Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ06:2022年2月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第6回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2022年2月号に寄稿した文章です。

第6講:キリスト教と日本人④

 「キリスト教講座」の第6回目です。「キリスト教と日本人」の最終回で、第二次世界大戦の終了から現代にいたるまでの日本基督教史を扱います。

 1945年に終戦を迎えると日本の国内事情は一変し、信教の自由が広く認められるようになります。1946年には日本国憲法が公布され、その第20条で信教の自由が保障されると同時に、政教分離の原則が規定されました。そして1951年には「宗教法人法」が制定されます。この法律は、戦前の「宗教団体法」が宗教を規制しすぎたことに対する反省に立ち、宗教活動をしやすくするために宗教団体に法人格を与えることを目的とした法律とされています。

 戦後の日本は、キリスト教の拡大にとっては歴史上かつてないほどの恵まれた環境であり、それが実に76年間にわたって長く続いてきました。本来ならばキリスト教が爆発的に伸びてもおかしくないわけですが、実際にはどうだったのでしょうか。戦後GHQはキリスト教の伝道を全面的に支援し、多くの宣教師が来日しました。その結果、1950年代には信者数が大きな伸びを示したのですが、1960年代以降はふたたび停滞し始め、いまだに人口の1%を超えていないというのがキリスト教の現状です。戦後日本のキリスト教人口は、総人口の0.7%になるまでは順調に伸びたのですが、それ以降は0.8%程度で伸び悩むようになります。そして2008年以降は数の上でも、人口比の上でも減少局面に入ってしまいました。

戦後日本のキリスト教人口の推移

 現在日本のキリスト教の中で最も大きな団体は、約40万人の信徒を抱えるカトリック教会です。プロテスタント諸派を全部集めても50万人程度であり、その中で最も大きな団体である日本基督教団の信徒数は11万人程度にすぎません。日本ハリストス正教会はもともと小さかったのですが、1万人を切っています。

 これらは「正統」と呼ばれるキリスト教会の数値ですが、実は文化庁が発行している『宗教年鑑』の中で、信徒数の多いプロテスタント教会は末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)であり、12万人を超えています。一方で「エホバの証人」の信者は日本に21万人いると言われています。日本においては「正統」を自認する日本基督教団が、自分よりも大きなモルモン教やエホバの証人を「異端」と呼んでいるという状況なのです。

 それではなぜ戦後日本のキリスト教は伸びなかったのでしょうか。戦後の日本のキリスト教の問題点を第一にあげるとすれば、戦前に権力に屈したことに対する反省から、急速に反権力、反天皇主義に傾斜していったことです。この反権力や反天皇と非常に思想的に相性が良いのが左翼です。ですから、共産党や旧社会党などと結び付いて反靖国運動などを展開し、キリスト教が左傾化していくということが起こりました。

赤岩栄著作

赤岩栄牧師の著書『キリスト教と共産主義』

 左傾化する日本キリスト教界を象徴する事件が、1949年に起きた赤岩栄牧師の「共産党入党宣言」でした。彼は、理論的にも実践的にもキリスト教と共産主義とが両立しうると主張して、日本基督教団の牧師のままで共産党入党宣言を行ったのです。最終的には教団幹部の説得により入党を思いとどまりましたが、「信仰はキリスト教、実践は共産主義」を主張して、教団を分裂させることになります。

 1960年代・70年代の安保闘争は、日本基督教団の神学校である東京神学大学にも影響を及ぼすようになり、1970年には「反万博闘争」と呼ばれる学内紛争が起こります。これに対し、東神大教授会は機動隊を投入して社会派の学生を排除しました。これが「社会派」と「教会派」という日本基督教団内の紛争に発展し、特に1971年5月の東京教区総会は、乱闘、流血の事態になりました。その後、社会派のキリスト教は、反靖国運動、天皇制反対運動、部落差別反対運動、反核運動など、左翼勢力の好む社会的テーマを追求することにより、完全に共産主義に乗っ取られてしまう形になります。

 共産主義や社会主義はもともと唯物論ですから、そういうものと結びついてしまうとキリスト教が持っている本来の霊性が失われてしまいます。しかも、日本基督教団を挙げて反統一教会活動に取り組むことを1988年に決議するなど、日本のキリスト教会は完全に神の御旨に反する方向に向かってしまいました。環境が恵まれているにもかかわらず信徒が増えないということは、キリスト教自体が失敗したと考えるほかありません。基本的には、共産主義にやられてしまったということが、大きな失敗であるわけです。

 日本のキリスト教が伸びなかったもう一つの理由として、「土着化」に失敗したことがあげられます。西洋からやってきた宗教であるキリスト教が文化的な壁を越えて、日本人が受け入れられるようなキリスト教になることを「土着化」といいますが、この努力を十分にしてこなかったということです。

 キリスト教はエリート主義で、日本文化との融合を嫌い、先祖供養に代表されるような日本の土着の文化を否定してきたのです。日本人にとって先祖を敬い供養するということは宗教の中心です。しかし、キリスト教は先祖供養に対して神学的意味を何も見いだしませんでした。ですから先祖を大切にする日本人にとって、キリスト教は大変受け入れがたいものだったわけです。

 家庭連合は、東洋に土着化したキリスト教であると言えます。韓国という東洋の同じような文化圏の国で生まれたキリスト教なので、日本で成功する余地があったのです。たとえば陽陰の思想、家庭を大切にする思想、再臨復活を通して先祖が救われるという教えは、既存のキリスト教にはないとても東洋的な部分です。

 日本のキリスト教が失敗してきた内容を蕩減復帰する使命が家庭連合にはあります。したがって、キリスト教が左翼にやられてしまった失敗を蕩減復帰するために、家庭連合は共産主義と闘うキリスト教でなければなりません。次に土着化に失敗したことを蕩減復帰するために、日本文化とキリスト教を融合させるということも、家庭連合の大きなテーマになるのです。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ05:2021年12月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第5回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2021年12月号に寄稿した文章です。

第5講:キリスト教と日本人③

「キリスト教講座」の第5回目です。「キリスト教と日本人」と題する日本基督教史の解説の続きです。今回は日本の代表的なキリスト者である内村鑑三の生涯と思想について解説します。

 前回、明治維新から第二次世界大戦の終了までの日本基督教史を概観したときに、1891年に起きた「内村鑑三不敬事件」を取り上げました。これは東京の一高で教師をしていた内村鑑三が、クリスチャンとしては神以外のものを礼拝することはできないという理由で、教育勅語に施された天皇陛下の宸署に対する敬礼を拒否したという事件でした。

 それでは内村鑑三とはどんな人物だったのでしょうか。天皇陛下の宸署に対する敬礼を拒否したと聞くと、左翼的で愛国心がない人物を想像するかもしれませんが、実はそうではなくて、彼自身はとても愛国的な人でした。それと同時に篤実なキリスト教徒であったのです。内村のモットーはよく「二つのJ」という言葉で表現されます。
「私は二つのJを愛する、それはJesusとJapanである。」

 Jesusを愛するということの中に、キリスト教徒としてのアイデンティティーが表現されており、Japanを愛するということの中に、愛国心が表現されています。この二つを如何に一致させるかということこそ、内村が生涯かけて追い求めた課題だったのです。彼の聖書の背表紙に生涯書かれていて、最後にお墓に刻まれた言葉が、以下の有名な言葉です。

 I for Japan
 Japan for the World
 The World for Christ
 And all for God

 私は日本の為に生きるということは、日本のために命を棄てても惜しくないくらい日本を愛しているということです。ところがそれは、日本一国だけがよければよいという自国中心のナショナリズムではなくて、日本は世界の為に生きてこそ、その使命を果たし、神の愛を受けることができるということです。さらに、世界はキリストのため、そしてすべては神のためというように、愛国心は神に対する愛に縦的につながっていかないと言っているのです。このように、キリスト教信仰と愛国心をいかに一致させるかということを、生涯かけて求めた人が内村という人でした。

二つのJ

 内村は、文鮮明先生のみ言や『原理講論』の中で述べられている内容と似たような歴史観を持っています。彼は文明が西へ西へと進んでいくという、「文明西進説」という考えを説いています。文明は古来より西に向かって進み、バビロン、フェニキア、ギリシア、ローマ、ドイツ、イギリスと進み、アメリカの太平洋側で最高点に達し、日本に到着しました。文明のもう一方の流れはインド、チベット、中国と進んできたので、日本は東洋と西洋の中間に位置するものとして、両者の媒酌人の役割を果たす立場にいると考えたのです。

 アジアにおいて初めて近代化されキリスト教を受け入れた日本が、西洋と東洋の懸け橋となって、洋の東西を統一する重要な使命があると彼は考えました。これが内村鑑三の「日本の天職」という概念です。内村は日本に神の摂理が働いていることを信じており、日本の使命は西欧諸国と他のアジアの国々を連結することであると考えていたのです。彼は日本の使命を、東洋の代弁者となり、西洋の先ぶれとなって、東洋と西洋を和解させ、世界文明の大きな二つの流れを統合することにあると見ていたのです。

 内村の生涯の課題は、この「日本の天職」を果たすために、西洋からやってきたキリスト教を日本に受けいれ、日本の伝統文化と融合させて、真に日本的なキリスト教にすることでした。内村が日本文化の粋を極めたものと考えたのは「武士道」の精神でした。こうした内村の思想を受け継いだキリスト教の流れを「無教会主義」と言います。

内村鑑三

 ところが晩年、内村はこの「日本の天職」ということに関して段々と悲観的になって失望していきます。それは日本が侵略戦争を行ったからであり、開戦当時は日清戦争を支持していたものの、その結果には失望し、日露戦争には開戦前から反対します。彼は日本がその天職から遠ざかりつつあると言いながら、晩年は朝鮮・韓国に対して関心を向けていくようになります。内村は1908年に「幸福なる朝鮮国」という文章を書いていて、隣国の朝鮮は国を失ってもキリスト教信仰が広まっている、そして朝鮮民族はユダヤ民族にそっくりだと言っています。

 内村の興味深い点は、晩年に再臨運動をやっていることです。「再臨主がやって来る」と叫びだしたのです。彼が再臨運動をやるようになった第一のきっかけは、1912年に愛娘のルツが亡くなったことです。これは彼にとって大きな悲しみでした。それが復活の信仰へと結びつきます。再臨があるときに死者が復活するという希望を動機として、再臨信仰に目覚め始めるのです。

 そして次のきっかけとなったのが、1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が起こったことです。キリスト教国であるイギリス、フランス、ドイツが互いに戦っているのでは、もはや人間の力によっては世界平和は訪れない、何か決定的で直接的な神の介在がない限り、人類の文明はもう救いようがないという、ある種の絶望感を内村は抱きました。最終的にはキリストが再臨しない限りは、この世に完全な救いはないということで、再臨信仰に目覚め始めるわけです。

 1918年1月6日に、ホーリネス教会の中田重治、組合教会の木村清松とともに東京・神田のYMCAにおいて、再臨運動の講演会を内村は始めます。それから約一年半くらいにわたって、再臨を叫び続けました。「キリストの再来こそ新約聖書の到る所に高唱する最大真理である」「平和は彼の再来によって始めて実現するのである」というのが彼の中心メッセージでした。1918~19年といえば、文鮮明先生が生まれる直前です。内村自身は再臨主は雲に乗ってやって来ると信じていたようですが、何かを霊的に感じていたのではないでしょうか。

 内村鑑三という人物は、日本における預言者的な使命があったとしか考えられない人です。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ04:2021年10月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第4回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2021年10月号に寄稿した文章です。

第4講:キリスト教と日本人②

 「キリスト教講座」の第4回目です。前回から「キリスト教と日本人」と題して日本基督教史の解説を始め、切支丹時代を振り返りました。今回は明治維新から第二次世界大戦の終了までを扱います。

 キリスト教と日本人が出会う二回目のチャンスが、明治維新から第二次世界大戦の終戦までの期間です。1873年に明治政府は基督教禁止令を撤廃し、1889年には大日本帝国憲法(明治憲法)が発布されます。明治憲法はヨーロッパの憲法をまねて作られたものなので、宗教の自由が第28条で保証されていました。江戸時代に比べてキリスト教を広めることのできる社会的環境が整ったので、日本にプロテスタントの宣教師がやってきて、伝道を始めるようになります。

 最初の17年間は、キリスト教と日本人の「幸福な出会い」といえる時期であり、日本の信徒数は一気に約3万人に成長しました。アメリカから多くの宣教師がやってきて、英語を教えながらキリスト教を広めました。こうして形成されたのが、横浜バンド、熊本バンド、札幌バンドなどの初期のキリスト教集団です。

本のプロテスタント発祥の地としての三大バンド

 明治初期にキリスト教徒になった有名な人々は、ほとんどが没落士族の子弟たちでした。すなわち、特権階級でなくなった武士たちが新しいアイデンティティーを求めてキリスト教を受け入れていったのです。宣教師たちが持ちこんだピューリタンの禁欲的な倫理は、彼らがもともと持っていた武士道の精神と似ていたので、受け入れやすかったことも幸いしました。

 このように初期のキリスト教は順風満帆だったわけですが、やがて暗雲が立ちこめてきます。それはナショナリズムの台頭とキリスト教バッシングです。明治日本の国是は文明開化、富国強兵、殖産興業であり、西洋からあらゆる文化・文明を吸収しようとしていました。しかしそれが一段落すると、科学技術や議会制度のような外的文明は受け入れたとしても、キリスト教に代表される内的文明まで受け入れる必要はないという考え方が台頭します。これが「和魂洋才」であり、精神面における復古主義が起こったのです。

 明治政府は国をまとめるために国民のアイデンティティーを強固にしなければなりませんでした。そこで天皇陛下に対する忠誠心を国民のアイデンティティーとする「国体イデオロギー」が形成され始め、その宗教的表現としての「国家神道」が確立されていきます。これは、天皇は国民の父親であると同時に、神道の祭司であるという考え方です。

 こうなってくると、国家神道ならびに天皇陛下に対する忠誠心と、キリスト教信仰は相容れないものとなり、キリスト教に対する風当たりが強くなっていきます。こうした中で起こった不幸な事件が、1891年に起きた「内村鑑三不敬事件」です。内村鑑三についての詳しい紹介は別の回に譲り、ここでは簡単に事件の概要を解説します。

教育勅語

明治天皇の宸署が施された教育勅語

 当時、明治天皇の教育に関する基本方針としての「教育勅語」が発布され、それを清書したものに天皇陛下の宸署を施して学校の講堂に掲げ、全校生徒ならびに職員一同が深々と敬礼をするという愛国的行事が、教育の一環として行われていました。内村鑑三は東京の一高で教師をしていたのですが、クリスチャンとしては神以外のものを礼拝することはできないという理由で敬礼を拒否したという事件です。これがキリスト者の忠誠に関する国家的次元の論争にまで発展し、ナショナリズムの復活の中で、キリスト教は「スケープゴート」のような役割を担わされるようになってしまったのです。ちょうどこのころから伝道不振の時代がはじまっていくわけですが、事態は第二次世界大戦が近づくに連れて一層厳しくなっていきます。

 1931年に満州事変が勃発すると、日本は軍国主義への道を歩み始めるようになります。これは西洋諸国との対立を引きおこしたため、西洋からやってきた宗教であるキリスト教に対して、政府は疑念を持つようになります。すなわちキリスト教は敵国の宗教であり、「鬼畜米英」の宗教ということになったのです。太平洋戦争に向かって行く過程において、日本政府は宗教団体に対する締め付けを厳しくしていきます。1939年には「宗教団体法」という法律が作られますが、これは宗教がすべての面において実質的に政府の支配下に入る、宗教統制法と言えるものでした。

 こうした中でキリスト教会に対しては、外国の勢力との分断が図られていきます。カトリック教会はバチカンとの関係を絶ち、「日本天主公教教団」として再編されることになりました。1941年には、それまで独立して存在していた日本の34のプロテスタントの諸教派が、政府の圧力によって統合させられ、「日本基督教団」が誕生します。そもそも外国からさまざまな教派の宣教師がやってきて、それぞれ独立した教会を立てたわけですが、そうした信仰告白の内容が異なる教団を、一つの宗教団体としてまとめてしまったというのですから、非常に乱暴な話です。

 日本基督教団が設立されたということは、ナショナリズムによる宗教統制に対して、日本のキリスト教会が戦わずして屈服し、白旗を上げてしまったということを意味します。日本基督教団は、第二次大戦中にアジアの教会に『日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰』という手紙を送っています。それは日本の軍事的拡大を歴史の進歩であると解釈し、神の意志であるとして正当化しているのです。戦後のキリスト教はこの行為に対し、権力に順応し、その暴力と残虐行為を宗教的な言葉をもって正当化しようとしたと非難しました。

矢内原忠雄

内村鑑三の弟子の矢内原忠雄

 戦争中は、全ての宗教団体が思想的な武器として政府に利用されました。日本のキリスト教は全般的に満州事変のときに政府を支持しました。美濃ミッションという小さな教団が反発したとか、内村鑑三の弟子である矢内原忠雄が政府を批判して東大教授を辞任したとか、若干の例外はありますが、全般的に見れば日本のキリスト教は戦争を賛美し協力する側に回ったと言うことができます。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ03:2021年8月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第3回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2021年8月号に寄稿した文章です。

第3講:キリスト教と日本人①

 「キリスト教講座」の第3回目です。今回から日本基督教史をひもときながら、キリスト教と日本人がこれまでどのように出会い、関わってきたのかを考えてみたいと思います。今回は切支丹時代を扱います。

 これまでの歴史で、日本にキリスト教が広まることのできるチャンスは大きく分けて三回あったと言われています。一回目が切支丹時代で、1549年から1638年までの約百年間です。二回目が明治維新から第二次世界大戦の終戦までの期間で、三回目が終戦後ということになります。日本においてキリスト教の人口がいまだに1%以下であるという事実は、これら三回のチャンスがいずれも失敗に終わったということを意味しています。

 切支丹時代は、1549年にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸して、キリスト教の宣教を始めることによって幕を開けます。日本に対してイエズス会がとった宣教戦略は「状況適応型のアプローチ」と呼ばれるものでした。アジアにやってきた宣教師たちは、アフリカや南米の未開の民族とは異なり、既に高度な文明や宗教を持った人々と出会います。彼らを一気にキリスト教化できるような状況ではなかったため、宣教地の土着の文化や宗教を否定するのではなく、なるべく摩擦の少ない形でキリスト教を広めようとしたのです。

 ザビエルは鹿児島や山口、大分などに2年余り滞在して宣教した後に日本を離れていますが、彼がその間に蒔いた種はやがて花を咲かせることになります。1563年に来日した宣教師フロイスは織田信長に気に入られ、信長の保護のもとで活動しました。イエズス会の宣教師たちは日本民族を非常に高く評価し、日本の宣教に対しては非常に楽観視していました。1579年にははキリスト教に改宗した者たちの本拠地として長崎の街を建てることに成功し、1587年には20万人の改宗者と240の教会の存在が報告されています。

 また、大村純忠、大友宗麟、有馬晴信など、九州を中心に多くの切支丹大名が出現しました。切支丹になった人々は必ずしも庶民だけではなく、武士や大名などの指導者階級も信仰を受け入れていたのです。日本の切支丹人口の最盛期は1600年ごろで、約60万人いたと言われています。これは当時の日本の総人口の2.4%に達していたので、かなりの成功を短期間で成し遂げたことになります。

 この時代の宣教の成功の要因としては、有力な切支丹大名の保護を受けたこと、イエズス会の「適応主義」により、日本の土着の文化と摩擦を起こさずに宣教したこと、さらに戦国時代の混乱の中で、既存の仏教勢力は宗教的生命を失っており、人々は精神的な救済を求めていたことなどが挙げられます。1582年には「天正遣欧少年使節」がヨーロッパに派遣されるなど、キリスト教の未来は明るいものと思われていました。

天正遣欧少年使節

1582年に派遣された天正遣欧少年使節

 しかし、天正遣欧少年使節がローマに行って帰ってくるまでの間に、キリスト教を取り巻く日本の状況は大きく変化しました。1587年5月に大村純忠と大友宗麟という有力な切支丹大名が亡くなると、その年の7月に豊臣秀吉は突如として「バテレン追放令」を出しました。秀吉は早くからキリスト教に対する警戒心を持っていましたが、切支丹が多い九州を平定するまでは彼らを手なずけておいて、九州を平定した後には手のひらを返したように弾圧を開始しました。秀吉は宣教師たちが日本を侵略しようとしているのではないかとの疑念を持ち、キリスト教の背後にはポルトガルなどの西洋の国々があるので、これが天下統一を妨げる勢力になるのではないかと危惧したのです。

日本二十六聖人の殉教の記念碑

日本二十六聖人の殉教の記念碑(長崎県)

 秀吉が切支丹に対してなした過酷な迫害の一つが、長崎での二十六聖人の殉教です。1596年に起きた「サン・フェリペ号事件」をきっかけに、当時日本にいた切支丹の中でフランシスコ会の人々を中心に京都や大阪で捕縛し、長崎まで連れて行って、見せしめとして十字架の刑で26名を殺したという事件です。これが日本において、キリスト教に対して最初に大きな「NO!」を突きつけた事件となりました。

 徳川家康は秀吉以上に徹底的にキリスト教を迫害した人物であり、多くの殉教者を出しました。しかし彼は殉教者が称えられ、それが切支丹の信仰に栄誉を与えるものであることを知ると、拷問によって信仰を棄てさせる「棄教策」に重きを置くようになります。具体的には、水責め、俵責め、焼き印、穴づりなどの拷問により、すぐに殺さないで、信仰を棄てるまでじわじわと痛めつけるという手法を取りました。切支丹であるかどうかを見極めるために「踏み絵」という道具を使ったことも有名です。最終的には、宗門改、寺請制度、五人組の連座制によって江戸幕府の切支丹禁制は完成します。これによって一時期は60万人いたキリスト教徒は、表面上は絶滅してしまいました。

 日本のキリスト教史に残る人々の中に、「潜伏切支丹」と呼ばれる群れがいます。殉教者が断固棄教を拒否し、自分の生命を捧げるという形で信仰を表現した人々であったとすれば、別のやり方で信仰を表現した人々もいたのです。すなわち、踏み絵を踏めと言われたときに、その場では踏み絵を踏んで、生き延びて、子供に信仰を伝えていくという道を選んだ人たちが「潜伏切支丹」です。

 そして驚くべきことに、隠れてキリスト教の信仰を伝えながら、7代・250年にわたって信仰を維持していったグループが存在するのです。カトリックの信仰は、司祭がいて典礼を行ってくれないと保てないタイプの信仰であるにもかかわらず、バテレン追放令で司祭がいなくなってしまったので、信徒だけでキリスト教の儀式を守りながら、信仰を維持してきたというのは、キリスト教の歴史上、他に類例のないことです。

「信徒の再発見」が起きた大浦天主堂

「信徒の再発見」が起きた大浦天主堂(長崎県)

 やがて、1853年7月にペリーが浦賀沖に来航して日本が開国すると、それまで潜伏切支丹として密かに信仰を守っていた人々が、来日した宣教師によって発見されました。この話は「信徒の再発見」と呼ばれ、キリスト教宣教史上における一つの奇跡として世界中に伝えられました。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ02:2021年6月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第2回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2021年6月号に寄稿した文章です。

第2講:キリスト教について学ぶ意義②

 「キリスト教講座」の第2回目です。今回はキリスト教徒たちがユダヤ人に対して抱いている偏見の原因を分析することを通して、私たち成約聖徒が陥りがちなキリスト教に対する偏った理解の仕方を指摘してみたいと思います。

 一般に「反ユダヤ主義」とは、ユダヤ教徒およびユダヤ人に対する敵意や迫害を意味しますが、現在ではその多くが不当な偏見に基づくものであると理解されています。しかし欧米には歴史的にユダヤ人に対する深刻な差別や偏見が存在し、そのルーツはキリスト教にありました。クリスチャンにとってユダヤ人とは、「キリストを殺した人々」であり「イエスの敵」だったのです。

 そもそもキリスト教の聖典である新約聖書の中で、ユダヤ人は傲慢で腹黒いパリサイ人や律法学者、あるいは「イエスを十字架につけよ」と叫んだ群衆の姿に代表されるように、非常に醜い存在として描かれています。ですから、日々の信仰生活の中で新約聖書を読むうちにクリスチャンの心に形成されたユダヤ人に対する悪いイメージが、現実に存在するユダヤ人に投影されて迫害するという構造になっているのです。

 では新約聖書に描かれているユダヤ人の描写が客観的なものなのかと言えば、そうとは言い難い面があります。キリスト教はイエスをメシヤとして信じるユダヤ教の1セクトとして出発しました。両者はライバル関係にあったのであり、とくに初期のキリスト教はユダヤ教から激しい迫害を受けたのです。ですから新約聖書を書いた人たちは、ユダヤ人に対して敵意を持っていました。その意味で、新約聖書におけるユダヤ人の描写はかなりデフォルメ(変形)されたものであるということになります。

 このような歪められたユダヤ人のイメージがキリスト教の拡大とともに全ヨーロッパに広められ、その結果としてユダヤ人はキリスト教社会の中で迫害の対象となり、多くの不当な弾圧が行われるようになっていったのです。11世紀には十字軍の兵士がヨーロッパの各地でユダヤ人を殺害していますし、14世紀にヨーロッパでペストが大流行した際には、多くのユダヤ人が毒を撒いたという疑いをかけられて処刑されました。そしてもっとも最近起こったのがナチス・ドイツによる「ホロコースト」です。

アウシュビッツの子供たち

大人サイズの囚人服を着てバリケードの前に立つアウシュビッツの子供の生存者

 ヨーロッパのクリスチャンたちが、自分たちの中に「反ユダヤ主義」という不当な偏見があるということに気付いて、深刻な反省がなされたのは、実はこのホロコーストの事実が明らかになった第二次世界大戦後のことでした。

 要するにクリスチャンたちは新約聖書というフィルターを通してしかユダヤ人を見ることができず、自分の先輩宗教であるユダヤ教に対して、ある種の固定観念や偏見を持っているということなのですが、実はこれと同じことが私たち成約聖徒にも当てはまるのです。私たちの場合には、『原理講論』に描かれているキリスト教のイメージが非常に強いので、『原理講論』というフィルターを通してしかキリスト教というものを理解していないということになります。

 私たちの多くは、実物のクリスチャンに会って、対話を通してキリスト教を知っているのではなく、『原理講論』を通してキリスト教について学んでいます。『原理講論』という書物も、一つの時代的・地理的制約の中で書かれているので、その中で描かれているキリスト教の姿は、ある特徴を持っているのです。それはひとことで言えば、「根本主義」のキリスト教ということになります。

 『原理講論』は、1950年代から60年代の韓国の統一教会を背景として書かれました。この頃の韓国の統一教会が伝道していた対象は、韓国のクリスチャンたちでした。そしてその多くは「根本主義」と呼ばれるタイプのキリスト教徒だったのです。根本主義のキリスト教は、とても信仰的で伝道熱心なのですが、聖書に書いてあることを文字通りに信じるという特徴があります。それとは異なる考え方として、「自由主義」のキリスト教があります。これは聖書を文字通り信じるのではなくて、現代人でも受け入れやすいように、もっと自由に聖書を解釈しようというタイプのキリスト教です。

原理講論が書かれた背景

 この二つは対立関係にあるわけですが、韓国のキリスト教においては圧倒的に根本主義の方が優勢だったので、当時の統一教会が説得して伝道すべき相手は、この根本主義者たちであったわけです。彼らに対して「いよいよ再臨の主が来た」ということを説得して原理を受け入れさせるために、原理講義というものが始まりました。それを劉孝元教会長を中心として、講義のテキストの決定版として作られたのが『原理講論』ということになります。

 当面の説得の相手が根本主義者であったために、基本的に『原理講論』の論じ方は聖書を文字通りに解釈することを否定して、それに対する代案を提示するというスタイルになっています。すなわち、アダムとエバは文字通り何かの木の実を取って食べて堕落したのではなく、終末に天変地異は起こらず、肉体の復活はあり得ず、再臨主は雲に乗ってやって来るのではない、と否定したうえで、そうした聖書の記述に新しい解釈を示していくというやり方です。特に再臨論の部分では、根本主義者たちが信じている「空中再臨」を否定するために非常に長い紙幅が費やされています。しかし、これらの記述はもともと聖書を文字通りに信じていない人々にとってはあまり意味のないものです。

 『原理講論』を読むと、あたかもすべてのキリスト教徒が根本主義者であるかのような印象を受けます。しかしそれは『原理講論』の著者にとって、キリスト教と言えば根本主義しか眼中になかったということに過ぎないのです。実際には、根本主義はキリスト教の唯一の神学的立場ではなく、現代のキリスト教にはもっと多様な神学が存在するのです。私たちがキリスト教について学ぶ姿勢としては、大きく分けて「根本主義」と「自由主義」という二つの神学の流れがあることを理解した上で、それらを含む幅広いキリスト教について理解する必要があります。

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Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ01:2021年4月号


 今回から、私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をシリーズでアップします。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。第一回の今回は、2021年4月号に寄稿した文章です。

第1講:キリスト教について学ぶ意義①

 これから「キリスト教講座」と題する連載を開始します。この内容は私が米国の統一神学大学院(UTS)で学んだ内容に基づき、既存のキリスト教神学と統一原理を比較することを通して、統一原理の価値を理解してもらうことを目的としています。

 初回の今回は、キリスト教について学ぶ意義を解説します。私たちのキリスト教に対する見方は、『原理講論』に出てくる復帰摂理の三段階という図式に強い影響を受けています。それは、歴史の中で復帰摂理を担当した各時代の中心宗教というものがあり、旧約時代にはユダヤ教、新約時代にはキリスト教が中心宗教であったが、成約時代である現在は家庭連合が中心宗教であるというものです。

旧約・新約の基盤の上にある成約

 この図式においては、私たちはユダヤ教やキリスト教よりも「上位の宗教」として位置づけられているのですが、実際には家庭連合に所属しているだけでこれらの宗教よりも心霊的に上位にあるわけではありません。本来、成約聖徒は旧約・新約という信仰の伝統を相続した基盤の上に立たなければならないのですが、そうした基盤なしにいきなり最高度のみ言に出会ってしまったために、み言の価値を受肉できず、消化不良に陥ってしまっている人が多いからです。

 そういう意味で、私たちがキリスト教について学ぶ第一の意義は、神の復帰摂理を先駆けて担当した宗教として、敬意をもってキリスト教を見つめるためということになります。ユダヤ教とキリスト教と家庭連合の関係について文鮮明先生が語られた非常に興味深いみ言の中に、1976年9月18日に「ワシントン大会」が行われたときに語られた「神のみ旨とアメリカ」というスピーチがあります。その中で文先生は、神様から見ればユダヤ教が長男、キリスト教が次男、統一教会(現在の家庭連合)が三男の立場であり、神の願いはこの三兄弟が一つとなって統一世界を造ることだと、語っておられます。

 これら三つの宗教は、それぞれが親なる神を愛しているにも関わらず、兄弟同士は仲が悪く、反目しあっているのです。これは親から見れば悲しいことです。兄弟が互いに協力し合って親孝行をしてくれた方が、親は嬉しいに違いありません。この三兄弟の中で家庭連合は最後に生れた末弟の立場です。これはアベルの立場なので、お兄さんであるユダヤ教やキリスト教に侍りながら、自然屈服させていかなければならないのです。

 一方でキリスト教はこれまで私たちを迫害してきた怨讐の宗教でもあります。実は文先生ご自身がキリスト教から数多くの迫害を受けてきました。文先生が北朝鮮で牢獄に入ったのも、梨花女子大事件が起きたのも、「羊を奪われた」と言って既成のキリスト教会が文先生に関する悪い噂を広めたり、政府に密告したりしたことが原因でした。そのように迫害を受けたにもかかわらず、文先生はキリスト教を愛し、その復帰のために投入されました。その理由について文先生は、『み旨の道』という小冊子の「指導者」の項目において以下のように語っておられます。

ドレ版画ヨセフと兄弟たち

「ヨセフがエジプトに訪ねてきた11人の兄弟を許すことができたのは、自分がいない間、それでも父母を養った兄弟たちであることを思えば、許さざるを得なかったのである。それと同じように、我々に反対してきた既成教団を祝福せざるを得ないのは、それでも統一教会が現れる以前に神様に侍ってきた基準があるからである。」

 ヨセフにとってエジプトに訪ねてきたお兄さんたちは怨讐でした。父母のもとで幸福に暮らしていたにもかかわらず、彼らによってラクダの隊商に売られ、エジプトで奴隷にされ、牢獄にまで入れられてしまうことになったのです。兄弟たちが訪ねてきたときヨセフは権力の座にいたので、彼らをひと思いに殺そうと思えばできる力を持っていました。しかし、なぜヨセフが兄弟たちに仕返しをしなかったかといえば、自分が故郷を離れて親孝行できなかったときに、親孝行してくれたのがお兄さんたちだったからです。個人的にはひどいことをしたけれども、親を愛してくれたというその功労の故に、許して愛さなければならないと思ったのです。これがまさに、文先生がキリスト教を見つめる心情なのです。

 二千年前にイエス様が神の子として来られ、十字架で亡くなられました。それから再臨主である文先生がこの地上に来られるまでの二千年間、誰が神を慰め、愛し、仕えてきたのかと言えば、それはクリスチャンたちでした。その功労のゆえに、たとえいまこの地上にいるクリスチャンたちが自分を迫害したとしても、許して愛さざるを得ない、という観点で文先生はキリスト教を見つめておられたのです。ですから私たちもそれと同じ心情でキリスト教を見つめなければならないわけです。

 私たちがキリスト教について学ばなければならないもう一つの理由は、既存のキリスト教が家庭連合を異端視し、原理を批判してくるので、それに対する防備のためです。かつては「反対牧師」と呼ばれるキリスト教の牧師たちが、家庭連合の信徒たちを拉致監禁して脱会させていました。彼らは聖書と『原理講論』との相違点を指摘し、統一原理の内容に対して神学的な批判を行いました。

 実際にはキリスト教の神学や聖書解釈は多岐にわたっており、「反対牧師」の聖書解釈も牧師ごとに異なっていました。ですから、彼らの言っていることは全部同じではなく、その批判同士が互いに矛盾していたりしたのです。しかし、聖書についても既存のキリスト教神学についてもほとんど知識がなければ、批判の内容を相対化することができず、反論することもできないのです。

 現在では家庭連合の信徒が拉致監禁されるというようなことはほとんどなくなりましたが、既存のキリスト教が統一原理を異端視し、神学的批判をしている状況は変わりありません。それに対抗するには、キリスト教の基本的な教義と同時に、その限界についても知っておかなければなりません。すなわち、既存の神学と比べて、統一原理がどのように優れているのかを知ることによって、確信が強くなるわけです。この連載の目的の一つは、そのような確信に至ることにあります。

カテゴリー: Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ

BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ42


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

日本の学校で配布された保守的宗教に反対するパンフレット

03/25/2024 MASSIMO INTROVIGNEA

未成年者は、何かをしたりしなかったりすることで地獄に行くと諭されたり、宗教活動に連れていかれることは「虐待」の一つであると教えられます。

マッシモ・イントロヴィニエ

それって虐待かも?
パンフレットの表紙。

日本では、文部科学省の初等中等教育局や政策局、そしてその他の部局が、小・中・高等学校で児童虐待に関するイラスト入りパンフレットを配布し、児童虐待に適時に気づき報告することを促しています。他のいくつかの国でも同様のパンフレットがあり、児童虐待の防止は確かに称賛に値する目標です。

しかし、2024年に日本で配布されるパンフレットは、「児童虐待」という特殊な概念に言及しており、保守的な宗教の典型的な表現も含まれています。特に、特定の宗教団体を名指ししてはいませんが、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)、エホバの証人、ローマ・カトリック教会を標的にしている箇所があります。

ある部分においては、意味が曖昧ですが、日本の厚生労働省が2022年末に公表した「宗教の信仰等に関する児童虐待等への対応に関するQ&A」と比較すると、より明確になります。実際、この「Q&A」は全国の教育委員会に送られ、学校側では児童虐待に関する図解パンフレットの配布が始まりました。

ファイナンシャル・タイムズ紙で日本問題を専門とする著名なジャーナリスト、レオ・ルイスが指摘したように、これらの「Q&A」は、旧統一教会を「解体」し、その信仰を次の世代に引き継ぐのを阻止するために作られたものであることは明らかです。しかし、誰が起草したにせよ、安倍元首相暗殺後のエホバの証人や保守的なキリスト教団体に対する攻撃も考慮に入れていたのです。ルイスが結論づけたように、「何かを成立させようと急ぐあまり、日本はいくつかの非常に微妙な神学的な問題を見落として、想定したよりもはるかに大きな組織や活動の輪に潜在的な問題をつくりました。

パンフレットは状況をさらに悪化させます。それは「宗教活動への強制参加」は「虐待」にあたると子どもたちに説明しています。しかし、「強制」という形容詞は曖昧です。それは、金曜日に街頭に繰り出し、モスクに行きたくない市民を強制的にモスクに連れて行く、一部のイスラム教国の「宗教警察」を想起させます。これは確かに虐待です。なぜなら、成人の市民は、余暇を自由に使う権利を持っているからです。ただし、未成年者は通常、彼らの時間を進んで計画することはありません。一般的には、親が監督することが適切であると考えられています。そうでなければ、一部の未成年者は、勉強にほとんど時間を費やさず、楽しむことに多くの時間を費やしたくなるかもしれません。未成年者は通常、両親によって教会に連れて来られます。親は多かれ少なかれ熱狂的かもしれませんが、このような場合の行動は「虐待」ではありません。

地獄に落ちるわよ
パンフレットには、子どもたちが「宗教活動への参加を強要される」あるいは「『地獄に行くぞ』などの言葉で脅される」などの虐待を受けている、と説明されています。

もし、この言及が、未成年者を宣教活動に参加させることに関するものであれば、それはほとんどの教会で行われていることです。例えば、バチカンのウェブサイトでは、「子どもたちはすでに完全な人間であり、周囲の世界を変革することができる」という原則に基づいて子どもたちの伝道活動を監督するバチカン公認の統括組織であるIMAC(International Movement of Apostolate of Children)の活動を紹介しています。

また、このパンフレットでは、子どもたちは「年齢にふさわしくない性表現を含む資料を見せた」人に警戒し、通報するよう指示されています。一般の読者は、これがポルノグラフィーやアダルト雑誌のことだと思うかもしれないが、安倍暗殺後のエホバの証人や保守的なキリスト教団体に関する日本のメディアの論争を見ると、実際には、この言及は姦淫やその他の性的な罪に関する聖書の物語と、それに対応するキリスト教出版物のイラストを指していることが理解できます。もちろん、すべての聖書の記述が5歳の子供にふさわしいわけではありませんが、2024年においては、17歳の未成年者がそれらによって汚辱されることはないでしょう。また、これらの解説が、不適切な性的内容の漫画やアニメが国内の未成年者に大量に流通し、入手できることについて、国連児童基金(ユニセフ)から繰り返し批判を受けてきた日本で行われていることも逆説的です。しかし、ここでは宗教と聖書が取り上げられているのです。

性的虐待
児童性的虐待の事例としては、「年齢にふさわしくない性表現を含む資料」や「性体験について話す」ように誘導されることが挙げられています。

パンフレットにはもう一つ、「子どもに性体験を話させる」人たちのことについて書かれています。繰り返しになりますが、ある人は、小児性愛者が未成年者を扇動して卑猥な話をさせることを暗示している、と想像するかもしれません。しかし、2022年に政府が出したQ&Aを見ると、実際には、未成年者が性的な罪を告白したとしても、告白は非難されるべきであることを示しています。10代の若者の告白を聞いた経験のあるカトリックの司祭なら誰でも、彼らが「ほとんど」セックスに関連する罪を告白することに同意するでしょう。16歳の少年が脱税を告白したり、公務員に賄賂を支払ったりするとは考えにくい。したがって、パンフレットは、カトリック教会で7歳から始まる告白や、他のいくつかのキリスト教会で実践されている告白を直接攻撃しています。性的な罪の告白は「性的虐待」の範疇にさえ入るのです。

名前は出しませんが、パンフレットの中で、医師に指示されても「輸血を避ける」ように子供たちを誘導するという記述は、エホバの証人を直接に標的にしています。彼らは、輸血は聖書に反すると考えており、日本を含む医療先進国で容易に入手できる代替療法を推奨しています。また、保守的なキリスト教団体が未成年者に「高等教育への進学を制限する」ことは虐待やネグレクトの別の形態であると伝えた場合、パンフレットの標的にされる可能性もあります。保守派のグループは、現代の大学のある傾向に批判的であることが多いが、エホバの証人の場合、国際的な学術研究は、彼らのかなりの割合が大学に進学していることを実証しています。この質問には議論の余地がありますが、現代の大学について異なる意見を持つことは「児童虐待やネグレクト」ではありません。

ネグレクト
医師から指示されても「輸血を受けない」ことは、「ネグレクト」の事例として明確に言及されています。

パンフレットの中で最も奇妙で憂慮すべき言及は、あることを「したり、やらなかったりする」と「地獄に行く」と子供たちに告げることは「虐待」と見なすことです。これは、保守的なキリスト教会や他の宗教でも非常に一般的な教えです。今ではあまり流行りませんが、私の世代のクリスチャンは、カトリックの問答式教授やプロテスタントの日曜学校における司祭や牧師だけでなく、親たちも重い罪を犯した人は地獄に行くと子供たちに教えていたことを覚えています。

地獄への恐怖を教え込むことが「児童虐待」の一形態であるならば、地獄の生々しい描写を含むダンテの「神曲」は、日本では未成年者には禁じられるべきであり、日本の旅行代理店は、未成年者連れの家族を、有名な中世のピサ墓地や無数のヨーロッパの大聖堂に連れて行くべきではありません。死後の世界で罪人を苦しめる様子を描いたフレスコ画や絵画があるからだ(ちなみに、仏教の冷たい地獄の描写はそれほど恐ろしいものではない)。バチカンが承認した子供のためのカトリックの問答式教授YOUCATと、保守的なプロテスタントの日曜学校のための無数の教材は、地獄が存在し、「考えるのが恐ろしい」(YOUCAT、no.53)こと、そして重大な罪を犯して悔い改めない人々はそこに行き着くだろうと教えています。

パンフレットは「虐待」という概念をほとんど戯画的な方法で拡大し、保守的なキリスト教徒の親が自分の宗教を子供に伝える権利を攻撃しています。日本国が署名・批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR=自由権規約)第18条第4項は、「この規約の締約国は、父母及び該当する場合には法定保護者が自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を尊重することを約束する」と述べています。日本は自由権規約に署名し、批准しています。このようなパンフレットを学童に配布することは、第18条第4号の明白な違反です。それは許されるべきではありません。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができます。

https://bitterwinter.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%81%a7%e9%85%8d%e5%b8%83%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e4%bf%9d%e5%ae%88%e7%9a%84%e5%ae%97%e6%95%99%e3%81%ab%e5%8f%8d%e5%af%be%e3%81%99%e3%82%8b%e3%83%91/?_gl=1*nzbtsd*_up*MQ..*_ga*MjA3Mjc4MDQxMC4xNzEzNjE0NzMy*_ga_BXXPYMB88D*MTcxMzYxNDczMi4xLjAuMTcxMzYxNDczMi4wLjAuMA..

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ41


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

フランスの「カルト」に関する新法が間違っている理由

03/06/2024 EILEEN BARKER

フランスの下院は「カルト」に関する修正法案に、上院が削除した「心理的服従」という奇妙な犯罪を再導入した。

アイリーン・バーカー

洗脳の風刺画
信徒を「洗脳」するスヴェンガリのような霊的指導者の風刺画(AI生成による)

大まかに言って、立法に対する政治的アプローチには二種類ある。実際に被害を与えた加害者が法廷で有罪判決を受けた「後に」、彼らを罰する国がある。これは、アメリカ、英国、およびその他ほとんどの西洋の民主主義国で見られるアプローチである。一方で、なんらかの犯罪行為が行われる「前に」、潜在的な被害から市民を保護すると主張する国がある。後者のアプローチは、ロシアや中国などの独裁国家の中に見られる傾向にあるが、フランスも同様であるように見える。なぜならフランスでは、「セクト的逸脱」を示すグループによる潜在的な害から市民を保護するための法律の制定が推進されているからだ。「セクト的逸脱」は、英語では「カルト」という差別用語で呼ばれる宗教運動にほぼ等しい概念である。これが意味するのは、「カルト」というレッテルを張られた宗教による行動は、たとえ同じ行為が「宗教」であるとみなされているグループによって行われれば完全に合法であったとしても、犯罪であるとみなされるだけでなく、「カルト」というレッテルを張られたこと以外にはいかなる違法行為を実際にしていなかったとしても、有罪を宣告されるかもしれないということだ。

しかし、「カルト」に関する合意された定義は存在せず、この用語は一般的に、ある人が良くないと考える宗教または運動を指すために使われる。私自身、特定の運動が「カルト」なのか「本物の宗教」なのかを尋ねられたことは、数えきれないほど多い。私がその質問者に対して「カルト」とは何かと尋ねても、彼らが首尾一貫した返答をすることは稀である。しかし、答えを迫られれば、口ごもりながら、洗脳、児童虐待、自殺、殺人、ある種の悪魔的な異端について何かつぶやくことがある。それを聞いて私は通常、該当する運動が彼らの説明に合致しないことを再確認できる。

ロシアや中国などの国々は、単に特定の運動を犯罪集団に指定するリストを作成することによって、定義の問題を解決している。ロシアの場合、そのような運動のメンバーは過激主義者の文献を読んでおり、したがって彼ら自身が過激主義者であるということになり、その運動は禁止される。中国の場合、「邪教」(文字通りに訳せば「非正統的な教え」だが、通常は「邪悪なカルト」と訳される)のリストが存在する。このリストに載せられた宗教は自動的に、宗教ではなく犯罪組織であると定義され、したがっていかなる宗教の自由の権利保護の対象からも外されるのである。

ロシアのSWATチーム
ロシアのSWATチームが「カルト」の施設を襲撃する様子(2024年2月にロシア警察がカルトを襲撃した際に、実際に提供された画像を元にAIが生成)。

申し分のない「カルト」の定義が存在しないことを認めつつも、1995年のフランス国民議会への報告書には、他のほとんどの民主主義国で「普通の(合法的)宗教」として受け入れられているいくつかの宗教を含む170以上の「カルト」のリストが含まれていた。 「カルト」としての指定は、1つまたは複数の運動によって行われたいくつかの「悪いこと」の例を列挙することによって正当化されていた。しかし、これらの「悪いこと」のほぼ全ては、すでに法律で規制されたことに過ぎず、しかもそのほぼ全ては主流の合法的な宗教によっても犯されていたのである。それらの「悪いこと」が普遍的に適用可能な法律によって既に規制されているか、あるいは容易に規制可能であるのであれば、なぜ特別な法律を導入する必要があるのか、という疑問が生じるのは当然である。奇しくも1995年のリストは法律で採用されなかったものの、それはいまでも「カルト」と名指しされた運動を分類し、差別するために使用されている。

ここで精神操作、心理的服従、および「洗脳」について考えてみたい。これらの用語はほとんど同じ意味で使われている。「洗脳」という概念は、米国やその他の場所でいわゆる「専門家」がそれを導入しようとした際に、裁判所で排除されている。それは1950年代の朝鮮戦争の時代に遡る。そのとき米国は、ごく少数の米国人捕虜が共産主義への忠誠を誓ったとされる理由を説明しようとした。臨床心理学者のマーガレット・シンガーは、「カルト」がそのメンバーに影響を与える方法について説明する上で「洗脳」理論を正当化しようと尽力した人物の一人であったが、彼女の主張は米国心理学会と米国の裁判所の双方による検討の結果、拒否された。

1970年代には、「洗脳」という概念が、メディアや増加しつつあった「反カルト」組織、そして心配する親たちによって広められていた。親たちは、彼らの(成人した)子供たちがどうして奇妙なグループに改宗し、以前なら選ばなかったはずのことを信じたり、行ったりするのか、理解に苦しんでいた。これらの親たちは、彼らの子供たちが「洗脳」されており、したがって「被害者」たちは自分では抜け出せないのだという説明を聞かされていた。その結果、何百人という親たちがプロの「ディプログラマー」に大金を支払って、改宗者を違法に拉致して「救出」していた。彼らはなんとか逃げ出すか、自分を拘束している者たちに自分は信仰を棄てたのだと納得させることができるまで、解放されなかった。これはしばしば改宗者にとってトラウマ体験となり、その後に自分の宗教に戻った多くの者たちが、自分たちがどのように扱われたかについての恐ろしい話を語るようになった。

個人と社会の関係に関心を持つ社会学者として、私は「洗脳」とディプログラミングを、社会的状況が個人を支配する極端な状況を表わしているように見える、興味深い概念であるとみなした。私はまた、もし改宗者が「洗脳」されていないのであれば、自らの宗教を表現することを許されるべきだという意見であった。それは彼らが万人の守るべき法律を破らないかぎりにおいてではあるが。一方でもし彼らが、ディプログラマーたちが主張するように、ほとんど抵抗不能で不可逆的なある種のテクニックを受けていたとすれば、何らかの対処が必要であり、彼らは自称ディプログラマーではなく、特別に訓練された専門家によって助けられるべきだと考えていた。

統一運動は当時最も恐れられ、広く嫌われていた新宗教の一つであったが、そのメンバーとの偶然の出会いにより、私は研究プロジェクトに取り組むことになった。その研究において私が立てた問いは、はたして統一教会の信者たちは自由意志によって改宗を選択しているのか、それとも運動によって自由に選択する能力を事実上奪われているのかということだった。

アイリーン・バーカー
アイリーン・バーカーと彼女の1984年の画期的な著書は、統一運動に参加する人々は「洗脳」されたのだという考えを否定している。

提示された「洗脳」または精神操作は、人々が「カルト」のメンバーになり、その後は「カルト」が望むことを何でも行うようになるような(潜在的に違法な)「プロセス」であると言われている。しかし、私が最初に観察したのは、人々はそのようなプロセスを説明したり描写したりすること以上に、そのプロセスの「結果」(改宗者の新しい信仰や行動)に対する非難を表明しているように見えたということだ。このような強く非難すべき結果というものは、「洗脳」のようなプロセスによってしか説明できないというわけだ。言い換えれば、巧みに操作する技術の証拠として提示されているのは、しばしば回心のプロセスそのものではなく、回心の結果であったということだ。

ただし、プロセス自体を記述し説明する主張もいくつかあった。これらは主に三つのカテゴリーに分類された。第一に、身体的拘束があった。これは被験者が意志に反して拘束された米国の戦争捕虜のような事例である。しかし、「カルト」のリストに載っている宗教の中でも身体的拘束が行われることは極めて稀である。しかし、当時行われていた多くのディプログラミングにおいては、これは事実だった。監禁された者やその教団が「拉致」の後に警察に連絡しようとしても、警察が見て見ぬふりをするケースがあった。また少なくとも一つのケースでは、統一教会による人身保護令状が裁判所によって拒否されている。その理由は、その28歳の娘にとって何が一番良いかは両親が知っているというものであった。その女性は外国で一カ月以上監禁された後に、統一運動に戻ることができた。

「洗脳」の第二の記述は、脳が文字通り洗われているのではないにしても(「洗脳」はもちろん比喩である)、ドラッグ、睡眠不足、または粗末な食事などのさまざまな手段によって脳が機能不全に陥るというものだ。私は、そこで「洗脳」が行われていると言われていた、統一教会が運営する泊まり込みの週末ワークショップの幾つかに参加し、同じ経験をした多くの人々と話をした。私と同様に、彼らは他の多くの状況に比べて特に睡眠が奪われたとか、粗末な食事を与えられたとは言わなかった。そして参加者はいかなる事情があってもワークショップ中にドラッグを接種してはならないと指導されていたのである。

第三の記述は、「洗脳」されたというよりも、マインド・コントロールまたは精神操作と言った方が適切かもしれない。時には、被害者の心がもはや自由意志を行使できないように制御するため用いられる、ある種の催眠術的でスヴェンガリのような技術が用いられていると示唆されることもある。

数千年間、哲学者たちは自由意志の存在と決定論を巡って論争してきたが、しばしばさまざまな形の循環論法に終わってきた。統一教会の信者たちが私に語ってくれたのは、彼らが自分は「洗脳」されていないと主張すると、それは自分が「洗脳」されていないと思い込むように「洗脳」されているのだ、としばしば言い返されたということだ。

そのような無駄な議論を避けるため、私は選択を、(a)個人(彼または彼女のDNA、価値観、恐れ、希望、過去の経験などを伴う)が、(b)特定の社会的状況(統一教会の信者によって運営される泊まり込みのワークショップ)の中で、彼の現在の気質を活かしながら、二つの潜在的な未来の結末を想像しながら描くことができる能力であると定義した。すなわち、(c)統一教会の信者になることと、(d)統一教会の信者にならないことである。

次に私は、もし「洗脳」やマインド・コントロールが当てはまるとすれば、結果の原因となる唯一の変数は社会的状況であり、個人は統一教会に加入する以外に選択肢がない場合であるという仮説を立てた。     

しかし、私が「統一教会の経歴」をフォローした1,000人以上のワークショップ参加者のうち、90%が教会に加入しなかったし、参加した者の過半数がその後2年以内に離れていたのである。(さらに、私は後に、統一教会の二世の最初の群の圧倒的大多数が、一生を通じて社会化を受けたにもかかわらず、または恐らくそれ故なのかもしれないが、可能な限り早く教会を去ったことを発見した。)

明らかに、潜在的な新メンバーが経験するプロセスは、抵抗不可能なものでも不可逆的なものでもなかった。統一教会の信者がどれだけゲストを操って入会させたいと望んだとしても、あるいは彼らの子供たちが留まることを望んだとしても、彼らのテクニックがあまり効果的でないことは明らかだった。(統一教会の社会化プロセスは、実際にはカトリック教会のものよりも効果が低いとみなせるかもしれない。)

これらの発見に対する反応の一つは、統一運動は特に被暗示性の強い人々を操作しているというものであった。「彼らが入会したのだから、そうであったに違いないだろう?」というわけだ。これを検証するために、私は人を特に脆弱にすると仮定される要因の幾つかを見てみた。たとえば、不幸な幼少期、破綻した関係、学校や大学での成績不良、病弱ゆえの苦しみなどである。

ロンドンの文師夫妻
ロンドンを訪問した際にウェストミンスター寺院前で信者たちと記念撮影する文師夫妻。出典:英国世界平和統一家庭連合

次に私は、統一運動に参加した人々と、ワークショップに行っても入会しなかった人々、および統一教会信者と年齢や社会経済的背景ができるだけ一致するように選ばれた対照群を比較した。実際には、最も「被暗示性の強い」人々は、ワークショップに行っても入会しなかった人々や、入会して一週間以内に離脱した人々の中にいた。実際に参加した人は、被暗示性が強いというよりは感受性が強いように見えた。いくつかの理由から、彼らは統一運動が広い社会では得られない何かを提供してくれると感じたのである。そしてその後、運動が彼らの期待を満たさないことが分かると、彼らは去ったのである。

他の学者たちも、「カルト」と呼ばれている異なる宗教について研究した際に、似たような結果を得ている。これは、一般に「カルト」が行うと言われているいくつかの「悪事」を、決して「カルト」が行わないと言っているのではない。一部の新宗教が、特定の時期に、特定の場所で、特定の悪事を働いたことはある。しかし、同じことは既存の「まっとうな」宗教にも言えるのである。なぜなら、どのような悪い行為であれ、ひとたび彼らが法を破ったと主張されたのであれば、それらは立法府によって、すべての宗教とその信者(実際にはすべての市民)に適用されるように処理されなければならないからである。

最後に、「洗脳」や精神操作などの用語は、特定の不人気な宗教の出現に対して偏見を抱かせることがあり得る一方で、他の人々の目的には役立つこともある、ということを認識するのは有益であろう:(a) 元メンバーの中には、自分がメンバーだったことを後悔している者がおり、彼らは自分の行為を「説明する」ことができる。彼らと、おそらくその親族はすべての罪を許される。それは彼らには責任がないことだったのである。(b) ディプログラマーは、「自分の力では離れることができない」とされる「被害者」を「救出」するために、数万ユーロの報酬を請求することができた。(c) こうした用語は、メディアによる「邪悪なカルト」の暴露記事に良い見出しを付けることができる。(d) 主流の宗教にとっては、彼らの「本物の」信仰が拒絶された理由になる。(e) 「カルト監視」組織は、「私たちの中のカルト」の危険性を潜在的な寄付者に納得させることができれば、国(およびその他)から資金を得やすくなる。

結論として、この提案された法案が国民議会で承認されたそのままの形で採択された場合、それは民主的な社会としてのフランスにとって、深刻な脅威となり得る。民主的な社会においては、すべての市民は法の下で平等であるだけでなく、法を犯すことによって有罪となることがない限り、自身の宗教を表現する自由があるからである。*

* このテキストは、元々UK FORBフォーラムの宗教的差別に関する作業部会の枠組みで準備された。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%e5%85%ac%e7%9a%84%e6%a9%9f%e9%96%a2%e3%81%ab%e3%82%88%e3%82%8b%e5%ae%97%e6%95%99%e7%9a%84%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%8e%e3%83%aa%e3%83%86%e3%82%a3%e3%81%b8%e3%81%ae%e8%aa%b9%e8%ac%97%e4%b8%ad%e5%82%b7/?_gl=1*1ohihms*_up*MQ..*_ga*Njk1MTg4MzYxLjE3MTM2MTM0NTk.*_ga_BXXPYMB88D*MTcxMzYxMzQ1OS4xLjEuMTcxMzYxNDA5My4wLjAuMA..

カテゴリー: BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ

BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ40


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

公的機関による宗教的マイノリティへの誹謗中傷:大阪地方裁判所の誤った判決

03/15/2024 MASSIMO INTROVIGNEA

裁判所は、統一教会とUPFを「反社会的」であるとした地方自治体による決議は違法ではないと言った。 同様の訴訟において、欧州人権裁判所は異なる判決を下した。

マッシモ・イントロヴィニエ

大阪地裁
大阪地方裁判所。Xより。

2024年2月28日、大阪地方裁判所は、日本の統一教会(現在は世界平和統一家庭連合、家庭連合と呼ばれる)および天宙平和連合(UPF)を含むその関連団体に関する民事訴訟の判決を下した。

大阪市会、富田林市(大阪府の別の市)議会、大阪府議会はいずれも2022年9月から12月にかけて、安倍晋三元首相暗殺後に起きた反統一教会キャンペーンをきっかけとして、家庭連合およびUPFを含むその「関連団体」との関係を断つことを明記した決議を採択した。 彼らはこれらの組織を「反社会的」であるとした。

大阪UPFは決議の取り消しと損害賠償を求めて訴訟を起こした。 2月28日、大阪地方裁判所は大阪UPFの訴えを退ける判決を下した。 裁判所は、決議は政治的声明であり、直接的な法的効果や影響をもたらさないと主張した。 裁判所は、私人や民間団体とは異なり、国や地方自治体は「自律的な権能」を有しており、「真実」の基準以下の「相応の合理性」さえあれば、「裁量的な政策判断」を行うことができると論じた。 安倍暗殺後に統一教会が「社会問題」となっていたことは疑いの余地がないため、家庭連合とその「関連団体」が「反社会的」であることには「相応の合理性」があると裁判所は言ったのである。 おそらく政府が家庭連合に対して宗教法人としての解散命令を請求したという事実も、裁判所が「相応の合理性」があると判断した要因だろう。

しかしながら、その判断は間違っている。 この結論に達するのに日本の法律の専門家である必要はない。 日本は市民的および政治的権利に関する国際規約(自由権規約)に署名しており、その第17条には「何人も、…名誉及び信用を不法に攻撃されない(1項)。すべての者は、1項の干渉又は攻撃に対する法律の保護を受ける権利を有す」と規定されている。 世界中の裁判所は、一貫して第 17 条は宗教団体にも適用されると解釈してきたし、それを次の第18条と結び付けてきた。第18条は、市民が自由に宗教を選択する権利に干渉しようとする政府の試みから、宗教または信仰の自由を保護している。

国や地方自治体がある宗教団体について「反社会的」であると言えば、その名誉と名声に対する権利が危険にさらされ、差別を煽り、市民がどの宗教に入信するかを政府の圧力を受けずに決定する権利を妨げることになる。 公的に「反社会的」であると宣言された宗教に入信するという汚名を、あえて被りたいと思う者がどこにいるであろうか?

永井博氏と徳永信一弁護士
2022年12月23日に大阪地方裁判所の司法記者クラブで記者会見を開いたUPF大阪代表の永井博氏(左)と徳永信一弁護士(右) Xより。

欧州人権裁判所(ECHR)は2022年12月13日、それに該当する自由権規約の条項と非常に類似した欧州人権条約の規定を解釈し、ブルガリアに不利な判決を下した。 この訴訟は、ブルガス市が市内のすべての公立学校に送った手紙に関するもので、その内容は、一般に「モルモン教」として知られる末日聖徒イエス・キリスト教会、エホバの証人、および地元のペンテコステ派の三つの教会が、 「カルト」(セクト)であり、「危険」であると説明していた。もちろんこれは、それらが「反社会的」であると言うことと同様である(「トンチェフ対ブルガリア」訴訟)。

興味深いことに、同じ欧州人権裁判所は21年前の2001年に、フランス政府が一部のグループを「カルト」(フランス語で「セクト」)と呼ぶ権利があるという判決を下していた。 この決定は部分的には技術的な問題に基づいていた(一部のフランス政府出版物については、原告、この場合はエホバの証人が、提訴するのが遅すぎた)が、2022年に欧州人権裁判所は、21年の間に状況が変わったと指摘し、公的機関が宗教的マイノリティに対して「危険」あるいは「カルト」というときには、常にそれに対する差別を生み出すのだということを繰り返し明示したのである。

欧州人権裁判所はまた、2021年に「ハレ・クリシュナ運動」として知られるクリシュナ意識国際協会に関する訴訟において、ロシア政府がこの団体を公文書で「破壊的」であり「カルト」であると言うことはできないとの判決を下したことにも言及した。

どちらの場合も、公的機関が発表した文書や文言には法的効力はなかったが、欧州人権裁判所が「トンチェフ」訴訟で述べたように、地方自治体や中央政府のこうした声明は「当該教会の信者が信教の自由を行使する上で悪影響を与える」と述べた。 彼らは差別される可能性が高く、宣教活動が困難になったり、不可能になったりする可能性がある。 ブルガス市の声明が「申立てをした牧師やその信者たちが、礼拝や実践において自らの宗教を表明する権利を直接制限するものではなかった」という事実は、重要であるとはみなされなかった。 公的機関の声明は直接的な法的影響を及ぼさないかもしれないが、深刻な差別を引き起こす可能性がある。

大阪でも同じ原則が適用されるべきであったが、UPFの場合はなおさらである。 UPF と家庭連合の創設者は同じであるが、UPFの活動に参加する人々や 10 万人の平和大使の圧倒的多数は家庭連合の会員ではない。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%e5%85%ac%e7%9a%84%e6%a9%9f%e9%96%a2%e3%81%ab%e3%82%88%e3%82%8b%e5%ae%97%e6%95%99%e7%9a%84%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%8e%e3%83%aa%e3%83%86%e3%82%a3%e3%81%b8%e3%81%ae%e8%aa%b9%e8%ac%97%e4%b8%ad%e5%82%b7/?_gl=1*1ohihms*_up*MQ..*_ga*Njk1MTg4MzYxLjE3MTM2MTM0NTk.*_ga_BXXPYMB88D*MTcxMzYxMzQ1OS4xLjEuMTcxMzYxNDA5My4wLjAuMA..

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ39


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

フランス、上院の反対を押し切って新たな反カルト法を可決

04/16/2024 MASSIMO INTROVIGNEA

この法律は「心理的服従」という新たな犯罪を創設し、主流の医療を批判する可能性を制限し、宗教や信仰の自由を深刻な危険にさらしている。

マッシモ・イントロヴィニエ

フランス下院での投票
新しい法律を可決したフランス下院での投票 出典:フランス国民議会

4月9日、フランスは数か月にわたる議論の末、ついに新たな改正反カルト法を可決した。政府は上院を説得できず、4月2日に再び上院が条文全体を否決した。しかし、フランス独特の制度の下では、法案に関して上院と下院が相容れない立場を表明した場合、最終的には下院の投票が優先される。 政府はこの条文に賛成するよう下院議員に激しく働きかけたが、下院でも反対は大きく、法案は146票の「賛成」、104票の「反対」で可決された。

しかし、この法律は可決されたものの、同法が直面した大きな反対は、おそらくその執行に影響を与える可能性がある。この法律の名称は、「カルト的逸脱との戦いの強化」に関するものである。「カルト」に対する新たな取り締まりの理由として、MIVILUDESが受け取る「通報」(フランス語で“saisines”)の数が増加していることがあげられる。「Bitter Winter」が立証したように、「通報」は実際の事件の報告ではなく、MIVILUDES に送られた簡単な質問が含まれており、間違っていたり操作されていたりする可能性が高い。

また、新型コロナウイルス感染症の期間中に「カルト」が成長し、一部が反ワクチンの考えを広めたとも言われている。したがって、「必要な治療を放棄させるか受けさせないための挑発」という、懲役1年と罰金が科せられる新たな犯罪が創設される。明らかに、これが引き起こす影響は新型コロナウイルスやワクチンをはるかに超えている。国務院が法案を検討した際、言論の自由と「科学的議論の自由」に対する脅威であるとして、この条項を削除するよう勧告したことに留意すべきだ。しかし、政府は国務院の勧告を拒否し、この条項を残した。上院での争いは、医療会社の疑わしい行為を暴露する「内部告発者」を保護する新たな条項の導入につながっただけだ。

反カルトの手段も強化される。反カルト団体が「カルト」を相手取った訴訟に民間機関として出席することが許されたり、裁判官や検察官は、彼らが審判対象とし、あるいは起訴しているグループに関してMIVILUDESの意見を求めることが奨励されたりするようになるのだ。また議会の修正により、MIVILUDES に新たな強化された地位が与えられた。

新しい法案の核心は、「心理的服従」という新たな犯罪の創設である。法案は以下のように述べている。「重大な、ないし、反復継続する圧迫、または、人の判断を変更させることができる技術の使用によって、人を心理的ないし身体的服従状態に置き、その人の身体的または精神的健康状態に重大な悪化を引き起こすか、あるいは、本人にとって極めて不利益な一定の作為・不作為に導いた者は、懲役3年および375,000ユーロの罰金の刑に処せられる。」

ただし、その「精神的服従」が、未成年者または「年齢、病気、虚弱さ、肉体的または精神的な欠陥、妊娠などにより特別な脆弱性を抱えていることが、明らかであるか加害者に知られている人」を巻き込んだ場合には、刑罰は「懲役5年および750,000ユーロの罰金」となる。 「これらの違反が、あるグループの事実上または法律上のリーダーによって、その活動に参加する人々の心理的または身体的服従を生み出し、維持し、または利用する目的または効果を狙って行われた場合」(「カルト」の指導者と読むべき)、あるいは「違反がオンライン公共通信サービスの使用またはデジタルまたは電子媒体を通じて行われた場合」(ウェブサイトやソーシャルメディアを通じた「カルト」のプロパガンダをターゲットにしている)にも、同様の重罰が適用される。

会期中のフランス下院
会期中のフランス下院(国民議会)

上記の状況のうち2つが同時に発生した場合、または「その違反がある組織化されたギャングの一部を構成するメンバーによって、その活動に参加する人々の心理的または身体的服従を生み出し、維持し、または利用する目的または効果を狙って犯された場合には、刑罰はさらに7年間の懲役および 100 万ユーロの罰金に過重される。反カルト主義者にとって、「心理的服従」を実践する「カルト」は定義上「組織化されたギャング」である。

これが「脆弱性の悪用」に関する既存の規定とどのように異なり、なぜ政府が新たな犯罪によって現行法では捉えられていない「カルト的逸脱」を犯罪化できると信じているのかを理解することが重要である。「脆弱性の悪用」は、被害者が「脆弱な状況」にあり、心理テクニックによって、たとえば多額の献金をしたり、「カルト」リーダーに性的に身を委ねたりするなどの、自己加害行為に誘導された(と申し立てられた)場合に処罰された。新法の序論的コメントの中で政府は、「アブ・ピカール法(2001年の反カルト法)の現行の条文では、被害者を加害者の支配下に置くことを目的とした作用や技術によって決定される心理的または身体的服従状態を、直接的に有罪とすることは認められていない」と主張している。

新しい犯罪は2つの点で「脆弱性の悪用」とは異なる。第一に、被害者が「脆弱」な状況にある必要はない。誰もが「心理的服従」の被害者になる可能性があるのだ。第二に、被害者の精神的健康状態の悪化と、「洗脳」技術が被操作者を自己加害に導くおそれがあるという事実とを、「かつ」ではなく「または」で結びつけていることは極めて重大である。同じ紹介報告書が説明しているように、この「または」により、被害者が自己加害行為に誘導されたことが証明できない場合でも、「心理的服従」を処罰することが可能になるのである。「精神的健康の悪化」が起こったと主張するだけで十分であろう。

報告書はほぼ当然のこととして、心理的服従の状況は通常「被害者の精神的健康の悪化」を引き起こすと明記している。したがって、被害者が自傷的であると分類できる特定の行為を何も行っていなかったとしても、謎めいた「心理的服従状況を作り出す技術」を使用すれば処罰されることになる。結局のところ、反カルト主義者たちは、「カルト」への加入やそこに留まり続けること自体が精神的健康にとって危険であると主張しているのである。そして覚えておいてほしいのは、この理論を推し進めるために反カルト団体が裁判に参加することになり、疑問がある場合には検察官と裁判官はMIVILUDESの意見を求めるよう助言されるということだ。

新宗教運動の研究者のほとんどは、「洗脳」は存在せず、それを有罪とすることは基本的に虚偽であるという点で一致している。宗教的説得の通常のプロセスが、権力が「通常」であるとみなす信仰の対象と実践を持っている場合には「洗脳」はないと主張される。信念や実践が非伝統的であったり不人気であったりする場合には、これは「洗脳された」被害者だけに採用される証拠として提出される。なぜなら、彼らは「心理的服従」の状態に置かれているからである。

フランス政府は、この新法によって信仰が犯罪化されるのではなく、特定の信念を奨励する技術のみが犯罪化されるのであると厳粛に宣言する。しかし実際には、ある信仰が「違法な」技術によって教え込まれたのだとされる証拠は、反カルト主義者、MIVILUDES、社会の大多数、あるいはメディアがそれを「カルト的逸脱」とみなしているということなのである。主流の国際的学者たちが指摘するようにE、フランスは「セクト」に対するこだわりのゆえに、宗教や信仰の自由に関しては、民主主義世界における最悪の国の一つとなっている。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%80%81%e4%b8%8a%e9%99%a2%e3%81%ae%e5%8f%8d%e5%af%be%e3%82%92%e6%8a%bc%e3%81%97%e5%88%87%e3%81%a3%e3%81%a6%e6%96%b0%e3%81%9f%e3%81%aa%e5%8f%8d%e3%82%ab%e3%83%ab/?_gl=1*xmkgsm*_up*MQ..*_ga*Njk1MTg4MzYxLjE3MTM2MTM0NTk.*_ga_BXXPYMB88D*MTcxMzYxMzQ1OS4xLjEuMTcxMzYxMzU5MC4wLjAuMA..

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