ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳46


第6章 祝福:聖別期間と同居生活(2)

 マッチングを受けた個々のメンバーは、「聖別・約婚期間」中は霊的成長と運動への奉仕に関心を集中させるように、指導者たちや年長の祝福家庭のカップルから強く推奨されている。マッチングを受けた者は、「聖人のように生き、聖人のように考える」(注5)ことを奨励されており、この格言を成功裏に成就する鍵となるのが犠牲である。祝福家庭協会の長は、結婚が個人主義的な態度を助長することによって、いかにグループの団結に対する深刻な脅威になり得るかということに明らかに気付いており、マッチングを受けたカップルに以下のようなアドバイスをしている。
「独身者として、私たちは非利己的であること、使命のために自分自身を犠牲にすることについて、多くを教えられてきました。時として、私たちは家庭を持ったときには自分自身のため、自分の家族の為に生きることができると考えます。最終的に、私たちは自分を愛してくれ、自分の世話をしてくれる誰かを持つようになり、自分のやりたいように物事をすることができるようになります。実際、結婚には自由があります。皆さんは新しい種類の自由を持つようになるのですが、それでも[#傍線]私たちは非利己的な心を持ち続けなければなりません。もしそれが出来なければ、私たちは自分たちの教会の価値観から遠ざかっていくこともあり得るのです[#傍線終わり]。」(注6)

 霊的成長は、ある意味で独身のメンバーがマッチングの準備をするよう奨励されるのと同様に、「聖別・約婚期間」中に愛する能力をさらに発達させることであるとも理解されている。運動のアメリカ支部の会長は以下のように説明している。
「浄化のプロセスが約婚のプロセスなのです。それは、私たちが縦的な基台(神に対する愛)を確立する期間であり、その上で私たちは、自分が必要とし欲しているあらゆる横的な愛(その人の相対者や他者に対する愛)を経験することができるのです。」(注7)

 マッチングを受けたカップルの状況について、彼はさらに具体的に語っている。「もし皆さんが純粋な心情を持っていれば、皆さんは全てを手に入れることができます。皆さんはあらゆる関係を美しいものにできるのです。」(注8)

 霊的成長の問題に関連しているのは、特定のメンバーらによって表明された、より精神的に成熟するために「聖別・約婚期間」を活用するという考えである。(注9)ある既婚女性は、彼女が「聖別・約婚期間」中に経験したフラストレーションを思い起こしながらも、そうしたことは結婚して一緒に暮らすための有益な準備であると見ていた。彼女は、「結婚は簡単なものではありませんが、自分自身の問題を解決した後であれば、より簡単になるようです」と書いている。(注10)この期間を情緒的・霊的な成長のために用いるということは、マッチングを受けた人々のインタビューの中でもしばしば言及された。

 運動の指導者が書いたものの中で語られることは滅多にないものの、「聖別・約婚期間」のもう一つの目的は、インタビューの中で明らかになった。接触したほぼすべてのマッチングを受けた者たちは、この期間を彼らの将来の配偶者を知るための機会であると語ったのである。彼らはしばしばこのプロセスを伝統的なアメリカ社会における婚約期間中に起こることと結び付けた。(注11)ある女性メンバーはこの期間を現実的な意味において非常に良いものであるとみなした。なぜなら、「・・・あなたは相手を知人として、友人として知るようになるの。その人を人として知るのはとっても大変なことよ・・・」(注12)「聖別・約婚期間」のこうした側面に対するあるメンバーの意気込みは、以下の発言の中に明らかである。「私は三年間の聖別期間を本当にありがたいと思っている。なぜなら、私たちが結婚する前に、お互いについて本当に知るための時間をたくさん与えられるからだ。それは私たちが夫婦関係を築く前に、ある種の兄弟姉妹の関係を真に築くためなんだ。」(注13)

 お互いについて知り合うことは、とりわけ「国際カップル」においては、その多様な文化的・民族的背景のゆえに重要である。あるメンバーは彼と日本人の妻が、いかに二人の間の文化的な差異が非常に表面的なものであり、実際には多くの共通点があることを理解するようになったかを表現した。(注14)また他の男性は、彼と東洋人の妻が共有している深い信仰的な献身は、いかなる文化的な違いよりも強いことを「聖別・約婚期間」中に発見したと表明した。(注15)

 「あなたをよく知るため」という「聖別・約婚期間」の目的は、おそらく1970年代に会員数が大きく増加し、また国際マッチングの数も増えたことにより、今日ほとんどのカップルがマッチング前にお互いのことを知らないという事実によって必要になったのであろう。指導者たちは疑いなくそのような目的を承認することを躊躇するであろう。なぜならそのようなことを正当化してしまえば、組織の目的成就にとって不可欠な犠牲的ライフスタイルをメンバーから損なってしまいかねないからである。筆者はまた、マッチングを受けた相手に関する個人的な知識を得るということは、東洋の指導者たちにとっては優先順位の高いものではないと推察する。

 「聖別・約婚期間」の目的、すなわち霊的成長、精神的成熟、自分のパートナーに対する知識などは、既に述べたように、差し迫った世界の救済のための犠牲という脈絡の中で理解される必要がある。それではこれらの目的はマッチングを受けたカップルの実際の行動とどのように関わっているのであろうか? この質問に答えるためには、初めにマッチングを受けたカップルは、自分たちは神の目から見れば既に結婚しているのであると認識していることに気付くことが重要である。したがって、彼らのお互いに対する誓約のレベルは、典型的なアメリカの婚約に見られるものよりもはるかに強いのである。「私たちにとっての約婚は、単なる婚約ではなく、完全なる誓約であると言いたいのです。それはまはや結婚の誓約と同じようなものであると私は思います。」(注16)統一運動における結婚は永遠のものであるため、マッチングを受けたカップルは一般的に、最初に「聖別・約婚期間」にお互いに良い関係を築くことに対して非常に真剣である。彼らの「夫」ならびに「妻」としてのそれぞれの役割は、神の視点からお互いに対して関わる方へと彼らを導く。すなわち、彼らは自分の配偶者の中に、霊性、忠誠心、献身、他者への配慮など、神が評価する資質を探すように奨励されているのである。そのような役割が、彼らがそれぞれの「身分証明書」、すなわち彼らの人格のさまざまなレベルを明らかにし、互いに融合するための準備をするのである。(注17)理想的にはその後、二人の「役者」は永遠の一体化、自発的で途切れることのない授受作用というクライマックスへと至る演技を開始するのである。

(注5)インタビュー:ボルトン氏
(注6)ノーラ・スパージン「結婚の準備」p. 12。 (下線は私)
(注7)モーゼ・ダースト「高貴な人生を生きる」『原理生活』(1980年7月)pp. 20-21。
(注8)前掲書、p. 19。
(注9)霊的な成長と情緒的な成長は統一教会の考え方においては緊密に関係しあっているが、両者の関係はまだ明確に線引きされていない。
(注10)バーバラ・テン・ワルデ「証し」『原理生活』(1979年4月)p. 31。
(注11)「聖別・約婚期間」を交際期間の段階に起きることと比較した方がより的確であろう。
(注12)インタビュー:ソーヤー夫人
(注13)インタビュー:リギンズ氏
(注14)インタビュー:ランサム夫妻
(注15)インタビュー:スミス氏
(注16)インタビュー:アボット夫人
(注17)アービング・ゴフマン『日々の生活における自己の提示』(ガーデン・シティ、ニューヨーク:ダブルデイ、1959年)pp. 242-243。

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