日韓関係の課題解決におけるソフトパワーの有効性07


4.日韓の国益とソフト・パワー

 本論考の初めに、ソフト・パワーの定義は「強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力である」ことを確認した。パワーとは「自分が望む結果を生み出す能力」である以上、日本と韓国のソフト・パワーも、単に両国の商品や企業が相手国の人々を魅了していることを意味しているのではないはずである。それらを国家戦略に組み入れて、自分の望む結果を得られたときに、初めてパワーたり得るのである。そこでこれから、日韓両国の行使するソフト・パワーが自国の国益の追求に役立っているかどうかを評価したい。

 日本と韓国の間に外交的な懸案事項は多数あるが、最近の日韓関係を特に悪化させている問題は「徴用工訴訟問題」と「慰安婦問題」であるため、この問題に絞って両国の国益とは何であるかを整理してみたい。

 (ア)日本の国益

 この問題に関して日本の安倍首相が一貫して韓国側に要請しているのは、「国際法を守ってほしい」「国と国との約束を守ってほしい」ということである。この二つの発言の根拠となっているのは、1965年に日韓国交樹立が実現したときに締結された「日韓条約」の一部を構成する「請求権協定」(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)である。この協定では、第一条で日本の韓国に対する経済協力の金額(無償3億ドル、有償2億ドル)が示され、第二条では「両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたこと」が確認されている。そして第三条では、「この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする」と規定されている。(注62)したがって、1965年の時点で戦前に日本に動員された労働者の損害賠償に関する問題は、「完全かつ最終的に解決された」というのが日本政府の立場なのである。韓国政府は日韓請求権協定締結前の交渉において、徴用工の未払金及び補償金は国内措置として韓国側で支払うので日本側で支払う必要はないと主張していた。日本政府としては合わせて5億ドルの経済協力金を支払ったのだから、それを用いて個人補償を行うのは韓国政府の責任であると認識している。

 万が一、請求権の問題に関して両国間で紛争が生じた場合には、外交ルートを通じて解決すべきであり、仲裁委員会の設置、国際司法裁判所への提訴といった手順を踏まなければならないが、韓国政府はこうした手続きを無視して韓国国内の司法判断をそのまま実行しようとしているので、日本政府は日韓関係の「法的基盤を根本から覆すもの」だとして、これに強く反発しているのである。安倍晋三首相は「本件は1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決している。今般の判決は国際法に照らしてあり得ない判断だ。日本政府としては毅然と対応する」と強調した。(注63)

 慰安婦問題に関しても、日本政府は1965年の日韓請求権協定で法的に解決済みとの立場であった。しかし、2011年8月30日、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が慰安婦被害者の賠償請求権解決に努力していないことは違憲」との判決を下したことにより政治問題化した。慰安婦問題に関しては、日韓請求権協定の中には明確な記載がないこと、女性の人権問題ということで日本政府の立場に対する国際社会の理解が得られにくいこと、クマラスワミ報告やマクドゥーガル報告書によって国連人権委員会から批判され、旧日本軍の慰安婦制度を人身売買による性奴隷であるとしたアメリカ合衆国下院121号決議が可決されるなど、日本にとって不利な条件が積み重なったことに鑑みて、なんとか日韓請求権協定に矛盾しないような形で、(法的責任は回避しつつ)事実上日本政府が賠償するような解決策を見出そうと努力をした。その結果が、2015年12月28日の日韓外相会談でなされた慰安婦問題日韓合意であった。日本政府は韓国政府が設立する元慰安婦を支援するための財団(「和解・癒やし財団」)に10億円拠出することを約束し、両外相は「日韓間の慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と表明した。(注64)

 これでこの問題にケリをつけたいので、日本側としてもぎりぎりの妥協をした、というのが安倍首相の本音であった。しかし、2016年10月24日に発覚した崔順実ゲート事件で朴槿恵大統領が弾劾されると、新たに当選した文在寅大統領は慰安婦合意に関して、「国民の大多数が心情的に合意を受け入れられないのが現実」と述べ、最終的にはこの合意では問題の解決がなされないとする大統領声明を出して、「和解・癒やし財団」を解散させてしまった。(注65)安倍首相の立場からすれば、「韓国は国と国との約束を守らない」と認識せざるを得ない結果となった。

 韓国側のこうした対応は、日本側から「ムービング・ゴールポスト」という言葉で批判されるようになった。これはサッカーになぞらえた比喩であり、片方が既に約束事や契約内容など、両者で決めたことを履行した後に、もう片方が自らに有利にするためにゴールを動かそうとする不公平さを表している。日本では、韓国側が約束・宣言・合意・条約を勝手に変更または無視して決定事項を履行せず、日本に追加要求をする状況を意味する言葉として使われるようになったのである。

 安倍首相は2015年8月14日に発表した戦後70年の内閣総理大臣談話の中で、韓国を含む「アジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み」、「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明しつつも、一方で「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」(注66)と語っている。戦後70年経ったいま、日本と韓国との関係は、まず謝罪することから始めなければならない異常な関係ではなく、世界の他の国々と同じような、「普通の関係」に変わっていかなければならないということである。これは、安倍首相が従来から主張している「戦後レジームからの脱却」の延長線上にある、今後の日韓関係のあり方であると言える。

 (イ)韓国の国益

 しかし、こうした安倍首相および日本政府の考え方は、韓国人には受け入れがたいものである。そもそも韓国では、日韓条約自体が国民の大多数に知らされることなく、独裁政権が勝手に日本と結んだものであると認識されている。国民の支持を得ていない大統領が結んだ過去の条約に、民主化が進んだ現在の大韓民国の国民がなぜ縛られる必要があるのかと考えるのである。韓国側からすれば、5億ドルの経済協力金は補償ではないから、日本は罪を償ったことにならない。被害にあった韓国人は個人として補償を受けていないから、日本は植民地支配に対して過去の清算をしていないことになるのである。そして日本の歴代首相が謝罪の言葉を述べてきたとしても、それは政治的発言に過ぎず、法的には罪を認めていないから謝ったことにならないのである。したがって、1965年の日韓条約をもってすべての問題が解決したとする日本側の主張は、到底受け入れることができない。

 そしてより根本的には、韓国側は1910年の日韓併合条約は、武力を背景に結ばれたので無効であると主張しているのに対して、日本側は日韓併合条約は国際法上有効であり、合法的に結ばれたと主張している。日韓基本条約においてはこの問題は曖昧にされ、双方が都合よく解釈できる文言で合意するという「玉虫色の決着」となった。このような問題をこれまで曖昧にしてきたことも、文在寅大統領の言う「積弊」の一つであり、その清算を使命とする文在寅政権は、この問題で妥協することはできないのである。

 文在寅は2012年の大統領選挙に立候補した際には、選挙戦を通じて「親日清算をしたい」という表現を使用している。また同選挙戦中に、①独島挑発に決して妥協しない、②慰安婦問題について日本政府に法的責任を問う、③「戦犯企業入札制限指針」を強化する、④日本の教科書歪曲を是正する、⑤日帝が略奪していった文化財を必ず返還させる」などから成る「対日五大歴史懸案」を掲げている。2012年の光復節には、文在寅はソウルの在韓日本大使館前で開催された「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の主催する集会にも顔を出し、「慰安婦問題で日本政府に必ず法的責任を問う」と訴えている。(注67)文在寅大統領が現在行っていることは、大統領になる以前から彼が持っていたこうした信念の実践であるため、彼自身の意思によってそれを放棄するとは考えられない。しかし、これらは日韓条約の法的基盤を破壊することになるので、日本政府としては受け入れることができない。

 朴槿恵前大統領は2013年に行った3・1記念日の演説の中で、「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」(注68)と発言した。これは戦後70年を経て過去にケリをつけ、韓国と「普通の関係」になるべきだという安倍首相の考えと大きく乖離しているが、「積弊の清算」を自らの使命とする文在寅大統領も、朴前大統領と同様の発想をしていると思われる。韓国と日本の関係は被害者と加害者の関係であり、韓国は日本に対して絶対的な道徳的優位性を持っているため、日本は韓国の要求を呑むのが当然であると考えているのである。安倍首相は、まさにそういう関係を「リセット」したいと思っているのであるから、日韓両国の国益は正面からぶつかることになる。

(注62)https://ja.wikipedia.org/wiki/財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定
(注63)Wikipedia、同サイト
(注64)https://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦問題日韓合意
(注65)Wikipedia、同サイト
(注66)首相官邸ウェブサイト、平成27年8月14日、内閣総理大臣談話(https://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html)
(注67)https://ja.wikipedia.org/wiki/文在寅#対日姿勢
(注68)https://ja.wikipedia.org/wiki/朴槿恵#発言

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