櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第63回目である。
「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き
櫻井氏は本章の「三 統一教会特有の勧誘・教化」の最初の項目に「1 正体を隠した勧誘」を挙げている。これまでも櫻井氏は本書の中で繰り返してこの「正体を隠した勧誘」について批判的に取りあげてきたが、ここでは以下のような、かなり大胆な断定が議論の前提として登場する。
「宗教の布教において布教者が布教している姿を一般の人々から隠すことはありえない。洋の東西を問わず、聖職者にせよ信者にせよ堂々と信じることを述べ伝えるものだ。・・・例外的な状況として、隠れ念仏、隠れキリシタンのように当時非正統とされる宗教を信じるものが、権力者の迫害や支配的宗教の目を逃れるために隠れて信心するということがある。」(p.216)
はたして本当にそうだろうか? 歴史的にみて、迫害を逃れるために隠れて信心することは「例外」と言えるほど珍しいことだったのだろうか? 言い換えれば、圧倒的大多数の信仰者たちが堂々と自分の信じることを述べ伝えることができるほど、人間社会において信教の自由が保障されてきたのだろうか? また現在においても、世界中の圧倒的大多数の人々がその自由を享受しており、それができないのは「例外的な状況」に過ぎないほど珍しいものなのだろうか?
歴史的にみて、信教の自由が保障された社会が出現したのは、近代ヨーロッパにおいてであって、それ以前は異端的信仰に対する迫害、殺戮、拷問などが行われる社会が長く続いていた。また、信仰の正統・異端を巡る宗教戦争も数限りなく行われていた。こうした社会において、信仰者たちが堂々と信じることを述べることは自分の命を危険にさらすことであり、彼らがそのような自由を享受していたとは到底信じられない。
櫻井氏は「隠れ念仏」や「隠れキリシタン」などの日本の事例を例外的な状況として挙げているが、日本において本当の意味で信教の自由が保障されるようになったのはせいぜいここ70年ほどのことであり、それ以前はさまざまな形で信教の自由が制約されていた。伝統仏教による新興仏教に対する弾圧は日本の歴史の中で繰り返し行われてきたし、江戸時代のキリシタン迫害、第二次大戦下における大本教などの新宗教や一部のキリスト教に対する弾圧は、それほど遠い昔の出来事ではない。こうした信教の自由の歴史的な状況に関しては、このブログのシリーズ「人類はどのようにして信教の自由を勝ち取ったか?」(http://suotani.com/archives/726)で詳しく解説しているので、関心のある方は読んでいただきたい。
今日の世界を見ても、それほど広範に信教の自由が普及した世界になっているとは言い難い。世界の国々の宗教の自由の侵害に関する事実と状況を審査している米国国際宗教自由委員会(USCIRF)は、宗教の自由が特に侵害されている国々を「特に懸念される国々」(CPCs)として公開しているが、2016年のリストには以下のような国々が含まれている。カッコ内はその国の人口(2015年の推定値)である。
ミャンマー(47,963,012)、中国(1,349,335,152)、エリトリア(5,253,676)、イラン(73,973,630)、北朝鮮(24,346,229)、サウジアラビア(27,448,086)、スーダン(43,551,941)、トルクメニスタン(5,041,995)、ウズベキスタン(27,444,702)、中央アフリカ共和国(4,401,051)、エジプト(82,121,077)、イラク(31,671,591)、ナイジェリア(158,423,182)、パキスタン(173,593,383)、シリア(20,410,606)、タジキスタン(6,878,637)、ベトナム(87,848,445)。
これらの人口を合計すると約21億6970万人となり、これは世界の総人口の31%に当たる。これだけの人々が宗教の自由が特に侵害されている国に住んでいるということは、現代社会においてさえ、宗教の自由に対する侵害は「例外」と言えるような珍しい状況ではないことを示している。これらの国々の特徴としては、共産主義の国とイスラム教の国が主な構成要素になっていることが分かる。中国には基本的に信教の自由はなく、共産党政府の意に反する信仰を堂々と表明することはできない。イスラム教徒には基本的に他宗教に改宗する自由はない。したがって、イスラム教が支配的な国ではそれに反する信仰を堂々と表明することはできないのである。事実、一般のキリスト教にしても統一教会にしても、イスラム圏において宣教を行うときには地下教会などの秘密組織の形態をとって自己防衛するのが普通である。共産圏とイスラム圏において宣教活動をすることは命がけの仕事であり、とうてい自分の信仰を堂々と表明できるような環境ではなかった。現代の世界は、少数派の信仰者たちに対してそれほど寛容な世界ではない。そうした環境の中で彼らが自らの信仰を隠して密かに宣教活動を行うのは、生存と自己防衛のために必要な手段なのである。櫻井氏はこうした問題にはまったく無頓着で、「宗教の布教において布教者が布教している姿を一般の人々から隠すことはありえない。洋の東西を問わず、聖職者にせよ信者にせよ堂々と信じることを述べ伝えるものだ。」というような能天気な主張をしている。
しかし、アメリカや日本のような信教の自由が保証された国において、最初の段階で正体を秘匿して伝道するということは、何を意味しているのであろうか? それは国家主権によるあからさまな迫害はなくても、その国の一般市民や文化が特定の宗教に対して敵対的であるとき、そのような「非国家主体」からの迫害を避けるために、自分の信仰を秘匿するということである。それを「不実表示」や「欺罔」と捉えるかどうかは微妙な問題であり、その違法性は直ちに判断できない。
米国版の「青春を返せ」裁判ともいえる「モルコ、リール対統一教会」事件でも、原告の元信者らは「自分を伝道した人が初めから文鮮明師の信者であることを直ちに、正直に述べなかった」、と主張し、これを違法性の根拠としていた。この裁判において米国キリスト教会協議会(NCC)がカリフォルニア州最高裁判所に提出した「法廷助言書」は、この点について以下のように述べている。
「上訴人たちは本件の宣教者が、統一教会員であり文鮮明師の信者であることを直ちに述べなかった、ということを大さな問題にしている。理想的世界においては、彼らもそのようにできたであろう。しかしパウロも、歴史上の数多くの宣教者もそうであったように、最初に自分の正体を明らかにしようとしなかつたのは、受け入れられやすい方法で、伝道対象者に対応する必要があると感じたからであった。統一教会員が最初に自分の正体を明らかにしようとしなかったのも、『ムーニー』と呼ばれ、マスコミから悪く言い立てられて形成された偏見に対してそうせざるをえなかったのである。統一教会員には話を始める前からでさえも、そうした乗り越えなければならない反感が存在した。もしそうでなければ、知り合いになつてさらにあとになるまで教会名やその目的を明かすことを延期する必要を感じなかったであろう。」
日本においても、過去において統一教会の一部信者が、最初から統一教会の伝道活動であることを明かさない「正体隠し」の伝道を行ったことは事実である。その動機はアメリカと同じく、マスコミ等によってあまりにも悪い噂が広められたため、最初から正体を明かせば話の内容を聞く前から拒絶されることを懸念して、教義の内容を一通り聞いてもらった後で正体を明かそうと考えたからである。現在ではコンプライアンスの観点から、こうした「正体隠し」の伝道は行わないように信者に対する指導がなされている。
櫻井氏はここでも、「正体隠し」の伝道が出現した理由に関する自説を繰り返し述べている。それは顕示的な学生運動であった1960年代と70年代から、正体を隠して「霊感商法」を行う組織宗教へと姿を変えた1980年代以降という、日本統一教会史の理解に対する櫻井氏独特の図式に基づく説明であるが、これが事実に反することはこれまで繰り返し述べてきたので、ここでは繰り返さない。しかし櫻井氏が統一教会の幹部たちの思考をあたかも直接聞いたかのように断定的に記述しているのは看過できない。彼によれば、初期の原理研究会出身の学生たちは1980年代に統一教会の幹部となったが、「彼らが必要とした信者は求道者としての信者ではなく、むしろ、自分たちの指令に従い組織的課題を遂行する一般社員としての信者だった。・・・摂理遂行という目的意識を持った業務遂行者、働き人を短期間に効率的に養成することとなったのである。・・・布教の目的は自分たちの信仰を世に知らしめることではなく、働き人を得ることだったから対象者さえ獲得すればよいと彼らは考えたのであろう」(p.217-8)ということらしい。
いったい、他者の心の中や活動の動機をここまで一方的に断定する櫻井氏の根拠はどこにあるのだろうか? そもそも、現役信者に対する聞き取り調査を一切行っていない櫻井氏が、その心の中をここまで明確に表現することが、いかなる実証的方法論によって可能なのか、著者にはまったく理解できない。もしこれがデータによる実証性を重んじる社会学的な研究手法によって得られた像でないとするならば、それは裁判の場において統一教会を攻撃するために反対弁護士たちが描いた「統一教会の幹部像」を、そっくりそのままトレースしたものに過ぎないであろう。