ここで、「カルト」と「マインド・コントロール」という言葉は循環論法的に繋がっている概念であることをご説明します。最初に、ハッサンは「『カルト』は悪であるが、それは『カルト』の信じる内容が問題なのではない。信じる内容は信教の自由で保障されているので、たとえどのようなおかしな教えであったとしても信じる権利はある」と、信教の自由を尊重するような言葉を語っています。しかし、「『カルト』は『マインド・コントロール』を使い、個人の自由意志を奪って伝道するという人権侵害を行なっているから悪である」と主張しているのです。これが彼らの「マインド・コントロール」を非難する主な理由になります。
ところが、本を読み進めていくと、途中で「実は、『マインド・コントロール』自体は善でも悪でもない。なぜなら、私も『破壊的カルト』に入会している信徒を脱会させるカウンセリングの時に、『マインド・コントロール』と同じ手法を使っているからである」と言い出します。さらに、「目的が善なら『善なるマインド・コントロール』で、目的が悪なら『悪なるマインド・コントロール』である。私は善なる目的でやっているから良い」と主張しているのです。そして、最終的には「なぜ『マインド・コントロール』が非難されるかというと、この『マインド・コントロール』が悪となるのは、それを行なう『カルト』が悪であるため、『マインド・コントロール』も悪になるのだ」としています。つまり、「『マインド・コントロール』によって『カルト』が悪になる。しかし、『カルト』が悪であるのは『マインド・コントロール』を使用しているからである」というように、循環論法に陥っているのです。『カルト』と『マインド・コントロール』は、どちらも曖昧な概念なので、互いに互いを定義し合うような循環論法によってしか結びつかないようになってしまうのです。
執筆者
連載シリーズ
- ICRFの秀逸なプレゼンより
- 「カルト」および「マインド・コントロール」に関する批判的考察
- 「マインドコントロール」考察に関して有益な情報
- 「ムーニ―の成り立ち」日本語訳
- 「青春を返せ」裁判と日本における強制改宗の関係について
- 『マインド・コントロール』の批判的検証
- オセロ中島知子騒動とマインドコントロール批判
- ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」
- 世界の諸問題と統一運動シリーズ
- 人類はどのようにして信教の自由を勝ち取ったか?
- 北村サヨと天照皇大神宮教シリーズ
- 宗教と万物献祭
- 実況:キリスト教講座
- 日本人の死生観と統一原理
- 日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ
- 日韓関係の課題解決におけるソフトパワーの有効性
- 書評「ムーニーの成り立ち」
- 書評:大学のカルト対策
- 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』
- 未分類
- 札幌第二次「青春を返せ」裁判の判決を検証する
- 神学論争と統一原理の世界
- 神道と再臨摂理シリーズ
- 米国におけるディプログラミングの始まりと終焉
- 霊感商法とは何だったのか?
- 韓国の独立運動と再臨摂理
- 魚谷レポート