宗教学者による「マインド・コントロール理論」批判


まず、原告の主張した「強制的説得理論」は、科学的学会では認められていない、非常に突飛な理論であるとしています。原告およびマインドコントロール論者は、「統一教会の伝道、あるいはカルトの伝道によって自由意志が剥奪された」と主張しています。

しかし、この自由意志に対する影響については科学的に測定不能で、自由意志が剥奪されたことを証明することは不可能だと専門家は言うのです。それに対し、強制的説得という概念の「強制というのは測定可能である。ある特定の刺激に対して大多数の人が同じ反応を示せば、それは『強制的』だと言える」と法廷助言書は論じています。例えば、ここで私が皆さんに拳銃を突きつけ、「部屋から出ろ」と言えば、恐らく大多数の人が出てい行くと思います。これは、非常に抵抗しがたい力をもって行動を規制していますので、「強制」と言えます。

しかし、「申し訳ありませんが、私にお金をくれませんか」と尋ねた場合、何人が私にお金をくれるか分かりません。これは大多数の人が拒否できることなので、これは「強制」とは言えないのです。すなわち、APAは同じ刺激に対して大多数の人が従わざるを得ない状況ならば、「強制的」であると判断できるとしたのです。では、果たして統一教会の伝道は強制的なものなのでしょうか。

アイリーン・バーカーが研究した結果によると、2日間の研修に参加した人のうち、1週間以上入会した人は10%でした。さらに、それから2年以上教会員であった人はたった4%にすぎませんでした。また、ギャランターの調査では、1週間以上入会した人が9%、1年以上会員であった人が6%以下でした。つまり、ほとんどの人が去り、ごく少数しか伝道されていないという結果になっています。したがって、統一教会の伝道は強制的でないという結論を下さざるを得ないのです。

バーカーとギャランターは、それぞれロンドンとロサンゼルスで、79年と78年に1017人と104人の伝道対象者に対して調査を行っています。二人は別々に調査を行ないましたが、同様な結果になっています。アイリーン・バーカーは、伝道されかかった人を全員最後まで追いかけています。

2日間の研修に参加した人を100%と見ると、2日間の研修を修了した人が85%です。そのうち、7日間の研修に参加した人が30%、それを修了した人が25%。さらに、21日間の研修に参加したのは18%で、修了した人が15%でした。そして、21日間の研修後に統一教会に入会を同意した人は13%で、そのうち実際に1週間以上入会した人が10%。それが、1年後には7%になり、2年後には5%。最終的に、83年1月1日時点で4%までに減っています。研修に来た人が全員伝道されれば良いですが、実際は研修の過程で多くの人が去っています。また、ギャランターの調査はそこまで精密ではありませんが、こちらもほぼ同じような数字が出ています。すなわち、統一教会の伝道が強制的でないと科学的に証明できるのです。

さらに彼女らは、マーガレット・シンガーらが統一教会の回心行為と朝鮮戦争の捕虜収容所生活を区別する重要な要件を完全に見逃していることを指摘しています。すなわち、教会では「洗脳」の構成要素である肉体的拘束、拷問、死の脅迫、肉体的必需品の欠乏が全くないのに、「洗脳理論」をもって統一教会のことを論じるのはおかしいと主張しているのです。

また、シンガーの研究は情報源が公平でないことも指摘されています。シンガーの研究は、原告を含む「元統一教会員」とその家族に対するインタビューにのみ依拠しており、それのみで統一教会の回心行為に関する結論を導き出そうとしています。さらに、そのほとんどが強制改宗によって教会を去った人でした。つまり、強制改宗によって教会を去った人は、そのほとんどが「マインド・コントロール理論」の信奉者になっているのです。なぜなら、強制改宗で「あなたは教会に騙されました。『マインド・コントロール』されていたのです」というように教育され、その結果教会を去ります。ですから、そのような人にインタビューをしても「私は『マインド・コントロール』されていました」と答えるのが当然です。公平な情報源に基づいて結論を出そうと思えば、今も現役信者である人、あるいは伝道されたけど最終的に教会には入らなかった人にもインタビューをする必要があります。強制改宗によって教会を去った人へのインタビューのみで結論を出すのは、「情報源が公平でない」と指摘しなくてはなりません。

また、原告の強制的説得理論を認めることは、宗教の自由を保障する米国憲法修正第一条に違反します。そもそも、宗教はほとんどスピーチによって成り立っているので、統一教会の伝道方法も多くがスピーチによって人を感化し、それを信じさせようという行為に当たります。しかし、それが違法と認められてしまうならば、宗教の伝道行為そのものが違法であるとみなされてしまうのです。

さらに、原告の主張する強制的説得理論は、法的制度の基本的前提と一致しません。法廷助言書は、「原告の主張する損害賠償理論で重要なのは、原告の統一教会入会決定について本人が責任を負うべきでなく、その入会の結果発生したいかなることにも本人が責任を負うべきでないという判断である。この主張を受け入れると、これまでの法理学を大きく転覆させる可能性がある概念を導入することになる。ごくまれな例外を除いて、人は自分の行動に対して責任を負うべきであるというのが刑法学と民法学の両者の基本的前提である」と述べています。

つまり、「マインド・コントロール理論」を法廷が受け入れるということは、「私は人を殺しました。しかし『マインド・コントロール』されていたので私の責任ではありません」といった概念を法廷が認めることつながるのです。そうしますと、自分の行動に対して自分が法的責任を負うという、いまの法体系が成立しなくなってしまいます。ちなみに、日本の法廷も「マインド・コントロール」を認めませんでしたが、やはりそれも、前例を作ってしまうといまある法体系が崩壊してしまうという大きな懸念があるからです。以上が心理学的な観点からの、「マインド・コントロール理論」に対する批判の要点になります。

カテゴリー: 「カルト」および「マインド・コントロール」に関する批判的考察 パーマリンク