『生書』を読む24


第七章 道場の発足

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第24回目である。今回から「第七章 道場の発足」の内容に入る。前章で日本は終戦を迎え、いよいよ天照皇大神宮教の本格的な布教活動が始まった。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。ここでいう「道場」とは、教祖が嫁いできた北村家の自宅であり、1964年に現在の本部道場が竣工された後は「旧本部道場」となっている。

 私が2019年6月に天照皇大神宮教本部を『宗教新聞』の取材で訪問した際には、現在の本部道場を訪問した後に、この旧本部道場にも案内してもらった。現在の本部道場はコンクリートの巨大な建物だが、旧本部道場は下の写真に見る通り、立派ではあるが普通の民家である。これは韓国ソウルの青坡洞に草創期の統一教会本部が保存されているのとよく似ており、古くて小さな建物でも教祖が活動を開始した場所であるという歴史的な重要性の故に保存されているようであった。

天照皇大神宮教旧本部道場

天照皇大神宮教旧本部道場(2019年6月22日筆者撮影)

 『生書』の第七章は「教祖大神様のお家は、田布施町の御蔵戸部落にある。」(p.167)という言葉をもって始まり、しばらく道場とその周辺の様子を解説している。続いて「生け垣の尽きた所に入口があり、そのすぐ右手に石囲いの井戸がある。これが大神様が三年半にわたって水行をとられた由緒深い井戸である。」(167-8)とあるが、これとまったく同じ説明を私が訪問した際にもしてくれた。

 この北村家の屋敷の、玄関に接した六畳の間と、その奥の床の間のある六畳の座敷二間が、大神様が説法に使われた部屋であるとされているが、合わせて十二畳であれば宗教施設としてはかなりの狭さである。ところが終戦を契機として、大神様の説法を聞く人は急速に増えていったという。

 この頃の大神様と「肚の神様」のやりとりは非常に興味深い。肚の神様は教祖に対して、「肚を練れ」と指導されたのである。「おれが、われ(お前)を連れて歩くにようになったら、山のような障害物が出てくる。山のように障害物が出てきても、やるちゅう肚ほどつくったら、今度は反対になって、上から天照皇大神に引き上げられ、後ろからは八百万の神の腰押しで行くのだから、天が下に恐ろしいものがないじゃろうから、やるという肚をつくれ。肚だ、肚だ、肚だ。」(p.169)

 「肚」という漢字を使うにせよ、「腹」や「胆」を使うにせよ。日本では昔からこの言葉を決意や覚悟を示す言葉として用いてきた。「胆」には本心、心中、心づもりなどの意味のほかに、胆力、気力、度量などの意味があり、「腹を決める」といえば決心、決意、覚悟などを決めることであった。日本における伝統的な武術は「肚」を重要視しており、「肚を練る稽古」というものもあるくらいだ。大神様に対する「肚を練れ」という指導にもこうした背景があったと考えられるが、これは信仰は理屈ではないという天照皇大神宮教の立場を明確に示している。

 家庭連合の創設者である文鮮明師にも、人類のメシヤとなるべく神から試練を受けたり、多くの迫害を驚異的な信仰と決意によって乗り越えていくという話は同様に存在するものの、文師がメシヤとなっていくうえでより重要な強調点は「真理の解明」であった。単に驚異的な信仰や決意があればよいということではなく、人類救済のために必要な「真理」を明らかにしなければならないということがより強調されているのである。もちろんそれは合理的で客観的な理論というよりは、多分に霊的な内容を含んだ宗教的な真理ではあるものの、かなり知的な神学的体系を明らかにすることであった。一方で大神様の語られる内容は、知的な体系というよりは生活に根差した話や、霊界に関する話などをシンプルな言葉で直感的に語ったものが多い。この辺は宗教ごとの個性の違いが明確に表れていると言えるだろう。

 「肚の神様」が教祖に命じたもう一つの面白いやり方が、体を横にして説法するというものであった。これは常識的に考えれば「行儀が悪い」とか「失礼な態度」に当たるものであるが、「肚の神様」は教祖に対してあえてそうするように命じたという。その理由は、どんなに偉い人が来ても臆せず、なめられないように肚をつくるためであった。大神様は「肚の神様」が入った後は、人に対して「さん」とか「様」とか敬語を使わなくなり、総理大臣に対しても「おい、岸!」と呼び捨てにしたという話は有名である。これは神の代身であり、生き神である自分自身の位置を守るために、この世においてどんなに偉い人に対しても卑屈な態度をとってはいけないということであろうが、教祖と呼ばれる人にはこのような性質が少なからずあるようだ。

 家庭連合の創設者である文鮮明師も、国家元首級の世界の指導者たちを集めて講演したことが何度もあったが、そのときの態度もVIPに対して気を使うとか、へりくだるということはなく、もしろ堂々と自分の信念を述べるというものであった。私はUPFの主催する国際会議や大会の場で何度かそうした場面を見てきた。さすがに寝そべって話すというようなことはなかったが、あるときには晩餐の前にVIPを前にして延々と3時間も語り続けたことがあった。信徒に対する説教ではなく国際会議の晩餐会という場なので、常識的なメッセージの時間は20~30分位であり、準備された原稿の長さもその位であったが、それをはるかにオーバーして3時間も語ったのである。それを聞いている世界各国から集まってきたVIPたちはお腹を空かせながらその話を聞かざるを得なかった。これもある意味では常識を外れた行動であり、中には怒り出すVIPもいた。しかし、それを超えて何かを伝えたいという文鮮明師の熱意に感動したVIPもいたのである。ときにはこうしたことをするのが、教祖という存在なのである。

 大神様の説法を聞いた人々は、神の言葉に酔いしれて夢見るような気持、すなわち「法悦境」に入って行ったとされる。俗世間は「本土決戦だ」「敗戦だ」「生活難だ」と地獄絵図のような様相であったが、大神様の説法を聞いている間はそうしたことをすべて忘れて別天地にいるような喜びを感じていたのである。これは教祖の示すビジョンに信徒たちが共鳴していたということであり、自分と同じビジョンを信徒たちに見させることのできる力こそが教祖のカリスマなのである。

 このころの大神様の言葉に、天照皇大神宮教のコスモロジーが表現されているので、それを分析してみよう。
「世は末法の世となって、宇宙は悪霊で充満している。この悪霊の後ろ控えで人と人とは喧嘩をし、国と国とは戦争をする。・・・この後ろ控えの悪霊を済度するのが役座の仕事じゃ。悪霊の済度ができりゃこそ、一人一人の因縁も切ることができるし、神の国に行く根本の邪魔が取り除かれるんじゃ。悪霊の掃除ができた時、世界絶対平和もできるんじゃ。」(p.171-2)
「昔からこの世のことを『現し世』と言うじゃろうが、霊界の影がこの現象界なんじゃ。」(p.172)
「今時が来て、天なる神が天降り、神力により悪霊の済度をするのじゃ。それによって神の国を地上に建設することもできるし、世界絶対平和の日も来るのじゃ。」(p.173)
「その世界にいくには、どうしてもまつわりついてくる悪霊を済度し、一人一人の因縁を切らにゃあ、行ける天国じゃない。まず先祖が救われなけりゃ、自分だけ一足お先に救われて、天国に行こうとしてもそりゃだめじゃ。」(p.173)

 世界は地上界と霊界の二重構造になっており、霊界は地上界に対して影響を与えている。霊界には悪霊が充満しているため、それが地上人に与える影響は悪なるものがほとんどである。その影響を断ち切ってあげることが救済(済度)であり、それをすることで人々の間にも世界にも平和が訪れる。それをなすことが自分の使命であるというのが大神様の教えの根幹である。こうしたコスモロジーは天照皇大神宮教に固有のものではなく、実は多くの伝統宗教や新宗教が共通して持っているものである。それは言葉の使い方や救済の方法に若干の違いがみられるものの、家庭連合のコスモロジーとも非常によく似ている。

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