書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』147


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第147回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 先回までは、中西氏が「韓国における統一教会研究」と題して紹介した韓国における先行研究、ならびに日本との違いに関する記述を踏まえて、韓国、欧米、日本における統一教会反対勢力についてかなり詳細に解説してきた。それは、統一教会に対する批判書の性格は、そのまま統一教会に対する反対勢力の性格を映し出していると考えられるからであり、しばらく中西氏の記述に対する直接の批判を離れてその問題を扱ってきた。

 こうした知識を前提として、あらためて中西氏の「二 韓国における統一教会」(p.407~)の記述を分析してみよう。彼女は「1 日本と異なるあり方」と題して以下のように述べている。
「韓国において統一教会は一般に異端、似而非宗教(偽宗教)とされている。日本での『カルト』と同様に否定的レッテルには違いないが、否定の程度は日本よりはるかに弱く、反社会的宗教教団とまでは思われていない。後述するが、韓国の農村部では男性の結婚難が見られる。統一教会は布教の一環として結婚相手の紹介を行っており、日本の女性信者と結婚した韓国人男性が多数いる。反社会的宗教集団と捉えていたら、いくら結婚難があっても統一教会に相手を世話してもらおうという人はいないはずである。・・・韓国で統一教会が日本ほどに否定的に捉えられていない理由は、霊感商法や正体を隠しての組織的勧誘が行われていないために『被害者』がいないことが大きい。・・・統一教会に対して多くの裁判が起こされ、違法性を認めた判決が出ている日本と、それらが一切見られない韓国では当然、教団イメージは異なる。」(p.407-8)
「もう一つ、これは否定的に捉えられていない理由というより、韓国の統一教会が日本と大きく異なる点だが、単に宗教団体というよりも傘下に多くの団体、会社を持つ事業体(ある種の財閥)と捉えられている。」(p.408)

 日本と韓国における統一教会の社会的評判が異なるのは、両国における統一教会自体のあり方の違いが原因であると見る中西氏の見解は、基本的に櫻井氏の立場とまったく同じである。中西氏はもともと日本の統一教会に関して詳しくはなかったのであるから、この論調は櫻井氏の指導を受けたものである可能性が高い。

 櫻井氏は本書の第五章において、韓国と日本における統一教会に関する報道のあり方が異なる原因は、両国における統一教会の「宣教戦略の相違」にあると分析した。日本では統一教会は「反社会的」集団であるとみなされているのに対して、韓国ではそのような考え方が共有されていない理由として、彼は以下のような点を挙げている。
①韓国において統一教会は、様々な関連企業や団体を有しており、統一教会と利害関係を持つ一般人が少なからずいるので、教団批判は関係者批判につながる。
②韓国では統一教会は農村の未婚男性に結婚相手を世話してくれる団体ととして認識されており、韓国社会に損失のみをもたらす教団ではない。
③統一教会はキリスト教から見れば異端だが、朝鮮民族のナショナリズムを前面に出しているため、反民族的・反国家的団体ではない。したがって、統一教会を批判することは愛国主義に対する批判につながる。
④韓国社会では、統一教会は資金力を背景にして政界・経済界とパイプを維持している可能性が高い。

 これらの分析は、中西氏の記述と酷似していることが分かるであろう。櫻井氏は、韓国の統一教会は「花形スター」であるのに対して、日本の統一教会は「金のなる木」であり、両国における教団のあり方がまったく違うので、マスコミの報道内容も違うと分析したが、私は第五章の分析においてその見解に対して疑問を投げかけた。日韓における報道の相違は、日韓における「統一教会自体」の差異に起因するというよりも、それらを見つめる一般社会やマスコミの意識や捉え方の違いに起因する部分の方が大きいと主張したのである。統一教会は韓国にとっては「自国の宗教」であり、日本にとっては「他国の宗教」である。したがって、韓国の新聞がそれを客観的あるいはやや好意的に扱い、日本の新聞が批判的に扱うのはある意味で当然と言えよう。日本社会にとって統一教会は「異物」であるのに対して、韓国社会にとって統一教会は自分たちの「一部」なのである。

 このことは、統一教会に対する断罪的なメディア報道が、日本のみならず西洋の国々にも存在することからも傍証可能である。櫻井氏によれば、「金のなる木」として経済活動に邁進させられているのは日本統一教会のみであり、それが日本において統一教会が「反社会的団体」と認識されている理由だということになるのだが、そうした使命や活動が存在しないはずの西洋諸国においても、統一教会は「反社会的団体」としてマスコミから攻撃されてきた。このことを証明するには、アイリーン・バーカー博士の著書『ムーニーの成り立ち』から一段落を引用するだけで十分である。
「今日の西洋で、誰かに『ムーニー』という名前を言えば、恐らく帰ってくる反応は、微妙な身震いと激怒の爆発の中間あたりに属するであろう。世界中で報道の見出しは一貫して断罪調である。『奇怪なセクトによる「洗脳」と闘う父母たち』『文師の世界制覇計画が語られる』『ロンドン警視庁による「洗脳」への徹底的調査に直面するムーニー・カルト』『家庭崩壊の悲劇』『ムーン教会で集団自殺があり得る、と語る3人』『洗脳された娘の所にかけつける母親』『ムーニーが私の息子を捕まえた』『ムーニー:マギー(注:マーガレット・サッチャーの愛称)が行動要請』『オーストラリアの「狂信的」カルト』『神ムーンが我々から子供を引き離す』『1800組のカップルとレバレンド・ムーン』『日本で500人の父母がセクト活動に抗議』『ムーン信奉者への警察捜査』」(序文より)

 西洋においても、統一教会は「他国の宗教」であり、「異物」である。それがマスコミの攻撃を受ける理由は日本とさほど変わらない。宗教の受容においては、こうした文化的相克は極めて重大な障害となる。韓国だけが、統一教会発祥の国として特別なのである。中西氏はこの韓国の特殊性を理解せず、日本との違いだけを強調して、西洋との比較という視点を見落としているという点で、その分析は一方的で偏ったものになってしまっている。

 さて、韓国の統一教会が単に宗教団体というよりも傘下に多くの団体、会社を持つ事業体(ある種の財閥)と捉えられているというのは事実である。韓国では統一教会(家庭連合)は財団法人として存在しており、その傘下に多くの企業体が存在する。日本では統一教会(家庭連合)は宗教法人として独立しており、その他の事業体との間に指揮命令関係は存在しない。これは両国の法制度が異なることに起因する違いだが、宗教的理念に基いて創設されたさまざまな組織が「統一運動」を形成しているという見方をすれば、両国の間に本質的な違いはない。宗教団体を中心とする「統一グループ」は世界各国で実に多角的な事業を行っている。櫻井氏はこれを「国際的なコングロマリット的宗教団体・事業連合体」と位置付けた。これに関連して、櫻井氏が134ページの表4-3で示している統一教会関連団体は以下のような諸団体である。
・宗教:統一教会(世界基督教統一神霊協会)、世界平和統一家庭連合
・政治:国際勝共連合、真の家庭運動推進協議会
・大学:世界大学原理研究会、世界平和教授アカデミー
・メディア:世界日報、ワシントンタイムズ財団
・出版:光言社、成和出版社(韓国の統一教会系出版社)
・大学:鮮文大学校(韓国の総合大学)
・芸術:ユニバーサル・バレー、リトルエンジェルス
・ボランティア:しんぜん、野の花会
・企業:ハッピーワールド、(株)インターナショナルホームメディカルグループ(配置薬)、龍平リゾート(韓国)、一和(韓国)

 「統一グループ」を構成するこうした様々な事業体や組織を概観してみると、それらは韓国にのみ存在しているのではなく、日本にもアメリカにも存在していることが分かる。その中には一般社会に開かれた企業として存在しているものもあり、そうした活動を通じて一般社会とのかかわりを持っているのは日本でも同じである。決して中西氏の言うように日本では統一運動は「単に宗教団体」として存在しているわけではない。

 したがって、「日本と韓国では統一教会のあり方が違うので、それに起因して社会的評判も異なる」という櫻井氏および中西氏の主張はあまり根拠がないことが分かる。

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