Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ12:2023年2月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第12回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。最終回の今回は、2022年12月号に寄稿した文章です。

第12講:自然神学と啓示神学③:神の内在と超越

 「キリスト教講座」の第12回目(最終回)です。「自然神学と啓示神学」は組織神学の本質的なテーマの一つであり、キリスト教神学全体の中での統一原理の立ち位置を理解する上で重要なテーマです。今回はその中でも神の内在と超越について扱います。

 内在と超越というのは、神と被造世界との関係、とりわけ両者の距離感に関する両極の概念です。極めてシンプルに説明すれば、「神の内在」とは神が被造世界に遍在しており、私たちと非常に親密な関係にあることを意味しており、「神の超越」とは神と被造世界との間には断絶があり、神は遠く離れたところにおられるということを意味しています。

 これまで説明した内容との関係で言えば、福音派の神のイメージは超越神であり、自由主義の神のイメージは内在神ということになります。また、自然神学が神の内在を前提としているのに対して、啓示神学は神の超越を強調します。

 神の内在という考え方は、人間の基本的善性の強調につながり、原罪によって人間の性質が完全に腐敗しているとはとらえません。これが行きすぎると汎神論に陥ったり、神秘主義的傾向を帯びたりするようになります。「汎神論」とは、神と被造世界があまりに近づきすぎた結果、その区別がなくなったり、曖昧になったりするということです。現実のすべてが神になってしまいます。

 神学的には、神がそれほどまでに被造世界に浸透しているとすれば、どうして悪が生じたのかという「神義論」の問題が解決できなくなります。また信仰姿勢としては、神が直接人間に働くのだから、教会や司祭などを媒介としなくても、直接自分が神に出会えば良いという思想に傾き、神秘主義や教権批判といった方向に向かいやすい傾向にあります。また啓示の遍在性という思想の故に、『聖書』にしか神の啓示が現れないとする根本主義に反対することになり、他宗教との対話に理解を示すようになります。

超越神と内在神

 超越神と内在神をイメージで描くと【図1】のようになります。内在神を信じる人は、神は普遍的存在としてどこにもいるし、私の中にもいるのだから、わざわざ教会に行かなくても、司祭につながらなくても、自分が直接神に出会えばよいという発想になります。この考えを突き詰めていけば、教会に行く必要がなくなってしまいます。

 一方で超越神においては、私は罪深いから直接神に出会えないということになり、だからこそ教会や司祭は絶対に必要だということになります。そこには【図2】に示されたような縦的な秩序があり、神がみ言葉を下さり、そのみ言葉をつかさどる教会があり、その教会を媒介としてはじめて私は神につながることができると考えます。

 神の超越性を強調する思想は、基本的に人間や自然の中にはいっさいの神性を見出すことはできず、神は被造世界から独立し、遠く離れたところにいるととらえます。パウロ、ルター、カルヴァン、バルトなどの思想に色濃く現れている考え方が、この超越神です。彼らはみなキリスト教の世界においては非常に有名な人々です。キリスト教神学全体が超越神の方に傾いているのは、彼らの影響によるものだと言っても過言ではありません。

 この思想によれば、人間を含む被造世界は神からかけ離れているので、それらの中には神を見出すことはできません。したがって、自然神学は成り立たないととらえます。「人間からは神に近づくことができないので、神の方から人間にアプローチしてこなければ人間には救いの道はなく、人間の救いは徹底的に神の恵みによるものである」という思想が、福音主義神学の大前提となります。

 神の絶対超越性は啓示の必要性と結び付いており、イエス・キリストや聖書という啓示以外には救いの道はないと主張します。この思想は常に神の偉大性と神秘性を強調することによって、人間を謙虚にするという利点を持っています。超越神信仰の本質は何であるかというと、常に神の恵みに感謝し、「神を畏れる」ことを知る信仰者を育てることにあります。そしてキリスト教信仰が安易に時勢に流されることを戒め、本質に帰れと叫ぶのです。

 それでは、この問題に関する統一原理の立場はどのようになるのでしょうか? トマス・アクィナスに代表されるスコラや、バルトに代表される新正統主義に比べると、統一原理は神の内在性がより強調された神学であると言っていいでしょう。これは内在性が良いといっているのではなくて、従来のキリスト教神学の神観が神の超越的側面のみを一方的に強調してきたために、相対的にそのように見えるのであって、実は両者のバランスの取れた状態が望ましいわけです。

 内在性も度を過ぎれば自己と神を同一視する独善や、分派・分裂に走る危険をはらんでいます。超越性も度を過ぎれば、教条主義や自己の主体性を放棄した盲目的・盲従的信仰に陥る危険があります。どちらも度を過ぎれば問題となるのです。

 この講座の結論として言えることは、統一原理は極めてバランスの取れた神学であるということです。福音主義と自由主義の両方の立場を包含するような、幅広い内容を持っています。たとえば、『原理講論』の「総序」には、最終的な真理は人間の頭脳から編みだされるものではなく、「あくまでも神の啓示をもって、われわれの前に現れなければならない」と書いてあります。この部分はかなり啓示神学的なトーンで書かれていると言えるでしょう。これが「総序」の終わりの部分となります。

 ところが次のページを開いて創造原理に入ると、「被造物を観察することを通して神について知ることができる」と書いてあり、自然神学が展開されるのです。『原理講論』をそういう観点から読んでみると、自然神学的な部分と啓示神学的な部分が混在していることが分かります。にもかかわらず、全体として矛盾があるのではなく、首尾一貫しているわけです。

 統一原理は、一見矛盾するかのように思われる両極の考え方を統一して行く神学であると言えます。これまで解説した「自然神学」対「啓示神学」、「福音主義」対「自由主義」、「神の超越」対「神の内在」などの一見相反するような考え方を、全部抱き込んで一つにしていく、とても器の大きな神学が、統一神学なのだということです。このように既存のキリスト教神学との比較を通して統一原理の内容を見てみるときに、私たちの知らなかった奥深さがあるということを理解していただければ幸いです。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ11:2022年12月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第11回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2022年12月号に寄稿した文章です。

第11講:自然神学と啓示神学②:特殊啓示と一般啓示

 「キリスト教講座」の第11回目です。「自然神学と啓示神学」は組織神学の本質的なテーマの一つであり、キリスト教神学全体の中での統一原理の立ち位置を理解する上で重要なテーマです。今回はその中でも特殊啓示と一般啓示について扱います。

 一般的なキリスト教の組織神学の教科書は、「啓示とは、神の人間に対する自己開示である」と定義しています。すなわち、神は無限な存在であり、人間は有限な存在なので、人間の側から神についてすべてを知ることはできません。神が自分はこういう存在であると開示してくださるときに、初めて人間は神について知ることができるということです。

特殊啓示と一般啓示

 この啓示には、二種類あることを一般的なキリスト教の組織神学では認めています。その一つが「一般啓示」と呼ばれるもので、これは「いついかなる時と場所においても神は人間と親しく交わり、ご自身を開示されるという意味での啓示」ということになります。伝統的な一般啓示の場としては、まず自然があります。自然の中に神が表れるということであり、これを根拠に「自然神学」が成り立つことになります。さらに、歴史的出来事の中に神が表れることもあり、良心や道徳的衝動のような人間の性質に神が働くことがあります。

 それに対して「特殊啓示」とは、「神が特別な摂理的な時に、特別な人物に与え、『聖書』という特別な書物に記された内容という意味での啓示」のことを言います。バランスの取れた一般的な組織神学の教科書には、啓示には「一般啓示」と「特殊啓示」の二種類があると書いてあります。ところが極端な福音主義神学の立場では、「一般啓示」などというものはあり得ず、「特殊啓示」だけが啓示と呼ぶに値すると主張しています。福音主義は「一般啓示」を認めないのですから、それを根拠とする「自然神学」も認めないという立場をとります。

 聖書に依らずとも、自然を観察することを通して神について知ることができるという立場の神学を、「自然神学」と言います。自然を観察して分析するのは人間の理性ですから、理性によって神を知ることができるという立場の神学であり、合理主義的で哲学的な神学であるといえます。自然神学は中世の神学者トマス・アクィナスによって集大成されたと言われています。彼の主張は、キリスト教の真理には、啓示によってしか知り得ない部分もあるが、合理的検証によって知りうる部分もあるというもので、その領域が「自然神学」の領域であるとしました。

 トマス・アクィナスの神学は、自然と超自然という二階建て構造になっていました。自然神学の領域は、理性で考えれば誰でも分かる部分であるとされ、彼は神が実在していることは合理的に考えれば分かると言いました。そのため、彼は理性を駆使して5通りの神の存在証明を提示しました。

 ところが、キリスト教の教えの中には、人間がどんなに一生懸命理性を働かせて考えたとしても、とても到達しえないような真理もあると彼は言いました。それが「三位一体」や「ロゴスの受肉」などの超自然的な事柄に関するキリスト教の教理です。これらは理性の到達できる領域を超えたことなので、啓示によってのみ知り得るキリスト教の真理であると彼は言ったのです。

 このようにトマス・アクィナスはキリスト教の真理を超自然の部分(上部)と自然の部分(下部)に分け、自然神学を啓示神学の下に位置づけました。これが中世的神学の枠組みです。ところが、この中世的な神学が挑戦を受けるような時代がやって来ます。それが「理性の時代」です。まず宗教改革によってカトリックの伝統的権威が崩壊します。その次に、宗教的権威に挑戦する啓蒙思想が出てきます。啓蒙思想は理性によって認識し得るもののみが「真理」と呼ぶに値するという考え方です。これによってトマス・アクィナスの二階建て構造の上部に当たる超自然的な要素を、キリスト教から排除しようという神学が出現したのです。これが自由主義神学であり、ルネッサンスと啓蒙思想を経てヨーロッパのキリスト教の主流となり、19世紀に全盛期を迎えました。

アクィナスとバルト

 自然神学は、科学と宗教は基本的に矛盾しないという立場をとり、人間の理性を高く評価する楽観的な神学です。人類は右肩上がりに成長し、進歩していくという「進歩の思想」です。一方で、人間の罪深さや悪魔性については強調しないので、危機の時代においては無力な神学であると批判されることもあります。

 19世紀まで発展してきた理性を賛美する自然神学が、突如として挫折した大きな事件が第一次世界大戦でした。人間の科学技術が大きく発展した時代に起こったこの戦争は、その科学力で大量の人を殺したという事実を突きつけ、理性礼賛の時代に終焉をもたらしました。第一次世界大戦によって人間が持っている罪深さや悪魔性がヨーロッパの人々の前に絶望的な形で示されることによって、合理的に発展しさえすれば理想世界が来るという考えが吹っ飛んでしまったのです。そして、あらためて人間は罪深い存在だということが認識されるようになりました。そこに登場した神学者がカール・バルトでした。

 バルトは、ドイツのナショナリズムやヒトラーのナチズムと簡単に結びついて同調してしまうような自然神学の薄っぺらさを批判し、徹底した啓示神学の立場を確立しました。人間は罪深いので、神の啓示によらなければ真理を知ることはできないと、徹底的に主張したのです。このバルトの影響下にある福音主義神学は、神の恵みによらなければ、啓示によらなければ、絶対に神を知ることはできないと強調することになります。

 バルトが否定した一般啓示と自然神学にも、以下のような利点があると整理することができます。第一に、この考え方は神の真理は聖書に限定されないととらえるので、聖書を信じない人にも神を説くことができます。次に、聖書には表現されていない自然の美や科学的知識を通して神を知る道を閉ざさないという利点があります。さらに「聖書のみ」を強調しないので、他宗教との対話の道を開くという利点があります。統一原理は、啓示神学だけでなく、自然神学の価値をも認めているということができます。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ10:2022年10月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第10回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2022年10月号に寄稿した文章です。

第10講:自然神学と啓示神学①:福音派と自由主義

 「キリスト教講座」の第10回目です。今回から、「自然神学と啓示神学」という組織神学の本質的なテーマについて解説します。これはキリスト教神学全体の中での統一原理の立ち位置を理解する上で重要なテーマとなりますが、今回はその前提として福音派と自由主義の違いについて解説します。

 現代のプロテスタント教会は、福音派と自由主義という二大潮流に分かれています。聖書を文字通りに解釈し信仰的にとらえようという傾向の強い教派を総称して「福音派」と呼んでいます。一方で自由主義またはリベラルと呼ばれるキリスト教は、聖書を文字通りにとらえるのではなく、より現代的で自由な解釈をしようとする教派のことです。

1.聖書観の違い

 福音派とリベラルを分けている最も根本的な違いは、聖書に対する考え方です。福音派は聖書は神から与えられた完全な啓示であり、すべて字義通りの真理であるととらえています。したがって、聖書の批評学的研究を不信仰として否定します。根本主義や逐語霊感説は、福音派内のさらに極端な立場となります。

 一方で自由主義は、聖書に対してもう少し現代的な見方をします。聖書は最も重要な真理の源泉ではあるけれども、無謬の書ではなく、時代的・文化的制約を受けているので、現代には通用しない内容が含まれているととらえます。聖書は科学が発達する以前に書かれたものなので、それを現代人が文字通りに信じることはできず、現代的解釈が必要だと考えるのです。そのため、聖書の批評学的研究も肯定的に評価します。

2.キリスト観の違い

 福音派のキリスト観は次のようなものです。キリストは人類の罪を身代わりとなって引き受けた超人間的存在であり、奇跡的出来事である処女懐胎、死人の復活、病気の治癒などが、聖書の記述通り実際に起こったと信じます。キリストは、罪人である私たちとは全くかけ離れた、神に等しい存在であり、その方が十字架にかかって亡くなってくださったことによって、人類の罪が許されるという贖罪論が成り立つのです。

 それに対して自由主義のキリスト教は、キリストの神性をさほど強調せず、むしろ模範的な人間として理解します。隣人のために自分の命を投げ捨てたその愛にこそ、人類の歩むべき道が示されており、人間の見本であるととらえています。キリストにまつわる奇跡的な出来事に関しては、キリストを神格化するための物語として懐疑的にとらえています。

福音派と自由主義

3.人間観の違い

 福音派は、原罪や人間の本来的な罪深さを強調する傾向にあります。原罪によって人間は真っ黒に汚れているので、善を行う力は一切ないととらえています。そのような人間が理性を働かせて善を行おうとしても無駄なので、人間の理性の価値を否定する傾向にあります。したがって、教育よりも回心や救いを強調します。人間は罪深いので、キリストの恵みによってしか救われないという価値観があるのです。

 一方で自由主義は、それほど暗い人間観を持っていません。人間には善を行う力も残っているととらえ、理性を肯定的に評価する傾向にあります。人間は理性によって正しい判断をすることが可能なので、教育が重要であると言います。原理的に言うと、福音派が原罪や堕落性本性を中心として人間を理解しているのに対して、自由主義は堕落人間にも残されている創造本性を中心として人間を理解しているということになります。

4.他宗教に対する態度

 福音派は、神の啓示は聖書にのみ記されていると信じているので、基本的に他宗教の価値は一切認めません。コーランの中にも仏典の中にも、神の啓示は一切含まれていないという、極めて排他的な立場をとります。したがって、他の宗教と対話をしようとはしません。

 それに対して自由主義は、神の啓示は聖書にのみ限定されないという立場なので、他宗教の価値を認め、対話しようとする傾向にあります。他宗教に対するより寛容な心を持っているのが自由主義ということになります。

5.救済観の違い

 福音派は、個人的な救いの体験、回心や清めの体験、その中でも「新生体験」と呼ばれる、自分が生まれ変わったという体験を非常に重要視します。さらに、聖書に書かれている最後の審判や、天国と地獄を文字通りあるととらえます。ヨハネの黙示録に出てくる千年王国の到来や「ハルマゲドン」が間近であると信じる教派も多く見られます。

 一方で自由主義のキリスト教は、個人の劇的な救いの体験というものはあまり重要視しません。そして聖書に出てくる最後の審判や、天国と地獄といった内容に対しても懐疑的で、ある種の象徴としてしかとらえていません。幼児以来、家庭環境の中で自然に信徒になった者が多く、宗教を倫理としてとらえる傾向にあります。

 こうした違いが、信仰活動の違いにも表れてきます。福音派は、聖書学習会、祈祷会、伝道集会などを積極的に展開し、個人の回心を求める活動を積極的に行います。それに対して自由主義は、個人の内面的な回心を求めた活動よりも、社会運動、慈善事業、政治活動、文化活動などに力を入れる傾向があります。

6.科学に対する態度

 科学に対する態度を比較すると、福音派は現代科学の成果に対して懐疑的です。特に福音派は、ダーウィンの進化論との戦いを熾烈にやったことで有名です。福音派は、現代科学の最新の研究成果と聖書の見解が矛盾した場合には、迷うことなく現代科学を否定して聖書を選ぶ人々なのです。

 自由主義の人々が同じ問題に直面したら、「聖書の解釈を現代科学に合うように変えたらいい」と答えます。彼らは現代科学の成果を積極的に評価します。キリスト教も科学の発達に伴って現代化しなければならないという発想をします。

7.世俗社会に対する態度

 現代社会で世俗化が進み、キリスト教的な価値観が薄れていくと、福音派の人々は世間の風潮に対抗して、教会の中だけでも伝統的価値観を守って行こうと決意しました。したがって、フリーセックスや同性愛に対して否定的です。

 一方で自由主義は、世俗社会の潮流に合わせて教会の価値観も変化すべきであると考える傾向にあります。ですから、同性愛に対しても寛容であり、同性愛カップルが教会で結婚式をあげたいと言えば、彼らにも神の祝福を与えます。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ09:2022年8月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第9回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2022年8月号に寄稿した文章です。

第9講:統一原理の神観について③

 「キリスト教講座」の第9回目です。統一原理の神観について伝統的なキリスト教神学と比較しながら3回にわたって解説しています。今回は神と被造世界の関係という視点からの比較です。

 統一原理の神観の特徴の一つが、「悲しみの神」を強調する点です。神が堕落した我が子である人間たちを見て、嘆き悲しんでおられるということです。実はこのことは、神と被造世界の関係を考える上で重要なポイントとなります。

 「神は悲しんだり後悔したりするか?」という問いかけに対する答えは、聖書をみれば一目瞭然であるように思えます。創世記第6章6節には『主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め』と書いてあり、その後の旧約聖書全体に、神が不信の民イスラエルに幾度となく裏切られ、失望と落胆を繰り返しながら嘆き悲しんでいる言葉が連綿とつづられています。神が悲しんだり後悔したりしているのは周知の事実であり、それができるかどうかというのは愚問ではないかと言いたいところですが、そう単純にいかないのが神学の難しさです。

 なぜなら、伝統的なキリスト教神学には、これとは全く相反する神観があるからです。普通、神とはどんな存在かと聞かれて思い浮かべるのは、唯一絶対、全知全能、完全無欠、第一原因者、といったところです。もしこれが本当なら、神は最初からすべてを知っていて、すべてをコントロールしているはずですから、人間の行動に左右されて後悔したり、嘆き悲しんだりするのは不可能だということになります。

 伝統的な神学において描写されている「哲学的な神」は、人間と親密に交わる人格的な「聖書の神」とは、かなりイメージの異なる「絶対的な超越者」です。それは何かを動かすことはあっても動かされることはなく、他に何かを与えることはあっても与えられることはありません。完全無欠でそれ自体で完結しているので、進歩・発展することもありません。したがって人間を上から一方的に愛することはあっても、人間の行動によって喜んだり、逆に悲しんだりすることもないのです。

 このように「哲学的な神」と「聖書の神」との間には大きな隔たりがあるのですが、どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか。それは伝統的なキリスト教神学が、ギリシア哲学と聖書の思想のブレンドであったことに原因があります。新・旧約聖書は物語や教訓の寄せ集めであり、そこには哲学的体系がありませんでした。最初のうちはそれで十分だったのですが、キリスト教がヘレニズム世界へ広がっていくにつれて、教義を体系的に整えて知的に説明し、さらには正統と異端とを明確に定義する必要が出てきました。その当時、最も進んだ哲学者と言えばプラトンとアリストテレスであったので、神学を組み立てる論理的な骨格として、ギリシア哲学を借用したのです。

 これによってキリスト教神学は学問的に洗練されたわけですが、ギリシア哲学と聖書の神観には大きな隔たりがあったのです。キリシアの哲学者たちが頭の中で思索して生み出した神は、まさしく前の段落で述べたような、宇宙の頂点に君臨する観念的な絶対者でした。そして神と人間の関係は、非人格的で一方通行です。それに対して聖書の神は、ユダヤ民族とクリスチャンたちが苦難の中で信仰を通して出会った、血の通った生きた神の姿であり、神と人間は深く人格的に関り合っています。

 宗教的には、聖書の神の方が魅力的なのは言うまでもありません。しかし哲学者たちは、それを単なる感情表現として片づけてしまい、学問的には洗練されていない価値の低いものとして片隅に追いやってしまいました。その結果として、「哲学の神」が神学の主流になってしまい、冷たく無関心な神のイメージができ上がってしまったのです。

神明先生と著者

筆者が1995年6月にUTSを卒業した際に、当時、総長だった神明忠昭先生と撮影した写真

 しかし現代になってくると、キリスト教神学の生成過程が研究されるなかで、伝統的な神観に対する批判が出てきます。すなわち、ギリシア哲学がキリスト教の神観に影響を与えた結果、聖書の中で表現されている神が本質的に失われてしまって、キリスト教の神観を歪めてしまったということを指摘する神学者が登場するのです。その代表的な神学者の中にアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドやチャールズ・ハーツホーンがおり、彼らは「プロセス神学」という神学を打ち立てて行きます。

 プロセス神学は、神を静的で止まった形でとらえるのではなくて、常に動いている、ダイナミックな存在とする神学です。すべては「プロセス」であるという現代的な哲学に基づいて神学を打ち立てようという、現代神学の新しい流れであると言えます。

 私が統一神学校(UTS)にいたときに組織神学を教えていただいた神明忠明先生という方がいます。この方は、統一神学校の第一期生で、日本人の教会員としては初めて神学博士号を取得した人です。神明先生は、現代神学の中でもこのプロセス神学を統一原理と比較する論文を書いています。そこから分かることは、古典的な神学に比べて、神と被造世界の関係をダイナミックなものとしてとらえた点で、プロセス神学は統一原理に一歩近づいた神学として評価できるということです。

伝統的神学と統一原理ー神と人間の関係

 統一原理は、すべての存在が相対的な関係によって成り立っているという、東洋的な哲学に立脚しているため、神と人間の関係もギリシア哲学に見られるような一方的なものでなく、相互に影響を及ぼし合うダイナミックなものとなります。その根底には、神の最も本質的な属性を「心情」であると捉える独特な神観があります。

 それでは、「心情」とは一体何でしょうか。統一思想によりますと、心情とは「愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝動」であると定義されています。「愛したい」という衝動があっても、相手がいなければ愛にはなりません。したがって、心情はその本性からして「対象の存在」とそれとの「交わり」を追求することになります。さらに、愛すべき対象が失われてしまったり、望んだとおりの交わりが実現されなかったりした場合には、当然神も嘆き悲しむのだということになります。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ08:2022年6月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第8回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2022年6月号に寄稿した文章です。

第8講:統一原理の神観について②

 「キリスト教講座」の第8回目です。統一原理の神観について伝統的なキリスト教神学と比較しながら3回にわたって解説しています。今回は性相と形状という視点からの比較です。

 統一原理の神観の特徴は、二性性相の神を説いている点です。統一原理においては、神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であるとされていますが、伝統的神学においては統一原理で言うような「本形状」を認めません。つまり、神の中に形や物質のような側面があるとは考えず、純粋な心だけ、性相だけの神としてとらえる傾向があります。これは、神が無形であるという思想と結びついています。

 ユダヤ・キリスト教の伝統においては、神が無形であることが非常に強調されています。これは基本的には、ユダヤ教が世界を超越した創造主である神を信じ、その神が偶像崇拝を禁じて自分の像を刻んではならないと命じたことに原因があるのですが、キリスト教神学ではこれにさらに拍車がかけられています。それはキリスト教神学がギリシア哲学の影響を強く受けたからで、プラトンの「善のイデア」の概念や、アリストテレスによる世界の究極的原因者としての「不動の動者」の概念が、聖書の神と同一視されてそのまま導入されたためです。

 ギリシアの哲学者たちは、純粋に観念的なものだけが永遠かつ本質的なもので、物質的なものは千変万化する刹那的かつ非本質的なものであると考えていました。この物質に対する蔑視がキリスト教にも受け継がれたために、神は全く非物質的なものと考えられるようになったのです。

 もっとも、ギリシア哲学の影響を受ける以前のキリスト教にも、そのような素地はありました。それはグノーシス主義の影響です。グノーシス主義とは、霊的なものは善で肉的・物質的なものは悪であるという極端な霊肉二元論を説く初期キリスト教のセクトのことです。このセクトは、物質を創造した旧約聖書の神は、イエスの説いた神とは異なる「悪なる神」であるという教えを説いたので、正統教会から異端として断罪されました。

 しかしながら今日では、霊肉を鋭く対立させる思想を展開しているパウロの手紙やヨハネによる福音書は、グノーシス主義の影響を受けていたと指摘する学者もいます。それが歴史的な事実であるかどうかは別としても、新約聖書の中には肉体や物質に対するネガティブな描写があるのは事実です。したがって、神は物質とは無縁のものであると考えるのも無理はないのです。

プラトン・アリストテレス・アクィナス

 中世になると、キリスト教神学はアリストテレスの影響を受けるようになります。アリストテレスの哲学によれば、すべての存在は「形相」と「質料」という二つの要素から成っているとされます。この「形相」というのは、例えば粘土で人形を造ろうとすれば、まず頭の中でどんな形にするか構想を練らなければなりませんが、その具体的な作品になる前の「アイデア」のことです。一方「質料」というのは、その人形の素材となる粘土のことです。アイデアだけでは実体としての人形は存在しえず、材料の粘土だけでも作品はできません。したがってすべての存在はこの「形相」と「質料」の二つが合わさって、初めて「存在」たり得るというわけです。

 この「質料形相論」はトマス・アクィナスなどのスコラ哲学者によってキリスト教神学の存在論としてそのまま導入されたのですが、彼らは神だけはこの存在論の例外で、質料のない「純粋形相」であると主張したのです。その理由は「形相」が永遠不変であるのに対し、「質料」は可変的なものであることから、神が永遠不変の存在であるためには「質料」すなわち物質的な要素があってはならないというのです。こうして神は形とともに物質的側面も奪われてしまいました。

 しかし、原因者である神に物質的要素がないのに、なぜ結果的存在である被造物には物質的要素があるのでしょうか。神の外に物質の原因となった素材があったとすれば、二元論に陥ってしまいます。神が御自身の本質から被造世界を造った(これを「流出説」という)とすれば一元論は保たれますが、非物質的な神から物質的な世界が出現したという説明は苦しいし、これでは神と被造物の存在論的な区別がなくなってしまうから「汎神論」に陥ってしまう危険があるとして、キリスト教はこの思想に否定的な見解を示しました。

 結果として登場したのが「無からの創造説」というもので、これはまったく何もないところから神が一声かけると、突然魔法のように被造物が出現した、という便利な教説です。しかし、因果律の連鎖をたどって行けば最終的に第一原因者である神に行き着くと主張しているわりには、こと「物質」のこととなると、とたんにその因果律が分断されてしまうというのは不徹底ではないでしょうか。

伝統的神学と統一原理ー性相と形状

 その点、統一原理は首尾一貫しています。統一原理にはアリストテレスの「形相」と「質料」と全く同じではないけれどもかなり近い概念があります。それが「性相」と「形状」です。すべての被造物に「性相」と「形状」という二面性があるからには、その原因者である神ご自身の中にもより根本的な「性相(本性相)」と「形状(本形状)」がなければならないと主張しているのです。したがって、神は物質的な側面においても我々の原因者であり、因果律は分断されていないのです。

 アリストテレスの質料形相論と、統一原理の性相と形状の二性性相の違いを簡単に説明すれば、前者が二元論的に分断された概念であるのに対して、後者はあくまでも「同一存在の両側面」であり、完全に分断しきれない関係にあるという点です。実はギリシア哲学の影響を受けたキリスト教の神観から物質的な要素が排除された背景には、このように精神的なものと物質的なものを鋭く分断する「二元論的偏見」があるのです。性相と形状をあくまで相対的関係とする二性性相の思想からは、神から物質的な側面を排除しようというような不自然な発想は出てきません。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ07:2022年4月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第7回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2022年4月号に寄稿した文章です。

第7講:統一原理の神観について①

 「キリスト教講座」の第7回目です。今回から統一原理の神観について伝統的なキリスト教神学と比較しながら3回にわたって解説します。今回は陽性と陰性という視点からの比較です。

 神は男性なのか女性なのかという一見単純な問いかけは、現代キリスト教においては大きな問題となっています。多神教の文化圏においては男女両方の神々が存在し得るわけですが、一神教の場合にはどちらか一方に性別を決定しなければなりません。伝統的なキリスト教においては神は「父」であり、男性格でした。さらに、神が男性であるがゆえにキリストであるイエスは男性であったし、神とキリストの代身である教皇・司祭・牧師もまた男性でなければならないとされてきたのです。

 いまでもカトリックにおいては女性はシスター(尼僧)にはなれますが、司祭になることはできません。これは男性でなければキリストの代身となれないし、神の代身となれないという考え方です。しかし女性解放運動が誕生して以来、あらゆる領域における男性中心主義に対して批判が高まり、それはいまや神学の領域にまで浸透してきています。

 伝統的な神学における男性中心主義に対する反発として、「フェミニスト神学」と呼ばれるものが20世紀に入って登場するようになり、既成の神学の中にある男性中心主義を批判克服していこうとしました。「伝統的なキリスト教の神観は、男性中心社会の産物である。神学も文化の影響をまぬがれ得ず、神概念にはその時代や社会において価値視されているものが投影されている」と言ったわけです。

 フェミニスト神学は、主にプロテスタントや聖公会などに大きな影響を及ぼしました。具体的には、それまで男性しか牧師になれなかったような教団においても、女性が牧師として叙階される権利を勝ち取っていったわけです。しかし、これは伝統に逆らうことであるので、古い伝統のある神学ほど抵抗を示します。保守的な教団の代表であるカトリックにおいては、神学の修正は難しく、いまだに女性司祭の道は開かれていません。

 しかし一方で、男性中心主義だと言われるカトリックの信仰の中身をよく見ていくと、女性神のイメージが潜んでいることが分かります。カトリックには聖母マリヤを慕うという伝統があります。聖母マリヤは神学的には神ではありませんが、信徒たちの信仰生活においては女性神と同じような役割を果たしてきたとみることができるのです。

書物の聖母

サンドロ・ポッティチェッリ作『書物の聖母』(1481~82年

 教会のイコンや聖画によく出てくるモチーフが「聖母子像」ですが、その中ではイエス・キリストは幼子として描かれていて、それよりもさらに大きな存在として聖母マリヤが描かれています。ですから信仰生活上の実感としては、ほぼ女神に等しい立場で聖母マリヤが扱われていることが分かります。ヨーロッパの教会に行けば、大抵は礼拝堂の一番奥の中央に十字架が掲げられています。しかし祭壇は一個だけではなくて、両脇に祭壇がたくさん並んでいて、人々はそこにロウソクを捧げて、願い事を聞いてくれるように祈る慣習があります。その中で最も人気が高いのが、聖母マリヤの祭壇なのです。

 すなわち、表向きの神学では神の中に女性的な性質を認めていないのですが、神の中に女性的な要素を求めるのは人間の本性から来るものであるため、神が男としてのみ表現されていると、どうしても満足できないのです。そこで、それを補うかのような宗教的表現を生み出すのですが、カトリックにおいてはその役割を聖母マリヤが果たしているというわけです。

 特に罪深い堕落人間においては、厳しいお父さんのところよりは優しいお母さんのところに行きたいという思いが強くなり、マリヤ様の方が許してくれそうだ、慰めてくれそうだということで、母性や慈愛を求めて人々が群がっていく傾向があります。ある意味ではイエス様よりもマリヤ様の方が人気があるのです。これは女性神を求める人間の本性が、少し歪んだ形で表現されているのだと思います。

伝統的神学と統一神学

 こうした人間の宗教的経験から、「父母としての神」を求めていることが分かりますが、伝統的な神学はそれをはっきりとは表現できませんでした。しかし統一原理は、神は父母であるということを神学的にもはっきりと言っているのです。統一原理は、神ご自身が陽陰の二性性相の神であると言っています。これは完璧に男女両方の性質を有する唯一神を提示しているという点において、画期的な神学なのです。

 もし神が親であり、それが父親としての側面しかもたないなら、人類はみな片親しか持たない子供になってしまいます。ちょうど家庭において父親の厳愛と母親の慈愛のバランスによって子供が健全に育つように、神の愛にも父性的な愛と母性的な愛の両方が必要なのです。したがって、神を男性としてしか表現していない既存の神学は、片手落ちだということになります。

 さて、陽陰の二性性相とフェミニスト神学の関係についてですが、フェミニスト神学は神の女性性を発見した、あるいは強調したという点においては、現代神学の中で統一原理に一歩近づいた現象であるということができるかもしれません。しかし、統一原理が直接フェミニスト神学の影響を受けたということではありません。なぜなら、両者は発生した時代も国も異なっているからです。

 フェミニスト神学自体は1960年代の後半から、主に先進国であるアメリカで、ウーマンリブ運動の高まりの中で広まっていった神学です。それに対して統一原理は、もっと早い1950年代におよそウーマンリブとは関係のない韓国の地において生まれたのですから、両者に直接の関係があるわけではありません。

 両者の関係を整理すれば、統一原理は最終的な神の啓示なので、完全な神の姿を示しているということになります。それに対してフェミニスト神学は、既成の神学の偏りを修正することにより、最終的な神の啓示である統一原理の一部を断片的に証しする役割を果たした、現代神学の現象の一つであるということになります。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ06:2022年2月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第6回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2022年2月号に寄稿した文章です。

第6講:キリスト教と日本人④

 「キリスト教講座」の第6回目です。「キリスト教と日本人」の最終回で、第二次世界大戦の終了から現代にいたるまでの日本基督教史を扱います。

 1945年に終戦を迎えると日本の国内事情は一変し、信教の自由が広く認められるようになります。1946年には日本国憲法が公布され、その第20条で信教の自由が保障されると同時に、政教分離の原則が規定されました。そして1951年には「宗教法人法」が制定されます。この法律は、戦前の「宗教団体法」が宗教を規制しすぎたことに対する反省に立ち、宗教活動をしやすくするために宗教団体に法人格を与えることを目的とした法律とされています。

 戦後の日本は、キリスト教の拡大にとっては歴史上かつてないほどの恵まれた環境であり、それが実に76年間にわたって長く続いてきました。本来ならばキリスト教が爆発的に伸びてもおかしくないわけですが、実際にはどうだったのでしょうか。戦後GHQはキリスト教の伝道を全面的に支援し、多くの宣教師が来日しました。その結果、1950年代には信者数が大きな伸びを示したのですが、1960年代以降はふたたび停滞し始め、いまだに人口の1%を超えていないというのがキリスト教の現状です。戦後日本のキリスト教人口は、総人口の0.7%になるまでは順調に伸びたのですが、それ以降は0.8%程度で伸び悩むようになります。そして2008年以降は数の上でも、人口比の上でも減少局面に入ってしまいました。

戦後日本のキリスト教人口の推移

 現在日本のキリスト教の中で最も大きな団体は、約40万人の信徒を抱えるカトリック教会です。プロテスタント諸派を全部集めても50万人程度であり、その中で最も大きな団体である日本基督教団の信徒数は11万人程度にすぎません。日本ハリストス正教会はもともと小さかったのですが、1万人を切っています。

 これらは「正統」と呼ばれるキリスト教会の数値ですが、実は文化庁が発行している『宗教年鑑』の中で、信徒数の多いプロテスタント教会は末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)であり、12万人を超えています。一方で「エホバの証人」の信者は日本に21万人いると言われています。日本においては「正統」を自認する日本基督教団が、自分よりも大きなモルモン教やエホバの証人を「異端」と呼んでいるという状況なのです。

 それではなぜ戦後日本のキリスト教は伸びなかったのでしょうか。戦後の日本のキリスト教の問題点を第一にあげるとすれば、戦前に権力に屈したことに対する反省から、急速に反権力、反天皇主義に傾斜していったことです。この反権力や反天皇と非常に思想的に相性が良いのが左翼です。ですから、共産党や旧社会党などと結び付いて反靖国運動などを展開し、キリスト教が左傾化していくということが起こりました。

赤岩栄著作

赤岩栄牧師の著書『キリスト教と共産主義』

 左傾化する日本キリスト教界を象徴する事件が、1949年に起きた赤岩栄牧師の「共産党入党宣言」でした。彼は、理論的にも実践的にもキリスト教と共産主義とが両立しうると主張して、日本基督教団の牧師のままで共産党入党宣言を行ったのです。最終的には教団幹部の説得により入党を思いとどまりましたが、「信仰はキリスト教、実践は共産主義」を主張して、教団を分裂させることになります。

 1960年代・70年代の安保闘争は、日本基督教団の神学校である東京神学大学にも影響を及ぼすようになり、1970年には「反万博闘争」と呼ばれる学内紛争が起こります。これに対し、東神大教授会は機動隊を投入して社会派の学生を排除しました。これが「社会派」と「教会派」という日本基督教団内の紛争に発展し、特に1971年5月の東京教区総会は、乱闘、流血の事態になりました。その後、社会派のキリスト教は、反靖国運動、天皇制反対運動、部落差別反対運動、反核運動など、左翼勢力の好む社会的テーマを追求することにより、完全に共産主義に乗っ取られてしまう形になります。

 共産主義や社会主義はもともと唯物論ですから、そういうものと結びついてしまうとキリスト教が持っている本来の霊性が失われてしまいます。しかも、日本基督教団を挙げて反統一教会活動に取り組むことを1988年に決議するなど、日本のキリスト教会は完全に神の御旨に反する方向に向かってしまいました。環境が恵まれているにもかかわらず信徒が増えないということは、キリスト教自体が失敗したと考えるほかありません。基本的には、共産主義にやられてしまったということが、大きな失敗であるわけです。

 日本のキリスト教が伸びなかったもう一つの理由として、「土着化」に失敗したことがあげられます。西洋からやってきた宗教であるキリスト教が文化的な壁を越えて、日本人が受け入れられるようなキリスト教になることを「土着化」といいますが、この努力を十分にしてこなかったということです。

 キリスト教はエリート主義で、日本文化との融合を嫌い、先祖供養に代表されるような日本の土着の文化を否定してきたのです。日本人にとって先祖を敬い供養するということは宗教の中心です。しかし、キリスト教は先祖供養に対して神学的意味を何も見いだしませんでした。ですから先祖を大切にする日本人にとって、キリスト教は大変受け入れがたいものだったわけです。

 家庭連合は、東洋に土着化したキリスト教であると言えます。韓国という東洋の同じような文化圏の国で生まれたキリスト教なので、日本で成功する余地があったのです。たとえば陽陰の思想、家庭を大切にする思想、再臨復活を通して先祖が救われるという教えは、既存のキリスト教にはないとても東洋的な部分です。

 日本のキリスト教が失敗してきた内容を蕩減復帰する使命が家庭連合にはあります。したがって、キリスト教が左翼にやられてしまった失敗を蕩減復帰するために、家庭連合は共産主義と闘うキリスト教でなければなりません。次に土着化に失敗したことを蕩減復帰するために、日本文化とキリスト教を融合させるということも、家庭連合の大きなテーマになるのです。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ05:2021年12月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第5回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2021年12月号に寄稿した文章です。

第5講:キリスト教と日本人③

「キリスト教講座」の第5回目です。「キリスト教と日本人」と題する日本基督教史の解説の続きです。今回は日本の代表的なキリスト者である内村鑑三の生涯と思想について解説します。

 前回、明治維新から第二次世界大戦の終了までの日本基督教史を概観したときに、1891年に起きた「内村鑑三不敬事件」を取り上げました。これは東京の一高で教師をしていた内村鑑三が、クリスチャンとしては神以外のものを礼拝することはできないという理由で、教育勅語に施された天皇陛下の宸署に対する敬礼を拒否したという事件でした。

 それでは内村鑑三とはどんな人物だったのでしょうか。天皇陛下の宸署に対する敬礼を拒否したと聞くと、左翼的で愛国心がない人物を想像するかもしれませんが、実はそうではなくて、彼自身はとても愛国的な人でした。それと同時に篤実なキリスト教徒であったのです。内村のモットーはよく「二つのJ」という言葉で表現されます。
「私は二つのJを愛する、それはJesusとJapanである。」

 Jesusを愛するということの中に、キリスト教徒としてのアイデンティティーが表現されており、Japanを愛するということの中に、愛国心が表現されています。この二つを如何に一致させるかということこそ、内村が生涯かけて追い求めた課題だったのです。彼の聖書の背表紙に生涯書かれていて、最後にお墓に刻まれた言葉が、以下の有名な言葉です。

 I for Japan
 Japan for the World
 The World for Christ
 And all for God

 私は日本の為に生きるということは、日本のために命を棄てても惜しくないくらい日本を愛しているということです。ところがそれは、日本一国だけがよければよいという自国中心のナショナリズムではなくて、日本は世界の為に生きてこそ、その使命を果たし、神の愛を受けることができるということです。さらに、世界はキリストのため、そしてすべては神のためというように、愛国心は神に対する愛に縦的につながっていかないと言っているのです。このように、キリスト教信仰と愛国心をいかに一致させるかということを、生涯かけて求めた人が内村という人でした。

二つのJ

 内村は、文鮮明先生のみ言や『原理講論』の中で述べられている内容と似たような歴史観を持っています。彼は文明が西へ西へと進んでいくという、「文明西進説」という考えを説いています。文明は古来より西に向かって進み、バビロン、フェニキア、ギリシア、ローマ、ドイツ、イギリスと進み、アメリカの太平洋側で最高点に達し、日本に到着しました。文明のもう一方の流れはインド、チベット、中国と進んできたので、日本は東洋と西洋の中間に位置するものとして、両者の媒酌人の役割を果たす立場にいると考えたのです。

 アジアにおいて初めて近代化されキリスト教を受け入れた日本が、西洋と東洋の懸け橋となって、洋の東西を統一する重要な使命があると彼は考えました。これが内村鑑三の「日本の天職」という概念です。内村は日本に神の摂理が働いていることを信じており、日本の使命は西欧諸国と他のアジアの国々を連結することであると考えていたのです。彼は日本の使命を、東洋の代弁者となり、西洋の先ぶれとなって、東洋と西洋を和解させ、世界文明の大きな二つの流れを統合することにあると見ていたのです。

 内村の生涯の課題は、この「日本の天職」を果たすために、西洋からやってきたキリスト教を日本に受けいれ、日本の伝統文化と融合させて、真に日本的なキリスト教にすることでした。内村が日本文化の粋を極めたものと考えたのは「武士道」の精神でした。こうした内村の思想を受け継いだキリスト教の流れを「無教会主義」と言います。

内村鑑三

 ところが晩年、内村はこの「日本の天職」ということに関して段々と悲観的になって失望していきます。それは日本が侵略戦争を行ったからであり、開戦当時は日清戦争を支持していたものの、その結果には失望し、日露戦争には開戦前から反対します。彼は日本がその天職から遠ざかりつつあると言いながら、晩年は朝鮮・韓国に対して関心を向けていくようになります。内村は1908年に「幸福なる朝鮮国」という文章を書いていて、隣国の朝鮮は国を失ってもキリスト教信仰が広まっている、そして朝鮮民族はユダヤ民族にそっくりだと言っています。

 内村の興味深い点は、晩年に再臨運動をやっていることです。「再臨主がやって来る」と叫びだしたのです。彼が再臨運動をやるようになった第一のきっかけは、1912年に愛娘のルツが亡くなったことです。これは彼にとって大きな悲しみでした。それが復活の信仰へと結びつきます。再臨があるときに死者が復活するという希望を動機として、再臨信仰に目覚め始めるのです。

 そして次のきっかけとなったのが、1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が起こったことです。キリスト教国であるイギリス、フランス、ドイツが互いに戦っているのでは、もはや人間の力によっては世界平和は訪れない、何か決定的で直接的な神の介在がない限り、人類の文明はもう救いようがないという、ある種の絶望感を内村は抱きました。最終的にはキリストが再臨しない限りは、この世に完全な救いはないということで、再臨信仰に目覚め始めるわけです。

 1918年1月6日に、ホーリネス教会の中田重治、組合教会の木村清松とともに東京・神田のYMCAにおいて、再臨運動の講演会を内村は始めます。それから約一年半くらいにわたって、再臨を叫び続けました。「キリストの再来こそ新約聖書の到る所に高唱する最大真理である」「平和は彼の再来によって始めて実現するのである」というのが彼の中心メッセージでした。1918~19年といえば、文鮮明先生が生まれる直前です。内村自身は再臨主は雲に乗ってやって来ると信じていたようですが、何かを霊的に感じていたのではないでしょうか。

 内村鑑三という人物は、日本における預言者的な使命があったとしか考えられない人です。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ04:2021年10月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第4回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2021年10月号に寄稿した文章です。

第4講:キリスト教と日本人②

 「キリスト教講座」の第4回目です。前回から「キリスト教と日本人」と題して日本基督教史の解説を始め、切支丹時代を振り返りました。今回は明治維新から第二次世界大戦の終了までを扱います。

 キリスト教と日本人が出会う二回目のチャンスが、明治維新から第二次世界大戦の終戦までの期間です。1873年に明治政府は基督教禁止令を撤廃し、1889年には大日本帝国憲法(明治憲法)が発布されます。明治憲法はヨーロッパの憲法をまねて作られたものなので、宗教の自由が第28条で保証されていました。江戸時代に比べてキリスト教を広めることのできる社会的環境が整ったので、日本にプロテスタントの宣教師がやってきて、伝道を始めるようになります。

 最初の17年間は、キリスト教と日本人の「幸福な出会い」といえる時期であり、日本の信徒数は一気に約3万人に成長しました。アメリカから多くの宣教師がやってきて、英語を教えながらキリスト教を広めました。こうして形成されたのが、横浜バンド、熊本バンド、札幌バンドなどの初期のキリスト教集団です。

本のプロテスタント発祥の地としての三大バンド

 明治初期にキリスト教徒になった有名な人々は、ほとんどが没落士族の子弟たちでした。すなわち、特権階級でなくなった武士たちが新しいアイデンティティーを求めてキリスト教を受け入れていったのです。宣教師たちが持ちこんだピューリタンの禁欲的な倫理は、彼らがもともと持っていた武士道の精神と似ていたので、受け入れやすかったことも幸いしました。

 このように初期のキリスト教は順風満帆だったわけですが、やがて暗雲が立ちこめてきます。それはナショナリズムの台頭とキリスト教バッシングです。明治日本の国是は文明開化、富国強兵、殖産興業であり、西洋からあらゆる文化・文明を吸収しようとしていました。しかしそれが一段落すると、科学技術や議会制度のような外的文明は受け入れたとしても、キリスト教に代表される内的文明まで受け入れる必要はないという考え方が台頭します。これが「和魂洋才」であり、精神面における復古主義が起こったのです。

 明治政府は国をまとめるために国民のアイデンティティーを強固にしなければなりませんでした。そこで天皇陛下に対する忠誠心を国民のアイデンティティーとする「国体イデオロギー」が形成され始め、その宗教的表現としての「国家神道」が確立されていきます。これは、天皇は国民の父親であると同時に、神道の祭司であるという考え方です。

 こうなってくると、国家神道ならびに天皇陛下に対する忠誠心と、キリスト教信仰は相容れないものとなり、キリスト教に対する風当たりが強くなっていきます。こうした中で起こった不幸な事件が、1891年に起きた「内村鑑三不敬事件」です。内村鑑三についての詳しい紹介は別の回に譲り、ここでは簡単に事件の概要を解説します。

教育勅語

明治天皇の宸署が施された教育勅語

 当時、明治天皇の教育に関する基本方針としての「教育勅語」が発布され、それを清書したものに天皇陛下の宸署を施して学校の講堂に掲げ、全校生徒ならびに職員一同が深々と敬礼をするという愛国的行事が、教育の一環として行われていました。内村鑑三は東京の一高で教師をしていたのですが、クリスチャンとしては神以外のものを礼拝することはできないという理由で敬礼を拒否したという事件です。これがキリスト者の忠誠に関する国家的次元の論争にまで発展し、ナショナリズムの復活の中で、キリスト教は「スケープゴート」のような役割を担わされるようになってしまったのです。ちょうどこのころから伝道不振の時代がはじまっていくわけですが、事態は第二次世界大戦が近づくに連れて一層厳しくなっていきます。

 1931年に満州事変が勃発すると、日本は軍国主義への道を歩み始めるようになります。これは西洋諸国との対立を引きおこしたため、西洋からやってきた宗教であるキリスト教に対して、政府は疑念を持つようになります。すなわちキリスト教は敵国の宗教であり、「鬼畜米英」の宗教ということになったのです。太平洋戦争に向かって行く過程において、日本政府は宗教団体に対する締め付けを厳しくしていきます。1939年には「宗教団体法」という法律が作られますが、これは宗教がすべての面において実質的に政府の支配下に入る、宗教統制法と言えるものでした。

 こうした中でキリスト教会に対しては、外国の勢力との分断が図られていきます。カトリック教会はバチカンとの関係を絶ち、「日本天主公教教団」として再編されることになりました。1941年には、それまで独立して存在していた日本の34のプロテスタントの諸教派が、政府の圧力によって統合させられ、「日本基督教団」が誕生します。そもそも外国からさまざまな教派の宣教師がやってきて、それぞれ独立した教会を立てたわけですが、そうした信仰告白の内容が異なる教団を、一つの宗教団体としてまとめてしまったというのですから、非常に乱暴な話です。

 日本基督教団が設立されたということは、ナショナリズムによる宗教統制に対して、日本のキリスト教会が戦わずして屈服し、白旗を上げてしまったということを意味します。日本基督教団は、第二次大戦中にアジアの教会に『日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰』という手紙を送っています。それは日本の軍事的拡大を歴史の進歩であると解釈し、神の意志であるとして正当化しているのです。戦後のキリスト教はこの行為に対し、権力に順応し、その暴力と残虐行為を宗教的な言葉をもって正当化しようとしたと非難しました。

矢内原忠雄

内村鑑三の弟子の矢内原忠雄

 戦争中は、全ての宗教団体が思想的な武器として政府に利用されました。日本のキリスト教は全般的に満州事変のときに政府を支持しました。美濃ミッションという小さな教団が反発したとか、内村鑑三の弟子である矢内原忠雄が政府を批判して東大教授を辞任したとか、若干の例外はありますが、全般的に見れば日本のキリスト教は戦争を賛美し協力する側に回ったと言うことができます。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ03:2021年8月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第3回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2021年8月号に寄稿した文章です。

第3講:キリスト教と日本人①

 「キリスト教講座」の第3回目です。今回から日本基督教史をひもときながら、キリスト教と日本人がこれまでどのように出会い、関わってきたのかを考えてみたいと思います。今回は切支丹時代を扱います。

 これまでの歴史で、日本にキリスト教が広まることのできるチャンスは大きく分けて三回あったと言われています。一回目が切支丹時代で、1549年から1638年までの約百年間です。二回目が明治維新から第二次世界大戦の終戦までの期間で、三回目が終戦後ということになります。日本においてキリスト教の人口がいまだに1%以下であるという事実は、これら三回のチャンスがいずれも失敗に終わったということを意味しています。

 切支丹時代は、1549年にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸して、キリスト教の宣教を始めることによって幕を開けます。日本に対してイエズス会がとった宣教戦略は「状況適応型のアプローチ」と呼ばれるものでした。アジアにやってきた宣教師たちは、アフリカや南米の未開の民族とは異なり、既に高度な文明や宗教を持った人々と出会います。彼らを一気にキリスト教化できるような状況ではなかったため、宣教地の土着の文化や宗教を否定するのではなく、なるべく摩擦の少ない形でキリスト教を広めようとしたのです。

 ザビエルは鹿児島や山口、大分などに2年余り滞在して宣教した後に日本を離れていますが、彼がその間に蒔いた種はやがて花を咲かせることになります。1563年に来日した宣教師フロイスは織田信長に気に入られ、信長の保護のもとで活動しました。イエズス会の宣教師たちは日本民族を非常に高く評価し、日本の宣教に対しては非常に楽観視していました。1579年にははキリスト教に改宗した者たちの本拠地として長崎の街を建てることに成功し、1587年には20万人の改宗者と240の教会の存在が報告されています。

 また、大村純忠、大友宗麟、有馬晴信など、九州を中心に多くの切支丹大名が出現しました。切支丹になった人々は必ずしも庶民だけではなく、武士や大名などの指導者階級も信仰を受け入れていたのです。日本の切支丹人口の最盛期は1600年ごろで、約60万人いたと言われています。これは当時の日本の総人口の2.4%に達していたので、かなりの成功を短期間で成し遂げたことになります。

 この時代の宣教の成功の要因としては、有力な切支丹大名の保護を受けたこと、イエズス会の「適応主義」により、日本の土着の文化と摩擦を起こさずに宣教したこと、さらに戦国時代の混乱の中で、既存の仏教勢力は宗教的生命を失っており、人々は精神的な救済を求めていたことなどが挙げられます。1582年には「天正遣欧少年使節」がヨーロッパに派遣されるなど、キリスト教の未来は明るいものと思われていました。

天正遣欧少年使節

1582年に派遣された天正遣欧少年使節

 しかし、天正遣欧少年使節がローマに行って帰ってくるまでの間に、キリスト教を取り巻く日本の状況は大きく変化しました。1587年5月に大村純忠と大友宗麟という有力な切支丹大名が亡くなると、その年の7月に豊臣秀吉は突如として「バテレン追放令」を出しました。秀吉は早くからキリスト教に対する警戒心を持っていましたが、切支丹が多い九州を平定するまでは彼らを手なずけておいて、九州を平定した後には手のひらを返したように弾圧を開始しました。秀吉は宣教師たちが日本を侵略しようとしているのではないかとの疑念を持ち、キリスト教の背後にはポルトガルなどの西洋の国々があるので、これが天下統一を妨げる勢力になるのではないかと危惧したのです。

日本二十六聖人の殉教の記念碑

日本二十六聖人の殉教の記念碑(長崎県)

 秀吉が切支丹に対してなした過酷な迫害の一つが、長崎での二十六聖人の殉教です。1596年に起きた「サン・フェリペ号事件」をきっかけに、当時日本にいた切支丹の中でフランシスコ会の人々を中心に京都や大阪で捕縛し、長崎まで連れて行って、見せしめとして十字架の刑で26名を殺したという事件です。これが日本において、キリスト教に対して最初に大きな「NO!」を突きつけた事件となりました。

 徳川家康は秀吉以上に徹底的にキリスト教を迫害した人物であり、多くの殉教者を出しました。しかし彼は殉教者が称えられ、それが切支丹の信仰に栄誉を与えるものであることを知ると、拷問によって信仰を棄てさせる「棄教策」に重きを置くようになります。具体的には、水責め、俵責め、焼き印、穴づりなどの拷問により、すぐに殺さないで、信仰を棄てるまでじわじわと痛めつけるという手法を取りました。切支丹であるかどうかを見極めるために「踏み絵」という道具を使ったことも有名です。最終的には、宗門改、寺請制度、五人組の連座制によって江戸幕府の切支丹禁制は完成します。これによって一時期は60万人いたキリスト教徒は、表面上は絶滅してしまいました。

 日本のキリスト教史に残る人々の中に、「潜伏切支丹」と呼ばれる群れがいます。殉教者が断固棄教を拒否し、自分の生命を捧げるという形で信仰を表現した人々であったとすれば、別のやり方で信仰を表現した人々もいたのです。すなわち、踏み絵を踏めと言われたときに、その場では踏み絵を踏んで、生き延びて、子供に信仰を伝えていくという道を選んだ人たちが「潜伏切支丹」です。

 そして驚くべきことに、隠れてキリスト教の信仰を伝えながら、7代・250年にわたって信仰を維持していったグループが存在するのです。カトリックの信仰は、司祭がいて典礼を行ってくれないと保てないタイプの信仰であるにもかかわらず、バテレン追放令で司祭がいなくなってしまったので、信徒だけでキリスト教の儀式を守りながら、信仰を維持してきたというのは、キリスト教の歴史上、他に類例のないことです。

「信徒の再発見」が起きた大浦天主堂

「信徒の再発見」が起きた大浦天主堂(長崎県)

 やがて、1853年7月にペリーが浦賀沖に来航して日本が開国すると、それまで潜伏切支丹として密かに信仰を守っていた人々が、来日した宣教師によって発見されました。この話は「信徒の再発見」と呼ばれ、キリスト教宣教史上における一つの奇跡として世界中に伝えられました。

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