書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』92


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第92回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き

 今回は第六章「四‐二 清平の修練会」の2回目である。櫻井氏は「3 役事」の中で、「役事とは統一教会の独自の用語であり、天使の助けを借りて体内から悪霊を追い出すという意味で最も一般的に使われている。しかし、より抽象的には、天界(霊界)と地上(現実世界)の間に交流を起こそうという儀礼である。」(p.296)と説明する。実は「役事」(ヨクサ)という韓国語自体は統一教会の独自の用語ではなく、「働き」というようなより広い意味で用いられる。しかし、清平修錬苑において「役事」といえば天使の助けを借りて悪霊を追い出す儀礼を指すのが一般的である。

 櫻井氏は「清平においては、金孝南という霊能者に大母様が再臨し、霊界のメッセージを伝え、先祖の霊を救い出すのは清平の役事しかないことを強調する。」(p.297)と解説する。これはこの本が出版された2010年の時点では正しかったのだが、この金孝南氏は2015年をもって清平修錬苑から姿を消した。彼女は一時期、清平修錬苑の事実上の最高指導者として君臨していたので、まさに「隔世の感」がある。私自身、かつては清平のシステムは金孝南氏のカリスマの上に成り立っていると理解していたのだが、どうやら彼女がいなくなっても「修行の場」としての清平は機能しているようである。

 役事の具体的な内容についてだが、「聖歌を韓国語で歌いながら、拍手→前の人の肩→自分の頭・顔・首→拍手→胸・下腹部→相手の腰→自分の足・腕→拍手の順で叩き続ける。この集団で叩きあう行為を二セット行う。」(p.297)という櫻井氏の描写は客観的事実としては正しい。しかし、その後の「壇上には興奮した(霊に憑かれた)若手の信者が上がって踊りだしたり、精神的に不安定な人が泣き叫んだり、まさに悪霊が飛び交ってでもいるような情景が現出する。」という彼の解説が間違っていることは、私自身も役事に参加したことがあるので分かる。

 そもそも壇上に立つ若い信者は、大抵は清平修錬苑で行われている40日修練会の修練生であり、役事をリードする役割を最初から任されているのであって、興奮したり霊に憑かれた信者が無秩序に壇上に上がって踊っているわけではない。彼らは決められた時間の中で儀式を先導するという役割を意識的に果たしているのであって、トランス状態になっているわけではないのである。その証拠に、彼らは時計を見て決まった時間になれば役事を終了させるように全体を導く。

 役事の中で何を感じるかはまさに人それぞれである。櫻井氏の言うように「精神的に不安定な人が泣き叫んだり」することは全くないとは言えないだろうが、少なくとも私が参加したときにはそういう人を見かけることはなかった。役事は全体として、悪霊的な雰囲気よりも善霊的な雰囲気が支配する場である。皆が同じ行動をするため、会場には秩序ある一体感が生まれ、すがすがしい気持ちになることはあっても、無秩序で不快な様相になることはない。実際にその場を見たことのない櫻井氏にはこうした雰囲気は分からないであろう。「まさに悪霊が飛び交ってれもいるような情景が現出する」というのは、櫻井氏の想像の産物でなければ、ことさらに清平の役事をおどろおどろしいものとして描くことにより、裁判で被害を訴えようとした元信者の作文であろう。

 清平の役事に対しては、統一教会の現役信者の中でも「好き嫌い」があり、熱心に清平に通う者もいれば、懐疑的に見ている者もいる。清平の役事は1995年に始まったが、それ以前の統一教会の文化とは異質な部分を持っていたため、1995年以前に入教した教会員の中には、その新しい要素に違和感を感じて馴染めない者もいる。1995年以降に入教した教会員にとっては、清平の役事は初めから統一教会の信仰の一部である。信仰歴の長い教会員の中にも熱心に清平に通うものは多いが、それはその人自身の感性にマッチしている場合である。清平の役事をどのくらい信じて重要視するかは、現役信者の中でも個人差が大きいと言えるであろう。全体として、男性や合理的な人はあまり熱心ではなく、女性や心霊的なことを重んじる人は熱心に通う傾向にあるようだ。

 続いて櫻井氏は「4 病気直し」の中で、「修錬苑において役事や研修に参加するもののなかには家族、あるいは本人の病気を治そうと来るものが少なくない」としたうえで、「悪霊を祓う、追い出すことで病気が本当に治るかどうかは医学者の見解を待つしかないが、清平において治らない病気があることは事実」(p.298)であると指摘して、元信者の証言から、病気が治るどころかかえって悪化した事例を紹介している。

 宗教団体が「病気治し」を謳って信者を引き付けることに対する懐疑的な視点は、櫻井氏のみならず合理的な現代人に共通したものの見方であろう。しかし古来より「病気治し」は宗教が担ってきた重要な役割の一つであり、それは科学的な世界観が浸透した現代にあっても消滅してはいない。日本において人々が新宗教に入信する典型的な理由に「貧・病・争」が挙げられたことがあったが、それほど病気が治ることを期待して宗教の門を叩く人は多いのである。

 そもそも多くの信者たちがイエス・キリストに従ったのは、彼が病気の治癒という奇跡を行ったからであったし、中世のキリスト教徒たちが聖地巡礼に出かけたり、聖人を崇拝した理由の大半は、病気の癒しであった。彼らは聖人に神秘的な力を求め、そこで祈りを唱え、捧げものをすれば、その功徳によって願いがかなえられると信じていた。したがって、巡礼の礼拝所の捧げもので一番多いのは、捧げる人の身長か身幅の寸法に合わせたロウソク、もしくは治してもらおうと思っている手や足のひな型であった。かくして聖人の墓には、身体の部分や手足の形の捧げものがうず高く積まれることとなったのである。仏教においても、密教は加持祈祷によって病気の治癒や除災を行った。「ユタ」とか「イタコ」とか呼ばれる日本の伝統的な霊能者も、祈祷によって病気治しを行った。また、天理教に代表されるように、日本の戦前の新宗教は病気治しを売りものにして教勢を伸ばしていったものが多い。われわれはこのような信仰を笑ったり、低次元なものとして見下したりすることはできない。民衆の信仰は、人生における不可解で耐えがたい苦しみの中で、必死に生きようとする彼らの努力の現れであり、神学者や高僧たちの宗教とはまた違った、人間がもつ宗教性の一面が現れたものなのである。

 清平役事もまた、病気の治癒という具体的で分かりやすい恵みを前面に押し出している。按手によって霊が分立されて病気が治るほかにも、生命水や天神水の恵みによって病気が治癒するという証しも存在する。清平で病気が治ったという証しは数限りなくあり、『成約時代の清平役事と祝福家庭の道』(成和出版社、2000年)という出版物から主な項目だけを拾っても以下のように多数存在する。
・慢性のぜんそくが洗い流されたようになくなった。
・アトピー性皮膚炎の子供に生命水を塗りながら治療したら良くなった。
・人工呼吸器に依存していた生存確率50%の未熟児に天神水を塗りながら祈祷したら人工呼吸器を外すまでに良くなった。
・子宮筋腫だと思っていたら、いつの間にか胎児になっていた。
・霊的な問題のために子供ができなかったが、清平役事によって妊娠できた。その子供は中絶するしかない異常児だと医者から言われたが、清平役事によって正常になった。
・医者から奇形だと言われていた胎児が、清平役事によって無事に生まれた。
・子宮ガンの検査結果が良くなかったのが、清平役事によって正常値になった。
・膠原病を乗り越えて子女を授かった。
・20余年間患ってきたテンカンが消えた。
・30年間患ってきたひどい頭痛が完全に治った。
・胆嚢手術の合併症が治った。
・慢性気管支喘息が治った。
・網膜色素変性症を治療してくれた。
・長い間患ってきたアレルギー性皮膚炎がよくなった。

 これらの証言を信じるか信じないかは読者次第だが、宗教的儀礼によって「病気が本当に治るかどうか」を探究することは、実は宗教学の役割ではない。宗教学の役割は、「宗教的儀礼によって病気が治るという信仰が存在する」という客観的な事実を観察し、それを記述し、その意味を考察することにある。櫻井氏による、清平の役事による病気治しの記述は、「病気が治った」という入手可能な多数の証言を一切無視して、「治らなかった」という一部の証言のみを取り上げて一方的な批判を行っているだけである。こうした記述の偏りも、彼の研究に用いられた基本的な資料の偏りにその原因があることは、繰り返して言うまでもないであろう。

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