神学論争と統一原理の世界シリーズ20


第五章 救世主(メシヤ)について

1.イエスはどんな人物だったのか?

イエス・キリストとは誰か? という問いかけに対する答えは、今日、大きくは二つのカテゴリーに分けられる。それは「史的イエス」と「信仰のキリスト」と呼ばれているもので、前者が歴史上の人物としてのイエスが実際にどんな人だったのかという探求であり、後者はクリスチャンたちの礼拝の対象としてのキリストである。キリスト教について明るくない人は、「それって、同一人物なんじゃないの?」と言うかも知れない。確かにそうである。しかし、例えばあなたがテレビの画面の中やステージの上で歌うアイドルやタレントのファンだったと仮定しよう。あなたが彼または彼女に一度も個人的に会ったことがなければ、あなたが心の中で思い描いているその人物の像は、実像とはかなりくい違っている可能性だってあるではないか?

同様にどんな敬虔なクリスチャンであったとしても、実際に歴史上の人物としてこの地上に生きたイエスと個人的に会った人はいない。二千年も前に書かれた記録である福音書を通して知るしかないのだ。むしろ敬虔なクリスチャンであるほど、歴史的な人物としてのイエス像は見えにくくなるだろう。それはちょうどテレビの画面やステージの装飾が、実像とは違った「アイドル」や「タレント」としての人物像を演出するのと同様に、イエスについて我々に伝えている福音書は、神の子であり信仰の対象としての「キリスト」の姿を演出しているからである。

 

史的イエスと信仰のキリスト

キリスト教における伝統的なイエス像は、使徒信条の中に集約されている。使徒信条は復活祭、ペンテコステ、クリスマスなどの重要な行事のたびに唱えられるので、クリスチャンが抱いているイエスのイメージを表現していると言っていいだろう。それは次のようなものだ。

「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん・・・」。

このような神秘的なイエス像、は十数世紀にわたって教会の中で保存され、イエス・キリストについての唯一のイメージとして君臨してきた。しかし19世紀に入って聖書の歴史的な研究が始まると、前述のようなイエス像はたちまちの内に破壊されてしまった。ただしこれは教会の外の聖書批評学という学問の世界でのことであって、教会の中では今でも信仰の対象としてのキリストの姿は保たれている。このようにして「史的イエス」と「信仰のキリスト」の分裂が始まった分けだが、この両者の間の溝は埋められるどころかますます開く一方なのである。

 

聖書をずたずたに引き裂いた聖書批評学

まず歴史家たちは、現在残っている四つの福音書が、イエスの生涯をその目で目撃した人々による歴史的なドキュメントではなくて、イエスの死後40年ないし60年たった後に、口頭伝承として流布していたイエスに関する断片的な物語を編纂したものであったことを明らかにした。人間の記憶というものは年月とともに風化したり変質したりするものだ。ましてそれが信じ敬愛していた人物に関するものともなれば、そのイメージは次第に美化されていく。それが人から人へと口頭で伝えられて行ったとなれば、さまざまな尾ヒレや装飾がつくことも考えられる。その結果として福音書は、本当はイエスが言ってもいないことを言い、やってもいないことをやったかのように書いているのだ、と聖書批評学者たちは主張する。

これは悪くいえば歴史の捏造ということになるだろうが、福音書の著者たちはそもそも正確な歴史を書くことには関心が無かった。彼らは信仰の対象としてのイエス・キリストを証すために福音書を書いたのである。したがってそれは、「彼らにとってイエス・キリストとはだれか」について書いたのであって、客観的に歴史的人物としてのイエスを描こうとしたのではないのである。

しかしそれでは、福音書の中に歴史上の人物としてイエスの実像を発見することを全くあきらめてしまったのかと言うと、そうでもなくて、多くの学者たちが後世の加筆や編集過程での操作を取り除いていくことにより、イエスのオリジナルのメッセージを抽出しようと努力してきた。しかしこの聖書批評学なるものは非常に懐疑的な学問で、まともな信仰心を持った人ならズタズタに聖書が引き裂かれて行くの見て心が痛むに違いない。実際に私もアメリカで新約聖書の批評学を学んだときにそのような体験をしたものだ。それは例えていえばタマネギの皮を剥くようなもので、あれも後世の加筆、これも後世の捏造と、歴史的信憑性を否定して取り去っていくうちに、とうとう信じられるものは何もなくなってしまったというのが現状だろう。

だから、どれがイエスのオリジナルのメッセージだったのかということについては、現在のところ学者ごとにバラバラで定説というものは存在しない。一人ひとりが全く異なったイエスのイメージを提示して、そのことを立証するためにあらゆる議論を尽くすから、まさしく百家争鳴の様相を呈しているのだ。このことを象徴的に表しているのがジーザス・セミナーにおける「投票」だ。「ジーザス・セミナー」というのは、新約聖書の歴史的研究を専門とする学者たちが「史的イエス」の問題について研究する学会だが、そこでは当然意見がまとまるということはあり得ない。したがって、例えば「イエスは終末の予言をしたか?」というような問題に対して、最終的には賛成・反対のどちらかを投票するというのである。

別に多数決で勝った方が正しいといっているわけではないが、現在の最先端の研究ではおよそどのようにとらえられているかという、一つのバロメーターになるというわけだ。彼らは同様の方法で、聖書に記されているイエスの言葉一つひとつの歴史的信憑性を投票によって決定し、イエスが本当に語ったと思われる可能性が高い順に赤、桃色、灰色、黒、と色分けした福音書を作ったりしている。(注1)

The Five Gosplesのカバー

The Five Gosplesのカバー

The Five Gosplesの中身。イエスの言葉が赤、桃色、灰色、黒の4つに色分けして表示されている。

The Five Gosplesの中身。イエスの言葉が赤、桃色、灰色、黒の4つに色分けして表示されている。

結論としては、イエスが歴史的に見てどんな人物だったのかということに関しては、学問的な定説は存在しないということになる。厳密に言えば、「信仰のキリスト」にしたって各教派・教会ごとに違っているし、同じ教派でもお国柄によって異なっていたりする。これは逆に言えば、どんなイエス像を提示したとしても非難には当たらないということだ。たとえだれかが「これこそ絶対的に正しいイエス像だ」と言ったとしても、それはその人の信仰上または学問上の確信に基づいて主張しているに過ぎない。ちょうどジーザス・セミナーが投票で決めているように、人々の心を魅了するようなイエス像が次第に正統の座を獲得するようになるのだろう。

 

統一原理のイエス像

「統一原理」のイエス像は、伝統的なキリスト教のイエス像とかなり違っているかも知れない。しかし今まで述べてきたように、現在ではどんなイエス像も非難されるいわれはない。もし魅力的なイエス像が正統になっていくとするならば、私はこれほどまでに魅力的なイエス像はほかにないのではないかと思う。「統一原理」のイエス像は、主として第四章「メシヤの降臨とその再臨の目的」の中で述べられている。詳しくは『原理講論』の第四章と、本書の次章をその補足説明として読めば理解できるだろう。

(注1)Robert W. Funk, Roy W. Hoover, and The Jesus Seminar, “The Five Gosples: What did Jesus Really Say?”を指している。この本(英語)は1993年12月17日に出版されている。著者が統一神学校で新約聖書学を学んだのは1993年1月~3月ごろであり、この本はまだ出版されていなかったが、UTSで新約聖書学を講じていたRichard Arther教授は、ジーザス・セミナーの投票にたびたび言及していた。もちろん、『神学論争と統一原理の世界』が書かれた1997年の時点ではこの本は既に出版されており、著者も購入していた。ちなみに、福音書と言えば普通はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つだが、「トマスによる福音書」も史的イエスの探求に用いているので、 The Five Gosples(5つの福音書)というタイトルになっている。

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