ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳48


第6章 祝福:聖別期間と同居生活(4)

 統一運動の中には、「聖別・約婚期間」にお互いに関わる際に神を中心とする役割を忠実に守ったカップルは、必ず「恋に落ちる」であろうという旨の口頭伝承がある。筆者が初めにこの期待について学んだのは、婚約して6カ月になるにもかかわらず自分の婚約者に対していまだにいかなる恋愛感情もわかないために葛藤していると発言したある男性メンバーからであった。彼が知っている他のカップルは既にこの経験をしており、彼はそれが彼の関係の一部になっていないことをどこか気に病んでいたのである。(注25)最近、筆者は彼と婚約者がこの愛を経験したことを知った。

 「聖別・約婚期間」の(および結婚における)恋愛感情に対する思想的で権威ある根拠は、文師の非常に洞察力ある発言に見いだすことができる。それは、事実上あらゆる人間の経験を神による全体主義に組み入れる彼の能力を示す表現である。
「男と女は実際、両極から出発するのですが、彼らが一緒になるときには、彼らが一歩踏み出すごとに全天宙が共鳴し、自然のすべてが共鳴するのを感じるのです。それが若い情熱です。男と女が真剣になるとき、神様もまた真剣になります。彼らが非常に劇的でロマンティックになるとき、神様もロマンティックになります。若い男女が天的な愛の衝突の中でお互いを巻き込むとき、その爆発は雷よりも激しいのです。若い情熱がぶつかるときには、神様でさえ興奮するでしょう。神様が若い情熱の一部となるとき、その愛は永遠なる愛であり、安っぽいスリルではなく、何か真剣で貴いものなのです。」(注26)

 マッチングを受けたカップルの証言が示唆しているのは、大部分において、恋愛感情は「聖別・約婚期間」に育っていくが、それは彼らが正しい態度と役割を引き受けたときにのみ生じるものなのだということだ。ある婚約中の男性は、このプロセスに対する有効な「社会学的な」理解であるとみなすことのできる見解を述べた。
「文師は、愛には実践が必要だと言いました。私たちはどのように愛するのかを学ばなければならないのです。妻に対する私の愛の質は、他の人に対する愛とは異なります。なぜなら、自分の妻に対する関係は質が異なるからです。その役割そのものが、どのように彼女を愛するのが正しいかを学ぶための、正しい出発点なのです。」(注27)

 関係における正しい役割を果たすことには、相手に対する配慮とオープンな態度、そしてマッチングと結婚が永遠であるという信仰が含まれる。相手を愛したいという意味での恋愛感情は、相手を無条件に愛するという意味でのアガペーの愛から成長してくるものなのである。あるメンバーが言ったように、愛は純粋性と結びついており、純粋性は「・・・与える態度、関係において我のないこと」(注28)を意味する。したがって、「聖別・約婚期間」の根拠となる神の国のための自己犠牲は、マッチングを受けたカップルの間に恋愛感情が生じるための土台であるともみられているのである。

 最近マッチングを受けたカップルの数の多さを考えれば、最初の段階で彼らの多くがお互いに対してロマンティックな意味での愛情を抱くことに困難を感じたというのは驚くに値しない。まったく見知らぬ者同士がマッチングを受けたり、時にはその片方あるいは両方がマッチングを受け入れがたいと思うことも、決して珍しいことではない。後者の感じ方の一つの例が、まったく好きではない女性とマッチングおよび祝福を受けた男性メンバーの体験であった。「もし私が結婚したくないと思う女性を3名挙げることができたとしたならば、そのうちの一人がまさにお父様が提案してくれた女性だった。」(注29)彼は、自分の相対者を愛せないということは、彼のあらゆる関係に影響を与えているより大きな精神的問題の反映であることを理解している。「私は愛を感じることができなかった。私は愛について考えることはできるが、それを感じることはできない。」(注30)彼は本物の親密な関係を、他の人々との間ではなんとか避けることができたが、妻との間ではそれは無理だった。そして本当に彼女を愛するための彼の不安な葛藤に関する記述は、「聖別・約婚期間」の彼の生活においては、神の手に委ねられているのである。
「神は、私の存在の核心部分に到達するための最適の道具を発見したのだ。それが私の妻だ。誰も私の平静を乱すことができないとき、彼女にはそれができる。彼女はそれを意識的にやっているのではなく、むしろ単純に彼女自身であることによって、そうするのだ。そしてそこで、神は私の心情の解放することを通して、ご自身の御旨を始められたのだ。」
「私が自分の妻について知るようになるにつれ、私の中に消極的な受容と寛容が育ち始めた。初めはときどき愛の衝動が起きるようになり、後には確かで持続的な愛情によって彼女の存在を喜ぶことができるようになった。この成長が起きたとき、神の存在もまた私自身の中に浸透し始めた。」(注31)

 このメンバーが到達した彼の相対者に対する「確かで持続的な愛情」は、文師の語る熱狂的な神を中心としたロマンスとは異なるように見えるが、インタビューのデータが示唆するところによれば、彼が「聖別・約婚期間」に愛を達成した方法は、多くのマッチングを受けたカップルが典型的に経験することである。最初に相手を目の前にして違和感や不安を感じ、次に彼または彼女の肯定的で補完的な性質に焦点を当てようという、信仰によって方向づけられた努力があり、そして最終的には無条件の愛へと突破していくのだが、そこには強い恋愛的要素が含まれるかもしれないし、含まれないかもしれない。

 前の段落で引用されたメンバーの証言は、主として「聖別・約婚期間」の神学的な次元について説明している。すなわち、男性を神に導くという女性の摂理的な役割である。第4章において言及したように、初めにエバがアダムを神から遠ざけたがゆえに、こんどは自分の男性を神の方へ引き上げるのが女性の責任なのである。彼女は自分の「息子」の信仰を育てる「母親」になる。したがって、婚約期間中は彼女が「主体」であり、彼が「対象」なのである。マッチングを受けたメンバーは、この役割の方向性についてさまざまな理解をしているように見受けられる。その意義については漠然としか理解していない者もいるように思える。自分達はこれらの摂理的役割を実現するための真剣に努力している(そのやり方はカップルごとに独特なのであるが)と言った者もいた。第3のグループはこれらの役割を統一運動の中の「神を中心とするフェミニズム」の現れであると解釈した。全体として取られたデータは、「聖別・約婚期間」の摂理的役割に関することは、マッチングを受けたカップルの生活の中では特に強調されてはいないことを示している。

(注25)インタビュー:サール氏
(注26)文鮮明「最も偉大なものは愛」『マスター・スピークス』 (番号77-03-20, 1977年3月20日), p. 10。この引用は、統一運動の神学は独立した変数として機能する時がある一方で、しばしばグループの慣習の変化に依存している、という私の主張を強力に支持している。恋愛感情は70年代半ばに登場し、文がそれを是認したのは1977年のことであった。彼の初期の説教には、恋愛感情に言及した箇所はない。
(注27)インタビュー:フランス氏(私の理解)
(注28)インタビュー:アンダーソン女史
(注29)グレン・キャロット・ストレイト「私にとって祝福が意味したもの」『季刊祝福』(第1巻、第3号、1977年秋)、 p.51。
(注30)前掲書、p. 51.
(注31)前掲書、pp. 51-52.

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