書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』44


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第44回目である。

「第Ⅰ部 統一教会の宣教戦略 第4章 統一教会の事業戦略と組織構造」の続き

 本章の最後に当たる「五 統一教会とはいかなる宗教組織なのか」は、これまでの議論のまとめに当たる。櫻井氏は統一教会の特徴を、事業の多角化とグローバルな事業展開の二点にあるとみており、「宗教団体でありながらも、多種多様な事業部門を有する多国籍コングロマリット」(p.164)と表現している。そして、教団設立当初からこのような要素を抱える教団は稀有であると評価している。

 櫻井氏は、草創期の統一教会は新宗教運動であり、D・O・モバーグや森岡清美が提示した付加価値過程の教団成長論が妥当である(p.164)としている。この内容に関して櫻井氏は129~130ページで説明している。これは、外的環境や社会状況に対応するべく教団組織が徐々に変化していくというモデルであり、モバーグによれば、①萌芽的組織(カルト・セクト的熱狂)、②公式的組織(リーダーシップの正統化、セクトの体裁)、③最大効率(デノミネーション、社会への適応、組織整備)、④制度的(官僚制の確立、既成社会への同調、モラルの弛緩)、⑤解体(名ばかり会員の増加と内部改革運動の勃興)というプロセスを経るとされる。

 櫻井氏は、このような教団成長モデルが統一教会に当てはまるのは韓国と日本では創設期から10年程度にすぎず、統一教会は早々に次の段階に成長していったと主張する。韓国で世界基督教統一神霊協会が創立されたのが1954年であり、日本に宣教されて教会が創立されたのは1959年である。それから10年後といえば、1964~1969年ごろまでということになる。教会創立からこの時期までの出来事と言えば、梨花女子大事件、米国への宣教師の派遣、リトルエンジェルスの創設、統一教会の韓国での財団法人認可と日本での宗教法人認証、『原理講論』の出版、文鮮明師の世界巡回、国際勝共連合の創設、韓国と日本での勝共大会、原理大修練会、光言社の設立などを挙げることができる。

 教団が法人として認証されたり、伝道や教育のやり方が体系化されたり、教典が出版物として印刷されたりするのは、宗教団体の「制度化」の典型的な要素であると言える。したがって、ここまではモバーグの教団成長論の②の段階を終えて、③に入りかけた段階と見ることができるであろう。しかし、この時代の統一教会は日本においても韓国においてもまだ規模は小さく、教勢が大きく伸びるのは1970年代から80年代にかけてである。にもかかわらず、文鮮明師は教会創設後10年程度の時期から、かなり野心的で多角的な活動に着手していることは注目に値する。統一教会がこの時期に世界に宣教師を送ったり、リトルエンジェルスや勝共連合など宗教以外の社会運動に着手している点に着目すれば、櫻井氏の言うとおり、稀有な宗教団体であると言えるだろう。ある意味では、宗教団体としての成長を十分になしていない段階で、事業を多角化しすぎたと言えるかもしれない。そして、これらは収益をあげる事業ではなかったため、その活動を経済的に支える役割を日本が担ったというのも事実である。

 しかし、これをもって統一教会はコングロマリットの段階に入り、教団成長論では説明できなくなったというのは言いすぎであろう。「統一運動」としてさまざまな事業や活動に着手したとしても、本体である「統一教会」は宗教団体であり続け、その発展過程には教団成長論が適用できると考えられるからである。そしてグローバルで多角的な活動の展開も、本体であり中心である宗教団体としての活動があってこそ可能なのであり、その逆ではないので、あくまでも宗教団体としての統一教会を見つめる必要があるのである。文鮮明師が2012年に聖和(逝去)したことは、統一教会にとって大きな転換点となったことは疑いがない。今後、統一教会(家庭連合)がモバーグの教団成長論の④や⑤の段階に入っていくかどうかは、引き続き観察することによって初めて明らかになるであろう。私は、統一教会の発展過程は純粋に宗教団体の成長論で分析可能であると考える。

 さて、櫻井氏はここにきて「統一教会は宗教としては稀有な多角的事業展開をなす教団なのか、それとも宗教組織を擬装した経済集団なのか」(p.167)という問いを投げかける。ここで櫻井氏は三つの理由を掲げて統一教会は宗教団体であると結論する。私はこの結論に同意するが、その理由に関しては必ずしも同意しない。彼が挙げている三つの理由を分析してみよう。(いずれも167ページ)

(1) 統一教会は経営体としては破綻している。摂理の実現に向けて各種事業を展開しているが、ほとんど収益を生み出していない。
 これは嘘である。統一運動の中に収益をあげている部門とそうでない部門があることは事実だが、全体としては経営破綻状態とは程遠く、経営はちゃんと成り立っている。櫻井氏は2009年に統一教会信者が特定商取引法違反で逮捕されたことを強調するが、それから8年経ったいまでも日本の教会は健在であり、世界的組織の運営も問題はない。櫻井氏の著作は2010年に書かれたものだが、「まもなく破綻する」という櫻井氏の願望を書いたのに過ぎなかったのであろう。何度も述べたように、そもそも統一運動の事業の大部分は地上天国建設のための先行投資のようなものであり、直ちに収益をあげることを目的としたものではなかった。それを「破綻している」と一般企業のように見ること自体が間違いなのである。

(2) 統一教会は企業のように就労の機会を提供しているわけではない。・・・信者であれ、一般市民であれ、統一教会に関わる人々は生活の基盤を失っていく。これが金のなる木の実態である。
 これも嘘である。ここで櫻井氏は「グローバルなコングロマリット」としての統一教会について論じているのであるから、そこには韓国やアメリカの諸団体も当然入るはずである。韓国の統一教会は財団法人であり、その下に多くの企業を抱えている。その職員たちは給料をもらって働いているので、彼らに就労の機会を提供している。清平のような宗教施設においても、多くの職員は有償で働いている。アメリカのワシントン・タイムズには統一教会の信者よりもむしろ非信者の方が多く働いている。彼らは有償で働いているので、就労の機会を提供されている。
 櫻井氏は、それは外国だけであり、日本だけが搾取されていると言いたいのであろうが、それも事実と異なる。ほとんどが統一教会員で構成される株式会社であるハッピーワールド、世界日報社、光言社などは、すべて有償で働く社員によって構成されており、彼らは就労の機会を提供されている。教会本部で働く職員だけでなく、地方の教会の牧師(教会長)は全て統一教会に雇用されているし、総務部長や会計などの職員も給料をもらって教会の仕事をしている。これらも立派な就労機会の提供である。さらに、国際勝共連合、世界平和教授アカデミーなどの諸団体は、宗教法人とは独立した運動体であるとはいえ、やはりその職員は有償で働いている。したがって、日本においても統一運動全体でカウントすれば、相当の人数が就労の機会を提供されていることになる。

(3) 統一教会の信者は、地上天国の実現、霊界の解放という宗教的理念のために世俗的生活を犠牲にする。
 これはある意味で本当だが、犠牲の度合いは個人によって大きく異なり、「一般市民にとって重要な生活の安定、家族の扶養、老後の保障といった問題を一切度外視して」(p.167)というのは言い過ぎである。宗教団体である以上、宗教的理念のために世俗的生活を犠牲にするのは当たり前である。しかし、それはあくまで個人の自由意思に基づいて、納得して感謝できる範囲で行っているのであり、櫻井氏の強調するような悲惨な姿が統一教会信者の一般的な姿ではないのである。
 櫻井氏は最後に、「統一教会の多角化した事業展開や世界宣教の戦略は経営戦略論から分析可能だが、統一教会それ自体はまさに宗教的な団体である。」(p.168)と述べている。私はこの結論を否定するつもりはなく、大枠において同意するが、率直な感想として、こんな当たり前のことを言うために膨大なページを費やしてきたのかと思ってしまう。

 最後に私の意見を整理しておく。統一教会それ自体がまさに宗教的な団体であることは疑いがない。しかし、統一運動はグローバルで多角化した事業を展開しているために、それらは宗教団体としての分析だけでは不十分であり、経営戦略論から分析することも必要だという主張は一応認めよう。しかし、櫻井氏の分析は的を射ておらず、世界的な統一運動を正しく分析しているとはお世辞にも言えない。世界的な統一運動は、地上天国実現という文鮮明師の理想を実現するために収益や採算を度外視して展開された事業であり、根本目的が宗教的なものであるため、世俗的な経営戦略論だけでは正しく分析できない運動なのである。櫻井氏は、本体である統一教会の宗教性を認めながらも、世界的な統一運動全体を支えている宗教的な理念や目的を正しく理解できなかったので、世俗的な経営戦略論をやや杜撰に当てはめて分析することにより、その本質を見誤った、と結論することができるであろう。

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