神学論争と統一原理の世界シリーズ26


第六章 歴史について 

2.歴史はどのように繰り返しているのか?

前の節においては、歴史の繰り返しということに関して、「統一原理」を過去の代表的な歴史観と比較しながら述べたが、ここでは統一原理のいっている「歴史の同時性」とは一体いかなるものであるのか、そのものずばりを説明してみようと思う。

普通、歴史を構成するものといえば5W1Hというものがあって、いつ、どこで、誰が、何をした、なぜ、いかに、といったことが記録されるわけであるが、もう一つ忘れてならないものが視点(パースペクティブ)である。すなわちこれはどのような観点から歴史をみるかという「思想」を意味する。ある事件がなぜ起こったかなどということは、その事件を見る視点とは切り放して考えることはできないし、どの事件を重要視して記述するかという選択もまた、歴史観によって大きく左右される。

通常何らかの思想的枠組みをもって歴史を見るときには、それは「唯物史観」とか「進歩史観」とかいう名前を付けられ、そうではなくて客観的に歴史を記述したものを「一般史観」と呼ぶが、厳密な意味では全く客観的な歴史の記述というのは存在しない。歴史を単なる事件の羅列でなく、因果関係のある「流れ」としてとらえようとすれば、無数の出来事の中から重要なものをピック・アップし、それらの関係を解釈する必要が生ずるからだ。そして優れた歴史書は必ず何らかの教訓を含んでいる。

歴史の原型は古代イスラエルにあった
「統一原理」の歴史観は、人類歴史は失われた創造の理想を取り戻そうとする神の摂理の足跡であったという視点から、すべての歴史上の出来事を分析している。したがって歴史は単なる人間の恣意の寄せ集めとして流れているのではなくて、神の計画のもとに一つの目標に向かっていくと考えられている。その目標とは地上天国、すなわち神を中心とする理想世界の実現であり、人類歴史はそこに至る過程である。「統一原理」はそれを「神の復帰摂理歴史」と呼んでいる。

神の導く摂理には中心がある。すなわち神はご自身の理想を実現するに当たって、まず特定の人物を立て、そこから家庭、民族、国家と次第に版図を拡大しながら、世界へと広げていくのである。したがって神の摂理が典型的に現れる最前線である「歴史の中心」と呼ばれるものが存在し、そこを詳しく調べていくことによって、やがて世界がいくべき道が見えてくるということになる。「統一原理」はそれを旧・新約聖書の伝統に立つユダヤ・キリスト教の歴史の中に発見した。そしてさらに最も根本的な歴史の原型(アーキタイプ)は、旧約聖書の一番初めに位置する「創世記」の中に示されていたことを発見したのである。民族的には常にマイナーであり続けたユダヤ人の古代の記録が、今日世界一のベストセラーである聖書の冒頭におかれているのは、そこに神の摂理の秘密が隠されていたからであるというわけだ。

一口に創世記と言っても、最初の人間であるアダムの家庭から、アブラハム、イサク、ヤコブの家庭までには、二千年の歳月が流れている。この最初の二千年間に神の摂理のエッセンスが詰められており、それから後のイエス・キリストまでの二千年、そこからさらに現代までの二千年は、それと本質的には同じ内容をを民族レベル、世界レベルで繰り返したものだ。繰り返してきた理由は、本来人類始祖アダムとエバが完成させるべきであった神の創造理想が、彼らの堕落によって成し遂げられず、その後孫である人類に受け継がれてきたためだ。そして時間の経過とともに人類が繁殖したために、摂理の規模も拡大していったのである。

聖書の中に繰り返し現れる不思議な数字
さて聖書を調べていくと、そこには繰り返し出てくる不思議な数字があるのを発見する。それは12、4、21、40という数字であり、それを10倍化した120、40、210、400も基本的には同じ意味を持っている。例を挙げればノアが箱船をつくる期間の120年と洪水審判の40日、キリストの12弟子と40日の断食など、枚挙にいとまがない。そしてこれらの数字は単に聖書の中に現れるだけでなく、今日に至るまでの世界史を動かしている不思議な数字であることを「統一原理」は発見した。すなわち、歴史を神の摂理からみて重要な事件を中心として区切っていくと、必ずその年数がこれらの数字となって現れるというのである。

以上のような法則性に基づいて、アダム以来今日に至るまでの人類歴史を概観した鳥瞰図が【図10】である。この図においては、一番上の線がアダムからアブラハムの孫ヤコブまでの二千年、二番目の線がアブラハムからイエスまでのユダヤ民族を中心とする二千年、三番目の線がイエス以降今日に至るまでのキリスト教を中心とする二千年を表している。そして数字によって区切られた各時代の様相は、互いに相似型をなしているのである。

一つのおもしろい例を挙げれば、歴史家たちが好んで用いる「教皇のバビロン捕囚」という表現がある。これは同時性の図で言えば三番目の線の左から五番目の時代に起こったことで、具体的には西暦1309年、ローマ教皇クレメンス5世の時代に教皇庁がローマから南フランスのアヴィニョンに移され、70年間に渡って歴代の教皇たちがフランス王の拘束を受けながら捕虜のような生活をしたことを指している。歴史家たちはこの事件を、ちょうど二千年前にユダヤ人たちがバビロニアに捕虜として囚われの民族となった70年間になぞらえて、「教皇のバビロン捕囚」と呼んだのである。歴史はどのように繰り返しているのか?つまりこの二つの事件の間に何らかの類似性を見いだしていたことになる。しかしもう少し視野を広げてみれば、そのさらに二千年前、同時性の図でいえば一番上の線の五番目の時代は、イエスラエルの先祖であるヤコブが、ハランにおいて叔父ラバンのもとで苦役の生活をしていた時代であることが分かる。つまりヤコブは個人の路程において、後に民族が歩んだ道を先取りしていたことになる。

 

同時性の歴史を解明した統一原理
歴史家たちは「教皇のバビロン捕囚」という表現をした点において、神の摂理の同時性について一か所だけの断片的なインスピレーションを与えられたと見ることができよう。しかし「統一原理」はその前後の時代すべてに渡ってこのような類似性が存在し、歴史が繰り返していることを詳細に説明しているのである。それらの歴史上で起こった一つひとつの事件の意味や、各時代の類似性については、この少ない紙面ではとうてい説明しきることのできない膨大な内容だ。それについては原理講論の後編第三章と第四章をじっくり読んでもらうしかない。この節は、その一部でも味わってもらうために簡単な概略を説明したものに過ぎない。

「統一原理」の「歴史の同時性」は、過去の歴史の意味を人物、出来事、年数のすべてにおいて明確に整理し、現在我々が生きている時代がいかなる時代なのか、そしてこれからの人類歴史がどこへ向かって行かなければならないのかを教えてくれる、偉大な歴史観なのである。

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