ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳38


第5章 祝福:準備とマッチング(7)

 仲介者の役割の重要性は把握するのが困難である。それは彼または彼女がプロセスにおいて果たす役割は非公式なものだからである。文師を知っていて直接連絡ができるメンバーたちは、もちろん彼らの好み(これには、特定の人の名前を挙げたり、単に東洋人やヨーロッパ人の相対者が欲しいと示唆することなどが含まれるかもしれない。)を直接彼に伝えることができる。(注32)他の人々は、彼らの代わりに「お父様」にとりなしてくれるリーダーに、好みを知らせるかもしれない。好みを持たない者たちであっても、彼らをよく知っていて、特定の種類の結婚相手に対する彼らの個人的なニーズに関して文師にアドバイスできるリーダーを信頼するであろう。近年はマッチングを受ける人々の数が増加していることに鑑みれば、非常に人間味のないものになり得るプロセスに対して、仲介者は温かい感触を加えるのである。

 文師が誰と誰をマッチングするかを決定する上で用いる基準を、なんらかの正確性を持って決定するのは非常に難しい。入手可能な証拠を検討してみても、確かな真実はあるリーダーの以下のような率直な発言の中に見いだすことができるだけだ。「私には彼の基準は分かりません。それは一人ひとりにカスタマイズされているのです。」(注33)それにもかかわらず、文師はカップルをマッチングする上で一つの基本的な基準を忠実に守っているように見える。すなわち、そしてこれはあまり具体的ではないのだが、二人の「相性が良く」なければならないということだ。1965年に、アメリカのメンバーたちが自分の結婚相手を選ぶよう期待されていたときに語った言葉の中の、文師の彼らに対するアドバイスにこのガイドラインが暗示されている。
「・・・もし男性が岩のように固く、女性が木綿のように柔らかければ、彼らは正しくマッチせず、女性が生き残るのは非常に困難になります。虎と飼い猫は種が異なり、天敵同志なので結婚することはできません。結婚相手を選ぶときに、素早い判断に頼ってはいけません。皆さんの将来のパートナーの内的深淵を確信するためには、三年間付き合ってみることが必要かもしれません。皆さんは神様に自分自身を捧げているわけですから、これは長すぎる期間ではありません。」(注34)

 この基準は、すべての人にとっては明らかではない、ある内的で「心情的な」性質に基づいている。文師は最近マッチメイカーとしての自身の役割について語る中で、この曖昧な原理について詩的な方法で詳しく述べている。
「私が日本の家庭だけでも235カップルをマッチングしたとき、たったの8時間と数分しかかかりませんでした。想像できますか? どうやってできたのでしょうか? ほかの人が見れば、私がある男性のメンバーを心に描いて、すべての女子を一人ひとり見ているのは、まるでくじ引きか何かをしているように見えるでしょう。皆さんが自然を見るとき、一見するとすべての木は同じように見えます。しかし、松の木をアカシアの木に接ぎ木することができるでしょうか? 両方とも枯れてしまいます。もし何本かの松の木があったなら、そのうちの一つが曲がっていて小さかったとしても、私はその枝の一つを切ってほかの松の木に接ぎ木しなければなりません。種類が違っていてはだめなのです。中には滝のように、非常に敏感で流れやすい性格の人がいます。もし私がその人を注意深くマッチングしなければ、彼は死ぬでしょう。もし爆発的な性格の人がいれば、彼らは良く合うでしょう。彼らはお互いを補い合うのです。もし滝が打ち付けるような力で落ちるとすれば、それを持ち上げるかストップする何らかの力がなければならず、そうしないと調和しないのです。」(注35)

 そのような基準を、外部の者が理解し解釈してどうなるであろうか? 例えば内向性と外向性の相互関係によって二人の人間がお互いを補完するといったような、われわれが普通に意味することを文が心に抱いているのではないことは明らかである。彼の決定はそのような俗世の配慮を包含するかもしれないが、人間の人格の内的本質(その最終的で決定的な中心)までも見通す目を持ったカリスマ的シャーマンとして、文師はこの筆者が宇宙的親和性と呼ぶものに基いて人々をマッチングするのである。それは本質的に形而上学的で通常の人間の理解を超えた概念である。しかし、このアプローチは文師の人類歴史における固有の摂理的役割と一致しているのである。それはまた、彼の超自然的な力に対するメンバーの信仰を育てる(そしてまたそれによって育てられる)のである。

 第二の、より理解しやすい基準は、文師によって引き合わされる多数の「国際マッチング」に暗示されている。ストーナーとパーカーは1977年に「統一教会が発行した結婚相手の長いリストから、偶然にせよ意図的にせよ、これらの結婚の半分以上がアメリカ人と外国人との間でなされたことは明らかである」(注36)と報告している。現在の筆者の調査は、これらのマッチングがまったく偶然ではなく、少なくともあるレベルにおいて、人種と文化が全く異なる人々を結婚で一つにすることにより世界の統一をもたらそうという文師の努力の直接的な結果であると見られるべきであることを示している。私はこの現象に関する運動の統計を入手できなかったが、インタビューや現場観察から得られたデータは以下のことを示唆している。(1)国籍や人種を超えたマッチングの数は1969から現在までの間にかなり増加した。(2)これらのマッチングはグループの最も高い理想を示しているので、これらのカップルは同じ国籍・同じ人種同士のカップルにはない特別な地位を運動の中で与えられる。さらに、アメリカの運動では女性1人に対して男性が2人の割合である。その結果、アメリカ人の男性と東洋人の女性をマッチングするという一般的なやり方は、組織の非常に具体的なニーズと合致しているのである。また、国際マッチングはアメリカにおいて急成長するビジネス・ベンチャーのスタッフを確保するという要請が高まる中で、思いがけない恩恵をもたらした。ひとたびマッチングされれば、事実上すべての国際カップルは直ちに民事婚の手続きを行った。アメリカ市民と法的に結婚すれば、外国籍の相対者は永住ビザの資格を得ることになり、無期限に米国に留まることができるのである。統一運動の生活の他の多くの分野においてもそうであるように、ここでも道徳的理想(すなわち世界の統一)が、運動の組織的要請(すなわちスタッフに関するニーズ)と非常にうまく一致しているのである。最後に、メンバーが国際マッチングを受けることに対してグループによるプレッシャーと地位による誘因があるとはいえ、文師は同じ国籍間および同じ人種間の結婚を明確に要望する者の欲求に対しては、非常に注意深くこれを尊重しているように思われる。(注37)

(注32)文師は、メンバーが夢やビジョンや霊的直観に基いて到達した好みに対しては、とくに受け入れようとする。
(注33)個人的交流:エンゲル氏、p.5
(注34)文鮮明「祝福と伝道について」
(注35)文鮮明「男と女の関係」p.3
(注36)ストーナーとパーカー『みんな神の子供たち』(ラドノー、ペンシルバニア州:チルトン・ブック・カンパニー、1977年)p. 147.
(注37)しかしながら、国際マッチングを要望したメンバーが常に承諾されるとは限らない。筆者は東洋の女性を要望した後に文師によってアメリカ人と組み合わせれた男性のメンバーと話をした。彼はいま運動を離れることを考えている。インタビュー:ポーター氏。

カテゴリー: ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」 パーマリンク