韓国の独立運動と再臨摂理シリーズ11


 この当時、お父様は全国の神霊集団を踏査したと語っておられます。

「私がこの道を出発するようになる時、韓国の有名な牧師たちにみな会ってみました。熟したか、熟していないか、みな調べてみたのです。・・・先生はまず、地下教会を遍歴しました。日本の神社を参拝した汚された人々が現れるために、解放の三年前から、つまり数えの二十三歳から、地下教会の遍歴を始めたのです。『神霊的な人たちは、どのような道を行くのだろうか。神様の摂理はこうこうでなければならないはずだ。そのために準備団体が必ずなければならないはずだ』と考えて、地下教会を探査し、有名だという神霊的な人々にすべて会ってみました。しかし彼らも神様のみ旨を知らずにいたというのです。神様のみ旨の方向を知らずにいたのです。・・・真なる信仰団体は、みな地下に入っていました。その時先生は、たとえ年齢は幼かったとしても、地下運動していた信仰団体だとか、すべての韓国の実情をよく知っていました。」(『真の御父母様の生涯路程1』p.279-80)
「日帝末期に、日本人は圧迫を加重して、キリスト教徒たちに神社参拝を強要しました。篤実なキリスト教徒たちは、神社参拝を拒否して地下に隠れました。ある人々は満州に行き、ある人々はソ連に行き、ある人々は山に行って隠れて生活しました。神様を信じながら、日本から解放されるその日を渇望する多くの人々がいました。日本政府と内通していたキリスト教の牧師たちも、たくさんいました。彼らは、日本の指示に従って行動しました。しかし一方では、地下で、山で、変わらずに信仰を守り、解放のその日を待ちながら戦った、愛国的で篤実なキリスト教徒たちが、たくさんいたのです。」(『真の御父母様の生涯路程2』p.29-30)

 このように、再臨主が1945年の解放をもって摂理を出発するときに、どういう人々を求めていたのかというと、日帝時代の神社参拝に妥協しなかったキリスト教徒たちの群れを求めていたのです。そういう人が再臨主の基盤にならなければならなかったということです。さらに、お父様が再臨主として立つために準備されていた人物が、従祖父(祖父の兄弟)である文潤國牧師でした。

韓国の独立運動と再臨摂理PPT11-1

「私の従祖父(祖父の弟)であるおじいさんは、李承晩博士と友達でした。三・一独立宣言文を起草した五人の中の一人です。崔南善とも友達です。この方は平壌神学校を出て、英語も上手で、漢学にも堪能な人なのです。そのおじいさんは男前でした。李昇薫が五山学校を設立する時は、背後で私のおじいさんが共に動いて建てたのです。そう、定州から今まで人材がたくさん出てきたのは、この五山学校があったためですが、ここから愛国的な思想を中心として抗日運動の思想基盤が準備されました。そのおじいさんは牧師でしたが、三・一運動当時、北側五道の代表でした、それゆえに本来、三・一万歳運動の時、三十三人の中に入るはずでしたが、李明龍という私のおじいさんの教会の長老だった人が、代わりに、その三十三人の中に入りました。」(『真の御父母様の生涯路程2』p.55-6)

 李承晩博士と、お父様の従祖父である文潤國牧師はちょうど同世代くらいです。そして友達関係にあったというのです。ここから李承晩政権につながっていく道があったということです。そして文潤國牧師の名前は三・一独立運動の際の33名の民族代表の中には入っていないのですが、独立運動に対する貢献はそれに匹敵するものであったということです。その人と李承晩大統領はどのような関係だったのでしょうか?
「私の三番目のおじいさんに、政治的な風土があればよかったのですが、純真なキリスト教の牧師でした。李承晩博士が帰ってきて国を立てたのですが、私のおじいさんを必要としたのです。旧学問に精通し、新学問に精通しているので、旌善にいる時、ヘリコプターで三度も迎えに来たのです。そのようにしても、『あー、私は政治はしないよ。信仰する人が政治をすることは・・・』こう言ったのです。こうして李博士と一つになれなかったのです。もし李博士と一つになっていれば、どんなに素晴らしかったでしょうか。私が理論を中心として私の従祖父を説得しさえすれば、李博士一族と環境与件、キリスト教幹部のすべてのことを消化するのは問題なかったでしょう。」(『真の御父母様の生涯路程2』 p.66)

 この文潤國牧師も、もし摂理が成功していれば、お父様と李承晩政権を結ぶ基盤になったはずでした。それでは、解放直後の摂理の概観について、お父様がどのように語っておられるかを見てみましょう。
「解放されると、世界に広がっていた愛国志士という人々が帰ってきました。いわゆる日本系列、中国系列、アメリカ系列、ソ連系列の人々が入ってきたのです。皆さんも知っているように、共産党の金日成が現れ、金九先生、李承晩博士、さらに中国派を中心とした戦いが繰り広げられる、このような混乱時代になったのです。そこで私は、万歳を叫べませんでした。人々はみな、解放されたと喜んでいるのに、手を挙げたくても手が上がらないのです。(『真の御父母様の生涯路程2』p.60)
「解放直後は軍政時代でした。主権を立てようとすれば、三年の期間がなければなりませんでした。政府樹立が一九四八年なので、解放直後より三年間の緩衝期間があったのです。この期間にキリスト教と統一教会が連合して復興しなければなりませんでした。」(『真の御父母様の生涯路程2』p.61-2)

 当時はまだ「統一教会」という団体はなかったのですが、キリスト教とお父様が一体となり、政権と結びついて国を建てなければならない期間が、1945年から1948年までの期間であったという意味です。この軍政時代の状況に関して、お父様は次のように語っています。
「ところで、米軍がこの韓国に進駐した時、第八軍司令官であるアーノルド軍政官を中心として、大韓民国行政処を掌握して全部収拾していたのです。ところで、外的に神社参拝していた既成教会の代表がみなどのような者たちかといえば、外国に留学した人たちです。皆、日帝の手先のような者たちです。結局は米軍政府が生じたとき誰が通訳官になったかといえば、牧師をしていた人や、牧師と関係して神学を勉強した人々が、通訳官として入っているのです。通訳官として入って、神様のみ旨の中において、アベル圏の宗教集団形成をしてくる歴史的基盤を無視して、彼らは国を中心として一つになってしまったのです。韓国キリスト教の混乱はこの時から始まったのです。」(『真の御父母様の生涯路程2』 p.63)

 ですから、天の摂理から見れば、本来なら妥協して神社参拝したクリスチャンたちが政権の中枢に入るべきではなくて、「獄中派」のクリスチャンたちが入らなければならないという摂理観があったのですが、実際には李承晩大統領の政治基盤は親日派だったわけです。そういう人たちの中から英語のできる人々や、いろんな人々が集まって、李承晩政権の手足になっていったのです。
「神様はまた、キリスト教が反対する可能性がある立場にいることを知って、内的に、霊的に、数多くの団体を準備したのです。しかし、どんなに内的団体を準備したとしても、外的なキリスト教が国の形態を整えて反対する日には、イエス様に反対したユダヤ教とイスラエルの国と同じように、さっと回ってしまうようになっています。同じ運命の結果になるのです。」(『真の御父母様の生涯路程2』p.64)
「韓国の大統領になる人は、アベルの代表にならなければならないのです。天に侍るアベル的な立場から、神社参拝した牧師を使ってはならないのです。そのような牧師は除去して、獄中や地下で苦労した人々をアベル的教団に立てて、再教育して国を立てることができる業をしなければならなかったのです。その時、私は長官級の人は、すべて知っていました。地下で運動する有名な人々に、私がみな会ってみたのです。その人々は、私が誰なのかを知っているのです。ですから、そのような環境にさえなっていたならば、どうのようにしようが、その時、自動的にアベル教団を中心として、民族主体思想を中心として、新しい方向、世界に進む新しい道を主張して出発することができたのです。そうして、地下教会と再建教会が一つになりアベル圏に立って、カイン圏の既成教会と一つになってこそ、国を収拾することができたのです。」(『真の御父母様の生涯路程2』p.66)

 お父様のみ言葉に出てくる「再建教会」という言葉ですが、韓国のキリスト教史においては、神社参拝に屈服しなかったキリスト教会をそのように呼んでいます。

カテゴリー: 韓国の独立運動と再臨摂理 パーマリンク