解散命令請求訴訟に提出した意見書11


 ②マインド・コントロール論を前提とした説得によるトラウマ
 監禁がPTSDを発症させる条件となることは理解しやすいが、ディプログラミングによるトラウマは監禁という外的要因によってのみ引き起こされるものではない。ディプログラミングの後遺症が、災害や犯罪に巻き込まれたケースなど、他の原因によるトラウマと違う点は、1)信頼関係の基礎である親、兄弟、親族から被害を受けていること、2)信仰というアイデンティティの根幹が揺るがされること、3)社会正義が認められないこと、4)監禁後のケアがほとんど行われていないこと、などが挙げられる。実際、脱出して教会に帰ってきた信者たちに対して、十分な医学的ケアができているとは言えず、脱会して両親のもとに戻った元信者たちも多くは放置されてきた。

 こうした後遺症は、実はディプログラミングを行う側にも自覚されていた。元来、脱会説得は牧師などの宗教家が担当してきた。信者の家族の願いは教団からの脱会だったので、カウンセリングの主要な目的は脱会であった。しかし、その中で脱会さえすれば問題が解決するわけではなく、脱会後にもさまざまな問題を引きずることが分かってきたのである。
そこで1990年代の後半から、牧師の説得によって脱会させた後のアフターフォローとして、臨床心理士やカウンセラーが「カルト脱会者」の心の問題を扱うようになってきた。これは脱会さえさせれば元の幸せな家族に戻るという牧師の主張が、実際にはそうではなく、本人の心にも家族関係にもさまざまな問題が残るので、心理学的ケアが必要であるという現実に、反対派自身が気づいたということである。

 こうした問題を扱っているのが、高木総平・内野悌司編集の「『現代のエスプリ』No.490  カルト―心理臨床の視点から 2008年5月号」である。その中には、「反対牧師」として統一教会信者の説得にあたった豊田通信氏の反省の弁が述べられている。すなわち、自分が「保護説得」の最中に行ったことは、カウンセラーの倫理から見れば違反のオンパレードであり、それゆえに信者たちを傷付けてしまったことを告白しているのである。

 脱会後に多くの元信者にトラウマが残ることを自覚した反対派が、脱会説得のやり方を幾分かソフトにするように改善しようとしたことは事実のようだ。しかし、彼らはやり方が乱暴であるかソフトであるかに関わらず、「マインド・コントロール言説」を根拠とした脱会説得そのものがトラウマを引き起こすことを十分に理解していない。

 この点を鋭く指摘したのが、渡邊太氏による「カルト信者の救出――統一教会脱会者の『安住し得ない境地』――」(『年報人間科学』 21 225-241, 2000)である。この論文の要旨は、「カルト信者」の救出にはディプログラミングや救出カウンセリングといった方法がもちいられるが、元信者たちは脱会後にさまざまな心理的苦悩やコミュニケーションの困難に直面する。脱会者の苦悩は、自己の存在の根本的な安定性が失われることによるもので、その原因は救出カウンセリングにおいてR・D・レインが指摘するような、人を「安住しえない境地」に置くコミュニケーション・パターンが繰り返されるからである、というものだ。(注43)

 この「安住しえない境地」という聞きなれない言葉を理解するためには、レインのアイデンティティに関する議論を知る必要がある。それは以下のようなものだ。人はアイデンティティについての確かな感覚を得るために、他者の存在を必要とする。他者を鏡として私は私であることを確認する。したがって、アイデンティティの確かな感覚をもつためには、自己が他者の中で存在を認められ、居場所を見いだす必要がある。他者から確認されないようなアイデンティティは不安定なものであり、そのとき私は自分の世界にも他者の世界にも居場所を見出すことができないので、「安住しえない境地」または「存在論的不安定」に陥るのである。(注44)
 渡邊氏によれば、家族による救出カウンセリングは人を「安住しえない境地」に追いやるタイプのコミュニケーションに該当するという。その特徴は「無効化」と「属性付与」、そして「自発的であれ!」という命令が組み合わされたものである。(注45)

 「『無効化』とは、ある人の意志を無効なものと見なすことによって実際にその効力を奪うことである。『無効化』は『属性付与』とセットでもちいられる」(注46)

 「要は、『お前は自分がそのように感じていると考えるかもしれないが、お前はほんとうはそのように感じているのではないということを私は知っている』[Laing, 1961=1975, 193]と伝えるようなコミュニケーションの問題である」

 「マインド・コントロールとは、『本人には自分の意志で納得ずくでやっていると思わせながら、その人の心を操ること』[マインド・コントロール研究所編、1997: 103]と定義される。この見方にしたがうと、本人が自分の意志で信仰していたのだと主張することじたいが、マインド・コントロールの証拠になる。救出カウンセラーのスティーヴン・ハッサンは、『私のアプローチは、マインド・コントロール集団にどんなに深入りしたメンバーでも、心の深い深いところでは脱出したいと願っているという信念にかかっている』[Hassan, 1988=1993, 222]と主張する。」

 「ここには、『自発的であれ!』という命令と同型のコミュニケーション・パターンが見られる。『自発的であれ!』という命令はパラドックスになる。命令を実行しようとすると命令に反することになり、したがうことができない。」(注47)

 「『安住しえない境地』に置かれた脱会者たちは、自分のいまいる状況を定義することが難しくなる。自己が自己であるという確かな感覚が得られず、日常的なコミュニケーションさえ困難になる。元信者のEさんは、『人の話が聞けなくなった。いまでも、人の話を聞いていて、ボーッとしていることがある。話が頭に入らないで、抜けていく。集中力が亡くなった』と話している。家族との関係がうまくいかないケースが多い。これらはマインド・コントロールの後遺症というような心理的病理の徴候ではなく、救出カウンセリングのコミュニケーション・パターンそのものの問題である。」(注48)

 渡邊太氏の論文を私なりに解釈すればこういうことだ。「お前はマインド・コントロールされている」という指摘は、当人にとっては、「お前は自分の頭で考える能力を失っている。お前の意志は自分の意志ではなく、誰かに操られているのだ。だからその状態でお前が何を言おうと、一切認めない」と言われているに等しい。これが「無効化」である。続いて、「いまのお前は本当のお前じゃない。本当のお前は教団に入る前のいい子だった頃のお前だ。私はそれが本当のお前であることを知っている。早く本当のお前に戻れ!」と迫られる。これが「属性付与」である。自分が何者であるかを他者に決められてしまうということだ。さらに、「早く自分がマインド・コントロールされていることに気付け。そして教団の影響力から離れて、自分の頭で考えろ!」と叱責されるのである。これが「自発的たれ!」という命令である。

 このようなことをされては、人はいったい何が本当の自分なのか分からなくなり、根源的な不安を感じてしまうに違いない。家庭連合の信者にとって信仰は自己のアイデンディティの中核をなすものである。監禁の有無にかかわらず、主体性を剥奪されて他者から一方的にアイデンティティを付与されるというのは、心をレイプされるのに等しい。脱会者の予後が悪いのは、こうした脱会説得のあり方そのものに原因があると言ってよいだろう。

10.結語
 これまでの議論によって導かれる結論は以下のようなものである。

 アメリカの学会においては「洗脳」や「マインド・コントロール」が疑似科学であることは既に定着している。その結果、アメリカの法廷においても「洗脳」や「マインド・コントロール」の主張は決定的な敗北を喫し、こうした主張をする専門家らは法廷で証言できなくなった。「ディプログラミング」と呼ばれるアメリカの拉致監禁・強制棄教は違法であり、人権侵害であるとの評価が定着している。これを行った実行犯は逮捕され、起訴されて有罪判決を受けている。ディプログラミングの被害者が実行犯を訴えた民事訴訟でも、多額の損害賠償が認められている。この結果、アメリカにおいては「ディプログラミング」は終息し、既に過去のものとなっている。

 日本においても「マインド・コントロール言説」は拉致監禁・強制棄教を正当化するための論理として使われたが、現在に至っても「マインド・コントロール言説」は学問的に確立されておらず、日本の宗教学者も概して「洗脳・マインド・コントロール言説」に対して批判的である。日本の法廷では、統一教会を相手取って元信者が起こした「青春を返せ」裁判で「マインド・コントロール」が主張されたが、法廷はこれを却下した。

 「マインド・コントロール言説」は疑似科学であり、その効果は科学的に立証されていないし、法的にも認められていないにもかかわらず、これを元信者やその家族たちが信じるのは「感情論理」によるものであり、科学的・客観的主張ではない。自然脱会した者に比べて、ディプログラミングされて教団を離れた者は圧倒的に「洗脳」や「マインド・コントロール」を主張する者が多い。これは脱会の過程でそのような理論を教え込まれるからであり、「背教者」の証言は信頼に値しない。

 ディプログラミングは監禁という外的要因に加え、「マインド・コントロール言説」を用いた説得そのものが被害者にとって外傷体験となり、PTSDを発症する要因となっている。以上のことから、「マインド・コントロール」によってディプログラミングが正当化されることはない。

(注43)渡邊太「カルト信者の救出――統一教会脱会者の『安住し得ない境地』――」(年報人間科学 21 225-241, 2000)、p.225
(注44)渡邊太前掲書、p.233
(注45)渡邊太前掲書、p.234
(注46)渡邊太前掲書、p.234
(注47)渡邊太前掲書、p.235
(注48)渡邊太前掲書、p.236-7

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