「青春を返せ」裁判と「マインド・コントロール理論」


次に、この「マインド・コントロール理論」は法廷でも否定されています。

法廷では、「マインド・コントロール理論」は主に「青春を返せ」裁判で論じられています。「青春を返せ」裁判とは、統一教会を脱会した元信者らが統一教会を相手取って起こしている集団訴訟のことです。

原告は主に、「われわれは統一教会の名前も実態も知らされないまま虚偽の勧誘を受け、正常な判断能力を奪われて入信させられた。その結果、長期にわたって精神的に抜き差しならない状況に置かれ続け、違法な行為(いわゆる霊感商法をはじめとする経済活動)に従事させられ、この間、ただ働きであったので、その逸失利益、慰謝料等の請求をする」と主張します。このような裁判が全国各地で起きましたが、この原告のほとんどが強制改宗によって棄教した人たちです。そういう人たちが統一教会を訴えてきました。法廷では「マインド・コントロール」を全面に立てて争いましたが、それに対する初めての判決は1998年3月26日の名古屋地裁で出されました。

この裁判では、元信者の女性6人が統一教会を相手に総額6千万円の損害賠償を求めていましたが、稲田龍樹裁判長は原告の訴えを棄却し、統一教会が勝訴しました。そこで裁判長は、「原告らの主張するいわゆる『マインド・コントロール』は、それ自体多義的であるほか、一定の行為の積み重ねによる一定の思想を植え付けることをいうと捉えたとしても、原告らが主張するような強い効果があるとは認められない」と述べています。これが「青春を返せ」裁判に対する初の判決になります。その後、原告は控訴し、控訴審では和解をして、一応決着がつきました。

次に出た判決は1998年6月3日の岡山地裁判決です。統一教会を相手に元信者の公務員男性が200万円の損害賠償を求めた裁判で、ここでは小沢一郎裁判長が、「原告○○は最初に勧誘を受けてから棄教、脱会に至るまで約1年5カ月を要しているが、その間、被告法人の教義、信仰を受容する過程において、その各段階毎に自ら真摯に思いに悩んだ末に、自発的に宗教的な意志決定をしているというほかはない」と述べています。

また、勧誘や強化のあり方についても「社会的相当性を逸脱したものとまではいえない」として、原告側の訴えを退けおり、この岡山判決でも統一教会が勝訴しました。しかし、彼はこの後控訴しており、控訴した広島高裁では原告側が逆転勝訴しました。そして、それが最高裁で確定してしまったため、実は最終的にこの裁判は負けているのです。しかし、広島高裁での逆転敗訴にはいろいろな疑問があります。まず、控訴審において裁判官は一度も原告、被告の当事者を審問せずに判決を覆しています。また、原告側が請願書と署名を裁判外で裁判所に提出し、裁判所がこれを受理してしまっています。そして、控訴審の最中に突如として何の理由もなく担当部署が変わりました。さらに、判決日が6月9日から7月14日、8月25日、9月14日と、3回も延期されているのです。このように極めて疑問の残る判決でこの裁判は終わりました。

しかしながら、この疑問の残る広島高裁の判決においても「マインド・コントロール理論」に関しては認めておらず、判断を留保しました。判決では「なお本件においては、控訴人が『マインド・コントロール』を伴う違法行為を主張していることから、右概念の定義、内容等をめぐって争われているけれども、少なくとも、本件事案において、不法行為が成立するかどうかの認定判断をするにつき、右概念は道具概念としての意義をもつものとは解されない」と述べています。非常に分かりにくい表現ですが、結局「マインド・コントロール」は不法行為であることを判断するための道具にならない、としているのです。すなわち、原告を勝たせているにも関わらず、法廷では「マインド・コントロール」を根拠に違法性を判断することはできないと述べているのです。この理論は現在の法体系を崩壊させる恐れがあるので、ここについては節度を保つが、原告は勝たせた、という裁判でした。

また、1999年の3月24日の岡山地裁判決では、統一教会が勝訴し、確定しています。裁判では勝ったり負けたりしています。2001年4月10日の神戸地裁判決でも、統一教会は勝訴しました。ここでも、「(原告らが)信仰に至る過程において、被告あるいは被告の教義の内容及び入信後の信者の生活や活動についての情報が不足していたとは認められず、外部の接触も遮断されておらず、被告あるいはその信者による原告らに対する勧誘、教化行為が詐欺的、洗脳的であるとはいえず、原告らは自己の主体的自律的判断において信仰を持つに至ったものであり、被告や信者らの勧誘、教化方法は違法とはいえない」「(原告らは)主体的自律的意志決定をなしえない心理状態にあったとはいえない」といった判決が出ており、ここでも「マインド・コントロール」は否定されています。

したがって、統一教会を相手取った「青春を返せ」訴訟において、法廷が「マインド・コントロール」を根拠に違法性を認めた事例はないのです。ちなみに、この後「青春を返せ」裁判は戦略を転換しました。結局、「マインド・コントロール」は法廷で認められないため、「正体を隠した伝道」「不実表示」を争いの焦点にした戦略に転換しています。そして、勧誘の「目的」「方法」「結果」の各要素の具体的な反社会性や違法性を主張する方向へと戦術を変えていきました。最初から正体を明かさなかったことや「宗教ですか」と聞いた時に、「いいえ、違います」と明確に否定したことなど、そういった嘘をついたことを訴えのポイントにしました。その結果、札幌、新潟、東京の裁判で原告が勝訴しています。

したがって、「マインド・コントロール」自体は法廷では否定されましたが、正体を隠した伝道は裁判所の心証がよくないため、そのことを根拠に負けるケースが出てきました。「青春を返せ」裁判で負けている理由は、これらのことがポイントであることをご理解下さい。

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