シリーズ「霊感商法とは何だったのか?」08


霊感商法(4)

このような事情はキリスト教においても同様である。ユダヤで発生したキリスト教は、当時のローマ世界の豊かな宗教的養分を吸収しながら成長し、それによってローマの宗教として定着して行った。例えば、ローマ帝国内において1世紀後半から4世紀中葉にかけて流行した密儀宗教のミトラス教は、キリスト教との多くの類似点を持っていたことが指摘されている。具体的には、兄弟関係に擬された信徒社会、入信に際しての試練、禁欲主義的で二元論的な倫理、著しく似ている聖餐式の形式、救済神的な性格、図像の類似など、多くの類似点を挙げることができるが、中でも何らかの影響を否定し得ないと思われるのが、12月25日という祭礼の日付である。

今日では、イエスの生誕祭であるクリスマスを12月25日日に祝うことは世界的なキリスト教の習慣となっているが、新約聖書にはイエス・キリストが誕生した日付については一切記されていない。実は4世紀初頭まではクリスマスの日時は固定されておらず、これが12月25日日に固定され、本格的に祝われるようになるのは皇帝ユリウス一世(在位337~352)のときであった。このクリスマスの日付が決定されるに当たっては、既存の祭日をできる限り利用しようというキリスト教会の戦略が大きく作用した。すなわち揺籃期のキリスト教は、彼らが改宗を願っていたローマ人やゲルマン人に抵抗の少ない形でクリスマスを導入しようとしたのである。(注1)

12月25日日はローマの冬至の当日であり、この時期に一年の労苦をねぎらうために大きな祭を行うことは古くからの習慣であった。さらにその日は当時普及していたミトラス教の「不敗の太陽神(Sol Invictus)」の誕生日として祝われていた。また、キリスト教の側にもイエスをこの世の光、太陽と考える習慣があった。そこでこのような類似点を中心として習合し、強敵であったミトラス教の祭日をキリスト教の祭日として取り込んだのである。

 

Sol Invictus

 

蛇足ながら、クリスマスにツリーを飾るという風習も、キリスト教とゲルマン民族古来の新年や収穫祭(ユール)の行事が習合して生まれたものである。ドイツ各地では古くから冬至や新年に生命力の象徴である常緑樹の枝を窓や天井に飾り付ける風習があり、そのツリーに飾られる食物や灯には豊饒や悪魔祓いなどの願いが込められていた。このような風習がキリスト教に持ち込まれたのが、クリスマス・ツリーである。(注2)

また、中世ヨーロッパの民衆信仰の代表的なものである「聖人崇拝」も、異教の神々への信仰がキリスト教の聖人への信仰に取って変わったものである。中世においては、「神聖性」は場所と結びついており、奇跡の行われた土地や、殉教の現場を訪問することは、聖人の超自然的な力に近づくことであると信じられていた。そこには大概、その聖人の死体の一部である「聖遺物」が安置されており、それは彼らが聖人と触れることのできるきずなであった。ここから、その聖地を訪問するための「巡礼」という風習が生まれ、これは非常に古くから教会の信心業として広く普及していたのである。(注3)

 

聖人崇拝
中世イタリアの聖人ウバルドの遺骸を崇拝するカトリックの司祭

 

中世の人々が巡礼に出かけた理由の大半は、病気の癒しであった。彼らは聖人に神秘的な力を求め、そこで祈りを唱え、捧げものをすれば、その功徳によって願いがかなえられると信じていた。したがって、巡礼の礼拝所の捧げもので一番多いのは、捧げる人の身長か身幅の寸法に合わせたロウソク、もしくは治してもらおうと思っている手や足のひな型であった。かくして聖人の墓には、身体の部分や手足の形の捧げものがうず高く積まれることとなったのである。(注4)

あるものは聖画や聖像を異教の偶像崇拝のごとくに拝み、さらにはそれを魔術に用いるものまで現れた。これらの事例はキリスト教に改宗して数世紀が経った後にも、それ以前に存在した異教の風習が、民衆レベルでは根強く残っていたことを示している。しかしわれわれはこのような信仰を笑ったり、低次元なものとして見下したりすることはできない。民衆の信仰は、人生における不可解で耐えがたい苦しみの中で、必死に生きようとする彼らの努力の現れであり、神学者や高僧たちの宗教とはまた違った、人間がもつ宗教性の一面が現れたものなのである。

一見合理化され、洗練された宗教に見えるキリスト教も、その底辺の部分を見つめてみれば、多くの民俗宗教的な要素を発見することができる。たとえば、教会にある聖母マリアのガードルを妊婦が借りてきて安産を願う風習や、罪もなく殺された忠犬がカトリックの聖者として祀られ、子供の保護と成長を願う多くの親たちの参拝で賑わった事例など、枚挙に暇がない。これらの事例はヨーロッパのキリスト教もきわめて現世利益的な生活習俗と習合することによって土着化を可能にしたのだということをわれわれに教えてくれる。そしてこうした民衆キリスト教の伝統は、さまざまに趣を変えながらも、今日まで脈々と生き続けているのである。

さらに大航海時代(15~17世紀)以降にキリスト教が伝えられたアメリカ大陸、アフリカ、フィリピンなどにおいても、土着の伝統的な神々とカトリックの聖人が同一視されたり、キリスト教の典礼と土着の宗教儀式が融合されたりするなど、さまざまな形態のシンクレティズムが起こった。これもまた例を挙げようと思えばきりがないほどである。(注5)

 

(注1)服部幸三「クリスマス」(山折哲雄監修『世界宗教大辞典』平凡社、1991年、p.559-561)

(注2)編集部「クリスマス・ツリー」(同上、p.561)

(注3)バンバー・ガスコイン『ザ・クリスチャンズ:キリスト教が歩んだ2000年』徳岡孝夫=監訳 日本放送出版協会 1983年、p.103-5

(注4)同上、p.104-8

(注5)同上、p.239-40

カテゴリー: 霊感商法とは何だったのか? パーマリンク