『生書』を読む06


第二章 主婦としての続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第6回目である。第4回から「第二章 主婦として」の内容に入った。前回までは大神様が姑のタケさんから受けた様々な試練の物語を紹介し、そのことが教祖伝において果たしている役割を解説した。すなわち、試練が教祖の信仰を固くし、人格を精錬することにより、万人を導く指導者としての資格を得るためのプロセスとなるのである。こうした試練によって教祖は人々を引き付けるカリスマを得るようになる。しかし、ただ単に試練を受けるだけで教祖としてのカリスマが得られるわけではない、そうした試練を乗り越え、さらには試練を与えた人を屈服させてこそ、真の勝利者となることができるのである。そうしたあり方は、大神様の北村家における歩みにも表れている。

 勝利の第一段階としては、大神様が過酷な姑のいじめにもかかわらず実家に帰らず、嫁としての務めを2年、3年と続けられたことが挙げられる。それまでの嫁は半年も経たないうちに音を上げて帰ってしまったのだから、それだけでも大したものである。しかも百姓の仕事を主人以上にこなしながら、大正11年には一人息子の義人氏を出産している。これがまずは嫁として婚家に定着するという勝利の段階である。

 やがて月日が流れると、大神様は農事においても家事においても北村家の大黒柱となっていく。『生書』には、「主人を立て、そして姑に仕え、義人氏を養育し、一町以上の田畑を立派にこなし、家の柱として何の欠点もなく、主婦としての行を務められたのである。」(p.18-19)と記されている。この辺は天理教の教祖である中山みきの歩みにも似ている。みきは13歳という若さで中山善兵衛に嫁いだが、義理の父母にも夫にもよく仕える見事な若妻であったと伝えられる。家事に加えて、男の仕事とされていた田植えや畑仕事なども率先してやり、人の倍も働いたという。奉公人たちの評判も良かったので、みきは16歳で中山家の所帯をまかせられることになる。このように、嫁ぎ先で誰よりも熱心に働き、嫁として認められていくというプロセスは、日本の新宗教の女性教祖の物語においては一つの典型路程となっているように思われる。この段階から、教祖は周囲に影響を及ぼす主体として頭角を現すようになるのである。これは大神様と姑のタケさんの関係においても同様であった。
「十余年間姑に、はい、はいで仕えてこられたが、その頃から、そろそろ姑さん教育を始められた。もう老婆となられた姑のわがままを、手玉に取りだされたのである。機嫌よく仕えられると同時に、間違いは正され、たまにはそのわがままを、がんとやっつけられるようになった。」(p.18)

 姑のタケさんは90歳近くになるともうろくし、手足もきかなくなってきたという。
「昭和十五年、他界されるまでの二、三年間、下のものはたれっ放し、言われることも、すっかりとんちんかんになられた。教祖はこのような姑に対し、嫌がることもなく、下の世話から、何もかもを真心をもって看護をされたのである。

 その状態はおいおいひどくなり、それまで肌身離さず持っておられた貯金の通帳や、財布の守りができなくなって、最後にはそれを実子の清之進氏には渡されずに、嫁サヨさんに渡されたのであった。

 初めは仇のように思っていた嫁に、とうとう命よりも大事な品々を譲られたのである。そして昭和十五年十一月十日、九十歳で死なれた。」(p.19-20)

 大神様自身が、この姑タケさんを「行の相手」として位置づけており、「あの姑あって、初めてわしの行ができ、わしの今日があるのだ。」「恨みが感謝に変わった時、初めて神行の道に入るのだ」(p.20)と語っている。つまり、姑のタケさんによる試練は、自らの位置を確立するために必要なプロセスであったと理解しているのである。

 宗教団体の教祖は、このような試練を乗り越えた勝利したという物語を持っている場合が多い。統一原理においては、このような試練は神に選ばれた中心人物が経なければならないプロセスであるとしており、それはカインとアベルという役割の中で展開されると理解している。

 カインとアベルは旧約聖書におけるアダムの二人の息子の名前だが、この言葉は聖書の人物の固有名詞という以上の意味で統一原理においては用いられている。アダムの二人の息子の中でカインは兄の立場だが、それは悪やサタンを表示する立場である。一方、アベルは弟の立場だが、それは善や神を表示する立場である。長子であるカインが悪を表示しているということは、堕落した世界においては悪がより優位な立場にあり、サタンが主権を握っていることを示している。この兄と弟の立場が逆転することによって、サタンから長子の特権を復帰し、善悪を逆転させることが復帰摂理において必要とされているプロセスなのである。このことを統一原理では「長子権復帰」とか、「サタン屈服路程」と呼んでおり、アベルの立場に立った中心人物が歩まなければならない典型路程であるとしているのである。

 アダムの家庭においては、アベルはカインに殺害されることによって長子権復帰に失敗した。ノアの家庭においては、次男の立場にあったハムはノアと心情一体化することができなかったため、アベルの位置を離れてしまった。創世記においてアベルの立場で初めて長子権復帰に勝利した人物は、アブラハム家庭におけるヤコブである。

 ヤコブは兄であるエサウから憎まれ、一度は殺されそうになるが、ハランに逃げて叔父のラバンから何度も騙される試練を受け、最終的には兄エサウをも屈服させることによってアベルの位置を勝利したのである。神の摂理において中心人物に選ばれた者は、モーセも、イエスも、みな民族の前にアベルの立場に立った指導者であった。彼らはカインである民族から試練を受け、彼らを愛と人格で屈服させなければならなかった。これは武力や権力によって強制的に屈服さるのではなく、アベルはカインの前に「僕の僕」から出発して、僕となり、やがては互いの位置を逆転させて主人の立場に立たなければならない。このように愛と人格によってカインを自然屈服させる道を文鮮明師は「アベルの正道」と呼んでおり、以下のように語っている。
「アベルは、そのサタン世界の底辺に住む僕のような人たちに仕えるようにして、感化させなくてはならないのですから、僕の歴史にいま一つの僕の歴史を積み重ねなくてはならないのです。しかしその場合、サタン世界の僕たちと、天の世界のアベルのどちらがより悲惨な道を歩んだのかを問われる時に、アベルがアベルとして認定されなくてはならないのです。その時にサタン世界の僕たちは、『何の希望ももてないどん底の中にあっても、あなたは希望を捨てることなく、力強く私を支えた』と認めるのです。アベルは『いかに耐え難い時も、信義の理念をもち、愛の心情をもち、天国の理想をもっていたから、最後まであなたを信じて尽くすことができました』と、言えるのです。そこで『地上で自分の生命も惜しまず、愛と理想をもって犠牲的に尽くしてくれたのはあなたしかいません。私は誰よりもあなたを信じ、国よりも世界よりも、あなたのために尽くします』と、なるのです。その認められた事実でもって、初めて『自分はアベルであり、あなたはカインである』と言うことができるのです。アベル・カインの関係はその時から始まるのです。」(『摂理から見たアベルの正道』光言社、p.9-10)
「アベルは、カインに尽くしたあとにアベルとなるのです。互いに相手を尊重しなければなりません。尊重されるためには先に、カインとなる人に尽くすのです。誰よりも信仰心が篤く、誰よりも愛の心情が深く、誰よりも理想的であるという模範を示し、自然屈服させたあとに、カインたちのほうから、『我々の代身となって指導してください』と願われた時、『はい』と答えてアベルになれるのです。」(同書、p.37)

 このような路程は、聖書の中の中心人物のみならず、文鮮明師御自身が歩まれた道である。一つの例としては、北朝鮮の共産政権下の興南監獄において、文師は過酷な重労働を誰よりも率先して行い、「模範労働賞」を授けられただけでなく、命がけで従ってくる弟子を獄中で復帰している。これは文師の愛と人格によって周りの囚人たちが感化され、屈服したということである。

 統一原理の観点から言えば、大神様は北村家において「アベルの正道」を歩み、自らを目の敵にして迫害していた姑のタケさんをカインとして自然屈服させ、北村家における長子権を復帰したことになる。これをもって大神様は北村家における信仰の中心人物として立つことができたので、北村家を基盤として天照皇大神宮教を立ち上げることができたのである。

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『生書』を読む05


第二章 主婦としての続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第5回目である。前回から「第二章 主婦として」の内容に入った。大神様は大正9年11月に田布施の北村清之進氏と結婚しているが、姑のタケさんは部落でも有名な吝嗇家(ケチ)であった。本来なら夫である清之進氏が妻を守るべきであろうが、彼は実直ではあったが小心者で、母タケさんの言いなりになる人であったため、守ってはくれなかったようだ。いよいよ大神様の苦難の路程が始まったわけだが、今回はこの試練が持つ意味について分析したい。大神様はタケさんに仕えた当時のことを説法でよく話されたそうだ。
「わしは、三年間に六人も嫁を取り替えた家に嫁に来たんじゃ。この家の婆さんは我利我利亡者で、五月の田植え前に嫁を取って田植えが済むと、食わすんが惜しい、寝かせるんが惜しいいうて嫁をいびり出す。秋の借り入れ前に嫁を取って、借り入れが終わると、また帰らす。食わせもせん、寝かせもせん……

 秋の夜長に、わしは三時間と寝せてもろうたことはありゃせん。腹一杯食わせてもろうたのは、かぼちゃのすえかかったのを、これを食いなはれ、と言うて勧められたことがたった一回だけじゃったよ。あんまりひもじゅうて蜜柑の皮まで食うたこともある。」(p.15)
「朝は早くから、夜は真っ暗になるまで、野に山に、夕食が済んで十時ごろから夜なべ仕事に俵を編まされる。二枚編むまでは寝られない。もうできたか、と言うては姑が見に来る。泣くようにつらくても、じっと我慢して、激しい疲れや睡魔と闘いながらそれをやられる。翌朝また早く起きなければならない。起きる時、頭の中が破れ鐘のようにガンガン鳴る。これで体がもてるだろうか、と思われることもあった。」(p.16)

 宗教の教祖伝には、教祖がさまざまな試練を体験し、それを乗り越えて勝利者となっていく姿が描かれることが多い。宗教は通常、悩める人々の魂を救済するために存在するので、崇敬の対象である教祖が人々と同じような試練、あるいは常人であればとうてい乗り越えることのできないほどの過酷な試練を乗り越える姿が示される。そしてそれは、信者たちが人生における様々な試練を乗り越えるためのモデルとされることが多いのである。信者たちは自身の試練に立ち向かうとき、教祖が歩んだ試練の物語を励みとし、参考にしながらそれを乗り越えて行こうとする。こうした試練の中でも分かりやすいのが空腹や肉体的な苦痛であり、大神様の歩みにもそうした試練が示されている。

 旧約聖書においては、モーセは40日間荒野で断食をしている。新約聖書においてはイエス自身が40日間の断食を行っているし、荒野でサタンの誘惑に打ち勝っている。そして何よりもイエスが十字架刑という試練を乗り越えて勝利をしたことが、キリスト教における救いの源泉となっている。イエスは「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカ9:23-24)と言われた。これはまさに教祖が歩んだモデルにしたがって、弟子たちが歩むべきだという教えである。釈迦も悟りに至る過程において、6年間にわたる超人的な修行を行っている。断食をはじめ、他の誰よりも苦しい修行を行った後に瞑想し、悪魔の誘惑に打ち勝って悟りを開いたという話は、イエスに通じるものがある。仏教の僧侶たちも、釈迦に倣って修行をする。

 こうした教祖たちは基本的に正しい人であったにもかかわらず、なぜ過酷な試練を受けなければならなかったのかと言えば、それは彼らの信仰を固くし、人格を精錬するためであり、万人を導く指導者としての資格を得るためであった。したがって、使命の大きな人物であればあるほど、試練の激しさも増していくことになる。神は特殊な責任を任せようとする人に対しては、最も厳しく鍛錬される。こうした試練に勝利することによって、教祖は人々を引き付けるカリスマを得るようになるのである。

 大神様が人生において歩んだ道は、天理教の教祖である中山みき(1798‐1887)や大本の教祖である出口なお(1837‐1918)の系列に連なる、日本的な女性教祖の典型路程であると言える。日本には普通の女性がある日突然「神憑り」を体験してシャーマン的霊能者となり、新宗教を創設するという例が多いが、それは苦難の半生と更年期の神憑り体験、修行による霊威の強化というパターンを経ることが多い。大神様における苦難の半生の重要な構成要素の一つが、姑であるタケさんから受けた試練であったが、天理教の教祖である中山みきの試練は主に夫である善兵衛によってもたらされたものであった。

 中山みきは13歳という若さで中山善兵衛に嫁いだが、その結婚生活は苦難の多いものであった。中山家はもともと裕福な家で、地主の若旦那として育った善兵衛はお人好しだがだらしなく、家業にあまり身を入れなかったいう。そのうえ女性にもだらしなかったらしく、みきが完璧な嫁として身を粉にして働いたにもかかわらず、善兵衛が妾を持ったことでみきは衝撃を受けるようになる。それでもみきは自分を押し殺して完璧な嫁の役割を果たすため、夫への怨念、妾への嫉妬の気持ちを抑えなければならなかった。みきは夫の妾である下女に毒を飲まされ、危うく死にかけるのであるが、「神さまが私のお腹の中を掃除してくれた」と言って許したという逸話が残されている。この時代の日本の女性たちは程度の差こそあれ同じような試練を経験していたと思われるが、こうした過酷な試練の中でも嫁として身を粉にして働いたという話は、大神様の路程とよく似ている。それまで仏教の信仰が篤かったみきであったが、こうした自分の境遇を仏教は救ってくれないことに絶望して新しい信仰を求めるようになるのである。みきは夫善兵衛との間に、一男五女(秀司、おまさ、おやす、おはる、おつね、こかん)を授かるが、おやすとおつねが夭折しており、子供を失うという体験もしている。

 日本の新宗教の信者には女性が多い。特に未婚の若い女性よりも既婚の中高年の女性が多いことを考えると、大神様や中山みきはこうした女性信者たちが自己を投影しやすく、試練の乗り越え方の指針を与えてくれるものであると思える。『生書』における主婦としての大神様のストーリーも、天照皇大神宮教の女性信者たちに多くの示唆を与えてきたのではないだろうか。

 一方で、世界平和統一家庭連合の創設者である文鮮明師は男性であり、教祖として通過した試練の内容はモーセ、イエス、釈迦などの男性教祖の歩みに通じるものがある。夫との関係、嫁姑の関係で苦労した女性が更年期に神憑りによって新しい宗教を拓くという日本の女性教祖のパターンとは、試練の内容が異なっているのである。

 文鮮明師の生涯を伝える「主の路程」と呼ばれる講義の中でも、青年期に文師が通過した試練の内容がかなり詳しく描写され、それは文師のメシヤ性を示すストーリーとして信徒たちに受け取られている。初めの試練は、日本留学中に抗日独立運動に加わったことが原因となり、帰国後に京畿道警察部で日本の官憲から受けた拷問である。水責め、飛行機乗り、木の棒を膝の内側にして正座をさせる、指に電極をはめて電流を流すなどの激しい拷問が行われたが、文師は独立運動の同志の名前を最後まで吐かなかったという。

 次の試練は、文師が北朝鮮に渡って宣教活動を行った際の国家権力からの迫害である。文師は「南韓から隠密に派遣されたスパイ」であると疑われ、1946年8月11日に大同保安署に拘束された。「虚偽の言説を流布して社会秩序を乱した」として、革の鞭で打つ、殴る蹴る、三日間眠らせず、食べさせないことを繰り返すなど過酷な拷問を受け、同年11月21日に半死体同然の状態で釈放された。それでも宣教活動を継続した文師は1948年に再逮捕され、「社会秩序紊乱罪」で5年間の強制労働の刑を宣告されるのである。文師が送られたのは北朝鮮政権が政治犯・思想犯を収容するための強制収容所として活用していた興南監獄であり、そこはどんなに屈強な者でも三年間もちこたえられる者はいないというほど過酷な環境であった。そこに5年の刑を言い渡されたということは、死刑宣告に等しかった。過酷な労働と粗末な食事で、多くの囚人が飢えて死んでいく。全部で1500人ほどの囚人のうち、毎月100人前後が死んでいくというのである。その中でも文師は一番難しい仕事を率先してやり、模範労働賞を毎年もらった。

 興南監獄は極度の飢餓状態にあったため、家族が面会にやってきても、その人よりも持って来た食べ物にまず目が行くという状態だった。自分の口は無意識のうちにご飯を食べながらも、人のご飯を恋しがり、自分は食べたことを忘れてしまい、「おれのご飯を誰かが盗んだ」と言って喧嘩を始めるという有様で、囚人の一人が食べながら絶命してしまうと、その口の中のご飯を引き出して食べようと喧嘩が始まったという話を文師は伝えている。まさに豆一つが家一軒、牛一頭の価値に感じるような世界であった。

 その中で文師が実践したのが、「人はパンだけで生きるものではなく、神のみ言葉で生きる」(マタイ4:4)というイエスの言葉であった。どんなに過酷な環境にあっても、何よりも神を愛さなければならない。どうせこのご飯では死んでしまうので、このご飯の半分で生きようと決心したという。そこで配給される食糧の半分は自分が食べて、あと半分は他の囚人に配ってあげ、他者のために生きる精神的喜びで生きることにしたというのである。

 このように文鮮明師が若き日に受けた様々な試練のストーリーは、文師のメシヤ性を示すと同時に、家庭連合の信者たちが人生における苦難を乗り越えるときのモデルとしての役割を果たしている。大神様の試練とは男性と女性の違いや、置かれた環境の違いはあるものの、教祖の試練の物語が信仰生活において果たす基本的な役割は同じであると言えるだろう。

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『生書』を読む04


第一章 大神様の生い立ちの続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第4回目である。前回から、「第一章 大神様の生い立ち」に入った。『生書』に描かれている教祖像の特徴は、浮世をよそにした大自然の懐に抱かれた純朴な農村の質朴な農家に誕生したが、誕生にまつわる神秘的な出来事は何一つなく、幼いころから男勝りの性格で、肚の据わった、ものに頓着しない子供だった、というものだ。ある意味では、この頃から後に教祖として頭角を現す片鱗を早くも見せていたとも言えるであろう。幼少期から結婚するまでの記述は短くてシンプルである。
「小学校を卒業された教祖は、女に学問をさせると虚栄心が強くなるから、女学校にはやらないという長蔵氏の意見で、女学校には行かれず、家事、農業を手伝う傍ら、当時近所の娘たちが通う、手芸、裁縫などを教える私塾に三年間通われた。」(p.7)

 現代のフェミニストが「女に学問をさせると虚栄心が強くなる」などという言葉を聞いたら怒り出しそうだが、当時としては普通の考えだったのであろう。このように教祖が高等教育を受けていないことは、天照皇大神宮教の性格に少なからず影響を与えたのではないかと思われる。その教えは知的な体系を持っているわけではなく、エネルギッシュで迫力ある平易な言葉で語られている。大神様は自分のことを「尋常六年しか出ていない百姓の女房」とか「おんなヤクザ」と呼んでおり、どこか反知性的な性格を持っていたと思われる。そのため、天照皇大神宮教では「経文や本で宗教を勉強して、頭に知識を入れる時代は終わった」とか、「知識や頭脳で悟ろうとする時代は終わった」として、経典の知識を蓄積する職業的宗教家も必要ないと教えている。小説家の藤島泰輔氏は、大神様について「土俗性というか、土の匂いのする方」であるという印象を語っている。その言葉通り、大神様は生涯質素な生活を貫いた純粋な宗教者であった。それがこの教団と教祖の魅力の一つであり、そのことに好印象を持った知識人は多かった。

 ここで『生書』は当時の時代背景と教祖の歩みを以下のように対比させている。
「明治三十三年、呱々の声を上げられてから、大正九年、北村家に嫁がれるまで二十余年間、世界の舞台は明治から大正の時代へと変転し、第一次世界大戦の勃発等、次から次へと慌ただしい年月となり、二十世紀の文明科学の世も、まさに黄金時代を出現させんとする時期とはなったが、これら慌ただしい歴史の動きを遠く離れ、大自然の懐に抱かれながら、教祖はその青少年時代を過ごされたのであった。」

 大神様の青少年時代には、人生の問題について深く悩んだとか、社会問題に対して関心や疑問を持ったというような形跡が見られない。田舎の娘として純粋に育ったということだけが記述されている。大神様が教祖として目覚めるのはずっと後のことであるが、少なくともその時までには自分の周辺の社会問題に対して関心を持ち、その解決のために自分が何かをしなければならないという使命感、召命感を持っていたとは思われない。大神様が教祖として立ち上がっていく動機の背景にあったのは、結婚後の生活であった。

 一方で、文鮮明師の青年期は大神様に比べるとはるかに悩みや葛藤に満ちたものであり、そのことが教祖として立ち上がっていく動機に直結している点で大きく異なっている。文師の故郷も大自然の懐に抱かれた田舎であり、農村で育った点は共通しているが、周辺の社会環境は大きく異なっていた。それは韓国が日本の植民地にされていたことが深く関係している。文鮮明師は自分の青少年時代について以下のように語っている。
「私が偉大な博士となり、有名になれば、何不自由なく、富貴栄達で過ごせる。しかし、それが私にとって何なのか。数多い不幸な人間に対して何の意味を持つというのか。私がなさなければならないのは、何であろうか。労心焦慮するうちに、人生の目的や、これからなさなければいけない仕事の輪郭が浮かんできた。全人類のこの苦痛、この不幸、この悲劇、この罪悪から解放する仕事。この仕事に責任をもって、引き受ける立場、位置があるに違いない。」
「先生の出生と少年時代は本当に不幸で悲劇的なものであった。それは先生一人が経験した環境ではなく、当時に生まれついたすべての韓国人たちの悲しい運命でもあった。五千年の悠久なる歴史を持つ韓国であったが、国力が衰退しながら日帝の侵略を撃退できず、彼らの支配下で人間以下の生活をするしかない時代だったからである。」
「少年期の感性は非常に鋭利であり、鋭敏なものである。まだ小さい時であったけれども、周辺で起こっている環境の変化に対してたくさんのことを考えながら、そうならざるを得なかった理由を知ろうと努めた。その時、先生の気運を前に立てて、不幸な環境に暴力で立ち向かおうとしたなら、・・・・・・恐ろしい組織を持った頭目ぐらいにはなったであろう」(1982.10.17)

 文鮮明師の青少年期は、『生書』にみられる大神様の記述に比べれば悲壮感が強く、このことと文鮮明師が教祖として立ち上がっていく動機となった「神の召命」の体験が15歳という若年であったことは、深く結びついていると思われる。すなわち、順風満帆の人生を歩んでいる人が神の啓示を受けて教祖になるということは考えにくく、必ず何らかの苦難に直面しなければならないのである。大神様の場合には、それが青少年期ではなく、結婚後に中年になった頃に訪れたということである。

第二章 主婦として
 
 ここから『生書』の「第二章 主婦として」の内容に入る。

 大神様は大正9年11月に田布施の北村清之進氏と結婚している。二十歳の時であった。ちなみに、同じ年の春に文鮮明師が誕生している。

 第二章の冒頭で『生書』はしばらくの間、田布施の土地柄について説明している。現在の田布施は小さな農村に過ぎないが、干拓して田んぼとする前は瀬戸内海の大きな入り江であり、大陸との交通の要衝であったこと、多くの仏教寺院が栄え、地方政治の中心地でもあったことなどが紹介され、ちょっとした「お国自慢」が展開されている。

 教祖が嫁いできた北村家は、『生書』では天照皇大神宮教の本部道場になっていると記述されているが、1964年に現在の本部道場が竣工された後は「旧本部道場」となっている。私が2019年の6月に天照皇大神宮教本部を宗教新聞の取材で訪問した際には、この旧本部道場にも案内してもらった。「天照皇大神宮教・神の国建設・精神修錬道場・本部」という看板は『生書』の記述のままであった。

天照皇大神宮教旧本部道場

天照皇大神宮教旧本部道場(2019年6月22日筆者撮影)

 『生書』によると、北村清之進氏は16~7歳のときにハワイに移民し、そこで10年間働いて財を成し、27歳のときに帰国してここに家を建てたという。その母屋が、後に大神様が説法をされる本部道場になったというわけだ。

 清之進氏が徴兵で満州に行っている間に、父である吉松氏が明治44年に亡くなると、家に残ったのは教祖とその姑に当たるタケさんだけになった。このタケさんは部落でも有名な吝嗇家(ケチ)であった。この話は島田裕巳氏や上之郷利昭氏の著作でも紹介されている有名な逸話である。
「来る嫁も、来る嫁も、このお婆さんの気に入らず、農繁期が済むと、いじめて追い返すのであった。教祖サヨさんがお嫁に来られた時は、もう五人の嫁が同じ運命をたどった後であった。つまり六番目の嫁として迎えられたのである。」(p.13)

 いまであれば考えられない話だが、当時はそういうこともあったのであろう。本来なら夫である清之進氏が妻を守るべきであろうが、彼は実直ではあったが小心者で、母タケさんの言いなりになる人であったため、守ってはくれなかったようだ。
「このような家庭に迎えられた、教祖サヨさんの新婚生活は、近頃の若い人々が夢見るような結婚生活とは似ても似つかぬものであった。世界一難しい姑といっても過言でない姑に仕え、小心者の夫君のご機嫌をとり、一町以上の田畑の仕事をやりきってゆかねばならない主婦サヨさんの行は、並たいていのものではなく、断じて常人のよくするところではなかった。」(p.14)

 いよいよ大神様の苦難の路程が始まったわけだが、そのことの持つ意味については次回に分析したい。

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『生書』を読む03


第一章 大神様の生い立ち

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第3回目である。今回から、「第一章 大神様の生い立ち」に入る。教祖伝が教祖の誕生の物語から始まるというのは、新約聖書の福音書もそうであり、決して珍しいことではない。

 大神様は西暦1900年(明治33年)の元旦に、山口県玖珂郡日積村大里の一農家に生まれたとされる。世の中では義和団事件が起こるなど様々な出来事があったが、そうした変遷から取り残されたような田舎に生れたことが『生書』では強調されている。

 父の名は浴本長蔵、母の名はウラといい、その四女として大神様は生まれている。長蔵氏は浴本家に養子で入った立場であり、ウラさんも他家から入籍した、いわゆる取り子取り嫁であったことなどが簡単に書かれている。いわゆる教祖伝としては特徴的なのが、誕生にまつわる神秘的な出来事が一つもないことである。ある意味ではすがすがしいまでに、何の変哲もない田舎の農家に大神様は誕生したと書かれているだけである。

 これはキリスト教におけるイエス誕生の物語と比較すると分かりやすい。そもそもイエスは母マリヤが身ごもる前に、天使ガブリエルから「受胎告知」を受け、主が共におられること、男の子が生まれてイエスと名づけるべきこと、その子は王位につき、聖なる者、神の子と呼ばれることなどが天使の口を通して語らている。さらに誕生時には東方から三人の博士たちが星に導かれてイエスのもとを訪ねてきて、母マリアと一緒にいた幼子イエスを見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物として捧げたとされている。イエスが誕生して40日後にエルサレムの神殿を訪れたときには、篤実なユダヤ教徒であるシメオンとアンナが幼子を見るなり、この方こそ待ち望んだ救い主であると証しをしている。

 さらには、「ユダヤ人の新しい王となる子」がベツレヘムに生まれたと聞いて怯えたユダヤの支配者ヘロデ大王が、ベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させるという出来事も起こっている。これはこの世の支配者がメシヤを恐れることを示すストーリーであり、その意味では神秘的な出来事と言える。このようにして見ると、新約聖書はイエスの誕生に関わる神秘的な出来事を数多く記載していることが分かる。これはイエスが普通の人間ではなく、特別な神の子であり、救い主であることを証しする目的で書かれている。すなわち幼子は生まれたときから特別な存在であり、神格化されているのである。そもそもキリスト教ではイエスは処女マリヤから生まれたとされており、普通の人間ではないのである。

 釈迦の誕生時の伝説としては、母マーヤーの右脇から生まれ出て7歩あゆみ、右手を上に、左手を下に向けて、「天上天下唯我独尊」と言ったという物語がある。これも通常ではありえない神秘的な話である。

 実は家庭連合の修練会で語られる「主の路程」と呼ばれる講義案の中にも、文鮮明師が誕生した村では、金色の鳥が三年前から飛来して泣いたとか、母親がお腹に龍が入る夢を見たとか、家の周囲の林にクモの巣のようなものが張り巡らされてサタンが妨害したとか、神秘的な出来事が語られ、それらがメシヤ誕生の前兆であったと理解されている。

 このように一般に教祖伝では、教祖の誕生に際して神秘的な出来事が起きたことを記述することにより、教祖が特別に神から選ばれた存在として誕生したことを証しすることが多いのであるが、『生書』の大神様にはそうしたことが一切ないのである。こうした教祖像は、天照皇大神宮教の特徴の一つであろう。

 父親の長蔵氏は、「短期は激しい気性の人で、義侠心が至って強く、部落、他部落の人々から敬愛され、まじめで分別のある人であった。」(p.4-5)とされ、母親のウラさんは「優しく女らしい、すこぶる信仰心のあつい人で、度々寺に参ってよくその世話をされた。」(p.5)とされている。実直な人柄ではあるが特別な宗教的カリスマがあるわけでもなく、高貴な先祖を持つ由緒ある家柄というわけでもなく、飛び抜けた能力や力を持つわけでもない、ごく普通の父母であるが、「その家庭は、誰も陰日向のない互いに開けっ放しの気軽さで、明るい家庭であった」(p.5)とされている。「サヨ教祖は純然たる片田舎の一農家に誕生し、結婚されるまでそこで生い立たれたのである」(p.5)と言い切っているのである。

 『生書』では、「純朴な農村」「浮世をよそにした」「大自然の懐」「質朴な農家」が大神様が成長された環境であることを強調している。ここに天照皇大神宮教の価値観が表れていると思われる。すなわち、大自然の中で素朴で純粋に育ち、土地と共に汗を流して働いて生きる姿こそが、人間の本来の姿であると考えているということだ。その意味では、都会での豊かな暮らし、資本主義と経済成長、工業化や情報化といった近代的な価値観とは真逆の価値観であると言える。

 文鮮明師の生家も、韓半島の平安北道定州郡(現在の北朝鮮)の農村であり、似たような環境で育ったと言える。文家の家風を表すエピソードとしては、曾祖父の文善玉氏が人に食事を振る舞うことを無上の喜びとしたという話が残っており、文鮮明師の自叙伝には「『八道江山(全国)の人に食事を振る舞えば、八道江山から祝福が集まる。』これが亡くなる際に遺した言葉です。そんなわけで、わが家の奥の間はいつもたくさんの人でごった返していました。『どこそこの村の文氏の家に行けば、ただでご飯を食べさせてくれる。』と村の外にまで知れ渡っていたのです。母はやって来る人たちのつらい世話をてきぱきとしながら、不平を一度も言いませんでした。」(『平和を愛する世界人として』P.21)と記されている。

 文鮮明師の幼少期も、大自然に恵まれ、両親から愛されたという点では大神様と共通点がある。自叙伝の中にも、自然から平和について学んだという話が出てくるし、父親の背中で平和の味を知ったという逸話も出てくる。
「山で跳び回っているうちに、そのまま眠ってしまったこともよくあります。そんな時は、父が森の中まで私を捜しに来ました。『ヨンミョン!ヨンミョン!』という父の声が遠くから聞こえてくると、眠りながらも自然と笑みがこぼれ、心が弾みました。幼少の頃の私の名前は龍明(ヨンミョン)です。私を呼ぶ声ですぐに目が覚めても、寝ているふりをして父に背負われていった気分、何の心配もなく心がすっと安心できる気分、それこそがまさしく平和でした。そのように父の背中に負われて平和を学びました。」(『平和を愛する世界人として』P.15)            

 『生書』はサヨ教祖の幼少時の性格として、「男勝りの方でした。本当に頓智のよい面白い方で、女ながらに木登りなども上手で、また、よくケンカもされた。」(p.6)とか、「肚の据わった、ものに頓着しない方だった」(p.7)などと述べている。後に教祖として頭角を現す片鱗を早くも見せていたと言えるであろう。

 一方、文鮮明師の幼少期の性格としては、「あらゆる部門に素質、好奇心と探究心が旺盛」「自然を愛する、冒険好き」「鋭い洞察力、観察力、直観力」「正義感が強い、負けん気、忍耐強い」「(度が過ぎるほどの)奉仕好き」「情が豊かで深い、情にもろい」「リーダーシップと統率力」といったことが「主の路程」の講義では語られる。村人たちは文少年のことを「将来、良くなれば王様になり、悪くなれば逆賊になる。」と評価していたという。これもある種の教祖的な性格を子供のころから備えていたと言うことができるであろう。

 女性と男性という違いはあるものの、大神様と文鮮明師の生い立ちと育った環境、そして幼少期の性格には、多くの共通点があると言える。

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『生書』を読む02


「序」の続き

 前回より、日本の新宗教研究の一環として、天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るというシリーズを開始した。初回である前回はこのシリーズを始めることにしたいきさつや、私の立場について解説した後に、「序」の内容に入った。『生書』が書かれた時代背景の話をしたところで前回は終了した。今回はその続きである。

 実際に『生書』を読んで思うのは、天照皇大神宮教に対するキリスト教の影響ということである。島田裕巳は著書『日本の10大新宗教』の中で、天照皇大神宮教の教えは「神道と仏教の教義の素朴な寄せ集め」(p.92)であると言っている。教えの言葉にも神道や仏教を背景とした用語が多く、大神様の実家が浄土真宗であることや、初めの神憑り体験が真夜中に神社に日参する「行」を行っていたときであることから、直接触れていた宗教伝統は仏教と神道であったと思われ、キリスト教との接触はなかったかのように語られている。しかし、それにしてはキリスト教の影響を否定できないような要素が多いのである。

 「絶対神天降られて、世の初めが来たのである。」(p.1)という言葉はメシヤの降臨を思わせ、「ヨハネによる福音書」の冒頭を彷彿させる。大神様が神そのものの顕現であるとされているのと同様に、キリスト教においてはナザレのイエスこそは神ご自身が人となってこの世に顕現された方であると信じられている。「いっさいの正しからざる者は神の審判を受け、真心ある者は神にめとられて、神の子に再生する時が来たのである。」(p.1)という言葉は、キリストの再臨に伴う最後の審判とメシヤによる新生というテーマに通じている。「真心ある者は神にめとられて」という表現は、神と信仰篤い信者たちとの婚姻関係を示唆しているが、キリスト教にもクリスチャンたちは性別を問わず「主の花嫁」であるという考え方がある。「神の福音を伝えるための書である。」という『生書』の位置づけは、新約聖書の「福音書」とまったく同じである。

 天照皇大神宮教の集会では、最後に「祈りの詞」というものを揚げるが、その中には「神国(みくに)を与えたまえ」というキリスト教の主の祈りにそっくりな言葉がある。天照皇大神宮教では、大神様と釈迦とキリストを、宇宙絶対神に使われた三人の救世主であると認めている。なぜか、マホメットと孔子は入っていないのに、イエス・キリストは救世主として認めているのである。キリスト教を敵対視していたり、何の興味も抱いていないのであれば、このような表現が出てくるとは考えづらい。少なくともキリスト教に対する敬意を持っていなければ、このようなことは言わないはずである。

 そもそも『生書』という経典の名前自体が、『聖書』をもじったものではないかと考えられる。天照皇大神宮教の教えには、仏教で説く「六根清浄」によく似た「六魂清浄」、「南無妙法蓮華経」によく似た「名妙法連結経」などの言葉が登場する。天照皇大神宮教を批判する者たちは、これらを既存の仏教用語を勝手にもじった造語に過ぎないと言って批判しているが、これに対して天照皇大神宮教側は、たまたま音が似ているだけでまったく無関係であると反論している。既に前回のシリーズで述べたように、私はこの論争でどちらか一方に与するつもりはないが、神の福音を伝えるための書である『生書』が、キリスト教の『聖書』にヒントを得たものである可能性は十分にあるとだけ言っておこう。

 『生書』の序文が書かれたのは、大神様が道を説き始めてから5年余の歳月が流れたころであるとされている。教祖の存命中に、しかも活動を始めてから5年程度で経典の編纂が始まり、第一巻が出版されたというのは、かなり早い段階から教えの文書化・体系化が始まったと言ってよい。文鮮明師の場合には、公的な布教活動を始めたのが1945年で、『原理原本』を執筆したのが7年後の1952年である。『原理原本』は公的に出版されなかったが、『原理解説』が韓国で出版されたのが1957年(12年後)であり、『原理講論』が出版されたのは1966年(21年後)である。文師はこの間に北朝鮮の興南収容所で獄中生活を送ったり、朝鮮戦争の勃発に伴う避難生活を送るなどの激動の人生を歩んでいるため、単純には比較できないが、教えの文書化・体系化という点で天照皇大神宮教がかなり速かったということは言えるであろう。

 『生書』と『原理講論』は終わりの部分がよく似ている。第一の共通点は、これは真理全体ではなく、その一部を弟子たちが編纂したものであるとして、書物としては完璧でも完全でもないことを認めている点である。
「しかしながら神言、神業は、時と所と相手次第で、まことに自由無碍であり、かつ神教は時とともに、より深く、より広くなり、人知をもって計り知ることができないものである。したがって過去における大神様の御足跡、御説法のすべてを、この一書に網羅することはとうてい不可能である。また編者の微力の致すところ、かえって御神徳を傷つけることなきかと、恐懼するものである。」(『生書』p.2-3)
「ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。」(『原理講論』三色刷、p.38)

 第二の共通点は、それでも真理の言葉が明らかにされ、一冊の本にまとめられたことは良いことであるとされ、み言葉が全世界に述べ伝えられ、人々の救済に役立つことを願っている点である。
「ともあれ、大神様のご指導と、同志一同の真心からなる協力とにより、神教、御足跡の大要をここに収録し得たことは、やはり神のご配慮の賜物と深く感謝するとともに、本書の発刊により、一日も早く神の国が建設されんことを祈念してやまぬ次第である。」(『生書』p.3)
「暗い道をさまよい歩いてきた数多くの生命が、世界の至る所でこの真理の光を浴び、蘇生していく姿を見るたびごとに、感激の涙を禁ずることができない。いちはやくこの光が、全世界に満ちあふれんことを祈ってやまないものである。」(『原理講論』三色刷、p.38)

 最後に、『生書』と『原理講論』の書物としての性格を比較してみたい。まだ通読したわけではないが、『生書』の目次をざっと見て分かることは、これは教団の公式な「教祖伝」であるということだ。新約聖書の「福音書」に比べると、分量がずっと多く、記述が詳細であり、正確な年月日が記されており、4つに分かれているわけではないという違いがあるものの、教祖の誕生から始まって死に至るまでの生涯について記述しているという点では、『生書』は福音書に近いと言えるだろう。

 一方で、『原理講論』はキリスト教でいえば組織神学に当たる教理の解説書であり、文鮮明師の生涯については何も語っていない。旧約聖書や新約聖書を引用しながら、創造、堕落、終末、メシヤ、復活、予定といった具合に組織神学のテーマとなっているような議論がなされているのである。

 家庭連合の修練会でいえば、『生書』は「主の路程」に該当するものだ。考えてみれば、家庭連合には文鮮明師と韓鶴子総裁の「自叙伝」はそれぞれ存在するが、公式な「教祖伝」が存在しない。それに最も近いのが『真の父母様の生涯路程』になるだろうが、これは文鮮明師が自分の生涯について語った言葉を編纂したもので、第三者が客観的な立場からまとめた「教祖伝」ではない。修練会で語られる「主の路程」は口伝のようなものであり、講師によって強調点が異なる非公式なものである。どうして家庭連合には公式な「教祖伝」が存在しないのか、『生書』を読んで改めて疑問に思うようになった。これもまた一つの発見である。

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『生書』を読む01


 今回より、日本の新宗教研究の一環として、天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るというシリーズを開始する。以前に私はこのブログの中で「北村サヨと天照皇大神宮教シリーズ」と題して12回にわたって連載したことがった。このシリーズはその続編に当たるが、前シリーズの第1回で私は以下のように書いている。
「一つの宗教団体について研究する際には、まずはその教団が出版している文献に目を通し、その教団の自己理解に沿って捉えようとするところから出発するのが正統的なやり方である。ところが、天照皇大神宮教の教えを表現している『生書』や『天聲』は市販されておらず、部外者には入手が困難である。そこで研究の資料としては、客観的な記述であると定評のある『新宗教辞典』(弘文堂)によって基本的な事実を抑え、さらに島田裕巳著『日本の10大新宗教』(幻冬舎)、上之郷利昭著『教祖誕生』(講談社)に記述されている内容に基づいて分析することとした。」

 つまり前回のシリーズを書いたときにはオリジナルの経典を手に入れることができなかったので、それを直接読まずに第二次資料に基づいて書いたわけだが、今回は経典が手に入ったので改めて研究しようということだ。

 私が『生書』を手に入れたのは、2019年6月22日に『宗教新聞』の取材に同行して、山口県田布施にある天照皇大神宮教本部を訪問したときのことである。教務と総務の2名の方に道場を案内していただき、天照皇大神宮教の教えについて丁寧に説明していただいた上で、最後に『生書』全4巻を贈呈された。心より感謝したい。非信者の方が『生書』をどのくらい読むのかは不明だが、とりあえず私は家庭連合の信者の中で『生書』を読破した第一号となることを目指したい。

 初めに、私が『生書』を読む立場について述べておきたい。私は天照皇大神宮教の信者ではないので、それを読んで述べることは「非信者の感想」ということになる。しかし、教義をことさらに批判しようと思って読むわけではなく、基本的に他宗教の教えに対する敬意を払いつつ、自分の信仰と比較しながら客観的に読もうということである。したがって、信者の方々が読めば、教えに対する理解不足からくる失礼な表現が含まれてくるかもしれない。一方で、私自身が世界平和統一家庭連合の信仰を持っているため、神仏をまったく信じない無神論的な立場から『生書』を読むわけではない。したがって、神に対する信仰や教えに対しては概して好意的で共感的な立場から読むことになる。家庭連合の教えと相通ずるものがあれば積極的に評価し、逆に相反するものがあれば疑問を呈するということになるであろう。

 こうした立場をとりつつも、最も難しいのが天照皇大神宮教の教祖をどのように呼ぶかという問題である。『生書』の中で北村サヨ氏は一貫して「大神様」と呼ばれている。これは家庭連合の中で文鮮明師が「真のお父様」と呼ばれ、韓鶴子総裁が「真のお母様」と呼ばれているのと同様の信仰告白に近い呼称である。先に紹介した外部資料である『新宗教辞典』、島田裕巳著『日本の10大新宗教』、上之郷利昭著『教祖誕生』などでは、すべて「北村サヨ」と呼び捨てにしている。しかし私自身の感性としては、「『生書』を読む」というタイトルで書く以上、呼び捨てにするのはあまりにも失礼ではないかと思う。それは私自身が、たとえ外部の人の記述であったとしても「文鮮明」と呼び捨てにされるのは気持ち良くはないからである。

 そこで私は天照皇大神宮教の教祖北村サヨ氏を「大神様」と呼んでこのシリーズを執筆することにした。その理由は、『生書』における呼称と一致させることにより、その信仰世界に飛び込んで、内在的な理解をしようとするためである。したがって、このシリーズにおいては、「大神様」とは北村サヨ氏のことを指すのであるとご理解いただきたい。

 このシリーズは『生書』を一通り読み終えた後に書き始めるのではなく、第一巻から読み進めながら、その時々に感じたことをつれづれなるままに書くというスタイルで続ける予定である。したがって、先を読み進めれば分かるはずの疑問を、そのときに感じたままに書いてしまうということがあり得る。そこは、私自身の理解が時と共に深まっていくのであるとご理解いただきたい。当然、シリーズが最終的に何回になるかも現時点では予想できない。そうした前提のもとに、第一巻の「序」の部分から読み進めていきたい。

<「序」>

 『生書』は「二十世紀もその半ばを過ぎ、文明科学の世はその極に達しつつある現在、人類は再び避けようとして避けられぬ戦禍に見舞われんとしている。神を忘れ、神に背き、真の宗教を失った人々のたどるべき運命である。」(p.1)という言葉をもって始まっている。

 冒頭から、それがいつ頃に書かれたのかが分かる記述である。この序文の最後には「紀元六年四月」と記されており、奥付の初版発行は「紀元6年7月22日」となっている。天照皇大神宮教では、昭和21年1月1日に神の国開元を宣言し、その年を紀元元年としている。以来、教団ではこの紀元で年を表現しているので、紀元6年とは一般の暦では昭和26年、1951年を指す。まさに20世紀が半ばを過ぎた年である。

 いかなる宗教の経典も、それが書かれた時代の空気を吸い、その影響のもとで書かれる。1951年と言えば、まだ第二次世界大戦の記憶が生々しく残っている時代であり、同時に東西冷戦が激化する中、1950年には日本の隣国で「朝鮮戦争」が勃発した直後である。1953年に休戦協定が結ばれるまでは実質的に戦争状態にあったのであるから、こうした国際情勢を背景とすれば「人類は再び避けようとして避けられぬ戦禍に見舞われんとしている」という記述は、当時の空気としては十分に理解できる。

 私も「冷戦時代」をリアルタイムで生きた世代ではあるが、第二次世界大戦は経験していない。やっとの思いで敗戦の絶望を乗り越え、平和な世界を願っていた当時の良心的な日本人にとって、東西冷戦の緊張度が増し、「朝鮮戦争」という形で具体的に火を噴いたという現実は、人類の未来には希望がなく、またしても戦争を繰り返すのではないかという危惧を抱いたとしても不思議ではない。

 イエス・キリストはマタイ伝24章において、「世の終りには、どんな前兆がありますか」と弟子たちから尋ねられ、「戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。」(マタイ24:6)と答えている。戦争は人類が経験する究極的な苦難の一つであるため、戦争の不安は一種の終末論的な雰囲気を醸し出す。それは人々に人間の愚かさや自分自身の無力を実感させ、何か神の決定的な介在なしには人類に救いはないという信仰を生み出すか、少なくともそれを助長するのである。『生書』がそのような時代背景から生まれたことは、その冒頭の言葉からも明らかである。

 世界平和統一家庭連合の教理解説書である『原理解説』は、『生書』より6年遅れて、1957年8月15日に韓国で出版された。それがより発展して『原理講論』として出版されたのは1966年である。当時の韓国の状況は、日本による植民地支配から解放されたかと思ったら、「朝鮮戦争」によって国土が焦土と化してしまったという絶望的な状況にあった。そして「東西冷戦」という当時の状況は、『原理講論』の神学的体系にも決定的な影響を与えている。『原理講論』の「世界大戦論」においてサタン側の再臨主型人物とされているのはソ連のスターリンだったのである。

 『生書』と『原理講論』は、第二次世界大戦が終了し、東西冷戦が深刻化しつつある世界という、同じ時代背景の中で書かれた書物であると言える。それは真の平和は人間の手によっては成されず、神の御言葉に従い、神の力に寄らなければ実現できないという、終末論的なメッセージなのである。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』207


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第207回目である。

本書全体に対する評価のまとめ(最終回)

 先回で本書全体のまとめにあたる「おわりに」の内容に対する批判的分析を終えたので、今回は櫻井氏の研究と中西氏の研究の関係、および本書に対する総合的な評価を行うことにする。2016年3月16日に開始して以来、途中何度かの休憩を挟んで、4年以上の歳月を費やして書き続けたこのシリーズも、今回が最終回となる。

 初めに、研究の前提となる櫻井義秀氏と中西尋子氏の「立場性」の問題に触れておきたい。本書は客観的で価値中立的な統一教会の研究ではなく、批判的立場からの研究である。しかし、両者ともに最初からそうだったわけではなく、もともとは客観的で価値中立的な研究をしていたのだが、途中から批判的立場に「転向」したのである。そしてその理由は両者ともに「統一教会を利するような研究結果を発表するとは何事か」というバッシングを受けたことが原因である。

 櫻井氏は1996年に北海道社会学会の機関紙『現代社会学研究』に「オウム真理教現象の記述を巡る一考察ーーマインド・コントロール言説の批判的検討」という論文を発表しているが、その内容は基本的に「マインド・コントロール理論」を否定するものであった。これが札幌における統一教会を相手取った「青春を返せ」裁判の弁護団から、「あなたの論文が統一教会擁護に使われている」と批判されたため、その影響で立場を変えたのである。これは本書における天地正教に関する記述にも影響を及ぼしている。

 一方、中西氏は韓国で別テーマの研究をしていときに偶然、農村に嫁いだ統一教会の日本人女性に出会った。彼女はその女性たちに好感を持ち、礼拝に参加したり、インタビューをしながら研究を続け、その成果を「宗教と社会」学会で、「『地上天国』建設のための結婚:ある新宗教団体における集団結婚式参加者への聞き取り調査から」と題する論文として発表した。しかし、その会合に出席していた統一教会に反対する弁護士たちから「統一教会を結果として利するような論文を発表していいのか」と徹底的に糾弾され、その圧力に屈してしまったのである。

 このように、いまの日本の宗教学界では少しでも統一教会に有利なことを書こうとすると、たとえその内容が客観的で中立的なものであったとしても、統一教会に反対する人たちから圧力がかけられ、批判的な論調に「転向」させられてしまう。要するに、これは純粋な「学問的正しさ」の問題ではなく、「政治的正しさ」の問題なのである。

 こうした宗教学者の「転向」は、オウム真理教事件のトラウマとして理解することができる。オウム事件が起きたとき、新宗教に対する共感的な理解を試みた一部の宗教学者たちが、「オウムの中に潜む闇を見抜くことができなかった」と批判されるようになり、島田裕巳氏はそのことが原因で日本女子大学を退職せざるを得なくなった。オウム事件が日本の新宗教研究に残したトラウマはあまりにも大きく、いまだにそこから立ち直っていないと言っても過言でないほどである。それと同様の圧力が、統一教会を研究する際にも働くということだ。

 櫻井氏や中西氏が恐怖心を感じているのは、統一教会に対してではなく、統一教会反対派から「統一教会に対して好意的すぎる」「統一教会に有利な内容を書いた」というバッシングを受けることである。社会的影響力を持つ統一教会反対派に睨まれたら、学者生命が危機にさらされる。それ故に彼らは、統一教会反対派とあえて癒着することによって、安全圏から統一教会を攻撃するという研究方法を選択したのである。これはある意味でオウム真理教事件以降の新宗教研究者が取るようになった、一つの処世術であると言ってよいであろう。

 本研究における櫻井氏の「立場性」は、自分が行った調査の主たる対象が「脱会カウンセリングを受けた脱会者」であり、自然脱会者を除外している理由を述べている部分に実に鮮明に表れている。
「自然脱会の場合、統一教会への思いは両義的であることが多く、再び統一教会へ戻る元信者もいるので、統一教会に対して批判的な立場から調査を行う筆者とは利害関係において合致しないと思われる。」(p.199)

 これは驚くべき発言である。櫻井氏は統一教会について調査をするときに、自分と利害関係において一致しない対象は排除するというのである。はたしてこれが学問的な調査と言えるであろうか。櫻井氏の調査対象としては、統一教会に対して両義的な思いを持っている人は失格であり、批判的な思いをもっている人しか調査しないというのであるから、これはまさに「結論ありき」の調査であると言える。元信者が統一教会に対して両義的な思いを持っているのであれば、それを事実通りに記述するのが学問的な調査というものではないだろうか。最初から偏ったデータを求めて調査しているという点で、もはやこれはイデオロギー的な調査か、プロパガンダ用の調査としか言いようがない。

 次に、櫻井氏の研究の方法論的な問題点をまとめることにする。櫻井氏の研究の主要な情報源は、統一教会に反対している牧師、脱会カウンセラー、弁護士などのネットワークである。そこは元信者の宝庫であり、「青春を返せ」裁判のための陳述書や証拠書類という形で資料は山のようにある。極めて包括的な資料がいとも簡単に手に入り、インタビュー対象も探さなくても紹介してもらえるのである。しかし、それらは教会への入信を後悔している元信者の証言という点で強いネガティブ・バイアスがかかっている可能性と、裁判に勝つために脚色された可能性の高い、偏った資料である。しかも、札幌「青春を返せ」裁判の原告らは、そのほとんどが物理的な拘束下で説得を受けて教会を脱会した者たちであった。これが櫻井氏の研究における最も重大な方法論的問題である。

 櫻井氏の研究方法の欠陥は、『ムーニーの成り立ち』の著者であるアイリーン・バーカー博士の研究方法と比較することによって明らかになる。バーカー博士は統一教会の主催する修練会に自ら参加したり、統一教会のセンターに寝泊まりしながら組織のリーダーやメンバーの生活を直接観察するなどの「参与観察」と、現役信者のインタビューを行っているが、櫻井氏はテキストの閲覧と元信者のインタビューしか行っていない。「統一教会の修練会とはどんなものか」を分析するときに、実際に参与観察を行った研究者と、過去に参加した人に対してインタビューを行っただけの研究者では、経験の直接性において雲泥の差がある。信仰というものを「生きた経験」であるととらえた場合、実際に人が伝道され、回心していく現場に立ち会っているか否か、また実際に信じている生の信者に触れているか否かの違いは大きい。

 バーカー博士は自分の目で直接統一教会の修練会や信仰生活の現実を見たのに対して、櫻井氏は脱会した元信者の目というフィルターを通してしかそれを見ていない。脱会者の目には、自分が体験した修練会や信仰生活に対する後悔や怒りといった色眼鏡が掛けられており、それを通して自分の体験を再解釈している。信仰は人間のアイデンティティーの中核をなすものであるため、信仰を持って世界を見るのと、信仰を失って世界を見るのとでは、世界はまったく異なる像を結ぶことがある。当然のことながら、「信仰の本質とは何か」を理解しようと思えば、信仰を持っている当事者にとって統一教会の体験が何を意味するのかを理解しようと努めなければならない。しかし、信仰を失った人の目には、もはや信じていた時と同じように世界が輝いて見えることはなく、色褪せた幻のような体験にしか映らないのである。信仰を魚に例えれば、バーカー博士が新鮮な刺身を食べているのに対して、櫻井氏は数日経って腐った刺身か、干からびた魚の残骸を食べているということになるだろう。

 次に、櫻井氏はなぜ中西氏を共同研究者として選んだのであろうか? 櫻井氏の研究は脱会した元信者の証言に依拠した研究であり、一宗教団体の信仰のあり方について研究しているにもかかわらず、現役信者に対する聞き取り調査を全く行っていない。これではいくらなんでもサンプリングが偏っているというそしりを免れないので、もともと全く別の研究をしていた中西氏を共同研究者として巻き込んで、「現役信者の証言も聞いていますよ」というアリバイを作るために、彼女の調査結果を利用したのである。

 こうして巻き込まれた結果として、もともとは客観的で価値中立的であった中西氏の研究は、批判的な論調に変質させられる結果となった。もともとの中西の調査結果は、大多数の在韓祝福家庭婦人は経済的には楽でなかったとしても何とか平穏無事に暮らしており、統一教会の結婚は、男女が好意をよせ合った結果の結婚とは異なるが、彼女たちにとって自己実現となり得るものであるというものであった。彼女たちにとっては、韓国の男性と結婚し、夫や夫の父母に尽くすこと、子どもを生み育てること自体がが贖罪となり、地上天国建設への実践となっている、という肯定的な理解をしていたのである。

 客観的な事実の記述としてはこれで十分なのだが、それでは批判したことにならず、統一教会を利する記述になってしまうことを心配したのか、中西氏は本書の中で、突如として取ってつけたような批判を展開したり、「普通な韓国統一教会」と「異常な日本統一教会」というステレオタイプ的な議論を展開するようになった。しかし、中西氏自身は日本の統一教会を実際に調査したことがないので、それは統一教会反対派から提供された裁判資料からくる「虚像」を丸写しにしているに過ぎない。こうして中西氏の担当した部分は、論理的に破綻した、ちぐはぐな主張になってしまったのである。これは、自分の書いた文章に統一教会反対派が文句をつけないための「忖度」によるものだ。

 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』は、このような「不幸な出会い」によって誕生した本である。それは客観的で価値中立的な宗教研究ではなく、批判のための批判であり、イデオロギー的なプロパガンダ用の研究としか言いようがないものである。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』

書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』206


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第206回目である。

「おわりに」

 第201回から本書全体のまとめにあたる「おわりに」の内容に入り、前回は「2 韓国の祝福家庭」の内容を扱ったので、今回は「3 本書で明らかにしたこと」と「4 本書で触れていない統一教会の諸問題」の内容を扱うことにする。

 「3 本書で明らかにしたこと」は、基本的にこれまで各章で主張してきたことのまとめであり、繰り返しであるが、本書の内容自体が膨大であるため、すべてを網羅しているわけではない。櫻井氏自身が特に重要と思ったポイントを並べていると思われる。内容が繰り返しである以上、私の方でも既に批判済みであり、批判を繰り返す必要はないのだが、このブログの内容もまた膨大になったため、どこで批判したのかを整理しておきたい。

 櫻井氏は、「(1)戦後の外来宗教の中で統一教会が最も宣教に成功した理由は、宗教文化の戦略的偽装である。宣教初期はキリスト教としてハイカルチャーな文化宗教、あるいは宗教と科学を統一して現代文明に画期をもたらす思想であることを前面に押し出して、知的な関心を示した大学生や社会変革を志す青年の動員に成功した。中期には、日本の民俗宗教的な霊性に似せた占いや霊能商品によって伝道や資金調達を行うシステムを確立し、一般市民や中高年婦人の動員にも成功した。」(p.559)と述べている。

 このポイントに対する反論は、第20~21回で行っている。櫻井氏の統一教会に対する理解には、キリスト教的で普遍宗教的な要素とシャーマニズム的で韓国民族主義的な要素という本来相反するものが混在しているという認識があり、どちらかというと後者の方が統一教会のより本質的な部分であるととらえているふしがある。櫻井氏の基本的な思考の枠組みには、「キリスト教=普遍宗教=ハイカルチャー」対「シャーマニズム=民族宗教=土着の宗教文化」という対比構造があり、基本的に前者の方が高尚で価値あるものと理解されているようだ。そうすると、前者の特徴を統一教会の本質的属性として認めたくないという心理が働くので、統一教会の本質を後者の方に見いだそうとするのである。櫻井氏にとって統一教会のキリスト教的で普遍宗教的な部分はあくまで「擬装」に過ぎず、本質ではないことになる。これに対して私は、統一教会は出自としての韓国文化を内包しつつも、創設者である文鮮明師の宗教的イノベーションによって民族宗教のレベルを超える普遍宗教のレベルに到達したからこそ、世界中に宣教基盤を築くことに成功したのであり、それは「擬装」などという言葉では到底片付けることのできない、教えの本質部分であると反論した。

 一方で櫻井氏が中期の特徴として挙げている、日本の民俗宗教的な霊性に似せた占いや霊能商品による中高年層の伝道という部分は、「擬装」ではなく、日本における統一教会の「土着化戦略」の一環として、私は説明した。その内容を要約すれば、統一教会が日本で成功したポイントは、キリスト教信仰と日本の土着の宗教文化の融合にあるということであった。しかしながら、このような融合にはプラスの側面だけでなく、マイナスの側面もあったことも私は指摘した。それは、統一原理の教えと、日本の土着の宗教文化が融合することによって起こるシンクレティズム(syncretism)である。

 櫻井氏は、「(2)統一教会の布教方法は正体を隠した違法な行為であり、被勧誘者の認知や情動を巧みに支配する教化システムである。・・・本調査の知見に基づいていえることは、日本の統一教会において自発的な入信はないが、いったん信者として実践的信仰を身につけてしまうと自発的に回心体験を自ら求めていくような信者となっていくということである。」(p.599-560)と述べている。櫻井氏は「第6章 統一教会信者の入信・回心・脱会」という章を設け、121ページを費やしてこの問題を論じており、私もこのブログの第50~105回において56回にわたって詳細に反論しているので、その膨大な内容をここで繰り返すことはできない。そこで櫻井氏が結論として述べている、「日本の統一教会において自発的な入信はない」という発言にのみ反論しておこう。

 櫻井氏は第6章において、「調査対象の中で自ら統一教会の門を叩いたものはない。」(p.206)と述べている。これを言い換えた表現が「日本の統一教会において自発的な入信はない」になるわけだが、この二つの間には大きな飛躍がある。前者はあくまで櫻井氏自身の調査対象に絞った発言だが、それが後者では日本の統一教会に普遍化されており、さらに「自ら統一教会の門を叩いた」ということと「自発的な入信」が同一視されているということだ。しかし、この二つは同一ではない。櫻井氏はこうしたレトリックを駆使して、日本の統一教会信者の信仰は主体的に獲得したものではなく、勧誘と説得によって受動的に植え付けられたものであるというイメージを作り出そうとしているのである。

 そもそも、求道者が自ら訪ねてくるのを待っているような教団と、熱心に伝道活動を行う教団では、入門の仕方に大きな違いがあるのは当然であり、これ自体は入信や回心が自発的・主体的なものであったかどうかの試金石にはならない。人から声をかけられて結果的に信仰に至る信徒が多いのは、伝道熱心な教団の特徴であると言えるが、勧誘されて信仰を持つようになったからといって、その人の信仰が自発的なものではないとは言えないであろう。勧誘や伝道はあくまで本人が自発的な信仰を持つようになるきっかけにすぎないからである。

 一方で、櫻井氏が後半部分で言っている「いったん信者として実践的信仰を身につけてしまうと自発的に回心体験を自ら求めていくような信者となっていく」という部分は、ストラウス、バルク、テイラー、チャードソンなどの宗教社会学者が提示している「実践主義者としての回心者」というモデルに合致する。彼らは従来の受動的な回心のモデルに対して、より能動的で積極的な回心のモデルを提示した。それによれば、個人は人生の意味を求めており、自分たちのニーズを満たしてくれるであろうと信じるグループに意識的に参加する。続いて、人々は回心者の役割を果たしているうちに、ときどき役割の報酬を感じるようになる。彼らはグループに投入し、その役割をうまく果たしていることによる自己満足を得るようになり、そうした役割を正当化し説明している思想を信じるようになるのである。要するに、「新入会員は自分自身を回心させるのである」という理論である。櫻井氏が言うようにもしこうしたパターンが統一教会信者の中に見られるのであれば、彼らは統一教会の教化システムの受動的な被害者ではなく、自らの回心プロセスにおいて主体的で積極的な役割を果たしていることになる。

 祝福に関する櫻井氏の分析に関しては、第100~105回で詳細に反論したし、中西氏の分析に関しては第141~193回で反論しているので、ここでは繰り返さない。

 櫻井氏は、「統一教会は宗教を擬装した詐欺的な経済集団であるという批判があるが、筆者は経営体としては破綻しているが、特異な世界観と信者の教化方法によって事業を継続・拡大してきた宗教団体であると考えたい。」(p.560)と述べている。私は統一教会が宗教を擬装した詐欺的な経済集団ではなく、宗教団体であるという櫻井氏の結論にのみ同意し、その他の細かい点には同意しないことは既に第44回で述べた。統一教会が宗教的理念のために世俗的な生活を一切度外視しているわけではないことは、既に述べたとおりである。

 櫻井氏は、「(5)本研究では、従来調査研究が極めて難しいと考えられてきた統一教会を対象に、脱会者と現役信者から資料や証言を収集するという共同研究をなすことができた。櫻井と中西はそれぞれの研究を独自に行っていたが、この数年間情報を交換しながら研究を進めてきた。最初から意図した共同研究ではなかったが、結果的に対象教団、調査法の二点において国内・国外においても独創的な共同研究をやり遂げたと思われる。」(p.560-1)と自画自賛している。櫻井氏の研究と中西氏の研究の関係、および本書に対する総合的な評価は、長くなるので最終回である次回に回すことにする。

 最後に櫻井氏は、「4 本書でふれていない統一教会の諸問題」という節を設け、①統一教会の勧誘・教化行為の違法性、資金調達活動の違法性、②統一教会の政治・文化的ロビィ活動の二点を挙げている。①に関しては宗教学者というよりは弁護士の仕事なのであえて触れなかったということであるが、②に関しては裏付けができないために断念せざるを得なかったということだ。②は統一教会の活動というよりは、統一運動の広範な対社会的活動の一つということになろうが、これを紹介すれば統一運動の持つ社会的影響力の大きさを逆に宣伝してしまう結果になりかねないので、断念したことは櫻井氏にとってはむしろ幸いであったと言えるかもしれない。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』205


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第205回目である。

「おわりに」

 第201回から本書全体のまとめにあたる「おわりに」の内容に入り、前回までは「1 統一教会における信仰のリスク」の分析を行ってきた。今回から「2 韓国の祝福家庭」の内容に入る。櫻井氏はこの節の冒頭で以下のように述べている。
「従来の新宗教研究やカルト研究においては、『なぜ入信したのか』が根本的な問いであり、それに答えることはそれほど難しいことではなかった。本書でも、統一教会特有の勧誘・教化システムとしてその複雑なプロセスを明らかにしている。それ以上に重要な問いが、なぜ信仰を維持できるのかである。」(p.557)

 新宗教研究において「なぜ入信したのか」を問うのは、櫻井氏の言うように一般的なことである。イギリスの宗教社会学者アイリーン・バーカー博士の著書『ムーニーの成り立ち』は、まさに「人はなぜ統一教会に入るのか」という問いを立てて行った研究であった。しかし、「それに答えることはそれほど難しいことではなかった。」という櫻井氏の言い方は非常に傲慢であり、学者としての良心が感じられない。実は人がなぜある宗教に入るのかを解明することはそれほど簡単なことではない。それは「洗脳」や「マインド・コントロール」などの概念で「説明し去って」しまい、「分かった気になる」ことが多いからである。少なくともアイリーン・バーカー博士は、自分で作り上げた論理的な枠組みに断片的な現象を当てはめて分かった気になるという宗教学者の陥りがちな罠に対して、常に警戒しながら研究をした。すなわち、統一教会に入信する者にある特徴があったとしても、必ずそれを「対照群」と比較して、統計的に有意な特徴であるかをチェックしようとしたのである。入信の理由を過度に一般化することに対しても、常に禁欲的であった。彼女の研究には科学者としての良心が感じられた。

 しかし、櫻井氏は本書において人が統一教会員になる理由を、統一教会特有の勧誘・教化システムのみに帰して「説明し去って」おり、伝道された者がもともと持っていた気質や性格、将来に対するビジョンといったような個人的なファクターが、その人が伝道される要因の一つとなる可能性については一顧だにしていないのである。そのことを論じると、どうしても「本人の自己責任」を認めざるを得ないので、議論を封印しているのだ。「なぜ入信したのか」が櫻井氏にとってそれほど難しいことでないのは、最初から結論を決めてかかっているからに他ならない。

 同様に、「なぜ信仰を維持できるのか」という問いかけに対しても、日本の統一教会の信者たちが教会の中で「救いを感じている」「幸福である」「やっていて楽しい」「自己実現できている」「良好な人間関係を築いている」「自己の成長を感じている」などのポジティブなファクターに対しては一顧だにせず、「リスク認知能力が組織的に剥奪された結果である」(p.557)というようなネガティブな理由だけで「説明し去って」いるのである。これも最初から結論ありきの分析である。

 中西氏も本書において、「脱会する信者がいる一方で、現役信者が信仰を保ち続けていられるのはなぜかが問題となる。」(p.403)と述べており、同じ問いの立て方をしている。櫻井氏と中西氏に共通する前提として、「普通の人であれば統一教会を脱会して当然であるにもかかわらず、現役信者として信じている奇特な人々がいる。どうして信じ続けることができるのか、その理由を解明しなければならない。」という考え方がある。普通の宗教団体に対しては、このような考え方はしないであろう。「現役信者として信仰を保ち続けている者たちがいる一方で、脱会する信者がいるのはなぜかが問題となる。」と考えるのが普通である。現存する宗教団体に現役信者がいるのは「当たり前」である。その中で、信仰を続けられなくなる人が出てくるのであって、その事情を分析することを通して、人が信仰を棄てる理由について考察するのが通常のアプローチであろう。しかし彼らは、辞めるのが当たり前であるのに、統一教会のような宗教をどうして信じることができるのか、というバイアスがかかった発想で議論を展開しているのである。

 韓国に嫁いだ日本人女性が信仰を維持できる理由として櫻井氏が挙げている内容は、基本的に中西氏の所見を繰り返しているに過ぎない。①天国に近いアダムの国である韓国の安定性(経済的には不安定でも精神的には楽)、②統一教会の教説は良妻賢母教育と同じで、結婚や子育てに宗教的意義づけがなされるので満足感が大きい、③日本では心身共に疲弊する献身生活だったが、韓国では信仰生活の休息期に入る、④『本郷人』のような機関紙の購読と清平修練会への参加――などの理由により、日本よりも韓国では信仰が維持しやすいという分析である。

 本書の基本的な枠組みとして、「普通な韓国統一教会」と「異常な日本統一教会」、あるいは「ゆるい韓国統一教会」と「強烈な日本統一教会」というというステレオタイプが存在する。韓国統一教会のイメージは中西氏の現地調査からくるものであり、日本における統一教会のイメージは、実際に現役信者を調査して得られたものではなく、櫻井氏が統一教会反対派から提供された裁判資料からくる「虚像」である。これらを短絡的に比較することによって、二人は共通の結論を出そうとしているが、論理的には破綻している。

 そもそも、日本での信仰生活が心身をすり減らすようなものであるのに対して、韓国ではそうではないから彼女たちが脱会せずに信仰を続けていられるのだとすれば、日本の統一教会信者たちがなぜそのような信仰生活を継続していられるのかが説明できない。櫻井氏の言うように、単に「リスク認知能力が組織的に剥奪された」だけで、数万名もの人々が数十年間にわたって心身共に疲弊するような信仰生活を継続できると言うのであろうか? 私の信仰暦は現時点で37年になるが、私以上に長く信仰している日本人の信者は多数いる。本当に心身をすり減らすような信仰生活をしているのなら、日本においてはそんなに長く信仰を継続できないはずである。事実がこのことを反証している。

 実際には、日本における統一教会の信仰生活も心身をすり減らすようなものではない。櫻井氏自身が認めているように、「楽しくなければ続けられない」(p.342)のである。さらに日本の統一教会信者の生活も韓国と同様に、破綻するような状態にはなっていない。日本の統一教会信者の実際の生活は、櫻井氏が描写した脱会者たちの生活よりもずっと多様である。教会員の中には医者も、弁護士も、大学教授も、会社の役員もおり、地方議員や地方自治体の首長を務めている者もいる。特に社会的な地位の高い者でなかったとしても、普通の会社員、公務員、自営業者、あるいは主婦として社会生活を送っている者が大多数である。日本でも大部分の信者が無難に暮らしているとすれば、渡韓した女性たちが信仰を続けていられる理由として、「韓国の安定性」をあげる意味はなくなってしまう。

 そもそも信仰とは、無難に暮らしているからとか、暮らしやすいから続けられるというようなものではない。宗教の歴史をひもとけば、迫害の中でも信仰が力強く燃え盛った事例は数えきれないほどあるし、迫害によって逆に信仰が強化されたことさえある。逆に、江戸時代の仏教や中世ヨーロッパのカトリックのように、権力と一体化して優遇されてしまうと信仰が形骸化してしまうということもある。楽だから、暮らしやすい環境だから、社会から受け入れられているから信仰を維持できるという彼らの論法は、こうした信仰の本質を見落としていると言えるだろう。

 櫻井氏は在韓日本人信者の信仰生活を「安定期」としたうえで、それが揺らぐ可能性を三つ指摘している。①夫婦関係や家族関係が行き詰まった日本人女性が、夫のもとを去って日本の実家に戻る、②日本に帰国した際に脱会カウンセリングを受けて信仰をやめる、③子供が就学年齢に達し、教育投資が必要になる時期に現在の生活環境に対する不満が生じる――といった内容である。このうち、②は安定していた信仰が「揺らぐ」のではなく、人為的に破壊されるということである。「第七章の事例では離婚になった」(p.558)と櫻井氏は言っているから、脱会カウンセリングは安定していた信仰だけでなく、家庭までも破壊したことになる。

 韓日祝福家庭は、いまでは子供たちが就学年齢どころか大学にまで通う段階に入ったと言えるだろう。中西氏が第10章で示したように、韓日祝福家庭の中には経済的に貧しい家庭に加えて、病気、事故、災害、詐欺などで緊急支援を要する家庭も存在した。こうした家庭には「本郷人互助会」が支援を行ってきたことが明らかにされている。このことは、祝福家庭が抱える具体的な問題に対して、統一教会は宗教的・精神的なサポートを与えることにとどまらず、経済的・物質的なサポートもしていることを意味している。統一教会信者の間には互助の精神があり、弱者に対する優しさを持った集団であることが分かるのである。このことは日本でも同じであり、統一教会は「真の愛で結ばれたコミュニティ」を形成することによって、互いの信仰を維持し、高めあっているのである。

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書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』204


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第204回目である。

「おわりに」

 第201回から本書全体のまとめにあたる「おわりに」の内容に入り、前々回からその中の「1 統一教会における信仰のリスク」の分析に入った。ここで櫻井氏が言っているのは、統一教会の信仰を持つことはリスクが伴うということだが、今回は櫻井氏がリストアップするリスクの内容を分析する。
「(1)招待を隠した伝道方法ではリスクが伝えられていない。『ここが統一教会であること、教団の活動内容を予め教えてくれたら入りはしなかった』と脱会者は同じような語り方をする。つまり、ビデオセンターやセミナー、教会内において人間関係が形成されておらず、統一教会の教説が全く入っていない段階で、本書で縷々説明したような統一教会の実態を知っておれば、あえて入信のリスクを選択する人はいないと思われる。」(p.556)と櫻井氏は主張する。

 私は、少なくとも人を伝道する際には、自分が統一教会の信仰を持っており、これから学ぶ内容が統一教会の教理であることを相手に告げるべきであるという点においては櫻井氏と同意見である。これは私の個人的な意見ではなく、2009年3月25日に徳野英治会長による教会員に対するコンプライアンスの指導が出されたときから教会の公式的な方針となっている。しかしながら、櫻井氏が「本書で縷々説明したような統一教会の実態」について、伝道者が相手に伝える必要はまったくないと考えている。実はその内容を、櫻井氏は大畑昇氏と共に編著者になっている『大学のカルト対策』(北海道大学出版会、2012年)という本の中でかなり詳しく述べている。彼が言うところの「予め伝えるべきリスク」とは、以下のような内容である。
「私は統一教会に関しては研究をしていますが、布教の最初の時点から自分たちの名前と活動内容を明かした布教をするのであれば、それは認められるべきだと考えています。つまり、『統一教会でいう教えに従えば、日本はエデンの園において蛇の唆しによって先に堕落したエバの立場に立ち、アダムの立場に立つ韓国に絶対的に尽くすしか日本が霊的に解放される道はない。具体的には、姓名判断、家系図診断、各種物品販売等々に従事して、原価の数十倍の価格で韓国の大理石壺を販売したり、都市近郊の資産家をVIP待遇の信者として時に数億円相当の献金を依頼したりするような宗教活動に従事することになる。その上で合同結婚式に参加することが認められ、日本人のみ多額の祝福献金なるものを出した上で教団が勧めてくれた配偶者と結婚することができ、その場合、国際結婚になる可能性(日本人女性の場合は韓国人男性の確率が大)が高い。合同結婚後も、統一教会が主催する修練会やイベントに参加して献金要請に応えていくのである』ということをあらかじめ学生に対して周知して、それでなお、活動しようとするのであれば、私は認めざるを得ないのではないかと思います。」(『大学のカルト対策』p.160-161)

 よくもここまで本音を言ったものだと思うが、これが櫻井氏の言うところの「リスクを伝える」ということであり、「宗教的なインフォームド・コンセント」なのである。これは要するに、宗教の伝道者は自分の教団の教義を相手に伝える前に、教団に関するありとあらゆるネガティブな情報を予め伝え、信仰のリスクを十分に認識させたうえでなければ、教えを伝えることができないと言っているのに等しい。

 そもそも、宗教団体の信者が伝道や布教を行う際に、基本的な教えを述べる前に、自らの教団の戒律やネガティブな内容を積極的に開示することが期待されており、そうしなければ「信仰のリスク」を十分に伝えていないとみなされるのであろうか? 例えば、イスラム教徒は、「私たちの宗教では、メッカの方角に向かって1日5回の礼拝をし、ラマダンには1ヶ月間の(夜間)断食をし、生涯に一度はメッカに巡礼に行かねばならず、酒は飲めず、豚肉も食べられず、女性には男性と平等な権利はなく、姦淫の罪を犯したら死刑で、他宗教に改宗しても死刑で、場合によってはジハード(聖戦)に参加して殉教していただきます」と最初の段階で言わなければ、人をモスクに誘うことはできないのだろうか? またイスラム教徒は、9.11の同時多発テロやパレスチナで爆弾テロを行ったのは私たちの仲間だが、それでも話を聞いて欲しいと最初の段階で言わなければならないのだろうか?

 キリスト教徒は、毎週日曜日の礼拝参加や十分の一の献金、洗礼や聖餐式などの情報、および信徒としての義務をすべて最初の段階で開示しなければ、聖書の話をしてはいけないのだろうか? カトリック教徒は、十字軍や異端審問などの過去の暗い歴史についてすべての情報を開示し、一部の司祭や修道者による児童への性的虐待問題について最初に説明しないと伝道できないのだろうか?

 こうした主張がナンセンスであることは、米国版の「青春を返せ裁判」とも言える「モルコ・リール対統一教会」の民事訴訟において、米国キリスト教協議会(NCC)がカリフォルニア州最高裁判所に提出した法廷助言書で、以下のように皮肉たっぷりに示されている。
「結婚しようとする男女は結婚許可証を受け取る前に、お互いの最悪な欠点を述べ合うことを要求されているだろうか。弁護士事務所の雇用担当者は法学部卒業生に対して面接時、雇用契約の前に弁護士事務所の欠陥や問題点を述べるよう義務づけられているだろうか。海兵隊の志願者募集で、担当官は訓練キャンプの最悪の悲惨さと、軍隊生活の危険性のすべてを分類して入隊前の志願者に話すよう求められているだろうか。」

 数多くある社会の団体の中で、宗教団体だけが自らに対するネガティブな情報を積極的に開示されることが求められているとしたら、それは深刻な差別であると言わざるを得ない。櫻井氏が統一教会に要求していることを一般企業に例えてみれば、「会社説明会」の場において、テレビ朝日は1985年に『アフタヌーンショー』という番組で「やらせ報道」をしてプロデューサーが逮捕されたことを、リクルートは1988年の贈収賄事件を、味の素は1997年に起きた総会屋への利益供与事件を、三菱自動車は2000年に起こしたリコール隠し事件を、雪印と日本ハムと伊藤ハムは2001年に起こした牛肉偽装事件を、石屋製菓は2007年に起こした「白い恋人」の賞味期限改ざん事件を、三菱東京UFJ銀行は2012年に起こした112万人もの顧客情報紛失事件を、シャープは2012年に起こした誇大広告事件を、すべての入社志願者に積極的に情報開示することが求められ、それを十分にしないと「リスクヘッジが十分になされていない」と言われなければならない。

 大学は「学校説明会」の場で、自らのネガティブな情報を積極的に開示しているのだろうか? 櫻井氏の所属する北海道大学の不祥事をネットでちょっと検索しただけで、以下のような記事を見つけることができる。
「北海道大は2009年8月27日、2007、2008年度に大学院生の論文を審査した5人の教授が現金や商品券、衣料品などの謝礼を受け取っていたことが新たに発覚したとして、5人を訓告処分にした。」
「札幌・中央署は2012年4月13日、児童買春・ポルノ禁止法違反(買春)の疑いで、北海道大学職員の福井将大容疑者(27)を逮捕した。逮捕容疑は1月25日夜、札幌市北区のホテルで、携帯サイトで知り合った無職の少女(16)に現金1万5千円を渡す約束をしていかがわしい行為をしたとしている。 」

 こうした内容を、学校説明会の時に積極的に開示しなければ、「リスクヘッジが十分になされていない」のであろうか? そんなことは、社会のどの団体もやっていない。それを統一教会にだけ要求するということは、明らかな差別にほかならない。要するに自分たちがやってもいないことを一方的に要求しているに過ぎないのである。

 それ以外に櫻井氏が指摘するリスクは、以下に列挙するように基本的に同じ内容である。
(2)統一教会の信仰においてはリスクをリスクとして認識しないように導かれる。
(3)統一教会の信者には、リスクを低減させるよりも、リスクを一挙に解消することを求める志向が強い。・・・それは自己や他者への配慮(リスクの低減)よりも、神、霊界、お父様が後日(あるいは天国で)全てを解決してくれるという期待があるからである。
(4)統一教会は長らくリスクへの認識や管理を行わないことを宗教伝統としてきた。
(5)統一教会の信者はリスク認知を持つ能力を剥奪されている。

 どれも似たような内容だが、実は櫻井氏は「リスク・ヘッジを許さない発想やシステムは統一教会に限らず、他の宗教運動や宗教組織にも大なり小なり見られることではある」(p.557)ということは認めている。これは私が前回述べたように、およそ信仰者というものはリスクを承知で神との契約にかけてみようと決断した人々のことを言うのであるから、リスクの存在そのものは信仰を妨げる要因にはならないと言ったのと本質的には同じ内容である。つまり、統一教会信者の発想はどの宗教にも見られるものなのだ。にもかかわらず櫻井氏は、「ここまで徹底した教団は特筆に値する」と念を押している。

 いったい、いかなる比較によって櫻井氏は統一教会信者のリスク認識が他の宗教団体の信者のリスク認識に比べてとりわけ低いと言っているのであろうか? その具体的な根拠を彼は示していない。彼がそう感じるのは、統一教会に入信したことを後悔し、教会を裁判で訴えた元信者の証言ばかりを資料として、統一教会信者の信仰について理解しているからに他ならない。要するに、資料の偏りによってそのようにに見えるということであって、客観的なデータの比較によってそう言っているわけではないのである。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』