ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳20


第3章 性に関する価値観:婚前の性行為と同性愛(4)

 淫行を犯したということだけでは、メンバーをグループから追放するための十分な理由にはならない。そればかりか、インタビューを受けたメンバーは、運動において「破門」という言葉は意味がないし、全く機能しないと説明した。(注29)ときには性関係を持った独身のメンバーが個人の選択によって運動を離れることはあるが、これはそうしなければならないということではない。なぜなら神は愛の神であり、運動は悔い改めて復帰されることを望むすべての人にその愛を差し伸べるからである。(注30)

 神の意思に反するということに加えて、婚前の性行為が悪であるのは、神が世界を愛するのと同じように他者を愛することのできるような人に個人が成長していく能力を損なうからである。言い換えれば、婚前のセックスはパートナーに対する真の愛が心理学的に不可能な、未熟なセックスなのである。あるメンバーは、彼女が回心する以前に「非常に不満足な多くの性関係」を持っていたことを話した:
「私は、彼ら(彼女のパートナー)と関係を持つときに、なんらかのかたちで彼らを利用していること常に良心の呵責を感じていたし、どういうわけかその関係そのもの、性そのものが、私たちがお互いに本当に愛し合うことと、お互いに本当に親しくなることを妨げていたの。」(注31)

 彼女と他のメンバーたちは、一時的な禁欲期間を感謝していると言った。なぜならそれは、お互いを単なる性の対象としてでなく、人として愛することを学ぶための時間と機会を彼らに与えてくれるからである。(注32)現段階では、運動に関わる以前の自らの性関係について自発的に情報提供してくれた全てのメンバーが、これらの経験をはかなく、罪作りで、全般的に不満足なものであったと描写した点に留意することは重要である。(注33)
「私は結婚したくなかった。私自身が女性と様々な関係を結んでいたし、私は結婚する必要はないと考えていた。とはいうものの、私は自分の人生には理想がないし、私の人間関係は不愉快なものだと感じていた。」(注34)

 最近アメリカの若者たちの間で婚前の性交渉が増加しているのは、「性革命」の主要な特徴の一つである。メンバーたちが統一教会の価値観を、外の世界で起こっていることに対する彼らの認識と比較するとき、彼らは通常この現象に焦点を当てた。この問題についての運動と社会の間の大きな違いを強調しつつ、彼らの関心ごとはいかに「フリー・セックスる」が道徳的責任を無視し、個人の成長を妨げるかという点に主として向けられた。
「しばしばその関係は、深い尊敬や関心というよりは、性的な快感に基づいている。」(注35)
「私たちの西洋社会は、責任という事実をあまりにも無視している。楽しみのためだけに、他者と関わり、異性と関わっている。他者に対して果たすべき責任というものを考えない。」(注36)

 外国に住んできたときに運動に入ったある女性メンバーは、そこで人々が非常に若年で結婚するのは、通常はその女の子が妊娠しているからだと指摘した。その結果、彼女たちの「人格が成長できない」のである。一般的に、外の世界は「物質的なことばかりが強調されて霊的なことが十分でない」と彼女は思っている。(注37)

 外の世界における婚前の(および婚外の)性行動の増加は、統一教会の信者たちによれば、解放ではなく服従の兆しなのである。「我々が今日の性革命を見るとき、我々はそれによって自由ではなくむしろ隷属をもたらしたのだ。少なくとも私の経験ではそうだった。」(注38)神学的にはその隷属はサタンに対するものだが、心理学的には人々は「知られざる罪悪感に縛られ、内面における整合性と人格の強さを欠いているのだ。」(注39)

 運動の婚前のセックスに対する否定的な評価は、個人の信者に対してだけでなく、その共同体的構造と究極的な目標を前提とすれば婚前の愛情が奨励されないという点において、組織に対しても重要性を持っている。兄弟姉妹の役割は、実際は架空のものだが、性的活動と同時に、より穏やかな恋愛に対する願望をも抑止するインセスト・タブーを作り出している。(注40)全ての活動は本質的に共同体的なものであり、高度に定型化されているため、恋愛関係や性的関係に先立つ男性と女性の個人的な出会いが制限される傾向にあるのである。(注41)ブロムリーとシュウプによって報告されたこれらの抑止力の一般的な有効性は(注42)、この筆者の観察によって三カ所の異なる運動の拠点で裏付けられた。そこでは独身の男性と女性の間には身体的接触はなく、歓迎の抱擁さえない。

(注29)運動の元メンバーは、統一教会の性に対するアプローチに多くのネガティブな感情を抱いている。しかしながら、私の調査によって明らかになったのは、一人の男性と数名の女性が不道徳な性的行動によって「追放された」と主張する記事が一つあるだけであった。ウッド『ムーンストラック』、p.98を参照のこと。
(注30)したがって、淫行はある意味で不倫(祝福を受けた統一教会のメンバーによる唯一の「本物の」形の不貞行為)とは異なるものである。不倫は許されない。文鮮明師『男と女の関係』、p.8を参照のこと。
(注31)インタビュー:ウォール女史。メンバーが運動以前の経験について話すときには、「その当時」と「今」の違いを誇張する傾向があるかもしれないということを筆者は認識している。しかし、このような研究においてこれらの要因を制御する手段はない。
(注32)この成長期間の性格については、第5章でより詳しく議論されるであろう。
(注33)運動は公式的にはメンバーに対して入教以前の性生活について話さないように奨励しているが(筆者はインタビューにおいて積極的に調査しないことによってこの原則を尊重した)、独身メンバーの半分以上が実際にそのような情報を提供した。
(注34)インタビュー:リギンズ氏
(注35)インタビュー:バークレー氏
(注36)インタビュー:リントン氏
(注37)インタビュー:ソーヤー夫人
(注38)インタビュー:バークレー氏
(注39)個人的交流:ショー夫人
(注40)この筆者が行った調査は、運動に対するより初期の研究の観察を裏付けた。「我々のIOWCの厳格に守られた禁欲は、セクト主義的な宗教グループにおいては珍しいものではない。しかし、この性に関する禁制は家庭的状況の中でさらに強化されており、(未婚の)メンバーの間における異性間の活動に対して、インセスト・タブーに類似したなにかを作り上げていた。」デビッド・G・ブロムリーとアンソン・D・シュウプJr『たった数年・・・?』、p . 179 ).
(注41)「どのセンターのどのグループのどのリーダーであっても、男と女が二人っきりになる状況を避けるようにしなさい。あなたはそこにいなければなりません。少なくとも一人の男性と二人の女性、あるいは二人の男性と一人の女性です。」文鮮明師『男と女の関係』、p. 1.
(注42)ブロムリーとシュウプ『たった数年・・・?』、p. 183.

カテゴリー: ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」 パーマリンク