日韓関係の課題解決におけるソフトパワーの有効性06


3.韓国のソフト・パワーと日本に対する影響力

 (ア)韓国のソフト・パワー(前回からの続き)

 朝鮮通信使が日本の各地で人気を博したことが江戸時代の韓流ブームであったとすれば、現代の韓流ブームは2003年~2004年に韓国ドラマ「冬のソナタ」が日本で放送され、「冬ソナ現象」と呼ばれるほどの大ブームを巻き起こしたことがきっかけであると言われている。さらに2004年~2005年には「宮廷女官チャングムの誓い」が大ブレイクし、この二つのドラマを通して日本における韓国ドラマへの関心が一気に高まった。(注50)

 この韓流ブームは、韓国における日本文化の開放が「トリガー(きっかけ)」となって起きたという議論がある。韓国では戦後長年にわたって日本の映画・音楽・漫画・アニメなどの大衆文化が規制されてきたが、金大中政権下で1998年に日本文化が開放されるようになった。その一方で、金大中大統領は1999年に「文化産業振興基本法」を制定し、これに基づき「韓国文化コンテンツ振興院」を設立し、文化産業の育成と輸出振興のための助成を行うことにした。これは韓国の国策として強力に推進され、「文化産業基金」の額は2000年には2329億ウォン(230億円)に達した。その結果、入超であった放送番組は輸出が輸入を上回り、アジア各国で「韓流ブーム」を巻き起こすことに繋がったというのである。(注51)

 金大中大統領は1998年の光復節の記念演説で、「グローバル化の中で、競争力のある市場体制を構築して行くためには、文化産業を導いていく人材養成のための文化産業のインフラ構築にも力を入れる必要がある。それと同時に今後韓国は、独善的民族主義の様な閉鎖的思考から脱し、普遍的世界主義に進む新しい価値観を持つべきである。世界と共に競争・協力しながら、国際交流を促進し、世界と一緒に繁栄して行くことが望ましい」(注52)と述べ、文化交流と文化産業育成の重要性を強調している。韓流ブームが世界に広がった背景には、日本文化の開放に踏み切った金大中大統領の思想があったのである。

 (イ)韓国のソフト・パワーの日本に対する影響力

 それでは韓国のソフト・パワーはどの程度日本人の意識を変えたのであろうか? もともと日本人の中には韓国に対する差別意識があった。第二次大戦が終了するまで日本が朝鮮半島を支配していたことから、日本人は在日韓国人を「第三国人」(注53)と呼んで差別した。戦後の日本人の韓国に対するイメージは開発の遅れた貧しい国というものであり、魅力を感じるような対象ではなかった。事実、1960年代前半までは韓国は世界の最貧国の一つであった。朴正煕大統領の時代には「漢河の奇跡」と呼ばれる経済復興を成し遂げたが、一般的な日本人が韓国に対して抱くイメージは「軍事独裁国家」であった。1979年に朴正煕大統領が暗殺され、全斗煥大統領が実権を握った時代も、韓国は戒厳令が発せられるような軍事独裁国家として日本人に認識されていた。光州事件や金大中拉致事件などは、韓国が恐ろしい国であるというイメージを日本に与えた。

 このように日本の側から見れば、韓国は隣国であるとはいえ、とうてい親近感を抱く相手ではなかった。一例を挙げれば、独裁政権下であっても韓国では優れた芸術映画が作られており、著名な国際映画祭で受賞した作品も少なくない。だが、このような映画は日本ではごく一部のミニシアターで上映されたに過ぎず、商業ベースではまったく無視された。独裁国家の映画など,多くの日本人にとって興味の対象ではないからだ。(注54)戦後ながらく、韓国が日本に行使し得るソフト・パワーは、ほとんどなかったと言っても過言ではない。

 日本人の韓国に対するイメージが変化するきっかけとなった出来事としては、1988年のソウル・オリンピックの成功がある。オリンピックの前年である1987年に「民主化宣言」が発表され、16年ぶりに韓国の大統領が国民による直接選挙で選ばれたことも、日本における韓国のイメージをアップさせることにつながった。この時期になった初めて、日本人は韓国を自由、民主主義、市場経済、基本的人権といった価値観を共有する国であると認識するに至ったのであり、このことが日韓文化交流の礎となったと思われる。(注55)

 『朝日新聞』と『東亜日報』が行った日韓両国民の相手国に対する意識に関する共同世論 調査によれば、日本人の韓国に対する好感度は1999年頃を境に上昇している。これは1998年10月8日の金大中大統領と小渕首相による「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ共同宣言」により日本文化が開放されるなど、新たな交流関係が構築されたことが原因と考えられる。(注56)2002年にサッカー・ワールドカップを日韓共同開催したことも、両国国民の心理的距離を大きく近づける契機となった。2003年4月からは、NHK-BS2の海外ドラマ枠で『冬のソナタ』が放送され、2004~2005年には『宮廷女官チャングムの誓い』が大ブレイクし、本格的な「韓流ブーム」が到来した。「冬ソナ」で韓流ブームに火をつけたのは日本の中高年女性たちであったが、いまや「韓流」は年代や性別を問わず広く日本に受け入れられている。日本においてこれほど熱狂的に韓国文化が受け入れられたことは、韓国人の方が逆に驚いているくらいである。

 徐賢燮は、日韓大衆文化交流の進展によって両国間の心理的な距離は確実に縮まったと主張している。2011年に日本の内閣府が行った外交に関する世論調査で、中国に「親しみを感じる」と答えた者の割合は26.3%にすぎなかったが、韓国に対しては62.2%が「親しみを感じる」という結果だった。このような反応は、両国間の文化交流の進展がもたらした結果であるというのである。(注57)

 このように「韓流」は広く拡散したが、その一方で成功に対するリアクションとしての「反韓」「嫌韓」意識の顕在化という新たな問題を引き起こすことになった。『マンガ嫌韓流』は、日韓問題(竹島、韓国併合、歴史教科書問題等々)について、韓国側の主張を批判する観点から描かれた作品であるが、インターネット書籍販売最大手のAmazon.co.jpにてランキング第一位となった。2015年(平成27年)4月現在のシリーズ公称総発行部数は100万部を突破したとされる。(注58)ただし、こうした「嫌韓」の言説は「ネット右翼」と呼ばれる一部の特殊な若者たちが主導しているもので、その「ヘイト・スピーチ」に対する批判が高まるなど、一般的な日本人の意識とは乖離しているという指摘もある。

 世論調査が示す日本人の韓国に対する意識は、「どちらでもない」が6~7割を占め、明確に好き嫌いを表明する者が少ないことが特徴である。大多数の日本人は中立的であり、そもそも関心が薄いのである。韓国が「嫌い」と答える数値は変わらず20%程度の横ばいで推移しており、両国間の政治的対立が先鋭化しても、それに大きく反応しないのが特徴であるという。(注59)しかし、これは2015年までの分析であり、最近の日本人についても同じことが言えるかどうかは疑問である。

 鄭榮蘭は、2012年8月の李明博大統領による竹島(独島)上陸に代表されるような政治的対立によって一時的な影響は出るものの、その後数値が急回復していることから見ても、文化交流が両国民の相互理解と信頼度を向上させる効果はあると分析している。要するに、日韓の大衆文化交流は政治的課題とは切り離されて進んでいるのあり、それは両国の関係が少しずつ成熟していることの証左であり、未来志向の新たな関係構築につながっていると結論しているのである。(注60)

 このことは、若い世代においては特に顕著である。戦後最悪の日韓関係と言われる中、いまでも大阪の生野と東京の新大久保にあるコリアタウンは連日10代から20代の女性を中心に賑わっている。これを下支えしているのはK-POPファンで、いまはBTSに代表される「第3次韓流ブーム」だという。ヨン様が第1次、少女時代やKARAが第2次、そしていまはBTSなどのダンスミュージックが主流で、そのファン層は若い女性が多い。基本的に政治に無関心な彼女たちは、日韓関係がどんなに政治的にギクシャクしても自分たちには関係ないというスタンスを貫いているのである。(注61)

(注50)鄭榮蘭、前掲論文、P.95
(注51)同論文、P.86-89
(注52)大統領秘書室. 1999.『金大中大統領演説文集』第1巻(1998.2~1999.1):427-430.
(注53)https://ja.wikipedia.org/wiki/第三国人
(注54)徐賢燮、前掲論文、p.250
(注55)同論文、p.250
(注56)鄭榮蘭、前掲論文、P.94
(注57)徐賢燮、前掲論文、p.250
(注58)https://ja.wikipedia.org/wiki/マンガ_嫌韓流
(注59)鄭榮蘭、前掲論文、p.93
(注60)同論文、p.98-99
(注61)まいどなニュース 2019/10/05 20:30「東西コリアタウンの今…戦後最悪と称される日韓関係の影響は?」(https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/東西コリアタウンの今…戦後最悪と称される日韓関係の影響は%EF%BC%9F/ar-AAIjBFQ?ocid=spartandhp#page=2)

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