『世界思想』巻頭言シリーズ03:2020年4月号


 私がこれまでに平和大使協議会の機関誌『世界思想』に執筆した巻頭言をシリーズでアップしています。巻頭言は私の思想や世界観を表現するものであると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。第三回の今回は、2020年4月号の巻頭言です。

UPFの平和運動を支える6つの構成要素

 去る2月3日~5日にかけて韓国ソウルで行われたUPF主催の「ワールドサミット2020」は参加者の量と質の両面において過去最高の国際会議となった。この度のサミットの大きな特徴は、今後UPFが世界平和実現のために活動を展開していく6つの構成要素が明確に示され、それぞれが分科会で戦略的行動計画を立てる作業に入ったことである。以下、6つの構成要素について簡単に解説したい。

 世界平和頂上連合(ISCP)は、ワールドサミット2019で韓鶴子総裁が創設を提唱し、このたびのサミットで正式に発足した、国家元首・政府首脳の集まりである。韓総裁は2018年から世界を巡回し、その国の最高指導者が参加する国際会議を何度も開催してきたが、その集大成がISCPの創設である。

 この度のサミットには、カンボジアのフン・セン首相とニジェールのラフィニ首相が現職の政府首脳として参加し、4名の現職副首脳、2名の現職ファーストレディ、2名の現職国会議長、34名の現職閣僚が参加した。さらに32名の元職政府首脳と14名の元職ファーストレディが参加するなど、まさに世界の「頂上」が一堂に会する中でISCPの創設が宣言されたのである。この組織は今後、首脳級の指導者たちがその知恵と経験を集めて世界の諸問題を解決するためのプロジェクトを推進する母体となるであろう。

 世界平和議員連合(IAPP)と平和と開発のための宗教者協議会(IAPD)は、6つの構成要素の中でも先駆けて設立され、実績を積んできた組織である。人間に心と体があるように、平和を構築する運動にも政治家と宗教家の両方が参加しなければならない。そして今回は昨年12月に創設された世界聖職者指導者会議(WCLC)も総会を行った。

 国際平和言論人協会(IMAP)は世界各国の良心的な言論人が集まり、世界平和に貢献するためのネットワークである。文鮮明総裁は、メディアの自由と責任を擁護するために世界言論人協会を設立し、日本の世界日報、米国のワシントン・タイムズ、韓国のセゲイルボなどの言論機関を設立した実績がある。IMAPはそれらを基盤とするUPFの言論部門のプロジェクトとして立ち上げられた。

 国際平和学術協会(IAAP)は、世界平和に貢献する学者たちの集まりである。文総裁はこれまで世界平和教授アカデミー、科学の統一に関する国際会議などの学術部門に力を入れてきたが、IAAPは時勢に流されずに真理と普遍的価値を探求する学者たちによる平和運動を推進する母体となるであろう。

 国際平和経済開発協会(IAED)は、平和と開発のために貢献するビジネス・リーダーたちの集まりである。経済活動の目的は私利の追求にあるのではなく、真の愛による富の公平な分配と人類全体の福祉のためにあるという思想に基づき、経済人による平和のプロジェクトを推進していく組織である。

 世界平和は特定分野の指導者のみによってなされるものではない。これら6つの分野の指導者が力を合わせ、「共生共栄共義」世界実現に向けてUPFは活動を推進していく。

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『世界思想』巻頭言シリーズ02:2019年9月号


 前回から、私がこれまでに平和大使協議会の機関誌『世界思想』に執筆した巻頭言をシリーズでアップし始めました。巻頭言は私の思想や世界観を表現するものであると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。第二回の今回は、2019年9月号の巻頭言です。

「21世紀の朝鮮通信使」としてのPeace Road

 去る7月11日、日本最北端の地である北海道稚内市の宗谷岬で、文妍娥UPF韓国会長を迎えて、ピースロード2019の日本縦走が出発しました。北海道のピースロードは全長720キロに及ぶ長距離コースですが、その全行程を韓国から派遣された青年ライダーたちが共に走りました。また、8月7日から15日にかけて行われた韓国縦走にも、日本からライダーが派遣されました。

 こうして日韓がお互いにライダーを送りあい、共に走ることで両国の友好親善を推進しようというピースロードは、「21世紀の朝鮮通信使」の役割を果たそうとしています。事実、これまでのピースロードの記録をひも解けば、各地で朝鮮通信使ゆかりの地をルートに入れて、その歴史を学ぶプログラムが組まれています。

 現在の日韓関係は国交正常化以来最悪の状態にあると言われておりますが、このような時期だからこそ、民間レベルにおける友好親善の努力が大切であると思います。これまでも日韓関係は厳しいときもあり良好なときもありましたが、国が引越しをすることはできないので、両国が隣国としてお付き合いをしなければならないという事実は変わりません。

 過去の歴史において、日本と朝鮮の関係を非常に悪化させた事件の一つが、豊臣秀吉の朝鮮出兵です。これによって一時期両国は国交断絶状態になったわけですが、それを回復させる役割を果たしたのが朝鮮通信使です。通信使自体は室町時代に始まりましたが、秀吉の朝鮮出兵によって中断されていました。それが徳川の時代になって再開され、200年間に合計で12回も派遣されています。江戸幕府は西洋諸国に対しては国を閉ざしていましたが、朝鮮とは国書を交換し、正式な国交を結んでいたのです。

 通信使を迎えるために幕府が使った費用は、18世紀の初めごろで約100万両でした。当時の幕府の年間予算が78万両ですから、莫大な費用をかけて朝鮮のお客様を迎えたことになります。そればかりでなく、幕府は通信使の経路にあたる各藩に対してリレー形式で接待役を命じ、各藩は威信をかけて地元の名産品でもてなしたのです。

 朝鮮通信使には、詩文や書を書く人、絵を描く人、音楽を奏でる人、医者などが同行しており、一種の文化使節としての役割を果たしていました。外国との接触が限られていた当時の日本人にとっては物珍しく、行く先々で多くの人々が詩や書画を求めて集まったという記録が残っています。このように、お客様をもてなし、その返礼として文化を受容するという関係を継続することを通して、200年間にわたる平和な時代を築いたのです。

 もちろん朝鮮通信使と日本人の間には、過去の恨みや文化の違いに起因するさまざまなトラブルや行き違いもありました。しかし、共に旅をしながらお互いに本音で話すことを通して、それらを一つ一つ乗り越えていったのです。朝鮮通信使の意義は、不幸な歴史を乗り越えて相互交流によって平和な時代を築き上げていったことにあります。いまこそ私たちはその歴史から貴重な教訓を学ばなければならないのではないでしょうか。

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『世界思想』巻頭言シリーズ01:2019年6月号


 今回から、私がこれまでに平和大使協議会の機関誌『世界思想』に執筆した巻頭言をシリーズでアップしようと思います。巻頭言は私の思想や世界観を表現するものであると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。第一回の今回は、2019年6月号の巻頭言です。

「世俗化と根本主義に二極化される世界を癒すUPFのビジョン」

 今日、宗教の問題を抜きにして世界平和を語ることはできなくなっています。2001年の米国同時多発テロ、「アラブの春」以降の中東の混乱、「イスラム国」を自称するISILの出現など、宗教間の対立に起因する紛争や混乱が広がっています。その背景には、米国に反感を持つイスラム教の過激組織があるとされ、キリスト教を中心とする西洋世界とイスラム世界の対立であるとの見方もされています。

 しかし実際には、キリスト教とイスラム教がそれぞれの教義や神学の違いを原因として対立しているわけではありません。イスラム教徒が米国に反感を持つ理由は、キリスト教そのものというよりは、むしろ世俗化された社会のあり方なのです。

 西洋の近代化は、宗教の社会的影響力が低下していったプロセスという意味において、「世俗化」という言葉によって理解してこられました。キリスト教徒同士が神を掲げて互いに殺し合った宗教戦争に対する反省から、「信教の自由」という概念が生まれ、それを制度的に保障するために「政教分離」というシステムが生まれました。これは宗教が社会の公的な領域から排除されて「私事」に閉じ込められることを意味し、そうしたシステムと民主主義、資本主義が組み合わさって今日の西洋的な価値観を構成しています。

 ところがイスラム世界にはそもそも「信教の自由」や「政教分離」という概念は存在しません。イスラム教においては神の法である「シャーリア」が日常生活を支配しなければならず、そのためには政治と宗教は一体でなければなりません。イスラム世界から見れば、キリスト教の影響力が徐々に社会から失われ、世俗的な文化が蔓延していった西洋の近代化のプロセスは「文明の堕落」に他ならないのです。この世俗化の波が西洋からイスラム世界に浸透していくことに対する反発が、「イスラム根本主義」という形で表現され、その一部が暴力を伴う際には「イスラム過激派」と呼ばれることになります。

 世俗化に対する反発は西洋世界の内部にも存在し、それは「キリスト教根本主義」と呼ばれています。今日、勢力を伸ばしているキリスト教は福音派や根本主義の教団がほとんどであり、イスラム根本主義の台頭と合わせて、世俗化に対抗する「宗教の復権」が世界中で起こっているという見方もあります。

 根本主義は、世俗化によって社会の周辺に追いやられた宗教の価値を取り戻すという意義はあるものの、独善や不寛容という問題を抱えています。今日の世界は、極度に世俗化された社会と、かたくなに宗教的価値を守ろうとする根本主義とに二極化されつつあります。この溝を埋め、分断を癒すには政治家と宗教者の双方の努力とネットワークづくりが必要です。

 UPFが世界的に展開している二大プロジェクトである「世界平和議員連合」と「平和と開発のための宗教者協議会」は、宗教間の和解と協力を推進すると同時に、宗教的な知恵が平和構築に貢献しうる政治システムの確立を目指しています。

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国連を舞台とする米中の動向と日本06


 「国連を舞台とする米中の動向と日本」と題するシリーズの第6回目です。私が事務総長を務めるUPFは、国連経済社会理事会の総合協議資格を持つNGOであるため、国連の動向に対しては関心を持たざるを得ません。最近の国連において最も懸念すべき問題は、中国の影響力の増大と米国の国連離れです。このシリーズでは、国連の成り立ちから始まって、米中が国連を舞台にどのような抗争を繰り広げているのかを解説します。その中で日本の立ち位置も考えてみたいと思います。

 前回は国連における中国の「外交的勝利」とアメリカの「国連離れ」について説明しました。トランプ政権下において、アメリカの国連離れは加速しましたが、アメリカがこういう状況だと、日本はどうしたらいいのでしょうか?

 ここで日本の安全保障と国連の関係について基本的なことを説明したいと思います。戦後日本の「安全保障」の基本構造が何であるかと言えば、敗戦によって日本は軍隊を解体し、憲法第9条によって「不戦の誓い」を世界に対してなしました。日本国憲法の第9条は、日本は「戦争と武力行使を永久に放棄する」「交戦権を認めない」と明記しています。これを「平和憲法」というわけですが、日本が再び軍事的に台頭するのではないかという懸念を米国およびアジアの近隣諸国から払拭する上では、日本の平和主義は一定の役割を果たしたということができます。この日本国憲法ができる過程において、1946年に吉田茂首相の国会答弁のなかで、憲法第9条について「自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄した」と解釈して答弁しています。いまは違います。いまは個別的自衛権と集団的自衛権というものがあって、その両方とも行使できるんだということになっていますが、当時は日本という国は自衛権さえも持たない国なんだと考えられていました。しかし、自衛権のない国がどうやって自分の国を守るのでしょうか。

 実はこれが国連と深く関係していたのです。国連憲章は1945年6月26日にサンフランシスコにおいて調印され、1945年10月24日に発効しています。一方、日本国憲法は1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されています。この2つの文章が出来た時期は非常に近いわけです。この2つはお互いにリンクしあっているということになります。有名な日本国憲法の前文には、「日本国民は、・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてあります。これは大変なことでありまして、自分の国を自分の国で守るのではなくて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、自分たちの平和と安全を守るんだと、日本の憲法は言っているわけです。これが何を意味しているかというと、実は日本が侵略されたら国連軍が守ってくれるという前提に立っているから、こう書かれているわけです。もともと国際連合は、国連軍によって世界平和を実現しようとする、「集団安全保障体制」だったわけです。ですから、国連初期の理想が日本国憲法に反映されているのだということになります。

 しかし問題は何かというと、本来国連にあるべき「抑止力」が、現実には存在しないということなのです。国連の抑止力とは何かというと、本来は「国連軍」が組織されることなのですが、いままで一度も「国連軍」ができたためしはなかったのです。なぜできないのでしょうか。それは安保理常任理事国が「民主主義」対「共産主義」の理念で分裂したからです。国連軍というと、1950年の朝鮮戦争のときに「国連軍」ができたじゃないかという人がいるかもしれませんが、あれとて正式な国連軍ではなく、カッコつきの国連軍です。ソ連が安保理をボイコットしていたので正式な手続きを踏んでいない多国籍軍に過ぎないというものを、あえて「国連軍」と呼んでいるのです。

 それでは、日本は軍隊を持たずに、国連が守ってくれるはずだという前提にもかかわらず、実際には国連軍が機能しない場合にはどうすることになったかというと、米ソの冷戦構造のもとで日本は、日米安全保障条約を結ぶことによって、米国の抑止力に頼り、米国に自国の安全保障を託すことによって生き残っていく道を選んだということです。

 この日米安保条約は「片務条約」と呼ばれています。片務条約の意味とは、アメリカには日本を守る義務がありますが、日本にはアメリカを守る義務がないということです。そういう条約なのです。アメリカ側から見てそんな条約を結ぶことに何のメリットがあるのかと思うかもしれませんが、この当時は実は“Win-Win”の関係にあったのです。なぜかといいますと、アメリカは日本が再び軍事的に台頭してくることを恐れていました。ですから日本の軍隊を解体して、日本から一切の軍事力をなくそうとしたわけです。しかし一方で東アジアにおいて共産主義との対立が激しくなってくると、日本に米軍を駐屯させることによって、来たるべきソ連との戦い、共産主義との戦いにおいて、日本を反共の砦にしようとしたのです。それが“Win-Win”の関係ということであり、日米安全保障条約の本質であったわけです。

 ただし、米軍を日本に駐留させることだけでは不足なので、1950年に警察予備隊というものをつくって、これはやがて自衛隊になっていきます。そして51年には日米安保条約が署名され、60年に改定ということになって、この2つ、すなわち自衛隊と日米安全保障条約によって日本の平和と安全を維持してきたのであって、憲法第9条があるから日本の平和と安全が守られてきたわけではないのです。

挿入画像12=国連を舞台とする米中の動向と日本

 このころ、日本の外交3原則というものを作った人がいます。岸信介が1956年に発表しているのですが、その3原則の1番目が何かというと、日本は西側自由主義陣営の一員であるということです。これは具体的にはアメリカとパートナーシップを結んでやっていくことを意味しています。2番目がアジアの一員、アジアの近隣諸国と仲良くやっていくということです。3番目が国連中心主義であり、この3つの柱を立てたわけです。これはいまでも基本的には変わらずに継承されています。当時の国連は安保理も総会も米国主導で動いており、日米関係の延長線上に国連があったわけです。まだ国連における中国の議席は台湾の蒋介石政権が占めていたので、この頃は1番目のアメリカとのパートナーシップと、3番目の国連中心主義との間には何の矛盾もなかった時代だったわけです。

挿入画像13=国連を舞台とする米中の動向と日本

 日本の外交は安全保障の観点からは、2つの原則によって成り立っていると理解することができます。この2つの柱のうちの1つが日米同盟です。これは日米安全保障条約によって日本の平和と安全を守るということです。2つ目が国連中心主義です。国連の集団安全保障体制によって日本の平和と安全を守るということです。これを2大原則としているわけですが、これはアメリカと国連が何の矛盾もなく、協調している場合には両方同時に成り立つということになります。しかし、もしアメリカと国連が矛盾し、齟齬が生じるようになったら、日本はどうするのでしょうか? その場合には日米同盟が本音で、国連中心主義が建前ということにならざるを得ません。なぜかというと、国連には日本を守るだけの実力がないので、こうならざるを得ないわけです。

 結論として、日本の立場としては、日米同盟が日本の安全保障の基本なので、日本の政策は基本的に米国に歩調を合わせざるを得ません。そして米国が国際協調を重要視し、国連とうまくっている状態が理想なのですが、現実はそうでないことが多いです。だからといって日本も米国みたいに「ジャパン・ファースト」と言っていいかというと、それはできません。なぜかというと、日本は自国の力だけで国を守ることはできないからです。そもそも軍隊を持たないので、孤立主義や自国中心主義を取ることはできません。

 もし憲法を改正すれば、もう少し違ったスタンスが取れるかもしれませんが、いますぐはできないので、いまのところは平和主義と国際協調を基本に、日本独自の役割を果たすということになります。もし米国が単独行動や国際協調を乱す行動をとった場合には、どうしたらいいのかというと、日本はそういう米国でも補佐し、他の国との「橋渡し」の役割をしなければなりません。いってみれば荒ぶる夫をなだめる妻のような役割です。実は安倍首相はその役割を極めて上手にやったということになります。

挿入画像14=国連を舞台とする米中の動向と日本

 では今後がどうなるかといえば、バイデン政権の外交政策がどうなるかにかかっています。トランプ政権で評価すべきところは、対中強硬路線です。これだけはっきりと中国に対してものを申して、毅然とした姿勢を示した米国大統領はいなかったので、そこは評価すべきでありますが、しかし国際協調はめちゃくちゃにしてしまいました。バイデン政権はもう少し国際協調を重視するかもしれませんが、トランプほど中国に対して毅然とした姿勢を示せるかどうかはクエスチョンということになります。ですから、今後のバイデン政権の外交政策を注視しながら、それに合わせて日本の行くべき道を決定していかなければらない、というのが基本的立場になります。

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国連を舞台とする米中の動向と日本05


 「国連を舞台とする米中の動向と日本」と題するシリーズの第5回目です。私が事務総長を務めるUPFは、国連経済社会理事会の総合協議資格を持つNGOであるため、国連の動向に対しては関心を持たざるを得ません。最近の国連において最も懸念すべき問題は、中国の影響力の増大と米国の国連離れです。このシリーズでは、国連の成り立ちから始まって、米中が国連を舞台にどのような抗争を繰り広げているのかを解説します。その中で日本の立ち位置も考えてみたいと思います。

 前回は中国の「海洋進出」と歴史認識、「一帯一路」構想、中国によるWHO支配などについて説明しました。

挿入画像11=国連を舞台とする米中の動向と日本

 実はWHOだけではなく、国連の15ある専門機関のうち、上記のように4つで中国人がトップを務めています。一目瞭然ではありますが、複数の機関でトップを輩出している国は中国の他にはありません。日本は各機関への拠出額では2位とか3位なのですが、1つのポストも得ていないということになります。それだけではなくて、中国は昨年3月の世界知的所有権機関の事務局長選挙にも候補者を擁立しました。もしここが中国に取られたら大変なことになります。なぜかというと知的財産権侵害の常習犯が中国だからです。前評判では中国出身のワン・ビンインという女性が優勢だったのですが、さすがにそれはまずいだろうということで、日・欧・米が結託してシンガポールのダレン・ダン氏を推して当選させたわけですが、国際機関への中国の進出はめざましく、既に「時遅し」という状況になっております。

 国連において中国は「外交的勝利」というような状況を既に構築しています。例えば中国が昨年の夏、香港への政治的弾圧を強めると、国連人権理事会(UNHRC)では真っ向から対立する2つの文書が加盟国の間で出回りました。1つはキューバが策定した中国政府の動きを称賛するもので、53カ国が支持をしています。もう1つは懸念を表明したイギリス策定の文書なのですが、こちらは27カ国の支持にとどまりました。ですから香港であれだけひどいことが起きていながら、国連の中では中国の味方をする国の方が多いという現実があるのです。昨年3月には、「人権侵害に関する国連の特別報告者」というポストがあるのですが、それを選出するパネルで中国が委員の座を確保しました。この特別報告者はかつて、新疆ウイグル自治区における中国の人権問題を強烈に批判してきたポストなのですが、その選出にも中国が関われるようになってしまったということです。

 国際機関の制度を自国に優位な方向へと誘導しようと、いま中国は各国への働きかけを強めています。長年にわたって組織的な外交攻勢を仕掛けていた中国が、その最大の受益者として台頭しているのです。国連組織で影響力を握ることによって、中国は国内外における自らの言行について、国際社会の追求を阻止することが可能になってしまいました。一方のアメリカは2018年に国連人権理事会を脱退しており、人権問題については発言権を持ちません。ですからいまや、中国が国際機関を利用してアメリカに対抗する時代になってしまったのです。

 それでは、アメリカと国連の関係はどうなっているのでしょうか。もともと国連の創設が決まった1945年にアメリカ合衆国議会は、国連本部の自国への誘致を決定しました。ですから、この頃のアメリカは国連に対して大変積極的だったということです。ロックフェラー2世から850万ドルの寄付もあり、ニューヨーク市マンハッタンに国連本部が入るビル群ができました。ですから、いまでも国連といえばニューヨークです。この頃まではアメリカは国連に対して積極的な姿勢を示していました。国連発足当時は、「安全保障理事会中心の集団安全保障」という国連の理念を、アメリカもまだ信じていたということです。しかし、米ソの対立が顕在化する中で、安保理が機能不全になり、アメリカの「国連離れ」が始まっていったのです。

 そして1960年代には旧植民地諸国の独立が相次いで、国連に加盟して構成国が急増しました。ここでソ連は多くの開発途上国と友好関係を築き上げて、彼らをまとめて反米の方向に誘導したわけです。そうすると国連が反米活動の場になってしまったので、国連はアメリカにとって非常に居心地の悪い場所になってしまったのです。加盟国が増加すると、一国一票なので、どんなに人口の小さな国でも一票持っているということで、小国の発言力が増して、相対的に安全保障理事会に対する総会の位置づけが強まりました。そしてベトナム戦争のときにはアメリカは多くの非難を受けて、国連はアメリカの国益に反する場所になっていったのです。

 しかし一方で、国際社会の現実としては、政治、経済、軍事、情報、全ての分野でアメリカの国力は突出しており、いわば「別格」的存在になっています。ですから、たとえアメリカが国連憲章を無視して国際法に違反したとしても、国連にはそれを阻止する力はありません。ですから結局アメリカは当初の「四人の警察官」構想から「一人の警察官」へと方向転換し、単独行動主義的な行動を取るようになってしまったのです。そしてアメリカと同盟関係にある先進国のグループは、サミットや有志連合のような形で物事を決めて実行していくようになり、国連の枠外で共同行動を取る傾向が強くなっていったのです。すなわち、国連軽視という方向に向かっていったということになります。

 しかし、一人で警察官をやるといってもそれは大変です。アメリカも国力が下がってくると、だんだんそれができなくなってきます。そして2013年にオバマ大統領がテレビ演説の中で「アメリカはもはや世界の警察官ではない」という話をしてしまいます。これが世界に対して、「問題を起こしても米軍は介入しない」という、抑止力の不在というメッセージとして受けとめられたので、中国で、ロシアで、イスラム国でさまざま問題が勃発するようになりました。

 このオバマ大統領の後任がトランプ大統領です。トランプ大統領は「私達の計画はアメリカ第一主義だ。グローバリズムではなく、アメリカニズムを信条とする」と言いました。あくまでアメリカが第一なのだということですから、国際的には孤立する方向に向かっていかざるを得ません。国際協調を重要視しないわけですから、国連も重要視しないということになります。

 トランプ政権下において、アメリカの国連離れは加速します。2017年の10月にはUNESCOを脱退します。2018年の7月には国連人権理事会(UNHRC)を脱退します。2019年11月には地球温暖化を防止するための「パリ協定」からの脱退を表明します。そしてさらにWTO、国際貿易機構に対しても、「これは中国を守っているだけだ」と批判しましたし、さらにコロナの問題でWHOからも脱退に着手するということで、どんどん国連機関から外れていこうとしたのです。アメリカがこういう状況だと、日本はどうしたらいいのだということになります。

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国連を舞台とする米中の動向と日本04


 「国連を舞台とする米中の動向と日本」と題するシリーズの第4回目です。私が事務総長を務めるUPFは、国連経済社会理事会の総合協議資格を持つNGOであるため、国連の動向に対しては関心を持たざるを得ません。最近の国連において最も懸念すべき問題は、中国の影響力の増大と米国の国連離れです。このシリーズでは、国連の成り立ちから始まって、米中が国連を舞台にどのような抗争を繰り広げているのかを解説します。その中で日本の立ち位置も考えてみたいと思います。

 前回は中華人民共和国が国連における代表権を獲得するプロセスと、中国によるウイグル侵攻とチベット侵攻について説明しました。この2つの侵攻を行った結果、中国はどういう方向にむかったかと言えば、「海洋進出」を始めたのです。

挿入画像09=国連を舞台とする米中の動向と日本

 中国は歴史的に大陸国家であり、陸続き・地続きで攻めてくる外敵から自分の国を守ることが安全保障上の最大の課題でした。北方から攻めてくる民族があり、歴史的には匈奴、タタール、契丹、モンゴルといった民族が侵入してきたのです。これを防ぐために作られたのが「万里の長城」です。現在の北方の敵は、実はロシアです。面白いことに同じ共産主義であったソ連と中国のときにはこの2カ国は大変仲が悪かったのです。しかしロシアになってからは中国とロシアの関係は良好でありまして、領土問題もありません。内モンゴルも制したので、北方からの敵に対峙する必要は無くなりました。

 そして中央アジアの敵は北方のウイグルと南方のチベットということですが、この2つは制圧してしまったので解決しました。南西アジアにおいては、インドとの間に緊張関係はあるのですが、チベットが緩衝地帯になっているのでこれもクリアしました。東南アジアはミャンマー、ラオス、ベトナムといった国々ですが、現在こうした国々との関係は良好なので、脅威となる国はありません。すなわち、地続きで中国を脅かす国はもうなくなったわけです。そこでいまは「海に出ていこう」ということになり、国防予算の大半を海軍増強に使おうというのが中国の戦略になります。いまや中国は歴史上初めて、「海洋国家」としての大国化を目指すようになったのです。

 中国は歴史的には大陸国家だったのですが、1990年代以降、国家安全保障上の脅威は「陸の国境地帯」から「太平洋方面」へとシフトしたわけです。そして現在の中国の繁栄の源は、太平洋側に面した北京、上海、広東などの沿岸経済地域ですが、この地域が最も脆弱であると認識しています。いまや、中国が必要とする資金、技術、原材料、エネルギーは海からやってくるのです。その流れを脅かしているのがアメリカと日本であって、特に太平洋に展開している米海軍が邪魔でしょうがないのです。

 それでは中国の歴史認識とはどのようなものでしょうか。習近平国家主席がよく使う言葉に「中国の夢」や「中華民族の栄光の復興」などがありますが、これは要するに失地回復のことです。ではどの時代からの失地回復かというと、清王朝時代の栄光を取り戻そうということです。清王朝時代の周辺国家を、自国の主権のもとに治めようとしているのです。ウイグルとチベットは既に終わりました。清朝時代の朝貢国には、ベトナム、朝鮮半島、ハバロフスク、琉球王国も含まれているので、これを全部取り戻さないといけないということです。

 中国人にとって中華民族の栄光の時代であった清王朝時代の栄光を破壊したのが誰かというと、「西欧列強」ということになります。中国は1840年代のアヘン戦争と南京条約のトラウマに、いまも苛まれているということです。アヘン戦争以来、過去100年以上にわたって続いた中華民族の屈辱は、いまだ晴らされていないのです。したがって、中国にとって現状はあくまで「不正義」であるということです。

 中国は19世紀以来の「西洋文明からの衝撃」という歴史上最も強力な中国文化に対する挑戦に対して、なんとか反撃をしたいと願い続けて、いままでやってきました。1949年の毛沢東による共産主義革命で、一応は国としての体をなして、そこからマカオをポルトガルから取り戻し、香港をイギリスから取り戻すことによって、かつての欧州列強を中国の周辺から撤退させることができました。「残っているのはアメリカだけだ!」ということであり、中国人にとっては東アジアと西太平洋におけるアメリカのプレゼンスは西洋文明の象徴であり、「最後の後継者」なのです。これは漢民族の民族的トラウマといっていいわけです。
 
挿入画像10=国連を舞台とする米中の動向と日本

 このトラウマを乗り越えて世界覇権を目指すために中国が打ち出したのが「一帯一路」構想というものです。これは中国から見て西の方に向かっていって、ヨーロッパからアフリカまで全部支配しようとということです。「一帯」というのは陸のシルクロード経済ベルトであり、「一路」というのは海のシルクロード構想のことであり、海と陸を結ぶ2つの地域で交通インフラを整備して貿易を促進し、資金の往来を促進していこうという大きな構想です。大変聞こえはいいのですが、内実は中国の「経済スーパーパワー外交」であり、投資した国には「債務の罠」というのが待っていて、中国の支配下に落ちるようになっているのです。

 現在、中国は国連を通してこの「一帯一路」を推進しようとしております。国連本体の中にある国連経済社会局(DESA)は事務局長に2017年7月、中国の外交副部長だった劉振民氏を迎えました。その結果、いまではこの経済社会局は中国の「一帯一路」計画の推進とその宣伝活動を行う部署となってしまっていると言われています。中国は国連の文書の中に習近平主席の文言を挿入し、「一帯一路」計画をグローバルなインフラ建設構想として推進するように働きかけており、これまでに30の国連機関や組織が中国の「一帯一路」計画への支持を表明する覚書に署名しています。このように中国は「一帯一路」に国連のお墨付きを与えることに成功したのです。

 そして、コロナで有名になったWHOのテドロス事務局長は、あまりにも中国寄りではないかと言われています。これはそう言われても仕方ない証拠がたくさんあります。隠蔽工作が疑われる中国の初動を称賛したり、パンデミック宣言を遅らせてみたりと、いろいろあるわけです。このテドロスという人は、もともとエチオピアの保健相・外相であり、その頃に中国から130億ドル以上の支援を受けています。さらにWHOの事務局長になったのも、中国の支援で票を集めてもらって当選したということですから、中国政府に忖度せざるを得ない立場だとは言えるかもしれません。しかしこれは、お金の問題だけではなさそうです。実はこのテドロスという人は、もともとティグレ人民解放戦線という毛沢東主義を信奉するエチオピアの政治団体に所属していた共産主義者なのです。したがって思想的にも中国とは相性が良かったのかもしれないということになります。

 実はこのテドロスさん以前から中国はWHOに対して多大な影響力を行使してきました。ことの発端は2006年の11月にあったWHO事務局長選挙なのですが、実は日本でコロナで大変有名になった尾身茂さんをWHOの事務局長にしようということで、このとき日本政府は尾身さんを擁立して選挙に出馬させます。これを阻止するために中国が立てた人がマーガレット・チャンという香港出身のチャイニーズです。選挙の結果、中国がアフリカの票などを集めてチャン氏を応援して小差でチャン氏が当選し、日本は敗れました。

 以後14年間にわたって、事実上WHOは中国の影響下にあるといわれています。このマーガレット・チャンという人が何をやったかというと、台湾はかつてはWHOの加盟国だったのですが、中国の圧力により公式に参加できず、オブザーバーとして参加していたのですが、なんと2007年からチャン氏は台湾からオブザーバーとしての資格も剥奪してしまったのです。さすがに2代にわたって中国人をWHOのトップにすることははばかられるということで、2017年の選挙では中国共産党の言うことをよく聞くテドロス氏を擁立して、WHOを支配し続けているというわけです。

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国連を舞台とする米中の動向と日本03


 「国連を舞台とする米中の動向と日本」と題するシリーズの第3回目です。私が事務総長を務めるUPFは、国連経済社会理事会の総合協議資格を持つNGOであるため、国連の動向に対しては関心を持たざるを得ません。最近の国連において最も懸念すべき問題は、中国の影響力の増大と米国の国連離れです。このシリーズでは、国連の成り立ちから始まって、米中が国連を舞台にどのような抗争を繰り広げているのかを解説します。その中で日本の立ち位置も考えてみたいと思います。

 前回は、第二次世界大戦後に中国国内で起きた内戦により、毛沢東率いる中国共産党と蒋介石率いる政府軍が戦い、敗れた蒋介石が海を渡って台湾に逃げ、台湾に「中華民国」の政府を移したところまで説明しました。一方で大陸では中国共産党が1949年に「中華人民共和国」を建国することにより、「2つの中国」が生じます。現在、中国は「台湾は国ではない。国ではないのに国であると勝手に言っているだけだ」と主張しており、これを「One China Policy」と言います。しかし、もともとは国連安保理の常任理事国は蒋介石の中華民国であったので、この「2つの中国」が国連で大問題になるわけです。

 これが国連における「中国の代表権問題」と呼ばれるものです。1949年に中華人民共和国が成立すると国連の代表権が問題となり始めます。安全保障理事会の常任理事国に台湾のみを支配する中華民国政府がついているという事態はおかしいじゃないかと、ソ連が主張し始めるわけです。ソ連は中国代表権を直ちに新政権に変更すべきであると安保理で強硬に主張しました。しかしアメリカは中国共産党を認めたくないので、強硬に台湾支持を続けます。これに対してソ連は安保理をボイコットするという戦術をとったわけですが、その間に朝鮮戦争が勃発します。1953年に休戦協定が結ばれましたが、停戦後もソ連は代表権変更を主張し続けるわけです。

 このように1950年代に東西冷戦が深刻化する中で、中国代表権問題は国連内部における激しい対立点となりました。1956年には平和共存の状況となって、日本その他の諸国がどんどん国連に加盟します。この代表権の変更は総会で議論されることになり、アメリカは日本などと結んで、なんとか台湾追放を阻止しようとしました。しかし、1960年代に新たに独立したアフリカ諸国などの加盟により、アメリカと日本は国連の中で少数派に転落し、ついに1971年の総会で代表権の変更と台湾の追放が決定されることになったのです。

 これを「アルバニア決議」といいます。なぜアルバニア決議かというと、アルバニアが20カ国を超える国々とともに共同議案国として決議を提案したからです。これは表向きはアルバニアが提案したことになっていますが、実際には周恩来が書いたと言われています。なぜアルバニアなのでしょうか? 現在はそうではないのですが、当時のアルバニアは1967年に無神論国家を宣言した共産主義国家でした。これが総会で決議されることになると、総会では中華民国もアメリカも拒否権を使えませんから、1971年10月25日に国連総会で賛成多数で採択されてしまいました。これにより、中華人民共和国が国連に加盟すると同時に、安保理の常任理事国ともなって、世界の大国の一つとして位置づけられることとなったのです。

 安保理の常任理事国については、国連憲章の「第5章 安全保障理事会」の第23条で規定されています。この国連憲章をウェブサイトで見てみると、いまでもこう書いてあります。「安全保障理事会は、15の国際連合加盟国で構成する。中華民国、フランス、ソビエト社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国及びアメリカ合衆国は安全保障理事会の常任理事国となる。」この部分は今でも改定されていないのです。しかし解釈によって、この「中華民国」の部分は「中華人民共和国」が継承したことになっており、ソビエト連邦の部分はロシアが継承したことになっているのです。

 安全保障理事会の常任理事国になったということの意味は、中華人民共和国が世界の平和と安全を守る5人の警察官の1人として選ばれて、その役割を果たすことが期待されるようになったということです。ではこの中国という国は、世界の警察官としてふさわしい国なのかといえば、警察官というよりは、どちらかというと泥棒か強盗みたいなことをやってきた国なのです。

挿入画像08=国連を舞台とする米中の動向と日本

 というのは、第二次世界大戦後も中国は武力による領土拡大を繰り返し行ってきたからです。これを地図に表示すると上のようになります。オレンジ色に見える部分が中華人民共和国のもともとの領土だったのですが、ここから武力によって領土を増やしていったということになります。モンゴル自治区、いま新疆ウイグル自治区と呼ばれる所、そしてチベットです。ここではウイグルの侵攻とチベットの侵攻についてだけ、簡単に説明をさせていただきます。

 いま新疆ウイグル自治区と呼ばれるところには、実は第二次世界大戦後に東トルキスタン共和国という独立国があって、これを中国が狙ったということになります。第1段階としては1949年8月に政府間交渉をしようということで、毛沢東が東トルキスタン共和国の政府首脳を北京に招きます。しかし、この首脳陣の乗った飛行機は突然消息を絶ち、全員行方不明になってしまいました。その結果政府は混乱に陥って、中華人民共和国に対する服従を表明するようになります。そして12月には人民解放軍が新疆全域に展開して、中国が完全に制圧してしまったのです。

 次がチベット侵攻ですが、第1段階としては1950年に中共軍がチベット侵攻を開始します。「帝国主義国家から解放するんだ」と主張して、侵攻していきます。ちょうど同じ頃に朝鮮戦争が起こっておりまして、世界の耳目はほとんど朝鮮半島に集中していたので、チベットにはほとんどの人が関心を持ちませんでした。

 そして51年に中国は「17か条協定」というものを強引に締結して、チベットから外交権を奪っていきます。それは「自治権を認め、宗教、信仰の自由を保障する。ダライ・ラマの地位は変えない」という甘い言葉で誘って、強引に締結させたのです。これを根拠として1956年にチベットへの道路ができて、中国の軍がどんどん入っていくことになります。これに対して不満を抱いた民衆が1959年の3月に首都ラサで蜂起します。これを「ラサ蜂起」といいます。これを鎮圧するために中国軍は3月20日に「血塗られた金曜日」と呼ばれる大虐殺を行うわけです。

 中国軍はこの機に乗じてダライ・ラマを暗殺しようとしましたが、ダライ・ラマはチベットを脱出してインドに亡命します。そして、その地で中共の非道を訴える声明を発表したのです。この間、国連はチベットが侵略されるのを防ぐ上で、何もできませんでした。そして600万人のチベット人のうちの120万人、すなわち約5分の1が殺されたと言われています。1970年代に入りますと、米中接近により、アメリカによる支援も打ち切りになって、チベットは完全に孤立して中国に占領され、情報は統制されるようになりました。こうしたことをこれまで中国は行ってきたのです。

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国連を舞台とする米中の動向と日本02


 前回から「国連を舞台とする米中の動向と日本」と題する新しいシリーズの投稿を開始しました。私が事務総長を務めるUPFは、国連経済社会理事会の総合協議資格を持つNGOであるため、国連の動向に対しては関心を持たざるを得ません。最近の国連において最も懸念すべき問題は、中国の影響力の増大と米国の国連離れです。このシリーズでは、国連の成り立ちから始まって、米中が国連を舞台にどのような抗争を繰り広げているのかを解説します。その中で日本の立ち位置も考えてみたいと思います。

 国連ができていく初期の段階における最大の失敗は何だったのかといえば、やはりアメリカのトップであったルーズベルトが、自由民主主義国家群の革命を目指しているソ連を国連創設のパートナーとして信頼してしまったということです。それに乗じてスターリンは国連が創設されたときに多数のエージェントを送り込んで、主導権を握るようになったのです。

挿入画像06=国連を舞台とする米中の動向と日本

 そのようなエージェントの1人がアルジャー・ヒス(1904-1996)という人物です。この人はルーズベルトの側近であり、アメリカの国務省の高官だったのですが、実はソ連のスパイだったのです。この人は共産主義のスパイであることを否定した偽証罪で1950年に有罪になっておりますが、こういう人物がヤルタ協定の草案を作り、国連憲章草稿を作った中心人物になったということですから、かなり初期の段階から国連に共産主義思想が入り込んでいたということになります。

挿入画像07=国連を舞台とする米中の動向と日本

 もう一人がエレノア・ルーズベルトです。この人はフランクリン・ルーズベルトの夫人です。彼女はルーズベルト政権の女性やマイノリティに関する政策に大きな影響を与えました。夫の死後、第1回国連総会のアメリカ代表に指名され、国連人権委員会の初代議長となり、世界人権宣言を自ら起草して1948年に採択させています。一貫して「女性問題」を扱ってきたわけですが、この人の別名が「エレノア・ザ・レッド」です。進歩的なアメリカの偶像的存在ということで、彼女の左翼的な思想は当時のアメリカ人からも「エレノア・ザ・レッド(赤のエレノア)」と呼ばれるほどであったということです。

 彼女の周辺にはアメリカ共産党員やコミンテルン関係者が集まっており、その人脈がルーズベルト政権と国連に侵入して「赤のネットワーク」を構築していったのです。つまり、アメリカのトップであるルーズベルトがまず自分の家庭の中に、そして国務省の中に、さらに国連の中に共産主義の侵入を許してしまったということが、その後の国連の問題点となっていったのです。

 これが国連が創設直後に抱えた大きな問題、すなわち「機能不全」に直結していくことになります。国連は6つの大きな機構からなっていますが、その中でも最も重要な2つが総会と安全保障理事会と言われております。国連総会は、国連加盟国全てが参加している組織ですが、この総会の勧告には拘束力がなく、当事国にたびたび無視され、紛争解決の役に立たないことが多いのが現状です。したがって総会がやっていることは、議論をして決議を通すことだけであり、何の権威もないという現実があります。一方で安全保障理事会は5カ国の常任理事国と10カ国の非常任理事国で構成されていますが、その勧告には全加盟国が従わなければなりません。無視すると、非軍事制裁措置の後に、軍事行動をも発動することができる強力な権限を安保理は持っているのです。したがって国連で一番力のある組織は安全保障理事会ということになるのですが、この安保理もまた、機能不全に陥ってしまうわけです。

 なぜそうなったかというと、例の「拒否権」を認めたからということになります。5カ国のうち1カ国でも反対すると決議が通らないのです。では、これまでにどの国が最も多く拒否権を使ってきたのかというと、ソ連とその後継者であるロシアがトップであり、全部で127回になります。このうち106回までが1965年以前に発動したということですから、冷戦が激しかったころにソ連は拒否権を乱発していたということになります。その次がアメリカで83回ですから、結局はアメリカとソ連がお互いの国益にかなわないものはどんどん拒否していったので、この拒否権によって安保理は機能しなくなってしまったのです。

 これまで述べてきたように、国連は第二次世界大戦の結果としてできたものであり、その戦争の過程と大きな関係があります。第二次世界大戦において日本が戦った主要な国はアメリカでありますが、より正確に言うと「連合国」ということになります。この連合国の名前を“The United Nations”といいました。この名前が実はそのまま国連の名前になったのです。この連合国の中心的な国がアメリカ、イギリス、フランス、中国、ソ連であり、この5カ国が後に国連の安全保障理事会の常任理事国になっていったのです。しかし、この「中国」の部分が問題でありまして、日本が戦った「連合国の中国」と「今の中国」は、実は違う国です。場所としては同じ中国なのですが、政権や国のあり方がまったく違うということです。

 日本は「中国と戦争をしていた」わけですが、これをより正確に言うと、大日本大国と「中華民国」という国が、1937年から1945年まで「日中戦争」という戦争をしていたということになります。ではこの「中華民国」という国がどういう国かというと、1912年に建国された国です。それまで中国には「清」という王朝があったわけですが、その清を倒して「中華民国」という共和制の国を作ったのだということになります。この中華民国の政権は袁世凱、孫文、蒋介石と継承されてきました。孫文のときに国民党という政党が作られまして、その後継者が蒋介石ですから、日中戦争における中国の敵は蒋介石の国民党政権であったということです。

 ところが、第二次世界大戦が終わりますと、中国国内で本格的な内戦が起きるようになります。毛沢東率いる中国共産党が、蒋介石率いる政府軍に対してクーデターを起こします。毛沢東はソ連から援助を受けたりして、そのクーデターを成功させます。蒋介石は海を渡って台湾に逃げて、台湾にそのまま中華民国の政府を移しました。実は「台湾」というのは国の名前ではなくて、楕円形の島の名前でありまして、ここに蒋介石が逃げ込んで中華民国の政府を移したのだということです。

 一方で大陸のほうは、蒋介石を追い出すことによって中国共産党が完全に支配するようになり、1949年に「中華人民共和国」を建国することになります。したがって中国を場所だけで考えると中華人民共和国が中国なのですが、政府として考えると台湾に逃げた中華民国の方が実は本来の中国の政府なのだという、ちょっと複雑なかたちになるのです。

 いまはどうなっているかというと、大陸を支配している中華人民共和国が圧倒的に力が強いので、一般的にはこちらが「中国」ということになります。その中国の主張していることは、「台湾は国ではない。国ではないのに国であると勝手に言っているだけだ」ということで、これを「One China Policy」と言います。あくまでも中国は一つであるという意味です。日本も中華人民共和国と国境を結んだ以上は、台湾とは国交を結ぶことはできません。したがって、台湾には日本の大使館はありません。その代わりに日本台湾交流協会という連絡機関が設置されています。このことから分かるのは、いまの中国は日本が日中戦争で戦った国ではないし、そもそも国連の常任理事国になった国でもないということなのですが、この「2つの中国」が国連で大問題になるわけです。

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国連を舞台とする米中の動向と日本01


 今回から「国連を舞台とする米中の動向と日本」と題する新しいシリーズの投稿を開始します。私が事務総長を務めるUPFは、国連経済社会理事会の総合協議資格を持つNGOであるため、国連の動向に対しては関心を持たざるを得ません。最近の国連において最も懸念すべき問題は、中国の影響力の増大と米国の国連離れです。このシリーズでは、国連の成り立ちから始まって、米中が国連を舞台にどのような抗争を繰り広げているのかを解説します。その中で日本の立ち位置も考えてみたいと思います。

挿入画像01=国連を舞台とする米中の動向と日本

 昨年は国連が創設75周年にあたる節目の年であったわけですが、国連広報センターでは国連75周年を記念するロゴを作成して、次のような文言を語っていました。
「2020年、国連は創設75周年を記念し、かつてない規模のグローバル対話をはじめます。テーマは、私達が望む未来の構築におけるグローバル協力の役割です。」

 つまり、グローバルに対話と協力を進めようということが昨年の国連のスローガンになっていたわけです。しかし、それとは裏腹に昨年の国連総会で何がおこったかというと、米中の激しい対立でした。

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 アメリカのトランプ大統領(当時)は中国の新型コロナウイルス対応を激しく批判し、国連は中国に行動の責任をとらせないといけないとか、WHOは中国に実質的にコントロールされているなどと、中国を名指しで非難しました。それに対して中国は、アメリカに対して名指しの非難は避けつつも、多国間主義を重視する姿勢を示しました。習近平主席は、「私達は断固として多国間主義の道を歩み、国際関係の核心としての国連を守る」と発言しました。

 これは国連においてははかなり優等生的な発言ということになり、こうしてみると中国の方が国連や国際機関を尊重していて、アメリカが国際協調を乱しているという絵になってしまっているわけです。しかし、これは裏をかえすと国連という機関が中国の国益を追求する上において非常に便利な機関、役に立つ機関になっているということを逆に示しているのです。

 一言で国連といっても、実は3つ側面があります。1つ目は政治の国連であり、これは安全保障理事会に代表されるものです。2つ目は経済の国連であり、世界銀行、国際通貨基金、世界貿易機関などの活動になります。3つ目が社会・人道の国連になり、経済社会理事会、人権、ユニセフ、国連難民高等弁務官事務所などに代表される、人権と人道に関わる国連の活動があります。

 UPFのようなNGOが関わる国連というのは3番目の部分であり、経済社会理事会の総合協議資格を持って活動していることになります。この分野における国連の活動は大変立派なものであり、一定の評価を受けています。しかし、政治の国連の方は多くの矛盾や問題を抱えていることがしばしは指摘されています。このシリーズの目的は、この「政治の国連」についてお話をさせていただくことにあります。

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 国連について理解するためには、その成立過程を正確に知らなくてはなりません。いまある国連ができるようになった最初のきっかけは、「大西洋憲章」と呼ばれるものです。これは1941年8月、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が、大西洋上に浮かぶ“Prince of Wales”という軍艦の上で調印したものです。この憲章が調印された動機は、日独の暴走を排除して、戦後の世界に国際連盟に代わる平和維持機構を創設しようということでした。

 ご存知のように第一次世界大戦が終わって国際連盟ができたわけですが、それが機能不全に陥って戦争を防ぐことができず、世界は第二次大戦に突入していきました。この「大西洋憲章」が調印された1941年8月の時点では、ヨーロッパではドイツとの戦いが始まっていましたが、太平洋戦争はまだ始まっていませんでした。しかし、日中戦争は続いており、アメリカとイギリスは中国を支援していたという立場です。ですから、日本との対決は避けられないというような状況の中で、戦争が終わったあとにどんな世界秩序を作っていくのかを、基本的には大英帝国とアメリカが主導して考えようということだったのです。この頃、大英帝国は植民地をたくさん持っている巨大な勢力でした。これが国連の発端であり、要するにその出発点は「米英による世界秩序の構築」ということになるわけです。

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 第二次世界大戦の最中に、ルーズベルトとチャーチルは連合国を構成する国の元首に会っていきます。カイロ会談では蒋介石に会い、テヘラン会談ではスターリンと会談して、ルーズベルトのアメリカ、チャーチルのイギリス、蒋介石の中国、スターリンのソ連の4カ国が、戦後において「世界の警察官」の役割を果たして、平和と秩序を維持していこうということで一致したわけです。これを「四人の警察官構想」と言います。これが国連の原点となります。

挿入画像05=国連を舞台とする米中の動向と日本

 この構想がそのままヤルタ会談に持ち込まれ、やがて形を作っていくこととなります。第二次世界大戦も終盤に入る中で、戦後処理のあり方について連合国の首脳がクリミア半島のヤルタに集まって話をしました。このときに国際連合についても討議がされ、その大枠ができていくことになります。上の写真を見ていただくと、真ん中に座っているのがルーズベルトです。やせ細ってガリガリです。このときルーズベルトは不治の病にかかっており、死の直前でした。このとき、チャーチルとルーズベルトとスターリンの間には微妙な温度差があったと言われています。チャーチルは反共主義者で、スターリンのことを「油断のならないやつだ」と警戒しておりました。しかし、ルーズベルトはスターリンに対して「話のわかる男だ」ということで、シンパシーを抱いていたのです。ルーズベルトのソ連に対する認識は、進歩的な社会主義の国だというくらいのものであり、彼はソ連の本質を見抜けていなかったのです。

 このヤルタ会談で「四人の警察官構想」という構想が具体的に固まっていきます。すなわち、米英ソ中の4カ国で戦後の世界秩序を確立して平和を維持しようという構想です。これが「連合国=国連」の基本理念となっていきます。4カ国の同意のもとに、強力な軍事力によって平和と安全を維持していこうという考え方です。そこに後からチャーチルの提案で、形だけの戦勝国となったフランスを加えた5カ国で安全保障理事会の常任理事国を形成していこうという話になりました。実は第二次大戦ではフランスはドイツによって壊滅的な打撃を受け、事実上の敗戦国みたいなものだったのですが、フランスのもつ文化的な影響力を考慮して、チャーチルが「フランスも入れよう」と言うことにより、結局「5大国」ということになりました。このようにして、安保理の全ての決議に「5大国一致の原則」を貫こうということが、ヤルタ会談で確認されたのです。ここで同時に、スターリンの強い要求で、5カ国のうち1カ国でも反対すれば決議案は通らないことにしようという、「拒否権」というものをお互いに認め合ったのです。

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Web説教「信仰による家族愛の強化」08


 3月31日から「信仰による家族愛の強化」と題するWeb説教の投稿を開始しましたが、今回はその8回目で、最終回になります。前回は恋愛というものが究極的には自己中心的な動機に基づくものであることを指摘したうえで、真の愛に基づいた結婚、神様を中心とする結婚である「祝福結婚」について説明しました。そして「祝福結婚」を体験したあるカップルの証しを通して、ごく普通の人が、信仰を持って夫婦関係を築いていくなかで次第に幸せになっていった姿を紹介しました。

 「共通の信仰」を出発点とした結婚ほど、強固な基盤の上に立つものはないと私たちは考えています。なぜでしょうか? それは夫も妻も共に畏敬の念を持ち、信頼を寄せることのできる存在、すなわち神様を真ん中においているからです。

 それは、たとえ夫婦の意見が食い違った場合でも、両者を仲介することのできる中心が存在するということです。そして共通の目標を生み出し、二人が努力しながら共に築き上げていくものを提供することができるのです。結局、夫婦というものは横を向いてお互いの短所や欠点を見るよりも、むしろ二人とも前を向いて、共通の目標に向かって手を取り合って歩んだほうがうまくいくのだということです。

 自分の夫あるいは妻を「自分のもの」であると考えるよりも、神様の大事な息子あるいは娘をいただいたと思えば、粗末にすることができないのです。逆に所有観念が強くなり、自分のものだと思うと、不満が多くなるのです。

 私の夫は、すべての男性の中から自分に最もふさわしい人を神様が選んでくださったのだと信じることが重要です。また私の妻は、すべての女性の中から自分に最もふさわしい人を神様が選んでくださったと信じることです。そのように思ってお互いを貴重視することが、夫婦愛が成長していく基盤となるのです。

四位基台と家庭における四大愛

 このようにして夫婦になるわけですが、夫婦になって私たちの愛は終わりではありません。やがて夫婦の間に子どもが生まれてきます。そうすると、神様から始まって、二つに分かれて、合成体として子どもができます。このようにして四つの部分からなる一つの基台ができるわけでありますが、これを私たちは「家庭的四位基台」と呼んでおります。

 そしてこの家庭という場の中で、私たちは四つの大きな愛について学びます。まず初めに学ぶのが「子女の愛」です。これは子として親を慕う愛です。次に兄弟が生まれてくれば「兄弟姉妹の愛」、そしてやがて結婚すれば「夫婦の愛」、子どもが生まれれば「父母の愛」を学んでいくことになります。

 実は神様の愛というのは、なにか観念的で抽象的なものではなくて、家庭における父母の愛、夫婦の愛、兄弟姉妹の愛、子女の愛という四つの愛を通して具体的に現れてくるものなのです。その背後にあるより根本的な愛が、神の愛なのだということになります。そしてこの四つの愛の中で最も神の愛に近いのが、父母の愛であるということになります。このような愛について学ぶ学校が、家庭なのです。

 私たちは、自分自身が親となって、子育てをすることによって、神の愛を知るように造られているのです。それはなぜでしょうか? 神様はもともと人間の親でありますから、その愛の世界を追体験し、相続させるために、子供を生んで育てるように人間を創造されたのです。この我が子を生んで育てるという行為は、すべての生物が経験するものではありません。

 下等動物の場合には、細胞分裂によって繁殖しますので、そもそも親子というものはありません。魚類の場合には大量に卵を産卵しますが、その大部分が淘汰されてしまいます。その卵の一つ一つを育てるということはしないのです。

 鳥類になってようやく、親鳥が雛を育てるという「親子関係」が生じてきます。哺乳類になりますと、母親が母乳で子供を育てることを通して、親子の関係がもっと強くなっていきます。その哺乳類の中でも人間がどういう存在かというと、子育てに最も多くの時間と労力をかけ、苦労して子供を育てる動物なのです。

 人間の場合には、子供が一人前になるのになんと20年もかかります。なぜこれほど長く苦労して子供を育てなければならないのでしょうか? そして人間は、繁殖を終えてからの生存期間が非常に長いというのも、生物としての特徴です。たとえば鮭などは、自分が生まれた川を遡って行って、そこで卵を生んだらすぐに死んでしまいます。それは、次世代を残すこと、繁殖することだけが目的だからです。

 ところが、人間の場合には子どもを産んですぐに親が死んでしまったら困るわけです。その後も長い時間をかけて育てなければなりません。その育てるという行為を通して、神様が親として人間を愛しているその心情を追体験して、神様に似たものになるのです。そのことのために私たちは、苦労して子供を育てるのです。ですから、子育ての苦労というものは、自分の成長のためだということで、感謝しなければならないのです。

信仰による家族愛の強化

 さて、この説教のまとめです。家族とは一体何かといえば、それは「親子の愛」と「夫婦の愛」によって構成されています。その愛が強ければ強いほど、「絆」というものが生まれてきます。この「親子の愛」と「夫婦の愛」を、信仰によって強化して、本当の愛に満ちた家庭を造っていくのが、家庭連合の目的なのです。

 以上で説教を終わります。ありがとうございました。

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