第二章 宗教と自由と法への冒瀆


米国キリスト教協議会(NCC)、米国アメリカン・バプテスト教団、南部カリフォルニア教会一致協議会、教会・国家分離米国人連合等が提出した法廷助言書の判断

 

「マインド・コントロール理論」の目的は宗教破壊

 

スティーヴン・ハッサン氏は、マインド・コントロールを行っている団体は、すべて「破壊的カルト」であると主張しています。

 

 

表向きの目的が宗教であろうと経済であろうと、自己の目的追求のためにあからさまな欺瞞を行なうグループはみな、私の定義では破壊的カルトである。(『マインド・コントロールの恐怖』24頁)

 

 

しかし、彼が破壊的カルトと呼ぶ団体は、統一教会のみならず、サイエントロジー、エホバの証人、創価学会などのほかにも、「アメリカだけでも三千もある」と言明しています。さらに、一九八九年のCAN(カルト警戒網、第四章で詳述)の集会で、「アメリカ最大のカルトはローマ・カトリック教会だ」と述べています。

 

これでは、すべての宗教が「破壊的カルト」にされてしまいます。実際、彼がマインド・コントロールの四つの構成要素として挙げている「行動コントロール、思想コントロール、感情コントロール、および情報コントロール」は、程度の差こそあれ、すべての熱心に伝道する宗教に当てはめることが可能なことなのです。ハッサン氏が、理論的影響を受けたというシンガー博士は、「強制的説得の六段階」という別の言葉を用いてこれを説明しています。

 

この「強制的説得理論(マインド・コントロール理論)」を根拠に、元統一教会員が、

 

 

統一教会における宗教的回心の真実性に疑問を投げかけ、…宗教行為の核心的事柄を「世俗的」あるいは「心理学的出来事」と性格づけをし、宗教に対する損害賠償を得ようと試みている。…これは米国で保護されているすべての宗教にも当てはまることである。…(にもかかわらずこのような試みによって)アメリカ国民の信仰と宗教行為が脅かされている。(本書200頁)

 

 

と判断した「米国キリスト教協議会(NCC)」「米国アメリカン・バプテスト教団」「南部カリフォルニア教会一致協議会(SCEC)」「教会・国家分離アメリカ人連合(AUSC)」は、カリフォルニア州最高裁判所に法廷助言書を提出し、統一教会および国民の信教の自由擁護の論陣を張ったのです。

 

その中で、元教会員が起こした裁判の論拠となったシンガー博士の「強制的説得理論」に対して、

 

 

ニセ科学の分野に含まれるもので、全部でないとしても多くの宗教的回心を無効にし、米国の多くの教会の信仰や宗教行為に「不当」の烙印を押すものである。(本書224頁)

 

 

と厳しく批判しています。

 

 

社会的、物質的環境のコントロールが洗脳?

 

シンガー博士の六段階の「強制的説得理論」で、第一に挙げているのが、「社会的、物質的環境の統制(コントロール)」です。

 

ここでシンガー博士は、禁欲的生活や質素な環境は「統制」されている証拠であり、このような統制された環境でなされた回心は、「洗脳技術」によって作り出された「情的挫折」であり、「心理学的病理」なので、本当の回心ではないため無効だとしています。ハッサン氏も、『マインド・コントロールの恐怖』の中で次のように説明しています。

 

 

行動コントロールとは、個々人の身体的世界のコントロールである。それは、彼の仕事、儀礼その他彼が行なう行為のコントロールとともに、彼の環境――彼がどこに住むか、どんな衣類を着るか、何を食べるか、どのくらい眠るかなど――のコントロールを含む。(116頁)

 

 

それに対し、法廷助言書は、

 

 

入門者を通常の文化から引き離して、妨げられずに宗教的事柄に精神を集中できる場所に引きこもらせることの優れた効果を認めない宗教を見いだすことはまずできない。もしシンガー博士が正しいとすれば、おそらく数百万の宗教的回心は無効であり、そうした回心者の信仰と生活は詐欺の結果であり、無駄であったということになる。僧院や修道院がすぐに思い浮かぶが、そのほかカトリック教会経営学校、クリスチャン・スクールなどはカトリック教会や他の教会の信仰、即ち世俗文化からの隔離は「周囲の文化を支配するシンボルとは異なった種類の聖なるシンボルを中心にして生活を立て直すことを助ける」という信仰を反映している。(本書224~225頁)

 

神との一体化を一心不乱にめざすための質素で純潔な生活という理想像を代表したものである。(本書226頁)

 

 

と論破しています。

 

 

シンガー博士はまた、「統一教会が(教会員とその)家族との接触を断ち」、会員に「無力感」を与え、その「無力感」が「洗脳」を促進すると説明しています。

 

これに対し、米国キリスト教協議会を代表として四つの宗教団体が提示した法廷助言書は、聖書からイエスの言葉や、著名な神学者ポール・ティリッヒの言葉を紹介しています。

 

 

「わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして、家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない」。(マタイによる福音書一〇章)(本書227頁)

 

「家族は決して究極存在ではない」。神を真剣に知ろうとする者は「父母兄弟から自由になることの悲劇的罪悪の危険を冒さなければならない」。(ティリッヒ『新しい出発』)(本書227頁)

 

 

そのうえで、これをシンガー博士が「無力感をもたらす」と言っているが、

 

 

人生の中では多くの場合、成長のために解放ということが必要であるが、特に信仰に到達する過程では、それがより重要である。(本書228頁)

 

 

と強調しています。

 

 

 

報奨、罰則、経験による組織化が犯罪?

 

ハッサン氏は「感情コントロール」を説明して、

 

 

人の感情の幅を、たくみな操作で狭くしようとするものである。人々をコントロールしておくのに必要な道具は、罪責感と恐怖感である。(『マインド・コントロールの恐怖』121頁)

 

 

としています。そしてそのためのテクニックとして、迫害する外部の敵を作り出すことによる恐怖心の教えこみ、過去の罪の告白、忠誠心と献身に対する高い評価など、としています。

 

これに対し、法廷助言書は、

 

 

(有名な説教師)ビリー・グラハムが「キリストについて説教するということは、…罪の問題について直接話すということである」(と述べ、宗教学者の)ウィリアム・ジェームズが回心は「宗教的実在に対する堅固な信仰の結果としてこれまでの分裂した、意識的に悪い、劣等で、不幸な自分が、統一された、意識的に正しく、優越した、幸福な自分になる」過程である(と述べたように)(本書229頁)

 

 

罪の自覚が信仰生活には重要だとしています。

 

さらに、この法廷助言書は、信仰生活が、どうして社会的行動を禁ずることがあるのかについて、

 

 

回心はまた新しい生活様式の受け入れであり、宗教は篤信者に常に誘惑を避け、純潔を保つための教育と指針を(会員に)与えてきた。(本書229頁)

 

入会者は信仰を言葉だけでなく、行動によっても表現するということである。(本書230頁)

 

 

と説明し、具体的な事例を列記しています。

 

 

イエズス会の「行動書」には「どのように感じるべきか」という明確な指示まであり、呼吸の仕方や姿勢に関する特別な技術も指示している。…ユダヤ教では、神聖冒罪に罰が科せられ、信者は何を食べてよいか、いつ働いてもよいか、何を着てよいか、明確に定義され、「統制」が行われている。安息日には正統派ユダヤ人はお金を扱うことができず、マッチをつけることもできず、糸を持つことができず、電話を使うことができない。…モルモン教の大多数の男性は、十九歳になると自費で十八カ月間伝道に行く。その期間は家族・友人と離れ、彼らへの電話も禁止され、その代わり一週間に一回だけ許されている手紙に依存しなくてはいけない。映画を見ること、水泳、オートバイ、テレビ、ビデオゲームは許されていない。…ラマダンの期間に回教徒は日中断食をしなければいけない。…カトリックでは四旬節の時は、金曜日は肉食できないし、懺悔の表現として何かを犠牲にしなければならない。(本書229~230頁)

 

 

こういったすべての例を、シンガー博士は、「教会によって操作(統制)された行動」と説明していますが、法廷助言書は、

 

 

教会や社会一般は信仰の熱心な実践行為として(これらの行動を)尊敬し崇めてきたのである。(本書230頁)

 

 

と、反論しています。

 

 

組織批判ができない論理の閉鎖システム?

 

シンガー博士は、「統一教会の中では従順であることが強調され、批判や議論ができない『閉鎖システム』だ」と言っており、ハッサン氏も「思想コントロール」と名づけて、

 

 

メンバーに徹底的な教え込みをして、そのグループの教えと新しい言語体系を身につけさせ、また自分の心を「集中した」状態に保つため思考停止の技術を使えるようにすること…。(『マインド・コントロールの恐怖』118頁)

 

 

としています。

 

これに対し、法廷助言書は、

 

 

宗教の歴史は、教会の教主を中心とする信仰の上下構造に従順に従うことが高貴な義務である、とする例証であふれている。多くの宗教が、信仰深いということは心と体の従順さを必要とすると解釈してきた。(本書231頁)

 

 

としたうえで、次のような疑問をシンガー博士に投げかけています。

 

 

法王無謬論はそのような「閉鎖システム」なので、カトリック教会のいかなる回心も疑わしいものになるのだろうか。破門宣告の脅威の存在は、「洗脳宗教」の証拠なのだろうか。…初期キリスト教会は信者を守るため、いろいろな「異端的」信仰に反対し、その排除のために闘った。とすれば、弟子たちは「マインド・コントロール」に従事したのだろうか。(本書231頁)

 

 

特別な無情報状態が悪?

 

ハッサン氏は、最後の「情報コントロール」を、『マインド・コントロールの恐怖』の中で、

 

 

ある人が受けとる情報をコントロールすれば、その人が自分で考える自由な能力を抑えられる。(『マインド・コントロールの恐怖』114頁)

 

 

と主張しています。これは日々の生活の些細なことに神経を使わず、信仰の中心的事柄に精神を集中するような、宗教の内向的な心の方向性を攻撃する、シンガー博士のいう「特別な無情報状態」に該当します。

 

これに対し法廷助言書は、

 

 

カトリック教会は数世紀にわたって、信者が読んではいけない禁書リストを作ってきた。ということは、カトリックの信者は「洗脳」されたので信仰に入ったのだろうか。…シンガー博士が「特別な無情報状態」と呼ぶものは、信仰者がこの世的出来事による意識散漫状態から逃れて、信仰の中心を求めようとする願いの現れであり、上訴人たちがこの宗教的献身行為の重要な要素を見下し、不信するのは、宗教と宗教の自由への驚くべき冒である。(本書232頁)

 

 

と厳しく論駁しています。

 

 

教団内容の開示の義務?

 

ハッサン氏は『マインド・コントロールの恐怖』の中で、「伝道者は、自分が信じている内容や教団の名称を、初めからすべて教えなければならない」と、開示の義務があると主張しています。すなわち、

 

 

あるグループが信じていることの内容は、それに加入したいと思う人にはだれにでも、制約なく明らかにされなければならない…。(『マインド・コントロールの恐怖』184頁)

 

 

元統一教会員も、「自分を伝道した人が初めから文鮮明師の信者であることを直ちに、正直に述べなかった」、と主張しました。

 

しかし、これに対する法廷助言書の回答は、

 

 

理想的世界においては、彼ら(統一教会の伝道者)もそのようにできたであろう。しかし(初代教会の伝道者)パウロも…最初に自分の正体を明らかにしようとしなかったのは、受け入れられやすい方法で、伝道対象者に対応する必要があると感じたからであった。(本書206頁)

 

 

と統一教会の伝道の仕方に理解を示し、さらに聖書の中からパウロ自身の言葉を引用して、その正当性を裏づけています。

 

 

(わたしは)「ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。律法のない人には……律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんな事でもする」(コリント人への第一の手紙九章抜粋)。(本書205頁)

 

 

法廷助言書は、

 

 

(だから伝道の)課題は偏見や噂によってつくられた先入観の垣根を乗り越えることである。……統一教会員が最初に自分の正体を明らかにしようとしなかったのも、「ムーニー」と呼ばれ、マスコミから悪く言い立てられて形成された偏見に対してそうせざるをえなかったのである。(本書206頁)

 

 

と述べ、さらに、仮に偏見がなかったとしても、

 

 

最初は「個人的な」関係を強めたあと宗教の話題に入り、「自分の経験を、押しつけるよりも、少しずつ提供して、全部明らさまにせずに、謎を残して話していく」のが多くの場合、より説得力があるかもしれない。…効果的な宣教師は、対象者が信仰の意味についてどのくらい理解力をもっているかを計らねばならない。その結果としての会話は、全体を通して見て初めて、宗教としての十分な意味を含むものであってもよい。(本書205~206頁)

 

 

と統一教会の伝道方法が、キリスト教一般の伝道方法と何ら異なるものではないことを明らかにしています。そのうえで、

 

 

結婚しようとする男女は結婚許可証を受け取る前に、お互いの最悪な欠点を述べ合うことを要求されているだろうか。弁護士事務所の雇用担当者は、法学部卒業生に対して面接時、雇用契約の前に弁護士事務所の欠陥や問題点を述べるよう義務づけられているだろうか。海兵隊の志願者募集で、担当士官は訓練キャンプの最悪の悲惨さと、軍隊生活の危険性のすべてを分類して入隊前の志願者に話すよう求められているだろうか。(本書218~219頁)

 

 

と、無数にある市民団体、会社、個人には、開示の義務がないにもかかわらず、何故宗教団体だけが、初めからすべてを明らかにしなければならないというのだろうか、と疑問を投げかけているのです。

 

さらに、こういった考えは宗教を差別するもので、憲法で保障された価値観(信教の自由)を踏みにじるものだと批判しています。

 

 

詐欺的に入会させられた?

 

原告は、伝道者が統一教会の会員であると、直ちに述べなかったことを詐欺的行為だと主張しています。しかし、

 

 

法廷で示された事実によれば、統一教会の名前は上訴人(元信者)たちが入会するずっと以前に明らかにされており、上訴人たちが経済的あるいは、その他の決意をするはるか以前に明らかにされていた。(本書215頁)

 

 

すなわち、入会するはるか以前に、自分が入会しようとしているのが統一教会であることを知らされていたのであり、にもかかわらず、自分で入会を決意したのである。しかも、統一教会への入会を決意した動機は、

 

 

詐欺にかかったからではなく、大昔から回心の動機となってきた「兄弟のような愛」…特別な生活共同体に入る「喜び」などの理由によるものだった。(本書217頁)

 

 

これでは、詐欺を論証するのが困難と感じた原告は、

 

 

過度の影響力が課せられたため、思考能力が損なわれ、次に同意能力も損なわれ(て)(本書241頁)

 

 

入会させられた、と付け加えています。それによると「過度の説得」とは、

 

 

普通でない、不適切な時に交渉の会話が行われる

 

交渉完了は普通でない場所で行われる

 

直ちに決定するようしつこく強要される

 

遅れると大変だと過度に強調される

 

多数の説得者で一人を説得する

 

第三者の助言者がいない(本書241~242頁)

 

 

ということのようです。こうした要因は、科学的根拠のないシンガー博士の「六段階」を別の形で示しただけのものです。これに対して法廷助言書は、

 

 

「普通でない不適切な時」「普通でない場所」というのは何だろうか。もしほかに残された代わりの道は地獄行きであると(説得)したら、要求は「しつこい」というのだろうか。多数で説得するのは宗教的でないのだろうか。教会に入会する人は、第三者の助言や承認がいるのだろうか。回心は、別な人の意見を聞かなければ本当でないというのだろうか。(本書242頁)

 

 

と、原告の要求が、ただ宗教をおとしめるための、こじつけの理論であるにすぎないとしています。

 

原告が統一教会入会を選択したのは、詐欺とは無関係で、今になって入会したことを後悔し、憲法違反の宗教規制を法廷に要求することにより、自身の入会決意と、教会員として行ったすべての行動の責任逃れを果たそうとしているに過ぎないのです。にもかかわらず、

 

 

もし法廷が、こうした詐欺の申し立てを認めるとするならば、入会を後悔する人は誰でも、入会の実際の動機とは関係なく、教会員であった当時の数カ月または数年間のすべての話の内容を詮索して「詐欺的」な話の内容を拾い上げ、損害賠償を請求する可能性がある点を、法定助言者たちは真剣に危惧するものである。…これは憲法に違反して、宗教の規制を計り、成人の入教者が自分の決定に責任逃れすることを可能にしようとするものである。(本書216頁)

 

 

このようなことを認めれば、

 

 

損害賠償を防ぐため教会であれ団体であれ、個人の入会同意を信頼できなくなるし、個人の入会を同意する能力にも信頼をおけなくなる。(本書221頁)

 

 

と、宗教団体そのものが成り立たなくなってしまうことを危惧しています。

 

 

宗教と国家の規制

 

そもそも、伝道のやり方を詐欺よばわりして、損害賠償を請求することは、

 

 

多くの教会に不可欠な宗教行為を、さらに制限することにつながるもの(本書207頁)

 

 

であり、このような

 

 

宣教活動を統制(コントロール)、規制、妨害しようとする努力は宗教の自由の明白な侵犯である。(本書202頁)

 

国家が宗教に対する幅広い、継続した規制を行い、宗教と国家との分離の基盤を取り除こうとするものである。(本書200~201頁)

 

 

そのため、最高裁判決は、

 

 

憲法のもとで、法廷は宗教的集会での説教を承認し、拒否し、類別し、規制し、いかなる形にせよ統制するような能力をもたない。…教会で一人の牧師が信徒に対して話す言葉を説教と呼んで規制の対象にせず、別の教会の牧師の話す言葉を演説と呼んで規制の対象にすることは、間接的にではあるが、ある宗教を他の宗教よりも好む(えこひいきする)ということを意味する。(本書209~210頁)

 

 

と、明確に述べているのです。

 

 

真の宗教、偽の宗教?

 

シンガー博士は、回心が真実か否かを、科学的に明らかにすることができると主張し、原告らの宗教的回心は、「洗脳」の結果であり、「無効」であるというのです。

 

これに対し法廷助言書は、

 

 

統一教会に対する「洗脳」しているという非難は、ほとんどどの宗教をも非難する結果になる。(本書233頁)

 

(こういった)「真実でない」回心という主張はあらゆる宗教の宣教活動を危うくするものである。上訴人たちはある人が信仰を本当に自分で受け入れたのか、それとも何らかの形で「圧力」をかけられて入信させられたのかを、法廷が以前にさかのぼって決定するよう仕向けている。(本書222頁)

 

 

と、その危険性を指摘しています。そもそも、

 

 

憲法は「真理の」宗教と「真理でない」宗教を区別できないように、「真実の」回心と「真実でない」回心を区別することができない。(本書239頁)

 

 

以上、米国キリスト教協議会の法廷助言書が明確に述べているように、真の回心と偽の回心、真の宗教と偽の宗教を、心理学的あるいは科学的に区別することは不可能であり、ましてや、これを法廷が区別することは不可能で、かつ憲法違反であるというのです。ですから、判例(「アメリカ政府」対「バラード」1944年)においても、

 

 

異端裁判はアメリカ憲法と矛盾する。(本書234頁)

 

 

と明言されており、その理由を述べています。

 

 

人は自分で証明できないものを信じることができる。自分の宗教教義や信仰について証拠を示すことを要求されない。宗教的体験は、ある人にとっては肉身生活のように現実であるが、別な人には理解できないかも知れない。しかし、人間の知る範囲を超えたものであっても、法のもとで疑わしいとはいえない。多くの人々は新約聖書から福音を得ている。しかしそれらの人々は、その教えが虚偽の内容を含んでいるかどうかをを決定する陪審にかけて調べられることは全く予期していない。新約聖書の奇跡、キリストの神性、死後の世界、祈りの力などは多くの人々の宗教的確信の根底にあるものだ。もし、敵対する陪審員たちがこうした教義が誤りであると判断し、信者を牢に送るようなことがあれば、信教の自由は全くなくなってしまう。(本書234~235頁)

 

 

だから、

 

 

(米国)憲法の起草者たちは、…政府を設立するにあたって、いろいろな対立する見解にできるだけ幅広い寛容さを与えようとした。神と人との関係は国家の関与することではないようにした。人には自分の好きなように礼拝する権利と自分の宗教的見解の真実性については誰からも問われることがない権利が与えられた。(本書235頁)

 

 

と、国家あるいは裁判所での信仰の妥当性の評価を禁じているのが、アメリカの伝統であるというのです。