『生書』を読む20


第六章 終戦と大神様の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第20回目である。先回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入った。天照皇大神宮教においては、第二次世界大戦の終戦をもって皇祖神の拠り所が天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが予定調和的に理解されており、終戦が近づくと同時に神の摂理も急ピッチで進むようになる。昭和20年7月22日に、教祖は自宅で初の説法を行い、いよいよ神の御言葉の種をまき始められる。

 8月に入ると、ポツダム宣言、広島への原爆投下、長崎への原爆投下、そしてソ連の対日宣戦布告により、日本の情勢はもはや絶望的になる。8月10日に日本政府が御前会議を開いて降伏を決定し、ポツダム宣言の条項に基づいて連合国に和を請うたことにより、日本の敗戦は事実上決定する。ちょうどその翌日、8月11日の夜に、教祖は決定的な啓示を受け、強烈な神体験をするのである。大部分の国民が日本の敗戦を知らされるのは8月15日の「玉音放送」によってである。したがって『生書』の記述が歴史的事実なら、「肚の神様」は公式な発表に先立って日本の敗戦を知っていたことになり、そのことを教祖に啓示していたという、いかにも「神憑り」的な話となる。『生書』は戦後になってから書かれたものであるから、後から歴史を振り返って、あたかも神の計画が予定通りに進んだかのように構成したのではないかと疑うことは可能である。しかし、ここではそのことに深入りするよりは、天照皇大神宮教の世界観を明らかにすることに専念したい。

 件の8月11日に肚の神が語ったのは、以下のような内容であった。
「十一日の夜中の鐘もろともに、今までとうびょうと言うたのも、口の番頭と言うたのも、指導神と言うたのも、もとを正せば天照皇大神の一つもの。天照皇大神の一人娘にして、世界が一目に見えるめがねをやろう。」(p.151)

 この個人ブログの第14回で、私は「肚の神様」の啓示の特徴は、段階的な自己開示であると分析した。初めは自分のことを「とうびょう」と言っていたものが、次には「口の番頭」というようになり、さらに「指導神」と名乗り出したのである。これまでは、はたして「とうびょう」や「口の番頭」が宇宙の絶対神と同一存在であり、単に自己紹介の仕方が違っただけなのか、それとも別の存在であり、絶対神の家来に過ぎなかったのかは、にわかに判別しがたいと言っていた。なぜなら、宇宙の絶対神には家来のような神々がおり、それが順番に教祖に働きかけ、教育してきたのであるという理解も可能だからである。しかし、ここではそれら三つの名前の神は、一つの神の異なる呼び名であったことが明かされる。いよいよ神の正体が最終的に開示され、それは「天照皇大神」だということが示されたのである。それと同時に、教祖は不思議な宗教体験をする。
「その時から、教祖は宇宙いっさいのもの、幽界顕界ことどとくが見え出されたのである。下は八万十万地獄を通り越し無間地獄まで、海の中の魚類から、虫から、獣からその幽霊、あるいは娑婆の人間界から天上界まで、あらゆるものを見せ、いちいちそれらの説明をつけられるのである。」(p.151)

 それは、いつも見えていたら神経衰弱になるような体験だとされ、生身の人間でありながら、神のごとき視点で世界を見ることができるようになったという、一種の宗教体験である。この体験は視覚的なものとして表現されているが、伝統的な宗教の経典で類似するものには、使徒パウロの体験がある。
「わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである――パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。」(コリント人への第二の手紙12:1-4)

 スウェーデンボルグもまた、生きながら霊界を見て来たという霊的体験に基づく大量の著述で知られている。ヒンドゥー教には「梵我一如」という思想がある。これはインドの哲学書ウパニシャッドに代表されるバラモンの根本思想で、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個人の本体であるアートマン(我)とは同一であるというものだ。禅宗においても、瞑想修行の最中に自己と宇宙が一体であると感じるような境地に至ることがあるという。おそらく大神様にも同様のことが起こったのであろう。宗教の経典ではないが、筒井康隆の小説『エディプスの恋人』には、主人公である「七瀬」が、一瞬ではあるが宇宙の絶対神(この小説では絶対神は女性であり「彼女」と表現されている)と入れ替わるシーンが出てくる。それは大神様の体験したような、神の視点で世界を見るということがどういうことであるかを文学的に表現したものである。
「偏在感があった。七瀬は『彼女』に替り、大極に存在し、宇宙に君臨していた。存在形態としてそれは宇宙そのものともいえた。超絶対者としての、動物的視覚に依らざる認識的視野を持つことがどういうことであるか、七瀬にはわかった。単に文字通りの『視野』であってすら、もしそれを持ち得たとすればそれがいかに常人たちにとって耐え難いものであるかも、たちまち七瀬は思い知らされていた。幾億もの星雲が、宇宙に充満するすべての原子と同じ認識的視界に共存していた。ある恒星系の生成から消滅までを七瀬は、地球の片隅で一匹の昆虫が産卵する様子と同時に認め得るのだった。すべての現象が恒常感覚として掌握できた。七瀬がたまたま学生時代に読んでいたハイデッガーの実存論をこれほど容易に実感できる視点はなかった。」(『エディプスの恋人』p.195) 

 こうした神秘体験の後に、肚の神様は教祖に決定的な啓示を下さった。
「十一日の夜半から、宇宙絶対神は教祖大神様をはっきりと一人娘として娶られたのである。前年十一月二十七日に教祖の肚に天降られた指導神、または皇大神と申し上げる男神と、天照大神と申し上げる女神と御二柱の神が一体となられて、教祖のお肚を宮として天降られたのである。」(p.152)

 『生書』のこの部分は、おそらく天照皇大神宮教の教えの最も中核的な部分であり、キリスト教の「使徒信条」に当たるような信仰告白に相当するものであると思われる。すなわち、それを受け入れて信じる人が、天照皇大神宮教の信者なのである。

 ここではっきりと、天照皇大神宮教が啓示宗教であることが分かる。啓示宗教の教えの根幹は理性によって導き出されるものではなく、神の側から一方的に示されるものであり、「なぜそうなのか」という理由が合理的に説明されることはない。人間の側はそれを受け入れるかどうかの選択を迫られるだけなのである。天照皇大神宮教においても、宇宙の絶対神がどうして北村サヨという田舎の婦人に天降ったのについては説明はない。ただ、神がそのように予定して、時が来たのでそれが実現したのだという話である。

 これはキリスト教においても同じである。宇宙の創造主である神が、どうしてナザレのイエスという大工の青年として降臨したのかについては、合理的な説明はない。それは啓示によって人類に明かされたことであり、それを受け入れる者は「イエス・キリストは神のひとり子であり救い主である」という信仰を告白するしかないのである。神の「ひとり子」という表現はヨハネによる福音書3章16節に由来するが、英語では“Only-Begotten Son”といい、韓国語では「独生子(トクセンジャ)」という。イエスは何人もいる神の息子の中の一人なのではなく、たった一人の神の息子であるという点において、特別な存在だとされているのである。天照皇大神宮教における北村サヨ氏の位置は「一人娘」であるから、イエスの位置の女性版であり、同じような特別な位置であることになる。

 非常に興味深いことに、この「神の一人娘」は、現在の家庭連合において、文鮮明総裁の夫人である韓鶴子総裁に対して用いられている呼称である。家庭連合においては、文鮮明総裁はイエス・キリストの再臨であると信じられているので、文師は「ひとり子」であり、Only-Begotten Sonであり、「独生子(トクセンジャ)」である。その夫人である韓鶴子総裁は、「ひとり娘」であり、Only-Begotten Daughterであり、「独生女(トクセンニョ)」であると信じられている。天照皇大神宮教の教祖である北村サヨ氏と、家庭連合の共同創設者である韓鶴子総裁は、どちらも「神の一人娘」として神に認定され、その自覚をもって世の中のいかなるVIPにあってもひるむことなく、神の御言葉を宣べ伝える存在であることが明らかになった。

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『生書』を読む19


第六章 終戦と大神様

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第19回目である。先回で「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容を解説し終えたので、今回から「第六章 終戦と大神様」の内容に入る。第六章は、昭和20年春の戦局の解説から始まる。イタリアのムッソリーニの死、ヒトラーの死に続くドイツの無条件降伏によってヨーロッパでの戦争は終結し、日本は孤立無援となり、沖縄戦も6月には終結した。このように戦局が最後の段階へと突入すると、「神様の御行も戦局と同調して、最後の仕上げへと進まれたのである。」(p.138)と『生書』には記されている。かつて肚の神様が教祖に対して「二千六百五年の昔から神が天降る所を、ちゃんと決めていたんじゃ。蛆の祭りのお旅所と同じことで、神輿を降ろす所があろうがの、今はおサヨがお旅所なのじゃ。」(p.77)と語ったように、天照皇大神宮教においては、終戦の時をもって皇祖神の拠り所が天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが予定調和的に理解されているので、終戦が近づくと同時に神の摂理も急ピッチで進むようになるのである。

 昭和20年7月22日に、教祖は自宅で初の説法をなさった。この日は天照皇大神宮教においては大切な記念日となっている。それを聞きに集まった人々の人数は40~50名ほどであったという。説法のスタイルは踊りながら歌う「歌説法」と呼ばれるもので、言葉遊びのような数え歌で教えを説いていった。このように大衆に分かりやすい方法で教えを説く大神様には、エンターテイナーとしての素質があったようだ。自分のことを「おんなヤクザ」と呼び、神の摂理のことを「神芝居」と呼んだくらいであるから、そのような自覚があったものと思われる。次の言葉も、芝居をテーマにした比喩である。
「おサヨは世界を舞台にして国救いをやらせるんじゃが、田布施が楽屋ぐらいではちと狭いんじゃが、あまりよそへ行って稽古をしたら、本物の気違いと間違われるから、今まで田布施を楽屋にして稽古したが、今からは世界へ乗り出すのじゃ。」(p.140)

 どうやら終戦前に田布施で起こったことは、終戦を契機に世界を舞台として本格的な芝居をする前の、楽屋での稽古みたいなものとして位置づけられているようだ。大神様のカリスマは相当なものだったようで、「皆の者はいつとはなしにひきつけられ、浮世のことなど忘れ果ててしまい、一心に聞き入るのであった。」(p.140)ということであった。

 大神様の説法のスタイルは、聞く人一人ひとりの欠点を言い当て、「業晒し」をするというものであった。誰にも知られていないはずの自分の罪や欠点を、教祖が見事に見抜いて断罪する姿を通して、「この人は自分のすべてをお見通しだ」と感じて屈服するというパターンである。普通は悪口を言ったりどやしつけたりすれば嫌われるものだが、逆に魅了してしまうところが教祖のカリスマなのであろう。大神様もまた、そのようなカリスマの持ち主であったと思われる。

 ところが、そのようなカリスマを持つ教祖と出会ったとしても、必ずしもすべての人が神行の道に入ったわけではないようだ。それは以下のような記述からもうかがえる。
「だが教祖の説法が、自分たちの生活とはあまりにもかけ離れた世界のことのように感じられ、直ちに現実の世界を一新して神行するような殊勝な気持ちになる人は、ほとんどなかったのである。」(p.141-2)

 このような教祖の説法とそれを受け止める世俗の人々の関係は、キリスト教の『聖書』にも通じる内容である。教祖がどんなにすばらしいことを語っても、また一時的に教祖の言葉に感動したり敬服したりしても、その後その人が継続的な信仰を持つとは限らないのである。むしろ、深い信仰を持つ人の方が珍しいくらいである。キリスト教の『聖書』では、神の御言葉を「種」にたとえ、それを聞く人々を「土地」にたとえてこのことを説明している。
「その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、『見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい』。」(マタイ13:1-9)

 このたとえの意味をイエスは以下のように説明している。
「そこで、種まきの譬を聞きなさい。だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。(マタイ13:18-23)

 天照皇大神宮教においても、いよいよ終戦が近くなって大神様が説法という「種まき」を始められるのであるが、その種が実を結ぶには相応しい「土地」が必要であり、それは神によって準備された人であるという世界観には、キリスト教と相通じるものがある。

 教祖が説法を開始した7月22日から終戦の日までの間に、教祖の周りには不思議な出来事が起こっている。そのうちの一つが徳山市に対する米軍の空爆の予言である。そこには本城夫人という信者が住んでいたのだが、大神様はその家を訪問する前に、「それまでに、徳山の蛆の掃除に、機銃掃射と小型爆弾と焼夷弾を持って行くけえ、皆にそう言うちょいてくれ」(p.144)と言ったのである。本城夫人はその言葉を冗談かと思ったのだが、7月26日の夜半に本当に大規模な空襲があったのである。「徳山市は一瞬にして炎の海と化し、焦熱地獄を現出した。全市の大半は灰燼に帰し、おびただしい死傷者が至る所に横たわり、文字どおり死の街となった。」(p.144)と『生書』には記されている。

 しかし、本城家は焼夷弾を何発も受けながらも、不思議にみな不発に終わり、助かったという。本城夫人はそのことにより改めて教祖に感謝した。空襲の翌日であったにもかかわらず、大神様は徳山市の本城宅を訪ねてきた。そして本城家の背負っている因縁の話をしたり、軍人として出征している息子たちが無事に帰ってくることを予言したりして、本城夫人を驚かせたのである。こうしたストーリーには、教祖がただならぬ人であり、未来を見通せる人であることを証しする効果がある。

 こうして徳山に神の種がまかれたことを記した後、『生書』は再び戦局の解説に移る。この辺にも、終戦に至る客観的な歴史のプロセスと大神様を中心とする神の歴史のプロセスが同時並行的に進んでいるという理解が表れている。人間の歴史と神の歴史は予定調和に従って進んでいくのである。ポツダム宣言、広島への原爆投下、長崎への原爆投下、そしてソ連の対日宣戦布告により、日本の情勢はもはや絶望的になる。こうした出来事を簡潔に記した後に、「生書」は人間の歴史と神の歴史が一つに交わる時が迫ってきたことを告げる。
「八月十日、日本政府は御前会議の結果、降伏を決定、ポツダム宣言の条項に基づいて連合国に和を請うた。かくて八年の戦いの最後の日が近づくにしたがって、神は神の国を建設せんがため、その指導者たる教祖に、最後の仕上げをされるのであった。」「八月八日のことである。純白の新しい服を縫わせ、また新しい布団を一重ね作らせ、『十一日の夜はそれを着て、神棚の前に一人で寝よ。』と命ぜられる。十日には例の下痢が始まって、『今度は娘腹を下して、天人の二十五歳になるのだ。』と言われる」(p.150)

 教祖が純白の新しい服を着るのは、新しい時代の幕開けに備えるという意味であり、下痢をするのは、過去の清算の意味があると思われる。ちょうど終戦が決定的になろうとするときに、肚の神様も教祖に対してそのための準備を命じていることになる。こうして終戦の直前、8月11日の夜に、教祖は決定的な啓示を受け、強烈な神体験をするのである。その詳しい内容については次回扱うことにする。

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『生書』を読む18


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第18回目である。第12回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。前回は大神様の集会に集まった人々が一番聞きたがっていたのは、戦争の結果がどうなるかということであったが、それに対して大神様は明確な答えを示さずに、魂を磨くことに専念せよと言われたことを紹介した。世俗の人々は常に、外的・客観的な世界において次に何が起こるかに関心がある。それは自分自身の損得と結びついているから、他人より早くそれを知ろうとして、教祖や霊能者に対して「未来はどうなるのか?」と尋ねる。しかし、それに対する大神様の答えは、「そんなことを心配するよりも、自分の内面を見つめ、自分を変えなければならない」というものであった。それは彼らが自己中心的な損得勘定に縛られている限りは救われることはないからである。

 『生書』には、大神様の集会に来た者たちの中に、最初は教祖を見下していた傲慢な者たちがおり、教祖もまた彼らを嫌っていたが、最後は教祖から悪口を言われることによって逆に悔い改めに至ったことが記されている。悪口というのは以下のような言葉である。
「お前たちは国賊乞食じゃ。日当もらって会席膳まで食べて、その上お礼までもらったろう。この泥棒め、どこに日当もろうた上に、お礼までもらう法があるか。お前らは南無大師遍照金剛と言うて歩く乞食より、なお上の手の乞食。」
「面を脱いだか、白髪婆――、われ(お前)みたいな蛆虫が、世の中に増えてきて、月給取っても出張費、その上お礼までもろうて歩く蛆乞食。」(p.130)

 このころの大神様の指摘する罪は、経済的な意味で私利私欲を満たそうとする類のものが多い。教祖から徹底的にどやしつけられたり、叱られたりすることによって逆に魅了されるようになるというストーリーは、宗教の世界においては珍しいものではない。典型的には、誰にも知られていないはずの自分の罪や欠点を、教祖が見事に見抜いて断罪する姿を通して、「この人は自分のすべてをお見通しだ」と感じて屈服するというパターンである。家庭連合においても、教団の初期のころに文鮮明師の弟子になった人々の証しにそのような内容が多く見られる。普通は悪口を言ったりどやしつけたりすれば嫌われるものだが、逆に魅了してしまうところが教祖のカリスマなのであろう。大神様もまた、そのようなカリスマの持ち主であったと思われる。

 ここで『生書』は、大神様が担うべき重要な使命に関する記述に入っていく。この章の結論部分であり、最も重要な箇所である。眠りにつこうとする教祖を肚の神様がむりやり起こして、以下のようなやりとりがあったのである。
「おサヨ、神側の相談が決まったのじゃがのう。」「やかましい眠らせいや。」「まあよう聞け。嫌じゃと言うても、どうしてもわれ(お前)に、一度は是非とらせにゃならぬものがある。」「何か。」「玉露の玉と、天蓋の瓔珞じゃ。」「いらぬことを言うな。あれは『天皇のも人造ぞ、皇后のも人造ぞ。』と言うたから、『それなら本物を持って行け。』と言うたら、『持って行かせ。』と言うて、水をかぶらしたじゃあないか。」(p.131)

 この玉露の玉と天蓋の瓔珞は初めに101ページに登場し、それぞれ天皇と皇后がその位につくときに受け継ぐものであると説明されている。要するに「肚の神様」は、教祖を天皇陛下に取って代わる位置に立てようとしたのである。いまの天皇は生き神でも現人神でもなく、本来の位置を外れているので、その位置におサヨを立てるのだという意志を「肚の神様」が示したことになる。

 そのような大それたことを言う「肚の神様」とはいったいどんな存在なのかと言えば、それまで伊勢神宮にいた神が、そこを去っておサヨの肚に宿るようになったという。言うまでもなく、伊勢神宮の祭神は天照大神である。皇祖神である神が伊勢神宮を去って、おサヨの肚に宿るようになったので、おサヨは天皇に代わって日本の国を治める立場に立つのだと言いたいのである。

 肚の神様は教祖に対し、「二千六百五年の昔から神が天降る所を、ちゃんと決めていたんじゃ。蛆の祭りのお旅所と同じことで、神輿を降ろす所があろうがの、今はおサヨがお旅所なのじゃ。」(p.77)とも語っている。皇紀2605年は西暦で言えば1945年、終戦の年である。すなわち、終戦の時をもって皇祖神の拠り所は天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが、昔から予定されていたのだということである。しかし、当のおサヨはそれを断っている。

 それに対する「肚の神様」の反論は、「天皇は世をよう治めんじゃないか」(p.131)ということであり、「蛆の天皇や蛆の皇后」では何の役にも立たず、彼らが三年でも水をかぶって修行したとしても、その汚い肚には入りたくないというのである。かなり天皇皇后を冒涜した内容になっているが、『生書』が出版されたのは戦後なのでおとがめなしである。そして極めつけは、「おサヨ、われは今、急に、にわか神様になったのじゃあない。われに世が末になったら、国救いをやらせようと思うて、生まれついてから鍛えてきてあるのじゃ。」(p.132)といって、これまで百姓仕事で鍛えてきたのは国救いをやらせるためであったと迫るのである。

 これは旧約聖書の預言者の召命の場面と非常によく似ている。預言者エレミヤが召命される場面では、神はエレミヤに対して以下のように語っている。
「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。(エレミヤ書1:5)

 要するに神が予定したのだから成就しなければならないということであり、問答無用である。預言者は最後は召命を受け入れなければならない。大神様の場合には、肚の神様からの提案で、三年半の期限付きで、終わったら元の百姓の女房に戻すという条件でその役割を受け入れることになったのである。そのくだりは以下のようなものだ。
「『・・・おサヨがどうでもとるのが嫌なら、三年半にわたって国救い舞をやって、世が治まったら、それを天皇や皇后のところへ持って行ってやってくれ。その時、天皇や皇后は、私らはよう治めだったのじゃから、たいがたいけえ譲ろうと言うし、おサヨはいらないと言うて、押し合い、へし合いするとこを、新聞に出さしてやろう。』

 それで教祖は肚の神に問われた。『それが済んで、国が治まったら、また元の百姓の女房に戻してくれるか。』

 肚の神は、力を入れて答えられるのであった。
『そこじゃ、そこじゃ、人間は偉い者になってしもうたらおしまいじゃ。蛆虫世界じゃあ、上がったら、さがることを知らぬ。神の国は上がったり下がったりが、自由自在にきくようになって、地位も名誉もいらぬ。尊いお国が一本立ちになって、世界の平和が来た暁には、いつ枕を並べて死んでも惜しくない裸役者でなかったら、天が娶って使やせぬ。玉露の玉とは、極めて労した玉だ。天蓋の瓔珞とは、天よりほかにない世楽をつくるのじゃ。』

 かくしていよいよ三年半の、命をかけての国救いが始められるのである。」(p.132-3)

 三年半の期限付きとはいえ、このやりとりは大神様が天皇皇后に代わって日本の国に責任を持つという自分自身の使命を正式に受け入れたという点において、重要な意味を持つものと思われる。これらのやりとりから、大神様が偉くなりたいとか権力が欲しいという動機ではなく、乱れている世を神の願いの通りに治めるという公的な使命のために自分の位置を受け入れたことが分かる。私心がなかったということだが、終わったら元の百姓の女房に戻りたいという大神様の言葉は、肚の神様を感心させたようだ。謙虚さをもって美徳とするこの部分は、新約聖書の以下の記述を思われる。
「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。」(マタイによる福音書20:25-28)

 この言葉は、ゼベダイの子らの母がイエスに対して「わたしのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」と言ったことにより、弟子たちの間で誰が偉いか論争になったときにイエスが語った言葉である。イエスの弟子たちもまた、地位や名誉や権力を求めていた。しかしイエスは、偉くなりたいと思えば人に仕えなければならないと教えたのである。

 以上で「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の部分は終わる。次回から、「第六章 終戦と大神様」に入る。

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『生書』を読む17


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第17回目である。第12回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。ここから「肚の神様」の本心が前面に出てきて、それまでは普通の愛国的な婦人に過ぎなかった北村サヨ氏が、自分では思いもよらないようなことを語り出すようになる。それまでの戦争肯定の姿勢から、無駄な戦争をやめよというメッセージに変わり、皇国日本の価値を信じる立場から、現在の天皇を中心とする国体イデオロギーの否定に変わったのである。

 ここで『生書』が記述する時代は昭和20年3月に至る。沖縄戦の開始、特攻隊の出陣、小磯内閣の総辞職などの出来事が記され、いよいよ太平洋戦争も末期になってきたころだ。既にB29は毎日のように日本の都市を爆撃していた。その頃の教祖の言葉が興味深い。ある人が教祖に「あの敵の飛行機を祈り落してください」と頼んだときの答えである。
「ばあか言うな、おれは御苦労様と拝んでいるのじゃ。根の国に蛆がわいたというて、やすい思いじゃ来てくれぬのじゃ。米国がなんぼう物資があるからというて、蛆がわいて困るから、蛆掃除に来てくれと言って頼んだんじゃあ、来てくれはせん。頼まんでも命がけできてくれるのじゃから、みんなも拝めよ。」(p.122)

 ここではアメリカの爆撃機は憎き敵ではなく、日本の蛆掃除に来てくれるありがたい存在としてとらえられている。かつて大神様が「天にはえこもひいきもありゃしない。神の肚に合わぬ者が神の敵じゃ」と言ったように、日本が常に神の側にあるのではなく、米国の爆撃機に神が働くこともあるということである。いまの日本は神の敵となり、多くの蛆がわいているので、それを掃除するためにわざわざ米軍の爆撃機がやってきて懲らしめようとしている、ということなのである。

 このように敵を通して神が働くという発想は、実はユダヤ・キリスト教の『聖書』にも存在する。旧約聖書の預言者たちは、イスラエルの王や民が常に神の側にいるとは考えなかった。彼らが神の律法に背き、道を誤るときには、主は敵の手に彼らを渡してその罪を悔い改めさせる、という趣旨のことを預言者たちは繰り返し語っているのである。『原理講論』は、このような神の働き方のことを「外的粛清」と呼んでいる。初めに神は人々の良心に働き掛け、み言葉をもって悔い改めに導こうとするのであるが、それでも人間が悟らない場合には、外敵が民族や教会を襲い、悲惨な目に遭わせることによって自らの非を悟らせようとするのである。旧約時代にはアッシリアによるイスラエルの滅亡、ユダヤ民族のバビロニアでの捕虜生活などがそれにあたり、キリスト教史においては十字軍戦争によってローマ教皇庁の権威が地に落ちたことや、ローマ教皇のアヴィニョン捕囚(1309年~1377年)などがその例として挙げられている。

 この頃の出来事として『生書』に記されている大神様の物語は、どこか『聖書』におけるイエス・キリストと聴衆のやり取りに似ている。『生書』によれば、「その頃、人が集まれば、戦争の見通しの話ばかりである。米軍が日本の本土に上がって来たら、どうなるだろうかということが、当時の日本人の頭を占めていた」(p.123)というのである。教祖はそうした人々の心配をよそに、「そんな、ちっぽけなことを考えるより、まず真人間になれ」(p.123)と答えたのである。これに類似するパターンとしては、キリスト教の『聖書』のルカによる福音書には、次のような話が出てくる。
「神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。」(ルカ17:20-21)

 この記述は、当時のパリサイ人は「神の国」が外的な目に見える形、すなわち天変地異が起こるとか、ユダヤに強力な王が現れて外国の勢力を駆逐し、かつての栄光を取り戻すといったような客観的な出来事としてやってくると思っていたことを表している。そしてイエスに対して未来を予言するという意味での「予言者」の役割を期待し、それがいつ来るのかを尋ねたのである。しかしイエスは、彼らの視点そのものが間違っていることを指摘し、自分の内面に目を向けるように言ったのである。

 世俗の人々は常に、外的・客観的な世界において次に何が起こるかに関心がある。それは自分自身の損得と結びついているから、他人より早くそれを知ろうとして、教祖や霊能者に対して「未来はどうなるのか?」と尋ねる。しかし、それに対して教祖は明確な答えを示さない。それは彼らが自己中心的な損得勘定に縛られている限りは救われることはないからである。それに対する教祖の答えは、「そんなことを心配するよりも、自分の内面を見つめ、自分を変えなければならない」というものであった。これはあくまで現世利益を追求する人にとっては「論点外し」であり、質問にまともに答えていないことになる。だから、結局この人には未来は分からないのだと思って教祖のもとを去っていく。しかし、より本質的な人は教祖の言葉を聞いて、大切なのは未来を知ることよりも自分自身を変えることなのだと悟るのである。大神様の言葉とイエス・キリストに言葉には、このような共通点があるのである。

 こうした世俗の人々の期待は、『生書』に登場する「町田夫人」が大神様を紹介したくだりにも表れている。彼女はこう言ったのである。
「その人は肚の中に指導神が宿られ、神のなさるがままになっているというお方で、不思議に何でも未来のことがわかる、おもしろい方なのですよ。」(p.123-4)

 そのように紹介されるので、「当時のこととて、戦争の将来、明日にも爆撃の危険にさらされている家庭や、自分自身のことについて、少しでも安心が得たいと、教祖のお話に期待して集まってきた連中である。しかし、教祖の本質はまだ知らず、神憑りぐらいにしか考えていなかった。」(p.125)と記述されている。

 案の定、大神様の集会に集まった人々が一番聞きたがっていたのは、戦争の結果がどうなるかということであった。それに対する答えは以下のようなものであった。
「教祖は『必ず勝つ。じゃが、敵は日本全国、どこにでも上がるぞ。』と言われて、突然お歌説法となった。
『持って来い、持って来い爆弾を、世根の蛆の皆殺し――。八年間の戦いも、真人間欲しさに天がやらかした戦いじゃが、なんの真人間になるものか。利己、利己、利己の国賊乞食が世に増えて、真心持ちほどばかを見る、思うた時代は早済んだ――。』(p.127)

 必ず勝つと言っておきながら、敵が日本全土に上陸するというのは明らかな矛盾である。しかしながら、聴衆はあっけに取られて、その矛盾を指摘したり質問したりすることなく、ただ聞いていたというのである。

 現代の視点から教祖の言葉を解釈すれば、「日本が勝つ」というのは戦争に勝つという意味ではなく、戦争に負け、米軍に占領されることによって人々が真人間になるのであれば、結果的に日本の国は神の眼から見れば「勝った」ことになるということだ。この戦争に日本が負けることは、最初から決まっていたわけではなかった。戦争を通じて日本人が真人間になる道もあったかもしれないが、実際には利己的な人間が増え、神の敵となったので、戦争に負けることによって日本が生まれ変わる道が開けるということなのであろう。結局、勝ち負けは真人間になるかどうかによって決まるのである。
「私の家に爆弾を落とさないようにしてください。疎開してはいかがでしょうか。」という問いかけに対しても、大神様は以下のように答えている。
「心がまっすぐなら、どこにおっても大丈夫。心が曲がっておれば、防空壕の中でもだめじゃ。まず真人間になりなされ。

 真人間とは、口と心と行いと、三つが一つになり、かつがつ人間の型にはまる、それを毎日、我が良心で磨いてゆく時、初めて真人間になる。

 人間の道をまっすぐに行けば、すぐに神や仏の世界、神や仏の世界に、爆弾の落ちるような世界をつくった覚えが天にない。我おる所、即ち天国浄土なり、というところまで、魂を磨いて上がってこい。」(p.128)

 爆弾が自分の家に落ちないようにというのは、自分の身の安全だけを考えた世俗的な欲求である。それを逆手にとって、身の安全が欲しければ魂を磨いて真人間になれと、教祖は視点の転換を要求する。この会話も同じパターンである。

 私見としては、大神様はこのころすでに、日本が戦争に負けることを予想していたのではないかと思う。しかし、そのことをあからさまに表現することはできなかったので、論点を外しつつ、終戦後の日本人の魂の再生のための準備をしていたのではないだろうか。

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『生書』を読む16


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第16回目である。第12回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。ここから「肚の神様」の本心が前面に出てきて、それまでの北村サヨ氏であれば思いもよらないようなことを語り出すようになるわけだが、前回までは天皇を中心とする日本の国体や戦争に対する考え方の変化を中心に扱ってきた。今回は少し観点を変えて、既存の宗教や新宗教を含め、他の宗教に対してどのような発言があったのかを中心に分析をしてみたい。

 もともと大神様は大変信心深い人であった。大神様の実家は浴本家であるが、両親は熱心な浄土真宗の門徒であり、大神様も子供のころには両親に連れられて寺参りをした。嫁ぎ先の北村家もまた浄土真宗であったが、大神様はその寺の世話をよくし、仏壇の前で毎日念仏を唱える生活をしたという。浄土真宗の信仰は戦国時代に中国地方に伝播し、毛利氏の保護を受けて定着していった。そして江戸時代には西本願寺派の真宗の体制が確立し、防長(現在の山口県)において無視できない一大宗教勢力となっていた。この信仰を「肚の神様」が入った大神様が痛烈に批判するようになるわけだが、そもそも浄土真宗とはどんな信仰なのかを整理してみよう。

 平安時代中期になると、日本の仏教にある大きな変化が起きた。それは「末法思想」と「浄土信仰」の出現である。そのころは僧の世俗化が進み、自然災害も頻発したことから、人々は「末法の世」であることを強く意識するようになった。浄土信仰の特徴は、念仏を唱えることによって阿弥陀如来の極楽浄土に往生できると説くところにある。もともと仏教は修行によって悟りを開くことを目的とした自力型の宗教であるが、末法時代になると、まともに修行ができる者はいないし、僧も堕落している状況なので、一般大衆が自力で救われるのは絶望的だと思われた。そこで、なにか簡単な行をする、たとえば念仏を唱えるというような一つの行をすることによって、他力で救済されるという考え方が受け入れられるようになったのである。

 浄土信仰は法然と親鸞によって確立された。法然(1133~1212)は平安末期から鎌倉時代にかけて生きた人で、比叡山で天台教学を学んだが、念仏こそ救いの原点であると確信するようになり、「専修念仏」という考えに行き着く。そこで43歳で比叡山を下山して、浄土宗を開いた。この新しい仏教は、当時の日本仏教の権威である比叡山から迫害され、法然は74歳のときに朝廷によって讃岐の国(現在の香川)に追放されてしまう。

 この法然の弟子が親鸞(1173~1262)である。親鸞は法然よりも40歳年下であるが、法然の「専修念仏」の教えに感銘を受けて弟子入りしたところ、念仏に対する弾圧に巻き込まれ、越後の国(現在の新潟)に流され、強制的に還俗させられる。還俗というのは僧侶を辞めて一般の衆生に戻るということであり、迫害が起こった頃にまだ若かった彼は、結婚して妻子を持つようになった。自分は僧侶でありながら妻を持ってしまった、そして子供をつくってしまったという体験、そして僧でもなければ俗人でもない「非僧非俗」という矛盾に満ちた生涯が、親鸞の教えに大きな影響を与えることになる。そこから、修行をすることによって自力で悟るのではなくて、こんなに罪深い自分でも救ってくださる阿弥陀如来の大きな恩恵を強調する「絶対他力」の信仰が生まれたのである。それは、阿弥陀如来の立てた本願により、阿弥陀如来を信じたその瞬間に極楽往生が決定する、という信仰である。

 親鸞といえば『歎異抄』が有名だが、これは親鸞自身の著作ではなく、彼が90歳で没した後に、弟子である唯円によってまとめられた法語集である。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉は非常に有名であり、この教えを一般に「悪人正機」または「悪人正客」という。阿弥陀如来が衆生を救おうとする願いは、善人でさえ成仏させるのだから、他力本願を信じる悪人は当然成仏できるという意味である。

 ところが、大神様はこの浄土真宗の信仰を容赦なく切って捨てたのである。
「悪人正客、他力の信仰、罪ありまんま、その身そのまま――嘘ぞ、嘘ぞ。悪人正客の極楽があるのなら、地獄と極楽の境に、なんで閻魔が帳面持って立っておるか。地獄は誰もが嫌いじゃろうが。悪人正客じゃったら、初めから地獄をつくる必要はありゃしない。

 蛆虫の世界じゃ。御開山上人(親鸞)を仏と思っているじゃろうが、嘘ぞ。八万地獄でまだあえいじょる。御開山上人がのう、七百年後になって、この百姓の女房のおサヨに尻をはぐられるとは、おもしろい世の中じゃろうがの。

 御開山が悟りが開けたのであったのならば、『この世は苦の土、苦の世界。』あのようなばかを言うものか。百姓の女房のおサヨでされ、嬉しゅうて、楽しゅうて、おもしろうてならない世界があるのに――。」(p.84)
「蛆の世界では、家内安全、家業繁盛、死んでも命があるように、悪人正客、他力の信心、罪ありまんま、その身そのままというような、乞食らの好いたように言うて、乞食の金取り上げて、己が神仏を売りもの、食いものにしてゆくのが、宗教家のように思うているが、己の心のけがれは、己の肚で掃除して、天のめがねにかなうまで、魂磨いて、天国まで上がって行くよりほかに、道はないのじゃ。」(p.104)
「無間地獄をちょいとのぞいて見れば、真宗門徒が一番多い。それに落ちているのが、坊主に神主(たゆう)。それに落ちかけているのが、浄泉寺(近所の真宗寺で北村家の檀那寺)の坊主。」(p.110)

 大神様から見れば、この悪人正客や他力本願の教えは、人々に行の努力を怠らせて堕落させる無責任なものであり、真宗の宗教者たちの姿は腐敗したものに映ったのであろう。既存の宗教勢力を激しく糾弾する姿は、パリサイ人や律法学者を痛烈に批判したイエスの姿にも通じるものがある。

 『生書』の中には、キリスト教の教えに言及した部分もある。
「人間が蛇にだまされて木の実を食うて、働かなければ食えないようになったと言うちょるが、そうじゃない」(p.111)

 これで大神様はキリスト教について全く知らなかったのではなく、一応の知識を持っていたことが分かるのであるが、この部分を読む限りではかなり限定された知識であり、それほど深く精通しておられたわけではないようだ。

 新宗教に関する記述でおもしろいのが「成長の家」の谷口雅春氏に関する部分である。大神様は当時、知人であった岩国市の弁護士吉武三六氏から招待されて、谷口雅春氏の講習会に参加したことがあった。ところが、その講習会に出ると、肚の神が早速、谷口氏に対して手厳しい批判を始めたのである。
「谷口というても、元は会社員であって、下級の神がちょきちょきお下がりがあるのじゃ。おサヨ、われ(お前)のはお下がりとは違うのぞ。われは神の御堂になっておるのじゃけい――。昔から神が少し使えば、すぐ増上慢になったり、金儲け主義になる。谷口のばかがあんな本売りになったり、個人面談せずに、短冊ばかり書いて売っていやがる。短冊売りや、本売りにさせるため、神が使うのじゃないのだ。邪神は己の邪念じゃ。金が欲しい欲しい思いやがるから、すぐにその邪念に邪神がつけこんで、邪神のおもちゃになるのも知らん、ばかが。」(p.120)

 どうやら大神様はあまりエキュメニカルなタイプではなかったようである。自分の信仰に対する強い確信のゆえに、どこか唯我独尊的なところがあり、他の宗教と対話をしたり、そこから何かを学ぼうという姿勢は感じられない。他の宗教と協力したり連携したりするという発想もないようだ。このことは、現役信者である春加奈織希(本名ではなくウェブ上の匿名)による「遥かな沖と時を超えて広がる 天照皇大神宮教」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~harukanaoki/index.html)の以下の記述を見ても間違いなさそうである。
「天照皇大神宮教は他の宗教とは一切関係せず、他の教団や宗教連盟などとは絶対に手を組んだりしない、と大神様は仰せになりました。

それは現在も、堅持されているはずです(「絶対に」という語句は、当管理人の記憶では、この件についての大神様の神言です)。

 本サイトの随所で説明したように、天照皇大神宮教の教えは、教祖・大神様の肚に宇宙絶対神が降臨されて、大神様の口を通じて人類に直々に授けられた教えです。教祖はそれまで、他の宗教についての知識も実践もほとんどありませんでした。

 天照皇大神宮教は、人間が伝え、受け継ぎ、作ってきた他の宗教とは異なります。他の宗教との連携などありえません。」
「ですから、宗教法人・天照皇大神宮教は、他の教団と何らかの連携やかかわりがあるのではないかという見方は、大変な誤解です。」

 そして統一教会(現在の「家庭連合」)とも一切関係がないことを、このサイトではわざわざ説明している。
「また、統一教会(ないし勝共連合、原理研。正式名称は、世界平和統一家庭連合)が、天照皇大神(宮)を肯定的に捉えているようだから、両教団はつながっているとか、そんなことを ほのめかす記述も散見されますが、これまた推測に基づく間違いです。
他の箇所でも説明したように、天照皇大神宮教の教えは、教祖の肚に入った宇宙絶対神が、教祖の口と心と体を使って人々に授けた教えであり、他の宗教とは一切かかわりがありません。」

 天照皇大神宮教の他宗教に対する姿勢はこのような原則で一貫しており、それは統一教会・家庭連合に対しても同様である。

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『生書』を読む15


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第15回目である。第12回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。ここから「肚の神様」の本心が前面に出てきて、それまでは普通の愛国的な婦人に過ぎなかった北村サヨ氏が、自分では思いもよらないようなことを語り出すようになる。それまでの戦争肯定の姿勢から、無駄な戦争をやめよというメッセージに変わり、皇国日本の価値を信じる立場から、現在の天皇を中心とする国体イデオロギーの否定に変わったのである。そして「肚の神様」はもともとは伊勢神宮に祀られていた皇祖神であったが、いまや天皇は生き神でも現人神でもなく、「あさっての方を向いている」傀儡になってしまったので、天皇に代わって神は北村サヨ氏の肚に宿ることになり、伊勢神宮はいまやもぬけの殻になっていると言うのである。

 このような大それた話であるから、北村サヨ氏は当然のようにそれを辞退しようとされた。「肚の神様」が神眼をもって教祖に、天皇が即位する際に受け継ぐ玉露の玉と、皇后が即位する時に受け継ぐ天蓋の瓔珞を見せ、それをお前にやるから行をしろと言ったときには、教祖は即座に「いらない、そんなものは。」(p.101)と答えられたという。もともと北村サヨ氏には権力の座につく気など毛頭なかったのであるから、天皇に取って代わることを拒否されたのであろう。しかし、「肚の神様」の意図はどうも権力の奪取ではなく、天皇の果たすべき霊的な位置に彼女が立ち、日本の国を救うことを願っておられるのだということを、次第に理解し、それを受け入れていくようになるのである。このプロセスを『生書』は、「何になろうとも、どうしようとも思われなかった教祖を、神はあらゆる方法で導かれ、教祖も次第に、国救いに対する自分自身の立場を自覚し、いよいよ行に邁進されるのであった。」(p.109)と記している。

 肚の神様は教祖に対し、「二千六百五年の昔から神が天降る所を、ちゃんと決めていたんじゃ。蛆の祭りのお旅所と同じことで、神輿を降ろす所があろうがの、今はおサヨがお旅所なのじゃ。」(p.77)とも語っている。皇紀2605年は西暦で言えば1945年、終戦の年である。すなわち、終戦の時をもって皇祖神の拠り所は天皇から北村サヨ氏に移動することが、昔から予定されていたのだということである。実はこの世界観に立つと、敗戦によって天皇が人間宣言をし、神の座を降りることは、いよいよ大神様がそれに代わって生き神になっていく上で、積極的な意味を持つようになるとも解釈できるのである。
「また同じ元日のことである。肚の神様が急に『今年は、宮城を一棟残して、みんな焼いてやる。』と言われ出した。」(p.99)
「国建広路を来いと鳴く。鶏の声でお目々が覚めなけりゃ、覚ましてやります、爆弾で。」(p.102)
「持って来い持って来い爆弾を。世根の蛆の皆殺し、文明科学をぶち壊し、我の巣(家)を焼いて蛆殺して、新国日の本、神の国をつくる。」(p.103)

 これらは日本が爆撃によって火の海となり、敗戦の憂き目にあうことによってようやく目が覚め、破壊の後で新しい神の国の建設が始まることを示唆している。そして昭和20年になってからのB29の本土爆撃を、教祖が予言した言葉であるとされているのである。

 島田裕巳は、著書『日本の10大新宗教』の中で、天照皇大神宮教は極めて戦後的な新宗教であったと解説している。
「戦前においては天皇は現人神とされ、崇拝の対象となっていた。その現人神が支配する日本という国は、『神国』とされ、神国の行う戦争は『聖戦』と位置づけられた。ところが、神国は聖戦に敗れ、一九四六年一月一日、天皇は『人間宣言』を行った。突然、神国の中心にあった天皇が神の座を降りることで、そこに空白が生まれた。サヨの肚に宿った神が、天照皇大神宮を称したのも、その空白を埋めようとしたからである。」(『日本の10大新宗教』p.90-91)
「日本の敗戦と天皇の人間宣言という出来事が起こることで、そこに生じた精神的な空白、現人神の喪失という事態を補う方向で、その宗教活動を先鋭化させた。天皇に代わって権力を奪取しようとしたわけではなかったが、空白となった現人神の座を、生き神として継承しようとした。」(『日本の10大新宗教』p.102)

 「生書」を丹念に読んでいくと、島田裕巳のこの解釈が、教団の自己理解とそれほど乖離したものではないことが分かってくる。それまで日本の国において天皇の占めていた霊的な位置を、大神様が代わって受け継ぎ、敗戦後の新しい日本を建設していくのだというビジョンの上に、天照皇大神宮教という宗教は成り立っているのである。しかしここでも、時系列の問題は残ると私は考えている。それは果たしてこうしたビジョンを北村サヨ氏が持つようになったのが本当に戦争末期のことであり、既に霊的には現人神の位置を外れていた天皇が敗戦によって「人間宣言」をすることを見越して、その位置に自分が取って代わることを「予言」したのか、それとも終戦後にこうした考えに至り、それを戦争末期にまで遡って「神の啓示」を受けていたというストーリーにしたのかという問題である。

 実際に『生書』が書かれたのは戦後(第一巻が発行されたのは1951年)である。既にこのシリーズの第13回で述べたように、終戦後になってから「無理な戦争などやめたらよかったのに」というのは簡単である。それを言うのは当たり前であり、何の価値もない。まだ戦争が終わる前から、国民が一丸となって戦争に勝とうとしているときに、あえてその戦争の無理を訴え、神の眼をもって戦況を正確に把握して日本の敗戦を予想し、そのうち日本には軍隊はいらなくなると語るからこそ、先見の明をもった教祖の予言となるのである。戦後になって教祖が語られたことを、戦前から語っていたのだと遡って「予言」にしてしまうというのは、宗教のテキストにおいてはあり得ることである。これは天皇の人間宣言にも当てはまり、1946年1月1日の「人間宣言」を受けて、その空白を埋めるために自らが生き神となる決意をしたのが事実であり、それを戦争末期にまで遡って、皇紀2605年におサヨが神の拠り所になることを神の啓示によって知らされていたというストーリーにした可能性は残るのである。『生書』の第一巻が発行されたのが1951年である以上、この可能性を否定することはできない。しかし、聖書批評学と神学がどこまでも相容れないように、この問題も、信仰の立場をとるか、合理的な分析の立場をとるかによって結論は異なり、見解の一致を見ることはないであろう。

 『生書』が出版されたころには、既に日本が敗戦した事実は分かっていた。終戦前に辻説法を行っていた教祖に対して、聴衆が戦争の結果に対して質問したときの答えは、勝つとも負けるともはっきり言わない、はぐらかすような論法になっている。魂を磨いて自分と同じところまで上がってくれば教えてやるというのである。(p.85)「勝つ」と言えば予言が外れたことになり、「負ける」と言えば当時は非国民になってしまうのであるから、こうした表現の仕方しかなかったのであろう。

 一方で教祖自身が「肚の神様」に対して「戦争に負けるのか」と問うたときの答えは以下のようなものである。
「『いや、絶対に負けやしない。世界の指揮者になる。指揮者とは、よその国まで取って治めるのじゃあない。魂で慕われる国になるのじゃ。なにも欲張って、よその国まで取る必要はない。お隣はお隣であるのがよい。宇宙の絶対神に向かって、みんなが仲よしこよしで、手をつないで行けばよいのじゃ。この度は、回覧板が回って来るように、世界平和、神の国建設のお役目が、日本に回って来たのじゃ。』と話して聞かされるのであった。」(p.98)

 武力によって戦争に勝つか負けるかという質問に対して、「肚の神様」はまったく別の角度から答えている。たとえ武力による戦争においては日本は負けたとしても、他国から魂で慕われるような国になれば、それは戦争に勝ったのと同じくらいの価値があるのだと言いたいのである。これは戦後の非武装・平和主義・国際協調の重視という日本の政策と基本的に一致し、それを宗教的な言葉で表現したものであると考えられる。

 私個人の考えとしては、歴史的な事実として終戦前に北村サヨ氏が戦争の勝ち負けを予言したり、戦争に反対したり、公衆の面前で国体イデオロギーを真っ向から否定したり、自分自身が天皇に取って代わるのであると公言したことはないのではないか思う。もしそうした事実があったとすれば、大本教のような過酷な迫害を受けていた可能性があるからだ。『生書』の中に記されている戦争末期の「肚の神様」からの啓示や説法で語られている内容は、教祖の胸の内にだけ秘められていたか、あるいは戦後になってから教祖が語った内容を、終戦前に遡って投影し、未来に関する「予言」にしたのではないだろうか。

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『生書』を読む14


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第14回目である。第12回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。ここから「肚の神様」の本心が前面に出てきて、日本の国や戦争に対する考え方に変化が見られるようになった。その変化とは、第一に天皇陛下を中心とする国体イデオロギーの否定であり、第二に戦争の批判であった。今回は、「肚の神様」が教祖である北村サヨ氏に対して自分自身をどのように開示し、さらに教祖に対してどのような自覚を持つように促したかについて分析したい。

 「生書」の記述は、ユダヤ・キリスト教の「聖書」と同様に、神と人との不思議なやりとりが含まれており、独特な言い回しや象徴による表現が多いので、よほどその世界観に通じていないとテキストの意味を正確にとらえることが難しい。「生書」が書かれた背景は、戦後間もない時代の山口県の田舎である。何百年も時代が離れているわけではなく、同じ日本語なので意味が分からないわけではないが、当時の時代的な空気、人々が常識としていた考え、田舎の文化などを理解していなければ分からない部分も多い。それでも私自身がキャッチすることのできる重要なポイントをあげてみたい。

 「肚の神様」の啓示の特徴は、段階的な自己開示である。初めは自分のことを「とうびょう」と言っていたものが、次には「口の番頭」というようになった。そして今度は「指導神」と名乗り出したのである。「肚の神様は」以下のように語っている。
「おサヨ、われ(お前)を一番初めに見た時のことを言うてやろうか。八尋石の八幡宮が、われをお産するする時、われの頭の絶頂に止まって、『みんなこれを助けえ。これを助けねば助ける者がない。』と言うてから来て見ると、われの顔じゃったが、われは昔からおもしろい女じゃったのう。その後、女神の選挙したれば、国光の神がより出し、次々とわしの家来を遣わして、われを指導させ、粗鉋(あらがんな)が済んで、仕上げ鉋(がんな)がかかったから、今度は磨き鉋(がんな)をかけに、わしが来たのじゃ。」(p.91)
「教祖は『それじゃあ、今度の神様はどなたか。』と尋ねると、『指導神じゃ。』と言われた。」(p.92)

 この記述によると、まるで大工の鉋がけように分業して、複数の神々が教祖に磨きをかけるために関わってきたことになっている。ある意味では教祖の自覚のないまま、生まれた時から神々がその教育に関わり続けてきたことになる。同じような記述は他の部分にも見られる。
「おサヨ、お前は今まで人より頭がよい、頭がよいと思うてきたろうが、生まれてから次々と、わしの家来のものを遣わして、指導をしてきたのじゃ。こうしてわしがおサヨの肚に来て、いろいろと教えてやるが、急に偉くなったと思うなよ。」(p.77)

 神の段階的な自己開示という概念は、統一原理の中にも見られる。要するに人間の心霊的な成長段階に応じて神はそれにふさわしい現れ方をして、その段階にふさわしい関係を人間と結ぼうとするということである。もともとは神と人間の関係は親子の関係であったが、人間が堕落することによって、もとは天使(僕)であったサタンに主管される存在になってしまったので、「僕の僕」の位置に落ち、神が分からなくなってしまった。そこで旧約時代には神は「主」として現れ、主人と僕という関係を人間と結ぼうとしたのである。それが新約時代には人間は「養子」の段階に引き上げられ、成約時代には「実子」の立場に引き上げられる。その度ごとに神と人間の心情的な関係は新しい段階に入っていくという考え方である。統一原理は一神教の伝統の上に立っているので、これらの神は別々の神ではなく、唯一の神が人間から見て異なる現れ方をしたという理解になる。

 一方で、聖書の「創世記」の中では、神が天使を通して人間に現れ、アブラハムやヤコブなどの聖書中の人物が天使を神だと思って対するという記述も見られる。これはまだ人間の心霊が低かったために、神が直接啓示することができず、天使を通して人間と関係をもっていたのであるとも理解できる。

 こうした観点から「生書」を読むと、はたして「とうびょう」や「口の番頭」が宇宙の絶対神の違った自己紹介の仕方なのか、それともその家来に過ぎなかったのかは、にわかに判別しがたい。宇宙の絶対神には家来のような神々がおり、それが順番に教祖に働きかけ、教育してきたのであるという理解も可能である。

 この段階での啓示の重要な特徴は、国体イデオロギーの否定に続いて、教祖を天皇陛下に取って代わる位置に立てようとする意志であった。まず、いまの天皇は生き神でも現人神でもなく、置物に過ぎず、「あさっての方を向いている」と批判している。そしていまの国体は本当の国体ではないとまで言っているのである。
「また同じ元日のことである。肚の神様が急に『今年は、宮城を一棟残して、みんな焼いてやる。』と言われ出した。教祖はびっくりして、『何を乱暴言うか。』と言われると、
『乱暴であるか、日本の国体を忘れた。日本の国体とは、この日本の国土と、天照皇大神宮と、国を守る番人の王様と、三つが一つになったのが国体じゃが、その国体を忘れて、番人の王様はあさっての方を向いてしまった。』」(p.99)

 その天皇の位置に取って代わるのがお前なのだと、「肚の神様」は教祖に語るのである。
「肚の神は、神眼をもって教祖に、目にもまばゆい玉露の玉をおしいただかせ、
『これが、天皇のみ位につく時、受け継ぐ玉ぞ。と。
今度は、目にも美しい天蓋の瓔珞を目の前に見せて、
「これが、皇后がみ位につく時、受け継ぐのぞ。じゃが、天皇のも、皇后のも人造ぞ。われ(お前)にゃ、本物をやるから行をせい。』と。(p.101)

 さらには「肚の神様」は神眼によって教祖に、王蜂を中心として集団生活をする蜜蜂本来の姿から逸脱し、王蜂が腹を返してひっくり、ひっくりしている姿を幻で見せ、以下のように語っている。
「おサヨ、これは何か教えてやろうか。

 王蜂はあさっての方に向き、今に大罰が当たるのだ。働き蜂は路頭に迷うて騒いでいる。天皇陛下のためならばと言って、命まで投げ出して、家も道具もなくしてきたのに、天皇の心は、あさっての方にそれてしまった。

 おサヨ、われ(お前)に、さあ参ろう、さあ水かぶれ、さあ心の行をせいと、やかましく言うて苦労させたが、苦をしたび(くび)に、われに生路(蒸籠)を持たしてやる。働き蜂はみなお前について来るのぞ。」(p.104)

 これらの言葉は、いまの天皇は本来の位置を外れているので、その位置におサヨを立てるのだという意志を「肚の神様」が示しているということになる。それでは、そのような大それたことを言う「肚の神様」とはいったいどんな存在なのか? それは以下の言葉から明らかになる。
「おサヨ、おれの女房の天照大神が『あなたのお国は、よく乱れましたのう。』とやかましく言うから、おれは『おお、待て待て、そのうち時が来る。』と待たしてあるから、早う行をせい。」(p.92)

 この言葉によれば、「肚の神様」は天照大神の夫であるということになる。
「『伊勢が嫌さに家まで焼いて、百姓の女房のおサヨの肚に、ぺっかと据わった上からにゃ、天が地になろうと、地が天になろうと、ひっくり返し、ひっくり返し、世根の蛆退治した上に、新国日の本神の世の、世の礎にならにゃならないおサヨの体だもの。伊勢は木灰、お伊勢、お伊勢と、おいらの名前を売って食ろうた宮司の餓鬼の飯の食い納めさせるがおもしろいぞ。』とそれを説明される。
『おサヨ、おもしろい世の中じゃろうが。伊勢の宮司のばか宮司が、おれのようなものが逃げたのも知りやがらん。

 伊勢に参ったら、昔は神々しいと言いよったが、今は神なき後の神屋敷、行ってみいや、神々しゅうもなんともないぞ。』」(p.107)

 これは、それまで伊勢神宮にいた「肚の神様」が、そこを去っておサヨの肚に宿るようになったということである。言うまでもなく、伊勢神宮の祭神は天照大神である。皇祖神である神が伊勢神宮を去って、おサヨの肚に宿るようになったので、おサヨは天皇に代わって日本の国を治める立場に立つのだということが言いたいのである。

 肚の神様は教祖に対し、「二千六百五年の昔から神が天降る所を、ちゃんと決めていたんじゃ。蛆の祭りのお旅所と同じことで、神輿を降ろす所があろうがの、今はおサヨがお旅所なのじゃ。」(p.77)とも語っている。皇紀2605年は西暦で言えば1945年、終戦の年である。すなわち、終戦の時をもって皇祖神の拠り所は天皇陛下から北村サヨ氏に移動することが、昔から予定されていたのだということである。「肚の神様」はこの段階になって、その壮大なビジョンを北村サヨ氏に告げたことになる。

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『生書』を読む13


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第13回目である。前回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。ここから「肚の神様」の本心が前面に出てきて、日本の国や戦争に対する考え方に変化が見られるようになったことは既に述べた。すなわち、「肚のもの」は教祖に対して、日本の国を超越するような話を始め、宇宙を支配する唯一神であると自分を規定したうえで、現在の天皇は傀儡に過ぎず、現人神ではないと言いだしたのである。当時の日本においては、これは国体イデオロギーの否定であり、危険思想であった。それを文字通りに口にすれば命の危険があり、家族までもが犠牲になることを承知の上で、大神様は神に命を捧げて国救いをやるという決意を固めたのである。いよいよ新宗教の教祖として立ち上がったということだ。

 昭和19年の秋と言えば、終戦まであと一年を切った頃のことである。このころ大神様は田布施の街中で黒山の人に囲まれて辻説法を始められた。大神様は浪花節のような歌説法をすることで有名になったわけだが、『生書』の82~83ページに記された数え歌のような説法は、その初期段階のものなのであろう。リズムをつけて分かりやすい言葉で世の中に訴えかけるような内容で、人の心をつかむ力があったのではないかと思われる。このときの説法では、かつて義人氏を御国のために捧げても本望と言った「軍国の母」のような戦争肯定の立場ではなく、はっきりとした戦争批判が表れている。一から十の数え歌のような説法の中には、無理な戦争をもうやめるべきだという主張が三回も登場する。
「六つともせいえ、無理な戦争しなくても、丸い丸い、真ん丸い、真珠のような真心を、天地の神に持って来りゃ、無理な戦争させはせぬ。…尊い真心持って来りゃ、無理な戦争させはせぬ。」
「八つともせいえ、やめてください、この戦いを、思うお方があったなら、天にとどろく真心、持っておいでよな。」
「十ともせいえ、尊いみ国に生れながら、神のみ教え知らぬよな、ばかな乞食が世に増えりゃ、無理な戦争もせにゃならぬ。」(p.82-83)

 この時代は太平洋戦争の末期に当たり、国民が一丸となって戦争に勝利するために忍耐し、政府による統制も厳しくなっていた時代である。そのようなときにこうした教えを流布することは、政府から目をつけられる恐れがあった。しかし不思議なことに、大神様が戦争が終わる前に治安維持法違反などの嫌疑をかけられて逮捕されたという事実は存在しない。田舎のおばさんが言っていることだということで、政府の役人もあまり気に留めなかったのだとか、実際には当時の人々には既に厭戦気分が蔓延していたので抵抗なく受け入れらたのだという解釈も成り立つが、キリスト教の『聖書』に対する学問的な研究にヒントを得て、あえて穿った見方をすれば、実際にはこうした危険な説法を戦前には行っておらず、戦後になってからの大神様の教えを、戦前に投影させたのではないかと疑うことも可能である。聖書批評学というものを知らない人には若干の説明が必要なので、いくつかの例を挙げて説明したい。

 新約聖書のルカ伝19節41~44節には、イエスがエルサレムに近づいてきたときの様子が以下のように記されている。
「いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、『もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら・・・しかし、それは今おまえの目に隠されている。いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである。』」

 この聖句は、「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。」(マタイ伝23:37~39)と共に、このときから約40年後の紀元70年に首都エルサレムがローマ帝国軍に踏みにじられ、神殿が破壊されて悲惨な破滅の時を迎えることをイエスが予言したものであるとされている。もしエルサレムがイエスを拒まなければ、そこには神の祝福と平安が訪れるはずであったのに、イエスを拒んでしまったことによって審判を受け、国が滅んでしまったという理解なのである。

 信仰をもって聖書を読めばまさしくその通りなのであるが、聖書批評学の立場からすれば、この部分は実際にはローマ軍の侵攻が起こった後に書かれ、それをイエス・キリストによる予言の成就という形で表現したものであるとされている。旧約聖書にも同じような例がある。アブラハムが三種の供え物に失敗したとき、神は「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出てくるでしょう。」(創世記15:12-14)と語っているが、これは後にアブラハムの子孫であるイスラエル民族が400年間エジプトで苦役することを予言したものだとされる。ダニエル書2:31-45には、ネブガデネザル王が巨大な像の夢を見て、それがアッシリア、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマと続くその後の世界帝国の歴史を予言したものであると解釈されている。しかし、聖書批評学の立場からすれば、このどちらも実際にはそれらの出来事が起きた後に、「こういう予言がなされていた」という「後付けの予言」として生み出されたものだということになる。これらはいずれも、実際に事が起こってから予言を書くのであるから、当たって当たり前なのである。

 「肚の神様」は、教祖に対して大本営発表では知ることのできない現実の戦況を教えたという話も『生書』には出てくる。
「『おサヨ、千里眼や、万里眼じゃだめぞ。神の眼になったらこうぞ。』と言って、日の丸の旗が風にたなびいている、それが次第に北側から消えてゆき、中の日の丸がだんだん三日月ぐらいになり、薄れていくのを見せられ、また前線の兵士たちが、髪はぼうぼうと伸び、夜叉のようになっている様を見せられ、続いてその説明をされるのであった。
『おサヨ、弾は来る、弾はない。前線の兵士はあのような苦労をしておるぞ。…ちょいちょい大本営でも発表しちょるが、本当のことを知ったら、みな目を回すぞ。

 今、国が亡びてゆこうとしているんだ。誰かが真剣に祈らねば、この国は救えぬのじゃ。祈れ、祈れ。」(p.86-87)

 国民の大部分が大本営の発表により日本は戦争に勝つと信じていた時代に、大神様は神の眼を通して実際の戦況を正確に知っており、敗戦に向かっていることを知っていたということだ。

 また「肚の神様」は教祖に対して「われ(お前)が一人前になったら、日本にゃ、兵隊のへの字も置かぬ、陸軍省も、海軍省も、憲兵隊も、何もないようにして…」(p.92)と語っている。これは、戦後の日本が軍備を持たない国になることを終戦前から予言されていたのだということになる。

 さらに昭和20年の元日に教祖が歌った歌には、「天照皇大神宮の神世に戻る。満州もいらなきゃあ、朝鮮もいらぬ。樺太もいらなきゃあ、台湾もいらぬ。日本の本土されあればよい。」という言葉が登場するが、これは日本が敗戦によってすべての植民地を失い、本土だけが残された戦後の状況をそのまま言い当てていることになる。こうした予言を文字通りに信じれば、「肚の神様」はまさしく未来を予知できる全知全能の神であり、宇宙の絶対神であるということになる。しかし、戦後になってからこれらが書かれたとすれば、実際に事が起こってから予言を書くのであるから、当たって当たり前ということになる。

 『生書』が書かれたのは戦後である。そのときになって「無理な戦争などやめたらよかったのに」というのは簡単である。しかし、それを言うのは当たり前であり、何の価値もない。まだ戦争が終わる前から、国民が一丸となって戦争に勝とうとしているときに、あえてその戦争の無理を訴え、神の眼をもって戦況を正確に把握して日本の敗戦を予想し、そのうち日本には軍隊はいらなくなると語るからこそ、先見の明をもった教祖の予言となるのである。戦後になって教祖が語られたことを、戦前から語っていたのだと遡って「予言」にしてしまうというのは、宗教のテキストにおいてはあり得ることである。私が『生書』のテキストを読むときに、その可能性を否定することはできないと思う。こうした批判的な見方は、天照皇大神宮教の信仰を持っている方々には大変失礼なもの言いかもしれないが、キリスト教においては聖書批評学という学問において、同様のことを『聖書』に対して行っているのだということを指摘しておきたい。

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『生書』を読む12


第五章 救世主の自覚と神の国の予言

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第12回目である。今回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入る。第四章までは、「肚の神様」から啓示を受けるまでは大神様には特別な思想的傾向はなく、当時としてはごく普通の愛国的な婦人であったこと、そして「肚の神様」が入った後も、しばらくの間は戦争や当時の日本政府のあり方に対する批判的なことは語っておらず、お国のために熱心に働く献身的な国民であったことを明らかにした。しかし、この章からは「肚の神様」の本心が前面に出てきて、日本の国や戦争に対する考え方に変化が見られるようになる。私としては、特にその点に注目して分析を試みたいと思っている。

 第五章の初めに語られているのは、「肚の神様」に関する奇譚の数々である。
「初め教祖の肚の中でものを言い出したものは、今度は教祖の口を直接使うようになった。頭に何も考えず口を開けば、説法や歌が後から後から尽きることなく出てくるのである。」(p.73)

 これまで「とうびょう」と言っていたものは、今度は「口の番頭」を名乗り出し、いろいろの不思議を教祖に見せたという。例えば「口の番頭」が教祖に草取りをさせ、その命じた部分では少しも力を入れずに楽に草を抜けるのに、命じた以外の部分に手を出すと、どんなに力を入れてもうまく抜けないとか、血圧の高い教祖の血圧を下げるために血を多量に下してみたり、教祖の体を前後にゆすって、一人息子の義人氏が乗った船が魚雷に沈められないように守ったり、といった具合である。

 第四章では人間としての北村サヨ氏が「肚のもの」に支配されるのではなく、それと必死に戦いながら対峙していたことが述べられていたが、第五章では「肚のもの」は直接教祖の口を使って語り出したということであるから、これはシャーマンの状態に近い。人間として必死に抵抗したとしても、時には「肚の神様」に憑依されるような状況になったことが分かる。

 ここで出てくる奇譚の数々は、宗教的なテキストによく登場するような物語であるが、それは「肚の神様」が人知を超えた不思議な力を持つ存在であることを示し、人間としての北村サヨ氏がそれを受け入れ、屈服していくプロセスとして描かれている。最初は邪神か狐か狸の類だと思って闘っていた存在が、正しい神であると認識され、それと一体となっていくということだ。

 草取りの物語は、自我を捨てて「肚のもの」と一体となれば万事うまく行くのだという教訓を示しており、あくまで「肚のもの」が主体であり、人間である北村サヨ氏は対象であるという各位が示されている。このときから「肚の神様」は主体として北村サヨ氏を教え諭し、「思いもよらないようなこと」を言い出すようになったのである。人間としての北村サヨ氏の思想は、当時の国体イデオロギーから外れるものではなかったし、日本という国を離れたり、超越したり、批判的に見るような視点はなかった。しかし、あるときから「肚のもの」は教祖に対して、日本の国を超越するような話を始めたのである。
「おサヨ、天照皇大神宮というのは、日本小島の守護神として思うなよ。宇宙を支配する神は一つしかありゃしない。キリストの天なる神、仏教の本仏というのもみな一つのものぞ。われら(お前ら)が南瓜を、かぼちゃと言うたり、とうぶらというのと同じじゃ。じゃからこの日の本の国をなくするような神はおりゃしないが、天にはえこもひいきもありゃしない。神の肚に合わぬ者が神の敵じゃ。」(p.76-77)

 後に教団の名称となった「天照皇大神宮」は、そもそもは伊勢神宮の内宮の別名である。その祭神は天照大御神であるから、まさに日本神話の主神であり、皇室の先祖に当たる神道の中心的な神である。「肚のもの」は、それを日本に限定された神ではなく、キリスト教や仏教をも包含する、宇宙を支配する唯一神という概念に拡大させてしまったのである。ここではかぼちゃという身近な素材が例として用いられているが、これはイギリスの神学者ジョン・ヒック(1922-2012)が著書『神は多くの名前をもつ』の中で言ったことと本質的に同じである。すなわち、どんな宗教にも神はいるのだが、その神は別個のものではなく、神がたくさんの名前をもったにすぎなという考え方である。いまでこそエキュメニズム、超宗派運動、宗教多元主義などの出現によってこうした考え方は広く知られるようになったが、当時としては画期的な考え方であっただろう。

 これは「肚の神様」が日本を相対化し、それを超越した存在であることを示しており、人間北村サヨ氏に対しても同様の飛躍を要求するものであった。すなわち、それまでは皇国日本の価値を信じ、日本が戦争に勝つことが神の願いであると信じていた教祖に対して、「天にはえこもひいきもありゃしない。神の肚に合わぬ者が神の敵じゃ」と言ったのである。これは日本は無条件に神の側にある特別な存在なのではなく、神の肚に合わなければ神の敵になることもあり、戦争に負けることもあるのだという意味である。模範的な日本人であり愛国的な婦人であった北村サヨ氏からすれば、これを受け入れることは一つの自己否定であっただろう。

 「肚の神様」が当時の軍隊や銃後の国民について語った部分は、内容的には以前とあまり変わらない。要するに戦地で苦労する軍人がいる一方で、それに乗じて内地で闇取引きをしたり私腹を肥やす者がいることを非難している。同時に、軍の中にも利己的な行動をする者がいることを非難している。ここまでは一つの倫理的な発言として、当時の規範に反するものではないだろうが、その次に語られたことはまさに革命的であった。
「また非常に驚いたことに、それまで大君のためなら、天皇陛下のおんためならと、一人息子を捧げて悔いなかった教祖に、天皇の悪口を話し出したのである。
『天降って根の国を治めよ、と言った天皇の子孫がのう、二重橋から四重橋、六重橋までかけて、箱入りになり、釘止めにされて、目ばりされて、天井に放り上げられ、置物になったのが今の蛆の天皇じゃあないか。天皇は生き神でも現人神でもなんでもないぞ。』」(p.79)

 これは天皇を根本的に否定しているわけではないが、現在の天皇は傀儡に過ぎず、現人神ではないと言っている。「蛆の天皇」に至っては不敬罪に当たるであろう。いまや「肚の神様」は、国体イデオロギーを否定する存在となった。当時としては十分に危険思想と言えるだろう。それを口にすることはあまりにも危険だったので、平井氏は教祖の身の上を思って、皇室の悪口だけは言わないように諭したという。しかし、それで臆して信念を曲げるような教祖ではなかった。実はこの問題は、教祖として立ち上がっていく上で一つの試金石となり、決断を迫るものとなったのである。「肚のもの」は次のように言った。
「おサヨ、われ(お前)がこうして、あちらこちらで皇室の悪口を言うて歩いていると、われはいつか捕まえられて死刑になる。義人は責任を感じ、腹を切って死ぬる。清之進は気が違って死ぬる。われのところの目腐れ財産は、親戚の者が分け取りにする。」「誰かが犠牲になって、国救いをやらにゃあこの国は救えないのじゃが、どうか。」(p.80)

 ついに「肚のもの」は殉教や家族の犠牲を示唆してきた。これに対して教祖はそれを受けて立つ決意をする。
「ようし、自分が死に、家の者が死に、自分のところの目腐れ財産がなくなるくらいで、この国が救えるなら、どうぞこのまま使って給え。」「槍でも鉄砲でも来い。神がいる者ならば生かして使う、いらない者なら、いつ死んでも惜しくない」(p.80-81)と心に誓い、神に命を捧げて国救いをやるという教祖の肚は決まったのである。

 この辺のくだりは、表現こそ日本的な浪花節風の言葉遣いにはなっているが、ユダヤ・キリスト教の『聖書』における預言者の召命や、信仰による迫害を甘んじて受ける信徒の決意に通じるものがある。モーセにしてもエレミヤにしても、神の召命を受けたときには、それが自分に世俗的な幸福をもたらすものではなく、むしろ苦難や迫害をもたらすことを知っていたため、一度は召命を受け入れることを躊躇した。それでも敢えて神の命令に従うことを決意したのが預言者と呼ばれる人々である。イエスは弟子たちを宣教に送り出すとき、「人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。…またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。…またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう」(マタイ伝10:17-22)と語っている。また、キリストに従うことは十字架を背負うことであるとも言っている。

 大神様にとって、国体イデオロギーとの決別は、既存の宗教伝統、文化、社会的常識を打ち破って新しい信念体系を打ち立てるということであり、新宗教の教祖としての主体性を明確にしたということであった。

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『生書』を読む11


第四章 神の御指導の続き:正神と邪神

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第11回目である。第九回から「第四章 神の御指導」の内容に入ったが、今回は突然語りだした「肚の神様」を大神様がどのようにとらえ、どのように関わっていったのかという、葛藤のプロセスについて深く考察したい。

 既に述べたように、大神様は最初「肚の神様」を邪神か狐か狸の類だと思い、それを落とそうとした。これは周囲の人々が邪神と疑ったばかりではなく、教祖自身もはたして自分に語り掛けてくる神がいかなる神なのか判断がつかず、疑ったということである。教祖とて生身の人間である。突然自分に降りかかってきた人生を変えるような出来事に当惑するであろうし、自分が出会った神が本物が偽物か見極めようとするのは当然である。さらに、修行に伴う精神的な覚醒状態や高揚は、教祖を精神的に不安定にさせる可能性がある。霊的なものに完全に憑依されて自我を失ってしまえば、人格の崩壊をもたらすかも知れない。こうした試練を乗り越えて、霊的なものと地上の常識的なもののバランスをうまくとれるようになってこそ、教祖として人々を導いていくことができるのである。大神様は、啓示の初期におけるこうした葛藤について、松本千枝という国民学校の教師に対して以下のように語っている。
「千枝、わしにゃあどうも行の邪魔をするものがおっていけない。じゃが間もなく、正神邪神の戦いを通り越して、正神のみに使われるようになるからのう、そうしたら地上に天国、神の国を、一緒につくろうのう。」(『生書』p.70)

 大神様は北村サヨという一人の人間として、「肚のもの」に支配されるのではなく、それと必死に戦いながら対峙していたことが分かる。自分には正神と邪神の両方が働いていると自覚し、行によって正神のみが働く存在になることを目指していたということだ。一方で「肚の神様」の方は、人間北村サヨを手懐けようとして必死に働いたようである。
「肚の中で五月の四日から急にものを言い出したものは、あらゆる手段を尽くして、性格の強い教祖を、言うとおりにさせずにはおかなかった。」(p.71)

 大神様は肚の中のものを邪神だと思って戦うプロセスもまた、行の一環としてとらえていたようである。そのことの意味については以下のように語っている。
「世の行をする者は、その行の途中、少しでも霊能があり出すと、すぐ増上慢を起こして生き神様になって、邪道に落ちてゆくが、わしの場合は、みんなとは確かな神様がついちょったから、世の中の邪神つきみたようにぼけて、人間の道に外れたようなことはさせなかった。」(p.72)

 ある意味で、北村サヨという個人の自我がしっかりしていたので、啓示を下す霊的存在にただ飲み込まれるのではなく、それとうまく対峙しながらバランスをとることができたがゆえに、教祖たることができたのではないかと思われる。このような修行における試練、葛藤、そして陥りがちな霊的な過ちは、宗教の世界には普遍的に見られる現象であり、代表的なものとしては禅宗の瞑想修行における「魔境」があり、キリスト教における「悪霊の業」がある。『原理講論』では「善神の業と悪神の業」「終末に起こる霊的現象」という項目の中で、こうしたことが説明されている。

 仏教における修行の一環として行わる瞑想は、「止観(しかん)」と呼ばれる。これは「止」の字が示す如く、なにか特定の対象を定めてそこに精神を集中し、心の動きを極力止めんとする瞑想法のことである。この瞑想法に熟達すると、人は強力な集中力を得ることができるようになり、「三昧(さんまい)」と呼ばれる精神状態に至るとされる。修行者はそのプロセスにおいて尋常ならざる恍惚感、多幸感、覚醒感を覚えることがある。こうした現象は瞑想修行者に多く見られることなのだが、一つの落とし穴として、そこで体験した尋常ならざる感覚、経験などに舞い上がり、この体験に執着し、瞑想に異常なまでに固執するようになる者がいるという。瞑想中に経験した恍惚感あるいは覚醒感などが強烈であればルほど、それをもって自身が行っている瞑想法の正しいことの証明とし、異常にのめり込んでいくのである。

 しかし、そのような経験や感覚自体は、自身が行っている瞑想法の正しさや、悟りに近付いていることを証明するものではなく、仏教の修行においてはこれを伝統的に「魔境」と呼んできた。要するに魔境とは、修行によってもたらされた特殊な精神状態に異常なまでに執着することを意味する。瞑想修行者の中には、自らのわずかな瞑想体験に基づいて、その瞑想法が絶対無二であり、またその体験へと導いてくれた師の指導法・指導内容は至上のものである、という思考を持つ者が現れる。その結果、自分が学んだ以外の瞑想を認めない、認められないという愚を犯す者が多く認められるというのである。瞑想によって浄められた「はず」の心が、自身が知っていること、信じていること以外のものを受け入れられなくなって、ときには攻撃性すら伴う、強い排他性を持つことがよくある。

 また、瞑想に長けている、その指導方法が優れているからといって、その人の人格が優れているとは必ずしも言えない。瞑想修行の指導者や長年の修行者の中には、高慢・傲慢な性格を醸成してしまっている者がしばしば見られることが、仏教者自身によって指摘されている。これでは何のために瞑想修行をしているのか分からない、本末転倒の状態に陥ってしまうので、そうならないように戒められているのであるが、実際にはこの落とし穴に陥ってしまう修行者は多いという。大神様はある意味でこうした「魔境」と闘っていたと言えるであろう。

 大神様の言葉の中に出てくる「正神邪神の戦い」という概念に近いものが、家庭連合の教理解説書である『原理講論』の中にも登場する。それは堕落論の第四節に出てくる「善神の業と悪神の業」という内容である。その説明は以下のようになっている。
「善神というのは、神と、神の側にいる善霊人たちと、天使たちを総称する言葉であり、悪神というのは、サタンと、サタンの側にいる悪霊人たちを総称する言葉である。善と悪とがそうであるように、善神の業と悪神の業も、同一のかたちをもって出発し、ただその目的のみを異にするものなのである。

 善神の業は、時間がたつにつれてその個体の平和感と正義感を増進せしめ、その肉身の健康をも向上させる。しかし、悪神の業は、時間がたつにつれて不安と恐怖と利己心を増進せしめ、また健康をも害するようになる。それゆえに、このような霊的な業は、原理が分からない人にとっては、それを見分けることが非常に困難であるが、時間が経過するに従って、その結果を見て、その内容を知ることができるのである。しかし、堕落人間は、神もサタンも、共に対応することのできる中間位置にあるので、善神が活動する環境においても、悪神の業を兼ねて行うときがある。また悪神の業も、ある期間を経過すれば、善神の業を兼ねて行うときがときたまあるから、原理を知らない立場においては、これを見分けることは難しい。今日において多くの聖職者たちが、これに対する無知から、善神の働きまでも悪神のそれと見なし、神のみ旨に反する立場に立つようになるということは、実に寒心に堪えないことといわなければならない。霊的な現象が次第に多くなる今日において、善神と悪神との業の違いを十分に理解し、これを分立することができない限り、霊人たちを指導することはできないのである。」(三色刷『原理講論』p.120)

 大神様が誕生し、「肚の神様」から啓示を受けた時代は、まさに地上にメシヤが誕生し活動を開始する「終末時代」であった。『原理講論』では、この時代に霊通する人が多く現れるようになるとしている。天照皇大神宮教の出現は、統一原理によればまさにこのような背景のもとに説明することができるのだが、こうした啓示を受ける人々は、ある試練を受け、過ちを犯しやすい傾向にあるという。このことは、復活論第二節の「終末に起こる霊的現象」という項目の中で説明されている。それは終末には、「あなたは主である」という啓示を受ける人たちが多く現れるため、このような人たちがしばしば、自分が再臨主であると誤解してしまう場合が多いということである。『原理講論』によれば、彼らは「各自の使命分野における再臨主のための時代的代理使命者として選ばれた」者に過ぎないのであって、再臨主自身ではない。しかし神は彼らを激励するために「あなたは主である」とか「あなたが一番である」という啓示を下さるので、自分が再臨主だと思って行動すれば、偽キリストの立場に立つようになるというのである。終末になると偽キリストが多く現れると預言された理由も、多くの霊通者たちが現れ、彼らが相互に衝突と混乱を起こすようになる理由も、まさにここにあるのである。

 大神様が行のプロセスにおいて「増上慢」「邪道」「邪神つき」といったものと闘い、人間の道を外れないようにしながら神行の道を極めようとしたのは、まさにこうした修行者として受けるべき普遍的な試練や誘惑との闘いをしていたのだと理解することができる。

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