日本の学者による「マインド・コントロール理論」批判


さて、これまでの内容を前提として、今度は個々のマインド・コントロール論者の内容を詳しく検証しながら、批判を試みたいと思います。日本で「マインド・コントロール」という言葉を有名にしたのがスティーヴン・ハッサンです。彼は『マインド・コントロールの恐怖』という本を書いたことで知られています。

特に、1993年に元新体操のオリンピック選手である山崎浩子さんが統一教会を脱会した事件から一躍有名になりました。実は、この人物は統一教会の元信徒です。『マインド・コントロールの恐怖』は浅見定雄氏が翻訳していますが、これが日本において「マインド・コントロール」という言葉を広める中心的役割を果たしました。ただ、この本は基本的にマーガレット・シンガーが言っていたこととほぼ同じ内容ですので、詳しい検証は行いませんが、この本に対する日本の良識ある宗教学者たちの反応だけ少しご紹介します。詳細な批判は、増田善彦氏の著書でなされています。

日本国内の宗教学者の中では、日本女子大学の元教授である島田裕巳氏と東京大学教授の島薗進氏の二人が、それぞれ「宗教とマインド・コントロール」「マインド・コントロール論考」という論文を書いています。

島田裕巳氏は端的に言って、「マインド・コントロール理論」は怪しいと主張しています。「『マインド・コントロール』ということが事実として存在するのか、それは『洗脳』以上に怪しい。ハッサンなどのように、『マインド・コントロール』の危険性を訴える人間たちは、問題となる宗教団体が人間の心を支配する巧みな方法を開発しているかのような印象を与えようとしているが、実際にはそれほど効果的な方法が開発されているようには思えない。『マインド・コントロール』という言葉は結局のところ、極めて便宜的に使われていると考えざるを得ない。『マインド・コントロール』の方法も効力も曖昧な上、多くは特定の教団を批判するための道具として使われる傾向がある」と、極めて的確に「マインド・コントロール理論」の欠陥を表現しています。

対して島薗進氏は大変影響力の大きな人物でありますが、彼は「マインド・コントロール概念」の是非について、「科学的な概念とは言えないかもしれないが啓蒙的価値は認める」というような煮え切らない立場を取っています。しかしながら、スティーヴン・ハッサンの「『マインド・コントロール』にも善なる『マインド・コントロール』と悪なる『マインド・コントロール』がある」という主張に対しては、島薗氏は「善悪をどのように区別するのか、定義や区別が容易ではないだろう」と鋭く批判しています。

以下、島薗氏の言葉ですが:
「倫理的に正当と思われる意図によるものなら、好ましい『マインド・コントロール』ということになりそうである。たとえ本人が自発的にそれを望まなくても、である。事実、ハッサンらが試みる『救出カウンセリング』は、心理学的な洞察にもとづくさまざまなテクニックを用いて『破壊的カルト』の信徒に再度人格転換を引き起こさせようとするものである。そこに『マインド・コントロール』の要素があることをハッサンは十分自覚している」。(引用終わり)

すなわち、ハッサンは『マインド・コントロール』を攻撃しているにも関わらず、自分も同じようなことを行っている。自身が『破壊的カルト』と呼んでいる新宗教の信徒たちを辞めさせる際に、自らが非難している『破壊的カルト』と同じ方法を用いて、脱会させようとしているということを指摘しているのです。

島薗氏は続いて、「『マインド・コントロール』の概念と『破壊的カルト』の概念は明らかに繋がり合っている。好ましくない『マインド・コントロール』を行なう『カルト』はすべて『破壊的カルト』であるが、逆に『破壊的カルト』のすべてが、好ましくない『マインド・コントロール』を行なっているか分からない。しかし、『破壊的カルト』に入信させられてしまった人は被害者であり、『救出カウンセリング』の対象になってしまう。ハッサンが好ましくない『マインド・コントロール』を行なう『カルト』と『破壊的カルト』の区別にあまり関心を払っていないことは確かである」(引用終わり)ということで、極めてご都合主義的に『マインド・コントロール』とか『破壊的カルト』という言葉を使っていることを、島薗氏は鋭く指摘しています。「マインド・コントロール」という概念は客観的・価値中立的ではなく、自分が善だと思う目的のために使われれば善になるが、その逆であれば悪になるような、恣意的に使われている概念であることをこの二人の宗教学者は見抜いています。

カテゴリー: 「カルト」および「マインド・コントロール」に関する批判的考察 パーマリンク