日韓関係の課題解決におけるソフトパワーの有効性10


6.日韓を和解させるソフト・パワーとしての統一運動の可能性(続き)

 前回まで、文鮮明総裁・韓鶴子総裁の主導する統一運動が日韓を和解させるソフト・パワーとしてどのように機能できるかを考察し、具体例として「日韓交叉祝福」とPeace Road運動を紹介した。

 最後に、日本における統一運動と政権与党の関係について考察したい。統一運動は韓国で生まれた家庭連合(統一教会)を基盤とする運動でありながら、勝共運動を通じて日本の政権与党である自由民主党と歴史的に良好な関係を結んできた。日本の統一運動は、安倍政権と対立関係にあるのではなく、むしろ友好関係にある。

 統一運動と自民党との関係は、安倍首相の祖父にあたる岸信介にまで遡る。岸信介との因縁は、東京都渋谷区南平台の岸邸の隣に当時の統一教会の本部教会があったことに起因する。教団の歴史書である『日本統一運動史』(光言社、2000年)によると、岸が初めて本部教会を訪れ、集まった300名の教会員たちに国際情勢を含めた内容の話をしたのは1970年4月9日のことであったという。岸が首相を退任したのは1960年のことであるから、それから10年後のことであったが、首相退陣後も岸は政界に強い影響力を保持していた。

 1973年4月8日に岸が本部教会を訪れたときには、以下のように語っている。
「ただいま久保木会長から御紹介がありましたように、私はここへは今回で3度目だと思います。その前に実は、統一教会と私の奇しき因縁は、南平台で隣り合わせで住んでおりました若い青年たち、正体はよくわからないけれども、日曜日ごとに礼拝をされて、賛美歌の声が聞こえてくる。…そうしたら…笹川君が統一教会に共鳴してこの運動の強化を念願して、私に、君の隣りにこういう者が来ているんだけれども、あれは私が陰ながら発展を期待している純真な青年の諸君で、将来、日本のこの混乱の中に、それを救うべき大きな使命を持っている青年だと私は期待している。もっとも現在の数は非常に少なく、またずいぶん誤解もあり、親を泣かせるとマスコミも騒いでいる。そういう話を聞き、お隣りでもありましたので、聖日の礼拝の後に参りまして、お話したことがありました。人数もせいぜい二、三十人ではなかったかと思います。久保木君のお説教は…極めて情熱のこもったお話を聞きまして、非常に頼もしく私は考えたのです。」

 これに対して、久保木会長が以下のようなコメントを残している。
「今思えば、(岸)先生は大変懐の広い政治家でした。私たちは当時、まだ…弱小集団でありましたし、教祖が韓国人ということも一般の日本人にとってマイナスのイメージとなっていました。その上、世間からは『親泣かせ原理運動』というレッテルを貼られて、罵詈雑言を浴びせかけられていました。しかし、岸先生はそういうことには一切関心がありませんでした。世間の評価とかマスコミの情報というものがいかに薄っぺらなものであるかを自分自身がよくよく体験してこられていたのです。先生は自分の心に感じた真実を評価の基準に置いてくれました。世間が見る統一教会ではなく、先生の心に直接映る統一教会を見てくれたことが、私たち青年にとって大変ありがたいことでした。…岸先生に懇意にしていただいたことが、勝共運動を飛躍させる大きなきっかけになったことは間違いありません。国内においても国外においてもそれは言えることです。」(『日本統一運動史』、p.337)

 そして1973年11月23日、本部教会において岸信介元首相は初めて文鮮明師と出会っている。二人は長時間にわたり意見を交換したという。

 1974年5月7日、東京の帝国ホテルで開催された文鮮明師の講演会「希望の日晩餐会」では、岸は名誉実行委員長を務めている。岸が自らの後継者として首相就任を悲願としていたのが福田赳夫であったが、この「希望の日晩餐会」では当時大蔵大臣であった福田赳夫が挨拶し、「アジアに偉大な指導者現る。その名は“文鮮明”である。私はこのことを伺いまして久しいのでありますが、今日は待ちに待ったその文鮮明先生と席を同じくし、かつ、ただいま文先生のご高邁なご教示にあずかりまして、本当に今日はいい日だなあ、いい晩だなあと、気が晴れ晴れとしたような気がいたします。」と語ったことは有名である。この岸・福田の流れを汲むのが「清和会」であり、自民党の保守派閥として国際勝共連合と長年にわたる関係を構築することとなった。

 岸元首相と文鮮明師の交流は、国際勝共連合を通じて晩年まで続いた。1984年に「世界言論人会議」開催の議長を務めた際には、米国で脱税被疑により投獄されていた文鮮明師の釈放を求める意見書をレーガン大統領(当時)に連名で送っている。

 岸元首相と統一運動の関係を考えるうえで重要なのは、韓国との関係である。岸信介は難航していた日韓国交正常化交渉を朴正煕大統領と協力して一気に推進させた立役者の一人であった。岸は戦前に満州国総務庁次長を務めていたが、朴正煕大統領も満州国軍将校として満州国と関わりを持ったことがあり、岸は椎名悦三郎・瀬島龍三・笹川良一・児玉誉士夫ら満州人脈を形成し、日韓国交回復後には日韓協力委員会を組織した。一方、韓国の朴正熙大統領は軍人出身のリアリストで、北朝鮮の脅威から韓国を守ることを第一義と考えていた。彼の政策は「先建設・後統一」政策といい、まずは国家を再建して、あらゆる面で北朝鮮を凌駕した後に統一を図るべきという考え方であった。彼は南主導で韓半島を統一するためには韓国の経済力・技術力の近代化が必要であると考え、日韓国交正常化を通して日本からの経済協力金を受け取ることを最優先した。その結果「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げたのである。要するに「岸・朴」の反共ラインによって日韓国交正常化が成立し、それが今日まで続く日韓関係を作り上げたといってよい。

 岸は戦後日本の防衛と発展のためには米国との関係が最重要であると考え、安保改定に力を注ぐと同時に、アジア諸国への善隣外交により、真の「大アジア主義」の理想を実現することによって日本の国際的地位を高めなければならないと考えていた。彼は明確な反共主義者であり、アジアに反共防衛体制を構築する必要性からも、日韓国交正常化は必要不可欠であると考えていたのである。

 こうした岸信介の価値観は、日韓米が一体となって共産主義の脅威から自由世界とアジアの平和を守るという統一運動の理念と一致するものであった。統一運動においては、岸信介元首相との因縁はたまたま南平台の教会本部の隣に岸が住んでいたという「偶然」ではなく、その政治理念からしてメシヤと出会うべく神が準備した人物であったと理解されているのである。その孫に当たるのが安倍晋三首相である。

 筆者はUPF-Japanの事務総長をしているが、2019年10月5日に名古屋で行われたJapan Summit and Leadership Conference 2019と題する国際会議の運営に深く関わった。「太平洋文明圏時代:東アジアの平和と日韓米連携の展望」をテーマとして行われたこの国際会議には、ニュート・ギングリッチ元米国下院議長と二人の現職米国下院議員、金奎煥・韓国国会議員などが参加するレベルの高い会議となったが、この会議に細田博之衆議院議(元自民党幹事長)、原田義昭衆議院議員(前環境大臣)、伊達忠一前参議院議長をはじめとする多数の国会議員が参加し、壇上でスピーチをしたのである。彼らは一様に韓鶴子総裁に対する感謝の言葉を述べた。
 とくに細田博之衆議院議員は自民党の最大派閥である「清和会」(安倍首相の所属する総裁派閥)の会長であり、安倍首相と非常に近い人物である。彼は講演の中で、「安倍総理にも私は始終話をしておりますので、今日の盛会を安倍総理に早速ご報告いたしたいと考えております。韓鶴子総裁の提唱によって実現したこの国際指導者会議の場は大変意義が深いわけでございます」と述べた。
 韓国に起源をもつ統一運動が、安倍首相の側近と言える人物と良好な関係にあるという事実は、今後韓国と日本が和解の方向に向かうときが来れば、統一運動が重要な役割を果たすことができるのではないかという希望を感じることができる。

7.結論

 日本も韓国もお互いに世界に通じるような普遍的な文化的資源を持っているという意味においては、どちらも潜在的なソフト・パワーを持つ国であると言ってよい。そして韓国における日本文化開放を契機として両国の文化交流は相当程度に進んでおり、両国の文化はお互いに深く浸透しているという事実を確認することができる。しかしながら、それが現在の日韓関係の課題を自国の国益に従って解決し得るような力として機能しているかと言えば、両国ともに出来ていないと結論せざるを得ない。これはある意味でソフト・パワーの限界であるとも言えるし、国益が衝突しあうような二国間の外交課題の解決には、そもそもソフト・パワーはそぐわないのだとも言える。したがって、日韓両国の短期的な外交課題において、文化交流が直接的に貢献する可能性は低いであろう。

 しかしながら、国際社会には永遠の敵国も永遠の同盟国も存在しないという格言にもあるように、(注75)韓国と日本の葛藤も永遠に続くとは考えられず、どこかで和解する段階に入る時が来る。その時まで両国のソフト・パワーは、これ以上対立が深刻化するのを緩和する役割を果たすであろうし、和解の機運が盛り上がってきたときにはより積極的な役割を果たすことができるであろう。その時にはどちらか一方の国益の追求ではなく、両国ならびに国際社会の利益になるような普遍的な価値に基づく外交政策を推進する力として、ソフト・パワーが機能することが望ましいと考える。文鮮明総裁、韓鶴子総裁の主導する統一運動は、そうした価値観に基づく両国の和解の促進において、重要な役割を果すことができる可能性がある。<了>

(注75)19世紀の英国首相パーマストンの言葉であるとされる。

参考文献
書籍
ジョセフ・S・ナイ(山岡洋一訳)『ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力』(日本経済新聞社、2004年)
黒田勝弘『韓国 反日感情の正体』(角川学芸出版、2013年)
仲尾宏『朝鮮通信使―江戸日本の誠信外交』 (岩波新書、2007年)
日韓共通歴史教材制作チーム (編)『日韓共通歴史教材 朝鮮通信使』(明石書店、2005年)

論文
財団法人世界平和研究所の平和研レポート(主任研究員 星山隆)『日本外交とパブリック・ディプロマシー―ソフトパワーの活用と対外発信の強化に向けて―』
倉田保雄『ソフト・パワーの活用とその課題~理論、我が国の源泉の状況を踏まえて~』、立法と調査 2011.9 No.320(参議院事務局企画調整室編集・発行)
徐賢燮『韓国における日本文化の流入制限と開放』(長崎県立大学国際情報学部研究紀要、第13号、2012年)
鄭榮蘭「政治的対立と文化交流による日韓相互認識の変遷-日韓の文化受容(韓流・日流)が国民意識の変化に与える影響-」(査読付き研究ノート)
林守澤「韓国ソフトパワーグローバル展開と韓日企業連携」(AIBSジャーナル No.6)
Yoon, Kaeunghun,”The Development and Problems of Soft Power between South Korea and Japan in the Study of International Relations” (埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 第8巻, pp.191-197, 2008/12/01, 埼玉学園大学出版)
池忠楠「多文化平和運動に対する研究:国際祝福結婚を中心に」(The Journal of Peace Studies, http://dx.doi.org/10.14363/kaps.2015.16.5.31)
映像
NHKのETV特集シリーズ「日本と朝鮮半島2千年」、第9回「朝鮮通信使・和解のために」
ウェブサイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/国家ブランド指数
https://ja.wikipedia.org/wiki/マンガ_嫌韓流
https://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦問題日韓合意
https://ja.wikipedia.org/wiki/文在寅#対日姿勢
https://ja.wikipedia.org/wiki/朴槿恵#発言
https://ja.wikipedia.org/wiki/財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定
http://www.genron-npo.net/world/archives/7250.html
FutureBrand,”Country Brand Index 2014-15″(https://www.futurebrand.com/uploads/Country-Brand-Index-2014-15.pdf)
首相官邸ウェブサイト、平成27年8月14日、内閣総理大臣談話(https://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html)
東洋経済ONLINE「安倍首相のマリオ姿を世界はどう報じたのか:海外メディア、ネットの反応は?」(https://toyokeizai.net/articles/-/132735)
まいどなニュース 2019/10/05 20:30「東西コリアタウンの今…戦後最悪と称される日韓関係の影響は?」(https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/東西コリアタウンの今…戦後最悪と称される日韓関係の影響は%EF%BC%9F/ar-AAIjBFQ?ocid=spartandhp#page=2)

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