ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳45


第6章 祝福:聖別期間と同居生活(1)

 個々の統一教会信徒の人生における大きな転機であり、地上天国実現の全体構想における基本的な社会単位である結婚は、運動のイデオロギーの中心的な位置を占め、その最も重要な儀式として際立っている。前章は、マッチングの儀式のために準備し、それに参加することの神学的および実存的な意義を明らかにした。また、宗教的共同体のマッチングの儀式に対する期待の中で働く社会的な力が、大部分においてグループの結束と個人の献身の強化に貢献することも示された。本章は、マッチングから夫婦として一緒に生活するようになるまでの期間の、統一教会のカップルの理想と実際の体験について描写する。以下の主題が吟味される。聖別・約婚期間、「公的な」祝福式、三日行事、同居する結婚生活、離婚、放棄、死。

 「聖別・約婚期間」は、統一運動にとって比較的新しい結婚の側面を明確に分類するために、著者によってつくられた言葉である。「聖別・約婚期間」の宗教的意味は、神を中心とする犠牲的生活というグループの伝統に深く染み込んでいるが、ある意味でこの期間がアメリカ社会における婚約期間のようなものだという考えは、非常に多数のアメリカ人が韓国でマッチングと祝福を受け、その後最低三年間は開拓伝道のために聖別した1975年までは、重要な形では現れなかった。この期間を婚約であると考える傾向は、1979年の705組のマッチングによって拡大した。第5章で示したように、マッチングと「公的な」祝福式の間に三年間の聖別期間を持つという文師の決断によって、そのときに新しいパターンが出現したのである。1979年にマッチングされたカップルは、しばしば自分たちのことを「婚約している」と語り、第二次世界大戦以前の米国における婚約を連想させる態度や実践を彼らの関係に取り入れたのである。「聖別・約婚期間」はまた、マッチングと結婚の成就の間の経験を、カップルが実際に同居した後に起きる別居と区別するためにも有効である。後者は「結婚後の別居」と名付けられる。

 「聖別・約婚期間」は、マッチングの直後に始まる。その長さは最小限の40日からときには4~5年間にいたるまでさまざまである。40日間は絶対的なものであり、イエスが生涯の仕事のために自分自身を準備した荒野における誘惑の期間をモデルとしている。文師は、祝福を受けたそれぞれのグループのカップルに対して、特定の聖別期間を指定する。その長さの違いは、各グループにおけるカップルの年齢と統一運動の「世界救済」の計画という、二つの要因によって決まる。1800双は1975年にマッチングと祝福を受け、三年間もしくは妻が30歳になるまで聖別した。20代半ばであったこれらのカップルが互いに離れている間に、この新しい信仰の世界的な基盤を作るための宣教師として奉仕したのである。それとは対照的に、1977年にマッチングと祝福を受けた者たちは主として年長(30歳以上)であり、最低限の40日間の聖別をしただけであった。聖別が普通は30歳を超えて延長しない理由は、この運動がカップルに多くの子供を持つように奨励したいからであり、その目標はカップルが歳を取ってしまうと実現が容易でないからである。

 「聖別・約婚期間」は個々のメンバーにとっていくつかの意味を持つが、これらの意味を運動の強力な千年王国説的な推進力という脈絡の中に位置づけることは非常に重要である。マッチングを受けて聖別しているカップルのキーワードは「犠牲」であり、地上天国の実現という、より高次の目的のために自分自身を捧げることなのである。統一神学によれば、現代の世界は「革命の期が熟している。」神は歴史を通して、神を中心とする道に復帰することのできる今日の世界へと至る道を開拓してきた。統一教会の信者たちは、もし彼らが自分たちのグループの価値観と目標に完全に献身するならば、彼らは新しい天と新しい地とを作り出すことができるという信仰によって、深く動機づけられているのである。

 マッチングを受けたカップルが「聖別・約婚期間」に捧げるよう求められている犠牲は、世界のための犠牲であると理解されている。したがって、彼らはマッチング以前の彼らの生活の特徴であった世界の救済者としての役割を事実上継続するのである。文師が1979年にマッチングを受けたカップルに語ったスピーチには、この犠牲のテーマが「ホーム・チャーチ」の概念によって展開されている。この比較的新しい伝道のアプローチについては、後述することにする。
「皆さんが約婚を終えて、まだ地に足がついていないことが分かります。皆さんはお互いを知ることに夢中になっていて、顔色が変わっています。皆さんが相対者に会ったときにすべきことは、お互いの知恵を集めて、ホームチャーチで勝利するために出ていき、その後で祝福を受けるために私のところに帰って来ることを決意することです。・・・皆さんはホームチャーチよりも自分の相対者とより多くの時間を過ごすことを望みますか? 皆さんのアンテナはホームチャーチに向かっていなければなりません。そうでしょう?」(注1)

 文師とその他の指導者たちは疑いなく、様々な任務を続行する上で独身のメンバー(たとえ彼らが婚約していたとしても)を持つことのできる実際的な利点に気づいている。こうした人々はまだ彼らの相対者と本質的に関わっていないため、ほぼどんな立場であってもグループに奉仕することのできる自由を有しているのである。

 千年王国のための犠牲に加えて、「聖別・約婚期間」は神を中心とする結婚と家庭生活のための堅固な基礎を築くための期間として理解されている。ある結婚したメンバーは「聖別・約婚期間」について、「神によって結婚したと認められるという素晴らしい恩恵に備えるための」(注2)機会であると語った。妻と同居したある男性はそれについて、彼らが二人とも自分の生活を神を中心としたものにする時間であり、その後により神を中心とした関係に再び戻って来ることができるのだと語った。(注3)「深くて心情的な時間」「蕩減の時間」「私の人生のための愛と信仰の基礎を築く期間」といった言葉が、運動の文献やインタビューの記録の中に何度も出現する。極めて明らかに、世界の救済者としての役割にとって不可欠な犠牲と聖別は、統一教会における結婚の霊的な基礎と、特有の終末論的指向性を確立していると見られているのである。

 「聖別・約婚期間」において結婚のために立てられるパターンやモデルは、本質的に独身メンバーのためのパターンと同様である。ある婚約したメンバーは以下のように語っている。
「私たちの家庭に非利己的な献身のパターンを立てるのは、より大きな世界のための犠牲なのです。私たちの家庭生活の様式は、私たちの(生物学的な)両親のものとは違っていなければなりません。そして犠牲に対する指向性は、その違いの大きな部分であると私は信じています。」(注4)

(注1)文鮮明「真のカップル」、『マスター・スピークス』 (番号79-05-27, 1979年5月27日), p. 7。
(注2)個人的交流:エンゲル氏。
(注3)インタビュー:メイ氏。
(注4)インタビュー:ウェア氏。この男性が相対者と「恋に落ち」、彼女と離れていることに痛みを感じるようになるまで、彼が「聖別・約婚期間」を犠牲的なものであると理解していなかったことは興味深い。

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