書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』109


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第109回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 前回から元統一教会信者の信仰史の具体的な事例の分析に入り、櫻井氏が紹介する順番に従い、元信者A(女性)の事例から始めた。彼女の入信の経緯や脱会後の人生からして、Aはかなり宗教性のある感度の良い受講生だったと思われる。櫻井氏はAについて、「東京に出て心を許せる友達がなかなか得られなかったこともあり、同じ志を持った仲間と暮らせることが嬉しくて仕方なかった。自分をご存知の神様がいるという話にも純粋に感動した」(p.326)と記述しており、受講生として教育を受けている間のAはみ言葉に感動し、人間関係も良好であったことから、基本的に幸福であり、精神的にも充実していたと思われる。教義に対する感動と、心許せる同世代の仲間たちとの触れ合いが相乗効果となり、感動を引き起こして統一教会に入信するという、青年信者においては典型的な入信のパターンと言えるかもしれない。

 しかし、この幸福な状態は長くは続かなかった。「楽しいだけの統一教会は献身するまでだった。」(p.327)とあるように、「献身」をした後の彼女の信仰生活は楽しいことよりも辛いことの方が多かったようである。このころの彼女の活動は、街頭伝道、印鑑、念誦、絵画などの物品販売、そして1990年から3年間マイクロでの販売活動を行ったという。そのときのハードな生活が、Aにとっては統一教会の辛い体験として心に焼き付いているように思われる。櫻井氏自身が、「マイクロの行程は一回につき短ければ一ヶ月、長いものは二、三ヶ月に及ぶ」(p.259)と述べているように、信仰の訓練としての「マイクロ体験」は通常ならせいぜい数ヶ月で終わるはずである。これは体力勝負の短期決戦の修行のようなものなので、どんな事情があったのかは不明だが、3年間もやらせたというのは責任者の配慮が足りなかったのではないかと思われる。

 マイクロの期間が異常に長かったというのはAだけに当てはまる特殊事情と言えるだろうが、受講生として教育を受けていたころは「楽しいだけの統一教会」だったのが、「献身」をしてから悩みや苦しみが多くなっていくというのは、実はよくあるパターンである。誰でも信仰の初期はいろんな人から愛される。特に霊の親、教育過程のカウンセラーや班長、そして先輩の信者たちは、新しく生まれようとしている霊的な生命を大切に育てるために、常に関心を注ぎ、話を聞いてあげ、共に喜んだり悲しんだりしてくれる。それを通して、ここはなんと愛のある団体なのだと受講生は思うのである。しかし、一通りの教育が終わると、今度は受講生は信仰者として独り立ちすることを求められるようになる。ただ愛されるだけの立場から、み旨に対して責任をもち、誰かを愛する側になることが求められるのである。このとき、受講生は寂しさや「愛の減少感」を感じるのだが、この段階を乗り越えることができるかどうかが、受講生が信仰者として自立することができるかどうかの分かれ目となる。「献身」はそのような独り立ちをして、一人前の信者になるときに迫られる決意として、機能していたのかもしれない。

 Aにとっての「献身」も、そのような独り立ちの時期として訪れたのかもしれないが、なまじ宗教性があり感度の良かったAは半年余りで献身を決意してしまったために、愛される側から愛する側へと成長していく十分な時間を与えられなかったのかもしれない。だからといって、私はAが愛されたいだけの幼い信仰者であったなどと言うつもりはない。外面的には立派に歩みながらも、自分は愛されているという内面的な充足感がそれにともなっていないという、微妙なアンバランスがあったのかもしれない。しかし、そうした内面のもろさに周囲が気付いてあげるというのは、実際には難しいものである。

 インタビューの文面を読む限りでは、Aは非常にまじめで責任感が強く、かなりの信仰者であったという印象を受ける。そもそも3年間もくじけずにマイクロ生活を続けたというだけで立派なものである。売上は一日に4~5万で、月に100万は稼げたということであるから、実績もまずまずであり、さぼらずに真面目に歩んでいたのであろう。しかし、内面においては「毎日が辛い日々で泣かない日はなかった」(p.327)ということであるから、内外の齟齬の激しい、かなり無理をした信仰生活をしていたと思われる。

 Aが宗教的な素養を持った人であると感じるのは、売上が目標にいかないとき、隊長に叱責されること以上に、「神に対する責任分担を果たせないことが辛かった」と、脱会した後のインタビューにおいてさえ語っていることである。Aは人の目を気にし、人間関係で葛藤していたのではなく、神の目を気にし、神との関係で信仰的な戦いをしていたことになる。「自分は氏族メシヤだという使命感、今ここでやめたら摂理はどうなってしまうのか、神様がどれほど悲しむだろう」と感じて、死ぬことまで考えるほどに深刻になっていたという。

 そうした限界状況の中で、Aは神の声を聞くという宗教体験をしたのであるが、驚くべきことに統一教会を脱会した後のインタビューにおいてさえ、活動の最前線で自分の身に起こった神体験をはっきりと覚えており、それを否定していないのである。こういう神体験がなかったなら、「あのとき自分はどうなっていたのかわからない」とまで言っている。「マイクロのワゴン車に三年間も乗っていたのは肉体的にはきつかったが、毎日の歩みで神に出会えるという体験と、統一教会の前線を歩んでいるんだという自負心で持ちこたえられたのだと思う」(p.327)とAが振り返っていることからも、マイクロでの神体験は単なる思い込みや勘違いであったなどと片付けることができないほどに強烈な実感を伴うものであったことが分かる。Aは説得によって何かを信じ込まされた受動的な被害者なのではなく、自らの主体的な意思で信じ、それを強烈な宗教体験が下支えしていたことはインタビューから明らかであり、その信仰が真正なものであったことは疑いがない。Aは脱会後にクリスチャンになったのであるから、いまでも神の存在を信じているわけであるが、統一教会の活動の最前線で自分に語りかけた神と、現在自分の信じている神が、全く別の神であるとは恐らく思っていないであろう。

 そのAが統一教会を辞めるようになったのは、韓国人と祝福を受けて渡韓する前に実家に挨拶するために戻ったときに、両親、親族、牧師から脱会説得を受けたためである。それが監禁を伴うものであったのかどうかは書いていないの不明だが、もし仮にそうだったとしても、櫻井氏があえてそのことに触れることはないであろう。かなりの信仰者であったAが、なぜ牧師の説得によって一か月半で脱会してしまったのかを説明するのは難しい。原理に対する知的な理解が足りなかったために牧師の説得に屈してしまったと考えるのはむしろ後付けの解釈であり、そもそもなぜAは統一教会を信じるようになったのかを分析する方が、辞めた理由を考える上では役に立つかもしれない。

 「両親は、脱会を決意した後も感情を失って呆然としている娘の姿に不安だった」とあるように、Aが脱会によって陥ったアイデンティティー・クライシスはかなり深刻なものであったと思われる。Aのように純粋で宗教性があり、責任感が強いタイプであれは、信仰という自分の中核を失ったショックは大きかったであろう。その心の穴を埋めたのが、キリスト教の信仰であった。

 Aは脱会後に自らを振り返り、「統一教会は、自分の中にある依存的な部分に合っていた。」「統一教会の生活は苦しかったが、それでも何でも相談できて指示に従ってさえいれば上から褒められる。そのような統一教会は居心地がよかったのだと思う」(p.328)と分析している。これに櫻井氏は解説を加え、「筆者なりにカルト的信仰を定義するならば、組織に依存させられた信仰である。個人を既成概念から解放し、自由にするような信仰のあり方ではない。」(p.328)と述べている。

 櫻井のカルト批判は、フロイトの宗教批判を彷彿とさせる。フロイトは1927年に『幻想の未来』という本を書いて、将来宗教はなくなるだろうと予言した。彼によれば、宗教とは結局、親の庇護を求める幼児の依存的体質の変形であり、幻想であるから、科学と理性の発達によって人間が迷信から解放されれば宗教はなくなるだろうと言ったのである。フロイトの時代には「カルト」などという概念は存在しなかったが、彼によれば「カルト」だけではなく、すべての宗教が人間の依存的体質の上に成り立っているのであった。こうした宗教批判は耳触りがよく、もっともらしく聞こえるが、それでは組織や既成概念から解放されて自由に生きているような人間がいったいどれほどいるというのであろうか?何ものにも依存せず、自由に生きることができるほど、そもそも人は強い存在なのだろうか? フロイトが宗教の消滅を予言してから90年以上たっても宗教がなくならないのは、人間には宗教に依存したいという基本的な欲求があるからではないだろうか?次回は、この「依存」というテーマをもう少し掘り下げてみたい。

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