書評:大学のカルト対策(1)<目次と「はじめに」を読む>


今回より、櫻井義秀、大畑昇編著の「大学のカルト対策」の書評を開始します。「書評」と呼ぶにはかなり長いシリーズの読み物になるかと思いますが、この問題に関心のある方にとって参考になる内容にするつもりですので、お付き合いください。

さて、この本の紹介ですが、2012年12月25日に北海道大学出版会から出された本で、256ページで2,520円(税込)と、分量の割には高めの本です。おそらく、たくさん売れることを期待したのではなく、各大学に置いてもらったり、「カルト対策」を現場で行う人の教科書のようなものにしようという企画で出されたものと思われます。「カルト問題のフロンティア」というシリーズの第一弾に位置付けられていて、北海道大学出版会では、これからシリーズでこの問題を扱おうとしていることが分かります。  大まかな目次は以下のようになっています。ページ数は私がカウントしたものです。

 

第一部 日本のカルト問題

1.なぜカルトは問題なのか:櫻井義秀(30㌻)

2.全国カルト対策大学ネットワークについて:川島堅二(20㌻)

3.大学のカルト対策と信教の自由:久保内浩嗣(17㌻)

4.キャンパスでの声かけからネット・SNSに移行する勧誘の手口:瓜生崇(17㌻)

5.青春を返せ訴訟25年  ―  統一協会との闘い:郷路征記(54㌻)

 

第二部 カルト問題―学生相談との関連

(2012年5月20日に北海道大学で開催された「日本学生相談学会第30回大会シンポジウム」の記録) 1.外来宗教とカルト問題:櫻井義秀(18㌻)

2.カルトによるマインド・コントロール:パスカル・ズィーヴィー(23㌻)

3.学生相談の立場から:平野学(13㌻)

4.大阪大学における取り組み:大和谷厚(8㌻)

5.質疑応答:(15㌻)

6.シンポジウムを終えて:大畑昇(26㌻)

 

大学における「カルト対策」を実践している人々がオールキャストで出ている感じですが、一見して、郷路征記弁護士による「青春を返せ訴訟」に関する記事が分量的にダントツで長いことが分かります。これは、この本の中で統一教会対策、CARP対策が非常に大きなウェートを占めるものであることを物語っています。  序論に当たる「はじめに」を櫻井義秀氏が担当していますが、その中で彼は本書で扱われる課題を前もって紹介しています。彼はまず、このように問を立てます。

「なぜ『カルト対策』が難しいと認識されるのでしょうか? まずもって、『カルト』の定義が学問的に可能か? 『カルト』と宗教は同じものか、違うものか? 宗教学や宗教社会学において学術的に認められた見解はあるのか? もし、カルトと宗教の区別が原理的にできないとしたら、『カルト対策』は憲法20条で保障された信教の自由を侵すことにはならないのか?・・・理念はわかるが現実的には大学が対応可能な守備範囲を超えた問題なのではないか?」(p.i-ii)

問いの立て方としては、極めてまともであると言えるでしょう。櫻井氏は、「本書はこうした疑問に一つ一つ丁寧に答えていきます」(p.ii)と約束しています。本当に一つ一つ丁寧に答えているか、これからシリーズで検証していきたいと思います。

さて、彼は大学がカルト対策を始めるに至る経緯について、概略以下のような説明をします。(p.iii-iv)

 

・1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件は世界を震撼させた。

・しかし、教団はアレフ、ひかりの輪として存続し、現在も1400名程度の信者を擁しており、半数はオウム事件以降に入信した人たちである。

・オウムに代表されるカルト視された教団の多くはなくなるどころか、そのまま活動を継続している。

・彼らは正体を隠した勧誘活動を行い、騙しやすい世間を知らない学生を狙う。

・カルトの被害をなくすには大学での対策が肝心であり、カルトに関する情報提供が最も有効である。

 

オウムの話を持ち出せば、その悪は誰も否定できないので、大学の「カルト対策」を批判する声を封じるには最も有効なレトリックであると言えるでしょう。しかし、オウム真理教は極めて特殊な事例であって、「カルト」視されるすべての団体をオウムと同列に論じて良いのかどうかは甚だ疑問です。

彼はまた、「このような大学のカルト対策に対して一部のカルト視される教団は危機感を持ったようです。『大学のカルト対策』は信教の自由を侵害する、特定教団の信者(学生)への差別的行為を助長するハラスメント行為であるといった主張をなし、対策に熱心に取り組む大学の学長や総長に申入書を出したり、カルト対策に熱心な教員が所属する学部の学部長宛にも同様の文書を出したりしております。文書を受け取った大学や学部では毅然とした対応をとっているところですが、いよいよ大学教育の根幹が問われてきております。」(p.v)とも書いています。このことは、各大学の原研代表の活動が、「カルト対策」を推進しようとする人々に、非常に大きなインパクトを与えていることを物語っています。

「はじめに」の最後の部分で、櫻井氏は「カルト団体の方や学生信者の方」に向けて、以下のような挑発ともとれる言葉を発しています。カルト団体の信者を自認する人がどのくらいいるのかは疑問ですが、一応引用してみましょう。 「最後に、もしカルト団体の方(指導者・幹部の方)や学生信者の方が読まれるのであれば、ご自身が所属されている組織の布教方法や信者の教育方法、社会活動のあり方を見直してください。また、宗教的真理や宗教法人としての正当性・公益性を主張するのであれば、教団名、教義の内容、信者としてどのような教育・訓練を受けるか、現在行っている教団の活動内容、卒業後にどのような進路が待っているかを学生にもれなく教えてあげてください。正々堂々と布教しましょうよ。それでも伝わらない、理解してもらないとしたら、それはあなた方の信じているものの中味、崇拝対象がその程度のものだということなのです。」(p.vi-vii)

この挑発をどのように受け止めるかは、読者の皆様の判断に任せますが、彼の言う「正々堂々と布教」するということが、実際に何を意味し、彼らが何を狙っているのかに関しては、これからのシリーズの中で明らかにしていきたいと思います。

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