書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』87


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第87回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き

 櫻井氏は本章の「三 統一教会特有の勧誘・教化」において、信者養成の戦略の一つとして、「15 マイクロによる訪問販売」(p.259-262)について論じている。彼によれば、これは「実践トレーニングの仕上げや青年信者による短期・長期の資金調達活動に用いられる」(p.259)そうだ。櫻井氏は「マイクロとはマイクロバスの略称だが、実際はハイ・クラスの10人乗りバンを改造した車に6、7名の信者を乗せて訪問販売部隊として全国を行脚する」(p.259)と説明する。通常はマイクロバスといえば乗車定員を11名から29名までに設定しているバスのことを指す。その中で最も小さなタイプの車がトヨタのハイエースや日産のキャラバンであり、櫻井氏の記述に登場する「マイクロ」も、こうした車を指しているらしい。このタイプの車に寝泊まりするとすれば6、7名が限界であろう。

 実は、私も学生時代にこうした車に乗って訪問販売活動をした経験がある。私が所属していた原理研究会では、「マイクロ」という言い方はせず、「キャラバン」と呼んでいた。実際にはトヨタのハイエースも使っていたであろうに、どうして日産車の名前で統一されていたのかは不明である。もともと「キャラバン」とはラクダの隊商のことだが、訪問販売部隊の名称として格好よくて相応しいと思ったのかもしれない。最初にこれを経験したのは1983年夏の新人研修会のときであり、販売したのは北海道の珍味であった。期間は3日間だったと記憶している。しかし、このときは修練所に寝泊まりしていたので、車の中で寝るという体験はしなかった。

 櫻井氏は、「マイクロの行程は一回につき短ければ一ヶ月、長いものは二、三ヶ月に及ぶ」としている。札幌「青春を返せ」裁判の原告たちは主として実践トレーニングの仕上げの段階でこうした販売活動を行ったようだが、原理研究会では大学の休みの期間にこうした販売活動を行っていた。夏休みと春休みは長く、一ヶ月を超えることもあったが、冬休みは二週間程度の短い期間であったと記憶している。したがって原理研究会でも長期間連続でこうした活動を行っていたわけではないが、季節ごとに巡って来るので、合計の活動日数は長くなったように思われる。こうした休み期間にキャラバンに乗って活動するときには、櫻井氏の記述と同じように車の中で寝泊まりした。

 櫻井氏の記述は、札幌「青春を返せ」裁判の原告である元信者たちの陳述書や証言に基づいて書かれていると思われる。私自身の体験と比較して、このマイクロによる訪問販売の関する記述がそれほど事実と乖離しているとは思われない。教会の信徒たちが経験した「マイクロ」も、原理研究会の学生たちが経験した「キャラバン」も、やっていることにそれほど大きな違いはなかったのであろう。櫻井氏が紹介している商品の中で、私はハンカチと珍味は学生の頃に売った経験がある。お茶は原理研究会では売ったことがなかったが、教会の21日修練会の期間中に一度だけ売ったことがある。櫻井氏の記述と同様に、、お茶を売るときには試飲をしてもらうためにその家庭のポットを急須を借りて、実際にお茶を入れて売ったものである。私は珍味売りのときに「アルプスの少女ハイジ」を歌ったことはなかったが、お茶を売ったときには「旅姿三人男」を歌ったことがあった。私はバンドでギターとボーカルをやっていたこともあって、歌は得意だった。歌がうまいと気に入られてお茶を買ってもらったことは懐かしい思い出になっている。

 櫻井氏はマイクロでの体験が体力的にも精神的にも過酷なものであることを強調する。確かに楽ではないが、経験した者として証言させてもらえば、健康な若者であれば耐えられないほど過酷なものではない。販売の実績は順調な時もあれば厳しいときもあるので、精神的な上がり下がりがあるのは事実だが、常に精神的に追い詰められているというわけでもない。私自身の体験を振り返ってみても、結構楽しくやっていたし、精神的に充実していたと思う。統一教会の信者の中には、楽天的で根が明るい人が多いのだが、そうした性格の持ち主は結構楽しく販売活動をしていたと思われる。マイクロの体験を題材にした歌が当時は教会の中で歌われていたが、それは以下のような歌詞である。
「1.私のうちは マイクロバスです 野を越え山越え 渡り歩く
私のうちは マイクロバスです  町から町へと渡り歩く
あなたに愛を愛を 神の愛を  あなたの心 心 愛に満ちて
愛の世界へ まっしぐら
2 統一原理を聞きませんか 神の心情 知るために
統一原理を聞きませんか あなたも一緒に ゼミナール
あなたに愛を愛を 神の愛を あなたの心 心 愛に満ちて
愛の世界へ まっしぐら
3 マイクロバスに乗りませんか 神の世界をつくるために
マイクロバスに乗りませんか あなたも一緒に さぁゆこう
あなたに愛を愛を 神の愛を あなたの心 心 愛に満ちて
愛の世界へ まっしぐら  (※くりかえし)」

 この歌からは、櫻井氏の描くような悲壮なマイクロ生活のイメージは出てこない。実際に統一教会の信者の中には、若き日のマイクロ体験を楽しかった青春の1ページとして記憶している者も多いのである。いま振り返ってみると、私自身の信仰や人格の形成において、この販売活動は大きくプラスになったということができる。それは一言でいえば信仰の訓練になったということである。販売活動というのはシンプルなものなので、心の状態がすぐに結果となって現れる。とても分かりやすいのである。厳しい中でもあきらめずに歩み続けることによって、信じる戦いというものを体で覚えていく。そのなかで、折れない心や、目的観に徹する姿勢など、人生において成功するために必要な資質を身に付けることができたと思っている。ただし、これは体力勝負の活動であるので、若者ならではの訓練と言ってよいだろう。私自身、こうした活動に携わったのは20代までであった。50代になったいま、同じことをやれと言われても、おそらく無理であろう。

 宗教学を学んでみて、こうした販売活動がどんな意味を持っているのかと思いを巡らしてみると、仏教の僧侶が行う「托鉢」に似たような内面世界があるのではないかと思う。托鉢とは、煩悩の塵垢をふるい落とし、衣食住についての貪り・欲望を払い捨て清浄に仏道修行に励むための実践項目のひとつで、僧侶が鉢を携えて町や村を歩き、食を乞うことである。そして俗世に生きる人々は、僧侶にお供え物をささげることで、功徳を積むことができると考えられている。

 マイクロ生活が過酷なのは、仏教の修行と性格が似ている。睡眠時間と食事の時間を極限まで短縮して、ひたすら販売活動に没頭する生活は、一種の修行と言える。こうした極限状態では、食欲・眠欲・性欲が減退して、いわゆる煩悩から解放されたような状態になる。罪を犯す時間も体力もないので、精神的には非常にすっきりとした状態になるのである。そして行っていることは外面的には商品の販売だが、その売上は自分の利益になるわけではないので、物欲や金銭欲も捨て去ってただひたすら奉仕をしている状態である。そして、商品を買った人が天に対する功徳を積んだのだと理解されている点も同じである。

 櫻井氏が指摘するように、統一教会の信者たちが、販売活動における否定の体験を悲しみの神の心情を追体験しているととらえているのは事実である。彼はそれをあたかも仕組まれたものであるかのように批判的に記述するのであるが、そもそも否定的な体験に肯定的な意味を持たせて昇華していくのは宗教の王道である。マイクロにおいて否定を肯定に変えて乗り越えていくことを体で覚えた統一教会の信者たちは、その体験を応用展開して、その後の人生における悲しいことや辛いことににも肯定的な意味を持たせ、神の心情を追体験しながら生きる術を身に付けるのである。

 櫻井氏はマイクロによる訪問販売が採用している戦略は、「商品開発でも販売方法の革新でもなく、ひたすら訪問件数を体力・気力の限界まで増やすことだけだ。」「労働者側からすればやるに値しないマニュアルワークである。逆に経営者側から見れば、ほとんど資本を投下せずに労働力を投下するだけで金が稼げる。」(p.264-5)と批判する。これをビジネスとみればそう見えるかもしれないが、その主たる目的が宗教的修行である考えれば全く違った評価になる。

 こうした一見過酷な販売活動が何十年にもわたって継続され、多くの統一教会の信者がそれに参加したということ自体、この活動に宗教的な意味があり、それを通して信仰が育成されていたということを証ししているのである。

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