世界の諸問題と統一運動シリーズ02


国連の課題と超宗教議会設立の提案

 UPFは現在の世界が直面している問題の一つとして、宗教・民族対立の激化を挙げ、その具体的な解決策として、「平和国連」のモデルを形成するというゴールを掲げています。第2回の今回は、現在の国連システムが抱えている課題を分析し、その解決策として文鮮明師が提唱した「国連超宗教議会」の設立について解説します。

<国連の限界は安保理常任理事国の国益至上主義>

 国連の第一の目的は、「国際の平和及び安全を維持すること」(国連憲章第1条)にありますが、現在の国連は必ずしもこの目的を果たせていません。国連の最大の課題の一つが、安保理常任理事国の国益至上主義です。安保理の勧告には強制力があり、無視すれば非軍事的制裁の後に、軍事行動が発動され得る強力なものになっています。安保理は事実上、米英仏ロ中の常任理事国5か国が牛耳っており、非民主的な構成であるにもかかわらず、その決定は非常に重要なものになっているのです。

 安保理常任理事国の国益至上主義を最も端的に表しているのが、拒否権です。国連創設以来、最も多くの拒否権を発動してきたのはソ連とその後継者であるロシアで、その大半は1966年以前の冷戦時代初期に発動されています。冷戦期には、アメリカとソ連がたびたび拒否権を行使し、国際政治の停滞と冷戦長期化の一因となったとの批判も根強くあります。冷戦終結後は、アメリカによるパレスチナ問題関連決議でのイスラエル擁護のための行使が目立ちました。これゆえ、大国の利己主義を通すためだけの規定が拒否権であるとの批判もあるくらいです。

<国連の課題は宗教的価値観の軽視>

 国連のもう一つの課題は、宗教的価値観の軽視にあります。世界の諸宗教の信者数をすべて合わせると、実に地球上の人口の約85%の人々が何らかの宗教を信じていることになります。宗教の影響力は非常に大きいものがあり、人々の宗教的忠誠心はときとして国家に対する忠誠心を上回ることもあります。基本的に宗教は平和を志向するものではありますが、その影響力は負の力として作用することもあり、宗教が紛争の原因となることもあります。冷戦時代には世界平和の問題といえばイデオロギーの問題であり、東西の対立、米ソの対立が中心的なテーマでしたが、冷戦後の世界において世界の平和を脅かしているのはむしろ宗教・民族間の争いです。9.11の同時多発テロや最近の「イスラム国」の出現により、宗教的対立を動機としたテロの問題は、平和を脅かす深刻な問題として認識されるようになりました。こうした事態に、既存の国連システムがうまく対応できているかと言えば、できていません。それは宗教的価値観を反映する機能が欠如しているという、国連の持つ構造的な課題に起因しています。

<宗教的価値観が代弁されない既存の国連システム>

 人間は心と体という内外の両面性を持っています。この人間が集まって作るのが国家ですが、人間の共同生活において心に該当するのが宗教であり、体に該当するのが政治です。一人の人間において心と体がバラバラに存在するのではなく、相互補完的な関係にあるのと同じように、本来は一つの国家において宗教と政治は相互補完的な共存関係にあるべきです。ですから歴史的に見て伝統的な社会においては、政治と宗教はちょうど心と体のような共存関係にありました。しかし、近代国家においては、「政教分離」の原則のもとに、宗教と政治はできるだけ関わらない方が良いということになり、宗教は公的領域における影響力を失って「私事」の領域に閉じ込められるようになりました。一方で政治は宗教的価値観を失って世俗化し、物質的・経済的利益を追求する傾向が強くなりました。

 このような近代国家が集まって作ったものが国連であるため、現在の国連は基本的に政治家と外交官によって構成されており、宗教的価値観が代弁されるシステムは存在しません。地球上の人口の約85%の人々が何らかの宗教を信じており、その影響力が大きいにもかかわらず、宗教的な知恵や視点が国連の議論に反映される場がないのです。さらに、現在の世界の紛争は宗教的対立に起因するものが多いにもかかわらず、宗教的な視点から和解を促進するシステムも存在しなければ、専門家もいないのです。

2000年8月18日、米国ニューヨークの国連本部で開催された国際会議「アセンブリ2000」

2000年8月18日、米国ニューヨークの国連本部で開催された国際会議「アセンブリ2000」


2000年8月18日、米国ニューヨークの国連本部で開催された国際会議「アセンブリ2000」で国連超宗教議会の設立を提唱する文鮮明師

2000年8月18日、米国ニューヨークの国連本部で開催された国際会議「アセンブリ2000」で国連超宗教議会の設立を提唱する文鮮明師

<文鮮明師による「国連超宗教議会」設立の提案>

 UPFの創設者である文鮮明師は、こうした国連の課題を解決するため、2000年にニューヨークの国連本部で開催された国際会議「アセンブリ2000」において、「国連超宗教議会」の創設を提唱しました。国家を代表する政治家や外交官によって構成される従来の国連を下院とすれば、一国の利害を超えた地球規模の視点から発想することのできる宗教家や精神世界の指導者たちによって構成される超宗教議会は、国連の上院に当たります。これによって国連は人間の心と体、宗教と政治の両方が代表され、それぞれが相互補完的な役割を果たすことのできる統合された機構となります。そのとき国連は、その創設の理想を体現した、国益を超えて世界平和を目指す新しいグローバル・ガバナンスの組織に生まれ変わることができるのです。これが文鮮明師の提唱する国連改革の概要です。

 UPFの国連改革運動の成果の一つとして、国連「世界諸宗教調和週間」(World Interfaith Harmony Week)制定の決議案が、2010年の国連総会で採択されたことが挙げられます。この決議では、毎年二月の第一週が、世界の諸宗教を調和させるための一週間として定められました。

カテゴリー: 世界の諸問題と統一運動シリーズ

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』153


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第153回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は、第8章に「三 韓国農村の結婚難と統一教会」とする節をもうけ、その中の「1 韓国における男性の結婚難」という項で、統一教会の数多くの日本人女性が韓国人と結婚するようになった背景を以下のように説明している。
「統一教会が目指す理想世界『地上天国』は国家・民族・宗教が垣根を越えて一つになった世界とされるために国際結婚が奨励されるのだが、理由はそれだけではなく、もっと現実的な理由がある。これまで述べてきているように、韓国農村部における男性の結婚難である。統一教会は配偶者になかなか恵まれない農村の男性達に『理想の結婚、純潔な結婚』をしませんかと結婚相手の紹介を持ちかけ、日本の女性信者を世話しているのである。仮定の話になるが、韓国の農村に男性の結婚難がなかったとしたら、七〇〇〇人もの日本の女性信者が合同結婚式で韓国人男性の妻となって渡韓することはなかったはずである。」(p.427)

 中西氏の述べている統一教会の理想と国際結婚の奨励に関する解説は、基本的に正しい。文鮮明師はこれを単なる「国際結婚」と呼ばずに、「交叉結婚」と呼ぶ。それは越えるべきなのは国家の壁だけでなく、人種、宗教、文化の壁も含まれるからである。文師は以下のように語っている。
「神様の目には、皮膚の色の違いはありません。神様の目には、国境も存在しません。神様の目には、宗教と文化の壁が見えません。このすべては、数万年間人類の偽りの父母として君臨してきた悪魔サタンの術策にすぎません。」
「白人と黒人が、東洋と西洋が、ユダヤ教とイスラーム(イスラム教)が、さらには五色人種が一つの家族になって生きることができる道は、交叉結婚の道以外にほかの方法があるでしょうか?」(2005年 9月12日「神様の理想家庭と平和世界のモデル」より)

 統一教会の信徒たちが国際結婚を選ぶ理由が、こうした文鮮明師の教えにあることは明らかである。文師は特に、怨讐関係にある人種や民族が神を中心とする真の愛によって結ばれれば、それが歴史を清算して世界平和を築く土台になると教えている。そのためにあえて黒人と白人のカップル、過去に戦争をした国同士のカップル(例えば日本人とアメリカ人)、怨讐関係にある民族同士のカップル(例えば日本人と韓国人)のマッチングを積極的に行ってきた。

 アメリカの宗教社会学者、ジェームズ・グレイス博士が1985年に出した著作“Sex and marriage in the Unification Movement(統一運動における性と結婚)は、統一教会における結婚の実像を公平で客観的な立場で描き出している貴重な学問的研究成果であるが、この本の中でも異人種間の結婚を文師が奨励していることを紹介している。
「ストーナーとパーカーは1977年に『統一教会が発行した結婚相手の長いリストから、偶然にせよ意図的にせよ、これらの結婚の半分以上がアメリカ人と外国人との間でなされたことは明らかである』と報告している。現在の筆者の調査は、これらのマッチングがまったく偶然ではなく、少なくともあるレベルにおいて、人種と文化が全く異なる人々を結婚で一つにすることにより世界の統一をもたらそうという文師の努力の直接的な結果であると見られるべきであることを示している。」(ジェームズ・グレイス『統一運動における性と結婚』第5章「祝福:準備とマッチング」より)

 ここでグレイス博士が、異人種間の結婚を単に教会の教えや理想という側面からだけでなく、より現実的な視点からも分析していることは特筆に値する。すなわち、アメリカの統一運動では男女比が2対1であり、男性の方が多い。アメリカ人同士をマッチングしようとすれば、どうしても女性の数が足りなくなってしまうので、アメリカ人の男性と東洋人の女性をマッチングすることによって、組織の具体的なニーズに合わせているという点である。さらにアメリカ人の男性と結婚した外国人の妻は永住ビザを取得することができるので、アメリカで自由に活動できるようになるという利点も上げている。

 ここで留意すべきなのは、特定の国における教会員の男女比は文師がコントロールできる事柄ではないので、「国際結婚の奨励」という理想と、「国ごとの男女比の違いを国際結婚によって調整する」という現実的な対応が両立しているということである。日本人と韓国人の国際結婚も、こうした両側面から理解しないと本質は見えてこない。日本の統一教会の信者は、数として女性の方が多い。したがって、日本人同士をマッチングしようとすれば、どうしても男性の数が足りなくなってしまうので、韓国人、アメリカ人、ヨーロッパ人、その他のアジア人、アフリカ人の男性と日本人の女性をマッチングしてきたのである。もちろん、日本人同士を希望する場合にはその意思は尊重されるが、国際結婚によって世界に出ていくことが日本人女性には奨励されてきた。その中でも韓国の男性と祝福を受けることは、信仰の祖国であるという認識から、統一教会の日本人女性のあこがれともなってきたのである。

 中西氏は「統一教会の韓日祝福がある程度まとまった数で出始めたのは一九八八年の六五〇〇双から」(p.431)であると書いているが、これは「数が増えた」時期を示しているに過ぎず、それ以前の祝福にも韓国人と日本人のカップルは存在した。すなわち「交叉祝福」の理想は初めからあったのであり、6500双(1988年)はその数が飛躍的に伸びた祝福であったに過ぎない。

 実際には中西氏の指摘する「韓国における男性の結婚難」と韓日祝福の間には、6500双以前の時代には何の関係もなかった。なぜなら、この頃に祝福式に参加したのは信仰を持った教会員だけであり、花嫁を紹介するという形で韓国農村部の非信者の男性に祝福結婚を呼びかけるということは行われていなかったからである。こうしたことが行われるようになったのは3万双(1992年)以降であり、特に36万双(1995年)のときにはそうした傾向が強くなったと思われる。

 それ以前は、祝福を受けるためには非常に高い信仰の基準が要求されていた。基本的に原理の修練会を受けて真の父母を受け入れていなければならなかったし、信仰生活を始めてからは恋愛や性交渉は一切禁止されていた。「成約断食」と呼ばれる7日間の断食を終了していなければならなかったし、本部教会に会員登録して、責任者が祝福候補者として推薦できるような模範的な信仰生活をしていなければならなかった。伝道活動を熱心に行い、霊の子を3名立てることが祝福を受ける条件とされていたが、これは努力目標のようなもので、実際にはそれほど厳格な条件ではなかった。とはいえ、多くの教会員は祝福を受けるために熱心に伝道したのである。6500双までの祝福は、こうした献身的な信者同士の祝福であったと言える。したがって、韓国人の側にも信仰の基準が要求されたため、そもそも非信者の一般男性に祝福を勧めるという発想自体が存在しなかったのである。

 中西氏は、「仮定の話になるが、韓国の農村に男性の結婚難がなかったとしたら、七〇〇〇人もの日本の女性信者が合同結婚式で韓国人男性の妻となって渡韓することはなかったはずである。」(p.427)と述べているが、私はここで敢えて別の仮定を立てて彼女の主張に反論したい。すなわち、「仮定の話になるが、もし韓国統一教会に7000名の日本の女性信者とマッチングすることが可能なくらいに十分な数の男性信者がいたならば、これらの女性信者は配偶者に恵まれない韓国の農村の男性に嫁いだのではなく、信仰を動機として結婚する韓国の男性信者のところに嫁いでいたであろう」ということだ。

 祝福は、本来は男女とも信仰を動機としてなす結婚であるべきである。しかし、韓国統一教会には日本人女性の相手となる十分な数の男性信者がいなかった。そこで日本人の女性信者の相手を探すために、結婚難に苦しむ田舎の男性に声をかけるということを始めたのである。信仰のない男性に嫁がせることに対する不安や批判は当然あったと思われる。しかし日本の女性信者は優秀で信仰が篤いので、そうした男性をも教育して最終的には教会員にすることを期待して、これらのマッチングが行われたのであろう。しかし、それにも限度があり、個人としては負い切れないような十字架を背負った女性たちを生み出してしまったこともまた事実である。それは特に36万双(1995年)においては顕著であり、単に信仰がないだけでなく、お酒やタバコの問題、定職がなく経済的に困窮している、夫から暴力を受ける、などのさまざまな困難に直面した女性がいたことも聞いている。私はこれは韓国統一教会の失敗であり、祝福の歴史における一つの汚点であると思っている。

 ただし、結婚難に苦しむ韓国の農村の男性に祝福を紹介すること自体が悪だと言っているのではない。こうした男性に祝福を受けさせる場合には、まず結婚不適合者でないかどうかをきちんと調査し、最低限の原理教育を行ってから祝福を受けさせるべきであったにもかかわらず、祝福の数を追うあまりにそれをきちんとしなかったことが問題であったということだ。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

世界の諸問題と統一運動シリーズ01


平和大使運動のビジョンとゴール

 今日の世界は「不確実性の時代」と言われ、世界秩序を構築する方向性が見いだせないままに混迷の一途をたどっています。そこで今回よりシリーズで、世界で起きている具体的な諸問題の背後に潜む本質的課題を分析しつつ、統一運動がその解決のためにどのように取り組んでいるのかを紹介していきたいと思います。具体的には、日本を取り巻く国際的な諸問題と重要な国内問題を事象やテーマごとに取り上げながら、それに対応する統一運動の具体的な活動を紹介していくという形になります。

 第1回の今回は、問題の全体像を把握したうえでビジョンとゴールの提示を行います。私は天宙平和連合(UPF)の日本事務総長として、日頃から全国各地を回って「平和大使セミナー」の講師を務め、平和大使の皆様にUPFのビジョンと活動について語っています。その際、現在の世界と日本が直面している諸問題として、以下の三つに焦点を当てて取り組んでいることを説明しています。

①世界的な宗教・民族対立の激化

 世界平和について論じるときに、それを脅かす原因は時代と共に変化します。冷戦時代には、世界平和の問題と言えばイデオロギーの問題でした。「自由主義陣営」対「共産主義陣営」、アメリカ対ソ連の戦いが主要なテーマでした。しかし、ポスト冷戦時代においては宗教間・民族間の争いが世界平和を脅かす主要な原因となっていきます。2001年9月11日に起きた米国同時多発テロは宗教的動機に基づいて行われたテロ行為でしたし、欧米や中東、アフリカなどで続発しているテロ事件の多くは「イスラム国」(IS)や「アルカイダ」など、イスラム過激派と呼ばれる勢力が関わっています。また、冷戦後は国家間の本格的な戦争が数の上で減っていく一方で、より小規模な民族間・部族間の争いは増加しています。冷戦後の時代においては、世界平和を語る上で宗教の問題を避けて通ることはできなくなりました。

②アジアと日本の安全保障の危機

 かつて、「日本人は水と安全はタダだと思っている」と言われたことがありましたが、さすがに最近は多くの日本人がそうではないと気付くほどに、日本周辺の軍事的緊張は高まっています。中国は毎年二桁の伸びを示す勢いで国防費を増加させつつ、南シナ海に露骨な軍事的拡張を進めていますし、東シナ海も虎視眈々と狙っています。一方で北朝鮮は核・ミサイル開発を推し進め、トランプ政権と「完全な非核化」を約束したにもかかわらず、具体的な進展が見られない状況にあります。全般的に見て、東アジア地域の緊張はかつてないほどに高まっていると言ってよいでしょう。

 さらに、大統領自らが「アメリカはもはや世界の警察官ではない」と発言(オバマ前大統領の発言。ただし、トランプ大統領も選挙期間中に同様の発言をしている)するなど、米国の衰退による抑止力の不在も懸念されています。政府与党が2015年に安全保障法制を整備したのも、こうした深刻な事態に対応するためであり、日本人も自国の安全保障について真剣に考えなければならない時代を迎えたと言ってよいでしょう。

③家庭崩壊と無縁社会の出現

 国内に目を転じれば、日本という国を根底から崩壊させかねない深刻な危機が進行しています。それは家庭が崩壊し、人と人との絆が希薄になっていく「無縁社会」の出現です。天然資源に乏しい日本という国が世界の一等国家になることができたのは、その人的資源によるところが大きく、日本民族が優秀であったためです。その優秀な日本民族を生み出してきたのがまさに日本の家庭であり、日本の家族文化は世界に誇れるものでした。

 しかし近年の日本は、離婚の増加、児童虐待の深刻化、単身世帯の増加、若者たちの非婚化、少子高齢化と人口減少など、家庭そのものが機能不全に陥っている兆候が如実に表れてきています。いかなる危機も、それを解決しようとする意志と能力のある人間がいれば道は開けますが、家庭の崩壊は、そうした人間を生み出す基盤そのものを破壊してしまうという意味で、最も根本的な危機であると言えるでしょう。

平和大使運動のビジョンとゴール

 国連NGOであるUPFは、専門性と徳望をもって平和世界実現に貢献している各界各分野の指導者を「平和大使」に任命し、全世界で平和促進のための活動を展開しています。平和大使運動のビジョンは”One Family under God”(神の下の人類一家族)であり、そのような世界を実現するために、日本の平和大使運動は以下の三つのゴールを設定しました。①「平和国連」のモデルを形成する、②日米韓を基軸としてアジア太平洋地域の平和と繁栄に貢献する、③平和理想家庭の価値と為に生きる「奉仕の文化」を定着させる。これらは、既に述べた日本と世界が直面する三つの問題の解決策として提示されています。

 次回からは、これら三つのゴールが世界と日本を取り巻く諸問題とどのように関わっており、その背後に潜む本質的課題を解決しようとしているかを具体的に説明していきます。

カテゴリー: 世界の諸問題と統一運動シリーズ

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』152


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第152回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は、第8章の「5 教勢」と題する一節で、韓国統一教会の信者数を紹介して以下のように書いている。「一九五四年に設立された統一教会は一九六三年に韓国政府から財団法人の認可を受けた(韓国には日本のような宗教法人制度はない)。教勢は『韓国宗教年鑑』(一九九五年)によると、牧師一二一六人、長老二七一〇人、伝道師四四〇〇人、信者五五万人(男性二五万、女性三〇万)となっている。公称信者数は必ずしも正確な数を表しているとは言えないが、日本の四七万人(『宗教年鑑』平成六年版)と比べると多い。しかし、韓国には結婚目的で『にわか信者』になったものもいるので、信者が日本より多いかどうかは不明である。」(p.424)

 公称信者数が必ずしも正確な数を表していないというのは、統一教会に限らず、伝統宗教でも新宗教でも似たような状況である。そもそも何をもって「信者」と認定するかは宗教ごとに異なっており、数え方の精度もまちまちなので、比較のしようがないのである。日本の『宗教年鑑』には仏教の信徒数が掲載されている。浄土系が1712万人、日蓮系が1326万人、真言系が922万人、禅系が315万人、天台系が312万人、奈良系が71万人という数字が並べられており、日本には仏教の信者が合計で8471万人いることになっている。これは日本の総人口の約7割が仏教徒であるということを意味するわけだが、これらすべてが熱心な仏教徒であると信じる人はいないであろう。さらに神道系の信者が1億77万人、キリスト教系が192万人、諸教を合わせて949万人で、これらを全部合わせると1億9689万人になる。これは日本の人口をはるかに超える数字である。こうしたことが起こるのは、仏教や神道が個人の内面の信仰に関わりなく、檀家や氏子に属する人を全員信者としてカウントするからである。

 一方で信仰について個人にアンケート調査をするとまったく異なる数字になる。統計数理研究所が「あなたは何か信仰や信心を持っていますか?」という調査を個人に対して行ったところ、72%の日本人が「持っていません」と答え、「持っている」と答えたのは28%であった。『宗教年鑑』のデータでは、日本人の7割が仏教徒であり、8割以上が神道の信者であるはずなのに、日本人で信仰そのものを持っている人は28%しかいないというのである。このように日本の伝統宗教においては、宗教法人側では信徒だと思っているのに、本人には信者であるという自覚がない者が非常に多いという事実がある。新宗教の信仰はむしろ自覚的で、伝統宗教に比べればこうした差は小さいのかもしれないが、それでも「名ばかりの信者」と言える人が公称信者数に入っていることは十分に考えられる。しかし、伝統宗教の信者数にもそうした人々が含まれていることを前提とすれば、韓国の統一教会信者が55万人、日本の統一教会信者が47万人という数字はそれほど不正確な数字であるとは思えない。こうした数字の性格からすれば、韓国で結婚目的で「にわか信者」になったものを含めてはいけないということにはならないであろう。にわかになったとしても、信じているのであればそれは「信者」と呼ぶことができ、少なくとも「名ばかりの信者」よりは自覚的な信者と言えるのではないだろうか。

 日本における統一教会の教勢に関しては、櫻井氏が以下のような分析を行っている。
「日本における統一教会の信者数は、四七万七〇〇〇人(平成七年文化庁宗教統計)とされるが、献身した本部教会員の実数は数万人の規模と思われる。統一教会問題を手がけてきた日本基督教団の牧師や全国霊感商法対策弁護士連絡会、及び脱会した元信者の証言によれば、統一教会の修練会に多数の若者たちが参加していたのは、一九八〇年代末までである。」(p.96)

 この47万7000人という数字は、活動しているかどうかは別として、本部教会に登録した教会員の名簿上の数として文化庁に報告したものと思われる。献身的に活動している者のみを信者として数えるならば、その実数が数万人の規模というのは、およその数としてはそんなに外れていないと思われる。ただし、統一教会の信仰を持っている人には、社会で働きながら信仰を持つ「勤労青年」や、家庭の主婦が信仰を持つ「壮婦」、その夫に当たる「壮年」、さらには幼児、小学生、中学生、高校生などの「2世」も含まれるので、どこまでを「信者」として数えるかによって、その数は大きく変わると言える。

 ちなみに、1999年に発行された拙著『統一教会の検証』には「資料編」があり、そこには統一教会本部広報部からもらった教団の教勢に関するデータが掲載されている。それによれば、信者数は約60万人、講師が約8000人、教師が約4000人となっている。公益財団法人・国際宗教研究所の「宗教情報リサーチセンター」のウェブサイトによると、国内信者数は56万人になっている。このように多少のばらつきはあるものの、日本国内の信者数はかなり一貫性のある数字となっている。

 続いて中西氏は、韓国に在住する外国人信者の数を『本郷人』に記載された数字からまとめている。それによると、「日韓家庭」(日本人の夫と韓国人の妻のカップル)が約300家庭、「韓日家庭」(韓国人の夫と日本人の妻のカップル)が約6500家庭、それに若干の韓比家庭、韓泰家庭、韓蒙家庭などが加わるという。『本郷人』は韓国統一教会が在韓日本人信者を対象に発行している新聞であるから、この数字は信憑性があると思われる。

 続いて中西氏は、「6 東南アジア出身の女性信者」という節の中で、フィリピンやタイ出身の女性信者について述べているが、その描写はいささか差別的であり、フィリピンやタイの女性に対する日本人女性としての「上から目線」を感じさせる。
「フィリピン人やタイ人女性の場合、日本人女性のような信仰ゆえの結婚ではない。自国よりも経済的に豊かな韓国の男性と結婚することで故郷の親に仕送りができることを期待して結婚する。」(p.424)
「彼女達にとっての祝福は日本人女性のような信仰あっての結婚ではなく、階層上昇を願っての結婚だったのではないだろうか。」(p.427)

 国の経済的な豊かさの比較により、日本から韓国へ嫁ぐことが「下降婚」であり、フィリピンやタイから韓国へ嫁ぐことが「上昇婚」であることは客観的に言えるかもしれないが、だからと言ってフィリピンやタイから韓国へ嫁ぐ統一教会信者の内面の動機や信仰について調査した根拠もなく断言するのは社会学者としてはあるまじき独断と偏見である。

 フィリピンから韓国に嫁いだ統一教会の女性が韓国での結婚生活に適応できず、「フィリピーノ・カトリック・センター」に駆け込み寺のように行ってしまうという話は、私も聞いたことがある。しかし、そこで彼女たちが「韓国へ行って豊かな生活をしたくないか」「毎月小遣いがもらえてフィリピンに送金できる」などと言われて韓国に行くのを誘われたという話を真に受けて一般化するのは、統一教会脱会者の話を聞いて統一教会の信仰生活一般を論じるのと同じことである。脱会者の証言にはネガティブ・バイアスがかかっており、自分を正当化して同情を買うために虚偽の証言をする可能性もある。

 中西氏がまだ良心的なのは、自らが直接出会ったフィリピンやタイの女性のインタビューに基づき、信仰を保って平穏に暮らしている者もいることを明らかにしている点である。中西が紹介しているフィリピン人の女性信者は、ご父母様が夢に現れるなどの宗教的体験をしている。彼女はちゃんと統一教会に通って原理の教育を受けており、祝福の意義と価値をきちんと理解して結婚したと考えられる。彼女の結婚が信仰のゆえでなく、自国よりも経済的に豊かな韓国の男性と結婚することで故郷の親に仕送りができることを期待していたと断定できる証拠はどこにもない。

 タイ人の女性も、「タイ語の『原理講論』とマルスムで原理の勉強をした。いい子が生まれ、いい家庭が作れると思った。」(p.426)と語っており、表現はシンプルであるが、原理を正しく理解して信仰に基づいて祝福を受けたと考えられる。この二人に信仰がないとすれば、いったい信仰のある人とはどのような人のことを指すのであろうか? 

 中西氏は「下降婚」と「上昇婚」の問題と、信仰のあるなしをごっちゃにしているとしか考えられない。そこには、信仰がなければ「下降婚」をあえてするはずがなく、「上昇婚」をした人は信仰が動機であるはずがないという思い込みがあるのである。そこには、日本から韓国へと「下降婚」をする日本人女性は、なにか「マインド・コントロール」に近いような特殊な精神状態に追い込まれない限り、そのような選択をするはずがないという前提があり、一方で「上昇婚」をするフィリピンやタイの女性にはそのような信仰は必要なく、経済的理由で結婚したに違いないという偏見が重なっている。中西氏の論法は、自身の世俗的な価値観をフィリピンやタイの統一教会信者に投影したに過ぎず、彼女たちの内面の信仰を素直に見つめようとしない点で、失礼極まりないものである。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳73


第8章 未来:いくつかの個人的考察(4)

 さらに、主流の教会は、とりわけ結婚に関しては統一教会の理想から多くを学ぶことができると私には思える。ローマ・カトリックは結婚を秘跡と見なしており、主流のプロテスタント教会は結婚「そのもの」を高く評価している。(注4)しかしながら、そのどちらも結婚が社会全体との関係において果たす倫理的な役割の重要性については明確に提示してこなかったのである。主流の教会が教えている結婚に関する倫理は、すべてでないにしても、そのほとんどがカップルの私的な世界と、彼らが責任をもつべき家庭にのみ関わるものである。
「私はあなたがた二人が、神のみ前に立ち、愛と忠誠のみが幸福で揺るぎない家庭の礎となり得ることを忘れないよう求め、また命じます。あなたがたがいま担おうとしているものほど、優しい人間の絆はなく、神聖な誓いはありません。もしこれらの厳粛な誓いが破られることがなければ、そしてもしあなたがたが天の父のみ旨を行おうと変わりなく努めるならば、あなたがたの人生は喜びに満ち、あなたがたが築こうとしている家庭には平和が宿るでしょう。」(注5)

 典型的なプロテスタント式の結婚式で牧師が新郎・新婦に対して語るこの訓戒の言葉は、「愛と貞節」を夫婦関係における核心的な価値観として強調するが、結婚に伴う責任を家庭の外にまで拡大していこうという試みはないのである。また、結婚前カウンセリングに関する私の知識から言えるのは、教会の価値観は、将来の夫と妻の私的な世界に対する信仰の意義に関するものであり、その範囲は狭い家庭になりがちだということだ。

 世界の中での、そして世界のためのクリスチャンの責任という新約聖書の概念は、結婚に対する教会の理解およびアプローチにおいて真に重要な位置を持たない。これは、特に子供たちがキリスト教的生活の実際的な意味について学ぶ場が家庭であり、より広い人間社会と彼らの信仰の関連性を最初に発見するのは父母の模範を通してであることを思えば、悲劇的な状況である。これらは、彼らが大きくなったときにも宗教を信じている同じ子供たちなのだが、その宗教と現代社会を形作っている巨大な経済的、社会的、技術的な力との関わりを見いだすことができないでいるのだ。それらの力は、成熟した、責任ある、憐れみ深い宗教的関心によって人間味を感じさせる影響力を切実に必要としている。

 統一運動の結婚に対する理想は、クリスチャンの家庭に社会的な責任感を取り戻すことができるだけでなく、現代における多くの婚姻関係の「圧力鍋」的な雰囲気と私が呼ぶものを緩和することができるかもしれない。そのような雰囲気は、配偶者が互いにエゴの実現を期待し過ぎるときに生じる。そのような役割に対する期待から生じた圧力は、カップルをお互いのニーズの全てまたはほとんどを満たすという不可能な仕事にもっぱら集中させることによって、結婚における自由と親密さの両方を妨げるのである。もしカップルが世界に対する共通の献身を通して、彼らの関係を何らかの方法で人間社会に奉仕するために神によって定められたものと見るならば、結婚に対するより現実的で健全なアプローチは明らかであろう。例えば、子供が欲しいという欲求は、単なるエゴ体験というよりは、愛と責任のある人間の新しい世代を創造し育てる機会として理解することができるであろう。親になるためのそのようなアプローチは、成熟した人々を必要とする。われわれはまた、人々が結婚許可証を申請する最低年齢を25歳くらいに設定する統一教会の慣習について次に熟考すべきかもしれない。あるいは、いわゆる「適合できない」子供たち、障碍や深刻な情緒的問題を持つ小さな子供たちに愛のある家庭を提供するために、自身の子供を持つことをあきらめるカップルもあるかも知れない。世界に奉仕する姿勢のあるカップルは、お互いへの献身からくる人間の生活の質を高めるのに役立つ結び付きだけでなく、常にお互いのニーズを満たすことを心配しないことによる自由の中に満足感を得るのである。私自身の結婚では、妻と私は一時的に代理家族を必要としている知人たちに自宅を開放している。われわれは自分の所有物と愛を非常に具体的な方法で共有し、一緒に他者の世話をすることによって、われわれの互いに対する愛と尊敬が常に刷新されることを発見したのである。

 最後に、世界に奉仕する姿勢により、カップルはコーポレイト・キャピタリズムが結婚、家庭、社会に及ぼす有害な影響に抵抗できるようになるであろう。ロバート・ベラは「現在のアメリカの経済システムは、その主要な組織広告により、人類のありとあらゆる古典的悪徳を広め、この国がよって立つ価値観と美徳を容赦なく弱体化させることに専念しているように見える。」(注6)と論じている。物質的財産およびそれと結びついた社会的地位のあくなき追求は、私の見解では、まさしく文字通りこの国を引き裂いている。結婚したカップルは、気が付けば「愛への憧れと法定通貨のための闘争」(注7)の板挟みになっているのである。統一運動の結婚に対する理想は、財産が幸福への鍵であると強調する欲張りな社会のやり方に従う必要はないということをわれわれに示唆している。世界共同体に対する責任を富や財産以上のものとする家庭においては、それが他者と共有する愛が家庭の中でも生き生きと育つであろう、と私は信じる。

 アメリカにおける結婚のパートナーたちが、彼らの志向性を自分自身から世界へと変えるかどうかに関わらず、結婚制度が将来にわたって生き残るであろうと今日信じるに足る理由は存在する。私が指摘したいのは、生き残るだけでは不十分だということだ。われわれの社会が統一運動の教えの本質を理解し始めるまで、結婚生活と家庭生活の質は低下し続けるであろうと私は信じる。その本質とは、個人、結婚、その他の社会的存在は、神と世界に対する愛と責任ある奉仕の中にこそ、真の満足を見いだすということである。

(注4)私はこの議論にユダヤ教を含めなかったが、その理由はユダヤ教が結婚と家庭の社会的責任を非常に重視していることを私が知っているからである。
(注5)『メソジスト教会の教義と法規』、ナッシュビル:メソジスト出版社、1956年。
(注6)ロバート・ベラ『破られた契約』、p. 135。
(注7)ジャクソン・ブラウン『詐称者』ロサンゼルス、エレクトラ・レコーズ、1976年。
(注8)前掲書

カテゴリー: ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』151


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第151回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は、第8章に「4 韓国における反統一教会運動」と題する一節をもうけ、日本との比較において韓国の反対運動について説明している。その冒頭部分は、中西氏の思考の枠組みを良く表しているので、少し長くなるが引用することにする。
「反統一教会の活動は日本ほど活発ではない。日本では統一教会の問題性を告発し、被害者救済にあたる団体として全国霊感商法対策弁護士連絡会、全国統一協会被害者家族の会、統一協会問題キリスト教連絡会、日本脱カルト協会などがあり、弁護士、脱会した元信者、現役信者の家族、宗教者、社会学や心理学の研究者などが異なる立場から垣根を越えて統一教会問題に関わっている。それだけ、統一教会の問題が広く社会問題として共有されていることの表れであろう。

 韓国には反統一教会を掲げる団体として、大韓イエス教長老会などを中心とした韓国キリスト教対策協議会がある。このキリスト教関係者による団体のほかには、統一教会問題に関する実践的な取り組みをしている団体はあまり見ない。これまで述べてきているように、韓国では霊感商法がなされておらず、宗教団体であることを秘匿しての組織的な布教が行われていないためであろう。統一教会に関わって『被害』を受けたとする人々がいなければ、日本に見られるような弁護士、脱会者、信者の家族、宗教者、研究者などが連携して取り組むという幅広い運動とはなりにくい。」(p.418)

 このような分析の枠組みは、櫻井氏と中西氏に共通するものだ。櫻井氏は統一教会の活動が両国のマスメディアによってどのように報道されてきたかを比較して、「日本の統一教会問題とは社会問題であるのに対して、韓国では宗教問題にとどまる」(p.170)と結論した。櫻井氏が注目したのは、日本における統一教会報道が「家庭の破壊」や「洗脳」といった社会問題として扱われているのに対して、韓国における統一教会問題は「異端の教えを信じた」という宗教問題として扱われている点である。

 櫻井氏は、こうしたのマスコミ報道の違いは、日本と韓国における宣教戦略の違いに起因していると主張したが、私はむしろ、日韓における統一教会の相違というよりは、両国のメディアの宗教に対する態度や考え方に起因するのではないかと批判した。(本シリーズ第45回)櫻井氏は「日韓の統一教会の違い」を強調するあまり、「統一教会を取り巻く日韓の社会状況の違い」という視点が欠落しているか、あえて無視しているように思えてならない。

 この批判は、中西氏による統一教会に関する統一教会の先行研究の比較にもそっくりそのまま当てはまる。中西氏は本章における「一 問題の所在」の「3 韓国における統一教会研究」において、先行研究について簡単に述べたうえで、日韓の統一教会研究の違いとして、「脱会者や現役信者に聞き取り調査をし、多面的に研究したものはない。しかし、統一教会を新宗教あるいは異端研究として実態を捉えた研究は数多く見られる」(p.406-7)「日本で見られるような反統一教会の立場にある弁護士や元信者などによる批判的な書物や、脱会信者、現役信者に聞き取り調査をし、社会学的視点から分析を試みるような研究は見られない。」(p.407)と日韓の違いを分析している。

 櫻井氏や中西氏に決定的に欠如している視点とは何だろうか? それは「統一教会と社会」という対立軸を作り、日本と韓国における統一教会の性格の違いから、それに対する社会の反応を分析するという単純な枠組み設定をしているため、反対勢力の存在を見落としているか、あるいは意図的に無視している点にある。そもそも、無色透明で抽象的な「社会」などというものはどの国にも存在しない。統一教会に反応するのは社会一般ではなく、具体的な利害関係者である。彼らが書いた文献は、決して社会一般の見方を代弁するものではなく、自分たちの利益を主張するために書かれたのだという「相対化」の視点を持たなければ、「社会が統一教会の問題点を指摘している」というナイーヴな捉え方になってしまうのである。

 それがここにきて、韓国における反統一教会運動を扱うようになったため、日本における反対運動にも触れざるを得なくなり、奇しくもその全体的な構造を明らかにすることになった。中西氏が挙げた反対運動の要素は、私がこのシリーズの第146回で紹介した日本における統一教会反対運動の構造に当てはめて整理することができる。

 日本における統一教会反対運動は、大きく分けて三つの勢力からなっているが、その勢力の一番目は、既成キリスト教の牧師たちである。中西氏の紹介する「統一協会問題キリスト教連絡会」がそれに含まれ、「宗教者」という構成要素の中でもキリスト教牧師の占める割合は非常に大きい。このほかにも、日本基督教団統一原理問題連絡会という教団内の組織が存在し、さらに福音派のキリスト教牧師たちが統一教会に対する反対運動を行っている。彼らの反対の動機は、異端との闘争にある。これは韓国における反対運動とまったく同じ動機である。

 二番目の勢力は、「反対父母の会」(全国原理運動被害者父母の会)である。統一教会に自分の息子・娘が入信した親たちの立場からは、我が子は統一教会にだまされている、洗脳されているとしか考えられなかったので、「子供を返せ!」と叫びながら反対運動をするようになった。これが反対父母の会が結成された背景である。中西氏の紹介する「全国統一協会被害者家族の会」は、「反対父母の会」と同じ性格を持つ、信者の家族の集まりである。現在では、親が子供の信仰に反対するだけでなく、夫が妻の信仰に反対したり、子供が親の信仰に反対するケースもあるため、「家族の会」になったと思われる。中西氏の「現役信者の家族」という表現もこのカテゴリーに入る。家族の反対は、「被害者」と「加害者」に分けることが可能な社会問題というよりは、信仰を巡る家族間の葛藤である。これは統一教会だけでなく多くの新宗教に関わる問題であり、場合によっては伝統宗教にも関わることがある。

 三番目の勢力は、共産党や旧社会党に代表されるような左翼勢力だ。統一教会が共産主義に反対する保守勢力であったため、彼らはイデオロギー的対立を動機として統一教会に反対してきた。中西氏の紹介する「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の設立に、国際勝共連合が推進したスパイ防止法制定運動とレフチェンコ事件が密接に関わっていることは既にこのブログの第34回で詳細に述べた。弁護士と言えば被害者の代弁者であり正義の味方のようなイメージがあるが、実は彼らの中心的動機はイデオロギー的なものであった。

 これら三つの勢力は、もともとお互いに接点がなく、それぞれバラバラに統一教会に反対してきたが、1980年代初頭より「統一教会潰し」という目的のもとに結束し、いまやスクラムを組んで反対運動を展開する状態になっている。それを象徴する一冊の本が、全国霊感商法対策弁護士連絡会、日本基督教団統一原理問題連絡会、全国原理運動被害者父母の会編著による『統一協会合同結婚式の手口と実態』(緑風出版、1997年)である。この本は、統一教会の合同結婚式に反対するという目的で、上記の三つの勢力を代表する組織が編著者として名前を並べている。中西氏が指摘するように、「垣根を越えて統一教会問題に関わっている」状態なのである。

 脱会した元信者、社会学や心理学の研究者などは、これら三つの勢力の目的に協力している立場であり、日本脱カルト協会はこれらの勢力に属する個人とその協力者たちが集まって作っている組織であると考えればよいであろう。

 韓国にも脱会者がいるにもかかわらず、それが統一教会を相手取った訴訟にまで発展しないのは、韓国の主要な反対勢力が宗教者たちであり、第二の要素である弁護士がいないことが大きな要因であろう。その弁護士たちが統一教会に反対した理由は、左翼思想を背景に持つイデオロギー的なものであった。したがって、日本における反対運動が韓国よりも活発である主な理由は、左翼勢力による反対が激しいからであるという結論になる。実際、キリスト教の牧師と信者の家族だけでは、強力な反対勢力は作れなかったであろう。彼らを取り込んで統一教会撲滅プロジェクトを立ち上げたのは、実質的には左翼思想を持った弁護士たちであった。これこそがまさに韓国の反統一教会運動にないものである。

 最近の文在寅政権の左傾化は昔の韓国から見れば隔世の感があるが、伝統的に韓国は北朝鮮と対峙している関係で、「反共」を国是とするような国であった。韓国でも日本と同様に国際勝共連合が設立され、勝共運動が行われたが、そのような国柄であったために、統一運動が共産主義者から攻撃されることはなかったのである。実はここに、日本と韓国の反統一教会運動の最も本質的な差がある。こうした日韓の思想的・社会的状況をまったく考慮に入れていないことが、中西氏の分析の致命的な欠陥であると言える。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳72


第8章 未来:いくつかの個人的考察(3)

 私が理解しているところによれば、統一神学の本質は神が個々の人間を創造したのは、彼らがより大きな人類共同体に対して責任をもち、愛情あふれる奉仕者となるためであった。これが意味するのは、理想的には個人はそれ自体が目的ではなく、彼または彼女は他者に仕えることを通して神に仕えることに満足感と究極的な意味を見いだすということだ。そのような理想はもちろんそれ自体ユニークなものではなく、ユダヤ・キリスト教倫理の不可欠な要素である。統一運動が独特なのは、この理想を徹底的なやり方で結婚に適用している点だ。個人の生活が他者のために捧げられているだけでなく、結婚もまた第一に世界において神に仕える手段であると見られているのである。個人の満足感が人間のニーズに奉仕することに向けられたエネルギーと行動の中に見いだされるのと同じ原理が、統一神学によれば、結婚にも適用され、その第一の存在意義は世界の救済なのである。

 われわれの社会の大半の人々が(その見解が宗教的であれ世俗的であれ)結婚をどのように見ているかを評価するうえで統一運動の理想を用いれば、かなり重要な洞察に至る。社会学者たちは一般的に、性と結婚に関する価値観に関する限り、アメリカ人は次第に極めて個人主義的な価値指向を示すようになってきているという見解で一致している。この流れは、ロバート・ベラが指摘した抑制のない個人主義へと向かうより広い文化的傾向の一部であり、それは歴史的に一般的な善を強調する「市民宗教」によって抑制されてきた個人主義であったが、いまや社会全体の利益に対する深い関心をまったく欠いた状態で働いているようにみえる。

 このような奔放な個人主義と、自己の欲求を適えることに過度の焦点を当てることは、私の見解では、結婚そのものに対しても、社会一般に対しても、肯定的な利益をもたらさない。なぜなら、人々が完全に自己の興味に従ってお互いに関わるようになるとき、その関係はしばしば、あらゆる種類のフラストレーション、葛藤、苦しみを伴う強烈な闘争となるからである。結婚の関係が自分のパートナーからより多くの満足を引き出そうという欲望に基づいているとき、その関係は相手が自分の欲求を満たしてくれなくなったときには終わりを迎えざるを得ない。アメリカ社会における婚約破棄、疎外、別居、離婚の増加は、ベラの「大宇宙的な破られた契約」が顕著に現れた縮図的出来事なのである。(注2)

 統一運動の結婚に対する理想は、特にわれわれ自身が結婚を価値視していることに鑑みて、アメリカ人がじっくり考えたらよいであろう選択肢を提示している。実際、われわれの社会における離婚の蔓延は、われわれがどのくらい本当に結婚を価値しているかを測る重要な指標である。バーガーとケルナーが述べたように、「われわれの社会の個人が離婚するのは、結婚が彼らにとって重要でなくなったからではなく、それがあまりにも重要になったので、彼らが問題としている特定の個人との間に交わした完璧な成功以下の結婚の取り決めに対して我慢できないからである。」(注3)

 したがって、われわれは真のジレンマに直面している。われわれは結婚を極めて高く評価しているが、一方でそれと同時にますますその理想を実現することができなくなっているのである。私は個人的に、アメリカ(特にわれわれの宗教組織)は、統一教会の理想を注意深く偏見なく検討することを通して、結婚に関する何か非常に重要なことを学ぶことができると確信している。そしてそれは、もし望むならば、現在われわれが陥っている結婚の窮地から抜け出す道を示す教訓なのである。統一教会の理想が行っているのは、第二次世界大戦終了以前のアメリカ社会に潜在していた結婚に関する価値観を、強い宗教的献身の枠組みの中で明確化することである。そのときまで、われわれは結婚と家庭生活は個人と社会の両方のために存在するものであると暗黙のうちに仮定していた。その暗黙の了解はより最近になって「市民宗教」の崩壊と、その結果としての主として物質的所有物の獲得による個人主義的な幸福の追求の勝利によって損なわれてきた。

 社会学者が統一運動のような小さな共同体的グループの研究から社会の性質について学んだことの一つは、抑制のない個人主義は、あらゆる人間の共同体の結束を弱体化させ、最終的には壊滅させてしまうような遠心力として働くということである。そしてベラの分析とも一致するように、これこそまさに近年のアメリカ社会に起こっていることであると私は言いたい。我が国の社会的・文化的一体感を侵食してきた遠心力は、結婚と家庭生活にも疎外をもたらしたのである。

 統一運動の理想は、個人主義に対抗し、結婚およびアメリカ社会一般における求心力を放出することのできる価値指向を形にした結婚についての、実行可能な選択肢を提供する。この代替的アプローチにおいては、個人およびその目的は全体目的の下位にあると見られている。結婚においては、これは夫婦の誓約は彼ら自身の欲求のためだけにあるのではなく、結婚・家庭という結び付きが共有するニーズのためにあるのである。さらに、結婚・家庭はそれ自体が目的ではない。それは第一に社会の全般的な福祉に貢献しようとすることを通して神に仕えるために存在すると見られているのである。

(注2)私は、個人主義以外のアメリカにおける高い離婚率の主要因、とりわけ経済学的考察については承知している。しかしながら、その結婚の失敗率が上流階級よりもはるかに高い貧困層の窮状は、より大きな規模での抑制のきかない個人主義がもたらした結果であると見ることもできるであろう。それは、レーガン政権時代に次第に明らかになってきた文化的・社会的指向である。
(注3)バーガーとケルナー『結婚と現実の構築・・・』p. 69。

カテゴリー: ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』150


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第150回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は、韓国において統一教会が日本ほど否定的に捉えられていない理由を「3 団体・事業活動の側面」(p.415~)から分析している。韓国の統一教会は、単に宗教団体というよりも傘下に多くの団体、会社を持つ事業体(ある種の財閥)と捉えられている点において、日本の統一教会とはあり方が違うという主旨である。そこには、日本では統一教会は「反社会的団体」として社会から孤立しているのに対して、韓国では多くの企業体を通して一般社会とのつながりがあるという含意がある。

 韓国の統一教会が単に宗教団体というよりも傘下に多くの団体、会社を持つ事業体(ある種の財閥)と捉えられているというのは事実である。韓国では統一教会(家庭連合)は財団法人として存在しており、その傘下に多くの企業体が存在する。日本では統一教会(家庭連合)は宗教法人として独立しており、その他の事業体との間に指揮命令関係は存在しない。これは両国の法制度が異なることに起因する違いだが、宗教的理念に基いて創設されたさまざまな組織が「統一運動」を形成しているという見方をすれば、両国の間に本質的な違いはない。この点を、中西氏は貧弱な知識に基づいて誤った理解をしているか、あるいは意図的に韓国の運動を対社会的に開かれたものであり、日本の運動を反社会的なものであるというステレオタイプに当てはめようとしていると考えられる。彼女の具体的な記述に基いて、その誤りを分析することにする。

 まず中西氏は日本の事業体について、「野の花会」が募金活動、「ハッピーワールド」が霊感商法に関わっているという事例を出して、「統一教会であることを隠して布教・経済活動を行うフロント組織」(p.415)であると位置づけている。それに対して韓国の関連団体や会社は「直接に布教・経済活動はせず、個別に事業を展開している」というのである。と言っても、中西氏は韓国における統一教会関連の団体・事業体に関して独自の調査や取材を行っているわけではない。キム・ヨンム/キム・グチョルによる『チャートで見る 異端と似而非』に乗っている情報を整理して「表8-2 統一教会関連の企業体」(p.416)を作成しているだけである。

表8-2_150

 この本はそのタイトルからして、統一教会に対する批判的な勢力によって書かれたことは明らかである。「異端と似而非」という表現からは、「正統」を自認する既成キリスト教勢力によって書かれたと推察され、要するに「統一教会はこんなに幅広く商売をやっているので気をつけろ。これらの企業体と取引して統一教会を利することがあってはならない」と注意喚起することが目的なのであろう。したがって、表8-2で挙げられている企業体の中には、統一教会の信者が個人的に経営しているだけの会社が含まれている可能性がある。このほかにも中西氏は、龍平リゾート、麗水のリゾート施設や汝矣島の土地なども紹介し、「韓国では統一教会が一宗教団体というよりも事業体として受けとめられていることが理解されよう」(p.416-7)と述べている。このことから中西氏が演繹する結論は以下のようなものである。

 「様々な事業体は統一教会に金銭的な利益をもたらすだけでなく、間接的支持者を生み出す。これだけ種々雑多な事業を行っていれば、統一教会傘下の会社と知った上で取引をする企業、会社はあるはずであり、異端、似而非宗教の側面はさておいて取引優先となり、表立っての統一教会批判は出てきにくくなる。韓国において統一教会が日本のような反社会的宗教集団とされないのは、同時に事業体として韓国社会に根を張っていることで一面的な評価を免れているとも考えられる。」(p.417)

 韓国における統一教会系の企業が社会に根を下ろし、一定の評価を受けていることは事実である。しかし、日本における統一運動のあり方が、韓国とまったく異なっているという中西氏の主張は、彼女の無知に基づくものである。日本における統一教会系の事業体の実態を知れば、韓国との間に本質的な差はないことが分かるであろう。しかし、中西氏は日本におけるこうした事業体に対するきちんとした調査を行っていない。

 中西氏が名前を挙げている「ハッピーワールド」の事業内容は、そのウェブサイト(https://www.hwi.co.jp/)をチェックしただけで簡単に知ることができる。ハッピーワールドの事業内容は、①旅行事業、②貿易事業、③不動産事業、④石材事業、⑤国際事業の5つの柱からなり、それぞれが社会に開かれた事業を展開している。

 旅行事業は「世一観光」と呼ばれ、ブランド名は「ブルースカイ・ツアー」である。海外および国内の旅行を企画販売したり、航空券の予約販売、海外のホテルや交通機関の予約・手配、さらには海外から日本への旅行者のためのインバウンド事業などを行っている。東京、高崎、名古屋、大阪、広島、福岡、鹿児島と国内に7カ所の事業拠点を持ち、海外にも5つの拠点を持つかなり大きな規模の旅行会社と言える。

 世一観光は特に日韓線の航空チケットの販売に関しては日本屈指の実績を上げている会社であり、統一教会系の企業であることを知られているにもかかわらず、旅行業界では無視できない存在となっている。世一観光を通してチケットを買うのはもちろん統一教会員だけではなく、販売数自体は非教会員の方が多いくらいである。旅行業を営んでいれば、当然航空会社との取引があるわけであり、日本社会に根を張った一つの事業体として存在していることは明らかである。

 貿易事業では、高麗人参や活ロブスター・活アワビの輸入事業を行っている。高麗人参は健康食品として人気が高く、ロブスターやアワビは贈答品としての人気が高い。「日本活魚」も統一運動と関連のある企業だが、行っているのは水産物の販売であり、その購入者もほとんどが非信者の一般の人々である。統一教会との関連を思わせるのは、ウェブサイトに記されている「私たちは『為に生きる』精神を具現化する企業として発展します」という企業理念くらいである。

 不動産事業では、いくつかのビルを所有しており、それを賃貸物件として貸し出している。石材事業は「一信ジャパン」と呼ばれ、石工事の設計・施工、建築石材の加工・販売、および砂利、環境石材の輸入販売などを行っている。国際事業では、ハワイアンコーヒーの輸入販売を行っている。そしてハッピーワールドのウェブサイトでは、関連会社の一つに「うみのホテル中田屋」が紹介されていた。これは熱海にある温泉旅館であり、私も宿泊したことがある。非信者の一般の旅行者が宿泊できるのはもちろんである。

 中西氏が「霊感商法に関わっている」とだけ紹介したハッピーワールドは、韓国の統一教会関連の事業体と同様に、実に多種多様な事業を展開し、日本社会に根を張っていることが分かる。そこには取引先の企業や一般の顧客との関係が存在し、「反社会的団体」として社会から孤立している会社ではないのである。ハッピーワールド以外の事業体としては「セイロジャパン」があり、CAD/CAM/CAEシステムおよび工作機械の販売サポートなどを行っている。

 日本における事業体で歴史が古く規模の大きいものとしては、世界日報社を忘れてはならない。統一運動系の日刊紙としては世界で初めて(1975年)創刊されたのが日本の世界日報であり、愛国保守の立場でありながら国際報道に強いクオリティーペーパーとして、日本の知識人や保守層から高い評価と支持を受けるようになった。新聞社を持つことにより、統一運動は日本の言論界や政界とのパイプを持つだけでなく、取引先の企業、執筆者、一般の読者と幅広いつながりを持つことになる。

 東京都豊島区大塚にある総合病院「一心病院」も、1978年に創設された歴史ある事業体である。内科、小児科、消化器科、外科、整形外科、皮膚科、 婦人科、泌尿器科、形成外科、リハビリテーション科、 眼科などの診療科目を持ち、地域社会の医療拠点として定着している。一心病院の医師や看護師の中には教会員もいれば非教会員もいる。当然のことだが患者の大半は非信者の一般の方々である。

 こうした事業体のほかに、政治家、学者、宗教者、青年、学生、女性などを主な対象としたNGO・NPOが日本にも存在するが、中西氏があえて韓国の「企業体」に絞って紹介しているので、私も省略することにする。

 こうして日韓の統一運動関連の事業体を比較してみると、中西氏が主張するような、日本では統一教会は「反社会的団体」として社会から孤立しているのに対して、韓国では多くの企業体を通して一般社会とのつながりがある、というシンプルな差別化はできないことが分かる。日韓の事業体を、国内での社会的地位という点から比較した場合に、その規模において差があるということは言えるかもしれないが、統一運動全体が持つ基本的構造は、日本も韓国も同じなのである。すなわち、一つの宗教的理念を中心として、それを実現するために創設された事業体が多種多様に存在しており、それらは統一教会の信仰を持った人々が中心となって運営しているが、目的は宗教そのものではなく、一般社会に根を張った活動を展開しているということである。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳71


第8章 未来:いくつかの個人的考察(2)

 祝福家庭の大半が定着した際には、統一運動は多くの変化を経験し、そのすべてがこの注目に値する新宗教に新たな課題をもたらすであろうと私は確信する。最初の課題は、統一運動がその目標を達成するためにどのように機能するかに関することである。それがより効果的に奉仕するために、お互いに別居する意思のあるカップルたちを擁するグループであり続ける限りは、教会は比較的大きな組織的柔軟性を保障されている。例えば、文師は1978年にその多くが小さな子供を持つ既婚女性たちを、全米の大学キャンパスで一年またはそれ以上にわたって奉仕するために、家族のもとを離れるよう招集したが、これによって運動はその最も成功したプロジェクトの一つであると信じるCARPを立ち上げることができた。祝福家庭が定着したときには、このような組織的融通性は必然的に過去のものとなるであろう。そのとき、大半の統一教会のカップルは彼らの使命を主に三つの観点から解釈する方に大きく傾くのではないかと私は私は思う。すなわち、運動関連のビジネスにおける彼らの職業、ホーム・チャーチに対する責任、そして神を中心とした家庭を築くことに対する彼らの欲求である。

 新宗教運動としての統一教会の顕著な特徴の一つは、世界救済のためのその多数かつ多様で斬新なプロジェクトに人材を配置し実行するために、人的資源を迅速かつ効果的に動員する能力であったことは留意すべきである。ある観察者たちは、そのような効果的な資源の動員は統一教会の1970年代の数的成長と経済的繁栄に大きく貢献したと信じているが、文師とその他の教会の指導者たちは「結婚後の別居」を終わらせたいという祝福家庭の欲求をいつまでも無視し続けることはできないであろう、と私は主張したい。既婚カップルの別居がこれから数年以上続いたならば、リーダーが指示する夫婦の絆を破壊するようなさまざまな使命を既婚メンバーが拒否する傾向が増大するか、過去数年にわたってその会員数が変わらないままであるグループにとってさらに破壊的なこととしては、大規模な祝福家庭の離脱といった事態を統一教会が経験するようになると私は予想する。

 したがって、これから5年もしくは10年のうちに大半の家庭における結婚後の別居は最終的に終了し、この変化が統一運動がアメリカ社会に順応していくより一般的な傾向の最も顕著な特徴となるであろう、と私は信じる。その推移は19世紀のモルモン教徒によってなされたものと大して違わないであろう。ユタにおける草創期とそれ以前には、カップルは男性が世界中で宣教活動をしている間、しばしば10年に及ぶ別居を経験した。これらの「結婚後の別居」は、統一運動と同様に、信仰のために必要な犠牲であると末日聖徒たちに解釈されていた。しかしながら、やがてモルモン教徒たちの別居は完全に終了し、今日ではモルモンの若者たちが結婚する前に2年間教会のために奉仕する実践としてのみ残っている。たぶん、統一運動において生じるパターンも、モルモン教と同様に、独身メンバーが祝福を受ける前の人生の数年間を、運動の使命のために全面的に捧げるものになるであろう。

 統一運動においておそらく起きるであろう二番目の大きな変化もまた、祝福家庭の定着と関連している。「結婚後の別居」の停止によって、各カップルは日々の生活の中で夫婦関係を育て維持するという課題に直面するようになる。したがって、彼らが「普通の」結婚生活と密接に関わる中で生じてくる問題と機会の両方に直面するとき、彼らの結婚と文のマッチメーカーとしての能力を試す正念場が来ることを、彼らは疑いなく発見するであろう。既婚者が一時的に別居するときに直面する困難も存在するが、長期間にわたって一緒に生活するというより日常的で平凡な経験に伴う問題は、それとは非常に異なるものであり、ある意味でより難しいものである。そしてこれは特に統一教会のカップルにとっては真実であると私は思う。彼らの多くは結婚して数年になり子供たちもいるが、親密さという意味ではいまだにお互いをよく知らないのである。仲たがいや離婚をもたらすのは結婚「そのもの」ではなく、むしろ二人が一緒に生活する際のより日常的な条件であることを、彼らは疑いなく発見するであろう。

 一緒に暮らす経験によって祝福家庭の間に夫婦間の問題が増加し、その結果として統一教会における離婚・放棄率が上昇するのではないかと私には思える。しかしながら、理想家庭を築くことに対する統一教会信者たちの献身と、運動がカップルに対して共同体的で経済的な支援を提供し続けるであろうという事実を前提とすれば、結婚が破綻する率がより広範なアメリカ社会に近づくということはあり得ないであろう。

アメリカにおける結婚の未来

 この先20年間に祝福家庭に実際に何が起きるかは、統一運動にとっては非常に重要ではあるものの、主流のアメリカ社会における結婚に対する直接的なインパクトは、もしあったとしても非常に小さなものであることは、私には非常に明らかである。私にとって重要なのは、統一教会の特定の結婚に関する実践ではなく、むしろこのグループの神学的理想と結婚に対する一般的な視点である。彼らの視点は、何らかの狭くて文字通りの意味においてではなく、そこから今日のアメリカの典型的な結婚、とりわけ主流の宗教的信仰の脈絡の中における結婚に対するアプローチにあまりにも深く染み込んでいる価値観を分析し批評するような、興味深くて重要な視点を提供しているという点で重要である。

カテゴリー: ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』149


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第149回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は、韓国において統一教会が日本ほど否定的に捉えられていない理由を「2 宗教団体としての統一教会」(p.408~)のあり方から分析している。ここでは彼女が直接出会って知り合いになった韓国の統一教会信者へのインタビューに基づき、韓国でどのような勧誘が行われ、どのような動機で人々が信者になるのかが三つの事例によって紹介されている。先回は①一般の女性信者を紹介したが、今回はその続きで、②一般の男性信者と③結婚目的で信者になった男性の事例を分析する。

 一般の男性信者(1971年生まれ、1997年入信)は、一人目の事例に比べると年齢的に若く、信仰歴も浅い。彼は統一教会の牧師の妻(日本人)から伝道され、2002年に日本人女性と祝福を受けているというから、日本人と縁の深い韓国人信者と言える。彼が「霊の親」である日本人女性と出会ったのは、1995年に日本語学校で日本語を教えたり、通訳、翻訳の仕事をしていたときだった。当時大学で日本人女性教員をしていた「霊の親」にサークルでの日本語指導をお願いに行ったのがきっかけで、やがて個人的な話をするようになり、自宅での訓読会や教会に通うようになった。家庭環境が複雑だった彼は、幸せな家庭に対する憧れから祝福を受けることを決意したようである。2002年に祝福を受け、2003年に長女、2005年に次女が生まれ、現在は妻の親族と三世代四家族がそれぞれ同じマンションで暮らしているというから、家庭生活は順調で幸福であると言ってよいであろう。

 この男性信者の入信経緯に関して、中西氏は以下のようにまとめている。
「韓国の大学で教員をしている日本人信者と知り合ったことが統一教会に関わるきっかけになったという点ではやや特殊な事例かもしれないが、入信の経緯から祝福までのプロセスが日本の青年信者と違うことは明らかであり、教化プログラムや献身生活は経験していない。熱心な勧誘を受けたというより教員との個人的な交流や、自分自身の家庭環境から家庭の重要性を説く統一教会に関心を持つようになったものと思われる。」(p.412)

 次に中西氏は、「結婚目的で信者になった男性(1963年生まれ)」を紹介する。

 この男性は、36万双(1995年)で祝福を受けた日本人女性の夫であり、彼女の紹介で中西氏は夫にインタビューを行っている。自分の夫に対するインタビューを許可し、包み隠さず話させたわけであるから、このときにはまだ中西氏と在韓日本人祝福家庭婦人の関係は良好だったということだ。

 この男性は、母親からの勧めで「祝福申込書」を出したという。その母親が統一教会に関わるようになったのも、息子を結婚させることが目的で、その背景には6500双や三万双で祝福を受けて渡韓した日本人女性たちの評判が良かったことがあり、「うちの息子にも」と考えて勧めたということだ。このように、韓国の農村部において、独身男性やその親に統一教会が「結婚相談所」として受け取られており、信仰というよりは結婚を目的として祝福を受けた韓国人男性がいること自体は事実である。そのことの是非については中西氏はここでは触れていないので、私も触れないことにする。

 この事例を元に、中西氏は「農村部における統一教会のあり方は、全く日本とは異なることが確認できる」と分析し、その根拠として「信者になったからといって日本でのような体系化されたプログラムで原理を学ぶこともなければ、献身することもない。献金や布教が強要されるわけでもない。祝福献金は必要だが、A郡では日本の一〇分の一と聞いている。修練会はあっても日本で行われているような管理された内容ではなさそうである。・・・・入信しても日本のように特異な信仰にはなっていない」(p.414)という理由を挙げている。

 さて、これら三つの事例から中西氏は、韓国における統一教会の布教のあり方は日本とは全く異なると結論する。
「韓国での統一教会は正体を隠して組織的伝道をしているわけでもなく、入信したからといって信者はビデオセンターから始まる教化プログラムを受けて献身することもなければ、献金に追われることもない。要するに入信後の信仰のあり方が日本のように特異な宗教実践とはなっていない。イエスを否定し、文鮮明を再臨主とするようなキリスト教と相容れない教義を持っていても、それは宗教団体として社会的に逸脱しているとはいえない。」(p.414)というのが彼女の主張である。

 さて、先回の一人目の女性信者の時に既に私が指摘した内容ではあるが、この中西氏の分析の問題点は、韓国の統一教会信者に対しては直接インタビューを行い、入信の動機や伝道されるプロセスについて共感的な理解をしているにもかかわらず、日本人の青年信者については文献から得られたセコンドハンドの情報に頼って比較を行っているということだ。その比較の目的は、韓国では統一教会が「普通の宗教」として存在し、勧誘のプロセスが異常なものではないのに対して、日本では特殊な教化プログラムや献身生活が存在するために、異常で反社会的な団体であると認識されている、という鮮やかなコントラストを読者に印象付けることにある。しかし、その手法がいささか牽強付会に近く、広範なデータに基づいた客観的な調査とはお世辞にも言えないレベルになっている。

 日本と韓国の伝道の方法や信者の入信の動機を比較したいのであれば、本来ならば日韓の両方にどのようなパターンがあるのかをもっと幅広く調査しなければならないはずである。例えば、日本において個人的な交流から自然に伝道されたケースや、教化プログラムや献身生活を経験しないで入信した例がないのかどうかを調べる必要があり、さらに韓国にも日本に類似するようなシステマティックな伝道方法が存在しないのかどうかも調査しなければならない。しかし中西氏がそうした調査をした形跡はない。

 中西氏の記述で興味深いのは、「信者及び一般を対象にした一泊二日の修練会に筆者も参加したことがある。第九章でふれるが、パワーポイントを用いての原理講義を聞くだけだった」(p.414)という部分である。韓国での修練会に参加したのであれば、日韓の比較を行うために、中西氏は日本における修練会に参加すべきだったのではないだろうか。それこそが実体験に基づく生きた比較になると思うのだが、彼女はそれをしていない。韓国での修練会の内容は、「パワーポイントを用いて原理講義を聞くだけ」ということだが、黒板講義なのかパワーポイントなのかは時代によるプレゼン方法の違いに過ぎず、「修練会とは原理講義を聞くものである」という本質は、韓国でも、日本でも、西洋でも同じであり、時代が変わっても中身が大きく変わるわけではない。アイリーン・バーカー博士は『ムーニーの成り立ち』のなかで修練会の講義について、「講義は、高等教育の多くの場所で毎日(同じかそれ以上の時間)なされているものよりもトランスを誘発するものではない。」と分析している。中西氏が自分の体験した修練会と比較しているのは、櫻井氏の記述によって歪曲された日本の修練会の「イメージ」である。これは実体験を伴わない「虚像」と比較しているに過ぎない。

 さらに、アイリーン・バーカー博士がヨーロッパとアメリカの統一教会信者について調査した『ムーニーの成り立ち』を読めば、西洋にも日本と同じような修練会や教化のプログラムが存在し、それ故に「洗脳」や「マインド・コントロール」の疑いをかけれらたことが分かる。単に日本と韓国の事例を比較するだけではなく、日本と西洋にあるものがどうして韓国に無いのかを掘り下げて分析する必要があるのではないだろうか? 

 中西氏の分析は、たった三つの事例をもって韓国における伝道方法を代表させ、それを文献や伝聞で得られた知識をもとにした日本の伝道方法と単純に比較するという、極めて大雑把で乱暴なものである。さらに、システマティックな伝道方法が存在するかどうかという問題は、国ごとの個性の問題であり、その国の国民性や文化と深く関わっている。一つの国でうまくいく方法が他の国で同じようにうまくいくという保証はない。それ故に、各国の伝道方法に簡単に優劣や善悪などの価値判断はできないのである。にもかかわらず、中西氏は「普通な韓国統一教会」と「異常な日本統一教会」というシンプルな枠組みを最初から作り、それが日本において統一教会が世間から否定的に捉えられている根拠にしようとしている。これは言ってみれば「結論ありきの事例紹介」であり、客観的な日韓の比較とは言い難いものである。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』