書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』145


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第145回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 先回は中西氏が「韓国における統一教会研究」と題して紹介した韓国における先行研究、ならびに日本との違いに関する記述を踏まえて、統一教会に対する批判的著作をテーマごとに整理し、欧米、日本、韓国の三つの地域の特徴について解説した。その結果分かったことは、欧米が最もバランスが良く、批判的なもの、好意的なもの、中立的なものがそろっているということであった。特に学問的研究においては欧米が最も進んでいると言っていいだろう。次いで日本だが、客観的で価値中立的な研究は欧米に比べれば少ない。韓国には、宗教的動機による神学と実態の双方に対する批判本しか事実上存在しないと言っていい。

 これを通して見えてくるのは、統一教会に対する反対運動の実相である。そもそも、統一教会に対して何の利害関係も関心もない人が、わざわざ著作を書くということは通常は考えられない。宗教学者による客観的な研究は例外だが、その他の著作は教団側の宣伝を目的とした出版物か、反対派による批判本に大きく分類されると言ってよいだろう。したがって、統一教会に対する批判書の性格は、そのまま統一教会に対する反対勢力の性格を映し出していると考えられる。そこで、しばらく中西氏の記述に対する直接の批判を離れて、韓国、欧米、日本における統一教会反対勢力について解説することにする。

 韓国における統一教会に対する反対勢力は、既成キリスト教会であると言ってよいだろう。櫻井氏が「日本の統一教会問題とは社会問題であるのに対して、韓国では宗教問題にとどまる」(p.170)と指摘した主な原因は、韓国における統一教会の特徴というよりは、韓国における統一教会反対勢力の特徴によるものであるといった方が適切であろう。韓国において、統一教会の信仰を持つようになった個人に対して、その親族が反対するというケースが全くないわけではないだろう。しかし、それが「反対父母の会」のようなものを組織したり、子供を拉致監禁してまで取り戻そうという運動にまでなることはなかった。逆に、韓国では親族から伝道されたとか、親族のほとんどが教会員であるというような話が多く、「家族の反対」というのは韓国の統一教会における主要な問題ではなさそうだ。

 一方、米国における反統一教会運動においてはキリスト教は限定的な役割しか果たさなかった。むしろ「ディプログラミング」に代表されるような反カルト運動の行き過ぎた行為に対しては、キリスト教会は反対声明を出しているくらいである。米国聖職者指導者会議(ACLC)の牧師たちに代表されるように、統一教会に賛同的なキリスト教牧師も多数存在する。米国における反統一教会運動の発端はむしろ家族の反対であり、それが後に市民運動化していったというのが実情である。そしてこれは統一教会にのみターゲットを絞った運動ではなく、「カルト」と呼ばれる新宗教全般を対象とした反対運動であった。

 米国においては、1970年代の終わり頃から「洗脳」(brainwashing)という言葉が、突如として出現した聞きなれない新宗教運動の台頭を説明するための概念として使われだした。1960年代後半から米国の若者たちを魅了し始めたこれらの新宗教運動は、主としてアジアに起源を有するものであり、キリスト教を基盤とする主流のアメリカ文化とは相容れない内容を持っていたために、対抗文化(counter culture)運動とも呼ばれ、激しい社会的リアクションを引き起こした。

 1970年代の初め頃には既にこうした新宗教運動に反対するグループが誕生していたが、こうしたグループを形成していった人々は、主として新宗教運動に入信した若者たちの両親であった。彼らは既存の伝統的宗教と自分の息子・娘たちが入った新宗教運動との違いを強調し、それらは危険な団体であると主張し始めた。特にこれらの両親が新宗教運動に対して反発を感じた理由は、自分の息子・娘たちが将来のキャリアを棒に振ってまでも宗教運動に献身し、家族との絆を否定してまで禁欲的な共同体生活に入るという点にあった。こうした新宗教運動に回心した若者たちは、以前までのライフ・スタイルを大きく変化させ、何よりも宗教を第一優先とする生活をするようになったため、この予期せぬ事態を理解できなかった両親は、自分の息子・娘を「奪った」宗教団体を非難し、それらの団体は「洗脳」をしていると非難するようになったのである。

 こうしたグループは、この頃から新宗教運動を「カルト」と呼んでいたが、この頃の「カルト」の用法は主として福音派のクリスチャンたちの著作に見られる用法であり、それは伝統的なキリスト教の教えからは逸脱した「異端的教団」という程度の意味だった。両親たちはこうした「カルト」から息子・娘たちを救出してくれるように警察や裁判所に要請したが、信仰上の違いだけが理由であれば、公権力は介入できないというのが一般的な反応だった。しかし、1970年代の後半になると、以下の三つの要因によって新宗教運動を取り巻く状況は一変した。

 第一の要因は、「ディプログラミング」の出現である。ディプログラミングとは、ターゲットとなる宗教グループのメンバーを誘拐し、彼らの意に反して監禁し、彼らがその信仰を捨てるまで長い感情的・心理的圧迫を加えることを意味する。「ディプログラミングの父」と呼ばれるテッド・パトリックは1976年に『子供たちに自由を』(Let Our Children Go)という本を書き、その中で自分のディプログラミングの手法について描写しているが、彼はその“信仰破壊者”としての実績によって新宗教運動に反対する両親たちの英雄となり、市民自由財団(CFF)と呼ばれる反カルト組織を1974年に結成した。これが「カルト警戒網」(CAN)の前身である(1986年に名称変更)。

 第二の要因は、いわゆる「ハースト事件」である。大富豪で「新聞王」の異名を持つハースト家の娘パティ・ハーストは、1974年にSLAと呼ばれる革命グループに誘拐され、数カ月間にわたって監禁されたが、この期間に彼女の価値観はすっかり変わってしまい、彼女はSLAの革命的なイデオロギーに完全に転向し、ついにはその組織と共に銀行強盗まで行うようになった。平均的な19歳の少女が短期間のうちに革命家に変身してしまったこの事件は、「洗脳」が実在するという印象を一般大衆に与える上で重要な役割を果たした。

 第三の要因は日本でも有名になった「人民寺院事件」である。これは1978年にガイアナのジョーンズタウンで教祖ジム・ジョーンズに率いられた人民寺院の信者が集団自殺を遂げた事件で、死者は912名にのぼり、同教団を調査するために米国から訪れたリオ・J・ライアン下院議員とその一行もガイアナの空港で殺害された。この事件は米国社会に大きな衝撃を与え、これを契機としてそれまでバラバラに活動していた反カルトグループが全国組織にまとめられて、1980年代にカルト警戒網(CAN)として結実していく。このCANは「カルトによる洗脳」の危険を宣伝し、ディプログラミングを行う反カルト組織であった。同時期に結成された姉妹組織にアメリカ家庭財団(AFF)があり、これら二つの組織はほとんど同じ人々によって構成されていた。

 アメリカ家庭財団(AFF)は、「カルト」に反対する父母の会として出発したが、現在はInternational Cultic Studies Association(ICSA:日本語に訳せば「国際カルト研究協会」)に名称変更して存在している。最近は弁護士、精神科医らの参加を募って学術研究機関としての色彩を強めており、アイリーン・バーカーなど「カルト擁護者」と目される学者も招いているが、基本的に「反カルト」であることに変わりはない。私自身もこのICSAの国際会議には3回ほど参加したことがある。

 一方、カルト警戒網(CAN)の方は、「ディプログラミング訴訟」によって崩壊することとなる。1990年代になると、拉致・監禁を伴うディプログラミングを経験した新宗教信者が、強制改宗家や反カルト組織を相手取って損害賠償を求める訴えを起こすケースが増えてきた。これにより、ディプログラミングの実行に伴うリスクが増大し、その数は劇的に減少した。1991年にリック・ロスと他の強制改宗屋がジェイソン・スコットという若者を「ライフ・タバナクル教会」から脱会させるためにディプログラミングを施そうとしたが、彼は脱会せず、逆にロスとCANを相手取って損害賠償を求める民事訴訟を起こした。95年、法廷はスコット氏に500万ドルの損害賠償を支払うように原告に命じた判決の中で、このディプログラミングの責任がCANにもあることを認め、懲罰的罰金100万ドルを含む合計109万ドルの賠償金を支払うようにCANに命じ、CANはこの判決により破産を余儀なくされたのである。結局、CANは96年に宗教的人権を守ろうとする人々によって買い取られ、現在では新宗教に対する偏見を取り除く目的で運営される組織に生まれ変わっている。

 米国における統一教会批判を含む「反カルト文献」は、主としてこうした反カルト運動によって生産されてきたと言ってよい。それはキリスト教会が主導する運動というよりは、新宗教信者の両親、心理学者、職業的改宗請負人などによって構成される組織であり、一部にはお金目当てで改宗を請け負う者たちもいた。こうした運動は社会から支持を得ることはなく、その過激な活動は良識あるキリスト教指導者や学者たちの非難の的となっため、1970~80年代に大きく盛り上がった米国における反カルト運動は、凋落の道をたどるようになったのである。

 次回は、欧州と日本における反カルト運動、反統一教会運動について解説する。

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