ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳01


今回より、アメリカの宗教社会学者、ジェームズ・グレイス博士が1985年に出した著作“Sex and marriage in the Unification Movement(統一運動における性と結婚)“の日本語訳をアップしていくことにします。この著作については、拙著『統一教会の検証』(光言社、1999年)の第5章でかなり詳しく内容を紹介していますが、全文訳はまだ存在していません。何事も全体を正確に伝えることは重要なことですので、アイリーン・バーカー博士の『ムーニーの成り立ち』に続いて、本ブログで全文訳を試みてみたいと思います。初めに、読者の理解のために、私の著作の中でこの本をどのように紹介しているかをまとめて引用みたいと思います。
「1985年に出版されたグレイス博士の著作は、こうしたメディアによって作り上げられた合同結婚式にまつわる“神話”の一つひとつを批判的に検証し、統一教会における結婚の実像を非常に公平で客観的な立場で描き出している。また方法論においても、教会の内外、現役の信者と元信者の両方に対してインタビューを行っており、社会学的研究としての要件を十分に満たしていると評価されている。 」
「グレイス博士がこの研究を行う上で適任者であると思われる点は、彼が神学と社会学の教育を両方とも受けているということだ。神学を修めているということは、キリスト教神学との比較において統一教会の教義を理解できる上に、信仰者独特の内的言語をも理解する能力を有するがゆえに、宗教的現象をいたずらに単なる社会現象に還元するという社会学者にありがちな過ちを避けることができるという利点がある。また社会学を修めているということは、単なる教義の解釈や批評にとどまらず、フィールド・ワークに基づいた実証的な研究が可能である上に、何よりもより大きなアメリカ社会全体との関係において、統一教会の結婚に対するアプローチがもつ意味を考察できるという利点がある。」
「全体の構成は八章からなっており、第一章はこの研究の動機と目的について述べている。グレイス博士によれば、統一教会の性と結婚に対するアプローチは現代アメリカ社会の中では非常にユニークなものであり、とりわけ自分の配偶者を自分で選ばないという点は、自由恋愛至上主義の一般的社会通念と対立するものであるにも関わらず、そのような運動が多くのアメリカ人の心を引き付け、なおかつ長期間にわたって信仰共同体を維持し得るのはなぜか、という疑問からこの研究を出発したということである。

第二章は、性と結婚に対する統一教会のアプローチを、その教義の面から分析している。すなわち、創造・堕落・復帰という教義のフレームワークの中で、性と結婚の問題がどのように扱われ、それがいかに祝福という宗教行事と結び付いているかを説明している。

第三章は、統一教会の性倫理、すなわち婚前交渉や同性愛の問題に対して統一教会がどのような価値観をもち、また具体的にどのように対処しているかを扱っている。

第四章は、教会内部における両性の役割、すなわち教会内部において男女は差別されているのか、それとも同等の権利を与えられているのか、という問題を扱っている。

第五章は、祝福前の独身メンバーの禁欲的なライフ・スタイルと、その意味を扱っている。

第六章は、祝福を受けた統一教会のカップルが、家庭をもつ前の聖別期間や、家庭を出発した後にどのような体験をし、どのような課題に直面するのかを豊富なインタビューに基づいて描写している。

第七章では、それまで積み上げてきた客観的なデータを、社会学の理論によって分析している。ここで彼は、19世紀にアメリカで発生したユートピア主義的な信仰共同体における結婚のあり方と、統一教会における結婚のあり方を比較して、信仰共同体の維持・発展という観点から、それがどのような機能を果たしているのかを社会学的に分析している。

第八章では、統一教会における結婚のあり方が将来どのような課題に直面し、どのように変化していくのかを著者なりに予測している。また現代アメリカ社会を背景として見たときに、統一教会の結婚に対するアプローチがいかなる意味をもつかを論じ、一般社会が統一教会における結婚のあり方から学ばなければならないことを提示している。

以上簡単に概要を述べたが、グレイス博士の研究は1980年代前半の調査という点で若干古さは感じるものの、大きな間違いや誤解を発見できないほど、確かな情報源に基づいた手堅い研究である。かといって、統一教会にとって都合が良いことだけを書いているわけでもなく、教会内部に現実に存在するさまざまな問題をも冷静かつ客観的に扱っているということにおいて、非常にバランスの取れた研究であると評価できる。」

以上が私の著作におけるこの本の概要説明ですが、第一回の今回は、この本に関する基本的な情報を提示し、目次と冒頭の謝辞を訳して終わりたいと思います。

Title: Sex and Marriage in the Unification Movement: A sociological Study
題名:統一運動における性と結婚:社会学的研究
Author: James H. Grace
著者:ジェームズ・H・グレイス
With A Preface By Mac Linscott Richetts
マック・リンスコット・リケッツによる序文付き
Studies in Religion and Socirty Volume 13
宗教と社会の研究 第13巻
The Edwin Mellen Press, New York and Toronto
エドウィン・メレン出版、ニューヨーク、トロント

目次
第1章 研究の性格
第2章 統一教会の神学における性
第3章 性に関する価値観:婚前交渉と同性愛
第4章 男女の役割
第5章 祝福:準備とマッチング
第6章 祝福:聖別期間と同居生活
第7章 分析と発見
第8章 未来:いくつかの個人的考察
参考文献一覧

謝辞

この著作は私自身の作品であり、私はそれに対する全面的な責任を負うが、非常に有益な貢献をしていただいた個人に私が言及しなければ、それは不注意というものであろう。テンプル大学のルーシー・ブレグマン教授は貴重な批判的洞察を提供してくれ、このプロジェクトのあらゆる局面で一貫した支援をしてくれた。グラスボロ州立大学の私の同僚数名にも感謝したい:男女の役割に関する資料を批評してくれたパール・バーテルト教授、書き方に関する有益な助言をいただいたセオドア・ズィンク教授、社会学的調査の方法について手引きしてくれたジェイ・チャスケス教授。また、統一運動に焦点を当てることを初めに提案してくれたトロント大学のハーバート・リチャードソン教授にも感謝したい。グラスボロ州立大学哲学宗教学部の私の同僚たちは、貴重な実務的補佐を私に提供してくれ、時には私の組織上の義務を軽減してくれた。私の同僚ポール・K・K・トンが、このプロジェクトを完遂するためほとんど毎日のように励ましてくれたことに対して、特別に感謝したい。

私の秘書であり友人のアーリーン・エイレスさんは、専門性を持って初稿を準備してくれ、私がこの著作を執筆し編集するうえでユーモアのセンスを維持するのを助けてくれた。ジャニス・ビットレさんは非常に慎重かつ熟練した手法で最終稿をタイプしてくれた。

私の妻ヘレンと子供たちは、このプロジェクトの全期間を通して、常に愛と理解と忍耐の源泉であった。

私はまた、統一運動のメンバーとリーダーたちがこのプロジェクトに投入してくれたことに対して深く感謝する。彼らの協力なくして、完成はなかったであろう。

この著作は、私の人生において非常に重要な二人を追悼して捧げられる。それは、テンプル大学の創設者であり、verstehen(理解社会学)のより深い意味を教えてくれたバーナード・フィリップス博士、そして毎日を精一杯生きることを教えてくれた我が弟、ロバート・J・グレイスである。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』54


櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第54回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き

前回は、櫻井氏が調査対象とした札幌「青春を返せ」裁判の原告の中には、自らが文字通りの「監禁」を伴う脱会説得によって教会を離れたことを裁判の場ではっきりと認めている者が最低でも5名いることを、本人調書を引用することによって明らかにした。

他にも「監禁」という表現は認めていないが、鍵がかけられており、出入りが自由でなかったことを認めている原告が7名いるが、その番号とイニシャルを表記すれば以下のようになる。煩雑を避けるために詳細は省き、ポイントだけ表記することにする。

巻末資料30ページ、2「脱会信者」被調査信者概要

4番:T.E(部屋から出られず、鍵がかかっていたことを認めている)
5番:Y.N(「監禁」を「救出」と言い換えるが、外には出られない状態だったことを認めている。この証言は、私のブログに抜粋を掲載してある。<http://suotani.com/archives/428>)
8番:U.T(鍵がかかっていて、自由に出入りできなかったことを認めている)
9番:T.T(ビジネスホテルに鍵がかけれらていて、自由に出入りできなかったことを認めている)
10番:K.M(陳述書に本人の意思に反して拘束されたことや、「監禁だ」と感じたことを記述している。陳述書のポイントは、私のブログに抜粋を掲載してある。<http://suotani.com/archives/428>)
11番:M.N(親がマンションに鍵をかけて自由に出入りできなかったことを認めている)
12番:O.T(「監禁」を「保護」と主張しているが、マンションから自由に出入りできなかったと証言している)

櫻井氏が研究対象とした15名の札幌「青春を返せ」裁判の原告の中には、脱会説得の際に自分が「軟禁状態」であったことを認めている者が2人いる。その番号とイニシャルを表記すれば以下のようになる。

1番:S.M(何日間か軟禁状態になったことを認めている)
3番:T.M(自宅で軟禁状態であったことを認めている)

こうした元信者たちは既に統一教会を離れており、教会を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしている立場であるので、彼女たちには教会を擁護する動機はなく、統一教会のために事実と反する証言をする理由もない。通常ならば統一教会を利するような証言はせず、むしろその反対をする人々である。その彼女たちが敢えて「監禁」「自由に出られなかった」「軟禁」という表現を裁判でしている以上、これは極めて信憑性の高い事実であると考えてよい。

実は、彼女たちが脱会時に物理的拘束を受けたことは、法廷でも認定されている。平成15年3月14日の札幌高裁判決は、「被控訴人らはいずれも控訴人を脱会(棄教)した者であり、脱会に至るまでの過程において親族らによる身体の自由の拘束等を受けた者も多く、このような拘束等は、当該被控訴人らとの関係においてそれ自体が違法となる(正当行為として許容されない。)可能性がある」と述べている。しかしながら判決文は、これらは被控訴人(元信者のこと)とその親族との間で解決されるべき問題であり、こうした事実は「青春を返せ」裁判の判決には影響を与えないと述べている。

通常は、脱会の際に物理的な拘束があったことや、第三者の介入があったことは、反対尋問によって初めて正直に証言することが多い。しかし、中には陳述書で脱会の経緯を詳細に説明し、本人の意思に反して拘束されたことや、「監禁」であると感じていたことを記載しているケースもある。その代表的な例が、上記のK.Mさん(10番)の陳述書である。以前のブログではポイントだけ列挙したので、今回は個人が特定される情報のみイニシャルに直して、脱会の経緯を陳述書そのままに掲載することにしよう。

○保護
九二年四月六日。忘れもしないこの日は私が保護された日である。妹の嫁ぎ先のであるN家の、お父さん、お母さんと私達家族とで食事をする事になっていた。Nさんご夫妻はとても感じのいい方達で、以前にも家族ぐるみで食事した事もあったので楽しみにしていた。家で両親だけと話すよりいろいろな話題が出て楽しかったし、統一協会や現在の生活に関する質問などもされないので気楽だった。

西二八丁目の地下鉄駅で待ち合わせた。そこから車でステーキのおいしい店に案内された。食事の時間は楽しく過ぎた。それから地下鉄まで乗せてもらう為に車に乗った。私の両脇に父と母が座ったのであれっと思った。こういう配置で座った事はなかった。今日は泊まって行かないんだと母に言ったが返事がなかった。

妹の夫であるY君が運転する車は実家の方に真っ直ぐ向かっていた。両親を降ろしてから地下鉄まで乗せてもらえばいいと思って黙っていた。思い返して見ると、その時は何となく皆が無口で変だった。実家の近くの知らないマンションの一つに車が入っていこうとした。「どうしてここに行くの。ここは何なの」と私が聞いた時、Y君の顔がすごく緊張している事に気が付いてはっとした。これは「監禁」だ。

駐車場に車が止まってから、父親が私に何か説明したが内容はほとんど覚えていない。それは月日が経ってしまったからではなく、余りにも気持ちが動転して話を聞けるような状態ではなかったからだ。もっとも恐ろしい事だと聞いていた事が自分の身に起きてしまったのだ。何とかして逃げなくてはという事だけで頭が一杯だった。監禁されそうになった時は、どんな事をしても命懸けで逃げて来なさいと言われていたからだ。

車のシートにしがみついていたのを降ろされてマンションの入口まで連れて行かれた。何とか腕を振りほどいて、走って逃げようとしたのだが、皆が必死になって私を押さえ付けようとした。妹が涙を流しながら、こうするしかなかったんだと言っていた。父親がなおも何かを説明していた。父さんはとにかく決心したんだときっぱりと何度も言っていた事しか覚えていない。

皆の顔が、とても自分の身内とは思えないような恐ろしい顔に見えた。マンションの入口に、千葉の伯父さんが立っているのが分かった。続いてNさんご夫妻、が入って来た。この人達も何食わぬ顔をしてグルだったのだと思った時目の前が真っ暗になった。

エレベーターがなかなか降りて来なかった。エレベーターから男の人が二人降りて来たので私は必死に助けを求めたが不思議そうな顔をしながら行ってしまった。エレベーターのドアが開くと年配の女性が立っていた。この人は誰なのと叫んでから、旭川の伯母さんである事に気が付いた。

その日は一二時位まで話したと思う。統一協会についていろいろ質問された。一つに答えても、家族が代わる代わるに聞いて来るので私は休む間も無く答えなければならなかった。恐ろしい圧迫感と、「監禁」された事に対する怒りで気が狂いそうだった。私は家族の救いの為と思って好きな仕事も辞めて厳しい生活環境の中でも頑張ってきた。皆で私を捕まえようとしていると考えもせずに、楽しく食事していた事を思い出すと悔しくて惨めだった。

以前に父は、もう大人なんだから家に閉じ込めておくわけにもいかないと言っていた。私も牧師さんの中にはお金目当てに、困っている親の弱みに付け込む人がいる。だけど、そういう卑怯な人には絶対に頼まないでほしいと言っていたのに。こんなに計画的な事は牧師の指導に基づくものに違いない。

私が牧師さんを頼んだのかと聞くとそうだと答えた。お金目当てに他人の宗教の自由を侵すような人に頼むなんてひどいじゃないかと怒ると、そんな人ではないと父が言った。その人と私とどっちを信用するんだと統一協会で習った切り口上を投げた。そこまで子供が言うと親は折れるはずなのに、私の言う事は嘘が多くて信用出来ないと言われてしまった。ここまで反対牧師に洗脳されてしまったのかと私は驚いた。

だいぶ話したけれど家族はちっとも納得しなかった。私は話をする気持ちはあったけれどとにかく今日は帰らなければいけないといっても、駄目だと言われた。私はやりかけの仕事も気になったので連絡だけでもさせてほしいと言っても駄目だった。押し問答を繰り返したけれど家族の態度は強硬だった。家族といえどもこうまで自由を奪う権利があるのかと、怒りが込み上げた。人間扱いされていないと思った。

その夜は悲しみと、怒りの入り交じった何とも言えない気持ちで横になった。隣に妹が寝ているので祈祷もトイレでするしかなかった。これまでになかったほど真剣に集中して祈った。絶対に私は負けるわけにはいかない。原理は真理なのだから必ず勝利出来るはずだ。この機会に原理を伝えて、分かってもらえるのが、一番いいけれど、駄目であれば逃げ出すしかないだろう。お父様は、もっとひどい苦境に陥っても勝利して来たのだ。

T所長の笑顔が浮かんで心配している事を思うと涙が出た。うとうとしては、目が覚めて、トイレに何度も起きた。居間に敷いた布団の上に父親が逃げられないぞとばかりに座っていた。怒りと憎しみが爆発しそうになるので見ないようにして通った。西川先生が警察に捕まった時に醤油を飲んで病院に運び込まれ、その隙に逃げ出した話を思い出して探したけれど見当たらなかった。

○反対派牧師
次の日の午後、反対派牧師がやって来た。そう言えば、前の晩に父が牧師さんに会ってみないかと聞くので怒りに任せていいよと言ってしまっていたのを思い出した。余り考えずに承知してしまったけれどいざとなると恐ろしい。

しかし、どんな人が来ようとも私の気持ちは絶対に変わらない。しばらくすればあきらめて来なくなるだろう。何か月も掛かるかもしれないけれど頑張ろうと思った。

牧師ははこぶね教会の大久保ですと丁寧に自己紹介した。牧師が持って来てくれた聖書にも、はこぶね教会の名前と住所がスタンプで押されていた。統一協会でホームの住所や電話番号を外部の人には教えないようにしていたので、何か不思議に感じられた。
(以上、陳述書p.231-236)

拉致監禁強制改宗の一部始終を、既に教会を離れた元信者が極めてリアルに証言している、貴重な陳述書である。彼女は札幌「青春を返せ」裁判で統一教会を訴えた原告であるため、「利害関係において合致する」と櫻井氏に判断され、調査対象に入れられた。しかし、彼女が裁判の中で証言しているこうした事実は、櫻井氏にとっては「利害関係において合致しない」と判断されたのか、一切触れられておらず、原告の全員が「自発的脱会者」であり、自分の意思で「脱会カウンセリング」を受けに来たかのように描かれている。櫻井氏の調査研究方法は、このように極めて恣意的に調査対象となる人物や情報を選択していることが分かる。それは初めから「結論ありき」の研究であり、統一教会を批判するという自分のフレームワークに収まらないものはすべて捨象するという信念に貫かれた研究であるからに他ならない。

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日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ13


日本仏教史と再臨摂理への準備挿入PPT13-1

では仏教におけるメシヤとは何であるかと言えば、弥勒菩薩(みろくぼさつ)ですね。原語では「マイトレーヤ」と言いますが、釈迦牟尼仏の次の時代に現われる未来仏とされています。この未来仏は、お釈迦さまが入滅された後、56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされ、それまでは兜率天で修行しているといわれています。この年数を文字通りにとらえれば、ほぼ永遠に来ないということになりますので、この弥勒信仰があまり広まらなかった理由の一つには、「56億年後に来ると言われてもね・・・」ということがあったんですね。ですから、この年数を文字通りにとらえないで、さまざまに解釈しようという試みが生まれました。いずれにしても、まだ来ていない未来仏ですから、いまは兜率天で修行しているわけです。

この弥勒信仰には二通りありまして、弥勒菩薩がいらっしゃる兜率天に往生しようと願う信仰、すなわち来世で弥勒様に出会いたいという信仰で、これを「上生(じょうしょう)信仰」と言います。もう一つは、弥勒仏がこの世に出現するという信仰であり、これを「下生(げしょう)」信仰と言います。この下生信仰の方が一種のメシヤ思想になります。

不滅の法灯

不滅の法灯

それでは、日本では弥勒信仰というものがどのように広まっていったのかというと、実は比叡山延暦寺の根本中堂に、最澄の時代から1200年間、一度も消えたことがない「不滅の法灯」というものがあります。この不滅の法灯をともすときに、最澄が詠んだ歌が以下の歌です。
「あきらけく 後の仏のみよ(御世)までも 光伝えよ 法(のり)のともしび」

この「後の仏の御世」というのが、弥勒仏がやって来る時を指しています。すなわち、この不滅の法灯が弥勒仏の下生されるときまで輝いていてほしいという祈りが込められているわけです。

また、空海は高野山で入定する際に、兜率天へ往生することを願い、弥勒下生の時には共に来臨するという遺言を残したと伝えられています。ですから、最澄も空海もともに弥勒信仰を持っていたことが分かります。

この弥勒信仰は末法意識によってさらに高められたわけでありますが、日本ではやがて浄土宗が教勢を伸ばしたために阿弥陀信仰の方が盛んになり、弥勒仏は他の諸仏ほど知られなくなってしまいました。どちらかと言えばマイナーな信仰に留まっていたわけです。実は、これを現代に蘇らせたのが「天地正教」でした。

日本仏教史と再臨摂理への準備挿入PPT13-2

天地正教の出現というのは、日本における統一教会の土着化路線と切っても切り離せない関係にあります。このことは、私のブログのシリーズ「霊感商法とは何だったのか?」で詳しく解説していますので、ここでは概略のみ解説します。

もともとキリスト教そのものを日本人に伝えるというのは極めて困難であったので、いわゆる「霊感商法」を行った一部の信徒たちは、お壺や多宝塔を売るトークの中に、「先祖の因縁」などの土着の仏教的概念を入れ込んだわけです。もともと日本人は仏教的信仰を持っていますから、それを媒介として教会の信仰に導きました。これが壮年婦人層に信者が拡大した一つの大きな理由となりました。

ところが、1987年ごろから「霊感商法」が社会問題化することにより、それまで販売を行っていた信徒たちは自粛するようになりました。それを収拾するために「霊石愛好会」というものが1987年8月に作られて、開運商品を買った人たちをケアーするためのサークルとして機能しだしたわけです。

一方、北海道に川瀬カヨという方がいました。この方は北海道の土着の信仰を持った霊能者であり、ミニ教祖のような人でした。この人が「霊感商法」と出会って、霊石を授かり、その中で語られるトークの内容に感動し、み言葉を学ぶようになります。そして彼女は「富士会」という自分の教団をみ旨のために捧げようと決心するようになります。これは教祖自身が統一教会に回心したということを意味します。彼女の教団は1987年11月に「天運教」となります。

最終的には、霊石愛好会と天運教が合体する形で、1988年2月に天地正教が出発しますが、これは「霊感商法」を通じてつながってきた仏教的世界観を持った壮年壮婦たちをプールして育てる組織として機能するようになったわけです。天地正教ではメシヤを証すために、「末法の世において下生された弥勒仏は文鮮明夫妻である」という教義を体系化し、仏教を入り口としてメシヤにつながれるようなシステムを構築したわけです。これは川瀬カヨさんがもともと持っていた信仰というよりは、彼女が統一教会に回心することにより、統一教会の教義を仏教的に表現したものであったと言えます。

文鮮明師と川瀬カヨ教主

文鮮明師と川瀬カヨ教主

この写真にあるように、川瀬カヨ教主はたいへんお父様を尊敬し、心酔していました。教義の理論的な部分は統一教会内の仏教に詳しい方々が体系化したとはいえ、川瀬教主のお父様に対する信仰は本物であったといえます。1994年1月1日に川瀬教主はある重要な発表をします。それは彼女が1992年5月10日に、高野山奥の院で弘法大師の霊から「弥勒は文鮮明師である」という経綸を得た、という内容でした。

1994年2月4日に、川瀬カヨ教主が83歳で亡くなり、三女の新谷静江さんが二代教主となりました。そして1995年2月3日には、本山において文鮮明先生ご夫妻の写真を祭壇に掲げる儀式を行い、公式に弥勒慈尊が文鮮明先生ご夫妻であることを表明しました。さらに1996年5月12日、第2回弥勒まつりを開催した際に、新谷教主は下生された弥勒は文鮮明師夫妻であることを講話で明言しています。ですから、これは一つの壮大な実験として、仏教的体系の教義を立てて統一教会とは別の宗教団体を作って、仏教を媒介としてメシヤにつながる道を切り拓いたということができます。

ところが、残念なことにこの天地正教は消滅してしまいます。天地正教は「統一原理の仏教的展開による日本への土着化」という明確な目的の下に出現したのであり、それは一定の成功を収める可能性を秘めていました。ところがこの二代目教主の新谷さんという方は、川瀬カヨさんほどお父様に対する信仰や忠誠心がなかったのか、統一教会本体との間に確執が生じるようになります。これは「1998年の内紛」と呼ばれ、同年5月に新谷静江氏は教主の座を追われることになります。

もともと川瀬カヨさんの教団は一地方の小さな教団でした。そこに統一教会の信者たちがお金と人材を投入して全国に支部を持つ教団に発展させたわけですから、初代教主の娘とはいえ、その団体は新谷静江さんのものではなかったのです。それを勘違いして主導権を握ろうとしたのが確執の原因でした。結果的に天地正教は教主制度を廃止し、松波孝幸氏が会長に就任し、新谷氏は一部の信徒を連れて新たな団体を作ることとなりました。そして1999年3月に、天地正教は松波会長の申し出(和合宣言文)によって、事実上統一教会に吸収合併されることとなりました。もしあのまま天地正教という看板を掲げて活動を続けていれば、もっと幅広く仏教的背景をもった人々を導くことができた可能性はあったかもしれませんが、このような結果となりました。

さて、これから結論を述べますが、これはあくまで私の「私論」であって、公的な権威のある見解ではありません。私がいままで研究した結果として、だいたいこれくらいのことは言えるかなという程度の内容です。

まず仏教そのものは、大乗仏教から他力信仰、弥勒信仰へと、メシヤを受けいれる方向へと漸次発展を続けてきたと見ることができます。そして、日本人の精神性に仏教が与えた影響は非常に大きく、それを無視して伝道することは困難であると言えます。日本における統一教会と仏教の出会いの例としては、①草創期における立正佼成会からの青年信者の復帰、②先祖の因縁などを説いた「霊感商法」、②天地正教の設立と消滅――などを挙げることができますが、本当に天の御心に適う形で仏教と統一教会が出会えたかどうかは疑問です。かなり人間の責任分担の失敗という要素もあったのではないかと思います。

教団復帰というレベルで考えると、過去の体験の困難さからも察することができるように、日本における仏教界、仏教の信仰者を天につなげるためには、仏教界自体の精神的刷新と同時に、我々の更なる成長が必要であると言えます。(了)

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』53


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第53回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き

 櫻井氏は、自身の研究の情報源となっている統一教会元信者について、「自発的脱会者」の中の「脱会カウンセリングを受けた脱会者」だと言っており、ディプログラミング等の外部からの介入による強制的脱会をさせられた者は含まれていないとしている。しかし、櫻井氏の調査対象には札幌における「青春を返せ」裁判の原告たちが含まれており、その裁判資料は筆者も持っているため、巻末資料「2『脱会信者』被調査信者概要」と照合することによって、これらの原告の個人名を特定したところ、そのうちの5名は証言の中で自身が監禁されていることを認めていることが明らかになった。残りの10名のうち、7名は「監禁」という表現は認めていないが、鍵がかけられており、出入りが自由でなかったことを認めている。そして2人は軟禁状態であったことを認めている。出入りの制限はなかったと証言している者は1人もいない。そして15名中1名だけが、櫻井氏の表の情報からは個人名を特定できなかった。下記の表の14番だが、脱会年が1997年と遅いことから、第二次札幌青春を返せ裁判の原告なのかもしれない。

巻末資料30ページ、2「脱会信者」被調査信者概要

 上記の表の2番は、自分が監禁されていたことを証言した代表的な原告であり、イニシャルをO.R.さんとして私のブログでも本人調書を引用したことがある。以下は、平成11年12月14日に札幌地裁で行われた尋問において、統一教会の代理人である本田弁護士の質問に答えたものであるが、非常に正直に自分が監禁されたことを認めている。

本田:あなたは統一協会を脱会しましたね。
O.R.:はい。
本田:脱会されるときにはどこかのマンションに監禁されましたでしょう。
O.R.:連れていかれました。
本田:だれが中心になってあなたを監禁したの。
O.R.:父と母です。
本田:どうしてあなたを監禁したんですか、目的は何ですか。
O.R.:統一協会を脱会させるために。
本田:なぜ脱会させようとしたの。
O.R.:それはお父さんとお母さんが多分よくないことをやっていると思ったからだと思います。
(中略)
本田:お父さんお母さんは、宗教に年がら年中、四六時中献身してて、宗教活動を行っているということは問題があると考えたんじゃないですか。
O.R.:はい。
(中略)
本田:あなたは何日間くらい監禁されてましたか。
O.R.:何日間というのは覚えてません。七日目くらいでちょっと考えだしたと思います。
本田:中心になったのはあなたの両親ですね。
O.R.:はい。
本田:脱会させるのに、それ以外にどういう人たちが関与してましたか。
O.R.:うちの親戚とかパスカルさんが話ししてくれました。
本田:パスカルからあなたは話を聞いたんですか。
O.R.:はい。
本田:監禁されたマンションの中で聞いたんですね。
O.R.:はい。
本田:何を聞かされましたか。
O.R.:主には原理講論と聖書が言っているところの違いというのを。
本田:パスカルというのはクリスチャンですか、それとも新教の信者ですか。
O.R.:新教です。
(中略)
本田:あなたに対して、原理講論の間違いをいろいろと正したわけだね。
O.R.:はい。
(中略)
本田:あなたを監禁状態にしておいて、部屋からどこにも出られない、自由が束縛されていることははっきり分かりますね。
O.R.:はい。
本田:精神的にも束縛されているでしょう。
O.R.:はい。
本田:物理的にも束縛されていますね。
O.R.:正確に言うと七日目まで。
(中略)
本田:だれからあなたの両親は統一協会の教理について教わっていたの。
O.R.:多分パスカルさんだと思います。
(以上、調書47~66ページ)

 続いて表の6番も監禁を認めている原告だが、イニシャルをW.Nとする。以下は、平成11年11月9日に札幌地裁で行われた尋問において、統一教会の代理人である鐘築弁護士の質問に答えたものであるが、同様に自分が監禁されたことを認めている。

鐘築:それから、救出のことを聞きますけど、マンションに行かれましたね。
W.N:はい。
鐘築:何というマンションか覚えていますか。救出のときのマンション。
W.N:場所と建物は覚えているんですけど、名前は覚えてないです。
鐘築:これは無理矢理連れて行かれたわけ、そこに。
W.N:無理矢理というか、話し合いをしようと言われて。全て準備されて。
鐘築:玄関の鍵が開かないようになっていたということは、出入りがやっぱり自由じゃなかったということね。
W.N:はい、そうです。
鐘築:そうすると、これやっぱり監禁ということですよね。ということですね。
W.N:そうですね。
(中略)
鐘築:パスカルに会ったのは、監禁されてからどのくらいたってから会いましたか。覚えてない。
W.N:一週間か、二週間か、ちょっと何日間かは覚えてないです。
(以上、調書94~99ページ)

 続いて表の7番も監禁を認めている原告だが、イニシャルをH.Aとする。以下は、平成11年11月9日に札幌地裁で行われた尋問において、統一教会の代理人である鐘築弁護士と本田弁護士の質問に答えたものである。鐘築弁護士は証言を引き出すためにあえて「保護」という言葉を使っているが、鍵がかかっていたことは確認している。本田弁護士ははっきりと「監禁」という言葉を使っており、本人もそれを認めている。

鐘築:それからあなたは保護されたというんだけれども、これは監禁というか、自分の家で保護されたんですか。
H.A:自分の家じゃないです。
鐘築:マンションですか。どこかの。
H.A:東区のほうのマンションです。
鐘築:どのくらいの期間そこにいましたか。
H.A:二週間くらいいました。
鐘築:部屋の様子ですけれども、ドアとか窓にかぎをかけて、自分勝手に出られないようにしてありましたか
H.A:はい。
鐘築:それはずっと二週間くらいずっとそうしてあったわけ。
H.A:いえ、後半はしていませんでした。
鐘築:で、あなたを保護した人なんですけれども、それはだれが保護したの。
H.A:両親と姉夫婦です。
(以上、調書50~51ページ)
(中略)
本田:監禁されているときに来たのは、あなたの親と兄弟と、それから脱会した人と、それ以外に牧師という人は来た。
H.A:はい。
本田:何という牧師。
H.A:星川さんという人でした。
本田:その一人だけ。
H.A:牧師さんは一人だけです。
本田:で、いろいろと統一協会の教義について、その人からいろいろ教えられたのね。
H.A:はい。
本田:それ以外に、聖書のことについてもいろいろと教えられたんですね。
H.A:聖書を見ながら、いろいろ説明をされました。
本田:で、あなたは脱会することを決心したのは、その教えられて、統一協会が間違っているというふうに思ったわけね。
H.A:はい。
本田:で、そう思ったのは、監禁されている二週間くらいの間ですか。
H.A:はい。(以上、調書55~56ページ)

 表の13番も監禁を認めている原告だが、イニシャルをY.Yとする。以下は、平成12年4月25日に札幌地裁で行われた尋問において、統一教会の代理人である本田弁護士の質問に答えたものである。ここでは本田弁護士が「軟禁状態」という言葉を使っているにもかかわらず、本人が敢えて「監禁状態」と言い直している。非常に正直だ。

本田:あなたはマンションに入れられて、出人りは自由でしたか。
Y.Y:いいえ。
本田:自由でなかったんですか。
Y.Y:はい。
本田:軟禁状態ですか。
Y.Y:いいえ、監禁状態です。

 表の15番も監禁を認めている原告だが、イニシャルをY.Cとする。以下は、平成12年3月7日に札幌地裁で行われた尋問において、統一教会の代理人である本田弁護士の質問に答えたものである

本田:この脱会されたときは、東区のアパートに連れられて行ったんですね。
Y.C:はい。
本田:そのときには、親や兄弟の皆さんが連れて行かれたんですね。
Y.C:はい。
本田:部屋にはカギが掛かっていましたか。
Y.C:部屋というか、玄関には掛かっていたとおもます。
本田:入口ね。
Y.C:はい。
本田:人ロのドアにはカギが掛かって、そうすると簡単には、自分が出たいと思っても出られなかったわけね。
Y.C:家族は出してくれないという状況でした。
本田:その部屋っていうのは、何DKぐらいの部屋でしたか。
Y.C:二DKぐらいでしょうか。
本田:部屋には、どなたか一緒に寝泊まりしましたか。
Y.C:はい。
本田:一〇目間ぐらい監禁されたんでしょう。
Y.C:はい。
(中略)
本田:監禁されてからフランス人と、それから元統一協会の幹部の人がやって来ましたね。
Y.C:はい。
フランス人っていうのはだれですか。
Y.C:パスカルさん。
(以上、調書50~63ページ)

 以上の証言から、櫻井氏の調査対象の中には、自らが文字通りの「監禁」を伴う脱会説得によって教会を離れたことを裁判の場ではっきりと認めている者が、最低でも5名いることになる。にもかかわらず、櫻井氏は自身の研究の情報源となっている統一教会元信者について、「自発的脱会者」であると言い切り、外部からの介入による強制的脱会をさせられた事実を伏せているのである。ここでも櫻井氏は統一教会を利するような情報に関しては、「統一教会に対して批判的な立場から調査を行う筆者とは利害関係において合致しないと思われる」(p.199)ので、黙殺しようということなのだろうか?

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ12


 日本仏教史と再臨摂理への準備挿入PPT12-1

 このように、立正佼成会から多くの人々が統一教会の修練会に参加しました。この写真は第1期特別修練会の発会式(1963年3月1日)の様子ですが、この場所は立正佼成会本部の前なんですね。この写真には、庭野日敬会長、西川先生、久保木会長、周藤先生などが写っています。このように、多くの立正佼成会の青年たちが、庭野日敬会長の祝福のもとで、統一教会の修練会に参加したわけです。

 ここまでトップとつながったということは、もしかしたら立正佼成会が教団としてそのままメシヤにつながるという道もあったかもしれません。この当時の人に話を聞くと、「当時は霊的になっていて、自分でもよく分からない」とおっしゃるんですが、結果としてどうなったかというと、立正佼成会側も自分の信徒を盗られるという前提で修練会に送ったわけではないわけです。そこで反共思想を学んで帰ってきて欲しいというのが、立正佼成会側の動機だったわけです。

 ところが統一教会側は、修練会に参加した者たちをどんどん自分の信徒にしていくわけです。それで教団内で問題化し、信者は立正佼成会を選ぶのか、統一教会を選ぶのかという、二者択一を迫られるようになります。その結果、一部は統一教会に入教し、一部は立正佼成会に戻っていくということになり、この段階では「教団復帰」というところまでは行かずに、立正佼成会の優秀な若者たちが、その信仰を背景として、統一教会の草創期を作り上げたということになりました。これが日本における仏教と統一教会の最初の出会いということになります。

 それでは、最初に出会った仏教がなぜ立正佼成会だったのでしょうか? このことを今になって分析してみると、ある程度納得できる部分があります。まず、浄土系が来世での救済を説くのに対して、日蓮系は現世で救済される道を説くという特長があります。ご存知の通り、立正佼成会は日蓮系の新宗教です。そして日蓮は個人だけでなく国家や世界の救済も説いており、「立正安国論」には一種の終末観と国家観があります。その意味で日蓮宗は仏教の中では統一原理の立場に近いのです。

 そして開祖である庭野日敬氏は、個人救済から社会全体の救済へ信仰の理念を発展させ、社会奉仕を目的とする「明るい社会づくり運動」を展開しました。つまり、社会に働きかけて地上天国を創るというわれわれの教えと近いものを持っていたわけです。

 さらに、庭野日敬氏は他宗派との宗教協力にも取り組み、日本宗教連盟理事長などを歴任しましたし、世界宗教者平和会議(WCRP)のアジア部門に当たるアジア宗教者平和会議(ACRP)を創立するなど、超宗教運動を熱心にやった人なんですね。ですから、お父様と通じるところのかなりあった宗教指導者ではなかったかと思われるわけです。ですから、もっと幸運な出会いをしていれば、もしかしたら教団全体がメシヤにつながったのかもしれません。

 立正佼成会の会員綱領は次のようなものです。
「立正佼成会会員は、本仏釈尊に帰依し、開祖さまのみ教えに基づき、仏教の本質的な救われ方を認識し、在家仏教の精神に立脚して、人格完成の目的を達成するため、信仰を基盤とした行学二道の研修に励み、多くの人々を導きつつ自己の練成に努め、家庭・社会・国家・世界の平和境(常寂光土)建設のため、菩薩行に挺身することを期す」

 これは我々の精神と結構似ていますよね。ですから、立正佼成会の信者たちが最初につながってきたというのも、ある程度の必然性があるのではないかと思います。

 日本仏教史と再臨摂理への準備挿入PPT12-2

 次に、未来に関して考えてみますと、仏教には「末法思想」と「弥勒信仰」というものがありますので、この問題をどう理解するかということが重要になってきます。末法思想の基本的な考え方は次の通りです。

 お釈迦様が亡くなって1000年間は、「正法(しょうぼう)」の時代といって、仏の教え(教)と修行(行)と悟り(証)がすべて備わっている時代であるといわれています。次の1000年が「像法(ぞうぼう)」時代といって、教えと修行はあるが悟りを開く者がいない時代とされています。そして、その後10000年が「末法(まっぽう)」の時代であって、教えのみがあって、修行も悟りもない時代であるとされています。

 この「末法」というのは一種の終末論でありますから、その時代がいつなのかということと、我々の終末論と整合性があるのかということが、教理的には問題となるわけです。そこで最初の問題となるのが、そもそもお釈迦様が亡くなったのはいつ頃なのかということです。実は、釈迦の入滅年代に関しては学問的にも諸説ありますので、なかなか難しいんです。一番古い説が、紀元前949に亡くなったとする説です。昔の人々はこの年代を信じていたので、平安時代の末期に1052年から末法時代に入るということで、「末法思想」が広まっていったわけです。

 ところが近代の研究では、お釈迦様はそんなに古い年代の人であるとは考えられていません。紀元前485年ごろに入滅されたというのが、近代の研究で支持されている年代です。これによれば、そこから2000年経った16世紀半ばから、末法の世に入るということになるわけです。

 原理的には「6数復帰の法則」により、BC6世紀ごろにお釈迦様が生まれたとみるのが妥当なので、紀元前560年~480年ごろに生きた方であろうという現代の研究の結論が正しいと思われます。この時代は「歴史の枢軸期」とも言われ、世界各地で多くの思想家や哲学者が出現した時代でした。ですから、東洋においてメシヤを迎えるための準備として、儒教の孔子や仏教の釈迦が現れたと、原理的には見ています。

 本来ならば、イエス様の時代に仏教はメシヤと出会わなければならなかったわけでありますが、イエス様が十字架にかかることにより、摂理が失敗してしまったので、そのときには出会うことができませんでした。そこで、キリスト教は西に、仏教は東に進んで行って、16世紀に東アジアで仏教とキリスト教が出会うことになります。ですから、16世紀ごろになると日本にも中国にもキリスト教が伝えられてくるわけです。朝鮮には中国経由で入ったのでこれより少し遅くなります。

 ちょうどそのときが末法時代なので、仏教の法灯が消えかかるころに、キリスト教と出会うところに、摂理的な意味があるんではないかというのが、実は私の考えではなくて、竹内清治先生の説であります。竹内先生の著書『統一原理と仏教』によれば、以下のように解説されています。

「イエス様の十字架の死によって、その福音と結ばれる道を塞がれた仏教は、しかし、主の愛の犠牲に呼応するかのごとく、自己の悟りの境地のみを求める小乗仏教から、慈悲心によって他に尽くそうとする大乗仏教へと成長し、それにより、西に回って渡来するキリスト教が、アジアの山河に至るまで、民の心をさらに護り育てようとしたのではないか。そして、東へ東へと向かったのは、極東に降誕される再臨の主に、今度こそ相まみえて、その宗教的使命を全うするためではなかったか。

 こう考えると、仏教がその法力を失う末法の時代に入って、法の燈火がまさに消えかかっていた16世紀にキリスト教との出会いがあったという事実にも、憐れみ深き天の導きが背後にあると感じられてなりません。」(竹内清治『統一原理と仏教』p.120)

 仏教がメシヤを迎えるための宗教であり、最終的にはキリスト教と出会って再臨主を迎えなければならないという観点から解釈すると、こういうことになると思います。

カテゴリー: 日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』52


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第52回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き

 櫻井氏は、自身の研究の情報源となっている脱会者を①-ⅰ)自然脱会者、①-ⅱ)脱会カウンセリングを受けた脱会者、➁-ⅰ)教団により強制的にやめさせられたもの、②-ⅱ)ディプログラミング等の外部からの介入による強制的脱会ーーの4つのカテゴリーに分類している。そして彼は自分が行った調査の主たる対象は①-ⅱ)、すなわち「脱会カウンセリングを受けた脱会者」であると述べている。櫻井氏は外部からの介入による強制的脱会の存在を認めているのだが、自分の研究にはそうした人は含まれていないと主張し、その理由について以下のように述べている。
「隔離された体験において精神的に傷つき、その後ひっそりと生活をされている方々も多いので、実際にアクセスすることは容易ではない。むしろ、ブログ等で統一教会の経験を語るこうした人達の語りを参照する程度にとどめた方が良いと思われる。」(p.199)

 統一教会を離れた元信者で、拉致監禁の体験をブログでつづった人の中に、故・宿谷麻子さんがいる。彼女は「夜桜餡」(http://www5.plala.or.jp/hamahn-k/)というブログに自身の拉致監禁に関する体験を書いた。宿谷さん自身は2012年10月15日に亡くなったが、このブログはいまも残っていて読むことができる。実はこのブログには、櫻井氏に対する批判が掲載されている。それは宿谷さんが、自身の拉致監禁体験を櫻井氏によって否定されたと感じたからである。ことの発端は、ルポライターの米本和広氏が『現代』(2004年11月号)に「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」というルポを書いたのだが、その内容は宿谷麻子さんの体験を中心とするものだった。そして櫻井氏は『「カルト」を問い直す』(中公新書ラクレ)という書籍の中で、このルポの内容を批判的に扱ったのである。宿谷さんは、自分の体験に関する櫻井氏の記述を読んで、以下のような感想を持った。見出しだけを抜粋すれば、櫻井氏の拉致監禁問題に対する認識がおよそ分かるだろう。関心のある方は、ブログ「夜桜餡」を訪問して内容を読んでいただきたい。
1 櫻井教授は拉致監禁の被害を軽視しているように感じます。
2 櫻井教授は拉致監禁を隠蔽しているように感じます。
3 櫻井教授は拉致監禁に賛同しているように感じます。
4 櫻井教授は拉致監禁の被害者を侮辱しているように感じます。
5 櫻井教授は犯罪被害者の人権を軽視しているように感じます。
6 櫻井教授はPTSDについて無知であると感じます。
7 櫻井教授は米本氏のルポを歪曲しているように感じます。

 拉致監禁による強制改宗は深刻な人権問題であり、信教の自由に対する侵害である。こうした問題に対する櫻井氏の態度は、「語りを参照する程度にとどめた方が良い」ということであり、真剣に向き合おうとしていないことが分かる。拉致監禁問題を正面から扱えば統一教会を利することになるし、自分が情報を提供してもらっている統一教会反対派の人々を批判することにつながるので、敢えて目を逸らしているということなのだろう。拉致監禁の経験者には、もちろん櫻井氏の言うように「ひっそりと生活をされている方々」もいるだろうが、声を挙げて発信する人々もいるのである。その声にも耳を傾けるのが学者の良心というものだろう。しかし櫻井氏は、宿谷さんの声はたとえ元信者の声であったとしても、「統一教会に対して批判的な立場から調査を行う筆者とは利害関係において合致しないと思われる」(p.199)ので、黙殺しようということなのだろうか? 櫻井氏の記述には偽善の匂いがする。

 しかし、櫻井氏の調査対象には、本当に「ディプログラミング等の外部からの介入による強制的脱会」を経験した人々は含まれていないのであろうか? 「ディプログラミング」は西洋での呼び名であるため日本では一般的ではないが、身体的拘束を伴い、本人の同意を伴わない脱会説得をこう呼ぶのであれば、実は櫻井氏の調査対象の中にはこうした経験をした人々が確実に含まれているのである。櫻井氏が裁判記録をきちんと読んでいるならば、こうした事実に気づかないはずはない。それでもそうした経験について触れていないのは、やはりそのことを取り上げると統一教会を利すると彼が判断したためであると思われる。都合の悪いことには触れないわけである。

204ページ表6-1

 櫻井氏は民事訴訟で統一教会を訴えた元信者を主な調査対象者としているが、その内訳を204ページの表6-1で公表している。横浜地裁、札幌地裁、新潟地裁、東京地裁、奈良地裁、福岡地裁で原告となった原告53名と、聞き取りのみを行った13名を合わせて、66名が調査対象であることを彼は明らかにしている。このうち15名が櫻井氏の「地元」である札幌で民事訴訟を起こした元信者たちである。

 筆者はこのブログの「『青春を返せ』裁判と日本における強制改宗の関係について」というシリーズの中で、「青春を返せ」裁判の原告たちは強制改宗あるいはディプログラミングによって生み出された「作られた被害者たち」であると主張し、それを原告らが法廷でなした証言や陳述書から立証したことがある。その際に用いたのが、札幌での「青春を返せ」裁判の資料であった。この裁判の原告は21名であるが、そのうちの15名が櫻井氏の研究対象となったことになる。

 さて、原告となった元信者たちが教会を離れたときの状況は、統一教会の代理人である弁護士が、原告らに対して行った反対尋問によって明らかになっている。21名の原告の証言は、以下の4つのカテゴリーに分類することができ、その人数と比率は以下のとおりである。
 
札幌青春裁判原告脱会の状況

 この円グラフにおいて、青は、証言において「監禁」されたことを認めている者を示している。21人中8名が文字通り監禁されたことを認めた。赤は、「監禁」という表現は認めていないが、部屋には内側から鍵がかけられており、部屋から自由に出入りできなかったことを認めた者を示している。8名がこのように証言している。黄緑色は、軟禁状態にあったと証言している者を示している。この表でいう軟禁とは、鍵は掛けられていなかったものの、常に誰かが見張っていて逃げ出せる状態ではなかったことを指している。2人がそのように証言している。最後に、紫色は監禁という言葉を否定し、出入りの制限はなかったと証言している者たちである。3人がこのように証言した。物理的な拘束が事実上あったことを認める証言が全体の75%を超えていることは特筆に値する。また、全体の86%の原告が、何らかの意味で拘束された状態で脱会を決意したことになる。出入りの制限がなかったと証言している者(3名)と軟禁状態にあったと証言している者(2名)を合わせても、21名中5名しかいないのであるから、櫻井氏が調査対象とした15名の中に、物理的な拘束を受けて脱会した元信者がいることは確実である。そこで、櫻井氏の調査対象についてより詳しく調べることにした。

 櫻井氏は丁寧に、巻末資料に「2『脱会信者』被調査信者概要」という表を掲載しており、その冒頭に札幌地裁の原告15名の生年、青年/壮婦の区分、家族背景、学歴等、伝道開始年、職歴、入信年、脱会年、祝福などのデータを掲載している。以下の表がそれである。

巻末資料30ページ、2「脱会信者」被調査信者概要

 これを私が持っている札幌「青春を返せ」裁判の資料と照合したところ、15名中14名の個人名を特定することができた。上記の表で個人名が特定できなかったのは14番のみである。この14名の脱会時の状況に関する証言を分類すると以下のようになる。
・監禁という表現を認めている者:5名(36%)
・監禁という表現は認めていないが、鍵がかけられており、出入りが自由でなかったことを認めている者:7名(50%)
・軟禁状態であったことを認めている者:2名(14%)
・監禁という言葉を否定し、出入りの制限はなかったと証言している者:0名

 櫻井氏の調査対象となった札幌の原告のうち、86%が物理的な拘束を受けて脱会したことを認めており、軟禁も含めれば全員が何らかの意味で拘束された状態で脱会を決意したことが明らかになったのである。櫻井氏も彼女たちの裁判における証言記録である本人調書を読んでいるはずであるから、こうした事実は当然知っているはずであるにもかかわらず、やはりそのことを取り上げると統一教会を利すると判断したのか、そのことには一切触れずに、自分の調査対象は「自発的脱会者」の中の「脱会カウンセリングを受けた脱会者」だと言いきっているのである。これは一種の不実表示である。

 彼が「自発的脱会者」に含めている札幌「青春を返せ」裁判の原告たちが、自らの脱会状況についてどのように語っているかは、次回明らかにすることにする。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ11


日本仏教史と再臨摂理への準備挿入PPT11-1

 NHKのISSP国際比較調査(2008年)というのがありまして、「あなたが親しみを感じる宗教は何ですか?」と聞いたところ、仏教は65%で断トツ一位でした。その次が神道(21%)、キリスト教(13%)となります。このことから、仏教は日本人からかなり親しみを持たれている宗教であるということが分かります。

日本仏教史と再臨摂理への準備挿入PPT11-2

 もう一つ、特定の信仰を持っていなかったとしても、宗教的なものの考え方の中で、「絶対にある」と思う人と、「たぶんある」と思う人の数を足すと、このようなグラフになります。「祖先の霊的な力」を47%の人があると思っています。「死後の世界」があると思っている人は44%です。「輪廻転生」があると思っている人は42%です。「涅槃」があると思っている人は36%です。「天国」は36%、「地獄」は30%、「宗教的奇跡」は17%の人があると思っています。このように、日本人は「自分は信仰を持っていない」という人が7割ぐらいいるにもかかわらず、宗教的なものの考え方は結構持っているのです。これが日本人の宗教性の特徴ではないかということなんです。

 日本仏教史と再臨摂理への準備挿入PPT11-3

 現代日本仏教の現状を、批判する側面と評価する側面で整理すると大体こんな感じになります。仏教に対する批判的な見解としては、①儀礼や形式だけの形骸化した宗教になっている、②現世利益的な祈祷・祈願・呪術ばっかりをやっている、③葬式仏教・職業仏教・世襲仏教ということで、代々お寺をやっている家が職業として葬儀をやっているに過ぎない、④都市部に人口が流出することによって、伝統的な檀家制度が衰退しており、仏教は崩壊の危機にあるーーというようなことがよく言われます。

 一方、仏教を評価する見解としては、①それでも日本人はお葬式といえば仏教だし、お墓参りは今でも行われている、②お盆やお彼岸などをきちっとやる人も多く、文化の中にちゃんと生きている、③日本人の死生観にはいまも仏教的な考え方が大きな影響を及ぼしている、④座禅をしてみたいとか、四国のお遍路さんや札所巡りなどの仏教的な修行はいまでも人気があり、そうした行為を通して宗教的な体験をする人もいるので、決して死んではいないーーというようなことがよく言われます。

 この二つを総合するとどういうことになるかと言うと、既成のお寺とか教団に対しては批判的ですが、人々の心の中には仏教的な考えが残っているので、そうした宗教性が土台となって、新しい宗教を受け入れる「精神的土壌」として、日本の仏教伝統は機能しているのではないかということになります。ですから日本の新宗教は、伝統教団から主管されてはいないけれども何となく宗教性を持っている人たちに呼びかけて、その人たちを伝道・布教することによって教勢を伸ばしていったと考えられるわけです。統一教会におきましても、日本人の中に仏教的な宗教性があるからこそ、信仰を受け入れやすいということは多分にあるのではないかと思います。

 日本仏教史と再臨摂理への準備挿入PPT11-4

 さて、メシヤを迎える準備としての仏教ということで、これまでの仏教の流れを簡単に整理するとこうなります。まず、根本分裂のところで、上座部仏教の理想は「阿羅漢」であると言いました。これはあくまでも自己の解脱のために信仰するということです。それに対して大乗仏教の理想は「菩薩」でした。これは他者の利益のため、衆生の救済のためというより大きな目的を志向しています。この二つを比べると、大乗仏教の方が私たちの言う「為に生きる」愛の精神により近いということになります。ですから、大乗仏教の方がより発展して日本に伝わってきたということは、メシヤを迎える準備としては意味のあることなのではないかと思います。

 それから、「自力信仰」対「他力信仰」というのも仏教の重要なテーマでした。この二つを比較すると、基本的に修行によって悟りを開こうとする自力信仰の人は、メシヤを必要としませんよね。そうすると、自力信仰を貫いていく人はメシヤに出会えないわけです。ということは、もともと自力信仰であった仏教が、長い年月を経て他力信仰になっていったということにも、何らかの摂理的意味があるんではないかと考えられるわけです。親鸞という人は、「罪悪深重の衆生、煩悩具足の凡夫、悲しきかな、愚禿親鸞、愛欲の広海に沈む」などということを言っています。これはキリスト教のパウロの嘆きによく似ていますね。こういう罪観、仏教では「煩悩にまみれた汚れた私」という表現になるんですが、そういう自覚を促し、他力によってしか救われないという信仰の訓練が出来ていた方が、メシヤに出会いやすいわけです。すなわち、堕落人間であることを自覚した「他力信仰」の方がメシヤに出会いやすいのではないかと思われるわけです。そういう観点からすると、浄土系や日蓮系が日本では勢力を伸ばしたということは、メシヤを迎える精神的土壌を仏教が準備してきたと言えるのではないでしょうか。

 日本仏教史と再臨摂理への準備挿入PPT11-5

 これが統一教会とどう出会うかということなんですが、日本統一教会の最初の入教者はクリスチャンだったんですね。ですから櫻井夫人にしても松本ママにしても、純粋にキリスト教の牧師という雰囲気で来た西川先生から、キリスト教として原理を学んだわけです。やはりキリスト教徒が最も神に近い選民圏ですから、日本の中で少数派のクリスチャンたちが最初に統一教会につながったわけです。

 日本仏教史と再臨摂理への準備挿入PPT11-6

 しかし、その次に来たのは立正佼成会の会員たちだったわけです。1962年8月に久保木会長が入教しますが、この方はもともと庭野日敬会長が非常に可愛がっていた、将来を嘱望された立正佼成会のリーダーだったわけです。その方が、まだ何もなくて耳パンを食べていた統一教会に入教しました。しかし、久保木会長一人だけが来たわけではなくて、西川宣教師の直接交渉により、立正佼成会の庭野日敬会長に対して、「おたくの青年中核メンバーをうちの修練会で教育しましょう」と提案したわけです。そもそも、自分の教団の信徒をどこか他の宗教団体の修練会に出して教育してもらうなどということを、普通の人はやらないわけです。でも庭野日敬会長はとても心の大きい人だったので、その提案を受け入れたわけです。

 こうして、1962年12月10日から1963年1月20日までの40日修練会にまず久保木会長が参加し、その後、4回の修練会に総計230名の青年リーダーたちが立正佼成会から参加したわけです。ですから、私たちの先輩である777クラスのリーダーの中には立正佼成会出身者が非常に多いのです。

カテゴリー: 日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』51


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第51回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き

 先回から第Ⅱ部の第六章「統一教会信者の入信・回心・脱会」に入った。先回は第Ⅱ部全体を貫く研究方法の問題点について集約的に論じたが、その主な論点は、①櫻井氏の情報源が統一教会を相手取って民事訴訟を起こした元信者及びその関係者であり、裁判資料という偏った情報源に依存していること、②入信を後悔している元信者の証言という点で強いネガティブ・バイアスがかかっている可能性が高いこと、➂参与観察を行わずにインタビューとテキストに頼っているために情報に直接性がないこと、➃「多面的・多声的な宗教経験」を包括的で公平に扱っておらず、裁判資料の信頼性を補強するために情報を恣意的・選択的に集めていること、⑤事実の追求を主張しながら、利害の対立する一方当事者の「真実」に肩入れし、他方当事者の「真実」を捨象していること――などを挙げた。

 今回から各論に入り、まずは櫻井氏の研究の情報源となっている脱会者について取り上げることにする。櫻井氏は、脱会者を以下の4つのカテゴリーに分類する。
①自発的脱会者は、以下の二つのサブ・グループに分かれる
 ①-ⅰ)自然脱会者(入信初期において教団に疑問を持った離脱者)
 ①-ⅱ)脱会カウンセリングを受けた脱会者
②強制的脱会者は、以下の二つのサブ・グループに分かれる
 ②-ⅰ)教団により強制的にやめさせられたもの(除名、分派、独立など)
 ②-ⅱ)ディプログラミング等の外部からの介入による強制的脱会

 この分類に対して、こうした人々が存在するという点においては筆者は同意するし、櫻井氏がディプログラミング等の強制的脱会の存在を素直に認めている点はむしろ驚きである。ただし、櫻井氏がディプログラミングを初期の統一教会脱会者に限定しているのは事実に反する。身体的拘束を伴う強制的な脱会説得を「ディプログラミング」と呼ぶのであれば、それは初期のみならずつい最近まで行われてきたし、現在進行形である可能性も濃厚だ。こうした拉致監禁による強制棄教が事実であることは、後藤徹さんの勝訴判決が最高裁で確定したことによって、動かしがたい事実として認定されるようになった。それはなにも初期の統一教会に限った話ではない。

 さて、櫻井氏は自分が行った調査の主たる対象は①-ⅱ)、すなわち「脱会カウンセリングを受けた脱会者」であると述べ、その主な理由を他のカテゴリーの人達に出会うのが困難であるからとしている。しかし、これを鵜呑みにするわけにはいかない。それは、理由の根拠が怪しかったり、櫻井氏の研究スタンスに起因するものであったりするからだ。まず櫻井氏は、①-ⅰ)すなわち自然脱会者に出会うのが難しい理由として、「霊感商法で悪名高い統一教会の元信者です。自分でやめたものです」と公言する人たちがいるとは思えないとか、「統一教会の周辺を調査していけば、何らかの機会にこのような元信者の方と知り合う機会を得られることもあるが、それがいつになるかわからない。現実的な調査対象者の求め方ではないだろう」(p.199)というような、およそ学者とは思えない粗雑な言い訳を語っている。本気で調査をしたいのであれば、探せばよいのである。櫻井氏がそれをしていないということは、自然脱会者を最初から調査対象から外しているとしか思えない。実は、彼の本音はその次の文章に現れている。
「しかも、自然脱会の場合、統一教会への思いは両義的であることが多く、再び統一教会へ戻る元信者もいるので、統一教会に対して批判的な立場から調査を行う筆者とは利害関係において合致しないと思われる。」(p.199)

 これは驚くべき発言である。櫻井氏は統一教会について調査をするときに、自分と利害関係において一致しない対象は排除するというのである。はたしてこれが学問的な調査と言えるであろうか。櫻井氏の調査対象としては、統一教会に対して両義的な思いを持っている人は失格であり、批判的な思いをもっている人しか調査しないというのであるから、これはまさに「結論ありき」の調査であると言える。元信者が統一教会に対して両義的な思いを持っているのであれば、それを事実通りに記述するのが学問的な調査というものではないだろうか。最初から偏ったデータを求めて調査しているという点で、もはやこれはイデオロギー的な調査か、プロパガンダ用の調査としか言いようがない。

 自然脱会者は数の上では一番多いと思われるので、まともに調査研究をしていいれば、実は接触するのが最も容易な対象である。具体的な方法としては、多くの統一教会現役信者と知り合いになっておき、彼らと信頼関係を結んでおけばよい。自分は統一教会の信者ではなく、あくまでも研究目的の第三者であることを理解させたうえで付き合えばよいのである。そうすると、何年かのうちに自分の意思で自然に教会を離れた人がその中から現れるだろう。その人に連絡を取って、脱会者の気持ちを知りたいのでインタビューさせてほしいと頼めばよいだけの話である。こうした研究によって、現役信者であったときの回心体験、伝道方法、信仰生活などに対する認識と、元信者となったときのそれらに対する認識が、一人の人間においてどのくらい変化するかという知見が明らかになるだろう。実は、こうした調査をきちんと行ったのがアイリーン・バーカー博士である。彼女は著書「ムーニーの成り立ち」の中で以下のように述べている。
「情報をチェックするのに最も価値ある資料はおそらく、彼らがその運動を脱会した後で私が連絡を取り続けた20人ほどの人々だっただろう。私は多くのその他の元メンバーとも話したが、私がムーニーとしても元ムーニーとしても知っていた人々は、私が最も多くを学ぶことのできる人々だった。」(「ムーニーの成り立ち」第1章:接近と情報収集)

 そして、元信者の証言の中でも、ディプログラミングや脱会カウンセリングを受けた者と、自然脱会者の間にはどのような違いあるのかも調査しなければならない。こうした比較研究は、西洋における「洗脳」や「マインドコントロール」をめぐる論争の中で行われており、脱会時に教育を受けたことが、自分自身の回心体験の描き方を大きく変えることが報告されている。

 「洗脳論」を主張する人々が証拠として提示するのは、そのほとんどがディプログラムされたか、カウンセリングや治療のために連れてこられた元信者たちの証言であるという。そして、脱会カウンセラーが元信者に対して、「あなたは洗脳されたのだ」と告げることは、カウンセリングにおける学習計画の一部になっているというのである。彼らは自身の回心体験のとらえ方を「教え込まれている」のである。「カルト」などと呼ばれる運動を離れた人は、その運動に幻滅を感じており、後悔している可能性が高い。自分が会員になったことを他人に、そして自分自身に説明する良い方法は、自分の責任を認めることではなく、その運動の説得力を非難することである。特に、両親が多額なお金を払って子供をディプログラムしたようなケースでは、親も子供も責任を運動になすりつけることによって自分たちを正当化するために、「洗脳論」に飛びつくのである。したがって、こうした証言は統一教会の回心体験の適切で正確な描写とはなり得ない。

 こうした研究を実証的に行ったのが、トルーディ・ソロモンによる元統一教会員100人へのアンケート調査であり、それによると、反カルト運動との接触が、元会員たちが洗脳やマインドコントロールの説明にどの程度依存するかに影響を与えていることがわかるという。ソロモンは、「教会内で洗脳やマインドコントロールが行われているという証言の大部分は、ディプログラミングまたはリハビリテーションを受けた元信者か、あるいは反カルト運動に携わっている個人によってもたらされている」というのである。

 別の研究では、スチュアート・ライトが、「自発的な」脱会者45名にインタビューをしたところ、洗脳されていたと主張したのは4人(9%)に過ぎず、残りの91%は、自分の入会は全く自発的なものだったと述べたという。また別の研究でマーク・ギャランターは、元統一教会信者をディプログラミングを経験した者としなかった者に分けて比較したところ、ディプログラミングを経験した者たちのほうが、自分は運動にとどまるよう統一教会信者からプレッシャーを受けたと報告する傾向があることを見いだしたという。

 アイリーン・バーカー博士も、以下のように述べている。
「私自身の研究の中で、私はまだムーニーだったときに知り合った何人かの元会員たちと話す機会があった。彼らの大部分は、外部の助けなしで離れたものであり、その後にカウンセラーの世話を受けてはいなかった。また反カルト運動やメディアとほとんど、あるいは全く接触しなかった。一人を例外として、こうした自発的な脱会者は、入会のときに不当に強制されたとは言わなかった。ほぼ全員が脱会は難しかったと認めたが、彼らのほとんどは、もし望むならいつでも離れることができたと主張した。」(「ムーニーの成り立ち」第5章:選択か洗脳か?)

 こうした西洋の研究結果をもとに櫻井氏の情報源を評価すれば、それは統一教会信者の体験を代表するものではなく、著しく偏ったデータであることが理解できるであろう。しかも、そうしたデータしか得られなかったから偏ってしまったのではなく、初めからそうしたデータを求めて集めたところに、櫻井氏の確信犯的な性格が表れている。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ10


 鎌倉時代をもって、日本仏教の創造的な時代というのは終わってしまいます。室町時代と戦国時代の仏教がどうであったかというと、室町幕府は鎌倉時代以来の真言律宗を重んずる一方で、禅宗の臨済宗との関係を深め、臨済宗の寺を幕府の官寺(かんじ)としました。官寺とは、国家の監督を受ける代わりにその経済的保障を受けていた寺院のことで、室町幕府は臨済宗を優遇します。

 世の中が戦国時代に入ると、仏教も武力闘争に加わるようになります。1467年に応仁の乱が起こると、世の中の秩序が乱れ、浄土真宗の信者の一部が武装化して、各地で一揆を起こすようになりました。浄土真宗の別名を「一向宗」といったので、これは「一向一揆」と呼ばれました。さらに京都では、商人らを中心に日蓮宗が勢力を拡大し、一向一揆の勢力から都を守るために、有力な町人が武装し、「法華一揆」を起こしました。

 当時、比叡山延暦寺には「僧兵」というのがいて、お寺が武装勢力になっていたんですね。こうなりますと、多くの戦国大名は勝つために仏教勢力を利用するようになり、寺院は戦いに巻き込まれていきます。武装化によって勢力を増した浄土真宗と日蓮宗は、やがて他宗との抗争や戦国大名の争いに利用されることが多くなりました。このようにして信仰の本質から外れていくことにより、仏教は衰退するようになります。比叡山の僧兵を嫌い、目の敵にしたのが織田信長でした。1571年、織田信長が比叡山延暦寺の全山を焼き討ちするにおよび、仏教勢力は大きく衰退しました。

日本仏教史と再臨摂理への準備挿入PPT10-1

 戦国の世が終わると、江戸時代を迎えます。江戸時代の仏教は、完全に政府である江戸幕府の管理下にあったことが特徴です。1601年より各宗派の本山に対して幕府から寺院諸法度が発令されます。徳川家康は戦国時代から、仏教が武装勢力であるということを知っていたので、仏教勢力から武力を取り上げ、本末制度を作って管理しようとしました。そこで、寺社奉行を頂点とする体制のもとに、すべての仏教のお寺を組み込みました。すなわち、江戸幕府のもとに寺社奉行があり、その下に各宗派の大本山があります。その下に中本山、本山があり、末寺があって、その下に檀家の信徒がいるという構造です。

 このように、檀家(寺請)制度を作って、日本人全員がいずれかの仏教宗派に属する仕組みにしました。この檀家寺請制度は、キリシタンの禁止とも深くかかわっていました。これによって仏教は事実上の国教となり、檀家は自分の所属するお寺にお布施をすることが義務づけられたわけです。そうすると、寺院は布教する必要がないわけですね。国家の宗教になったわけですから。それでは何をやるかといえば、檀家の信徒が亡くなったら葬式を挙げればよかったわけです。いまの仏教が「葬式仏教」と批判されるのは、江戸時代に作り上げられたシステムが継続しているからです。このときから、日本の仏教には、純粋な宗教的エネルギーというものはなくなっていきます。すなわち、お上のもとにある御用宗教、官制宗教になったわけです。

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 そこに明治維新がやって来るわけです。明治政府は「神仏分離令」というものを出します。それは何故かというと、皇室の宗教が神道だからです。その神道に仏教という外来の宗教が混ざっていてはいけないということで、それまで千数百年間にわたってずーっと仲良くやってきたのを、いきなり「切り離せ!」と言ったわけです。そうすると、「神社の中にある仏像・仏画や仏具は取り除くべし!」という指令が出されたわけです。それを民衆は勘違いして、各地で仏教の寺院や仏像、経典を破壊する運動が起こりました。これを「廃仏毀釈」といって、数年で収まったものの、これによって多くの文化財が失われました。基本的にはこのときに神社とお寺が政府によって人為的に分けられたということです。

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 それでは現代はどうなっているかというと、いま日本の仏教には13宗56派があると言われています。時系列的にいうと、奈良系が一番最初に生まれ、華厳宗(1派)、法相宗(1派)、律宗(1派)があります。その後に天台系と真言系が続きます。天台宗は3派、真言宗は9派に分かれております。その次に浄土系が来て、浄土宗(4派)、浄土真宗(10派)、時宗(1派)、融通念仏宗(1派)がこのグループに入ります。さらに禅系が続きまして、臨済宗(14派)、曹洞宗(1派)、黄檗宗(1派)がこれに入ります。そして日蓮宗の9派を加えると、13宗56派になるというわけです。これが現代日本の仏教の基本的なマップということになります。

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 それではこれらの宗派の勢力はどのようになっているんでしょうか? 『宗教年鑑』という資料がありまして、それによると、大きく5つのグループに分けて比較するとこのようになります。浄土系が1712万人の信者を擁し、全体の37%を占めています。日蓮系が1326万人の信者を持ち、28%を占めています。真言系が922万人で20%、禅系を二つ合わせても315万人で7%、天台系が312万人で7%、奈良系が71万人で1%ということになります。信者の数からすれば、浄土系が一番大きいことになります。

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 一方、お寺の数はやっぱり浄土系が多いんですが、信者の数に比べると、禅系はお寺の数が非常に多いことが分かります。

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 日本の宗教人口における仏教の位置を、やはり『宗教年鑑』で調べてみると、とっても不思議な数字が出てきます。日本の宗教人口は、神道系の信者が1億77万人、仏教系の信者が8471万人、キリスト教系が192万人、諸教を合わせて949万人で、これらを全部合わせると1億9689万人になるわけです。日本にこんなに人口いましたっけ? これを見て一目瞭然で分かるのは、神道の信者の数がほぼ日本の人口に匹敵するくらいいるわけです。これは誰に聞いて統計を取ったのかというと、宗教法人に信者の数を自己申告してもらうわけです。そうすると神社本庁がものすごい数を申請しますから、日本人のほとんどはどこかの神社の氏子になっているということになるので、この数になるわけです。仏教の場合には8471万人ですから、日本の総人口の約7割が仏教徒であるということになります。これは、宗教法人に聞くからこういう数字になるんです。

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 それでは個人に聞くとどうなるかというと、統計数理研究所というところが「あなたは何か信仰や信心を持っていますか?」という調査を個人に対して行ったところ、72%の日本人が「持っていません」と答えたというのです。「持っている」と答えたのは28%でした。さて、先程のデータでは、日本人の7割が仏教徒であるはずでした。ところが、日本人で信仰そのものを持っている人は28%しかいないのです。神道に至ってはもっと信者数が多いわけですから、日本の神道と仏教は、宗教法人側では信徒だと思っているのに、本人には信者であるという自覚がない者が非常に多い宗教である、ということが大きな特徴であることが分かります。この辺は諸外国と大きく違うところですね。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』50


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第50回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」

 先回をもって第Ⅰ部の書評を終えて、今回から第Ⅱ部に入る。この章の目的は、人がいかにして統一教会に伝道され、回心を経験し、組織の中で信仰を強化し、またいかに脱会していくのかを描写しようというものである。タイトルにおいて最初から「脱会」が想定されており、信仰を継続していくことが前提とされていないのは、後から詳しく述べるように、既に統一教会を脱会した者たちに対する聞き取り調査を主な情報源としてこの研究がなされているためである。

 第六章の冒頭で櫻井氏は「一 研究の方法」として、自分がどのような人々を情報源としてこの研究を行ったかを明らかにしている。結論から言えば、統一教会を既に脱会した元信者が情報源であり、その大半は統一教会を相手取って民事訴訟を起こした原告及びその関係者である。このような情報源に深刻な偏りがあることは既にこのブログの中で何度も述べてきた。要するに櫻井氏は、統一教会反対派のネットワークから情報を入手したのである。そこは元信者の宝庫であり、「青春を返せ」裁判のための陳述書や証拠書類という形で資料は山のようにある。極めて包括的な資料がいとも簡単に手に入り、インタビュー対象も探さなくても紹介してもらえるのである。しかし、それらは教会への入信を後悔している元信者の証言という点で強いネガティブ・バイアスがかかっている可能性と、裁判に勝つために脚色された可能性の高い、極めて偏った資料である。これが櫻井氏の研究における最も重大な方法論的問題となっている。こうした批判は当然予想されることなので、櫻井氏は「一 研究の方法」を以下のような表現で書き始めている。
「信仰という生きられた経験を聞き取る際に、信仰生活を継続している人と信仰を捨て別の生き方を選び直した人では、同じ経験をしたとしても信仰そのものへの評価はかなり異なる。しかし、どちらの語りがより真実に近いかという判断はできない」。(p.197)

 ここで櫻井氏は「真実」というややナイーブな言葉を使っている。「事実は一つだが真実は人の数だけある」とか「私にとっての真実」というような表現がなされるように、客観的で多くの人が認める「事実」に比べて、「真実」という言葉には主観的で体験的な響きがある。数ある人間の経験の中でも、宗教体験ほど主観的で実存的な要素の濃厚なものはない。それだけに、脱会者と現役の信者では「真実」がまったく異なっていたとしても不思議ではない。しかし、櫻井氏がここで言っているのは、脱会者と現役の信者のそれぞれに真実があるというような、不可知論的な主張ではない。むしろ、通常の宗教研究は信仰生活を継続している現役信者から聞き取りを行うものだが、必ずしもそこに真実があるとは限らない、むしろ自分の行った脱会者からの聞き取りの方が真実に近いかもしれませんよ、と暗に言いたいのである。彼が「真実」という言葉を使う理由は、現役信者の主張ではなく、自分がこれから描く統一教会の信仰の方が「真実」に近いかもしれませんよ、と主張するための伏線にすぎない。現役信者からの聞き取り調査を行っていないことによほど引け目を感じているのか、櫻井氏は続けてこうも言っている。
「統一教会という特異な教団で青年期を過ごした人達の眼差しは、信仰生活にリアリティを感じている人と、そこを突き抜けたところに意味を見いだした人、統一教会への懐疑や信仰生活への悔恨を通過した人が同じわけがない。また、統一教会の経験といっても、教団における地位や役職、活動の経歴によっても一つの組織の見え方は様々だろう。」(p.197)「様々な立場を経験した複数の人達から多面的・多声的な宗教経験を聞き取ることで、ようやく統一教会信者が経験した信仰に迫ることができる。」(p.198)

 こうした主張自体は、私がこのブログの中で繰り返し言ってきたことでもあるので、基本的に同意することができる。しかし、この主張と櫻井氏が実際に採用した研究方法の間には齟齬があり、研究方法としての重大な問題点を残している。それは、「ムーニーの成り立ち」の著者であるアイリーン・バーカー博士の研究方法と比較することによって明らかになる。まず、アイリーン・バーカー博士は統一教会の主催する修練会に自ら参加したり、統一教会のセンターに寝泊まりしながら組織のリーダーやメンバーの生活を直接観察するなどの「参与観察」を行っているが、櫻井氏はそれをしていない。すなわち、バーカー博士が参与観察とインタビューという二つの方法で情報を収集しているのに対して、櫻井氏はテキストの閲覧とインタビューしか行っていないということだ。

 たとえば「統一教会の修練会とはどんなものか」を分析するときに、実際に参与観察を行った研究者と、過去に参加した人に対してインタビューを行っただけの研究者では、経験の直接性において雲泥の差がある。英語でいえば、firsthandとsecondhandの違いということであり、これは信仰というものを「生きた経験」であるととらえた場合には深刻な違いとなって現れる。実際に人が伝道され、回心していく現場に立ち会っているのかいないのか、また実際に信じている生の信者に触れていのるかいないかの違いは、こと「信仰の本質」に迫ろうと思うのであれば避けて通ることができない。バーカー博士は自分の目で直接統一教会の修練会や信仰生活の現実を見たのに対して、櫻井氏は脱会した元信者の目というフィルターを通してしかそれを見ていないのである。

 脱会者の目には、自分が体験した修練会や信仰生活に対する後悔や怒りといった色眼鏡掛けられており、それを通して自分の体験を再解釈している。信仰は人間のアイデンティティーの中核をなすものであるため、信仰を持って世界を見るのと、信仰を失って世界を見るのとでは、世界はまったく異なる像を結ぶことがある。当然のことながら、「信仰の本質とは何か」を理解しようと思えば、信仰を持っている当事者にとって統一教会の体験が何を意味するのかを理解しようと努めなければならない。しかし、信仰を失った人の目には、もはや信じていた時と同じように世界が輝いて見えることはなく、色褪せた幻のような体験にしか映らないのである。信仰を魚に例えれば、バーカー博士が新鮮な刺身を食べているのに対して、櫻井氏は数日経って腐った刺身か、干からびた魚の残骸を食べているということになるだろう。

 もう一つの方法論的欠陥は、櫻井氏が「多面的・多声的な宗教経験」を包括的で公平に扱っているわけではないということだ。櫻井氏の主要な情報源は、自ら認めている通り、全国霊感商法対策弁護士連絡会を通して提供されたものであり、統一教会を訴えた元信者の陳述書や準備書面、判決文といった「裁判資料」である。(p.200)こうした資料に偏向があることは明らかなので、「裁判資料に偏向がないわけではない」(p.200)とか、「信仰の内容も統一教会により欺罔を受けたという点に焦点が当てられる」「裁判の原告となった人が統一教会信者をどの程度代表しているものかがわからない」「裁判を起こした元信者のデータははずれ値の可能性が高い」(いずれもp.201)などど、想定される批判を先取りして述べている。

 それでは、櫻井氏はこうした問題点をどの程度真剣に考慮したのだろうか。なんと彼は、「筆者はこの問題を根本的に解消することはできないと考える」と開き直ったうえで、「テキストの信頼性を増すために、可能な限り裁判の原告となった元信者の相対的な位置を知ろうと努めた」(p.201)とだけ述べているのである。要するに裁判資料の信頼性を厳密に検証する気はハナからなく、それが信頼できるものであることを証明するために裁判を起こさなかった元信者とも接触して話を聞いたり、裁判で被告側(統一教会側)証人として立った現役信者の証言内容を一部参考にしただけなのである。これは裁判資料が初めから正しいと決めつけて、それを傍証する材料を見つけては補強するという手法であり、彼のいう「多面的・多声的な宗教経験」の中から、自分にとって都合の良いものを選択的に集めているにすぎない。これが櫻井氏の研究の基本姿勢である。

 櫻井氏は、裁判の原告となった元信者と、被告側証人として証言に立った現役信者の間でも、入信の経緯や活動内容、そして信仰生活の物語にほとんど変わりがないと主張する。「両者において一点だけ決定的に異なるのは、信仰生活を是とするか非とするか、現時点における評価の部分だけだ。いつ、どこで、何を行ったかという事実的事柄に関することでは、現役の信者と脱会した信者の間に争いはない」「筆者が資料とするのは、このような強い資料性のある出来事である」(p.202)というわけだ。

 これは二重の意味で間違っている。まず第一に、事実関係の争いのない民事訴訟などというものはありえない。実際に元信者が統一教会を相手取って起こした損害賠償請求訴訟においても、原告と被告ではまったく異なる事実を主張し合って争ったのである。したがって、原告の主張する「事実」が文字通りの事実であるという保証はどこにもない。ここでは、現役信者と脱会者にはそれぞれ異なる「真実」があるかもしれないが、「事実」は一つである、というようなシンプルな二分法は成り立たない。実際の裁判は、事実そのものを巡って争われているのである。第二に、櫻井は揺るぎない事実としての強い資料性のある出来事だけを資料として研究を行っていると主張しているが、彼の記述は元信者の証言から客観的な事実だけを抽出したものではなく、それに伴う主観的な評価の部分もそのまま踏襲して、それを「真実」として読者に訴えている。したがって、彼の研究は「多面的・多声的な宗教経験」に包括的かつ公平に耳を傾けたものではなく、利害の対立する一方当事者の「真実」に肩入れし、他方当事者の「真実」を捨象しているという点において、著しく偏った研究となっているのである。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』