ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳43


第5章 祝福:準備とマッチング(12)

 この章で提示されたデータを分析する前に、最後の問題を議論する必要があるが、それはすなわちマッチングのプロセスに関わる恋愛感情の問題である。統一教会の理想は、マッチング以前には運動の内部に恋愛感情を伴う排他的な愛情表現が存在する余地はないというものである。あるメンバーが言ったように、恋愛感情は結婚の前ではなく、後に来るものである。(注68)この理想が必ずしも実現されないことは、とりわけグループが結婚相手の選択を完全に「お父様」に委ねる東洋的なやり方に近づいた1975年以降は、マッチングの際に明らかに分かるようになった。今日では、この問題に関しては文師の知恵を信頼するように、リーダーおよび同僚から相当のプレッシャーがある。にもかかわらず、マッチングを受ける前に恋に落ちるメンバーも実際にはいるのである。恐らく彼らは自分が熱をあげていることを秘密にしたまま、文師が自分の望む結婚相手と結んでくれることを望みながら、マッチングに行くであろう。これが起こらなかった場合には、恋に落ちた人は「お父様」が選んでくれた最初の人を、あるいは二人目の人でさえ「拒否」する傾向にある。ある男性のメンバーは、女性から断られた自分の経験について話してくれた。彼女が彼に示した理由は、彼らの間に7歳の年齢差があるというものだった。しかし、マッチング以前に彼女のことを知っていたので、彼は「・・・彼女には結ばれたい人がほかにいたのだ」(注69)ということに気付いていたのである。最終的にはこの女性は(彼女が自分の愛する人とマッチングされなかったと仮定すれば)文師によって選ばれたほかの誰かを受け入れたか、単にプロセス全体から離脱したかのどちらかである。愛が阻止されることは、人が運動を離れる決断をする一つの要因ともなってきた。(注70)

 聖別期間、祝福式、および結婚生活を第6章で論じた後に、われわれは第7章を統一運動における性と結婚に対する包括的な社会学的分析に費やすことになるであろう。われわれはここでは、マッチングの儀式のために準備し、それに参加することが、メンバーの献身を維持し強化するためのグループの努力にどのように作用するのかに関する、いくつかの予備的な観察を行うことにする。ブロムリーとシュウプは、統一運動への加入に関する役割受容プロセスの研究において、彼らが「相互作用的な全体主義」と呼んだものを、「互いに補強し合う、志を同じくする者同士が活動に集中すること」と定義し、「団結と献身の雰囲気を育成した」(注71)グループへの適応であると描写した。この全体主義は、メンバーとしての多様な役割の中で表現され、「個人が次第に巻き込まれていく一つの包括的なサブカルチャー」(注72)を作り出した。本章でわれわれは、統一教会員の信仰歴が2~3年になり、彼らの霊的・道徳的理想を実現するための神によって定められた機会としての結婚を期待するようになると、マッチングへの準備と参加が統一教会員たちの主要な関心事になることを示した。大部分において、メンバーたちが結果的にマッチングを受けて祝福されることにつながる役割を受容するとき、信仰と献身を維持する包括化のプロセスがさらに発達し強化されることは明らかである。以下においてわれわれは、メンバーの献身を強化する「求心性の社会要因」と、それを弱体化させる「求心性の社会要因」の両面から、包括化を議論するであろう。

 本章で提示されたデータは、個人のグループに対する関わりを維持し促進する6つの要因を指摘している。最初の現象は、統一運動の親族関係のネットワークに関わるものである。マッチングを受けるためには、メンバーは霊の子女を伝道して育てることが要求されている。したがって結婚のための個人の準備は、特定の若い兄弟姉妹との特別な関係を通して、グループと分かちがたく結びついているのである。さらにまた、そしてこれが非常に重要なのだが、聖酒式とその後の結婚を通して、メンバーの仮想の親族関係は真の父母および彼または彼女の相対者との「血縁関係」に変容するのである。後者に関しては、相対者は霊的にだけでなく、非常に具体的で社会的に受け入れられる意味において、夫または妻なのである。メンバーが結婚するとき、彼または彼女はおそらくグループに加入して以来初めて、統一教会の原理だけでなく、高い離婚率にも関わらずいまだにアメリカ社会全体で高く評価されている理想に適っているという感覚を経験する。(注73)(この親族関係の変容がグループの団結に対して持つ更なる含意は、第7章において論じられるであろう。)ここでは、統一教会の結婚が非常に現実的なやり方でメンバーを宗教共同体に結びつける絆であることに留意するだけで十分である。このことは、過去十年間にわたって統一運動を離れた数百名のメンバーの中で、マッチングと祝福を受けた者はごく僅かしかいないという事実によっても裏付けられている。(注74)

(注68)ケベドー「ライフスタイル」p. 8。
(注69)インタビュー:リギンズ氏
(注70)また一方で、ある人が彼または彼女が恋愛感情を抱いた誰かとマッチングされたときには、その結果は必ずしも運動のためにはならないが、そのことについては次の章で見ることにする。いずれにしても、社会集団の構造にとって恋愛感情が潜在的に破壊力になり得るというグードの理論は、統一運動の事例によって裏付けられている。ウィリアム・J・グード「愛の理論的重要性」『アメリカン・ソシオロジカル・レビュー』(第24号、2959)、pp. 38-47。
(注71)ブロムリーとシュウプ『たった数年・・・?』、P.175。
(注72)前掲書、p. 178。
(注73)相当数のメンバーが、マッチングを受けてまもなく実の両親との和解を果たすことができたと報告している。
(注74)著者は既にメンバーではない人々に関する公式的なデータを統一運動から入手することはできなかった。メンバーおよび元メンバーとの会話に基き、彼は以下の情報を得た。(1)数名の結婚した男性が運動を離れ、それと同時に彼らの妻を「見捨てた」。(2)また、子供のいるカップルが2~3組、例えば1970年代後半に起きた「韓国化」のような、特定の運動の方針に反対であるという理由で脱会した。(3)1969年に祝福を受けた13カップルの一部を除くほとんどが現在は(敵対的ではないものの)活動をしていないのだが、その理由を著者は知らない。

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