神道と再臨摂理シリーズ05


 「神道と再臨摂理」シリーズの第5回目です。先回から「記紀」に記された神道の神話を紹介しはじめました。先回は、①日本列島の誕生(伊邪那岐と伊邪那美)と②黄泉の国の訪問(伊邪那美の死と夫婦の別れ)を扱ったので、今回はその続きとして③三貴子の誕生と、⑤天の岩屋戸ごもりを紹介します。

三貴子

③三貴子の誕生
 黄泉国から戻った伊邪那岐命は、黄泉国の汚れを落とすために、川で体を洗い、海で禊をしました。すると、左の目を洗ったときに、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が生まれ、右の目からは月読命(つくよみのみこと)、そして鼻を洗ったときに須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれました。

 伊邪那岐命は天照大御神に「国を栄えさせ、人々を幸せにするように。」と伝え、着けていた首飾りを渡し、安心してすべてを任せることにしました。そして伊邪那岐命は最初に作った立派な島、淡路島の多賀の地でお休みになることにしたのです。

誓約

④誓約(うけひ)
 伊邪那岐(いざなぎ)が須佐之男(すさのお)に海原の支配を命じたところ、須佐之男命は伊邪那美(いざなみ)がいる根の国(黄泉の国)へ行きたいと泣き叫び、天地に甚大な被害を与えました。伊邪那岐は怒って「それならばこの国に住んではいけない」と彼を追放します。須佐之男は、姉の天照に会ってから根の国へ行こうと思い、天照が治める高天原へ昇っていきます。すると山川が響動し国土が皆震動したので、天照は須佐之男が高天原を奪いに来たと思い、武具を携えて彼を迎えます。

 須佐之男は天照の疑いを解くために、「誓約(うけい)」という占いをしようといいました。そこで二神は天の安河を挟んで誓約を行います。まず、天照が須佐之男の持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から三柱の女神(宗像三女神)が生まれました。次に、須佐之男が、天照の「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から五柱の男神が生まれました。これにより須佐之男は「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」と勝利を宣言したというのが古事記の記述です。女神を生んだことによって須佐之男の潔白が証明され、占いに勝ったという点が特徴的です。

天岩戸

⑤天岩戸ごもり
 「天岩戸(あまのいわと)」に関する本物の神話には、かなりグロテスクな描写もあるのですが、そこは省いて童話風にお伝えします。

 高天原にはたくさんの神様たちが暮らしていましたが、その一人が天照(あまてらす)という太陽の神様です。天照には須佐之男(すさのお)という弟がいました。この須佐之男はたいそう暴れん坊の神様で、いつもほかの神様たちを困らせていました。「また須佐之男がわしの家を壊したぞ。」「天照様、どうか須佐之男を追い出してください。」

 しかし天照はいつも須佐之男のことをかばってあげるのでした。「須佐之男にはきっと何か考えがあるのです。許してあげましょう。」天照が優しいので、須佐之男はますます調子に乗りました。そうしてある日のこと、天照たちが機織りをしている小屋までも、須佐之男がメチャクチャに壊してしまい、そのショックで機織りの娘が死んでしまいました。

 これには天照も我慢が出来なくなり、天岩戸という洞窟に入ると、入り口を大きな岩で塞いでしまいました。そして、岩戸の中に閉じこもったきり、外へ出て来なくなってしまったのです。「天照様、出てきてください。」他の神様がどれだけ呼んでも、天照は知らんぷりをして、返事をしてくれません。

 さて、太陽の神様である天照が隠れてしまったせいで、外はすっかり真っ暗になってしまいました。「こんなに暗くては何にもできはしない。」「ずっと暗いままでは、どんな悪い者がやってくるか分からない。」神様たちがすっかり困っていると、知恵の神様が言いました。「そうだ、わしにいい考えがある。」

 しばらくすると、岩戸の外から賑やかな音楽が聞こえてきました。神様たちの楽しそうな笑い声もします。「あら? 外は暗いはずなのに、いったいどうしたのかしら?」気になった天照は、ほんの少し戸を開けてみました。すると、たくさんの神様が集まって賑やかに歌ったり踊ったりしています。「まあ、あんなに楽しそうに何をしているのかしら?」

 すると、ある神様が答えました。「あなた様より偉い神様が現われたので、みんなそれを喜んでいるのです。」「まあ、私より偉い神様ですって?」びっくりした天照は、思わず岩戸から顔を出します。そのとき、外にいる神様が天照にさっと鏡を出しました。「まあ、この方がその偉い神様なのね。」鏡に映った自分を偉い神様だと思った天照は、その顔をもっとよく見ようと、もう少し扉を開けました。

 扉を開けた天照を、隠れていた力持ちの神様が引きずり出しました。天照が外に出ると、みんなは大喜び。「ああよかった。天照様、もう閉じこもったりしないでください。」こうして、外は元通り明るく輝きだしました。須佐之男は罰として高天原を追い出されてしまったということです。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』168


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第168回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。今回は中西氏の解説する「2 任地生活の役割」について扱うことにする。

 中西氏は、「任地生活は六五〇〇双(一九八八年)の祝福のときから始まった。本格的に韓日祝福が開始され、多くの日本人女性が韓国で暮らし始めるにあたって設定されたものと捉えられる。」(p.466)と記述している。これは既に紹介した『本郷人の行く道』の解説に基づいており、事実の通りである。

 続いて中西氏は、「韓国には『シジプサリ(嫁暮らし)』という言葉がある。夫や舅姑に無条件に仕えて暮らす嫁のあり方をいうが、シジプサリは婚家に入った女性にとって大変辛いものであると捉えられている。韓国の女性にとって辛いものなら韓日祝福の日本人女性にとってはなおさらであろう。恋愛感情もない男性の妻となって、言葉も生活習慣も違う韓国で結婚生活を始めるわけである。辛さは相当なものだと思われる。任地生活はシジプサリに備えての準備期間といえる。」(p.466-7)と述べている。

 私の知り合いの中にも、韓国に嫁いで舅姑と同居している日本人女性がおり、彼女たちが「シオモニ(姑のこと)に侍るのがすごく大変だ」という話を聞いたことはあるので、シジプサリが大変だというのは事実なのであろう。しかしここで問題となるのは、中西氏が韓国人の女性にとって辛いものなら日本人女性にとってはなおさら辛いものであるというように、これを不合理で理不尽なものであるかのように描いている点である。さらにたたみかけるように、「恋愛感情もない男性の妻となって、言葉も生活習慣も違う韓国で結婚生活を始める」というような言葉を添えて、悲壮感を増大させている。もしこれが自分の意思と関係なく降って湧いた災難であればその通りであろうが、韓日祝福を受けた日本人女性は、自分の意思で国際結婚を選択したのであり、そうしたことは覚悟の上で渡韓していることを忘れてはならない。国際結婚が言語や文化風習の違いにより、同国人同士の結婚よりも困難が多いことは初めからある程度予想できる。にもかかわらずそれを選択したということは、そこに宗教的な意義を感じたからであり、敢えてそのような苦労の道を歩もうと決意したということである。

 人間には、より楽な道やより安易な道を選択しようとする人がいる一方で、より厳しい道やより難しい道を選択し、その中で自分を成長させたり、大きなことを成し遂げようとする人もいる。武道の稽古やスポーツのトレーニングは、目標が大きいほど厳しくなるものである。それでもそこにあえて挑戦していく人々は、目先の安楽な生活よりも苦難を乗り越えた後に得られるであろうより大きな喜びの方に心を奪われているからこそ、日々の辛い訓練に耐えることができるのである。宗教的な修行に励む人々も、肉体的な苦痛の向こうにある霊的な喜びに心を奪われていると言える。武道、スポーツ、宗教に限らず、ストイックに何かを追求しようとする人々の態度は、同じような傾向を示していると言えるだろう。韓日祝福を受けた日本人女性はこうした精神性の持ち主であり、その動機は基本的に宗教的な修行に励む人々に近いと言えるだろう。

 とはいえ、シジプサリの苦労がどのようなものであり、どのようなことに気をつけて乗り越えていけばよいのかを、先輩たちの経験に基づいてあらかじめ教育されてからそこに入っていくのと、まったく予備知識なしに入っていくのでは、困難の度合いは大きく異なるであろう。「渡韓修練会」や「任地生活」は、まさにそうした親心からくる事前教育と準備期間なのである。前述の『本郷人の行く道』の中から、シジプサリの心構えについて述べた部分を抜粋してみよう。
「さまざまな誤解を避けるための私たちの姿勢としては、最初はシオモニに対して、『韓国と日本の文化は違う。私は韓国のやり方は何も知らないので、一つ一つ教えてください』とお願いしなければならず、一つ一つ謙遜に尋ねなければなりません。」
「伝統的には、家庭に入った新婦は、最初の三カ月ぐらいは新米見習いのように、毎日韓服を着て朝早くから家事をするという光景が見られます。」
「韓国では家の中で、女性は女性同士、シオモニを中心とする序列に従って協力体制をこなさなければなりません。」
「それはやはり儒教的序列から、一度は完全に従わなければならない世界があります。」
「嫁の立場では、たとえその指導に無理があっても、素直にその通りにやりさえすれば、すぐに『うちの嫁はチャッカダ(善人だ)』として非常に褒められるのが韓国です。」
「日本人女性の中にはシオモニが日本では考えられないくらい干渉が強い、として悲鳴を上げる人がいます。ノックもしないで部屋に入ってくるし、勝手にタンスの中を見るし、『プライバシーがない!』と、最初は嫌がる人もいますが、韓国では家族はそのようなものです。」
「そのようなシオモニの干渉は『シジプサリ』の伝統的つきものだとして柔軟に構えなければなりません。」
「そのように韓国の『シジプサリ』というのは、決して生易しいものではありません。韓国では嫁といったら『亜三年、聾三年、盲三年』と教えられ、特に長男の嫁は『見ざる言わざる聞かざる』の”僕”の生活でシオモニに仕えて、家の全てを任される『位置』を確立しなければならないといわれるのです。」(以上、『本郷人の行く道』p.230-232から抜粋)
「韓日家庭になったこと、韓国で暮らすことは、まず何よりもその韓国人の”多情さ”パワーに対抗しなければならないことを意味しています。特に女性は今後『韓国の母』となり、韓国の息子、娘を生んでいく『オンマー』とならなければなりません。韓国に嫁として嫁いだ限り、多くの韓国人の深い情の世界を知らねばならず、そのような韓国での人間関係に入っていこうとすることは、少なくとも自分の性格を変えるほどの覚悟が必要となるでしょう。」(『本郷人の行く道』p.324)

 これだけを読めば、自由を満喫して生きてきた現代女性には耐えがたいものであるという印象を受けるであろう。しかしここで忘れてならないのは、韓日祝福を受けた日本人女性は一般的な現代女性ではなく、信仰の訓練を受けてきた統一教会の信者であるということだ。一般人には辛く耐えがたいと感じられることも、信仰があれば乗り越えられるという構造になっているのである。言ってみれば、韓国での「シジプサリ」はこれまで日本で受けてきた信仰の訓練の応用実践なのである。両者には相通じるものがあるがゆえに、乗り越え方のコツさえ教えてあげれば、日本で受けた信仰の訓練が生かされるということだ。

 中西氏は、調査地であるA郡での任地生活を観察して、以下のような分析をしている。
「任地生活は夫の地元の教会に住み込んで行う。」「任地生活のプログラムは特に決められていない。牧師夫妻の食事を準備したり、来客があればお茶を出したり、掃除をしたりして自ら進んで教会の用事をこなす。任地生活は住み込みのお手伝いさんのようなものと捉えるとわかりやすいのではないかと思う。」(p.467)
「教会には先輩の日本人女性もしばしば顔を見せ、いろいろ教えたり、相談にのったりする。任地生活中の女性は一人でゆっくりする時間もなさそうだが、日本でホーム生活を経験しているためかあまり苦にならない様子だった。ホーム生活を経験していないものであっても訓練として受け止める。」(p.467)
「任地生活は見たところ、日本でのホーム生活のようなものである。ホーム生活は信者の共同生活であり、ここから統一教会信者としての歩みが本格的に始まるが、任地生活も教会に住み込むという点で共同生活であり、ここから在韓信者としての歩みが始まる。」「ホーム生活も任地生活も世俗生活から統一教会の生活へ、日本の生活から韓国への生活への移行を助けるものとしてある。」(p.468)

 中西氏の任地生活に対する分析は、事実をありのままにとらえている。その意義は日本から嫁いできた女性たちが、言語と文化の壁を乗り越えて韓国社会にソフトランディングするための「移行期間」ということになるであろう。

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神道と再臨摂理シリーズ04


 「神道と再臨摂理」シリーズの第4回目です。今回から「記紀」に記された神道の神話について解説します。神話が扱っている主な出来事は以下の通りです。
①日本列島の誕生(伊邪那岐と伊邪那美)
②黄泉の国の訪問(伊邪那美の死と夫婦の別れ)
③三貴子の誕生(天照大御神、月読命、須佐之男命)
④誓約(うけひ)と罪の起源(天照と須佐之男)
⑤天岩戸ごもり
⑥八俣大蛇退治(須佐之男命)
⑦天孫降臨(邇邇芸命)
⑧海の国訪問(神武天皇の誕生)
⑨神武東征

 このすべてを紹介することはできないので、①②③④⑤を紹介することにします。読みやすくするために、神話の正確な表記やその意味の解釈などにはこだわらず、「どんな物語なのか」を分かりやすい言葉で表現してみたいと思います。

伊邪那岐と伊邪那美

①日本列島の誕生(伊邪那岐と伊邪那美)
 はるか昔のことです。高い高い空の上から、神様たちは下界を見下ろしていました。下界は生まれたばかりで、海の上を何かがどろどろ、ふわふわしていて、まったく固まっていませんでした。「このままではいけない・・・。」神様たちは下界をどうにかしようと、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)に天沼矛(あめのぬぼこ)という矛を授けて、下界をしっかり固め、国造りをするよう遣わしました。

 伊邪那岐命と伊邪那美命は、雲の上の天上から海へとつながっている天浮橋(あめのうきはし)の上から、矛の先でどろどろになっている下界をかき混ぜました。矛の先でかき混ぜるたびに、コオロ、コオロ、コオロと大きな音が響いてきました。そして矛をそっと引き上げると、ポタッ、ポタッと矛の先から落ちたしずくが固まって、一つの島が出来上がりました。この島はオノコロ島と呼ばれています。そして伊邪那岐命と伊邪那美命は、初めてできたその島へと降りて行ったのです。

 伊邪那岐命と伊邪那美命は、オノコロ島に降りて、大きな神聖な柱を立て、その柱を中心に大きな御殿を建てて結婚をしました。最初にお産みになった蛭子は、不完全な体であったため、仕方なく舟に乗せて流してしまいました。どうして失敗したのか、伊邪那岐命と伊邪那美命は神様に相談し、そして初めて完全な形で生まれたのが、立派な淡路島でした。淡路島に続いて、四国や九州、本州と、つぎつぎと島が生まれました。

 島ができると、伊邪那岐命と伊邪那美命は人々の暮らしに役立つ神様たちを産み出しました。石や土、家、海、川、風、山の神様などを産みましたが、火の神様「迦具土(かぐつち)」が生まれるときに、伊邪那美命はその火によって大やけどを負ってしまいます。大やけどを負った伊邪那美命は、その後も、尿、糞、吐しゃ物から、鉱山、水、食べ物の神様などを産みました。

②黄泉の国の訪問(伊邪那美の死と夫婦の別れ)
 火の神様「迦具土(かぐつち)」の出産によって大火傷をしながらも、たくさんの神様を産み続けた伊邪那美命の体は、どんどん弱っていきます。伊邪那岐命は一生懸命に伊邪那美命を看病しましたが、遂に伊邪那美命は亡くなってしまったのです。「愛するお前の命を、一人の子の命と引き換えにしてしまった。」嘆き悲しんだ伊邪那岐命は、伊邪那美命の体に寄り添い、涙を流して泣きました。伊邪那岐命は悲しみのあまり、伊邪那美命を焼死させてしまった迦具土を切り殺してしまいました。

 愛する妻である伊邪那美命を失ってしまった伊邪那岐命は、悲しみに暮れます。しかし、我慢できなくなった伊邪那岐命は、地の底にある死者の国である黄泉国(よみのくに)へと伊邪那美命を迎えに行こうと考えました。地の深い深い底にある黄泉国へとたどり着いた伊邪那岐命は、扉の奥にいる伊邪那美命に向かって、一緒に地上に帰ってきてくれるように優しく呼びかけました。「愛する妻よ、私とお前の国造りはまだ終わっていない。どうか、一緒に地上に帰っておくれ。」

 しかし、中から聞こえてきたのは伊邪那岐命の悲しそうな声でした。「どうしてもっと早く来てくれなかったのですか。私は既に黄泉国の食べ物を食べてしまい、地上へは戻れないのです。でも、愛するあなたのために、地上に帰っても良いかどうか、黄泉国の神様に尋ねてみます。それまで待っていてください。」

 伊邪那美命の言葉を聞いて、伊邪那岐命はじっと待ち続けました。しかし、いくら待っても伊邪那美命からの返事はありません。待ちくたびれてしまった伊邪那岐命は、櫛を折って火をともし、黄泉国へと伊邪那美命を探しに行くのです。扉の奥は真っ暗な闇が続いていました。そこで伊邪那岐命の目に飛び込んできたのは、恐ろしい鬼たちが取り付いた伊邪那美命でした。

 「待っていてと言ったのに。あなたは私に恥をかかせましたね。」醜く変貌してしまった自分の姿をみられた伊邪那美命は、神の毛を逆立てて激しく怒りました。「伊邪那岐様を捕まえなさい!」すると、鬼たちは一斉に伊邪那岐命を捕えようと追いかけてきました。伊邪那岐命は地上に向かって必死になって逃げて行きました。凄まじい勢いで迫ってくる鬼たちに、伊邪那岐命は櫛や髪飾りを投げつけしました。すると、櫛や髪飾りは筍や野葡萄に変化し、鬼たちはその実を食べ始めたのです。そして、黄泉の国の入口までたどり着いた伊邪那岐命は、そこにあった桃の木から桃を三つ取り、投げつけてやると、鬼たちはみな逃げて行きました。そのすきに伊邪那岐命はなんとか逃げ切ることができたのです。

 恐れた伊邪那岐命は、大きな岩で地上と黄泉国の出入り口を塞いでしまいます。岩の向こう側から、伊邪那美命の声が聞こえてきました。「これからは、あなたの国の人間を毎日千人ずつ殺します。」すると伊邪那岐命は、「それならば、地上では毎日千五百人ずつ子供が生まれるようにする。」と答えました。

 伊邪那岐命は、「最後は喧嘩別れになってしまったけれど、振り返ってみると、国を造り、様々な神様を産むことができたのも、あなたがいたからです。」と静かに言いました。すると伊邪那美命は、「私もあなたと一緒に国を造り、神様を産むことができて、本当に幸せでした。」と答えたのです。そして「ありがとう」と言葉を交わし、伊邪那岐命と伊邪那美命はお別れをしました。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』167


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第167回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。今回は中西氏の解説する「祝福家庭の形成」のプロセスの中で、④聖別期間、⑤任地生活、⑥家庭出発について扱うことにする。

 聖別期間について中西氏は、「アダムとエバがエデンの園で堕落した立場を蕩減復帰するためにあるという。先述のように基本は四〇日だが延長した形で三年の期間が設けられている。・・・聖別期間には、夫婦は手紙、電話、ファクスなどでやりとりする。最近ではメールもある。」(p.464)とごく簡単に説明している。中西氏の記述の特徴は、聖別期間の長さや夫婦のやり取りが何語でなされるかというような外的な事柄に終始していて、聖別期間の宗教的な意義についてはほとんど掘り下げた説明がないことだ。このあたりがアメリカの宗教社会学者ジェームズ・グレイス博士との大きな違いであるが、彼女の記述が極めて表層的であることは既に第164回で指摘したので、ここでは繰り返さない。

 任地生活について中西氏は、「渡韓すると夫の暮らす地元の教会に住み込んで任地生活を送る。任地生活は韓国での生活を始めるにあたっての準備、学習期間であり、韓国語や韓国料理の習得、風俗習慣を学ぶ。「隊員(テウォン)生活」ともいう。先に祝福後、聖別期間を経て渡韓し、家庭出発すると述べたが、渡韓してからもすぐには夫と同居はしない。任地生活の期間は原則として三年とされるが、この間に『所定の伝道実績を立てれば早期修了』することもあるし、祝福時の年齢によっても短縮されることがある」(p.465)と述べている。この記述は、このブログの過去の回で紹介したことのある国際家庭特別巡回師室編『本郷人の道』に基づいているのだが、原文と読み比べてみると、中西氏は趣旨を読み間違えていることが分かる。

 中西氏の記述は、訪韓した女性に対して任地生活の期間が原則として三年間義務付けられており、その間に所定の伝道実績を立てれば早期修了されることもあり、年齢によって短縮されることもあるかのように説明しているが、これは間違いである。そのもとになった部分を引用してみよう。
「韓国では、祝福後、家庭出発前に三年間の『任地期間』を通過し、『任地修了証』を協会伝道局から受け取ります。これは七七七家庭の祝福後の三年間総動員開拓伝道の伝統に従うもので、伝統的にその動員メンバーを『隊員』と呼びます。もちろん、その間に所定の伝道実績を立てれば早期修了がなされます。

 また年齢によっても『任地参加証』を受け取って早期家庭出発をしますが、本来、天の願いは三年であるということを知って、三年間は同じ意識で歩むべきでしょう。そして、渡韓時に家庭出発の基準にある人も、韓日家庭の日本人の場合、家庭局からは教会での『四カ月』などの教育期間が提示されてきました」(『本郷人の道』p.192)

 この記述から分かるのは、「隊員」として三年間の「任地期間」を通過することが求められているのは基本的に祝福を受けた韓国人女性であり、伝道実績や年齢などの理由によってその期間が短縮されるという話も、韓国人女性に対して行われている措置であるということだ。日本人女性が渡韓してから教会に住み込んで行う「任地生活」は、こうした韓国教会の伝統を引き継いでいるが、全く同じ条件が適用されるわけではない。

 そもそも、韓国人の祝福家庭夫人が通過する「任地生活」は、祝福を受けてから家庭を出発するまでの三年間の教会での公的生活を意味する。しかし、渡韓した日本人女性の場合には、韓国での「任地生活」に入る前に、既に日本で三年以上の公的生活を通過している場合もあるし、家庭出発の条件を満たす年齢になってから渡韓する女性も多いのである。こうした女性たちが渡韓した後にさらに三年間の「任地生活」をしなければならないのであれば、日本と韓国で二重の聖別期間と「任地生活」を通過しなければならないことになり、不合理である。「渡韓時に家庭出発の基準にある人」というのは、既に日本で十分な年数の公的生活を送っている人や、家庭出発をすべき年齢に達している人を意味するが、その場合にはさらに三年間の公的生活は必要なく、教育期間として四カ月の「任地生活」を通過すればよいことになっているのである。しかし中西氏の記述は、渡韓した日本人に原則として三年間の「任地生活」が要求されており、それが伝道実績や年齢次第で短縮されるかのようなな誤解を与えるものになってしまっている。

 中西氏が聞き取り調査をした相手の中には、韓国で三年間の「任地生活」をした女性もいたようだが、これはよほど若くして祝福を受け、日本でほとんど聖別期間を過ごさずにすぐに渡韓したようなケースにのみ当てはまると思われる。中西氏が460ページで示した「図9-10 祝福から家庭出発までの年数(聖別期間)」によれば、祝福を受けてから家庭出発するまでの期間は三年以内(0年~3年)の合計が63%であり、4年が13%、5年が5%で、それ以上はデータにはない。日本で3年の聖別期間を経て渡韓し、さらに韓国で3年の「任地生活」をすれば6年になってしまう。しかし、それほど長い聖別期間を過ごす女性はデータ上いないのである。

 渡韓時に家庭出発の基準を満たしている日本人女性に対して4カ月の「教育期間」が設定されているのは、実はより現実的な理由によるものである。このことについて、国際家庭特別巡回師室編『本郷人の道』は以下のように述べている。
「まず現実的な問題としても、韓国という外国で、主体者の家庭に一人で入ってすぐに生活するということはあまりにも難しいことです。過去にはこの教育期間を通過せずに家庭出発して、現実的にあまりにも大変でノイローゼになったり、事故に遭ってしまったり、ひどい場合には耐え切れずに日本に帰ってしまったというケースもありました。

 それは、それほど、異文化の中における突然の生活は難しいということであり、耳に続けて聞く言葉は韓国語ばかり、何を言っているか分からないと神経ばかりが疲れ、ストレスを吐き出したくてもその言葉ができない、そして食べ物は口に合わないものばかりで、特に女性の場合には“韓国の嫁”としての立場でざまざまな要求を受けるにもかかわらず料理や家事の勝手もことどとく違います。そして、何よりも夫や家族との信頼関係において、文化風習、考え方の違いから、些細なことで互いに誤解を繰り返してしまい、やがては韓国人皆が理解できなくなってしまうということにもなるのです。

 それらは教会での任地生活で、同じ立場の日本人と共に歩むと共に少しずつ接しながら、余裕を持って一つずつ解いていけば問題のないことであり、そのような現実問題としても、最低三、四カ月間の教育期間というものが必要となってくるのです。」(『本郷人の道』p.192-3)

 要するにこの「教育期間」は、家庭を出発する前に日本人女性が韓国での生活に慣れるためという「親心」によって提示されているのである。

 家庭出発に関して中西氏は、「夫と同居し、結婚生活を始める。夫と二人の核家族の場合もあれば、夫の親やきょうだいと同居の場合もある。家庭出発を始めた当初、姑と独身の義兄と同居だったという女性は、『最初は言葉がわからないし、泣いて暮らした。辞書を片手に単語で理解してもらった』と語っている。恋愛感情があっての結婚ではないために、夫を『受けつけきれない。一緒に住んでいて楽しくない』『何が楽しくてA郡にいるのかと何日も思った』という女性もいる。」(p.465)と書いている。こうした「初期の苦労話」は、たいがいはそれを乗り越えた後の思い出として語られるのだが、中西氏のようにその部分だけを抽出して羅列すると、彼女たちの結婚生活全般が悲惨なものであるかのような誤解を与えてしまうであろう。

 中西氏はここまでのまとめとして、「入信から献身が教団の管理のもとに行われたのと同じく、祝福から家庭出発も教団の管理のもとに進められる。統一教会の特異性の一つは、青年信者に対しては教化から献身後の活動、家族形成に至るまで全てを教団が管理する点にあるといえる。」(p.466)と述べている。しかし、個人の生き方や結婚のあり方を宗教が規定するというのはむかしから普遍的に存在している現象であり、なにも統一教会に特異な現象ではない。前述のグレイス博士は、「長年にわたって宗教と社会と性の関係について調査した結果、私は宗教が持つ非常に重要な社会機能のひとつが、結婚生活が人間の共同体のさまざまなニーズに役立つように、結婚生活における性的表現を形成する役割であるという確信を持つようになった。・・・私は以下のことを主張する。そしてこれらは本研究の基本的な前提となっている。(1)そのメンバーの性や結婚に関する生活をコントロールすることのできる社会やグループは、彼らの生活全般をも相当にコントロールすることができる。(2)歴史的にみて宗教的信仰の形成は、共同体がそのメンバーの性と結婚に関する活動を規制するための最も効果的な手段であることが証明されている。」(『統一運動における性と結婚』第1章より)

 中西が統一教会を特異であると感じるのは、伝統的に宗教が結婚や家庭生活に対して果たしてきた機能を知らず、もっぱら世俗化された現代の結婚のあり方をのみ規範として統一教会を見ているためではないだろうか?

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神道と再臨摂理シリーズ03


 「神道と再臨摂理」シリーズ3回目です。今回は、神道の根本である「祭」と、神道の経典である「神典」について説明します。

<祭とは何か?>

 神道や神社の根本は「祭」であると言えます。「祭」の語源は「奉る(捧げる)」という言葉と関係が深いと言われます。神に食事や酒など(神饌)を捧げ、それを下ろしてきて共食共飲することにより、神と人、人と人を結ぶ行為が「祭」です。

 「まつり」という言葉の起源としては、「まつろう」=神の霊威に服従し、奉仕するという意味と、「待つ」=神の訪れを持ち、神託を乞うという意味など、諸説あります。祭は、日常的な人間の意識を無の状態にし、そこに神霊の力を取り込んで、心身ともに別の新しい人間に生まれ変わる行為であるといえます。こうした神祭を行うための場所が神社なのです。

 祭祀の分類に関してですが、以下の4つに分けることが可能です。

①宮中祭祀:天皇に関する祭で、即位に伴う大嘗祭から新嘗祭、神嘗祭など。以下に述べる神宮祭祀とも関係が深い祭祀です。

第125代天皇(上皇明仁)の大嘗祭(1990年11月22日)

第125代天皇(上皇明仁)の大嘗祭(1990年11月22日)

②神宮祭祀:皇室の祖神・天照大御神を祀る伊勢神宮に関する祭祀。

伊勢神宮の式年遷宮

伊勢神宮の式年遷宮

③神社祭祀:全国の神社で行われる。神社本庁が定めた規定によって大祭、中祭、小祭に区分される。

香取神宮の御田植祭

香取神宮の御田植祭

④家庭祭祀:各家庭で行われるさまざまな祭のこと。主として神棚や祖霊舎を中心に行われる。

一般家庭における神棚

一般家庭における神棚

<神道の経典について>

 神道には、仏教の諸経典やキリスト教の聖書、イスラム教のコーランのような聖典はありません。日本の神々の出来事や神事などを記録した書物が多く存在し、それらを「神典」と称します。神典の中でも「記紀二典」としてとりわけ重視されているのが『古事記』と『日本書紀』です。それ以外の神典には、『古語拾遺(こごしゅうい)』『宣命(せんみょう)』『中臣寿詞(なかとみのよごと)』『令義解(りょうのぎげ)』『律(りつ)』『延喜式(えんぎしき)』『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』『風土記(ふどき)』『万葉集(まんようしゅう)』などがあります。

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 それではここで、『古事記』と『日本書紀』を簡単に比較してみましょう。完成したのは古事記が和銅5年(712年)で日本書紀が養老4年(720年)なので、わずか8年の違いであり、どちらも平城京遷都後の奈良時代初期に成立したことになります。「同じような時代に、同じような内容の歴史書が二つ作られたのはどうしてか?」と誰もが疑問に思うことでしょう。それは端的に言うと、目的が違ったのだということになります。

 古事記が扱っている範囲は日本初発から推古天皇までで、日本書紀が扱っている範囲は天地開闢から持統天皇までです。表現方法としては、古事記が漢字の音読みと訓読みを交えた和文で書かれているのに対し、日本書紀は漢文で書かれています。古事記が全三巻であるのに対し、日本書紀は全三十巻に加えて系図が一巻あり、分量としては日本書紀の方がかなり多いです。また古事記がドラマチックな物語風に書かれているのに対して、日本書紀は淡々とした語り口で書かれています。

 古事記は、天皇の正統性を語り、天皇家の歴史を残す目的があったといわれています。そのために、天皇家が各地の豪族との戦いに勝ち抜いて王権を確立したプロセスを、神話として表現したものであると言えます。古事記の目的は「国内向け」でした。出雲神話が大きな位置を占めていることも古事記の特徴です。

 一方、日本書紀は、文字として国家の歴史を残すことで、大和朝廷の権威付けを行い、日本という国の正統性を、当時の外国であった唐や朝鮮半島に向けて訴える目的があったといわれています。日本書紀は朝廷の公式歴史書とされています。そのため、中国や朝鮮の書物、政府や寺院の縁起など幅広く記録を収集した、国外向けの通史となっています。古事記との違いとしては、出雲神話が見えないことも特徴です。

 蛇足ながら、旧約聖書の中にも「列王記」と「歴代誌」という二つの歴史書があり、それらの扱う時代や人物は重複しているにもかかわらず、強調点や描き方が違うだけでなく、互いに矛盾する記述も存在しています。歴史が書く者の視点によって変化するというのは、聖書でも神典でも同じようです。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』166


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第166回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。中西氏は調査対象となった在韓日本人信者の基本的属性をデータを示した後で、現役信者への聞き取りやその他の資料に基づき、「祝福家庭の形成」のプロセスについて記述している。今回はその中のマッチングに関する記述について分析する。中西氏はマッチングに対する統一教会の教育のあり方と、それに対する信者たちの率直な感想について以下のように述べている。
「歴史的に不幸な関係にあった国や民族同士のカップルほど理想的とされることから、実際に決まる相手は、日本人女性信者への聞き取りによれば『一番嫌なタイプ、愛せないタイプ』になると言われたという。嫌いなタイプとマッチングされることを前提とすることで、予め信者にどんな相手になろうとも受け入れるように覚悟をさせる。同時に韓国人男性は清い血統であり、日本人とは『霊的に雲泥の差』と教える。韓国人男性を特別視させることで相手を客観的に見る目を鈍らせ、日本の女性信者はどんな男性が夫に選ばれようとも感謝して受け入れることになる。

 相手が決まると写真、経歴書などの書類が所属教会に届く。伝授式で手渡され、信者は結婚相手を初めて知る。ある程度覚悟していてもやはり葛藤はあったようである。聞き取りでは次のような語りがあった。『写真を見たとき、あ、タイプじゃないなと思った。田舎臭い、少しがっかりした』『写真を見たときは、だめだーと思った。予想外の人、かけ離れている。父親、おじさんのような人』『写真見たとき、あちゃー、私の人生これで終わったと思った』。」(p.463)

 45歳で祝福を受けた離婚歴のある女性の相手は、妻と死別した子持ちの男性だったことが紹介されているが、これは再婚同士なので「お互いさま」であろう。

 一方で、写真を見たとき、葛藤しなかったケースも紹介されている。
「『どっちでもないけど、まあ、好きかも』『かっこいいな、かっこいいじゃんと思った』という語りもあった。受けとめかたは人それぞれである。」(p.464)

 このような本音を正直に語ったのは、インタビューを受けた日本人女性が基本的に中西氏を信頼していたからであろう。彼女たちは、中西氏の研究の動機が純粋なものであり、韓日祝福について客観的で公正な論文を書いてくれるだろうと期待して、飾りも偽りもない自分の率直な印象を話したのである。中西氏はそうした信頼に応え、彼女たちの名誉を傷つけないような、公正な引用の取り扱いを心掛ける必要があった。しかし、このインタビュー内容の一部が2010年に発売された「週刊ポスト」(6月4日号)の悪辣な記事に利用されたことは、インタビューに答えた日本人女性に対する裏切りであり、信義にもとる行動であったと言える。

 歴史的に不幸な関係にあった国や民族同士のカップルを文師が推奨したことは事実である。しかし、それは日本人と韓国人の組み合わせに限らず、人種問題で葛藤した白人と黒人、太平洋戦争で互いに敵国関係にあったアメリカ人と日本人にも当てはまることであり、文師はそのようなマッチングを行ってきた。それは強制ではなく、自らの結婚を通して怨讐関係を克服し、人類の和合と世界平和に貢献したいという信徒自身の信仰と決意に基づくものであった。そのことを「言われた」「覚悟をさせる」「教える」「相手を客観的に見る目を鈍らせ」などの表現を用いることにより、信徒たちがもっぱら受動的で自己の意思を放棄しているかのように描写している中西氏は、バイアスのかかった目でマッチングを見つめていることになる。

 アメリカにおける祝福家庭を研究対象にして『統一運動における性と結婚』という著作にまとめた宗教社会学者ジェームズ・グレイス博士は、この点をより客観的に観察している。まず、多数の国際マッチングは「人種と文化が全く異なる人々を結婚で一つにすることにより世界の統一をもたらそうという文師の努力の直接的な結果であると見られるべき」(『統一運動における性と結婚』第5章より)と評価している。そして人種問題に関心のある白人アメリカ人の男性が黒人女性と結婚することを望んだ話や、祈祷を通して東洋人の女性と結婚することが自分に対する神の意思であると悟った白人男性の話などが出てくる。さらに、こうした国際マッチングは「グループの最も高い理想を示しているので、これらのカップルは同じ国籍・同じ人種同士のカップルにはない特別な地位を運動の中で与えられる」(『統一運動における性と結婚』第6章より)とまで述べているのである。これは韓日カップルに特別な使命があり、特別な恩恵があると信じられていることと同様の現象であり、どちらも教会の理想を体現したマッチングであることにその根拠がある。そうした信仰による主体的な決断の価値を、中西氏はまったく評価していない。

 さらに、出会ったときの相手に対するネガティブな印象だけを全体のコンテキストから抜き出して羅列するというやり方も、公正ではない。なぜなら、統一教会の祝福の証しにおける第一印象の悪さは、マッチングそのものが自己の恋愛感情を動機としたものではなく、神の計画によるものだが、最初の段階ではその深い意味に気づくことができず、時間の経過の中で徐々に相手の価値が分かってくるという全体的構造の中で語られることが多いからである。「葛藤から感謝へ」「地獄から天国へ」というイメージで変化していく祝福の相対関係の、最初の葛藤の部分だけを抜き出しても、それは祝福に関する真実を表現したことにはならないのである。

 こうした相対関係の変化を、グレイス博士はより丁寧に観察している。実は、中西氏が日本人の女性信者から聞き取ったのと同じような最初の段階での反応を、グレイス博士もアメリカの統一教会信者に対するインタビューの中で聞き取っている。
「最初の段階で彼らの多くがお互いに対してロマンティックな意味での愛情を抱くことに困難を感じたというのは驚くに値しない。まったく見知らぬ者同士がマッチングを受けたり、時にはその片方あるいは両方がマッチングを受け入れがたいと思うことも、決して珍しいことではない。後者の感じ方の一つの例が、まったく好きではない女性とマッチングおよび祝福を受けた男性メンバーの体験であった。『もし私が結婚したくないと思う女性を3名挙げることができたとしたならば、そのうちの一人がまさにお父様が提案してくれた女性だった。』」(『統一運動における性と結婚』第6章より)

 しかし、この話はそこで終わらない。結婚したくないと思うような女性とマッチングを受けたその男性は、彼女を愛せない原因を、自分自身が抱えている精神的問題の中に見出していく。そして、彼女とのかかわりを通してそこのことに気付かされ、自分自身を変えていった結果、彼の心は「消極的な受容と寛容」の状態から「愛の衝動」へと変化し、最終的には「確かで持続的な愛情」に変わったというのである。

 グレイス博士は、「インタビューのデータが示唆するところによれば、彼が『聖別・約婚期間』に愛を達成した方法は、多くのマッチングを受けたカップルが典型的に経験することである。最初に相手を目の前にして違和感や不安を感じ、次に彼または彼女の肯定的で補完的な性質に焦点を当てようという、信仰によって方向づけられた努力があり、そして最終的には無条件の愛へと突破していくのだが、そこには強い恋愛的要素が含まれるかもしれないし、含まれないかもしれない。」(『統一運動における性と結婚』第6章より)と総括している。グレイス博士による長いタイムスパンで見た相対関係の変化の観察に比べるならば、中西氏の記述がいかに近視眼的で表層的な観察に基づいたものであるかが分かるだろう。

 グレイス博士がマッチングを受けたカップルにインタビューした結果分かったことは、マッチングを受けた後に通過する「聖別期間」をカップルが正しい態度で過ごしたとき、二人の間に恋愛関係が徐々に育っていくということであった。それではその正しい態度とは何かといえば、それは相手に対する配慮とオープンな態度、そしてマッチングと結婚が永遠であるという信仰であるという。要するに、文師によって推薦された相手を大切に思い、受け入れていこうという姿勢と、二人の関係が神によって結ばれた永遠のものであると信じる姿勢である。

 そもそも神の愛は人を能力や美醜によって差別せず、どのような存在であっても無条件に愛する「アガペーの愛」であると言われる。統一教会のモットーは「為に生きる」であり、それは自己を犠牲にしてまで相手のために存在しようとする愛の理想である。日常の信仰生活においてそのような愛を実践しようと心掛けている信者たちは、祝福の相対者に対しても同じように「アガペーの愛」で接するように努力する。たとえ人間的には相手に対する葛藤があったとしても、すべての人を差別なく愛する神のような視点と心情で相手を見ようと努力するのである。そのような純粋で無私の愛を持って相手を見つめ、心をオープンにして相手を受け入れようとするとき、相手に対する本当の愛情が徐々に芽生えていくというのが、祝福における相対関係のあり方なのである。

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神道と再臨摂理シリーズ02


 前回から、「神道と再臨摂理」と題する新しいシリーズの投稿を開始しました。今回はその2回目ですが、「神道における神とはいかなる存在か?」というテーマから始めたいと思います。

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 江戸時代の国学者・本居宣長は神を「尋常でない霊威を発するもの」と定義しました。ここで、神道における神の特徴をまとめてみましょう。
①神の数は八百万:神道は、キリスト教やイスラム教のような一神教ではなく、多神教です。ここで言う八百万(やおよろず)とは、「非常に多くの」「無数の」という大雑把な数を表しているのであり、数学的な800万を意味しているのではありません。
②神は姿を表さない:神は山川草木などの自然物に宿りますが、特定の姿を持ちません。
③神とは畏敬の対象:古代の日本人は、疫病や災害の発生は神の祟りであると考えていました。神は尊ばれる存在であると同時に、畏れられる存在でもあったのです。
④一定の土地と結びつく:神道には、神がその土地と結びついて、その土地の「氏神」となるという考えがあります。超越的な一神教の神に比べると、特定の土地との結びつきが強いといえるでしょう。

 これら4つの特徴に加えて、神道における神にはもう一つの重要な特徴があります。それは神道においては「神を祀る」ことによって神になる、という考え方があることです。これは一神教における神との大きな違いの一つです。

 キリスト教とユダヤ教の神である「ヤハウェ」や、イスラム教の神である「アッラー」は、人間が礼拝する前に既に超越者として存在しています。あくまでも神が原因・主体であり、人間が結果・対象であり、この関係が逆転することはありません。人間の行いによって何者かが神になるという発想はあり得ないのです。

 ところが、神道の場合には神を祀る主体は人間であり、聖域を定めたり、社殿を建てたりして「神を祀る」のです。ある意味では、「人が祀ることによって神になる」と言ってよいでしょう。この「神を祀る」ということと、神社の創建とは深く結びついています。神道で神を祀るということは、特定の場所と深く関係しています。イスラム教やキリスト教では、神は世界を超越しているか、あるいは世界に遍在していると考えられており、一定の場所に神を祀るということはありません。

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 それでは神社とは何でしょうか? 現代人であるわれわれは神社といえば建物を連想しますが、実は建物は神社の本質ではありません。神社は「神の社(やしろ)」であり、もともとは神を祀るべき神聖な空き地のことであり、普段は注連縄(しめなわ)で囲っておく禁足地だったのです。

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 鎌倉時代(13世紀)に描かれた京都府亀岡の「出雲神社ぼう示図」という絵が残っていますが、そこに描かれている神社には社殿がなく、鳥居の後ろに出雲神社の御神体である御影山が描かれているだけです。鳥居と神体山の間には建物はありません。このように社殿が一切ないのが、古代の神社の姿であると考えられています。

 神社には「御神体」がつきものですが、今回は御神体とは何かを解説します。御神体とは、神霊が宿る物体のことです。日本古来の信仰においては、神は祭のたびにはるか海の彼方にある常世の国から来訪して人々に祝福をもたらし、祭が終わると、再び常世の国に帰っていくものと考えられました。すなわち、神は神社に常駐しておらず、祭りの際に神が降臨するのです。そのとき、神霊が寄り付く有体物が、神社の本殿の内陣に安置されている「御神体」です。

 御神体は神そのものではないのですがが、そこへ神霊が宿ると神そのものとなるのです。つまり、御神体とは神が宿る「依代(よりしろ)」であり、その神社に祀られる祭神とご神体は同一ではありません。この御神体は歴史と共に変化してきました。古代においては、石や山、木などの自然物に神霊が降臨し、依りつくと考えられました。こうした古いタイプの御神体には、①磐座、②山、③御神木などがあります。

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 後に仏教の影響を受けて神社の敷地の中に社殿が設けられるようになると、本殿の内陣に御神体を安置するようになります。こうした比較的新しいタイプの御神体には、④御幣、⑤鑑、⑥神像などがあります。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』165


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第165回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。中西氏は調査対象となった在韓日本人信者の基本的属性をデータを以下のようにまとめている。
「現役信者も入信から通教・献身までの経緯は脱会信者と変わらない。二三-二四歳くらいに入信し、あまり期間をおかずに献身をする。この後が脱会信者と違ってくる。献身してから二年ほど、年齢では二五-二七歳くらいに祝福を受け、聖別期間を送り、それを終えると家庭出発となる。祝福を受けてから家庭出発までの期間はおよそ二年半である。二〇代前半に入信し、後半に結婚して家庭出発をするというパターンである。統一教会の教義上、家庭を築き、女性信者は無原罪の『神の子』を生むことが重要であるから遅くとも二〇代後半には結婚生活を始めさせるのだろう。」(p.450-1)

 この記述は間違ってはおらず、中西氏の調査対象となった女性たちのデータから導き出される平均的なライフコースということなのだろう。とはいえ、私にはかなり理想的なパターンに思える。実際にはこのライフコースに当てはまらなかったり、うまく乗れなかったりする女性もたくさんいるのである。20代前半に祝福を受け、20代後半に家庭を出発できれば子女に恵まれるチャンスは十分にある。しかし、婚期を逃して30代になってから祝福を受ける女性信者も実際にはたくさんいるのである。

 中西氏は次のようにも述べている。
「祝福は確定的な信者への移行儀礼であり、第二段階の入信ともいえる。入信したときは自分一人の信仰だったが、家族を形成すると夫や子供と共に家族生活を営むこと自体が信仰実践になる。家族を形成することによって後戻り(脱会)も困難になる。信仰に疑問が生じたとしても、信仰を否定することはこれまでの自分自身の歩み、そして形成した家族をも否定することになるからである。祝福によって信者は未婚のときとは違った信仰生活を始める。」(p.451)

 この中西氏の指摘も間違ってはいないが、信仰に対する評価が基本的にネガティブであり、中立性を欠いている点が気になる。祝福という移行儀礼を通過してしまえば、本来やめるべきものもやめられなくなり、否定すべきものも否定できなくなるというニュアンスが行間からにじみ出ているのである。祝福式が一種のイニシエーションとしての機能を持っていることは事実であるが、もっと中立的な表現をすれば、祝福は信者の信仰やアイデンティティーを強化する役割を果たしているということである。これは統一教会に限らず、あらゆる宗教のイニシエーションの基本的な機能であり、祝福はその中でも特に強力な儀礼であるということになる。

 統一運動の性と結婚について社会学的な研究を行ったジェームズ・グレイス博士は、著書の中で「統一運動の性と結婚に対するアプローチは、メンバーの献身を維持し強化するうえで極めて有効である」というテーゼを掲げている。そして祝福にまつわる一連の儀式は、すべてメンバーの献身を強化し、アイデンティティーを確立していくうえで有効に働いていると指摘している。彼は祝福の儀式が持つ意味について以下のようにまとめている。
「祝福の儀式は、終末論的共同体としての統一運動の統合性と結束を劇的なやり方で象徴的に表現する。それらを通して、いくつかのレベルで結束が確認され実現される:
1.カップルと真の父母の間に血縁関係が確立される。
2.永遠の絆が夫と妻を結び付ける。
3.カップルは共同体全体と新しい特別な関係を結ぶ。
4.各合同結婚式に参加したカップルはお互いに特別な関係となり、それは毎年グループの記念晩餐会で祝賀される。
5.各カップルは原罪から解放され、それによって霊的領域、すなわち神ならびに霊界にいる彼らの先祖に近づく。
6.結婚を成就させる三日行事は、性と霊性の統合を象徴する。

 宗教の歴史において、祝福に関連した儀式に匹敵するような、人生における多くの別個の側面を包括し統一する一連の儀式を見いだすのは困難であろう。さらに、統一運動の結婚の型破りな性質、とくに配偶者を文師が選ぶことは、確実にグループの一体感を支持するような過激な性質をその儀式に与えるのである。」(ジェームズ・グレイス著「統一運動における性と結婚」第7章より)

 櫻井氏も中西氏も、祝福が信徒の自由を拘束し、人生の選択肢を狭めるものであるという視点からネガティブに見ているが、それは別の見方をすればアイデンティティーの強化ということになる。ジェームズ・グレイス博士は結婚にまつわる宗教的な行事や習慣は、どの宗教にあっても基本的にメンバーの献身を強化しアイデンティティーを強化する効果があるということを前提としながら統一教会の祝福を客観的に分析しているが、櫻井氏や中西氏はこうした立場を離れ、奇異なものに拘束されることによって個人の自由を奪うものであるとみている点が根本的に異なっているのである。

 続いて中西氏は「祝福家庭の形成」のプロセスについて記述している。現役信者への聞き取りやその他の資料に基づき、「①祝福書類提出、②マッチング、③合同結婚式、④聖別期間、⑤任地生活、⑥家庭出発」(p.461)について順を追って説明している。これは祝福の儀礼そのものよりも、もう少し現実的で細かな点の分析となる。

 祝福書類を提出する際には、「日日、日韓、国際」を選択する欄があるという。さらに親の扶養義務を確認する項目もあるなど、結婚相手を選択するに当たっては、本人の意思と決意、ならびに個人が抱えている事情がある程度配慮されていることが分かる。マッチングにおいては基本的に個人の好みや恋愛感情などが優先されるわけではないものの、やはり結婚後の生活は長く続く実生活であるため、重大な支障をきたすようなマッチングが行われないように、あらかじめ個人の選択肢が与えられているのである。

 マッチングに関しては、「日本人信者への聞き取りによると、文鮮明によるマッチングは一九九五年の三六万双で終わったそうである」(p.462)とされ、その後は教会の責任者が代わりに行うようになったとされている。在韓の日本人信者たちがそのように語ったことは事実かもしれないが、必ずしも正確な知識とは言えないであろう。その後も祝福二世に対しては文鮮明師が直接マッチングを行うことはあり、「父母マッチングか、アボジ・マッチングか?」というような選択肢が文鮮明師が聖和する前まで存在していたからである。「アボジ・マッチング」は文鮮明師による直接の配偶者の選択のことであり、晩年にはそうした機会が貴重になったことから、一種の憧れの意味を込めて「アボジ・マッチング」という言葉が使われていたのを記憶している。

 現在ではマッチングのあり方は大きく変わった。文鮮明師のカリスマによって相対者を選択するという統一教会に固有なマッチングのあり方は、文師が聖和(逝去のこと)することによって消滅し、彼のカリスマを相続して天啓によるマッチングを行う後継者は現れなかった。その代わりに、マッチングは教会のシステムの中に組み込まれることとなった。文鮮明師が聖和する以前から、祝福希望者の年齢、学歴、職歴、相手に対する希望などをデータ化する作業は行われていたが、配偶者の選択は最終的には文師の判断によるものだった。しかし、文師が聖和したのちには、そのデータが配偶者選択の主要な要素として使われるようになったのである。

 各教会には「マッチング・サポーター」と呼ばれる人物が立てられ、祝福を希望する未婚者に対してデータベースの中から選択して紹介し、縁談をまとめる役割をしている。マッチングサイトに自分の情報をアップすれば、祝福候補者として認知され、オファーを受けることができる。祝福二世の場合には「父母マッチング」というやり方がある。父母が子供のためにデータベースの中から良いと思われる人を探して、本人同士を交流させ、最終的に結婚するかどうかを本人たちに決定させるというやり方である。マッチング・サポーターにしても父母にしても、文鮮明師のようなカリスマを持って相対者の選択を行うわけではないので、このシステムではかなり本人の意思が尊重されるようになる。今後はこうしたやり方による配偶者の選択が主流になっていくと考えられるため、文鮮明師によるマッチングは、統一教会の長い歴史の中にあっては初期の一時期のみの現象であったと顧みられる時代が来るであろう。

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神道と再臨摂理シリーズ01


 今回から、「神道と再臨摂理」と題する新しいシリーズの投稿を開始します。以前にこのブログで「日本仏教史と再臨摂理への準備」と題するシリーズの投稿を13回にわたってやったことがありますが、その続きとお考え下さい。家庭連合(統一教会)の信仰はキリスト教の流れをくむものであり、『原理講論』の内容もキリスト教の組織神学の体裁を取っていますが、日本において最も影響力のある宗教といえば何といっても神道と仏教であるため、統一原理と神道の教えの関係、ならびに再臨主と中心とする神の摂理に神道がどのように関わったのかは、日本宣教における重要なテーマとなります。

 私が地方に出かけて行って講義する中でリクエストされた内容の中に、神道の基礎について教えてほしいとか、神道と再臨摂理はどのように関わるのか教えて欲しいといった要望がありました。そこで私なりにまとめて講義した内容を起こしたものがこのシリーズになります。日本の伝統宗教の双璧をなすのが仏教と神道ですが、本当の意味で日本の土着の宗教と言えるのは神道であり、仏教は長い歴史は持つとはいえ、やはり外来宗教ということになります。

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 初めに、私が神道を研究する立場について明確にしておきたいと思います。家庭連合の信仰を持つ者として、神道に対する関わり方は大きく三つに分類することができます。

 一つ目は、神道と統一原理の類似性・共通点のみを強調する立場です。これは、「神道は原理的だ」とか、「日本民族は選民だ」といった発言に代表される立場であり、シンクレティズムとナショナリズムの危険をはらんでいます。シンクレティズムとは本来異なる宗教伝統を混ぜ合わせてしまうことですが、ここでは神道と統一原理の相違点には目を向けず、類似点だけを一方的に取り上げて、両者が同じものであると主張することです。私は、こういう立場をとりません。また、愛国心が重要であることは認めますが、過度な民族の礼賛にも同意することはできません。

 二つ目は、神道を批判・排斥する立場です。「神道は旧約聖書のアシュラの神やバアルの神に等しい偶像崇拝である」とか、「国家神道は神社参拝を強要して韓国のクリスチャンたちを迫害した。神道は罪深い宗教だ」といって断罪する立場です。すべての宗教には神が啓示した真理の一部が表現されているという立場からすると、こうした一方的な断罪は行き過ぎですし、これでは神道との対話は成り立ちません。私は、こういう立場もとりません。

 三つ目は、神道を客観的に研究し、超宗教運動の対象とする立場です。まずは過度な思い入れや偏見を排して、神道に関する基本的事実を学問的に抑えることから始めます。そして神道を日本文化の根底をなすものとして評価することによって対話しようとします。その中で、統一原理と神道の共通点と相違点をそれぞれ評価し、歴史的な関係を考察していくという手法です。私の立場は、この三番目の立場になります。

 さて、神道は日本文化の根底をなすものであり、私たちの生活に馴染んだものではありますが、その教えの内容について知的に知っているかと言えば、専門的に学んだ人でもなければ、その知識は極めて漠然とした曖昧なものではないでしょうか。そこで私なりにいろんな本を読んで勉強してまとめたものがこのシリーズになりますが、仏教の場合と同じく、あまり難しい専門書を読んでも分かりやすく解説することはできないので、入門用の易しい解説書を中心に調べました。

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 では、神道とはそもそもどんな宗教かについて、基本中の基本から説明します。神道は特定の個人が創唱した宗教ではなく、日本の風土から生まれた日本固有の民族宗教です。それは、自然のいたるところに神を感じる素朴な「自然崇拝」から始まったものです。神道は日本人の日常生活に深く根付いていおり、私たちは初詣などの年中行事、七五三などの人生儀礼、地域のお祭り、家庭における神棚などを通して既に神道を「体験」しているのですが、それを「宗教」としてあまり強く意識しないこともまた神道の特徴の一つです。キリスト教のように誰かから「伝道」されて「回心」することによって信者になるのではなく、生まれた土地の「氏神の氏子」になるという形で自然に信仰を継承することが多いと言えます。

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 それでは神道の中心的価値観が何であるかと言えば、「清明心(きよきあかきこころ)」です。これは、自然のように清らかで、他人に対して隠すことのない心、神に対しても欺くことのない心、つまり私欲がなく澄み切った、穢れのない心の状態を指します。神道においては、「穢れ」を諸悪の根源として極度に嫌います。ですから、「禊」と「祓い」によって穢れを取り除くことが神道の中心的な儀礼となるのです。

 神道は日本の風土から生まれた日本固有の民族宗教ですが、「神道」という言葉そのものは、もともと中国から伝わった中国語です。中国の文献におけるこの言葉の初出は『易経』に見られ、「霊妙不可思議な自然の法則」という意味で用いられています。この言葉が古代に中国から伝わり、日本語になったのです。

 日本の文献におけるこの言葉の初出は『日本書紀』に見られます。
「(天皇は)仏法を信けたまひ、神道を尊びたまふ」(用明天皇即位前紀)
「(天皇は)仏法を尊び、神道を軽りたまふ」(孝徳天皇即位前紀)
というような形で登場するのですが、「仏法」は「ほとけのみのり」と読み、「神道」は「かみのみち」と読みます。用明天皇は神道を尊んだけれども、孝徳天皇は神道を軽んじたというような記録として出てくるわけです。ここでは、「仏法」に対比して「神道」という言葉が使われていることに留意する必要があります。『日本書紀』は外国に向けての公的な歴史書なので、外来の宗教である仏教と対抗する形で、土着の信仰を意味する「神道」という言葉が用いられたわけです。

 『日本書紀』には「惟神(かむながら)は神道(かみのみち)に随(したが)うを謂(い)ふ」という記述もあります。「惟神」とは「神の御心のままであること」という意味であり、神々に由来する自然なあり方に従うこと、自然に即して生きることが神道の理想とされています。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』164


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第164回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されているが、最初に中西氏は調査対象となった在韓日本人信者の基本的属性をデータで示している。先回は入信から献身までの年数を櫻井氏と中西氏のデータで比較し、さらに中西氏による献身および入信から祝福を受けるまでの年数の分析を紹介した。今回は、祝福を受けた年、祝福時の年齢、祝福から家庭出発までの年数(聖別期間)に関する分析を扱うことにする。これらに関する統計的なデータは櫻井氏の研究対象に対しては行われていないので、中西氏のデータのみを扱うことにする。なお、これは櫻井氏の怠慢というわけではなく、櫻井氏の調査対象は脱会者であり、祝福を受けて家庭を出発するという段階に至る前に教会を離れている者が多いため、統計的なデータを取る項目としては適していないことに原因があると考えられる。

 初めに中西氏は最初の祝福がこわれた6名の経緯を説明している。この女性たちは、今の祝福が2回目であるということだ。1回目の祝福は、5人が相手から断られており、1人は家庭出発前に相手が亡くなっている。6人とも自分から断ったのではないというのは事実であろう。信仰的な日本人らしいデータである。中西氏は、「祝福の相手は『人間の意思や選択の範囲を越えて、神様がすでに備えている』(日本の統一教会ホームページ「祝福の意義と価値」(現在は閉鎖))とされるが、やはり断られることはあるようである。」(p.458)と皮肉めいた書き方をしているが、どうやら彼女は『原理講論』の予定論の理解が不足しているようである。

 「人間の意思や選択の範囲を越えて、神様がすでに備えている」というのは、神が予定されているという意味である。『原理講論』では、神のみ旨は絶対的であるが、「み旨成就は、どこまでも相対的であるので、神がなさる95パーセントの責任分担に、その中心人物が担当すべき5パーセントの責任分担が加担されて、初めて、完成されるように予定されるのである。」(前編・第6章「予定論」より)と説明されている。すなわち、祝福で特定の相手と結ばれることは神が予定されるのであるが、それが成就するかどうかは人間の責任分担によって決まるのである。

 特定の人物が歩む道に対する予定は、『原理講論』では「人間に対する予定」と表現され、以下のように説明されている。
「神は人間をどの程度にまで予定なさるのだろうか。ある人物を中心とした神の『み旨成就』においては、人間自身があくまでもその責任分担を果たさなければならないという、必須的な要件がついている。つまり、神がある人物を、ある使命者として予定されるに当たっても、その予定のための95パーセントの神の責任分担に対して、5パーセントの人間の責任分担の遂行を合わせて、その人物を中心とした『み旨』が100パーセント完成する、というかたちで、初めてその中心人物となれるように予定されるのである。それゆえ、その人物が自分の責任分担を全うしなければ、神が予定されたとおりの人物となることはできないのである。」(前編・第6章「予定論」より)

 神は一人の中心人物を立ててみ旨成就を予定するが、もしその人物が責任分担を全うすることができずに失敗してしまえば、他の人物を代理に立ててでも、その目的を成就しようとされる。この原理を祝福のマッチングに適用すれば、神は特定のカップルを相対関係として予定するが、二人のうちどちらかが個人としての責任分担を全うできずに教会を離れてしまったり、相対関係を受け入れられずに断ってしまった場合には、別の人物を代理に立てて、残された側の個人の祝福を全うしようとされるのである。したがって、神が予定した特定のカップルは、祝福を受けた双方が個人の責任分担を全うしたときに初めて、祝福家庭となることができるのである。

調査対象者の祝福年

 祝福年は、1992年(3万双)、1995年(36万双)が多く、それぞれ10名、12名いる。この二つの祝福では韓日カップルが多く出ているので、おのずと調査で出会う信者もこの年の祝福の人が多くなるというのが中西氏の分析だ。確かにこの二つの祝福では韓日カップルが多く出ているのだが、教会の歴史をよく知るものとしては、韓日祝福の数が飛躍的に伸びたのは1988年の6500双からであり、この時にも1526組の韓日カップルと1060組の日韓カップルが誕生しているはずである。その割合が中西氏のデータにおいて低いのはなぜかという疑問は残る。一つの推測として成り立つのは、中西氏が調査した場所が韓国の田舎を中心としていたことに原因があるということだ。

 6500双以前には、韓国農村男性の結婚難を解決するために日本人の女性信者と韓国人の農村男性のマッチングがなされることはなかった。なぜなら、この頃に祝福式に参加したのは信仰を持った教会員だけであり、花嫁を紹介するという形で韓国農村部の非信者の男性に祝福結婚を呼びかけるということは行われていなかったからである。こうしたことが行われるようになったのは3万双(1992年)以降であり、特に36万双(1995年)のときにはそうした傾向が強くなったと思われる。したがって、韓国の田舎で調査をすれば必然的に6500双(1988年)よりも3万双(1992年)や36万双(1995年)の比率が高くなるということである。

祝福時の年齢

 続いて祝福時の年齢であるが、25歳から27歳に集中していると分析されている。これは常識的な意味で結婚適齢期と言えるだろう。昨今は晩婚化が進み、日本人女性の平均初婚年齢はいまや29歳に至っているが、彼女たちの結婚した時代はいまよりも若い年齢で結婚する女性が多かった。とはいえ、28歳以降30代の後半に至るまでそれぞれの年齢で祝福を受けた者が1~2名いる。これは一般的な結婚適齢期を過ぎた女性に対しても祝福の機会を与えていることを意味する。

祝福から家庭出発までの年数

 続いて祝福を受けてから実際に家庭生活を始めるまでの年数がグラフで示されている。1年未満(0年)から5年までばらつきがあるが、一般常識からすれば結婚式を挙げてから数年も家庭生活を始めないというのは奇異に映るであろう。これは「聖別期間」というものが存在するためである。中西氏は以下のように説明している。
「統一教会では祝福を受けた後、夫婦が同居して結婚生活を始めるまで『聖別期間』が設けられている。ソウルなどで合同結婚式に参加した後、それぞれ帰郷、帰国して別居生活をする。基本は四〇日であるが、延長期間としてさらに三年延長する場合もある。厳密なものではなく、所属教会の都合あるいは祝福時の年齢によっても変わる。祝福時の年齢が高いと短くなる傾向がある。」(p.459)

 聖別期間が本来40日でありながら、なぜ数年にわたって延長する場合があるのかに関する中西氏の分析は表層的であり、そこに込められた宗教的な意義を理解しているとは言い難い。その点では、ジェームズ・グレース博士の「統一運動における性と結婚」の方がより本質をとらえていると言えるだろう。グレース博士によれば、マッチングを受けたカップルが数年の「聖別期間」を持つのは、①地上天国実現のためにカップルが捧げる犠牲であり、②神を中心とする結婚と家庭生活のための堅固な基礎を築くために、個人として霊的に成長するためであり、③祝福を受けた相手についてよく知るためであるという。特に国際カップルの場合には、個人として相手を知るだけでなく、相手の国の言語、文化、風習などに慣れて適応していくための期間が必要である。韓国に嫁いだ日本人女性の場合には、聖別期間中に日本で活動する期間に加えて、韓国での「任地生活」と呼ばれるものが一定期間設けられている。この「任地生活」は、韓国での生活に慣れながら言語や文化を学び、結婚生活を始める準備をするための期間であるとされている。こうした「聖別期間」は、意味もなく家庭の出発を延長されているのではなく、宗教的な意味があるのだということを中西氏は理解すべきであろう。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』