。

宗教法人法81条7項は、この手続きは「非訟事件手続法」で行うと規定している。これは、要するに、宗教法人の解散命令は、離婚に伴う婚姻費用の分担の決定等のように、国家による「後見的監督」(つまり、後ろ盾になり『保護』する行政作用)により紛争を予防・解消する手続きが相応しい…という立法政策によるものである。

しかし、今回の宗教法人解散命令の決定過程は、その本質において「後見」などというものではない。つまり、各自の良心に従い、犯罪も行わずに信仰生活を続けてきた旧統一教会の会員にとっては、自分たちの人生の基盤そのものである教会が、今回、国家により「取り潰される」に等しい状況に追い込まれている。その結果、解散になれば、信徒たちは、社会的なレッテルを貼られ、教会の財産(礼拝堂や活動資金等)は国家が任命した清算人の管理下に入ることになる。つまり、信者たちの生活の土台が国家の管理下で解体される手続きが今、進行しているのである。

この関係は、非訟事件手続の本質である国家による「後見的監督」などではない。まさに、教会と信者にとっては、己の良心の故に国家から「疑われ」「追いつめられ」「生き方の変更までを強いられている」わけで、この状況は、「国家からいわば『襲われた』国民による国家を相手にした人権闘争」そのもので、法的紛争(典型的な『法律上の争訟』つまり「訴訟」)である。だから、これは「非訟事件」などではない。

そうであるならば、教会側としては、憲法32条が全ての人に保障している「公正な裁判を受ける権利」を正当に行使すべき時である。それはまず、32条の総則である31条が保障する「法定適正手続」が保障されたものでなければならない。つまり、予め法律で定められた「正当な理由」と「公正な手続」なしに人権は奪われない…という保障である。

さらに、その「公正な裁判」とは、憲法76条3項で独立性が保障された裁判官による、憲法82条が保障する『公開』法廷における『対審』のことである。

現に、今回の非公開手続きの具体的な弊害として、解散命令を求める国側(文科省)から旧統一教会の悪質性を立証する証拠として提出された複数の陳述書が捏造されたという抗議が、教会側弁護士から出ている。それは、非公開の法廷における反対尋問で明らかにされた事実であるが、そのような重大な事実も、非公開で主権者国民による監視が届かない密室内で、無視されたまま、国家による教団解体の手続きが進んでいる。

このような違憲な手続きによる国家権力の行使は、日本国憲法の下では、旧統一教会に限らず、「だれに対してであれ」許されてはならないはずである。

2024年7月、名古屋で解散訴訟に抗議する統一教会の信者たち。

結び

以上、改めて指摘しておくが、今、日本国の法廷で進行している旧統一教会解散命令の確定に向けた一連の法手続きは、次の違憲性を帯びている。

つまり、信教の自由という優越的人権(憲法20条)に対する制約として、事前に法定された「高度な正当理由」と「適正な手続き」がなく、それは、憲法31条(法定適正手続きの保障)、32条(公正な裁判の保障)、82条(公開・対審の保障)に違反しており、さらに、国際人権B規約18条1項(宗教の自由)および14条1項(公正な裁判を受ける権利)すなわち憲法92条2項(条約順守義務)にも違反している。

従って、この一連の手続きは違憲で、無効である(憲法81条[違憲審査権]、98条1項[最高法規])。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e3%81%8a%e3%81%91%e3%82%8b%e5%ae%97%e6%95%99%e6%b3%95%e4%ba%ba%e3%81%ae%e8%a7%a3%e6%95%a3%ef%bc%9a%e6%86%b2%e6%b3%95%e4%b8%8a%e3%81%ae%e5%95%8f%e9%a1%8c%ef%bc%95%ef%bc%8e/

カテゴリー: BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ

BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ105


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

日本における宗教法人の解散:憲法上の問題4.公正な裁判に関する国際規定および国内規定の違反

Jul 24, 2025 by Setsu Kobayashi | Documents and Translations, Japanese

宗教法人の解散手続きは非公開で行われるため、告発された宗教にとって特に不公平なものとなる。

小林節

5本の記事の4本目。1本目2本目3本目を参照のこと。
注: 日本語原文の括弧内の参照はそのまま残した。

市民的及び政治的権利に関する国際規約を宣伝する英国のポスター。

市民的及び政治的権利に関する国際規約と憲法98条2項に違反

ところで、国際人権規約である「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(いわゆるB規約、1976年発効、日本は1979年に批准)の18条1項は、「すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。」と規定している。

また、憲法98条2項は、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と規定している。

にもかかわらず、明らかに憲法31条に違反した根拠と手続きによる解散命令が、その効果として教会や礼拝堂の管理権ひいては所有権を移転して信者の使用を著しく制限しうるものである以上、それが、教会と信徒の宗教活動の自由を著しく制約するものであることは明白である。

だから、国家による、正当事由と適正手続に欠ける宗教法人格剥奪は、国際人権規約B規約18条1項と憲法98条2項に違反するとの批判を免れない。

憲法32条と82条に違反

また、憲法は、32条で全ての人に対して「裁判所において裁判を受ける権利」を保障し、82条で裁判の「対審と判決は公開の法廷で行うこと」を保障している。つまり、国民は、「権利特に人権の存否に関わる法律上の争訟」につき裁判所における公開・対審の裁判を受ける権利を保障されているが、裁判というものはそもそもその本質において「公正」でなければならず、その公正性を担保する中核的要素は、密室ではない「公開」された法廷における両当事者による「対審」である。(対審の本質は、反対尋問が可能なことである。)

さらに、国際人権規約B規約14条1項はそもそも、「すべての者は、その刑事上の罪の決定、又は、民事上の権利及び義務の争いについての決定のため、法に基づいて設置された、権限のある、独立のかつ、公正な裁判所による公正な裁判を受ける権利を有する。」と規定している。これは、少なくとも、米、英、仏、独等の文明諸国に共通する原則である。さらに、この条約の条項に抵触する国家行為は、憲法98条2項が規定する日本国の「国際法誠実遵守義務」に違反する。

イタリアの芸術家ガエターノ・ガンドルフィ(1734-1802)は、この絵画で正義と公正な裁判の保証を表現した。この絵画は現在パリのルーブル美術館に所蔵されている。

「裁判」の意味と非訟事件

ところで、憲法82条にいう「裁判」の意味について、一般に、民事・刑事の訴訟手続きだと理解されており、非訟事件手続や国家による後見的な行政手続はそこに含まれないとされている。そして宗教法人法81条7項では宗教法人解散命令手続きは「非訟事件手続」であると規定している。

しかし、今回、本件で争われている教団側の法益は本来いかなる裁判手続きにより有権的に判断されるべきか?が問題である。本件で争われている事実は、「旧統一教会は、解散に値する程の反社会的行為を行ったか否か?」であり、それは、当事者にとっては、「今後の信仰生活の存続」に関わる「法律上の争訟」であることは明らかである。

この点について、最高裁は、当事者の意思いかんにかかわらず、終局的に事実を確定し当事者の主張する権利義務の存否を確定することを目的とする「性質上純然たる訴訟事件」について必ず「公開」法廷における「対審」および判決によってなされなければならないことを確認している(最高裁大法廷判決昭和35年7月6日民集14巻9号1657頁)。

そこで、今回問題になっている、宗教法人法81条1項に定める解散命令に関する争いは、旧統一教会が「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」(1号)といった、法律が定めた具体的要件について事実を認定し、法令を解釈・適用して、解散すなわち認証されていた法人格を剥奪して、教会が所有する施設等の財産の管理権ひいては所有権を移転して精算させるという権利関係を有権的に変更して教会員の信仰生活全般つまり人生そのものの変更を強いることに関する争いである。

だから、それを純然たる非訟事件だとすることには固より無理がある。とりわけ、信教の自由が「優越的人権」であり、教団の解散(宗教法人格の剥奪)が、教会および信徒たちにとってはその信教の自由を致命的に毀損するものであることに照らせば、これは、むしろ「純然たる訴訟事件」として扱われるべきものと考える方が自然であろう。

しばしば非訟事件と訴訟事件の区別は困難だと言われる。しかし、それは明確であり、立法上の形式的な区別に関わらず、そこにおいて侵害が問題になっている法的利益特に人権の実態に即した手続きこそが、憲法に明記された裁判を受ける権利の保障にとって最適であるはずだ。

この点で参考になるものとして、行政罰である過料を科す手続きに関して最高裁で争われた事案がある。その際、最大決昭和41年12月27日民集20巻10号2279頁は、過料を科す作用は、国家のいわゆる後見的民事監督の作用であり、その実質において一種の行政処分の性質を有し、裁判所がこれを科す場合でも、純然たる訴訟事件としての性質の刑事制裁を科す作用とは異なるとし、不服申し立てについて非訟事件手続法の定めによる即時抗告の手続きによらしめることも「きわめて当然である」とした。

しかし、過料がそれを科された者に対する国家による法的・経済的制裁であることからすれば、「その決定に対し不服を申し立てる場合には、そのような争訟は、結局において法律上の争訟であり、最終的には純然たる訴訟事件として処理すべきもので・・・憲法32条、82条(公開法廷における対審の保障)は当然・・・適用せらるべきで・・・これが終始非訟事件として、その救済方法について、非訟事件手続法による即時抗告(その決定に対しては特別抗告)の方法のみしか認めず、これにより、最終的に不可抗争の状態となるものとされている点において、右非訟事件手続法の規定は、憲法の前記法条に違反するものといわざるを得ない。」とする入江俊郎裁判官の反対意見にこそ理があると言えよう。

この反対意見の立場については、憲法学の有力学説も支持している(佐藤幸治「日本国憲法」608頁、樋口陽一「憲法」142頁)。特に今回の事例は、国家による後見的監督を受けるというよりも、むしろ当事者が優越的人権について国家権力と対峙させられている場合である点を見落としてはならない。

入江俊郎・最高裁判事(1901-1972)。

実際に起きた弊害と法の支配

しかるに、宗教法人法81条7項は宗教法人解散命令手続きを非訟事件手続法によると規定して非訟事件手続法30条はその手続きを「非公開」だと定めている。

その結果、現に、今回の地裁における手続に際して、文科省から証拠として提出された(旧統一教会にとって不利になる)陳述書の中に明らかに捏造されたと思われるものが複数あったという批判が当事者から出てきている。それは、いずれ記録が閲覧されて明らかになることではあるが、それでも、それが教会の解散手続きが開始され教会が機能不全に陥った後に明らかになったのでは遅すぎて意味がない。既に被害が生じてしまっているはずだからである。信じがたいことではあるが、もしも非訟事件手続の本質的欠陥(つまり非公開)に由来する「証拠の捏造」が事実だとすれば、それに基づいて裁かれた旧統一教会とその会員たちは、いわば「非公開の密室審判(行政手続)により解散させられた現代の『魔女狩り』」の被害者だということになる。これは、法の支配と司法制度に対する信頼まで毀損することになりかねない。

このような事態は、憲法上の原則通りに公開・対審裁判が保障されていれば当然に防げたことで、それにより、司法に対する信頼も毀損されずに済むはずであった。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e3%81%8a%e3%81%91%e3%82%8b%e5%ae%97%e6%95%99%e6%b3%95%e4%ba%ba%e3%81%ae%e8%a7%a3%e6%95%a3%ef%bc%9a%e6%86%b2%e6%b3%95%e4%b8%8a%e3%81%ae%e5%95%8f%e9%a1%8c%ef%bc%94%ef%bc%8e/

カテゴリー: BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ

BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ104


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

日本における宗教法人の解散:憲法上の問題3.宗教法人法第81条

Jul 22, 2025 by Setsu Kobayashi | Documents and Translations, Japanese

この規定は、宗教法人は犯罪で有責となった場合にのみ解散できると解釈されない限り、違憲である。

小林節

5本の記事の3本目。1本目2本目を参照のこと。
注: 日本語原文の括弧内の参照はそのまま残した。

日本国憲の原本の最初のページ。天皇陛下の上諭が記されている。

宗教法人解散命令手続きは「厳格審査」であるべきだ

既にこのシリーズで述べたように、アメリカ合衆国最高裁で確立された憲法判例として、信教の自由は「優越的人権」とされており、それを制約しようとする政府の行為は「厳格な違憲審査」に服さなければならない。これは、人間の本質が変わらない以上、わが国の憲法学説でも標準的な理解である。(樋口陽一「憲法」(第四版)144頁)

従って、国家が宗教団体に不利益処分を下そうとする場合には、㈰法律で定められた「正当な事由」(しかも特に高度の公益を守る理由)があり、かつ、㈪法律が定めた(厳重な)「適正な手続き」に従って、判断が行われなければならないはずである。これは、日本国憲法の人権の手続規定の総則である31条の母法である合衆国憲法修正5条・14条に関する確立された運用原則である。(See, BLACK’S LAW DICTIONARY, fifth Ed. p.449.)

宗教法人法81条1項及び7項に定める手続きは違憲である

宗教法人法81条1項は、「裁判所は、左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁(文科省)、利害関係人もしくは検察官の請求により、又は職権で、宗教法人の解散を命ずることができる」と規定している。

そして、次に各号として、「一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。」と規定している。その後の二から五号は、一号とは明らかに次元の異なる、法人が「休眠」か「変質」した場合の規定である。だから、これらの清算は国家による後見的行政手続で行われても原則として人権侵害の問題にはならないであろう。しかし、一号は、現に宗教活動を行っている宗教法人のいわば国家による「取り潰し」に等しい手続きである以上、厳格な手続きによらなければならないはずである。

日本国憲法の原本。昭和天皇(裕仁、1901-1989)および国務大臣の署名入り。

法令違憲と適用違憲

ここで、第一に問題にされるべき点は、条文上、「『法令』に違反して」とあって、「『刑事法』に違反して」となっていない事実である。これまでの、アメリカ合衆国(日本国憲法20条の母法国)とわが国の確立された判例によれば、宗教法人は犯罪で有責にならない限り解散されることはない。それは、犯罪という当事者間で処分してはならない「最高度の公益」を侵害した場合には優越的人権である信教の自由の行使といえども許されない(赦されない)からである。他方、民事法上の不法行為の場合には当事者間で金銭等で責任を取るか、あるいは和解により処理して済む私益にかかわるものなので、公権力としては、優越的人権に譲るべき場合だからである。

したがって、この条文は、そもそも文言上、「過度に広範な規制」として違憲であるというべきものである。いわゆる「法令違憲」である。ただし、この点に配慮して「法令」を「刑法」と狭く読む運用は可能である。それが、従来の政府見解であった。だから、それを行わない決定は「適用違憲」になるはずである。

そういう意味で、3月3日に最高裁判所が下した決定は問題である。旧統一教会が宗教法人法に基づく文科省からの資料提出命令に従わなかったことに対する過料を争う裁判で、最高裁は、宗教法人法81条1項に規定された「法令違反」の「法令」には「民法」も含まれるという重大な判例変更を敢えて行った。これに従った3月25日の東京地方裁判所の決定も問題である。

2024年7月、広島で解散請求に抗議する世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の会員たち。

憲法31条に違反

これは、憲法31条(法廷適正手続きの保障)による、公権力が人権を制約しようとする場合には、予め法律で定められた「正当な理由」と「公正な手続き」によらなければならない…という要請の前半(「根拠」の問題)に違反しているといえる。

さらに、宗教法人法の法人解散手続きには、第二に、憲法31条の要請の後半(「手続き」の問題)に違反する点もある。

宗教法人法81条7項は、本条1項の宗教法人解散命令手続きは「非訟事件手続法の定めるところによる」と規定している。

これは、宗教法人の解散命令という「優越的人権の行使の存否に関わる重大な手続き」を、国家による裁判所を利用した「後見的行政手続き」で行おうとするものである。

多言を要しないことであるが、憲法31条は、人権(今回は特に優越的人権である)を制約する場合には、予め法律で定められた「適正な」すなわち公正な手続きによることを保障しており、それを受けて、憲法32条は、誰であれ公正な裁判所における裁判を受ける権利を保障している。加えて、憲法82条は、「人権」が問題となっている裁判の「対審」は「公開」しなければならない…と命じている。

3月25日の東京地裁による解散決定に対して、旧統一教会は即時抗告を行った。しかし、東京高等裁判所においても解散という終局決定が下された場合には、最高裁に対する特別抗告が行われている間も、原裁判の執行は停止されない。そこで、清算人が選任され、教会の財産はその管理下に置かれ、そして、そこに至った一連の流れの延長線上で、債務を弁済するために売却される可能性も大きい。その結果、教会員の信仰活動に必要な教会施設について、礼拝等のための使用が制約され、教団としての宗教活動はもちろん、個々の信者たちの信教の自由も著しく制約されることは必定である。まるで解体中の家に住んでいるような不自由極まりない状態になる。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e3%81%8a%e3%81%91%e3%82%8b%e5%ae%97%e6%95%99%e6%b3%95%e4%ba%ba%e3%81%ae%e8%a7%a3%e6%95%a3%ef%bc%9a%e6%86%b2%e6%b3%95%e4%b8%8a%e3%81%ae%e5%95%8f%e9%a1%8c%ef%bc%93%ef%bc%8e/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ103


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

日本における宗教法人の解散:憲法上の問題2.優越的人権としての信教の自由

Jul 21, 2025 by Setsu Kobayashi | Documents and Translations, Japanese

人権の中で信教の自由が有する固有の地位は、宗教が自らを組織化でき、免税が認められるべきであることを意味している。

小林節

5本の記事の2本目。1本目を参照のこと。
注: 日本語原文の括弧内の参照はそのまま残した。

1940年代初頭、「ウェストバージニア州教育委員会」訴訟が始まった頃のエホバの証人。

優越的人権としての信教の自由と厳格な違憲審査基準

1本目の記事で述べたように、信教の自由を主張しようとも(例えば重婚のような)犯罪だけは許されないのであるが、合衆国最高裁判所は、それが真摯な宗教上の主張である場合には、信教の自由を人権体系上の「優越的人権」として扱ってきた。

例えばエホバの証人に対する国家への忠誠宣誓の強制の合憲性が争われたW. Virg. State Bd. of Ed.事件に対する1943年の最高裁判決は、礼拝の自由を、単なる「合理性」といった貧弱な根拠によって制約してはいけない、信教の自由は、「国家が合理的に保護できる『公益に対する重大かつ緊急の危険を除去するため』だけにしか制約を受けない」とした(West Virginia Board of Education v. Barnett, 319 U.S. 624(1943) at639.)。

以来、この立場を、合衆国最高裁は一貫して踏襲している。つまり、「『至高の公益を脅かす重大な権利濫用』だけが信教の自由の制約を許す。」(Sherbert v. Verner, 374 U.S. 398 (1963))。「国は、それが、『非常に重大な公益』を実現するための、『最も弾圧的でない手段』であるということを証明することにより、その信教の自由に対する権力による侵害を正当化することができる。」(Thomas v. Review Board of the Indiana Employment Security Division, 450 U.S. 707 (1981))。「『最高の公益』で、さらに、『その方法によらなければ実現しない公益のみ』が、正当な信教の自由の主張を否定できる。」(Wisconsin v. Yoder, 406 U.S. 205 (1972))。「信教の自由を制約するには、その『立法目的がいかに正当であってもそれは十分に重大なものでなければならず』、かつ、それは、信教の『自由を過度に制約する方法で追求されてはならない』(つまり、『最も少ない制約手段によらなければならない』)。」(Wooley v. Maynard, 430 U.S. 705 (1977))。

「『非常に重大な公益に資するためにその規制が必要であること』と、『その規制が最も穏便にその目的を達成するものであること』を、国は立証しなければならない.」(Widmar v. Vincent, 454 U.S. 263 (1981))。「宗教上の信条による行為に対して国が福祉の給付を与えない場合には、『厳格な司法審査』に服さなければならない。」(Hobbie v. Unemployment Appeals of Florida and Lawton & Company, 55 U. S. L. W. 4206 (1987))等。

ウィリアム・J・ブレナン・ジュニア判事(1906~1997年)は、「ホビー対フロリダ州失業控訴委員会およびロートン・アンド・カンパニー」事件における米国最高裁判所の判決を書いた。

宗教活動における「結社」の重要性

人々が信教の自由を享受しようとする場合に、同じ信仰を持つ者同士が集まり団体を作りその信仰を実践していこうとすることは極めて自然で有効である。全ての信仰は、自由な社会にあっては、社会全体から見ればそれぞれ少数派で「変なもの」である。だから、信仰の自由の重要な態様の一つとして、同志が集まる宗教上の「結社の自由」が保障されてきた。従って、国家による教団の解散命令ということは、信仰者にとっては信仰の中心基盤を失うという死活的に重大な不利益であることは言うを待たない。

宗教法人に対する免税の意義

宗教法人として認証された場合には、その他の公益法人(学校、病院、慈善団体等)と同様に、免税の待遇を受けることになる。
これは、しばしば「金銭的な優遇」(特権)だとして、不当な逆差別ではないか?と言われることがある。しかし、免税の本質的機能は、金銭的な優遇ではなく、「宗教に対する政治権力の不介入」である。

合衆国最高裁で宗教法人に対する財産税免除の合憲性が確立されたWalz v. Tax Commission of the City of New York, 397 U.S. 664 (1970)で、最高裁は、次のように述べている。「この免税は、財産税の賦課に本来的に内在する危険、つまり、課税をきっかけにしてその団体に政府が介入する危険を除去するものである。つまり、免税は、政府が宗教を監視する危険を予防する合理的で均衡のとれた対策である。この免税を、教会が遂行している社会福祉活動あるいは慈善活動(つまり「公益」活動)を理由に正当化する必要はない。そのような側面を重視することは、特定の社会福祉計画の意義に関して『政府による評価とその基準』を導入することになり、いずれ、政府の宗教に対する『中立性』の原則が後退し、つまり、『評価するために政府が宗教を監視する』ことにつながる。そして、『免税をなくしたら、それは、教会財産に対する課税評価等を根拠に、宗教に対する政府による介入を拡大する傾向を生む』。だから、教会に免税を与えるという不変の慣行は、軽々しく除去されるべきものではない。これは、『あらゆる宗教的信条』の自由な遂行を助けるように作用している。」

ウォーレン・E・バーガー最高裁判所長官(1907年~1995年)は、「ウォルツ対ニューヨーク市税務委員会」事件で米国最高裁判所の判決を書いた。

このような本質に照らしても、宗教法人格の認証の取り消し(解散命令)は、軽々しく扱われるべきものではない。つまり、しばしば、「法人格を失っても、信者たちは任意団体として宗教活動を継続できる…」(光信一宏「42宗教法人の解散命令と信教の自由」憲法判例百選Ⅰ[第5版]87頁)から問題ないor困ったものだ、と言われることがある。

しかし、解散させられた場合には、その任意団体としての新しい教団は、税務当局の監視下に置かれることになる。これは、宗教人にとっては、信仰そのものに対して大きな制約を課されることに等しい。いかなる人物や組織についてもその金の流れを見れば何をしているかが全て分かってしまう。だから、宗教団体にとって会計を公権力による監視下に置かれることは、信仰そのものを管理されることに等しい。しかも、これは「優越的人権」に対する制約である以上、重大な公益目的と公正な手続きなしに奪われて良いものではない。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e3%81%8a%e3%81%91%e3%82%8b%e5%ae%97%e6%95%99%e6%b3%95%e4%ba%ba%e3%81%ae%e8%a7%a3%e6%95%a3%ef%bc%9a%e6%86%b2%e6%b3%95%e4%b8%8a%e3%81%ae%e5%95%8f%e9%a1%8c%ef%bc%92%ef%bc%8e/

カテゴリー: BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ

BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ102


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

日本における宗教法人の解散:憲法上の問題1.宗教と政治:対立と癒着

Jul 19, 2025 by Setsu Kobayashi | Documents and Translations, Japanese

統一教会の抗告審が係属中の東京高等裁判所に、著名な法学者である慶応大学名誉教授が提出した意見書。

小林節

5本の記事の1本目。
注: 参考文献に関しては、日本語原文の形式をそのまま維持した。

エミール・デュルケーム(1858-1917)。 Xより。

人間の社会には宗教が必ず存在する

「これまで知られている人間の社会において、宗教が存在しないところはない」(E. Durkheim, “Les Formes elementaires de la vie religieuse,” 1912, p. 33)と言われるように人間と宗教は不可分である。

人類は、他の生物と異なり知性を持っているために、この世で生起する現象の中に因果関係を発見し、それを活用して文明を向上させてきた。同時に、この世には依然として不明なことも多く、それ故に知性を持った人間は己れの不完全性を認識して、その対極にある完全で絶対的な存在を求める思いが生まれる。加えて、人類には他の生物と異なり倫理性つまり良心も備わっているために、不道徳だと知りつつも自己利益を過剰に追求してしまうことのある己れの本性に対する反省が生じ、絶対的な善の主体への憧れが生じる。これがまさに宗教の世界である。そして、宗教はそれを信じる者に人生に対する確信と意義を与えてくれる。

そういう意味で、フォイエルバッハも指摘しているように「宗教は、人間の幸福を求める本能の所産にほかならない。」(岸本英夫『宗教学』Ⅲ頁)

人間は政治的動物である

他方、人間の生活において、政治も不可欠である。

人間は、日々、己れの欲望を充足しながら生きているが、社会が私たちに与えてくれる利益には限りがある。しかし、私たち一人一人の欲望は無限で、しかも、人間は倫理的であると同時に不道徳な存在でもある。だから、人類は、国家と法という仕組みを考案して、それにより国民相互間の利害の調整を行い、全体として最大多数の最大幸福を目指す「政治」を行うことになっている。

正に、かつてアリストテレスが指摘したように「人間は政治的存在である。」(田中美知太郎編『世界の名著 8 アリストテレス』68‐69頁)

アリストテレス(紀元前384-322年)。リュシッポス(紀元前390-300年)作のギリシア青銅器の原本をローマで複製したもの。

政治と宗教の本質的な矛盾

このように、いずれも人間にとって不可避な宗教と政治が、人間の日常生活の中で必然的に遭遇することになる。

しかし、ここで重要な点は、その政治と宗教が本質的に相容れないという事実である。つまり、政治は本来的に利害の「調整」であり、そこには「絶対的な善」など存在していない。ところが、宗教は特定の絶対的な善の存在を前提としている。

だから、歴史的経験が示しているように、(See, e.g., Everson v. Bd. of Ed. of Township of Ewing, 330 U.S.1,8-13(1947),etc.) 政治と宗教が「癒着」した場合には、悲劇が起こる。つまり、宗教と一体化して、「絶対的な善を確実に指向している」と主張できるようになる政治権力者は、もはや、民衆が「多数決で選択する相対的な善」になど従う理由がなくなる。そこで、政治権力者による民意の無視が始まり、専制に至る。また、宗教の側も、本来的に客観的な証明が不可能な領域を扱っているものなので、本来は信者の誠実な行いと教義の説得力のみで布教すべきものであるが(See, Giannella, Religious Liberty, Noneestablishmennt, and Doctrinal Development: PartⅡ. The Nonestablishment Principale, Harv. L. Rev. 513(1963))、宗教が国家権力と癒着してしまった場合には、安易に国家権力の「威を借りて」布教をするようになりかねない。それは人間的には自然なことではあるが、それではもはや宗教ではなく政治である。

このように、政治と宗教が癒着して双方が「堕落」を許し合った状態では、そこには民主政治も信教の自由もなくなってしまう。

政教分離の必要性

そこで、政治権力と宗教の間に、合理的な距離を置く、つまり両者の関係に相当な「けじめ」をつける必要が生じる。その基準として、歴史的な人権闘争を経て導き出された知恵が、政教分離の原則である。

これについては、ヨーロッパにおける失敗にもかかわらず、さらにイギリスにおける政教癒着がもたらした異端徒弾圧から逃れてきた清教徒たちが建国したアメリカにおいて、200年以上に渡る試行錯誤を経て確立された憲法原則が自由民主主義諸国の参考になっている。いわゆるレモン・テスト(レモン基準:Lemon v. Kurtzuman, 403 U.S. 602(1971))である。

アメリカ合衆国最高裁判所。

それは、政治権力と宗教が接触した(例えば、政府が特定の宗派を公式に利用する、又は、公的に特定宗派を禁止する等の)場合に、その「目的」あるいは「効果」のいずれかに、その宗教を「助長」あるいは「弾圧」するものがあれば違憲だとする判断基準である。

これは要するに、政治権力と宗教がそれぞれに則を守り、「宗教活動に対する公権力の中立性を維持すべき」だという憲法上の要請である。

とは言え、たとえそれが宗教的信条に由来する行為だとしても「国法により犯罪とされている行為だけは国家により免責され得ない」ことは、不動の前提である(Reynolds v. United States, 98 U.S. 145 (1878),etc.)。ということは、それが犯罪でない限り、宗教活動に対して政治権力は介入しないという政教分離という憲法原則が適用されることになる。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e3%81%8a%e3%81%91%e3%82%8b%e5%ae%97%e6%95%99%e6%b3%95%e4%ba%ba%e3%81%ae%e8%a7%a3%e6%95%a3%ef%bc%9a%e6%86%b2%e6%b3%95%e4%b8%8a%e3%81%ae%e5%95%8f%e9%a1%8c%ef%bc%91%ef%bc%8e/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ101


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

日本における統一教会の事例:ディプログラミングから生き延びた医師の証言

Jul 3, 2025 by Hirohisa Koide| Documents and Translations, Japanese

医師である筆者は、両親およびディプログラマーによって拉致監禁された。背後には、いつものように反カルト派の弁護士がいた。

小出浩久(こいで・ひろひさ)

※本稿は、2025年6月16日にジュネーブの国連人権理事会第59会期のサイドイベント「60万人の信者を有する宗教共同体の根絶と解散:日本における統一教会の事例」で発表された文章である。

2025年6月16日、ジュネーブ国連本部で証言する小出医師

私の名前は小出浩久です。現在、東京で医師として勤務しています。私は「世界平和統一家庭連合」(旧・統一教会)の信者であり、ディプログラミング(脱会強制)の生還者です。日本では、家庭連合の信者に対する拉致監禁は、金銭目的や反宗教的な活動家だけでなく、主流派のキリスト教牧師によっても支持されていました。

多くの親たちは、子どもが新しい宗教に入信したとき、その言動を理解できずに苦しみます。彼らはキリスト教会を訪れ、対応を相談しました。多くの教会は誠実で、平和的な雰囲気でしたが、信者の強制的な「救出」に関わった牧師たちは、左翼活動家の影響を受けて極端に過激化していました。そして一部の教会は、信者の拉致監禁という恐ろしい行為が推奨される場となってしまったのです。

キリスト教会の温かな雰囲気がなければ、親たちはこれほど簡単に監禁を受け入れることはなかったでしょう。

日本基督教団と日本同盟基督教団という二つの主要教派が、反家庭連合グループの基盤となっていました。

今から私自身の拉致監禁体験をお話ししたいと思います。私は医学生時代に家庭連合の信仰をもつようになり、1990年に東京の一心病院で勤務を始めました。そこは家庭連合信者の女性医師が創設した病院で、信者である医師たちが多く集まっていました。私はその病院で働けることに喜びを感じていました。

一心病院。出典:一心病院

しかし、マスコミは家庭連合に対する多くの否定的な情報を全国に広めました。両親は、私の友人や医大の教師からこの情報を聞き、彼らを通して反家庭連合グループを紹介されました。そのリーダーは、プロのディプログラマーである宮村峻氏でした。

そのグループの集会は、新宿西教会で行われていました。その集会で両親は、監禁の準備の仕方や、親族への協力要請、さらには監禁中の精神状態の保ち方に至るまで教え込まれていたのです。

これに最も影響を受けたのが母でした。母は私を閉じ込め、信仰を棄てることを強制しました。母の影響により、父、兄、妹、その他の親族もこの監禁計画に加わりました。

1992年6月13日、実家を訪れた際、約15人の親族に囲まれ、車に押し込まれてアパートに連れて行かれました。建物の前には、家庭連合に敵意を抱く元信者約10人が待っていました。その部屋の窓には鉄格子がついて開けることはできず、外の景色も見えませんでした。

玄関のドアはチェーンで施錠され、男性が24時間座って見張っていました。部屋は5階以上の高さにあり、常時7人ほどの親族が私と一緒にいました。

ディプログラマー 宮村峻氏

私は、自分の担当する患者たちの心身に悪影響を及ぼすことが心配でした。何日も病院に連絡させてほしいと懇願しました。親や親族は、私が患者たちの情報を記録して、病院に送ることを認めましたが、この計画の真のリーダーである宮村氏は、私の願いを拒否しました。

その後、家族は私に家庭連合の教義と活動について説明を求めました。私は基本的な人権を無視した、この暴力的な宗教弾圧をやめるよう叫び続けました。

驚いたことに、宮村氏と親しい弁護士・平田寛(ひらた・ひろし)氏が部屋に現れ、「この状況は違法ではない」と皆に保証しました。親族たちはその言葉を信じ、私は強制的に旧約・新約聖書や家庭連合の教義を批判する本を読まされました。夜には、不満を抱いた元信者と宮村氏が私を「説得」するために部屋にやって来ました。

平田寛弁護士

宮村氏は「信者の心を変えるには暴力が必要だ」と考えていました。私は父と兄から激しく殴られ、父の膝蹴りでできた目の周囲のアザは、一週間以上消えませんでした。

病院の同僚が私の居場所を突き止め、病院長が東京高裁に「人身保護請求」(違法な監禁からの解放)を申し立てました。東京高裁からは両親に出頭命令が出され、通知がアパートに届きましたが、宮村氏はそれを無視し、親族に私を別の場所に移動させるよう指示しました。

私たち全員は、深夜、東京から250キロ以上離れた新潟市へと移動しました。到着後すぐに、新津福音キリスト教会の松永堡智(まつなが・やすとも)牧師がやってきました。

彼は宮村氏と協力し、同じ手法を用いていました。信者を閉じ込め、聖書の言葉を使って混乱させ、信仰を諦めさせようとしました。ただし、二人の信条には大きな違いがありました。宮村氏にはキリスト教の信仰がなかったのに対し、松永氏はカルヴァン主義者でした。

小出氏が監禁されていた当時の松永堡智牧師

こうして監禁と「説得」の日々が10か月以上続きました。その間、両親はほとんど部屋を離れることができず、さらに父は我々の状況を報告するため、毎晩のように宮村氏に電話をかけました。ディプログラマーからは「あなたの態度が悪いから、息子さんはその奇妙な宗教をやめられないのだ」と叱責されていました。

ある夜、父は私にこう言いました。「もしお前を解放したら、反家庭連合グループの活動が公になってしまい、彼らはもうやっていけなくなる。だから、お前を生きて帰すわけにはいかない。お前を殺して私も死ぬ。」そう叫びながら私の首を掴み、押し倒してきたのです。

私は父の精神状態が限界に達していると感じ、信仰を棄てたと嘘をつくしかありませんでした。父は若い頃、日本軍で訓練を受けており、常に「訓練を通して、自分は目的のためなら死ぬ覚悟がある」と語っていました。

父に殺されるかもしれないという恐怖から、反家庭連合の一員として振る舞うことを強制されました。そこからさらなる精神的苦痛が始まり、その苦しみは一年間続きました。

宮村氏の指示で、私は山中の別荘に移されました。そこで、ジャーナリスト・有田芳生(ありた・よしふ)氏と、週刊誌「週刊文春」の記者から取材を受けました。その記事は、家庭連合を批判するために利用されました。有田氏は現在、日本の国会議員です。

有田芳生氏

その後、私はTBSの番組「報道特集」にも出演を強いられました。私は部屋から新潟で最も大きな河川敷に連れて行かれ、テレビカメラで撮影されました。そこでは、父と複数の敵対的な元信者たちに取り囲まれていました。

撮影時には、ディプログラマーである宮村氏が主導的な立場にいるように見えました。私の発言が彼の意に沿わないと、彼はすぐに遮りました。そして彼は、「家庭連合は人間愛のない狂った集団だ」と言い放ちました。反家庭連合のメディアは、私の発言の一部だけを放送しました。

そこまで自分をさらけ出した後で、私は父の監視のもと、アパートを出て松永氏の教会まで歩いて通えるようになりました。教会には、私と同じように信仰を棄てることを強いられた人たちが約10人通っていました。

教会に通い始めてわずか一か月、私は両親に付き添われ、宮村氏とともに2人の弁護士、山口広氏と紀藤正樹氏に会わされました。彼らはテレビで家庭連合への激しい批判を繰り返してきた人物です。

山口広弁護士(左)と紀藤正樹弁護士(右)。スクリーンショット

私は、父と宮村氏の指示に従って話さなければなりませんでした。また、弁護士たちは私が自由な立場にないことを知っていました。紀藤氏はこう言いました。「そろそろ解放してもいいんじゃないかな。でも、宮村さんに聞かないといけないけど。」

私は基本的人権について話すこともできず、家庭連合と病院に対して訴訟を起こすという法的文書に署名を強制されました。

このような状況に置かれていたのは私だけではありませんでした。松永氏の教会では、監禁から解放されて間もない家庭連合信者たち全員が、こうした弁護士たちと面会するよう促されていたのです。

私は、弁護士たちのグループが、人々を政治的な目的のために利用しているのだと理解しました。これらの元信者たちは、親によって監禁されたことで深く傷つき、再び閉じ込められるかもしれないという恐怖をまだ抱えていました。だからこそ、彼らはこれらの弁護士を通じて訴訟を起こすしか選択がなかったのです。

私が訴訟を起こすとすぐに、さらにトラウマを伴う行動を強いられました。私は、信者が監禁されているアパートに行き、彼らと話すよう命じられました。私は今でも、罪のない信者たちの部屋を訪ねたことを後悔しています。彼らは苦しんでいました。

松永氏の教会では、毎週末、信者の親たちを対象にした相談会やセミナーが開かれていました。牧師や元信者たちは、「子どもを助ける唯一の方法は監禁しかない」と説得し、どのようにして信者を閉じ込めるか、その手順まで詳しく説明しました。特に、監禁は親や兄弟にしかできないのだと強調していました。私は監禁を勧める立場になり、そのグループの中心的な存在となっていました。まるで生ける屍(しかばね)のような気持ちでした。

松永牧師の教会

私は、教会の近くにある病院で助手として働き始めました。人の役に立てることに喜びを感じました。2か月間その病院で働いた後、銀行口座にいくらかのお金が貯まり、私はそのグループを離れて東京へ逃れることができました。

両親がショックを受けることは分かっていました。その後2年間、私は自分の居場所を知らせることができませんでした。両親がまだ宮村氏のグループと関係をもっていて、再び私を監禁する可能性があると思ったからです。

父は宮村氏の助言に従い、2万ドルを借金して、新しい建物を建てるため松永氏の教会にそれを渡しました。

その後、私はこの2年間の体験を本に書き、反家庭連合活動の実態を公にしました。この本によって、私は自分の身を守ることができ、両親や兄弟と安全に連絡を取れるようになりました。

母はアルツハイマー病を患い、家庭連合に対する憎しみもすべて忘れていました。私はようやく、母が本来持っていた温かな愛情を感じられるようになりました。いっぽう父は、結局失敗に終わったディプログラミングに20万ドルも費やしたと語っていました。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ100


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

統一教会の事例:日本における宗教ジェノサイド

06/30/2025 Massimo Introvigne

なぜ、いつ、誰によって、どのように宗教の抹殺は仕組まれ、遂行されたのか

マッシモ・イントロヴィニエ

※本稿は、2025年6月16日にジュネーブの国連人権理事会第59会期のサイドイベント「60万人の信者を有する宗教共同体の根絶と解散:日本における統一教会の事例」で発表された文章である。

2025年6月16日、ジュネーブにおける国連でのサイドイベントの様子

2025年3月25日、東京地方裁判所は統一教会(現在の名称は「世界平和統一家庭連合」)の解散を命じた。この決定には抗告がなされているが、教会に対する敵意に満ちた風潮は圧倒的である。「解散されても税制上の優遇措置が失われるだけだ」という嘘が広められているが、それは誤りだ。教会が解散されれば、すべての資産(銀行口座や礼拝施設を含む)は清算人に引き渡されることになる。学者たちはこの事態を表すために新たな言葉を作り出した――宗教ジェノサイド(religiocide)、すなわち宗教の抹殺である。

2025年6月16日、ジュネーブの国連人権理事会のサイドイベントにおいて、この犯罪行為が分析された。筆者は登壇者の一人として、なぜ、いつ、誰が、どのように、この犯罪行為が実行されたのかという問いに答えようと試みた。

なぜ: この事態を招いた前提条件として、高度に世俗化した日本社会に根付く、宗教組織への強い反感がある。また、日本には自国の問題の原因を外国の宗教に転嫁する「スケープゴート(scapegoat)」の伝統がある。過去の世紀にはキリスト教がその対象だった。軍国主義時代の日本では、平和主義を掲げるエホバの証人が非難され、彼らは今もその標的から外れてはいない。そして現在の標的が統一教会である。教会本部が韓国にあることもあり、嫌韓感情(反韓的な人種差別)も問題の一因となっている。

いつ: 反対派は1980年代から統一教会の解散を求めてきた。彼らの試みが成功したことはなかったが、2022年に起きた安倍晋三元首相暗殺事件が、彼らにとっての「絶好のチャンス」となったのである。犯人自身は統一教会の信者ではないが、母親が信者であった。彼は安倍氏が「教団と近しい関係にあると思った」ため、殺害したと供述しており、その背景として2002年に母親が過度の献金で破産したことを挙げている。なぜ20年もの年月を経て犯行に及んだのかについての説明はなかった。また、統一教会の信者たちが彼の家族に多額の献金を返還していた事実にも触れられていない。

サイドイベントで発言するマッシモ・イントロヴィニエ氏

誰が: 1987年に始まった反カルト運動には、統一教会や他の保守的宗教の解散を狙う政治的な動機が明確に存在していたことが、証拠から明らかになっている。その多くは社会主義者や共産主義者であり、統一教会が反共主義や親米的立場を取る宗教であることから、これを排除しようとした。また彼らは、保守的で「進歩的」な思想に反すると見なされるすべての信仰を、破壊しようとした。

どのように: 今回の解散命令の根拠とされているのは、統一教会が「霊感商法」によって人々に被害を与えたという一点である。「霊感商法」という言葉は、反カルト団体が作り出した造語であり、開運をもたらす小型の仏塔や印鑑などを高額で販売した行為という意味でつけられた。その後、この表現は献金にも適用されるようになった。こうした販売行為は過去に確かに存在したが、それらは教会の公式活動ではなく、信者個人のビジネスとして行われていたものである。統一教会は2009年、こうした販売行為を禁止し、信者に関与しないよう厳しく指導しており、安倍氏暗殺の頃には報告件数もほぼゼロにまで減少していた。

実際に、これは統一教会や研究者の主張ではなく、裁判所の解散命令の文中にも多く明記されている。しかし裁判所は、近年はごく少数の報告しかないと認めつつ、報告されていない事例があるかもしれない、将来再発するおそれがあるといった「憶測」に基づいて判断しているのが実情である。宗教団体全体を解体するという重大な決定が、こうした憶測に基づいてなされてはいけない。日本で今起きていることは、今世紀の民主主義国家において最も深刻な宗教自由の危機である。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%81%ae%e4%ba%8b%e4%be%8b%ef%bc%9a%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e3%81%8a%e3%81%91%e3%82%8b%e5%ae%97%e6%95%99%e3%82%b8%e3%82%a7%e3%83%8e%e3%82%b5%e3%82%a4%e3%83%89/?_gl=1*15gx8h*_up*MQ..*_ga*MTk5ODg0MDg1Ny4xNzU1MzMyMjEz*_ga_BXXPYMB88D*czE3NTUzMzIyMTMkbzEkZzEkdDE3NTUzMzIyNjEkajEyJGwwJGgw

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