アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳43


第5章 選択か洗脳か?(6)

さらに例を挙げれば、マーガレット・シンガー(この章の冒頭で引用した専門家)は元カルト信者を記述する中で、(彼らの75%は外部の介入によって運動を離れたのであるが)彼女の主張によれば、元信者たちが苦しんでいる困難のリストなるものを作成した。これらの困難の中には、憂鬱、孤独、優柔不断、変容状態、精神的な鋭敏さがぼやけること、無批判な受動性、および極度に批判的な傾向などが含まれている(注33)。疑いもなく、シンガーは、その記述に関する限りにおいては正確だといって良い。だがそれだけでは十分というには程遠く、誤解を招く恐れが極めて多いという点においては不十分である。第一に、彼女が指摘する特徴はその患者がカルトに入る以前から発生していたのか、あるいはカルトの中にいたときに発生したのか、それとも離脱した結果発生したのかについて、明確に示されていないのである。次に、どの程度の元メンバーがこうした苦痛を受けているのか、つまり全員なのか、大多数なのか、それとも少数だけがそうなのかについても、まったく示されていない。おそらくシンガーは、同じ人物が無批判な受動性と極度に批判的な傾向の両方に苦しんでいるとは言っていないだろう。苦痛を味わっている人々の場合については、われわれはその影響が果たして、「カルト体験」のない人々の味わっている同種の苦痛より深刻なのか、それともそうではないのかも分からない。われわれは誰もが、憂鬱、孤独、優柔不断などに陥る時期がある人々(恐らく自分を含めて)がいることを知っている(注34)。

さらなるポイントは、シンガーがサンプルを抽出した異なるカルトの間に、何の区別もなされなかったということだ。つまり、それらはすべて一緒くたにされて、それぞれの中から最も憂慮すべき効果が全般のリストに加えられたように見受けられ、特定の効果が当てはまらない状況については一切示されていないのである。新宗教運動についての知識がある人なら誰もが完璧に良く知っていることだが、個々の運動の間には非常に明確な違いがあるのだ。ムーニーになるようなタイプの人は、ディバイン・ライト・ミッションの信者や、メア・ババの信奉者や、estの卒業者や、神の子供たちでかつて「浮気な釣り」をしていら者たちと同じタイプの人間ではないし、また同じような経験をしていたとは思われない。

繰り返す危険を冒すことになるが、私が強調するポイントは次のことである。つまりムーニー(あるいは元ムーニー)についての記述は、彼らがムーニーでなかったならどのような者であるかについては若干知らせてくれはするものの、ムーニーとは一体どういう者なのかについては語ってくれないのである。われわれが通常与えられる記述の中には、彼らは非ムーニーと比べて「より」憂鬱であり、孤独であるなどと示唆する暗黙の比較がある。しかし、これは実証的調査を必要とする仮定に過ぎない。われわれは自然科学者たちがしているのと同様に、われわれの知識を比較のコンテキストの中に位置づける必要がある。もし自然科学者が、ある特定の金属は固い特質を持っていると言いたいなら、その金属の「相対的な」固さがどの程度なのかを示してこそ、その描写は有益なものになる。すなわち、金よりは固いけれども銅よりは柔らかい、といった具合である。

われわれが行動の原因を説明しようとするならば、比較のコンテキストはさらに重要である。例えば、ある運動の会員の3%がある特定の年に自殺したということを知ったなら、これは明らかに懸念の原因となり、その運動のいったい何が人々をして自分の命を捨てさせたのかについて調査するのも当然だろう。しかしわれわれがまた、同じくらいの年齢で同様な背景を持った非会員の5%がその同じ年に自殺したということを知ったなら、そのときは、われわれはその運動には自殺を「思いとどまらせる」何かがあるのではないかと調査する気になるだろう。

このようなことを考えて、私は、運動とは何の接触もないが、ムーニーと同じ年齢で同じような社会的背景を持っている対照群の情報を集めることが必須であると信じるにいたった。同じく重要なことであるが、私は運動と接触したが、会員にならなかった人々の情報を集める必要もあった。

(注33)シンガー「カルトからの脱出」
(注34)デイリー・メール紙の名誉毀損裁判では次のようなやりとりが行われた。
ショー氏(統一教会を代理):ムーニーはマインド・コントロールを受けているというあなたの仮説を検証するためーーそれはあなたの仮説ですね?

シンガー教授:そうです。

問:それを検証するために、元ムーニーと同様にムーニーをインタビューしなければならないと思いますか?

答:必ずしもそうではありません。なぜなら、それ(仮説)はその組織がどのように働いているかに関する十分な前歴を得ることに基づいているからです。そして中にいるムーニーたちからは、離脱した者たちが述べるのと極めて類似した過程が起きているいう描写が得られているからです。

問:それ(集中することの困難さ)が洗脳の症状であると結論づける前に、集中力を検証できるムーニーのグループと、一度もムーニーになったことのない対照群が必要なのではないでしょうか?

答:いいえ。なぜなら(その方法論は)一人の人の比較研究をすることだからです。自分自身を対象事例として使い、そのようにして個人を見る方法なのです。彼らがどのような人物だったかの前歴を十分に得て、また彼らの学校の記録、両親、家族による描写を得て、それらを彼ら自身の対照として用いるのです。

問:(集中することが困難という症状は)さまざまな状況で遭遇するものであり、ストレスや感情によっていつでも生じ得るものなのではないでしょうか?

答:そうかもしれませんが、これらの青年たちに見られる形態は非常に珍しいものです。なぜなら、彼らには集中困難を引き起こす際にしばしば見られる精神科的症状が欠けているという傾向があるからです。

問:彼らの持っている集中に関わる問題は、それは十分な時間と努力があれば、評価や対処が可能なものなのでしょうか?

答:その個人においてはそうです。

問:十分な事例に携わっていれば、それはムーニー以外の人々全体と比較できるのでしょうか、できないのでしょうか?

答:できるでしょう。

問:そのような課題に取り組んだことがありますか?

答:それは私の個人的な選択肢ではありません。科学には多くの方法があるし、個々の科学者は自分の仮説を検証するために最も適切な方法を選択するようになるのです。それが彼らにできる最善の道なのです。

公式記録、1981年3月9日、46ページ

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