書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』179


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第179回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。第177回から「三 現役信者の信仰生活――A郡の信者を中心に」の内容に入った。これは中西氏のフィールドワークによる調査結果を紹介したものであり、彼女の研究の中では最も具体的でリアリティーのある部分だ。今回は日曜日の礼拝の内容の記述から始めることにする。

 中西氏は、A教会の2007年8月26日の週報を示しながら、その礼拝は「形式的にはプロテスタント教会の礼拝と変わりなくとも、内容には多少違いが見られる。」(p.474)としている。やはり彼女は社会学者なので神学にはあまり関心がないのだろうか、神学的にはかなり大きな違いを「多少」の違いとしている。
「プロテスタント教会の礼拝と明らかに違う点は、①信仰告白が使徒信条ではなく、『家庭盟誓』であること、②讃美歌が統一教会の聖歌であること、③マルスム訓読があることであろう。週報を見るだけではわからないが、祈りの最後の部分が「……を主のみ名によって祈ります』ではなく、『……を真のご父母様を通して祈ります』になることも異なる。」(p.475)

 まず、使徒信条の部分について詳しく説明しよう。中西氏はこれについて、「①信仰告白はイエス・キリストに対する自己の信仰を明確な言葉をもって言い表すものであり、キリスト教会では、キリスト教の教義の要約いわばエッセンスにあたる使徒信条が用いられる。統一教会ではイエスの十字架の死を復帰摂理における失敗であり、イエスは結婚して子孫を残すべきだったと捉えているのだから使徒信条は用いられまい。」(p.475)と解説している。大きく間違っているわけではないが、細部においては指摘すべき点がある。

 まず、「使徒信条」が教派を越えた最も普遍的な信仰告白であることは事実だが、信仰告白はこれに限らない。「信条」とは一般に古代のものを指し、使徒信条のほかにもニカイア・コンスタンティノポリス信条などがある。一方で「信仰告白」と言うときは、宗教改革以後のものを指す。信仰告白はプロテスタントの教派によって異なっており、福音主義(ルター派)教会ではアウクスブルク信仰告白、シュマルカルデン条項、和協信条、バルメン宣言などが用いられる。カルヴァンの流れを汲む改革派教会では、第二スイス信仰告白、フランス信仰告白、ベルギー信仰告白、スコットランド信仰告白、ウェストミンスター信仰告白などが用いられる。また、日本基督教団では1954年に「日本基督教団信仰告白」が制定されている。このように、一言で「信仰告白」と言ってもその内容は多様であり、必ずしもすべてのキリスト教会で使徒信条が唱えられるわけではない。

 次に使徒信条の中身について紹介しよう。教派によって日本語訳も異なるが、以下は2004年2月18日に日本カトリック司教協議会が認可した日本語訳である。信徒信条は大きく分けて三つのポイントからなっている。
「天地の創造主、全能の父である神を信じます。(①)
父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って全能の父である神の右の座に着き、生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。(②)
聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。(③)」

 ①では父なる神に対する信仰が告白され、創造論が示されている。②では子なる神に対する信仰が告白され、キリスト論、復活論、終末論が示されている。③では聖霊なる神に対する信仰が告白され、教会論、救済論が示されている。このように信徒信条は「父と子と聖霊」という三位一体型の構造を持っているのである。

 それでは統一教会ではなぜ使徒信条が唱えられないのであろうか? それは基本的な神学的枠組みが全く異なっているからである。①における創造論においては大きな違いはなく、天地の創造主である全能の神を信じることは同じである。しかし②において、イエス・キリストが聖霊によっておとめマリヤから生まれたことを統一教会では認めていないし、十字架が神の予定であったことも、超自然的な終末の到来や最後の審判も信じていない。③においては、肉体の復活や、肉体による永遠の命(栄化)という考え方も否定されている。したがって、使徒信条は統一教会においては文字通りには受け入れがたいものなのである。これは単に、「統一教会ではイエスの十字架の死を復帰摂理における失敗であり、イエスは結婚して子孫を残すべきだったと捉えている」というような単純な問題ではなく、神学全体の構造が根本的に異なると言ってよいだろう。

 中西氏は、家庭盟誓の内容は「統一教会の教義を要約したものである」(p.475)と言っており、だからこそ「信仰告白」として位置づけられているのだが、使徒信条と比較してみると、そもそも文章の目的に大きな違いがあることが分かる。

 キリスト教会において様々な「信条」や「信仰告白」が作成されたのは、異端との闘争や教派同士の神学論争の過程において、自分自身の信仰の内容を明確化する必要に迫られたからである。それは何が間違いで何が正しい信仰か、何が異端で何が正統であるかを明確にする必要から生まれたものなので、「何を信じるか」が列挙されたものになっているのである。

 一方で、以下に示すように、「家庭盟誓」には何を信じるかは表現されておらず、むしろ私が「何を成し遂げるか」に関する決意が表現されているのである。少なくとも「家庭盟誓」は、異端との闘いや教派同士の神学論争の結果として生まれたものではない。
「一、天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します。
二、天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、天の父母様と真のご父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します。
三、天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します。
四、天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、天の父母様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します。
五、天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します。
六、天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、天の父母様と真のご父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します。
七、天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成する事をお誓い致します。
八、天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、天一国時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏を完成することをお誓い致します。」(以上は2013年に改訂されたバージョンであり、中西氏の紹介した文言と異なっている)

 中西氏は、「プロテスタント教会での信仰告白がイエス・キリストへの信仰を言い表しているのに対し、統一教会の信仰告白は文鮮明と韓鶴子への信仰を言い表している。『……することをお誓い致します』は、いうまでもなく文鮮明と韓鶴子に対してである。」(p.475)と言い切っているのが、これは間違っている。一体いかなる根拠に基づいて、彼女は「いうまでもなく」という強調までしてこれを断言するのであろうか?

 プロテスタントの信仰告白は、上記の説明から分かるように、父と子と聖霊という三位一体の神に対する信仰を言い表しているのであって、イエス・キリストに対する信仰はそのうちの「子」の部分にしか当たらないので、中西氏の解説は間違いである。

 さらに、「家庭盟誓」は第一に神に対して誓うものであり、次に神と人間の仲保者である真の父母(文鮮明総裁と韓鶴子総裁)に誓い、同時に自分自身の良心に対しても誓っているのである。

 中西氏の解説は、キリスト教においても統一教会においても、天地創造主である神が欠落している。これは神に対する信仰が中西氏に欠如していることが原因であるか、そうでなければ、統一教会の信仰を意図的に「人間崇拝」として描こうとした悪意ある歪曲に他ならない。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』178


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第178回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。先回から「三 現役信者の信仰生活――A郡の信者を中心に」の内容に入った。これは中西氏のフィールドワークによる調査結果を紹介したものであり、彼女の研究の中では最も具体的でリアリティーのある部分だ。彼女が韓国で出会った日本人女性の信仰生活の様子は、一言でいえば「普通」だった。韓国の統一教会は、普通のプロテスタント教会と大差ないというのが中西氏の観察の要点である。今回はその続きを分析する。
「教会の代表は牧師である。信者が牧師を呼ぶときには『モクサニム(牧師様)』、牧師の妻を呼ぶときは『サモニム(師母様)』である。日本の統一教会では教会の代表は教会長だが、韓国では韓国プロテスタント教会と同じ呼称で呼んでいる。」(p.472)

 これはおそらく1980年代までは正しい描写だったかもしれないが、1990年代に多数の韓国人牧会者が日本で活動するようになってから、明確な区別ではなくなった。韓国人牧会者は当然のことながら韓国の教会文化を日本に持ち込んでくる。そこで自分のことを「モクサニム」と呼ぶように指導する者も出てきたし、その夫人は多くが日本人であるにもかかわらず「サモニム」と呼ばれるようになった。現在の日本の家庭連合では、韓国語の使用がかなり一般的になってきており、「モクサニム」や「サモニム」が何を意味するかは大抵の教会員が理解するようになっている。

 しかし面白いのは、「長老」「勧士」「執事」といった呼称は日本では一般的になっていない点である。私も1989年に韓国の教会で暮らしていたので、「チャンノーニム(長老様)」「ゴンサンニム(勧士様)」「チプサニム(執事様)」といった役職で信者同士が呼びあっているのを聞いたことがある。大雑把に言うと、信仰暦の長い年長の男性信者は「長老様」と呼ばれ、比較的若い女性信者は「執事様」、信仰暦の長い年配の女性信者は「勧士様」と呼ばれていた。しかし、日本ではこうした呼び名で信徒同士が呼び合う姿を見たことはない。それはこうした役職自体が日本の教会には存在しないためであろう。日本の教会の役職は、もっと職責や機能を直接的に表現したものが多い。具体的には、総務部長、教育部長、青年学生部長、婦人代表、壮年部長といった具合である。これは日韓の教会文化の違いと言えるかもしれない。

 続いて中西氏は韓国統一教会の礼拝のあり方を描写する。
「礼拝は日曜日の聖日礼拝と水曜日の水曜礼拝がある。礼拝の形式は特別なものではない。プロテスタント教会の礼拝と基本的に変わりなく、牧師の説教、祈り、讃美歌、信仰告白、献金、祝祷、お知らせ、祈りからなる。」(p.473)とし、それは『伝統』という信仰生活の儀式や行事を説明した書籍の内容とも一致するという。
「A教会を例にして見てみよう。礼拝の雰囲気は日本のプロテスタント教会の礼拝と同じで静かなものである。韓国プロテスタント教会の中には牧師が力強く感情を込めて説教し、祈りでは異言が発せられることも珍しいことではない。A教会にはそうした雰囲気、要素はない。・・・礼拝の様子からは日本でカルト視されている同じ宗教団体とは思えない。」(p.474)

 私は、『産経新聞』の国際面コラム「ソウルからヨボセヨ」を担当していた黒田勝弘氏の話を直接聞いたことがあるが、彼によれば、実際に韓国のキリスト教会の中には礼拝中にエクスタシー(恍惚状態)に入るものも多数あるという。私自身は韓国でそのような礼拝に参加したことはないが、アメリカではそれに近い状態になる礼拝に参加したことはある。それは神学校の「フィールド・エデュケーション」で、黒人中心の福音派の教会を訪問したときのことである。女性が非常に元気な教会で、牧師も女性であった。礼拝堂にはドラムとキーボードが置いてあり、それを大音量で鳴らして、ミュージカルさながらの礼拝が行われる。説教は音楽に乗って行われ、歌っているのか説教しているのか分からないような恍惚状態になるのである。牧師が話している最中に、「皆さん、証しはないか?」と言うと、次々に女性が前に出てきて信仰の証しをするといった具合である。礼拝全体が熱狂的で興奮に満ちており、中には異言を語りだす人や、踊りだす人もいる。それは一種の宗教的現象として尊重されるべきものだが、部外者がいきなりそこに参加したら違和感を感じるのは否めないであろう。宗教に理解の無い人であれば、それだけで「カルト」のレッテルを張るかもしれない。

 しかし、中西氏が参加したA教会の礼拝にはそうした恍惚状態やトランス状態を引き起こしたり、信者が礼拝中に異言を発するような特異な現象はまったくなく、礼拝は静かなものであったという。同じ教会でも国ごとに文化の違いがあり、牧師ごとに説教のスタイルに違いがあるとはいえ、統一教会の礼拝がトランス、エクスタシー、異言といったような現象を意図的に引き起こすタイプのものではなく、むしろ説教者が理性的に語ることによって信者を感化しようとするのは、全世界共通の普遍的な傾向であると言ってよい。このことは、西洋の統一教会の修練会を研究したアイリーン・バーカー博士の記述からも傍証することができる。
「講義は、高等教育の多くの場所で毎日(同じかそれ以上の時間)なされているものよりもトランスを誘発するものではない。さらに、私が観察したことは、入会する者たちは講義の内容が面白くて刺激的であると感じたらしく、また積極的に聞き耳を立て、ノートをしばしば取っており、そして(講義の後で質問をすることから明らかなように)自分自身の過去の体験と関連づけているのである。統一教会の修練会では、お経や呪文のようなものが唱えられることはほとんどない。仮にそれが行われるところでも(欧米では、主にカリフォルニアであったが)、ゲストに関する限りは非常に限定された性格のものである。確かに、それはクリシュナ意識国際協会の寺院を訪問したときに参加するように勧められるお経や、実際に、より伝統あるヒンドゥー教の寺院で通常行われているものほど激しくはない。統一教会は恍惚状態を志向する宗教ではないし、通常の活動の一部として、信者たちを熱狂に駆り立てることはしない。(文と一部のカリスマ的な指導者たちは、ときどきムーニーたちに熱狂的な大衆反応を引き起こすことができるけれども。)意識の変容状態または催眠については、そのような言葉が全く空虚な意味で適用され、同語反復的に用いられるか、普通の、日々起こっていることを描写しているのでない限り、統一教会の修練会に参加したことのある者なら誰にでも明らかなように、こうしたことは全く起こっていない。」(『ムーニーの成り立ち』第5章 選択か洗脳か? より)

 実は中西氏が紹介している書籍『伝統』は日本語にも訳されており、日本における礼拝や儀式のあり方は、基本的に韓国のものと同じである。西洋においても、大きな違いはない。したがって、日本でも韓国でも西洋でも、礼拝の様子は大きく変わらないはずである。

 にもかかわらず、中西氏は「礼拝の様子からは日本でカルト視されている同じ宗教団体とは思えない。」という比較をあえて最後に付け加えているのである。中西氏が本気で日韓の比較を行いたいのであれば、日本でも礼拝に参加して、韓国との違いを直接的に体験すべきであった。それが研究者としての真摯な態度というものであろう。そうすれば、なぜ日本では統一教会は「カルト視」され、韓国ではそうされないのかに関する実証的で具体的な根拠を提示することができたかもしれない。しかし、ここでも中西氏は自分が直接出会った韓国統一教会の「実像」と、櫻井氏から植え込まれた日本統一教会の「虚像」を比較することに終始しており、実証的な比較研究を避けているのである。

 仮に中西氏が日本のどこかの統一教会の日曜礼拝に参加したならば、その様子は韓国の統一教会の礼拝と大差ないことを発見するであろう。それは形式としてはプロテスタント教会の礼拝と基本的に変わりなく、牧師の説教、祈り、讃美歌、信仰告白、献金、祝祷、お知らせ、祈りからなるからである。そしてまた、日本の統一教会の礼拝でもトランス、エクスタシー、異言といったような現象が起こることはなく、礼拝の雰囲気は静かなものである。それを見た中西氏の感想は、「この宗教団体がなぜカルト視されているのか分からない」となるに違いない。しかし、実際には中西氏は日本の統一教会の礼拝を観察したことがないので、「虚像」としてしかそれを理解することができないでいるのである。これが中西氏の研究の根本的な欠陥であることは、何度でも繰り返して指摘すべきである。

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神道と再臨摂理シリーズ14


 これまで13回にわたって連載してきた「神道と再臨摂理」のシリーズも、今回が最終回になります。先回から神道と再臨摂理のかかわりについて解説を始め、その中で神道と再臨摂理の間には不幸な過去があったことを説明しました。再臨摂理は紛れもなく神社参拝に命がけで抵抗するクリスチャンから出発したのであり、再臨主の基盤となる人は愛国反日の立場でなければならなかったのです。その意味で、再臨摂理と神道の間には一種の「怨讐関係」があるのは事実であり、それは歴史的な事実として否定できません。

神道と再臨摂理PPT14-01

 それでは、神道は悪なのでしょうか? その問いに対する答えは『原理講論』の世界大戦論の中に出てくる、「天の側」と「サタン側」の区別の仕方にあります。そこでは、神の復帰摂理の方向と同じ方向を取るか、あるいは間接的でもこの方向に同調する立場をとるときこれを天の側といい、これと反対になる立場をサタンの側という、とされています。これを宗教に当てはめた場合には、すべての宗教はその目的が等しく善にあるので、みな天の側であるが、ある宗教が使命的に見て一層天の側に近い宗教の行く道を妨害するときには、その宗教はサタンの側に属するようになるとされています。すなわち、神道の目的は基本的に善であるけれども、一層天の側に近い韓国のクリスチャンを迫害したために、国家神道はサタン側の宗教となったのです。

 この原則は神道のみならずどの宗教にも当てはまります。イスラム教がキリスト教の行く道を防いだ時にもサタン側となり、キリスト教が再臨主の行く道をふさいだ時にもサタン側となったのです。

 既に第12回で述べたように、国家神道は宗教としての神社神道が政権を握って、権力によって自らの信仰を国民に強要したのではなく、むしろその逆であり、政府が国民の統合と教化のために伝統的な神社神道を利用したというのが実態でした。したがって、「国家神道」がもたらしたさまざまな弊害や問題を、神道そのものの罪過として非難するのは誤りであると言えます。国家神道は、神道の長い歴史の中で見ればごく一時的な現象に過ぎませんでした。そして第二次世界大戦中は、ほぼすべての宗教団体が戦意高揚のために政府に利用されたのです。日本の伝統宗教はもとより、キリスト教も新宗教も大半はこれに順応したというのが事実です。政府に逆らったのは、大本やキリスト教無教会派など、一部の例外に過ぎませんでした。その意味では、神道だけを特別に罪悪視することはできません。神の摂理から見て、「国家神道」はその時代におけるサタン側であったと言えるかもしれませんが、神道そのものは一つの宗教として天の側に立っていると言えます。

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 お父様は神道を超宗教運動の対象として認めていました。UPFの国際行事においては、世界の諸宗教の代表によって構成される「超宗教祈祷」が行われることが多くありますが、キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教などと並んで、神道の宮司が祝詞をあげることもよくあります。韓国における行事だけでなく、イスラエルやアフリカのナイジェリアにおいて行われた国際行事においても、日本を代表して神道の宮司が祝詞をあげました。もし統一運動が神道そのものを罪悪視していたならば、こうしたことはあり得なかったはずです。

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 UPFの提案により、毎年2月の第一週を宗教間の和解と調和を推進する一週間に定める「世界諸宗教調和週間」に関する決議案が、2010年10月20日に第65回国連総会で可決されました。これに伴い、世界各国のUPFがこの期間に宗教間の和解と調和に関する行事を行っていますが、日本のUPFも「世界諸宗教調和週間」を祈念する平和の祈りを行事を毎年行っています。神道は日本の土着の宗教であり、中心的な宗教の一つであるため、日本における平和の祈りの行事においては、神道は重要な役割を果たしています。日本のUPFは、神道を超宗教運動の対象として位置づけ、友好関係を築こうと努力しているのです。

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 また、お父様の提唱により、世界の諸宗教の経典をテーマごとにまとめた『世界経典』でも神道の経典の言葉が掲載されています。具体的には、古事記から7カ所、日本書紀から4カ所、延喜式から1カ所、常陸風土記から1カ所、万葉集から3カ所となっています。その主な内容を紹介しましょう。
①伊邪那美が先に声をかけたことによって水蛭子が生まれたという古事記の記述を、聖書の失楽園の物語と類似する「人間の堕落」に関するものとして掲載しています。
②黄泉の国から帰った伊邪那岐が禊をした古事記の記述を、「清浄」に関するものとして掲載しています。
③須佐之男命が八岐大蛇を退治した古事記の物語を、悪魔を屈服させた話として記載しています。
④仁徳天皇が高い山に登り、国の中に炊煙が立たないのを見て、人民が貧しいからこれから三年間、人民の租税と夫役を免除せよと言った古事記の記述を、統治者の人民に対する配慮の例として紹介しています。
⑤自然に神性を見出す万葉集の歌を紹介しています。
⑥日本書紀に出てくる崇神天皇の「人民を導く根本は、教化することである」という言葉を「真理の証し」の項目で紹介しています。
⑦皇祖の神霊が子孫を助けているという日本書紀の記述を紹介しています。
⑧信を持って天下を治めようという日本書紀の記述を、「模範による指導」の例として紹介しています。
⑨延喜式の祓の記述を、「償いと許し」に関するものとして掲載しています。
⑩物忌よりももてなしの心の重要性を説いた常陸風土記の記載を「儀式を越えて」の項目で紹介しています。

 このように『世界経典』においては、神道経典の中にみられる宗教的な知恵が、世界の諸宗教と共通性を持つ普遍的な価値観として評価されているのです。

<結論>

 それではこのシリーズの結論をまとめてみたいと思います。神道と家庭連合は宗教としての普遍的価値観を共有する部分もありますが、明確な違いもあります。国家神道は、政府が国民の統合と教化のために伝統的な神社神道を利用した現象であり、神道の長い歴史の中で見ればごく一時的な現象でした。再臨摂理と神道の間には一時期怨讐関係が存在したことは事実ですが、お父様はそれを越えて神道を世界の諸宗教の一つとして認め、超宗教運動の対象の一つとして認められました。したがって我々は、日本文化の根底をなすものとして神道を積極的に評価し、友好的関係を築くべきであると言えます。

カテゴリー: 神道と再臨摂理シリーズ

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』177


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第177回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。先回まで、中西氏がA教会で発見した任地生活の女性信者に向けた「15ヶ条の戒め」と呼ばれる心構えの分析を行ってきたが、今回から「三 現役信者の信仰生活――A郡の信者を中心に」の内容に入ることにする。この内容は中西氏のフィールドワークによる調査結果を紹介したものであり、彼女の研究の中では最も具体的でリアリティーのある部分である。彼女が韓国で出会った日本人女性の信仰生活の様子は、一言でいえば「普通」だった。これはおそらく彼女の率直な感想であり、そこに嘘や偽りはないと思われる。むしろ問題は、彼女自身の目で観察していない日本の統一教会の信仰生活を「異常」と決めつけて、それと対比しようとする構図の取り方にあると言ってよいだろう。

 初めに中西氏は、農村部A郡を事例にする理由を述べている。その最も大きな理由は、「調査期間が最も長く、B市やソウル中心部と比べて信者と接触し、日常生活と信仰生活の両面を観察できたからである。」(p.469)とされている。実際には自分が調査した対象が全体を代表するような平均的な群れであったのか、それとも「はずれ値」の特殊な群れであったのかを評価する必要があるのだが、彼女は統一教会の信仰生活の目的はどこでも同じであり、組織的な指導や教育があるので、信者の信仰生活には場所によって大きな違いはないという前提で議論を進めている。彼女の論法はいささか杜撰ではあるものの、結論としてそれほど間違っているとは思えない。日本国内でも、北海道、東北、首都圏、中部、関西、中四国、九州では、それぞれの地方の文化の違いのようなものはあるだろうが、統一教会の信仰生活そのものが大きく変化するわけではない。同じように、韓国の全羅道、慶尚道、忠清道、京畿道、江原道で土地ごとの文化の違いがあったとしても、信仰生活そのものが大きく変化するとは思えない。

 ただし、韓国では都市部と田舎では文化の差が大きく、それが信仰生活に与える影響はやはり考慮しなければならないであろう。このことは中西氏も気付いていて、「農村部のA郡の生活は都市近郊のB市、ソウル中心部と比べると閉鎖的である。A郡では信者であることを明かさずとも周囲の韓国人は『日本人女性=統一教会信者』と認識しているが、B市やソウルでは言わなければわからない。A郡の日本人女性は統一教会信者であることを周囲も自明視しているという前提の上で暮らしている。」(p.470)と述べている。

 中西氏が本書で提示している38名の調査対象者のうち、26名がA郡の信者である。この26名の特徴は、全員が女性であることと、学歴が若干低いことだ。具体的には高卒あるいは看護学校卒がほとんどで、大卒は2名、短大卒が2名である。農村部に低学歴の者が嫁ぐ傾向にあるかどうかは自分には分からないと中西氏は言っているが、私もこれは偶然であり深い意味はないと考える。大卒はソウル、高卒は農村部、などというように学歴で嫁ぎ先を振り分けるような発想はそもそも文師のマッチングにはなかったからである。むしろ、大卒の日本の女性が、学歴の無い農村の男性の所に喜んで嫁いでいくことが「美談」とされるような傾向があったくらいである。祝福双による構成は、1988年の6500双がリーダー的な存在であり、人数的には1995年の36万双が最も多く、次に1992年の3万双が多いという。

 続いて中西氏は、日本人女性信者の信仰生活についての描写を開始する。冒頭から彼女は、日本人信者の信仰生活がいたって「普通」であることを強調する。
「結論から先にいえば、八章二節の『宗教団体としての統一教会』で見た韓国人信者の信仰のあり方と同様に、日本人信者の信仰のあり方も特別なものではない。教会の様子、礼拝や行事、家庭での信仰生活などを見ていくことで、信仰生活のあり方が一般のクリスチャンとあまり変わらないことを確認しよう。」(p.471)

 この文章は、中西氏の頭の中に存在する「普通な韓国統一教会」と「異常な日本統一教会」というステレオタイプ的な枠組みに基づいている。中西氏の頭の中にある日本統一教会のイメージは、櫻井氏から提供された大量の文献と、櫻井氏自身の記述によって作り出された「虚像」である。それに対して、中西氏が韓国で出会った統一教会の信者たちは彼女が直接観察した「実像」である。彼女の研究の根本的な欠陥は、日本における統一教会信者の実態に触れたことがないため、日韓の統一教会を比較する際には、常に「虚像」と「実像」を比較しながら論じなければならない点にある。それが彼女の研究を深みの無い空虚なものにしてしまってるのである。わざわざそんな無理なことをしなくても、彼女自身が出会った「普通な韓国統一教会」と、そこで暮らす日本人女性信者の姿をそのまま描いた方がもっとスッキリすることであろう。しかし、それでは「統一教会の信仰生活は普通だ」としか言ったことにならないので、「批判的な研究」である本書の目的にそぐわないのである。

 中西氏はまずA郡の統一教会について、「礼拝堂の内部は一見したところ一般的なプロテスタント教会とあまり変わらない。異なる点を挙げれば、礼拝堂の正面に十字架ではなく統一教会のシンボルマークが掲げられていること、講壇の横に教祖夫妻の写真が掲げられ、その下に椅子二脚が置かれていることくらいである。」(p.471-2)と述べている。実はこの違いは神学の違いによるものであり、教会ごとの文化の違いよりもより本質的な違いなのだが、中西氏はその理由について深く説明していない。ここは大事な部分なので、詳しく説明しておきたい。

 キリスト教の礼拝堂に十字架を掲げるのは、十字架がキリスト教信仰における救いの核心部分をなしているからである。それは言ってみればキリスト教会のアイデンティティーのようなものであり、神学的に重要な意味がある。キリスト教の教義によれば、イエス・キリストは全人類の身代わりとして、人々の罪を背負って十字架上で死んでいったと理解されている。イエスは自分の罪を贖うために、十字架で死んでくださった。だからこそ、救いの源泉である十字架を仰ぎ見るのである。

 教会に掲げられている十字架にも色々なタイプがある。ただ十字に組んだ木だけが掲げられている場合もあれば、そこにイエス・キリストの体が描かれているもの、さらには立体的なイエスの像がぶら下がっているものもある。中にはそのイエスの像が非常にリアルなものもあって、肌色に塗られた木造の足には釘が刺さっていて、そこから血が流れているのが描かれていたり、兵士に槍で刺された傷跡がザックリと胸に描かれていたりする場合もある。これをもしキリスト教というものを全く知らない人が見たら、グロテスクで悪趣味だとしか思わないだろう。

 実際、十字架は異文化の人々にとっては非常に奇異なものであり、世界的な版図をもつ宗教の教祖の姿としては異常なものである。それはクリスチャンたちにとってはあまりに日常的なものとなっているので気がつかないのであるが、磔にして殺された教祖の像をおがんでいるというのは尋常ではない。

 統一教会には十字架がない。どこの国の本部教会へ行っても、地方の教会でも、礼拝堂に十字架は見当たらない。これをもってクリスチャンたちは「統一教会はキリスト教ではない」と言う。十字架こそキリスト教のシンボルだからだ。ではなぜ統一教会には十字架がないのか? それは十字架が見るに忍びないものだからである。クリスチャンたちは十字架につけられた救い主の姿を仰ぎ見ている。しかし統一教会の信徒たちは、「あなたはなぜ彼を十字架から降ろしてあげようとしないのですか? あなたはなぜ彼をあそこで苦しむままにさせておくのですか? もし彼を十字架につけたのがあなたであるというならば、なぜ自分の罪をかぶせたまま平気でいられるのですか?」と思うのである。

 「統一原理」は、イエスが人類の罪を背負って十字架にかかったことを否定しない。しかし、それは本来イエスが行くべき道ではなかった。人々が彼を受け入れなかったため、彼は死の道を選ぶほかはないところまで追い込まれてしまったのである。それは神の本意ではなかったが、イエスが人類をとりなすことによって、人類はかろうじて許されるようになったのだ。したがって十字架は神に対する人類の反逆の象徴であり、決して喜ばしいものではない。十字架上で苦しむイエスの姿は、人類を救済するためにあらゆる手を尽くしながらも、その人類から反逆され続ける神の姿の象徴でもある。だからこそ統一教会は今もなお十字架にかかって苦しむ神を、そこから解放しなければならないと主張するのである。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

神道と再臨摂理シリーズ13


 これまでは神道に関する基礎知識を解説し、古代から現代にいたるまでの神道の歴史を概観してきました。今回からそれらの知識をもとに、本題である神道と再臨摂理のかかわりについて解説します。

 まず、家庭連合と神道を比較してみれば、宗教としての普遍的価値観を共有する部分もありますが、だからと言って類似点を過度に強調することもできません。なぜなら、両者には明確な違いが存在するからです。主な相違点を一覧表にすると以下のようになります。

神道と再臨摂理PPT13-01

 神道は日本民族固有の宗教であり、それ以外の民族に広まっていくことは基本的にありませんが、家庭連合はあらゆる国や民族に広まっています。ここでいう「自然宗教」とは特定の創設者によらず、自然発生的に生じた宗教のことを言いますが、神道はまさにそうした宗教です。一方で家庭連合は、文鮮明師という特定の創設者によって生じた宗教です。

神道と再臨摂理PPT13-02

 さて、神道と再臨摂理の間には不幸な過去があります。それは日本が韓国を植民地化したことに伴い、韓民族を日本人に教育する「皇民化教育」の一環として、国家神道が朝鮮にも導入されたからです。1925年(大正14年)には天照大神と明治天皇を祭神とする「朝鮮神宮」が建立され、朝鮮総督府は「皇民化政策の一環」として神社参拝を奨励しました。

 日本政府の論理によれば、神社参拝は「国家の宗祀」であって、愛国心の発露のようなものであり、宗教ではないので、これを同じ「皇国臣民」である朝鮮の人民に要求することは当然であり、信教の自由の侵害には当たらないというものでした。しかし、韓国のクリスチャンたちの神社参拝に対する態度は妥協と抵抗の二つに分かれました。カトリックと監理教(メソジスト教会)は、神社参拝が単純な政治的行動に過ぎないという立場を受け入れて、これと妥協しました。一方、長老教会はこれに抵抗し続け、日本政府の激しい迫害を受けました。しかし、1938年の第27回総会で、神社参拝がキリスト教信仰に背馳しないことを決議し、最終的には妥協することとなります。これで、一つの教派として神社参拝に抵抗するキリスト教会はなくなりました。

神道と再臨摂理PPT13-03

 しかし、それでも抵抗を続ける一部のクリスチャンはいたのです。その代表が朱基徹牧師です。彼は朝鮮長老派教会の牧師で、神社参拝は偶像崇拝であるとして拒否し、4度投獄され、5年間獄中にありました。そして、日本による凄まじい拷問の末、1944年4月21日に平壌刑務所で死亡します。49歳でした。この迫害により平壌神学校は閉鎖され、200余りの教会が閉鎖され、2000余名の信徒が投獄され、50余名の殉教者が出たと言われています。

神道と再臨摂理PPT13-04

 そして、黄海道で神社参拝を拒否して投獄された70余名のうち、50名が監獄で殉教し、残りの20名が解放後に出獄しました。彼らは、日本の迫害を耐えぬいたということで、「出獄聖徒」と自称しました。彼らは出獄した後に平壌の章台峴教会教会に集まり、韓国教会再建運動を展開したということなのですが、これがお父様のみ言葉の中に出てくる「再建教会」のことです。実は、崔先吉女史とその母親は、再建教会を信じていたということですから、第一の奥様とその母親は、キリスト教の中でも「獄中派」の教会に属し、その信仰を篤く持っていたことになります。そしてこの崔先吉女史自身も、牢獄を体験するくらい、激しく戦ったということです。

 実は、お父様は1946年に北朝鮮にわたり、この章台峴教会から十数名を復帰しているのです。このときに入教したのが玉世賢ハルモニとか、池承道ハルモニとか、金元弼先生の叔母さんに当たる金仁珠先生などです。この方々は「獄中派」のクリスチャンの伝統の中から復帰された人々です。ですから、こうしてみると本来ならば、「獄中派」の信仰を持っていた崔先吉夫人とその親族がお父様の基盤にならなければならなかったし、再臨主を信じた初期の信徒たちは、この「獄中派」のクリスチャンの中から出てきたと言えるわけです。このように、神社参拝に命がけで抵抗するクリスチャンから再臨摂理が出発したということは紛れもない事実であり、その意味で再臨摂理と神道は不幸な関係にあるのです。神社参拝に関するお父様のみ言葉を少し引用してみましょう。
「日帝末期に、日本人は圧迫を加重して、キリスト教徒たちに神社参拝を強要しました。篤実なキリスト教徒たちは、神社参拝を拒否して地下に隠れました。ある人々は満州に行き、ある人々はソ連に行き、ある人々は山に行って隠れて生活しました。神様を信じながら、日本から解放されるその日を渇望する多くの人々がいました。日本政府と内通していたキリスト教の牧師たちも、たくさんいました。彼らは、日本の指示に従って行動しました。しかし一方では、地下で、山で、変わらずに信仰を守り、解放のその日を待ちながら戦った、愛国的で篤実なキリスト教徒たちが、たくさんいたのです。」(真の御父母様の生涯路程2, p.29-30)
「ところで、外的に神社参拝していた既成教会の代表がみなどのような者たちかといえば、外国に留学した人たちです。皆、日帝の手先のような者たちです。結局は米軍政府が生じたとき誰が通訳官になったかといえば、牧師をしていた人や、牧師と関係して神学を勉強した人々が、通訳官として入っているのです。通訳官として入って、神様のみ旨の中において、アベル圏の宗教集団形成をしてくる歴史的基盤を無視して、彼らは国を中心として一つになってしまったのです。韓国キリスト教の混乱はこの時から始まったのです。」(真の御父母様の生涯路程2, p.63)
「韓国の大統領になる人は、アベルの代表にならなければならないのです。天に侍るアベル的な立場から、神社参拝した牧師を使ってはならないのです。そのような牧師は除去して、獄中や地下で苦労した人々をアベル的教団に立てて、再教育して国を立てることができる業をしなければならなかったのです。」(真の御父母様の生涯路程2, p.66)

 これらのみ言葉から明らかなことは、日本の神社参拝に屈服しなかった信仰的なクリスチャンが李承晩の基盤になるのが天の願いであったということです。再臨主の基盤となる人は、愛国反日の立場でなければならなかったのです。その意味で、再臨摂理と神道の間には一種の「怨讐関係」があるのは事実であり、それは歴史的な事実として否定できません。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』176


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第176回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。第169回から中西氏がA教会で発見した任地生活の女性信者に向けた「15ヶ条の戒め」と呼ばれる心構えの分析に入った。中西氏はこれを、日本人女性信者の合理的な判断力を抑圧し、信仰的な発想しかできないよう仕向けているかのようにとらえているが、そこで述べられている戒めは世界の諸宗教が伝統的に教えてきた内容であり、同時に人間が幸福に生きていくための心構えと言えるものも含まれている。先回は⑬自分の家庭が誰に対しても模範となること、を紹介し分析したので、今回はその続きとなる。

14.報告生活を熱心にすること
 統一教会の信仰を持たない一般の人々にとっては、「報告生活」という言葉の意味は分かりづらいであろう。統一教会の信仰生活指導の中では、「報告・連絡・相談」(略して「報連相」)という言葉がよく用いられる。この言葉は統一教会の特殊用語ではなく、一般的なビジネス用語としても用いられてきた。1982年に山種証券社長の山崎富治が社内キャンペーンで始めたことが広く知られており、彼の著書『ほうれんそうが会社を強くする』がベストセラーとなることによって世間一般に広まったと言われている。統一教会における「報連相」は、『原理講論』には出てこない言葉であり、宗教用語というよりは、組織内部の円滑なコミュニケーションを図るために習慣的に使われている言葉であると理解してよいであろう。

 だからと言ってこれがもっぱら世俗的な概念であるかと言えばそうではなく、信仰生活のかなり本質的な部分に関わる言葉であると言える。それは特に、カインとアベルの関係において実践的な用語として使われてきた。『原理講論』は、アダムの家庭において「実体基台」がつくられるためには、カインは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てなければならなかったと教えている。それは、人間が堕落性を持つようになった経路と反対の経路をたどることによって実現するとされる。

 第一に、「神と同じ立場をとれない堕落性」を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインは、アダムの立場にいるアベルを神と同じ立場で愛さなければならない。第二に、「自己の位置を離れる堕落性」を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルを仲保として、神の愛を受けなければならない。第三に、「主管性を転倒する堕落性」を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルに従順に屈伏して、彼の主管を受けなければならない。そして最後に、「罪を繁殖する堕落性」を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインが、自分よりも神の前に近く立っているアベルから善のみ言を伝え受けて、善を繁殖しなければならない。

 信仰生活の中で、このカインとアベルの関係は、具体的な人間関係の中で展開される。自分の牧会者、上司や先輩などは、自分からみてアベルの位置に立っているため、自分はカインの立場で信仰生活をしなければならない。この時、上記の4つの蕩減条件を立てるための具体的な方法が、アベルに対する「報告・連絡・相談」なのである。カインはアベルを仲保としなければ神の愛を受けることができないのであるから、日々の信仰生活の出来事をアベルによく報告し、連絡しなければならない。またカインはアベルに従順に屈服し、そのアドバイスを受けなければならないのであるから、重要な決定事項に関してはアベルに相談をして判断を仰がなければならないのである。これを怠ると、カインはアベルにつながることができず、結果的に神につながることができないので、報告生活が重要になってくるということである。

 なお、この「報告生活」はアベルとカインという人間関係にのみ適用される言葉ではなく、神と人間の関係にも適用される言葉であることは留意する必要がある。現在の家庭連合においては、祈祷は神に対する「報告」であるとされ、祈りの最後の言葉も、「お祈り申し上げます」ではなく、「ご報告申し上げます」と結ぶように指導されている。その意味では、「報告生活」は「祈祷生活」であるとも言えるのである。

 こうした「報告生活」の意義や重要性は、『み旨の道』に収録された文鮮明師の以下のような言葉の中にも見出すことができる。
「天国生活は相談し報告する生活である。」
「集会のときには証と報告の時間をたくさんもちなさい。」
「毎日毎日なされたこと、なしたことを父母に報告し喜ばせてあげようとするところに発展がある。」
「報告を徹頭徹尾しなければならない。悪いことから先にしなければならない。」
「自分たちだけで話し合ってうまくやったとしても、それだけでは絶対に神様の前に出られない。報告と連絡で神様の前に通達され、認定されねばならない。常に神様を中心とした四位基台を造成して、働き生活しなさい。」
「祈りというのは率直に報告する生活である。」
「朝の敬拝式は神様の前に生活を報告する儀式である。」

15.霊的な問題を解決すること
 統一教会では霊界の存在を信じ、われわれの日々の生活には霊界からさまざまな影響があると考えている。地上で起きるさまざまな問題の背景には霊的な問題があるので、それを解決しない限りは根本的な解決にならないと考えているのである。こうした考え方は統一教会に固有のものではなく、多くの宗教が人間の生命は肉体の寿命が尽きるとともに完全になくなって無に帰してしまうのではなく、何らかの形で死後も生命が継続すると考えてきた。

 また、日本の新宗教の中には「先祖の因縁」を説くものが多い。具体的に言えば、霊友会、大本教、真如苑、解脱会、天照皇大神宮教、世界真光文明教団、阿含宗、GLAなどを挙げることができるであろう。これらの教団は多くの場合、宇宙を目に見えるこの世界すなわち現界と、目に見えない神や霊の世界すなわち霊界の二重構造からなると考え、それら二つの世界の間には密接な交流影響関係があるとしている。すなわち現界で生起するさまざまな事象は、実はしばしば目に見えない霊界にその原因があるのであり、その働きは「守護霊」や「守護神」などによる加護の働きだけにはとどまらず、「悪霊」や「怨霊」などによって悪影響が及ぼされることもあるととらえられている。むしろ実際に霊界の影響がクローズ・アップされるのは、苦難や不幸の原因について説明するときの方が多いくらいである。

 この場合、現界に生きる人間に対して影響を及ぼす霊は、その人と何らかの縁があると考えられるケースが多い。したがって、血縁(親や先祖)、地縁(家や家敷)、その他の個人的な縁を介して、その人と何らかのつながり(因縁)のある霊が、その人に大きな影響を及ぼすということになる。このうち特に重視され、しばしば言及されるのはやはり血縁者(親や先祖)の霊的影響である。そしてこれらの新宗教にはこのような悪因縁を除去するために、除霊や浄霊の儀礼を行うものが多く、それは「先祖供養」(霊友会系教団)、「慰霊」(松緑神道大和山)、「悪霊済度」(天照皇大神宮教)など、さまざまな呼び方をされているが、いずれも信者の基本的実践として重要な位置を占めていることには変わりがない。

 統一教会では伝統的に、日々の信仰生活を通してこうした「先祖の因縁」が徐々に解決され、霊的問題の解決を通して、日常生活における具体的な問題も解決されると考えてきた。しかしながら、現在の統一教会において「霊的な問題を解決する」方法としては、清平役事が圧倒的な位置を占めている。清平の先祖解怨式と先祖祝福式を通して自分自身の抱える血統的な罪の問題を解決しようという信仰実践は、今日の統一教会においては広く浸透しており、①霊障からの解放、②先祖の救いと解放、③病気の癒し――などの効果があると信じられている。したがって、上述の「15ヶ条の戒め」に含まれている「霊的な問題を解決すること」が、具体的には清平の修練会に参加することを勧めている可能性は大である。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

神道と再臨摂理シリーズ12


<教派神道>

 明治政府が確立しようとした「国家神道」は、初期の段階では「大教宣布の詔」(明治3年)が発布されたり、神祇官や宣教使が置かれるなど、国家公務員が積極的に神道の教えを国民に説教して回るという形で展開されました。しかしこれが行き詰ると、神社とその祭祀は「国家の宗祀」であって、「神社は宗教にあらず」という解釈に変わりました。こうなると、官社の神官たちは国民の教化活動から撤退し、葬儀に関与することも禁止されるようになりました。

 すると、神社は「国家の宗祀」であって宗教ではないとする考え方に反発して、独自に教団を組織して神道の布教を始める動きが出てくるようになりました。このようにして出現した教団のことを「教派神道」と言い、戦前には以下の13の教団が「教派神道」として公認されていました。

 ①黒住教、②神道修成派、③出雲大社(おおやしろ)教、④扶桑(ふそう)教、⑤實行(じっこう)教、⑥神習(しんしゅう)教、⑦神道大成(たいせい)教、⑧御嶽(おんたけ)教、⑨神道大教(たいきょう)、⑩禊(みそぎ)教、⑪神理(しんり)教、⑫金光(こんこう)教、⑬天理(てんり)教。

 ただし、天理教と金光教は自らが教派神道に分類されることを拒否しています。現在、天理教については文化庁による『宗教年鑑』においては教派神道系ではなく諸教に分類されるようになっています。このように戦前は「教派神道」と呼ばれて神道の一種であると分類されていた新宗教には、必ずしもそのカテゴリーに収まらないような教えを説くものがあったのです。

 幕末維新期に誕生した新宗教には、従来の神道の神観を越えて一神教に近づいたものがありました。こうした「日本的一神教」の例を挙げれば以下のものがあります。
①如来教:開祖・きのは1802年に神憑りして生き神となりましたが、彼女に乗り移ったのは宇宙を創造した如来の使者、金毘羅大権現であるとされました。
②黒住教:開祖・黒住宗忠(むねただ)は1810年に天照大御神と一体化するという神秘的な体験をしましたが、これは単に天皇家の祖神にとどまらず、万物の命の本源としての神であるとされました。
③天理教:開祖・中山みきは人類を創造した親神である「天理王明」の社に選ばれました。天理教は創造主と創造神話を持つ一神教としての性格を持っています。

中山みきと天理教本部

 天理教の時代には。現代のような「信教の自由」が存在しなかったため、教祖中山みきが受けた啓示そのままに「天理王命」を祀る宗教としては、政府の認可を受けることができませんでした。そのため、京都神祇管領吉田家に願い出て布教認可を受けたり、高野山真言宗へ願い出て、光台院末寺の金剛山地福寺のもとに「転輪王講社」を結成するなど、既成宗教の門下に入ることにによって公認を得ようとしたのです。みきの死後、天理教は東京府より神道の一派として「神道天理教会」として公認されましたが、引き続き神道本局のもとに置かれ、1908年になってようやく神道本局から別派として独立し、教派神道となりました。これは教団を守るために、ある意味では教祖の教えを曲げて既存の宗教伝統の門下に入ることを意味したので、戦後になると天理教は、教祖・中山みきの教えに基づく本来の天理教の姿に戻る「復元」という過程を通過しなければなりませんでした。

<敗戦と神社本庁の設立>

 明治政府が確立した「国家神道」は、日本の敗戦とともに終わりを告げるようになります。昭和20年8月15日、昭和天皇による終戦の詔書によって日本国民は敗戦を知らされ、日本は連合軍の統治下に置かれるようになります。そしてGHQが「神道指令」を発令し、神祇院ならびに国家と神社の関係を定めた諸法令が廃止されることによって、「国家の宗祀」としての神社の位置づけが消滅しました。これは国家神道の終焉を意味しましたが、神社そのものはその後も存続することになります。

神社本庁

 神職たちは、神社を宗教法人として存続させることを選択しました。昭和21年に宗教法人神社本庁が設立されると、神社本庁は宗教法人法のもとで、(伊勢)神宮を本宗と仰ぎ、全国約8万の神社を包括する団体となったのです。これによって神道は、国家によって賦与されていた特別な地位を失い、仏教やキリスト教と並ぶ諸宗教の一つとして日本に存続することとなったのです。

 ここで、「国家神道」をどのように理解すべきかについて整理しておきたいと思います。国家神道は、宗教としての神社神道が政権を握って、権力によって自らの信仰を国民に強要したのではなく、むしろその逆であり、政府が国民の統合と教化のために伝統的な神社神道を利用したというのが実態であったと言えます。したがって、「国家神道」がもたらしたさまざまな弊害や問題を、神道そのものの罪過として非難するのは誤りであると言えるでしょう。

 国家神道は、神道の長い歴史の中で見ればごく一時的な現象に過ぎませんでした。そして第二次世界大戦中は、ほぼすべての宗教団体が戦意高揚のために政府に利用されたのです。日本の伝統宗教はもとより、キリスト教も新宗教も大半はこれに順応したというのが事実です。政府に逆らったのは、大本やキリスト教無教会派など、一部の例外に過ぎなかったのです。その意味では、神道だけを特別に罪悪視することはできません。

 神道が世界に誇ることのできる「普遍的価値」としては、以下のようなものを挙げることができます。
①清明心(きよきあかきこころ):私欲や穢れのない澄み切った心の状態を理想とする
②「禊」や「祓」によって清浄を重要視する
③自然の中に霊性を認め、畏敬をもって自然をみつめ、自然と共に生きようとする姿勢
④宗教的な視点から環境保全に対するメッセージを発信できる可能性
⑤祖先を敬い、感謝し、共に生きようとする姿勢
⑥人間同士の絆を深め、共同体として生きる姿勢

 我々は、日本文化の根底をなすものとして神道を積極的に評価し、世界平和実現のために友好的で協力的な関係を構築すべきです。

カテゴリー: 神道と再臨摂理シリーズ

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』175


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第175回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。第169回から中西氏がA教会で発見した任地生活の女性信者に向けた「15ヶ条の戒め」と呼ばれる心構えの分析に入った。中西氏はこれを、日本人女性信者の合理的な判断力を抑圧し、信仰的な発想しかできないよう仕向けているかのようにとらえているが、そこで述べられている戒めは世界の諸宗教が伝統的に教えてきた内容であり、同時に人間が幸福に生きていくための心構えと言えるものも含まれている。先回は⑫自分を振り返る時間をもつこと、を紹介し分析したので、今回はその続きとなる。

13.自分の家庭が誰に対しても模範となること
 神を信じる者が他者に対する模範となるべきであるという教えは、キリスト教信仰の根幹であり、それはイエス・キリストの「山上の垂訓」の「地の塩、世の光」という教えの中に最も代表的に表されている。
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイによる福音書 5:13-16)

 イエス・キリストによるこの有名な説教の中で、地は現世を意味する。そして塩は、現世に対するキリスト者の役割を意味している。塩は調味料としてはいうまでもなく、防腐剤としても昔から珍重されてきた。そのため、多くの文化の中で塩は宗教上の清めの役割を担ってきた。旧約聖書も、神殿の供え物には塩を添えるように命じていた(レビ記 2:13)。防腐の働きを持つことからか、神と民との間に交わされた神の側からの永遠の約束を表すために、とこしえに変わらない「塩の契約」という表現が用いられることもある。塩は世に味わいを添え、腐敗を防ぎ、清潔を保つ役割を果たす。イエスは弟子たちに対し、地上でこのような役割を果たすように教えたのである。

 「世の光」という言葉も、「世の中の模範たれ」とキリスト教徒たちを激励する表現である。イエス・キリストが光の源泉であり、そのイエスに従う弟子たちもまた世の中を照らす光の役割を果たしているという意味である。山の上にある町、燭台の上のともし火は隠れることができない。これも、万人が仰ぎ見るような模範的な存在となれという意味である。「地の塩、世の光」という譬えの最後にイエスが語った結論は、「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」である。これはまぎれもなく、キリスト者に対して「世の中の模範たれ」と命じている教えであると言える。

 使徒パウロは、テサロニケの信徒に対して、以下のように語っている。「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。」(テサロニケ人への第一の手紙 1:6-7)ここでは、テサロニケの信徒たちは苦難の中でも感謝して歩み、キリストに倣うことによって、他の信者たちの模範となったことが語られている。パウロはこうしてテサロニケの信徒たちを称賛しているのであり、他の信徒たちに対して模範となることを勧めているのである。。

 テモテへの手紙に記されている模範的な監督の要件は、より具体的である。監督は信徒たちを導く立場であるので、道徳的に立派で品行方正でなければならないというのである。
「さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡泊で、自分の家をよく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。」(テモテへの第一の手紙 3:2-5)

 このように、「他者に対する模範となること」はキリスト教倫理の根幹をなすものだが、統一教会の倫理の特徴は、「自分の家庭が誰に対しても模範となること」という戒めからも分かるように、模範となる主体が「個人」ではなく「家庭」であるとされていることである。つまり、「家庭」が一つの単位となって世の中に対する模範となり、善なる影響を与えることが期待されているのである。祝福家庭は、自らの家庭において神の愛を体現し、その愛を外の社会に拡大することによって社会を善化する使命があると教えられている。こうした祝福の理想は、アメリカの宗教社会学者ジェームズ・グレイス博士の著作「統一運動における性と結婚」において、統一教会の信仰の特徴として紹介されている。

 グレイス博士によれば、性と結婚に関する価値観に関する限り、アメリカ人は極めて個人主義的な価値指向を示すようになってきているという。そしてその傾向は結婚そのものに対しても、社会一般に対しても、肯定的な利益をもたらさないという。抑制のない個人主義は、あらゆる人間の共同体の結束を弱体化させ、最終的には壊滅させてしまうような遠心力として働くからである。

 統一運動の理想は、こうした個人主義に対抗し、第二次世界大戦終了以前のアメリカ社会に潜在していた結婚に関する価値観を、強い宗教的献身の枠組みの中で復活させたものであるという。そこでは、結婚・家庭はそれ自体が目的ではなく、社会の全般的な福祉に貢献することを通して、神に仕えるために存在すると見られている。個人的な目的は全体目的の下位にあると見られているのである。

 グレイス博士は、アメリカの主流の教会は、とりわけ結婚に関しては統一教会の理想から多くを学ぶことができると主張している。ローマ・カトリックは結婚を秘跡と見なしており、主流のプロテスタント教会は結婚「そのもの」を高く評価しているが、そのどちらも結婚が社会全体との関係において果たす倫理的な役割の重要性については明確に提示してこなかったというのである。主流の教会が教えている結婚に関する倫理は、すべてでないにしても、そのほとんどがカップルの私的な世界と、彼らが責任をもつべき家庭にのみ関わるものである。

 典型的なプロテスタント式の結婚式で牧師が新郎・新婦に対して語る訓戒の言葉は、愛と貞節を夫婦関係における核心的な価値観として強調しているが、結婚に伴う責任を家庭の外にまで拡大していこうという試みはない。教会の価値観は、夫と妻の私的な世界に対する信仰の意義に関するものであり、その範囲は狭い家庭になりがちだということだ。新約聖書において強調されている、「地の塩」「世の光」としてのクリスチャンの責任という概念は、結婚に対する教会の理解と関りにおいて、真に重要な位置を持っていないというのである。それに対して、統一教会では「世界に奉仕する祝福家庭」という明確な価値観が打ち出されていることが大きな特徴となっている。

 このように模範となることによって世の中を善化するという考え方は、儒教の思想の中にも見ることができる。孔子は『論語』為政編において「為政以徳」(政を為すに徳を以ってす」と説いている。それは君主が徳で国家・人民を治めることによって、人民を正しい方向に導いて国家は調和されて安定するのであり、国家統治の要は法令や刑罰、軍隊ではなく、道徳や礼儀であるという意味である。孟子もこの思想を継承して、刑罰や軍事などの力をもって国を治めることを「覇道」とし、道徳や礼儀などの徳をもって国を治めることを「王道」とした。

 儒教の経典は「修身斉家治国平天下」について、以下のように教えている。
「心正しくして后身修まる。身修まって后家斉う。家斉いて后国治まる。国治まって后天下平らかなり。天子よりもって庶人に至るまで、壱是に皆修身をもって本と為す。その本乱れて末治まる者は否ず。」(儒教 大学)
「子曰く、学を好むは知に近く、力行は仁に近く、恥を知るは勇に近し。この三者を知れば、則ち身を修むる所以を知る。身を修むる所以を知れば、則ち人を治むる所以を知る。人を治むる所以を知れば、則ち天下国家を治むる所以を知る。」(儒教 中庸第二十章)

 これらは、人の心と体が一つとなり、個人として模範になれば、家庭も模範的になり、家庭が模範的であれば天下国家を治めることができるという意味において、「自分の家庭が誰に対しても模範となること」という戒めと本質的に同じことを述べている。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

神道と再臨摂理シリーズ11


 今回は「国家神道」に関する基本的な事実を紹介します。国家神道とは、明治政府が中央集権国家の確立を目的として、天皇中心の祭政一致国家を建設するために形成した国家の宗祀(そうし)のことです。国家神道は途中で大きく方向性を転換させたため、それを前後して大きく性格が異なります。

 明治政府は、天皇を中心とする国家建設を目指しましたが、その基盤となる尊王思想を普及させるため、神祇官を復活させ、さらに神祇官の中に布教を担当する宣教使を置きました(明治2年)。続いて、「大教宣布の詔」(明治3年)が発布され、「治教を明らかにして惟神の道を宣揚すべし」という理念が打ち出されました。

 明治5年には、神祇官は教部省に改組され、神道家、神職のみならず、僧侶も教導職として動員されるようになりました。彼らの役割は、①敬神愛国、②天理人道、③皇上奉戴、朝旨遵守(天皇陛下を崇め奉り、朝廷の意向を遵守すること)という「三条の教則」に基づいて講義・説教を行うことでした。これは言ってみれば、国家公務員が神道という宗教の教えを国民に説教して回るということです。

 しかしこの試みは、国内においては仏教界の反発、さらに欧米からのキリスト教弾圧停止要求も重なってうまくいかず、挫折してしまいます。結果として「国家神道」は大きな方向転換をすることになります。明治17年に教導職が廃止され、国家が神道の教えを積極的に国民に広めるということはなくなります。

 代わりにどのような考え方が登場したかと言えば、神社とその祭祀は「国家の宗祀」であって、「神社は宗教にあらず」という解釈でした。その結果、官社の神官たちは国民の教化活動から撤退し、葬儀に関与することも禁止されるようになりました。明治政府の主張は、神社参拝は「国家の宗祀」であって、愛国心の発露のようなものであり、宗教ではないので、これを国民に要求することは信教の自由の侵害には当たらないというものでした。しかし、クリスチャンから見ればそれはあくまで神道の神を拝むことであり、キリスト教で禁じている偶像崇拝にあたるのではないかという懸念は残ったのです。

教育勅語

 こうした懸念を背景にして起きた事件が明治24年に起きた「内村鑑三不敬事件」でした。内村は神社参拝を拒否したことで不敬とされたのではありませんが、キリスト教信仰と愛国心と偶像崇拝の微妙な関係という点では、問題の本質はよく似ています。当時、天皇陛下の教育に関するお言葉として「教育勅語」が発布されました。教育勅語は一枚の紙に記されて、明治天皇の宸署が記されていました。この教育勅語は額に入れられて学校の講堂に掲げられ、その前で全校生徒ならびに職員一同が深々と敬礼をするという愛国的行事が、教育の一環として行われました。

 内村鑑三は東京の一高というところで教師をしていたのですが、全員が深々と頭を下げているときに、彼だけは敬礼を拒否して頭を下げなかったのです。これは天皇陛下を冒涜しようという意図があったわけではなく、この拝むという行為が、礼拝に当たるのではないかと危惧されたわけです。モーセの第一戒「汝の創造主である神以外に何者も神としてはならない」とあるように、唯一神である神以外のものは一切礼拝してはならないというのがキリスト教の大原則です。それに基いて、「これは礼拝行為ではないのだろうか。私にはそれはできない」ということで躊躇して、頭を下げなかったということなのです。

 それを目撃した周りの人々は、「何で彼は天皇陛下の宸署に対して頭を下げないんだ! 非国民だ! 不敬罪だ!」ということで、大騒ぎになったわけです。そして、「何故彼は頭を下げなかったのか? それはクリスチャンだからだ。そもそもクリスチャンというやつらは非国民なんだ」という議論が始まってしまいました。これがキリスト者の忠誠に関する国家的次元の論争にまで発展して、いわゆるナショナリズムの復活の中で、キリスト教は一種の「スケープゴート」のような役割を担わされるようになってしまいました。

 「国家の宗祀」としての国家神道が確立されて以降、神社参拝は愛国心や殉国者の鎮魂と深く結びついていきます。維新の内乱に殉じた人々を祀る「東京招魂社」(明治2年)が明治12年に「靖国神社」と改称され、国難に殉じた人々を祀る神社として崇敬を受けるようになりました。これを受け、全国各地でも「招魂社」が「護国神社」に改称しました。また日本人の海外移住に伴い、朝鮮半島、台湾、中国各地、サイパン、パラオ、ハワイなどに神社を創建するようになりました。

東京招魂社と朝鮮神宮

 国家神道を「皇室との関係」という視点から分析すれば、それは「天皇家の宗教が神道に限定された」ということにほかなりません。このことは、明治以前には天皇家の宗教は必ずしも神道に限定されていなかったことを意味しています。

 もともと、神道は天皇家と深いつながりのある宗教でした。古事記が編纂された目的は、天皇の正統性を語り、天皇家の歴史を残すことにあったといわれています。一方、日本書紀は文字として国家の歴史を残すことで、大和朝廷の権威付けを行い、日本という国の正統性を、当時の外国であった唐や朝鮮半島に向けて訴える目的があったといわれていますが、それも天皇を中心とする国家であることを国外に示すことが目的でした。

 そして記紀の神話の目的は、神々に関する物語が最終的に皇室に繋がっていることを示すことにより、天皇の正統性と権威を示すことにありました。その神話の世界と皇室を結ぶ証拠物が「三種の神器」です。三種の神器は、天皇が皇位の璽(しるし)として代々伝えた三種の宝物です。記紀の伝承によれば、天照大御神がこれら三種の神器を孫の邇邇芸命に与え、それが皇室に伝えられたことになっています。

 このように、天皇家と神道のつながりは疑いえないほどに強いのですが、それでも歴史的に天皇家の宗教が純粋に神道だけであったとは言えないのです。明治時代以前の天皇家においては、日本人全般がそうであったように、神道と仏教を中心に儒教、道教、陰陽道などのさまざまな信仰が習合した形で受け継がれていました。

 平安時代末期から鎌倉時代にかけては、天皇が皇位を譲って上皇となり、上皇が出家して法皇となることが多く、天皇と仏教寺院は深く結びついていました。したがって、天皇家は歴代、神道と共に仏教もまた篤く信仰してきたといえるのです。

 しかし明治時代に入ると、神仏分離の流れの中で天皇家に対してもそれが求められるようになり、新たに「皇室祭祀」が営まれるようになりました。宮中には賢所(かしこどころ)、皇霊殿、神殿からなる「宮中三殿」が設けられ、天皇は祭祀の役割をするようになったのです。

 これは明治維新の背景にあった「復古神道」の思想に基づき、神道から外国の影響を排除して原点に戻るという考え方を実行したことになります。ですから、「神仏習合」の状態から仏教を分離することにより、神の子孫とされる天皇の権威を復活させるために、天皇家の宗教もある意味で「人為的に」神道に限定されるようになったと言えるのです。そしてこれは、明治期以降に特異な状態であるといってよいでしょう。

カテゴリー: 神道と再臨摂理シリーズ

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』174


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第174回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。第169回から中西氏がA教会で発見した任地生活の女性信者に向けた「15ヶ条の戒め」と呼ばれる心構えの分析に入った。中西氏はこれを、日本人女性信者の合理的な判断力を抑圧し、信仰的な発想しかできないよう仕向けているかのようにとらえているが、そこで述べられている戒めは世界の諸宗教が伝統的に教えてきた内容であり、同時に人間が幸福に生きていくための心構えと言えるものも含まれている。先回は⑨公金を恐れること、⑩聖日礼拝を欠かさないこと、⑪家庭礼拝を一週間に一度位は行うこと、の三つを紹介し分析したので、今回はその続きとなる。

12.自分を振り返る時間をもつこと
 この戒めは、「マインド・コントロール論者」にとって意外なものであるに違いない。なぜなら、彼らは統一教会のような「マインド・コントロール」を行う団体は、信者の個人的な思考、感情、行動、情報をコントロールし、教団の教えのみに意識を集中するように仕向けることによって、批判的な思考をさせないようにしたり、自己を客観的に見つめる機会を持たせないようにしていると主張しているからである。まさに、自分自身のことを振り返る余裕もないほど、特定の考えに縛られているというイメージである。しかし、中西氏がA教会で発見した任地生活の女性信者に向けた「15ヶ条の戒め」には、「自分を振り返る時間をもつこと」という項目が含まれているのである。

 これは心理学の世界では「メタ認知」と呼ばれるものである。メタ認知とは、「客観的な自己」「もうひとりの自分」などと形容されるように、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力のことを言う。メタ認知的知識とは、自分自身の状態を判断するための知識を指す。メタ認知的知識をもとに自分の考えの矛盾に気づき、課題の特性を把握した上で解決方略を修正していく活動を行うことができるとされている。

 人は何かに夢中になっていたり、激しい感情にとらわれているときには、自我が前面に出ているために、自己を客観的に見つめることができない。そうした場合には、偏った考えにとらわれて失敗することが多いので、一度頭を冷やして自分自身を振り返った方がよいということは、一般的にもよく言われることだが、それを心理学では「メタ認知」と呼んだのである。統一教会の信仰生活においてこうした態度が要求されているということは、信者たちは世間一般で思われているような「マインド・コントロール」的な状態にあるわけではなく、自己を客観的に見つめる習慣を持っていることになる。実は、宗教的な生活を送っている人々は、神や仏や霊などの超越的存在から見た自己というイメージを持っているために、信仰を持たない人よりも自分自身を振り返る機会が多いのである。超越者の存在は人のメタ認知を促進する傾向があり、それは「瞑想」という行為の中に典型的に現れるのである。

 世界の諸宗教は、瞑想は心の中にある全ての障害物をきれいに取り除き、心の中に内在する究極的実在に対する目を開かせる効果があると説いてきた。瞑想は様々な形態を取り、諸経典はいくつかの瞑想法を教えている。

 ヒンドゥー教、ジャイナ教、道教、および仏教の経典は、瞑想を静かな場所に座り全ての感覚的刺激を制御し、心の中の取りとめの無い思考や感情を治め、最終的には内なる自己の本性を示す静寂の境地に至るものとして描写している。儒教の瞑想においては、この静寂は心を浄化し、事物に関する知識を公平に評価することの出来る感受性を磨くことであるとされている。

 瞑想的な修行は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教においても広く行われている。たとえばローマ・カトリックにおいては聖イグナチウス・デ・ロヨラの「霊操」と十字架の聖ヨハネの「霊魂の暗夜」は、イエスの生涯と受難の出来事について瞑想し、瞑想者の霊的修養の過程をそれらと一致させるように指導している。スーフィー派のイスラム教徒は、しばしばコーランに出ている神の最も美しい99の名前の中の一つ、もしくはいくつかに基づいて瞑想する。ユダヤ教の神秘主義者たちはトーラーの一つの節について、その隠された意味を明らかにするために瞑想する。多くのユダヤ教徒とキリスト教徒は、黙想を祈祷の為の価値ある準備として用いている。それは神との交わりの前に、心を静かで澄んだ状態にする為の沈黙の時間なのである。

 上座部仏教に特有の修行法である四念処観は、人間の心身を行き来する全ての運動、感覚、感情、思考、そして観念などをはっきりと意識することを目的としている。仏陀は「念処経」において、瞑想を通して「無常」や「縁起の法」などの宗教的真理を悟る方法を具体的に教えている。大乗仏教における瞑想は霊的なイメージ、たとえば仏陀、菩薩、浄土などのイメージを構成することである。

 ヒンドゥー教や仏教などのインド発祥の宗教は、とくに瞑想の重要性を説いてきた。その重要性はこれらの宗教の経典の中でも説かれている。
「禅定とは、心を集中して脳乱のないことであり、知恵とは、真実の意味を明確にすることです。」(仏教 龍樹 宝行王正論 437)
「正しい智慧によって解脱して、やすらいに帰した人――そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行いも静かである。」(仏教 法句経 96)
「理智ある人は語と意志とを制御せよ。それを智識として自我の中に保て。智識を偉大なる自我の中において制御せよ。それを平静なる心情として自我の中に保持せよ。」(ヒンドゥー教 カタ・ウパニシャッド 3.13)
「求道者・すぐれた人々は、一切の思いをすてて、この上なく正しい目ざめに心をおこさなければならない。かたちにとらわれた心をおこしてはならない。声や、香りや、触れられるものや、心の対象にとらわれた心をおこしてはならない。」(仏教 金剛般若経 14)
「魂と魄を一つに統一し、離れないようにできるか。呼吸を調和集中させ、嬰児のようにすることはできるか。自分の中の曇った鏡をきれいにし、何もないようにすることはできるか。」(道教 道徳経 10)

 瞑想は宗教的な修行の一つであるだけでなく、人の心身の健康を向上させる働きがあることが近年の科学的研究によって明らかにされている。最近の瞑想に関する科学的研究は、「マインドフルネス(英: mindfulness)」という言葉に代表されている。マインドフルネスとは、今現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができるとされている。マインドフルネスは新しい考え方ではなく、東洋では瞑想の形態での実践が3000年あり、仏教的な瞑想に由来する。現在マインドフルネスと呼ばれる言説・活動・潮流には、上座部仏教の用語の訳語としてのマインドフルネスがあり、この仏教本来のマインドフルネスは、病気の治癒のような達成すべき特定の目標を持たずに実践される。医療行為としてのマインドフルネスは、ここから派生してアメリカで生まれたもので、特定の達成すべき目標をもって行われる。マインドフルネスは、大きくこの2つの流れに分けられる。医療行為としてのマインドフルネスは、1979年にジョン・カバット・ジンが、心理学の注意の焦点化理論と組み合わせ、臨床的な技法として体系化した。

 アメリカではマインドフルネスの効果に関する科学的・医学的な研究が進んでおり、以下のような効果があると実証されている。
1.身体面では、免疫力の改善、血圧の低下、血中コレステロール、血糖値の低下などが検証されており、交感神経と副交感神経のバランスが整い、よく眠れるようになる。
2.精神面では、緊張・うつ状態の緩和、不安の減少、ストレス耐性の向上が実証されている。
3.脳機能面では、集中力・記憶力が向上し、複数の仕事を並行して進めている状況下でも一つ一つの事に集中することができるようになり、仕事や勉強で質の高いパフォーマンスにつながる。

 中西氏がA教会の扉に貼られていたの発見した「15ヶ条の戒め」の一つである「自分を振り返る時間をもつこと」という戒めは、メタ認知、宗教的瞑想、マインドフルネスなどに通じるものであり、伝統的な宗教が実践してきたことであると同時に、信者たちの心身の健康を向上させる効果を持っていたことが分かる。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』