解散命令請求訴訟に提出した意見書03


 アメリカの宗教社会学者マイケル・W・アシュクラフトは2018年に「新宗教研究の歴史概論」という本を出版したが、この本は新宗教運動の学術的研究の分野では非常に大きな影響力を持っている。(注5)この本の中でアシュクラフトは、いわゆる「カルト研究」と新宗教運動に関する主流の学術的研究とを区別した。「カルト研究」は反カルト運動を支持する学者たちの小さなグループによって推進されているもので、主流の学者たちからは否定されている。

 アシュクラフトは、「カルト研究」とは異なり、主流の新宗教研究は以下の前提に基づいていると論じている。これは少なくとも西洋においては、この分野の大部分の学者たちによって共有された考え方である。

 第一に、一般的に理解されている「カルト」という概念には科学的な中身がなく、特定の団体を差別するために使われる言葉なので、使うべきでない。

 第二に、「洗脳」という概念自体が、不人気な宗教を差別するために用いられる疑似科学である。

 こうしたアメリカの学会の実情は、実は日本の宗教学者たちにも知られており、宗教学者たちは一様にマインド・コントロール理論に対しては否定的または懐疑的である。

 渡邊学氏は「≪カルト≫論への一視点:アメリカのマインド・コントロール論争」の中で、「私がカルトとマインド・コントロールの問題をアメリカで調べはじめてみて、宗教学者の多くがどちらの概念も認めていないという事実が明らかになった。」(注6)と述べている。

 渡邊太氏は「洗脳、マインド・コントロールの神話」の中で、「学術的には、洗脳、マインド・コントロールという概念は様々な批判にさらされている。宗教研究者の多くは、洗脳およびマインド・コントロール概念の学術的価値を否定する」(注7)と述べている。同氏はまた、D・アンソニーによる洗脳およびマインド・コントロール理論を反証する経験的データとして、以下の七点を紹介している。「①勧誘の成功率の低さ、②入信者は探究者的性格をもつ、③信者に認知的・知的能力の喪失はみられない、④自発的脱会者の多さ、⑤カルト入信による心理的・感情的状態の改善、⑥自発的脱会者はカルト体験を肯定的に評価する、⑦ディプログラミングを受けた元信者はカルト体験を否定的に評価する(Anthony, 1999, 435)。」これらを踏まえアンソニーは、「洗脳理論やマインド・コントロール理論は疑似科学である」と結論づけているとのことである。(注8)

 大田俊寛氏は「社会心理学の『精神操作』幻想―-グループダイナミクスからマインド・コントロールへ」の中で、「国内外を問わず、各分野の専門的研究者の多くはマインド・コントロール論に対して批判的・懐疑的であり、その理論を支持したり、何らかの現象の分析に使用したりする者は、きわめて僅少というのが実情である。」(注9) と述べている。

 ②アメリカにおける「マインド・コントロール」をめぐる法廷闘争の結果
 アメリカにおける「マインド・コントロール論」の理論的支柱は、反カルト運動 に専念する心理学者、マーガレット・シンガー博士らの研究であった。彼女の役割は、新宗教への回心を「洗脳」「思想改造」「マインド・コントロール」「強制的改宗」などの用語で、いわゆる科学的に裏付け、ディプログラミングの必要性、有効性を「科学的に証明」することにあった。彼女は著作やマスメディアを通して、さらに新宗教に関連する各種の裁判で宣誓証言者として陳述したり、法廷助言書を提出したりして、新宗教に入信した子供たちは、自由意志を奪われ、カリスマ的指導者に盲目的に従わざるをえない悲惨な羊たちなのだと主張した。(注10)

 しかし、彼女の主張は、モルコとリールという二人の元統一教会員たちが、マインド・コントロールを受けたとして統一教会を相手取って起こした裁判上、1987年に「米国心理学会(APA)」およびイギリスのアイリーン・バーカー博士をはじめとする世界的に著名な宗教社会学者等がカリフォルニア州最高裁判所に提出した「法廷助言書」によって完全に否定された。この法廷助言書を提出した米国心理学会というのは、1892年に設立され、6万人の会員を擁する権威ある学会である。

 もともと米国心理学会は1983年にシンガー博士に対して研究を委嘱し、それに対してシンガー博士は「詐欺的で間接的な説得と支配の方法」(DIMPAC)に関する報告書を提出している。しかし、1987年に米国心理学会は、「彼女の理論は科学的裏付けを欠く」として、報告書を否定した。「モルコ・リール対統一教会」の裁判に提出された法廷助言書はこうした論争のさなかに書かれたものである。

 この米国心理学会の法廷助言書によれば、シンガー博士の主張する「強制的説得理論」は、「科学的概念としては意味を持たず」、その方法論は「科学的学会では否認されている」ものであるために、「科学を装った一つの否定的価値判断」であると判断し、したがって、このような理論を認めることは、信教の自由を保障する憲法修正第一条に違反するとしている。

 さらに、32のアメリカのプロテスタント教会と東方正教会によって構成され、4千万人の教会員を傘下にもつ「米国キリスト教協議会(NCC)」が、同じく1987年にカリフォルニア州最高裁判所に、他の4つの大きな宗教団体とともに提出した法廷助言書では、「シンガー博士は統一教会における『宗教的回心』を『心理学的病理』に置き換えているが、それは統一教会のみに当てはまるのではなく、すべての宗教に当てはまることである」としている。つまり、この法廷助言書では、統一教会の伝道方法や回心の過程が、他の多くの宗教が行っているものと基本的に同じであることを認め、そのうえで統一教会が「マインド・コントロールや洗脳をおこなう」などという非難は、アメリカのすべての宗教活動に対する脅威であると主張したのである。

 さらに、権威ある宗教社会学者および宗教心理学者たちのほぼ全員が会員として参加している「科学的宗教研究学会(Society for the Scientific Study of Religion:略称SSSR)」は、1990年11月の協議会で、マインド・コントロール理論の非科学性を再確認する決議案を、満場一致で採択している。

 アメリカにおいて「新宗教団体がメンバーにマインド・コントロールを行った」と主張して、新宗教団体を相手取って訴訟を起こす戦略は、1980年代終わりまで反カルト団体の常套手段であった。しかし、こうした訴訟は,1990年の「アメリカ合衆国対フィッシュマン」の裁判をもって、事実上の終止符が打たれた。

 この裁判では、反カルト側の2名の主要な専門家が,重窃盗罪に問われていたスティーブン・フィッシュマンがマインド・コントロールの影響下で行動したと証言しようとしていた。彼らはサイエントロジー教会が、フィッシュマンが脱会して数年たった後もマインド・コントロールを続けていたと主張した。これに対して北カリフォルニア連邦地方裁判所のローウェル・ジェンセン判事は2名の専門家が科学界で合意された意見を代弁していないことを理由に、彼らの洗脳またはマインド・コントロールに関する証言を認めない判断を下した。フィッシュマンは有罪判決を受けて刑務所に服役した。

 この2人の専門家とは、マーガレット・シンガー博士とリチャード・オフシェ博士のことである。彼らはこの判決以降、米国の裁判で「洗脳」や「マインド・コントロール」に関する専門家として発言できなくなった。これは「マインド・コントロール理論」が米国の法廷で決定的な敗北を喫したことを意味する。

(注5) W. Michael Ashcraft, “A Historical Introduction to the study of New Religious Movements,” Routledge, 2018.
(注6)渡邉学「≪カルト≫論への一視点:アメリカのマインド・コントロール論争」南山宗教文化研究所 研究所報 第9号 1999年、p.83
(注7)渡邊太前掲書、p.209
(注8)渡邊太前掲書、p.219
(注9)大田俊寛「社会心理学の『精神操作』幻想―-グループダイナミクスからマインド・コントロールへ」『心身変容技法研究』第8号 2017年、p.51
(注10)中野毅『宗教の復権―グローバリゼーション・カルト論争・ナショナリズム』東京堂出版、2000年、p.126-7

カテゴリー: 解散命令請求訴訟に提出した意見書 パーマリンク