ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳47


第6章 祝福:聖別期間と同居生活(3)

 実のところ、マッチングを受けたカップルの間の主な交流の形は、本質的に言葉によるものである。彼らが直接面と向かってコミュニケーションをするのか、より間接的な方法でするのかは、ある程度はそれぞれの「使命」の地理的な位置によって決まる。同じセンターや同じ都市の中にカップルの両方がいるというのは少数派であろう。大多数の者たちは直接面と向かって接することができない程度に遠く離れている。事実、マッチングの儀式と「公開された」祝福式の間に一度も会わないというカップルも若干存在するのである。お互いに地理的に離れた場所にいるカップルがコミュニケーションを取る手段は、手紙、テープ、電話による会話、および写真の交換である。おそらく手紙が最も費用のかからない媒体であるため、それが最も一般的なコミュニケーションの手段となっている。お互いの使命が同じ都市の中にあるカップルであっても、しばしば文書で交流をするであろう。

 その手紙は、私のインタビューによれば、極めて個人的な内容であり、それを通してパートナーはお互いのこれまでの人生や性格を相手に対して明らかにするのである。彼らはまた、統一運動や神を中心とする結婚をすることに対する希望についても語り合うだろう。その手紙は非常に長く、多くの場合毎日書かれるのであるが(注18)、明らかに一般的な「ラブレター」から連想されるような話題について長々と書いたりはしない。運動の指導者たちはマッチングを受けたカップルがお互いに手紙を書くことを奨励するが、男性の中には必ずしも定期的に手紙を書かない者もいる。以下の文師の言葉はこのことを示唆している。それはまた、師のショービニズムと、「聖別・約婚期間」にカップルがお互いにどのようなやりとりをすべきかに関する彼の考え方を裏付けるものである。
「一般的に言って、男性は手紙を書くことよりも自分の使命のために一生懸命働くだろうと私は思います。おそらく彼は、自分の妻にそれほど事細かに報告したいとは思わないでしょう。彼はこの「外」国で困難を感じるかもしれません。皆さんの夫が皆さんに手紙を書かなかったとしても、彼が自分のことを気に掛けていないと思ってはなりません・・・」
「皆さん(女性)は、カップルとしての自分たちの未来において有益となるような計画を練らなければなりません。ですから皆さんは彼に対する自分の印象を良くするための計画を立てなければならないのです・・・。たとえ皆さんが彼から一年間手紙を受け取らなかったとしても、良き妻は彼を励ます手紙を書き続けることができるでしょう。次のように書きなさい。『おそらくあなたには夜空の星を見る時間もないくらいに、自分の使命に没頭していらっしゃるのでしょう。あなたに感謝します。』」
「詩的な手紙を書きなさい。浜辺で海を見つめるあなたの横顔を写真に撮って送りなさい。・・・彼から手紙が来ないからといって、不平を言う手紙を書いてはいけません。皆さんには夫とは異なる優れた性質があるという印象を与えることができます。そうすれば皆さんの夫は自分自身について反省するでしょう。」(注19)

 カップルが例えば一日あるいは週末にお互いを訪問するとき、コミュニケーションの主要な方法はやはり言葉によるものであり、ここでは話し言葉だけである。神の目から見れば彼らは既に夫と妻であるとはいえ、彼らの個人的な交流は非常に抑制されたものになる傾向にあり、特に身体的接触に関してはそうである。リーダーたちは、「聖別・約婚期間」に入る前の修練期間の特徴であった両性の接触の回避を延長させるよう求めている。マッチングを受けたカップルに対するアドバイスの言葉の中で、祝福家庭協会のリーダーは以下のように述べている。
「より内的なレベルにおいて、私は皆さんが祝福結婚と祝福家庭の準備をする上で考えておくべきことをいくつか述べたいと思います。第一に純潔を守ることです。(1979年5月の)約婚以来、皆さん自身がどのように振る舞うべきかに関して多くの疑問があることと思います。私は本当に純潔を守ることの重要性をどんなに強調してもしすぎることはありません。それは心情の純潔とあらゆる身体的行動における純潔です。この純潔の土台の上に、神様は皆さんを真に祝福できるのです。家庭出発の準備に際して、もし皆さんがあらゆることにおいて清い心情を保ったなら、皆さんは霊的な土台の上に結婚に至ることができ、まったくの手つかずのその人全体として家庭を出発することができるのです。」(注20)

 「心情の純潔」という言葉は、明らかに神を中心とした犠牲的な生活のことを言っているが、「あらゆる身体的行動における」純潔は、おそらく歯止めが利かなくなるような激しいキスやペッティングを禁止しているのであり、あらゆる形の身体的接触を禁止してるというわけではないだろう。この研究のために接触したマッチングを受けたカップルは、一般的にスパージン夫人のアドバイスに従っていると言った。マッチングを受けたメンバーの典型的な反応は、「聖別・約婚期間」中の行動に関する以下の描写である。
「私たちは共にニューヨーク(市)にいました。私は・・・にいて、彼女は・・・にいました。ですから私たちは毎週日曜日に会って、お父様の御言葉を聞くためにベルベディアに行きました。私たちは通常、お互いの手を握って話しました。」(注21)

 手を握ることを越えて、抱きしめたり「軽い」キスにおよぶカップルもいるが、そのような行為は指導者たちによって許可されてはおらず、とりわけこの運動の日本および韓国の組織に属しているか、その影響を受けている指導者たちはそうである。そのような指導者の一人は、婚約中のカップルに対していかなる身体的な接触も許可しないと言った。彼は「これらのカップルは、聖酒式において罪は神によって第一義的に許されたが、これらの罪は復帰されなければならず、蕩減を支払わなければならないということを理解していないのだ」(注22)と説明した。さらにまた、
「悔い改めと許しは罪の結果を取り除くものではない。したがってわれわれはそれを蕩減しなければならないのだ。祝福前に(「聖別・約婚期間」に)これを行わない者は、その後に行わなければならない。」(注23)

 インタビューにおけるこの発言の文脈においては、「罪」という言葉は、それに限定されるわけではないにせよ、主として性的な破戒を示唆している。もし面と向かってのコミュニケーションが主として言葉によるものであるなら、マッチングを受けたカップルは何について話すのであろうか? 本質的に、彼らは手紙に書いていることと同じことについて話すのである。加えて、彼らは自分たちの関係を神に捧げ、自分たちの将来の共同生活を世界における運動の仕事に捧げることを共に祈るのである。この言葉のやりとりの効果は、男女が自らの経歴を再定義し、お互いに共有する現実を構築し始めることにある。(注24)

(注18)あるメンバーが私に話したところによると、彼と彼の婚約者はお互いに「ほとんど毎日」手紙を書いたという。そしてその手紙はタイプされたもので6~10ページあり、しかもシングルスペースだった! 私は統一運動のセンターの受付の女性と短い会話をしたのだが、彼女はそのとき婚約者に手紙を書いていた。彼女の手紙は15ページ目だったが、まだ終わりには近づいていないようだった。
(注19)文鮮明「1800双祝福二周年記念日におけるお父様の御言葉」、『季刊祝福』(第1巻、第2号、1977年春)、pp. 11-12。
(注20)ノーラ・スパージン「結婚に向けての準備」、p. 9。
(注21)インタビュー:キーン氏
(注22)インタビュー:ボルトン氏
(注23)同上
(注24)このプロセスの詳細な現象学的な分析に関しては以下のを参照のこと。ピーター・バーガーとハンスフライド・ケルナー『結婚と現実の構築』、pp. 49-72。

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