『生書』を読む27


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第27回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。
「参って来る者の中には、近代教育を受け、科学をかじった者もいる。そういう人々にとっては、殊に大神様の霊界の話が不可解であった。幽霊とか狐・狸(邪神)とか生霊とかを、すべて迷信としか思っていない連中には、なかなか納得のゆかぬことが多かったが、目の前に奇跡を示されたり、家族の者が具体的に不思議を体験したりして霊界の実相を知らされ、大神様の偉大な神力に驚くとともに、神教全体を次第に深く信じるようになるのであった。」(p.181)

 多くの宗教がそうであるように、信仰を受け入れるかどうかは最終的には理屈ではなく、むしろ体験的なものである。大神様も同様に目の前で奇跡的な出来事を起こし、その力を示すことによって、人々を納得させていたようである。

 大神様の説法のスタイルは、参って来る者一人ひとりの欠点を言い当て、「業晒し」をするというものであった。各人の欠点や過去の罪、あるいは背負っている因縁などを見事に見抜いて懺悔させるというやり方である。この章でも、それが遺憾なく発揮されている。その具体的な内容は、「国家観念もなければ真心もない。神とも仏とも思わず、先祖もないものにしてきた」「足の悪い親を蹴って飯を炊かした」「今までにずいぶん女を泣かせた」「酒で大きな罪をつくった」「強情や短気が世の人の恨みを買ってきた。女房や子供を苦しめた」(p.181-184)といった具合である。ただし、単に悪口を言うだけではなく、その欠点に対する適切な指導をなし、反省懺悔するものには優しく接したので、人々はその話をありがたく聞いて心を入れ替えたとされている。

 それまで北村サヨ氏は信徒たちから「先生」とか「大先生」とか呼ばれていたが、この頃から「大神様」と呼ばれるようになったという。それは教祖がその肉体に宿っている宇宙絶対神と一体であることを認識したというのが理由となっている。教祖の呼称は、その宗教の世界観を表している。教祖として出発する時には人々に対して教えを説くので、教祖が「先生」と呼ばれることは普通のことなのだろう。新約聖書の中でも、イエスの弟子はイエスをラビ(先生)と呼び(マルコ9:5、ヨハネ4:31)、パリサイ派の指導者もイエスをラビと呼んでいる(ヨハネ3:2)。文鮮明師もまた、教会の草創期には「先生」とか「大先生」と呼ばれていた。しかし、人々の信仰が深まるにつれて、イエスの呼称は「主」に変わり、文鮮明師の呼称は「真のお父様」に変わった。この呼称の中に、それぞれの宗教の世界観が現れている。新約聖書においてはイエスは天地の創造主である神と同等の存在であると信じられており、統一教会の信者は文鮮明師を自分の父親のように近しい存在として感じているということだ。天照皇大神宮教の信徒たちは、北村サヨ氏を「生き神様」であるととらえており、宇宙絶対神の顕現であると感じていたので、「大神様」と呼んだということであろう。

 ここで『生書』は、昭和19年ごろから大神様が挨拶をされるときには合正せられるようになったことを報告している。ここでいう「合正」とは「合掌」と同じく手を合わせることを言うのだが、その漢字をあえて「合掌」とは書かずに「合正」と表記している。そのことの意味を、大神様は以下のように語っている。
「ここは拝み合いの世界じゃから、狛犬のように、足で歩く座敷に手をつかずと、合正で挨拶せよ。合正とは掌を合わせるのと違う。正しく合うと書く、神と人との肚が正しゅうに合うのじゃ。みんなの肉体が、神の器となるのじゃから、神と神との拝み合いの世界じゃ。」(p.185)

 そして教祖に対して合正で挨拶するだけでなく、お互いも合正の挨拶をするようになったという。これは人間の本性に対するポジティブなとらえ方ということができ、家庭連合の人間観と相通じる部分がある。『原理講論』では、もし人間が堕落せずに完成していたならば、創造本然の人間は神性を帯び、神の心情を体恤し、神の宮となるので、大神様の言うような「神と神との拝み合い」の世界となったはずであった。堕落した人間にもこうした神性の一部が残っているので、隣人の中にそうした神性を発見してその人を尊重し愛するという姿勢は、家庭連合の信仰生活の中でも説かれている。しかしながら、それが天照皇大神宮教の「合正」のような定型の挨拶として実践されているかといえば、そうではない。信徒同士が合えばお辞儀をして挨拶をすることがあるが、それは日本人の一般的な風習と同じである。

 むしろ、家庭連合の挨拶の伝統で特異なのは韓国の文化を背景とした「敬拝」であろう。これは教祖である文鮮明師御夫妻の実体や写真を前にして行うもので、両手を体の前で水平にして重ね、跪いて体全体で大きくお辞儀をするものである。これは日本の文化風習にはないものであり、韓国では父母の前や先祖に対する祭祀のときに一般的に行われるものである。こうした敬拝を家庭連合の信者たちは神や教祖に対して行うけれども、信徒同士で行うことはない。韓国の家庭連合の信者たちは、父母や先祖に対して同じような形の敬拝をすることはあるであろうが、それは韓国の文化の一部であって、家庭連合の信仰の実践ではないだろう。こうした文化風習を持たない日本や西洋の信者たちにとっては、敬拝を行うことは一種の異文化体験であり、家庭連合に固有の信仰実践という意味を持っている。私の知り合いのユダヤ人の教会員は、初めのころはこうした行為が偶像崇拝のように思えて抵抗を感じたという。

 一方で、手を合わせるという天照皇大神宮教の挨拶は、日本人にとってはそれほど文化的抵抗を感じるものではないだろう。タイやネパールのような仏教国では、合掌で挨拶することは一般的であるし、日本においても敬虔な仏教徒は合掌で挨拶することがある。他方で、東洋人にとって一般的な合掌やお辞儀などの挨拶は、西洋人にとってはやはり抵抗があるようだ。西洋での一般的な挨拶は、握手、ハグ、チークキスなどであり、挨拶に関する大神様の指導はやはり日本の文化(特に仏教)が背景にあると言えるだろう。

 さらにこのころ、大神様は神教を信じて行ずる人たちを「信者」と呼ぶことを禁じられた。神の国を建設せんとする志を同じくする者なので、「同志」と呼ぶように指導されたのである。「信者」という言葉にはどこか受け身のニュアンスがあるので、より主体的な「同志」という言葉を選んだのであろう。この言葉は伝統的には社会主義の運動圏において使われた言葉であり、左翼的な色彩を帯びている。日本共産党は、委員長が党大会や党中央委員会総会の幹部会報告などの場で党員をいまでも「同志」と呼んでいるし、新しく日本共産党に入党した人間は、「〇〇同志 あなたの入党を心から歓迎します」と書かれた「入党承認証」を受け取る。

 だからと言って、「同志」は左翼の専売特許というわけではない。幕末に日本から密出国して渡米した新島襄は、留学中にキリスト教徒となり、自由と良心に立つ人間を養成するキリスト教主義教育を日本でも行いたいという夢を実現するため、帰国後に京都に同志社英学校を創立した。後の同志社大学である。同志社とは「志を同じくする者が創る結社」であり、その原点は新島の志である。英語の校歌は「One Purpose」というタイトルで、「ひとつの志」「同じ志」すなわち「同志」を意味する。

 家庭連合でも「信者」という言葉はあまり使われないが、左翼的な匂いのする「同志」という言葉も使われない。家庭連合では信者のことを「食口」と呼ぶ。これは「シック」と発音するのだが、そのまま言っても一般的な日本人には通じない。読み方自体が韓国語である上に、漢字で表記しても意味は伝わらない。韓国語で「食口」とは家族のことであり、血統や生活を共にする仲間のことである。家庭連合の信者たちは真の父母のもとにあってお互いは兄弟姉妹であり、家族関係にあるという自覚を持っているので、親しみを込めて「食口」と呼んでいるのである。男性信者のことと「〇〇兄」「〇〇兄弟」、女性信者のことを「〇〇姉」「〇〇姉妹」と呼ぶこともある。これも同様に家族関係を基本とした人間関係になっているからである。こうした呼び方は家庭連合に限らず、一般のキリスト教にも見られ、韓国では一般のキリスト教でも信者のことを「食口」ということがあるようだ。これもまた、神のもとにあって人類は兄弟姉妹であるという思想に基づくものであろう。信者の呼び方ひとつにも、その宗教の思想や世界観が表れているものである。

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『生書』を読む26


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第26回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。前回は天照皇大神宮教の救済論について論じ、病気を治したり悪霊を追い出したりする奇跡に関して、大神様とイエス・キリストの類似性を紹介した。その共通点は、教祖が直接働きかけて人々の悪霊を追い出したり因縁を切ってあげたりすることにあった。そしてそれによって病気が治るなどの奇跡的な出来事が起こっている。人々はこのことを通じて、教祖の人並外れた力を悟り、信仰を受け入れるようになるのである。ところが、家庭連合の文鮮明師においては、これに類似した病気治しや悪霊退治にまつわるような話がほとんどないのである。こうした話は文鮮明師の自叙伝にも出てこないし、修練会などで語られる「主の路程」の講義の中にもほとんど登場しない。

 だからと言って、文鮮明師の生涯が平凡なものであったということを言っているのではない。文鮮明師の生涯は多くの苦難や試練に満ちた波乱万丈の物語であり、九死に一生を得たという意味ではまさに奇跡的な出来事も数多く起こっている。また、人々が文鮮明師との出会いに前後して不思議な夢を見たり、宗教的な体験をしたという証しも多数あり、それらが信仰の動機となることもある。しかし一方で、文鮮明師が人々に直接働きかけて悪霊を追い出したり、その人の過去の因縁を切ってあげたことによって、病気が治ったというような奇跡譚はほとんど存在しないのである。これには、家庭連合の救済論が深く関係していると思われる。

 文鮮明師の教えの核心は、人類の罪の清算と救済は奇跡によってなされるものではなく、蕩減復帰の原理に従ってなされるというものである。それではこの「蕩減」とはいかなる意味なのか、『原理講論』の説明に耳を傾けてみることにしよう。
「どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失なったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを『蕩減』というのである。……堕落によって創造本然の位置と状態から離れるようになってしまった人間が、再びその本然の位置と状態を復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る或る条件を立てなければならない。(ロマ5:19、コリント前15:21)。堕落人間がこのような条件を立てて、創造本然の位置と状態へと再び戻っていくことを『蕩減復帰』といい、『蕩減復帰』のために立てる条件のことを『蕩減条件』というのである。〔後編・緒論(一)蕩減復帰原理〕

 ではその蕩減条件を立てる主体が誰であるかといえば、それは神でもサタンでもなく、人間なのである。これは、罪の清算の責任は基本的に個々の人間にあるという考え方である。人間は罪を背負っており、血統的な罪のゆえに霊界から悪なる影響を受けることがあるのだが、その罪を清算する方法は、奇跡によって救われるのではなく、人間自身が苦痛を受け、それを甘受することによって、蕩減条件を支払わなければならないのである。したがって、悪い因縁や悪霊の働きは、教祖によって解決してもらうべきものではなく、自分自身の信仰と実践によって清算すべきものなのである。『原理講論』の中で地上の信仰者と悪霊人の関係について語っている部分は、第五章「復活論」における「悪霊人の再臨復活」の説明である。少々長くなるが、その部分を引用してみよう。
「復帰摂理の時代的な恵沢によって、家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏に移行される一人の地上人がいるとしよう。しかし、この人に自分自身、或いはその祖先が犯した或る罪が残っているならば、それに該当する或る蕩減条件を立ててその罪を清算しなければ、種族的な恵沢圏に移ることができなくなっている。このとき、天は悪霊人をして、その罪に対する罰として、この地上人に苦痛を与える業をなさしめる。このようなとき、地上人がその悪霊人の与える苦痛を甘受すれば、これを蕩減条件として、彼は家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏に入ることができるのである。このとき、彼に苦痛を与えた悪霊人も、それに該当する恵沢を受けるようになる。このようにして、復帰摂理は、時代的な恵沢によって、家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏へ、なお一歩進んで民族的なものから、遂には世界的なものへと、だんだんその恵沢の範囲を広めてゆくのである。こうして、新しい時代的な恵沢圏に移るごとに、その摂理を担当してきた人物は、必ずそれ自身とか、或いはその祖先が犯した罪に対する蕩減条件を立てて、それを清算しなければならないのである。また、このような悪霊の業によって、地上人の蕩減条件を立てさせるとき、そこには次のような二つの方法がある。

 第一に、悪霊人をして、直接その地上人に接して悪の業をさせて、その地上人が自ら清算すべき罪に対する蕩減条件を立ててゆく方法である。第二には、その悪霊人が或る地上人に直接働くのと同じ程度の犯罪を行なおうとする、他の地上の悪人に、その悪霊人を再臨させ、この悪人が実体として、その地上人に悪の業をさせることによって、その地上人が自ら清算すべき罪に対する蕩減条件を立ててゆく方法である。

 このようなとき、その地上人が、この悪霊の業を当然のこととして喜んで受け入れれば、彼は自分か或いはその祖先が犯した罪に対する蕩減条件を立てることができるのであるから、その罪を清算し、新しい時代の恵沢圏内に移ることができるのである。このようになれば、悪霊人の業は、天の代わりに地上人の罪に対する審判の行使をした結果になるのである。それ故に、その業によって、この悪霊人も、その地上人と同様な恵沢を受け、新しい時代の恵沢圏に入ることができるのである。」(『原理講論』第5章復活論、第2節復活摂理、(三)霊人に対する復活摂理(3)楽園以外の霊人たちの再臨復活より)

 この記述に従えば、罪の清算のために悪霊人から悪の業を受けたり、地上の人間から悪の業を受けたりして苦しんでいる人に教祖が働きかけて、悪霊を取り除いたり、悪因縁を切ったりしてしまえば、その人は罪を清算する機会を奪われてしまうことになるので、本質的な問題の解決とはならないのである。このような『原理講論』の教えは、救済論においては「自力信仰」の特徴を持っていると言える。だからこそ文鮮明師は、信徒の悪霊を追い出したり病気を治したりすることはしなかったのである。

 ところが、統一教会の歴史において初期の段階では極めて「自力信仰」の特徴を有していた霊界との関係が、途中から「他力信仰」に変化していく現象が起こった。それは清平役事の登場である。清平役事においては、祝福家庭に起こる様々な不幸の原因を、食口たちの体の中に巣食っている悪霊であるとし、それを分立することによって、食口たちを霊障から解放することに救済の中心をおいている。

 清平役事における悪霊分立の意義は、統一原理における罪の概念と結び付けられ、さらには病気の治癒と結び付けられている。すなわち、血統的な罪や連帯的な罪があるので悪霊がついているのであり、それによって病気が引き起こされている。よって、その原因である悪霊を分立し、解放することを通して、血統的な罪が清算され、その霊障である病気も癒されていくという構造を持っているのである。霊障としての病気の中には、胎児の障害や奇形児、アトピーなども含まれており、これらは基本的に悪霊の仕業であるとされている。

 初期の段階における清平役事は、韓鶴子総裁の母親である洪順愛ハルモニ(「大母ニム」と呼ばれる)が、霊能者である金孝南氏に再臨して始まったと信じられている。金孝南氏自身も「訓母ニム」と呼ばれ、信徒たちから絶大な信頼を受けて清平役事を取り仕切っていた。彼女が説いた悪霊分立の方法は「按手」と呼ばれるもので、熱狂的な賛美と拍手をしながら、体の各部位を手で打つというものである。これによって信徒たちの体の中に入っている恨み多き悪霊たちを分立し、霊障から解放してあげようというのである。

 初期の清平役事においては、金孝南氏自身が病気や困難な問題を抱えている教会員たちを直接面接し、特別な按手を施すことによって悪霊を分立するという作業を行っていたという。このような金孝南氏の役割は、韓国の宗教伝統である「ムーダン」と呼ばれる厄払いをする巫女の働きに似ている。ムーダンの役割は基本的に様々な霊障から人々を守ることにあった。清平役事においても、按手によって病気が改善したという証しが多数存在する。

 天照皇大神宮教における大神様の「悪霊済度」は、家庭連合においては教祖である文鮮明師の働きよりも、清平役事における金孝南氏の役割により似ていると言える。文鮮明師は真の父母として信徒たちに祝福を与え、原罪を清算するという形で信徒たちの救済に関わったが、個々の信徒たちにシャーマンやカウンセラーのように対応して悪因縁を切ったり悪霊を追い出したりするということは行わなかった。むしろそうした活動をしたのは清平役事における金孝南氏であったと言えるだろう。

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『生書』を読む25


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第25回目である。前回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。前回は大神様のカリスマと天照皇大神宮教のコスモロジーについて解説したが、今回は救済論を中心に論じることにする。天照皇大神宮教のコスモロジーによれば、世界は地上界と霊界の二重構造になっており、霊界は地上界に対して影響を与えている。霊界には悪霊が充満しているため、それが地上人に与える影響は悪なるものがほとんどである。その影響を断ち切ってあげることが救済(済度)であり、それをすることで人々の間にも世界にも平和が訪れる。それをなすことが自分の使命であるというのが大神様の教えの根幹である。

 大神様がこの頃に行っていたことは、集まってきた人々の背後を見て、憑いている悪霊を落としてやったり、悪い因縁を切ってあげたりすることであった。するとその結果、病気が治ったりなどの奇跡的な出来事が起きた。これは外形的に見ればシャーマンや巫女の活動に似ている。それで当時の人々は大神様のことを八卦見や祈祷師、あるいは病気直しの「はやり神様」のように思ってお参りするようになったという。まだ戦後間もないこともあって、前線の息子や主人の安否を尋ねに来る人も多かったという。

 病気を治してもらいたいと思ってくる人に対しては、大神様は一人一人のために祈っては、その原因となる悪霊を払ってあげた。するとその場でけろりと病気が治ったので、評判が評判を呼んで多くの人々が集まるようになった。悪霊といっても死んだ人とは限らず、生霊がついていることが原因で病気になることもあるという。生霊とは人の思いであり、誰かの悪い思いが他人に影響を与えるということだ。死んだ人の霊が悪霊となって病気になるケースは、たいていは先祖の因縁であり、家計の中に不成仏の人がいると起こる現象であると大神様は説く。こうした考え方自体は、日本の宗教伝統の中に深く根差したものであると同時に、日本の新宗教の教えの中にも幅広く見られるものである。

 日本の新宗教の中には「先祖の因縁」を説くものが多い。天照皇大神宮教のほかにも、霊友会、大本教、真如苑、解脱会、世界真光文明教団、阿含宗、GLAなどが同様のことを教えている。これらの教団は多くの場合、宇宙を目に見えるこの世界すなわち現界と、目に見えない神や霊の世界すなわち霊界の二重構造からなると考え、それら二つの世界の間には密接な交流影響関係があるとしている。すなわち現界で生起するさまざまな事象は、実はしばしば目に見えない霊界にその原因があるのであり、その働きは「守護霊」や「守護神」などによる加護の働きだけにはとどまらず、「悪霊」や「怨霊」などによって悪影響が及ぼされることもあるととらえられている。むしろ実際に霊界の影響がクローズ・アップされるのは、苦難や不幸の原因について説明するときの方が多いくらいである。

 この場合、現界に生きる人間に対して影響を及ぼす霊は、その人と何らかの縁があると考えられるケースが多い。したがって、血縁(親や先祖)、地縁(家や家敷)、その他の個人的な縁を介して、その人と何らかのつながり(因縁)のある霊が、その人に大きな影響を及ぼすということになる。このうち特に重視され、しばしば言及されるのはやはり血縁者(親や先祖)の霊的影響である。そしてこれらの新宗教にはこのような悪因縁を除去するために、除霊や浄霊の儀礼を行うものが多く、それは「先祖供養」(霊友会系教団)、「慰霊」(松緑神道大和山)など、さまざまな呼び方をされているが、天照皇大神宮教においてはそれを「悪霊済度」と呼ぶのである。

 大神様は基本的に救いを求めて集まった人々の「悪い因縁」を切ってあげたが、誰でも彼でも無条件に切ってあげたわけではない。因縁を切るのは一つの目的があったのである。それはその人を神行に導き、神国の建設のために働くことができるようにするためであった。そのことを示しているエピソードが以下である。
「ある者は『私の因縁を切ってください。』と願い出た。すると、『わしは、因縁を切るのが商売じゃあない。神国のお役に立つ人の足手まといにならぬようにと、因縁切るのが役座の腕じゃ。まず、神国のためなら裸一貫、いつ死んでも惜しくない肚をつくれ。そしたらお前の因縁切っちゃろう。』と。」(p.180)

 この他にも、「これを御縁にしっかり家内揃って神行しなさい。そしたら、お前の家の因縁が切れるから。」(p.178)とか、「お前は相当肚ができたから因縁を切ってやろう。」(p.179-180)といった発言もあり、要するに大神様が因縁を切ったり病気を治してあげるのはきっかけに過ぎず、神行によって救済に至る道を直くするためのものであることがうかがえる。

 こうした病気直しは教祖の働きの中でも典型的なものである。『新約聖書』の中にも、イエス・キリストが病気の者や悪霊憑きの者を癒した話がたくさん出てくる。Wikipediaで整理されているものを列挙すれば以下のようになるが、複数の福音書に重複して登場するストーリを一つにまとめて数えても、23回はこうした奇跡を行っていることになる。
・安息日の会堂で汚れた霊に取りつかれた男を癒やす。(マルコ 1:21、ルカ 4:31)
・ペトロの家で彼の義理の母の病気と大勢の病気を癒やし、多くの悪霊を追い出す。(マタイ 8:14、マルコ 1:29、ルカ 4:38)
・ガリラヤでおびただしい民衆の病気、苦しみ、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、あらゆる病人が癒やされる。(マタイ 4:23、ルカ 6:17)
・重い皮膚病(ハンセン病)を患っている人をいやし清くする。(マルコ 1:40)
・百人隊長の信仰を誉め、彼のしもべの病気を癒やす。(マタイ 8:5、ルカ 7:1)
・ガリラヤのカナで王の役人の息子を癒やす。(ヨハネ 4:43)
・エルサレムのベトザタの池で38年間病気で苦しんでいる人を癒やす。(ヨハネ 5:1)
・カファルナウムで屋根をはがして吊り降ろされた中風を癒す。(マタイ 9:1、マルコ 2:3、ルカ 5:17)
・安息日に会堂で手の萎えた人を癒やす。(マタイ 12:9、マルコ 3:1、ルカ 6:6)
・おびただしい民衆がユダヤ全土から集まり、イエスから力が出て病気を癒やしていたので、群集は皆、イエスに触れようとする。(ルカ 6:17)
・悪霊に取りつかれたゲラサの人を癒やし、悪霊たちを豚の中に送りこむ。(マタイ 8:28、マルコ 5:1、ルカ 8:26)
・十二年間出血が止まらず苦しんでいた女を癒す。(マタイ 9:18、マルコ 5:25、ルカ 8:40)
・二人の盲人の目を見えるようにする。(マタイ 9:27)
・悪霊に取り付かれて口の利けない人を癒やすとしゃべり始める。(マタイ 9:32)
・ゲネサレトで舟を降りたイエスは、人々が床に乗せて運んでくる病人を癒やす。(マタイ 14:34、マルコ 6:53)
・シリア・フェニキアのギリシャ人の女の信仰を認め、悪霊につかれた娘を癒やす。(マタイ 15:21、マルコ 7:25)
・十八年間、病の霊のために腰が曲がったままの婦人を癒やす。(ルカ 13:10)
・安息日にファリサイ派のある議員の家に入り、水腫の人を癒やす。(ルカ 14:1)
・ガリラヤで耳が聞こえず舌の回らない人をしゃべれるようにする。(マルコ 7:32)
・イエスはベトサイダで盲人の目を見えるようにする。(マルコ 8:22)
・汚れた霊につかれた子供を癒やす。(マルコ 9:17)
・エルサレムにのぼる途中の村で重い皮膚病(ハンセン病)の人を清くする。(ルカ 17:11)
・エリコの近くの盲人バルティマイの目を見えるようにする。(マタイ 20:29、マルコ 10:46、ルカ 18:35))
・エルサレムで生まれつきの盲人の目を見えるようにする。(ヨハネ 9:1)

 イエスがこれらの奇跡を使った理由は、彼自身が「もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、もし行っているなら、たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう。」(ヨハネ10:37~38)と語っているように、人々に自分をメシヤとして受け入れてもらうためであった。ここでも病気直しや悪霊を払うことそのものが目的なのではなく、信仰に至ることが本質であり、そのためのきっかけとして奇跡を行っていることが分かる。その意味で、大神様とイエス様の行った病気なおしや悪霊の処理は同じ目的で行われていたことになる。これらは、教祖が直接働きかけて人々の悪霊を追い出したり因縁を切ってあげたりするというという点が特徴となる。

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『生書』を読む24


第七章 道場の発足

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第24回目である。今回から「第七章 道場の発足」の内容に入る。前章で日本は終戦を迎え、いよいよ天照皇大神宮教の本格的な布教活動が始まった。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。ここでいう「道場」とは、教祖が嫁いできた北村家の自宅であり、1964年に現在の本部道場が竣工された後は「旧本部道場」となっている。

 私が2019年6月に天照皇大神宮教本部を『宗教新聞』の取材で訪問した際には、現在の本部道場を訪問した後に、この旧本部道場にも案内してもらった。現在の本部道場はコンクリートの巨大な建物だが、旧本部道場は下の写真に見る通り、立派ではあるが普通の民家である。これは韓国ソウルの青坡洞に草創期の統一教会本部が保存されているのとよく似ており、古くて小さな建物でも教祖が活動を開始した場所であるという歴史的な重要性の故に保存されているようであった。

天照皇大神宮教旧本部道場

天照皇大神宮教旧本部道場(2019年6月22日筆者撮影)

 『生書』の第七章は「教祖大神様のお家は、田布施町の御蔵戸部落にある。」(p.167)という言葉をもって始まり、しばらく道場とその周辺の様子を解説している。続いて「生け垣の尽きた所に入口があり、そのすぐ右手に石囲いの井戸がある。これが大神様が三年半にわたって水行をとられた由緒深い井戸である。」(167-8)とあるが、これとまったく同じ説明を私が訪問した際にもしてくれた。

 この北村家の屋敷の、玄関に接した六畳の間と、その奥の床の間のある六畳の座敷二間が、大神様が説法に使われた部屋であるとされているが、合わせて十二畳であれば宗教施設としてはかなりの狭さである。ところが終戦を契機として、大神様の説法を聞く人は急速に増えていったという。

 この頃の大神様と「肚の神様」のやりとりは非常に興味深い。肚の神様は教祖に対して、「肚を練れ」と指導されたのである。「おれが、われ(お前)を連れて歩くにようになったら、山のような障害物が出てくる。山のように障害物が出てきても、やるちゅう肚ほどつくったら、今度は反対になって、上から天照皇大神に引き上げられ、後ろからは八百万の神の腰押しで行くのだから、天が下に恐ろしいものがないじゃろうから、やるという肚をつくれ。肚だ、肚だ、肚だ。」(p.169)

 「肚」という漢字を使うにせよ、「腹」や「胆」を使うにせよ。日本では昔からこの言葉を決意や覚悟を示す言葉として用いてきた。「胆」には本心、心中、心づもりなどの意味のほかに、胆力、気力、度量などの意味があり、「腹を決める」といえば決心、決意、覚悟などを決めることであった。日本における伝統的な武術は「肚」を重要視しており、「肚を練る稽古」というものもあるくらいだ。大神様に対する「肚を練れ」という指導にもこうした背景があったと考えられるが、これは信仰は理屈ではないという天照皇大神宮教の立場を明確に示している。

 家庭連合の創設者である文鮮明師にも、人類のメシヤとなるべく神から試練を受けたり、多くの迫害を驚異的な信仰と決意によって乗り越えていくという話は同様に存在するものの、文師がメシヤとなっていくうえでより重要な強調点は「真理の解明」であった。単に驚異的な信仰や決意があればよいということではなく、人類救済のために必要な「真理」を明らかにしなければならないということがより強調されているのである。もちろんそれは合理的で客観的な理論というよりは、多分に霊的な内容を含んだ宗教的な真理ではあるものの、かなり知的な神学的体系を明らかにすることであった。一方で大神様の語られる内容は、知的な体系というよりは生活に根差した話や、霊界に関する話などをシンプルな言葉で直感的に語ったものが多い。この辺は宗教ごとの個性の違いが明確に表れていると言えるだろう。

 「肚の神様」が教祖に命じたもう一つの面白いやり方が、体を横にして説法するというものであった。これは常識的に考えれば「行儀が悪い」とか「失礼な態度」に当たるものであるが、「肚の神様」は教祖に対してあえてそうするように命じたという。その理由は、どんなに偉い人が来ても臆せず、なめられないように肚をつくるためであった。大神様は「肚の神様」が入った後は、人に対して「さん」とか「様」とか敬語を使わなくなり、総理大臣に対しても「おい、岸!」と呼び捨てにしたという話は有名である。これは神の代身であり、生き神である自分自身の位置を守るために、この世においてどんなに偉い人に対しても卑屈な態度をとってはいけないということであろうが、教祖と呼ばれる人にはこのような性質が少なからずあるようだ。

 家庭連合の創設者である文鮮明師も、国家元首級の世界の指導者たちを集めて講演したことが何度もあったが、そのときの態度もVIPに対して気を使うとか、へりくだるということはなく、もしろ堂々と自分の信念を述べるというものであった。私はUPFの主催する国際会議や大会の場で何度かそうした場面を見てきた。さすがに寝そべって話すというようなことはなかったが、あるときには晩餐の前にVIPを前にして延々と3時間も語り続けたことがあった。信徒に対する説教ではなく国際会議の晩餐会という場なので、常識的なメッセージの時間は20~30分位であり、準備された原稿の長さもその位であったが、それをはるかにオーバーして3時間も語ったのである。それを聞いている世界各国から集まってきたVIPたちはお腹を空かせながらその話を聞かざるを得なかった。これもある意味では常識を外れた行動であり、中には怒り出すVIPもいた。しかし、それを超えて何かを伝えたいという文鮮明師の熱意に感動したVIPもいたのである。ときにはこうしたことをするのが、教祖という存在なのである。

 大神様の説法を聞いた人々は、神の言葉に酔いしれて夢見るような気持、すなわち「法悦境」に入って行ったとされる。俗世間は「本土決戦だ」「敗戦だ」「生活難だ」と地獄絵図のような様相であったが、大神様の説法を聞いている間はそうしたことをすべて忘れて別天地にいるような喜びを感じていたのである。これは教祖の示すビジョンに信徒たちが共鳴していたということであり、自分と同じビジョンを信徒たちに見させることのできる力こそが教祖のカリスマなのである。

 このころの大神様の言葉に、天照皇大神宮教のコスモロジーが表現されているので、それを分析してみよう。
「世は末法の世となって、宇宙は悪霊で充満している。この悪霊の後ろ控えで人と人とは喧嘩をし、国と国とは戦争をする。・・・この後ろ控えの悪霊を済度するのが役座の仕事じゃ。悪霊の済度ができりゃこそ、一人一人の因縁も切ることができるし、神の国に行く根本の邪魔が取り除かれるんじゃ。悪霊の掃除ができた時、世界絶対平和もできるんじゃ。」(p.171-2)
「昔からこの世のことを『現し世』と言うじゃろうが、霊界の影がこの現象界なんじゃ。」(p.172)
「今時が来て、天なる神が天降り、神力により悪霊の済度をするのじゃ。それによって神の国を地上に建設することもできるし、世界絶対平和の日も来るのじゃ。」(p.173)
「その世界にいくには、どうしてもまつわりついてくる悪霊を済度し、一人一人の因縁を切らにゃあ、行ける天国じゃない。まず先祖が救われなけりゃ、自分だけ一足お先に救われて、天国に行こうとしてもそりゃだめじゃ。」(p.173)

 世界は地上界と霊界の二重構造になっており、霊界は地上界に対して影響を与えている。霊界には悪霊が充満しているため、それが地上人に与える影響は悪なるものがほとんどである。その影響を断ち切ってあげることが救済(済度)であり、それをすることで人々の間にも世界にも平和が訪れる。それをなすことが自分の使命であるというのが大神様の教えの根幹である。こうしたコスモロジーは天照皇大神宮教に固有のものではなく、実は多くの伝統宗教や新宗教が共通して持っているものである。それは言葉の使い方や救済の方法に若干の違いがみられるものの、家庭連合のコスモロジーとも非常によく似ている。

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『生書』を読む23


第六章 終戦と大神様の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第23回目である。第19回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入った。今回はこの章のまとめとして、大神様が終戦直後の日本人に向けて語ったメッセージの内容を総括し、それを旧約聖書の預言者たちとの比較において論じてみたいと思う。

 先回論じた内容は、天照皇大神宮教では日本の敗戦が一種の「終末論的な出来事」としてとらえられているということであった。天照皇大神宮教においては、第二次世界大戦の終戦をもって皇祖神の拠り所が天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが予定調和的に理解されており、終戦が近づくと同時に神の摂理も急ピッチで進むようになる。そのとき、それまで日本人が信じていた「神州不滅」「神風が吹く」「戦争に勝つ」といった概念を、宗教的に読み替える必要が出てくる。客観的には日本はアメリカとの戦争に負けるのであるが、それを絶望から希望に変えるための発想の転換が必要なのである。

 大神様の言う「日本が勝つ」という言葉は、戦争に勝つという意味ではなく、むしろ戦争に負け、米軍に占領されることによって人々が真人間になるのであれば、結果的に日本の国は神の眼から見れば「勝った」ことになるという意味である。結局、勝ち負けは真人間になるかどうかによって決まるということだ。このように戦争や勝ち負けに対する視点を変えることで、大神様は終戦直後の日本人に希望を与えようとしたのである。

 島田裕巳は、著書『日本の10大新宗教』の中で、天照皇大神宮教は極めて戦後的な新宗教であったと解説している。第二次大戦が終わるまでは天皇は現人神とされ、その現人神が支配する日本という国は、「神国」とされ、神国の行う戦争は「聖戦」と位置づけられた。ところが、その神国が聖戦に敗れるという現実に直面したとき、人々は虚脱感に襲われ、精神的な空白が生じた。その「神国」と「聖戦」の意味を再解釈することによって、人々に希望を与え、その精神的空白を埋めようとしたのが、大神様の教えの時代的な意味だったのである。『生書』を丹念に読んでいくと、彼の分析が的を射ていることが分かる。

 このころの大神様のメッセージは、第6章の最後の説法に要約されている。
「敗戦国の乞食らよ、早う目を覚ませ、目を覚ませ。お目々覚めたら神の国、居眠りしておりゃ乞食の世界。

 乞食の世界に座をなして、神様おいで、おいでと叫んでも、天の神様なんで乞食の世界まで助けに行くような神はいない。

 己が心は己がお肚で掃除して、神のみ肚に合うまで魂磨いて上がっておいで。行けば行かれる天国よ。

 女役座になりました。女役座というものは、敗戦国の乞食の男、百万匹前にしたとて、引けも取らねば、さりとて女、子供でも、真心持ちと見たなれば、にっこり笑うて済度するのが女役座の腕前じゃ。

 親もなければ兄弟もない。野中に立った一本主義(杉)。

 今、日本に生をうけたる者は、男でも女でも、このまま死んでは死にきれない。子孫永遠に生きる道をつけてやり、尊いみ国が一本立ちして、世界の平和が訪れりゃ、いつ枕を並べて死んでも惜しくない、裸役者にならなけりゃ、日本人の名が汚れます――。」(p.165-6)

 この言葉には、日本民族に対する深い愛情が表現されているが、それはいわゆる軍国主義的な愛国心ではなく、国家の政策とは切り離された民衆に対する愛情である。すなわち、敗戦によって国の主権が亡びることよりも、そこに住む人々の心のあり方に深い関心を注いでいるのである。

 これまでの大神様の教えをまとめてみると、いくつかの特徴を指摘することができる。まずは国家の運命よりも個人の内面を重要視しているということだ。それは日本が戦争に勝つか負けるかが重要なのではなく、一人ひとりの日本人が真人間になるかどうかが重要なのだと主張していることから明らかである。真人間であるかどうかは、人々が利己心を捨てて自己の魂を磨くかどうかで決まるという。

 その上で、大神様は日本民族に対して深い愛情と信頼を寄せている。神は日本の国を決して見捨てたりはせず、むしろ世界の国々の模範となるような国になってほしいと願っているというのである。そしてそのポイントは、敗戦を契機に人々が心を入れ替え、一人ひとりの日本人が魂を磨いて真人間になることである。

 しかし、今の日本人は戦争に負けたことに絶望し、相変わらず利己的な生活をしているので、天皇に代わって自分が神の国をつくり、日本人を眠りから覚醒させ、最終的には世界平和を主導するような立派な国にするのが自分の使命であると自覚しているのである。

 一方で、日本が軍事的に発展したり、植民地を増やしたり領土を拡大することに対しては否定的である。満州も朝鮮も樺太も台湾も日本には必要なく、日本の本土だけあれば十分であり、むしろ隣国と仲良く付き合っていくのが良いと主張している。また、戦後の日本には軍備が必要なくなると説いていることから、一種の平和主義を信奉しているということになる。

 日本の敗戦に匹敵するような、民族的なレベルの絶望をもたらした出来事を旧約聖書の中に探すとすれば、それは紀元前586年のエルサレム陥落であろう。当時のイスラエル民族は「シオンの不可侵性」という国家の公式的な神学を信じており、これはヤハウェとダビデが結んだ永遠の契約により、エルサレムが敵の手に落ちることはないという信仰であった。たとえ危うくなったとしても、最後はヤハウェが直接的に介入する奇跡により、エルサレムは守られると信じていたのである。これは、日本人の「神州不滅」や「神風」の信仰に似ている。しかし、そのエルサレムがバビロニアの侵攻によって陥落し、ユダヤ民族がバビロニアに捕虜として連れていかれたとき、人々は希望を失ってしまう。

 こうしたユダヤ民族の苦難の時代に登場した預言者がエレミヤであった。エレミヤの生涯は、エルサレムを愛し、悔い改めを求めて叫ぶけれども、受け入れられない、という苦渋に満ちたものだった。彼は偶像崇拝に陥っていた当時のユダヤ民族に対して、「偶像を捨て、神に立ち返れ。さもなければエルサレムはバビロンによって滅ぼされる」と警告し続けた。けれども、ユダの王と民は彼の預言に耳を貸そうとはせず、激しく反発し、エレミヤを迫害した。やがて、エレミヤの予言が成就する時が来た。南ユダ王国はバビロンに征服され、エルサレムは陥落し、ユダの民は捕虜としてバビロンに連れ去られてしまったのである。

 エレミヤはエルサレムの陥落を嘆き悲しむが、その原因が偶像崇拝の罪や快楽を求める生活、不正や弱者に対する抑圧にあることを説き、人々に対して悔い改めを迫った。このとき彼もまた、国家の滅亡を嘆くよりも、一人ひとりの心の中に神を迎えることを強調したのである。そして彼はユダヤ民族がバビロンに捕囚されている期間は70年になり、その後に彼らは故郷に戻り、エルサレムを建てなおすことも予言し、未来に対する希望を語ったのである。これは敗戦と米軍による占領という民族の苦難の時代に、悔い改めと未来に対する希望を語った大神様の立場と相通じるものがあると言える。

 一方で、大神様の示した平和主義と相通じる内容を語った旧約聖書の預言者がイザヤである。イザヤ書2章4節には「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(They shall beat their swords into plowshares,and their spears into pruning hooks; nation shall not lift up sword against nation,neither shall they learn war any more.)」という言葉があり、ニューヨークの国際連合プラザに、この預言者の言葉が刻まれた、通称「イザヤの壁(Isaiah Wall)」と呼ばれる壁が存在する。

ニューヨークの国連プラザにある「イザヤの壁」

ニューヨークの国連プラザにある「イザヤの壁」

 預言者イザヤが活躍した紀元前8世紀は、イスラエル民族が南北に分断されていた。北のイスラエル王国がアッシリアに攻め滅ぼされ、南のユダ王国も戦乱の悲惨に巻き込まれていた。敗残の小国としてアッシリアの支配に屈したユダ王国は、無力感と絶望とに打ちひしがれていた。このような状況下で預言者イザヤは、武器を捨てて平和を選び取る意思、「戦わない」ビジョンを明確に示し、人々に呼びかけた。預言者イザヤは、いつの日か、この敗戦国を多くの国々が敬意を持って仰ぎ見ることになると告げている。しかしそれは、軍事力を回復し、武力によって敵を屈服させるという復讐の宣言ではなく、「国は国に向かって剣をあげず、もはや戦うことを学ばない」という「非暴力国家」の宣言であった。その結果として、この国が世界から仰がれるようになると主張したのである。これは、敗戦によって武力を放棄し、平和国家としての道を歩むことによって国際社会の信頼を勝ち取ろうとした戦後日本の立場に相通じるものがあり、大神様の教えもまた、預言者イザヤのビジョンや国連の理想、さらには日本国憲法第9条の精神に通じるものであるといえるのではないだろうか。

 以上で「第六章 終戦と大神様」の部分は終わる。次回から、「第七章 道場の発足」に入る。

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『生書』を読む22


第六章 終戦と大神様の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第22回目である。第19回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入った。天照皇大神宮教においては、第二次世界大戦の終戦をもって皇祖神の拠り所が天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが予定調和的に理解されており、終戦が近づくと同時に神の摂理も急ピッチで進むようになるのであるが、一般的な終戦の日付と天照皇大神宮教の理解には、微妙なずれが存在する。それは天照皇大神宮教においては8月12日が特別な意味を持っているからである。それは以下の記述から明らかである。
「思えば長い年月の行の道であった。昭和十七年八月十二日に行を始められてから満三年、夜水かぶり、昼水かぶり、日には六度も水をかぶり、世人からは『神経、気違い、信仰のぼせ、やりもの、つきもの、嫌われ者』にされつつ、ひたすらに神国のため、神の命じ給うまにまに行ぜられ、思い出の八月十二日を迎えること、三度にして、神はいよいよ神の国建設という一大聖業を果たさせ給う神役者の座長をつくられたのである。

 十二日には赤飯を炊かれ、集い来る者にふるまって、心からのお祝いをされた。

 大神様は前もって、八月十二日には重大ニュースを聞かせると言われた。これを聞いた者は、何の発表があるのだろうかと心待ちにしていたが、いっこうにそれらしいものがないので、わざわざお家まで問いに来る者もいた。彼らに対して大神様は「ぬんだ(延びた)、ぬんだ。」と言われたのみだった。発表はなかったけれど、その日こそ日本の降伏が連合国側に入れられた日であったのである。」(p.152-3)

 要するに、「肚の神様」は終戦の3年前から日本の降伏の日を知っていて、昭和17年8月12日に教祖が平井憲隆氏の所を尋ねたことをきっかけに丑の刻の日参詣りを始めさせ、そこからちょうど3年たった8月12日に終戦の日を迎え、そのときから救世主としての本格的な出発をするように計画していたということである。だからこそ、8月11日に教祖に対して自らの正体を明かして決定的な啓示を下されたのである。したがって、天照皇大神宮教においては本来の終戦の日は8月12日であったが、これが人間の側の事情によって3日延長して8月15日になったということなのである。宗教的な意味での「神の予定」ということであれば、こうした延長があったかなかったかは検証不可能であるが、日本がポツダム宣言の受け入れを連合国側に通達した日に対する理解については、一般の史実とは異なっている。ポツダム宣言の受諾と日本の終戦の日に関する一般的な記述は以下のようなものである。

 ポツダム宣言は、1945年7月26日に連合国によって発表された。当時の鈴木貫太郎内閣においては、鈴木首相、東郷外相、米内海相らは「国体護持」のみを条件に受諾もやむなしと考えていたが、阿南陸将ら陸軍がこれに強く反対した結果、受諾を保留し、宣言を「黙殺」するという声明を新聞に出すことになった。連合国はこの「黙殺」を受諾拒否と受け取り、その結果広島(8月6日)と長崎(8月9日)に原子爆弾が投下され、さらにソ連が参戦(8月8日)することにより、戦局が一気に悪化した。

 日本政府は御前会議において8月10日午前2時半に、「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を決定した。しかし、陸軍の一部では戦争継続を主張して、クーデター決行の準備が進んだ。こうした中で再度御前会議が開かれ、8月14日正午前に無条件降伏受諾の決断を天皇に再び仰いで最終的に決定し、この日に連合国側に通告した。敗戦の詔勅は天皇自ら録音し、それが8月15日に「玉音放送」として国民に直接語り掛けられた。

 日本では一般に「終戦の日」は8月15日として定着しているが、正確には「終戦の詔勅を天皇が国民に示した日」であり、日本国家としてのポツダム宣言受諾は8月14日に決定され、連合国側に通達されている。このことは全世界に公表されており、それを知らなかったのはごく一部を除く日本人だけだった。事実、アメリカでは8月14日に日本が降伏することが報道されており、その日にトルーマン大統領はポツダム宣言の内容を国民に説明し、日本がそれを受諾したことを告げた。翌日(8月15日)のニューヨーク・タイムズ紙の一面には“JAPAN SURRENDERS, END OF WAR!”という見出しが踊っている。

 また、太平洋戦争、日中戦争、第二次世界大戦が正式に終わった日付は、アメリカ軍艦ミズーリ号上で日本が降伏文書に調印した9月2日である。したがって、国際的には9月2日が戦争の終わった日とされている。ロシアでもアメリカでも対日戦勝利は9月2日となっており、中国が「日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利日」としているのは9月3日である。8月12日に日本が幸福を決定して連合国側に通達したという『生書』の記述は一つの宗教的信念であって、客観的な史実ではない。

 さて、『生書』には大半の日本人が敗戦の事実を知らされる8月15日の前日に、大神様が警察から呼び出されて、特高課から説法の内容について注意されるというストーリーが出てくる。当時は特高警察といえば誰もが恐れをなす存在だったのだが、大神様にかかってはまるで赤子扱いである。この辺のストーリーは、既に敗戦の事実を「肚の神様」を通して知らされ、未来を予見できる大神様にとっては、世俗の権威など怖くもなんともないという態度を示すことにより、教祖の特別な位置を表現していると思われる。

 いよいよ「玉音放送」によって敗戦の事実が国民に知らされた8月15日、大神様はすでにそのことを予見しておられたので、まるで何事もなかったかのように、いつもと同じように説法をされたという。ここで『生書』に描かれているのは、敗戦に打ちひしがれる聴衆と、生き生きと教えを説く大神様の対比である。

 当時の日本国民は、「寝耳に水」のような敗戦の悲報にショックを受け、沈痛な顔をしていたという。長い間の教育によって、漠然とではあるが神州不滅を信じさせられ、国土が危うくなったときには必ず神風が吹くことを頼りにしていたので、敗戦の詔勅を聞いても、それを事実として受けとめることができずにいたのである。そこに連合軍の最高司令官マッカーサーがやってきて、いよいよ敗戦の現実をひしひしと感じ始めた大衆は、神州不滅の自尊心も吹き飛ばされ、虚脱感を感じはじめていたのである。

 それに比べて大神様はよく肥えて血色がよく、一点の憂いのかげもなく堂々を歌説法をしていた。その説法の内容は、むしろ敗戦は良いことだったと言わんばかりである。それは「神州不滅」「神風」「戦争に勝つ」という日本人が信じていた概念を、宗教的に読み替えてしまうことによって未来に対する希望を提示するという作業であった。
「戦争に負けたんじゃないぞ。あれは蛆の喧嘩が済んだのじゃ。戦争はおれらが今からやる。本当の戦争はこれから始まる。早く真人間に立ち帰れ。真人間になりさえすりゃ、戦争に勝てるぞ。」「祈れ祈れ。一生懸命祈れ。今度の戦争は祈りで勝つのじゃ。」(p.162)「無条件降伏とは、無上の剣が降伏になったのよ。紀元二千六百五年の八月十と五日を御縁として、人間の崩れた世の中おしまいですよ。われら(お前ら)の乞食の世界は永遠に消えたのだ。蛆の世界の暮れの鐘が、神のみ国の夜明けの鐘だったのよ。夜明けだ夜明けだ、神の国の世は開けた……。」(p.163)
「この戦いがあればこそ、神のみ国ができるのじゃ。」(p.164)
「ええ神風じゃのう、マッカーサーが来ればこそ――。」(p.164)

 こうした説法を聞いた聴衆は、意味ははっきり分からないものの、なんとなく希望が持てるような気がして心が明るくなり、それを契機に神行の道に入る者も出てきたという。

 もともと大神様は、日本が戦争に勝つか負けるかは日本の国力や戦略戦術によって決まるのではなく、一人ひとりの日本人が神の前に正しい真人間であれば戦争に勝つのだと説き、利己心を捨ててお国のために働くことを人々に勧めていた。この戦争に日本が負けることは最初から決まっていたわけではなく、戦争を通じて日本人が真人間になる道もあったかもしれない。しかし実際には利己的な人間が増え、日本は神の敵となったので、むしろ戦争に負けることによって、日本が生まれ変わる道が開かれるようになった。大神様の言う「日本が勝つ」という言葉は、戦争に勝つという意味ではなく、戦争に負け、米軍に占領されることによって人々が真人間になるのであれば、結果的に日本の国は神の眼から見れば「勝った」ことになるという意味である。結局、勝ち負けは真人間になるかどうかによって決まるのである。このように戦争や勝ち負けに対する視点を変えることで、大神様は終戦直後の日本人に希望を与えようとしたのである。その意味で日本の敗戦は、一種の「終末論的な出来事」として天照皇大神宮教ではとらえられていることになる。

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『生書』を読む21


第六章 終戦と大神様の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第21回目である。第19回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入った。この章に至って、「肚の神様」は教祖に決定的な啓示を下さることになる。それは以下のような内容である。
「十一日の夜半から、宇宙絶対神は教祖大神様をはっきりと一人娘として娶られたのである。前年十一月二十七日に教祖の肚に天降られた指導神、または皇大神と申し上げる男神と、天照大神と申し上げる女神と御二柱の神が一体となられて、教祖のお肚を宮として天降られたのである。」(p.152)

 『生書』のこの部分は、おそらく天照皇大神宮教の教えの最も中核的な部分であり、キリスト教の「使徒信条」に当たるような信仰告白に相当するものであると思われる。すなわち、それを受け入れて信じる人が、天照皇大神宮教の信者なのである。ここに天照皇大神宮教の教えの中核である神観と教祖観が示されているので、それを家庭連合と比較してみたいと思う。

 天照皇大神宮教において教祖の肚に宿っている神は「宇宙絶対神」であり、その絶対神は男女一人ずつおり、一人の名は「皇大神」という男の神様、もう一人は「天照大神」という女の神様であるという。宇宙絶対神なので一神教かと思えば、男女二人いるということなので、「二神教か?」と混乱するような記述ではある。「皇大神」や「天照大神」という名前を聞くと、だれもが神道の神々を連想する。この神様は、もともとは伊勢神宮にいたのであり、それが天皇皇后に代わっておサヨを依り代にしようというのであるから、皇室の先祖に当たる神道の中心的な神、すなわち皇祖神であると解釈できないこともないが、それを超えて、キリスト教や仏教をも包含する、宇宙を支配する唯一神という概念に拡大されていることが大きな特徴である。すなわち、天照皇大神宮教は「神道」の枠の中に納まる宗教ではないのである。以上を要約すると、天照皇大神宮教は男女一対からなる「宇宙最高神」を崇めていることになる。

 一方で、世界平和統一家庭連合の創設者である文鮮明師が説いた「統一原理」は、ユダヤ・キリスト教の伝統に根差した教えであり、宇宙の創造主である唯一なる神を説いている。その意味で家庭連合は紛れもない「一神教」であるということができる。『原理講論』にも、「神はあらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存する絶対者である」と書かれている。

 統一原理では、神は唯一神でありながら「陽性と陰性の二性性相の中和的主体」でもあると説いている。ここでいう陽性とは男性的性質をさし、陰性とは女性的性質をさしている。すなわち、神はお一人でありながらも、男性と女性の両方の性質を内包しておられるということである。

 天照皇大神宮教で教えている神と統一原理の神は、男性と女性の二人の神が存在するとするか、唯一の神が男性と女性の属性を内包しているとするか、という表現の違いこそあれ、宇宙の絶対神であり創造主である神が男女両方の要素からなっていると説いている点では似ていると言えるであろう。天照皇大神宮教は日本人に分かりやすいように、「皇大神」と「天照大神」という神道的な名前でこれを表現したが、統一原理は聖書に出てくる創造主としてこれを表現した。ただし、神を「陽性と陰性の二性性相」であるとする統一原理の神学は、聖書そのものというよりは「易学」に代表される東洋哲学の用語によって表現されたものである。『原理講論』の中でも、陰陽を中心として存在界を観察した易学の妥当性を説いており、完全ではないにしても真理の一部分をとらえたものであると評価している。総合的に見れば、表現の違いこそあれ、この二つの宗教はかなり似通った神観を持っていると言ってよいであろう。

 それでは教祖論はどうであろうか? 天照皇大神宮教における教祖の位置については、神道的な表現で示されている箇所がある。肚の神様は教祖に対し、「二千六百五年の昔から神が天降る所を、ちゃんと決めていたんじゃ。蛆の祭りのお旅所と同じことで、神輿を降ろす所があろうがの、今はおサヨがお旅所なのじゃ。」(p.77)と語っているが、これは神道における「依代(よりしろ)」の概念に近い。神社には「御神体」があるが、これは神霊が宿る物体のことである。御神体は神そのものではないが、そこへ神霊が宿ると神そのものとなると考えられている。つまり、御神体とは神が宿る「依代」であり、古代においては、石や山、木などの自然物に神霊が降臨し、依りつくと考えられたし、比較的新しいタイプの御神体には、御幣、鑑、神像などがある。こうした、神が天下るための「依代」として北村サヨ氏が選ばれたという理解が可能である。

 もう一つの理解は、「現人神」という立場である。「肚の神様」はもともとは伊勢神宮に祀られていた皇祖神であったが、いまや天皇は生き神でも現人神でもなく、「あさっての方を向いている」傀儡になってしまったので、天皇に代わって神は北村サヨ氏の肚に宿ることになったというものである。「肚の神様」の論理としては、「天皇は世をよく治めることができず、役に立たないから、そこには宿りたくない。それで、生まれついたときからこれまでおサヨを特別に訓練してきたのであり、天皇の代わりにおサヨに宿って国と世界と救うのだ」という話なのである。

 さらにもう一つの立場が、宇宙絶対神によって「一人娘」として娶られたというものである。この立場が現在の家庭連合において、文鮮明師の夫人である韓鶴子総裁に対して用いられている呼称であることは既に先回述べた。

 それでは家庭連合における教祖の位置はどうであろうか。家庭連合はユダヤ・キリスト教の伝統の上に立っているため、日本の宗教伝統とは異なり、神と人間の間に断絶のある神学的伝統を背景としている。キリスト教神学においては宇宙の創造主である神と被造物である人間の間には大きな隔たりがあり、人間が神になることはあり得ない。しかし、キリスト教神学においては「神が人になる」ということはあり得ると考えている。人類歴史上ただ一人、神が人となって地上に顕現されたお方がイエス・キリストであるとされているのである。キリスト教神学においては、イエス・キリストは「神が人となられたお方」なのであって、いわゆる教祖というような次元の存在ではない。そのくらいにイエスの位置は高められているのである。

 キリスト教においては、「イエス・キリストは神のひとり子であり、救い主である」と信じられている。神の「ひとり子」という表現はヨハネによる福音書3章16節に由来するが、英語では“Only-Begotten Son”といい、韓国語では「独生子(トクセンジャ)」という。イエスは何人もいる神の息子の中の一人なのではなく、たった一人の神の息子であるという点において、特別な存在だとされているのである。家庭連合においては、文鮮明師を「再臨のメシヤ」であると信じている。それはイエスが2000年前に成し遂げられなかった使命を果たすために再び現れるメシヤという意味であるから、文師はイエス・キリストと同等の立場であると理解されていることになる。

 家庭連合のメシヤ観の特徴は、男一人ではメシヤになることはできず、女一人でもメシヤになることはできず、あくまでも一対の男女、すなわちカップルでなければメシヤになることはできないとしている点である。これは、メシヤの役割が、本来ならば人類始祖アダムとエバが果たすべきであった「真の父母」の使命を果たすことにあると考えているためである。したがって、もしイエス・キリストがメシヤであり、「神のひとり子」であるならば、「神のひとり娘」である女性と結婚して「真の父母」になるべきであったということになる。しかし、イエスは結婚することなく十字架刑で亡くなってしまったので、この使命を受け継いだのが文鮮明師御夫妻である。

 家庭連合においては、文鮮明師はイエス・キリストの再臨であると信じられているので、文師は「ひとり子」であり、Only-Begotten Sonであり、「独生子(トクセンジャ)」である。そして、その夫人である韓鶴子総裁は、「ひとり娘」であり、Only-Begotten Daughterであり、「独生女(トクセンニョ)」であると信じられている。

 このように、天照皇大神宮教と家庭連合では、神観と教祖観において類似する部分があり、語られている用語においても似たものがある。その中で最も大きな違いは、家庭連合においては文鮮明師と韓鶴子総裁の両方に「神のひとり子」「神のひとり娘」としての位置が付与され、カップルとして「真の父母」であり、メシヤであると理解されているのに対して、天照皇大神宮教においては、生き神様であり神の一人娘であるのはもっぱら北村サヨ氏のみであり、夫である北村清之進氏に対してはそうした位置が与えられていないということである。

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『生書』を読む20


第六章 終戦と大神様の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第20回目である。先回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入った。天照皇大神宮教においては、第二次世界大戦の終戦をもって皇祖神の拠り所が天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが予定調和的に理解されており、終戦が近づくと同時に神の摂理も急ピッチで進むようになる。昭和20年7月22日に、教祖は自宅で初の説法を行い、いよいよ神の御言葉の種をまき始められる。

 8月に入ると、ポツダム宣言、広島への原爆投下、長崎への原爆投下、そしてソ連の対日宣戦布告により、日本の情勢はもはや絶望的になる。8月10日に日本政府が御前会議を開いて降伏を決定し、ポツダム宣言の条項に基づいて連合国に和を請うたことにより、日本の敗戦は事実上決定する。ちょうどその翌日、8月11日の夜に、教祖は決定的な啓示を受け、強烈な神体験をするのである。大部分の国民が日本の敗戦を知らされるのは8月15日の「玉音放送」によってである。したがって『生書』の記述が歴史的事実なら、「肚の神様」は公式な発表に先立って日本の敗戦を知っていたことになり、そのことを教祖に啓示していたという、いかにも「神憑り」的な話となる。『生書』は戦後になってから書かれたものであるから、後から歴史を振り返って、あたかも神の計画が予定通りに進んだかのように構成したのではないかと疑うことは可能である。しかし、ここではそのことに深入りするよりは、天照皇大神宮教の世界観を明らかにすることに専念したい。

 件の8月11日に肚の神が語ったのは、以下のような内容であった。
「十一日の夜中の鐘もろともに、今までとうびょうと言うたのも、口の番頭と言うたのも、指導神と言うたのも、もとを正せば天照皇大神の一つもの。天照皇大神の一人娘にして、世界が一目に見えるめがねをやろう。」(p.151)

 この個人ブログの第14回で、私は「肚の神様」の啓示の特徴は、段階的な自己開示であると分析した。初めは自分のことを「とうびょう」と言っていたものが、次には「口の番頭」というようになり、さらに「指導神」と名乗り出したのである。これまでは、はたして「とうびょう」や「口の番頭」が宇宙の絶対神と同一存在であり、単に自己紹介の仕方が違っただけなのか、それとも別の存在であり、絶対神の家来に過ぎなかったのかは、にわかに判別しがたいと言っていた。なぜなら、宇宙の絶対神には家来のような神々がおり、それが順番に教祖に働きかけ、教育してきたのであるという理解も可能だからである。しかし、ここではそれら三つの名前の神は、一つの神の異なる呼び名であったことが明かされる。いよいよ神の正体が最終的に開示され、それは「天照皇大神」だということが示されたのである。それと同時に、教祖は不思議な宗教体験をする。
「その時から、教祖は宇宙いっさいのもの、幽界顕界ことどとくが見え出されたのである。下は八万十万地獄を通り越し無間地獄まで、海の中の魚類から、虫から、獣からその幽霊、あるいは娑婆の人間界から天上界まで、あらゆるものを見せ、いちいちそれらの説明をつけられるのである。」(p.151)

 それは、いつも見えていたら神経衰弱になるような体験だとされ、生身の人間でありながら、神のごとき視点で世界を見ることができるようになったという、一種の宗教体験である。この体験は視覚的なものとして表現されているが、伝統的な宗教の経典で類似するものには、使徒パウロの体験がある。
「わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである――パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。」(コリント人への第二の手紙12:1-4)

 スウェーデンボルグもまた、生きながら霊界を見て来たという霊的体験に基づく大量の著述で知られている。ヒンドゥー教には「梵我一如」という思想がある。これはインドの哲学書ウパニシャッドに代表されるバラモンの根本思想で、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個人の本体であるアートマン(我)とは同一であるというものだ。禅宗においても、瞑想修行の最中に自己と宇宙が一体であると感じるような境地に至ることがあるという。おそらく大神様にも同様のことが起こったのであろう。宗教の経典ではないが、筒井康隆の小説『エディプスの恋人』には、主人公である「七瀬」が、一瞬ではあるが宇宙の絶対神(この小説では絶対神は女性であり「彼女」と表現されている)と入れ替わるシーンが出てくる。それは大神様の体験したような、神の視点で世界を見るということがどういうことであるかを文学的に表現したものである。
「偏在感があった。七瀬は『彼女』に替り、大極に存在し、宇宙に君臨していた。存在形態としてそれは宇宙そのものともいえた。超絶対者としての、動物的視覚に依らざる認識的視野を持つことがどういうことであるか、七瀬にはわかった。単に文字通りの『視野』であってすら、もしそれを持ち得たとすればそれがいかに常人たちにとって耐え難いものであるかも、たちまち七瀬は思い知らされていた。幾億もの星雲が、宇宙に充満するすべての原子と同じ認識的視界に共存していた。ある恒星系の生成から消滅までを七瀬は、地球の片隅で一匹の昆虫が産卵する様子と同時に認め得るのだった。すべての現象が恒常感覚として掌握できた。七瀬がたまたま学生時代に読んでいたハイデッガーの実存論をこれほど容易に実感できる視点はなかった。」(『エディプスの恋人』p.195) 

 こうした神秘体験の後に、肚の神様は教祖に決定的な啓示を下さった。
「十一日の夜半から、宇宙絶対神は教祖大神様をはっきりと一人娘として娶られたのである。前年十一月二十七日に教祖の肚に天降られた指導神、または皇大神と申し上げる男神と、天照大神と申し上げる女神と御二柱の神が一体となられて、教祖のお肚を宮として天降られたのである。」(p.152)

 『生書』のこの部分は、おそらく天照皇大神宮教の教えの最も中核的な部分であり、キリスト教の「使徒信条」に当たるような信仰告白に相当するものであると思われる。すなわち、それを受け入れて信じる人が、天照皇大神宮教の信者なのである。

 ここではっきりと、天照皇大神宮教が啓示宗教であることが分かる。啓示宗教の教えの根幹は理性によって導き出されるものではなく、神の側から一方的に示されるものであり、「なぜそうなのか」という理由が合理的に説明されることはない。人間の側はそれを受け入れるかどうかの選択を迫られるだけなのである。天照皇大神宮教においても、宇宙の絶対神がどうして北村サヨという田舎の婦人に天降ったのについては説明はない。ただ、神がそのように予定して、時が来たのでそれが実現したのだという話である。

 これはキリスト教においても同じである。宇宙の創造主である神が、どうしてナザレのイエスという大工の青年として降臨したのかについては、合理的な説明はない。それは啓示によって人類に明かされたことであり、それを受け入れる者は「イエス・キリストは神のひとり子であり救い主である」という信仰を告白するしかないのである。神の「ひとり子」という表現はヨハネによる福音書3章16節に由来するが、英語では“Only-Begotten Son”といい、韓国語では「独生子(トクセンジャ)」という。イエスは何人もいる神の息子の中の一人なのではなく、たった一人の神の息子であるという点において、特別な存在だとされているのである。天照皇大神宮教における北村サヨ氏の位置は「一人娘」であるから、イエスの位置の女性版であり、同じような特別な位置であることになる。

 非常に興味深いことに、この「神の一人娘」は、現在の家庭連合において、文鮮明総裁の夫人である韓鶴子総裁に対して用いられている呼称である。家庭連合においては、文鮮明総裁はイエス・キリストの再臨であると信じられているので、文師は「ひとり子」であり、Only-Begotten Sonであり、「独生子(トクセンジャ)」である。その夫人である韓鶴子総裁は、「ひとり娘」であり、Only-Begotten Daughterであり、「独生女(トクセンニョ)」であると信じられている。天照皇大神宮教の教祖である北村サヨ氏と、家庭連合の共同創設者である韓鶴子総裁は、どちらも「神の一人娘」として神に認定され、その自覚をもって世の中のいかなるVIPにあってもひるむことなく、神の御言葉を宣べ伝える存在であることが明らかになった。

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『生書』を読む19


第六章 終戦と大神様

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第19回目である。先回で「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容を解説し終えたので、今回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入る。第六章は、昭和20年春の戦局の解説から始まる。イタリアのムッソリーニの死、ヒトラーの死に続くドイツの無条件降伏によってヨーロッパでの戦争は終結し、日本は孤立無援となり、沖縄戦も6月には終結した。このように戦局が最後の段階へと突入すると、「神様の御行も戦局と同調して、最後の仕上げへと進まれたのである。」(p.138)と『生書』には記されている。かつて肚の神様が教祖に対して「二千六百五年の昔から神が天降る所を、ちゃんと決めていたんじゃ。蛆の祭りのお旅所と同じことで、神輿を降ろす所があろうがの、今はおサヨがお旅所なのじゃ。」(p.77)と語ったように、天照皇大神宮教においては、終戦の時をもって皇祖神の拠り所が天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが予定調和的に理解されているので、終戦が近づくと同時に神の摂理も急ピッチで進むようになるのである。

 昭和20年7月22日に、教祖は自宅で初の説法をなさった。この日は天照皇大神宮教においては大切な記念日となっている。それを聞きに集まった人々の人数は40~50名ほどであったという。説法のスタイルは踊りながら歌う「歌説法」と呼ばれるもので、言葉遊びのような数え歌で教えを説いていった。このように大衆に分かりやすい方法で教えを説く大神様には、エンターテイナーとしての素質があったようだ。自分のことを「おんなヤクザ」と呼び、神の摂理のことを「神芝居」と呼んだくらいであるから、そのような自覚があったものと思われる。次の言葉も、芝居をテーマにした比喩である。
「おサヨは世界を舞台にして国救いをやらせるんじゃが、田布施が楽屋ぐらいではちと狭いんじゃが、あまりよそへ行って稽古をしたら、本物の気違いと間違われるから、今まで田布施を楽屋にして稽古したが、今からは世界へ乗り出すのじゃ。」(p.140)

 どうやら終戦前に田布施で起こったことは、終戦を契機に世界を舞台として本格的な芝居をする前の、楽屋での稽古みたいなものとして位置づけられているようだ。大神様のカリスマは相当なものだったようで、「皆の者はいつとはなしにひきつけられ、浮世のことなど忘れ果ててしまい、一心に聞き入るのであった。」(p.140)ということであった。

 大神様の説法のスタイルは、聞く人一人ひとりの欠点を言い当て、「業晒し」をするというものであった。誰にも知られていないはずの自分の罪や欠点を、教祖が見事に見抜いて断罪する姿を通して、「この人は自分のすべてをお見通しだ」と感じて屈服するというパターンである。普通は悪口を言ったりどやしつけたりすれば嫌われるものだが、逆に魅了してしまうところが教祖のカリスマなのであろう。大神様もまた、そのようなカリスマの持ち主であったと思われる。

 ところが、そのようなカリスマを持つ教祖と出会ったとしても、必ずしもすべての人が神行の道に入ったわけではないようだ。それは以下のような記述からもうかがえる。
「だが教祖の説法が、自分たちの生活とはあまりにもかけ離れた世界のことのように感じられ、直ちに現実の世界を一新して神行するような殊勝な気持ちになる人は、ほとんどなかったのである。」(p.141-2)

 このような教祖の説法とそれを受け止める世俗の人々の関係は、キリスト教の『聖書』にも通じる内容である。教祖がどんなにすばらしいことを語っても、また一時的に教祖の言葉に感動したり敬服したりしても、その後その人が継続的な信仰を持つとは限らないのである。むしろ、深い信仰を持つ人の方が珍しいくらいである。キリスト教の『聖書』では、神の御言葉を「種」にたとえ、それを聞く人々を「土地」にたとえてこのことを説明している。
「その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、『見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい』。」(マタイ13:1-9)

 このたとえの意味をイエスは以下のように説明している。
「そこで、種まきの譬を聞きなさい。だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。(マタイ13:18-23)

 天照皇大神宮教においても、いよいよ終戦が近くなって大神様が説法という「種まき」を始められるのであるが、その種が実を結ぶには相応しい「土地」が必要であり、それは神によって準備された人であるという世界観には、キリスト教と相通じるものがある。

 教祖が説法を開始した7月22日から終戦の日までの間に、教祖の周りには不思議な出来事が起こっている。そのうちの一つが徳山市に対する米軍の空爆の予言である。そこには本城夫人という信者が住んでいたのだが、大神様はその家を訪問する前に、「それまでに、徳山の蛆の掃除に、機銃掃射と小型爆弾と焼夷弾を持って行くけえ、皆にそう言うちょいてくれ」(p.144)と言ったのである。本城夫人はその言葉を冗談かと思ったのだが、7月26日の夜半に本当に大規模な空襲があったのである。「徳山市は一瞬にして炎の海と化し、焦熱地獄を現出した。全市の大半は灰燼に帰し、おびただしい死傷者が至る所に横たわり、文字どおり死の街となった。」(p.144)と『生書』には記されている。

 しかし、本城家は焼夷弾を何発も受けながらも、不思議にみな不発に終わり、助かったという。本城夫人はそのことにより改めて教祖に感謝した。空襲の翌日であったにもかかわらず、大神様は徳山市の本城宅を訪ねてきた。そして本城家の背負っている因縁の話をしたり、軍人として出征している息子たちが無事に帰ってくることを予言したりして、本城夫人を驚かせたのである。こうしたストーリーには、教祖がただならぬ人であり、未来を見通せる人であることを証しする効果がある。

 こうして徳山に神の種がまかれたことを記した後、『生書』は再び戦局の解説に移る。この辺にも、終戦に至る客観的な歴史のプロセスと大神様を中心とする神の歴史のプロセスが同時並行的に進んでいるという理解が表れている。人間の歴史と神の歴史は予定調和に従って進んでいくのである。ポツダム宣言、広島への原爆投下、長崎への原爆投下、そしてソ連の対日宣戦布告により、日本の情勢はもはや絶望的になる。こうした出来事を簡潔に記した後に、「生書」は人間の歴史と神の歴史が一つに交わる時が迫ってきたことを告げる。
「八月十日、日本政府は御前会議の結果、降伏を決定、ポツダム宣言の条項に基づいて連合国に和を請うた。かくて八年の戦いの最後の日が近づくにしたがって、神は神の国を建設せんがため、その指導者たる教祖に、最後の仕上げをされるのであった。」「八月八日のことである。純白の新しい服を縫わせ、また新しい布団を一重ね作らせ、『十一日の夜はそれを着て、神棚の前に一人で寝よ。』と命ぜられる。十日には例の下痢が始まって、『今度は娘腹を下して、天人の二十五歳になるのだ。』と言われる」(p.150)

 教祖が純白の新しい服を着るのは、新しい時代の幕開けに備えるという意味であり、下痢をするのは、過去の清算の意味があると思われる。ちょうど終戦が決定的になろうとするときに、肚の神様も教祖に対してそのための準備を命じていることになる。こうして終戦の直前、8月11日の夜に、教祖は決定的な啓示を受け、強烈な神体験をするのである。その詳しい内容については次回扱うことにする。

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『生書』を読む18


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第18回目である。第12回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。前回は大神様の集会に集まった人々が一番聞きたがっていたのは、戦争の結果がどうなるかということであったが、それに対して大神様は明確な答えを示さずに、魂を磨くことに専念せよと言われたことを紹介した。世俗の人々は常に、外的・客観的な世界において次に何が起こるかに関心がある。それは自分自身の損得と結びついているから、他人より早くそれを知ろうとして、教祖や霊能者に対して「未来はどうなるのか?」と尋ねる。しかし、それに対する大神様の答えは、「そんなことを心配するよりも、自分の内面を見つめ、自分を変えなければならない」というものであった。それは彼らが自己中心的な損得勘定に縛られている限りは救われることはないからである。

 『生書』には、大神様の集会に来た者たちの中に、最初は教祖を見下していた傲慢な者たちがおり、教祖もまた彼らを嫌っていたが、最後は教祖から悪口を言われることによって逆に悔い改めに至ったことが記されている。悪口というのは以下のような言葉である。
「お前たちは国賊乞食じゃ。日当もらって会席膳まで食べて、その上お礼までもらったろう。この泥棒め、どこに日当もろうた上に、お礼までもらう法があるか。お前らは南無大師遍照金剛と言うて歩く乞食より、なお上の手の乞食。」
「面を脱いだか、白髪婆――、われ(お前)みたいな蛆虫が、世の中に増えてきて、月給取っても出張費、その上お礼までもろうて歩く蛆乞食。」(p.130)

 このころの大神様の指摘する罪は、経済的な意味で私利私欲を満たそうとする類のものが多い。教祖から徹底的にどやしつけられたり、叱られたりすることによって逆に魅了されるようになるというストーリーは、宗教の世界においては珍しいものではない。典型的には、誰にも知られていないはずの自分の罪や欠点を、教祖が見事に見抜いて断罪する姿を通して、「この人は自分のすべてをお見通しだ」と感じて屈服するというパターンである。家庭連合においても、教団の初期のころに文鮮明師の弟子になった人々の証しにそのような内容が多く見られる。普通は悪口を言ったりどやしつけたりすれば嫌われるものだが、逆に魅了してしまうところが教祖のカリスマなのであろう。大神様もまた、そのようなカリスマの持ち主であったと思われる。

 ここで『生書』は、大神様が担うべき重要な使命に関する記述に入っていく。この章の結論部分であり、最も重要な箇所である。眠りにつこうとする教祖を肚の神様がむりやり起こして、以下のようなやりとりがあったのである。
「おサヨ、神側の相談が決まったのじゃがのう。」「やかましい眠らせいや。」「まあよう聞け。嫌じゃと言うても、どうしてもわれ(お前)に、一度は是非とらせにゃならぬものがある。」「何か。」「玉露の玉と、天蓋の瓔珞じゃ。」「いらぬことを言うな。あれは『天皇のも人造ぞ、皇后のも人造ぞ。』と言うたから、『それなら本物を持って行け。』と言うたら、『持って行かせ。』と言うて、水をかぶらしたじゃあないか。」(p.131)

 この玉露の玉と天蓋の瓔珞は初めに101ページに登場し、それぞれ天皇と皇后がその位につくときに受け継ぐものであると説明されている。要するに「肚の神様」は、教祖を天皇陛下に取って代わる位置に立てようとしたのである。いまの天皇は生き神でも現人神でもなく、本来の位置を外れているので、その位置におサヨを立てるのだという意志を「肚の神様」が示したことになる。

 そのような大それたことを言う「肚の神様」とはいったいどんな存在なのかと言えば、それまで伊勢神宮にいた神が、そこを去っておサヨの肚に宿るようになったという。言うまでもなく、伊勢神宮の祭神は天照大神である。皇祖神である神が伊勢神宮を去って、おサヨの肚に宿るようになったので、おサヨは天皇に代わって日本の国を治める立場に立つのだと言いたいのである。

 肚の神様は教祖に対し、「二千六百五年の昔から神が天降る所を、ちゃんと決めていたんじゃ。蛆の祭りのお旅所と同じことで、神輿を降ろす所があろうがの、今はおサヨがお旅所なのじゃ。」(p.77)とも語っている。皇紀2605年は西暦で言えば1945年、終戦の年である。すなわち、終戦の時をもって皇祖神の拠り所は天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが、昔から予定されていたのだということである。しかし、当のおサヨはそれを断っている。

 それに対する「肚の神様」の反論は、「天皇は世をよう治めんじゃないか」(p.131)ということであり、「蛆の天皇や蛆の皇后」では何の役にも立たず、彼らが三年でも水をかぶって修行したとしても、その汚い肚には入りたくないというのである。かなり天皇皇后を冒涜した内容になっているが、『生書』が出版されたのは戦後なのでおとがめなしである。そして極めつけは、「おサヨ、われは今、急に、にわか神様になったのじゃあない。われに世が末になったら、国救いをやらせようと思うて、生まれついてから鍛えてきてあるのじゃ。」(p.132)といって、これまで百姓仕事で鍛えてきたのは国救いをやらせるためであったと迫るのである。

 これは旧約聖書の預言者の召命の場面と非常によく似ている。預言者エレミヤが召命される場面では、神はエレミヤに対して以下のように語っている。
「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。(エレミヤ書1:5)

 要するに神が予定したのだから成就しなければならないということであり、問答無用である。預言者は最後は召命を受け入れなければならない。大神様の場合には、肚の神様からの提案で、三年半の期限付きで、終わったら元の百姓の女房に戻すという条件でその役割を受け入れることになったのである。そのくだりは以下のようなものだ。
「『・・・おサヨがどうでもとるのが嫌なら、三年半にわたって国救い舞をやって、世が治まったら、それを天皇や皇后のところへ持って行ってやってくれ。その時、天皇や皇后は、私らはよう治めだったのじゃから、たいがたいけえ譲ろうと言うし、おサヨはいらないと言うて、押し合い、へし合いするとこを、新聞に出さしてやろう。』

 それで教祖は肚の神に問われた。『それが済んで、国が治まったら、また元の百姓の女房に戻してくれるか。』

 肚の神は、力を入れて答えられるのであった。
『そこじゃ、そこじゃ、人間は偉い者になってしもうたらおしまいじゃ。蛆虫世界じゃあ、上がったら、さがることを知らぬ。神の国は上がったり下がったりが、自由自在にきくようになって、地位も名誉もいらぬ。尊いお国が一本立ちになって、世界の平和が来た暁には、いつ枕を並べて死んでも惜しくない裸役者でなかったら、天が娶って使やせぬ。玉露の玉とは、極めて労した玉だ。天蓋の瓔珞とは、天よりほかにない世楽をつくるのじゃ。』

 かくしていよいよ三年半の、命をかけての国救いが始められるのである。」(p.132-3)

 三年半の期限付きとはいえ、このやりとりは大神様が天皇皇后に代わって日本の国に責任を持つという自分自身の使命を正式に受け入れたという点において、重要な意味を持つものと思われる。これらのやりとりから、大神様が偉くなりたいとか権力が欲しいという動機ではなく、乱れている世を神の願いの通りに治めるという公的な使命のために自分の位置を受け入れたことが分かる。私心がなかったということだが、終わったら元の百姓の女房に戻りたいという大神様の言葉は、肚の神様を感心させたようだ。謙虚さをもって美徳とするこの部分は、新約聖書の以下の記述を思われる。
「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。」(マタイによる福音書20:25-28)

 この言葉は、ゼベダイの子らの母がイエスに対して「わたしのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」と言ったことにより、弟子たちの間で誰が偉いか論争になったときにイエスが語った言葉である。イエスの弟子たちもまた、地位や名誉や権力を求めていた。しかしイエスは、偉くなりたいと思えば人に仕えなければならないと教えたのである。

 以上で「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の部分は終わる。次回から、「第六章 終戦と大神様」に入る。

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