アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳49


第5章 選択か洗脳か?(12)

table5 表5で示されたデータ、そして米国におけるフルタイム・メンバーの数が数千人を超えたことはなさそうだというまさにその事実は、「誰もが免れない」というような大げさな主張を排除する(注65)。そして、もしわれわれがこれらのデータに照らして、洗脳、操作、強制によって青年をムーニーにする社会的状況としての修練会の役割を考えると、それが時折示唆されてきたほど恐ろしく効果的なものではないことは明らかである。それは、少なくとも90%は「効果がない」と考えられる。この「少なくとも」が強調されなければならない理由は、人々が修練会参加に同意する前の段階で激しい選択の過程が起きているからである(注66)。もし、幸福な結婚をしている40代後半の成功したビジネスマンをも含めて、「全員」が修練会に行ったとすれば、その失敗率は間違いなく跳ね上がるだろう。

統一教会のセンターを訪問した人の数までさかのぼって計算を始めれば、多めに見積もっても、2年後に統一運動に加入している者は0.005%に満たないであろう。そしてその全員がフルタイム・メンバーだというわけではない。言い換えれば、統一教会のテクニックによって誰もが洗脳されるというのは、全くの間違いなのである。新会員候補者によって修練会に「もたらされる」要因こそが、結果を決定するうえで最重要であることは、極めて明らかであると思われる。誰かがムーニーになる理由を理解しようとするなら、われわれには、どんな種類の人が入会しそうなのか、また彼らのどんな性格、傾向、人生経験が、統一教会が彼らに提供すると思われるものに対して、いかに反応するのかについての情報が必要なのである。

入会した者たちは、非常に感受性の強い生物学的性質を持って修練会にやってきたからそうなった、ということも十分にあり得る。しかし、事後説明以外の方法で、彼らを他の修練会のゲストといかに区別することができるであろうか? 運動に参加した人々が、運動に出会う以前に、食事、睡眠のパターン、講義中ずっと座り続けていること、激しい運動に参加すること(これらはどれも統一教会以外の状況での同様な現象と大きく異なっているわけではないし、大半のゲストは影響を受けないものである)などによってもたらされる身体的な変化を異常に受け入れやすいということに気づいた、という証拠を発見することはできなかった。言い換えれば、(身体的な強制に関する議論に結論を下せば)、新会員獲得を「脳のコントロール」によって説明することは、非入会者の高い比率によって否定されるし、「生物学的な感受性」による説明は、論点を先取りするやり方によって、その証拠を最終的な結果に依存しなければならないのである。それは、実証したと主張しているまさにそのことを前提としている。ムーニーになる人々は、食事やその他の変化に際だって影響を受けやすいのでそうなるにちがいないし、一方でムーニーにならない人々はそれほど影響を受けやすくないのだ、と言っているのである。

私は、統一教会の修練会に参加する人々が、時には疲れを感じることがないとか、不慣れな食事によって彼らの抵抗力が低下することはないだろうと示唆しているのではない。しかし、彼らがその他のごく普通の状況にいる場合と比較して、著しく身体的に無能な状態にさせられるという証拠はない、ということを論じているのである。言い換えれば、もし彼らがその時その状態で、別の状況にあったとすれば、個人的な関心と過去の経験に従って選択肢の中から選ぶことは、(肉体的な機能に関する限り)完全に可能であるとわれわれはみなすであろう。

だがこれは、修練会が重要でないという意味ではない。ほぼすべてのケースにおいて、誰かが運動に入会するためには、ある一定期間を統一教会の環境の中で過ごすことは必要な前提条件である。統一教会の修練会の状況が脳に「直接的な」影響を与えているという証拠はないが、「間接的な」影響を及ぼしている可能性は依然としてある。もちろんゲストの脳は、その持ち主が環境に反応するのを許し続ける程度には影響を受けているに違いない。しかし、潜在的なムーニーが、決断を下すことが肉体的に可能な脳を持っていたとしても、「意味のレベル」において強制されているために、彼の選択能力はそれでもなお著しく制限されているかもしれない。別の状況でじっくり考えたならば別の見方をしたかもしれないが、彼は周囲の人々が彼に対して望んでいるように状況を見ているかもしれないのである。言い換えれば、意思決定の過程を経ることは肉体的に可能であるが、実際には、最終的な結果をコントロールしているのはムーニーであると言えるほどまでに、現在の選択肢を解釈し、彼の過去の経験を再解釈するのはムーニーであるかもしれないのである。次の二章は、この可能性について論じることにする。

(注65)例えば次のものを参照せよ。市民自由財団「インフォメーション・ニュース」1981年10月、p.3:「誰も彼らの心理的な強制を免れない」

(注66)アメリカの大学キャンパスでの全国世論調査によると、文鮮明師の統一教会のような宗教的カルトに入会する可能性について、93%の学生は「あり得ない」と答え、さらに5%は「ほとんどない」と答えている。1%が「ひょっとしたらある」と答え、1%未満が「十分あり得る」と答えている。「ニューズウイーク」誌のキャンパス世論調査、1983年。「イマージング・トレンド」プリンストン宗教研究所、第5巻、第5号、1983年、p.2を参照せよ。

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