Moonism & Pausキリスト教講座シリーズ05:2021年12月号


 私がこれまでに「キリスト教講座」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』および『Paus』(連載途中で雑誌名が変更)に寄稿した文章をアップするシリーズの第5回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。未来を担う大学生たちに対して、キリスト教の基礎知識を伝えると同時に、キリスト教と比較してみて初めて分かる「統一原理」の素晴らしさを伝えたいという思いが表現されています。今回は、2021年12月号に寄稿した文章です。

第5講:キリスト教と日本人③

「キリスト教講座」の第5回目です。「キリスト教と日本人」と題する日本基督教史の解説の続きです。今回は日本の代表的なキリスト者である内村鑑三の生涯と思想について解説します。

 前回、明治維新から第二次世界大戦の終了までの日本基督教史を概観したときに、1891年に起きた「内村鑑三不敬事件」を取り上げました。これは東京の一高で教師をしていた内村鑑三が、クリスチャンとしては神以外のものを礼拝することはできないという理由で、教育勅語に施された天皇陛下の宸署に対する敬礼を拒否したという事件でした。

 それでは内村鑑三とはどんな人物だったのでしょうか。天皇陛下の宸署に対する敬礼を拒否したと聞くと、左翼的で愛国心がない人物を想像するかもしれませんが、実はそうではなくて、彼自身はとても愛国的な人でした。それと同時に篤実なキリスト教徒であったのです。内村のモットーはよく「二つのJ」という言葉で表現されます。
「私は二つのJを愛する、それはJesusとJapanである。」

 Jesusを愛するということの中に、キリスト教徒としてのアイデンティティーが表現されており、Japanを愛するということの中に、愛国心が表現されています。この二つを如何に一致させるかということこそ、内村が生涯かけて追い求めた課題だったのです。彼の聖書の背表紙に生涯書かれていて、最後にお墓に刻まれた言葉が、以下の有名な言葉です。

 I for Japan
 Japan for the World
 The World for Christ
 And all for God

 私は日本の為に生きるということは、日本のために命を棄てても惜しくないくらい日本を愛しているということです。ところがそれは、日本一国だけがよければよいという自国中心のナショナリズムではなくて、日本は世界の為に生きてこそ、その使命を果たし、神の愛を受けることができるということです。さらに、世界はキリストのため、そしてすべては神のためというように、愛国心は神に対する愛に縦的につながっていかないと言っているのです。このように、キリスト教信仰と愛国心をいかに一致させるかということを、生涯かけて求めた人が内村という人でした。

二つのJ

 内村は、文鮮明先生のみ言や『原理講論』の中で述べられている内容と似たような歴史観を持っています。彼は文明が西へ西へと進んでいくという、「文明西進説」という考えを説いています。文明は古来より西に向かって進み、バビロン、フェニキア、ギリシア、ローマ、ドイツ、イギリスと進み、アメリカの太平洋側で最高点に達し、日本に到着しました。文明のもう一方の流れはインド、チベット、中国と進んできたので、日本は東洋と西洋の中間に位置するものとして、両者の媒酌人の役割を果たす立場にいると考えたのです。

 アジアにおいて初めて近代化されキリスト教を受け入れた日本が、西洋と東洋の懸け橋となって、洋の東西を統一する重要な使命があると彼は考えました。これが内村鑑三の「日本の天職」という概念です。内村は日本に神の摂理が働いていることを信じており、日本の使命は西欧諸国と他のアジアの国々を連結することであると考えていたのです。彼は日本の使命を、東洋の代弁者となり、西洋の先ぶれとなって、東洋と西洋を和解させ、世界文明の大きな二つの流れを統合することにあると見ていたのです。

 内村の生涯の課題は、この「日本の天職」を果たすために、西洋からやってきたキリスト教を日本に受けいれ、日本の伝統文化と融合させて、真に日本的なキリスト教にすることでした。内村が日本文化の粋を極めたものと考えたのは「武士道」の精神でした。こうした内村の思想を受け継いだキリスト教の流れを「無教会主義」と言います。

内村鑑三

 ところが晩年、内村はこの「日本の天職」ということに関して段々と悲観的になって失望していきます。それは日本が侵略戦争を行ったからであり、開戦当時は日清戦争を支持していたものの、その結果には失望し、日露戦争には開戦前から反対します。彼は日本がその天職から遠ざかりつつあると言いながら、晩年は朝鮮・韓国に対して関心を向けていくようになります。内村は1908年に「幸福なる朝鮮国」という文章を書いていて、隣国の朝鮮は国を失ってもキリスト教信仰が広まっている、そして朝鮮民族はユダヤ民族にそっくりだと言っています。

 内村の興味深い点は、晩年に再臨運動をやっていることです。「再臨主がやって来る」と叫びだしたのです。彼が再臨運動をやるようになった第一のきっかけは、1912年に愛娘のルツが亡くなったことです。これは彼にとって大きな悲しみでした。それが復活の信仰へと結びつきます。再臨があるときに死者が復活するという希望を動機として、再臨信仰に目覚め始めるのです。

 そして次のきっかけとなったのが、1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が起こったことです。キリスト教国であるイギリス、フランス、ドイツが互いに戦っているのでは、もはや人間の力によっては世界平和は訪れない、何か決定的で直接的な神の介在がない限り、人類の文明はもう救いようがないという、ある種の絶望感を内村は抱きました。最終的にはキリストが再臨しない限りは、この世に完全な救いはないということで、再臨信仰に目覚め始めるわけです。

 1918年1月6日に、ホーリネス教会の中田重治、組合教会の木村清松とともに東京・神田のYMCAにおいて、再臨運動の講演会を内村は始めます。それから約一年半くらいにわたって、再臨を叫び続けました。「キリストの再来こそ新約聖書の到る所に高唱する最大真理である」「平和は彼の再来によって始めて実現するのである」というのが彼の中心メッセージでした。1918~19年といえば、文鮮明先生が生まれる直前です。内村自身は再臨主は雲に乗ってやって来ると信じていたようですが、何かを霊的に感じていたのではないでしょうか。

 内村鑑三という人物は、日本における預言者的な使命があったとしか考えられない人です。

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