アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳02


序文

なぜ、いかにして、誰かがムーニーになり得るのか? 人が一日に16時間、18時間あるいは20時間も街頭で小冊子や花、キャンディを売るために、自分の家族、友人、そして経歴まで犠牲にするという事実を、何をもって説明することができるだろうか。立派な教育を受けた成人がいかにして、誰と結婚するか、自分の配偶者と一緒に生活できるかどうか、自分たちの子供を育てることができるかどうかを決定する権利を放棄するよう説得され得るのだろうか? かつては非常に貧しかった、事実上全く英語を話さない韓国人が、いかにして数千人もの西洋人信奉者を入会させ得るのだろうか? その信奉者たちは、彼の宗教・政治・社会的哲学を唯一無二の真理として受け入れ、そのすべての命令に従う準備ができており、彼ら自身はかつて享受した物質的な安楽を捨てる一方で、彼が贅沢三昧に見える生活を続けることを切望しているのである。

今日の西洋で、誰かに「ムーニー」という名前を言えば、恐らく帰ってくる反応は、微妙な身震いと激怒の爆発の中間あたりに属するであろう。世界中で報道の見出しは一貫して断罪調である。「奇怪なセクトによる『洗脳』と闘う父母たち」「文師の世界制覇計画が語られる」「ロンドン警視庁による『洗脳』への徹底的調査に直面するムーニー・カルト」「家庭崩壊の悲劇」「ムーン教会で集団自殺があり得る、と語る3人」「洗脳された娘の所にかけつける母親」「ムーニーが私の息子を捕まえた」「ムーニー:マギー(注:マーガレット・サッチャーの愛称)が行動要請」「オーストラリアの『狂信的』カルト」「神ムーンが我々から子供を引き離す」「1800組のカップルとレバレンド・ムーン」「日本で500人の父母がセクト活動に抗議」「ムーン信奉者への警察捜査」(注1)。

1982年3月、欧州議会の議員8名が以下のような書き出しの決議のための動議を提出した(その時には成功しなかった)(注2)。

 

欧州議会は、

文鮮明の統一教会に起因する苦痛と家庭崩壊を深く憂慮して、

  1. ムーニーの活動に関するメディアの容赦なき公表を歓迎する。
  2. 社会の隅々に至るまで、国家の諸機関に対し、ムーニーが特別な免税特権、慈善団体としての地位、その他の特権を与えられることがないよう要請する。
  3. 統一教会における文鮮明信奉者の活動と、彼らが示す社会への危険について報告するために、・・・委員会を召集する(注3)。

 

1978年に、米国下院議会の委員会が文の組織とKCIAと間の繋がりの疑惑について調査し、さらなる調査を勧告した(注4)。1981年に英国統一教会が『デイリー・メール紙』を相手取り、「家庭を崩壊する教会」という見出しで、その運動が洗脳を行っていると非難した記事をめぐって起こした名誉棄損訴訟で敗訴した際、同新聞社に対して推定75万ポンドの費用を支払うよう命じられた(注5)。6カ月続いたこの訴訟は、英国史上最長の名誉棄損裁判だった。1982年に、文は脱税を企てた罪で連邦裁判所の陪審員により有罪判決を受け、18カ月の入獄を宣告された。本書が印刷に回った時(1984年7月)、彼の上告は棄却され、彼はコネチカット州の刑務所で服役を始めた。

マサチューセッツ州では、「人類を救え。ムーニーの顔にパンチを食らわせろ」と銘打ったバンパーステッカーを見ることができる。1981年8月には、その運動についてのテレビ番組によって激怒した暴徒が、ブラジル(宗教的寛容の伝統を持つ国)の幾つかの統一教会センターに投石や放火を行い、警察は約100名のムーニーたちを保護しなければならなかった。1976年に、パリの統一教会センターが爆撃された時には、若いノルウエー女性が重傷を負った。

1970年代末の終わり頃に行われた世論調査において、1940年から1952年の間に生まれた1000人あまりのアメリカ人が、155人の名前のリストを渡され、各々についてどのように感じるか回答を求められた。文師のことを聞いたことがなかったのは、回答者の3パーセントに過ぎなかった。彼を尊敬していることを認めたのは、わずか1パーセントであった。そのリスト上の人物の中で、彼よりも称賛されない者は誰もいなかったし、回答者の中に占める称賛しない者のパーセンテージが彼以上に高かった唯一の人物は、儀式殺人者チャールズ・マンソン(訳注:1969年に女優のシャロン・テートら5人の無差別殺害事件を起こしたアメリカの犯罪者)だった(注6)。私が英国で100人あまりの人々に、ムーニーあるいは統一教会について何を知っているかを尋ねたとき、何かを知っていると答えた人々のほとんど全員が何らかの否定的評価を示した。彼らはその運動は「悪いもの」だと確信していたが、事実情報に関して多くを提供した人はほとんどいなかった。「恐ろしい」「ぞっとする」「偽物」「詐欺師」「搾取」「異様」「危険」といったような言葉がしばしば使われた。主な情報源はメディアであったが、何人かは街頭でムーニーと話したことがあると言い、ムーニーになった人を誰か知っていると言った人が2、3人いた。

最も多く言及された情報は、その運動が洗脳あるいはマインド・コントロールのテクニックを用いるということだった。催眠術や麻薬が使用されていると示唆した者も何人かいたが、これらのテクニックが正確に何であるかははっきりしなかった。次に最も多い報告は、文が億万長者だというものだった。一人か二人が、彼は反キリストだと説明した。何人かは、その運動は独裁的だと言い、他の人々は、それは父母から子供を奪った、ムーニーは街頭で物売りをしている、彼らは嘘をついた、彼らはゾンビになった、などと言った。かなりの数の人が、ムーニーになる人は誰でも、かなり愚かか、感傷的か、何かが不足しているに違いないという理論を展開した。数名が、一度ムーニーの魔手にかかれば決して逃れることができないと言った。3、4名が、ムーニーは被害者を拉致し、監禁すると報告した。いくつかの回答には、クリシュナ帰依者の読経や剃った頭、デイバイン・ライト・ミッション・プレミーの(かつての)十代のグル、あるいは現在「愛の家庭」と呼ばれている「神の子供たち」の「浮気な釣り」(入会させるために性交渉を使うこと)など、他の新宗教運動との明らかな混同が見られた。ガイアナのジム・ジョーンズ信奉者たちの集団自殺に言及したものもいくつかあった。

 

(注1)それぞれ出典は以下の通り:「デイリー・テレグラフ」ロンドン、1976年5月3日付。「ダラス・モーニング・ニュース」1978年11月2日付。「サンデー・タイムズ」ロンドン、1980年6月15日付。「サンデー・ミラー」ロンドン、1976年9月19日付。「ニューヨーク・タイムズ」1979年2月20日付。「ガーディアン」ロンドン、1978年5月27日付。「サンデー・エクスプレス」ロンドン、1980年3月2日付。「デイリー・メイル」ロンドン、1983年3月9日付。「サンデー・テレグラフ」タスマニア、1979年8月12日付。「マッチ」パリ、1975年3月1日付。『ボゴタ・マガジン』1975年3月号。『ブンテ・オステライヒ』1975年3月号。「オ・エスタド・デ・サンパウロ」1983年3月31日付。

(注2)1984年3月20日、青少年・文化・教育・情報及びスポーツ委員会は、欧州議会の本会議討論のために、次の提議を通過させた(欧州共同体内における特定の新宗教運動の活動に関する報告、PE82.322/fin.、1984年3月22日、報告者:リチャード・コットレル)。1984年5月22日、この提議の修正案は、その提議に賛成98票、反対28票、棄権26票で、同議会によって可決された。

(注3)ウェイクゾレク・ゼウルその他「文鮮明の統一教会に起因する苦痛の解決のための提議」欧州会議活動記録、PE77.807、1982年3月9日。

(注4)ドナルド・フレーザー委員長『韓米関係に関する調査:米国下院外交委員会、外交小委員会の報告』ワシントンDC、米国政府印刷局、1978年10月31日、311~392ページ。世界基督教統一神霊協会『文鮮明師と統一教会会員に関する、韓米関係の調査についての1978年10月31日付の報告書に対する、我々の回答』ニューヨーク、世界基督教統一神霊協会、1979年、も参照されたし。

(注5)「デイリー・メイル」ロンドン、1978年5月29日付。実際に、最新の見積もりはおよそ30万ポンドであり、これは裁判全体で統一教会がおよそ50万ポンドを費やすであろうことを意味している。

(注6)レックス・ワイナーとディアン・スティルマン『ウッドストック人口調査:60代の全国アンケート』ニューヨーク、ヴァイキング・プレス、1979年、246ページ。1978年の夏に実行されたもう一つのアンケートで、プリンストン宗教研究センターは、千人以上の十代の若者に統一教会について意見を求めた。半分をやや上回る者がそれについて聞いたことがなかったが、聞いたことのある者のほとんど全員が好ましくない意見をもっていた。1パーセントだけが好意的な意見をもっていた。『イマージング・トレンド』第1巻2号、プリンストン、プリンストン宗教研究センター、1979年2月、4ページ。

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