第5章 祝福:準備とマッチング(8)
読者がマッチング・セレモニーの意義を完全に把握するために(注38)、この節は(1)儀式の描写を提供し、(2)この出来事の宗教的意味を論じ、(3)マッチングの儀式の前あるいはその最中にメンバーが持った特別な体験の回想録を提示することにする。実際の儀式についての我々の描写は暫定的かつ不完全なものである。その主な理由は、それを通過したメンバーたちは、彼らが人の一生において最も神聖な出来事であると信じていることに関する詳細な記述を著者に提供することをためらったからである。この儀式は非常に特別なものであるがゆえに「私的」なものであるとみなされる。それが意味するのは、そこに参加できる統一教会の信者は(もちろん、文師夫妻と特定の手続き上の事柄を補佐するために指名されたリーダーを除けば)、マッチングを受ける資格があると認定された者だけだからである。どんなメンバーでも、第6章において描写されている「公的な」(すべての統一教会信者に対して開かれているという意味において)祝福式または結婚式に参加することができるが、マッチングの儀式には参加できない。マッチングと聖酒式の神聖で秘密主義的な性格は、「74双」に対して彼らのマッチングの日に語られた説教の中で、文師によって強調されている。
「きょう、お父様は皆さんに天の秘密を明かしているのです。神様がそのようなことを明らかにするのに相応しい唯一の場所は、その王宮です。ある意味で、きょう皆さんは神の王宮に立っているのです。皆さんは原理の核心を聞いているのです。これまで秘密にされていたことが、きょう皆さんに明かされたのです。」(注39)
したがって、以下の素描はインタビューやさまざまな出版物から集められたデータの「断片」を、[#傍線]典型的なマッチング・セレモニー[#傍線終わり]の分かりやすくて願わくば正確な描写になるように、著者が整理したものである。マッチングの告知は実際の出来事のほんの少し前(二週間もしくはそれ以下)にしかなされない。(1979年には祝福委員会によって、あるいは1980年には現場のリーダーによって)選抜され資格ありと認定された候補者は、世界の様々な場所からニューヨーク市にある世界宣教本部に駆け付ける。彼らの最高の服に身を包み、指定された時間にセンター・ボールルームに入る。彼らは片方が男性、もう片方が女性に分かれて大勢で立っており、椅子も通路もない。
文師夫妻が数名のトップリーダーたちと共に候補者の前に現れる。セレモニーは彼らに対する文師のスピーチによって始まり、その内容は統一運動における結婚の深い霊的な意義に関するものであり、真に神を中心とした人は誰とでも結婚する準備が出来ていることを強調する。
この冒頭の言葉に続いて候補者たちの実際のマッチングが始まり、文師は東洋人とのマッチングを望む白人のメンバーに対して部屋の前方に出てくるように指示する。すると彼は各人に対して東洋人の相対者を一人ひとり「推薦」する。白人と黒人のマッチングを望む者に対しても同じプロセスが進行する。「この障害を持った者と結婚する意思のある者はいないか?」とか、「この女は以前に結婚していて子供がいる」とか、「精管切除術を行ったこの男を受け入れらる女はいるか?」というような、特別なケースも扱われる。(注40)
二人が文師によって組み合わされると、彼らはボールルームを離れて隣接した部屋に行き、マッチングを受け入れるか否かを決定するために、15分から20分にわたって個人的な話をする。もし彼らが文師の選択を肯定すれば、彼らはボールルームに戻ってきて、初めに文師の前に、次に聴衆の前に頭を下げることによって受け入れたことを示す。マッチングを拒否したわずかな者は、リーダーの一人にただその決断を告げて、再びマッチングを受けるためにボールルームに戻ってくる。
マッチングのプロセスが終わると(注41)、聖酒式が始まる。各カップルは文師の前に現れ、復帰されたアダムまたは真のアダムである彼は、聖酒の小さなカップをエバである女性に授ける。彼女はワインの一部を飲み、そのカップをルーシェルとしての男性に渡し、彼は残りを飲む。第二のレベルのシンボリズムも機能している。父としての文師、母としての花嫁、そして息子としての花婿である。カップが空になったら、カップルは手を合わせ、文師は彼らの手の上に自身の手を重ねて、短い祈祷をする。個々のカップルが聖酒をいただいたら、マッチングを受けたカップルに対する文師の総括的な祈祷をもって儀式は終わる。
われわれのやや簡素な儀式の記述には、記録としての価値はあるが、参加者の強烈で恍惚とした感覚をまったく伝えていない。統一教会信者の人生における中心的な出来事として、式典全体(そして特に聖酒式)は深い宗教的意味を持っている。信仰深いメンバーにとって、男性と女性のマッチングは宇宙の統一を象徴し、そしてある意味において実現するのである。この非常にシンプルな式典の中で、「聖なる天蓋」が言葉の最も広い意味において現実を包含するのである。
マッチングの霊的な意味は『原理講論』においては暗示されているだけなので、それをより完全に説明するために、著者は3名の統一運動の指導者たちのより具体的な教え(牧会学)を利用した。その3名とは文師自身、郭錠煥牧師、周藤健牧師である。この資料のほとんどが、祝福家庭にのみ入手可能な『季刊祝福』に見いだされるものであることに、ここで留意しておく必要がある。疑いなく、ほとんどのメンバーはマッチング前にこれらの教えに多少は気付いているが、おそらくマッチングまでは彼らはそれらを完全に認識してはいないだろう。
この式典の意味に関する文師の最も完全な発言は、1977年のマッチングおよび祝福の日に語られた演説の中に見いだすことができる。
「第一に、私たちは自分がサタンの血統から来たものであることを悟らなければなりません。それが私たちの起源であり背景なのです。聖酒式はサタン的な起源から神を中心とした起源へと血統を変えることを象徴するのです。」(注42)
(注38)私は、1979年にマッチング・聖別・祝福式・家庭出発の公式に変化して以降に統一運動内で使われている証言を用いている。その時以前は、「祝福」という言葉は(結婚生活というよりもむしろ儀式に対して用いられたときには)、「私的」なマッチングの儀式(それは聖酒式をもって完結する)と「公的」な祝福式または結婚式の両方を包含していたのである。したがって、この節において引用されている資料のいくつかは、祝福について語っているけれども、マッチングの儀式にのみ当てはまるものである。
(注39)文鮮明「聖酒式」『季刊祝福』(1巻1号、1977年春)
(注40)儀式のこの部分は、普通は決まったパターンに従うものではなく、その行動が極めて予想し難い文師の霊感的なリーダーシップによって導かれる。外部の者にとっては、彼のすることは衝動的で気まぐれに見えることであろう。ある元メンバーは、彼自身はマッチングを目撃したことはなかったが、「・・・文が祝福を受けたカップルの鼻を組み合わせるのはどれほど衝動的に見えたことだろうか」と書いている。(ウッド『ムーン・ストラック』、p.106)
(注41)私には完全には理由は分からないが、資格を持って儀式に参加したすべての者がマッチングされるわけではない。1979年には、1500名がボールルームに入り、1410名がマッチングされた。これは資格のある女性の数が不足していたことによって説明可能かもしれない。また、参加者の中にはボールルームの中に入った後でプロセスから離脱する者もいるであろう。
(注42)文鮮明「聖酒式」pp. 1-2.