書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』26


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第26回目である。

「第Ⅰ部 統一教会の宣教戦略 第3章 統一教会の教団形成と宣教戦略」の続き

 櫻井氏は本章の中で、「教勢の衰退と資金調達方法の変化」というテーマを掲げ、統一教会の伝道が1980年代末で頭打ちになった理由について、統一教会の外部要因と内部要因の二つに大別して分析している。

 櫻井氏が外部要因として挙げているのは、教団に対する社会の厳しい姿勢である。具体的には、①有田芳生などのジャーナリストによる教会の資金調達活動に対する批判的報道、②全国霊感商法対策弁護士連絡会による民事訴訟の提起と統一教会側の敗訴、の二つが主な内容である。これらの影響を受けて、行政や大学も統一教会の活動を消費者被害や社会病理と認識するようになったのが1990年代に入ってからで、「このような外側からの批判によって、統一教会の布教活動は極めてやりにくくなった」(p.97)というのが櫻井氏の解釈である。

 世間の評価が厳しくなったので伝道が厳しくなったというのは常識的で合理的な分析である。しかしながら、これに対して「そんなことはない!」と反論する宗教的主張もあることは述べておきたい。統一教会は日本に宣教された当初から、主にキリスト教牧師や共産主義者、さらには反対父母の会などから激しい迫害を受けてきたが、それに逆らって教勢を拡大してきた教団なのであり、なにも迫害が1990年代に始まったわけではない。1967年7月7日付の朝日新聞夕刊に掲載された「親泣かせ原理運動」の記事に始まって、統一教会に対する批判的な報道は1990年代より遥か以前から存在した。「悪い噂」という観点でいえば、とりわけ大学のキャンパス内では原理研究会に関する悪い噂は1960年代から存在したし、書籍や雑誌などのメディアを通しての統一教会批判は1980年代から存在していた。にもかかわらず、統一教会は教勢を伸ばしてきたのである。

 1990年代に入って大きく変わった点といえば、テレビによる大々的なネガティブ・キャンペーンが始まったことであろう。そのきっかけは、1992年の3万双の祝福式に芸能人やスポーツ選手が参加することにより、ワイドショーの格好のターゲットになったことにある。それまでの書籍や雑誌による批判だけでは、統一教会という団体の存在自体を知らない人は日本国民のかなりの割合を占めていたと思われる。しかしながら、3万双の祝福式を前後して、連日のようにワイドショーで統一教会が批判的に扱われるようになり、統一教会のネガティブな意味での知名度が飛躍的に上がったことは否定できない。

 迫害によって伝道が停滞するという考え方に宗教的な人々が納得しないのは、宗教団体は「迫害」や「法難」を通じて発展するものだという考え方があるからである。「法難」とは仏教が受ける弾圧のことだが、特に日蓮宗においては、本物であるからこそ迫害されるのであり、弾圧を受けることを通して発展していくのだという考え方が強い。キリスト教にも神の愛する者は世間から憎まれるという思想が存在する。クリスチャンが世から憎まれ、迫害されることの意義について説明した聖句としては、以下のものが有名である。
「もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。」 (ヨハネによる福音書15:18~19)
「だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」(コリント人への第二の手紙12:10)

 統一教会においても同様に、迫害を受けることによって蕩減条件を立て、それを糧にして逆に神のみ旨が進んでいくのであるという思想が存在する。「原理講論」の再臨論には以下のような記述がある。
「過去の復帰過程において、艱難が信徒たちの信仰の妨げとなったことはなかった。まして、信徒たちが信仰の最後の関門に突入する終末において、そのようなことがあり得るであろうか。艱難や苦痛が激しくなればなるほど、天からの救いの手をより強く熱望し、神を探し求めるようになるのが、万人共通の信仰生活の実態だということを我々は知らなければならない。」(p.567)

 また、このことについて語った文鮮明師の代表的な言葉としては、以下のものがある。
「どのような迫害の中でも、私は決して呪いの一言も口にしませんでした。決して不平も言いませんでした。復讐もせず、人を悪く言うこともしませんでした。なぜならば、反対が強ければ強いほど、それだけ大きな同志を神は送ってくださるからです。それは宇宙の大気のようなものです。高気圧が生まれると、低気圧も産まれます。否定的な要素があるとき、常に別な方面で私の周りに肯定的な要素がつくられます。私は、迫害が甘美なものだ、という秘密も学びました。正しい心でそれを耐えると、戦わずして常により多くの同志を勝ち取ることができるからです。」(「祝福家庭と理想天国Ⅱ」p.810)

 信仰熱心な統一教会の食口たちが、一般社会やマスコミによる統一教会バッシングに対してこうした精神で立ち向かい、逆に信仰を強めていったということは確かにあったであろう。しかし、これは信仰の理想の姿であって、すべての人がそのような強靭な精神で乗り越えられるわけではない。信仰の初期段階や、あまり強い心を持たない者においては、外側からの批判によって信じる心を掻き乱されたというのも事実ではないだろうか。特に、悪い噂が広まることによって、伝道の入口付近で対象者が関わりを敬遠するようになるという意味で、伝道活動の障害になった可能性は十分にある。

 1990年代以降にテレビのワイドショー以上に大きな影響を持つようになったのが、インターネットによる批判情報の拡大である。ネット時代の到来は、教団による情報のコントロールを困難にし、伝道対象者も極めて初期の段階で教団について検索をして批判的な情報に触れるようになった。また、教会員の家族もインターネットを通して教会に対する批判的な情報に触れることが多くなった。こうしたことが複合的に働いて、伝道環境を悪化させているということは言えるであろう。

 もう一つの外部要因として挙げられているのは、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)による民事訴訟の提起と、統一教会側の敗訴である。これに関しては、とりわけ行政や大学に対する影響力が大きかったと思われる。全国弁連が結成されたのは1987年1月10日のことであり、このころから「霊感商法」批判のキャンペーンが始まった。全国で初めての「青春を返せ」訴訟が札幌地裁で始まったのが1987年3月である。裁判というものは、始まってから結果が出るまでに時間がかかるが、信者による献金勧誘行為に対して教団の責任を認定し、統一教会が敗訴した初めてのケースが、1994年5月の福岡地裁判決であった。それ以降、物販や献金に関わる民事訴訟で統一教会に損害賠償を命じる判決が次々と出されるようになった。さらに、初めは統一教会側が勝訴していた「青春を返せ」裁判においても、2000年9月の広島高裁判決以降は、教団が敗訴するケースが出てくるようになる。

 1980年代後半に始まって、1990年代以降に成果を上げた全国弁連による民事訴訟の戦略は、着実に成果を上げ、ボディーブローのように統一教会を苦しめてきたと言える。とりわけ、民事訴訟で敗訴を重ねるということは、行政の統一教会に対する認識を著しく悪化させる結果となり、単なる左翼マスコミによる批判ということにとどまらず、日本社会の良識的な層が統一教会を反社会的な団体であると認識するようになる大きな原因を作ったと言えるであろう。こうした社会的な環境の悪化と、1990年代以降の伝道の停滞の間に、因果関係が全くないとは言えないであろう。社会的評判が極めて悪くなり、その状態が長く継続するようになると、教会員の信仰にダメージを与え、伝道意欲を低下させるということは十分に考えられるからである。

 大学に関して言えば、2006年12月4日に全国霊感商法対策弁護士連絡会が、国立大学協会、公立大学協会、私立大学連盟、私立大学協会に対して一斉に「要望書」を出している。その内容は、「反社会的宗教団体」に関するビラの作成と配布、専門家の講演会による啓蒙活動、大学間の情報の交換と共有の勧めから始まって、「(入学後の)カリキュラムに、反社会的宗教団体の問題点、勧誘方法などについてのガイダンスを実施して注意喚起につとめてください」と要求するものになっている。

 こうした働きかけの結果、現在日本の大学の多くにおいて、広範な「カルト対策」が行われるようになった。こうした「カルト対策」のターゲットの筆頭に上がっているのが原理研究会であるのは言うまでもなく、その結果として大学のキャンパスにおける原理研究会の活動は著しく困難になっている。この問題に関心のある方は、このブログの別のシリーズである「書評:大学のカルト対策」を読んでいただければその全貌が分かるので、ぜひ読んでいただきたい。

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