ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳49


第6章 祝福:聖別期間と同居生活(5)

 これまでの「聖別・約婚期間」の慣行に関する議論は統一教会のカップルの大多数に当てはまるのだが、相当数の相対関係は解決が容易でない深刻な問題に直面することは疑いがない。以下に4つのタイプの問題を記述し、それが統一運動によってどのように扱われているかを示す。アメリカ社会においては、そのような困難は婚約期間中にしばしば起こるが、平均的なアメリカ人にとってそれらは統一教会の信徒ほどには精神的痛手となるものではない。前者が単に婚約を「破棄」するのに対して、後者の場合には彼らが主として以下のことを信じているからできないのである。(1)神が彼または彼女の配偶者を選んだのであり、(2)神の目から見れば彼または彼女は聖酒式に参加したことによって既に結婚しているのである。四つの困難とは以下のものである:(1)放棄、(2)不適合(愛情がまったく生じない)(3)阻止された理想、(4)破壊的な愛。初めの二つは珍しくはないが、最後の二つはまれである。

 放棄はかつて、結婚が祝福されて家庭を持った後で自分の相対者と運動のものを離れることを意味したが、「聖別・約婚期間」に同じ行動をしてもこの言葉が適用されるようになった。これが起きることは確かだが、どのくらいの頻度で起きるかは分からない。統一教会の信者はいかなるメンバーが離れることも懸念するが、マッチングを受けたメンバーが彼もしくは彼女の相対者を放棄するときには、それは聖酒式の救済論的な意味のゆえに神学的により深刻である。「聖別・約婚期間」に放棄が起こった場合、残ったパートナーは普通は次に予定された儀式のときに再びマッチングを受ける。筆者が話をした女性メンバーは、1979年5月に彼女に「ぴったり」の男性とマッチングを受けたが、彼はあるリーダーの権威に屈服する上で問題を抱えていた。彼はマッチングからほどなくして統一運動を離れ、彼女は1980年12月に再びマッチングを受けた。(注32)最初のマッチングの取り消しはむしろ非公式な手続きであるが、その機能においてはローマ・カトリック教会の婚約破棄に相当するように思われる。

 第二の問題は、彼ら自身の努力と、共同体の同僚や指導者からのプレッシャーにもかかわらず、夫婦として一緒に暮らすに足るほどの愛情を単に育てることができないカップルに関することである。不適合に対する運動のなかば公式的な反応は、それはマッチングを解消するための正当な理由ではないというものだ。この立場はお父様の説教や、その他の運動の公式発表、および聖酒式の際に確立された「血縁関係」は永遠の絆であるという信仰の中に強く示唆されている。さらに、この研究のためにインタビューを行ったマッチングを受けた人々の大多数は、マッチング解消の唯一の根拠になるのは放棄だけだと確信していた。

 実際には、不適合はマッチングを解消する理由となり得る。
「もし聖別期間中に、何らかの本当に難しい問題があったとしたら、それを解決できないときには分かれること(すなわち、マッチングを解消すること)もあり得ると私は理解する。・・・そしてそのときまでに夫婦関係を結んでいなければ、それはより容易になる。」(注33)

 この理解は、1981年に運動が主催する会議の際に、メンバーの参加者が、1979年にマッチングを受けた3・4名がマッチングの解消を望んでいて、実際にそれがなされたと発言したことによって確認された。これらのメンバーは、放棄されたメンバーと同様に、1980年に再びマッチングされたのである。(注34)

 第三の問題は実在するが、最初の二つに比べれば統一運動の中で広まっていないように思われる。ここで問題としているのは、あるメンバーが結ばれたいと願っている人物(あるいは人物のタイプ)に関して、強い期待を持っていて、それが満たされなかった場合である。第5章において、われわれは阻止された恋愛感情がマッチング前におきた場合には、破壊的要因となりえることを示した。あるメンバーが結ばれなかった相手に対する愛情にしがみつくことは、「聖別・約婚期間」の関係を弱体化させ得るし、また実際にそうしたことがあった。そこには統一運動の理想と個人の強い願望との間の葛藤があったのである。しかし、ときとして出現して問題となる葛藤は、二つの相反する統一運動の理想の間で起きることもある。例えば、私が統一運動のセンターを訪問した時、統一運動を離れようか迷っているアメリカ人のメンバーに個人的な面談を要望されたことがった。彼の説明によれば、自分は国際マッチングを要望したにもかかわらず、文師は彼にアメリカ人の女性を選んだというのである。この男性は、東洋の女性と結婚することが神の意思であり、もし彼がお父様の選んだ人と結婚すれば、罪を犯すことになると固く信じていたのである。(注35)

 四番目の問題は非常にまれであるが、「聖別・約婚期間」に起こっているある種の力学を示唆している。筆者が知るところとなった唯一のケースでは、ケンとキャロルが1979年5月に文師によってマッチングを受けた。特別なことは、統一運動に入る以前に彼らは恋愛関係にあり、結婚を計画していたことである。マッチング以前には彼らはお互いにほとんど連絡を取ることはなく、文師によって再び結ばれることを期待してもいなかった。ケンはこの出来事を「奇跡」と呼び、統一運動における彼らの友人たちは彼らのことで幸福な気分になった。奇跡が(統一運動の視点からは)悲劇に変わったのは、このカップルが「聖別・約婚期間」に結婚を「成就」してしまい、グループを離れたときであった。彼らが信仰を棄てたという事実は、グループに入る以前に確立された恋愛関係を認めることは、統一運動にとって機能しないことを示唆している。なぜなら、そのような行為は個人主義的な関心が統一運動の生活の一部として容認され得るというサインであると読み取れるからである。ケンとキャロルは、互いに結婚するという彼らの個人の決定をお父様が是認したのであるから、時期尚早に夫婦関係を持つ権利も是認されるだろうと考えたのかもしれない。彼らの考えがどうあれ、メンバーによるそうした一方的な決定は、統一運動のようなグループの中においては、共同体としての神学的および社会的な統合を脅かすことなしに是認されることはあり得ないのである。ケンとキャロルに関してはいかなる公式的な明言もなされていないが、彼らの行動について筆者に語ったメンバーたちは、彼らは自分たちの性欲をコントロールできるほどには信仰が強くなかったのだと信じているという点において一致していた。(注36)

(注32)個人的交流:ファロウ夫人。
(注33)インタビュー:バークレイ氏。
(注34)結婚のプロセスが「マッチングー公的祝福式ー聖別・約婚期間ー家庭出発」から「マッチングー聖別・約婚期間ー公的祝福式ー家庭出発」に変化したのは、一部には結婚が確定する前にうまくいかなかったマッチングを解消することを許すためであった。
(注35)インタビュー:ポーター氏:この男性は統一運動に数年間所属し、トップ・リーダーたちと頻繁に接触していたが、放棄以外の理由によってマッチングを無効にできることを知らなかった。
(注36)この情報は二つのソースから集められた:(1)リントン氏とのインタビュー、(2)1981年3月27~29日にニューヨーク州ベリータウンの統一神学校で行われた私的なディスカッション。結婚したカップルが一緒に運動に加入した場合には、彼らがお互いを選んだというのは本当である。これらのカップルのグループからの離脱に関する確かな数字は存在しないが、彼らの状況は入会する前に既に結婚を成就していたという点において、マッチングを受けたカップルとは非常に異なっている。

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