BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ119


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

韓国における宗教の自由の危機1.「教会への凶悪な襲撃」

Aug 29, 2025 by Massimo Introvigne | Documents and Translations, Japanese

教会が家宅捜索を受け、国際的に著名な宗教指導者が不当な扱いを受け、宗教に基づく政治活動が禁止される。韓国では一体何が起こっているのだろうか?

マッシモ・イントロヴィニエ

全4本の記事の1本目

韓鶴子総裁

2025年8月25日、韓国の李在明大統領がホワイトハウスを訪問した日、ドナルド・トランプは李大統領の国における「教会への凶悪な襲撃」を非難した。一体何が起こったのだろうか?

必ずしも正確ではないメディア報道を通じて、韓国で世界平和統一家庭連合(以前は統一教会として知られ、現在でもその名称で呼ばれることが多い)の元幹部をめぐって行われている刑事捜査について、多くの人が耳にしたことがあるだろう。

彼は、財務上の不正行為と、韓国の元大統領で現在は失脚した尹錫悦氏から利益供与を得るため、韓国の元ファーストレディに宝石やデザイナーハンドバッグなどの高級品を寄付したとして告発されている。

家庭連合は、不正な幹部による個人的な企みだった可能性があるとして、組織としての事件への関与を否定しているが、捜査のために任命された特別検察官は、韓国にある同教会の主要施設(そして最も神聖な場所)と、指導者である韓鶴子総裁の自宅を軍隊並みの強襲で捜索した。韓鶴子総裁はこの事件の容疑者に指定され、渡航禁止処分を受けている。

韓国で私たちが目撃しているのは、世界最大のペンテコステ派の会衆として非常に有名な汝矣島純福音教会に対する7月18日の襲撃や、それ以前にも行われた他の保守的な宗教組織への襲撃にみられるような、保守的な宗教に対する政治的動機による弾圧であり、教会の襲撃である。

韓国の政治家の中には、日本と中国の双方から影響を受けている者もいる。両国はそれぞれ異なる方法で、(家庭連合を含め)保守的な価値観を唱える宗教は有害で危険だという信念を積極的に広めている。われわれは、日本と並行して、アジアにおける第二の信教の自由の危機が進行しているのを目の当たりにしているのである。

他の保守的な教会や宗教団体も間もなく標的にされるかもしれないという噂が広まり続けている。韓国の新政権に通じていると思われる活動家たちは、フランスと日本の既存の法律(国際的な信教の自由の活動家や法学者から広く批判されている)に基づく新たな法令を導入し、「カルト」とレッテルを貼られた運動を迅速に解散させることを提案している。こうした事態はすべて、尹錫悦大統領が職権乱用で解任され逮捕され、与党が大統領選挙で左派の民主党に敗北するという、特殊な政治状況の中で起きた。

汝矣島教会の事例が示すように、尹氏を支持した、あるいは支持していると疑われた宗教団体を処罰する動きは、いまや、保守派、親米派、伝統的な家族の価値観を擁護しているなどという烙印を押されたあらゆる宗教を標的にしている。

汝矣島純福音教会の日曜礼拝。Facebookより。

統一教会と、韓国で影響力のあるもう一つのキリスト教系新宗教団体である新天地は、数千人の信者が保守系政党「国民の力」の2021年大統領予備選挙で尹氏に投票登録したと報じられ、共に疑惑の目を向けられている。興味深いことに「国民の力」は、2022年に新天地の信者がライバルである民主党の予備選挙に集団で参加したことで非難されたと反論しており、新宗教団体は政治活動に積極的であるものの、必ずしも特定の政党だけを支持しているわけではないことを示唆している。

このような政治活動は他の民主主義国では合法かもしれないが、韓国では禁止されているようだ。興味深いことに、この韓国での訴訟は、米国の政策転換と時を同じくして起こった。内国歳入庁(IRS)はこれまでの方針を転換し、教会が信者に対し、税金免除の資格を失うことなく、団体投票や特定の候補者への支持を促せることを認めた。これは、テキサス州東部地区連邦地方裁判所で係争中の訴訟の和解を目指したものである。

私は1950年代にイタリアで生まれた。当時からその後数十年にわたり、与党キリスト教民主党の党員は、カトリック教会の教区で数千人規模で日常的に勧誘されて入会しており、カトリック教会が候補者や政策の選定に明らかな影響力を持つようになった。韓国では、教会が特定の候補者や政党のために信者を動員することは違法なのかという疑問も生じる。それともそれは、その政党が選挙に敗れた場合のみ違法とみなされるのであろうか?

韓国の左派知識人が、韓国は宗教に対する友好的な姿勢を放棄すべきだと明言した。彼はその友好的な姿勢は多くの民主主義国に共通する傾向だと認めつつも、反宗教的なフランスの政策「ライシテ」を採用すべきだと述べている。彼は、「尹政権の行動は、多くの先進民主主義国が採用しているこの種の国家と宗教の関係を、フランスのライシテに近いものに転換する必要があることを示している。ライシテは、国家と宗教の分離を確保するだけでなく、国家と共和主義の価値観を宗教の影響から守ることを目指しており、国家による宗教の保護ではない」と述べている。

失脚した韓国の元大統領、尹錫悦。

韓国で起きていることは、深刻な信教の自由に関する懸念を引き起こしている。汝矣島教会と家庭連合はともに、今回の家宅捜索が不必要に厳しく、派手なもので、あたかもメディアの利益を第一に考えたかのように、聖地と国際的に著名な宗教指導者への敬意を欠いていると訴えている。両教会とも、教会の聖域の神聖性を完全に無視した検察に対して謝罪を求めている。

韓総裁は、世界的な精神運動と、世界中で平和教育を推進するより大きな連合体を指導している。彼女はしばしば「平和の母」と呼ばれている。漠然とした容疑を理由に彼女の渡航を禁じることは、彼女の運動の国際活動に深刻な打撃を与え、正常な運営を阻害することになる。

韓国は他の国々で見られるお決まりのパターンを踏襲している。まず、人気のない「カルト」という烙印を押された集団に対して、信教の自由を制限する措置が施行される。これはメディアから容易に支持を集めることができる。ひとたびこれがなされると、次に国家が宗教団体の内部組織に介入し、財政を精査し、献金を集める権利や政治的影響のある社会問題に関するキャンペーン活動を制限することを可能にする法的規定が、あらゆる宗教、特に権力を持つ政治家が何らかの理由で好まない宗教に対して施行される。反対する宗教は、解散または清算の脅迫を受ける。

韓国の反カルト運動は尹元大統領の失脚に乗じたものの、それ以前から存在していた。今後の記事では、韓国の反カルト運動の3つの側面、すなわち韓国の反カルト運動の特異なルーツ、ディプログラミングの問題、そして共産主義および中国の影響について論じていく。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e9%9f%93%e5%9b%bd%e3%81%ab%e3%81%8a%e3%81%91%e3%82%8b%e5%ae%97%e6%95%99%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%81%ae%e5%8d%b1%e6%a9%9f%ef%bc%91%ef%bc%8e%e3%80%8c%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%81%b8%e3%81%ae%e5%87%b6/?_gl=1*1kby71i*_up*MQ..*_gs*MQ..*_ga*MTc4MTIyNjIwMS4xNzU2NzA5NDEw*_ga_BXXPYMB88D*czE3NTY3MDk0MDkkbzEkZzEkdDE3NTY3MDk0MjckajQyJGwwJGgw&gclid=Cj0KCQjw5c_FBhDJARIsAIcmHK9BA0uk0i2xYNM1GJV3DJKSgoNz8t3ENzim–SGy4cQA8vLL9LMfD0aArzDEALw_wcB&gbraid=0AAAAAC6C3PcQLcvM3widWTfRPBJBUmfyJ

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ118


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

二世:統一教会の二世背教者は信頼できるか? 4. ほとんどの宗教二世は背教者ではない

Sep 1, 2025 by Massimo Introvigne | Documents and Translations, Japanese

統一教会を公然と批判する背教者よりも、喜んで信仰を守り続けている二世の方がはるかに多い。

マッシモ・イントロヴィニエ

全4本の記事の4本目

日本で統一教会を批判する著名な二世背教者、小川さゆり氏。スクリーンショット。

前回の記事では、カナダの研究者アダム・ライオンズが提示した、20世紀の最初の「カルト論争」と、2022年の安倍晋三元首相暗殺をきっかけに始まった新しい「カルト論争」との違いについて論じた。

その違いは大きく、ライオンズの研究は時宜を得た重要なものだといえる。しかし一方で、第一次と第二次のカルト論争には共通点がある。とりわけ、前者における一世の背教者の役割と、後者における二世の背教者の役割がそうである。

一世、二世を問わず、自らがかつて所属した宗教(あるいは二世の場合は親の信仰)を公然と非難する人々には、背教者の特徴として、ブロムリーらが第一次カルト論争の中で指摘した二つの要素が見られる。第一に、彼らは少数派であること。第二に、反カルト運動との接触を通じて背教者となることである。

第一に、二世の背教者は宗教を離れた人の中でも少数派である。さらなる実証研究は必要だが、一世の場合と同様に、二世においても背教者は普通の離教者に比べ少数派であることが示唆されている。親の宗教を離れ、静かに世俗社会へと溶け込んでいく二世の方が、背教者となる二世よりもはるかに多い。

さらなる数量的データが必要であるものの、ライオンズは自身が行ったソーシャルメディアやウェブフォーラム、インタビューを通じた調査に基づき、次のように結論づけている。「公共空間で拡散されている二世の不満や被害の物語は、日本の新宗教で育った人々のうち、統計的には少数派の意見にすぎない。それでも、こうしたストーリーの人気は、現代日本社会における規範的な世俗主義や組織宗教への反感を強める働きをしている。」

アメリカの研究者ホリー・フォークも次のように同意している。日本に限らず他国でも、「二世の中で最も多いのは“受動的な離脱者”であり、統一運動に積極的に関わることもなければ、公然と批判することもない人々である。」

多くの二世は信仰を離れることなく、親の信仰に喜んでとどまり、それを守っている。ジャーナリストの福田ますみ氏は、統一教会信者として現在も活動する23,486人が、解散に反対する嘆願書に実名と住所を添えて署名したことを報告した。これに対し、反カルト側は解散賛成を求めるオンライン署名を20万筆以上集めたが、そちらには本人確認の手続きがなかった。

解散請求の裁判に要望書を提出した者、インタビューに応えた者、国会で意見陳述した者、さらに氏名変更申し立てをした一人を合わせても、公に姿を現した二世の背教者は11人である。そのうち8人は、2025年7月24日に統一教会を相手取り損害賠償を求める、いわゆる集団訴訟を起こしている。公には出ていないものの、不満を抱える二世が多少は存在するかもしれない。しかし、そうしたケースを含めても、教会に喜んでとどまり信仰する二世や、特に批判することなく去っていった二世に比べれば、その数は依然としてごく少数である。

ノンフィクション作家の福田ますみ氏。

これら二世背教者の物語には、事実と異なるものがある。ライオンズが「統一教会二世の“顔”」と紹介している小川さゆり氏(仮名)の主張については、福田氏自身が反論しており、小川氏が両親に対して訴えた多くの内容は事実でないことが明らかになっている。ライオンズはまた、福田氏が小川氏を批判した記事が国際的に高く評価されていることを指摘している。特に、『Bitter Winter』に掲載された英語版記事や、『The Journal of CESNUR』に掲載された注釈付き記事がそれである。ところがライオンズによれば、「日本国内では主要紙、日本の研究者、さらには日本語版ウィキペディアにおいても」福田氏の記事は引用されていない。

私たちがイタリアで福田氏の記事をファクトチェックした際、彼女からは銀行明細や写真など数十点に及ぶ資料が提供された。小川氏に関する議論において、日本で福田氏の名前が引用されないのは、ジャーナリストとして調査に不備があるからでなく、日本のメディアや学界に根強い「背教者寄りの偏向」があるからである。

小川氏の事例は、一世と二世の背教者に共通する第二の特徴を表している。つまり、彼らは自分の意思だけで背教者になるのではなく、新宗教に反対するサブカルチャーに取り込まれ、反カルト団体や専門家の影響を受けているのである。そして、このコミュニティは背教者をしばしば「公の顔」として利用する。

日本における事例の特徴として、ディプログラミング(脱会説得)を受けた後、多くの元信者や二世が統一教会を相手取って訴訟を起こすケースがある。彼ら(ディプログラミングの被害者)は、監禁が続くことを避けるため、法的措置を取らざるを得なかった。

「伝統的」な一世の背教者と同様、統一教会やエホバの証人などの宗教を強く批判する二世は、信仰を棄てても公に批判したりメディアに語ったりしない大多数の元信者や二世の集団に比較すれば、ごく少数にすぎない。さらに親の信仰に喜んでとどまっている二世に比べても、はるかに少ない。

しかし、メディアに映るのは背教者となった二世ばかりであるため、多くの報道はあたかも「背教者」を、元信者や全ての二世を代表する存在のように扱うという誤りに陥っている。これはよくある誤解であり、宗教の自由に深刻な悪影響を及ぼす。

海老名のエホバの証人日本本部にある、信者一家を理想化したイメージ。

背教者の証言を軽視すべきではない。しかし、中立性と客観性を確保するためには「三角測量」の手法が必要となる。つまり、背教者の証言を、運動にとどまっている現役信者、背教者にならなかった元信者、さらに内部資料を研究し、インタビューや資料調査、参与観察を行った学者の記録と照らし合わせる必要がある。加えて、この三角測量を真に適用するなら、告発された宗教団体にも、背教者の主張を検討し、反論する機会が与えられるべきである。

こうした多様な情報源を多角的に検証してこそ、質の高いジャーナリズムが生まれる。一方、背教者の証言だけに依拠する報道は、偏った物語をつくり出し、差別の道具となってしまう。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/4-most-nisei-are-not-apostates/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ117


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

二世:統一教会の二世背教者は信頼できるか?3. 安倍元首相暗殺後の危機

Aug 30, 2025 by Massimo Introvigne | Documents and Translations, Japanese

安倍晋三暗殺後、突如として宗教二世問題が日本の公共言説の中心となった。

マッシモ・イントロヴィニエ

全4本の記事の3本目

安倍元首相を暗殺した山上徹也が逮捕される。スクリーンショット。

2022年7月8日、日本の安倍晋三元首相が、山上徹也という男に暗殺された。山上は取り調べに対し、安倍氏が統一教会に友好的だったことへの報いとして犯行に及んだと供述している。彼はまた、母親が同教会の信者で、過度な献金が原因で2002年に破産し、子どもたちの世話を怠ったと述べた。

日本の宗教を専門とするアダム・ライオンズは、2025年5月号の『ノヴァ・レリジオ』誌に論文を発表し、日本の世論が山上を統一教会の「被害者」として認識する傾向がどれほど強いかを論じている。この出来事は、日本の公共言説において「宗教二世」または「二世」というテーマを浮き彫りにした。

この問題は決して目新しいものではない。ライオンズはある学会発表で、1960年代に刊行された影響力のある自伝的小説『人間の運命』(芹沢光治良〔1896-1993〕、全14巻)を取り上げている。この作品で描かれる天理教(日本で最も古く、かつ最も大きい新宗教の一つ)への批判は、山上が統一教会について語った内容と重なる部分がある。芹沢は、父親が天理教への献金によって家庭を崩壊させ、布教活動に専念するために自分(小説では次郎と呼ばれる)を祖父母に預けたと強く主張している。

安倍元首相の暗殺の後、初めて「宗教二世」の問題が日本社会で深刻な課題として認識されるようになった。「二世」という言葉は、統一教会で育った人々に限らず、信者であったかどうかに関係なく用いられる(実際山上自身は入会していなかった)。その対象には、他の宗教も含まれていた。

批判の矛先は、統一教会に加えてエホバの証人にも向けられ、さらに幸福の科学など他の新宗教にも広がった。加えて、日本最大の在家仏教団体である創価学会も対象となり、最終的には福音派プロテスタントを含む保守的な宗教全般へと拡大していった。

こうした見方は、国連特別報告者から批判を受けた政府の「宗教的児童虐待」へのガイドラインにも反映されていた。そのガイドラインでは、統一教会とは関係のない慣習までも虐待とみなしていた。たとえば、子どもに誕生日を祝わせないこと(エホバの証人に典型的な慣習)、未成年の娘の中絶を阻止すること(保守的なキリスト教諸派に広く見られる)、未成年を告解に行かせ性的規範に対する違反を告白させること(主にカトリックに見られる実践)などを虐待とした。

要するに、ライオンズの言う日本社会に根付いた「規範的な世俗主義の精神」に反する考え方で育てられた人々は、「宗教二世」と分類され、親からの宗教的刷り込みの被害者と見なされるのである。

ライオンズは、安倍暗殺事件をきっかけに、日本からアメリカを含む諸外国へと広がる「第二次カルト論争」が始まったと主張している。これは、20世紀に反カルト活動家と新宗教研究の学者たちが対立した「カルト論争」に続くものである。

カナダの研究者アダム・ライオンズと、2025年『ノヴァ・レリジオ』に掲載された論文。

ライオンズは、第一次カルト論争と第二次カルト論争の違いは、反カルト側が注目する「対象」にあると指摘している。第一次論争では、新宗教に改宗した若者たちが主な関心の的だったのに対し、現在の論争では改宗者ではなく、生まれながらにして宗教二世となった人々に焦点が当てられている。

ライオンズは、第一次と第二次の違いを示すにあたり、改宗者に焦点が当てられていた時代には、反カルト主義者の主な武器が「洗脳」理論だったことを強調している。これに対し、「宗教二世」においては洗脳やマインドコントロールの問題はそれほど大きな比重を占めていない。むしろ二世たちは、自分の不幸を「親ガチャ」のせいにする傾向がある。

もっとも、「洗脳」というナラティブは、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)が主導する公共論争において依然として重要な位置を占めている。同団体は最も古い反カルト・反統一教会組織であり、2025年3月の一審判決で統一教会の宗教法人解散が命じられた際にも、マインドコントロールの主張が争点として扱われるよう働きかけた。しかしライオンズは、こうした全国弁連の「伝統的」な反カルト路線は、いまや「宗教二世」を支援する新しい団体によって挑戦を受けており、そのレトリックは大きく異なっていると指摘している。

さらに、第一次と第二次カルト論争のもう一つの違いは、日本の宗教学者の多くが反カルト主義者と足並みをそろえている点にある。第一次カルト論争では、新宗教を研究する学者たちは、「カルト」とレッテルを貼られた団体が米国やヨーロッパの法廷で勝訴するうえで重要な役割を果たした。

麻原彰晃(1955-2018)、死刑を執行されたオウム真理教の創設者。

ライオンズは、日本でこのような驚くべき状況が生じている理由については詳しく触れていない。私の見解では、その背景の一因には新宗教団体オウム真理教による一連の犯罪、なかでも1995年に東京の地下鉄で発生したサリン事件があると思われる。実際、一部の日本の研究者は、かつてオウム真理教の行事に参加していた。

オウムの犯罪が明るみに出た後、メディアから「危険なカルト」とされた運動に同情的な立場を示した日本の研究者は、嫌がらせを受けることなく学問的キャリアを続けるのは不可能になった。その結果、多くの研究者が反カルトの立場へと転じていった。反カルト思想に異議を唱える若手の日本人研究者は、多くの場合、日本国内ではなく海外の学会で、しかも英語でのみ発表を行っている。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e4%ba%8c%e4%b8%96%ef%bc%9a%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%81%ae%e4%ba%8c%e4%b8%96%e8%83%8c%e6%95%99%e8%80%85%e3%81%af%e4%bf%a1%e9%a0%bc%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%82%8b%e3%81%8b%ef%bc%9f3-%e3%80%80/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ116


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

二世:統一教会の二世背教者は信頼できるか?2. 背教者:元信者の中の少数派

Aug 27, 2025 by Massimo Introvigne | Documents and Translations, Japanese

ほとんどの元信者は、離れた宗教に激しく反対することなく、ただ自分の人生を歩んでいく。

マッシモ・イントロヴィニエ

全4本の記事の2本目

英国の社会学者アイリーン・バーカーと、1984年に出版した彼女の著書『The Making of a Moonie』。

背教者(かつて所属していた宗教に強く反発するようになった元信者)は、全体のごく一部にすぎない。ほとんどの元信者は、自分が離れたグループに対する攻撃的な反対者になることも、悪質だと見なすこともない。むしろ、社会に再び溶け込めることに満足し、もし離れた理由を聞かれれば、以前の宗教には良い点と悪い点の両方があったと答えるだろう。

実証データもこの見解を裏づけている。1999年、私はフランスの秘教運動「ニュー・アクロポリス」の元メンバーを対象に調査を行った。同団体は自らを宗教団体と位置づけていなかったため、プライバシーの懸念が解消され、元会員の名簿を入手することができた。これは匿名のアンケートを送るためにのみ使用した。

その結果、120名から回答が集まった。サンプルの11.7%が背教者(apostates)、16.7%が脱落者(defectors)、71.6%が普通の離教者(ordinary leavetakers)であった。

ニュ—・アクロポリスの創設者、ホルヘ・アンヘル・リブラガ・リッツィ(1930-1991)。出典:X

これを新宗教運動に関する学術研究の一流誌である「ノヴァ・レリジオ」で発表した際、私の研究結果が、「カルト」とレッテルを貼られたグループの元信者を対象にした他の学者の研究とも一致していることを発見した。その一例として、1981年に統一教会の元信者を調査したトルーディ・ソロモンの研究がある。

学術的なモデルでは、宗教からの離脱は、本人が自らの意思で選択する主体的なプロセスとして理解されている。これに対し、反カルト主義者の立場はより受動的で、背教者を「カルト」に囚われた「被害者」とみなし、外部からの「救出」によってのみ抜け出せると考える傾向がある。この発想は、時に「ディプログラミング」という過激な実践にまで発展する。そこでは信者が、家族に雇われたプロの「ディプログラマー」に拉致され、最終的に信仰を放棄するまで、しばしば強引で暴力的な説得を受ける。

しかし、イギリスの社会学者アイリーン・バーカーをはじめとする研究者たちは、この理論が統計的に裏づけられていないことを明らかにした。バーカーは頻繁に「カルト」とレッテルを貼られる団体の一つである、統一教会を調査し、そのほとんどの信者が誰かから「救出」されたり、ディプログラミングを受けたりする必要なく、5年以内に自ら静かに離れていたことを明らかにした。反カルト主義者が描く架空の「刑務所」とは違い、現実の新宗教運動では「回転ドア」のように人が出入りしているのである。

ブロムリーは、反カルト主義者が描いた棄教の「救出」モデルを、ネイティブ・アメリカンに拉致されたアメリカの白人入植者の、人種差別的な「捕囚物語」と比較した。19世紀には、特に若い白人女性がどのように拉致され、ネイティブ・アメリカンと結婚して彼らと同じように生きることを強制されたかを描いた本が人気を博した。この本は、ネイティブ・アメリカンの性的行動を不道徳なものとする誇張的な描写によって成り立っていた。同じような筋書きで、反カルト運動家たちはこの捕囚物語の構造を利用し、「カルト信者」を「カルト」によって「拉致監禁」された存在として描き、最終的には「ディプログラマー」によって「救出」される、という物語を作り上げてきたのである。

『The Abduction of Daniel Boone’s Daughter by the Indians』。カール・フェルディナント・ウィマー(1828-1862)作。

なぜ一部の元信者が「背教者」となるのか、その理由を探る研究者たちは、脱会プロセスに重要な意味があると指摘している。「カルト」からの脱会の際に拉致され、成功裏に「ディプログラム」された人々、すなわち「カルト」を離脱するよう激しい心理的圧力を受けた人々は、背教者になる可能性がはるかに高いことが研究で分かっている。「ディプログラミング」の成功によって脱会した人々は、「カルト」とレッテルを貼られた運動からの脱会者のうち少数派であり、それは背教者も同様である。

宗教団体を離れる人々は、脱会前、もしくは脱会中、または脱会後に反カルト運動と接触することがある。なぜなら脱会プロセスを開始するために、親族が反カルト組織と相談するからである。あるいは脱会を検討する人は、自分の属する宗教に対する批判を探したり、好奇心を示したりするからである。

もし反カルト運動やディプログラマーが、背教者を生み出す上で中心的な役割を果たしているとすれば、ブロムリーが書いたように、「背教者の証言が、反カルト運動が主催するあらゆる範囲の社会統制活動の中心となる。」これらの活動は、新宗教運動を差別し、可能であれば抑圧しようとするものである。

背教者の一部には、統一教会出身のスティーヴン・ハッサンのようにディプログラマーとなり、専門的および学術的な資格を取得した者もいる。その他多くの者たちは、反カルト運動と関わり続け、ブロムリーの言葉を借りれば、「道徳的地位の低下」を目標にした働きかけを、離れた団体に対して続けている。それゆえ、「満足している信者は洗脳されていると片づけられ、市民プロジェクトはPR活動とみなされ、関連団体はフロント団体とレッテル貼りをされてあざけられる」。そして背教者の説明を疑う学者は「カルト擁護者」と呼ばれるのである。

背教者からディプログラマーへ転じたスティーブン・ハッサン。出典:X

ブロムリーはまた、さまざまな種類の「背教者の職業」についても説明している。自分が離れた宗教を批判する本や講演で生計を立てたり、収入の大部分を得ている者もいる。他の元信者を勧誘して、背教者に変えようとする者もいる。そして、反カルト運動は背教者を利用し、彼らが「カルト」とレッテルを貼る宗教に対する攻撃の中で、「申し立てのあった違反行為は非常に根本的かつ大規模なものであり、(カルト側の)無実を訴える抗議は即座に拒否されるべき」と主張するのである。

背教者の物語を広めることによって、「(カルトに)敵対的な世論の風潮が作り出される」と、「調査公聴会」や裁判、政府による差別を通じて、「社会統制」と公的「制裁」が発動されるようになるとブロムリーは指摘している。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e4%ba%8c%e4%b8%96%ef%bc%9a%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%81%ae%e4%ba%8c%e4%b8%96%e8%83%8c%e6%95%99%e8%80%85%e3%81%af%e4%bf%a1%e9%a0%bc%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%82%8b%e3%81%8b%ef%bc%9f2-%e3%80%80/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ115


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

二世:統一教会の二世背教者は信頼できるか? 1. 「背教者」とは誰か

Aug 26, 2025 by Massimo Introvigne | Documents and Translations, Japanese

「背教者(apostate)」という言葉は単なる侮蔑でも、「元信者」の同義語でもない。これは、自らのかつての信仰に対して闘争的な批判者となった元信者の少数派を指す。

マッシモ・イントロヴィニエ

全4本の記事の1本目

アメリカの社会学者デビッド・G・ブロムリーは、1998年に刊行された背教者に関する重要な書籍を編集した。

2024年4月30日、国連の4人の特別報告者が日本政府に公式書簡を送った。彼らは、宗教および信条の自由、教育に対する権利、平和的集会及び結社の自由に対する権利、意見および表現の自由に対する権利を担当する国連特別報告者だった。日本で憂慮すべき事態が進行しているとの情報を受け、当時の首相宛てに、「宗教的少数派に対して攻撃と脅迫が頻発してきた」との「深刻な懸念」を表明した。その背景には、日本政府による「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」の公表があった。

日本では、統一教会(現在の正式名称は世界平和統一家庭連合だが、旧称で呼ばれることが多い)やエホバの証人の二世信者が、「宗教の信仰等を背景とする児童虐待」の「被害者」として描かれ、彼らの教育は抑圧的かつ不適切であるとするキャンペーンが展開された。その結果、保守的な宗教団体の中での子どもを育てる親の権利を制限する規制が導入された。2025年7月24日には、統一教会の信者を親にもつ二世の元信者8人が、教団内での教育によって「心理的損害」を受けたとして、いわゆる「集団訴訟」を起こし、教会に損害賠償を求めた。

日本の状況は深刻だが、決して特異なものではなかった。国際的にも、新宗教の二世信者を「被害者」と見なし、彼らを「救済」すべきとする古い反カルト的なステレオタイプが再び広められつつある。

信仰を離れた元信者たちは、さまざまな証言を広く語ってきた。本シリーズでは「背教者」という用語の学術的な定義を整理し、20世紀の「カルト論争」に関する研究成果を振り返る。そして、日本を含む世界各国において、統一教会や他の宗教の二世背教者が、一世と本質的に異なると考える根拠はないと論じる。

もともと「背教(apostasy)」という言葉は、ある宗教を棄てて別の宗教や無神論に移ることを意味していた。この初期の定義では、信仰を離れた人々の立場や見解の違いは区別されていなかった。しかし、近代宗教社会学の登場とともに「背教者」という概念に新しい解釈が生まれた。より具体的な定義では、信仰を離れた人すべてが背教者とされるわけではなく、積極的にかつての信仰に反対し、公に批判する者だけが背教者とされるのである。

背教者に関する体系的な研究は、新宗教に対する研究から始まった。スチュアート・ライトが1988年に指摘したように、この分野の研究者たちはそこで「奇妙な発見」をした。それは「データの不足」であり、背教者を対象とした社会学的研究が「驚くほど少ない」という事実だった。歴史学では、19世紀の元カトリックや元モルモン教の背教者が扱われてきたものの、1970年代以前の社会学理論には限界があった。

レベッカ・リード(1813-1860、左)とマリア・モンク(1816-1849、右)は、19世紀にカトリックを離れた最も有名な背教者だった。彼女たちはカトリック修道院について、扇情的で虚偽の暴露本を書いた。

新宗教を研究する学者たちが、背教者の問題に注目してきたのは、偶然ではない。反カルト運動は、特定の団体を「カルト」と断じ、それが有害であることを示すために、背教者を体系的に利用してきた。反カルト運動は学界ではほとんど支持を得られず、「カルトは“真の”宗教ではなく、信者獲得のために洗脳を用いている」と考えるのは、ごくわずかな学者だった。しかし、メディアにおいては大きな成功を収めることになった。

「カルト」とされた宗教からの背教者の証言は、すぐにジャーナリストの関心を引きつけた。学者による複雑な分析とは対照的に、背教者のストーリーは筋がわかりやすく、誰がヒーロー(背教者や反カルト活動家)で、誰が悪役(カルト指導者や、時には背教者の信憑性を疑う学者)なのかが明確に描かれた。また、虐待のようなセンセーショナルな話を含むことも多く、読者や聴衆を強く惹きつけた。

背教研究の第一人者デビッド・ブロムリーが示した枠組みに基づき、研究者たちは新宗教からの元信者を三つのタイプに分類している。1.脱落者(defectors)、2.普通の離教者(ordinary leave-takers)、3.背教者(apostates)である。

タイプⅠのナラティブは、脱会プロセスを「脱落」として描く。ブロムリーによれば、「脱落者の役割は、ある組織の参加者が脱会について主に組織の権力者と交渉し、その権力者が役割の放棄に対する許可を与え、脱会プロセスを管理し、役割の移行を促進するものとして定義されるであろう。共同で構築された考え方は、役割遂行上の問題に対する主たる道徳的責任を、脱会しようとしているメンバーに割り当て、組織が脱会を許可することは類まれなる道徳基準と社会的信頼の維持に対する献身であると解釈する。」

タイプIの場合、離脱する成員は、自分が組織の基準を満たせなかったことを認める。彼らは個人的な問題を原因とする挫折感から、依然として善良で道徳的に高いとみなす組織にとどまれなかったことを後悔する。

カトリックの元司祭の中には背教者もいるが、大多数は「脱落者」か「普通の離教者」である。(スクリーンショット)

タイプⅡ(普通の離教者)のナラティブは、最も一般的であると同時に、議論されることが少ない。実際、日々さまざまな組織から成員が脱会しているが、対立が生じない限り、脱会プロセスについて議論されることはほとんどない。争いのない脱会プロセスでは、脱会しようとしている個人と、彼らが離れようとしている組織、そして社会環境の間で最小限の交渉だけが行われる。

現代社会には、しばしば次のような単純なナラティブが共有されている。すなわち、人はある社会的な「居場所」から別の領域へ移る際、過去の経験への関心や忠誠心、コミットメントを失い、新しい環境を受け入れる傾向がある、というものである。この意味で、基本的なタイプIIのナラティブでは、普通の離教者は過去の経験に強い結びつきを持たない。さらに、普通の離教者は大げさな説明を要することもなく、脱会プロセスにおいてその理由や責任が深く追及されることもほとんどない。

タイプIIIのナラティブは、背教者の立場を説明するものである。ここでは、元信者は忠誠心を大きく反転させ、かつて所属していた組織の「徹底した敵対者」となる。ブロムリーの言葉を借りれば、「このナラティブは、背教者が体験した拘束と、最終的な脱出あるいは救出の物語を通して、元の組織の根本的な邪悪さを明らかにするもの」である。

元の組織は、ためらうことなく背教者に対して裏切り者というレッテルを貼るだろう。しかし背教者は、とりわけ反対勢力に加わった後は、自らを望まずに入会させられた「被害者」または「囚われ人」として受け止めることが多い。反カルト運動を通じて、そのような反対勢力に一度関わるようになると、背教者は「洗脳」という説得力のある比喩を含む多様な理論的枠組みに触れることになる。そうした枠組みは、組織がいかに悪質で、いかに信者から自由意志を奪うかを説明するうえで効果的である。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e4%ba%8c%e4%b8%96%ef%bc%9a%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%81%ae%e4%ba%8c%e4%b8%96%e8%83%8c%e6%95%99%e8%80%85%e3%81%af%e4%bf%a1%e9%a0%bc%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%82%8b%e3%81%8b%ef%bc%9f1/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ114


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

魂の闘い:後藤徹氏が語る、「監禁」と「勇気」の壮絶な物語

Aug 25, 2025 by Massimo Introvigne | Documents and Translations, Japanese

家族とディプログラマーによって12年以上にわたり監禁された日本人統一教会信者の物語は、多くの人に知られるべきものである。

マッシモ・イントロヴィニエ

勝訴した当時の後藤徹氏と、後藤氏の英語版著書。

宗教への不寛容が長く影を落とす中、後藤徹氏の著書ほど鮮明かつ勇気ある記録はない。『死闘 監禁4536日からの生還』(英語版Battle for Survival: 4,536 Days in Captivity, ワシントンDC, ワシントン・タイムズ・グローバル・メディア・グループ, 2025)は、統一教会の信仰を棄てさせるために信者を監禁し、最終的には失敗に終わったディプログラミング(脱会説得)を、12年以上もの間耐え抜いた物語である。

最も身近な人々によって長年にわたり強制的に監禁された日々を綴った本書は、信仰を理由とした迫害を、社会が見過ごす現実に対する、痛切な記録である。静かでありながら力強く、圧倒させられる本書は、一人の男性の苦難を通じて組織的無関心を告発すると同時に、驚くべきことに、恩寵の記録ともなっている。

冒頭から、後藤氏は読者を息の詰まるような恐怖へと引き込む。舞台は刑務所でも人里離れた村でもなく、東京杉並区のごく普通のマンション。そこは本来、家族や隣人との団らんがあるはずの場所だ。しかし、この部屋はほぼ完全な孤立と心理的抗争の場と化していた。後藤氏の受難は1995年に始まる。統一教会の熱心な信徒として活動していた彼は、信仰を「誤り」とみなした親族により強制的に拉致された。目的は「ディプログラミング」――執拗な心理的圧力と肉体的拘束によって、彼の信仰を放棄させることだった。その試練が終わったのは2008年であった。

後藤氏の記述は、その状況の恐ろしさを容赦なく、また正確に表現している。十年以上にわたり彼は、自由を奪うことを目的として綿密に仕組まれた戦略の標的となった。監禁され、外界との接触を一切断たれた生活は、厳しく制限された日課と、雇われたディプログラマーや宗教「専門家」との屈辱的な戦いの日々だった。彼らは数時間に及ぶ神学的攻撃と、感情の操作、そして疲弊戦術を後藤氏に浴びせ続けた。

ある時期から、後藤氏はごくわずかな食事しか与えられず、やせ細って栄養失調に陥ったと証言している。体重は40キログラムを下回り、監禁中医療手当がなされることは一度もなかった。歩くことも、立ち上がることすら難しいこともあった。そのような極限状態で抵抗するには、単なる力でなく、肉体的な安らぎを超えた、神聖なものへの信仰が必要だった。

栄養失調に陥り、ほとんど動けない状態――12年にわたる監禁とディプログラミングを経た後の後藤徹氏。

年月を重ねるにつれ、後藤氏自身の心理的戦術も、彼への攻撃と同じくらい精妙になっていった。教団へ疑いを抱かせるよう仕組まれた問いには、決して答えなかった。また、誰かに届くことはなかったものの、手紙を書き続けた。彼は静かに祈りを捧げ、統一教会の「原理」を思い起こし、外の世界を思い描いた。それは決して逃避ではなく、彼自身の支えだった。そして時間の感覚を保つために、日課を組み立てた。季節の移ろいが分からなくなると同時に、人々も変わっていった。かつて愛した家族は監禁の首謀者となり、信頼していた兄も説得者へと変わっていた。

一人で過ごす祝日や、祝われることのない誕生日、外部から警察に通報があったにもかかわらず警察が介入を拒むという衝撃的な現実、これらの記録はひときわ胸を打つ。社会はディプログラミングを犯罪ではなく、家族の問題として扱っていた。トラウマは、マンションの中で起きた出来事だけでなく、外で本来起こるべきことが起こらなかったことにもあった。

『死闘』で最も衝撃的なのは、加害者の行動そのものではなく、それを可能にした社会の無関心である。この本は、日本が反カルト行為を黙認し、宗教的少数派を繰り返し差別し、その信者をまるで精神的に異常であるかのように扱ってきたことを告発している。さらに後藤氏は、「脱会活動」の変遷も描いており、その実態は、信者の家族や宗教関係者、自称セラピストらが、法のグレーゾーンで脱会活動を実行していた無規制のネットワークであった。

彼の証言は、私たちに厳しい問いを突きつける。なぜ警察は動かなかったのか。なぜ強制的なディプログラミングから人々を守る仕組みがなかったのか。なぜ彼の苦しみは、解放から長い年月が過ぎるまで人権侵害として認められなかったのか。

本書では、統一教会の信者や弁護士たちが繰り返し後藤氏の事件に光を当てようとした経緯を詳しく描いている。彼らは嘆願書を集め、記者会見を開き、監禁アパートへの接触を試みた。しかし、長い年月の間、事態は一向に動かなかった。ようやく2008年になって、後藤氏の健康が危機的状況に陥り、立つことすらままならなくなったとき、統一教会の信者と法務チームの尽力が実を結び、解放へとつながった。

監禁解放後も、法廷で後藤氏の闘いは続いた。彼は家族や監禁に関わった者たちを訴え、人権侵害を主張し責任を追及した。この訴訟は画期的だった。その理由は、日本でこれほど長期に及ぶ宗教的迫害の事例が起訴された前例がなかったからである。賠償額は十分ではなかったものの、後藤氏の勝利は道義的評価の点で極めて大きな意味を持っていた。そしてそれは、日本における強制的なディプログラミングの慣行に終止符を打ったのである。しかし、安倍晋三元首相暗殺事件後に高まった反カルトの風潮の中で、こうした行為が形を変えて再び現れる危険性は今も存在している。

文鮮明・韓鶴子夫妻と共に写る後藤徹氏。

しかし本書は、法的勝利を誇るためのものではない。後藤氏は裁判について、冷静かつ厳しい視点で綴っている。感謝の気持ちを示しつつも、司法の限界を痛感している。多くの加害者は処罰されることなく自由の身にあり、監禁を可能にした制度にも依然として抜け穴が残っている。彼のストーリーは、個人的な体験を超えて政治的意味において、宗教の自由を「条件付き特権」ではなく「人権」としてとらえるよう訴えている。

暗い状況の中にあっても、後藤氏の物語は最終的に「再生」の物語となっている。彼を支えた信仰は、決して無謬の宗教的ドグマとして描かれているのではなく、想像を絶する苦難を生き抜くための、きわめて個人的な道として描かれている。後藤氏は教義を説教したり、誰かを改宗させる気はない。ただ、祈りがいかに彼に力を与え、聖書や経典が彼の指針となり、地上の愛に見放されてもなお、神の愛だけが彼を正気につなぎ止める唯一の力であったかを語っている。

この本で最も胸を打つ場面の一つは、後藤氏が「赦し」の難しさについて思いを巡らす箇所である。彼は家族全員を悪人として断罪するのではなく、彼らが人間性を失ってしまったことを嘆いている。深く悲しみながら、何が彼らをそこまでして後藤氏を打つように動かしたのか。そして、このような繊細な感情の動きの表現が、本書を単なる記録から文学へと引き上げている。この本は宗教迫害の告発であると同時に、家族、記憶、そして断たれた絆をめぐる探究でもある。

この本の文体は簡潔で、ときにそっけないほどだ――後藤氏は派手な比喩や華美な言葉に頼ることがない。しかし、その感情に響くインパクトは圧倒的である。一文一文慎重に選ばれた文章が、彼のトラウマをより響かせる。読者として、壁が迫ってくる感覚と、時間が果てしなく引き延ばされる感覚を覚える。本来なら忘れ去られていたはずの男が、決して消え去ることを許さなかった。その鼓動を、読者は確かに感じ取るだろう。

世界中の信仰共同体にとって、『死闘』は警鐘であると同時に、インスピレーションとなる。一般読者にとっては、信仰的価値観の違いを時に「病理」と混同する社会が、衝撃的に映るであろうし、法律家や人権活動家にとっては、個人の自由と制度的怠慢が交錯する事例のケーススタディとなるだろう。

本書が最終的に示しているのは、人間の精神がもつ驚くべき忍耐力である。後藤氏は極限状態から生き延びる間、決して受け身ではなかった。能動的に、絶え間なく、断固として諦めなかった。それは祈りを通して、孤独に耐え、人間の尊厳は決して奪われることはないという確信の中で養われたものだった。『死闘』は、狭い部屋の中、観客も拍手もないまま繰り広げられた戦いの記録である。

それでも主人公は、数々の困難を超えて、苦しさではなく力強さをもって立ち上がる。彼は、立ち直る力とは、生まれつきの資質ではなく、選択であるということを私たちに教えてくれる。また、信仰は「弱さ」ではなく「鎧(よろい)」であることを。そして自由は必ずしも与えられるものではなく、ときに自らの手で取り戻さねばならないものということを教えてくれる。

今年もし一冊だけ回顧録を読むとしたら、後藤徹氏の本をお薦めする。それは慰めをくれるからではなく、その真実のゆえにである。その真実から、私たちの共有すべき「人間性」を見つけることができるであろう。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e9%ad%82%e3%81%ae%e9%97%98%e3%81%84%ef%bc%9a%e5%be%8c%e8%97%a4%e5%be%b9%e6%b0%8f%e3%81%8c%e8%aa%9e%e3%82%8b%e3%80%81%e3%80%8c%e7%9b%a3%e7%a6%81%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%80%8c%e5%8b%87%e6%b0%97%e3%80%8d/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ113


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

日本:旧統一教会二世が声を上げる

Aug 14, 2025 by Seijin Anthony Shirotori | Documents and Translations, Japanese

マスコミは、両親の教会に対して不満を持ち脱会した数名の子ども達の主張を強調し広めている。では、現在も教会に残り差別と誹謗中傷を受け続けている大勢の子ども達はどうなっているのか。

シロトリ・セイジン・アンソニーによる証言*

*2025年7月10日にオーストリア、ウィーンで開催された第八回欧州宗教学アカデミー年次大会の一コマ、「新宗教運動の二世背教者と反カルト運動」の講話の際に発表された証言。

シロトリ・セイジン・アンソニーが証言を発表。

私の名前はシロトリ・セイジン・アンソニーと申します。私は「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)の二世信徒です。

本日は、私の信仰についてお話しするとともに、日本における私たちの教会の現状について、私自身の考えを共有させていただきたいと思います。教会名にもあるとおり「家庭」は私たちの信仰の中心です。ですので、まずは私自身の家庭について少し紹介させてください。 私の両親は教会に入信し、文鮮明総裁によるマッチングのもと、「祝福式」(いわゆる合同結婚式)に参加しました。

父は日本人で、母はメキシコ系アメリカ人です。私はアメリカで生まれ、その後家族で日本に移住し、日本で学校に通いながら成長しました。育つ中で、両親だけでなく、日本とアメリカそれぞれの祖父母からも多くの愛情を受けました。その愛のおかげで、私は東洋と西洋、両方の文化の良さを実体験として学ぶことができました。妹が一人おり、私は彼女をとても誇りに思っています。家族をいつも笑顔にしてくれる妹の兄であることは私の大きな喜びです。

2008年、私は文鮮明総裁によって妻とマッチングされ、両親と同じように、ニューヨークで祝福式に参加しました。妻とは16年間、幸せな結婚生活を送り、私たちには愛する息子もいます。さらに、私の義理の両親も私を実の息子のように愛してくれ、親戚も本当に善良で誠実な方々ばかりです。 私は二世信徒であるため、改宗者のように自ら選んでこの教会に入ったわけではありません。私は生まれながらにしてこの信仰の中で育ち、そしてこの信仰に形づくられてきました。このような私を可哀想に思ったり、「洗脳されたのでは」と疑う方もいるかもしれません。ですが私にとって教会は、深い意味と、人生の基盤、そしてコミュニティとのつながりの源でした。

私の両親の世代は混乱の中で真理と平和を求め、教会に出会いました。一方、私たちの世代はその理想を体現するように育てられてきました。そのようにして育った私たちが「完璧である」という訳ではございませんが、私たちの教会と信仰に対する誠実さが本物であることに変わりはありません。

日本で家庭連合二世信者として育つことは、常に緊張を伴いました。

自分の育ちや信仰に忠実であろうとする一方で、信仰を誤解し、揶揄する世間の中で生きていかなければなりませんでした。私は、「壁」ではなく「架け橋」のような存在になることを目指してきました。

私は三か国語を話し、通訳や翻訳の仕事をしながら、日本と私の信仰共同体の両方に誠実に貢献できるよう努めてきました。しかし、日本政府が私の「心の故郷」を解体していく様子を、マスコミが歓声をあげながら見ているのを見ると、自分がこの国で育ったにもかかわらず、よそ者になったような感覚に陥ります。

私は現在、うつ病を患っており、数年前から治療を受けていますが、東京地裁が解散命令を出して以来、症状が悪化しています。不安感はひどくなり、不眠に悩まされ、抗うつ剤と睡眠薬に頼らざるを得ません。マスコミによる終わりのないネガティブな報道は、私を「人間とすらみられていないではないか」と感じさせ、存在すら否定されているように思えてきます。

「たとえ教団が解散されても、信仰生活は続けられる」と言う方々もいます。しかし、すでに若い信徒の中には報道のゆえ自ら命を絶った者もおり、また、教会員が非人道的に扱われている事例も複数あります。私は、解散命令が「この教会の信者は人間以下である」という社会的メッセージとして受け取られてしまうのではないかと、強い懸念を抱いています。

私たちの教会に敵対している方々は、私たちを「反社会的存在」だと決めつけ、マスコミの一部の方々は私たちのことを「精神異常者」や「繁殖期のゴキブリ」といった言葉で嘲笑しました。日本社会の多くの方が、「統一教会に対してなら、何をしても何を言っても許される」と信じているように感じます。

私はときどき思います。いったい何人の信者の人権が侵害されたら、人々は私たちの苦しみに気づくのだろうか。どれほどの血が流され、どれほどの人生が壊されたら、社会は「彼らも同じ人間だ」と気づいてくれるのだろうかと。

また私は、今回の解散命令が、安倍晋三元首相の暗殺という事件を契機に下されたことにも、深く憂慮しています。もし教会の教えを実践するために、教会員が安倍氏の命を奪ったのであれば、解散を求める声にも理解はできます。しかし実際には、犯人は教会を「傷つけたい」という動機で安倍氏を襲撃したのであり、教会を支援するためではありませんでした。

安部元首相を銃撃した山上徹也のスクリーンショット。

にもかかわらず、日本政府と裁判所が解散命令を出したことは、日本社会、さらには国際社会に対し、「テロを行えば、目的を達成できる」というメッセージを発信してしまったと思えてなりません。私には、日本社会がテロに対抗する努力をほとんどせず、家庭連合を悪者に仕立てあげ、叩くことに忙しくしているように見えます。実際、安倍元首相の死後、岸田文雄元首相や「NHK党」創設者の立花孝志氏までもが白昼堂々と襲撃される事件が起きています。

このまま家庭連合に対する解散命令が覆らなければ、日本はテロリストが横行する国になってしまうのではないかと、私は本気で危惧しています。また、家庭連合の解散を支持する「全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)」のような、中国寄りの左派勢力は、創設以来、一貫して「スパイ防止法」の制定にも反対してきました。もしこのような勢力の思惑通りになれば、日本はスパイやテロリストの温床となり、アジア、さらには世界において宗教の自由を弾圧する中国共産党の手先になりかねません。

私は日本のマスコミや政府に深く傷つけられましたが、歴史上、多くの信仰者たちが信仰のために苦しんできたことを知っています。古代ローマ時代のキリスト教徒、ナチス・ドイツ時代のユダヤの方々、中国で迫害される法輪功の信者の方々です。

信仰を守り、自分らしくあるための痛みに向き合いながら、私は彼らを忘れず、自分の信仰と価値観を貫くことで彼らに恥じぬよう努めていきます。

私は、神と家族を中心とした徳のある人生を歩む努力を続けながら、人生の喜びを決して見失わないようにしたいと思います。

安倍元首相の悲劇的な死を無駄にしないためにも、努力を惜しまないと誓います。実は、安倍元首相の国葬の日は、私の誕生日でもありました。

教会にとどまり、信仰生活を続けていくことこそが、私が安倍元首相へお捧げできる最大の敬意であり、私の「第二の故郷」である日本への恩返しだと思っています。これからも、世界平和統一家庭連合の素晴らしさを多くの方々に伝え、世界をより良くしていけるように努力してまいります。

信仰のために立ち上がる:2024年、日本の三重県にて信仰の自由を求めて抗議活動をする家庭連合信徒達。

日本における状況は非常に残念でなりませんが、それでも多くの信徒が、若者も高齢者も、激しい逆風の中で信仰を守り通している姿に、大きな勇気をもらっています。

私たちは、今この教会に降りかかる危機の背後には、はるかに大きな力が働いていると信じています。

他の宗教を信じている方々を代表する思いで、私たちはこれからも声を上げていきます。教会を守る闘いを通して、私たちは世界における宗教の自由を守ることに貢献できるよう祈り、願っています。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%ef%bc%9a%e6%97%a7%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e4%ba%8c%e4%b8%96%e3%81%8c%e5%a3%b0%e3%82%92%e4%b8%8a%e3%81%92%e3%82%8b/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ112


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

洗脳論の亡霊:日本の国会で語られる「マインド・コントロール」 2. 日本版MIVILUDESと子どもの棄教?

Aug 18, 2025 by Patricia Duval | Documents and Translations, Japanese

日本弁護士連合会は、悪評高いフランス反カルト政府機関の日本版クローンをつくろうとしている。

パトリシア・デュバル

全2本の記事の2本目

パリで行われた、MIVILUDESによる「思想警察」への抗議活動。

マインド・コントロールを犯罪化するという1つ目の提言に加え、日本弁護士連合会(以下「日弁連」)が2025年2月25日に国会へ提出した2つ目の提言は、2023年11月15日に行った「カルト問題に対して継続的に取り組む組織等を創設することを求める提言」に基づくものだった。

日弁連は、政府に対し、主管省庁の下に省庁横断的な常設対応組織を創設し、以下の取組みを行うよう求めている。

・集積された情報に基づく分析
・カルト被害に関する注意喚起及び広報
・カルト問題に取り組む民間団体との協業および民間団体への財政支援

この提言は、フランスの「セクト的逸脱行為関係省庁警戒対策本部(MIVILUDES)」をそっくりコピーしたものである。

しかし、MIVILUDESの実態はというと、「集積された情報」とされるものは、宗教的少数派を「カルト」と呼び軽蔑視する親族や知人から寄せられた、一方的な告発や非難に基づいており、当事者である団体がこうした情報に反論する機会は全く与えられていない。

MIVILUDESは、フランスの裁判所からこれまで、こうした報告を「集積された情報」として年次報告書に掲載し、さまざまな少数派を中傷したとして、何度も非難されてきた。

また、「注意喚起及び広報」と称する取り組みも、実際にはMIVILUDESのこうした団体へのレッテル貼りキャンペーンであり、その多くは国から資金提供を受けた民間の反カルト組織を通じて実施される。

宗教または信条の自由に関する国連特別報告者は、フランスに関する2006年の報告書(本記事の1本目で引用)において、これらすべてを非難している:

「108. しかし報告者は、フランス当局が採用した政策や措置によって、これらの団体の構成員の宗教または信条の自由の権利が不当に制限される状況が引き起こされているとの見解を示している。さらに、これらの団体の一部を公に非難し、その構成員にスティグマを付与することは、特にその子どもたちに対して、特定の形態の差別をもたらしている。」フォームの始まり

そして特別報告者は、フランス政府に対し次のような勧告を行った。

「113. さらに報告者は、民間の取り組みや政府が支援する団体によって国内各地で実施されている対策活動やキャンペーン、とりわけ学校制度内で行われているものについて、これらの団体の子どもたちが悪影響を受けることを避けるために、政府がより注意深く監視することを勧告している。」

しかし、こうした勧告とは正反対に、日弁連は国会に対し、旧統一教会の二世信者に関するさらなる提言を行った。

同じくマインド・コントロール理論に基づき、信者の子どもの「脱会」に関する提言が国会に提出されたのである。

この提言は、日弁連が2023年12月14日に発表した「宗教等二世の被害の防止と支援の在り方に関する意見書」に基づいていた。

同意見書では、「出生時または幼少期から信仰を強制される宗教二世の問題」や、彼らが「親の宗教的信念によって精神的・経済的虐待(恐怖や罪悪感の植え付け、宣教活動の強制など)」を受けるとされる状況が取り上げられている。

日本の児童。「日本版MIVILUDES」は、児童らが「カルト信者(親)の被害者」か、果たして調べるのであろうか。

この提言は、宗教教育は親によって子どもに押し付けられており、子ども自身が自由に選んだものではないため、これに対抗すべきという仮定から生じている。

しかしこれは、日本が署名した条約で保障されている、「父母が、自己の信念に従って児童の宗教教育を確保する自由を有する」ことに明白に反するものである。(自由権規約第18条4項、児童の権利に関する条約第14条2項)

日弁連は、「子どもの意見は、乳幼児期からの保護者の宗教的価値観に強く影響を受けている」と認識した上で、「子どもが明確な意見を表明できない場合も、子どもの権利保障に遺漏がないよう対応する必要がある」としている。

特に、「子どもは、信仰心を育むに当たって監護者である親の影響を強く受けている上に、与えられた信仰を批判的に検討する能力が十分ではない場合もある」という。このような理由から、日本の国公立学校では、子どもに対し親の信仰について「批判的思考」を育てることを目的とした「啓発活動」や、「人権教室」と称して旧統一教会への非難や、その信者を犯罪者のように描く授業が行われている。フォームの終わり

この意見書では、学校教育現場や相談機関において、ガイドライン(「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」)(日本語リンク)を広く活用することを推奨している。このガイドラインについては、2024年4月に4名の国連特別報告者によって日本政府に公式書簡が送られ、その中で、国際人権基準およびそれに対する日本の義務に反するものであると指摘されている。

このガイドラインには、例えば、子どもを宗教活動に参加させることは「心理的虐待」にあたること、幼少期から言葉による叱責や「地獄」への言及などによって恐怖を刷り込むことは児童虐待に該当する、などが含まれている。

日弁連はこの意見書の中でさらに踏み込み、宗教法人による子どもへの宗教教育を法律で禁止し、その違反を法人解散の事由とすることを推奨している。

日弁連はその理由として、「子どもは、与えられた信仰を批判的に検討する能力が十分ではない」、「子どもには適切な教育が必要」、「子どもが自由な信仰心を育みながら健全な成長・発達を遂げることを保障するために、宗教活動への参加を執拗に指示・慫慂したり、日常生活における活動を規律することに対して、一定の制限を加えることにも合理性がある」と結論づけている。

それゆえに、日弁連は宗教法人法を改正し、「宗教法人に対し、子どもの権利への配慮を義務付け」、そして「重大な違反があった場合に解散命令の対象となることを明確にすること」を提言している。

東京の神社に両親に連れられてきた日本の少年:これもまた、「子どもが自らの信念を形成する権利」の侵害にあたるのだろうか。

もし宗教団体やその構成員も、ガイドラインで示された児童虐待にあたる行為を行ったり、親にそうした行為を促した場合、それは事実上、児童虐待を共同で行っていること、または助長していることになる。

さらに、宗教的または思想的な理由に基づいて子どもの権利を侵害する行為については、明確に定義するとともに、重大な侵害は刑事処分を受けるとしている。具体的には、児童虐待防止法や児童福祉法を改正し、「宗教活動や教義等に基づいてなされる子どもの福祉を侵害する行為を具体的に列挙して禁止すること」が明示されている。

宗教法人の解散を認める規定にある「公共の福祉に害する」という曖昧な表現に続き、今度は「宗教活動や教義等に基づいてなされる子どもの福祉を侵害する行為」という、新たな曖昧な概念が登場した。つまり、将来的に親や宗教法人の構成員に刑事罰を科すことを可能にする立法の導入が推奨されているのである。

この「福祉」という概念の曖昧さについては、国連人権委員会がこれまで繰り返し指摘しており、日本に対し、宗教または信条の自由を制限する目的でこの概念を用いることをやめるよう求めてきた(2008年、2014年、2022年の自由権規約人権委員会「総括所見」)。

以上の理由から、これらの国会への提案は却下されるべきである。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e6%b4%97%e8%84%b3%e8%ab%96%e3%81%ae%e4%ba%a1%e9%9c%8a%ef%bc%9a%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e5%9b%bd%e4%bc%9a%e3%81%a7%e8%aa%9e%e3%82%89%e3%82%8c%e3%82%8b%e3%80%8c%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89-2/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ111


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

洗脳論の亡霊:日本の国会で語られる「マインド・コントロール」1. 精神操作を犯罪化する動き

Aug 11, 2025 by Patricia Duval | Documents and Translations, Japanese

信用を失った科学的根拠のない理論に依拠し、日本弁護士連合会は、悪評高いフランスの反セクト法を模倣するよう、国会に要請した。

パトリシア・デュバル

全2本の記事の1本目

日本弁護士連合会が所在する東京のビル

2025年2月25日、日本弁護士連合会(以下「日弁連」)は、「旧統一教会問題等に関する実効的な被害の救済と予防のための勉強会」を国会内で開催した。

この勉強会では、旧統一教会の解散を前提として、その資産分配を円滑に進めるための現行法見直しの提案とは別に、「マインド・コントロール対策」として以下のような提案がなされた。

1.自由意思の侵害に関する法の新規制定
2.反カルト行政機関の創設
3.二世信者の脱会支援体制の整備

これらの提案は、2023年11月および12月に日弁連が公表した提言と意見書に基づいている。

その中で日弁連は、「カルト問題」の深刻さを強調し、今回の対策の理由を説明している。日弁連によれば、「霊感商法」が表面化したのは1975年頃で、旧統一教会に対してその損害賠償を求める動きは1987年に始まったという。

ちょうどこの時期から、「ディプログラミング」(拉致監禁・強制脱会)事件が発生し始め、強制的に脱会させられた元信者らによる損害賠償請求が相次ぐようになった。

1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件以降、2022年7月に発生した安倍晋三元首相銃撃事件は、日弁連にとって「旧統一教会」がもたらしたとされる被害について、メディア報道を通じて社会的関心を大きく喚起するきっかけとなった。

日弁連によれば、人々はマインド・コントロールの下で財産的被害を受けており、その影響は当該団体の信者本人だけでなく、その家族の生活にも深刻な影響を及ぼす可能性が明らかになったという。

その後、政府は「旧統一教会」に関連する問題を協議するために、関係省庁会議を開催し、有識者による調査研究が行われた。日弁連も招かれ、献金を行った本人が依然として被害に気づかず、親族との間にトラブルを引き起こしている事例が多数あるとの見解を示した。

そのため日弁連は、旧統一教会の現役信者もマインド・コントロール下にある潜在的被害者であり、「いまだ自らが被害者であることに気づいていない」とみなしている。また、「カルト」の問題は、そうした団体が活動への参加者に深刻な精神的または身体的依存状態を生じさせる点にあると付け加えた。

さらに、日弁連はフランスの反セクト法における「カルト的団体」という概念を取り入れたと説明した。この概念は、「そのような活動に参加する者に深刻な精神的・身体的依存状態を生じさせ、それを維持し、かつ利用する目的または効果をもって活動を行う団体」による不正行為だと、同法では指している。(2001年6月12日制定「アブ・ピカール法」)

旧統一教会からの最も有名な脱会者であり、「小川さゆり」という仮名を名乗る人物は、SNS上で(たどたどしい英語を用いながら)フランスのアブ・ピカール法の日本版導入を訴えている。

日弁連はこうして、日本政府に対し、「カルト問題」との闘いにおけるフランス方式を導入するよう求めているのである。

しかし、宗教または信条の自由に関する国連特別報告者アスマ・ジャハンギール氏は、2005年9月18日から29日にかけてフランスを訪問した後の報告書において、次のように指摘している。

「87. とはいえ、『カルト』との闘いは、国際基準で保障されている宗教または信条の自由の権利に関わる問題を提起する。前述のアブ・ピカール法の採択後、欧州評議会(PACE)は2002年の決議1309において、『加盟国は公共秩序を守るために必要と考える措置を自由に講じることができるものの、欧州人権条約第9条(思想、良心および宗教の自由)、第10条(表現の自由)、第11条(集会および結社の自由)によって保障される自由への制限は、特定の条件に従う必要がある […]』と強調し、フランス政府に対しこの法律の再検討を求めた…」(E/CN.4/2006/5/Add.4、2006年3月8日)。

欧州評議会のこの決議や、国連特別報告者による批判にもかかわらず、日弁連は日本の国会において、似たような「反カルト」法の制定を推し進めている。

この提言は、日弁連が2023年12月14日に公表した「霊感商法等の悪質商法により個人の意思決定の自由が阻害される被害に関する実効的な救済及び予防のための立法措置を求める意見書」に基づいて行われたものである。

日弁連は、既に信用を失ったマインド・コントロール理論を根拠に、「個人が合理的に判断することができない事情があることを不当に利用した勧誘」を禁止する新法制定の必要性を国会に説明した。

宗教的選択において何が「合理的な判断」に当たるのかについては説明されなかったが、その勉強会のテーマからすれば、特に旧統一教会のように「カルト」というレッテルを貼られた少数派宗教への入会は、「判断力が損なわれた」結果とみなされていることは明らかであった。

日弁連によれば、人は、弱み、不安、恐怖、心配事、願望など脆弱な点につけ込まれると、必ずしも知識、経験、判断力に不足がない者であっても合理的な判断ができない状態となりうるという。

そのような状況は操作されやすく、心理的依存を生じさせ、本人は「運が開ける」と言われただけで金銭を寄附したり物品を購入したりするようになることがある。

さらに、「その唯一の救いの道として示されれば、教祖や教義に従うようにもなる。その状態が維持されることで、継続的な寄附をするようにもなる。このように、人の脆弱性につけ込む形でなされた不当な勧誘行為がなされると、自己の利益を確保するための防御能力や判断能力が充分に働かないままに不当な出捐を無批判に行うよう誘導されていくことになる」と説明されている。

これは、宗教指導者による「精神操作」の理論であり、また「カルト」というレッテルを貼られた少数派宗教にのみ典型的に適用されるものである。明らかに、伝統宗教には適用されることを想定していない。

このような曖昧で差別的な概念は、西側諸国の裁判所で退けられており、欧州人権裁判所も科学的根拠がないと認定している。(「エホバの証人モスクワ支部対ロシア」判決、2010年6月10日、§129)

これはフランスの「アブ・ピカール法」をそのままコピーしたものであり、この法律は「そのような活動に参加する者に深刻な精神的・身体的依存状態を生じさせ、それを利用する」ことを犯罪としている。

宗教または信条の自由に関する元国連特別報告者アスマ・ジャハンギール氏。

この法律は、欧州人権条約第9条に定められた思想、良心および宗教の自由の制限要件を満たしていないとして、国連特別報告者および欧州評議会から批判を受けた。

同様に、日本が署名し拘束を受けている国際人権規約第18条3項に定められた要件も満たしていない。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e6%b4%97%e8%84%b3%e8%ab%96%e3%81%ae%e4%ba%a1%e9%9c%8a%ef%bc%9a%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e5%9b%bd%e4%bc%9a%e3%81%a7%e8%aa%9e%e3%82%89%e3%82%8c%e3%82%8b%e3%80%8c%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ110


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。このサイトの運営者であるマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。マッシモ・イントロヴィニエ氏から特別に許可をいただいて、私の個人ブログに日本語訳を転載させていただいている。

統一教会をめぐる司法の「独立性」と「適正手続」の侵害4. 捏造された証拠と秘密の裁判

Jul 28, 2025 by Patricia Duval | Documents and Translations, Japanese

手続きが非公開であったため、政府が虚偽の陳述を提出し、それが見逃されるのは容易だった。

パトリシア・デュバル

全4本の記事の4本目

※本稿は、2025年6月30日に国連の関係特別報告者に提出された報告書を掲載したものであり、一部は「Bitter Winter」に掲載されたディプログラミングに関する連載記事を再構成したものです。

日本の裁判官が非公開で審理する。AI生成画像

宗教法人法第81条7項によると、宗教法人の解散に関する手続きは、「非訟事件手続法(平成二十三年法律第五十一号)の定めるところによる。」と規定している。

したがって、日本の法律において宗教法人の解散は「非訟事件」として扱われる。これはつまり、宗教法人としての地位が行政処分によって政府から付与されるのと同様に、その地位は裁判所の決定を通して政府によって取り消される可能性があるということだ。しかし通常の司法裁判で保障される権利や手続きがされる保証はない。たとえその解散決定が、宗教団体の法人格の消滅と全資産の没収を伴うものであっても適用される。

宗教法人法では、手続き上の保障があるかのように見せるため、解散は裁判所の命令によって行うと定められているが、実際には政府が決定し、裁判所はそれを承認する。法廷での議論という「体裁」は、実際には、公正な裁判を受けられる司法的な保障が存在しない、厳しい現実を覆い隠しているにすぎない。

特に、宗教法人法は「非訟事件における手続」について定めており、その非訟事件手続法第30条では、こう明記されている――「非訟事件の手続は、公開しない。」

実際、統一教会に対する解散請求裁判のすべての審理は非公開で行われており、国民は裁判の経過を知ることも、公正な司法判断が下されたかどうかを確認することもできない。

その結果として、実際に、陳述書が捏造される事態が生じている。文部科学省が被害者の証言として裁判所に提出した複数の陳述書について、当の本人たちが「そのようなことは言っていないし、思ったこともない」と指摘している。

この事実は、2025年2月25日に「産経新聞」のオンライン記事によって明らかになった。同記事では次のように報じられている:「審理の過程で元信者2人を証人尋問したところ、本人の認識にないことも陳述書に書かれ、よく確認しないで署名捺印していたことが分かったとしている。ある現役信者は、文科省の担当者から意図を告げられずに体験談を聞き出され、陳述書にされたという。陳述書は「(教団に)解散してもらいたいと願うばかりです」と結ばれているが、そのような発言はしておらず、被害者という自覚はないとして、陳述書の訂正を求めている。」

このような証言の捏造は、もし裁判が公開で行われていれば、起こり得なかったはずである。文科省は、世間の目にさらされることで、恥をかくことを恐れたはずだからだ。

文部科学省の本庁舎。

また、このような悪質な証拠捏造があったにもかかわらず、裁判所が解散命令を出すなどということは、できなかったはずである。しかし、裁判所は決定文において、教会側弁護士が一部の陳述書が文科省によって改ざんまたは捏造されたと訴えた点について、回答すらしようとしなかった。

これは、国際人権規約第14条に定められた「公平な裁判所による公正な公開審理を受ける権利」に対する重大な違反である。以下は第14条の内容である:「すべての者は、裁判所の前に平等とする。すべての者は、その刑事上の罪の決定又は民事上の権利及び義務の争いについての決定のため、法律で設置された、権限のある、独立の、かつ、公平な裁判所による公正な公開審理を受ける権利を有する。(中略)もっとも、刑事訴訟又は他の訴訟において言い渡される判決は、少年の利益のために必要がある場合又は当該手続が夫婦間の争い若しくは児童の後見に関するものである場合を除くほか、公開する。」

過激な弁護士らによる執拗なレッテル貼りキャンペーン(司法への圧力と、政府へのロビー活動)によって、統一教会およびその信者たちは、日本の国内裁判所において自らの声を届けることも、正当な裁きを受けることもできない状況に置かれている。

東京高裁での審理が始まる前にもかかわらず、まるで宗教法人の解散がすでに決定されているかのように、政府はすでに教団の資産清算の準備を進めている。この一点だけでも、日本における政府の裁判所への影響力と、司法の独立性の欠如が明白である。

2025年6月27日、文化庁は「旧統一教会の被害者救済見据え 財産精算手続き指針」の骨子案を発表した(NHKニュース、2025年6月27日)。この骨子案では、清算人は「被害を申し出ることが難しい場合もある」として清算人が積極的に清算を進めるべきと強調している。手続きの指針には、すぐに被害を申し出ることが難しい場合もあることから、清算人が能動的に手続きを進めていくべきと示されている。

文化庁の京都本部。

被害者の存在が確認されていないにもかかわらず、元信者がいまだマインド・コントロール下にあるという、曖昧かつ恣意的な理論に基づき、文化庁は清算人を通じて、元信者に対して金銭的請求を申し立てるよう呼びかける電話や、公告を組織している。これは、統一教会から全資産を確実に没収するためである。文化庁は、この秋にも指針を策定する予定であり、ちょうどその時期に、高裁での審理が行われる見通しである。

これらすべては、統一教会の法人格の「計画的抹殺」と言っても過言ではない。この件に関して、日本の裁判所はもはや「公平」とは見なせない。統一教会については、何年にもわたりメディアや公的な発言で犯罪組織のように扱われてきたため、法の「適正手続」はまるで冗談のように扱われている。教団を排除するためには、どんな手段も惜しまないように見える。

これは、日本が国際人権規約に基づいて負っている義務、そして日本国憲法に明記された司法の独立という原則に対する深刻な違反である。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%82%92%e3%82%81%e3%81%90%e3%82%8b%e5%8f%b8%e6%b3%95%e3%81%ae%e3%80%8c%e7%8b%ac%e7%ab%8b%e6%80%a7%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%80%8c%e9%81%a9%e6%ad%a3%e6%89%8b%e7%b6%9a-4/

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