ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳22


第3章 性に関する価値観:婚前の性行為と同性愛(6)

 文のこの問題に関するたった一つの発言は、何が「自然」であるかに関する彼の神学的理解に基づいて、同性愛を明確に否定している:
「それは最も不自然な愛です。創造のとき、アダムにはほかに愛すべき男性がいましたか?(ノー![聴衆の反応])ですから、女性は男性を愛し、男性は女性を愛するのが原理なのです。同性愛は不自然であり、神の創造の法則に反しています。」(注49)

 文は続いて同性愛者が今日増加していることに言及し、彼の信者たちは彼らに対して何かしようとしなければならないと指摘している。彼は戦略として初めに説得を選ぶが、問題を無視するよりは「彼らを打って」しまうほうがましだと言う。(注50)

 「彼らを打つ」という文の言葉が何を意味するにせよ、運動のメンバーが一般的に言ったのは、統一原理によれば同性愛行為は疑いなく悪だが、同性愛者たちは必ずしも悪い人々ではなく、彼らは受け入れられて愛されるべきであり、彼らは神を中心とする生活を送ることによってその不自然な傾向を克服することができる、ということであった。同性愛者を個人的に知っており、共に働いたことのある人々は、これらの人々が神の定めた異性愛の役割に復帰するためにどれほど葛藤しなければならないかに対して、多大な同情心を見せた。(注51)

 一人の元メンバーは運動の中には「潜在的同性愛」が蔓延していると主張したが(注52)、無批判な読者は二人の心理学者による以下の報告によって、この主張が立証されたと思うかもしれない。
「・・・筆者は挨拶を交わしているときやリラックスしているときに、同性の個人の間の頻繁な接触行動を繰り返し観察した。ときにはこの接触は、抱擁や手を握ったり撫でたりする行為を伴い、それは伝統的なアメリカ社会の規範よりもやや長い時間にわたるものであった。多くの事例の中の一つを話せば、筆者の一人が夜遅くに長いインタビューを終えたとき、伝道チームがメンバーたちの泊まっているモーテルに戻ってきた。女性の一人が靴をさっと脱いで、別の女性の膝の上に座ったのである。最初の女性が疲れたと言っている間、彼らは抱擁し合っていた。二人目の女性はその後、最初の女性の足を数分間マッサージした。別のときには、一日中お互いに会わなかった男性たちが夕食前に挨拶する際に、ヨーロッパ式のやり方で抱き合い、おそらく数分間手を握っていたのである。この活動は「同性間」のものであり、兄弟と姉妹の間では決して起こらなかった。(すなわち、兄弟間、姉妹間でしか起こらなかった)しかしそれは、あからさまに性的な行動の前兆では決してなかったし、そのような含意を伝えるものでもなかった。」(注53)

 この行動に、ワーデル・ポメロイが意味のない言葉であるとみなした潜在的同性愛というレッテルを貼るよりも(注54)、ブロムリーとシュウプはそれを「・・・厳格な禁欲を強調するグループにおける、抑圧された性的感情の『許容可能な』はけ口の例」(注55)を表していると示唆したのである。

 私が行ったメンバーの行動の観察によって、ブロムリーとシュウプによってなされた観察は全般的に裏付けられた。いくつかの異なる機会に、統一神学校において、メンバーたちがダイニングホールで夕食が出るのを待っている間や、就寝前の夜にリラックスしているときなどに、私は同性間の接触行動(主に抱擁、手を握ること、および背中のマッサージ)を目撃した。そのような行動が抑圧された性的感情のはけ口として理解されるべきかどうかは、もちろん、解釈する者の心理学的指向によるものである。(すなわち、フロイト主義者はこの立場を取るであろうし、マズローの弟子たちはより全体論的な立場を取るであろう。)

 統一教会の信徒たちは、彼らの頻繁な(同性間の)接触行動を、お互いに対する配慮の表現であり、疲れを克服する方法の一つであるとみている。触覚刺激は心と体を活性化する良い方法なのだというメンバーも若干いた。こうした信仰の故に、またメンバーたちが伝道活動に投入する膨大なエネルギーを踏まえると、人は頻繁な接触行動を見ることを期待するのかもしれない。(注56)

(注49)文鮮明師「家庭生活の真の形」、「マスター・スピークス」(MS-459, 番号 75-3-7, 1975年3月7日)pp.4-5. 今日の道徳的演説においては、「自然」と「不自然」という言葉は救いようがないほどに曖昧である。仮に使われたとしても、それらは講演者自身の価値観を論理的にというよりは修辞的に正当化するに過ぎない。
(注50)前掲書、p.5。
(注51)ほとんどのメンバーが同性愛を学習された行動であり、長期間にわたって強化されると変えることは非常に困難であると認識している。彼らは、変わりたいというモチベーションの高い同性愛者はそうするであろうという点ではワーデル・ポメロイ(訳注:アメリカの心理学者で、キンゼイと共に同性愛の研究を行った人物)に同意するかもしれないが、彼らは明らかにその非原理的なセラピーのやり方を受け入れないであろう。(ポロメイ「同性愛」、ラルフ・ウェルジ編『同性』[フィラデルフィア、ピルグリム出版、1969年]に掲載、pp.7-8)
(注52)ウッド『ムーンストラック』、p.162。
(注53)ブロムリーとシュウプ『たった数年・・・?』、p.183。
(注54)ポメロイ「同性愛」、p.9。
(注55)ブロムリーとシュウプ『たった数年・・・?』、p.183。
(注56)「言い伝え」によれば、文師がごくわずかな睡眠時間で生産的に働くことができる能力は、一部には、文夫人から受けているフットマッサージのゆえであるという。

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