ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳35


第5章 祝福:準備とマッチング(4)

 祝福を受ける資格は、カップルとして統一運動に加入する以前に結婚していた人々に対する配慮でもある。メンバーになると、夫と妻は最低三年間にわたって聖別(性関係を控え一緒に暮らさないという意味である)し(注18)、その期間中彼らは個人として内外の必要条件を満たそうとするのである。彼らがそれを終えると、彼らは文師から祝福を受け、もともとの婚姻関係を継続するのである。

 特定のメンバーがマッチングを受けて、やがては祝福を受ける「準備が出来ている」のがいつであるかを、誰が決定するのであろうか? この質問は、内的必要条件の曖昧な性格と、外的必要条件が適用される際の柔軟なやり方を踏まえると、非常に重要である。ある個人が自分はマッチングのセレモニーに参加する資格があると信じ、さらにそうしたいという欲求を直接の上司(「アベル」もしくは「中心者」)に対して表明したとしても、個々の候補者に対する最終的な決定は統一運動のリーダーシップによってなされる。グループがまだ小さく高度に組織化されていなかった1960年代の後半と1970年代の初期には、金永雲博士が祝福の候補者を個人的に検査していた。運動が数において成長し、より構造化されてくると、地方のセンターの指導者たちがメンバーの資格を認定することに責任をもつようになった。1979年に臨時の祝福委員会が生まれたが、その主な責任はその年の5月に行われたマッチングの候補者を審査することであった。

 1979年の認証過程は以下のようなものであった。マッチングの準備が出来ていると感じた人々は、しばしば中心者と相談した後、「祝福申請書」に必要事項を記入するが、それは以下のような項目を含む比較的短い記入用紙である。候補者の名前、年齢、統一運動にいる年月の長さ、候補者のさまざまな活動や使命の記述、彼または彼女が7日断食を行ったかどうかの表示。加えて、候補者たちは彼または彼女が3年間にわたって独身生活をしてきたかを述べる。さらに、そのメンバーが運動に加入する前に性的に活発であったかについて、イエスかノーかで答えなければならない。この回答欄の隣にはスペースがあり、そこでメンバーは以前のいかなる罪でも告白することができる。最後に、申請書には将来の配偶者に関する好みを述べる箇所がある。

 運動に加入する前とメンバーであった期間の性的純潔に関する問題は、申請用紙においては簡潔に扱われているだけである。ブロムリーとシュウプは、「すべてのメンバーが告白的な活動に携わるのは、祝福の少し前に個人の『性に関する自叙伝』を真の父母に提出するのを要請されるときだけであった」(注19)と報告している。祝福申請書のイエス・ノー形式の二つの質問のほかには、インタビューを受けたメンバーたちは性に関する自叙伝が必要条件になっていることに対しては何も知らなかった。1960年代には、メンバーたちはマッチングを受ける前にそのような事柄を直接文師に告白したかもしれないが、そのときでさえそれは必要条件ではなかった。今日では、申請用紙に記入することに加えて、メンバーは彼もしくは彼女の罪(性的なものとそうでないもの)を、尊敬し信頼するリーダーに告白するという選択することができるが、これは義務ではない。

 完成した申請書は、候補者の最近の写真を添えて、3名の年長の祝福家庭の婦人(彼女たちは全員がヒエラルキーの中において重要な指導者の位置についていた)によって構成される祝福委員会に提出された。同委員会は、現場のリーダーたちから候補者に関する情報と提案を受けていたと思われる。祝福委員会は関係するデータをすべて吟味し、候補者をマッチングに相応しいと推薦するか、もしくは肯定的承認を妨げるような問題について話し合うために彼または彼女と会った。(注20)

 審査のプロセスは、とりわけマッチングの承認を受けられなかった者については、祝福委員会のメンバーによるカウンセリングによって補完される。3年間にわたってメンバーであったが禁欲生活を守れなかったので厳密に言えば資格がない者の状況に加えて、さらに三つの検討事項によって資格あるメンバーたち(外的な必要条件を満たしていた者たち)が承認を受けられずにいた。祝福委員会の議長が筆者に提示した順番に従えば、それらは(1)候補者が情緒不安定であると判定された場合。この場合、彼または彼女は専門家による心理学的支援を受けるようにアドバイスされた。(2)ある候補者は、祝福委員会によって信仰的献身において弱く、霊的に成熟するためにさらに時間を要すると評価された。(3)ごくまれなケースではあるが、候補者が自身の同性愛的傾向を十分に克服しておらず、結婚生活に入る準備ができてないということもあるだろう。議長は、彼女の委員会がこれらの微妙な問題をある程度の客観性と機密性をもって扱うことができればよいと思っており、それは一部の現場のリーダーにはないものだろうと言った。

 候補者の審査が完了すると、――1979年には1500名の審査がわずか2週間で成し遂げられた(注21)――祝福委員会はそのデータと推薦状を米国教会長の事務局を通して文師に送った。祝福委員会の組織はおそらく、以下の二つの要因によって生まれたのであろう。すなわち、1970年代の急速な運動のメンバーの増加と、メンバーの資格に対する現場のリーダーたちの判断が、公平というにはあまりに主観的であるかも知れないという感覚である。祝福委員会自体は実際のマッチングのプロセスには関わらず、それは第一に文師の責任として今日でも残されているということには留意すべきであろう。(注22)

 統一運動において結婚するための準備の一環としてメンバーたちが気を使わなければならない細かなことがもう一つある。彼らは、儀式の会場に行く自分自身の往復の交通費に加えて、マッチングと祝福式にかかるグループ全体の経費を均等に分担した金額を支払わなければならない。1970年にはこの金額は一人400ドルであり、以下の経費を含んでいた。宿泊費、ホテルからの往復の交通費、特別な衣装(祝福式のためのタキシードとウェディングドレス)、結婚指輪(それらはすべて統一運動のマークが施されていた)、およびカップルから文師夫妻への特別な贈り物である。

(注18)1965年にはこの聖別期間は7か月に過ぎなかった。文鮮明「祝福と伝道について」p.15を参照のこと。
(注19)ブロムリーとシュウプ『アメリカにおけるムーニー』p. 189。
(注20)1979年の祝福委員会の議長によれば、1980年12月に行われた835組のマッチングはあまりにも速く行われたので、この審査のプロセスは経られなかった。このときには、候補者たちは現場のリーダーたちが彼らには資格ありとサインをしたカードを持って儀式の場に現れただけであった。これは1979年以前の手続きへの逆戻りであった。
(注2)真にカリスマ的なやり方で、文師はマッチングと祝福を、それをするようにという啓示を神から受けたときにだけ告知する。神は通常、あまり早々と彼に知らせることはない。
(注22)インタビュー:ショー氏

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