実況:キリスト教講座38


自然神学と啓示神学(1)

 これが本日のキリスト教講座の最後の講義です。タイトルは「自然神学と啓示神学」です。いかにも難しそうなタイトルですね。なぜ、この自然神学と啓示神学について話さなければならないのかというと、それは私が千葉の21修でキリスト教講座を担当していたころに、その講座の一つの目的が反対牧師対策だったわけです。特に、福音派の牧師から説得を受ける際には、必ずこの問題が付いて回るわけです。そのために、これについてお話をしなければいけないわけです。

 私が21修のキリスト教講座の講師になったときの統一教会の会長が、大塚克己会長だったんですね。大塚会長と私は神学校で一緒の時期に学んでいたんですね。その時にいろいろと神学の議論をしたものですが、「ぜひこの話をしなさい」というご指導だったので、これがテーマとして入りました。その背景には、一つの事件があります。

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 それが何かというと、1993年4月21日に「山崎浩子さん脱会記者会見」というものがあったんです。むかし、統一教会の信者に山崎浩子さんという方がいたんです。いまはもう信仰を失って離れていますけれども、若かりし頃は「新体操の女王」と言われたんです。オリンピックにも新体操で出て、メダルはもらっていないと思いますが、日本の新体操のホープだったんですね。日本の新体操におきましては草分け的存在であったわけですが、その方が友達から伝道されて食口になったんですね。

 そして1992年の8月に3万双の合同結婚式というのがあって、その前に「この合同結婚式に山崎浩子が参加するらしい」という情報にマスコミが飛び付いて大騒ぎになったんです。山崎浩子さんという方は単に新体操の選手だっただけでなく、その後タレントになってテレビによく顔を出していたんですね。一番よく出ていたのが「クイズダービー」という番組だったんですが、いまはもうないので若い人は知らないでしょう。竹下恵子やはらたいらが出ていた番組で、山崎さんはあんまり正答率は高くなかったんですが、レギュラーで出ていたんですね。ですからタレントとしても有名で、新体操の選手で容姿が美しかったということもあって、こういう人が統一教会の合同結婚式に参加して、マッチングで相手が決まるということで、そのことが週刊誌でスクープされたんですね。

 その週刊誌の記事をもってテレビが山崎さんに突撃取材をして、「統一教会の合同結婚式に参加するんですか?」と尋ねたところ、「ハイ、しますよ」と彼女が答えたもんですから、「山崎浩子の相手は誰か?」ということで大騒ぎになったんです。そのうち、「どうやら桜田淳子も参加するらしい」ということになって、二人の相手は誰なんだということでマスコミが報道合戦をしたのが1992年のことです。そうした中で1992年の3万双の祝福式が行われたわけですが、このころは統一教会の祝福式がいわゆる芸能人ネタとして大々的に報道されるような状況だったわけです。

 そうすると、中には自分も統一教会に入ればタレントと結婚できるかもしれないと考えた男性もいたかもしれません。おそらくそのような形で統一教会が有名になること対して反対派が許せないと思ったのでしょう。いわゆる巻き返しのために、この92年ごろにテレビのワイドショーに反対派や拉致監禁によって教会を離れた元食口たちが登場して、「自分は霊感商法をこんなふうにやってました」と主張しながら、反対キャンペーンが繰り広げられたわけです。ですから、この1992年の3万双のころが日本における反統一教会報道のピークでした。つまり、ワイドショーがほぼこの話題でジャックされて、日本中で統一教会を知らない人がいないというくらいに超有名になりました。

 この1992年に山崎浩子さんや桜田淳子さんの合同結婚式参加を巡ってマスコミから統一教会が大々的に打たれる前は、日本国民の中で「統一教会って知ってますか?」と言われて「知らない」と答える人は結構な割合でいたわけです。しかしこのときには、統一教会について聞いたことがないという人は、テレビを見たことがない人じゃないかというくらいに超有名になりました。ですから、少なくとも皆さんの親の世代はこのころにテレビを見ていたわけですから、その頃の報道で統一教会については何かを知っているだろうということです。いまはこのころほどテレビで統一教会について報道してくれないですから、皆さんの世代やもっと若い人は、知らないという人がむしろ多いかもしれません。最近はほとんど報道してくれないのでむしろ寂しく感じるくらいですね。そういう意味で、この92年はマスコミによる統一教会バッシングのピークだったといえます。

 このときに、桜田淳子さん、山崎浩子さん、徳田敦子さんが「三女王」などと呼ばれて合同結婚式に参加したんですけれども、93年の3月6日から山崎さんが突然行方不明になってしまうんですね。山崎さんは、勅使河原さんといって、京都大学の農学部を出て大和証券に勤めていたCARP出身の食口の男性と祝福を受けたんですね。もう家庭を持つ直前で、ご両親はもう亡くなっていたので、お墓参りもかねて主体者である勅使河原さんと一緒に親族のところに挨拶に行ったんです。そして勅使河原さんが先に帰った後で、おそらく親族によって拉致監禁されたんですね。そういう状態で行方不明になりました。本人と連絡が取れなくなったということで、「山崎浩子さん失踪」ということでマスコミも大騒ぎをしました。連日、勅使河原さんが朝出勤するときに、テレビのレポーターが待ち構えていて、一緒に歩きながらインタビューするという状態でした。

 教会側としては何とか救いたいということで探していたのでありますが、彼女は名古屋の杉本誠という牧師から棄教の説得を受けていたようです。そして、いなくなってから約一か月半ですね。その間に説得を受けて、信仰を失って、TBSで脱会記者会見をしました。ちょうどの日が、彼女の書いた「脱会手記」を掲載した『週刊文春』が発売される日だったんですね。そこには自分がどのようにして統一教会に入るようになり、なぜ脱会を決意したのかが書いてあったわけです。ですから、この記者会見はいわば『週刊文春』のプロモーションでもあったわけです。飛ぶように文春が売れたそうであります。

 これは反対牧師と有田芳生というジャーナリスト(現在は参議院議員)と週刊文春とTBSが一体となって「脱会劇」を仕組んだということになります。それがものの見事に成功して、脱会記者会見で山崎さんが「私はマインド・コントロールされていました」と言ったことによって、「マインド・コントロール」という言葉が日本中に有名になっていったわけです。このように日本の統一教会史上、非常に重要な事件が1993年4月21日に起こっているわけです。

 私が21修の講師を始めてから、若い人たちにこの話をしても、ほとんど記憶にないと言うんですね。皆さんの中で、この報道をリアルタイムで見たという人はいますか? いませんね。若い方々はこのころまだ小さな子供だったでしょうから、おそらく覚えていないでしょうね。私が当時何をしていたかと言うと、私は当時アメリカの統一神学校で学生をしていましたので、アメリカにいました。ですからこの報道をリアルタイムで見ることはできませんでした。ただ、仲のいい兄弟がビデオに撮ってわざわざアメリカまで送ってくれたので、ビデオで脱会記者会見の様子を見ることができました。まあ、日本の統一教会史におきましては大変悲しい出来事の一つであります。

 それでは山崎さんはどのように説得されて教会を離れたのでしょうか? 『週刊文春』に掲載された脱会手記によると、ハンフリート・ミューラーという人が書いた『福音主義神学概説』(雨宮・森木訳、日本基督教団出版局、1987年)という本を読んで、『原理講論』の“間違い”に気付いたというんです。この本はもともとはドイツ人が書いたものですが、日本語訳が出ております。山崎さんに脱会説得をする際に、この本が用いられたと言われております。

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 実は、私もこの本を持っています。このようにとても味気ない表紙の本です。山崎さんの説得を中心的に行ったのは杉本誠牧師であると言われていますが、清水与志雄という反対牧師も関わっています。実は清水牧師がこの本を使って説得をするらしいです。つまり、杉本牧師と清水牧師が組んで山崎さんの説得に当たり、清水牧師がこの本を持ってきて読ませたということらしいのですが、山崎さんはこの本の最初の二、三行を読んで「体がカーッと熱くなった」と言っているんです。これは何か感動したか、宗教的体験をして、目からうろこが落ちたような気持になって、「原理は間違っている」という結論に至ったのだということになります。そのように脱会手記には書いてあるわけです。

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