ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳67


第7章 分析と発見(10)

 「非主流の」宗教に回心し入会することに対する理解の支配的な傾向性は、心理学的還元主義の説明を提供することであった。これはより大衆的な暴露型の著作物(注54)にだけでなく、最近の学問的文献(注55)にも見ることができる。そのようなアプローチは、ブロムリーとシュウプが「動機付けモデル」と呼ぶものを引き越した。それは宗教的帰属における三段階の順序を仮定する。
「(1) 個人のニーズや動機などの素因的条件(社会の状況に関する議論によって補足されることもある); (2) それらのニーズや動機にアピールする新しい信念との出会い(出会いの相互作用的背景の議論によって補足されることもある);および (3) 結果としてのグループの献身的なメンバーとしての行動。」(注56)

 統一運動の「国際統一十字軍」「タスクフォース・チーム」を四か月半にわたって研究した土台の上にこれらの著者が論じたのは、彼らの調査は動機付けモデルの「動機・信仰・行動」の順序を支持せず、むしろそれに代わる「役割理論モデル」を、回心と献身のプロセスのより正確な説明として示唆しているということであった。
「このもう一つの視点は、入会、関与、および献身の維持などの要因を、個人の経験や私的感情の観点からではなく、むしろ役割関係から生じる社会的に構築された出来事として概念化する。役割理論の論理は、宗教運動のアピールと(しばしば推測によって導き出された)そのメンバーの動機の間に『心理機能的』なつながりを構築するだけでは、グループの規範、価値観、および日々の問題解決という、相互作用的背景におけるメンバーの行動を無視していると論じる。・・・したがって、役割理論モデルにおいては、帰属はそれによって個人のニーズがグループによって満たされるだけでなく、それによってそれらのニーズがグループ独自の目的によっても形成され得るような社会的プロセスとして概念化されるのである。」(注57)

 この役割モデルにおいては、動機付けモデルの第二および第三の段階がグループの行動が信仰の回心と献身に先立つ、というように逆転されている。ある人のグループにおける役割と地位の変化は高い頻度で彼・彼女の態度の変化をもたらすというしばしば有効とされる社会学的原理は、この視点から支持されるものであるとみなされている。(注58)役割を担うプロセスそのものは、著名な社会心理学者の簡潔な発言によって非常によく描写されている。「(最初は)『一部を通り抜ける』という感覚があるが、これが通常過ぎ去って、人は学習者か戦士になる。」(注59)

 ブロムリーとシュウプは、四つの主要な結論に到達した。
「1.新入会員が統一運動に加入する素因となる動機は、『疎外』というような包括的なラベルの下に想定するにはあまりにも多様で複雑である。
2.動機付け理論と役割理論は、個人とグループが最初に出会った時点では最も緊密に同時進行するが、前者のモデルは個人がフルタイムのメンバーになった後に起こる変化に関してはわずかな知識しかもたらさない。
3.活動的なメンバーとなった後に最も顕著である行動の変化は、信念の変化と献身の形成に先行することが見いだされた。
4.統一運動の価値観と目標に対する心理的な献身は、積極的に役割を果たした結果として生じるのであり、その前に存在するのではない。(所属して最初の二年間に)実際に多くの統一運動のメンバーが離脱することは、個人的献身の深さを過度に強調することに対して警告している。」(注60)

 現在の著者の関心からブロムリーとシュウプの業績を評価するうえで、彼らが研究した統一教会の信者は平均2年目のメンバーであったのに対して、私がインタビューした者たちの信仰歴の平均は8年以上であったことを理解することは重要である。したがって、彼らの研究対象者のほとんどがマッチングも結婚も経験していないと想定することができるのに対して、私に情報を提供した42名のうち、2人以外はみなその経験をしていたのである。また、既に引き合いに出された50~60パーセントというメンバーの離脱率は積極的に関わった最初の2年間にのみ当てはまるのであり、それ以降は統一運動を離れるメンバーは非常に少ないことを忘れてはならない。これらの留保にもかかわらず、私の研究の結果はブロムリーとシュウプの結論を支持するばかりでなく、統一運動において役割を担うプロセス、とりわけ性と結婚に関わるときのプロセスをより一層明らかにする追加のデータを提供する。例えば、私は1979年12月に6名のメンバーをインタビューしたが、彼らは全員がその年の5月にマッチングを受けた者たちであった。彼らは全員が自身の相対者に対して、そして近い将来祝福を受けることに対する期待で非常に興奮していた。実際に彼らの考えは、アメリカ社会における彼らと同世代の婚約したカップルたちに見出されるであろうものと似ている部分もあった。6名全員が7カ月後に接触を受け、そのうちの4組が私に、聖別・約婚期間と結婚に対する彼らの態度について最新情報を提供してくれた。4名の回答者は全員が、最初にインタビューしたときから7カ月の間に彼らの理解に起こった重要な変化を示唆した。そしてこれらの変化は例外なく、統一運動の神学的・組織的関心により一致するものであり、外の世界において見いだされるであろう見解から離れた考えに向かっていたという点において、運動を代弁するものであった。あるメンバーは以下のように書いた。
「時とともに私の考えがいかに統一原理をより深く深く理解するように進化するかに気付くのも、私にとっては興味深い。私はこの(最初のインタビューの)起こしに取り組むことができて感謝している。なぜなら、たった数カ月が原理と、教会の仕事と、そして私自身の人生路程に対する自分の理解に影響を与え、深めたことが分かるからだ。」(注61)

(注54)「カルト」に関わることに対するこの視点からの一般的な扱いについては、広く読まれた著作であるテット・パトリックとトム・デュラックの「我が子供たちを去らせよ!」(ニューヨーク:バランタインブックス、1976)を参照のこと。統一運動に対する同様の扱いは、ビヨルンスタ『文は神の子ではない』、レヴィット『文鮮明の精神』、ならびに多数の雑誌や新聞の記事に見出すことができる。
(注55)これらの文献に対する強力な批評に関しては、シュウプ『現代宗教運動の構造的視点に向かって』を参照のこと。
(注56)ブロムリーとシュウプ『たった数年・・・』、p.161。
(注57)前掲書、p. 162。
(注58)例えば、セイモア・リーバーマン「役割の変化が役割占有者の態度に与える影響」『人間関係』 (第9巻、第4号、1956)、pp. 385-407を参照のこと。
(注59)ブロムリーとシュウプ『たった数年・・・』、p. 163。
(注60)前掲書、p. 181。
(注61)個人的交流:マリー女史

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