韓国の独立運動と再臨摂理シリーズ25


 長く続いたこのシリーズも今回が最終回となります。第23回から、真のお父様が金日成という人物をどのように見ていたのかについて、『神の摂理から見た南北統一』を資料としてまとめる作業を始めました。「金日成」という言葉を検索してみると、南北統一に関するお父様のみ言がたくさん出てきます。最終的に統一が何によってなされるとお父様が語っておられるかと言えば、「真の愛」によって、と語っておられます。
「統一教会は金日成を追放しなければなりません。共産党は神様を否定し、人類を残酷に虐殺したために、我々は彼らを怨讐サタンとして規定して彼らを倒す責任を負って準備を行うのです。」と、一見激しいことを語っておられますが、一方で「軍事力、武力を使用して統一が成し遂げられると思いますか。とんでもないことです。私に軍事力さえあれば何でもつくれる力のある人です。しかし軍事力だけでは絶対に成し遂げることができないために、今このように話を伝えているのです。」と語っておられます。

 『原理講論』の第三次世界大戦の部分にも書いてあるように、武器による統一は不完全なものです。ですから、思想による統一、そして最終的には真の愛による統一が、理想の統一なのです。お父様も、「ただひとえに真の愛だけがその使命を果たすことができるのです。その愛は神様からの愛です。」と語っておられます。
「南北韓が分断されましたが、北韓と戦わずに解放させようというのです。金日成を自然屈服しなければなりません。」(一九八一・一一・一九)

 このようにお父様は1981年の時点で、金日成を自然屈服させなければならないと語っておられます。
「共産党が下りて来た時は、これをしっかりつくっておいて、頭を下げればいいのです。南韓の四千万が包みを背負ってみな入っていって、ヤコブがエサウを屈服させたのと同じようにするのです。二十一年間集めたすべての財産をもっていって、これはお兄さんのものですと言って、根こそぎ与えてしまえば北韓の金日成は完全に屈服するのです。」(一九八八・一・九)

 ちょうどヤコブとエサウのときと同じように、貧しい北韓に対して、豊かになった韓国がすべてを与えて、「為に生きる」「共に生きる」という心情で行けば、北韓は解放されるんだとおっしゃっています。その背後には、北韓の同胞に対するお父様の愛があります。それは以下のようなみ言の中に溢れています。
「以北が困難なのは、金日成が独裁政治によって閉鎖社会をつくったからなのですが、その事情を知れば知るほど、その統治下にいる人々がどれほど悲惨であるか分かりません。共産主義が怨讐なのであって、彼らが怨讐なのではありません。北韓を見つめながら胸がいっぱいになり、哀れに暮らしている我が同胞のために涙を流し、あなた方の困難とともに私は生きているのだと、解放の一日を準備して皆さんの前に現れるのだと誓い、統一のための実践運動がこの地において起こるなら、以北に行く日は遠くありません。」(一九八六・一〇・一一)

 これは1986年のみ言ですが、このころから「北に行くんだ」ということをお父様はずーっと語っておられて、なんとか北を解放したいと思っておられたのです。

文鮮明総裁・金日成主席会談

 そのように、金日成と会うことを生涯の目標としておられたお父様が、実際に金日成主席と会われたのが1991年12月6日のことでした。怨讐の地・興南において、こうして抱き合って、金日成主席と劇的な出会いをしたわけです。そしてこのときに南北統一に関するさまざまな合意を成していったわけです。これはちょうどヤコブとエサウの関係において、エサウがヤコブに屈服した瞬間であると摂理史では位置付けられております。

金日成主席追悼式

 その金日成主席がなくなったのが1994年のことでありました。このとき、韓国は北朝鮮に対して弔問使節を送ることを拒否して、民間人であっても誰も北に行ってはならない、という指令を出していました。ところが、朴普煕先生に対してお父様は「お前が弔問に行って来い」と言われたのです。朴先生は「政府が許可しません」と申し上げたのですが、「鴨緑江を泳いででも行くんだ!」と言われました。そこで朴先生はなんとか道を見つけて北朝鮮に入り、金正日書記と共に写真を撮ったわけです。このために実は朴先生はしばらく韓国に入れなくなりました。それでしばらく日本の総会長をしておられたのです。

 このように、金日成という人物はお父様にとって摂理的に、怨讐であり敵であると同時に、非常に重要な人物であったために、生涯において一度は会わなければならない人物でありました。それだけでなく、亡くなったときにも礼を尽くした人物だったのです。

 最後に、金日成についてまとめてみましょう。金日成という人物は学歴があるわけでもなく、共産主義理論を学んだと言っても、それは実践の中で学んだに過ぎません。そして抗日独立運動家としての実績もそれほどない、言ってみれば「ゲリラのリーダー」に過ぎなかったわけです。彼は人望があったわけでもないので、「金日成」の偽名を用いて伝説の人物を演ずることによってしか、北朝鮮の指導者になることができなかった人物です。

 金日成という人はソ連の傀儡として指導者に立てられたに過ぎなかったのですが、彼は指導者になった後に抜群の能力を発揮するわけです。それが何かといえば、粛清によって自らの権力基盤を確立するという能力においては、天才的なものを持っていたわけです。ですから彼は、「非情」であることにおいては、傑出したリーダーであったと言えると思います。思うに、独立運動家としての実績は大したことがなかったのですが、サタンが見込んだ人物だったのかもしれません。彼はサタンが立てた中心人物であったために、共産主義史上まれにみる長期政権の独裁者となったということなのです。彼こそはサタンが立てた「サタン側のアダム」であり、「サタン側の父」であったのですが、これに対して「真の父」であるお父様は、南北統一のためにまず日韓米で勝共運動を展開し、その基盤をもって1991年に金日成と会談して、彼を自然屈服させて、南北和解の道を開いていかれたという歴史があるわけです。

 ですから、金日成という人物は、良くも悪くも、お父様の人生にとって本当に大きな存在であったということが分かります。以上、何か決定版になるような話というよりは、極力学問的に、事実に基づいて金日成という人物について分析し、さらにお父様の御言に基いて金日成が誰なのかをまとめた研究が、これまで説明してきた内容でした。

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