統一神学大学院修士論文シリーズ06


緊張と統合:内村鑑三におけるキリスト教と日本の精神

 このシリーズでは、私が1994年に執筆した統一神学大学院(Unification Theological Seminary)の神学課程修士論文(Divinity Thesis)を日英二か国語で掲載している。

1.土着化の問題の続き

 しかし問題はそれほど単純ではない。我々は「超文化的な福音の本質」を、神学や形而上学と同一視することは出来ない。なぜなら神学も哲学も人間の産物であり、文化的制約を受けているからである。文化的相対主義者は、キリスト教が文化的あるいは言語的な境界を越えて伝わったときには、常にそれは変化したし、ある世代から次の世代へと伝えられたときにも常にそれは変化したと主張する。キリスト教について何かを知るものは、彼らが置かれている歴史的状況にとって意味がある言葉によってそれを理解するのみである。相対主義はキリスト教が広まり、生き延びてきた理由の一つは、その驚くべき適応性によるものであると主張する。イエスは神学者達や幻想家達の猛攻撃の前にあまりにも無力であり、いとも簡単に彼らに採用され、異教の神に変質させられてしまったのである。イエスとは神秘的祭儀の崇拝対象であり、ただそれに歴史上に存在した人物の名前が冠してあるのみであるから、彼は実際は国ごと、世代ごとに異なるのである。このように、文化的相対主義はキリスト教の本質を、その様なものは存在しないといわんばかりに、無形で曖昧なものにしてしまうのである。

 B.キリストと文化

 H・リチャード・ニーバーは、この問題の複雑な性質を認識し、より洗練された方法でそれを扱っている。彼の扱い方は、宣教学的というよりはむしろ神学的なものである。彼の著書「キリストと文化」において、ニーバーは教会が主の命令に対する理解を文化に関連させる時に、歴史的に採用してきた類型の跡をたどっている。ニーバーの扱いにおいては、五つの類型が与えられている。彼は文化とキリストの関係における二つの極端な立場を、「文化に対するキリスト」(Christ against culture)と、「文化のキリスト」(Christ of culture)と名付けた。この二つのタイプは、残りの三つの中にも含まれているが、それらの急進的な性格はお互いが影響し合うことによって弱められている。これらの三つのタイプは、それぞれ「文化の上にあるキリスト」(Christ above culture)、「矛盾におけるキリストと文化」(Christ and culture in paradox)、および「文化の改造者としてのキリスト」(Christ the transformer of culture)と呼ばれている。

 神は文化に反しているという立場をとる者達にとっては、神に対する献身を選ぶという事は、その定義からして、文化に反対することを意味する。この見方をとる者達にとって、「文化」の本質とは彼らが周囲に見る悪なのであり、神聖に至る道は「この世」から逃げ出し、それを非難することなのである。

 しかしながら、「文化に対するキリスト」のグループはジレンマに陥る。彼らは文化から逃げ出すことは出来ない、なぜなら彼らの文化は、彼らの外にあるのみでなく、内側にも存在しているからである。しかし彼らはその文化の形式を生来悪であるとみなすために、そこから逃れようとする。彼らは自分自身の文化から逃げ出すことが出来ないが故に、それを極めて無意識的に身に付けて歩み、実際には自己の文化の大部分を是認し、それによって生きているにも関わらず、彼ら自身はそれから自由であると信じているのである。

I. Problem of Indigenization (Cont.)

However, the problem is not that simple. We cannot equate the “supracultural core of the gospel” with theology nor metaphysics for theology and philosophy are human made and culture-bound. Cultural relativists argue that every time Christianity crosses any cultural or linguistic boundary it is changed; any time it passes from one generation to another it is changed. Anyone who knows anything about it only understands Christianity in terms that are meaningful to them in their own historically rooted situation. Relativism maintains that one of the reasons for the spread and survival of Christianity has been its remarkable adaptability. Jesus was so vulnerable to the assault of theologians and fantasists that he was easily adopted and transformed into the Gentile God. Jesus is actually different in every country and every age for he is a mythic cult figure of every culture who bears only the name of one who was historical. Thus, cultural relativism makes the essence of Christianity extremely amorphous and ambiguous, even to the extent of non-existent.

B. Christ and Culture

Recognizing the complicated nature of this problem, H. Richard Niebuhr deals with this problem in a more sophisticated way. His treatment is theological rather than missiological. In his Christ and Culture, Niebuhr traced the types of relation which the church has historically adopted in relating its understanding of the mandate of its Lord to culture. Niebuhr’s treatment yielded a fivefold pattern. The two extreme positions he identified as Christ against culture and Christ of culture. These two types enter into the remaining three, but are reduced in their radicalness by their mutual interaction. These three types are called Christ above culture, Christ and culture in paradox, and Christ the transformer of culture.
For those who take the position that God is opposed to culture, the choice for commitment to God is by definition a decision to oppose culture. To those who hold this view the essence of “culture” is evil that they see around them, and the way to holiness is to escape from and to condemn “the world.”(6)
The Christ against culture groups, however, are caught in dilemma. They cannot escape from culture, since their culture is internal as well as external. But, because they identify the forms of that culture as inherently evil, they seek to run from it. Since they cannot escape from it, they quite unconsciously carry it with them, living by and endorsing the major part of their culture, even though they believe themselves to be free of it.(7)

(6)H. Richard Niebuhr, Christ and Culture, (NY: Harper & Row, Publishers, 1956), p.47-48.
(7)Ibid.,. p.69

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統一神学大学院修士論文シリーズ05


緊張と統合:内村鑑三におけるキリスト教と日本の精神

 このシリーズでは、私が1994年に執筆した統一神学大学院(Unification Theological Seminary)の神学課程修士論文(Divinity Thesis)を日英二か国語で掲載している。今回から4回に分けて第1章の「土着化の問題」を掲載する。

1.土着化の問題

 A.純粋信仰と文化的形式
 土着化の問題は、必然的にキリスト教と文化との関係を扱う。この問題は、神学的にも宣教学的にも扱うことができる。Christopaganism or Indigenous Christianity?(キリストの異教か、土着のキリスト教か?)は、教会の成長に関するウィリアム・S・カーター・シンポジウムの作品であり、この問題を基本的に宣教学的な主題として扱っている。このシンポジウムの目的は、「合法的な順応と非合法的な折衷主義とを区別するための基準と共に、一方を成し遂げて他方を避けるための実際的なアプローチを調査することである」とされている。

 このシンポジウムのテーマは、宣教学の分野において使われているいくつかの専門用語の下に議論されている。それは否定的な側面からは、syncretism(習合)あるいは Christopaganism(キリストの異教)と言われる。聖書そのものが神の民に対して、自らの教えを異教と混合することに対して警告しているために、聖書に根本を置く宣教師なら誰でも、彼が設立した教会の中において習合につながる可能性のある何ものに対しても抵抗しようとする傾向は、避け難いことである。

 しかしながら宣教事業はまた、彼らが長らく「宣教地」と呼んで来た所に、その地から見れば異質なものである、西洋のキリスト教を植え付けることの危険性についても、警告されなければならない。なぜなら、宣教師達が自分達のものとは異なる諸文化に植え付けた教会は、それらの土着の文化の一部としてふさわしくなければならないからである。このように、宣教師達は常に「純粋な信仰と本質的な福音」を保つことと、それに「土着の衣」を与えることとの間に生ずるジレンマに陥ることになるのである。

 ティペットは基本的な問題を、「如何にして本質的、超文化的な福音の核心を、それが伝えられ、共有される時の手段である非キリスト教的な形式に汚染されることなく、他の文化圏の新しい信者に伝えるか?」ことであると定義する。しかし彼の基本的な解決法は、いささか単純化されたものである。彼は「純粋信仰」と「文化的形式」を区別することを主張する。彼は、syncretism(習合)あるいは Christopaganism(キリストの異教)を、本質的内容、形而上学的・神学的な内容の混乱であり、超文化的な福音の本質が汚染されるような信仰体系の融合であると定義している。しかしIndigenous Christianity (土着のキリスト教)とは、新しく植え付けられたキリスト教がその地における固有性を獲得するためになされなければならない、文化的適応なのである。すなわちそれは、その中において福音の本質が表現されるような、意味ある形式へと文化を革新させることなのである。

I. Problem of Indigenization

A.Pure Faith and Cultural Form

The problem of indigenization necessarily deals with the relationship between Christianity and culture. This problem can be treated both theologically and missiologically. Christopaganism or Indigenous Christianity? is a product of the William S. Carter Symposium on Church Growth, which deals with the problem basically as a missiological subject. The purpose of this symposium was to “explore both the criteria by which one might distinguish legitimate accommodation from illegitimate syncretism and practical approaches designed to achieve the one and avoid the other.”(1)
The theme of this symposium has been discussed under a number of terminologies in the field of missiology. From the negative facet it is referred to as syncretism or as Christopaganism. Since Scripture itself warns the people of God about the mixture of a heathen religion with their own, it is inevitable that any missionary whose roots are in Scripture will be predisposed to resist anything in the churches he plants which could lead to syncretism.(2)
However, missionary enterprises must be also warned of the danger of planting foreign western Christianity on what they have for so long called “the mission field,” because the churches they planted in cultures other than their own must be relevantly part of those indigenous cultures. Thus, missionaries are continuously in a dilemma between preserving “a pure faith and an essential gospel” and giving it “an indigenous garment.” (3)
Tippett defines the basic problem as, “how to communicate the essential supracultural core of the gospel to new believers in other cultures without having it contaminated by the non-Christian forms with which it must be communicated and shared.”(4)His basic solution is, however, a somewhat simplistic one. He insists on a differentiation between “the pure faith” and “cultural form.” He defines syncretism or Christopaganism as a confusion in the essential content, the metaphysical, the theological, as the fusion of belief systems so that the supracultural gospel is contaminated. Indigenous Christianity is, however, cultural adjustments which have to be made to achieve the indigeneity of the newly planted Christianity. In other words, it is an innovation of meaningful cultural forms in which the essence of the Gospel is expressed.(注5)

(1)Tetsunao Yamamori, “Introduction” in Christopaganism or indigenous Christianity, ed. by Tetsunao Yamamori and Charles R. Taber, (South Pasadena, Calif: William Carey Library, 1975), p.11.
(2)Alan R. Tippett, “Christopaganism or Indigenous Christianity” in Christopaganism or indigenous Christianity, p.14.
(3)Ibid., p.14.
(4)Ibid., p.14
(5)Ibid., p.17-18

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統一神学大学院修士論文シリーズ04


緊張と統合:内村鑑三におけるキリスト教と日本の精神

 このシリーズでは、私が1994年に執筆した統一神学大学院(Unification Theological Seminary)の神学課程修士論文(Divinity Thesis)を日英二か国語で掲載している。

序論の続き

 内村鑑三は日本のキリスト教徒の中でも最も著名で魅力的な人物の一人であり、彼は実に真摯にキリスト教と日本文化を統合しようと努めた。どういうわけか彼は日本に神の摂理が働いていると信じ、日本の使命は西欧の諸国と他のアジア諸国の橋渡しをすることであると考えたのである。

 内村の無教会運動は、キリスト教を西洋的な衣から解放しようという試みであり、それによって彼は福音に本来備わっている普遍性を主張しようとしたのである。無教会は意図的に教会の組織を回避することによって、日本人が西洋の宗教としてのキリスト教を超越することを可能にしたのである。内村は日本人の魂に福音の種を蒔く前に、人々の心を伝統的な日本の模範と美徳によって耕そうと欲した。従って彼はキリスト教を武士道の倫理および禅と統合しようと試みたのである。

 内村は日本人であると同時にキリスト教徒であるという、自分が持つ二つのアイデンティティーの狭間で激しく葛藤した人物であった。内村を巻き込んだいわゆる不敬事件は、1891年に彼が教育勅語に記された明治天皇の宸署の前で敬礼することを拒んだことによって引き起こされた。この事件はキリスト教徒の忠誠に関する国家的次元の激しい論争に発展した。内村は愛国者であったが、彼の愛国心は自民族中心のナショナリズムではなかった。彼は純粋なキリスト教理想に基づいて、国際的な視野に立って自分の母国を愛したのである。彼のモットーは「二つのJ]すなわち Jesus と Japan を愛することであった。彼の古い聖書の表紙裏に書かれ、のちに彼の墓碑銘にもなった言葉は、彼がキリスト者としての責任を指向してナショナリズムを超越したことを象徴している。
I for Japan (われは日本のため)
Japan for the World (日本は世界のため)
The World for Christ (世界はキリストのため)
And all for God (そしてすべては神のため)

 以上のような理由により、無教会主義キリスト教の本質および内村鑑三の生涯と思想を、キリスト教の日本文化への土着化のモデルとして検討することは、日本という文化的状況の中での司牧の概念と方法論に対する我々の理解を深めるのに役立つ。この論文は、西洋の人々に日本人に対する文化的な架け橋を掛ける道を提供するばかりでなく、より広い意味において土着化の過程に対する我々の理解を広め、そして深めるであろう。

 以下に続く各章において扱う問題は、1)土着化の問題、2)無教会運動出現の歴史的背景、3)無教会運動における司牧の概念、4)キリスト教と日本文化の統合の方法、5)無教会運動の構造、6)無教会と日本社会、7)無教会運動の評価である。

Introduction (Cont.)

Kanzo Uchimura is one of the most prominent and attractive figures among Japanese Christians, who earnestly tried to integrate Christianity and Japanese culture. Somehow he believed in God’s providence working in Japan, and thought that the mission of Japan was to connect the Occidental countries with the other Asian countries.
Uchimura’s Mukyokai (non-church) movement is an attempt to free Christianity from its Western garment and thereby to affirm the universality believed inherent in the Gospel. Its deliberate avoidance of the institution of the church had enabled the Japanese to transcend Christianity as a Western religion. Uchimura wanted to cultivate people’s spirit by traditional Japanese examples and virtues in order for their soul to be seeded with the Gospel; so he attempted to synthesize Christianity with Bushido ethics and Zen Buddhism.
Uchimura was a person who really struggled between his two identities: one is Japanese, the other is Christian. The Lese Majesty Incident (fukei jiken) which involved him was caused by his refusal in 1891 to bow before the Imperial signature affixed to the Imperial Rescript on Education (Kyoiku Chokugo). This led to a fierce nationwide controversy over the loyalty of Christians. Although he was a patriotic person, his patriotism was not an ethnocentric nationalism. He loved his mother country within the international context, based on a pure Christian ideal. His motto was to love “two Js,” which means Jesus and Japan. The words written in the back of the cover of his old Bible, and also engraved on hid gravestone symbolize a transcendence of nationalism in the direction of Christian responsibility:
I for Japan
Japan for the World
The World for Christ
And all for God.
From the reasons mentioned above, to examine the essence of the Mukyokai Christianity and Kanzo Uchimura’s life and thought as a model of indigenization of Christianity in Japanese culture is useful for deepening our understanding of the concept and methods of ministry in Japanese cultural context. This works will not only provide a way for western people to make a cultural bridge with Japanese people but also increase and deepen our understanding of indigenization processes in more broader sense.
In following chapters, will deal with 1) the problem of indigenization 2) the historical background in which the Mukyokai movement emerged; 3) concept of ministry in the Mukyokai movement; 4) the way of synthesis of Christianity and Japanese culture; 5) Structure of the Mukyokai movement; 6) the Mukyokai and Japanese society; and then 7) evaluate the Mukyokai movement.

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統一神学大学院修士論文シリーズ03


緊張と統合:内村鑑三におけるキリスト教と日本の精神

 このシリーズでは、私が1994年に執筆した統一神学大学院(Unification Theological Seminary)の神学課程修士論文(Divinity Thesis)を日英二か国語で掲載している。

序論の続き

 日本における宣教活動の多大なる困難は、遠藤周作の小説「沈黙」の中に想像力豊かに表現されている。

 日本に不法侵入したイエズス会の司祭ロドリゴと日本の役人との会話。1697年頃。
「パードレの宗旨、そのものの正邪をあげつろうておるのではない。エスパニヤの国、ポルトガル国、その他諸々の国には、パードレの宗旨はたしかに正とすべきであろうが、我々が切支丹を禁制にしたのは重々、勘考の結果、その教えが今の日本国には無益と思うたからである」・・・
「正というものは、我々の考えでは、普遍なのです」司祭は言った。「・・・もし正が普遍でないという気持ちがあれば、どうしてこの苦しみに多くの宣教師たちが耐えられたでしょう。正はいかなる国、いかなる時代にも通づるものだから正と申します。ポルトガルで正しい教えはまた、日本国にも正しいのでなければ正とは申せません」
・・・
「パードレたちは悉く同じことを言う。だが・・・ある土地では稔る樹も、土地が変われば枯れることがある。切支丹とよぶ樹は異国においては、葉も茂り花も咲こうが、我が日本国では葉は萎え、つぼみ一つつけまい。土の違い、水の違いをパードレは考えたことはあるまい」 (沈黙、pp.140-141)

 ロドリゴと棄教した司祭フェレイラとの会話
「・・・お前の眼の前にいるのは布教に敗北した老宣教師の姿だ」・・・「二十年間、私は布教してきた」・・・「知ったことはただこの国にはお前や私たちの宗教は所詮、根をおろさぬということだけだ」
「根をおろさぬのではありませぬ」司祭は首をふって大声で叫んだ。「根が切りとられたのです」

 だがフェレイラは司祭の大声に顔さえあげず眼を伏せたきり、意志も感情もない人形のように、「この国は沼地だ。やがてお前にも分かるだろうな。この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった」(沈黙、pp.188-189)

 遠藤の小説「沈黙」における沼地のイメージは、日本の文化的土壌に深く根ざした、全ての異質なものを拒否する自己淘汰性というものを巧みに表現した比喩である。この様なキリスト教と日本人との異文化間の相克を克服する為の試みとして、内村鑑三の思想と活動は日本の文化的状況における司牧の一つの魅力的な実例である。それは次のような理由による。

Introduction (Cont.)

The considerable difficulty of the missionary activities in Japan is imaginatively expressed in Shusaku Endo’s novel Silence:
Dialogue between a Japanese magistrate and Rodriguez, a Portuguese Jesuit priest illegally in Japan, circa. 1650
“Father, we are not disputing about the right and wrong of your doctrine. In Spain and Portugal and such countries it may be true. The reason we have outlawed Christianity in Japan is that , after deep and earnest consideration, we find its teaching of no value for the Japan of today” …
“According to our way of thinking, truth is universal, said the priest… “if we did not believe that truth is universal, why should so many missionaries endure these hardships? It is precisely because truth is common to all countries and all times that we call it truth. If a true doctrine were not true alike in Portugal and Japan we could not call it ‘true'” …
“All the Fathers keep saying the same thing. And yet … [a] tree which flourishes in on kind of soil may wither if the soil is changed. As for the tree of Christianity, in a foreign country its leaves may grow thick and the buds may be rich, while in Japan the leaves wither and no bud appears. Father, have you never thought of the difference in the soil, the difference in the water?”(4)
Dialogue between Rodriguez and Ferreira, an apostate priest
“[B]efore your eyes stands the figure of an old missionary defeated by missionary work … For twenty years I labored in the mission … The one thing I know is that our religion does not take root in this country.”
“It is not that it does not take root,” cried Rodriguez in a loud voice, shaking his head, “It’s that the roots are torn up.”
At the loud cry of the priest, Ferreira did not so much as raised his head. Eyes lowered he answered like a puppet without emotion: “This country is a swamp. In time you will come to see that for yourself. This country is a more terrible swamp than you can imagine. Whenever you plant a sapling in this swamp the roots begin to rot; the leaves grow yellow and wither. And we have planted the sapling of Christianity in this swamp.” (5)
The image of the swamp in Endo’s novel (Silence) is a powerful metaphor to illustrate the tenacious self-selectivity of the Japanese cultural soil that rejects all things foreign. As an attempt to overcome this cross-cultural struggle between Christianity and Japanese people, Kanzo Uchimura’s thought and activity are a fascinating example for the ministry in Japanese cultural context for several reasons.

(4)Shusaku Endo, Silence, translated by William Johnson. (New York: Taplinger Publishing Company, 1969), pp.166-8.
(5)Ibid., pp.224-5.

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統一神学大学院修士論文シリーズ02


緊張と統合:内村鑑三におけるキリスト教と日本の精神

 このシリーズでは、私が1994年に執筆した統一神学大学院(Unification Theological Seminary)の神学課程修士論文(Divinity Thesis)を日英二か国語で掲載している。今回から3回に分けて「序論」を掲載する。

序論

 キリスト教と東アジアは、共に21世紀の世界において重要な役割を担う事が期待されている。しかしながら、この二つは過去数世紀にわたる多大なる宣教の努力にも関わらず、互いに疎遠な関係にあったのである。日本は東アジアの中では最も近代化され西洋化された国でありながら、今だにキリスト教国と呼ぶにはほど遠い。キリスト教は日本においては依然として少数派であり、「バタ臭い」という一般的な言い回し表現されているように、外国の宗教とみなされているのである。すなわち、お米ではなくバターを食べる西洋人の臭いが染み着いているというのである。

 キリスト教を日本文化に土着化させることは容易ならぬ仕事であり、イエズス会の状況適応型のアプローチもこれを成し遂げることは出来なかった。フランシズコ・ザビエルが1549年にゴアから日本へ航海した時、日本はフィリピンの様に宣教の大勝利の地になるかに思われた。楽観的な宣教師は、1577年に「もし充分な数の宣教師さえいれば、日本全体が10年間でキリスト教化されるであろう。」と書いている。イエズス会の宣教師は、1579年にはキリスト教に改宗した者達の本拠地としての新しい街である長崎を建てることに成功し、既に10万人の日本人改宗者がいると主張したのである。1587年には彼らは20万人の改宗者と240の教会を有していると主張した。

 しかしながらキリスト教信仰の急速な拡大は突如として座礁した。フランシスコ会とプロテスタントの宣教師が到来して論争を始め、宣教師達は政治に巻き込まれた。日本の統治者は、宣教師達をスペインの侵略者達の先鋒であるとみなすようになった。1614年には、将軍家康は宣教師達を日本から追放する為の勅令を出し、その時から過酷な迫害が始まった。1614年から1646年までの間に、4045名の殉教者が出た。1638年の鎖国令によって、我国は外国人に対して閉ざされた。そして1614年の時点ではおよそ30万人いた日本のキリスト教徒は、結局1697年までに絶滅してしまったのである。

Introduction

Both Christianity and East Asia are supposed to take important roles in the twenty-first century world. However, these two had been alienated from one another in spite of tremendous missionary efforts of the past centuries. Even though Japan is the most modernized and westernized country in East Asia, it is still far from being a Christian country.(1)Christianity is still a minority in Japan and regarded as a foreign religion as it is expressed in a popular phrase, Christianity “smells of butter” (batakusai), i.e., it is tainted with the smell of Westerners who eat butter instead of rice.(2)
Indigenization of Christianity in Japanese culture was so hard a task that even the contextualization approach of the Jesuit could not accomplish it. When Francis Xavier sailed from Goa to Japan in 1549, she seemed to be a field of missionary triumph like the Philippines. “In ten years,” wrote an optimistic missionary in 1577, “all Japan will be Christian if we have enough missionaries.” In 1579 Jesuit missionaries were able to establish a new town, Nagasaki, to be a home for Christian converts, and claimed that there were already 100,000 Japanese converts; in 1587 they claimed 200,000 converts with 240 churches.
The rapid expansion of Christian faith was, however, stopped suddenly. Franciscans and Protestant missionaries arrived and began to quarrel and the missionaries were involved with politics. The ruler began to look upon the missionaries as the spearhead of Spanish invasion. In 1614 the ruler Ieyasu issued an edict which expelled missionaries from Japan. Then began a severe persecution. Between 1614 and 1646, there were 4045 martyrs. A decree of 1638 closed the country to foreigners. Japanese Christians, which were about 300,000 in 1614, eventually had banished by 1697.(3)

(1)The statistics of 1965 and 1972 report that Christians constitute 0.8% of the total population of Japan. The statistic of March 1986 informs us that the total membership of all churches in Japan is 1,059,355, or about 1.3% of the total population. Of these, 58% were Protestant; Roman Catholic and Orthodox members were 42%. This seems to be minor disagreement among statistics, not suggesting the increase of Christians in Japan. It may be safe to say that Christian population in Japan is around 1%.
(2) Calro Caldarola, Christianity: The Japanese Way. (Leiden, The Netherlands: E. J. Brill, 1979), p.15.
(3)Owen Chadwick, The Reformation. (New York: Penguin Books, 1964), pp.340-2.

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統一神学大学院修士論文シリーズ01


緊張と統合:内村鑑三におけるキリスト教と日本の精神

 今回から、私が1994年に執筆した統一神学大学院(Unification Theological Seminary)の神学課程修士論文(Divinity Thesis)を日英二か国語でアップしようと思う。この論文は1991年から1995年まで続いた私の神学校での学びの集大成と言えるものであり、当時の私の神学的関心を表現しているものだ。私は1964年生まれであるため、1994年といえば30歳になる年である。

 私は1983年、18歳の時に東京工業大学の学生として統一原理に出会い、原理研究会(CARP)の一員として大学時代を過ごした。1987年に卒業後、1年半はCARPに残って後進の育成に携わったが、1988年に6500双の祝福を受け、翌年「コリア人」として韓国に渡った。韓国における活動は世界日報の新聞配達と拡張、そして伝道であった。1989年に日本に帰国して、東京の武蔵野市で伝道活動に携わっていたが、1991年8月に自ら志願して統一神学大学院(UTS)に入学した。26歳であった。

 ちなみに、私が在学していた当時の統一神学大学院は、必ずしも統一教会の教義のみを教えるところではなかった。一般のキリスト教の神学校で教えられているような聖書学、組織神学、キリスト教会史、哲学、心理学、宗教教育学などを幅広く学ぶことができた。教授たちの中には、カトリック、プロテスタント、ギリシア正教、その他バラエティーに富んだ宗教的背景をもつ人々が含まれていた。

 神学校で学ぶということは、私にとっては一つの「知的試練」でもあった。それまでは逐語霊感説的にはとらえていなかったものの、わりと純粋に聖書の言葉を受けとめていた私にとって、聖書批評学という懐疑的な学問はかなり衝撃的であった。一般のキリスト教においても、牧師になるために純粋な動機で神学校に行ったクリスチャン青年が、神学校で学んでいるうちに信仰を失ってしまうという話はあるらしい。さらに組織神学や教会史などを通して、既成キリスト教の考え方と統一原理の考え方を相対的に比較するという視点が生まれた。その中で統一原理が「真理」であるということがいかに保証されるのか、真剣に悩んだ時期でもあった。結果的には、そうした「知的試練」を通過しても私は信仰を失うことはなく、逆に信仰が深まったと思っている。

 UTSで私は英語と神学を学んだが、そのことが私のその後のキャリアを大きく開くこととなった。今日、UPFの事務総長としての職責に就いているのは、神学校で学ばなければあり得なかったことである。在学中は自分なりに熱心に勉強したつもりであり、卒業時には「Magna Cum Laude」という成績優秀の称号をいただいた。いま思い出しても、UTSには良い思い出しかなく、そこで学べたことにとても感謝している。

 私の若き日の思考の記録をインターネット空間に残しておきたいという意図もあり、このたび修士論文の内容を個人ブログでアップすることにした。論文のタイトルは「緊張と統合:内村鑑三におけるキリスト教と日本の精神(Tension and Synthesis: Christianity and the Japanese mind in Kanzo Uchimura)」である。第一回の今回は、日本語と英語で目次を掲載しておきたい。これにより、これからのシリーズでどんなことが論じられるかを垣間見ることができるであろう。

目次
序論 
1.土着化の問題
  A.純粋信仰と文化的形式
  B.キリストと文化
2.アメリカの宣教師と日本のキリスト教徒
  A.第一段階:幸福な出会い
  B.第二段階:不和の発生と独立の為の戦い
  C.第三段階:無教会運動の出現
3.無教会運動における司牧の概念
  A.無教会の教会観
  B.無教会の専従牧師観
  C.無教会の典礼観
4.日本文化とキリスト教の統合
  A.土着化に対する無教会の見解
  B.武士道とピューリタン主義の統合
  C.神道と禅宗
5.無教会運動の構造
  A.師弟関係に基づいた聖書研究会
  B.反組織原理
6.無教会と日本社会
  A.明治時代の宗教的状況
  B.不敬事件
  C.不敬事件後の内村
  D.内村以後のキリスト教
7.無教会運動の評価
  A.日本の宗教的伝統における無教会の位置
  B.他律に対する自律的反動としての無教会
結論

Table of Contents
Introduction
I. Problem of Indigenization
A. Pure Faith and Cultural Form
B. Christ and Culture
II. American Missionaries and Japanese Christians
A. First Phase: Happy Encounter
B. Second Phase: Development of Incompatibilities and the Struggle for Independence
C. Third Phase: The Emergence of the Non-Church Movement
III. Concept of Ministry in Mukyokai Movement
A. The Mukyokai View of the Church
B. The Mukyokai View of Professional Ministry
C. The Mukyokai View of Sacrament
IV. Synthesis of Japanese Culture and Christianity
A. The Mukyokai View of Indigenization
B. Synthesis of Bushido and Puritanism
C. Shinto and Zen Buddhism
V. Structure of Mukyokai Movement
A. The Bible Study Group Based on Teacher-Pupil Relationship
B. Anti-Organization Principle
VI. Mukyokai and Japanese Society.
A. Religious Situation of the Meiji Period.
B. The Lese Majesty Incident.
C. Uchimura After the Lese Majesty Incident.
 D. Christianity After Uchimura.
VII. Evaluation of the Mukyokai Movement.
A. Locus of the Mukyokai in the Japanese Religious Tradition.
B. The Mukyokai as the Autonomous Reaction against Heteronomy
Conclusion

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『生書』を読む42


第九章 第一回御出京の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第42回目である。第37回から「第九章 第一回御出京」の内容に入った。第九章では、大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。大神様の東京における活動拠点は杉並区にある慈雲堂病院であったが、4月2日から約10日間、千葉県の四街道の開拓団に移動し、そこで御説法されることとなった。この開拓団は、旧陸軍練兵場に開設されたもので、復員軍人によって構成されていた。前回はこの開拓団で語られた大神様の教えの概要を説明したが、今回はそこで起こった事件について解説することにする。

 ある夜、かつて慈雲堂に来た中島という副団長が大神様に「この開拓団内の御説法の間だけ、天皇のことには触れないようにしてはいただけませんでしょうか。団内に不穏の形勢があるのですが。」(p.296)と頼んだ。殉忠報国の思想で凝り固まった元軍人たちには、大神様の天皇に対する批評は我慢ならなかったのであろう。しかし、大神様はこれを言下に否定して、「絶対にやめない、止めるならますます言ってやる」と一歩も引かなかったのである。相手は男であり、しかも元軍人である。それでも大神様は「おれには天が下に恐ろしい者は一人もいない。」と言ってのけたのである。

 その翌日の夜、4~50名の見慣れない連中が説法場にやってきた。そこに大神様のいつもの歌説法が始まった。内容はもちろん今の天皇に対する批判である。すると歌説法が終わらぬうちに場内は騒然となってきた。怒号する者、にじり寄る者、怒鳴り出す者。しかし大神様はますます叫び続ける。ある者が下駄を投げて窓ガラスを割った。そして7~8名の者が大神様に詰め寄り、「おれらは、飽くまで天皇制を護持するのだ。いらんことをぬかすな。」(p.299)と言った。

 いまにも群集心理による暴力が起こりそうな場面である。酒気を帯びた者が懐の短刀をつかんでにじり寄ってきた。しかし不思議なことに、大神様の傍に来ると手が出せない。喧嘩を買って出た者たちも、言葉で大神様にやり込められて、捨てぜりふを残して場内から出ていくことにより、結局は暴力沙汰にはならずに済んだ。するとそれまで仁王のようであった大神様の顔は慈母のような温顔に戻り、自分を脅した者たちに対する憐みの言葉を語られたのである。彼らがいつか反省すれば救いの道に至るように、今日は縁結びをしたのだという。

 この話のポイントは、大神様が暴力による脅しに屈することなく、信念を貫いたということである。大神様は「崩れゆく文明科学の世を救うは神念じゃ。神念とは、肚に入った神様のなさるがままになることじゃ。肚だよ、肚だよ。肚さえありゃ、神様はいつでも使ってくださる。」(p.304)と言われた。大神様の教えには「肚をつくれ」とか「肚を練れ」といった内容がある。神を中心とする絶対的な信念(=神念)さえあれば、何も恐れる必要はないということだ。

 同時に大神様の思想には「非暴力」「打たれても感謝」という内容がある。それは以下の言葉に表れている。
「今日はお前ら、感心に手出しをせんじゃったのう。和をもって立ち上がる国をつくるのじゃから、わしの後をついて行じて来る者は、いついかなる時でも絶対手をだしちゃあならんぞ。殴られても合正して祈っちょれ。肚を据えて祈るところに、手出しのできるやつはおらん。」(p.305)

 これは「右のほほを打たれたら,左の頬をも差し出せ」「悪人に手向かってはならない」「剣を鞘におさめよ。剣による者は、みな剣によって滅びる」「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」などのイエス・キリストの言葉に通じる教えである。また、トルストイやガンジーに見られる非暴力主義や無抵抗主義と基本的には同じ立場である。「悪に対して悪を以って報いるなかれ」という言葉に示されるように、悪に対するに暴力的悪を以ってせず、なすままにしてその悪であることを悟らせ、改悛にいたらせようとする姿勢である。それを実践する根拠となるものが、神に対する絶対的信頼、すなわち「肚」なのである。暴力を恐れたり、それに屈したり、あるいはそれに暴力で返してしまうのは、神に対する信仰が足りず、肚がないためだということになる。

 四街道における10日の日程を過ごされた大神様は、4月13日に田布施に帰ることになった。こうして東京と四街道に神の種が蒔かれたのである。大神様は田布施に帰る汽車の車中でも説法され、それを聞いた元海軍の若者が大神様を慕って田布施までついて来た。

 大神様の留守中は、若神様と同志たちが道場を守っていた。この頃から同志の中に、邪神のおもちゃになる者が時折出て来た。それを落とすことが残された者たちにとっての信仰の訓練であり、「肚練り」であったということである。それを通して若神様や同志の法力も次第に増していった。

 その頃に不思議な現象が起き始めた。それは無我の歌などを歌っていると、それが自然に片言交じりの外国語に変わったり、英語を全然知らぬ子が、鉛筆を持たせると、英字をつづるようになったりしたのである。大神様はこれを「外霊が助かりたくて、やって来るのじゃ」と解釈されたが、これは将来起こるべき大神様の世界巡回の予兆としての意味もあるのであろう。

 最後に、本章に出てくる大神様の言葉から、大神様の自己認識に関して分析をしてみたい。これはキリスト教神学においては「キリスト論」に当たる部分だ。『生書』の中である将校が大神様に次のように尋ねた。
「皆があなたのことを大神様というて、拝んでいるが、あなたは我々とちっとも違わん肉体持った同じ人間ではないのですか。私はあなたの話に感銘して、偉い人だとは思うが、神だとはどうしても思えない。」(p.292)これに対する大神様の答えは以下のようなものであった。
「わしは誰にも大神様と言うてくれと頼んだ覚えはない。わしはいつも、小学校六年しか行かぬ百姓の女房だ、頭は空っぽのばかじゃと言うちょる。これがわしの肩書よ。それにみんなが勝手に、『大神様、大神様。』とうるさいほど慕うてくるから仕方がない。おれが偉いのじゃない。おれの肚におるものが偉いのじゃ。おれを拝めというのでも、おれを通して拝めというのでもない。おれはただみんなに、そちらに行けば生き地獄、こちらへ来れば天国じゃと、道教えをしてやるだけじゃ。」(p.293)

 大神様の自己認識は、自分を神そのものだと思っているのでもなく、神と人間の唯一の媒介体だと思っているのでもなく、ただ神について教えているだけだというものだ。言ってみれは預言者のような立場であろう。この大神様の自己認識は、新約聖書におけるイエス・キリストの自己認識とは異なっている。実はイエス当時のユダヤ人たちも、イエスは彼らと同じ肉体を持った人間であるのに、どうして天から来た存在であると主張するのかという疑問を持っていた。ヨハネによる福音書6章41-42節においてユダヤ人らは、イエスが「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたので、イエスについてつぶやき始め、「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか」と語っている。確かに外的に見ればイエスは我々と変わることのない肉体を持った人間であった。

 しかし、イエスの自己認識はそれとは異なっていた。ピリポがイエスに、神を見せてくださいと言ったとき、イエスはピリポに、「わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか」(ヨハネ14:9-10)と答えられたのである。またイエスは「わたしと父とは一つである」(ヨハネ10:30)とも言われ、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6)とも言われた。

 このように新約聖書においては、イエスは自分自身を神に等しい存在として示し、神と人間の唯一の媒介体であるとしているのである。こうした記述に基づいて発達した初期のキリスト教神学においては、イエス・キリストはいわゆる教祖というような次元の存在ではなく、「神が人となられたお方」とされている。キリスト教における「正統」の範囲を決定する重要な枠組みとなっているニケア・カルケドン信条においては、イエス・キリストは「真に神であり真に人である」とされている。これは宇宙の創造主であると同時に、一人の歴史的人物であるという意味である。こうしたキリスト論の立場は、天照皇大神宮教における大神様の立場とはかなり異なるものであると言えるだろう。

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『生書』を読む41


第九章 第一回御出京の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第41回目である。第37回から「第九章 第一回御出京」の内容に入った。第九章では、大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。大神様の東京における活動拠点は杉並区にある慈雲堂病院であったが、4月2日から約10日間、千葉県の四街道の開拓団に移動し、そこで御説法されることとなった。この開拓団は、旧陸軍練兵場に開設されたもので、復員軍人によって構成されていた。今回はそのときの出来事を扱うことにする。

 開拓団では昼は婦人や子供たちが大神様の御説法を聞きに来たが、夜は男性たちがやってきた。彼らはみな元軍人であり、昔は威光を放っていたが、「ひとたび無条件降伏となってみれば、自らの生きる道を、彼らの腕で働き、額に汗して求めなくてはならなくなり、ここに集まっている人たちは、練兵場の跡を開墾して、一介の農夫として立ち上がろうとしていた人々」(p.285)であった。それだけに彼の心は荒んでおり、組織としての秩序もなく、不平不満が絶えない状態だった。こうした人々に対しても大神様はなんの遠慮会釈もなく説法された。その内容はこれまで大東亜戦争や天皇陛下について大神様が語ってきたことと基本的には同じ内容であるが、改めてポイントを抑えておこう。
①大東亜戦争は聖戦などではなく、他国に出て行って人殺しと泥棒をしただけだった。
②よその国を取る必要などない。日本の本土だけで十分だ。隣国は隣国であるのが良い。
③これからは正しい神と悪魔の戦いが始まる。それは祈りの戦いである。
④天皇は現人神ではなかった。置物の人形に過ぎなかった。だから人間宣言をした。
⑤いまや天皇に代わって天照皇大神宮教が天降ったので、神の国をつくるのだ。
⑥神州不滅とは日本が亡びないという意味ではなく、「神衆不滅」と書くのが正しい。神の子だけが不滅という意味である。だから神の子にならなければならない。
⑦八紘一宇の「紘」の字は、「光」と書かなければならない。他国を侵略しておいて八紘一宇を唱えても誰も受け入れない。
⑧このたびの日本の敗戦は神の計画であった。裸一貫になって再出発するためだ。
⑨真の神の召集令状は、真人間に立ち帰ることを求めている。

 こうしてポイントを並べてみると、大神様はこれまで日本人が信じて来た国体イデオロギーを否定し、一つひとつの言葉に新しい解釈を施すことによって日本の再建を訴えていることが分かる。その意味で天照皇大神宮教はまさに戦後的な新宗教であり、既存の価値観が崩壊した危機の時代を革新的な解釈によって乗り越えようとした宗教であると言えるだろう。しかし、殉忠報国の思想で凝り固まった元軍人たちには、天皇に対する批評はにわかに受け入れがたく、半信半疑で聞いているものが多かったという。

 ここで一人の者が以下のような質問をした。
「衣食住に魂とられるな、と言われるが、我々さしあたって明日の日に困っておる者に、まずパンを与えてくださるのが神ではないのですか。昔から衣食足って礼節を知るという諺もあるとおり……」(p.290-291)

 しかし大神様はこれを言下に否定された。
「違う違う、まず真人間になれ。真人間になりさえしたら、お前らの生きる道は、天父が与えちゃる。自ら餓鬼道の世界に落ちちょいて、神に『まずパンを与えよ。』と言うたってそりゃだめじゃ。人間の道まっすぐ行けば、すぐに神や仏の世界、神や仏の世界に行きさえすれば、天にゃ無限の供給あり。人間にやりたいものは天にゃつかえておるけれど、人間のばかが裏道横道逃げ歩いて、天の供給をよう取らんのじゃ。天の供給の取れるところまで、まず自分で魂磨いて上がって来い。わしの肚には『一にも国、二にも国、三にも国』と言うものがおるのじゃ。」(p.291)

 天照皇大神宮教は聖書やキリスト教を背景にした宗教ではないのだが、ここにはイエス・キリストの教えとの驚くべき類似性を発見せざるを得ない。それは考え方の内容においてだけでなく、「パン」というキーワードからも何らかの思想的ヒントを得たのではないかと思わざるをえないのである。日本人の主食はパンではなく米である。「明日の米を与えてください」という方が当時の日本人の生活からははるかに自然であるにもかかわらず、なぜあえて「パン」という表現を用いたのであろうか。たまたま軍人がパンと言ったというよりは、この部分は新約聖書に思想的ヒントを得たのではないかと私は考える。

 人はパンで生きるのか、それとも神のみ言葉によって生きるのかというテーマは、新約聖書のマタイ伝4章に登場する。
「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる者がきて言った、『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい』。イエスは答えて言われた、『「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」と書いてある』」。(マタイ4:1-4)

 新約聖書のこの部分に対する一般のキリスト教の解釈は、人が生きていく上で必要な栄養素は水や食料、空気などの外的・物質的な栄養素だけでなく、神の言葉という内的、精神的栄養素もあるのであり、この二つのどちらに最高の価値があるかと言えば、むしろ後者であるというものだ。そして「パンを石に変えろ」という悪魔の試練がもつ意味は、石はキリスト(神の子の立場)を指し、パンは人が現世で生きるのに必要な物質的なもの(食料・富)を指すのであるから、肉体的な欲望のために神の子としての自分の立場を捨てよと悪魔は誘惑していることになる。これにイエスは打ち勝ったということだ。

 『原理講論』におけるこの聖句の解釈も基本的には同じ考え方に基づいている。
「この試練に対するイエスの答えは、『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』(マタイ四・4)というみ言であった。元来、人間は、二種類の栄養素によって生きるように創造された。すなわち、自然界より摂取する栄養素によって肉身を生かし、神の口から出るみ言によって霊人体を生かすようになっているのである。」
「その石は結局、サタンの試練を受けているイエス自身を象徴するものであった。……それゆえに、サタンの最初の試練に応じたイエスの答えは、要するに、私が今いくらひどい飢えの中におかれているとしても、肉身を生かすパンが問題ではなく、イエス自身がサタンから試練を受けている立場を勝利して、すべての人類の霊人体を生かすことができる、神のみ言の糧とならなければならないという意味であった。」(以上、『原理講論』後編第二章モーセとイエスを中心とする復帰摂理、第三節イエスを中心とする復帰摂理より)

 大神様の『一にも国、二にも国、三にも国』という言葉は、「まず神の国と神の義とを求めなさい」というイエス・キリストの教えに酷似している。「天の供給」という大神様の教えも、イエスの有名な「山上の垂訓」の思想と類似している。以下にその一部を引用するが、物質的な欲求よりも神の国を優先せよというイエスの教えと大神様の教えには明確な類似性がみられ、私にはこれらが無関係であるとは考えられない。
「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。」(マタイ6:25-33)

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『生書』を読む40


第九章 第一回御出京の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第40回目である。第37回から「第九章 第一回御出京」の内容に入った。第九章では、大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。

 大神様は東京のことを「東京屠殺場」と呼び、親の恩も、先祖の恩も、国の恩も、神仏の恩も、物の恩も知らない国賊の蛆ばかりが集まっているので掃除をしなければならないと言ったが、それでも東京の人々に大神様の教えは徐々に浸透していった。具体的な現象としては、祈りの際に霊動作用が起こったり、自分自身の過去の罪を懺悔する者が現れたというのである。懺悔する具体的な罪の内容は、姦通、堕胎、盗み、親不孝、妻子いじめなどである。誰に強制されることもなく人々は自然に懺悔し、それが終わった後には晴れやかな顔に変わっていたという。

 キリスト教の「コンフェッション(告解の秘跡)」にも似た現象だが、カトリックでは告白を聞いて許しを与えることができるのは司教と司祭だけであるとされている。しかし、天照皇大神宮教においては公衆の面前で自らの罪を告白していたようである。これは「公の罪の告白(public confession of sins)」ということになり、キリスト教においてもなかったわけではないが、他人の罪の内容を聞くことはその後の人間関係にさまざまな悪影響を及ぼすことが予想されるため、推奨されてこなかった。こうしたことが成り立つには、大神様のような絶対的な権威がその場におり、許しの権能が全員に受け入れられているという特殊な状況が必要である。大神様の在世時には、そうした雰囲気があったのであろう。

 さてここで『生書』は、3月17日に成長の家本部に大神様が出向かれて、谷口雅春氏と直接対峙したときの様子を報告している。戦後間もなく二つの新宗教の教祖が直接出会い、言葉を交わした記録として、大変興味深いものである。『生書』は天照皇大神宮教側の文献であるため、その視点から書かれていることは明らかだが、この出来事に対する成長の家側の記録は残っているのだろうか? それは現時点では分からないため、ここでは天照皇大神宮教側の解釈を中心に分析することにする。

 大神様の谷口雅春氏に対するメッセージは極めてシンプルで直截的なものであった。それは大神様が何者であり、その肚の中に入っている神が誰であるか、あなたには分かるのかという問いかけであった。それも生長の家で出している『白鳩』という月刊誌に出てくる「住吉の神」とは大神様のことであることがあなたには悟れないのか、という挑戦だったのである。それに対する谷口氏の返答は、「今の世の中では、書かなければだめなのだ。書いて発表しなければだめだ。あなたは、何か書かれたものがあるか」(p.269)というものであった。しかし大神様は「経文や本に、観念論や空想を書き立てて、人を指導する時代はもう済んだ。」と切って返したのである。このやりとりはなかなか興味深い。

 生長の家の教祖である谷口雅春は、「ブック・クラブ型」ビジネスモデルによって新宗教を発展させた教祖としては草分け的な存在である。彼は1930年に雑誌『生長の家』の出版を開始し、信者向けの平易な仏教解説書として人気を博し、「読めば病気が治る」と宣伝した。この雑誌『生長の家』を合本にして聖典としたものが『生命の實相』であり、これまでに1300万部以上を売り上げたロングセラーとなっている。それまでの宗教では、教祖が口頭で語った言葉を死後に編纂して経典となることが多かったのだが、教祖が存命中に出版を布教の核に位置づけて成功した最初の例であると言えるだろう。だからこそ谷口氏は「今の世の中では、書かなければだめなのだ。書いて発表しなければだめだ」と確信を持って行ったのである。

 ところが大神様の思想は、「経文や本で宗教を勉強して、頭に知識を入れる時代は終わった」と主張し、むしろ本を焼いてしまえということであるから、谷口雅春氏とはまさに水と油であった。結局、この二人の教祖のやり取りは平行線に終わり、一致を見ることはなかった。どちらかが相手に屈服するということもなかったのである。『生書』には、この日の午前中、生長の家本部道場は大神様の一人舞台となったと記されており、一方的に威圧したというストーリーになっているが、生長の家側から見れば招かざる客が無礼な振る舞いをしたと映ったであろう。そのことは、「すわ、道場あらしが来た。」と騒いだ者たちがいたと『生書』に記されていることからも推察できる。

 統一原理的な解釈をすれば、大神様は谷口雅春氏を自らの弟子になるべく準備された人物、すなわちイエス・キリストに対する洗礼ヨハネのような人物として認識していたのではないかと思われる。だからこそわざわざ生長の家の本部道場まで訪ねて行って、「私が誰なのか分かるか」と問いただしたのである。しかし、新約聖書に登場する洗礼ヨハネがイエスこそメシヤであると悟ることができずに、別の道を選んだのと同じように、谷口雅春氏は大神様が誰であるかを悟ることができずに、生長の家の教祖としての自分の位置にしがみついた、ということになる。これが天照皇大神宮教側からみた二人の出会いの結末であった。しかし、その場にいた生長の家の信者の中には、大神様の神言に魅了されて後に信者になった者もいたという。最終的にはその人が「準備された人」となったのである。

 その後大神様は、4月2日から約10日間、千葉県の四街道の開拓団で御説法されることとなった。この開拓団は、旧陸軍練兵場に開設されたもので、復員軍人によって構成されていた。ここでは男たちは昼間は開墾で忙しかったので、御説法を聞きに来たのは主婦とその子供たちであった。大神様はその子供たちを見てニッコリされ以下のように語った。
「わしは子供が大好きよ。子供の方が大人より、よっぽど神に近い。罪も大してつくっておらん。この子らの頃から神の子にしてまっすぐ育てたら、本当に神の国の国民になれる。」(p.276)

 この言葉は、新約聖書の以下の部分を彷彿とさせる。
「そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、『いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか』。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、『よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。』」(マタイ18:1-5)

 世知辛い世の中を生きてきて心がすさんだ大人よりも、けがれを知らない子供の方が神に近いという点では、イエスの教えと大神様の教えは一致している。大神様の教えの神髄は無我の境地であり、大人よりも子供の方が早くその境地に至れるということだ。

 この後、大神様が一人ひとりの子供と対話しながら、諭し、教育する姿が描かれているが、子は親の鏡であり、子供の問題は基本的に親の問題であるという観点から、大神様は母親たちを教育していかれる。そしてこれまで手こずっていた子供が大神様のご指導によって良い子になるのを見て、母親たちは大変喜ぶのであった。こうした出来事が母親同士の口コミで伝わり、多くの婦人たちが大神様の御説法を聞きに集まるようになった。大神様の子どもたちに対する指導は、難しい話は一切なく、基本的な生活指導であった。まさに人を見て法を説く人であったということだろう。母親たちはその指導力に驚嘆した。

 大神様の御説法は、家庭生活の基本を教えるものであった。
「蛆の世界じゃあ、どの家をのぞいても、ろくな家庭はひとつもない。親は子を、子は親を恨み、夫は妻を、妻は夫を恨んで暮らしている。まるで丹波栗のいがの中に入ったような家庭が多い。家庭そのものが、憎み合いの生き地獄じゃ。

 権利を主張する前に、まず己の義務を果たせ。神の国はお互いが真心を尽くし合う、拝み合いの世界じゃ。人間のばかが神を忘れて我利我利亡者になるから、地獄に行かにゃあならなくなる。人という字は、すがり合いというが、二本股じゃ倒れる。もう一本神をそえて神股にせい。そうしたら三つ股になって絶対に倒れない。」(p.284)

 こうした家庭生活に関する教えは普遍的なものであり、日本の伝統的な倫理道徳に通じると同時に、家庭連合の目指す理想家庭の姿にも通じるものである。人間の生身の感情を先立たせれば、家庭生活での衝突が多くなる。そこで家庭生活に神を介在させ、信仰の力によって家庭を立て直そうとしている点で、天照皇大神宮教の教えと家庭連合の教えは一致していると言えるだろう。

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『生書』を読む39


第九章 第一回御出京の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第39回目である。第37回から「第九章 第一回御出京」の内容に入った。第九章では、大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。

 大神様は1946年(昭和21年)3月9日から4月2日まで25日間、東京都杉並区にある慈雲堂病院に滞在され、ほぼ毎日御説法をされた。最初のうちは70~80名くらいの聴衆だったが、だんだんとその数を増していき、毎日のように聞きに来る者たちも増えていった。このころの大神様の説法の中で印象的な内容を少し紹介してみたい。
「己の良心を、赤土で包み、コールタールを塗って、その上を鉛で覆っているのがいまの蛆虫じゃ。それを取っちゃあ投げ、取っちゃあ投げする。投げられて地上にぶつかって割れ目ができたら、その割れ目から磨いてゆけ。やがては、真珠のように美しい良心の持ち主になれるのじゃ――。」(p.262)

 ここで良心を覆っている赤土やコールタールや鉛などは、良心が機能しないように麻痺させている俗世間の欲望や利害や習慣性などを指すのであろう。これは統一原理でいうところの「堕落性本性」に似ている。こうした堕落性を取り除いて良心が機能するようにするためには、既成の概念を破壊しなければならず、ショック療法が必要である。それを大神様は「取っちゃあ投げ、取っちゃあ投げ」と表現しているわけだが、大神様から悪口を言われたり、叱り飛ばされたりする経験は、堕落性を脱ぐためのショック療法としての意味があるのであろう。

 この記述から、天照皇大神宮教の人間観は基本的に「性善説」であり、自力によって自己の魂を磨くことができると考えていることが分かる。堕落した「蛆虫」といえども心の奥底には良心があり、それを覆っている俗世の習慣性を打ち破れば、良心が現れてくる。自らの良心の声に気付いてそれを磨いてゆけば、真珠のような美しい心を持った真人間になることができると教えているのである、こうした教えは統一原理でいえば、堕落人間が良心の声に従い、堕落性を脱ぐことによって創造本性を復帰することができると教えているのとよく似ている。

 大神様は「蛆虫」の状況について以下のように説いておられる。
「床下二十軒掘ってみい。真っ暗がりの暗闇じゃ。その暗がりの中で朝から晩まで、喧嘩したり、悩んだり、悔やんだり、餓鬼焦りに焦ったり、病気したり、一生涯でも苦しんでいるばかがおる。いくら太陽が平等に照るというても、床下二十軒底までは照っておらん。暗がりの世界に愛想が尽いたら、明るい世界まで上がって来りゃあよい。」(p.263)

 この言葉は、イエス・キリストが言った「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さる」(マタイ5:45)という言葉と、一見似ているようで異なっている。イエスの教えのポイントは、因果応報の思想に基づいていた当時のユダヤ教の教えからすれば正しくない者、すなわち律法を守ることができず、正しく生きることができずに苦しんでいる人々に対しても、神は平等に愛を降り注いでいるのだということであり、こうした教えが当時の貧しい人々や、社会の底辺にいる人々の支持を得たのである。これはイエスが当時のユダヤ教の基準からすれば罪人として断罪され、救の道が閉ざされていると思われていた人々のところまで降りていき、彼らに寄り添う姿勢を示したということである。

 ところが大神様の教えは、確かに太陽は平等に照っているのだが、人間が床下二十軒に潜っているのでその光を受けられないのは本人の責任であり、自力で明るい世界まで上がって来いと言っているのである。「そっちへ行けば生き地獄、こちらへ来れば天国と、わしはただその道教えをしているだけじゃ。」「じゃから自分の肚で心の掃除をして神へ行く道を上がって行くよりほかに道はない。」(p.263)と、あくまで自力によって上にあがってくることを求めている。

 新約聖書のイエスの教えと大神様の教えを比較してみると、統一原理の立場はキリスト教的な伝統の上に立ちながらも、大神様の教えにやや近いと分析することができるであろう。大神様の言うところの魂の成長は、統一原理では「霊人体の成長」と解釈することが可能であり、そこにおいて人間の努力や責任分担が強調されているという点では、自力の傾向が強いと言えるからである。

 統一原理においては、創造原理の第6章で霊界や人間の霊的成長に関することを扱っている。それによれば、人間が霊的に成長するためには、神から来る真理を悟り、それを実践することによって人間の責任分担を完遂しなければならない。霊人体は肉身を土台にしてのみ成長できる。肉身が地上において善なる行いをすることによってのみ、良い生力要素を霊人体に与えることができ、霊人体が正常な成長をするようになっているからである。したがって、人間が真理に従って善なる生活をしない限り、霊的な成長をすることはできないと統一原理は説くのである。

 堕落した人間が、神の愛の懐を離れた「死」の状態から、神の愛の圏内にある「生」の状態に戻っていくことを統一原理では「復活」と定義しているが、この復活に当たっても、人間の責任分担の重要性が説かれている。すなわち、復活摂理がなされるためには、堕落人間が自身の責任分担として、み言を信じ、実践しなければらならないとされているのである。

 貧しい人々や、社会の底辺にいる人々に寄り添ったイエスの教えの価値を否定するわけではないが、統一原理はキリスト教と比較すれば神の無条件の愛や一方的な恩寵などの他力的な要素よりは、人間の努力や責任分担などの自力的な要素の重要性をより強調した神学であると言ってよいであろう。

 大神様は東京での説教の中で、人間の欲深さを厳しく断罪している。「金をもうけさせてくれ」と祈る者はいるが、いくら儲けてもきりがなく、その次は地位や名誉や妾や贅沢三昧を求めるようになるというのである。そして国や神仏を忘れて利己に走れば、そうして得たものは必ず利子をつけて取り上げられるようになるだろうと警告している。そのような空虚な財産を地上に蓄えるよりも重要なことがあると大神様は教えている。
「封鎖もなけりゃあ、取りつけもない、焼けもせん銀行を一つ教えちゃろうか。そりゃあ天の郵便局じゃ。天の神が取るのは人間の真心だけ。真心を天の郵便局に貯金して心の通い帳を子孫に渡せ、それが無限の富。親の代にいらなきゃ子の代に出る、子の代にいらなきゃ孫の代に出る。」(p.264-5)

 この教えは、イエス・キリストがマタイ伝で説いている、「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。」(マタイ6:19-21)という教えと酷似している。真の宝は物質的なものではなく、精神的なものであり、それは天に蓄えられるという思想である。

 大神様が金銭的な執着を戒められたのと同様に、イエス・キリストも富や物質主義は避けるべき悪であり、経済的な豊かさの追求は罪過や信仰の妨げであると解釈できる言葉を語っている。そのうちの二つを以下に紹介する。
「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ6:24)
「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。」(マタイ19:23-24)

 このためキリスト教の伝統には、可能な限り富を回避し、清貧を保とうとする思想が受け継がれることとなった。多くの信徒たちが、信仰の足かせとなる富への欲求や、所有欲といったものを捨て去るため、清貧の誓いを立てた。キリスト教には禁欲、博愛、喜捨といった自発的な貧困の伝統が長きに渡って存在する。ローマ・カトリックにおいては富の放棄は「清貧、貞節、従順の誓い」のうちの一つある。一部の特定の教派では極端な清貧の誓いを立てる。例えば、フランシスコ会では前もって全ての個人的な財産を捨て去り、その後も共同体で財産の所有を行う。マルティン・ルターは、マンモン(または富への欲望)を「地上で最も見かける偶像」とみなした。この点に関しては、天照皇大神宮教と伝統的なキリスト教はよく似ていると言ってよいだろう。

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