Web説教「信仰による家族愛の強化」03


 前々回から「信仰による家族愛の強化」と題するWeb説教の投稿を開始しましたが、今回はその3回目です。前回は森山操先生の「母の愛」についての証しを紹介しながら、「ほとばしるような情愛」について考えました。そして、私達が心情豊かな人になるためには、豊かな心情の源泉である神様を知らなければならないという話をしました。

 ここでもう一度、渡辺京二氏の著作である『逝きし世の面影』の内容に戻りたいと思います。この本によれば、日本人は確かに親子の情愛が豊かな民族であったということは間違いないわけでありますが、もう一つの重要な愛である夫婦の愛、男女の愛に関しては、それが高貴なものであるとか、神聖なものであるという観念は、どうも江戸期の日本には存在しなかったようなのです。ラインホルト・ヴェルナーという人はプロイセンの軍人であり外交官であった人ですが、次のような言葉を残しております。
「わたしが日本人の精神生活について知りえたところによれば、愛情が結婚の動機になることはまったくないか、あるいはめったにない。そこでしばしば主婦や娘にとって、愛情とは未知の感情であるかのような印象を受ける。わたしはたしかに両親が子どもたちを愛撫し、また子どもたちが両親になついている光景を見てきたが、夫婦が愛し合っている様子を一度も見たことがない。神奈川や長崎で長年日本女性と夫婦生活をし、この問題について判断を下しうるヨーロッパ人たちも、日本女性は言葉の高貴な意味における愛を全く知らないと考えている。」

 当時、日本人女性と結婚した西洋の男性もいたのですが、その人たちからは日本人女性はそのように見えたというのです。つまり、「性愛が高貴な刺激、洗練された感情をもたらすのは、教育、高度の教養、立法ならびに宗教の結果である。」とラインホルト・ヴェルナーは言っているのです。それを渡辺京二氏が言い換えたのが、男女の愛が神聖で高貴なものであるという考え方は、「一言でいうならキリスト教文化の結果である。」ということなのです。

 当時の日本人にとって、男女は「愛し合う」というよりも、互いに「惚れ合う」ものだったのです。つまり男女の関係というものは「惚れた腫れた」という世界であって、両者の関係を規定するのは性的結合だったということです。ですから結婚も性も、彼らにとっては自然な人情にもとづく、本当に気楽で気易いものであったのです。性を精神的な憧れや愛に昇華させる志向が、徳川期の社会にはまったくといっていいほど欠落していたと、渡辺京二氏は書いています。当時の日本人の性愛というものは、非常に世俗的なものであったということです。これが庶民の生活です。

 一方で、上流階級の女性たちがどうだったかというと、彼女たちはしあわせな少女時代を過ごしますが、そのしあわせは結婚とともに終わったというのです。結婚は個人と個人の精神的な結びつきというよりも、家と家の結合であり、実家を離れて夫の属する家に入ることであったのです。そこで待っているものは、家の支配者である舅・姑および夫に対する奉仕者として仕える生活であり、徹底した忍従と自己放棄の生活をするのが、当時の上流階級の女性の新婚生活であったのです。ですから女性として余裕やいっぱしの自由が持てるのは、晩年になってからということになります。若いころに夫婦愛を喜びを持って経験するというようなことは難しかったのです。したがって日本人は、夫婦の精神的愛情を育んだり表現するのが基本的に苦手な民族であるということになります。

 これが大まかな日本の文化伝統ということになるわけですが、最近の日本人はどうなのでしょうか? だいぶ日本も西洋化されてきました。その中で、いま日本の家庭が危機に瀕しているということをいくつかの根拠を示して述べてみたいと思います。

 いま日本の家庭が抱えている危機の一つが離婚の問題です。離婚率は「高止まり」している状況です。1970年代には、年間に結婚するカップルの数が約100万組であるのに対して、離婚するカップルは約10万組でした。これはおよそ10組に1組が別れるという状況です。しかし現在、年間に結婚するカップルの数は60万組を切ったのに対して、離婚するカップルは20万組を超えています。すなわち、いまは3組に1組以上が離婚するという状況になっているのです。日本人の場合には、夫婦仲が悪かったとしても法的には離婚しない、いわゆる「家庭内離婚」とか「家庭内別居」という状況も増えているので、事実上の離婚率はもっと高いのかもしれません。

 さらに児童虐待も深刻な問題で、児童相談所が対応する件数も、警察が通告する件数も、毎年過去最高を記録し続けています。かつて日本は「子どもの楽園」と呼ばれ、日本人は子どもを本当に愛する民族だと言われてきたわけでありますが、最近はそれが崩れてきているようです。

 この虐待は、子どもの大切な未来を奪う深刻な問題であるということが最近の研究で分かってきております。最近は科学が発達して、生きたまま人間の脳をスキャンすることができるようになりました。そうすると、虐待を受けた子どもが脳になんらかの損傷を受けていることが分かってきたのです。

 たとえば、強い体罰を受けた子どもは、前頭葉の一部、感情や意欲などを司る部分が最大19%縮小している、つまり発達が阻害されているということが分かりました。性的虐待を受けた子どもは、後頭葉一次視覚野、注意力や視覚的記憶力を司る部分が14.1%縮小していることが分かりました。暴言や面前DVのような心理的虐待を受けた子どもは、側頭葉上側頭回と呼ばれる、言語理解を司る部分が9%~15%萎縮していることが分かりました。

 つまり、虐待を受けると脳の一部が上手く発達できなくなってしまうということが科学的に分かってきたということなのです。こうした虐待を受けた子どもたちの予後は大変厳しくて、男の子であれば犯罪者になるリスクが高まり、女の子であれば風俗の道に行ってしまうリスクが高まると言われています。したがって、これは子どもの頃だけの問題ではなく、成人してからも精神的なトラブルをたくさん抱え、悲惨な人生を送るリスクが高まるということなのです。長崎大学教育学部准教授の池谷和子先生は、虐待によって子供が背負う人生のハンデについて、以下のように述べています。
「親や養育者、その他の親代わりの人間関係においてひどく裏切られたことのある子供たちは、将来の人間関係においても、とくに権威を持った人物からはまた裏切られるのではないかと予測し、裏切者で頼りにならず信頼できないという権威者像を内面化しているため、愛着形成能力が著しく損なわれている。

 その結果、自分が好きになったり信頼した権威者に裏切られるだろうと予測し、そのような関係を回避・用心する傾向がみられる。このように、虐待された子供が負わなければならないハンデは一生ついて回る。」

 こうした研究の結果、「虐待は連鎖する」ということが分かってきました。虐待を受けた子供は成長して、自らの子供を虐待し、世代や社会を超えて悲惨な状況が受け継がれていくという深刻な状況が明らかになったのです。

 日本の家庭が抱えているもう一つの危機は、家庭そのものの縮小です。これは具体的には少子化、超高齢化社会、人口減少の問題となって表れています。日本の人口のピークは2010年ごろであり、いまや日本の人口はものすごい勢いで減少しています。ピーク時には約1億2千万いた日本の人口は、2065年には8千万台に減少すると予想されていますが、高齢者の人口はさほど変わらないのに対して、生産年齢人口(15~64歳)は激減すると予想されています。これは日本経済にとっては大きな後退要因となります。

 日本の少子化の根本原因ははっきりしています。それは若者たちの晩婚化、未婚化、そして非婚化という傾向です。いまや平均初婚年齢は男女ともに30歳ぐらいにまで上昇し、生涯未婚率(50歳までに一度も結婚しない人の割合)も、男女ともにうなぎ登りになっています。いまや日本社会は、若者たちが結婚しない社会、結婚に希望や魅力を感じない社会になってしまっているのです。これが具体的なデータに現れた「日本の家庭の危機」ということになります。
(次回に続く)

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Web説教「信仰による家族愛の強化」02


 前回から「信仰による家族愛の強化」と題するWeb説教の投稿を開始しましたが、今回はその第二回目です。前回は渡辺京二という人が書いた『逝きし世の面影』の内容に基づいて、近代以前の日本は親子の愛情がとても深く、「子どもの楽園」と呼ばれていたことを紹介しました。昔の日本人は、純粋で濁りのない愛情をことに触れてほとばしらせることのできるような、たいへん情の深い民族であったという話でした。

 このような親子の愛ということについて考えてみたいと思います。家庭連合の信者で、森山操先生という方がいらっしゃいました。2015年4月に亡くなられましたが、この方のお母さんは、生みの親ではなく育ての親だったのでありますが、かつての日本人が持っていたような「ほとばしるような情愛」を持っていた人でありました。その証しを紹介したいと思います。なお、以下の内容は「世界平和統一家庭連合公式チャンネル」で公開されている動画から掘り起こしたものです。

在りし日の森山操先生

「昭和16年、私は秋田県能代市で健康優良児として誕生しました。生家は祖父が染物屋を営んでおり、父も仕事を手伝っていました。働き盛りだった父は、私が3歳の時、フィリピンで戦死しました。出征の時、私に『強い人間たれ』と紙に書き残した父ですが、面影はほとんどありません。

 母からは『お父さんは町一番の美男子で、立派な人だった』と聞かされ、誇らしく感じていました。母は私と弟に一生懸命尽くしてくれ、その存在が唯一の支えでした。しかし、私が小学2年生のある日、母は外出したまま帰ってきませんでした。

 私は毎日毎日、駅に立って、帰りを待つようになりました。後になって母はある男性と再婚するため、駆け落ち同然に出ていったと知りました。『母に捨てられた』という心の傷ばかりが大きくなっていきました。

 そんな私と幼い弟を養子として引き取ってくれたのが叔母でした。私は叔母に対して、『いつかどこかに消えるに違いない』と疑いの目で見ていました。素直になれず『お母さん』ではなく、『ちょっとちょっと』と呼んでいたのです。義母になってくれた叔母は、それでも私たちを温かく見守ってくれました。

 私が子供の頃はテレビが普及しておらず、紙芝居が数少ない楽しみでした。紙芝居を見るには当時のお金で、1回5円が必要でした。私はどうしても見たくて、義母の財布からこっそり5円を盗みました。1度見ると続きが気になり、何度もお金をくすねては、最終回まで通ってしまいました。

 ある夜、ふと目覚めると、仏間に明かりがついていました。のぞくと、義母が仏壇の前で泣きながら手の甲を火箸でたたいていたのです。『操ちゃんはいい子なんだ。ただ5円を取るこの手が悪いんだ…』

 祈りともうめきとも取れるような声が私の心に深く伝わってきました。義母の手には痛々しいミミズ腫れがありました。その瞬間、私はワーッと泣きながら義母にすがりついたのです。『お母さんごめんなさい。もう二度とこの手で5円を取らないから…』

 涙とともに、今まで言えなかった『お母さん』という言葉が出てきました。母の愛の前に、冷え切っていた私の心は完全に溶かされたのです。あの頃の私が欲していたのは、母親の確かな愛の深さだったのだと思います。
 『父母は子どもを愛するのに自分を主張せず、自分がない立場で子供を愛するのです』 文鮮明」
https://www.youtube.com/watch?v=kPCb_kUoJ4M

 このようにほとばしるような愛情が出てくる心の奥底の部分、これを私たちは「心情」と呼んでいます。この心情から、真の愛がほとばしるように出てくるのです。この心情とは、愛したいという衝動であり、人間の心の最も中心的な部分をなしています。したがって、よき人格の持ち主とは究極的にはどんな人であるかといえば、よき心情の持ち主であるということになります。すなわち、相手を愛そうという情がほとばしるような心情を持っている人が、良き人格の持ち主であるということなのです。

 そしてこの心情こそが、よき人間関係を結び、幸福な人生を送るために最も重要な属性であるということになります。私達の人格にはほかの構成要素もあります。たとえば知性とか意志など、いろいろな要素があるわけですが、それらよりももっと重要で中心的なのが、愛したいという衝動が心から湧き出でているか、心情が育っているかどうかということなのです。なぜなら、この森山先生のお話からも分かるように、圧倒的な心情の前にときとして理屈は無力であるからです。

 それでは、そうした豊かな心情の持ち主になるためにはどうしたらよいのでしょうか? 豊かな心情が、幸福な人生を送るうえで最も重要な資質であるとするならば、どうしたらそれが育つのでしょうか? 実は、「心情は心情によって育つ」という原則があります。知識の教育や、技術の伝達や習得によっては、心情というものは得られないのです。豊かな心情を持った人から豊かな愛情を受けることによって、はじめて心情が育つということになります。したがって、豊かな心情を持った親から愛された子どもは、情が豊かになるのです。

 しかし、不幸にして親から愛されなかった人はどうなるのでしょう? その場合には、代わりに愛してくれる人に出会うか、それを見つけることによって、幸福な人生を拓くことができるのです。森山操先生の場合には、実の親からは愛を受けることができませんでしたが、育ての親に愛されることを通して、情が育っていったのです。

 豊かな心情を持つためのもう一つのポイントは、愛されるだけではなく、愛する体験をすることです。そのためには愛する対象を持つことが必要で、一人で生きていたのでは情は豊かになりません。なぜなら、対象によって自分の愛情が引き出されるからです。だからこそ私たちは結婚しなければならないし、子供を持たなければならないのです。それは私たちの心情の成長にとって必要だからです。

 しかし問題は、常に愛情をほとばしらせながら生きるのは、現実には非常に難しいということです。どんなに愛そうとしても、疲れてしまったり、情が枯渇してしまうということがあります。私たちの心の中から無限の愛が出てくるというのは、なかなか難しいわけです。ですから私たちは、無限なる心情の源泉に触れて、そこからエネルギーを頂かないと、ほとばしるような心情の持ち主になることはできないのです。そのためには、無限なる心情の源泉、すなわち神様の愛に触れなければならず、神様の愛を知らなければならないのです。

 これがこの説教の第一番目のポイントだということになります。私達が心情豊かな人になるためには、豊かな心情の源泉である神様を知らなければならないということです。
(次回に続く)

 

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Web説教「信仰による家族愛の強化」01


 今回から「信仰による家族会の強化」と題するWeb説教を投稿します。この内容は、2017年11月5日に東京都内の教会に礼拝の説教者として招かれたときに語ったものですが、時局に関係なく普遍的な内容を扱った説教であり、私自身の信仰の表現としても記録に残しておきたい内容であるため、シリーズでアップさせていただきます。

家族とは何か?

 家族とはいったい何でしょうか? 普通、家族といえば親と子がいて、親が子供を愛し子供が親を慕うという「親子の愛」があり、もう一つの重要な構成要素として、夫と妻がお互いに愛し合う「夫婦の愛」があります。これら二つの愛によって強く結びついたときに、「家族の絆」というものが生まれてきます。これが家族の基本ではないかと思います。このほかにも、兄弟愛や祖父母の愛などもありますが、やはりこの二つが家族を構成する重要な要素なのではないかと思います。

 この「親子の愛」と「夫婦の愛」のどちらがより大事かと聞かれても、これは優劣をつけ難いわけでありまして、どちらも重要だということになるのですが、これを文化文明で比較してみますと、あくまで相対的にということなのでありますが、「親子の愛」の方はどちらかといえば東洋文明において強調されてきました。とくに日本においては、親子の愛情は非常に深いと言えるでしょう。それに対して「夫婦の愛」の方は、西洋文明、とくにキリスト教文明において強調され、大切にされてきたと、おおまかに見ることができるのではないかと思います。

 日本の文明におきましては、親が子供を愛するという世界において、相当に深く強いものがあったということを現代人に訴えている本があります。それは渡辺京二という人が書いた『逝きし世の面影』(平凡社、1998年)という本です。「逝きし世」というのは、すでに死んでしまった、なくなってしまった一つの「世(よ)」、文明という意味です。これは江戸時代の日本の古き良き文明のことを指しています。幕末から明治維新の時代に日本を訪れた外国人がたくさんいたのでありますが、彼らの見た古きよき日本の姿が、さまざまな文献に残されているのです。それをいまになって集めてきて、当時の日本の姿がどうであったのかということを外国人の目を通して再現したものです。

 それらの文献から分かることは、明治維新の前の「江戸文明」は、単に近代化される前の素朴で遅れた社会だったのではなく、世界的にも著しく文化の発達した国民が作り上げた希有な文明と呼ぶべきものであったということなのです。特に、日本に長期間滞在して人々の暮らしを観察した西洋人たちは、日本人が非常に陽気で幸せそうに生活していることに強い印象を受け、とりわけ当時の日本人の親子の情愛の深さには、逆に羨ましがるほどの感動を覚えたというのです。その当時、日本は「子供の楽園」と呼ばれていたのです。

逝きし世の面影

 ラザフォード・オールコックという人がいます。イギリスの初代駐日総領事を務めた人でありますが、日本は「子どもの楽園」であるという言葉を最初に言ったのがオールコック氏であり、その後しばしば引用されるようになりました。

 イザベラ・バードという人は、非常に有名なイギリスの女性旅行家で、当時の朝鮮を旅行して「朝鮮紀行」を書いていますが、日本各地も旅しており「日本奥地紀行」という本も書いています。彼女は日本について、以下のような言葉を残しています。
「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子供を抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子どもに誇りをもっている。」
「日本人の子どもへの愛はほとんど『子ども崇拝』の域に達している」

 エドワード・モースというアメリカの動物学者は次のように言っています。
「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世の中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」
「世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬することにおいて、日本の子どもにかなうものはない。」

 ウィリアム・グリフィスというアメリカ人の教師は次のように述べています。
「日本人が非常に愛情の深い父であり母であり、また非常におとなしくて無邪気な子供を持っていることに、他の何よりも大いに尊敬したくなってくる。」

 このような日本の親子関係に対する賛辞があふれているのです。彼らは開発途上国の人間だったのではなく、当時最高の先進国の知識人だったのです。その彼らが驚き、うらやましがるほどに、日本人の親子は愛情に満ちていたというのです。これは単に西洋と東洋の違いということにとどまりません。なぜなら、彼らは中国やタイなどの東洋の他の国も見てきたのですが、とりわけ日本の家族のすばらしさに魅了されたというのです。

 当時の日本人が子供を愛する愛情というものは、西洋人から見れば「盲愛」に近いほどの、純粋でほとばしるような愛情だったという記述もあります。クリストファー・ホジソンは英国の領事をしていた人でした。彼は1859年から妻と二人の娘を伴って長崎と函館で領事を務めました。娘の名前はエヴァとサラといいました。この人が雇った「子守のおばさん」に関するエピソードが残っています。

 函館ではエヴァとサラの世話のために子守の「おばさん」を雇いました。ところが、この子供たちがちょっといたずらで、エヴァが喫煙してしまったのです。それをホジソン氏が叱ろうとすると、その子守の「おばさん」が「吸っていたのは自分だ」と言って一生懸命に子どもをかばったというのです。別の日に「おばさん」はエヴァから池に突き落とされてしまうのですが、彼女は「落ちたのは自分の過ちで、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と詫びたというのです。なぜこれほどまでに子守の「おばさん」が子供たちをかばったのかというと、自分がかばわなければ、エヴァとサラは両親から厳しい罰を受けることを彼女は知っていたので、それが可哀想でならなくて、必死で守ろうとしたというのです。すなわち、自分のことは顧みず、ただ衝動的に子どもたちを守ろうとする、ほとばしるような愛情がそこにはあったというのです。

 このような愛情は、西洋の合理的な考え方からすれば、子供を甘やかす途方もない盲愛に映るかもしれませんし、実際にホジソン氏はそう思ったのです。しかし、それにもかかわらず、ホジソン氏はこの子守の「おばさん」のほとばしるような情愛に感動したという記録が残っているのです。このようなストーリーを通して、渡辺京二氏は次のように主張しています。
「かつての日本人は、ことの是非は措くとして、このように純粋で濁りのない愛情をことに触れてほとばしらせることのできる人びとだった。」
「このいとしがり可愛がるというのはひとつの能力である。しかしそれは個人の能力ではなく、いまは消え去ったひとつの文明が培った万人の能力であった。」

 昔の日本人というのは、このように大変情の深い民族であったということが分かります。
(次回に続く)

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『生書』を読む30


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第30回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。このころの大神様と同志たちの関係は、家族的で美しいものであった。しかし大神様と同志たち、さらには同志たちの間の結束が強まっていく一方で、教団と世間一般との間には軋轢が生じることもあった。その原因は、同志たちが大神様と同じように人々の悪口をその面前で言ったり、世間の悪を痛烈に批判したりしたことにある。

 こうした世間との軋轢は、初期の天照皇大神宮教においてはまったく問題にされなかった。初期の新宗教運動や根本主義的なキリスト教においては、この世から憎まれることこそが自分たちが神から選ばれ、愛されている証拠であるという発想がある。迫害が逆に信徒たちの「選民意識」を高めるという精神構造があるのである。これはこの世で尊ばれている地位、名誉、財産などの一切を否定し、ただ神のみを求めるという姿勢だが、それは天照皇大神宮教においては「裸一貫」という言葉で表現されている。「裸一貫」の辞書的な意味は、「自分のからだ以外、資本となるものを何も持たないこと」だが、天照皇大神宮教においてはそれに宗教的な意味が付与されている。

 この言葉は、当時同志の一人に神の口がついた(啓示が下りた)のを、そのまま書き留めた記録の中で表現されている。そのメッセージを下した神が猿田彦命(さるたひこのみこと)という神道の神であることと、「そもそも大和の国は神の国なり」(p.197)という愛国的なトーンで始まっていることは興味深い。『生書』には大神様が直接受けた啓示だけでなく、同志たちが受けた啓示も記載されているのだが、この啓示にはその特定の同志の宗教的背景が反映されていると見ることができるだろう。しかし、「裸一貫」に関する記述はむしろシンプルで普遍的なものである。
「神国のためなら何にもいらない裸一貫・・・神国の弥栄(いやさか)はかくの如く喜びあるものを、何故に身に衣まといしぞ。裸一貫、神国のためじゃ」(p.198)

 ここで身に衣をまとわないことや裸であることは、文字通りの意味ではなく、物質的な財産やそれに対する欲望の否定を象徴的に表しているととらえるべきであろう。これは一つの普遍的な宗教的価値観である。

 古来より宗教は、不幸や苦しみは過度の欲望もしくは利己的な欲望によって引きおこされると教えてきた。そして、富と所有物に対する執着は霊的成長を阻む足枷であるとみなし、救済を得るためには富と所有物を放棄しなければならないと教えてきた。仏教の十戒は、基本的に人間の欲望を否定し制限するものだが、10番目の「不蓄金銀宝」はお金や財産にかかわる欲望の否定である。仏教のみならず、伝統宗教の聖句の中には、金銭や財産に対する欲望が不幸の原因であり、それに対する執着を否定することが悟りや救いに対する道であることを説いたものが多数ある。ここではキリスト教の聖書から代表的なものを紹介しよう。
「金銭を愛することは、すべての悪の根である。」(テモテへの第一の手紙 6.10)
「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。」(ルカ 6.20)
「あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。(マタイ 19.21-24)
「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ 6.24)
「次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、『もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう』。するとイエスは彼に言われた、『サタンよ、退け。「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」と書いてある』。そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。」(マタイ 4:8-11)
「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。」(マタイ 6.19-21)

 この伝統を受け継ぎ、キリスト教において「聖者」とみなされる人々は、イエスと同じ道を歩もうとした。フランシスコ会の創設者として知られるアッシジのフランチェスコは、自らは裕福な家に生れながらも、それらをすべて捨ててキリストに倣い、「清貧」をモットーとする修道会を創設した。彼の創設した托鉢修道会は私有財産を認めておらず、修道士が托鉢を行い、善意の施しによって生活をするもので、修道士たちは衣服以外には一切の財産をもたなかった。

 マザー・テレサはコルカタで「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことを目的とした「神の愛の宣教者会」を設立した。そこで働くシスターたちも、私有財産を持たない清貧の生活を守っている。

 キリスト教社会運動家として有名な賀川豊彦は、自らは裕福な家庭に生れながらも、キリスト教に入信したことをきっかけに、神戸の貧民街に移り住み、救済活動と宣教に努めた。彼はボランティア組織「救霊団」を結成して活動するとともに、キリスト教を説き、精魂を尽くしたことにより、「スラム街の聖者」と呼ばれるようになった。

 物質的な財産を否定する思想は、日本の新宗教にも発見することができる。その一つに、「貧に落ち切れ」という天理教の教えがある。神のやしろとなった教祖・中山みきがまず進めたことは、「貧に落ち切る」ことであった。彼女はもともと困っている人、悲しんでいる人を見ると救いの手を差し伸べるような強い母性を持っていたが、そこに親神様が入り込まれ、貧に落ち切るよう求められると、いっそう激しさを増し、中山家の財産をそれらの人びとに惜しげもなく与えたのである。中山みきは、屋敷母屋の瓦や高塀を取り壊し、中山家が誇りにしていた格式を捨てるよう(親神様から)求められていた。夫、善兵衛はついて行けず、押しとどめようとしたが、神意には逆らえず、中山家は没落の一途を辿った。人が物をもつとそれに拘り、心の自由が制限される。よってそれを撤廃するためには「物を一度手放してしまう必要」を教祖自らが示したと言われている。これも「裸一貫」の精神に通じると言えるだろう。

 統一教会の信者たちも、伝統的に贅沢を避け、私有財産やプライバシーのほとんどない共同体の信仰生活を実践してきた。そこには物質的な豊かさはなかったが、神を中心とする共同体としての心の豊かさがあり、そうした内面の喜びを求める人々が教会に集ってきたのである。初期の統一教会に特徴的に見られた「献身」の精神は、自身の地位、名誉、財産のみならず、自分自身をさえ神のみ旨のために捧げてしまうという意味であり、それは天照皇大神宮教の「裸一貫神国のために働きます」(p.199)という精神とまったく同じものであったと言える。

 同志たちと世間の人々との溝が深まり、軋轢が生じるようになると、田布施周辺では周囲の迫害を恐れて参って来る者の数が減少したこともあった。しかし一方でうわさを聞いて遠方から参って来る者が増え、昭和20年も終わりに近づくと、道場は毎日満員の盛況となったという。こうした中で大神様は午前、午後、夜とほとんど休む間もなく説法を続けられた。

 この頃の大神様がやっていたことは、狐や生霊が憑いている人からそれらを落としてやり、その結果として病気を治してやるというものであった。こうした活動をしても、大神様は一切謝礼を受け取らなかった。それは肚の神様が「蛆の世界じゃあ、金や品物を稼ぐために祈祷しよるが、金や品物を取る者には法力は与えない。」(p.202)と言われたからである。大神様が立てたこの伝統は、組織としての天照皇大神宮教に受け継がれている。その最大の特徴は、職業的宗教家の禁止であろう。宗教を生業(なりわい)とすることは、天照皇大神宮教の教義に反するのである。それは、魂が救われるかどうかはお金の問題ではなく、純粋に魂の問題であるという信念に基づく。ただで教えを受け、ただで伝道するのが天照皇大神宮教の基本である。よって月々の会費や年会費などのいわゆる宗費を取ることは禁じられている。同志が様々な会合・行事・活動に参加するときは、自弁自費が原則である。講話や説法に対する謝礼を受け取ることもなく、伝道に出かけるための交通費が教団から支給されることもないという。

 ここまでの記述は、すべて昭和20年の出来事である。以上で「第七章 道場の発足」の部分は終わる。次回から「第八章 開元」に入る。

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『生書』を読む29


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第29回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。このころの大神様と同志たちの関係は、家族的で美しいものであった。こうした関係は、新宗教運動の初期段階においては典型的なものであると言えるであろう。特に荒廃した終戦直後の日本においては、砂漠の中のオアシスのような、一つのユートピアを形成していたと思われる。

 しかし、大神様と同志たち、さらには同志たちの間の結束が強まっていく一方で、教団と世間一般との間には軋轢が生じることもあったことが『生書』には記されている。その原因は、同志たちが大神様と同じように人々の悪口をその面前で言ったり、世間の悪を痛烈に批判したりしたことにある。天照皇大神宮教にはどこか唯我独尊的なところがあり、それが世間の人々の反発を買ったということだ。

 その唯我独尊的な態度は、既存の神社仏閣に対する態度にも現れていた。昭和20年10月1日に大神様は同志とともに八和田の八幡宮に行かれたのだが、神殿に上がっていつものようにお祈りをされると、これまでは神眼にいつも出てきた氏神がその日は出てこなかった。そのときに肚の神様はこう言ったという。
「今日から秋(空)の宮に、秋(空)の寺、十月は神無月というて、昔から神々が出雲に集まると言うたが、出雲にも集まらぬようになった。これからはわれ(お前)方の屋敷に、みな集まるのじゃ。賽銭櫃や鳥居のある所には、神も仏もおらなくなるぞ。神の出店をみんな引き揚げるのじゃ。」(p.192-3)

 この日から大神様は、すべての宮にも寺にも参られなくなり、同志にも参るのは無駄だと説かれるようになったという。これは既存の神道や仏教との決別宣言であり、その効力を否定しているということである。このシリーズの第16回でも既に述べたことであるが、大神様はあまりエキュメニカルなタイプではなかったようである。自分の信仰に対する強い確信のゆえに、どこか唯我独尊的なところがあり、他の宗教と対話をしたり、そこから何かを学ぼうという姿勢は感じられない。他の宗教と協力したり連携したりするという発想もないようだ。

 もともと大神様は大変信心深い人であった。大神様の実家は浴本家であるが、両親は熱心な浄土真宗の門徒であり、大神様も子供のころには両親に連れられて寺参りをした。しかし教祖となられてからは、大神様はこの浄土真宗の信仰を容赦なく切って捨てたのである。大神様から見れば、「悪人正客」や「他力本願」を説く浄土真宗の教えは、人々に行の努力を怠らせて堕落させる無責任なものであり、真宗の宗教者たちの姿は腐敗したものに映ったのであろう。

 大神様は伝統宗教だけでなく、新宗教に対しても批判的であった。その中でもおもしろいのが「成長の家」の谷口雅春氏に関する部分である。大神様は当時、知人であった岩国市の弁護士吉武三六氏から招待されて、谷口雅春氏の講習会に参加したことがあった。ところが、その講習会に出ると、肚の神様は谷口氏に対して、下級の神が降りているだけだとか、短冊売りや本売りになり下がって邪神のおもちゃになっているとか、手厳しい批判を始めたのである。

 しかし、教団と世間一般との間には軋轢が生じるようになったより本質的な理由は、同志たちの態度にあった。それについて『生書』は以下のように記している。
「その頃から、同志の中には、かつて大神様がなさったように、街頭において、常会において、または家庭において、突如として人の悪口をその面前で言うたり、神行の道を説いたりする者が出てきた。平生思いもせぬことが、口をついて出るのである。」(p.194)

 ある同志は常会に行って、それまでの配給物分配の不公平をいちいち暴き立て、「おれは北村へ参るようになって、神様を背負うておるのだ。これから後、ごまかしをやりやがったら、このおれがただじゃおかんぞ。」(p.195)と啖呵を切ったという。

 こうした報告を聞いたときの大神様の反応は、それをたしなめるどころか、むしろ逆に「よく肚をつくった。肚がなくちゃ行かれない神の国じゃから、しっかり肚をつくれよ。」(p.196)と褒められたので、同志たちはますます積極的に肚練りをするようになったという。こうした態度に対して世間の人々は、「北村に参ると、みんな気違いになる。あれだけみんなを気違いにしなけりゃよいのに。」「北村のおばさんが神様なんて、ばかばかしい。あれはおれらの同じ人間じゃあないか。」(p.196)と言って白眼視するようなったという。
「一方同志たちは、自分たちは神の子で、一般人は蛆虫だ、蛆の国と神の国とは別の国だし、蛆などと交際すると自分がけがれるぐらいに思い、同志と世間の人との溝は深くなるばかりであった。」(p.197)と『生書』に記されているように、教団と世間一般との間にはかなり深刻な軋轢が生じていたようである。

 問題はこの現象をどうとらえるかということであろう。統一教会にも世間一般との間に軋轢を経験してきた歴史があるだけに、とても他人事とは思えない。私はこのシリーズの中で、カリスマ的教祖というものは特殊な存在であり、ときには神の視点からこの世を見て、常識的には暴言といえるような失礼な言葉や態度を示すことがあると述べた。大神様は人々に向かって「蛆の乞食」と呼び、イエスは律法学者やパリサイ人たちに対して「へびよ、まむしの子らよ」と言い放った。そして世の中においてどんなに偉いとされている人に対しても、常に「上から目線」で語るのが教祖なのである。通常は人の悪口を言えば嫌われるものだが、それでも人を魅了してしまうのが教祖のカリスマである。

 しかし、これを一般の信徒たちが真似したらどうなるであろうか? 恐らくそれはひどく傲岸不遜な態度に見え、社会との間に軋轢が生じるに違いない。しかし、初期の新宗教運動や根本主義的なキリスト教においては、この世から憎まれることこそが自分たちが神から選ばれ、愛されている証拠であるという発想があるのである。

 イエスはヨハネ伝15章18~19節において、「もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。」と語っている。これは、「自分たちは神の子で、一般人は蛆虫だ、蛆の国と神の国とは別の国だし、蛆などと交際すると自分がけがれる」という天照皇大神宮教の同志たちの発想とほぼ同じである。この世から憎まれ、迫害されることが、逆に信徒たちの「選民意識」を高めるという精神構造になっているのである。

 アメリカの神学者H・リチャード・ニーバーは、著書『キリストと文化』(Christ and Culture)において宗教(キリスト)と文化との関連を5つに分類しているが、こうした発想は典型的な「Christ against Culture(文化に対立するキリスト)」に属するものである。宗教と世俗の文化はあくまで対立するものであり、互いに相容れないものなのだ。

 初期の統一教会にも、間違いなくこうした精神構造は存在した。そしてそれは、根本主義や福音派のクリスチャンたちの「この世」に対する態度にも通じるものがある。しかし一方で、統一教会と天照皇大神宮教には「この世」を変革して神の国を造っていくのだという信仰もあるので、「Christ the Transformer of Culture(文化の変革者としてのキリスト)」という立場をも内包している。だから山奥や修道院にこもって隠遁することを勧めているのではなく、世間に積極的に働きかけることを命じているのである。

 社会学的には、こうした一般社会との軋轢は新宗教運動の初期に見られる典型的な現象である。それは教祖と信者が一つとなり、信仰集団の核を形成することがなによりも重要視され、信仰の純粋性を高めていくことに集中しなければならない時期なので、世間と妥協してはならないのである。しかし、教団が成長するにしたがって、こうした世間との軋轢は次第に緩和されていくものである。それは教団が社会の中で一定の地位を確立した段階で訪れる一つの変化であり、教団としての成熟期に入ったことを意味する。昭和20年の天照皇大神宮教はまだそれ以前の段階であり、大神様の教えに同志たちが忠実に従い、結束を強めることが何よりも重要視されていたと言える。そのために世間の人々から嫌われることなど、何とも思っていなかったのである。

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『生書』を読む28


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第28回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。

 この頃の大神様の活動の中心は憑きものを落とすということであったが、そのために同志が一緒にお祈りをする中で不思議な現象が起こってきたことが報告されている。それは祈祷中に合正している手が自然にこきざみに動き出すという現象である。これは意図的にやっているのではなく、自らの意思に反して勝手に手がブルブルと動くのである。いわゆる「霊動作用」と呼ばれるものだが、大神様はそれを自分の生霊だと説明された。動くのは手ばかりではなく、全身で上下左右の運動を始める者や、座ったまま飛び跳ねる者もいたという。そして、霊動の後には体の調子がよくなったり、心がスッキリしたりするので、人々はますます大神様を信じるようになったという。

 こうした霊的体験は、天照皇大神宮教のみならず多くの宗教に見出されるものである。キリスト教の中で「霊動作用」を特徴とする代表的な教団といえば、それは「クエーカー(Quaker)」であろう。クエーカーは、17世紀にイングランドで設立されたキリスト教プロテスタントの一派である「キリスト友会」又は「フレンド派」と呼ばれる団体に対する一般的な呼称である。霊的体験を重んじる教派で、この派の人びとが神秘体験にあって「身を震わせる(英語で”quake”)」ことから「クエーカー(震える人)」と俗称されるようになったのである。アメリカの黒人教会の中にも礼拝中に「霊動」を起こす教会は多数見られる。

 一方で大神様は、こうした霊的体験や奇跡的な出来事によって同志たちが傲慢にならないように指導している。
「世の変わり目が来て、因縁が切れたればこそ無我になれるのじゃ。無我になりさえしたら、お前らにも法力が授かるのじゃ。じゃが、お前ら自身に悪霊を済度する力があると思うなよ。お前らが無我になって一生懸命に祈るところに、神の恵みで霊が済度されたり、払われたりするのじゃからのう。」(p.188)

 こうした指導は、大神様ご自身が修行する中で体得され、自らに戒められたことを同志たちに共有しているのだと理解することができる。人は霊的な現象に触れて感動すると舞い上がってしまい、傲慢になったり悪霊に支配されてしまうことがあるからである。修行の初期の段階で、人間としての北村サヨ氏は自分には正神と邪神の両方が働いていると自覚し、行によって正神のみが働く存在になることを目指していた。「肚のもの」を邪神だと思って戦うプロセスもまた、行の一環としてとらえていたようである。そのことの意味について大神様は以下のように語っている。
「世の行をする者は、その行の途中、少しでも霊能があり出すと、すぐ増上慢を起こして生き神様になって、邪道に落ちてゆくが、わしの場合は、みんなとは確かな神様がついちょったから、世の中の邪神つきみたようにぼけて、人間の道に外れたようなことはさせなかった。」(p.72)

 このような修行における試練、葛藤、そして陥りがちな霊的な過ちは、宗教の世界には普遍的に見られる現象であり、代表的なものとしては禅宗の瞑想修行における「魔境」があり、キリスト教における「悪霊の業」がある。『原理講論』では「善神の業と悪神の業」「終末に起こる霊的現象」という項目の中で、こうしたことが説明されている。復活論第二節の「終末に起こる霊的現象」という項目の中では、終末時代には霊通する人が多く現れるようになり、こうした啓示を受ける人々は、ある試練を受け、過ちを犯しやすい傾向にあることが説明されている。それは終末には、「あなたは主である」とか「あなたが一番である」という啓示を受ける人たちが多く現れるため、このような人たちがしばしば、自分が再臨主であると誤解したり、傲慢になって道を外れた行いをしてしまう場合が多いというのである。大神様が行のプロセスにおいて「増上慢」「邪道」「邪神つき」といったものと闘い、人間の道を外れないようにしながら神行の道を極めようとしたのは、まさにこうした修行者として受けるべき普遍的な試練や誘惑との闘いをしていたのだと理解することができる。それと同じことが同志たちの信仰生活においても起きる可能性があるので、そのことを戒められたのであろう。

 こうした罠に陥らないために大神様が教えるポイントが「無我」の境地である。傲慢は自分を誇る気持ち、自尊心から生まれるので、そのような我を否定し、自分自身は神の力が働く「器」に過ぎないという自覚を持つことによって、そうした誘惑を退けるように指導されたのであろう。これはキリスト教の「謙遜と柔和」の美徳に通じるものであり、家庭連合においては「自己否定」の姿勢として教えられてきた。キリスト教でも家庭連合でも、霊的な現象をいたずらに喜んだり、のめり込んだりすることは危険視されており、信徒たちが霊的体験に支配されないように戒めている点はよく似ている。

 このころの大神様と同志たちの関係は「慈母と赤子」のような関係であり、同志たちはまさに大神様の懐の中で育てられているような状態であった。こうした情的関係は、家庭連合における教祖夫妻が「真の父母」と呼ばれており、信徒たちがその子女としての自覚をもって信仰生活を送っている関係とよく似ていると言えるだろう。

 このころに「霊動現象」の延長線上に現れたもう一つの宗教体験が「無我の舞」である。ある日、大神様が「お前には舞の手がついた。踊りが出るぞ。立ってみい、わしが歌うちゃる。」と言われると、同志が軽快なリズムに乗って自由自在に踊り出したというのである。これについて大神様は以下のように語っている。
「(昭和)十九年頃、わしにもよく舞わしよった。あれが天人の舞じゃ。昔、三保の松原で天女が舞うたのもこの舞じゃ。天の岩戸のお神楽もこれじゃ。人間が無我になった時、神様に舞わしてもらう舞なんじゃ。今にみんな踊れるようになるぞ。」(p.190)

「無我の舞を舞う大神様」

「無我の舞を舞う大神様」

 この発言から、天照皇大神宮教の「無我の舞」は神道的な世界観を背景にしたものであることが分かる。「天の岩戸」の物語とは、天照大神が須佐之男命の狼藉に憤慨して天の岩戸という洞窟に閉じこもってしまったので、他の神々が外で楽しそうに歌ったり踊ったりすることによって天照大神の関心を引き、洞窟から引きずり出したという話である。神楽(かぐら)は、神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞であり、古事記・日本書紀の岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされている。それは喜びを伴うものではあるが単なるエンターテインメントではなく、神に捧げる神事なのである。天照皇大神宮教における「無我の舞」も、同様に神が人の中に入って喜びを表現するという宗教的意義を持つものであると理解できる。

 「霊動現象」や「無我の舞」に加えて出現したのが、預言や異言といった言葉に関わる現象である。新約聖書の中にも「霊の賜物」と言って、信徒たちが聖霊に満たされたときに起きる現象が報告されており、預言や異言を語ったり、それを解釈したり、霊を見分けたりする力が与えられるとされている。これはキリスト教においてはおなじみの現象だが、天照皇大神宮教においては「神の口がついた」と表現されている。「祈りをしていると、名妙法蓮華結経が文句に変わり、美しい即興の歌が自然の節で流れ出るのである。」(p.190)「ただ祈りをして無我になりさえすれば、こんこんと湧き出る泉の流れのように歌の調べとなる」(p.191)ということだ。

 このころの大神様と同志たちの関係は、本当に家族的で美しいものであったことが『生書』の記述からうかがえる。こうした関係は、新宗教運動の初期段階においては典型的なものであると言えるであろう。特に荒廃した終戦直後の日本においては、砂漠の中のオアシスのような、一つのユートピアを形成していたと思われる。
「大神様がいつも説かれる無我の世界とは、このようなものだろうか。なんと楽しい世界であろう。無我の歌に、無我の舞、来る日も来る日も歌うて舞うて、昔話の浦島太郎が龍宮に行って、乙姫様のおもてなしで月日のたつのも忘れ、夢の国に遊んでおるような心地がして、楽しい日々を大神様のみもとで送るのであった。」(p.191)

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『生書』を読む27


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第27回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。
「参って来る者の中には、近代教育を受け、科学をかじった者もいる。そういう人々にとっては、殊に大神様の霊界の話が不可解であった。幽霊とか狐・狸(邪神)とか生霊とかを、すべて迷信としか思っていない連中には、なかなか納得のゆかぬことが多かったが、目の前に奇跡を示されたり、家族の者が具体的に不思議を体験したりして霊界の実相を知らされ、大神様の偉大な神力に驚くとともに、神教全体を次第に深く信じるようになるのであった。」(p.181)

 多くの宗教がそうであるように、信仰を受け入れるかどうかは最終的には理屈ではなく、むしろ体験的なものである。大神様も同様に目の前で奇跡的な出来事を起こし、その力を示すことによって、人々を納得させていたようである。

 大神様の説法のスタイルは、参って来る者一人ひとりの欠点を言い当て、「業晒し」をするというものであった。各人の欠点や過去の罪、あるいは背負っている因縁などを見事に見抜いて懺悔させるというやり方である。この章でも、それが遺憾なく発揮されている。その具体的な内容は、「国家観念もなければ真心もない。神とも仏とも思わず、先祖もないものにしてきた」「足の悪い親を蹴って飯を炊かした」「今までにずいぶん女を泣かせた」「酒で大きな罪をつくった」「強情や短気が世の人の恨みを買ってきた。女房や子供を苦しめた」(p.181-184)といった具合である。ただし、単に悪口を言うだけではなく、その欠点に対する適切な指導をなし、反省懺悔するものには優しく接したので、人々はその話をありがたく聞いて心を入れ替えたとされている。

 それまで北村サヨ氏は信徒たちから「先生」とか「大先生」とか呼ばれていたが、この頃から「大神様」と呼ばれるようになったという。それは教祖がその肉体に宿っている宇宙絶対神と一体であることを認識したというのが理由となっている。教祖の呼称は、その宗教の世界観を表している。教祖として出発する時には人々に対して教えを説くので、教祖が「先生」と呼ばれることは普通のことなのだろう。新約聖書の中でも、イエスの弟子はイエスをラビ(先生)と呼び(マルコ9:5、ヨハネ4:31)、パリサイ派の指導者もイエスをラビと呼んでいる(ヨハネ3:2)。文鮮明師もまた、教会の草創期には「先生」とか「大先生」と呼ばれていた。しかし、人々の信仰が深まるにつれて、イエスの呼称は「主」に変わり、文鮮明師の呼称は「真のお父様」に変わった。この呼称の中に、それぞれの宗教の世界観が現れている。新約聖書においてはイエスは天地の創造主である神と同等の存在であると信じられており、統一教会の信者は文鮮明師を自分の父親のように近しい存在として感じているということだ。天照皇大神宮教の信徒たちは、北村サヨ氏を「生き神様」であるととらえており、宇宙絶対神の顕現であると感じていたので、「大神様」と呼んだということであろう。

 ここで『生書』は、昭和19年ごろから大神様が挨拶をされるときには合正せられるようになったことを報告している。ここでいう「合正」とは「合掌」と同じく手を合わせることを言うのだが、その漢字をあえて「合掌」とは書かずに「合正」と表記している。そのことの意味を、大神様は以下のように語っている。
「ここは拝み合いの世界じゃから、狛犬のように、足で歩く座敷に手をつかずと、合正で挨拶せよ。合正とは掌を合わせるのと違う。正しく合うと書く、神と人との肚が正しゅうに合うのじゃ。みんなの肉体が、神の器となるのじゃから、神と神との拝み合いの世界じゃ。」(p.185)

 そして教祖に対して合正で挨拶するだけでなく、お互いも合正の挨拶をするようになったという。これは人間の本性に対するポジティブなとらえ方ということができ、家庭連合の人間観と相通じる部分がある。『原理講論』では、もし人間が堕落せずに完成していたならば、創造本然の人間は神性を帯び、神の心情を体恤し、神の宮となるので、大神様の言うような「神と神との拝み合い」の世界となったはずであった。堕落した人間にもこうした神性の一部が残っているので、隣人の中にそうした神性を発見してその人を尊重し愛するという姿勢は、家庭連合の信仰生活の中でも説かれている。しかしながら、それが天照皇大神宮教の「合正」のような定型の挨拶として実践されているかといえば、そうではない。信徒同士が合えばお辞儀をして挨拶をすることがあるが、それは日本人の一般的な風習と同じである。

 むしろ、家庭連合の挨拶の伝統で特異なのは韓国の文化を背景とした「敬拝」であろう。これは教祖である文鮮明師御夫妻の実体や写真を前にして行うもので、両手を体の前で水平にして重ね、跪いて体全体で大きくお辞儀をするものである。これは日本の文化風習にはないものであり、韓国では父母の前や先祖に対する祭祀のときに一般的に行われるものである。こうした敬拝を家庭連合の信者たちは神や教祖に対して行うけれども、信徒同士で行うことはない。韓国の家庭連合の信者たちは、父母や先祖に対して同じような形の敬拝をすることはあるであろうが、それは韓国の文化の一部であって、家庭連合の信仰の実践ではないだろう。こうした文化風習を持たない日本や西洋の信者たちにとっては、敬拝を行うことは一種の異文化体験であり、家庭連合に固有の信仰実践という意味を持っている。私の知り合いのユダヤ人の教会員は、初めのころはこうした行為が偶像崇拝のように思えて抵抗を感じたという。

 一方で、手を合わせるという天照皇大神宮教の挨拶は、日本人にとってはそれほど文化的抵抗を感じるものではないだろう。タイやネパールのような仏教国では、合掌で挨拶することは一般的であるし、日本においても敬虔な仏教徒は合掌で挨拶することがある。他方で、東洋人にとって一般的な合掌やお辞儀などの挨拶は、西洋人にとってはやはり抵抗があるようだ。西洋での一般的な挨拶は、握手、ハグ、チークキスなどであり、挨拶に関する大神様の指導はやはり日本の文化(特に仏教)が背景にあると言えるだろう。

 さらにこのころ、大神様は神教を信じて行ずる人たちを「信者」と呼ぶことを禁じられた。神の国を建設せんとする志を同じくする者なので、「同志」と呼ぶように指導されたのである。「信者」という言葉にはどこか受け身のニュアンスがあるので、より主体的な「同志」という言葉を選んだのであろう。この言葉は伝統的には社会主義の運動圏において使われた言葉であり、左翼的な色彩を帯びている。日本共産党は、委員長が党大会や党中央委員会総会の幹部会報告などの場で党員をいまでも「同志」と呼んでいるし、新しく日本共産党に入党した人間は、「〇〇同志 あなたの入党を心から歓迎します」と書かれた「入党承認証」を受け取る。

 だからと言って、「同志」は左翼の専売特許というわけではない。幕末に日本から密出国して渡米した新島襄は、留学中にキリスト教徒となり、自由と良心に立つ人間を養成するキリスト教主義教育を日本でも行いたいという夢を実現するため、帰国後に京都に同志社英学校を創立した。後の同志社大学である。同志社とは「志を同じくする者が創る結社」であり、その原点は新島の志である。英語の校歌は「One Purpose」というタイトルで、「ひとつの志」「同じ志」すなわち「同志」を意味する。

 家庭連合でも「信者」という言葉はあまり使われないが、左翼的な匂いのする「同志」という言葉も使われない。家庭連合では信者のことを「食口」と呼ぶ。これは「シック」と発音するのだが、そのまま言っても一般的な日本人には通じない。読み方自体が韓国語である上に、漢字で表記しても意味は伝わらない。韓国語で「食口」とは家族のことであり、血統や生活を共にする仲間のことである。家庭連合の信者たちは真の父母のもとにあってお互いは兄弟姉妹であり、家族関係にあるという自覚を持っているので、親しみを込めて「食口」と呼んでいるのである。男性信者のことと「〇〇兄」「〇〇兄弟」、女性信者のことを「〇〇姉」「〇〇姉妹」と呼ぶこともある。これも同様に家族関係を基本とした人間関係になっているからである。こうした呼び方は家庭連合に限らず、一般のキリスト教にも見られ、韓国では一般のキリスト教でも信者のことを「食口」ということがあるようだ。これもまた、神のもとにあって人類は兄弟姉妹であるという思想に基づくものであろう。信者の呼び方ひとつにも、その宗教の思想や世界観が表れているものである。

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『生書』を読む26


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第26回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。前回は天照皇大神宮教の救済論について論じ、病気を治したり悪霊を追い出したりする奇跡に関して、大神様とイエス・キリストの類似性を紹介した。その共通点は、教祖が直接働きかけて人々の悪霊を追い出したり因縁を切ってあげたりすることにあった。そしてそれによって病気が治るなどの奇跡的な出来事が起こっている。人々はこのことを通じて、教祖の人並外れた力を悟り、信仰を受け入れるようになるのである。ところが、家庭連合の文鮮明師においては、これに類似した病気治しや悪霊退治にまつわるような話がほとんどないのである。こうした話は文鮮明師の自叙伝にも出てこないし、修練会などで語られる「主の路程」の講義の中にもほとんど登場しない。

 だからと言って、文鮮明師の生涯が平凡なものであったということを言っているのではない。文鮮明師の生涯は多くの苦難や試練に満ちた波乱万丈の物語であり、九死に一生を得たという意味ではまさに奇跡的な出来事も数多く起こっている。また、人々が文鮮明師との出会いに前後して不思議な夢を見たり、宗教的な体験をしたという証しも多数あり、それらが信仰の動機となることもある。しかし一方で、文鮮明師が人々に直接働きかけて悪霊を追い出したり、その人の過去の因縁を切ってあげたことによって、病気が治ったというような奇跡譚はほとんど存在しないのである。これには、家庭連合の救済論が深く関係していると思われる。

 文鮮明師の教えの核心は、人類の罪の清算と救済は奇跡によってなされるものではなく、蕩減復帰の原理に従ってなされるというものである。それではこの「蕩減」とはいかなる意味なのか、『原理講論』の説明に耳を傾けてみることにしよう。
「どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失なったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを『蕩減』というのである。……堕落によって創造本然の位置と状態から離れるようになってしまった人間が、再びその本然の位置と状態を復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る或る条件を立てなければならない。(ロマ5:19、コリント前15:21)。堕落人間がこのような条件を立てて、創造本然の位置と状態へと再び戻っていくことを『蕩減復帰』といい、『蕩減復帰』のために立てる条件のことを『蕩減条件』というのである。〔後編・緒論(一)蕩減復帰原理〕

 ではその蕩減条件を立てる主体が誰であるかといえば、それは神でもサタンでもなく、人間なのである。これは、罪の清算の責任は基本的に個々の人間にあるという考え方である。人間は罪を背負っており、血統的な罪のゆえに霊界から悪なる影響を受けることがあるのだが、その罪を清算する方法は、奇跡によって救われるのではなく、人間自身が苦痛を受け、それを甘受することによって、蕩減条件を支払わなければならないのである。したがって、悪い因縁や悪霊の働きは、教祖によって解決してもらうべきものではなく、自分自身の信仰と実践によって清算すべきものなのである。『原理講論』の中で地上の信仰者と悪霊人の関係について語っている部分は、第五章「復活論」における「悪霊人の再臨復活」の説明である。少々長くなるが、その部分を引用してみよう。
「復帰摂理の時代的な恵沢によって、家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏に移行される一人の地上人がいるとしよう。しかし、この人に自分自身、或いはその祖先が犯した或る罪が残っているならば、それに該当する或る蕩減条件を立ててその罪を清算しなければ、種族的な恵沢圏に移ることができなくなっている。このとき、天は悪霊人をして、その罪に対する罰として、この地上人に苦痛を与える業をなさしめる。このようなとき、地上人がその悪霊人の与える苦痛を甘受すれば、これを蕩減条件として、彼は家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏に入ることができるのである。このとき、彼に苦痛を与えた悪霊人も、それに該当する恵沢を受けるようになる。このようにして、復帰摂理は、時代的な恵沢によって、家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏へ、なお一歩進んで民族的なものから、遂には世界的なものへと、だんだんその恵沢の範囲を広めてゆくのである。こうして、新しい時代的な恵沢圏に移るごとに、その摂理を担当してきた人物は、必ずそれ自身とか、或いはその祖先が犯した罪に対する蕩減条件を立てて、それを清算しなければならないのである。また、このような悪霊の業によって、地上人の蕩減条件を立てさせるとき、そこには次のような二つの方法がある。

 第一に、悪霊人をして、直接その地上人に接して悪の業をさせて、その地上人が自ら清算すべき罪に対する蕩減条件を立ててゆく方法である。第二には、その悪霊人が或る地上人に直接働くのと同じ程度の犯罪を行なおうとする、他の地上の悪人に、その悪霊人を再臨させ、この悪人が実体として、その地上人に悪の業をさせることによって、その地上人が自ら清算すべき罪に対する蕩減条件を立ててゆく方法である。

 このようなとき、その地上人が、この悪霊の業を当然のこととして喜んで受け入れれば、彼は自分か或いはその祖先が犯した罪に対する蕩減条件を立てることができるのであるから、その罪を清算し、新しい時代の恵沢圏内に移ることができるのである。このようになれば、悪霊人の業は、天の代わりに地上人の罪に対する審判の行使をした結果になるのである。それ故に、その業によって、この悪霊人も、その地上人と同様な恵沢を受け、新しい時代の恵沢圏に入ることができるのである。」(『原理講論』第5章復活論、第2節復活摂理、(三)霊人に対する復活摂理(3)楽園以外の霊人たちの再臨復活より)

 この記述に従えば、罪の清算のために悪霊人から悪の業を受けたり、地上の人間から悪の業を受けたりして苦しんでいる人に教祖が働きかけて、悪霊を取り除いたり、悪因縁を切ったりしてしまえば、その人は罪を清算する機会を奪われてしまうことになるので、本質的な問題の解決とはならないのである。このような『原理講論』の教えは、救済論においては「自力信仰」の特徴を持っていると言える。だからこそ文鮮明師は、信徒の悪霊を追い出したり病気を治したりすることはしなかったのである。

 ところが、統一教会の歴史において初期の段階では極めて「自力信仰」の特徴を有していた霊界との関係が、途中から「他力信仰」に変化していく現象が起こった。それは清平役事の登場である。清平役事においては、祝福家庭に起こる様々な不幸の原因を、食口たちの体の中に巣食っている悪霊であるとし、それを分立することによって、食口たちを霊障から解放することに救済の中心をおいている。

 清平役事における悪霊分立の意義は、統一原理における罪の概念と結び付けられ、さらには病気の治癒と結び付けられている。すなわち、血統的な罪や連帯的な罪があるので悪霊がついているのであり、それによって病気が引き起こされている。よって、その原因である悪霊を分立し、解放することを通して、血統的な罪が清算され、その霊障である病気も癒されていくという構造を持っているのである。霊障としての病気の中には、胎児の障害や奇形児、アトピーなども含まれており、これらは基本的に悪霊の仕業であるとされている。

 初期の段階における清平役事は、韓鶴子総裁の母親である洪順愛ハルモニ(「大母ニム」と呼ばれる)が、霊能者である金孝南氏に再臨して始まったと信じられている。金孝南氏自身も「訓母ニム」と呼ばれ、信徒たちから絶大な信頼を受けて清平役事を取り仕切っていた。彼女が説いた悪霊分立の方法は「按手」と呼ばれるもので、熱狂的な賛美と拍手をしながら、体の各部位を手で打つというものである。これによって信徒たちの体の中に入っている恨み多き悪霊たちを分立し、霊障から解放してあげようというのである。

 初期の清平役事においては、金孝南氏自身が病気や困難な問題を抱えている教会員たちを直接面接し、特別な按手を施すことによって悪霊を分立するという作業を行っていたという。このような金孝南氏の役割は、韓国の宗教伝統である「ムーダン」と呼ばれる厄払いをする巫女の働きに似ている。ムーダンの役割は基本的に様々な霊障から人々を守ることにあった。清平役事においても、按手によって病気が改善したという証しが多数存在する。

 天照皇大神宮教における大神様の「悪霊済度」は、家庭連合においては教祖である文鮮明師の働きよりも、清平役事における金孝南氏の役割により似ていると言える。文鮮明師は真の父母として信徒たちに祝福を与え、原罪を清算するという形で信徒たちの救済に関わったが、個々の信徒たちにシャーマンやカウンセラーのように対応して悪因縁を切ったり悪霊を追い出したりするということは行わなかった。むしろそうした活動をしたのは清平役事における金孝南氏であったと言えるだろう。

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『生書』を読む25


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第25回目である。前回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。前回は大神様のカリスマと天照皇大神宮教のコスモロジーについて解説したが、今回は救済論を中心に論じることにする。天照皇大神宮教のコスモロジーによれば、世界は地上界と霊界の二重構造になっており、霊界は地上界に対して影響を与えている。霊界には悪霊が充満しているため、それが地上人に与える影響は悪なるものがほとんどである。その影響を断ち切ってあげることが救済(済度)であり、それをすることで人々の間にも世界にも平和が訪れる。それをなすことが自分の使命であるというのが大神様の教えの根幹である。

 大神様がこの頃に行っていたことは、集まってきた人々の背後を見て、憑いている悪霊を落としてやったり、悪い因縁を切ってあげたりすることであった。するとその結果、病気が治ったりなどの奇跡的な出来事が起きた。これは外形的に見ればシャーマンや巫女の活動に似ている。それで当時の人々は大神様のことを八卦見や祈祷師、あるいは病気直しの「はやり神様」のように思ってお参りするようになったという。まだ戦後間もないこともあって、前線の息子や主人の安否を尋ねに来る人も多かったという。

 病気を治してもらいたいと思ってくる人に対しては、大神様は一人一人のために祈っては、その原因となる悪霊を払ってあげた。するとその場でけろりと病気が治ったので、評判が評判を呼んで多くの人々が集まるようになった。悪霊といっても死んだ人とは限らず、生霊がついていることが原因で病気になることもあるという。生霊とは人の思いであり、誰かの悪い思いが他人に影響を与えるということだ。死んだ人の霊が悪霊となって病気になるケースは、たいていは先祖の因縁であり、家計の中に不成仏の人がいると起こる現象であると大神様は説く。こうした考え方自体は、日本の宗教伝統の中に深く根差したものであると同時に、日本の新宗教の教えの中にも幅広く見られるものである。

 日本の新宗教の中には「先祖の因縁」を説くものが多い。天照皇大神宮教のほかにも、霊友会、大本教、真如苑、解脱会、世界真光文明教団、阿含宗、GLAなどが同様のことを教えている。これらの教団は多くの場合、宇宙を目に見えるこの世界すなわち現界と、目に見えない神や霊の世界すなわち霊界の二重構造からなると考え、それら二つの世界の間には密接な交流影響関係があるとしている。すなわち現界で生起するさまざまな事象は、実はしばしば目に見えない霊界にその原因があるのであり、その働きは「守護霊」や「守護神」などによる加護の働きだけにはとどまらず、「悪霊」や「怨霊」などによって悪影響が及ぼされることもあるととらえられている。むしろ実際に霊界の影響がクローズ・アップされるのは、苦難や不幸の原因について説明するときの方が多いくらいである。

 この場合、現界に生きる人間に対して影響を及ぼす霊は、その人と何らかの縁があると考えられるケースが多い。したがって、血縁(親や先祖)、地縁(家や家敷)、その他の個人的な縁を介して、その人と何らかのつながり(因縁)のある霊が、その人に大きな影響を及ぼすということになる。このうち特に重視され、しばしば言及されるのはやはり血縁者(親や先祖)の霊的影響である。そしてこれらの新宗教にはこのような悪因縁を除去するために、除霊や浄霊の儀礼を行うものが多く、それは「先祖供養」(霊友会系教団)、「慰霊」(松緑神道大和山)など、さまざまな呼び方をされているが、天照皇大神宮教においてはそれを「悪霊済度」と呼ぶのである。

 大神様は基本的に救いを求めて集まった人々の「悪い因縁」を切ってあげたが、誰でも彼でも無条件に切ってあげたわけではない。因縁を切るのは一つの目的があったのである。それはその人を神行に導き、神国の建設のために働くことができるようにするためであった。そのことを示しているエピソードが以下である。
「ある者は『私の因縁を切ってください。』と願い出た。すると、『わしは、因縁を切るのが商売じゃあない。神国のお役に立つ人の足手まといにならぬようにと、因縁切るのが役座の腕じゃ。まず、神国のためなら裸一貫、いつ死んでも惜しくない肚をつくれ。そしたらお前の因縁切っちゃろう。』と。」(p.180)

 この他にも、「これを御縁にしっかり家内揃って神行しなさい。そしたら、お前の家の因縁が切れるから。」(p.178)とか、「お前は相当肚ができたから因縁を切ってやろう。」(p.179-180)といった発言もあり、要するに大神様が因縁を切ったり病気を治してあげるのはきっかけに過ぎず、神行によって救済に至る道を直くするためのものであることがうかがえる。

 こうした病気直しは教祖の働きの中でも典型的なものである。『新約聖書』の中にも、イエス・キリストが病気の者や悪霊憑きの者を癒した話がたくさん出てくる。Wikipediaで整理されているものを列挙すれば以下のようになるが、複数の福音書に重複して登場するストーリを一つにまとめて数えても、23回はこうした奇跡を行っていることになる。
・安息日の会堂で汚れた霊に取りつかれた男を癒やす。(マルコ 1:21、ルカ 4:31)
・ペトロの家で彼の義理の母の病気と大勢の病気を癒やし、多くの悪霊を追い出す。(マタイ 8:14、マルコ 1:29、ルカ 4:38)
・ガリラヤでおびただしい民衆の病気、苦しみ、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、あらゆる病人が癒やされる。(マタイ 4:23、ルカ 6:17)
・重い皮膚病(ハンセン病)を患っている人をいやし清くする。(マルコ 1:40)
・百人隊長の信仰を誉め、彼のしもべの病気を癒やす。(マタイ 8:5、ルカ 7:1)
・ガリラヤのカナで王の役人の息子を癒やす。(ヨハネ 4:43)
・エルサレムのベトザタの池で38年間病気で苦しんでいる人を癒やす。(ヨハネ 5:1)
・カファルナウムで屋根をはがして吊り降ろされた中風を癒す。(マタイ 9:1、マルコ 2:3、ルカ 5:17)
・安息日に会堂で手の萎えた人を癒やす。(マタイ 12:9、マルコ 3:1、ルカ 6:6)
・おびただしい民衆がユダヤ全土から集まり、イエスから力が出て病気を癒やしていたので、群集は皆、イエスに触れようとする。(ルカ 6:17)
・悪霊に取りつかれたゲラサの人を癒やし、悪霊たちを豚の中に送りこむ。(マタイ 8:28、マルコ 5:1、ルカ 8:26)
・十二年間出血が止まらず苦しんでいた女を癒す。(マタイ 9:18、マルコ 5:25、ルカ 8:40)
・二人の盲人の目を見えるようにする。(マタイ 9:27)
・悪霊に取り付かれて口の利けない人を癒やすとしゃべり始める。(マタイ 9:32)
・ゲネサレトで舟を降りたイエスは、人々が床に乗せて運んでくる病人を癒やす。(マタイ 14:34、マルコ 6:53)
・シリア・フェニキアのギリシャ人の女の信仰を認め、悪霊につかれた娘を癒やす。(マタイ 15:21、マルコ 7:25)
・十八年間、病の霊のために腰が曲がったままの婦人を癒やす。(ルカ 13:10)
・安息日にファリサイ派のある議員の家に入り、水腫の人を癒やす。(ルカ 14:1)
・ガリラヤで耳が聞こえず舌の回らない人をしゃべれるようにする。(マルコ 7:32)
・イエスはベトサイダで盲人の目を見えるようにする。(マルコ 8:22)
・汚れた霊につかれた子供を癒やす。(マルコ 9:17)
・エルサレムにのぼる途中の村で重い皮膚病(ハンセン病)の人を清くする。(ルカ 17:11)
・エリコの近くの盲人バルティマイの目を見えるようにする。(マタイ 20:29、マルコ 10:46、ルカ 18:35))
・エルサレムで生まれつきの盲人の目を見えるようにする。(ヨハネ 9:1)

 イエスがこれらの奇跡を使った理由は、彼自身が「もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、もし行っているなら、たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう。」(ヨハネ10:37~38)と語っているように、人々に自分をメシヤとして受け入れてもらうためであった。ここでも病気直しや悪霊を払うことそのものが目的なのではなく、信仰に至ることが本質であり、そのためのきっかけとして奇跡を行っていることが分かる。その意味で、大神様とイエス様の行った病気なおしや悪霊の処理は同じ目的で行われていたことになる。これらは、教祖が直接働きかけて人々の悪霊を追い出したり因縁を切ってあげたりするというという点が特徴となる。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む24


第七章 道場の発足

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第24回目である。今回から「第七章 道場の発足」の内容に入る。前章で日本は終戦を迎え、いよいよ天照皇大神宮教の本格的な布教活動が始まった。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。ここでいう「道場」とは、教祖が嫁いできた北村家の自宅であり、1964年に現在の本部道場が竣工された後は「旧本部道場」となっている。

 私が2019年6月に天照皇大神宮教本部を『宗教新聞』の取材で訪問した際には、現在の本部道場を訪問した後に、この旧本部道場にも案内してもらった。現在の本部道場はコンクリートの巨大な建物だが、旧本部道場は下の写真に見る通り、立派ではあるが普通の民家である。これは韓国ソウルの青坡洞に草創期の統一教会本部が保存されているのとよく似ており、古くて小さな建物でも教祖が活動を開始した場所であるという歴史的な重要性の故に保存されているようであった。

天照皇大神宮教旧本部道場

天照皇大神宮教旧本部道場(2019年6月22日筆者撮影)

 『生書』の第七章は「教祖大神様のお家は、田布施町の御蔵戸部落にある。」(p.167)という言葉をもって始まり、しばらく道場とその周辺の様子を解説している。続いて「生け垣の尽きた所に入口があり、そのすぐ右手に石囲いの井戸がある。これが大神様が三年半にわたって水行をとられた由緒深い井戸である。」(167-8)とあるが、これとまったく同じ説明を私が訪問した際にもしてくれた。

 この北村家の屋敷の、玄関に接した六畳の間と、その奥の床の間のある六畳の座敷二間が、大神様が説法に使われた部屋であるとされているが、合わせて十二畳であれば宗教施設としてはかなりの狭さである。ところが終戦を契機として、大神様の説法を聞く人は急速に増えていったという。

 この頃の大神様と「肚の神様」のやりとりは非常に興味深い。肚の神様は教祖に対して、「肚を練れ」と指導されたのである。「おれが、われ(お前)を連れて歩くにようになったら、山のような障害物が出てくる。山のように障害物が出てきても、やるちゅう肚ほどつくったら、今度は反対になって、上から天照皇大神に引き上げられ、後ろからは八百万の神の腰押しで行くのだから、天が下に恐ろしいものがないじゃろうから、やるという肚をつくれ。肚だ、肚だ、肚だ。」(p.169)

 「肚」という漢字を使うにせよ、「腹」や「胆」を使うにせよ。日本では昔からこの言葉を決意や覚悟を示す言葉として用いてきた。「胆」には本心、心中、心づもりなどの意味のほかに、胆力、気力、度量などの意味があり、「腹を決める」といえば決心、決意、覚悟などを決めることであった。日本における伝統的な武術は「肚」を重要視しており、「肚を練る稽古」というものもあるくらいだ。大神様に対する「肚を練れ」という指導にもこうした背景があったと考えられるが、これは信仰は理屈ではないという天照皇大神宮教の立場を明確に示している。

 家庭連合の創設者である文鮮明師にも、人類のメシヤとなるべく神から試練を受けたり、多くの迫害を驚異的な信仰と決意によって乗り越えていくという話は同様に存在するものの、文師がメシヤとなっていくうえでより重要な強調点は「真理の解明」であった。単に驚異的な信仰や決意があればよいということではなく、人類救済のために必要な「真理」を明らかにしなければならないということがより強調されているのである。もちろんそれは合理的で客観的な理論というよりは、多分に霊的な内容を含んだ宗教的な真理ではあるものの、かなり知的な神学的体系を明らかにすることであった。一方で大神様の語られる内容は、知的な体系というよりは生活に根差した話や、霊界に関する話などをシンプルな言葉で直感的に語ったものが多い。この辺は宗教ごとの個性の違いが明確に表れていると言えるだろう。

 「肚の神様」が教祖に命じたもう一つの面白いやり方が、体を横にして説法するというものであった。これは常識的に考えれば「行儀が悪い」とか「失礼な態度」に当たるものであるが、「肚の神様」は教祖に対してあえてそうするように命じたという。その理由は、どんなに偉い人が来ても臆せず、なめられないように肚をつくるためであった。大神様は「肚の神様」が入った後は、人に対して「さん」とか「様」とか敬語を使わなくなり、総理大臣に対しても「おい、岸!」と呼び捨てにしたという話は有名である。これは神の代身であり、生き神である自分自身の位置を守るために、この世においてどんなに偉い人に対しても卑屈な態度をとってはいけないということであろうが、教祖と呼ばれる人にはこのような性質が少なからずあるようだ。

 家庭連合の創設者である文鮮明師も、国家元首級の世界の指導者たちを集めて講演したことが何度もあったが、そのときの態度もVIPに対して気を使うとか、へりくだるということはなく、もしろ堂々と自分の信念を述べるというものであった。私はUPFの主催する国際会議や大会の場で何度かそうした場面を見てきた。さすがに寝そべって話すというようなことはなかったが、あるときには晩餐の前にVIPを前にして延々と3時間も語り続けたことがあった。信徒に対する説教ではなく国際会議の晩餐会という場なので、常識的なメッセージの時間は20~30分位であり、準備された原稿の長さもその位であったが、それをはるかにオーバーして3時間も語ったのである。それを聞いている世界各国から集まってきたVIPたちはお腹を空かせながらその話を聞かざるを得なかった。これもある意味では常識を外れた行動であり、中には怒り出すVIPもいた。しかし、それを超えて何かを伝えたいという文鮮明師の熱意に感動したVIPもいたのである。ときにはこうしたことをするのが、教祖という存在なのである。

 大神様の説法を聞いた人々は、神の言葉に酔いしれて夢見るような気持、すなわち「法悦境」に入って行ったとされる。俗世間は「本土決戦だ」「敗戦だ」「生活難だ」と地獄絵図のような様相であったが、大神様の説法を聞いている間はそうしたことをすべて忘れて別天地にいるような喜びを感じていたのである。これは教祖の示すビジョンに信徒たちが共鳴していたということであり、自分と同じビジョンを信徒たちに見させることのできる力こそが教祖のカリスマなのである。

 このころの大神様の言葉に、天照皇大神宮教のコスモロジーが表現されているので、それを分析してみよう。
「世は末法の世となって、宇宙は悪霊で充満している。この悪霊の後ろ控えで人と人とは喧嘩をし、国と国とは戦争をする。・・・この後ろ控えの悪霊を済度するのが役座の仕事じゃ。悪霊の済度ができりゃこそ、一人一人の因縁も切ることができるし、神の国に行く根本の邪魔が取り除かれるんじゃ。悪霊の掃除ができた時、世界絶対平和もできるんじゃ。」(p.171-2)
「昔からこの世のことを『現し世』と言うじゃろうが、霊界の影がこの現象界なんじゃ。」(p.172)
「今時が来て、天なる神が天降り、神力により悪霊の済度をするのじゃ。それによって神の国を地上に建設することもできるし、世界絶対平和の日も来るのじゃ。」(p.173)
「その世界にいくには、どうしてもまつわりついてくる悪霊を済度し、一人一人の因縁を切らにゃあ、行ける天国じゃない。まず先祖が救われなけりゃ、自分だけ一足お先に救われて、天国に行こうとしてもそりゃだめじゃ。」(p.173)

 世界は地上界と霊界の二重構造になっており、霊界は地上界に対して影響を与えている。霊界には悪霊が充満しているため、それが地上人に与える影響は悪なるものがほとんどである。その影響を断ち切ってあげることが救済(済度)であり、それをすることで人々の間にも世界にも平和が訪れる。それをなすことが自分の使命であるというのが大神様の教えの根幹である。こうしたコスモロジーは天照皇大神宮教に固有のものではなく、実は多くの伝統宗教や新宗教が共通して持っているものである。それは言葉の使い方や救済の方法に若干の違いがみられるものの、家庭連合のコスモロジーとも非常によく似ている。

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