ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳68


第7章 分析と発見(11)

 より核心に触れているのは、この非常に分かりやすい発言である:
「インタビュー以来の過去6カ月間に、私の相対者と私はお互いをより深く愛し、より深く知るようになった。ある意味で私は彼女と結婚したと感じ、私たちは何の後悔もなく一緒に生活し始めることができる。なぜなら私たちは既に霊的生活を共にしているからだ。私たちの愛は、夢中になったり興奮して最初に赤面するような状態をはるかに超えた。しかし同時に、聖別期間の意味が変わった。それは単なる『あなたを知るようになる』ための期間ではない。それはより大きな世界のための犠牲であり、私たちの家庭のための非利己的な献身の模範を示すだろう。私たちの家庭生活の様式は、私たちの両親のそれとは異なっていなければならない。そしてより大きな世界のための犠牲という指向性がその違いの大きな部分であると私は信じている。あなたが昨年の12月に私にインタビューしたとき、私はその点についてあまり考えなかったが、最近になって離れていることの本当の痛みがより明らかになってきた。だから私は聖別期間について、そして統一運動における家庭生活の意味についてもっと真剣に考えなければならなかった。最初は、家庭について考えてみるだけで刺激的だった。なぜなら、私自身が長い間そのような生き方を否定してきたし、私たちの神学においては家庭は非常に重要だからだ。しかし、いまになって私は、自分たちが単に伝統的な意味での家庭を築こうとしているのではないことが分かった。私たちが作ろうとしているのはまったく新しい方向性であり、その与える方向性は家庭にとどまるのではなく、家庭の方向性を社会に拡大しようとするものだ。この点で聖別期間は重要なのだが、それは家庭を形成するのを遅らせるということではなく、明確に存在する家庭(私たちの家庭)による犠牲として重要なのだ。もしあなたが来年もう一通りのインタビューを行ったら、私が過去数カ月の間に悟ったばかりのこの位置に、より多くのカップルが到達すると私は思う。」(注62)

 この発言およびそれと類似する反応は、信仰的回心と献身は統一運動の何らかの形の行動に先立つというよりは、むしろそこから生じるというブロムリーとシュウプの主張を強く支持している。マッチングを受けると、メンバーたちは彼らの未来の配偶者を神の視点から愛する努力をするように指導される。それはすなわち、関係性における神を中心とした役割を担うことである、彼らがこれをすれば、彼らはロマンティックな意味で「恋に落ちる」であろうと確信しており、ほとんどの場合に実際にそうなる。また、婚約中に彼らは通常は婚約者とは離れ離れの状況になる世界の救済者としての役割を継続する。そして一緒にいられないことに伴う苦痛は、夫婦として一緒に暮らす彼らの生活に対する神の目的という観点から、彼らの経験を理解するための動機付けとなる。

 したがって、統一運動のメンバーが婚約し、「恋に落ち」、分離の「痛み」を経験するとき、彼らが結婚して宗教共同体の中で家庭を持つことを期待するがゆえに、世界の救済者としての役割が彼らにとって次第に重要なものとなることは明らかであると思われる。(注63)この追跡調査データにおいては、献身を生じさせるパターンが「動機・行動・信念」の方であることが非常に明らかになった。事実上すべてのメンバーが結婚して家庭を持ちたいと思っている。組織はこれらの欲求を社会的に承認され神学的に正当化された役割に形づくる。時とともに、役割の意味は内面化され、各メンバーの自己像の一部となり、そしてこのプロセスを通して個人的(および結婚の)献身が確立されるのである。これがブロムリーとシュウプによって記述されたパターンと同じであることから、統一運動のようなグループにおける生活を理解するためには、社会的に構築された役割が重要な解釈的枠組みを提供するという理論を立てるのが妥当であると思われる。これらの役割が統一教会信者の自己像の一部になった程度は、二つの非常によく似た反応によって明らかになった。ブロムリーとシュウプは、ファンドレイジングを使命とするメンバーの発言を引用している:
「普通は、自分の内側にある何かと葛藤しているんだ。無礼な人々を愛すること、自分自身の確信の欠如に取り組んでいるんだ。これだからファンドレイジングが好きなんだ。・・・たった数年が一生のように感じる。」(注64)

 私がインタビューしたメンバーも同じテーマについて語った。彼とその妻はわずか一年前に家庭を持ったばかりだったが、彼は「私たちは人生でずーっと一緒にいるような気がする」(注65)と言った。

 これまでわれわれは、組織的構造に由来する特定の役割(レベル3)と神学的目標(レベル1)が、いかにメンバーの相互作用(レベル2)を形づくりを統制するかを調べてきた。少なくとも統一運動の生活の一つの重要な領域において、メンバーの相互作用と世界構築(レベル2)は組織(レベル1)と社会的役割(レベル3)の両方に重要な影響を及ぼしてきた。私がここで言及しているのは第三章で議論された性的役割分担である。統一運動の終末論的指向性は、男と女の両方をさまざまな世界救済の活動に従事させる。これらの仕事は緊急であると認識されているため、メンバーたちをさまざまな使命に割り当てる際に用いられる基準は、ほとんどの場合において実際的な性質のものであった。すなわち、最も優れた才能と技術を持つ者が性別にかかわらず特定の指導者の役割を担うことができた。その結果、統一運動において女性のリーダーシップの伝統が発達したが、この現象は原理講論の文字通りの解釈と多くの東洋の指導者たちの男性優越主義とは著しい対照をなすものであった。結果として、女性メンバーたちの実際の経験は、例えばファンドレイジングや伝道の成功者として、グループ内における意味ある生活を彼女たちに保証しただけでなく、組織が彼女たちの価値を認識する方向に導き、一部の者たちには神学的教育や大学院教育までも提供したのである。

 このグループが、性的役割分担の問題おいてはより柔軟な立場を取ったように、そのメンバーの草の根的体験に対してある程度影響を受けるということは、メンバーの生きた体験に対して反応できるように組織として変化する能力をそれが持っていることを示している。メンバーの役割は普通は明確に規定されており、個人的には骨の折れるものだが、それらはいわゆる「変えられない決定事項」ではない。

 統一運動の性と結婚に対するアプローチに役割理論を用いることにより、以下のことが明らかになった。(1)メンバーの役割は、組織の構造とそのメンバーの活動を構築する現実との間に不可欠な絆を提供する。(2)統一運動に対する献身は、むしろ役割を担うことの最終的な結果であって、その前提条件ではない。後者の発見は、非主流の宗教だけでなく、より世間に認められた教派においていかに献身が形成されるかに関しても、さらなる研究の余地があることを示唆している。質的または「実地調査」の方法論を利用することによって、社会科学において通常定義された結論に至ることが避けられる。これまでに識別されたことは、私が統一運動における性と結婚に関する「発見」と呼ぶことを好むものであり、おそらく定量的基礎をもつ調査によって検証あるいは反証することが可能な、情報に基づく推測または理論という地位を持つ発見である。

(注62)個人的交流:ウェアー氏
(注63)世界の救済者としての役割を、彼らの結婚を特徴づけ形成するアイデアに「翻訳」する必要性が最も明らかになるのはこの時点である。
(注64)ブロムリーとシュウプ『たった数年・・・』、p.180。
(注65)インタビュー:バゲッジ夫妻

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