Web説教「信仰による家族愛の強化」07


 3月31日から「信仰による家族愛の強化」と題するWeb説教の投稿を開始しましたが、今回はその7回目です。前回は家庭連合の結婚観について、旧約聖書の創世記1章17節の聖句を中心として説明しました。「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」とあるように、そもそも人間が男性と女性に造られたのは、神様ご自身の中に陽と陰、プラスとマイナスがあり、それが二つに分かれて出てきたのです。したがって、一組の男女が結婚するということは、神から分かれた二つの宇宙が出合って、神に似たものとなるということなのです。このようにして夫婦となり、愛を完成させることが結婚の本来の目的だったのです。

祝福式

 このような結婚の理想を、私たちは「祝福式」というものを通して実現しようとしています。では家庭連合で行っている祝福式とはいったい何であるかと言えば、それは「神を中心とした結婚」をするということであります。ではどうして、自分が好きなように結婚するのではなくて、神様を中心において結婚をしなければならないのでしょうか?

恋愛の自己中心性

 それはいわゆる恋愛というものが、基本的に自己中心的な性質をもったものだからということになります。いわゆる男性が女性を好きになる、女性が男性を好きになるというのはどういうことかというと、男性ならば「こういう女性がいいな」という欲望があります。たとえば美人で、かわいくて、スタイルがよくて、従順でといったようなタイプの女性を好みます。これは要するに、自分がこうであって欲しいという願望を相手に投影しているということになります。

 一方で女性の方も、背が高くて、ハンサムで、やさしくて、高給取りで、といったようなタイプの男性を好むとすれば、これも自分の願望をかなえてくれるような男性がいいということなのです。このような願望を男女がお互いに投影しあって引き合うということになるわけですが、結局それは、自分の欲求を相手にぶつけ合っているのであり、自分の欲求にかなう人のことを「好き」とか「愛している」と言っているのです。これは究極的には自己中心的な動機に基づくものであると言わざるを得ません。

愛に永遠性がない

 したがって、このような恋愛には「変わらない愛の中心」というものが存在しません。ですからその愛に永続性がないのだということになります。もっと素敵な人が現れたら心が変わってしまうかもしれないし、相手の実態が分かって幻滅してしまうかもしれないし、結婚した後で自分の欲求が変わるかもしれません。このような一時的な高揚感というものは、長続きしないわけです。

真の愛に基づいた結婚

 そこで私たちは、真の愛に基づいた結婚をすべきであると考えています。それでは真の愛とは何かというと、神様を中心とする愛、神様を動機とする愛であり、相手の為に生きる愛です。夫は妻の為に生き、妻は夫の為に生きるという、お互いの為に生き合う愛です。それは一時的な感情の高揚や打算を超えた愛であり、献身的で犠牲的な愛ということになります。このような愛を築いていくことが幸せな結婚の基盤になると、私たちは考えています。それでは、このような「祝福結婚」というものを体験したあるカップルの証しがありますので、それを聞いてみましょう。なお、以下の内容は「世界平和統一家庭連合公式チャンネル」で公開されている動画から掘り起こしたものです。

「夫の遺言書 村田恵子
 若いころの私はとても嫉妬深い女性でした。好きな男性が女性と話していれば、夜も眠れないほど嫉妬しました。好きになる男性は決まって、今でいうイケメンでした。自分も決して美人ではないのに、相手には高望みばかりしていました。

 そんな私も30歳で結婚しました。理想の男性ではありませんでしたが、神様が与えてくれたと信じたのです。私が『理想の男性』につくり変えてあげればいいんだと思いました。私よりも2歳若いのにもかかわらず、夫は年寄くさい外見でした。

 『黒縁の眼鏡が悪いのよ』といって、金縁に変えたら、いい顔になりました。髪を短くカットしてあげたら、薄い髪も目立たなくなりました。白と黒の服しか持っていない夫に、カラフルな服を着せてあげました。話し方や仕草に対しても私が口うるさく指導していきました。夫は私に何を言われても、笑いながら聞き入れてくれました。そんな夫を見るたびに『嫌な女だと思われている』と感じ心が痛みました。

 銀婚式をお祝いした後、夫がしみじみと語りました。『ぼくはね、絶対に遺言書を書いておこうと思っているんだ』『財産なんてないのに、何を書くの?』『内緒だよ』きっと私への苦言を書くのだろうと思い、気持がふさぎました。

 数日後、夫の机で『遺言書』を発見! こっそり覗くとこう書かれていました。『恵子さん、長い間、ぼくと遊んでくれて本当にありがとう。ぼくと仲良くしてくれて、大切にしてくれて、本当にありがとう』

 私は夫を『理想の男性』に変えようと、口うるさく言ってきました。しかし夫にとってそれは『仲良しの楽しい遊び』だったのです。『自分を大切にしてくれている』と感じていたのです。なんと純粋な、そして広く大きい心の持ち主だったのでしょうか!

 あまのじゃくな私は、今でも時たま、夫の服装などについて注意してみます。いくら激しく言っても、夫は『恵子さんありがとう、愛しているよ』と答えます。歳をとった今、一番うれしいのは夫の優しさと変わらない愛なのです。

 『結婚は、私のためではなく、相手のためにするものです』 文鮮明」
https://www.youtube.com/watch?v=D8T8k0Qa1m8

 いかがでしょうか。この祝福結婚を受けた人というのは、最初から立派な人だったということではなくて、ごく普通の人だったのでありますが、信仰を持って夫婦関係を築いていくなかで、次第に幸せになっていったということなのです。

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Web説教「信仰による家族愛の強化」06


 3月31日から「信仰による家族愛の強化」と題するWeb説教の投稿を開始しましたが、今回はその6回目です。前回は夫婦関係と親子関係というのは実は深いところでつながっていて、夫婦関係に問題があるとそれが親子関係に現れてくると指摘している専門家の見解を紹介しました。いまの日本が抱えているもっとも本誌的な問題は、良い夫婦関係のモデルがないことであり、男と女の仲が悪くなっていることだというのです。

 これまで「親子の愛」と「夫婦の愛」の話をしてきましたが、家族とは一体何かといえば、「親子の愛」と「夫婦の愛」があり、この二つが合わさったときに家族の絆が生まれるということなのです。この二つの愛を信仰によって強化することこそが、家庭連合が存在している目的なのです。

家庭連合の結婚観

 それではこの二つの愛のうち、夫婦の愛を私たちはどのように築いていこうとしているのでしょうか?

 それを説明するために、家庭連合の結婚観についてしばらく話をしたいと思います。旧約聖書の創世記1章17節には、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」と書いてあります。

 私はアメリカでキリスト教神学を学びましたが、この「神のかたち」と日本語に訳されている部分は、ラテン語では“Imago Dei”と言います。英語にすれば“Image of God”になります。これは、人間は神様にそっくりに造られたのだということが要するに言いたいのです。そのように神様にそっくりに造られた人間だから、尊厳性があるということになり、それが人権思想の根本になっています。したがって、創世記1章17節はキリスト教の人間観においては非常に重要な聖句なのです。

 その「神のかたち」の内容については、キリスト教神学ではいろんな説があって大論争をしてきました。すなわち、どういう点で人間は神様に似ているんだろうかということを議論し合ったのです。ある人は、「それは理性である」と言いました。神は全知全能の存在であり、その偉大な理性の一部を頂いている人間は、合理的な存在であるという点において神様に似ているんだと主張した神学者もいました。頭のいい人はだいたいこういうことを言うのです。

 そのほかにもいろいろと「あーでもない、こーでもない」と言ったのですが、いろいろと論争をする前に、聖書を素直に読んでみましょう。聖書には「すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」と書いてあるんですから、「男と女である」ということがすなわち「神のかたち」なんだということになります。素直に読めば、そういう意味になるのです。しかし、これはいったいどういう意味なのでしょうか?

 通常、西洋のキリスト教において神様という存在につける修飾語は、唯一、絶対、完全無欠、全知全能といったような言葉です。もし神様の最も中心的な属性が、「唯一、絶対、完全無欠、全知全能」であったとするならば、それにそっくりに造ったら人間はどのような姿になるでしょうか? 唯一なんですから、一種類の人間でいいですね。そして絶対で完全無欠でありますから、一人で完成している、誰の助けも必要としないような、自立した完璧な中性人間を一つ造れば、それが一番神に似ているだろうという話になります。

 ところが実際に神に似せて人を造ったら、完全無欠の中性人間にはならずに、男というどこか中途半端な存在と、女というどこか中途半端な存在に分かれて出てきたというのであります。そして男女をよく観察してみると、どうも男が得意なことは女は苦手で、女が得意なことは男は苦手なようになっているのです。すなわち男と女は、互いに補い合うような関係、すなわち相互補完的な関係になっているのです。

 男と女は、わざわざそのように性質を分けて造られており、必然的に助け合わなければ生きていけないような属性をもって造られているのです。これが何を意味しているのかというと、人間は単独で何でもできて生きる存在なのではなくて、他者との関係において生きるように、そもそも創造されているということです。この他者との関係において助け合って生きることを「愛」と言ったわけです。ですから人間は愛し合わなければ生きられないし、男女が愛し合わなければ繁殖さえも出来ないように人間を創造されたということになります。これはいったい何を意味しているのでしょうか?

 それは神様の最も中止的な属性は唯一でも、絶対でも、完全無欠でも、全知全能でもなくて、「愛」であるということなのです。ですからそれに似せて造った人間は、愛さなければ生きていけない、愛さなければ存在できないようにそもそも造られているのです。その愛を表現するのが、「男と女」というペアシステムだというのです。

愛し合う夫婦の中に神が臨在される

 したがいまして、男性と女性が愛し合っている姿は神様に似ているということになりますから、そこに神様が臨在されるということになります。愛し合う夫婦のど真ん中に神様が臨在されて、男女の愛に神の愛が増し加わって、さらに高い愛の世界に入っていきます。そのとき、男性は女性を通して神に出会うのであり、女性は男性を通して神に出会うのです。ですから、結婚している男性は妻という存在を通して神に出会わなければなりません。妻の背後に神様を感じなければならないのです。また逆も然りであり、結婚している女性は夫という存在を通して神に出会わなければなりません。夫の背後に神様を感じなければならないのです。

男性と女性は神の半分を代表

 そもそも人間が男性と女性に造られた意味が何であるかというと、もともと神様ご自身の中に陽と陰、プラスとマイナスがありまして、それが二つに分かれて出てきたのが人間の男と女であります。ですから、一人の男性は宇宙の(陽性の)半分を代表すると同時に、神様の半分を代表し、全人類の男性の代表として立っています。そして一人の女性は宇宙の(陰性の)半分を代表すると同時に、神様の半分を代表し、全人類の女性の代表として立っています。したがって、一組の男女が結婚するということは、神から分かれた二つの宇宙が出合って、神に似たものとなるということなのです。このようにして夫婦となり、愛を完成させることが結婚の本来の目的だったのです。
(次回に続く)

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Web説教「信仰による家族愛の強化」05


 3月31日から「信仰による家族愛の強化」と題するWeb説教の投稿を開始しましたが、今回はその5回目です。前回は下重暁子さんという人が書いた『家族という病』という本の内容を紹介しました。この本は、「幸せな家族」というのは幻想だ、そして「家族は素晴らしい」は欺瞞だということを主張した本なのですが、よく読んでみれば、下重さんは本心では家族とつながりたかった、でもそれができなかったことを後悔していることが分かります。この『家族という病』というタイトル自体が、現代の日本人に対する一つの挑戦であると思います。すなわち、家族自体が「病」なのではなく、家族の心が通じないことが「病」なのです。

 家族の心が通じないと、実は本当に病になるということを、精神医学の専門家たちが指摘しています。特に日本の家庭の場合には、夫婦の精神的な結びつきを強くするのが伝統的・文化的に得意ではありませんでした。ところが、この夫婦関係と親子関係というのはバラバラではなくて、実は深いところでつながっていて、夫婦関係に問題があると、それが親子関係に現れてくると多くの専門家が指摘しているのです。

 世界乳幼児精神保健学会理事であり、日本支部会長を務めた渡辺久子先生は、慶應義塾大学医学部小児科専任講師も務めていますが、簡単に言えば「子どもの精神科医」ということになります。これまでさまざまな精神的な問題を抱えた子どもたちを診てきた先生は、以下のように語っています。
「日本でいま引きこもりの若者の数は推定100万人以上に上ります。しかも表には出ませんが、引きこもりはエリート家庭に多く、ほとんどは男の子です。その背景には内助の功で夫の社会的成功を支えた良妻賢母に対し、実は夫の理解がなく我慢してきた母親がいます。とにかく、日本の家庭は夫婦の仲良い姿を子供に見せられていないことが最大の弱点です。」

 渡辺先生は、「戦後の日本には、良い夫婦関係のモデルがなかった。」と言います。
「父母の仲が悪かったのを見て育った息子は、自分を産んだ母親を幸せにしようと思って、母親との心の臍の緒が切れない。そうなると、おふくろの味が一番良いと思うと、妻に自分の本音をぶつけて妻をけなすことになる。すると妻は面白くないから、自分の子供にのめり込んで、夫婦の冷たい関係を見て次の世代が育つ。そのようにして、男女のちぐはぐな関係が世代間伝達しているのが日本の現状ではないでしょうか。」
「私のところには、非常に夫婦関係の悪い方たちが来られます。その結果、子どもが2年、3年も引きこもっているのです。そうした状況では、お父さんにも必ず来ていただきます。ご夫婦で来ていただき、何とか和解していただきたいと思ってお話しします。

 『お二人は水と油という感じがします』と率直に言います。すると二人とも、『実はそうなんです』と率直に答えます。そこで私が二人に、『ここで握手をしてください。』といって実際に握手をしてもらい、『どう思いましたか?』と聞くと、ご主人は『こういう感覚は久しぶりです』というのです。本当はメンツを捨ててお互い仲良くなりたいと思っているのです。でも、いろんな思いがあってそれが素直にできないのです。

 そこで、『毎日、家に帰ったら、ただいまと言って握手しませんか』『握手するだけでなく、お互いに目を見て「お帰りなさい。お疲れさま」と言いませんか』とアドバイスするのです。ある家庭では、3年くらい引きこもっていた子がこれによって回復して元気になりました。」

 精神科医といえば、薬を与えて治すというイメージがあるのですが、こういう方法で治療している先生もいるのです。もっと重い症例もあります。幻覚妄想状態の女の子を抱えた夫婦に揃って来てもらったときの話です。
「お父さんが一生懸命話しているとき、お母さんが壁を向いているのです。夫婦仲が良いと、お母さんがお父さんの顔を見ています。そこで私は最後に『二人で握手してください』と言いました。お父さんは私の前で『良い父親』を印象づけようと思って手を出しました。しかし、お母さんはさっと手を引っ込めたのです。そして二人の動きがそこで止まるのです。

 私は、お父さんを椅子ごと引きずって、お母さんと向き合わせたのです。そしてお父さんに対して、『この人が手を後ろに回すのには訳があるんです。命がけで家庭を築いたのに、それを受け止めてくれなかった人がいるから、かつての愛が憎しみになっちゃったんですよ』と言ったのです。するとお母さんの目から涙が滝のように流れ落ちました。」

 この奥さんは、相当我慢してきたのでしょう。それで、渡辺先生の言葉が心の琴線に触れたので、溜まっていたものが涙となって出てきたのだと思います。渡辺先生は続けます。
「私は毎日お父さんが仕事から帰ってきたら、必ず握手をするようにという宿題を出しました。そのとき、お互いにしっかりと目を見るようにと言ったのです。その結果、夫婦の間に人間同士の和やかさが出てくるようになり、その空気があっという間に子供に伝わって、子供の自殺願望がなくなり、薬を飲む必要もなくなりました。

 日常的に大人がいい挨拶、思いやりのハーモニーを見せておくと、ちょうど、よい音楽を聞いているかのように体の中に入ってきて、よい音楽を奏でるようになります。『躾ける』というのは必ずしも意識的にやる必要はなくて、いいものにさらしておくことが大切です。

 お母さんがお父さんに包まれている感じがあると、母性が豊かになるんです。つまり『真の父性』がある環境にお母さんが置かれていると大丈夫です。赤ちゃんと一緒にいるお母さんは不安の塊です。そのお母さんを包むのが、お父さんの父性です。女性や子供を守って危険と戦う。つまり大切な愛おしい命を守る。それが父性でした。しかし今の日本の家庭は『親父は元気で留守がいい』になっているので、『夫婦のハーモニー』を見せることができない家庭を作ってしまったのです。」
「信頼に基づいた夫婦の性関係がうまくいっていない時は、その家族は一見どんなによく見えても、信頼関係は腐っていきます。若者たちが結婚しなくなっている背景には、両親のいがみ合う姿を見ているということがあります。それを率直に話してくれる子が多いです。

 オランダでは夕方6時に家族が全員帰って、食卓を囲むのです。それを守らないと次の世代が育たないからです。日本は真逆の実験をやっているわけですね、残業や単身赴任、経済が中心で、家庭が脇に追いやらてきました。」

 また、津田塾大学教授の三砂ちづる先生は以下のように語っています。
「この国で一番大変な問題は、実は、男と女の仲が悪くなっていることです。上の世代は下の世代を結婚させないばかりか、『結婚しても何もいいことはない』と、結婚、妊娠、出産に対するネガティブな情報を発信し続けた。肯定的な情報を発信して来なかったわけですから、その娘、息子世代が結婚しないのは当然だと思います。

 少子化対策は保育所の増設であるというのは、ほぼ神話に近いのです。保育所をつくれば女性がたくさん子供を産むという、『実証的』な研究調査データはありませんから、騙されているようなものです。

 私たちは男と女が生きていくとか、妊娠・出産について肯定的に語る語り口を2世代、3世代にわたって共有して来なかったのではないかと思います。」

 このように、いまの日本が抱えている問題の本質は、夫婦関係がよくないことと、それに伴って結婚や家族に対して肯定的なメッセージよりは否定的なメッセージが語られることが多いことにある、ということを鋭く指摘している専門家たちがいるのです。

信仰による家族愛の強化

 これまで「親子の愛」と「夫婦の愛」の話をしてきましたが、家族とは一体何かといえば、「親子の愛」と「夫婦の愛」があり、この二つが合わさったときに家族の絆が生まれるということなのです。この二つの愛を信仰によって強化することこそが、家庭連合が存在している目的なのです。
(次回に続く)

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Web説教「信仰による家族愛の強化」04


 3月31日から「信仰による家族愛の強化」と題するWeb説教の投稿を開始しましたが、今回はその4回目です。前回は近代以前の日本社会における男女の愛のあり方について論じた後に、いま日本の家庭が抱えている危機について、さまざまなデータを用いて解説しました。具体的には、離婚の「高止まり」、児童虐待、少子化、超高齢化社会、人口減少、若者たちの晩婚化、未婚化、そして非婚化の問題を取り上げました。

 これらはさまざまな現象として表れたものでありますが、最近は家族は大切であるという価値観そのものが脅かされている、挑戦されていると言ってよいと思います。下重暁子さんという人が書いた『家族という病』という本がベストセラーになりました。

家族という病

 この本は、「幸せな家族」というのは幻想なんだ、そして「家族は素晴らしい」は欺瞞であるということを主張した本なのですが、これが大変多くの人の共感を呼ぶようになったのです。私はこれはいったいどんな本なのかと思って読んでみました。この『家族という病』という本の中で著者の下重暁子さんが主張している内容は以下のようなことです。
・私たちは家族のことを知っているつもりでも、実はよく知らない
・私自身、父、母、兄がいたが、彼らのことをよく知らなかった
・一番近くて遠い存在が家族
・日本人は家族を妄信している
・家族間でも暴力事件や殺人事件は起きる
・結婚できない男女が増えたのは、親離れ・子離れができないから
・家族の期待は最悪のプレッシャー
・夫婦でも理解し合えることはない
・家族の話はしょせん自慢か愚痴
・家族ほどしんどいものはない
・家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り

 私はよく家族写真入りの年賀状を送るものですから、何か否定されたような気持になりました。これは要するに下重明子さん個人の考えを連綿と書いた本なのですが、本の中にどうして彼女がこういう考え方に至ったのかについてが、自分の個人史として書かれています。

下重さん家族関係

 下重さんの両親は再婚同士だったということです。下重さんにとってお父さんがどういう存在であったかといえば、「落ちた偶像」でありました。もともとお父さんは軍人でした。陸軍の将校として格好よく馬に乗って出勤していく父親の姿は、幼い少女だったころの下重さんにとっては憧れでありました。ところが敗戦によって軍人は公職から追放されてしまいます。このあたりからだんだんと家族関係が厳しくなっていくわけです。

 終戦当時に思春期を迎えた若者たちというのは大変だったと思います。なぜならば敗戦によって昨日までこれが正しいとされていたことがガラッと変わり、価値観が180度変わってしまったからです。ですから大人たちは昨日と今日でまったく言うことが違うので、信じることができなくなったのです。大人の権威が地に落ちた時代に、彼女は生まれたことになります。そのことが原因で、下重さんは父親に反抗するようになったのです。

 再婚同士なので、その父親には前の奥さんとの間に男の子がいました。下重さんにとってはお兄さんに当たります。このお兄さんが父親と大喧嘩をして、暴力沙汰にまでなってしまったものですから、家にいられなくなり、祖父母の家に預けられるようになりました。それ以来、もともと一緒に暮らしていたこのお兄さんとは疎遠な関係になってしまいます。

 下重さんの母親がどんな人であったかといえば、古風な人でありまして、「娘のためなら何でもする! 暁子命!」といったように、ふんだんに愛情を注ぐ人だったのでありますが、それを下重さんは「疎ましい」と思うようになりました。もう自分のことは構わないで欲しいと思うようになり、聡明だった彼女は、自分の力で生きていくんだ、自立した女性になるんだ、と決意して家を出ます。そしてNHKのアナウンサーになって独り立ちしていくのです。

 下重さんも結婚しています。ですから夫は家族としているのですが、夫とは互いに「縛りあわない関係」を築き、子どもは作らないということを約束して結婚しているのです。だからお子さんはいらっしゃらないわけです。なぜ子どもを作らなかったのかというと、自分は母親のようになりたくないと思ったからなのです。自分の母親の姿を見て、あのようにはなりたくないと思ったので、子供を作らなかったというのです。これが下重さんの家族関係と人生観ということになります。

 こうして家族を避けながら生きてきた下重さんだったのですが、この本の一番最後には、いまはもう死んでしまった家族に宛てて書いた、下重さんの手紙が出てくるのです。下重さんの父親は昭和54年に亡くなり、母親は平成4年に亡くなり、お兄さんは平成16年に亡くなっています。それまで家族を避けて生きていた下重さんだったのですが、家族が亡くなって、遺品を整理する中で、昔の手紙など書き残したものが発見されたのです。それを通して、自分の知らなかった家族の一面を発見していくわけであります。「家族のことを知っているつもりで、実はよく知らない」という下重さんの主張は、この体験からきているのです。

 下重さんもかなりの年齢になり、亡くなった家族のことを思うようになり、死んだ三人の家族に対して書いた手紙が、この本の最後に掲載されているのです。お父さんに宛てた手紙においては、自分の若いころを振り返り、「なぜあなたに反抗したのか」ということを書き綴っています。そしてお母さんに対しても、「どうしてあなたのことを疎ましく思ったのか」ということを告白していくわけです。そしてお兄さんに対しては、「あなたが亡くなる前にもう一度、ゆっくり話たかった」というような手紙を書いているのです。

 これを見れば、下重さんは本心では家族とつながりたかった、でもそれができなかったことを後悔していることが分かります。まさに、失われた家族を求めて、死者に手紙を書くことを通して、自分自身を整理しているのです。その手紙の後に、最後は「自分への手紙」を書いています。そして、「最後は一人なのだと自分に言い聞かせているのです」という文面になっているのです。どうして最後は一人なのでしょうか? それは子どもを作らなかったからです。

 さて、この本は私たちに対して「選択肢」を突き付けているのではないかと、私は思います。私たちが下重さんのように、家族に背を向け、心を閉ざして生きるとするならば、それは孤独な人生にならざるを得ないし、最終的には後悔が残ってしまいます。逆に家族と向き合って、心を開いて生きるならば、私たちは幸福な人生を送ることができるのではないでしょうか。ところが、現実の家族にはさまざまな葛藤があり、簡単ではありません。誰しも心の傷や、壁や、葛藤や、恨みなど、いろんな思いを抱えています。いかにしてそれらを越えて、家族と向き合うかが大きな課題になります。

 この『家族という病』というタイトル自体が、現代の日本人に対する一つの挑戦であると私は思います。すなわち、家族自体が「病」なのではなく、家族の心が通じないことが「病」なのではないでしょうか。
(次回に続く)
35:39

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Web説教「信仰による家族愛の強化」03


 前々回から「信仰による家族愛の強化」と題するWeb説教の投稿を開始しましたが、今回はその3回目です。前回は森山操先生の「母の愛」についての証しを紹介しながら、「ほとばしるような情愛」について考えました。そして、私達が心情豊かな人になるためには、豊かな心情の源泉である神様を知らなければならないという話をしました。

 ここでもう一度、渡辺京二氏の著作である『逝きし世の面影』の内容に戻りたいと思います。この本によれば、日本人は確かに親子の情愛が豊かな民族であったということは間違いないわけでありますが、もう一つの重要な愛である夫婦の愛、男女の愛に関しては、それが高貴なものであるとか、神聖なものであるという観念は、どうも江戸期の日本には存在しなかったようなのです。ラインホルト・ヴェルナーという人はプロイセンの軍人であり外交官であった人ですが、次のような言葉を残しております。
「わたしが日本人の精神生活について知りえたところによれば、愛情が結婚の動機になることはまったくないか、あるいはめったにない。そこでしばしば主婦や娘にとって、愛情とは未知の感情であるかのような印象を受ける。わたしはたしかに両親が子どもたちを愛撫し、また子どもたちが両親になついている光景を見てきたが、夫婦が愛し合っている様子を一度も見たことがない。神奈川や長崎で長年日本女性と夫婦生活をし、この問題について判断を下しうるヨーロッパ人たちも、日本女性は言葉の高貴な意味における愛を全く知らないと考えている。」

 当時、日本人女性と結婚した西洋の男性もいたのですが、その人たちからは日本人女性はそのように見えたというのです。つまり、「性愛が高貴な刺激、洗練された感情をもたらすのは、教育、高度の教養、立法ならびに宗教の結果である。」とラインホルト・ヴェルナーは言っているのです。それを渡辺京二氏が言い換えたのが、男女の愛が神聖で高貴なものであるという考え方は、「一言でいうならキリスト教文化の結果である。」ということなのです。

 当時の日本人にとって、男女は「愛し合う」というよりも、互いに「惚れ合う」ものだったのです。つまり男女の関係というものは「惚れた腫れた」という世界であって、両者の関係を規定するのは性的結合だったということです。ですから結婚も性も、彼らにとっては自然な人情にもとづく、本当に気楽で気易いものであったのです。性を精神的な憧れや愛に昇華させる志向が、徳川期の社会にはまったくといっていいほど欠落していたと、渡辺京二氏は書いています。当時の日本人の性愛というものは、非常に世俗的なものであったということです。これが庶民の生活です。

 一方で、上流階級の女性たちがどうだったかというと、彼女たちはしあわせな少女時代を過ごしますが、そのしあわせは結婚とともに終わったというのです。結婚は個人と個人の精神的な結びつきというよりも、家と家の結合であり、実家を離れて夫の属する家に入ることであったのです。そこで待っているものは、家の支配者である舅・姑および夫に対する奉仕者として仕える生活であり、徹底した忍従と自己放棄の生活をするのが、当時の上流階級の女性の新婚生活であったのです。ですから女性として余裕やいっぱしの自由が持てるのは、晩年になってからということになります。若いころに夫婦愛を喜びを持って経験するというようなことは難しかったのです。したがって日本人は、夫婦の精神的愛情を育んだり表現するのが基本的に苦手な民族であるということになります。

 これが大まかな日本の文化伝統ということになるわけですが、最近の日本人はどうなのでしょうか? だいぶ日本も西洋化されてきました。その中で、いま日本の家庭が危機に瀕しているということをいくつかの根拠を示して述べてみたいと思います。

 いま日本の家庭が抱えている危機の一つが離婚の問題です。離婚率は「高止まり」している状況です。1970年代には、年間に結婚するカップルの数が約100万組であるのに対して、離婚するカップルは約10万組でした。これはおよそ10組に1組が別れるという状況です。しかし現在、年間に結婚するカップルの数は60万組を切ったのに対して、離婚するカップルは20万組を超えています。すなわち、いまは3組に1組以上が離婚するという状況になっているのです。日本人の場合には、夫婦仲が悪かったとしても法的には離婚しない、いわゆる「家庭内離婚」とか「家庭内別居」という状況も増えているので、事実上の離婚率はもっと高いのかもしれません。

 さらに児童虐待も深刻な問題で、児童相談所が対応する件数も、警察が通告する件数も、毎年過去最高を記録し続けています。かつて日本は「子どもの楽園」と呼ばれ、日本人は子どもを本当に愛する民族だと言われてきたわけでありますが、最近はそれが崩れてきているようです。

 この虐待は、子どもの大切な未来を奪う深刻な問題であるということが最近の研究で分かってきております。最近は科学が発達して、生きたまま人間の脳をスキャンすることができるようになりました。そうすると、虐待を受けた子どもが脳になんらかの損傷を受けていることが分かってきたのです。

 たとえば、強い体罰を受けた子どもは、前頭葉の一部、感情や意欲などを司る部分が最大19%縮小している、つまり発達が阻害されているということが分かりました。性的虐待を受けた子どもは、後頭葉一次視覚野、注意力や視覚的記憶力を司る部分が14.1%縮小していることが分かりました。暴言や面前DVのような心理的虐待を受けた子どもは、側頭葉上側頭回と呼ばれる、言語理解を司る部分が9%~15%萎縮していることが分かりました。

 つまり、虐待を受けると脳の一部が上手く発達できなくなってしまうということが科学的に分かってきたということなのです。こうした虐待を受けた子どもたちの予後は大変厳しくて、男の子であれば犯罪者になるリスクが高まり、女の子であれば風俗の道に行ってしまうリスクが高まると言われています。したがって、これは子どもの頃だけの問題ではなく、成人してからも精神的なトラブルをたくさん抱え、悲惨な人生を送るリスクが高まるということなのです。長崎大学教育学部准教授の池谷和子先生は、虐待によって子供が背負う人生のハンデについて、以下のように述べています。
「親や養育者、その他の親代わりの人間関係においてひどく裏切られたことのある子供たちは、将来の人間関係においても、とくに権威を持った人物からはまた裏切られるのではないかと予測し、裏切者で頼りにならず信頼できないという権威者像を内面化しているため、愛着形成能力が著しく損なわれている。

 その結果、自分が好きになったり信頼した権威者に裏切られるだろうと予測し、そのような関係を回避・用心する傾向がみられる。このように、虐待された子供が負わなければならないハンデは一生ついて回る。」

 こうした研究の結果、「虐待は連鎖する」ということが分かってきました。虐待を受けた子供は成長して、自らの子供を虐待し、世代や社会を超えて悲惨な状況が受け継がれていくという深刻な状況が明らかになったのです。

 日本の家庭が抱えているもう一つの危機は、家庭そのものの縮小です。これは具体的には少子化、超高齢化社会、人口減少の問題となって表れています。日本の人口のピークは2010年ごろであり、いまや日本の人口はものすごい勢いで減少しています。ピーク時には約1億2千万いた日本の人口は、2065年には8千万台に減少すると予想されていますが、高齢者の人口はさほど変わらないのに対して、生産年齢人口(15~64歳)は激減すると予想されています。これは日本経済にとっては大きな後退要因となります。

 日本の少子化の根本原因ははっきりしています。それは若者たちの晩婚化、未婚化、そして非婚化という傾向です。いまや平均初婚年齢は男女ともに30歳ぐらいにまで上昇し、生涯未婚率(50歳までに一度も結婚しない人の割合)も、男女ともにうなぎ登りになっています。いまや日本社会は、若者たちが結婚しない社会、結婚に希望や魅力を感じない社会になってしまっているのです。これが具体的なデータに現れた「日本の家庭の危機」ということになります。
(次回に続く)

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Web説教「信仰による家族愛の強化」02


 前回から「信仰による家族愛の強化」と題するWeb説教の投稿を開始しましたが、今回はその第二回目です。前回は渡辺京二という人が書いた『逝きし世の面影』の内容に基づいて、近代以前の日本は親子の愛情がとても深く、「子どもの楽園」と呼ばれていたことを紹介しました。昔の日本人は、純粋で濁りのない愛情をことに触れてほとばしらせることのできるような、たいへん情の深い民族であったという話でした。

 このような親子の愛ということについて考えてみたいと思います。家庭連合の信者で、森山操先生という方がいらっしゃいました。2015年4月に亡くなられましたが、この方のお母さんは、生みの親ではなく育ての親だったのでありますが、かつての日本人が持っていたような「ほとばしるような情愛」を持っていた人でありました。その証しを紹介したいと思います。なお、以下の内容は「世界平和統一家庭連合公式チャンネル」で公開されている動画から掘り起こしたものです。

在りし日の森山操先生

「昭和16年、私は秋田県能代市で健康優良児として誕生しました。生家は祖父が染物屋を営んでおり、父も仕事を手伝っていました。働き盛りだった父は、私が3歳の時、フィリピンで戦死しました。出征の時、私に『強い人間たれ』と紙に書き残した父ですが、面影はほとんどありません。

 母からは『お父さんは町一番の美男子で、立派な人だった』と聞かされ、誇らしく感じていました。母は私と弟に一生懸命尽くしてくれ、その存在が唯一の支えでした。しかし、私が小学2年生のある日、母は外出したまま帰ってきませんでした。

 私は毎日毎日、駅に立って、帰りを待つようになりました。後になって母はある男性と再婚するため、駆け落ち同然に出ていったと知りました。『母に捨てられた』という心の傷ばかりが大きくなっていきました。

 そんな私と幼い弟を養子として引き取ってくれたのが叔母でした。私は叔母に対して、『いつかどこかに消えるに違いない』と疑いの目で見ていました。素直になれず『お母さん』ではなく、『ちょっとちょっと』と呼んでいたのです。義母になってくれた叔母は、それでも私たちを温かく見守ってくれました。

 私が子供の頃はテレビが普及しておらず、紙芝居が数少ない楽しみでした。紙芝居を見るには当時のお金で、1回5円が必要でした。私はどうしても見たくて、義母の財布からこっそり5円を盗みました。1度見ると続きが気になり、何度もお金をくすねては、最終回まで通ってしまいました。

 ある夜、ふと目覚めると、仏間に明かりがついていました。のぞくと、義母が仏壇の前で泣きながら手の甲を火箸でたたいていたのです。『操ちゃんはいい子なんだ。ただ5円を取るこの手が悪いんだ…』

 祈りともうめきとも取れるような声が私の心に深く伝わってきました。義母の手には痛々しいミミズ腫れがありました。その瞬間、私はワーッと泣きながら義母にすがりついたのです。『お母さんごめんなさい。もう二度とこの手で5円を取らないから…』

 涙とともに、今まで言えなかった『お母さん』という言葉が出てきました。母の愛の前に、冷え切っていた私の心は完全に溶かされたのです。あの頃の私が欲していたのは、母親の確かな愛の深さだったのだと思います。
 『父母は子どもを愛するのに自分を主張せず、自分がない立場で子供を愛するのです』 文鮮明」
https://www.youtube.com/watch?v=kPCb_kUoJ4M

 このようにほとばしるような愛情が出てくる心の奥底の部分、これを私たちは「心情」と呼んでいます。この心情から、真の愛がほとばしるように出てくるのです。この心情とは、愛したいという衝動であり、人間の心の最も中心的な部分をなしています。したがって、よき人格の持ち主とは究極的にはどんな人であるかといえば、よき心情の持ち主であるということになります。すなわち、相手を愛そうという情がほとばしるような心情を持っている人が、良き人格の持ち主であるということなのです。

 そしてこの心情こそが、よき人間関係を結び、幸福な人生を送るために最も重要な属性であるということになります。私達の人格にはほかの構成要素もあります。たとえば知性とか意志など、いろいろな要素があるわけですが、それらよりももっと重要で中心的なのが、愛したいという衝動が心から湧き出でているか、心情が育っているかどうかということなのです。なぜなら、この森山先生のお話からも分かるように、圧倒的な心情の前にときとして理屈は無力であるからです。

 それでは、そうした豊かな心情の持ち主になるためにはどうしたらよいのでしょうか? 豊かな心情が、幸福な人生を送るうえで最も重要な資質であるとするならば、どうしたらそれが育つのでしょうか? 実は、「心情は心情によって育つ」という原則があります。知識の教育や、技術の伝達や習得によっては、心情というものは得られないのです。豊かな心情を持った人から豊かな愛情を受けることによって、はじめて心情が育つということになります。したがって、豊かな心情を持った親から愛された子どもは、情が豊かになるのです。

 しかし、不幸にして親から愛されなかった人はどうなるのでしょう? その場合には、代わりに愛してくれる人に出会うか、それを見つけることによって、幸福な人生を拓くことができるのです。森山操先生の場合には、実の親からは愛を受けることができませんでしたが、育ての親に愛されることを通して、情が育っていったのです。

 豊かな心情を持つためのもう一つのポイントは、愛されるだけではなく、愛する体験をすることです。そのためには愛する対象を持つことが必要で、一人で生きていたのでは情は豊かになりません。なぜなら、対象によって自分の愛情が引き出されるからです。だからこそ私たちは結婚しなければならないし、子供を持たなければならないのです。それは私たちの心情の成長にとって必要だからです。

 しかし問題は、常に愛情をほとばしらせながら生きるのは、現実には非常に難しいということです。どんなに愛そうとしても、疲れてしまったり、情が枯渇してしまうということがあります。私たちの心の中から無限の愛が出てくるというのは、なかなか難しいわけです。ですから私たちは、無限なる心情の源泉に触れて、そこからエネルギーを頂かないと、ほとばしるような心情の持ち主になることはできないのです。そのためには、無限なる心情の源泉、すなわち神様の愛に触れなければならず、神様の愛を知らなければならないのです。

 これがこの説教の第一番目のポイントだということになります。私達が心情豊かな人になるためには、豊かな心情の源泉である神様を知らなければならないということです。
(次回に続く)

 

カテゴリー: Web説教「信仰による家族愛の強化」

Web説教「信仰による家族愛の強化」01


 今回から「信仰による家族会の強化」と題するWeb説教を投稿します。この内容は、2017年11月5日に東京都内の教会に礼拝の説教者として招かれたときに語ったものですが、時局に関係なく普遍的な内容を扱った説教であり、私自身の信仰の表現としても記録に残しておきたい内容であるため、シリーズでアップさせていただきます。

家族とは何か?

 家族とはいったい何でしょうか? 普通、家族といえば親と子がいて、親が子供を愛し子供が親を慕うという「親子の愛」があり、もう一つの重要な構成要素として、夫と妻がお互いに愛し合う「夫婦の愛」があります。これら二つの愛によって強く結びついたときに、「家族の絆」というものが生まれてきます。これが家族の基本ではないかと思います。このほかにも、兄弟愛や祖父母の愛などもありますが、やはりこの二つが家族を構成する重要な要素なのではないかと思います。

 この「親子の愛」と「夫婦の愛」のどちらがより大事かと聞かれても、これは優劣をつけ難いわけでありまして、どちらも重要だということになるのですが、これを文化文明で比較してみますと、あくまで相対的にということなのでありますが、「親子の愛」の方はどちらかといえば東洋文明において強調されてきました。とくに日本においては、親子の愛情は非常に深いと言えるでしょう。それに対して「夫婦の愛」の方は、西洋文明、とくにキリスト教文明において強調され、大切にされてきたと、おおまかに見ることができるのではないかと思います。

 日本の文明におきましては、親が子供を愛するという世界において、相当に深く強いものがあったということを現代人に訴えている本があります。それは渡辺京二という人が書いた『逝きし世の面影』(平凡社、1998年)という本です。「逝きし世」というのは、すでに死んでしまった、なくなってしまった一つの「世(よ)」、文明という意味です。これは江戸時代の日本の古き良き文明のことを指しています。幕末から明治維新の時代に日本を訪れた外国人がたくさんいたのでありますが、彼らの見た古きよき日本の姿が、さまざまな文献に残されているのです。それをいまになって集めてきて、当時の日本の姿がどうであったのかということを外国人の目を通して再現したものです。

 それらの文献から分かることは、明治維新の前の「江戸文明」は、単に近代化される前の素朴で遅れた社会だったのではなく、世界的にも著しく文化の発達した国民が作り上げた希有な文明と呼ぶべきものであったということなのです。特に、日本に長期間滞在して人々の暮らしを観察した西洋人たちは、日本人が非常に陽気で幸せそうに生活していることに強い印象を受け、とりわけ当時の日本人の親子の情愛の深さには、逆に羨ましがるほどの感動を覚えたというのです。その当時、日本は「子供の楽園」と呼ばれていたのです。

逝きし世の面影

 ラザフォード・オールコックという人がいます。イギリスの初代駐日総領事を務めた人でありますが、日本は「子どもの楽園」であるという言葉を最初に言ったのがオールコック氏であり、その後しばしば引用されるようになりました。

 イザベラ・バードという人は、非常に有名なイギリスの女性旅行家で、当時の朝鮮を旅行して「朝鮮紀行」を書いていますが、日本各地も旅しており「日本奥地紀行」という本も書いています。彼女は日本について、以下のような言葉を残しています。
「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子供を抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子どもに誇りをもっている。」
「日本人の子どもへの愛はほとんど『子ども崇拝』の域に達している」

 エドワード・モースというアメリカの動物学者は次のように言っています。
「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世の中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」
「世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬することにおいて、日本の子どもにかなうものはない。」

 ウィリアム・グリフィスというアメリカ人の教師は次のように述べています。
「日本人が非常に愛情の深い父であり母であり、また非常におとなしくて無邪気な子供を持っていることに、他の何よりも大いに尊敬したくなってくる。」

 このような日本の親子関係に対する賛辞があふれているのです。彼らは開発途上国の人間だったのではなく、当時最高の先進国の知識人だったのです。その彼らが驚き、うらやましがるほどに、日本人の親子は愛情に満ちていたというのです。これは単に西洋と東洋の違いということにとどまりません。なぜなら、彼らは中国やタイなどの東洋の他の国も見てきたのですが、とりわけ日本の家族のすばらしさに魅了されたというのです。

 当時の日本人が子供を愛する愛情というものは、西洋人から見れば「盲愛」に近いほどの、純粋でほとばしるような愛情だったという記述もあります。クリストファー・ホジソンは英国の領事をしていた人でした。彼は1859年から妻と二人の娘を伴って長崎と函館で領事を務めました。娘の名前はエヴァとサラといいました。この人が雇った「子守のおばさん」に関するエピソードが残っています。

 函館ではエヴァとサラの世話のために子守の「おばさん」を雇いました。ところが、この子供たちがちょっといたずらで、エヴァが喫煙してしまったのです。それをホジソン氏が叱ろうとすると、その子守の「おばさん」が「吸っていたのは自分だ」と言って一生懸命に子どもをかばったというのです。別の日に「おばさん」はエヴァから池に突き落とされてしまうのですが、彼女は「落ちたのは自分の過ちで、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と詫びたというのです。なぜこれほどまでに子守の「おばさん」が子供たちをかばったのかというと、自分がかばわなければ、エヴァとサラは両親から厳しい罰を受けることを彼女は知っていたので、それが可哀想でならなくて、必死で守ろうとしたというのです。すなわち、自分のことは顧みず、ただ衝動的に子どもたちを守ろうとする、ほとばしるような愛情がそこにはあったというのです。

 このような愛情は、西洋の合理的な考え方からすれば、子供を甘やかす途方もない盲愛に映るかもしれませんし、実際にホジソン氏はそう思ったのです。しかし、それにもかかわらず、ホジソン氏はこの子守の「おばさん」のほとばしるような情愛に感動したという記録が残っているのです。このようなストーリーを通して、渡辺京二氏は次のように主張しています。
「かつての日本人は、ことの是非は措くとして、このように純粋で濁りのない愛情をことに触れてほとばしらせることのできる人びとだった。」
「このいとしがり可愛がるというのはひとつの能力である。しかしそれは個人の能力ではなく、いまは消え去ったひとつの文明が培った万人の能力であった。」

 昔の日本人というのは、このように大変情の深い民族であったということが分かります。
(次回に続く)

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『生書』を読む30


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第30回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。このころの大神様と同志たちの関係は、家族的で美しいものであった。しかし大神様と同志たち、さらには同志たちの間の結束が強まっていく一方で、教団と世間一般との間には軋轢が生じることもあった。その原因は、同志たちが大神様と同じように人々の悪口をその面前で言ったり、世間の悪を痛烈に批判したりしたことにある。

 こうした世間との軋轢は、初期の天照皇大神宮教においてはまったく問題にされなかった。初期の新宗教運動や根本主義的なキリスト教においては、この世から憎まれることこそが自分たちが神から選ばれ、愛されている証拠であるという発想がある。迫害が逆に信徒たちの「選民意識」を高めるという精神構造があるのである。これはこの世で尊ばれている地位、名誉、財産などの一切を否定し、ただ神のみを求めるという姿勢だが、それは天照皇大神宮教においては「裸一貫」という言葉で表現されている。「裸一貫」の辞書的な意味は、「自分のからだ以外、資本となるものを何も持たないこと」だが、天照皇大神宮教においてはそれに宗教的な意味が付与されている。

 この言葉は、当時同志の一人に神の口がついた(啓示が下りた)のを、そのまま書き留めた記録の中で表現されている。そのメッセージを下した神が猿田彦命(さるたひこのみこと)という神道の神であることと、「そもそも大和の国は神の国なり」(p.197)という愛国的なトーンで始まっていることは興味深い。『生書』には大神様が直接受けた啓示だけでなく、同志たちが受けた啓示も記載されているのだが、この啓示にはその特定の同志の宗教的背景が反映されていると見ることができるだろう。しかし、「裸一貫」に関する記述はむしろシンプルで普遍的なものである。
「神国のためなら何にもいらない裸一貫・・・神国の弥栄(いやさか)はかくの如く喜びあるものを、何故に身に衣まといしぞ。裸一貫、神国のためじゃ」(p.198)

 ここで身に衣をまとわないことや裸であることは、文字通りの意味ではなく、物質的な財産やそれに対する欲望の否定を象徴的に表しているととらえるべきであろう。これは一つの普遍的な宗教的価値観である。

 古来より宗教は、不幸や苦しみは過度の欲望もしくは利己的な欲望によって引きおこされると教えてきた。そして、富と所有物に対する執着は霊的成長を阻む足枷であるとみなし、救済を得るためには富と所有物を放棄しなければならないと教えてきた。仏教の十戒は、基本的に人間の欲望を否定し制限するものだが、10番目の「不蓄金銀宝」はお金や財産にかかわる欲望の否定である。仏教のみならず、伝統宗教の聖句の中には、金銭や財産に対する欲望が不幸の原因であり、それに対する執着を否定することが悟りや救いに対する道であることを説いたものが多数ある。ここではキリスト教の聖書から代表的なものを紹介しよう。
「金銭を愛することは、すべての悪の根である。」(テモテへの第一の手紙 6.10)
「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。」(ルカ 6.20)
「あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。(マタイ 19.21-24)
「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ 6.24)
「次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、『もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう』。するとイエスは彼に言われた、『サタンよ、退け。「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」と書いてある』。そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。」(マタイ 4:8-11)
「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。」(マタイ 6.19-21)

 この伝統を受け継ぎ、キリスト教において「聖者」とみなされる人々は、イエスと同じ道を歩もうとした。フランシスコ会の創設者として知られるアッシジのフランチェスコは、自らは裕福な家に生れながらも、それらをすべて捨ててキリストに倣い、「清貧」をモットーとする修道会を創設した。彼の創設した托鉢修道会は私有財産を認めておらず、修道士が托鉢を行い、善意の施しによって生活をするもので、修道士たちは衣服以外には一切の財産をもたなかった。

 マザー・テレサはコルカタで「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことを目的とした「神の愛の宣教者会」を設立した。そこで働くシスターたちも、私有財産を持たない清貧の生活を守っている。

 キリスト教社会運動家として有名な賀川豊彦は、自らは裕福な家庭に生れながらも、キリスト教に入信したことをきっかけに、神戸の貧民街に移り住み、救済活動と宣教に努めた。彼はボランティア組織「救霊団」を結成して活動するとともに、キリスト教を説き、精魂を尽くしたことにより、「スラム街の聖者」と呼ばれるようになった。

 物質的な財産を否定する思想は、日本の新宗教にも発見することができる。その一つに、「貧に落ち切れ」という天理教の教えがある。神のやしろとなった教祖・中山みきがまず進めたことは、「貧に落ち切る」ことであった。彼女はもともと困っている人、悲しんでいる人を見ると救いの手を差し伸べるような強い母性を持っていたが、そこに親神様が入り込まれ、貧に落ち切るよう求められると、いっそう激しさを増し、中山家の財産をそれらの人びとに惜しげもなく与えたのである。中山みきは、屋敷母屋の瓦や高塀を取り壊し、中山家が誇りにしていた格式を捨てるよう(親神様から)求められていた。夫、善兵衛はついて行けず、押しとどめようとしたが、神意には逆らえず、中山家は没落の一途を辿った。人が物をもつとそれに拘り、心の自由が制限される。よってそれを撤廃するためには「物を一度手放してしまう必要」を教祖自らが示したと言われている。これも「裸一貫」の精神に通じると言えるだろう。

 統一教会の信者たちも、伝統的に贅沢を避け、私有財産やプライバシーのほとんどない共同体の信仰生活を実践してきた。そこには物質的な豊かさはなかったが、神を中心とする共同体としての心の豊かさがあり、そうした内面の喜びを求める人々が教会に集ってきたのである。初期の統一教会に特徴的に見られた「献身」の精神は、自身の地位、名誉、財産のみならず、自分自身をさえ神のみ旨のために捧げてしまうという意味であり、それは天照皇大神宮教の「裸一貫神国のために働きます」(p.199)という精神とまったく同じものであったと言える。

 同志たちと世間の人々との溝が深まり、軋轢が生じるようになると、田布施周辺では周囲の迫害を恐れて参って来る者の数が減少したこともあった。しかし一方でうわさを聞いて遠方から参って来る者が増え、昭和20年も終わりに近づくと、道場は毎日満員の盛況となったという。こうした中で大神様は午前、午後、夜とほとんど休む間もなく説法を続けられた。

 この頃の大神様がやっていたことは、狐や生霊が憑いている人からそれらを落としてやり、その結果として病気を治してやるというものであった。こうした活動をしても、大神様は一切謝礼を受け取らなかった。それは肚の神様が「蛆の世界じゃあ、金や品物を稼ぐために祈祷しよるが、金や品物を取る者には法力は与えない。」(p.202)と言われたからである。大神様が立てたこの伝統は、組織としての天照皇大神宮教に受け継がれている。その最大の特徴は、職業的宗教家の禁止であろう。宗教を生業(なりわい)とすることは、天照皇大神宮教の教義に反するのである。それは、魂が救われるかどうかはお金の問題ではなく、純粋に魂の問題であるという信念に基づく。ただで教えを受け、ただで伝道するのが天照皇大神宮教の基本である。よって月々の会費や年会費などのいわゆる宗費を取ることは禁じられている。同志が様々な会合・行事・活動に参加するときは、自弁自費が原則である。講話や説法に対する謝礼を受け取ることもなく、伝道に出かけるための交通費が教団から支給されることもないという。

 ここまでの記述は、すべて昭和20年の出来事である。以上で「第七章 道場の発足」の部分は終わる。次回から「第八章 開元」に入る。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む29


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第29回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。このころの大神様と同志たちの関係は、家族的で美しいものであった。こうした関係は、新宗教運動の初期段階においては典型的なものであると言えるであろう。特に荒廃した終戦直後の日本においては、砂漠の中のオアシスのような、一つのユートピアを形成していたと思われる。

 しかし、大神様と同志たち、さらには同志たちの間の結束が強まっていく一方で、教団と世間一般との間には軋轢が生じることもあったことが『生書』には記されている。その原因は、同志たちが大神様と同じように人々の悪口をその面前で言ったり、世間の悪を痛烈に批判したりしたことにある。天照皇大神宮教にはどこか唯我独尊的なところがあり、それが世間の人々の反発を買ったということだ。

 その唯我独尊的な態度は、既存の神社仏閣に対する態度にも現れていた。昭和20年10月1日に大神様は同志とともに八和田の八幡宮に行かれたのだが、神殿に上がっていつものようにお祈りをされると、これまでは神眼にいつも出てきた氏神がその日は出てこなかった。そのときに肚の神様はこう言ったという。
「今日から秋(空)の宮に、秋(空)の寺、十月は神無月というて、昔から神々が出雲に集まると言うたが、出雲にも集まらぬようになった。これからはわれ(お前)方の屋敷に、みな集まるのじゃ。賽銭櫃や鳥居のある所には、神も仏もおらなくなるぞ。神の出店をみんな引き揚げるのじゃ。」(p.192-3)

 この日から大神様は、すべての宮にも寺にも参られなくなり、同志にも参るのは無駄だと説かれるようになったという。これは既存の神道や仏教との決別宣言であり、その効力を否定しているということである。このシリーズの第16回でも既に述べたことであるが、大神様はあまりエキュメニカルなタイプではなかったようである。自分の信仰に対する強い確信のゆえに、どこか唯我独尊的なところがあり、他の宗教と対話をしたり、そこから何かを学ぼうという姿勢は感じられない。他の宗教と協力したり連携したりするという発想もないようだ。

 もともと大神様は大変信心深い人であった。大神様の実家は浴本家であるが、両親は熱心な浄土真宗の門徒であり、大神様も子供のころには両親に連れられて寺参りをした。しかし教祖となられてからは、大神様はこの浄土真宗の信仰を容赦なく切って捨てたのである。大神様から見れば、「悪人正客」や「他力本願」を説く浄土真宗の教えは、人々に行の努力を怠らせて堕落させる無責任なものであり、真宗の宗教者たちの姿は腐敗したものに映ったのであろう。

 大神様は伝統宗教だけでなく、新宗教に対しても批判的であった。その中でもおもしろいのが「成長の家」の谷口雅春氏に関する部分である。大神様は当時、知人であった岩国市の弁護士吉武三六氏から招待されて、谷口雅春氏の講習会に参加したことがあった。ところが、その講習会に出ると、肚の神様は谷口氏に対して、下級の神が降りているだけだとか、短冊売りや本売りになり下がって邪神のおもちゃになっているとか、手厳しい批判を始めたのである。

 しかし、教団と世間一般との間には軋轢が生じるようになったより本質的な理由は、同志たちの態度にあった。それについて『生書』は以下のように記している。
「その頃から、同志の中には、かつて大神様がなさったように、街頭において、常会において、または家庭において、突如として人の悪口をその面前で言うたり、神行の道を説いたりする者が出てきた。平生思いもせぬことが、口をついて出るのである。」(p.194)

 ある同志は常会に行って、それまでの配給物分配の不公平をいちいち暴き立て、「おれは北村へ参るようになって、神様を背負うておるのだ。これから後、ごまかしをやりやがったら、このおれがただじゃおかんぞ。」(p.195)と啖呵を切ったという。

 こうした報告を聞いたときの大神様の反応は、それをたしなめるどころか、むしろ逆に「よく肚をつくった。肚がなくちゃ行かれない神の国じゃから、しっかり肚をつくれよ。」(p.196)と褒められたので、同志たちはますます積極的に肚練りをするようになったという。こうした態度に対して世間の人々は、「北村に参ると、みんな気違いになる。あれだけみんなを気違いにしなけりゃよいのに。」「北村のおばさんが神様なんて、ばかばかしい。あれはおれらの同じ人間じゃあないか。」(p.196)と言って白眼視するようなったという。
「一方同志たちは、自分たちは神の子で、一般人は蛆虫だ、蛆の国と神の国とは別の国だし、蛆などと交際すると自分がけがれるぐらいに思い、同志と世間の人との溝は深くなるばかりであった。」(p.197)と『生書』に記されているように、教団と世間一般との間にはかなり深刻な軋轢が生じていたようである。

 問題はこの現象をどうとらえるかということであろう。統一教会にも世間一般との間に軋轢を経験してきた歴史があるだけに、とても他人事とは思えない。私はこのシリーズの中で、カリスマ的教祖というものは特殊な存在であり、ときには神の視点からこの世を見て、常識的には暴言といえるような失礼な言葉や態度を示すことがあると述べた。大神様は人々に向かって「蛆の乞食」と呼び、イエスは律法学者やパリサイ人たちに対して「へびよ、まむしの子らよ」と言い放った。そして世の中においてどんなに偉いとされている人に対しても、常に「上から目線」で語るのが教祖なのである。通常は人の悪口を言えば嫌われるものだが、それでも人を魅了してしまうのが教祖のカリスマである。

 しかし、これを一般の信徒たちが真似したらどうなるであろうか? 恐らくそれはひどく傲岸不遜な態度に見え、社会との間に軋轢が生じるに違いない。しかし、初期の新宗教運動や根本主義的なキリスト教においては、この世から憎まれることこそが自分たちが神から選ばれ、愛されている証拠であるという発想があるのである。

 イエスはヨハネ伝15章18~19節において、「もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。」と語っている。これは、「自分たちは神の子で、一般人は蛆虫だ、蛆の国と神の国とは別の国だし、蛆などと交際すると自分がけがれる」という天照皇大神宮教の同志たちの発想とほぼ同じである。この世から憎まれ、迫害されることが、逆に信徒たちの「選民意識」を高めるという精神構造になっているのである。

 アメリカの神学者H・リチャード・ニーバーは、著書『キリストと文化』(Christ and Culture)において宗教(キリスト)と文化との関連を5つに分類しているが、こうした発想は典型的な「Christ against Culture(文化に対立するキリスト)」に属するものである。宗教と世俗の文化はあくまで対立するものであり、互いに相容れないものなのだ。

 初期の統一教会にも、間違いなくこうした精神構造は存在した。そしてそれは、根本主義や福音派のクリスチャンたちの「この世」に対する態度にも通じるものがある。しかし一方で、統一教会と天照皇大神宮教には「この世」を変革して神の国を造っていくのだという信仰もあるので、「Christ the Transformer of Culture(文化の変革者としてのキリスト)」という立場をも内包している。だから山奥や修道院にこもって隠遁することを勧めているのではなく、世間に積極的に働きかけることを命じているのである。

 社会学的には、こうした一般社会との軋轢は新宗教運動の初期に見られる典型的な現象である。それは教祖と信者が一つとなり、信仰集団の核を形成することがなによりも重要視され、信仰の純粋性を高めていくことに集中しなければならない時期なので、世間と妥協してはならないのである。しかし、教団が成長するにしたがって、こうした世間との軋轢は次第に緩和されていくものである。それは教団が社会の中で一定の地位を確立した段階で訪れる一つの変化であり、教団としての成熟期に入ったことを意味する。昭和20年の天照皇大神宮教はまだそれ以前の段階であり、大神様の教えに同志たちが忠実に従い、結束を強めることが何よりも重要視されていたと言える。そのために世間の人々から嫌われることなど、何とも思っていなかったのである。

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『生書』を読む28


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第28回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。

 この頃の大神様の活動の中心は憑きものを落とすということであったが、そのために同志が一緒にお祈りをする中で不思議な現象が起こってきたことが報告されている。それは祈祷中に合正している手が自然にこきざみに動き出すという現象である。これは意図的にやっているのではなく、自らの意思に反して勝手に手がブルブルと動くのである。いわゆる「霊動作用」と呼ばれるものだが、大神様はそれを自分の生霊だと説明された。動くのは手ばかりではなく、全身で上下左右の運動を始める者や、座ったまま飛び跳ねる者もいたという。そして、霊動の後には体の調子がよくなったり、心がスッキリしたりするので、人々はますます大神様を信じるようになったという。

 こうした霊的体験は、天照皇大神宮教のみならず多くの宗教に見出されるものである。キリスト教の中で「霊動作用」を特徴とする代表的な教団といえば、それは「クエーカー(Quaker)」であろう。クエーカーは、17世紀にイングランドで設立されたキリスト教プロテスタントの一派である「キリスト友会」又は「フレンド派」と呼ばれる団体に対する一般的な呼称である。霊的体験を重んじる教派で、この派の人びとが神秘体験にあって「身を震わせる(英語で”quake”)」ことから「クエーカー(震える人)」と俗称されるようになったのである。アメリカの黒人教会の中にも礼拝中に「霊動」を起こす教会は多数見られる。

 一方で大神様は、こうした霊的体験や奇跡的な出来事によって同志たちが傲慢にならないように指導している。
「世の変わり目が来て、因縁が切れたればこそ無我になれるのじゃ。無我になりさえしたら、お前らにも法力が授かるのじゃ。じゃが、お前ら自身に悪霊を済度する力があると思うなよ。お前らが無我になって一生懸命に祈るところに、神の恵みで霊が済度されたり、払われたりするのじゃからのう。」(p.188)

 こうした指導は、大神様ご自身が修行する中で体得され、自らに戒められたことを同志たちに共有しているのだと理解することができる。人は霊的な現象に触れて感動すると舞い上がってしまい、傲慢になったり悪霊に支配されてしまうことがあるからである。修行の初期の段階で、人間としての北村サヨ氏は自分には正神と邪神の両方が働いていると自覚し、行によって正神のみが働く存在になることを目指していた。「肚のもの」を邪神だと思って戦うプロセスもまた、行の一環としてとらえていたようである。そのことの意味について大神様は以下のように語っている。
「世の行をする者は、その行の途中、少しでも霊能があり出すと、すぐ増上慢を起こして生き神様になって、邪道に落ちてゆくが、わしの場合は、みんなとは確かな神様がついちょったから、世の中の邪神つきみたようにぼけて、人間の道に外れたようなことはさせなかった。」(p.72)

 このような修行における試練、葛藤、そして陥りがちな霊的な過ちは、宗教の世界には普遍的に見られる現象であり、代表的なものとしては禅宗の瞑想修行における「魔境」があり、キリスト教における「悪霊の業」がある。『原理講論』では「善神の業と悪神の業」「終末に起こる霊的現象」という項目の中で、こうしたことが説明されている。復活論第二節の「終末に起こる霊的現象」という項目の中では、終末時代には霊通する人が多く現れるようになり、こうした啓示を受ける人々は、ある試練を受け、過ちを犯しやすい傾向にあることが説明されている。それは終末には、「あなたは主である」とか「あなたが一番である」という啓示を受ける人たちが多く現れるため、このような人たちがしばしば、自分が再臨主であると誤解したり、傲慢になって道を外れた行いをしてしまう場合が多いというのである。大神様が行のプロセスにおいて「増上慢」「邪道」「邪神つき」といったものと闘い、人間の道を外れないようにしながら神行の道を極めようとしたのは、まさにこうした修行者として受けるべき普遍的な試練や誘惑との闘いをしていたのだと理解することができる。それと同じことが同志たちの信仰生活においても起きる可能性があるので、そのことを戒められたのであろう。

 こうした罠に陥らないために大神様が教えるポイントが「無我」の境地である。傲慢は自分を誇る気持ち、自尊心から生まれるので、そのような我を否定し、自分自身は神の力が働く「器」に過ぎないという自覚を持つことによって、そうした誘惑を退けるように指導されたのであろう。これはキリスト教の「謙遜と柔和」の美徳に通じるものであり、家庭連合においては「自己否定」の姿勢として教えられてきた。キリスト教でも家庭連合でも、霊的な現象をいたずらに喜んだり、のめり込んだりすることは危険視されており、信徒たちが霊的体験に支配されないように戒めている点はよく似ている。

 このころの大神様と同志たちの関係は「慈母と赤子」のような関係であり、同志たちはまさに大神様の懐の中で育てられているような状態であった。こうした情的関係は、家庭連合における教祖夫妻が「真の父母」と呼ばれており、信徒たちがその子女としての自覚をもって信仰生活を送っている関係とよく似ていると言えるだろう。

 このころに「霊動現象」の延長線上に現れたもう一つの宗教体験が「無我の舞」である。ある日、大神様が「お前には舞の手がついた。踊りが出るぞ。立ってみい、わしが歌うちゃる。」と言われると、同志が軽快なリズムに乗って自由自在に踊り出したというのである。これについて大神様は以下のように語っている。
「(昭和)十九年頃、わしにもよく舞わしよった。あれが天人の舞じゃ。昔、三保の松原で天女が舞うたのもこの舞じゃ。天の岩戸のお神楽もこれじゃ。人間が無我になった時、神様に舞わしてもらう舞なんじゃ。今にみんな踊れるようになるぞ。」(p.190)

「無我の舞を舞う大神様」

「無我の舞を舞う大神様」

 この発言から、天照皇大神宮教の「無我の舞」は神道的な世界観を背景にしたものであることが分かる。「天の岩戸」の物語とは、天照大神が須佐之男命の狼藉に憤慨して天の岩戸という洞窟に閉じこもってしまったので、他の神々が外で楽しそうに歌ったり踊ったりすることによって天照大神の関心を引き、洞窟から引きずり出したという話である。神楽(かぐら)は、神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞であり、古事記・日本書紀の岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされている。それは喜びを伴うものではあるが単なるエンターテインメントではなく、神に捧げる神事なのである。天照皇大神宮教における「無我の舞」も、同様に神が人の中に入って喜びを表現するという宗教的意義を持つものであると理解できる。

 「霊動現象」や「無我の舞」に加えて出現したのが、預言や異言といった言葉に関わる現象である。新約聖書の中にも「霊の賜物」と言って、信徒たちが聖霊に満たされたときに起きる現象が報告されており、預言や異言を語ったり、それを解釈したり、霊を見分けたりする力が与えられるとされている。これはキリスト教においてはおなじみの現象だが、天照皇大神宮教においては「神の口がついた」と表現されている。「祈りをしていると、名妙法蓮華結経が文句に変わり、美しい即興の歌が自然の節で流れ出るのである。」(p.190)「ただ祈りをして無我になりさえすれば、こんこんと湧き出る泉の流れのように歌の調べとなる」(p.191)ということだ。

 このころの大神様と同志たちの関係は、本当に家族的で美しいものであったことが『生書』の記述からうかがえる。こうした関係は、新宗教運動の初期段階においては典型的なものであると言えるであろう。特に荒廃した終戦直後の日本においては、砂漠の中のオアシスのような、一つのユートピアを形成していたと思われる。
「大神様がいつも説かれる無我の世界とは、このようなものだろうか。なんと楽しい世界であろう。無我の歌に、無我の舞、来る日も来る日も歌うて舞うて、昔話の浦島太郎が龍宮に行って、乙姫様のおもてなしで月日のたつのも忘れ、夢の国に遊んでおるような心地がして、楽しい日々を大神様のみもとで送るのであった。」(p.191)

カテゴリー: 生書